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はてなキーワード: 原著とは

2022-04-01

anond:20220401181649 anond:20220401184356

そもそもルフィー作ったの自分じゃないんで

トレパクして政治ネタとかヘイトネタに使われるとかならともかくあの界隈の感覚理解できねぇわ

なお裁判で勝ったのは一部共通点はあるが絵柄含めて別物である独自性が認められる(ひとめ見て原作と別物とわかる)という点な

漫画の「キャラクター」は,一般的には,漫画の具体的表現から昇華した登場人物人格ともいうべき抽象概念であって,具体的表現のものではなく,それ自体思想又は感情創作的表現したものとはいえいから,著作物に当たらない

最高裁判所 平成4年(オ)第1443号,同9年7月17日第一法廷判決

 

 → キャラクターのもの(名前性格などの構成要素):著作権なし

 → キャラクターを具体的に表現したもの(絵・造形など):著作権あり

仮に原著作物のシーンが特定されたとしても、本件各漫 画につき著作権侵害問題となり得るのは、主人公等の容姿服装など基本的設定に関わる部分(複製権侵害)に限られるもの であり、本件各漫画の内容に照らしてみれば、主人公等の容姿服装など基本的設定に関わる部分以外の部分については、 本件各漫画二次著作権が成立し得るものというべきである

(知的財産高等裁判所東京地方裁判所 令和2年(ネ)第10018号,令和2年10月6日知的財産高等裁判所第3部判決

 

 → キャラ名前と設定の一部だけを流用したタイプ二次創作は問題無い

 

なお独自性は認められるとはされたものの、

からさまに共通点が多いか権利から訴えられたらフツーにアウトだよ

下記で検索されるとよろしいのではなかろうかと

ピカチュウ、Hな変身ダメ 著作権違反容疑で逮捕 
・「ポケモン漫画を無断製作無職女性著作権違反逮捕

任天堂が該当の同人誌を直接見つけたというわけでなく、一般人から内容がひどい同人誌があると情報提供があってから警察に届けを出した。

>結果として作者は略式起訴をされて罰金民事訴訟ではないので賠償金ではない)を科された。

>また同人誌印刷した印刷会社の社長も、著作権違反ほう助の容疑で書類送検されたがこちらは不起訴になった。

2022-03-22

理工の書籍出会うためのキーワードと、どこで出会うか

漫画ランキングやらブログやらが沢山ある。

電子書籍セールになっていることも多いし、全巻セットで中古市場に流れていたり、漫画喫茶などで出会う機会は多い。


一方、理工の書籍出会うのはかなり難しいと感じている。

プログラミング関係セールになっていたり、新書話題にする人がいるので出会やすいが、それ以外だ。

クエスチョンバンクといった試験受けた人は誰でも知っているような名前でも、そうそ出会わない。

洋書原著にあたったほうがいいものになると、更に下がる。


検索ワードがわかればネットだと1発だし、なんならどこの図書館にあるかもすぐ調べられる。

問題はそのキーワード出会うまでだ。

当たり前になっている本ほど話題にならない。ニュースバリューでどれだけ拡散するかが決まるネットと相性が悪い。

2022-02-02

anond:20220202132003

普通の人が全部原著にあたるのは面倒くさいだろ?

それくらい許してやれよ

2022-01-27

anond:20220126232441

前後全く無関係の横野郎だけど自分も色々調べてみたが、厳密に答えるためには、「John Maynard Smith,『進化遺伝学』, 巌佐庸,原田祐子 訳,産業図書」(原著:Evolutionary Genetics)あたり噛じらないと無理だなという結論になった。

これ噛じる前に必要そうな書籍一覧も貼っておく。

https://sites.google.com/view/seibutsukagakunokai/manabu/osusume#h.p_W1N261i4p1oK

(誰か勉強会やってくれ)

2021-12-07

医局の先輩がうっとおしくなってきた

先輩のことは尊敬している面とうっとおしい面両方があり、最近うっとおしい面がどんどん出てくるようになった。

医局比較最近教授が交代し、それに伴いここ最近医局人事も激変した。

常ならば動かされることがなかった人間が思いもよらない勤務地へ異動となり、一方で激しいパワハラを行う人間であっても教授が気に入っている・利用できると踏んだ人間はいつまでも大学病院に置いておかれるようになった。

それ以前はなんとなくゆるいムードであったのが、論文を書いたり教授の好きな集中治療を行っていなければ存在が許されなくなってきたのである

先輩と自分は関連病院所属しているのだが、先輩は俺様タイプなので関連病院トップはいたいけど上司がいる大学病院には戻りたくない。その代わりに専門分野が同じ自分大学病院差し出そうと画策してきた。

そんな中、教授が「君は論文が足りていないから後回しね(ニュアンス)」と自分の後輩を先に上げると宣言した。ちなみにこの後輩は集中治療チームに所属している。

自分は実際は英語原著論文を書いていたのだが教授が見落としたらしい)

それ自体はそうですか、教授の決定ですからね、で自分は納得したのだが、先輩はそれでは収まらなかった。

俺はお前をずっと推薦してきたのに上げてもらえなかったのはお前のせいだ、お前が後輩に嫌われているからだ、後輩が医局長に色々言ってるから行儀よくしろ…これが顔を合わせるたびに繰り返される。実に2年弱、これを毎日聞かされてきた。

パワハラして問題になっているのもあなたの後輩ですけどそっちは注意しないんですか、その後輩はやりたくない仕事は見ないふりする上に病棟で平然と更に後輩をいじめますけどそれはスルーですか、とか言いたいことは山ほどあるが反論すると逆ギレするなと逆ギレされるので黙って耐えてきた。

そしたら今度は先輩自身大学病院に異動させられることになり、自分に対する態度が更に悪化した。

本当はお前を大学に戻すつもりでいたのに~、その予定だったのに~がことごとく追加され、数人が集まっての会議の場でも口にするようになってきた。

教授の匙加減だと言うが医局とはそういうものだ(そうじゃないとは言っていない)、某後輩は論文を書いている(自分も書きましたが)、お前は異動先の上司の厳しい目にさらされて評価されるだろうからちゃん自分役割しろ(言われなくてもやるつもりだし今までずっとあなた無茶振りに応えてきたんですが)…あなたは壊れたテープレコーダーですか?

から同じことばかり言う人だったが最近本当に聞くだけで疲れるし何ならシャットアウトしたい気持ちでいっぱいである。

コロナウイルス禍で飲み会がなくなった影響もあると思うが自分ストレス解消目的サンドバッグ代わりにするのはやめてほしい。

昔はこんなんじゃなかったのに、すっかり煤けてしまった感でいっぱいである。

もうこの辺りが潮時なんじゃないですかね、そんなに不満が多いならおやめになったも良いんじゃないんですかね。

ついでに自分もたいがい無礼なくせにすぐ医局長にギャーギャー言って自律神経失調症なんですぅとか言っていた後輩はさっさと退職してほしい。ちょうど2人目もできたところだし。

2021-11-19

anond:20211119102048

裁判すりゃ勝てるだろうけど、たとえば音楽なんかでベース音楽二次利用したりしても、ちゃんと一時製作者に利用料を払っているのに対して、コミケのような同人界隈はオリジナルに対する対価を適宜払っているとは思えんのよ。中華のパチもんを日本人馬鹿にするけど、ことアニメマンガ生産者が報われていないような気がする。今のように規模が大きいうちはいいけど、衰退したら原著者はジリ貧やで。

風俗看板に使っている写真キャラって金払ってるの?

原著者とかにちゃん許可もらえてるのかね?

2021-11-14

「屍山血河」の由来についての推測

https://anond.hatelabo.jp/20211113201646

横田だけど、ちょっとググったらそれっぽいストーリーが立てられたので共有しておく。



三行でストーリーをまとめると

・「屍山血河」という言葉を考案したのは大日本帝国陸軍文官で、陸軍教授地位にいた樋口石城なる人物である

・「屍山血河」は、旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を邦訳する際、邦題として発案された。

・この邦訳を読んだ人々が邦題熟語として認識。そのうち、司馬遼太郎小説内で多用したこと日本中に広がった。



「屍山血河」の由来はなにか。まず、中国語で言うところの「成語」にそれらしい言葉はない。

かといって「屍山」とか日常言語で使う単語という感じではないし、自然発生した四字熟語でもないだろう。

普通に考えたら、中国語以外の言語にある熟語を、明治以降文化人とかが邦訳するときに成語っぽく整えた、とかが一番ありそうなパターンだ。

しかし、「屍山血河」という単語辞書に載っているが、用例として記されているのは司馬遼太郎小説ばかりだ。後は三島由紀夫だが、司馬遼太郎の用例が古い。

辞書を作ったときにそれより古い用例が見つからなかった可能性が高い。

普通辞書の用例はその用法で一番古いもの採用する。だれか他の文学者創作したならそっちが採用されないのは奇妙である

もちろん、司馬遼太郎独自に考案したと考えるのは早計だろう。

司馬遼太郎勝手創作したとされていた史観や、事実関係が怪しい記述も、近年ちゃんと調べてみると「元ネタ」があるものばかりだったらしい。

もちろん、だからといって、それらが歴史的事実だというわけではなく、「元ネタ」を書いた人が勝手創作したり、誤認識していたということらしいのだが。

ともかく、司馬遼太郎は無から発想したり、自分説明なしに訳語創作するような人間ではないと思う。

用例として採用しづらい対象で、司馬遼太郎が興味を持つ題材の日本語資料で「屍山血河」を使ったものがあるはず。



この条件に合致しそうなのが "屍山血河" コステンコ 著,樋口石城 譯 [1]である

ちょっと調べてみると、これは旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"[2]の邦訳だ。

М. И. Костенкоは旅順攻防戦に少将として参加した後、戦後軍事法廷議長とかをやった、とwikipediaに書いてあった。

旅順戦の日誌は貴重な資料であり、ロシアで広く読まれた。これが邦訳され、1912年出版された。

しかしそれにしては邦題おかしい。おかげでググっても原著がすぐ出てこなくてちょっとイライラした。

"Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を機械翻訳すると、"旅順要塞の包囲と降伏:私の印象"となる。

実際、この本は1973年に田崎与喜衛に再訳されており、そのとき邦題は"旅順攻防回想録 "となっている[3]。

泥沼の旅順戦で主に大量の兵士、とくに日本兵が死んだ様子を描写して「屍山血河」と言っているのだろうが、戦闘記録の題名にするには文学的にすぎるだろう。

М. И. Костенкоが序文とかサブタイトル的な位置にこの単語を使っているのではなく、樋口石城が勝手につけた邦題である可能性が高い。

ロシア語でも Горы трупов (死の山)とか реки крови(血の川)という表現戦争表現する際、よく使うようだ。

熟語とまでは行かないが、並列して使われる例もググればそれなりに出てくる。

原著に直接この組み合わせが出てくるかはちゃんと調べていないので不明だが、本文検索してみたら、Горы труповは単体で積み重なった日本人死体表現として使われていた。

もしこの記録が文学作品だったらこの題をつけるのは適当かもしれない。



これ以降は完全に当て推量である

陸軍教授樋口石城がどういう人物なのかはググっても出てこないが、樋口季一郎の親戚とかだろう。しらんけど。

まあ、軍教授なのだ名家出身学者で、ロシア語を含む文系教養があって、仕事ロシア関連の軍事資料邦訳を大量にやらされていたのだろう。

から文学作品とかを書く暇もないので、やらされた邦訳仕事で、多少のオリジナリティを発揮してみたくなったのではないだろうか。

そこで少し文学風に気取って成語っぽい「屍山血河」という語を創り、戦闘記録の邦題としてつけたのだ。

それを司馬遼太郎資料として閲覧。そういう成語が既にあると認識戦争小説で多用。

小説を読んだ人間もそういう語があると理解し、大量の死者が出る戦争を語る際に一般的単語へと一気に昇格してしまった。

そしていざ辞書に載せようとすると、用例として明記できる古い例が司馬遼太郎以前にないことに気づく。

樋口石城の訳書も発見はされたのだろうが、題なので用例としては不適であり、スルーされた。

結局、遡れるのは司馬遼太郎小説しかなかったのではないだろうか。




無論、上記は全てネット上で手に入る資料の断片からの推測であり、だいぶお粗末なものだが、もし当たっていればなかなか面白いストーリーではないだろうか。

以上、「屍山血河」の由来について横田が調べてみました。

いかがでしたか

信じるか信じないかはあなた次第

[1]https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024298307-00

[2]https://www.prlib.ru/item/355295

[3]https://www.amazon.co.jp/%E6%97%85%E9%A0%86%E6%94%BB%E9%98%B2%E5%9B%9E%E6%83%B3%E9%8C%B2-1973%E5%B9%B4-%E6%A8%8B%E5%8F%A3-%E7%9F%B3%E5%9F%8E/dp/B000J9FK7A

2021-10-04

ある書籍要約系サイトの想い出

ソフトウェア開発における名著とされる読みものがある。かつて、そういった著作エッセンスをひたすら抜き出して黙々とまとめていくはてなダイアリー存在した。2010 年代のことであるGoFデザパタ本とか UNIX 哲学とかピープルウェアとかそういうの。ジュンク堂本棚でいえば「SE 読みもの」というやつだ。業界に入って間もなかった当時の自分は、技術的な相談ができる大人が周囲にいなかった。いま思えば、残業中のオフィスで長いコンパイルを待つあいだ、ぼんやりとこのはてダを読み、目の前のやるせないソースや、所属するチームが置かれた状況について思いを巡らせながら、ガス抜き感覚でこのはてダを読む時間が好きだった。どの項目も歯切れの良い紋切り型文体で読みやすく、読んでいるうちに不安のかたまりがスルスルと解かれていき、気持ちラクになるような気がしたのだった。

その後、わたしアラサーになるころには、そこで紹介されていた大部分の原著書店で購入し物理的に所持するに至っている。あのはてダがなければ、本屋でも仕事関連の棚で足を止める人間にはなっていなかったのではないかと思う。その後、当時のはてダの内容を抜粋したもの秀和システム書籍化され出版される運びになった。ファンだったわたしは発売をとても楽しみにしていた。が、本屋に並んだ書籍を手にとってみると、あのはてダにあった宝物のような輝きはすっかり失われていた。なぜかはわからないけれど、説得力が損なわれている気がしたのだった。書籍化の都合、はてダに貼られていた Amazon へのリンクが取り払われ、原著との接続性がいくぶん薄らいでしまったせいかもしれない。またこ書籍化に伴って、はてダも閉鎖されてしまった。もっと新刊の売上にも関わるだろうし、あの「要約」は原著に対する網羅度がかなり高いもので、権利面ではかなりグレーなものだったように思うから、閉鎖されるのは当然の成り行きだったと言える。が、自分の成長期にあたる年代にあのはてダがあったことは本当にキャリアの上で助けになったと感じているし、原著を所持していてもなおあのはてダを参照したいという思いがあるくらい、とても優れたものだった。他人の「きれいなノート」を借りて勉強していたような感覚というか、そんなような。「新人に読ませたい n 冊の本」というタイトルのクソ記事がもはや春先の業界風物詩になっているが、そんな記事とは段違いにもっと直接的に本が持つ価値を訴えてくるコンテンツだったのだった、少なくともわたしにとっては。

図解界隈というのが流行っていると聞いて、そんなはてダがあったことを思い出した。結局のところ「SE 読みもの」も自己啓発本に他ならないし、個人的DDD

なんて宗教だとすら思う。それにしても「要約」がきっかけで世界が広がるとことは実際あるかもしれないよ、ということが伝えたかった。

2021-09-17

anond:20210917190115

科学的な見地に立てば、チャート分析錬金術と大差ないものであることは明らかだ。テクニカル分析手法に関する研究の結果は、すべて驚くほどの共通性を示している。どれ一つとして、比較対象としたバイ・アンド・ホールド戦略パフォーマンス継続的に上回ることはできなかったのであるテクニカル手法を用いて有効投資戦略を編み出すことはできない。これがランダムウォーク理論基本的結論である

(略)

しかし、証券会社に雇われるチャーティストの人数は、年々増え続けているのが実情である

(略)

ポイントはこうだ。テクニカルアナリスト証券会社収益に対する貢献は大きい。チャーティストが勧めるテクニカル戦略は必ずと言っていいほど、銘柄間の乗り換え取引を伴うものだ。こういった取引証券会社に、彼らの血液とも言える手数料収入をもたらす。テクニカルアナリストは、顧客ヨットを買う手助けにはならないが、取引を作り出す上では大いに助けとなる。おかげで、証券会社社員ヨットを買うこともできるというわけだ。

バートン・マルキールウォール街ランダムウォーカー原著11版〉』

2021-08-16

anond:20210816083207

判決文読んだ上で書いてるよ。

P.3

⑶ 本件各漫画の特徴

(略)

② 主役の名前は,いずれも,有名なシリーズもの漫画又はアニメ登場人物と同一である。(略)

③ 主役の顔貌及び体型は,原著作物の主役のそれと酷似している。


P.9

漫画の「キャラクター」は,一般的には,漫画の具体的表現から昇華した登場人物人格ともいうべき抽象概念であって,具体的表現のものではなく,それ自体思想又は感情創作的表現したものとはいえいから,著作物に当たらない(最高裁判所平成4年(オ)第1443号,同9年7月17日第一法廷判決民集51巻6号2714頁)。

したがって,本件各漫画キャラクター原著作物のそれと同一あるいは類似であるからといって,これによって著作権侵害問題が生じるものではない。


ケースバイケースという点には同意するけど、この裁判でなされた判断が今後の指標になるのは間違いないと思ってる。

この裁判は「二次創作著作権侵害か否か」を争ったわけではなく、「損害賠償請求権利同人作家にあるか否か」を争ったもの。だから判決のものの影響力と言うよりも、その判決の論拠となる部分にこの二次創作著作権侵害か否かの議論があってそこで侵害ではないって判断されたことの影響力が大きいってことね。

anond:20210816102556

え、本気で言ってんの、それ?ちゃんとツリー読んだ?

判決がひっくり返ったとは言ってないし、判決のものじゃなくてその根拠となった司法判断がそれまでの同人常識をひっくり返したと言ってるんだけど。

少なくとも元増田からリンクされている山田議員ブログ記事には「ブラックな部分を限定的判断し、ホワイト形態を広く明確に示したという点は、大きな意義がある」と書いているし、ねとらぼ記事ははっきり「画期的判決」と書いている。これを常識がひっくり返ったと考えるかどうかは個人差かもね。

外見が酷似してないか著作権侵害には当たらないってちゃんと絵を比較した判決になってるし、元の絵をみてたけど酷似とは言えない。

これ、まるで間違ってるよ。まったく逆。お前が引用した判決文にもちゃーんと書いてある。

ていうか、判決文の前提事実に「主役の顔貌及び体型は,原著作物の主役のそれと酷似している。」って書いてあるんだけど、ちゃんと読んだ?

せっかくだから、お前が引用した箇所のお前の解釈教えてよ。読みやすいやわらかい文章にして。

ちなみに俺の解釈を、読みやすいやわらかい文章で書いていくね。

そもそもこの判決文は、同人誌無断複製販売業者(被告)の

「その同人誌は著作権侵害違法書物から我々に対する損害賠償請求権利同人作者(原告)は持っていない」という主張に対して、

「いやいやこれは著作権侵害してないか違法書物ではなく、同人作者に損害賠償請求権はある」という建付けになっている。

から判決根拠としてなぜこれが著作権侵害でないかという理由が述べられている。

余談だけど、よくある二次創作二次創作著者の著作権があるかどうかを論点としているわけではないことに注意。あくまでも損害賠償というお金請求する権利ね。

乙10の1~7(もっとも,

アニメ版」として掲げられているシーンについて,第何回のどの部分という具体的特定までがされているわけではない。)の内容を検討してみても,原著作物のシーンと本件各漫画のシーンとでは,主人公等の容姿服装などといった基本的設定に関わる部分以外に共通ないし類似する部分は

ほとんど見られず(なお,乙10の1~7の中で,共通点として説明されているものの中には,表現類似ではなく,アイディア類似を述べているのに過ぎないものが少なくないことを付言しておく。),

ここの部分は、

 原著作物のトレスだったら著作権複製権侵害かもしれないけど、今回の場合トレス元と具体的に特定できる原著作物のシーンはないよね?

 原著作物と同じか似ている部分は、主人公容姿服装だけだよね。

 あとアイデアは似てるかもね(言うまでもなくアイデア著作権法で保護されない)

ということを言っている。

また,基本的設定に関わる部分については,それが,基本的設定を定めた回のシーンであるのかどうかは明らかではなく,結局,著作権侵害の主張立証としては不十分であるといわざるを得ない。

ここは、

 基本的設定(=主人公等の容姿服装)は、それ自体がメインの回ならともかく、そうじゃないなら著作権侵害とは言えない。

ということ。

ここは俺もちょっとうまく解釈できてない。たぶん、「主人公がこの髪型になった理由」みたいな回がもしあったら、その回に限り髪型著作物性がある、みたいなことを言ってるのかな。

以上の次第で,一審被告らの著作権侵害の主張は,それ自体失当であるし,現在証拠関係を前提とする限り,仮に原著作物のシーンが特定されたとしても,著作権侵害問題となり得るのは,主人公等の容姿服装など基本的設定に関わる部分(複製権侵害)に限られるものといわざるを得ない(なお,一審被告らは,本件各漫画で描かれた各シーン(ストーリー

ここは、

 とまあ、無断複製販売業者の主張には無理があるよ。

 もし、トレス元のシーンが特定されたとしても、複製権侵害にあたるのは(背景とかじゃなくて)トレスされた主人公等の容姿服装だけだよ。

と言っている。

ここ紛らわしいので要注意なんだけど、同人作家が自由な構図で新規に描いた主人公等の容姿服装そもそも問題にしておらず、同人作家が原著作物をトレスしたとき主人公等の容姿服装複製権侵害になり得ると言ってる。

しかしこれ断言し過ぎのような気もするな。漫画の擬音の表現ひとつとっても著作物性はあると思うし、AKIRAみたいに人物が描かれていなくても俯瞰の構図や風景が特徴的な漫画トレスしたら複製権侵害でしょ。普通に考えると。その場合、擬音や構図や世界観表現基本的設定に関わる部分とみなすのかな。

最後

展開に関わる部分)は,原著作物の基本的設定に関わる部分の翻案に当たり,また,同一性保持権侵害していると主張するかもしれないが,上記基本的設定に関わる部分は,主人公等の容姿服装などの表現のものにその本質的特徴があるというべきであって,ストーリー展開に本質的特徴があるということはできないから,本件各漫画に描かれたストーリー展開が,上記基本的設定に関わる部分の翻案に当たると解する余地はないし,主人公等の容姿服装など基本的設定に関わる部分に変更がない以上,同一性保持権侵害問題になる余地もない。)。

ここは、前段までに複製権侵害否定されたので、次に同一性保持権について検討しているところ。

 ストーリー展開は本質的特徴とは言えないから、ストーリー改変やオリジナルストーリーで描いても翻案じゃないし同一性保持権侵害にはならないよ。

 この同人誌は主人公等の容姿服装原著作物から改変してないか同一性保持権侵害じゃないよ。

と言っている。

これはけっこう衝撃的。複製権は一旦置いておいて、同一性保持権観点では主人公等の容姿服装を改変してはいけないというのだ。つまり似てなかったら権利侵害そっくり似せたらOKということ。

から

絵が全く似てねーじゃん。

は、まったくの間違いで、絵が似てるからOKということ。

あと、お前が言ってる公式と誤認されるような似せ方(画風や装丁レイアウト流通も含めて)はこの裁判では論点にしてないからね。

まとめると、

複製権侵害になり得るのは、原著作物をトレスしたとき主人公等の容姿服装部分

主人公等の容姿服装原著作物と同じように描くのは同一性保持権侵害にならない

という司法判断(繰り返すが判決じゃねーよ、判決根拠になる判断)がされたってこと。

あと、どこがどう似ているのかは同人誌にもよるので、「すくなくともこの同人誌のケースは」という留保意識しておきたい。

2021-08-15

anond:20210815133942

そういう考えがこれまでの通説だったけど、今回の判決でそれがひっくり返っちゃったってこと。

なにしろ髪型や外見が原著作物と酷似している同人誌現物を取り上げて、これは著作権侵害ではないって司法判断しちゃったんだから

少なくとも、今回の「Owl&Cat手コキ特集」と「下着おじリターンズ」の描きっぷりでは、「ハイキュー!!」「TIGER&BUNNY」の著作権侵害していないっていう判断

anond:20210815014235

ブコメ分かってない奴が多いな。一番最初リンク先の山田太郎議員のページ読めよ。

しかにこの裁判主題は、二次創作作者とその海賊版販売業者の争いで、これまで立場が弱く海賊版販売され放題だった二次創作者に損害賠償請求権があることを示した。ブコメでこのことを言ってる人が多いんだけど、そこじゃないんだよ、重要なのは

⑴ 意義①:原著作者の許諾のない同人誌の無断利用について損害賠償請求できることを明示した


上の判断に付随して、公式キャラ名前や設定が同じで顔や出立ちが酷似しているキャラを描いた二次創作著作権侵害には該当しないと言い切っちゃったんだ。山田議員解説によると複製権のみならず、翻案権同一性保持権侵害には該当しないと。

⑵ 意義②:原著作物の主人公等の名前や場面設定等を流用した同人誌について著作権侵害否定した

原著作物の主人公等の名前や場面設定等を流用にすぎない同人誌には、著作権侵害複製権侵害翻案権侵害同一性保持権侵害)が成立しないと知財高裁判断したということになります

この、主題じゃない方のおまけみたいな司法判断がめちゃくちゃ重要で、上手く運用しないと同人文化に大きな影響がありそう。

同人活動がしやすくなるというメリットだけじゃなくて、同人の振りをした悪徳業者がやり放題にもなりかねない。

しかも、このおまけの判断、今回の二次創作者vs海賊版販売業者という文脈とは切り離された判断なので、公式vs二次創作者のとき判断を変えられるようなものではないでしょ。

これはなんか嫌な予感がする。もっと危機感持った方がいいよ。

2021-08-13

学術書の類を読むときプロによる書評も一緒に読め

ブレグマン(2021)『Humankind 希望歴史』を勝間さんがブログで紹介しているが、その記事ブコメ地獄と化している。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/katsumakazuyo.hatenablog.com/entry/2021/08/12/162845

「なんとなくだが俺はこう思う」「著者はチェリーピッキングしててクソ」みたいな主張がエビデンスなしに書かれており(そもそも君たち原書読んだ?)、それらにスターが当然であるかのように集まっている。これらは理性的議論でもなんでもなくただのエコーチェンバー現象である。やはり、ブコメという文字数制限があるメディアできちんとした議論を行うのは無理があることが分かる。

こういう学術書やそれに近いものを読むときに私が習慣としていることがある。本を読む前にプロによる書評を読め。

ここでのプロというのは、新聞でそういう書評をいっぱい書いているプロレビュワーのことではなく、プロ学者のことである

例えば、"Bregman Humankind book review"とかでgoogle scholarなどを調べると、文化人類学者によるこの書評がヒットする。

A Sceptical Review of Bregman’s 'Humankind: A Hopeful History'

https://www.newenglishreview.org/custpage.cfm?frm=190173&sec_id=190173

この書評によれば、「過去において狩猟採集生活住民同士が戦争ばかりして殺し合っていたというのは基本的には嘘」というブレグマンの主張は文化人類学的には嘘っぱちである

"As a journalist he not only knows very little anthropology but also has an irritating folksy style"(ジャーナリストのブレグマン文化人類学についてほとんど何も知らないだけでなく、イライラするほど垢抜けない文体を用いており)、"This is reminiscent of a very bad undergraduate essay"(これはとても下手な学部生のエッセイを思い出させるような主張だ)、などとやたら攻撃的な評がなされており、それはそれで大丈夫かという気持ちにはなるが、少なくとも一人の専門家視点から見た学術的な評としては参考になる。もちろんこの書評が真理で『Humankind』は読む価値なし、とここで主張したいわけではない(私は文化人類学者ではないのでその判断はできない)。

このような視点批判的に本を読解することは、当該分野の知的蓄積を持っていない素人には不可能である。誤った知識を盲信しないために第三者によるファクトチェックには目を通しておいた方がよい。逆に、その道の専門家が「よく書けた本である」と肯定的に評していれば、ある程度安心して読むことができる。

プロによる書評をどのように探すか

日本語書籍なら「(書名) 書評」でググる学者による書評に絞りたい時は「(書名) 書評 教授」でググったり「(書名) (著者名)」でGoogle scholarしたりするとよい。

英語書籍日本語翻訳された本を読むときもこれで原著の評判を調べる)なら「(書名) (著者名)」でGoogle scholarするのがおそらく一番よい。ある程度有名な本ならプロによって書かれた書評学術ジャーナルに載っており、それがだいたいヒットする。特にいわゆる文系学術ジャーナルには毎号Book reviewコーナーがよくあり、そこに載っている書評は「本の主張まとめ」→「本の批判検討」→「本の評価」というフォーマットで書かれていることが多いため大変読やすい。ただ一つ問題があり、これらのジャーナルはほぼ有料である研究機関所属するか金を払うことによりこの問題解決する。

また、twitterで「(書名)」で調べ、研究者っぽい人による短評ツイートを探して読むという方法もある。研究者のTwitterはだいたい実名かつ顔写真アイコンソース:私の印象)なので、それで目grepしてからプロフィールをチェックするとよい。ちなみに関心がある分野の研究者のtwitterアカウントは普段からフォローしておくとたのしい。

余談:近年のポップな人類歴史書の怪しさについて

冒頭で「ブコメがやべえ」と批判したが、こういう風呂敷を広げまくって人類史を俯瞰したぜと主張する売れ筋本に警戒心を抱いてしま気持ちはよく分かる。なぜなら、最近のそういう本に対しては「適当こくな」と専門家からツッコミが入ることが実際に多いから。

例えば、Humankindの書評として上に挙げたものを書いたC.R. Hallpike先生は、ハラリの『サピエンス全史』に対しても批判的な評を行なっている。

Review of Yuval Harari's Sapiens: A Brief History of Humankind.

https://aipavilion.github.io/docs/hallpike-review.pdf

ちなみにこのHallpike先生は、未開社会フィールドワークを行なった経験から最近のポップな歴史書は文化人類学デタラメばっか書きおって」と心底お怒りらしく、全員(チョムスキー含む)まとめてぶった切る本まで書いている。Hallpike先生過激な主張を好むことも踏まえると(参考: https://twitter.com/profdanhicks/status/1336981539893161984 )、この本に対するプロ書評が見つからないのは残念である

C.R. Hallpike(2018). "Ship of Fools: An Anthology of Learned Nonsense About Primitive Society".

https://www.amazon.com/Ship-Fools-Anthology-Nonsense-Primitive-ebook/dp/B07HX4188K

また、このような人類歴史スキャンダルとして最近話題になったのが、スティーブン・ピンカー(2019)『21世紀啓蒙』における「学術ルール違反事件である

ピンカーが書中で「科学史家による主張」として紹介していた言説が、脚注をたどると科学史家でなく社会心理学者によるものであったことが分かり、さらピンカーによって引用されていた文章は実際には同じ論文内の別部分の文章を継ぎ接ぎしてピンカーにとって都合の良いように捻じ曲げられていた、という事件である。詳しくは以下のツイートを参照。

https://twitter.com/mccormick_ted/status/1419672144368308225

もちろん『21世紀啓蒙』におけるピンカーの主張自体に対するプロからの異議申し立て存在する。

https://www.abc.net.au/religion/the-enlightenment-of-steven-pinker/10094966

というわけで、売れている学術書を無邪気に読むことすら危うさを孕む行為であるメディアリテラシーだいじ。

2021-07-16

anond:20210716091659

しろ原作からかけ離れてたら創作として認められるから戦いやすいんだが?

一部共通点はあるが絵柄含めて別物である独自性が認められる(ひとめ見て原作と別物とわかる)から二次創作なんだ

おそ松くんBL裁判で勝ったぞ。常識を踏まえて欲しい

漫画の「キャラクター」は,一般的には,漫画の具体的表現から昇華した登場人物人格ともいうべき抽象概念であって,具体的表現のものではなく,それ自体思想又は感情創作的に表現したものとはいえいから,著作物に当たらない

最高裁判所 平成4年(オ)第1443号,同9年7月17日第一法廷判決

 

 → キャラクターのもの(名前性格などの構成要素):著作権なし

 → キャラクターを具体的に表現したもの(絵・造形など):著作権あり

仮に原著作物のシーンが特定されたとしても、本件各漫 画につき著作権侵害問題となり得るのは、主人公等の容姿服装など基本的設定に関わる部分(複製権侵害)に限られるもの であり、本件各漫画の内容に照らしてみれば、主人公等の容姿服装など基本的設定に関わる部分以外の部分については、 本件各漫画二次著作権が成立し得るものというべきである

(知的財産高等裁判所東京地方裁判所 令和2年(ネ)第10018号,令和2年10月6日知的財産高等裁判所第3部判決

 

 → キャラ名前と設定の一部だけを流用したタイプ二次創作問題無い

2021-06-30

アレな腐女子たちはエロ妄想を「原作そのまま」「原作準拠」「解釈」「考察」と呼んでネットにばら撒いて挙句フェチの違いごときメンヘラって暴れたりするのやめようね

原作そのままだったら単なるコピーであって二次創作じゃないからね?

一部共通点はあるが絵柄含めて別物である独自性が認められる(ひとめ見て原作と別物とわかる)から二次創作なんだ

ドラえもん最終話同人問題(2006年)

絵柄が原作酷似しているため「藤子・F・不二雄の真作」である勘違い小学館に問い合わせる者が出るなど、あまりに広まりすぎたために、著作権者である小学館および藤子プロ側も「想像していた以上に深刻な事態」[6]と受け止め、2006年同人誌作者に著作権侵害を通告。

 

 → 絵・話作りが原作に似ていて(非常に出来が良かった)見分けが付かない人が多数発生したため、著作権侵害の訴えを起こした

漫画の「キャラクター」は,一般的には,漫画の具体的表現から昇華した登場人物人格ともいうべき抽象概念であって,具体的表現のものではなく,それ自体思想又は感情創作的表現したものとはいえいから,著作物に当たらない

最高裁判所 平成4年(オ)第1443号,同9年7月17日第一法廷判決

 

 → キャラクターのもの(名前性格などの構成要素):著作権なし

 → キャラクターを具体的に表現したもの(絵・造形など):著作権あり

仮に原著作物のシーンが特定されたとしても、本件各漫 画につき著作権侵害問題となり得るのは、主人公等の容姿服装など基本的設定に関わる部分(複製権侵害)に限られるもの であり、本件各漫画の内容に照らしてみれば、主人公等の容姿服装など基本的設定に関わる部分以外の部分については、 本件各漫画二次著作権が成立し得るものというべきである

(知的財産高等裁判所東京地方裁判所 令和2年(ネ)第10018号,令和2年10月6日知的財産高等裁判所第3部判決

 

 → キャラ名前と設定の一部だけを流用したタイプ二次創作問題無い

 

  

該当腐女子の見本(3回目なのでブクマカさんのID書くね。徹底的に言及したいのは b:Id:hilda_i さんみたいなタイプ腐女子)

anond:20210629070253 anond:20210630072150

b:Id:hilda_i原作解釈はめちゃめちゃする方だけどフェチとかエロとか以外の部分を書くためにしてるわ。台詞ひとつとってもキャラ性格なら言う言わないあるし。エロ場面はほぼ決ま()きってるから他の場面で凝るというか。

  

b:Id:hilda_i 勘違いされてるけど、「その二人が付き合ってると見なせる理由」とかの為に考察してないから。

 

b:Id:hilda_i BLにはポルノ同等の性表現のあるものもあるのは確かで、しかしそれをおかず利用しない腐女子もいるというのも確か。私も性欲がない訳じゃないのにBLをおかず利用はしないわねぇ。

2021-06-28

anond:20210628190247

本音では「学術書読め」「孫引きすんな原著読め」くらい言いたいのを「おまえらにはそれは無理だろうからせめて新書くらい読め」と言ってる感じもある。

2021-06-13

anond:20210613202557

男の年収資産セックスにおいて女がオーガズムを感じる割合に相関があるらしい・・・

https://twitter.com/rei10830349/status/1402945910263345154

max13%というのが悲しくもある

男のオーガズムはどうなのかと原著確認しようと思ったらPaywallに阻まれ

2021-05-20

教皇イノセント」、皇帝フレデリック」、老水「天」行

 『ユダヤ人歴史』(河出文庫)という本がある。文庫サイズで千円ちょっと古代から現代に至るユダヤ人歴史概要を、中東欧州西欧東欧北米地域に分けて学べる、比較コストパフォーマンスが高い本である

 元々、原著ユダヤ教思想的な部分(これらの神学論争神秘主義思想は、初心者である一般人には分かりにくく混乱する元でしかない)をほとんど省略して書かれていることから一般人にとっては取っ付き易く、ユダヤ人歴史を学ぶための入門書としてお勧めしたい……ところなのであるが、一つ我慢ならない欠点がある。

 この本の中では「イノセント」や「フレデリック」という人名普通に出てくるが、なんとこれらは「教皇インノケンティウス」や「皇帝フリードリヒ」のことを指すのである高校生時代世界史赤点スレスレだった私でも気づくような、凡ミスである。何故、こんな事になったのか。

 原著者は、レイモンド P. シェインドリンというアメリカ人から、当然、原著人名英語で書かれている。おそらく、下訳の段階で翻訳者は、それらの人名を取り敢えず英語読みからカタカナ表記にして日本語翻訳原稿を書き、その後、日本国内歴史書籍一般的通用している表記に直す作業を怠ったのだろうと思われる。「怠った」と判断する理由は、英語読みで人名統一されているわけでもないかである

 翻訳者もひどいと思うが、編集者は何も思わなかったのだろうか?最初日本語翻訳版が出てからそこそこ年月も経過し、河出文庫から再刊されてからも年月が経過して何度か増刷もされているのに、ずっと「イノセント」と「フレデリック」のままである翻訳文学作品も多数出している、河出文庫にあるまじき凡ミスだ。

 翻訳文学を多数出しているといえば、つい最近、手元に有る創元推理文庫版『フランケンシュタイン』を読み返したら、最初ウォルトンが書いた手紙パート言及される、英国詩人コウルリッジの有名な詩「老水夫行」に関する注釈が「老水『天』行」と誤植されているのにも気づいた。

 こんな感じで、素人一般人でも気づくような凡ミスが、訂正されることもなく、増刷された書籍として世の中に出回り続けている例は意外と多いのだろう。

2021-04-01

anond:20210401002817

原著を読んでるならともかく、現代語訳とかされててそれをもとにしてる場合、そっちの著作権に引っ張られそうw

2021-03-20

著作権表現の自由関係ないのか?(ウマ娘おまけつき)

anond:20210317235416

これに著作権者の言うことだから聞くべきだと言っているブコメがあって驚いた。

著作権というのは憲法上の権利ではなくて、国が著作権法という法律で認めた権利だ。歴史的にも、憲法表現の自由規定されるようになった18~19世紀前半には著作権保護はろくすっぽされていなかった。そして、著作権国家保護するということは、ある著作物を利用して二次創作をつくる人を国家が抑圧する、という側面をどうしても持たざるを得ない。それが表現の自由に照らして問題ないと思うのはちょっと信じられない。それに著作者二次創作ダメだと言ったらそれでおとなしく諦める、という淡泊姿勢も納得がいかない。私は、(性的表現を含めて)二次創作者は、どうしても二次創作を書きたいから書くんだと思っていた。こんな淡泊姿勢をとる人が多いということは、実は単なる商売ネタに過ぎないのかな。訴訟になると面倒だから、ということならまだ分かるが。

私は著作権著作者人格権が必要ないとはまったく思わない。でも、パロディ事件しかり、ときめきメモリアルメモリカード事件しかり、日本著作権法や判例法理国際的に見ても原著作者保護が極めて強いわけで、それは表現の自由に照らして非常に問題があると思っている。著作権には表現の自由が及ばない、みたいなことを言っている人がいるのは驚きではある。原著作者が権利主張を始めたらいわゆる二次創作物を壊滅させることができる(コミケは単に目こぼしされているだけ)、それを国が著作権法によって認めている、それが問題だと思わないのか。そういう問題意識を持たない人には二度と表現の自由などと口にしてもらいたくない、とすら思う。

~おまけ~

ウマ娘 プリティーダービー』の「お願い」は、

キャラクターならびにモチーフとなる競走馬イメージを著しく損なう表現は行わないようご配慮いただけますと幸いです。

作品には実在する競走馬モチーフとしたキャラクターが登場しており、許諾をいただいて馬名をお借りしている馬主のみなさまを含め、たくさんの方の協力により実現している作品です。

モチーフとなる競走馬ファンの皆さまや、馬主さまおよび関係者の方々が不快に思われる表現、ならびに競走馬またはキャラクターイメージを著しく損なう表現は行わないようご配慮くださいますようお願いいたします。

というものだった。

https://umamusume.jp/news/detail.php?id=news-0106

これは、そもそも著作権著作者人格から来る要求とは考えられない。競走馬著作物ではないから、著作権著作者人格権の客体ではあり得ない。馬主不快に思われる表現をやめよと要求する権利があるとすれば、おそらくは馬主名誉権などの人格利益保護となるだろうか。競走馬ないしキャラクターイメージを著しく損なう表現をやめよ、と要求する権利があるとすれば、知的財産権というよりは、商品化権ないしパブリシティ権キャラクターイメージ毀損については著作者人格権の問題になり得るが)といったビジネス上の権利問題になるだろう。これを概括して「著作権」による要求と解するのは粗雑に過ぎる。

キャラクターイメージ毀損については、一般的性的表現がすべてそれにあたると簡単に言うことはできないのではないか。たとえばどぎまぎイマジネーション事件※(ときめきメモリアルのもう一つのアレ)の東京地裁は、詩織ちゃんが「優等生的で、清純な、さわやかな印象を与える性格けが、本件ゲームソフト及び関連商品の売上げ及び人気の向上に大きく寄与している」という一方で、被告が「清純な女子高校生性格付けられていた登場人物藤崎詩織と分かる女子高校生男子生徒との性行為を繰り返し行うという、露骨な性描写を内容とする、成人向けのアニメーションビデオに改変、制作した」ということを問題にしているのであって、一般性的表現は許されない、と言っているわけではない。ある改変行為性的表現に限った話ではない!)によってイメージ毀損がなされているかどうかは、そのキャラクターがどんなキャラクターなのかということを考察してみないと始まらない。

モチーフとなる競走馬ファンの皆さまや、馬主さまおよび関係者の方々が不快に思われる表現、ならびに競走馬またはキャラクターイメージを著しく損なう表現」として、性的表現一般がそれにあたるのではないかと考えた人がそれなりにいたことは確かに興味深い。

もっとも、これに関するツイートを見ると、性的表現に限らず何が「不快に思われる表現」なのかはよく考えてみないといけないはずだというものもあって、結構冷静に考えている人がいるのが分かる。

例:https://togetter.com/li/1239211https://togetter.com/li/1673486

ただ、私自身は、これは「「何にエロを感じるのは人それぞれだし、どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」と噛み付いていた人々が「ウマ娘エロ絵は禁止」の一声で「何がエロだと受け取られ、馬主不愉快にするか」をきちんと自分達で考え始めたの笑う」(https://twitter.com/rtoiuyuiotyuijj/status/1371455240143212545)というのとは正反対事態ではないかと思う。先ほども言った通り、何がキャラクターイメージ毀損するかというのは、そのキャラクターがどんなキャラクターで、どんな描写をしたらイメージ毀損するのかを具体的に考えなければ分からないはずである(そして、そうするべきだ、という人も確かにいた)。むしろ性的表現一般を諦めるという態度をとった人が少なからずいたということは、「何がエロだと受け取られ、馬主不愉快にするか」を考えられないから、一般的性的表現はやめました、ということになったのではないだろうか? まあ、自分の描くものはあまたある性的表現の中でも確実に人を不愉快にさせる類のものからやめました、ということなのかもしれないが。

※どぎまぎイマジネーション事件では、東京地裁詩織ちゃんイメージ毀損によってどのくらいの損害が発生したのかという問題をあまり扱っていない。イメージ毀損という無形損害の賠償はどうしても裁判官裁量、つまりブラックボックスになりがちだとはいえゲームソフトの売り上げの損失(をコナミ証明することは困難だろうが)や、詩織ちゃんを使った事業にどのくらいの問題が生じたのかというような部分で争う余地があったのではないだろうか。それこそ表現の自由観点に照らせば、「被告行為によって受けた原告信用毀損は少なくないと解される」という短い言葉検討を終わらせて良いとは思えない。判決文の短さから察するに、被告法定代理人無能だっただけかもしれないが。

追記

ブックマークより)

解釈論と立法法政策)論は別物だからな。増田の言うことは「日本フェアユースを認めるべき」と前から議論されている。一方現行法サイゲの「お願い」は正当性がありそれは尊重されるべき。

そんなに厳然と区別できるものではないと思う。ある法解釈の結果、いかなる帰結が発生するかという帰結主義的な考慮を法解釈に持ち込むことは裁判所普通にやっているだろう※。著作者人格権については、著作権20条は、著作物の改変について、客観的名誉侵害から保護というよりも、主観的思い入れを強力に保護しているようにも読める規定になっているわけだけれども、著作権現実行使するのが、著作権管理している出版社レコード会社といった大資本であることに鑑みれば、その解釈は非常に大企業に有利な体制を作ることになる。立法によってテクストを変更する前に、解釈可能性が開かれているとき、まず解釈で争うことを諦めるべきではないと思う。

※もちろん、あまり政策的な考慮を重視するべきではないという立場はあり得る。特に刑法場合罪刑法定主義との関係上、処罰をする方向へと政策的な考慮を強力に効かせることには問題がある(古典的な例では、電気財物にあたるかという問題が良く採り上げられる)。ただ、政策的な考慮を一切しないというのは、それはそれで異様な考え方ではないか

なお、一見してみて、Cygamesの「お願い」が一理もないとは思わない。仮におうまさんのことは度外視しても、ファンコミュニティの維持は大事なことだろうし。単に、著作権には表現の自由は譲るという単純素朴な理解をしている人がいることが意外だっただけである

メタボ教授競走馬種牡馬)は法律上『金融商品』なので単純に損害賠償請求される恐れがある」https://youtu.be/o3glYqYwsHs

金融商品とは何のことだろうか。カッコつきで書いてあるということは、金商法上の金融商品有価証券預金債権等、通貨)ではないということかな? キャラクターないし商品イメージブランドイメージ毀損について不法行為による損害賠償請求がされうるというのはその通り。パブリシティ権との関係では馬名の使用について許諾はいらないということになるとしても、後からゲーム中の描写イメージ毀損になっているとケチをつけられると訴訟を抱えて面倒になるから、馬名の使用拒否する場合はその馬名を使わない、というゲーム会社経営判断理解できる。ただ、この金融商品という言葉遣いは唐突に感じる。

憲法上の権利である財産権幸福追求権を著作権著作者人格権という形で具体化しているので著作者権利基本的人権範疇では。おまけは113条11項的なアプローチと思うので著作者人格権の問題なんじゃないかと。

かに、あらゆる法律上の権利は煎じ詰めれば何らかの憲法上の権利に行き着く可能性が高い。ただ、憲法上の権利である表現の自由と、憲法上明示されていない著作権とをフラットに扱って、何も重み付けをせずに天秤に乗せるべきものなのだろうか? あと、おまけでは「お願い」が著作者人格権の問題ではない、ということではなくて、法的な権利性質主体・客体がバラバラな諸要求が一枚のお皿に盛られているので、著作権とひとくくりにするのはまずいということを言っている。

著作権表現の自由問題は多分学問的にもまだそれほど論じられてないので表現の自由戦士の中でもガッツリ法学系の人じゃないと考えるのも難しかろうとは。現状の著作権システム是認するのが不当とは言い切れんが

これは、知らなくてもしょうがいかなという気はする。ただ、こういう論点も考えられるようにしておかないで何が表現の自由かとも思う。実際には、超有名論点にすら関心は持たれていない(性的表現制限する刑法175条がまるで問題にされていないようだし)のでそんなのは無理、ということになるかもしれないが。

そもそも表現の自由戦士」はただのレッテルであって、何でもかんでも表現の自由ゴリ押す人たちのことじゃありません。法律に守られた権利を「お気持ち」でゴリ押そうとする人たちに抵抗しているだけです。

私は「表現の自由戦士」というレッテルは使っていないと思うのだが・・・。「法律に守られた権利」というけれども、ある表現に対する「お気持ち」表明(これもまた表現だ)を差し止め権利表現の自由に含まれているとは解されない(名誉毀損のような場合は別だが)。それとも、「お気持ち」に基づいて出版物差止訴訟を濫発した、みたいな事件があるのかな? せいぜいツイッターでボロクソに言われた程度の話しかないような気がするけれども、それが元増田言葉を借りれば「自由制限」とはまこと大仰な話だ。

※以下はこの方に対する直接のリプライではないが、関連する内容ではある。

性的表現(正確には、わいせつobscenityにあたるもの)というのは、日本アメリカ判例法理上、保護されない言論位置づけられている。なぜかというと、表現の自由について司法審査基準を厳しく設定する理由として、民主的過程の維持や人格の発展といった目的が持ち出されるわけだけれども、ということは、逆にいえばそういった価値との関わり合いが薄い表現は、別に手厚く保護しなくて良いということになる。となると、性的表現は「法律に守られた権利」とすら言えないのではないか。私は、それで良いとはまったく考えないけれども、それならそれで現在判例法理を覆す理由付けを考える必要がある。悲しいかな、私は専門家でもないトーシローだし、中々良い案が浮かばない。表現の自由について考えている人は、是非この問題について詳しく調べてみて、知恵を貸して欲しい。なお、定義的衡量(何が「わいせつ」にあたるかという論点で戦う)をいくら頑張っても、いわゆるハード・コア・ポルノにとっては役に立たないということは申し添えておく。

二次創作者やその支持者の大半は「表現の自由」を信奉してるわけでは無いと思ってる。その観点から表現の自由」という言葉を軽々に使うなというのは分かる / エロ即ち不快表現との理解はびっくりするよね

そう、私も性的表現ただちに不快表現にあたると解した人が少なからいたことが驚きだった。こういう短絡を起こしたということは、将来、あらゆる出版社ゲーム会社がこの手の「お願い」を出したら、性的二次創作表現は全部ピタリと止むということになるんじゃないかな・・・。

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