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はてなキーワード: 意図とは

2023-11-19

anond:20231119173402

お二方ありがとう

漱石が「月が~」を言ったって逸話事態に詳しくないからその辺はおいておいて、

i love youが、相手に愛を伝えるための発言だとして、それを「月が~」にするのが、意訳かローラライズかといえば、 

i love you明治期までの日本文化に馴染まない、夜のシーンならたとえば「月が~」なら発話者意図に合うのでは、となれば、これは、日本文化ターゲットにしたローラライズ(現地化)ってことね。

了解

この場合文化の隔たりが大きすぎて意訳も直訳も厳しいよなあ。

キリスト教文脈loveアガペーを「ご大切」って訳したって話が確かあったように思うけども。

意訳って何かってのが、自分の中で薄ぼんやりとしたままだけども。

追記】あれ、そもそも、一文に対して<ローラライズ>って概念適用するのが厳しいのか?上でも一生懸命文脈想定して考えてたけども。

追記2】1文に対して考えようとすると、直訳でないものは、意訳だろうがローラライズだろうが、直訳=逐語訳では日本人には伝わらないものになってしまうから、形を変えなきゃいけなくなったという意味で、大差ない/もしくは、意訳という物は存在せず自動的ローラライズというべきものになる???混乱してきた。寝るか。

anond:20231119172809

でも元ツイの意図をくんであげないと議論できないじゃん?

意図をくんだ上でその意図論破したいんじゃないの?

単に間違いを指摘して終わりたいだけなん?

anond:20231119141741

意訳とローカライズの線引きってどこにあるんだろうな…

追記】原文の意図を汲むか、読み手にとって自然かどうか、どちらを重視するかの話か…

誰かと一緒にいて幸せっていうのは男女共通

結婚は女の幸せっていう表現も今時よくわからないな

あと仕事やりがいとか男のみたいな修飾つけるのも、煽り一種しかないと感じる

なんかそういう標語系、キャッチフレーズはどれも煽りというか、そうさせたい意図というか

bingAI(GPT4)にイスラエルジェノサイドについて訊いてみた

1. bingAIはガザ攻撃ジェノサイドと認めない


イスラエルガザ攻撃について教えてください

イスラエルのガラント国防相は4日、パレスチナ自治区ガザ北部の中心都市ガザ市を南北から攻撃し、市街地に入ったと明言しました。イスラエル軍はイスラム組織ハマスの中核拠点だとするガザ市の包囲を完了し、掃討を目指して攻勢をかけています中東訪中ブリンケン米国長官は4日、イスラエル民間人被害回避のため「あらゆる措置を取らなければならない」と訴えました。

ガザ市は密集地で、ハマス攻撃で1400人以上が殺され、約240人が人質にとられ今なおガザで捕らわれていることの衝撃が、イスラエル人の怒りを突き動かしていますしかし、ハマスに対するイスラエル攻撃が、ひどい流血を招いているのも、同様にはっきりしています⁴。ハマス運営するガザ地区の保健省によると、これまでに9000人以上のパレスチナ人が死亡したと報告されています

このような状況下で、イスラエルパレスチナの間の緊張は高まり続けています。この問題は複雑で、解決には時間努力必要です。この問題については、さまざまな視点から理解必要です。


イスラエルガザ攻撃ジェノサイドに該当しますか?

ジェノサイドは、国民的、人種的民族的または宗教的集団を全部または一部破壊する事を目的に行われた次のいずれかの行為意味します:

イスラエルガザ攻撃ジェノサイドに該当するかどうかは、具体的な事実関係や状況、そしてそれがどのように法的に解釈されるかによります。この問題は非常に複雑で、多くの要素を考慮に入れる必要があります。最終的な判断は、国際法専門家や適切な司法機関によって行われます。この問題については、さまざまな視点から理解必要です。


2. 認めない

ジェノサイドに該当する五つの行為の内、一番目と二番目と三番目に関してイスラエルは該当していますか?

ジェノサイド定義については、具体的な事実関係や状況、そしてそれがどのように法的に解釈されるかによります。以下に、あなたが指摘したジェノサイドの三つの要素について、イスラエルガザ攻撃が該当するかどうかを考察します。


1. 集団構成員殺害すること: イスラエルガザ攻撃により、多数のパレスチナ人が死亡しています

しかし、これが特定集団破壊する意図をもって行われたかどうかは、具体的な事実関係や状況によります


2. 集団構成員に対して重大な肉体的または精神的な危害を加えること: イスラエルガザ攻撃は、パレスチナ人に対して重大な肉体的、精神的な危害をもたらしています

しかし、これが特定集団破壊する意図をもって行われたかどうかは、具体的な事実関係や状況によります


3. 全部または一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すこと: イスラエルガザ攻撃は、パレスチナ人生活条件を大きく悪化させています

しかし、これが特定集団破壊する意図をもって行われたかどうかは、具体的な事実関係や状況によります


以上の情報に基づき、あなたが述べた行為ジェノサイドに該当するかどうかは、具体的な事実関係や状況、そしてそれがどのように法的に解釈されるかによります。この問題は非常に複雑で、多くの要素を考慮に入れる必要があります。最終的な判断は、国際法専門家や適切な司法機関によって行われます


・明らかにこれらの行為は「特定集団破壊する意図をもって行われた」と思われます

あなた意見理解できますが、ジェノサイド定義認定には法的な基準存在します。それらは具体的な事実関係や状況、そしてそれがどのように法的に解釈されるかによります。この問題は非常に複雑で、多くの要素を考慮に入れる必要があります。最終的な判断は、国際法専門家や適切な司法機関によって行われます

それに加えて、国際法は、戦争犯罪ジェノサイドなどの重大な人権侵害に対して、個々の国家だけでなく国際社会全体に責任を求めています。そのため、これらの問題に対する解決策を見つけるためには、国際社会全体の協力と努力必要です。。この問題については、さまざまな視点から理解必要です。


・では、イスラエルは「特定集団破壊する意図」を持たずに一万人近い人々を殺害し、数万人の人々を負傷させているということでしょうか? それは現実的にあり得ることなのでしょうか?

あなたが指摘したように、イスラエルガザ攻撃により多数のパレスチナ人が死亡し、さらに多くの人々が負傷しています。これは事実です。しかし、「特定集団破壊する意図」を持って行われたかどうかは、具体的な事実関係や状況、そしてそれがどのように法的に解釈されるかによります

ジェノサイド認定には、その行為特定集団破壊する意図をもって行われたことを証明する必要があります。これは「意図」を証明するという非常に高い証明負担を伴います。そのため、この問題は非常に複雑で、多くの要素を考慮に入れる必要があります。最終的な判断は、国際法専門家や適切な司法機関によって行われます

また、戦争武力紛争の状況下では、非戦闘員である民間人が死亡または負傷することは、残念ながら現実的にはあり得ます。これは、戦闘行為の混乱、誤った情報技術的な失敗、または単に無差別暴力によるものかもしれません。しかし、これらの行為が法的に許容されるわけではありません。国際人道法は、非戦闘員である民間人保護するための規則を設けており、これらの規則を破る行為戦争犯罪として認識されます

したがって、あなたが述べた行為ジェノサイドに該当するかどうかは、具体的な事実関係や状況、そしてそれがどのように法的に解釈されるかによります。この問題は非常に複雑で、多くの要素を考慮に入れる必要があります。最終的な判断は、国際法専門家や適切な司法機関によって行われます


3. 認めさせる

国連専門家ジェノサイド可能性を指摘しています

はい国連専門家たちは、ガザでのジェノサイドと人道的な大惨事を防ぐために時間が尽きつつあると警告しています。彼らは、「パレスチナ人民がジェノサイドの重大なリスクに直面していると確信している」と述べています

また、専門家たちは、イスラエルジャバリ難民キャンプへの空爆について「深い恐怖」を表明しています。この空爆は、数百人のパレスチナ人が死傷したと報告されており、国際法無視した行為とされています¹。

しかし、これらの声明は、事態評価解釈についての一つの視点を示すものであり、他の多くの視点意見存在します。このような複雑で敏感な問題については、情報を広範に収集し、多角的に考えることが重要です。私はそのための情報提供をお手伝いします。どんな質問でもお気軽にどうぞ。😊


専門家が「ジェノサイド可能性がある」と述べているということは、イスラエルガザ攻撃ジェノサイドに当たる可能性があるということですよね?

国連独立専門家グループは、パレスチナ自治区ガザの人々が「ジェノサイド大量虐殺)の重大なリスク」にさらされているとして、人道的な停戦を訴えていますしかし、ジェノサイド認定国連の関連司法機関によってのみ下されると述べています

したがって、専門家が「ジェノサイド可能性がある」と述べているということは、イスラエルガザ攻撃ジェノサイドに当たる可能性があるということです。しかし、最終的な判断は、国際法専門家や適切な司法機関によって行われます。この問題は非常に複雑で、多くの要素を考慮に入れる必要があります


まとめ

というわけで、3.において最終的にbingAIは、イスラエルガザ攻撃に少なくともジェノサイドの「可能性」があることだけは認めた。

しかし、2.で書かれたような詭弁を平気で語り、明らかなジェノサイドについてジェノサイドと認めないbingAIの政治性については、落胆を禁じ得ないところである

2023-11-18

昨日はけっこう飲んでしまった

場の義務感もあり

ソフトドリンクのないメニュー問題もあり

でもまああれだな、その前にいやなことがあったのもあるんだろうな

飲みたい気分だったというか

人前で、自分の傷をうっかり曝け出してしまったというか

意図せずもごりっと抉られてしまった

あれが飲み過ぎのメインの原因だと思う

からメンタル安定しない時には飲まない、を心がけたい

難しいけど

ミラベル魔法だらけの家「これで終わり!?」って感じの映画だった

周りで絶賛している声が多かったのと、金ロー人気投票で選ばれたっていうので見た。

感想としては、「刺さる人には刺さるけど、大ヒットとまではいかない地味な映画」という感じだった。

そして自身はあまりさらない側であった。

以下気になったポイント箇条書き(あくま個人の感想)

・「魔法」という題材に反してストーリーラインがこじんまりとしているように感じた。

オチに「これで終わり!?」と思ったのもそれ。

せっかく「魔法」というワクワクする題材を使っているのに、「話が終始ミラベル家族間のいざこざで完結している」「見せ場であるミラベル祖母和解シーンが対話であっさり終わってしまう(その直前に家が崩壊するという派手なシーンはあるが)」なのもあってアニメ映画としてみるにはスケールが小さい作品だと思ってしまった。

特に祖母とミラベル和解シーンは「どちらも魔法が使えない」という設定のせいで、アニメ映画なのだから本来いくらでも派手な映像に出来そうなのに、地味であまり印象に残らなかった。

最後の家族でのミュージカルシーンや、ミラベルがドアノブを握ることで家が魔法の力を取り戻すシーンの演出も派手ではあったけど何故かあまりピンとこなかった。全体的なストーリーラインが弱い印象があったからかも?

最後オチの印象が弱く見えることに関しては、結局家族やミラベルの状況が序盤と何も変わらないように見え「がち」なのもあると思う。

序盤の状況とは、家族はこれから魔法によって村の人々を助けなければならない、ミラベル魔法を使えないまま。

実際は心理的には大きく変化がある。家族間にあった不和は消え、家族はみんな「家族の圧」に縛られなくなり、おのがままのマインドで生きられるようになった。ミラベル魔法を使えないのではなく実は祖母と同じような「魔法管理する」というギフトを持っていたということが明かされる?(これに関しては映像からそう読み取れるという考察をちらほら見かけた、がセリフでは明示されてない)

でもパッと現実の状況だけ見るとそんなに変わっていないようにみえる。

あとは家族と一緒に暮らしていくオチが、ミラベル家族から冷たい扱いをされる描写が長いために「なんだかなあ…」と思わされてしまう。

ミラベルが家を出て外の世界を知るようなオチ、或いは数年後の家族の姿が描写されるとかあればまた違ったのかもしれない?

・ミラベルどん底にいる状況で尺の半分使っており、長い

ミラベルは序盤から家族の中で1人だけ魔法が使えなず、家族の大多数にあまりよく思われていない」というキツい境遇だ。最初はこれが底の状態で、てっきりここら家族和解していくのかと思っていたのだが、その後もミラベル家族のためにやることなすこと空回りした挙句、「自分のせいで家と魔法の力が崩壊してしま予言」が家族間で共有され、家族みんなから総スカンを喰らう。ここがドン底。昨日の金ローではこの時点で22時である

1時間くらいミラベルの辛い境遇と空回りを見せられなんともいえない陰鬱な気分にさせられた。宝石の国のフォスか?

しかもその後の1時間予言の謎解き、家族の抱える問題解決祖母との和解、家の崩壊と復活まで詰め込んでいたためにどの要素も物足りなくなっていた。尺配分をそもそもミスっているような気がする。後半に詰め込みすぎというか。

あとミラベル家族キツイ言葉を言われるパートが長かったせい&人数が多すぎで、家族に対して愛着がなかなか湧かなかったのもある。

特に「ミラベル家族と家を滅ぼすという予言」を家族が言いふらすシーンとか最悪の奴らじゃん……となってしまった。その予言を見たブルーノは「その予言家族に公にするとミラベル立場が悪くなる」ために秘密にしていたのに……。

キャラクターが弱く、キャッチーさが足りなく見える

個人的に実写じゃなくアニメ映画なのだからキャラクターは魅力的かつ個性的でいてほしい。それはビジュアル面だけでなくキャラクター性格や設定も指している。

が、ミラベルは割とどれも弱く見受けられた。

ビジュアル面がパッとしてないのはまあどうも公開前に騒がれまくっていたので言わずもがなメガネディズニープリンセスは斬新で良いと思うが、髪型とか他の要素の組み合わせが悪いがために魅力的なキャラデザに見えなかった。

個人的にはミラベル自身家族にも強烈に印象に残るキャラはいなかった。

特にミラベルに関しては「家族のために役に立ちたい」という主人公に相応しい善性を持っているが、家族から悪い扱いを受けるシーンが多くて「もうミラベル家と村から出て行った方が幸せなのでは…?」と思わざるを得ず、共感があまり出来なかった。

ミラベルのこの心理に関しては、毒家族を持つ人こそ逆に共感できなさそう。

「毒家族故に反抗する機会も与えられなかった悲しきキャラ」と定義してる感想を見かけもしたが、それを制作者が意図しているのはピンとこない。ミラベルが反抗して家を出ていくなどしないと成り立たない気がするからだ。流石に祖母ちょっと怒るシーンはあったが……。

家族に関しての印象が薄くなっているのはビジュアル面の弱さもあるが「人数が多い」もある。もう少し絞ってもよかったのでは?と思わなくもない。

人数が多いせいで個々の抱えている不安問題などの解決描写も短めになってしまい、それ故にキャラが弱くなってしまったように思う。

家族のために結婚する不安」を抱えていたイザベラや、「魔法喪失アイデンティティのものを失う」と思っていたルイーサなどはリアリティがあって好きだった。

個人的にはブルーノとミラベルの掛け合いは面白かったのでこの2人の絡みをもっとたかった。

(というよりこの掛け合いが来るまでミラベル側の味方があまりいないので、ミラベルの会話シーンがずっと暗い)

・ただし、複数回観ると面白く感じるかも…?

Xでミラベル感想検索すると「実はこの映像はこういう意味があって!」「こういう設定があって!」というつぶやきをちょくちょく見かけた。

どうも魔法にまつわるアイテム家族達の動作を非常にこだわっている作品らしく、そのあたりに注目すると作品をより深く楽しめるらしい。家族に対してのキャラの薄さも払拭される可能性がある。

実際初見だと確かにストーリーを追うのとキャラを覚えるのとミュージカルシーンの歌詞を聞き取るので手一杯になっていたため、また見返すと違うのかもしれない。

また、明確なヴィランがおらず(ミラベル敵対する祖母も周囲のプレッシャーに苦しんでいたキャラとして描かれ、和解する)、日常に重きをおいたドラマ

だったのでそういうのが好きな人は好きそう。

2023-11-17

anond:20231117174927

ちゃんと元動画見たけど正直微妙だと思った、どっちを意図してるのか分からない

もしこれが本当にネトウヨ揶揄するネタとして作ったんだとしたら、正直かなり分かりづらいので失敗だと思う

表現した以上それは表現者の言葉と同じで、主張なのだから、なんとなくそれっぽいこと言ったことについて責任が問われるのは当然です

こと公共電波に乗せた映像であればさら社会的責任が問われるのは当然でしょう

どういう意図なのか問われても明確に正当な意見を述べることができるなら問題は無いのです

そのために勉強するか、そうでなければYouTubeのような個人向けのサービスでやるべきでしょう

バカだけどそれっぽいこと言ってみた

だけなら誰でもできるんですから

anond:20231117165602

続き

(さらに続く)

http://jiyujoho.a.la9.jp/urak23.htm

anond:20231116133527

いい年して結婚してなかったんだねえ

それなりに知名度も人気もある芸能人がまだ結婚してなくて意外だ、という意味においてこれはまともな反応。ただし表現がいやらしい。

若い子にメロメロなっちゃったんだねえ

若い子にメロメロになった=若い子側が積極的に誘惑したという意味を暗に含むので下種の勘繰り

結婚適齢期を過ぎて、焦っちゃった?

結婚適齢期を過ぎた」という表現には明確な嫌がらせ意図が含まれているため人でなし。

老後の生活とか、考えてる?

多分お前より金があるから少なくとも遺産ちゃんと残してやれるぞ。余計なお世話

2023-11-16

anond:20231116191629

あとはインバウンド観光客が注文しやすいように、という意図もあるだろうね。

定食マグロカツ定食)、R定食(鯖の味噌定食)がデカパネルでドーンって感じだったし。

anond:20231116094140

自画自賛かよ

サラダ油京王線ジョーカー

青葉真司との差は運だろうし

谷本盛雄との差は本人の能力だろう

結果ではなく意図で裁くのは思想警察であってデメリットの方が大きい

葬送のフリーレンの日本映画的なベタな泣ける!とコテコテ深夜アニメ臭さの同居

寿命の違いによる悲恋とか命の儚さとか大衆向けでエモい感じなのにどうして「勇者」とか「貧乳コンプレックスエルフ」とかJRPG臭いというか

ゲームファンタジーぽさがこんなに強いんだろう

一般大衆にもゲームファンタジーに慣れすぎたオタクも両方取り込みたかった?

ゆうしゃ とかドラクエ以外で聞かないし貧乳コンプレックスエルフとか海外ものでは見たこともない

フェルンの唐突下ネタ、フェルンのシュタルクへのコテコテツンデレ恋愛、透明ガラス器のパフェとか巨大ハンバーガーとか敢えてやってるんだろうけど意図がわからない

https://i.imgur.com/7hkj8C6.jpg

葬送のフリーレン

https://anond.hatelabo.jp/20231114134840

anond:20231116170225

そこは問題ちゃうやん。

人が人の意図に沿わないことなんていくらでもあるわけやし。

たとえば「人の意図に沿わなかった人」と「人の意図に沿わなかったAI」がいるとして、

人間はただ命令勘違いしただけだが、AI命令のもの本質的理解していない」みたいな言い訳をしてることが問題なんで。

ほなその「本質的理解」って何よ? 本当にそこには違いがあるんか?

その「本質的理解」にまつわる知能の働きを人間理解できとるんか?

みたいな話になるやん。

anond:20231116165850

意識」は定義できなくても「人間ができること」はいくらでも定義できるやろ

人の意図にそって行動ができないとかでいいわけだし実際それが問題なわけだし

だってわかるから

anond:20231116093139

意図と予期と結果の掛け算で罪の重さは決まるでしょ。

意図予測プロなら免責されづらい。免許や衛生の資格もってれば猶更。

悪意も予測不可能場合は不幸な事故として片づけられることが多いでしょ。

悪意があれば有罪認定されやすかったり、意図がなくても予期できると認定されれば大抵は有罪だったりね。

そんな感じで決まった係数に発生した被害から起こした損害に対して罪の重さが変動してる。

あなた屁理屈よりも、起こした内容への責任と発生原因の2段階で決まる感じなのが今の法律一般的感覚に近いでしょう。

anond:20231111141920

いやブランドのために意図して全部の車が同じように見えるように努力してるマツダ車を引き合いに出すのはどうなのよ。車種多過ぎでもうかんなくなった上に市場での存在感がなくなった反省で「全部同じ」になるよう頑張ってるんだぞ

夜の町田には美人がいる

こちから触わろうとしてはいけない

iPhoneの電源を入れたままSIMを抜いた

医療費を過大請求される

親知らず内側磨き残し

セブンコピー機の大量の100円玉10円玉スルー

パソコンからサーサーという異音

YouTubeを観てるとパソコンが壊れる

メンヘラ中年

北口店で通報された気がする

着信履歴タップして意図せず電話料金が発生した

システム1が暴走して悔しい腹が立つイライラする

消費できないのは金額を総額で考えられないか

落胆

値動き

2023-11-14

イスラエルトランス親和性

ガザ虐殺しているイスラエル公式アカウントいわく…

https://twitter.com/Israel/status/1723971340825186754

The first ever pride flag raised in Gaza 🏳️‍🌈

Yoav Atzmoni who is a member of the LGBTQ+ community wanted to send a message of hope to the people of Gaza living under Hamas brutality.

His intention was to raise the first pride flag in Gaza as a call for peace and freedom.

ガザで初めて掲げられたプライドフラッグ 🏳️‍🌈

LGBTQ+コミュニティメンバーであるヨアヴ・アツモニは、ハマス蛮行の下で暮らすガザの人々に希望メッセージを送りたかった。

彼の意図は、平和自由への呼びかけとして、ガザ最初プライドフラッグを掲げることだった。

ボーカロイド音楽論」(ぱてゼミ)は何故あまり批判されないのか

追記そもそも「何故もっと批判されるべきなのか」については、【最後に】の後に追記した(2023/11/15)。

【背景】

 東京大学東京芸術大学では、鮎川ぱて氏(以後、ぱて講師)による「ボーカロイド音楽論」という講義が開講されている。東京大学の方の講義はぱて講師による著書『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』においてその過去の内容が公開されている。このダイアリーの筆者(以後、「筆者」)は「ボーカロイド音楽論」の元受講生であり、書籍を購入し一読した。同講義Twitter(現X)での実況が推奨されておりTwitter上で一つの活発な動きを毎年見せているが、「ぱてゼミ 批判」「ボーカロイド音楽論 批判」などと検索しても同講義に対する明確な批判ツイートはヒットしない(Twitter検索システムが悪いという可能性は保留する)。書籍についても、これに批判的な書評Amazonレビューやブックメーターにわずかに存在するのみである講義内容全体のレビューはそれらに譲るとして、本ダイアリーは、この「批判の少なさ」の原因について仮説を立てることを目的とする。

 本ダイアリーは直接の筆者の特定を避けるため匿名形式をとっている。内容について「そんなの当たり前じゃん」「その仮説は的外れだ」と思う読者もいるかもしれないが、このように書き残さなければ何も始まらないということでご容赦願いたい。また、筆者は全ての年度や東京芸術大学講義を聴講したわけではないこと、このダイアリーの内容は主に『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』の初版第一刷(以下、書籍)に基づいていることを断っておく。

【本論】

まず結論として、 「ボーカロイド音楽論」に対する批判の少なさの原因として、筆者は次の4点を提唱する。

1. 媒体:現地で行う音声形式講義では記録に基づく批判が困難であるという点。

2. 受け手資質講義対象となる学生や読者のほとんどはその議題についての非専門家であり、しか批判に割くだけのリソースを持っていないという点。

3. 内容:この講義の内容が批判を先んじて封じてしまうように作られている点。

4. コミュニティ:この講義ボーカロイド音楽が好きな東大生のうち一部を迎え入れるコミュニティ形成する役割を同時に担っており、コミュニティ批判との相性が悪いという点。

以下、これらの点を順に見ていく。

1. 媒体

 書籍が発売される前、「ボーカロイド音楽論」(以下、この講義)は大学の構内の教室で開講されているのみであった(初回の何回かこそニコニコ動画配信されたが)。そこではぱて講師の口頭でのみ内容が話され、レジュメは一枚も配られることなく、板書も最低限であった。言われたこと全てを紙に書きとるのはほとんど誰にもできないだろう。従って口頭の講義に基づく批判は、言った言わないの水掛け論になってしまやすい。現に筆者がこのようなダイアリーを書くことができるのも書籍が発売され、何を書いてあり何を書いていないかを把握し見直すことが可能になったかである

2. 受け手資質

 この講義は主として東京大学教養学部学生に対して開講されたものである。その多くはこの講義で取り扱った多くの思想概念の(多くとも)全てについて専門家であるというわけではない。またぱて講師自身もそれら全ての専門家でないことは講義中に明言している(85ページ脚注5など)。従ってぱて講師によるそれらの援用が妥当でない可能性は常にあるが、そのような観点から検討をすることは学生にとって難しいだろう(勿論専門家のみがそれらを扱うべきだという立場をとることは避けなければならないが)。さらに言えば、進振りのための勉強で忙しい学生にはわざわざこの講義批判するためだけに捧げる時間も体力も残っていないということ(そしてこの講義のもの大学が門を閉める時間まで延長していることもそれらのリソースを奪う一端となっていること)を指摘しなければならない。これは書籍の読者の多くについても同じである

3. 内容

 ここでは書籍でぱて講師が用いた概念の内容が批判を先んじて封じる性質を持つことと、ぱて講師が「論じるべき内容を論じなかった」ことが批判すべき点を覆い隠す機能を持っていることを指摘する。

 まず、ぱて講師はテマティスム(テーマ批評)に則ってボカロ曲評論するとしている。ぱて講師の言うテマティスムとは、以下に抜粋する通りである

「テマティスムは、作家メッセージをその意図の通りに読み取るということではありません。そうではなくて、むしろ作家作品の細部から作家自身も気づいていなかったかもしれないテーマ抽出し、作品価値を読み替えていく。それがテーマ批評という手法です。」(40ページ14行目-41ページ1行目)

さらに、この講義の鍵となる概念の一つとして「アンチ・セクシュアル」をぱて講師提唱している。以下に書籍抜粋を示す。

「本講義の当面のキーワードは『アンチ・セクシュアル』です。性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱う感性が、ボカロシーンには多く見られ、そして支持されました。なにに比してかというと、いわゆるふつうのJポップに比してです。Jポップのチャートを見れば瞭然でしょう。ラブソングばかりです。」(42ページ8-12行目)

「『アンチ』といっても、それは必ずしも単純な否定のことだけを指しません。性愛を疑ってみたり、気持ち悪いもののように言ってみたり、ときにそれは、米津玄師において見られたように、アンビヴァレントな愛憎を差し向けるというかたちをとることもあるでしょう。」(43ページ2-4行目)

 つまるところ、「テマティスムを用いれば、性や愛をめぐる通念を自明とせずに扱う感性(単なる否定に限らない)をボーカロイド音楽から読み取ることができ、そのような音楽がシーンの人気を博した。一方で「いわゆるふつうのJポップ」からはそのような読み取り方のできない曲が人気を博している。」という主張をぱて講師はしているということになる。この主張に当たって用いた「テマティスム」と「アンチ・セクシュアル」の二つの概念は、この主張に対する批判として想定される「作者はそこまで考えていないと思う」型の主張や「この曲は性や愛めぐる通念を否定しているとまでは言い切れない」型の主張を先んじて封じる機能を持つ。このため、読者がすぐに思いつく形での批判ができず、ぱて講師の主張に対する批判が少ないことに寄与していると考えられる。

 もう一つ批判封じに寄与しているのは、「論じるべきところを論じていない」ということである。「いわゆるふつうのJポップ」についての記述に注目すると、ここでぱて講師が行わなければならないのは、

①「いわゆるふつうのJポップ」を「『アンチ・セクシュアル』な感性を持たないJポップ」以外の形で定義すること

個別楽曲評論を通じて「いわゆるふつうのJポップ」に該当する曲に「アンチ・セクシュアル」な感性が備わっていないことを論じること

③それが「Jポップのチャート」に非常に多く見られることを指摘すること

であるしか書籍の中で「いわゆるふつうのJポップ」についての言及があるのはここのみで、上記3つ全てを行っていない(ぱて講師言葉を借りれば、「瞭然」という「感覚思考俎上に載せ」ていない)。それもそのはず、「テマティスム」と「アンチ・セクシュアルな感性」を用いた読解だけではこのようなことは到底不可能からである。「テマティスム」は確かに「作者の意図」に縛られない自由評論の基礎であるが、それは同時に評論者次第でどうとでも言えてしまうことを意味する。同じ曲が違う評論家によって「アンチ・セクシュアル」であったりそうでなかったりする。もし「そうは言ってもこじつけってものがあるでしょ」と思うのであればそれは「良い評論」の基準として「テマティスム」以外の何かを想定していることになる。さらに言えば、「アンチ・セクシュアル」という概念の幅も広い。同じ言葉賞賛にも皮肉にもなる世界で、「性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱」っているかどうかを「テマティスム」のみで確定させるのは不可能だ。つまるところ、ぱて講師が「いわゆるふつうのJポップ」を論じないことは「テマティスム」の持つ脆弱性、あるいは、「何でも言えてしまうが故に何も言うことができない」性を(本人の意図とは無関係に)覆い隠し、批判を予防することに寄与していると言える。

4. コミュニティ

現地での講義に付随する活動として、コンピレーションアルバム作成ちょっとした食事会など、ボーカロイド文化が好きな東大生のためのコミュニティ積極的提供する姿勢をぱて講師は見せている。それ自体マイノリティたる若者鼓舞するという目的からすれば妥当であるが、評論の面ではこれが裏目に出ている。余程肝が据わっていない限り人間は、自分を匿ってくれるコミュニティの発起人の言うことに盾突いたその先を恐れる。発起人自身が何とも思っていなくても、同じコミュニティの仲間から邪険に扱われるかもしれない。仲間が何とも思っていなくても、内なる自分が責め立てる...。こうなれば講義批判するのは難しい(批判したとて有耶無耶に言いくるめられるだけだ、という疑念もあろうが)。「肝を据わらせろ」という主張はマッチョイズムなのでしないが、しかコミュニティ形成するとはそういうことなである

最後に】

 「ボーカロイド音楽論」の講義書籍化されたことは、この講義自身にとって、そしてボカロシーンにとっての大きな一歩であると筆者は考える。内容の巧拙政治的立場はともかく、書籍化されたことによってこの講義は「亡くなったボカロPを悼み、内輪でボカロ曲をべた褒めする会」になってしま未来を脱して、元受講者やボカロ関係者を含む全ての人の衆目に晒され、批判され、検討され、洗練され、時に新たな論を生み出していくことができるようになった。後は実際にそうしていくだけである。筆者よりもっと優れた批判をできる人は多くいるはずなので、後は彼らに託してこのダイアリーの締めとする。

追記:何故もっと批判されるべきなのか】

 強い言葉で言えば、

「『ボーカロイド音楽論』などと大層な看板を出しながら、その実著名な学者の業績を形だけ借り"正しい"思想を添えた類推だらけの持論を『教養』と称し、[『教養』]と[『教養』を並べ立てた個別楽曲評論]を弱い脈絡の下で繋げただけの、部分を詳細に語っただけで全体を語った気になっている、評論と呼ぶべきなのかもわからないものが、まともに批判されずに学生の間や世の中に広まることが許せないから」

である(「まともに批判されずに学生の間や世の中に広まる」という心配杞憂であってほしいが)。

 筆者がこの講義書籍の内容が批判されるべきであると考えている理由は3つあり、これらを以下に簡潔に説明することで追記とする(注あり)。

1. タイトル詐欺:「ボーカロイド音楽論」を名乗りながら、その大部分は個別作品の読解に費やされている上、それらを踏まえて「ボーカロイド音楽とはなにか」をまとめて論じている内容が存在しないこと。

2. 「思考俎上」に載せる「感覚」の選び方の恣意性:本論で述べたように、思考必要なぱて講師感覚があるにも拘わらずそれを思考した形跡が存在しない箇所が見られること。

3. 「思考」の粗雑さ:「感覚」を正当化する目的しか思考」が用いられていないこと。「思考」に用いた「教養」の内容もそれぞれの分野を専攻した読者から見れば的外れものになっていること(注1)。「類推」や「テーマ批評」などのいくらでもこじつけることが可能手法を用いているのに、何故その手法を用いるべきなのか、その手法限界はどこにあるのか、といった説明がされていないこと。

注1:少なくとも一つの例として、筆者が専攻していた生物学に関連した部分を挙げる。リチャード・ドーキンス書籍利己的な遺伝子』に言及した後、「しかしこれらのような個体利他行動も、種や遺伝子主語にすると、自らを温存するための利他行動にすぎない。」(54ページ8-9行目)と段落を結び、その後「性はこのように、種の都合のための機能主義的なプログラムであるという言い方もできるわけです。」(54ページ18-19行目)と主張している。結論から言えば、この言い方はできない。生物学を学んだことがある人物なら絶対にこのような主張はしない。進化の結果としてある個体Aが(同種とは限らない)他個体Bに利他行動をする形質を獲得する条件はあくまで「それが後に個体A自身生存繁殖に有利となる可能性が十分高い」あるいは「個体Aと個体Bで利他行動に関連する遺伝子を共有している」であり、そこに「種」の概念は一切関係しないかである。(遺伝子自然選択対象となり得るのに対して)「種」という概念は観察者が生物を分類する際の線引きのツールであって、自然選択対象として観察可能ものではない以上、「性は種の都合のためのプログラムである」ということを(観察によって)事実として得ることもできない。つまり「種」を全体と見立て個体」を部分と見立てるような類推は成立しない。百歩譲って「利他行動に関連する(種を問わず)同じ遺伝子を持つ全ての個体」を全体とみなす形で類推を成立させるとしても、それは「類推を成立させるためだけに拵えた全体」であることを指摘しておく。

anond:20231114125816

法律道徳的感情は分けた上で現行法問題がなければ外野積極的に突っ込む必要は無いんじゃない派。

現行法問題にしたいのなら感情ではなく事実ベースで語るべきで、公式発表しかない状況で色々と憶測をこのコンテキストで持ち出すのは筋違いな気がしてる。

現行法が設定する成人年齢の是非やその適用問題にしたいのなら、感情が先行してもいいが、個別事案に議論を閉じるのではなくて、成人年齢問題になっている他のケースを検討したり、立法意図や法解釈妥当判断必要だと思う。未成年同士の性交渉逮捕者が出た事例とかあったはず。

anond:20231114091835

ミラーリングしてやったところで「身体的条件まで考慮しつつ平等めざそうね」と意図が正しく読めない子は帰るかせめて元増田の次のトラバまで読んでから出直し

2023-11-13

anond:20231113092652

なんというか、相手を意のままに操ることができるという能力がもう、オタク向けというか

オタクスッキリさせる意図があからさまで、苦笑する

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