オタクは自分の人生があまりにもしょーもないがゆえに、何でもかんでも大げさに捉えるからな。
蟻の子からすれば砂場のわずか数cmの起伏さえも連綿と連なる山脈というわけだ。
だがその中に混じる「この1年の間に死ぬ人間もいるだろうに。さぞや無念だろう」という言葉は流石にどうかと思う。
如何に薄っぺらい人生を生きるオタクであれど、死という絶対的なイベントを前にしてたかがアニメ映画の1つを見逃すかどうかを重要視する余裕などないだろう。
それまでは畳の縁ほどの僅かな段差さえも巨大な荒波に感じていたオタクも、無限の深さを持つ死という断絶と向き合えば精神面も大きく変化するというもの。
1人の人間の一生が持つ本当の大きさ、重みに気づいた時、アニメ等というものは所詮作られた赤の他人の物語に過ぎぬと分かるだろう。
死を目前に控えた最後の1年、それを迎えた者の心境を思えば、「アニメ映画を見る前に死ぬなんて本当に不幸に感じているだろうな」という言葉は戯言としても失礼すぎる。
人間1人分が持つ生命、人生、縁、過去、未来それらの重さを真っ当に測る天秤をオタクが持ちうるのはその生命が潰える寸前だということは俺だって知っている。
だが、いまだそれを知らぬとはいえ、「このアニメを見る前に死んでしまうオタクのなんと不幸なことか」と声高に叫んで回るのは、オタクとしてもあまりに行儀が悪かろうよ。
ああ言わせてもらったぞ。
今日こそは言わせてもらった。