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はてなキーワード: 無月経とは

2019-07-24

生理を起こすモチベーションが欲しい人生だった

大人になっても生理はこなかった。

18歳で初めて受診して、大きな病院まで行って色々検査して紆余曲折あり、

28の時から薬の力で月に一度出血を起こしている。

今は30歳。

大人になってから生理システム経験して約2年。思ったことを書いてみる。

・月に一度の頻度は多すぎる

本物の生理とは少し違うとは言え、出血している間は動くのが辛いほど下腹部が痛い。

数日筋肉を引き千切られ続けている感覚が続く。

お手洗いに行くたびに真っ赤に染まるトイレ。初めて見た時はドン引きした。

出血多量で死ぬんじゃないか?というくらい日常でこんなに血を見る機会なんてない。

こんな辛いことが月に一度起こる……月に一度!?!?

出血中が5日続くとして約30日中1/6は辛い思いをする日ということである

今までの人生でが30日全部元気な日だったのに。

年に1回くらいならなんとか我慢できるくらいか……え、これを毎月あと十数年続けるの?

・あからさまに体調が期間ごとに変わる

出血を起こすようになる前は体調が定期的に変化していくなんてことは一切なかった

それが、出血一週間前位から絶対に体が辛くなっていくようになった。

だるい。腰が痛い。肩が重い。むくみが酷い。些細なことで悲しくなる。苛立ちを感じる。

3日前くらいからは猛烈な食欲。食べても食べても足りない。

食べると太る。制御できないくらお腹が空く。でも運動できる体調ではない。

これらの体調不良は気のせいなんかでは決してない。

だって出血が始まると今までのことが嘘みたいに全て治るのだ。

朝起きると辛かった気持ちが晴れやかで体が軽い。昨日食べていた食事量では多すぎる。

出血前の辛さが5日続くとして合わせると月の1/3は体調が悪い。

また体調不良アピールいい加減にしろと思われても全くおかしくない頻度だ。

通院も薬の調整も検査も定期的にしているがこれ以上は軽くならないとのこと。

何も起きないことがデフォルトの私にとっては毎月が大パニックだ。

・血のことを考え続けなければ動けない

生理用品は万能ではない。ただ下着に取り付けるだけでは簡単に血が漏れる。

自分の体に合った素材や大きさのナプキンを選び、

時間によって使い分け、こまめにお手洗いに行き、血が目立つ服は避け、

貧血にならないよう食事に気を使って、仰向けで寝ないように、洗濯に手間をかけて、そしてお金がかかる。

瞬間吸収?つけてないみたい?嘘だろ。お気に入りソファースカートを返してくれ。

シンクロフィットと後ろ側に線の入った生理ショーツ出会った時は神の存在を感じた。

未だに正解は見つけられていない。

出血中は仕事中も寝るときもずっと血のことを考えている。

無月経であるということ

結果として私は女であり、これは生まれきのことだった。

何も治療をしなければ楽で済んだのかもしれない。

しかし、女性ホルモンが少ないことに伴う身体不具合がそれを許してくれなかった。

初めて一生自分の力で生理を起こすことも妊娠することも不可能だと分かった時、夢は叶うなんて嘘なんだなと思った。

人と比べてそれよりは幸せだよなんて言葉はちっとも馴染んでこない。

検査結果を待つまでの間は自分は本当は男だったのかもしれないと頭の中はいっぱいで、親は泣いて謝っていた。

不妊様という言葉を見るたびに悲しくて心臓が痛い。

誰かを好きになってはいけないんだ自分生物としての価値がないんだからと本気で考えた。

それでも好きになってしまった人、私を好きと言ってくれた人にすべてを打ち明けるのは心底怖かった。

即断でそれでも良いと言ってくれた夫もいつかやっぱり子供が欲しかったと言うかもしれない。

私は子どもを産まなくても幸せになれるという言葉を頭に受け入れるまで10年かかった。

幸せになれると心から理解するまでには莫大な時間がかかりそうである

この面倒な生理システムを続けることがいつか幸せだと思える日が来るかなあ。

2019-02-01

病みダイエットしようとしたら勢い余ってODした話

病みダイエット【やみ-だいえっと】(名)

利尿剤や下剤などの薬物服用、過食嘔吐などを含めた不健康ダイエット方法のこと。通称病みダイ

※この記録は無理なダイエットお勧めするものではありません。むしろ、心身ともに破壊されます絶対にやめましょう※

私は幼い頃から食べることが好きだった。朝も夕飯も机に一汁五菜は軽くないと拗ねる父親と、料理大好きでそんな父のリクエストにも軽く応えてしまえる調理師免許持ちな専業主婦母親の元で育った。ちなみに、お昼は幼稚園高校と全て私学に通ったせいで給食というものに縁がなく、15年毎日母親手作り弁当をぶら下げていた。

想像に難くないと思うが、育ったのは年齢だけではなく横幅も順調に大きくなった。なんと小学校6年の頃は160cm 75kg、高校卒業する頃には165cm 120kgと、小さい頃から大きくなるまで痩せていた期間がまるでないエリートデブの道を歩み続けた。

高校卒業後は医療系の大学へ進学し、日々講義試験、実習に追われる中で次第に「このまま社会人になってもあまりにもデブすぎて患者さんに説得力ないよなぁ……」などと思い始めた頃に、1年を通した病院実習が始まった。その実習では、比較的学年の中でも声の大きい男子を含めた3人と一緒になった。

声が大きいだけで真面目というわけではなく、講義サボるし実習も出来る限り出ない。課題は出来る学生のものを借りて写す。テニサーの女好きで、まあ、いわゆるクソみたいなパリピ存在のやつだった。

あー、多分実習の課題は全部私が見せるんだろうし、代返もさせられそうだし面倒だなと思っていたところ、実際その通りの展開となった。「どうせ君真面目だから全部見ていくでしょ?俺早く帰りたいから早めに抜けるわ。悪いけど、学生1人いれば先生の班への印象もいいもんで最後まで残っておいて」などというお願いは日常茶飯事で辟易していたが、文句を言って関係が悪くなるのも嫌で黙って従っていた。

そんな折に彼が別グループ男子学生たちに向かって、休憩室で「いやまじアイツと一緒とかないわwwwこう、もっと可愛い女の子と一緒に実習できるの期待してたのにあのデブスと一緒なのはマジ最悪www」とこれ見よがしに言っているのを聞いてしまった。

実際彼としては本心なのだろうし、普段なら受け流せた発言だったはずだ。エリートデブとして培われたデブやブスといった単語に対する免疫力を舐めないでほしい。ただ、その時は課題のことや出席のことなど散々肩代わりしてやっていた頃だったため、「(お前散々人に迷惑かけといてその言い草はなんなんだよ)」とそっち方面イラついてしまった。

そして、このままではあまりにも自分デブ過ぎて医療関係者としての説得力にかけるという自覚もあったために、ダイエットを決意した。

実習は忙しく、生活自体が気をつけないといとも簡単破綻する。食事制限するにはもってこいだった。まずは食事イベント(上の先生が奢ってくれる、友達ご飯に行くなど)以外では極力摂らなくなった。

しばらくすると、何かを食べようとしても食べることへの罪悪感から物が胃に収まらなくなった。友人たちと食事をして帰宅するとそのまま猛烈な吐き気に襲われて、トイレで全部吐いてしまう。食べることは好きだけど、そのままでは太ってしまう。味を感じられればあとは吐けば良い。そういった思考に陥り、ここから過食嘔吐生活が始まった。

ご飯はそこそこ食べるのだが、しばらくすると吐いてしまう。そして吐いたことによってスッキリする。体重計に可能な日は朝夜寝る前と乗り、前回より10gでも増えていると耐えられなくなった。市販の下剤を飲んだり、長風呂で汗をかい数字だけは減らす日々。最終的にはあんなに好きだった食べることさえも苦痛となり、ほぼ絶食状態へ。

ただ、流石に缶コーヒーを週で2本しか飲まなかった時は、病院へ行く電車に乗ろうとして意識ブラックアウトしてしまった。電車ホームの間に落ちた私を助けてくれたOLさん、サラリーマンのお兄さんには感謝しかない。

そして体重の推移を事細かに記載し続け、2年で50kgほどの減量に成功した。max125kgはあった体重が、75kgまで減った。

途中、1ヶ月で20kgほど体重を落とした際は体重減少性無月経や低体温に悩まされたりもしたが、体重を落とす速度を緩やかにした結果改善した。一時食事が食べられなくなってしまった身体は、母親献身的な支えによって今まで通りに食事が取れるまでに回復した。

今考えると人外かというレベルの三桁デブ卒業した私は、その後は一応デブ人間として生きることができた。なにより、デブ御用達の大きいサイズ専門店ではなく、その辺の普通のお店で服が買えるようになったことが一番嬉しかった。

大学卒業し、リバウンドもなく2年間は社会人として仕事を続けた。3年目になり、異動した先の職場はかなり激務だった。食生活も乱れまくり、気がついたら体重は10kgほど増え、85kgほどになっていた。流石にこのままではやばいと思い、再度生活見直しを始めた。なるべく体を壊さずに、ジム通いや食事内容の変更をするように心がけた。その後、通っていたジムの周辺で連れ去り殺人事件が起きたこからジムだけはやめてしまったのだが。

そんな折に職場の同僚が、長らく付き合っていた彼女遠距離の末に別れたという話を聞いた。何やらとても美しく優秀な女性だったようで、彼としては結婚も考えていた相手との破局に未練タラタラだった様子であった。

「君も早く彼氏作ったら?」

「いやー、私デブだしブスだし無理かな。今は仕事も忙しいから、そのうちね」

私も親からここ数年結婚に関しては強く言われ始めていたが、自分容姿一般男性ウケしないことは誰よりも重々承知していた。だからこそ、まずは自分の見た目をなんとかしてからでないと、恋愛結婚を考えるなど分不相応だという気持ちが強かった。男性からしたら、こんな見た目の女に好かれても迷惑しか思えない。

別に同僚はただの同僚であり、入職から今までなぜか常に私に対しては上から目線が強かった男だった。そんな彼からの面倒な詮索に関しても、適当にあしらって話を終わらせて帰ろうと思った。しか自分元カノ容姿性格その他ひたすら褒め続けるのを聞くのにも疲れた適当自分卑下して話の腰を折り、さっさと撤収に限る。しかし、それがなぜか彼の変なスイッチを入れてしまったようだった。

「どうせ自分の見た目がダメから、とかいうんでしょ?正直言ってそれはそう。太ってる女が好きな男はまずいないから。俺も細い子が好きだしね。男はね、女が男の顔しか見てないのとおんなじで身体が良ければ顔とか性格は割とどうでもいいんだよ。」

「はぁ……?」

突然何を言いだすんだこいつ、と思ったが彼の勢いは止まらない。

「君はまず痩せること。痩せればモテるよ。胸もデカいし、綺麗になると思う。だから明日から君はご飯食べちゃダメファスティング!!筋トレ!!!わかる?ファスティング筋トレからね!!」

「」

「あと男を見つける努力が足りない!!ちゃん婚活とかしてる?あ、みんなで出かけた帰りとかよく飲み屋街でナンパされてるの見けど、あーいうのに着いていけば良いじゃん!簡単に男できるし、新しい世界が広がるよ」

「いや、そういう明らかに一杯飲んだらこのあとホテルへ的なのは……」

実はこの1年前くらいに、知らない男に夜道で車に無理やり乗せられかけたことがある。そのとき抵抗して逃げ切ったが、今でもあの時のこのまま車に入れられたらどこかで知らない男に犯されていたかも、下手したら殺されていたかもと言った恐怖が色濃く、それを伝えた上であまりそう言った話題は、とお願いした。通っていたジム付近での殺人女性が連れ去りの果てに殺されたというものだったため、余計に怖かったのである

「んー、俺の彼女もよく声かけられてて大変だったけど、そんな雰囲気なかったよ」

「それはすごく美人さんだから、手軽に犯せそう!みたいな軽いタイプが選ぶ相手じゃなかったんだよ。意外とそういうところは相手選ばれてるよ」

「ふーん。まあ、君の場合身体から始まる関係もありじゃない?まずは行動あるのみ!今度はそういうのにも着いて行ってみなきゃ!世界を広げよう!!」

愕然とした。こんなに気軽に性犯罪に巻き込まれるかもしれないような提案をされたこと、そうでもしなければ男なんかできないと言われたことがショックだった。

かに私はデブだし、ブスだけど私にも人を選ぶ権利出会いを選ぶ権利はあるはずなのに。ほぼ同じ内容のことを、その日の夜に別の同期と3人で出かけた時にも言われた。別の同期がトイレに立つと、私に言いたいことをぶつけてくるという状態であった。

それ以来精神的に参ってしまい、同期がいる前では満足に食事をとることが出来なくなった。それでも腹は減るため、職場我慢した分家ではありえないほど食べてしまう。そうすると罪悪感で吐く。過食嘔吐が再発した。マロリーワイス症候群のようになり、血を吐いたりもした。

この時、別の同期は3人で卓を囲んでいた時もその時の飲み会での私への態度が酷かったことに、ひっそりと気付いていたらしい。

あいつには後から言い過ぎだぞって言っておいた」

「気を遣わせてごめんね、ありがとう

「でもあいつなんて言ったと思う?『あのくらい言っても良いくらいの関係は築いてるから大丈夫』とか言ってんだぞ?クズか?」

親しき仲にも礼儀あり、とはよく言ったものである過食嘔吐に苛まれながら、さら職場で彼と会うことが苦痛になった。なんと、それ以来私にあれだけ断食しろと言っておきながら

パン余ったんだけど、食う?」

飲み会やるんだけど、来てよ」

と、職場で声を掛けてくるのだ。パンなどは断ったが、もしかしたら飲み会などは誘いに乗るしかなくて物を食べている私を内心馬鹿にしているのかもしれない。お腹が空いてごめんなさい、ご飯を食べてしまってごめんなさい。後で全部ちゃんと吐いて綺麗にします。

エスカレートした被害妄想は止まらなくなり、仕事に行きたくなくて、消えない食欲の罪悪感から彼の顔も見たくなくてしょうがなくなった。でもデスクは隣だし、仕事も被っている。どうしても無理だ。昼休みを隣のデスクで過ごすことも苦痛で、女子ロッカー椅子腰掛けて過ごすようになった。

何らかの方法で胃を悪くしてご飯が食べられなくなれば彼は許してくれるのではないか。ふと、そんな考えが頭をよぎった。

これは名案かもしれない。

簡単に胃をやるとすれば、数年前にダイエットしていた時に一番効いたのは、アイスコーヒーの1Lパックを1日で2本弱飲み干した時だった。なるほどカフェインは胃酸の分泌を亢進させる働きがあるから、胃は傷めつけられそうだ。ついでに利尿効果もある。ちょうどいい。

カフェインについて調べると、そういえばエナジードリンクと錠剤の併用が原因らしいという死亡事件が一時期話題になっていたことを思い出した。カフェイン人間個体差はあるものの、ある程度摂取可能だが、その他の哺乳類にとっては猛毒である。また、人間にとっても中毒域と致死量の幅が狭い。嗜好品としてのコーヒー程度ならば問題ないが、錠剤の多量摂取は気軽にやると急性カフェイン中毒を引き起こすし、下手をすれば死んでしまう。

ならば、中毒域に入らない程度でカフェインを飲んでいい感じに胃を悪くしてやろうと思い立ち、ドラッグストアカフェイン剤を購入した。

家に帰って1回2錠1日2回までと書いてあった箱を開けると、茶色い錠剤が20錠出てきた。とりあえず2錠飲んでみたが、何の変化もない。

時計を見ると17時半。明日から仕事であることをまた思い出し、次第に同僚に会いたくない気持ちと恐怖と嫌悪感がむくむくと頭をもたげだ。いっそ身体が壊れればしばらく休職できるかもしれない。頭の中でカフェイン中毒量と致死量計算した。体重換算で一箱飲んだら中毒量は超えるが、致死量全然超えない。まだ両親も健在で、死ぬわけにはいかない。全部飲んでも死なないなら、いっそ全部飲んで身体さえ壊れてしまえばいいのでは。仕事休みたい。

気付いた時には20錠分の空のPTPシートを手にしている自分が、床に座り込んでいた。

タイミングよく実家母親から電話が来た。何を言ったのかは朦朧としていたためにあまり覚えていないが、同期が嫌で仕事に行きたくなさすぎて薬を飲みすぎてしまたことは伝えた気がする。

4時間半ほど経ち、動悸と頭痛、冷や汗と吐き気に苛まれているところに焦った母親が高速を飛ばしてやってきた。ベッドに横たわる私と、ゴミ箱の中の薬の空き箱やシートを確認すると、

「そんなくだらない男のためにこんなことしないで。死のうとするならママも一緒に連れて行って」

と泣き崩れてしまった。

大丈夫致死量は飲んでないか気持ち悪くて胃が悪くなるだけで、そのうち薬が抜けたらよくなるから……この量じゃ絶対死なないから。計算たから……」

その後のこともおぼろげなのだが、職場への救急搬送は意地でもされたくなかったため、一晩母親の付き添いで明かした。朝、立って歩くこともやや覚束ない状態となった私は上司電話をしたが、ODのことは踏ん切りがつかずに伝えられなかった。

気持ち悪くてずっと吐いてます今日仕事は出られそうにありません……」

腸炎か?ノロ流行ってるからなぁ。君、一人暮らしだろう?飯も食えない、水も飲めないだともう入院したほうがいいんじゃないか?受診手続きを整えるから

そう言って電話は切れた。上司はどうやら感染腸炎を疑っているようだった。母親病院で補液をして早く血中濃度を薄めるように、という。まず、上司や先輩たちは私が精神的に不安定だったことを知らない。ODを疑われる要素は職場には絶対にない。もし、血液検査異常などで疑ってかかられたとしても、抗不安薬抗うつ薬などと違って、カフェイン中毒はそれを念頭に置かないとバレる可能性は低いだろう。

そしてそのまま感染腸炎疑いとして入院となった。血液検査異常も少なく、ODはまるで疑われなかった。母親自分自身の通院があるため、入院手続きだけして実家とんぼ返りした。部屋を出る際、再度泣きながら

「もうこんなことしないでね。もし死にたくなったら一緒だからね」

と言われたことを覚えている。

気持ち悪さに苛まれている間、何よりも強く思ったのは少しくらい太っていてもいいから、本来なら美味しくご飯が食べられる身体大事にしたほうがいいということだ。

あれだけ好きだったお粥も、お魚の煮付けも、サラダも、まるで喉を通らない。無理に食べても全て数分後には吐き出している。制吐剤を打ってもらわないと夜は眠れないほど胃が辛い。切り取って水洗いしたいほどに苦しく、ベッドの上でひたすらのたうち回っていた。睡眠不足でうとうとすると悪夢が見える。同期が笑いながら私を蔑んでくる。はっとして起きると、気持ち悪さで苦しい。夜通しその繰り返しだった。

しかし、致死量までは飲んでいないのも本当で、制吐剤と補液で徐々に改善傾向にある。食事お粥半量程度なら口にできるようになった。それでも頭痛と心窩部不快感は残っているのだが。

こんな苦しい思いをするのなら、そして親に多大な心労をかけるならこんなことしないほうがマシだったと思う。

でも、食事が取れるようになってくると、再度食事をすることへの罪悪感が生まれてくるようになって来ているのも事実である。あまりにも辛かったこからODは2度としないが、もしかしたら退院できてもまたしばらくは過食嘔吐や拒食からは抜けられなくなるかもしれない気はしている。

ダイエットを考えている方々には、こんな自分身体を痛めつけるようなことはやめるべきと伝えたい。適度な食事制限と、運動が遠回りに見えても何よりの近道だ。むしろ少し太ってたって、美味しいものを美味しく食べられることは、こんな風に身体ボロボロにするよりは幸せかもしれない。

ダイエットしている人や、太っている人が周りにいる人は、その何気ない一言相手の心を大きく傷つける可能性があることを今一度考えて過ごしてほしい。私は思いとどまれたが、私も両親という枷がなければ勢い余って致死量まで飲んで死んでいたかもしれない。

自戒を込めて、記録に残そうと思った。

まだベッドから降りて動き回るのはつらいが、そろそろ退院と自宅療養が見えてきた。今は身体が辛くて精神も持たないため、今後の仕事での身の振り方や、今回の件に関しての相談をどうするかについては身体が良くなったら考えることにする。

2018-07-23

anond:20180722204130

原発無月経じゃなくて続発性無月経10代〜20代前半にかけて合計6年間くらい無月経の期間があったが、骨密度は正常だったなあ。運が良かったのか。

ちなみに拒食症が原因の無月経でした。

17歳くらいのころかな? さすがに心配になって、親にも言わずに1人で下北沢産婦人科受診した(保険証もないので、全額自費。バイト代で支払い)。

そこは女医さんのクリニックだった。お腹の上からエコーは受けたけど内診も触診もなかったよ(色々と失礼な発言は受けたが。「子宮がこんなに縮んじゃってるわよ!」は私も言われた)。週1だったか、2週に1回だったか女性ホルモン注射を尻に打って(超痛い)無理矢理月経を起こしていたが、そのうち女医の失礼な態度と看護師の冷たい態度と経済的負担に嫌気がさして行かなくなった。

治療状態だったが、その数年後に自然月経回復した。

今はまったく別の病気で副腎皮質ステロイドを服用しているのだが、これは副作用として骨粗鬆症があるため、予防的にビスホスホネート製剤(アレンドロン酸)を週1で服用中。ビスホスホネート製剤を使わない人の場合アルファカルシドールという活性型ビタミンD3製剤を使う場合もあるとか。元増田はそういう骨粗鬆症治療薬を何も処方されてないみたいだけど、原発無月経治療ではそれが当たり前なの?

まあ人間いろいろあるけど、頑張っていきましょ。

2018-07-22

原発無月経症と診断された12年前の私へ

オッス!オラ増田!数日前に二人目の出産を終えたおかあさんだ!!

帝王切開出産たか入院日数が長くて暇なのと、テーマがそれなりに重くて話す機会もないから顕示欲を満たしたいのと、あと何より原発無月経症だと診断された時にあんまり体験談がなくて「マジか…」って思ったから、12年前の私に報告する体でめちゃくちゃ長文を書いてくぜ!

同じ病気を抱えている人が、こういうサンプルもいるんだなと思ってくれれば嬉しいぜ!!

飽きたか普通に書く。

原発無月経症と診断された12年前の私へ】

大好きなプールの授業を一回も見学することなく参加しきり、なお身長が伸び続けていた17歳の秋。

流石に「まだ生理が来ないのってヤバくないか…?」と思った母に、婦人科受診を勧められたね。私もヤバいと思ってたよね。友達休み時間こっそり「ナプキン持ってたら貸して?」って言われても一回も貸せなかったからね。絶対ケチくさいと思われてたよね。

学校休んで、なんか麻布とか六本木とかシャレオツ場所にある産婦人科まで診察に連れられたね。あの頃はわざわざ馴染みのない地域にまで赴いた理由がわからなかったけど、母は万が一にも地元の知り合いの目に触れさせたくなかったんだと思うよ。あらぬ事を吹聴するようなクソ人間がこの世には存在するから。だからシャレオツ場所まで来たことに怯えなくていいよ。

彼氏なんてできたこともないのに(中高女子校だったからって言い訳しとこうな)触診台に載せられて男性医師に股おっぴろげるの本当に嫌だったね。頑張ったね。まあ女性医師に当たることも少ないし、その部分はいずれ慣れるよ。お医者さん、散々女性器見てるから特に何も思われることないし。

ただ、処女ゆえにお腹エコー当てて診察した時「うーんおしっこ溜まってるみたいでよくわかんないなーハハハ」って言われてクソみたいな思いしたよな!半泣きだったよな!わざわざそんな言い方しなくていいじゃねーかって!

大丈夫。そんなクソ医師のいる病院その一回限りしか行くことなかったから!紹介状書いてもらって大学病院に行くことになるよ。

行った先の大学病院担当医も男で憂鬱だったけど、すぐにその先生でよかったって思えるし今でもそう思ってるよ。少しフワフワした先生だけどそこが気楽でいいよ。

そしてやっぱり最初の診察医はクソだったって気がついたね。

色々診察してもらった末、原発無月経症、生まれつき自分生理が起こせない体で、そのためにカルシウムが溜められなくて骨密度が本当に低いってショックだったね。

大病したことなかったからそんな病名ついた診断下されると思ってなかったし、私は女って定義していいのかなぁって思ったり(女でいいと思うよ)、結婚とか出産とかこの先のライフイベントにおいて不利に働くのかなあなぁって思ったり、牛乳めちゃくちゃ好きだったのに骨密度が小六の女児くらいの数値しかないって言われたりして「何のために牛乳あんなに飲んでたんだ…」って思ったりして帰りのバスの中でぐじゃぐじゃに泣いてしまったりしたね。

でも一番堪えたのは母に「満足に産んであげられなくてごめんね。代わってあげられたらいいのにね」って同じようにぐじゃぐじゃに泣かれたことだったね。辛かったね。そんな事言わせてしまったのが悲しかったよね。そもそも代わられたら私産まれてないかもしれないしさぁ…。

あの時母を責めるつもりもなかったけど責めなくて正解だよ。でも人の親になった今ならわかるんだ。私もその立場だったら負い目を感じるだろうし、我が子に遺伝したらってめちゃくちゃ不安だよ。だから一緒にぐじゃぐじゃに泣ききって、それっきりにして、焼き肉とかおいしいもの食べさせてもらってそれで終わりにしなね。どうしようもできないからさ。

で、定期的に通院・薬使って生理起きるようになったね。君の股から出てくる卵の白身みたいなそれが、よく「なかよし」に広告を出していた生理用品で知った「おりもの」ってやつだよ。「これがおりものか…!」初めて見たときちょっと感動したね。

病気のせいか体質のせいか、血量も少ないし生理痛もなかったのはよかったね。生理起こさないとダメだけど薬で起こすと超ーーーーー不快なのってめんどいもんね?

生理起きても骨密度はガンっと上がらないけど、それは骨折起こらないように気をつけていこう。怪我の少ない文化部でよかったね。私もこれからサプリメントとかでカルシウム補っていくから

大学に上がって一人で通院するようになったね。その頃にはもう診察も触診も慣れてるじゃん。

ただ、彼氏ができて処女じゃなくなった時、親にもまだ言ってない(いや別にとりたてて報告しないままだったけど…)のに処女喪失報告してエコーで内診から膣に器具挿入に切り替わったの結構気まずかったよな。まあ先生ハイハイそうなのね」くらいで切り替えてくれるからそれはもう諦めろ。いつかは避けられないことだ。

あと数値的には同じくらいなんだろうけど、二十歳になった瞬間「骨密度が七十代のおばあちゃんと一緒の数値だよー」って言われるようになってゲラゲラ笑うよ。ピチピチの若人から高齢者枠に入れられるのが成人すると言うことなのです。

うそ彼氏ね。「どうしてもデート時間を長くしたくて産婦人科(だと知っても)に着いてきたい彼氏」vs「どうしても来てほしくない私」でバトって、「私生理が起こせない体なんだよぉ!!!来るなって言ってるのに!!」って言わなくていいこと言ってキレちらかして、それ以外の理由も加えてケンカ別れします。

でも驚くなよ?最終的にその人と復縁して結婚までします。後にも先にもその人しか彼氏はおりませんでした。いい人だから大切にしてあげてね。

就職して、忙しくて病院行けなくなっちゃったね。

平日にしか診療してないから行く時間なかなかとれなくて、外道から一年もの間診察をぶっちぎってしまます

会社辞めてやっと診察してもらった時に「子宮カスカスに小さくなっててかわいそう」って言われて「あああごめんなさい」って思うのと同時に「カスカス…」ってちょっと面白くなってる場合じゃねーから病院サボるなよ!

そう、会社は寿退職。つまり結婚退職したんだけど、さっき言ったように別れた彼氏復縁した後結婚するんですね。

「私は子ども産めないかもしれない」って言ったら「子どもは好きだし、色々チャレンジするのもいいと思う。ただ自分自身は子を持つことにものすごいこだわりがあるわけではないか子どもはいなくてもいいし、もしチャレンジしてダメで、それでも育てたい欲があるなら養子でもなんでも方法はあるよ」って言ってくれます。本当に聖人なので大切にしてくれよな!

もものすごい自分の子を望んでいるわけじゃなかったし(だって産めないかもしれないってわかってるんだもん…とくに希望も持ってなかった)スタンスが同じなのは本当にありがたいことだよ。

夫の両親もいい人だから、本当は何か思ってたかもしれないけど何も言われなかったよ。君は、本当に恵まれているんだ。

さて、結婚したら何か進言されることもなく妊娠に向けての治療が進められます。それはもう自然に。当たり前のようにフェーズが移っていた。

そこら辺は不安であれば不妊治療方法を調べてくれ。たぶん同じだから。ちなみに私はテキトーなので言われるがままの治療に従っていた。結局数年ゆるゆるやって、できなかった末に最終奥義の体外受精することになるんだけど。

夫と協議した結果、とりあえずさっさと体外受精チャレンジして、失敗してまたどうしても欲しくなった時に再チャレンジすればいいって話になりました。夫婦揃って特に意気込みの強くないチャランポランである

結果を先に言うと、体外受精成功します。

ただね、それは体外受精を試みる人たちの中でも圧倒的に若い年齢で取り組んだからだと思う。治療説明会10歳くらい上でめちゃくちゃ治療内容調べてきてる人達ばかりだった。君達夫婦はね、説明会の帰りに何食べて帰るかしか考えてないし、受精させる用に夫の精子を取る採精室に置いてあるAVが誰チョイスか気になってるチャランポランさです(備品業者チョイスのオムニバス形式らしいよ。好み色々あるもんね)

君は産めないかもしれないことわかってるんだから、その点チャレンジの幅は広いんじゃないかな。やれるならやってみてもいいと思うよ。

でも、そもそもうまいこと作れた受精卵の数は少なかったし、お盆休み前に子宮に入れた受精卵が流れるかもしれないって言われて生理も起きちゃって、でも診察受けられなくて号泣したこともあったし(無事着床してました)、子どもができるまで平坦な道でもなかったよ。

それはもう不妊治療範囲から、やっぱり不安であれば不妊治療体験談を読んでね。よっぽどそちらのが詳しいから。

12年前の私へ。

そういうわけで、君は二児のお母さんになりました。

不安もいっぱいあると思うけど、そう悲観しなくても大丈夫だよ。

もう子を産むことはないけど無月経症の治療はこの先も続いていくし、この先の治療はどういうものかわからないけどまーーーーーもう大したことしないでしょきっと!(調べてない)

別にいなくてもいいと思ってた子どもは大変だけどかわいいし、でも今のご時世無理して作ることもないし。どういう選択をしてもいいんだよ。私はヤな宿題は全部ゴミ箱に捨てちゃうタイプから、どこか一つでも躓いていたら、子どもを産んでいなかったでしょう。産めてしまったけど。ただ産まない選択をしても病院は通いなね。子宮カスカスに縮んちゃうから

とりあえず私は、これから自分のためにカルシウムタブレットを食べようと思います

じゃあ、元気でね。

2018-05-23

断食妊活の危うさ

人の身体が子孫を残すために存在しているのなら

どうして低栄養エストロゲンが低下するのか無月経になるのか

飢餓状態ならば種の保存のために妊娠やすくなるべきではないのか

2017-11-17

” 旧優生保護法の下で実施された障害者強制不妊手術について、手術を申請した理由や経緯を記録した資料神奈川県公文書館で見つかった。

10代女性が「月経の始末もできない」として対象になるなど、優生手術の具体的状況が公文書で初めて明らかになった。(毎日新聞)”

強制手術は当然駄目な事なんだけど、知的障害場合で「月経の始末もできない」人間はもう子宮取っちゃえよと思う。とらないなら薬で無月経状態しろよと。

だって自分の血の処理が嫌なのにさ。あんなめんどくさい体の機能必要ある?介助する人も大変だよ・・・

 
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