職能と自己肯定感、この二つは密接な関係を持っていないだろうか?
例えば、仕事が出来なくて自信を持てない、というのはよく聞く話である。
もし、どんな職業もそれをこなすための職能を手に入れるのが簡単であればいい。しかし、向き不向きが割としっかり現れる職業も多い。
早いうち、例えば20代とかに自分に合った職業、少なくともその仕事をこなすための職能が普通に身につく職業に就けたら、それは幸いである。
だが、それが見つからないまま30代も半ばになってしまったらどうだろう?
30代も半ばになると、ある程度職歴が積み上がる。その積み上がった職歴を見て職能を判断される。ある程度経験を積んでいる職業ならば、それなりの職能を身につけていると期待されるのである。
だから、自分が苦手な仕事に就いたまま、職能が身に付かず、職歴だけを重ねていってしまった場合、地獄が訪れるのだ。
この状況に陥ると、自己肯定感はどんどん低くなっていく。それは言うまでもなく、幸せに寄与しない。
人生の3分の1は寝ているのだから睡眠は重要だ、という言葉があるが、大雑把に言えば人生の3分の1は仕事をしている。つまり仕事もまた重要であり、そこでの職能次第で自己肯定感が左右されるのは当然のことである。
仕事で失われた自己肯定感を取り戻すには、様々な方法がある。しかし、不向きな仕事は自己肯定感を削りに来るのだ。栓をし忘れた湯船にどれだけお湯を注いでも無駄なように、仕事が自己肯定感を削り続ける限り安定した自己肯定感を得ることはできない。
では、湯船に栓をするにはどうしたらいいのか?
若い頃はまだ『逃げる』という選択肢が有効である。若さは新たな仕事への挑戦を許す切符だからだ。
だがその切符をなくしてしまったら、不向きであっても死ぬ気で職能を上げる以外の道が残されていないのだ。それがどんなに辛かろうとも。
もしくは、歳を食ってからの挑戦を許してくれる機会に巡り合うまで死ぬ気で逃げ続けるかだ。
けれども、死なないでくれ。仕事が自己肯定感に関係するのは事実だが、仕事を自己のアイデンティティの最後の砦にはしないでくれ。それだけは、仕事以外のところから見つけてくれ。
仕事が出来なくても、生きてていいんだ。
そして生きていることは、時が流れることを保証する。時間が流れることも絶望かもしれないけれど、でも時間はきっとそんな気持ちすら押し流してくれるから。
残念ながら仕事以外に余裕が持てるほどの中年ワークは存在しないんだよなぁ