知人が鬱になったっぽいのと、
ブックライブで「うつヌケ」なる漫画が出てきてそれをチラ見したら分析してるようで大したこと書いてなかったので
この日記を書くことにする。
もう1つ加えるとしたらこの自己肯定を外的要因に一切頼らずに形成することができれば解決する。
どういう意味か?
なのでこれで一時的に回復したとしても、無くなればまた鬱に戻る。
例え個室に一人でぶち込まれて他者と一切コンタクト取れなくとも、
70億人が自分を批判し否定してきても揺るがない「自己完結型肯定感」の「自己肯定」だ。
これを自力で作るのは非常に難しい。
今までの成功例や他者からの評価や自分の経験や実績の積み重ねにより形成されているため、
また脱出する手段も分からない(治療部位が分からない)ために治すことができなくなる。
自己完結型の肯定を手に入れれば変革のための自己否定にストッパーを設けることができるので、
結果として無理をしなくなり心身ともに守られることになる。
ただし、自己肯定による非変質部位によって発生する無知や非学習能力によるリスクも付いてくるので、
自己肯定を作り出す際は十分注意して取り組まなければならない。
例えば「納豆にソースかけて食うのが最高に美味いのに同意してくれる人がいない」という事実があったとして、
もう一度この事実を見つめ直す。
自分にとって最も大切なことはソースをかけて最高に納豆を美味い状態で食うことであって、
目の前に大統領がいたら食いづらい気はするだろうし、
でもそれは納豆にソースをかけて食うのが好き、という事実に対しては何ら影響がない。
つまり本来は他者からの評価や影響を考慮せずともいい事柄なのに他者からの評価や肯定を求めているという、
この単純な自己完結型の肯定の簡潔さすら知らない人間が世の中に溢れかえっているという事実から、
まだまだうつ病患者としての予備軍は水面下にタンマリといるであろう。
そもそもの話、多数決でいえばこの世に1人しかいない自分の力ではどうやっても他者に数で勝つことはできない。
なので多数決によって自分の趣味嗜好をコントロールするというのは自分を抹殺するのと同じことだ。
例え誰一人賛同者がいなくとも自分が心からそう思ったならそれに従うことが個としての尊厳であり自由だ。
もちろんその結果、社会から反発が返ってきたとしても甘んじて受け入れるもよし、斜めに弾いてもよし、だ。
自分をマジョリティと比較していたずらに評価を下げることもまた無意味だと気づくべきだ。
追記するかも