はてなキーワード: 未来とは
お前の旦那言ってることがメチャクチャだぞ、痩せても満足できなくて、すぐ浮気するぞ。離婚して別の旦那に乗り換えたほうがいいよ
「・子どもが欲しくて結婚した→太っているから性行為をする気にならない→一向に痩せないから、子供ができる未来が見えない→離婚したい。」って言ってんのに理想の体脂肪率が16%って矛盾してるじゃん。18-28%を下回ると約半数が月経不順がおきるって統計がでてんのに。月経不順ってのは妊娠機能の低下だけど言ってることが矛盾してる。痩せても子供ができ辛いからまたそれで責められるぞ。妊娠しやすいラインまで体脂肪率増やしたら今度はデブだから離婚するとか言い出す。以後無限ループだな。人間的なクズだからとっとと捨てて乗り換えたほうがいいぞ。
InBodyでは成人女性における体脂肪率の標準範囲を18-28%としています。 この標準範囲を下回ると個人差はありますが、約半数が月経不順に、10%以下ではほぼ100%無月経になってしまいます²⁾。 正常な生理周期を保つためには最低22%以上が必要とされています³⁾。
Xで「LGBTQばかりになったら国が潰れる」というポストが流れてきた。なんでいまさら?と思った。でも、数年経った今でも「そのとおり」とかいう賞賛のポストが残っていて悲しかった。
というイメージはよく分かる。
でもそれって後付けの理由じゃないかな、少子化の要因をLGBTQの所為にして、
「あいつらが悪いんだぁ〜私達は少子化にならないようしてるけど、あいつらがぁ〜」
って言ってるようにしか見えない。
だってよぉ、子供産まないやつは全員ホモか百合なの?ばかじゃないの。違うでしょ。
子供産む価値がなくなってるだけだろ。リスクが高すぎるだけだろ。なんで小学生の内からお塾に通うの?大卒じゃないと、まともな給料がないのは何?核家族で共働きって、子供産むわけないでしょ。自分が生き残れるか、子供が大人まで育つのか今の世代は不安ばっかでしょ。
そもそも、異性でちちくりあってようが、同性でちちくりあってようが、どうでもいいんだよ。今はキモいだなんだいっても、社会・時代が変われば常識なんて変わる。
ゲイを容認したら、「俺ノンケだと思ってたけど実はゲイ(バイ)かも…」って人が増えるって意見はよく分かる。確かに一理ある。
でもな、ホモだろうと百合だろうと、その他特殊性癖だろうと、子供作るやつはつくるんだよ。
大事なのは、子供を産む意味と子供の価値を作ること。インターネットが発達して昔の日本の「結婚して子供作るのが立派」システムは崩壊しかけてる。だから新しく子供を産みたくなるシステムを構築しなきゃいけない。
それは凄く難しいし、何をするのか分からない。
だからこその「LGBTQばかりになったら国が潰れる」だろ。あいつらは、自分のせいにされたくないんだよ。
全く無関係なわけないだろが。
言い出したらキリがない。
俺だってそうだよ。欲にまかせて毎日、自分の利益ばっかり追い求めてる。
だからさ、そういった事全て投げ捨てて「ゲイが悪い」ってされると凄く悲しい。
俺が喉の奥から欲しかった幸せを掴めるくせに、お前らはその自覚もなく全て俺らのせいにするのかよ。
どこまで他人を蹴落とせば気がすむんだよ。
俺のせいにしたって何も変わんないよ。ばーか。
俺は自分なりに考えて、他人の子供のために、未来の社会のために必死に働いてる。
だからさ、LGBTQくらい許してよ。
・私は30代前半 女性
・同い年の夫と結婚5年目
・共働きで子無し
・夫は174㎝ 53㎏(結婚前と変わらない)
・結婚時点で太っていると思っていたが、「ピルを飲んているから太っている」(←ピルを飲む前は47kgくらいだった)との説明で、ピルを辞めれば痩せるとし、信じて結婚した。
・4年前くらいに「痩せてほしい」と言ったが、今日まで痩せず、太る一方。
・「痩せてほしい・食べすぎじゃないか」と言うと、言い返されるから、怖くてしばらく言えなかった。
・子どもが欲しくて結婚した→太っているから性行為をする気にならない→一向に痩せないから、子供ができる未来が見えない→離婚したい。
・自分は学生時代太っていた。夕ご飯を抜く、野菜のみにするという、摂取カロリーを基礎代謝以下にするという生活を10年続け、痩せることができ、今の体型を維持している。
・本気で痩せる気があれば、過去に言ったときに痩せたはず。それができないのは自分に問題がある。
・基礎代謝>摂取カロリーにすれば太るわけがない。食べ過ぎ飲み過ぎだ。
・太っていても気にしないという男性は世の中にいる。そういう人といた方がいいと思う。
・太っていることをそこまで深刻に捉えていると認識していなかった
→「丸くてかわいいね」と週2,3回言われていた。夫曰く「ペットのように思っていた」とのこと。
→何年も痩せなかった 信じられない
・どんな体型が理想なのか
→一般的に女性は「ボンキュッボン」がいいとされている ああいう感じ
→16%くらい
一応、今日の落としどころとしては、
として、話し合いを終えた。
基本的に夫はとても優しく、家事を分担(やや夫多め)してくれる、料理を作った時に綺麗にできた方を私にくれる。などの気遣いがとても心地よかった。
私が仕事で朝早い日は「一緒に食べたいから」という理由で合わせて早く起きてくれ、皿洗いをしてくれる優しい夫。
この人と結婚できてよかったなーといつも思っていた。
性行為こそないものの(年単位でレス)共働きで生活費は完全に折半、互いに生活費を払えば残りの給料は趣味などに使ってOK、休日は一緒に遊んだり別々で過ごしたりと自由。と、互いに楽しく暮らしていたと思う。
この互いの自由さもあり、「夫は子供がいらない(いらなくなった)のだろう」と、私は思っていた。
私は子どもに対する覚悟がなく、自由な生活が楽しかったため、自ら話題にしなかった。
夫は家にいることが多い人なので、実は不倫が、のようなことはないと思う。
本人も「不倫はしていない」と言っていたので、そこは信じることにしている。
夫を大切にしたいなら、痩せてほしいという気持ちに応えるべきだったが、そこまでの物とは思っていなかった。
いまは「ひとりにしてほしい」と言われ、それぞれの自室で好きに過ごしている。
「夕飯を作る気にならないから」と、近所のスーパーで私の分の夕飯も買ってきてくれた。
多分、本人も言いたいことが言えてある程度すっきりした気持ちはあるのだと思う。
・今回痩せたとして、一生痩せ体型を求められることに耐えられるか
→子どもが欲しいなら、ダイエットと同時並行でお互いブライダルチェックに行かない?と提案したが、「そんなモチベーションはない」とのこと
・子どもについては「子どもが欲しい」のみで、そのためにお金をどうするかなどは一切話し合えていないこと
・5年間生活してきた思い出や相手への信頼よりも、痩せていないから、という点に重点を置く価値観の違い
・男が女が、みたいなのはありえない。と言われた(男が多く払うべきとか、婚約指輪を買ってあげるとか。思っていてもいいが、私に言うべき内容か?と疑問だった)
・年収の差は1.5倍程度だが、生活費を完全に半々にしている(夫は料理をしてくれるので、料理が苦手な私は自分の中でそこで折り合いをつけていた。比率を変えたいと言ったことはない)
・話し合いの場で大げさに言う(結婚してから毎日暗い気持ちだった、未来が見えない。など)
・太っているからその気になれない、の一点のみの主張で、「子どもができたらお金はどうする?」など、子育てに関する避けて通れないような議題についての話し合いをいままでしてこなかった
・100%夫が悪くても(嘘をついたなど)、謝らない
・不機嫌になるとそれを表に出し続ける(今回は上記の嘘の件で数日前に言い合いになる→翌日以降も不機嫌を貫く→「冷たくされるのは悲しい」と私が伝える→「今度話し合いたい」と言われ、話し合いの場が今日設けられた。今日まで不機嫌は継続)
いい思い出がたくさんあり、優しくて大好きな夫。でも思想の違いが浮き彫りになることもたまにあり、今回はとても大きく違いが出た。
結婚して得られた幸せの中で一番大きいものが「孤独感がなくなった」という点だった。
「この人がいるから、ひとりぼっちだと思わなくなった。本当に結婚してよかった。」と思っていた。
離婚したらまた孤独になる(もちろん私にも友達はいるが、人生のパートナーという意味で)。それに耐えられる自信がない。
結婚を継続するためには、一生痩せ信仰に付き合うことになるだろう。それにも耐えられる自信がない。
この人との子どもを作って大丈夫なのだろうか。人生を変えるなら今なのだろうか。
離婚したら、また次のパートナーを見つけたい。そのためにはやはりダイエットは必要。痩せてから、離婚するかどうかを改めて決めたいと思う。
昨夜、ひとりで抱えるのがつらすぎて、どこかに吐き出したくここに書きましたが、まさかこんなにコメントをもらえるとは思いませんでした。
全て読みました。色んな意見に触れることができ、救われた気持ちでした。ありがとうございます。
私としては、夫の女性の身体に対する認識のおかしさが大きいと考えている。
過去に「生理は4週間周期できっちり来るものだと思っていた」と言われたことがあり、私の生理不順に驚いたことあった。
結婚する前に過去の恋愛を聞いたところ、私の前に一人いたのみで、その人は半年程度で別れたと言っていた。
女きょうだいもいなく、学生生活~社会人までずっと男性ばかりの環境にいたようなので、知識を得る本当に機会が欠損していたのだと思う。
私が説明しても「太っている言い訳」としか捉えてもらえなさそうなので、第三者(できれば医療機関など、権威のある施設)から教わってもらいたい。
ただ、痩せ信仰は本当に凄いとは思う。
「明日何もせず痩せられますと言われたら、痩せる選択を取るよね?だから痩せたい・痩せるべきだという気持ちはあるんだよね?
でもダイエットとという行動に移せなかったのは、結局は太ったままの自分でいいと思っているからでしょ?」と言われた。
極論すぎると感じてしまい、なんて返せばいいかわからず、言葉が出なかった。
痩せていることがすごく誇りなのだろうと、発言から感じることはある。
ただ、筋トレは筋トレで必要だと思っているようで、懸垂器具を部屋に設置し取り組んでいる様子は見られる。
ガン家系なので自ら検診に行くこともあり、健康そのものへの関心はかなり高い(だから、痩せに拘っている?)。
結婚前に「痩せてほしい」と言われ、痩せなかったことは、私が約束(夫からのお願い?)に応えられなかった。ということに尽きると思う。
言い訳になるが、前述の通り「そこまで深刻だと思っていなかった」という認識。
鏡の前で「私なんか太ったかなあ?」と言ったことが数回あるが、「そのままでいいんじゃない?」と言われていた(瘦せてほしいと言われた後の話)。
夫と夕飯を食べているときに「満腹になったから、よかったから残りを食べて」と言うと「もっと食べなよ」と言われる(じゃあ自分が食べるね、と言われたことがない)。
料理担当が夫である手前、「食べて」と言われたら、罪悪感から食べるようにしていた。
夫は「絶対に欲しいけど、何歳までにというのはない。別に遅くても全然いい」という考えのよう。
→妊娠の適正年齢という感覚が薄そう。私が痩せていたらすぐ作ったのか?という点は、確認したことがない。
太っている=性的魅力を感じない=モチベーションが永遠に来ない、将来への絶望感という思考なのかな?と私は思っている(ここまで深く本人に聞いていないため、憶測)
私は「絶対に欲しい!という気持ちではない。夫とふたりの人生でもいい。産むなら産むで、お金のことなどを懸念をクリアにするなどしてから作りたい」と思っている。
ただ、ブライダルチェック含め、「産むならどうする?」という話が全くできていないので、「夫婦間で話題にならないし、現状気楽でいい」と先送りにしていた。
今年度から夫が数年間地方に転勤となり、辞令が出た際、最初は単身赴任にするとして話し合っていた。
結局「来てほしい」と言われ、私が完全テレワーク(私の勤め先の配慮)になる形で、正社員の共働きが継続しているが、
夫から単身赴任という選択肢が出た際に、「子どもはいらなくなったのか」と感じた。
これは「初産の妊活から単身赴任なんてありえない」という私の勝手な思い込みであったが、
今回の話し合いで「単身赴任案があったから、子どもいらなくなったと思ってた」と伝えたところ、夫としては「単身赴任で妊娠出産でも自分は良いと思う」とのことで、
売り言葉に買い言葉ならまだいいが、本心であればちょっと思想が違うかも…とは思った。
ただ、本当に子どものことは互いにちゃんと話し合っていなかったので、認識を合わせるためにも話し合っていきたいが、痩せないことには…という状態。
一緒に生活している身としては、無さそうだなと思う部分が多いが、ある証拠もない証拠もないので、何とも言えない。
「離婚理由は他にあるの?」と聞いたところ、「あるにはあるけど、これが大きい」という回答。他の事は語らなかった。
私も夫のことを全肯定できるとは言えないので、そういう意味では「私も不満はあるにはある(ただ離婚には至るほどではない)」という感じで、気にはしていない。
本人が語らないのではわからないし、詰問するつもりもない。
現状、結論が出ない。
離婚します!とスパーンと言い切れるほど、自分の性格がドライではない。5年間の愛着のようなものは確実にある。
好き嫌いというよりも、「これからもこの人と一緒にいて大丈夫かな?」という懸念があるのは否定しないが、じゃあもう今週末離婚!みたいな思い切りはちょっとできない。
夫婦としてカウンセリングを受けるべきというコメントは、本当にそうだと思った。
ただ夫が受診に同意してくれるか(痩せ信仰を揺るがすかもしれない場に行くことに納得できるか)がわからない。
これは本当にどうにかならないのか…と頭を抱えている。
今朝「今週末パーソナルジム行く」と言ったのがよかったのか、職場で頭が冷えたのか、今日の帰宅以降の雰囲気はほぼいつも通りだった。
あんなトゲトゲしていたのはなんだったの?と私は拍子抜けしている状態。
しかし、また何かトラブルになったらあの態度を繰り返されるんだろうな…とは思っている。
これは私も知りたい。本人の口から聞けた言葉以上のことは、わからない。
本当に「妻目線」の話でしかないので、都合のいいことしか書いていないだろう、と思われるのは当然だと思う。
もし夫がこの日記を読んだら「自分の考えとは程遠いことを書かれている」と感じるかもしれないが、会話としてのやりとり&自分の考えとしては、以上となる。
遺伝的浮動といって、人類全体で大きいちんぽがいいか小さいちんぽがいいか試行錯誤しているんだよ
そんで小さいちんぽの方が良いんじゃね?みたいな個体がその奥さんだったわけだが、入らないほどちんぽの大きなオスを選んでしまったので彼女の子供もそれなりのちんぽを持つだろう
かつて、秋葉原は電気街として独自の文化を誇り、オタクたちの聖地として広く知られていた。しかし、時代の流れとともにその姿は大きく変わり果ててしまった。インターネットの普及により、欲しいものや情報が手軽に手に入るようになり、秋葉原で買い物をする理由も薄れてしまった。今では、狭苦しい雑居ビルに漂う酸っぱい臭いが、かつての活気ではなく、どこか閉塞感を感じさせる。
その狭い店内に並ぶのは、ティーンエイジャー向けの安っぽい食玩やトレーディングカード、価値の見出せないアクリルキーホルダー、そして精度の低いプライズフィギュアばかりだ。かつて個性を持っていた店舗は、今や凡庸なチェーン店に取って代わられ、街全体が均一化されてしまった。
メイド喫茶も、かつては独自の文化を象徴する存在だったが、今では弱者男性から金を搾り取るだけの、名ばかりのガールズバーへと変貌してしまった。観光客たちはガイドブックを手に期待を抱いて秋葉原にやって来るが、現実とのギャップに失望し、無気力な表情で街を歩いている。
かつての秋葉原は、ただの商業街ではなく、情熱と創造力が溢れる特別な場所だった。通りを歩けば、電気パーツを扱う小さな店が軒を連ね、手作りの電子工作やパソコンのカスタマイズに熱中する人々で賑わっていた。彼らは、秋葉原という街そのものを生きた実験室とし、自らの手で新しいものを生み出す場だと信じていた。
一方で、アニメやゲーム文化も花開き、秋葉原はオタクたちの聖地としての地位を確立していった。ここには、他では手に入らない希少なグッズや、熱意を持ったクリエイターが作り上げた同人誌が溢れていた。地下のショップや裏通りでは、宝探しのような感覚で新たな発見を求める人々が集い、確かに「何かを見つける」喜びが存在していた。
メイド喫茶もまた、単なる飲食店ではなく、訪れる客とメイドの間に築かれる特別な体験の場だった。メイドたちはただの接客スタッフではなく、その世界観を共有する仲間として迎え入れられていた。そこには、日常の疲れを癒し、非日常の空間で自分を解放する、独特の温かさと安心感があった。
秋葉原は、熱心なオタクや技術者が自らの趣味を追求し、仲間と交流し、未来を夢見る場所だった。それは、単なる物を売買する場を超えた、コミュニティであり、文化そのものだった。そうした情熱こそが秋葉原を特別な場所にしていた。しかし、時代の変化とともに、その魂は次第に失われ、今では過去の面影を探すことも難しくなってしまった。
もしかすると、秋葉原は初めから虚飾に満ちた偽りの場所だったのかもしれない。それでも、かつての秋葉原には、人々の情熱と夢が詰まっていた。しかし、今の秋葉原はその魂を失い、ただの観光地と化してしまったように感じる。
AIに要約してもらった。
この文章は、ゲーム開発の変遷に対する筆者の考えを述べています。
昔のゲーム開発は、リードプログラマーが自前でエンジンや物理演算を作り上げる職人芸的な仕事でしたが、今ではUnityやUnrealのような汎用ゲームエンジンが普及し、エンジンを書く仕事がほとんどなくなりました。
これにより、ゲーム開発はコードを書く作業から、コンテンツ制作に重点が移り、以前のようなプログラミングスキルがあまり必要とされなくなったことを嘆いています。
また、技術の進化によって、昔の職人技が不要になり、その結果、ゲーム業界で活躍する機会が減ったプログラマーもいると指摘しています。
筆者は、時代の変化についていけない自身や同世代のプログラマーが「老害」となりつつある現状を認識し、技術職の未来に対する不安を表明しています。
時代を停滞させずに潰す方向に向かったほうがいいのに
増田さん、よく考えてください。今、あなたが感じている痛みと苦しみは非常に深いものです。特に、愛猫を失ったことがあなたに多大な影響を与えていることは理解します。しかし、この世界には必ずしも一人で抱える必要のない支援や愛があります。
あなたの痛みを癒すための方法は一つではなく、時間をかけて少しずつ見つけていくことが大切です。
が、あなたの存在には意味があり、関わる人々に影響を与えています。だからこそ、今この瞬間を見つめ直すことが大事です。
家族や友人、専門家に助けを求めることは決して弱いことではありません。むしろ、それは強さの証です。痛みを共有することで、少しずつ軽くなることもあります。
今こそ、生きるために一歩踏み出し、支援を求める勇気を持つ時です。あなたの未来には、まだたくさんの可能性と希望が広がっています。
登録者数は、男性個人にしては多い方とされる5桁に届いているが
昨今のYouTubeでの伸ばし方や、男性個人Vが(個人的に思っているような)まともな方法で伸ばすのがマジで無理なんだと感じたので
今後男性Vとしてデビューしたい人達に向けて今の俺の気持ちを伝えたい。
この問題は界隈の常識なので今更感あるが、個人男性Vの伸び辛さはマジで半端ない。改めて言う
まずVを見る層は男の方が多い。これは当たり前だ
あまり性別で云々は言いたくないが、女性リスナーの恐らく半数以上は
【人気のあるライバーに集中する】傾向にあると思われる
そのため、ある程度の人気を得た状態
もちろん企業所属のVの方がイベントやグッズ、タイアップ企画など
色々な推し活を楽しめるだろうというのはわかる
面白さにおいても大きな差など無い。
というか言葉選びや喋り方、声や見た目などは好みがあるので、企業個人問わず人により合う合わないがあるし
だがその一つがとてつもなく大きな壁になるのだ。
確かにそれもいい。そうしたい。でも厳しい。
男Vtuberの特権である誰でもイケメンなんてものに興味は無いのだ
そして中身の面白さも結局の所伸びておすすめにのって運良く見てもらう他無い
だが伸びるために初期の頃はイケメンガワや女性向けゲームなどで女性リスナーを増やすしかない
そうして伸ばした結果男ウケするような内容から遠ざかっていき
ほとんどの個人Vは活動を本格的に始める前にまずX(旧Twitter)で同業者やリスナー候補となる人達に自分の存在をアピールする
そしてそのままXがファンとのコミュニケーションツールとなる事が殆どだ
高確率で返事が返ってくるし
コメントをすれば反応があるのも当たり前で
リスナーとのやりとりはもちろん楽しい部分もある。応援の声は励みになるし、ファンアートにも引用リポストでお礼を言ったり
自分のリプ返で喜んでもらえるならと初期の頃から今まで欠かした事は無い。
俺は色々な事が1人で出来たから、ただゲームや雑談をやるだけでなく
少しでも見ている人たちが楽しめるようにと日々考えて配信活動を続けた
「配信面白い」「初めてVtuber好きになった」など嬉しい言葉をもらう事もあったり
リスナー同士が自分の話題で盛り上がって仲良くなったりするのを見るのも好きだった
そして、登録者数も順調に伸びていった。
実は問題だったのだ。
まずYouTube配信内でのコメント欄にはアカウントを作った時につけた名前と、設定したアイコンと共にコメントが流れるので
いつもコメントしてくれる人などはパッと見ですぐわかる
Xなどでも交流している人の場合、Xのアカウントと同じ名前だったりするので更にわかりやすい
「あの人がいるから配信コメント出来ない」「ブロックしても配信画面にあの人のコメント映るから行けない」
これがマーーーーーーーージでこっちに全然関係ない所で揉めて同接にも再生数にも影響されるとかいうダルすぎる件の1つ
結局どちらにもよしよししてなんとか取り持ったと思ったら最終的には片方はいなくなって他のVの所に行く有様
等というリスナー同士のアレコレに巻き込まれて自分に非のない所でファンを失うなんてよくある話だ。
ならばコメント欄で1人の人間が目立たないようリスナーを増やそうと頑張ってみても結局
また別の登録者や同接の少ないVの所に行くようになるやつが一定数いる
これが、マジで、1番のクソ。
リスナーが増えたことによって構われる時間が減ったからリスナーが減るっていう
何のために頑張ってんの?ってすごくやる気を削がれる
これを繰り返す。アホらしくなる
もちろん全ての人がそうではない、ずっと応援してくれている人もいる
伸びるために頑張っても、伸びていくといなくなる
こっちがどれだけ心の中でリスナーを大切に思っていても
あっちは都合が悪くなったらすぐに別のVの所に行く
俺たちの事は心のある人だなんて思っていない
1番意味がわからなかったのは「配信面白かったです!今後推させてもらいます!」ってDM来た2日後にXのフォロー外されて配信にも来なくなった時だ
いつも通りの日常を送っていたのに、だ。
誰か説明してくれ
そしてもう愚直に面白い配信を目指してコツコツ頑張っても意味のない時代になってきているのかもしれないとも思う
だからそればっかり。みんな同じ事をして自分のコンテンツなんてものが無い
もしくは数字を持っている人とコラボしてキャリーしてもらうくらいか
それが虚しい。そんなもので伸びたくないなんていう
バカみたいなこだわりを持っているせいで
3年近く個人Vをやって色々な事があって
未来が見えなくなった。
こだわりなんて捨ててみんなと同じ事をするしかないのかもしれない。
リスナーの言う「一生推します!」の一生は、セミの寿命より短い。
※追記
まさかこんなどうしようもない愚痴を沢山の方に見ていただけるとは思ってもいませんでした。
これから先どうしていくべきか等をもう一度よく考えなくてはと思い知りました。
これが正解だと自信を持って進める道を見つける事が出来るかはわかりませんが
皆様の優しいお言葉も厳しいお言葉もどちらも自分の今後の成長のために参考にさせていただき、もう少し頑張ってみようと思います。皆様ありがとうございます。
ちなみに自分のウリの一つはとてつもない低音のイケボです。
お見合いしてきた。
ワイ、42歳零細会社経営者。(売上8億くらい、社員6人パートさん10人くらい)
後は若い二人(2人とも若くはない)で・・となってしばらく後に家計についての話がはじまる。
女性「前の結婚で家計ワリカンにしたら揉めたから、私が全部管理したい。会社の経理もやる」
増田「ん~A子さんは35歳か。じゃあ500~1000万くらい純資産が有るなら、私の給料(役員報酬)は全部任せてもいいよ。私の資産と会社はダメだね」
女性「500~1000なんて有るわけない。結婚したら共同財産でしょ。ぜんぶ私に任せて。」
増田「う~ん。そのくらいのお金を持った事も無い子が、大きなお金を任されても不幸になるだけよ?億のお金って魔物なのよ」
女性「私のお母さんは全部やってた」(A子さんの実家は夫婦でやっている居酒屋)
増田「個人経営の居酒屋を馬鹿にするわけではないけれど、扱う金額も複雑さもぜんぜん違うよ。社長の私か専門家じゃないと無理だよ」
女性「信用してないって事?」
増田「毎月ちゃんと生活費(25万)を渡すし、渡したお金は使い切っていいよ。」
増田「光熱費や通信費、家賃や住宅ローンの引き落としは全部私がやっておくよ。A子さんの稼いだお金は好きにしたらいいよ」
増田「外で食べたり冠婚葬祭が有っても家計から出してとは一切言わないよ。それでもダメ?」
女性「私に見られると困るって事?」
増田「見られても困らないけど、任せると困る事も出てくるかな」
女性「例えば?」
増田「貸方借方ってわかる?仕訳は切れる?経費として認められる範囲と減価償却は知ってる?間違えると追徴課税や重加算税、最悪は背任で逮捕まであるよ」
増田「他にもいくらでも例を挙げられるよ。全部わかっていないと法人の経理はできないよ」
増田「法人のお金は夫婦のお金ではないし、法人代表のお金も税務署のマトなのよ……。」
女性「もういい」
多少デフォルメしているが、仲人さんの紹介で会った女性の実話です。
実家が飲食店で食事と家賃タダで35歳まで看護師やっていて、500~1000万も無い子だった。
何に使ったのか聞いたら推し活だそう。
ここまではギリ許せたけどワイの全財産を管理させろ法人の経理もやらせろと言い出したので無理。
能力の無い子にお金持たせて幸せになった試しが無い。どうして自ら不幸になりにいくのか。
なおパーフェクトコミュニケーションがわかるブクマカ、増田様いらっしゃったら教えてくれ。
そんなやつおらんやろ
これが世界最大という超超巨大書店を、どーんと僻地でもなんでもいいから街が作れそうな平野に作ってほしい。その超超巨大さは世界第2位を突き抜けてほしい。
政府もテコ入れし、クラウドファンディングも募り、数多ある企業も全勢力が参入してほしい。もうとにかく全力をかけて作ってほしい。
「そんなことして失敗したらどうする?!バカじゃん?!」とか考えず作ってほしい。勝算とか考えず勢いで作ってほしい。
そこには和書だけではなく洋書もある。西洋の本だけではなく中国語の本、アラビア語の本、アフリカーンス語の本、とにかく片っ端から「いやこれいらんだろ」みたいな本だったとしてもすべておく。
なんなら和書が中央ではなく洋書が中央である。日本語を中心で考えてほしくはない。言語別に存在する知の量に応じた配分をしてほしい。
客層に応じてカテゴリ分けは必要だろう。1つの書店だけでなく複数の書店が統合してもかまわない。古本屋を集めてもかまわない。
「よくわからなくても物理の本を買うなら日本のここへ行け。たぶんあるから」という状態になっていてほしい。日本の中規模以上の書店はほぼすべてここに集める。
全勢力が協力してできた超超巨大書店を中央に据えて、その周りを他の超巨大書店が取り囲む。その周りは巨大書店。その周りは中規模書店、その周りには小規模書店。
海外からも片っ端から誘致する。必要なら補助金も出す。「バカなの?」とか「さすがに海外出店は難しいです」とか一蹴されるだろうが「まあ採算とれそうだからいいよ」と言われるまで粘ってほしい。
税金をたくさん投入してもかまわない。重要なことは「そこにある」「とにかく日本のここに来たらある」「お前のやりたいことは知らんけど本がほしいなら日本のここに行け」という願いが叶う場所だ。
例外を作ればそのブランドは失われる。このブランドこそが他国が追随不可能な圧倒性を生む。先行者利益だ。バカすぎて1つ1つで見るとデメリットしかない行為が、結合すると巨大な1つのメリットを作り出す。
どこかで手を抜くと終わる。そんなことまでする必要ないんじゃないのとか、それってめちゃくちゃ損しますよねとか言われようが、究極に本を集める。
書店と書店の隙間にはさまざまなカフェが立ち並ぶ。個人で経営するカフェからチェーン店が密集する。コンビニも立ち並び、公園には読書に適したベンチがある。公園は読書に最適化されている。
その街にはどこにでも椅子が置いてある。買った本をすぐ座って読む人向けのものだ。
この街には有名人が毎日のようにやってくる。たとえば「ビル・ゲイツが本を選びに来日!」など当たり前のことになるだろう。
読書家はこの街の付近に別荘をかまえる。なんにもなかった僻地の近隣に富裕層街が誕生し、地価がとんでもなく上昇する。意味不明なおいしい話だ。
一方で本を読むことが目的でない人間には居心地が悪い空間になる。この街に存在している人間はほぼ全員本かその周辺が目的なのだ。本以外が目的の人間は異様に目立つようになり警戒される。
街の中央部分は徹底的に、本、本、本、本、本、と本が存在するのが当然の本の密集空間になっている。普通の人間が「ここまですることはないんじゃ・・・だって採算とか・・・」とドン引きするぐらいの熱量で本で溢れかえっていてほしい。
地面に敷かれたタイルには、文章が書かれている。まっすぐ歩くと偉人の言葉などがそのまま読めるようになっているのだ。たとえば「良い本は私の人生におけるイベントである。」「本の無い家は窓の無い部屋のようなものだ。」「天才とは努力する凡才のことである」などという文が永久に書かれている。有名な書の冒頭部分だったりもあるし、古典文学もあるし、文学のみならず数式も書かれていたりする。それを読むだけで日が暮れる。
この街の広告はすべて本に関するものでいっぱいだ。ほかでは絶対に見られない、読書家にだけ向けた広告が撃たれる。「こんな難しそうな本の広告ある?」というのがそこここで見つかる。
たとえばベトナム語のマンガの新刊広告なども見受けられていてほしい。
この街にあるのは紙の本ばかりではない。電子書籍派のための書店もある。他では絶対採算がとれないような形の店であっても、「読書家が毎日のように集まることが普通」の街特有の書店ができる。たとえば巨大な8Kモニタにその人へレコメンドされた電子書籍が大量に表示され、立ち読みすることができるとか。「辞書専門店」や「単語帳専門店」や「栄養学書籍専門店」などがあったりもする。そういうものを作っても不思議と利益が出るのだ。
この超超巨大書店圏内部には研究所や大学なども誘致する。どのような言語でも関係ない。化学系のカテゴリが立ち並ぶ「化学通り」のようなところには実験器具専門店も立ち並ぶ。
そういうところは、基本的には英語がメインだ。英語の下に日本語が書かれている感じ。イメージ的にはハリーポッターだろうか。ときどき「なんで化学通りにオムライス専門店がこんなにあるんだよ」などということもあるかもしれない。秋葉原や神田にカレーがたくさんあるようなものだろう。
やや込み入ったところにはマイナーな本屋がある。「なんだよこの本屋・・・」という、見るからに異国感が漂う本屋だ。謎の部族の謎言語で書かれた謎の材質の本が置いてあるなど。ネクロノミコンのような本も見つかる。
石版などもなぜかある。読書向けの椅子専門店もある。「本のためだけの椅子専門店」が生存できる場所は日本ではここしかない。
しかし、この超超巨大書店群の主目的は「本の集積」である。そこから逸れるようなことがあってはならない。何か欲をかいて「ここに企業をうんたら」などとして利益を優先するとこの街はあっという間にその意味をなくし滅びるだろう。ありとあらゆる人々が周辺の利益を求めて集ってくる。そういうのを一蹴できるような体制であってほしい。
「この街意味ないだろ。なんで作った。赤字だろ」と罵られながらも存続する街であってほしい。そして、そう罵る人も、ひとたびその街に入ると「すげえ・・・この街は地球に必要だわ・・・」とどうあがいても認めざるをえないほど感動できる街であってほしい。街自体で見ると赤字なのだが不思議と日本経済が潤う源泉である摩訶不思議都市であってほしい。完全に未来へと投資された都市である。
この街では、夜もたくさんの書店が営業している。こんな大きな本屋が24時間営業できるのはこの街しかありえないとなっていてほしい。「夜眠れないな・・・本でも買いに行くか・・・」という人外の行動を普通にするような場所であってほしい。
街の周囲には民家が立ち並ぶ。ただしこの民家に住む民間人はややおかしい。本のために移住してきた狂信者たちだ。軒先には自分の選書が並び「1冊100円」などと書かれていることも多々ある。
富豪がゴッソリ買っていくことを見越して少し離れたところに在庫置き場がある。
富豪が「ではこの棚からこっちの棚まで」などと爆買いしていく。もはやテロリストのようなものだが、そんなことは気にせずまた入荷する。本はバカみたいに売れる。
この街は、「日本人なら1度は絶対行け」と呼ばれる場所になる。そしてひとたびそこに立ち入れば「世の中にはこんなに知識があったのか」「世の中はこんなに頭のいい人たちで溢れかえっていたのか」ということが、嫌でも全身の細胞に刻みつけられる。伊勢神宮みたいなものだ。それよりも神々しいかもしれない。
そして、全身の細胞で体感したその人は、格段に読書するようになるだろう。それは地元へ帰っても同じことだ。一流を目の当たりにした者は一流になる。
取次の問題も、書店が潰れかけている問題も、日本人が本を読まなくなってしまっている問題も、経済が深刻化している問題も、だいたい解決できるだろう。
誰か作ってください。
ちなみに国防にも役に立ちます。一度作ってしまえばここを潰すやつは「バカ」なので。ペンは剣よりも強し!
ただそれは、「本がたくさんあっても意味がない」のではない。逆。
それに「物理本を読む人が少ないから本屋が潰れちゃう」というのも逆だ。
「物理本を読みたいと思う人を増やす。そのためには本屋すべてが潰れることも辞さない」という情熱が正道である。
本というのは知の源泉である。だから知識がない人に迎合すれば、潰れるのは自然だ。知識がない側に与するのだから。
本の機能はそれとは真逆であり、全体を引っ張り上げるものである。知識がない側が「欲しい」と願える場にすべきなのだ。
ない側に媚を売っていれば潰れて当然。
「この本は今は読めないけれど、読みたいと思う」そういうものがない。
「この本は内容はちんぷんかんぷんだけど、そういう本の存在を知っている」そういうものもない。
ジュンク堂書店などですら、知らない人々が多い。大型書店の重要性を知覚できていない。入ったことがない人間もいる。
記事を読んでくれた人へ: 記事を読んでくれたのはありがたいが、たぶん自分が考えている規模と読んだ人が考えている規模に大きな差があると思う。
自分が考えているのは、もっとも小さく考えても深圳書城中心城の数十倍の大きさであり、既存の書店をちょっとだけ大きくしたものとか、蔵書が全く同一であるような大型書店が単に10個ある街という形ではない。
コーチャンフォーつくば店は50万冊、池袋ジュンク堂書店は150万冊、深圳書城中心城は400万冊、国会図書館は4685万点。Amazon Kindleは60万点。
自分が言っているのは、数億冊あるような書店群である。つまり、コーチャンフォーやジュンク堂書店や紀伊國屋書店は超超巨大書店(世界中の意味わからんハイレベルの本から選びぬかれ集まったエリート本屋)の周辺を取り囲む「日本区域最大の超巨大書店」の周辺を取り囲む「大型書店の1つ」という状態を考えている。ブックオフなどはその周りを取り囲む中型書店になるだろう。その周りを、身近にあるご近所の本屋さんがたくさんずらーーーっと並んでいるというような領域だ。いうならばこれが日本区域である。
世界の蔵書数はGoogleによると約1.3億冊であるらしい。日本区域内に別に中国語や韓国語の本があることもある。ただし日本区域の横には韓国区域だったり中国区域だったりする。その中国区域でもばかみたいにデカい超巨大書店があり、それを取り囲むようにジュンク堂書店並の大型書店があり、英語区域では……というような状態だ。言語別に分けられているだけでなく、「数学領域」で分けられていることもあり、そこでは「高校数学」の棚に世界各国の高校数学が並ぶ。数学の参考書を買いに来た高校生が、カメルーン人の中学生と仲良くなるみたいなことも想定できるわけだ。
地方のクソデカ本屋が数百個単位で入る「は・・・?」「この街が・・・全部・・・本屋さん・・・?」という規模の書店群である。
イメージとしては↓な感じ。
まもなく目的地の駅に近付く。電車にいる人々は全員が本を読んでいる。スマホを触っている人たちなど誰もいない。不思議な光景だ。多くの人がそわそわしている。初めて来た人たちが多いのかもしれない。
電車が駅に滑り込み走って降りる人々の後ろでのんびりと降りる。全く、はしゃぎすぎだろう。
降りた直後、本の形をした案内板が表れた。真っ先に飛び込んできたのは「↑ バベル中央書店」というやたらとデカい黒文字と、その下にあるやや大きな黒文字の「↑ 北区域書店」だった。
右を向くと・・・あれは・・・本の自動販売機?! 本を自販機で販売するのか。カルピスの作り方・・・自動販売機の歴史・・・Why could he make vending machines?・・・なるほど。
床には文字が書かれている。Station, State, Statue, Status. 何のことやらわからない。
改札を出る。改札を出ると、ああ、もうこれは本のテーマパークだ。最奥部に見える巨大な塔には雲がかかっている。おそらくあれが中央書店だ。その横には数えるのもバカバカしくなるほど書店が並ぶ。街には今まで見たこともないような人々で溢れかえっていた。ベンチでは読書をしている中東とおぼしき人が中国人らしき人と何やら議論している。彼らが話しているのは何語だろうか。
デジタルサイネージで目まぐるしく本の広告が入れ替わっていく。「サウダージにさようなら」「入門グロッキング」「般若心経の終焉」
子どものときに巨大書店や巨大図書館に人生で初めて行ったときとか、論文と大学と研究の仕組みと接したときに、知の偉大さに震えたことがないだろうか。
目に見えないものは見えないことが多い。たとえば、ライブ会場に行ったことがなければライブの偉大さは本当にはわからないし、「本当にこんなにたくさんの人がファンなのだな」ということもわからない。
いま「自分が考えるクラスの巨大な本の集積地を人類の誰もが見ていない」というのが問題であると思う。誰1人として。
そういう知がたくさんあることは存在としては知っていても、「それを見たことがある人は誰もいない」のだ。いわば、月は見えるけど、月に行ったことは誰もいないような状態だ。
神田の古本屋街や、既存の大型書店というのは、いわば地球上にある月に似たところでしかない。「たぶんこれとこれがこうなると月」というふうにしか想像できない。だが月に行かなければ月の隕石は無いのだ。
ほとんどの人は、目に見えないなら存在しないと感じてしまう。マッチングアプリで人間を左右にスワイプするとき、人間ではないように扱う。それは人間として存在しているのに。
一方、眼の前に相手がいるとき、同じように左右に指を振って弾くのは容易ではない。これが目の前にあるかないかの大きな違いである。
自分が言っているのは、そういう知の集積の偉大さが理解できなくてもとにかくそこに行けば、「ああそういうこと」「人類は偉大だったのか」と、誰もがたちどころにわかってしまう場所がほしいということである。
元増田だけど、そこで救いになったのは自分の子供たちの存在だったんだよね
この先この子供たちがどうなるかは解らないけど、未来に繋げられる何かを残せたような、自分の人生は虚無ではなかったような気がして救われたんだよね
でも一方でこの子供たちがもし居なかったら、自分の人生は虚無だったような気がしてしまい、
みんなはこの虚無感をどうしてるのかなと思ってエントリした
オタクは自分の人生があまりにもしょーもないがゆえに、何でもかんでも大げさに捉えるからな。
蟻の子からすれば砂場のわずか数cmの起伏さえも連綿と連なる山脈というわけだ。
だがその中に混じる「この1年の間に死ぬ人間もいるだろうに。さぞや無念だろう」という言葉は流石にどうかと思う。
如何に薄っぺらい人生を生きるオタクであれど、死という絶対的なイベントを前にしてたかがアニメ映画の1つを見逃すかどうかを重要視する余裕などないだろう。
それまでは畳の縁ほどの僅かな段差さえも巨大な荒波に感じていたオタクも、無限の深さを持つ死という断絶と向き合えば精神面も大きく変化するというもの。
1人の人間の一生が持つ本当の大きさ、重みに気づいた時、アニメ等というものは所詮作られた赤の他人の物語に過ぎぬと分かるだろう。
死を目前に控えた最後の1年、それを迎えた者の心境を思えば、「アニメ映画を見る前に死ぬなんて本当に不幸に感じているだろうな」という言葉は戯言としても失礼すぎる。
人間1人分が持つ生命、人生、縁、過去、未来それらの重さを真っ当に測る天秤をオタクが持ちうるのはその生命が潰える寸前だということは俺だって知っている。
だが、いまだそれを知らぬとはいえ、「このアニメを見る前に死んでしまうオタクのなんと不幸なことか」と声高に叫んで回るのは、オタクとしてもあまりに行儀が悪かろうよ。
ああ言わせてもらったぞ。
今日こそは言わせてもらった。
ブラックジャックの少しあと、こち亀より少し前、そんな時代に生まれた作品としてオーパーツレベルだろ。
漫画の文脈がいよいよ洗練されていく過程に出来た作品でありながらここまでスッキリとした読み味、演出意図のメリハリや視線誘導の迷いの無さは時代を考えれば異常としか言えん。
同じ時代に生まれた化け物コンテンツとして釣りキチ三平やポーの一族があるけど、これらの作品も今読むとどこかゴチャついた読みにくさがある。
だがガラスの仮面の読み易さはなんだ。
何が恐ろしいって、どのページもどの演出も「これをどういう気持で受け取ればいいのかわからない」と迷子になることが一切ないことだ。
それぞれのシーンの作中における意図がハッキリと伝わるわけだ。
この時代の漫画といえばよくあるのが、コマやページの空白を埋めるように粗雑なギャグが挟まり、迷い箸のような行儀の悪さを感じさせることだが、ガラスの仮面ではそれが極めて少ない。
これから何を描きたいのか、次に何を読ませたいのか、物語をどこに向かわせたいのか、それらが作者の中にシッカリと固まっていて、それを読者に精緻に伝える漫画的なコミュニケーション力を持っている。
何より凄いのが「この物語をただそのまま楽しませることができれば、読者はそれだけで満足するはずだ」という確固たる自信だ。
それが虚勢なのか本心なのかまでは紙面だけでは伝わらないが、ただ一直線に作品を読者にめがけて投げつける渾身のストレートのなんと鋭く重いことか。
漫画が無数の技術と文脈を身に着けた時代を生きる50年先の未来人が読んでなお、「漫画が上手い。漫画力が高い」と思わせるここの普遍的な技量、揺らぎのない精神性はなんだ。
とんでもない作品だな。
50年弱も連載して未だに完結もしないダラダラと間延びした過去の遺物だと思っていた自分が恥ずかしい。
正しく知る誰もがその完成を待ちわびる漫画界のサグラダ・ファミリアだ。
漫画力の高さが本当に狂っとる。
映画「未来のミライ」では、多摩・市ヶ谷の団地に家族と住む男の子、くんちゃんが、庭で出会う未来から来た妹ミライちゃんとの冒険が描かれます。彼らの家がリアルな日本の家族の生活を反映しており、その設定がまた現代日本の地域社会や都市生活の一部を垣間見せてくれます。日本の自然や都市の対比も驚くほどしっかりと描写されていますね。人々が集中して住む都市部と広大な山地や自然のアンバランスさは、日本独特の地理的特徴です。それが映画の中でも、ある意味で背景として重要な役割を果たしています。
増田が言うように、主要大都市が灰になっても日本にはまだ生き延びるための場所がたくさんあります。そしてその自然の豊かさや風景美が、日本映画の中でもしばしば描かれる大きな魅力の一つですね。