はてなキーワード: 完璧主義とは
僕は完璧主義者です。
完璧主義者には「何かに挑戦するときは高い目標を掲げ、結果と目標の差を埋めようとするタイプ」と
「何かに挑戦するときは堅実な目標を掲げ、それを100%クリアすることを望むタイプ」がいます。
両者は似て非なるもので、前者が高い目標をとことん目指すのに対し、
後者は低い目標を完璧にクリアはしますが、それだけで満足してしまうのです。
ちなみに、僕は後者です。
それだけでも十分ダメだしクズだなと思うのですが、さらに僕はマイナス思考の持ち主でもあります。
これは最悪の組み合わせです。
失敗のイメージしか思い浮かばず、できない理由はあふれるように出てくるのに
結果として目標を限りなく低く設定するか、最悪の場合何もしないで終わるのです。
だいぶいい年になりましたが、自分の人生を振り返って、何かに挑戦してきたか?と考えると、何もありません。
苦手なことからはすべて逃げてきたのです。
できることしかやってきませんでした。
きっとこれからもそうなのでしょう。
また、これらと関連して、僕は嘘をつくのが苦手です。
できると思っていないことをできると言い切れません。
僕「成功するかは保証しかねますが、上司さんが責任を取るとおっしゃるならがんばります」
僕「君を幸せにできるかはわからないけど、そうなるように努力するから結婚してほしい」
(当時の)彼女「はぁ?」
というようなことは何度もありました。
ダメな「完璧主義者」の僕は、目標を限りなく低く設定することでストレスを軽くしようとしているのだと思います。
結果は100点ではなかったけど、当初の目標はクリアしたからOKだよね、的な。
できると言い切れよと言われるでしょうし、実際何度も注意されてきましたが、どうしても断言できないのです。
僕ごときが何かを成し遂げることなんてあるだろうかと思いますし、
できないと思っていることを「できる」などといった日には、
内なる自分が「お前になどできるはずがない」と毎日毎時間毎秒言われ続けるんですから。
誰しもが何らかのストレスを抱えているのかもしれません。
でも僕には、その負荷は耐えきれないのです。
思考矯正しようと、何度もポジティブシンキングに努めました。
ふと気が付くと、いつものようにマイナスの考えしか浮かんでこない自分がいるのです。
「完璧主義者」の僕は、そのたびに目標を達成できなかった敗北感や劣等感、虚無感など
今では、挑戦しようとすらしなくなりました。
それでも、今からでは遅いのかもしれませんが、できることなら変わってみたいです。
僕に何ができるのでしょう。
僕は何をしたらいいのでしょう。
苦手なことはたくさんありますが、生きることが一番苦手なんだと思っています。
余談。
「自分が自分を好きにならなきゃ、誰も君のことを好きになってくれない」
「自分で自分を好きになれないやつは、誰からも好かれない」と言っているわけで、
マイナス思考の人を崖から突き落とすような、プラス思考の人から見た一方的な意見だなと思います。
「マイナス思考なところはあるけど、私は君のここが好きだ」と言ってほしいわけで。
https://twitter.com/Morgenthau0217/status/521845540087021569
「正義」と言うと胡散臭く感じたり、他の正義との対立の火種と捉える人も多いでしょうね。でも欧米系の政治哲学では、正義はどちらかと言うと「公正」のニュアンスに近いの。日本のアニメなんかに出てくる「正義の味方」って「善」のニュアンスに近いでしょ。哲学用語の正義は、善とは異なる概念なの。
Fateの主人公の衛宮士郎は、モロにこのツイートにあてはまる「正義の味方」になりたいというキャラ。
主人公なんて大抵いい人でいいことをするから正義の味方なんだけど、Fateは特に正義の味方ということにこだわった作品で、士郎は命がけで聖杯戦争を戦う中で正義の味方になろうとして苦悩する。だから、特に日本のアニメなんかに出てくる正義の味方の概念を考えるのにいいと思う。
そしてFateと対比するのにいいのがタイトルに書いたけどレイシストをしばき隊。こちらはフィクションじゃなくて現実の日本に存在する組織だ。
しばき隊のリーダーの野間易通(kdxn)は自分でしばき隊のコンセプトを細かく説明している。読むとこれがね、国際政治学たんの言うところの欧米系政治哲学での正義であることがよくわかる。ジョン・ロールズの影響を語っているので間違いないだろう。
http://kdxn.tumblr.com/post/81061752924
リンク先。kdxnにとっての正義というのは弱者を守ることではないと説明されている。むしろそういう考えを批判どころか否定するのが大切なんだとされている。日本のアニメのファンとしてはけっこうおどろくよね? 俺もおどろいた。Fateの士郎の考える正義は困っている人を助けるとか死にそうな人を助けるとかいうことだ。みんなそう思っているはず。なのでFateが真っ向から全否定されているようなものだ。Fateの物語の中で士郎は正義の味方であることにこだわりすぎて自家中毒になってアイデンティティクライシスに陥っちゃう。士郎の父親の切嗣も同じだ。kdxnはツイッターでくりかえし完璧な正義へのこだわりを批判している。それはもちろんFateとは関係ないんだけど無理やり読めばFate批判みたいにも読める。
しばき隊対批判派で争いがあってその結果は言葉の議論だけだと結局納得しない人が多いだろうけどしばき隊は相当話題になってテレビに出たりした。現実問題しばき隊が勝ったといっちゃっていい。政治は結果がすべてだからね。
しばき隊は現実の日本で自分たちの考える正義概念を実践してアピールしてみせた。すごすぎでしょ。もう正義なんてとっくに古くなって無理だとみんな思ってたのにw ここでFateは現実に負けた。
しばき隊は注目を集めた短期的な成功だけじゃなくて長期的にもFateに勝っている。士郎みたいに「「正義の味方」とはなんだ~?」と悩まない仕組みになっている。正義を追求しているのは同じでも正義の概念が違う。
しばき隊は弱者のためではなく社会のために行動するので弱者に対して思い入れすぎない。完璧な正義ではなくて比較的な正義を求めるので完璧主義で悩まなくてもすむ。多数を助けるか少数を助けるかなんてのはくだらない。助けるためじゃなくて社会の公正さのために戦うらしい。ヤバイ。
士郎的な正義は実は正義じゃなくて善なのよね。困っている人を助けることは正義と関係がない。慎二みたいなクソ野郎はしばき隊は助けるわけがなく罵倒するんだろう。
つまりぶっちゃけて言うと士郎は正義を理解してないから正義の味方なんてくだらないことで悩んじゃうのである。
正義は自分を犠牲にして化け物と戦うことより、「ヘイトスピーチをやめろ」と言うことなんだ。これに納得しない人(俺も半分はそうw)でも主張の強さは認めないといけない。
アニメやゲームもこれからしばき隊的正義を扱わないと現実に負けちゃうだろう。それじゃ存在価値ないしねw 現実もフィクションも面白がらせてほしいw
能力の無いことに文句をいう人は多いが、完璧な人間なら文句がないかというとそうでもない。
完璧というのは、完璧主義とかいう意味ではなく、文字通り完璧なのだ。
仕事もそつなくこなすし、収入も良い。庭付き一戸建てだって買った。
そんな俺だが、なんだか最近疲れてきた。
自分を演じることに疲れたとか、そういうチンケなものではない。
なにかこう、張り合いがないというか、なんとも筆舌に尽くしがたい。
生きていることが楽しくないわけではない。
ただ、こう、なんだか疲れを感じるんだ。
趣味がないわけではない。
いっぱしの趣味気取りなことはやっているし、庭をいじるのだって楽しい。
何が足りてないんだろうなあ。俺には。
大学中退で職歴無しで世間知らずの私が初めてアルバイトをしてみた話。
・どれくらい世間知らずであるかについて(ここから読みとばし推奨)
小1までは呉に住んでた。近くに住んでた女の子と毎日一緒に学校に行ってたと思う。
小2の時は大阪市に引っ越し。転入生は私以外に2人いて一人は中国から来た女の子で、もう一人はアメリカから来た男の子。
この女の子はおんぶしてもらったりとかしてもらったことがあったけど周りの大阪の子は男女がおかしい!みたいな目をしてたと思うけど当時の私は、なにがおかしいのかなぁって感じていたと思う。
またこの男の子の方は私と一番仲良くなった人であったが、その後中学受験塾の公開テスト総合1位を連発してN中トップ合格している。
彼の存在は小学生の私の中では比較する対象としてすごく存在感のあった存在であったと思う。
小3でも無駄に大阪市内で転校した。当時も少子化が言われる中であったが3番目の小学校は1学年156人いた。
私は中学受験塾に通うようになって、塾で算数は1位で国語はビリをくりかえした。
その小学校からは大阪星光に合格した人が8人いて(うち4人が進学)東大寺に3人が合格してて他は省略。公立の小学校から3人以上が同じ私立の中高一貫に行くのはうちの小学校だけかと思う(すごくどうでもいい話をした)
中学デビューとか無理だよって話にしようかと思ったけど元々中学受験で一緒だった人が大量にいるので関係なかった。
その後いろいろあって、中学で学年ビリで追い出されて高校を受験して兵庫の高校。
兵庫の高校で学年ビリのまま3年で追い出されて、1年間の空白の後に東京の工業大学入ったけどそのまま学年ビリを6年続けてやっと中退した。
大学を卒業して、いい環境で育ったんだねと思われるのだけは嫌だしそんなの耐えられないので、すごくめでたいと思っています。
大学進学率は知識としては100%ではないことくらい知っていますが、自分の周りだけで言えば100%なので、大卒ではないという世界を全く知らない。
親は医師であり、親子関係は死んでいるが経済的な繋がりだけはあって、スーツ等も含め、私は未だに自分で服を買ったことがない。
私が初めてはてなダイアリーを見てたのは同世代の情報オリンピックに出てた麻布の人とかの日記でした。
学歴が全く関係のないアルバイトとは一生無縁の人も世の中には存在するわけで、経済的環境だけで言えばそういう環境にいた。
でも、親ではなくてお手伝いさんとかに育てられる方がまだましだと思う。
親は子どもと全くコミュニケーションできていないのに、親はそう思ってない状態が一番子供を苦しめるのだ。
ずっと親を殺すか殺さないかの状態だった私の中学時代はなんだったのか。
理不尽な扱いを受け、涙まみれにしたチラシの裏紙は何枚生産しただろうか……。
たまたま殺さなかっただけなのに。東大寺の子は親を殺したけど、私はたまたま殺さなかったってだけの未来なのだ。マンションだし。
(読みとばしここまで)
私は親との会話が死んでいると思っているけど、親はそうは思っていないので、そういう。
会話は相手の認識を信用できないと成り立たないのだけど、一切認識が信用できない関係である。認識が違うのがつらい。住んでる世界も言語も違う
私であれば私に投資するのであれば小学生の時から呼吸つらいって体が言ってるので病院につれていくけど、
困ったことに中学生の時に私が殺したいと思ってた親は医者なのだ。面白い。
親がなんでそれで満足できるのか全く理解できないけど、親が満足なのであれば子供としては親の満足に従うように体ができてるというか。
私も小学生に算数教えたいだとかは言ってはいるが、だいたい否定されるので(絶対やりたいわけでもないしそれ以上は言わない)
(また増田に何度か書いたものは親に送ったメールなのだけど、何が言いたいの?って反応しか得られないので信じられない)
(自分が親だったら子供が考えてることを知りたいと思うのだけど、なんで全く興味がないの?信じられない。ただそれだけなのだけど。)
(子供なんて親のおもちゃなんでしょ。大学卒業したらそれで満足だったんでしょ。私がずっと親を殺したいと思ってたことくらい知ってるでしょ?なんで親はまだ生きていられるの?)
よく新聞とかに入ってる求人情報誌から適当に選ぶ。別にどれでもいいよ。どれでもいいでしょ。
・面接
学歴不問であったし、奴隷ロボットのように働きますという振る舞いをすれば落とす理由がないよね。
応募した時間帯は昼~夜であったが、深夜で間違いありませんか、と聞いてきたのでそこだけは否定した(ちゃんと否定できるかを見たかったのだと解釈している)
あとははいはいはいはいって言うだけだった。志望理由も、働く必要があるため、程度にした。そんなにアピールする必要もないであろう。
不採用にした方がお互いにとって幸せだったと思うし、採用は誰も幸せにならないようにも思うけど。
最後に軽いテストがあって、紙に数字がバラバラに印刷されていて、1から順番に○をつけていって制限時間以内にどれだけできるか、で著しく適性のない人を落とす理由にするためのものであると思うが、数字の数はそんなに多くなくて、順番無視して全部○をつけようかなとも思ったりはしたけど、全部○ついてたところで特に誰も幸せにならないのでふつうにやった。
(私から面接官の手元が見えないように机の上についたてがあったので、面接官からも私の手元は見えない)
・研修
業務上横領、郵便法違反等の犯罪をしたら一生後悔しますよとかのビデオを長々と見させられたりする。
4時間やってて4時間後にテストやって丸付け。問題文読めば○つけて下さいか×をつけて下さいってはじめから書いてあるようなやつ。
信書の秘密は退社後もだけど「これひっかかったひといるでしょ」→ひっかかるとかいうレベルじゃないと思うのだけど、なんで手を挙げている人が複数人いたのか全く理解したくない。
自分は最前列に座りながらも寝不足でずっとあくび連発しててあまり後ろ覚えてないけど。
解釈はするもので、テストとかいう問題作成者とのコミュニケーションに慣れているか慣れていないかの環境の違いだと思うけども。
・仕事を通して思ったこと。
まず所属はゆうパック。私個人に関して言えば使ったことがないのだけど、全国にある郵便局で30キロ以下の荷物が集められる。小さな郵便局で集まられたものは大きなところに集めて、そこで100通りくらいに区分して全国に配る。一番大きなハブは新東京郵便局と新大阪郵便局で、全国に飛ばすのは100通りくらいあって、もちろん東京にも大阪にもその地域に配るものもあって。
人間が犯罪を犯すかは確率で、人それぞれ固有の状態にある。その視点で研修は行われる。
防げない人は防げないが、防げる可能性のある人は防ぐのが狙いなのである。
私自身は研修は暇であるわけだが、会社が作り上げてきた儀式の意義は積極的に賛成である。
誤送を防ぐためにいちいちハンコを押している。基本的に目に入る物すべてに対して、それまでの歴史は分かるのである。
ただ私に関して言えばハンコ押すのは時間と体力の無駄使いである。
私は完璧主義者であり、完璧主義者というのはだいたいミスを極端に嫌がり慎重で丁寧にしか作業ができないので。
区分機にかけることができる荷物と区分機にかけられない荷物があったりする。
区分機によって分けられ、専用シュートにたまった荷物の場合、シュートの中で荷物の軽い整理をして、
シュートからロールパレットに美しく積み込む人と別々の二人用意した方が早そう。
というか、人間があって方法論があるわけで、方法論があってから人間があるわけではないアレでして
センスのないであろう人間の集まりの方法論だなぁとは思うのであるが、無駄が多いと言うか
何を効率的だと思うかが人によって違う。
もし自分が分身したとしたらこうやるし、もし自分が奴隷を雇うならこうやるし、というのがそれぞれの人の頭の中にあって。
忙しそうにすることが正義なのではない。無駄で美しくないことはしたくないのだ。
専用シュートからロールパレットに直接荷物を積み込めおじさんもいたけど、どんな種類の荷物が何個来るのかとかわかんないし、ロールパレットに積んでから美しく整理し直す方が美しくないでしょ。美しくない人間嫌い。
そしてこんなの人間のやる仕事じゃないのだ。将来的にロボットがすべてやるであろう。
なんでこんな仕事をわざわざしようと思ったのかそこにいる人たち全員に聞いて回ってやりたい
投げやりになったので後でまたもう一回書きなおそう。
銀の匙読んでたら、自分でやってみたいこといろいろ調べて人に聞いてとにかくやっていく、という描写が多くて、
自分はそれがなかなかできないなあとやや凹む。
八軒たちみんなキラキラしててなんか、自分もなんかやってみたいって気持ちにもなるんだけどね。
社会人にもなって、自分の判断でどこまでやっていいか、の勝手をなかなかつかめない。
いちいち責任を取りたくないのか許可を求めたくなる。
教官とイチャイチャしたいけど恥ずかしくってできない!みたいなことをいうヒロイン郁ちゃん(26)に対して、
ルームメイトの柴崎が言っていたのは、親が「婚前になんてはしたない!」って口にしてたのを幼いころから聞いているから、
知らずしてその貞操観念が染み付いてる、いわば親の呪縛から解き放たれていない・・・って言ってたくだりがありまして。
自分が、責任を取りたくない、とか、人の許可をいちいち取りたくなるのも、「親の呪縛」かなあって思った。
多分なんかすぐ怒られるから、怒られないように、って機嫌とって行動してたんだろうなあ。
もしかしたら、「子供のくせに余計なこと言うな」みたいな発言をされてたのか(あんまり思い出せないけど)、
その絡みでトラウマがあるのかもしれないし。
家庭内では、ビクビクしていたわけではなく、割とお調子者キャラで、気分屋でわがままって感じのキャラだった。
上の兄弟と父母がよくギャーギャー喧嘩してた時に空気の悪さを感じていたから、道化役を担っていたのだ(と今振り返ると思う)。
そんで、その道化ってのはその時のキャラであって、親から離れた時には切り替えて手放さなくちゃいけないってのを忘れていたんだろーなー
それって親や家庭内の空気に対する顔色伺いありきのスキルじゃん。結局自分で判断しないやつじゃん。
多分家族の中にずっと居てずっとそのキャラしていれば、慣れてて楽だったし、
結局自分の判断っていっても甘い両親が慰めてくれる、っていう魂胆もあったろう。
んで、職場にいるのにまだお父さんに怒られたらどうしよう、という恐怖を抱え込んでて、
お父さんなんて居やしないのに行動しなくて、
「あ、この人にお茶出したほうがいいのかな・・・でも余計なことして怒られたらどうしよう」
で、一人問答して、そのうちに 「新人はお茶も出せないのか」 という結論になってしまう。
お茶の件は喩え話ですけど。
要は、入れたほうがいいんだろうなーでも勇気が出ないなーって思ってる自分が悔しい。
その通り行動したらきっと褒めてもらったろうに、って。
あーーーーーまた褒めてもらいたいとか顔色伺ってる。
ここでがっかりされたくない、ってのは諦めるべき執着かなあ・・・・
また、たまに突っ走っちゃって間違いを起こすとそれがすごい怖い。
完璧主義気味。
私はちゃんとしていない。
昔から完璧主義で認知が歪みまくっており、とあるきっかけから自殺しかねないような状態になった。
そのときは本当に周りに迷惑をかけたし、自分でも恐ろしかったので、思い切って色々諦めることにした。
鬱の人間がゴタゴタするより少し暗い人間がのんびり暮らしているほうがいいのではないか。
そうして今はなんとか必要最低限働いて生きている。
贅沢は出来ないし我慢することは多いが、前より随分楽な気持ちでいられるため幸せである。
だけれど、(誰でもあることだろうけど)
「他人と比べて自分はまともか?」と考えると不安な気持ちにはなる。
わたしの中で「まとも」というのは、収入や生活レベルが安定しており、
その点私はまともではないと思う。
他人からは「この人はどうやって生きているんだろう」と思われているはずだ。
友人と会うと「どのくらい働いているの?」などと聞かれることは多いし、
自分でもこの程度で生きていけるのかと不思議なくらいだ。恵まれていると思う。
「この人はどうやって生きているんだろう」と思われても、死にたくないのが一番だ。
親は教育熱心なひとで、物心ついたときから近所の公立図書館に連れられて育った。
一方、実質母子家庭のような家庭環境で、そこまで裕福でもなかったうえに、完璧主義者の母親であったので、自分でお小遣いをもらって好きなものを買うという環境でもなかった。
母については、わたしたちのために苦労してきたのだなと申し訳なく思うし他にも色々思うところはあるのだけれども、それは本題ではないのでここには書かない。
とにかく、娯楽のない状況だったので、図書館で本を借りるか、サンテレビの野球中継を見るかくらいしかお金のかからない趣味はなかった。友達に漫画を貸してもらったりもしたけれども。正直、そのことをさして不満にも思わなかった。
(我が家にお小遣い制度というものはなく、欲しいものがあればその都度申告して買ってもらうという方式だった。本だけは何も文句を言われなかった。ありがたいことだと思うけれども、正直この制度は欠点も多いなと思っていて、わたしは今でも本なら自分で選んで買うことができるのに、服を自分で選ぶことができない。いつかお金持ちになったら、ドンキでいいなと思った雑貨を罪悪感を抱くことなく好きなだけ買いたい)
持てる限りの記憶力をハリー・ポッターの登場人物のプロフィールと呪文の暗記に注ぎ込んだ小学時代。はやみねかおるも好きで、小学6年生のとき図書室で『踊る夜光怪人』を見つけて、この世にこんな面白い本があるんだと思った。
中学生のころに森博嗣を好きになり、京極夏彦や西尾維新を夢中になって読んだ。今思えば、お前森博嗣とか大してよくわかりもしないまま読んでただろという感じだし、今でもだいぶわかってないと思うんだけどさ。荻原規子も茅田砂胡も乙一も島田荘司も恩田陸も読んだ。辻村深月が大好きだった。とにかく、中学高校時代と、講談社ノベルスに関わりのありそうな本はたいがい手を出した。近所の公民館でパソコンスペースがあったので、時間があるときにはハリポタやダレン・シャンのイラストや考察サイトをめぐって過ごした。
高校生の頃『活字倶楽部』という雑誌をたまたま見つけ、そこで『銀河英雄伝説』という小説があることを知った。当時は絶版だったので、近所の図書館の地下書庫から出してもらって一気読みした。そのままの勢いで友人に「とにかく、最初の20ページは飛ばしてもいいから読め! 2巻までは読め!」とすすめた。銀英伝が好きすぎて、その夏にすくってきた金魚すくいの金魚たちに提督たちの名前をつけた。
「おかあさん、ヤンが死んでる!」
ちなみに銀英伝ではないが「巽」と名づけた金魚もすぐに死んでしまった。今の実家では、フリッツとオスカーとアーダルベルトだけが生きているんだけれども、どの金魚もそろそろ寿命という感じだ。
進学させてもらって、大学生になってからはもう少し色々読んだ。
際立った傑作というのはない気がするんだけれども、カポーティが一番好きだ(正直『冷血』は好きじゃないしもっと彼らしい作品があるだろうと思う。ちくまから出ている短篇集がいちばん好き)。サリンジャーも好きだし、4月に亡くなってしまったけれどアリステア・マクラウドという作家がもっと知られたら良いのにと思う。
3年ほど前、人生で読める本は限られているなということに気付いて、それからは注意深く本を選ぶことにしている。最近好きなのは皆川博子と津村記久子とコナン・ドイルだけど、だから何だというわけでもない。
そんなわたしも、四捨五入してもう30という年になってしまった。
好みのタイプは?という話題になり「本が好きで穏やかで裏表があんまない誠実なひとがいいな」と答えたら「聖☆おにいさんのブッダでいいんじゃね?」と返され、
「ルーピンは現実にいねーんだよ」と別の友人に説教され、正直今に至るまで毎日小説のことばっかり考えてて自分あたまおかしいんじゃないかなって思う。
これはただの、本を読むくらいしか趣味のなかった女の回想みたいなもので、なんのオチがあるわけでもない。
ただ、わたしは毎日ばかみたいに小説のこと――主に、その登場人物のことばかり考えながら生きている。
腐った妄想をしているわけでもなく、『白鳥異伝』の菅流かっこいいよなあ、とか考えながら生きている。
ハリー・ポッターの本命キャラが殺されたことを未だにねちねち言う。
島田荘司の作風の変化を残念に思い、既刊を全部読むのが勿体無くて法月綸太郎をちびちびと読む。
ちなみに、こんな感じの人間だったので、高校途中まではオタク仲間とつるんでいたんだけれども、一番好きなジャンルが違ったので在学中から疎遠になった。同じように本が好きな友人が1、2人いるので、彼女たちとは今でもよく話す。それは幸福なことだと思う。正直、他にも同じような本の趣味をしている同級生はいたし、当時はよくその話をした。ただ、彼女たちがわたしと同じように、未だに毎日現実かそれより重いレベルで小説の登場人物について考えているとは到底思えないので、積極的に連絡をとろうとは思わないし、話題が切り出せない。自意識過剰なんだろうけど、そんなふうに、未だに地に足を十分つけるわけでもなくふらふらしている自分をときどき怖く思う。
ジャンルを変えればどこにでもごろごろしている話なんだとはわかっている。長い上に固有名詞がだらだら出てきていやみったらしいのはわかっている。
追記:
ブコメありがとうございます。正直コメントがついたとしても「キャラ読みしかしてない腐女子」的なことしか言われないかなと思っていたので、共感してくださる方がいてびっくりしています。本当に、子どもに本ばっかり読ませても、子どもの性格によっちゃ、いつまでもこんな感じで現実に地に足つかない感じになる可能性もあるわけで、何事もほどほどが一番だと思います。黒出目金のジークフリードは早いうちに昇天し、コメットのフリッツは年をとってだいぶ動きが緩慢になってきました。
この世代のオタクの女の子には、アニメではなく講談社ノベルスや電撃、角川某レーベル系の文庫本、その他とにかく面白そうな小説を読んで、感想をお互いに共有しながら育ってきた子がいるのだということを少しでも知っていただけるとうれしいです。ミステリ界隈ではキャラ萌えだろうとよく批判されますが、みんな各々好きな読み方をして、好きな作家の新刊は未だに追いながらも、各々それなりに幅広く読んでいる感じです。今でも。すいませんだらだらと。
伝えたいことが伝わる気がしないとしか思えない経験と関係があって なので電話だと何も発声する気にならなくて(たぶん今更な話だとは思うのだけど) 何から書けばいいのかわからないけど、思いついた言葉からつらつらと書いていきたい 絶望的な気持ちはあるけど、誰にも安易に理解してほしくないし安易に同意されたくもない 自分にできることは他人にできないし、同じ人種だとは思いたくないし思われたくもない。そう思うしかなかった どうしても守りたかったものがあって、それの信憑性がどんどん薄れていく悪夢しか感じない。嘘じゃないのに。守ってきた潔癖さを維持できない。なんのために守ってきたのかがわかんない。 自分が人間として生きる目的は、人間として自分が感じるものを大切にすることだった。感じるものを否定してまで生きる意味がわからない。 価値観は人それぞれ。 価値観の違いだと認識する物事もあれば、価値観の違いだとは認識するわけにはいかない物事だってあるはず。 価値観の差異を包括するレベルでの価値観の差異はどうにかしてほしい。 生きた環境によって価値観が生まれてて、それはいいのだけど、なんで現実主義者は存在するものを否定するのかがわかんない。ぐるぐる 自分の価値観において、日々の選択肢があるのだけど、すべてを聞いてくれるのならすべて説明してやりたいけど。 価値観形成のお話とか本音の話とかしたいなっておもうけど、信頼できる相手がいない。 自分に自信ある点ではたぶん幸せなんだけど、世の中の価値観と全く次元が違うのでつらさしかない 価値観は人それぞれだけど、皮肉でそれを言いたくないよね。人には意図があって、会話である。人間を人間だと信じてて何が悪い(皮肉) 不愉快に感じていることの表明行為には意図があり、様々な議論の余地が別にあるけれど、不愉快に感じる事象に関しては存在する事象と価値観 勝手に人間であることを放棄しないでほしい。悲しい。 自分で自分(の認識空間)に満足しているから誰よりも幸せ。自分は自分を尊敬しているし、生まれ変わっても自分になりたいし、そう言えるように生きた。 人間は退化しかしない。昔は人間を人間だと信じていて、感じていたはずなのに、みんなそれを捨てていく。 自分自身が世界に存在できる価値観を人は持ち、価値観を守るために、人はみな日々の選択肢を選び、一生懸命に生きている。 価値観が極めて偏っている自分だけど、数年前のネット上の振る舞いや表現内容よりは現在の方が、より他人には近づいているものであると思う 伝えたいことを言葉にできない。小学生の時からいろんな考え事と努力があって、取り戻したい気持ちがあって、未だにこんな話しかできない現状があって またふつうの人は自分の人生に興味があって、現実的なことを考えると思うけど 自分にはそういうのを放棄せざるを得なかったことがあって、自分が自分ではないような自分の人生には興味がなくて、 たぶん何言ってるのかわかんないだろうと思うけど、この点でまず生きていける気がしないよねって思う話もあったりして。 他人が使った言葉がとことん嫌いであり、わざと違う言葉を作ってきたのが実際なのだけど。 小学生の時に将来の夢とか書かされたけども、純粋にそれの言葉の意味がよくわからなかった。 けど、今なら当時の夢という言葉の意味は少しわかって、それでなんだったのかというと、 自分の心からの完璧主義思想と美意識と価値観と信念と、自分の伝説を理解されたいだけの人生 それは小学生の時の思いで、具体的な自己表現にはいろんな自己表現があると思うのだけど。 人間を人間だと信じてるけど、誰にも理解されないのは生きてる意味を感じなくて。 生きてる意味を感じないのに生きろとか無責任に言わないでほしい。 例えばまず日本語がさっぱり分からないので、使えたらいいなとか思ったりするわけ。 でもそんなこととか言いにくかったりするし。
結構深夜まで働いてるツイート見かけたり、土日も仕事してて忙しいアピールしてくる人いるんだけど、真面目な話、一ヶ月以上深夜遅くまで働いて、休日も仕事して、それでも終わらない仕事抱えてるならそれは
どれかだと思う。
それぞれ事情はあるんだろうけど、チームが壊滅的に終わってるなら、ツイートしたり忙しいアピールとかしてる場合じゃなくて、早めに転職活動するか別チームに異動した方が自身の健康のためだと思う。自分を守るためにその職場を離れなくてはいつか仕事に殺される。「俺がいなくなったらこのチーム持たないわ」みたいに思っているなら、それは完全にジョブオナニー。
仕事で一人でがんばってる感出したいだけだろお前。大体の仕事は人が交換可能だし、そうじゃない状態なら悪いこと言わないから早く会社辞めて別な仕事に行った方がいい。
完璧主義すぎるのは、どう考えても害悪。人は完璧じゃないし、完璧を追い求めて深夜まで居てほしいと誰も頼んでない。それをした結果朝早く来れなかったり、体調崩したりするくらいなら早く帰って休むべき。「あー、俺完璧なことしたわ」みたいな自己満足いらない。完全にそれはジョブオナニー。
誰もお前に完璧な仕事求めてない。60点とか70点の仕事でもいいから健康で居たほうがよっぽどチームのため。
遅くまで仕事してる俺かっこいいって思ってるなら、単なるアホ。ナルシストも大概にしろ。
大体社会人二年目くらいにかかる病気だから社二病って呼んでるけど、自分で自分に酔ってジョブオナニーとか最悪だわ。こういう人は会社の金を無断で搾取している奴だから
どう考えても頭悪いので早めに治した方がいい。
誰もお前のことかっこいいとか思ってない。早めに治せ、その社二病。そんでどうせ上司が仕事しないとか管巻くんだろ?上司からすれば早く帰らねーめんどくせーっていうだけだお前の行動。
何かプレッシャーや攻撃などの圧迫感を感じると、必要以上に積極的になったり言い返したり攻撃的になったりする癖があり、困難に立ち向かう俺はカッコいいと自分に酔っていた。
昔から田舎の体育会系の社会でしごかれていたので、いつの間にか困難に対して耐えたり立ち向かわないといけないと思い込む癖ができてしまっていたのかもしれない。
不安を感じやすく、何か突っ込まれたりちょっとでもダメ出しをされると急に不安を感じ、必要以上に言い返したり正しさを主張してしまっていた。ある種悪い意味での完璧主義なのかもしれない。
俺は周りの人間にとっては神経質、怒りっぽい、ウザい奴、扱いづらい奴だった。
誰かに嫌われたとしても、この人だけは何があっても自分を好いていてくれる、っていう存在が居るとそれだけで立ち直れるよな。
それは親だったり友達だったりパートナーだったりするんだけど。そういう人がいると嫌われるかもしれないギリギリのアプローチもできる。
逆に言えばそれがいない人ってどんどん性格が内向きに歪んでいく。その歪みによってまた嫌われたりするもんだからさらに歪んでいく。この負の連鎖を止めてくれる存在が居ないからもう歯止めが効かない。
学校や社内で孤立したり結局引きこもりになるのもこういう人達なのかな。存在を全肯定してくれる人がいないし、作れない。なので他人を全肯定する事も無い。
利己的で他罰的で完璧主義なのに受け身なので常に人を疲弊させる。こういう人が親だったり教師だったりするとホントに疲れる。
昔よくいたよな、凄くヒステリックで罰を与えたがる独身女教師。結婚して子供が出来ると途端に性格が温和に豹変して生徒に謝ったりもするんだけど。
さまざまな要素の結果として導きだされた生活水準にて、生活しております。 (呼吸がだるかったり、髪の毛を掻きむしったり、吐き気が止まらない等の現象も適度にはあります) 日々の選択肢には、すべて理由が存在すると思っております。 存在するものを存在しないものとして認識できるのが現実主義者のようですが 私は、たしかに存在する意識(等)を存在しないものだとはできないのであります。 「人間を求めて、理想主義と言えるために生きた。」のが私の人生でありました。 アリスの刺というドラマが先日終わりました。(もし視聴していなければ適当に検索して下さい) 黒幕に対し主人公のとった行動を見て、私は作品の意図をこう感じました。 「人間は人間を人間だと信じることしかできない」 (どの場面を見て、見た人が何を感じることができるのかは様々だと思いますが) 私も同じで、人間は人間を人間だと信じることしかできない、というある意味では無力でもある思いがあります。 信頼のできる人が気持ちを込めて素敵なことを表現した場合、私は幸せな気持ちになります。 しかし信頼のできない人が何かを言っても、無駄にしかならない事象は存在するよね、と思います。 さて、私は親と会話なんてしたことがないと表現することがよくあります。表現は本質ではなくて、意図が本質ですが。 私の人生は小学生のときから時間はとまっています。 今でもたくさんの場面を深く覚えています。例えば、算数。 受験数学を初見で解けてしまうのは、小学生時代の努力の結果のようです。 それは授業中に、先生が答えを答える前に、自分の頭の中で答える。 これが実は予習効果のある習慣だったようで、私は授業中以外では勉強したことがありません。 また問題は解けるまで諦めたこともなく、テストでは前半の問題は全て正解、後半の問題はすべて時間切れ という変人スタイルを貫いてしまいました。問題を飛ばす行為は私のプライドが最後まで許しませんでした。 テスト中に時間配分を考える?最後まで意味が理解できませんでした。(表面上は分かるが体が理解できない) 私の数学に対する価値観は、誤答を解答として提出したのであれば死刑にすべきだ、という価値観を持ってました。 解答に自信がなければ、それは解答ではないです。当たり前だ。 (数学の式という形の言語に限らず、表現は意図そのものが意図そのもので本質です。) 計算ミスに関しても誤答を解答として提出すれば、頭の中の世界が崩壊すると思い私の体には受け入れがたい。 私は重度の鼻炎持ちだったりして、呼吸が苦手です。時間が足りないのはそれが大きな原因なのです。 時間が足りないのであれば、出題校側が私との会話(試験の意)をしたくないと受け取るしかないというか、そういう現実があります。 誤解のないように書いておきますが、学力検査試験の多くは、潜在能力化された素敵な能力だけを求めているわけではなく 繰り返し作業等によって、(成功率8割の)機械のように訓練された努力等を同時に求めております。 しかしです。私自身が、潜在能力化された部分に、訓練する環境が伴っていれば、それはそれは何も問題なかったわけです。 入試で満点。それは人類にとって理想的であり幸せなこと。そういうことなのです。 他にもいろんな場面が思い出しますが、 私の尊敬するのは私です。私はそう言えるように、美しく生きる努力を心の中でたった一人でずっとしてきてしまいました。 親は私の考えていることなど、小学生のときから全く知りません。 もちろん言いたいことは無限にあるでしょうと思っていますよ。 そして同じように完璧主義者がどれだけ命を使って完璧主義を貫いているのか。 そして、私は親が人間であると信じることしか、結論が出せませんでした。 (ちょっと表現荒すぎるけど。。) 圧倒的に説明が足りませんが、親と私の関係は、そういう残酷な関係でした。 私は他人が使う言葉に拒否反応をたくさん感じてきました。なので表現がいつも苦しいです。 また、中学受験終了後からとんでもない日々が始まりました。 当時は表現が全くわかりませんでしたが、今から思うと虐待であったのではないかと認識しております。 親と私の関係に、信頼関係などあるわけがありません。私は許していない。心に深い傷が残っています。 私の中学時代、父親の在宅時間は父親に理不尽に殴られる日々であり 結果、親を殺すことを考える毎日でした。 でも私は不幸なことに、自分の過去を尊敬していた。なので殺せなかったのです。 毎日ベッドで泣いてました。 心を閉ざすしかありませんでした。 私は結局親を殺せなかった。 私には、人間を人間だと信じ続けることしかできませんでした。 親を殺したいと思って生きてきた過去は取り消せないんだ。ありのままの私を愛されたい。
コメント及びトラバありがとうございます。いろいろ教えていただいて本当に助かります!
買い物から帰ってきたら袋に調味料と肉を放り込んでモミモミ。日数分の袋を作って冷蔵庫にしまっておく。当日は焼くだけ。
クックパーの4辺を折り上げてその上で焼くとグリルもお皿も汚さないから楽。
焼いている間に
の中から何か作れば2品目完成。
余った分はタッパーに詰め込んで常備菜と言い張る。
レシピ中やたらジップロックを押してくるけど適当な代用品でOK。
揚げ物は油の後始末が大変。
でも意外と油を使わなくても揚げ物ができる。
要は、火が通りやすいように細かく切る or レンジ等で加熱して火を通しておく → フライパンに多めの油で焼く
仕事に出かける前にセットして、帰ってくると煮込み料理ができてる。
ガス代節約 + 時間の節約 (火を使わないので目を離しておける→煮ている間他のことができる)
あとは火から下ろしたお鍋にバスタオルを巻いて煮込み料理とかできるらしい。
だいたいの物が冷凍保存できる。
常備菜とか余った食材とか余ったおかずとか小分けに冷凍しておくと便利。
鍋よりも電子レンジを使う方が早いし楽だし栄養価も高いしで積極的に利用したい。
レンジで30秒。温玉or半熟卵 お好みのままに♪ レシピ・作り方 by sundisk*|楽天レシピ
生クリームとか卵黄とか気軽に言ってくれるなよぉぉぉ!って時に
[生クリームは「牛乳」+「溶かしバター」で代用できるらしい : ライフハッカー[日本版]
溶かしたバター1/3カップと牛乳3/4カップだそうですがこの割合、かなり適当でも大丈夫でした。
牛乳入れて多めにバター入れておけばOK。あとは味の好みで増やしたり減らしたり。
どう使えって言うんだ! と思いきやいろいろ使える
[ハンバーグを作る時、卵は卵黄だけですか? それとも卵白も一緒に入れるんでしょ... - Yahoo!知恵袋
サンマの塩焼きで品数が少なすぎると怒られた増田さんにトラバするつもりで書いてました。(私も新米で人ごととは思えず・・)
美味しいのにこんなに簡単でいいのかとびっくりした。混ぜるだけ。
鯛やさわらで作ると美味しい。家はトマトとニンニクをかなり多めに入れています。
ちょっと特別な日に鍋を囲んでワインとともにいただきます。締めでスパゲティをそのまま投入してゆでる(必要なら水を加えて)。
スープが麺に染み込んで美味しい。
他にもオススメを教えてください。
皆様どうもありがとうございます!ほんと助かります!
よく使う野菜をカットして冷凍→サッとスープ・野菜炒め・煮浸し・和え物などが作れます。※あな吉さんの『いちばんかんたんな、野菜フリージングの本』オススメー
冷凍野菜を作るときは一時間程度冷凍したら一回ばらばらにしないといざ解凍しようとしたときにものすごい塊になってるからそれだけは注意しましょう。
忙しい人やキッチンの狭い一人暮らしの人にこそ、中華蒸篭(セイロ)をお勧めします。5000円以下で買えるし、食生活が激変(充実)しますよ。
せいろが意外に便利で、使い方や手入れも簡単です。
保温調理器は煮詰まらないので濃縮効果が期待できず美味しくならない。圧力鍋も同じ。スロークッカーは濃縮するけど時間を間違えると焦げ付くし煮崩れるのでコツが必要。なんだかんだでル・クルーゼが最強だと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20140612135234
(後略)
圧力鍋スゴイ!欲しい! 鍋の説明のはずなのに読んでてよだれが出てくる。おかしい。
レシピ待ってました!ありがとう! うぉぉぉチャーシュー美味しそう。
兼業主婦には時間管理能力と脱完璧主義がより必要かも。作り置きは家族に好かれないメニューが多くてあんまり使えない。食材以外に種類と時間選べるレシピサーチ便利。 http://www.bh-recipe.jp/recipe/list.php
今日の料理ビギナーズおすすめ。基本以外にも作り置きレシピとか時短料理とかの特集多い。電書版あるし。何よりおばあちゃんかわいいし。
子持ち主婦には"レシピ付き食材宅配"じゃないかな。ヨシケイとか。いざという時の為に、栄養バランス考えてある冷凍弁当もオススメ。テンパってる時に色々できないって。常備菜作れる主婦はたぶん新米じゃないよ……
こんな便利なサービスが!とりあえずググって見つけられた分だけ・・
他多数
あばばばそうですよね。すみません。
本当は作り置きに頼らず「冷蔵庫を見てぱっとその場で作る」のが理想なのですが私の料理スキルが低すぎてそれができません。1品作るので精一杯。2品目とか無理。な状態だったので「浸けておいて焼くだけレシピ」を主菜にして焼いている間に2品目を作る、というやり方をしています。「働く新米主婦のための」というのはタイトルがマズかったように思います。「料理初心者のための」ですね。
自分の状況を整理するために殴り書きをしてみる。
周りの会話のテンポが早くて仕事の話はおろか雑談もままならない。
多分頭の回転が遅いせい。
そのせいで会話中の主語を掴めなくて頓珍漢な返答をすることが多々ある。
相手の冗談に気づかない事もよくある。
◼︎メンタル
大した指摘でもないのに突っ込まれる事に非常に弱い。
アイディアの玉数を稼ぐ仕事なのに性格のおかげで完璧主義っぽくなる。無駄。
メンタルが弱い。臆病。自分の小さなミスも重く捉えすぎて凹む。
そのわりにはどうしようもなくなったら諦めて殻にこもる。
大学の頃報告事項を抱えて自爆しこっぴどく怒られたことがあるが、最近もその兆候が出てきた。
◼︎同僚
同僚が自分とは真逆の性格で仕事できる。どちらも社会人二年目で同じ年齢。
同僚: 喋りがうまく雑談好き、コミニュケーション上手。わりと体育会系。
自分: 口下手で口数少ない、ビビり、視界が狭くのめり込みがち。変に完璧主義。
上司のウケは同僚の方が確実に上のはず。
精神的にしんどいというか、いらない心労がどんどん溜めているだけ。
もっと楽に考えられたら、と思う。
この仕事向いてないんじゃないか、とも思う。
二年目でこんなに仕事できないのはヤバいんじゃないか、とも思う。
どうやったら周りのみんなみたくうまく生きれるんだろう。
3年ぶり?くらいの帰省だった。
帰省しなかった理由は、面倒だったし交通費もかかるし、何よりもまったく誇るところがない自分をわざわざ見せたくなかったから。
親からすれば子どもがかえってくるだけでいいってもんなんだろうけど。
あとはいろいろと実家にいるときにやらかしちゃったことがたくさんあるから後ろめたいっていうのもある。
母親は前日に白髪を染めたらしい。慌てたせいで風呂場に染料がめっちゃ飛び散っててごめんと言っていた。
あと仕事で無能でしゃばり上司にいろいろと心労がたまっているらしい。精神科に行って漢方薬を飲んでいるらしい。
やたら饒舌でこっちの返答なんかお構いなしでしゃべるしゃべる。
ふだん父親が無口でまったく会話がないからその反動もあると思うけど。
父親は完璧主義で、自分がやらないとやる人がいないという潔癖的に強迫的な信念に突き動かされてほぼ休みなしで働きまくって心を病んでいる。
うまく力を抜くことができない人間。ごく少人数の職場で自分ひとりで負担を被って、生来の気質と悪い意味で歯車がかみあってしまってどんどん悪い方向に進んだんだと思う。
いくらがんばっても昇進もせず、今年で定年なのに最後まで働けないかもしれないらしい。
いくら外野が力を抜けとか健康を大事にしろって言ったって頑固で聞く耳もたないからどうしようもない。
妹がわりと実家に近いところにいてつきイチくらいで帰ってるらしい。
親孝行もあと10年だか20年だと思うけど、誕生日プレゼントを送ってたまに帰省するくらいでいい。
実家は疲れる。次帰るのはあと2,3年後、30すぎるかもしれない。
割と家族の夢は見るから、帰省したことも夢だったようにすら感じる。
基本的に一人でいいよ。
卒業式は終わったけど、中身は伴っていない。
遊びには行ったけど、実験はしなかった。
言われた事もちゃんとしなかった。
1〜3週間音信不通でサボったことが何回あっただろう。
そんなB4。
先輩や同輩は割と励ましてくれるけど、教授は呆れているし困っている。
ネットで見る横暴な教授や先輩と比べたら、非常に好意的だし優しいと思う。
とてつもなく申し訳ない。頑張れなくて。やる気がなくて。
院試は通ってるけど、院へ進んだところで更生できる気もしない。
何度か「今日から心を入れ替えて頑張ります」って言って泣いたけど
まぁ数日は続くけど、すぐに行けなくなってしまった。いや行かなかっただけか。
教授にも辞退を勧められた、のかな。ストレートにではないけど。
だからやっぱりやめとこう。その方が研究室にとってもいいよね。
卒論だけはどうにか出せと言われたけど
手につかない。動きたくない。教授にももう会いたくない。
わがままで甘えた事を言ってるのはわかってる。
「充実した研究生活」「院生仲間との交流」「普通に就活」「教授、先輩との議論」
思い描いていた理想に執着心、未練がまだまだあるけど、そろそろ諦めないといけないな。
職探しする気も起きないけど、これは危機感がないからだろうなあ。
吐きそうなくらい、どうなってるんだってくらい甘い。
あーあ、なにやってんだろ。
のが約三年前。
年末年始および家族親族が集まるような場所に僕が一切出席しなくなった為。
理由は姪の名前を呼びたくないし、呼ばれているのも聞きたくないし、どちらをするにしても非常にいたたまれない気持ちになるから。
子供の責任じゃないという意見はまったくもって正しいのだが、正直名前を聞くたびに我が家の特徴である相手の事を考えない自己完結した独善性の象徴をみせられるようでとても気が重くなる。
なにより自分の体験から考えても子供というのは大人が自分に対して抱いている感情に非常に敏感なので、「叔父は自分に関してプラスな気持ちを持っていない」などと思われるよりは、「叔父は変わり者なので家族と会うことがない」くらいに思われていた方がよほどいい。
DQNネームというものの害悪の本質は本人や親よりもこの周囲をいたたまれない気持ちにすることにあるんじゃないかと思う。
正直兄がDQNネームをつけるまで、就職の採用なんかでDQNネームを理由にはじかれるというのをくだらない差別のように感じていたし、それは今でも変わらないのだろうけど、もし自分が仕事を一緒にする時には優秀でも一緒にいていたたまれない気持ちになる人間よりは特に優秀じゃなくてもDQNネームじゃない人間をくだらない差別であることを承知で選ぶだろう。
兄夫婦は「これからは海外に日本人がでていかなければならないのだから日本の伝統なんて無意味」との事で悪意はない。
「アメリカンスクールに通わせて国際人にしたい」「子供のころから英語を習わせたり最高の教育を受けさせたい」等とも言っている。
こういう善意に基づく神経症的な完璧主義とコントロールフリークが合体した結果、DQNネームになったのかと思うと姪の今後を考えて暗澹とした気持ちになる。
人間は良くも悪くも自分の所属する共同体から簡単に抜け出すことはできないんだし(特に子供は)その中で周囲にいたたまれなさを積み上げるような名前を与えることは親のエゴであるように感じられるし、周りのいたたまれない気持ちの積み重ねが本人にいい影響を与えるとも思えない。
そしてなによりもいたたまれなさを感じながらその人間と付き合うのは非常に感情的な労力を必要とする。
かの池波正太郎は頼まれて名付け親になることが多かったようだが、「名前は当人が意味を付与していくものだからあまり奇をてらったものは望ましくない」としてほとんどの場合~太郎といった感じのひねりのない名前をつけていたそうだ。
とりあえず僕にできることは姪には一切会わないことと、もし何年か後に姪が改名したくなった時に相談に乗り、可能な限り力になってやることぐらいしか思い浮かばない。
生まれたときは本当にうれしくて「この子をとてもかわいがろう、いい叔父になろう」と思っていたんだけどなあ・・・
名前一つで自分と家族との関係まで変わるなんてまったく想像していなかった。
こらえ性のない叔父さんでごめんよ。
追記
元増田自身の対応も「相手の事を考えない自己完結した独善性」というリアクションをいくつかいただいたので、自分では書いてたつもりなんですがそれでも独善的な対応をしていた事を本文中で明示できなかったことをお詫びします。
まあ独善的な家庭で育った独善的な人間である自分には「家族と疎遠になる」とか「子供も家族もつくらない」という選択肢があるのですが、まだ子供の姪にはそういう選択肢すらないんですよ・・・
処女って最低
どうもセックスしないとホルモンバランスが狂ってくるのか妊娠できなくなってくるらしい
処女で問題ないのは20代前半まで
経験人数100人でまともに妊娠できる女と処女のせいで妊娠できない人だとなんやかんや言って前者なのが現実
処女厨っていうのは処女だったらなんでもいい人じゃなくてただの完璧主義者で妊娠できてまともに可愛くて女性としての機能もって性格も良いパーフェクトな人が好きなだけ
どれか一つでもかけてたらダメだしどれかが欠けている人との比較を出す人がいるけどそれは見当違いなんだ
処女は大事にしろとか言うが妊娠したい女性は病気になってでも定期的にセックスしてホルモンバランスを安定させてたほうがしやすい
ここでいうバカとは偏差値的な頭の良し悪しではなく、他人に対する想像力が足りなかったり自己中心的であったり言動に悪意のある人間のことである。
泥酔し電車の座席に横になって寝る輩、店員に周りに聞こえるほど大声で怒鳴りだす輩、嫉妬心から同僚に嫌がらせを仕掛けるダメ社員、などなど、、。
日常生活を営む上で運悪くこういったバカと遭遇してしまった場合、一旦不快感を抱いてしまうと調子が狂って本来の判断力が失われ、出来ることも出来なくなってしまう。非常に歯がゆい。
こういった場合は対等な人物として扱うに値しない理由を見つけ出し、適切に見下すのが良い。決して対等な立場で怒りをあらわにしてはいけない。
例えば、犬が部屋の中でフンをしたり、3才児が部屋の壁にイタズラ描きしても本気で怒る人間はいないだろう。「あーあーもう、しょうがないなあ」という感じだ。
なぜ犬や子供に本気で怒り出さないのだろう。これは相手を適切に見下し、対等な立場で見ていないから。怒ってもしょうがない、対等な言葉が通じる相手だと思っていないからだ。
バカに対する対処も同じような扱い方をすればいい。
身内であれば、怒るのではなく冷静に叱る。
他人なら「しょうがないなあ」と思って冷静に対処、もしくはスルーし、興味を持たないようにする。
バカを適切に見下すことで怒りで自分を見失うことがなくなるし、相手がケンカ腰でも礼儀と節度を持って諭すことも可能となる。この感覚を突き詰めれば相手に逆に可愛さを感じることもできる。
集団の中でバカをフィルタリングすると自然と立場が見えてくるので、格上の人間に敬意を払うこともできる。