はてなキーワード: 対象物とは
昔から嫌いだったということではなく、転職して数年したら自然と嫌いになった。
まず女子会だ。
ともかく疲れる催しだ。
マウントしてくる一部の女性社員(既婚子持ち)がいるので、もう勝手にやってくれと思う。
それは「協力的な夫と聞き分けのいい子供」自慢であることもあるし、「あの子はとってもがんばってるんだよね。だけど…」っていう、褒めてるのかけなしているのかわからない話を聞かされる場合もある。
持ち上げて落とす、最悪の会話が繰り広げられるのだ。
あと一番嫌いなのは、その場にいなくて、かつ社内一の御局様が個人的に快く思わない社員や元社員の話をもってくることだ。
気にくわないのはわかるが、ほとんどの女性社員が集まるところでそりゃないだろうと思う。
だいたいは、すでに退職した女性の元社員(若手)、仕事など色々な理由で不参加だった若い女性社員が餌食になるので、醜い事この上ない。
だから、そういう会話が始まりそうになると、やんわり断ち切るようにしている。
ごく最近まで、自分は「他人を変に意識しているとわかっているから、あえて意識していない風を装ってるんだ」と思っていた。が、本当のところは、「まったく興味を持ってないけど、それも人間としてアレなので、適当に興味持ってる風に見せておけ」という意識だったということに気づいた。
だから、仕事で理不尽なことされても、セクハラパワハラまがいのことをされても文句を言わない。機嫌も悪くならない。いつもニュートラルだ。
それを見た前述の御局様に、「本当に我慢強いのね」と言われたことがある。
そもそも、自分以外の人間は猿山のボスA or B くらいの違いしかないので、同じ土俵には乗らない。
同じ土俵に乗るから怒りを感じるわけで、興味のない対象物が何かを仕掛けて来たところで、怒りを覚えるはずがないのだ。
私も人間なので、理不尽もセクハラパワハラも少しはムカつく。世の中的には注意した方がいいに決まっている。
でも、そのうち因果応報で自滅するか、自分の大事なものに因果が巡って苦痛を味わうことになるだろうから、わざわざ労力使わなくてもいいとも思ってる。
そんな感じなので、仕事以外で交流を持ちたいとはあまり思わない。
飲みニケーションなんて言われているが、自分はそういうのがもともと嫌いなので、なるべくなら避けて通りたい。
女子会は幹事をのらりくらりとかわし、たまに墓穴掘って参加する羽目にはなってはいるものの、これからも消極的戦法でいくつもりでいる。
が、別口で「上司なのだから、部下を飲みに連れて行け」と命令されている。自分の上司にorz
人数の少ない部署なので、欠席しようものなら「全員のスケジュールが合うまで待つ」をやられてしまい、絶対に欠席できない作りになっている。
世の中的には「上司と飲むのをうざいと思う部下」の話が多いと思うけど、私は「部下と飲むのはうざいと思う上司」である。
ともかく、飲みの場で職場の人間と話すことなどひとかけらもない。
部下が気にくわないのではなく、興味がないから、仕事以外の話をする必要はないと思っている。
また、私は「励ますために飲みに連れ出される」のが一番嫌いで、それをやられた時は仕事以上にストレスがたまりすぎて、主催者に殺意を覚えたくらいだ。
こちらものらりくらりとかわしているが、そろそろ飲み会やらないと上司に突かれそうだ。
突かれてもどってことないんだけど、異動してみたら、仕事上の人間関係がぐちゃぐちゃになっていて、問題勃発しまくっている現状では、上司として乗り出せと言われても仕方ないんだろうなあ、と半ば諦めている。
異動したくて異動したわけではないし、管理職になりたいと言ったこともないのに、なぜかそういうことになってしまっている。
空気読まずに放っておいてもいいんだけど、仕事が滞るのは非常にまずい。
日々の糧を得るために仕事をしているわけだし。
近々、「部下を励まし、飲み会を通じてコミュニケーションを取る上司」の仮面を嫌々かぶることになりそうだ。
生活の糧を得るためだと思って我慢するしかない…と自分に言い聞かせているが、納得はしていないぞ!
世の中は、中年上司は部下と飲み会をするの大好きだと言うが、私からすると非常に心外だ。
サービス開始時から追いかけてて、アニメにいないアイドルのPだが2
Twitterではめんどくさい意見見たくなくてジャンルの人はフォローしてない
アニメもまあそのうち2期あるだろうという(アンチの方々からすると)お花畑発想があるからかも
曲数格差やゲーム内のローテーションについて思う所は公式へご意見済
ここからはこのジャンルに限った話ではないんだけども、声のデカさというのはどうしても否定意見のほうが大きく見えるし盛り上がる
最近のオタク向け商売はどれもスピードが速くて(商売のスピードだけでなくキャラクター自体の変化も)
そういう意味で公式がしんどくなる人がいるのはわかるんだけど、
コロプラが任天堂の特許を侵害したことに気が付かずにバーチャルジョイスティックをブランド化してカプコンなどゲーム会社相手にライセンス商売しようとしていたところで任天堂に訴訟されてネットを大いににぎわせているが、ここでもう一つ「コロプラがVRの特許ゴロ行為をしている」という噂が流れてきた。
増田はツイッターのツイートから5chのスレにたどり着き、情報を集めると「コロプラがVRの特許をすでに120件申請している」というのが噂の原因のようだ。どうやら「en-courage」という求人サイト(自称キャリア支援団体)のコロプラのページに掲載されている情報らしい。
https://en-courage.com/2019/company/ae7765fe247a897d948bd60118461f5bcff729c207f021ddd556de17cf249b65
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2015年:VR専門TV局「株式会社360channel」設立
2016年:世界最大級(1億USドル)のVR専門ファンド設立
2016年:Oculus Riftローンチタイトル世界最多リリース
2017年:「TITAN SLAYER」VRゲーム売上世界一
※なおこれまでに取得したVR関連特許数は120を超える
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以上の年表がコロプラの実績らしいが、VR業界有数のVRハードウェア「Oculus Rift」の発売日時点でリリースしたタイトル数がコロプラが世界最多といっても2本同時という意味だし、TITAN SLATERがVRゲーム売り上げ世界一といってもPCゲーム売り上げ統計サイト「Steamspy」を参照してもせいぜい3700本(Steamspyは1万本以下の売り上げのタイトルの正確さは保証外)でOculus StoreやViveportなど他プラットフォームを考慮しても5000本だし、この時点でいろいろと盛り過ぎである。ちなみにHTC社のファンドも1億ドル(を複数回)の規模なので、コロプラも結構お金に余裕あるんですね。
http://colopl.co.jp/products/vr/(コロプラのVRタイトル)
http://www.moguravr.com/colopl-oculus-touch-vr/(Oculus Riftのロンチ時点のコロプラのリリースタイトル)
http://steamspy.com/app/528260(TITAN SLAYERの売り上げ)
コロプラはVRで既に120件の特許を申請したとのことだが、はてブのホットエントリにもランクインした記事「任天堂に訴えられたコロプラが妙に強気な「真意」を分析してみた(パテントマスター・宮寺達也のブログ:https://tmiyadera.com/blog/1326.html)」によると「実はコロプラはベンチャー企業としては異例な程に特許に熱心な会社である。2013年に佐竹さんという弁理士の方が入社されており、非常に特許出願を推進している。特許の数は2013年・0件、2014年・3件、2015年・6件であったが、2016年・78件、2017年・124件とここ2年で飛躍的に伸ばしている。任天堂の2017年の特許件数が137件なので匹敵する勢いである。」とのことであり、120件という数の特許の申請はかなり多いことがわかる。
また、自称:イノベーション企業のフィラメントに掲載されている前述のコロプラの佐竹氏へのインタビュー記事『「特許」と「オープンイノベーション」のオイシイ関係!? コロプラ弁理士が解説(http://thefilament.jp/dialog/1129/)』によると
佐竹 ここ数年、どんどん特許を取っています。中でも、VRの分野での取得が多いですね。VRはここ数年、一気に盛り上がってきた感じがしますね。でも技術自体は何十年も前からあるんですよ。ここへきてやっと盛り上がってきたのは、グラフィックの描画レートが上がったために、ようやく見るに耐えるものになった。昔はマシンパワーが足りなくて、VRゲームなんてものは作れなかった。工場の危険な設備点検のシミュレーションをするためなどに実用化されていましたが、ゲームとなると、描画速度が必要だったし、操作の要素も必要になってくる。
そういうところが特許の狙い目なんです。「ちょっと前まで技術開発がされていなかった理由」が分かれば、チャンスです。ゲームでいう描画速度みたいな音声コントロールも、ここ数年のことです。Siriなんかは先行してあったけれど、簡単なことしかできなかった。あれがようやく進化してきたということは、色々特許を伴った新技術があるはずなんですよ。音声認識があることを前提にしたサービスってまだあまりありません。そこに可能性があるわけですね。
とのことなので、コロプラの佐竹氏は「VRの特許をたくさん取得している」ことを自覚していて、引用外のインタビュー内の記述によると「宝の山」だと認識しているので、「VRの特許を積極的に取得しているんだなあ」ということがわかる。
前置きが長くなってしまったが、それではコロプラのVR特許をいくつかピックアップしてざっくりと見てみよう。
ちなみに増田はVR開発者気取りのワナビーですが人並み以上のVRの知識は有しているという自己認識です。間違っている箇所があればはてブやトラバで指摘お願いします。
前提条件として:VR知識がなくともある程度コンピュータ・ゲームへの理解や経験があれば言いたいことがわかる内容だと思うし、経験がなくともわかるように努力します。解決手段は読まなくともよいです。特許は番号が違っても内容が複数かぶるものがありますね。特許って分割できることを今回初めて知った。
【公開番号】特開2018-7227(P2018-7227A)、特開2018-7175(P2018-7175A)
【要約】 (修正有)
【課題】仮想空間へのユーザの没入感を損なわずに、仮想空間に没入するユーザに不意打ちを与える状況を防ぐことが可能な情報処理方法を提供する。
【解決手段】情報処理方法は、仮想カメラ300と、集音オブジェクト400と、音源オブジェクト500とを含む仮想空間を規定する仮想空間データを生成するステップと、集音オブジェクト400と音源オブジェクト500との間の相対位置関係に基づいて、音声データを加工するステップと、加工された音声データに基づいて、ヘッドフォンに音声を出力させるステップと、仮想カメラ300がヘッドマウントディスプレイの動きに連動せずに移動したかどうかを判定するステップと、仮想カメラ300と集音オブジェクト400との間の距離Dを特定するステップと、移動した仮想カメラ300と集音オブジェクト400との間の距離Dを徐々に縮めるように、集音オブジェクト400を移動させるステップと、を含む。
・例えるならホラーゲームなどでプレイヤーと怪物の距離や視界の向きに応じて警戒音の大きさを調整する特許でしょうかね?怪物とプレイヤーの距離が縮まるほど緊張感のある曲の音量が大きくなってプレイヤーの緊張感を駆り立てるとか。
【公開番号】特開2018-5610(P2018-5610A)、特開2018-5609(P2018-5609A)
【公開番号】特開2018-987(P2018-987A)
【要約】 (修正有)
【課題】直感的に視点を切り替えることができる表示制御方法を提供する。
【解決手段】ヘッドマウントディスプレイ(HMD)を備えたシステムにおける表示制御方法であって、当該方法は、左眼用仮想カメラ300Lと右眼用仮想カメラ300Rとを含む仮想カメラを含んだ仮想空間を定義する仮想空間データを生成するステップと、仮想カメラの視野および仮想空間データに基づいてHMDに視野画像を表示させるステップと、所定の条件を満たす場合に、左眼用仮想カメラ300Lと右眼用仮想カメラ300Rとの間の距離を変動させることで仮想カメラによって描画される仮想空間の範囲Rを変化させるステップと、左眼用仮想カメラ300Lによって取得される左眼用視野画像と、右眼用仮想カメラ300Rによって取得される右眼用視野画像とをHMDに出力するステップと、を含む。
・プレイヤーが椅子に座った状態の頭の高さを基準として、プレイヤーが立つと視界のスケールが広くなって物体が小さく見えるようになり、プレイヤーがしゃがむと視界のスケールが狭くなって物体が大きく見えるようになる。また、移動距離のスケールも比例する。子供は視野が狭い(目と目の距離が狭い)から物体が大きく見えて、大人は視野が広い(目と目の距離が広い)から物体が小さく見えるというアレですかね。後者は大人と子供の歩幅の違いかな。視野のスケールをプレイヤーの頭の高さで変更させるVRの仕様は初めて見た。
【公開番号】特開2017-228322(P2017-228322A)
【要約】
【解決手段】回転モードにおいて、制御回路部は、ユーザの操作に基づき少なくとも回転方向を特定すると共に、ユーザの操作が検出され続ける間、仮想カメラ(1)または仮想空間(2)を回転させ続けながら、HMD110に視界画像26を更新させる。
・頭の左右旋回もしくはコントローラの入力でカメラもしくは空間を回転させる以上の内容には見えないんだけど、だれか詳しい人いたら教えてください。
【公開番号】特開2017-220224(P2017-220224A)、特開2017-220162(P2017-220162A)
【要約】
【課題】仮想現実の提供の際に映像酔い(VR酔い)が低減される技術を提供する。
【解決手段】仮想現実を提供するコンピュータのプロセッサが実行する処理は、メモリにおいて仮想空間を定義するステップ(S1010)と、HMD装置を装着したユーザが傾いている方向を検出するステップ(S1020)と、ユーザの傾いている方向に基づいて、仮想空間における仮想ユーザの移動方向を決定するステップ(S1030)と、仮想空間における仮想ユーザの視界が移動方向に移動するように、HMD装置に視界画像を表示させるための視界画像データを生成し、生成した視界画像データに基づいて視界画像をモニタに表示させるステップ(S1040)とを含む。
・底が丸い(鍋のような)板のコントローラの上に座るまたは足を乗せることでユーザーの傾きを検出し、仮想空間内でのプレイヤーの移動方法を決定する仕様のようですが、イメージ画像の図11と図12がどう見てもフランスの3DRudder社が開発した3DRudderそのものにしか見えません。日本国内への輸入はアスクが担当しています。(https://www.ask-corp.jp/products/3drudder/controller/3drudder.html)コロプラくんは一体何のつもりで特許を申請したのでしょうか。ASKに代わって自分が3DRudderを代理販売する予定なのか、はたまた自分でハードウェアを作る予定なのか、それとも…?
【公開番号】特開2017-220219(P2017-220219A)、特開2017-220164(P2017-220164A)
【要約】
【課題】仮想現実の提供の際に映像酔い(VR酔い)が低減される技術を提供する。
【解決手段】仮想現実を提供するコンピュータのプロセッサが実行する処理は、メモリにおいて仮想空間を定義するステップ(S1010)と、HMD装置を装着したユーザの動作を検出するステップ(S1020)と、ユーザの動作に基づいて、仮想空間を飛翔する物体の飛翔方向を決定するステップ(S1030)と、仮想空間におけるユーザの視界が飛翔方向に移動するように、HMD装置に視界画像を表示させるための視界画像データを生成し、生成した視界画像データに基づいて視界画像をモニタに表示させるステップ(1040)と、物体が仮想空間の対象物に到達した場合に(ステップS1050にてYES)、仮想ユーザの位置を対象物まで高速に移動させるステップ(S1060)とを含む。
・プレイヤーの頭の向きやモーションコントローラ(WiiリモコンやPSMoveのようなもの)でプレイヤーのワープ位置を決める特許です。VRでは酔い対策のために今だに決め手となる移動方法が確率されておらず、現在最も効果的だとされている移動方法の一つがワープ移動です。プレイヤーのコントローラでワープ移動したい位置を指定して、ポインティングした箇所に一瞬でワープ移動するというもので、米Epic Games社が米VRハードウェアメーカーOculusの支援のもとで2015年に公開したVRデモ「Bullet Train」が最も有名な例とされています。ほとんどのVRがあまり動き回らない前提のものかワープ移動かの2択という状況で、コロプラがワープ移動を特許に申請したということは…?
【公開番号】特開2017-211912(P2017-211912A)
【要約】
【課題】仮想空間における非制作領域の視認を制限可能な表示制御方法を提供する。
【解決手段】ヘッドマウントディスプレイ(HMD)を備えたシステムにおける表示制御方法であって、当該方法は、仮想カメラ300と非制作領域NRを有する少なくとも一つの対象物Wとを含む仮想空間を示す仮想空間データを生成するステップと、仮想カメラ300の視野および仮想空間データに基づいて、HMDに視野画像を表示させるステップと、HMDの移動量に応じて仮想カメラ300を移動させるステップと、HMDの移動量に基づいて仮想カメラ300と対象物Wとの間の距離を特定するステップと、当該距離が所定の閾値L1以下であると判定された場合には、当該距離が所定の下限値L2を下回らないように、仮想カメラ300の位置を制御するステップと、を含む。
・プレイヤーの視界を目標地点にまで等速直線運動で移動させる特許のようです。目標地点まである程度の距離に達すると移動速度が下がり、目標地点に到着すると止まります。VRはプレイヤーの視点となるカメラをアプリ側で動かすことはご法度とされていて、どうしても動かす場合は加速度運動は絶対に避けて等速直線運動のみで移動するのが一般的です。これはそれを特許として申請したもののようですね。
【公開番号】特開2017-208809(P2017-208809A)
【要約】
【課題】ヘッドマウントディスプレイにて動画コンテンツを再生する際に広告等の他のコンテンツを表示しても、ユーザの没入感に与える影響が少ない方法を提供する。
【解決手段】仮想空間に適合させて再生するための動画コンテンツの初期方向を特定するステップと、初期方向の水平方向における向きとHMDのロール方向の水平方向における向きとが一致するように仮想空間に前記動画コンテンツを適合させて再生するステップと、初期方向の後方側に、第1のサブコンテンツを表示するステップと、HMDの向きおよび傾きのうち少なくとも一方に応じて視野を更新するステップと、を含む。
・VR空間内でユーザーに違和感のないように広告動画を出す特許のようです。ユーザーの視線が広告にどれだけの時間向いていたかを計測するそうです。VR内の広告はGoogleやFacebookなんかが研究してそうな感じですが日本国内ではVR広告の話はあまり聞きませんね。
(追記)トラバの罵り合いは増田とは全く関係ない第三者同士の罵り合いです。
【公開番号】特開2017-208676(P2017-208676A)、特開2017-208808(P2017-208808A)
【発明の名称】仮想空間を提供する方法、プログラム及び記録媒体
【課題】ヘッドマウントディスプレイにて動画コンテンツを再生する際に、広告等の他のコンテンツを表示する方法を提供する。
【解決手段】仮想空間を定義するステップと、仮想空間において再生される動画コンテンツと、動画コンテンツの表示域の一部に表示されるサブコンテンツとを合成して合成コンテンツを生成するステップと、合成コンテンツを仮想空間に適合させるステップと、ユーザの視線を特定するステップと、視線に基づいて、視界領域を特定するステップと、合成コンテンツのうち、視界領域に相当する視界画像を生成し、HMDに出力するステップと、を含む。
・図11より、VR空間内の動画と広告を合成する技術の特許かつユーザーの視線の統計を取得する特許
【公開番号】特開2017-207898(P2017-207898A)
デザインの仕事してるとクライアントから「この写真を表紙に使ってよ」という話はよくあるんだけど、だいたいそういう写真って使いにくい。
まずフレームいっぱいに対象物が収まってるパターン。文字を置くスペースがないし、トンボの断ち切りの余白もないから怖い。
次に対象物が歪んでるパターン。近くによらず、ズームで近づけて欲しいんだけど何故かみんな近くに寄って撮りたがる。結果歪む。
ピンボケや逆光で景色がよくわからないパターン。それホントにいい写真だと思ってるのかな。
解像度の不足してるパターン。スマホで撮った写真やインスタ写真をそのまま転送。荒い写真にしかならなくて致命的。あとネットで拾ってきた写真とか。
RGB感の強い写真のパターン。CMYKになっちゃうので綺麗に抜けた青空とか蛍光色っぽいのとか難しい。
皆さん、「エッジスクリーンはSamsungがやった」とか「ヘッドフォンジャックが」とか「今更ワイヤレス充電w」とか「剃り込み」とか言ってますが、わかってないなー。
本当にすごいのが顔認識。今までの顔認識のテクノロジーは平面で認識していたので、写真でアンロックとかできたわけ。今回のiPhone Xの顔認証は、赤外線のプロジェクターを使って立体的に対象物を検知するというスゴい技術。カメラの前にいる人の顔を立体的にキャプチャーできるということは、FaceTime なんかで立体的に映写ができる(という可能性がある)ので、あのスターウォーズのホログラムチャットみたいなことができるってこと。これはテクノロジー業界の次のパラダイムの入り口という意味で事件だと思うんだけど、皆さんどう思いますか?
「旅行してきました」
とか
「ライブに行ってきました」
とか
「野球観戦してきました」
とか答えると、「誰と?」と訊かれることがよくある。
そして、それに対し、
「1人で行きました」
と返答すると、決まって「えっ!?」という反応をされる。
好きなことを楽しむにあたって、誰かと同行することは必要なのだろうか?
私はむしろ、誰かと一緒に行動した場合、その人とのコミュニケーションにリソースが割かれてしまい、旅行やライブや野球観戦といった対象への没入が阻害されてしまうような感覚がある。
対象物を存分に楽しむためにはソロ行動が良い、というのが私の考えだ。
同じ趣味を持つ同志と共に行動すれば、感想を言い合うことなどができるから、対象をより楽しめるというのはあるのかもしれない。
ただ、一見同じ趣味を持っているように見える2人が、実はその趣味に対するスタンスが全然違った、なんてことはよくある話で、なかなか「同志」というのは見つからないものだ。
今回ここで、「権利」概念が放ってしまう暴力性の起源について一人考えてみる
1週間もすれば3億人近いトンチンカンたちがまた祝うことになる、近代社会の幕開け=アメリカ独立宣言に遡ってみよう。250年くらい前のことだ。後にアメリカ人と呼ばれる極西の田舎者が黒人奴隷を足置きにしながらヨーロッパの政治哲学を読みふけっていた。そして、英国議会に「植民地のくせに生意気だぞ」と言われてしまったあの時、彼らのイギリスコンプは爆発し独立を宣言してしまう。この独立戦争とその後の歴史で彼らは「国家」を生み出しその中で「所有権」というものの不可侵性を「人権」として僭称したのだった。それまでもこの考え方は常にヤバい匂いを発してきたが「独立宣言」こそが全人類の脳みそに侵入し始めるウイルスになった。彼らはこう言う。「君たち、実はな、人間は生まれながらにして権利というものを持っていたのだよ」「君たち、これは自明の真理だよ」。誠に蒙が開かれるようである。実際に驚くほどたくさんの人が啓蒙されることになる。
ところで、ここで彼らが行なった欺瞞としてまずよく言われるのは足置きにしている「黒人奴隷」についてである。つまり黒人奴隷が人間の方にではなく所有物propertyの方に組み込まれてしまったことである。ところが、今回に限ってはそこは重要ではないと私は言いたいのだ。というよりも黒人奴隷の境遇があまりに深刻な問題であるから真の問題が後景化し見えなくなってしまっている。この深刻な問題をみたとき、我々、権利至上主義者の常識的な感覚からいって、100年後、200年後に黒人へ与えられたように、人間の権利、あるいは公民権で解決すべき(解決した)問題だと思わされてしまう。
でもこれは糞の上に城を立てただけなのだ。私たちの暮らす城の中はクソの匂いが充満している。「権利」などという考え方が、奴隷制的な、暴力的支配への渇望に支えられている。私たちはクソがあるなと思ったら「あっクソだ」と言わねばならない。「あれ?この部屋なんか、うんこの匂いしない?」は常に言いづらいセリフではあるが。
つまりどういうことか。権利を「持っている」、という発想自体にその欺瞞が現れている、と言いたいのだ。一般におそらくは「所有権を持つ」という表現すらあまり違和感をもたれないのである。独立宣言の下敷きになったヴァージニアで行なわれた会議の草案にもその矛盾を観れるかもしれない
That all men are by nature equally free and independent and have certain inherent rights, of which, when they enter into a state of society, they cannot, by any compact, deprive or divest their posterity; namely, the enjoyment of life and liberty, with the means of acquiring and possessing property, and pursuing and obtaining happiness and safety.
この2つ目の下線部は独立宣言では省かれるのだが「所有権を持つ」という循環した考え方を恐れたから、ではなく国家による税金の徴収を困難にするという理由であった。
何が言いたいかといえば、奴隷、武器、砂糖の三角貿易が成立して以降のヨーロッパ社会では、「権利」が「持つ」ものとして想定されねばならなかったのである。それは単純には、ある種の人々から「奪う」こと(あるいは「捨てる」こと)のできるものでなくてはならなかったからだ。つまり「所有権」が守るベーシックな価値は「権利」概念誕生の後に、「どんな種類の権利を作ろうかなー」と考えられて作られたものではなく同時に発生しているのである。そしてそのことは隠れたのだ。独立宣言に「自明の真実ではあるのだが我らは不可侵の権利を持っているのだと信じる」としれっと書き込むことで。じゃあ所有の意味を含む「権利」概念が発生した時に生まれていたものは何か。ここが今回の主張であるが、「支配欲求自体への承認」なのである。社会の一員として我々は「ある種の激烈な支配の形」を基盤にすることで社会を成立させている。それは「所有権」だけでなく「権利」全般の話である。
propertyに対しては当然そうだろう。犬猫などは黒人同様に解放が進みつつあるが根本的に我々は自分の所有する物をどれだけ傷つけても良いのである。対象物に対して欲求したことは特別に禁止されない限り全てぶつけることを許されている。私は自分の持っている熊の人形の腹を切り裂いてもいいしそこにペニスを突っ込んでも良い。それが所有権の意味するところである。ここで、人形はなんかかわいそうだし除外しようかというのもあまり意味がない。僕が言いたいのは、我々は所有権を「propertyに対して私が欲求することならなんでもしていい力」として想像していて、思考のスタート地点にそれをおいていることだ。この認識はもう一つ重要な感覚を孕んでいる。それは「私が支配するものに他者が介入することは許されない」ということだ。この二つの感覚両方が「権利」全般に流れ込んだのだ。そして実は我々の想像する「自由」のコアイメージでもある。自由にはこの欲望と支配の感覚が流れている。
しかしながらこの「自由」の感覚は「自由」を求める奴隷たちの反乱により一つの現実的妥協を産んだ。支配者はかつての奴隷たちと約束したのだ。我々はもはや君たちを支配しない。その代わりに我々は自分の体を支配するのだと。そして君たちもそうするのだと。人間なら誰もが己の体を支配できることにしよう。我々は平等に自由じゃないか。(現実として多くの旧黒人奴隷は扱いの悪い賃金労働者として己の体を「自由」に売買した。ほぼほぼ売るだけであったが。)
上記の経路は思考実験の一つでしかなく、実際は数百年前の「権利」概念の議論でも既に流れていただろう。しかし、ここで誕生したのは一風変わった、世界と人間に対する理解である。個人は他者からの介入=他者との人間的繋がりを切断できる独立した存在だという信仰なのだ。なぜなら自分の体を自由に支配し他者はこれに関与できないのだから。(工場で死にかけながら働く黒人労働者だって「自由」に辞められると考えることはできただろう。)「権利」や「自由」というものの概念自体にこれは染みついたのだ。
奴隷製の足置きで本を読む農園主の頭の中で作られた「近代国家・権利・自由」は、国家軍隊というとてつもない力に囲われながら、同じ発想の知的エリートを再生産し、根本思想の解体は迂回しながら様々なヴァリエーションを増やしてきた。その実践形は司法や行政の場から常に吐き出され、我々パンピーの脳みそにも影響を及ぼしてきた。
「権利」概念は、「権利」とは「持つ」ものだという支配欲求の肯定に支えられている、というのが基本的な今回の主張である。これが己の身体観や対人間観に影響を及ぼしてきた。実際皆が全く違和感なく自分の持つ時間と労働力を社長さんに売り払っている。基盤にある発想はまさに「権利」は「持つ」ものだから「捨てれる(売れる)」のである。あるいは私は他人の権利を「買える」のである。なぜなら私はその「権利」を「持っている」のだから。(一応断っておくが、これによって生まれる成果を否定するものではない。「支配/排除 と 欲望」を根幹にする原理が一度は平等性/対等性 になりながらも、次の段階で一人の人間があらゆる人の時間と行動の自由を支配し皆がそれに納得していることに注目したいのだ。この一人の人間も様々な人の投資で買われていてもう少し複雑だろうけれど。)
長々書いてるのに平板な話になってるだろうか。ここに資本の燃料をぶっ込めばいくらでも非人間的な方向に暴走できるのは想像にかたくないし、読んだことないけど共産主義とかポモとかもこういう認識の型への反発からスタートしてるのでしょ。現実に非人道的支配を読み取った人たちの反発から生まれた社会「権」などは対抗力として機能しただろう。ただそのことに対しても言えるのは「権利」「自由」の枠組みがそのまま利用されたということだ。近代国家という装置がこの世界にセットされた1776年の7月4日のあの日から全人類の脳みそはハックされた。今もなお屋台骨として社会を支え続けている我らが人権万歳!自由万歳!国家万歳!
いま苦しんでいるマイノリティも、「支配と欲望」の匂い漂う「権利と自由」概念を使って「国家よ行動しろ」と闘争せねばならない。あるいは彼らがそうでない社会活動を試みていても(例えば、他者との網の目を強化したり、国家ではなくコミュニティや人々の意識を変えるために動いていたとしても)、そのように立ち上がる姿をメディアでみた我々は、そこにまた「権利と自由」闘争の型を読み取っていないだろうか。「障害者が、また支配と欲望を前面に出してるのか。今度は何を要求するのか。」と。そして人間の、恥を知らない無意識は、何かを奪おうとしているマイノリティを見てこう訴えてくるのではないか。我々はこいつらを「支配」し「排除」しなければならない、我々の「権利」と「自由」のために。
アートを鑑賞するにあたり、当たり前のようだが絶対に必要なものがある。
それは安全だ。
絵に触れないよう、手が届きそうな前衛的アートでも学芸員さんが数人いて対象物を見守っている。
痴漢行為が行われた空間を提供したことを謝罪するかと思われたが、想像の斜め上をいっていた。
なんと観客を非難したのだ。
来場者の予期せぬ出来事
“床のタイルを剥がす、壁を執拗にたたく、ドアを無理やり開けようとするなど”
剥がれやすい床のタイルなど、暗闇なら危険そのものではないか。
沢山の人々が行き交う場所で一番安全を考えているのはディズニーランドだ。
ディズニーランドのタイル床は、剥がれないように設計されているだけではなく、タイルの角まで削られている。ユーザーが怪我をしないようにだ。
それだけの制約では暗闇のなかで何をしてもいいのかと思われる。
それとも善光寺のお戒壇めぐりみたいにこのドアのあるべき鍵を探そうか?
壁を叩いたら、他の人が反応してくれた。私は一人ではない。これがこのアートの解釈か?
アートを謳っているのであれば観客の想像力を無視してはいけない。
観客の安全面も守られない展示物は、公共の場に出してはいけない。
それはアートではない。
これで良いのだろうか。
「生き方」なんていうと大げさに聞こえるけど、これから生活していくなかで必ず一度は考えなきゃいけない(し、考えていきたい)テーマだと思う。
その「生き方」に思いをはせるとき、私は「これで良いの?」と自問するようになった。いつからか。
ここでいう「生き方」は、これからの仕事や家族との生活、お金のやりくり…とかではなくて、
もっと幅広く、かつ抽象的な問題―つまり「人生に対する姿勢」とでもいえばいいのか―そういう部分のことを指している。
で、私の基本的な「姿勢」(と呼べるほど立派じゃないけど)は、「自分の好きな物をとことん大切にする」「勉強や仕事を頑張りつつ、趣味の時間を持つ」こと。
好きな物が多い人生は救いの多い人生、だから趣味は絶対おろそかにしないで生きよう!と思っていた。
だけど、最近はそういう「趣味人」としてやっていくことにすごく疑問を感じるようになった。
なぜだろう、好きな物(ロックバンド、カフェ巡り、ジャニーズ、美術館巡りetc)に熱中している自分を冷めた目でみるようになった。
「いつまでもそんなことやってて楽しいの?」「あんたの人生の中心ってソレなの?」と問いかけるようになってしまった。
なんだようるさいな、私は純粋に楽しいことやりたいだけなのに。ちゃんと学校行って勉強やってるんだからいいじゃん。そう主張する自分がいる一方で、
やっぱりそうだよね、こんな生活やめてえよ、という自分もいる。
なぜやめたいのか?それは、自分があまりにも長い時間と体力を、趣味に費やしているから。
しかもその趣味っていうのの大体が、受動的なものばかり。何か練習して、結果を出すとか、達成感を得るとか一切なし。
ただ対象物を愛でて「はあ…」と感嘆の溜息をついて、終了!
よく、趣味を思いっきりやった後は「よーし、また明日から頑張るぞ!」って気持ちが奮い立つなんていう人いるけど、
私にはそれが全くない。「はあ…」で終了。頑張るぞのガの字も出てこない。むしろひどく疲れて、虚無感すらおぼえる。
これも、「こんな生活やめてえよ」の一因となっている。
何かもっと視野の広がるようなことをやりたい。何か、もうちょっとためになるようなことをやりたい。
なんて言ってる癖に、趣味はやめられずにいる。何も行動できずにいる。
ライフネット生命の岩瀬大輔社長、恥も外聞もかなぐり捨ててFacebookでお願い営業
http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65894110.html
すらたろう @sura_taro
2017年May30日 22:52
※消耗くん=高知の山奥から東京で消耗と煽るプロブロガー、グレーを承知でハイリスクな金融商品の勧誘に手を出した件で証券取引等監視委員会に通報される(2017年02月02日)
「消耗くん」という語感から連想されるのは消しゴム「まとまるくん」や「激落ちくん」などの商品だ。
これらには本体を削ることで「対象物(汚れ)の消滅」という状態を得ることが期待されている。
一方、「消耗くん」のビジネススタイルは高知の限界集落から東京に向けて傍若無人に吠えつつブロガー志望の信者から金をむしり取るというものだ。
当然、彼に対する批判は多いが、弟子の矢野大地などを含めた「消耗一門」は、批判者に対して人格攻撃を繰り返すのみで反論をしないという不誠実な態度をとる。おそらく戦略的な判断だろう。
「常識」の立場に立つ批判者たちに対し徹底的に不誠実でいることで熱狂的な信者を集めるという手段は、
言い換えれば世間からの信頼を切り売りすることで信者から集金するということであり、「まとまるくん」や「激落ちくん」とジャンル的には同じと理解できる。
今回の韓国人俳優が「寿司女스시녀」という言葉を言ってないのに言ったというデマを流された、という話がバズっていて
まあ実際には去年の動画タイトルなどに使っていたのが判明しそっちもデマだったのだが
その擁護として今度は「寿司女というのは日本人女性への褒め言葉だ!侮辱というのはネトウヨのデマ!」という話になってる。
あのさ、「寿司女」という言葉が褒め言葉か、侮辱か、といえば褒め言葉なのは事実。
だけど、それってそんなまっすぐに受け止めていいスラングじゃないでしょ。
この「寿司女」って言葉は「キムチ女」と対比してネットで一部の韓国人男性が使いはじめて流行ってる言葉。
つまり、韓国の女性は気が強くて、男がバッグ持たなきゃいけないし、おごらなきゃいけない、それでもやらしてくれない。
そういう「キムチ女」みたいなクソみたいな女の対比として、日本の「寿司女」が持ち上げらてる訳。
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/50876116.html
「キムチ女」とくらべて日本人女性、つまり「寿司女」はおしとやかで、男に従順で、優しくて、すぐやらしてくれる、ということになっている。
そんな聖女みたいなフェティシズムの対象として「寿司女」という言葉は使われてる訳。だから褒め言葉ではある。
例えば「キムチ女、まじでエロい!やばい!」とK-POPファンが言ったとする。そのときの「キムチ女」という言葉にすごく近いと思う。
このときの「キムチ女」って褒め言葉でしょ。侮辱ではないね。でも、オリエンタリズム的な欲望充足対象物っぽさも感じる。
それと同じ。「寿司女」というのは。AV動画のタイトルなんかでも時々見る言葉。
で、今回の自称俳優の韓国人youtuberは例えば去年「寿司女」と題して
明洞で出会った日本人女性とのLINEのやり取りを無断で何百人に公開する配信を行っている。
もちろん、これに対する批判も韓国内ででていたのをググれば見つけることができる。
http://gall.dcinside.com/board/view/?id=ib&no=4506334
つまり「寿司女と、こういうふうにやれば、韓国人男性はモテるよ」という動画の配信で人気を得てきた人物。
だから、別に「寿司女」がいい言葉か悪い言葉かとかどうでもいいのよ。
それは単に日本人女性をフェチ化してる言葉なので。褒め言葉っちゃ褒め言葉。まあイエローキャブよりは上品な言葉だよね。
別に「エロい日本人女性とこんなことやれるモテる俺」という動画を配信して韓国で人気になったという点が大事なので。
まあ、実際に「僕は韓国の俳優です」と自称して、日本の女といちゃいちゃしまくってるのだから、彼は事実を伝えてるだけだのだが。
つまり「日本の女は、ピカチュウっていっとけばやれる」っていう真実を語って稼いでいた白人ナンパビジネスマンが数年前いたけど、それと大差ない話。
こんだけ外国人が日本人女性は簡単にやれるというナンパビジネスで人気を得ているのだ。そりゃ「寿司女は褒め言葉だ!」と誤解したくもなる。
でも、だからといって「寿司女って言葉は褒め言葉!ネトウヨの捏造!韓国人俳優はいい人!」っていうはてなの風潮は間違ってるでしょ。
例えば、日本人ナンパ師が韓国へ行って「キムチ女を口説きまくる!」とか題して
youtuberとして韓国をうろうろしてて、たまたまチョッパリと呼ばれたとする。
もちろんヘイトスピーチは絶対に許してはいけないが、だからといって、こいつは聖人ではないよね。
そう、その両論でいいはずなのに。
ヘイトスピーチは絶対に許せない。同時に、この韓国人が配信してきた内容もはしたないといえば、はしたない。それだけ。
だから、この件に関しては、ヘイトスピーチを正当化したいネトウヨのデマもすごいし、
(追記:
僕が上でリンクした韓国の掲示板はネトウヨが「超美女」を誤訳したのと全く違うソース。
なんで、そんなに彼が「超美女としか言ってない、寿司女と使ったのはデマだ!」というデマを流しつつけるのだろう?そんな聖人にしたいの?
じゃあこれは? これは彼のアフリカTVのチャンネルだよね? http://vod.afreecatv.com/PLAYER/STATION/10193093
他の増田も書いてるけど。 http://anond.hatelabo.jp/20170505004048
ネトウヨが「超美女」を誤訳したのはこれは確か。OK?でも別の場所でいくらでも彼は「寿司女스시녀」という言葉を使ってるのが出てきてるという話。OK?
あなたに教えてあげましょう。
Sサイズ:なにかと比較してショート・またはスモール(ちいさい・短い)
おわかりのようにSとLはあからさまに小さい短い大きいものを指します。
つまりS-M-LならMは真ん中にいてちょうど良い。
しかしM-LならMは最小である、つまりスモールになるのです。
でも元々Mサイズだったのにスモールサイズと呼ぶのもおかしい。
だったら、あと使えるのはレギュラーでしょ。
最近は何でもスマホで済むから持ち物が少なくなった。手帳もいらないし財布もいらないし。そういえばパソコンも便利だ。パソコンがあれば色々調べられるからテレビもいらないし、辞書もいらないし漫画もダウンロードして読めるし。でもさ、そうやってシンプルになって物が無くなっていくってのは何だか物足りないんだよね。物がある方が落ち着く気がする。手帳とか現金とかスマホに集約できるけど、やっぱり手帳とか財布とか、手でそれらの物を触る、所有することで何だか心が満たされるんだよね。人には物を愛でる気持ちがあって、それらの対象物がスマホ一台というのは、人にとってあまりにも少なすぎるということなのかな。物に対する愛着、愛着の持てる持ち物の少なさが何か物足りなさを生むのかな。この感覚は昭和生まれならではなのかな。
◇上位答案は最低限書いてさっと逃げる感じ。みんな時効は苦手なんだなぁと思った。こういう問題こそボーダー答案見るべきなんだろう(持ってない)。
◇7位答案は①要件書いて、②186条1項2項の推定書いて、③「他人の物」展開して、終わり。
◇3位答案は①要件書いて、②推定と「他人の物」を1行で書いて、③起算点の議論(売買のとき?柵設置のとき?乙建物建設のとき?)をして、④所有の意思をちょろっと書いて終わり。
◇上位でこれなら下位ってどうなってるんだよ、って思った。
◇「Hとしては、本件寄託契約書3条、4条により、500箱を引き渡すとの反論が考えられる」って、言いたいことは分かるんだけど、問題文に誘導(1)(2)があるのでこれに乗っていった方がいいかなぁと思う。
これに対して,Hは,寄託された「和風だし」はFの物と合わせて2000箱であるところ,
(1) その半分がもはや存在しないことと,
◇ほぼこの誘導を引き写しただけみたいな答案が上位に来ていた。
◇誘導に乗ると、契約6条(債権的請求)に対して、(1)半分滅失しているということは半分履行不能で消滅しているのか?いやしかし一応1000箱あるしなぁ・・・とか悩みを書いておけばOK。
◇また、(2)たしかに1000箱Gさんに返せるけど、返したらFさんが大損するし、何よりFさんに対する善管注意義務違反になっちゃうよ・・・とか悩みを書いておけばOK。
◇契約4条どうすんの?って話についてはみんな困ったらしいが、解説の裁判官は所有権に基づく返還請求の対象物が滅失した場合と比較すれば答えは出るとか熱弁してた。上位答案は6条の適用を優先させて、4条の適用を排除してた。これはこれでスマートだと思う。
◇良いと思う。
まずは、お忙しい中貴重なお時間を割いていただき誠にありがとうございます。原価について色々な話が出来て大変うれしく思います。また複数のコメントを頂けましたので、思うところを書かせて頂きます。
受注生産品でも間接費の配賦はあるよね
勿論そうです。個別原価計算であっても、総合原価計算であっても、間接費の配賦は行います。例えば、電力使用量に応じて、電力の配賦処理等を行うとしましょう。個別原価計算では、明確に特定の単位、その代表例が指図書ごとに電力使用量を定める必要があります。一方、総合原価計算ではその単位がより大きな工程単位で集約を行います。
ここで『総合』『個別』というのは、明示的な基準があるというよりも、あくまで程度の問題と考えることが出来ます。工程の単位を限りなく小さくすれば個別原価計算に近づきますし、逆に指図の単位を限りなく大きくすれば総合原価計算に近づきます。
重要な点は、何をマネジメントの単位とし、コスト集計の単位とするのか?です。当然、細ければ細かいほど、当該製品の正確なコストを計算できますが、その一方で業務負荷はあがります。特に多段階の製造工程を持ち、それぞれで個別原価計算を行い、かつ後工程の指図への費用計上を実際原価で行うとなると、在庫管理も含めてたいへん煩雑になります。
と、いう話を書こうと思ったのですが、もしかして消されちゃいました?(更新ボタン押したら原文が見えなくなっちゃったのですが)
ご指摘頂いた箇所ですが、最終的な製品原価を計算する方法についてまとめたものです。製品原価の計算には、
の2点があるという点までは、認識は一致するかと存じます。ご指摘の内容は、『語の使い方』として『原価標準に生産量を掛けて標準原価を求める』作業を『標準原価計算』と言ってしまうところに疑問を抱かれているものかと思います。この辺りの語の用法は、文献や一般的な企業でも結構まちまちなところがあって、いつも現場でも苦労するポイントの1つです。。。例えば、多くの文献では、
は別物である!という記載がありますが、原価標準という語は基準の中には無かったかと思います。また、ご指摘頂いた
という意味の話、一連の標準原価による会計処理であれば、基準の中の語を使うと『標準原価計算』ではなく『標準原価計算制度』といったほうがいいような気がします。とはいえ、一番一般的な使い方としては、『原価標準の策定』を指して、標準原価計算と言っているような気もしなくも有りません。一般的な用法よりも正確な記載があれば、なるべくそちらに合わせたいのですが、はっきり決まった言い方も無いような気がします。一番良く見かけるのは、こういった書き方でしょうか。
http://kanauka.com/kakomon/ap/h22a/image/aph22a076.jpg
標準原価計算から標準原価の計算に書き換えるか・・・。うーむ。。。
実務上、使ったことはありませんが、存在自体は知っていますよw 確か、イクラとサケ、ナフサとガソリンとか、そういった例で学んだ記憶がありますねえ。実際に使ったことは無いので、ちょっと記憶が薄れておりますが、
といった際に、収益獲得能力で発生費用を按分せよ、とかいう話でしたっけ?(うろ覚え)文章の意図は、まさにご指摘頂いた『原価計算基準19、20』に『連産品』が入っていなかったので、ここを見ながら書き写したとも思えないので、敢えて意図的に入れたのかな?とすると、何かどこかで使っている連産品とは別の用語なのかしら?と思った次第です。多分、誤記ではあると思うのですが・・・。
なお原価計算基準は、今もファイリングしてデスクの上においております。直接参照することは殆ど無いのですが、短い中によくまとめたものですよね。自由度が高い分野ではありますが、その分、実務では色々と各社各様で面白いのが原価ですね。
Redundancy 冗長性。
狭義的には建造物や機械類・システムの設計における余裕を指し、その対象物に想定される負荷、および、要求される性能に対し、
通常は構造破壊につながるリスクを低減させ、また、一部が破損したり機能を停止した状態でも、その機能をある程度保持するために
設けられる。
「沈没したタイタニック号の鋼板はその応力に対する脆弱性という点においてリダンダンシーがなさすぎた」のように使う。
広義的には、肯定的な意味における「遊び」や「余裕」「余地」を指す。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%EA%A5%C0%A5%F3%A5%C0%A5%F3%A5%B7%A1%BC