はてなキーワード: 藤子プロとは
いやもう既に来ているかもしれない
本編を読んだことが無いオタク君が海外アニメ批判や論破の為だけに雑にキャプやコマ・台詞改変コラを引用するのを繰り返していくたびに
古参ファンは呆れ果て、将来のファンになってくれるはずだった層がドン引きし、ネットコミュニティ上から愛読者の人口はどんどん減少していく
手塚プロ側は最近ようやく間違いに気付いて原作の定期的な無料配信や西武園ゆうえんちへのIP提供、nikoandとのコラボグッズを出してくれている
藤子プロもドラえもんのアニメが続いているからって気を抜かずに、ネット上のフーリガンの勢いを消し去れるような大胆な手を打たないと未来が失われるぞ!
絵柄が原作と酷似しているため「藤子・F・不二雄の真作」であると勘違いし小学館に問い合わせる者が出るなど、あまりに広まりすぎたために、著作権者である小学館および藤子プロ側も「想像していた以上に深刻な事態」[6]と受け止め、2006年に同人誌作者に著作権侵害を通告。これを受け、同人誌作者は侵害を認めて謝罪し、在庫が全て破棄されることになった。あわせて、Webで公開(無断転載)されたものについても削除を依頼した[6]。
『ドラえもん』への敬意や愛を感じた人も少なくなかったようで、プロの漫画家から「絵だけではなく、テーマや展開も藤子・F・不二雄さんの思想を受け継いでいる」という声が出た[5]。夏目房之介は、「最終話を読んで僕も泣いた。ドラえもんへの愛情にあふれる作品だ」と評価した[4]
原作そのままだったら単なるコピーであって二次創作じゃないからね?
一部共通点はあるが絵柄含めて別物であると独自性が認められる(ひとめ見て原作と別物とわかる)から二次創作なんだ
絵柄が原作と酷似しているため「藤子・F・不二雄の真作」であると勘違いし小学館に問い合わせる者が出るなど、あまりに広まりすぎたために、著作権者である小学館および藤子プロ側も「想像していた以上に深刻な事態」[6]と受け止め、2006年に同人誌作者に著作権侵害を通告。
漫画の「キャラクター」は,一般的には,漫画の具体的表現から昇華した登場人物の人格ともいうべき抽象的概念であって,具体的表現そのものではなく,それ自体が思想又は感情を創作的に表現したものとはいえないから,著作物に当たらない
(最高裁判所 平成4年(オ)第1443号,同9年7月17日第一小法廷判決)
仮に原著作物のシーンが特定されたとしても、本件各漫 画につき著作権侵害が問題となり得るのは、主人公等の容姿や 服装など基本的設定に関わる部分(複製権侵害)に限られるもの であり、本件各漫画の内容に照らしてみれば、主人公等の容姿 や服装など基本的設定に関わる部分以外の部分については、 本件各漫画に二次的著作権が成立し得るものというべきである。
(知的財産高等裁判所東京地方裁判所 令和2年(ネ)第10018号,令和2年10月6日知的財産高等裁判所第3部判決)
anond:20210629070253 anond:20210630072150
b:Id:hilda_i 私原作の解釈はめちゃめちゃする方だけどフェチとかエロとか以外の部分を書くためにしてるわ。台詞ひとつとってもキャラの性格なら言う言わないあるし。エロ場面はほぼ決ま()きってるから他の場面で凝るというか。
b:Id:hilda_i 勘違いされてるけど、「その二人が付き合ってると見なせる理由」とかの為に考察してないから。
b:Id:hilda_i BLにはポルノ同等の性表現のあるものもあるのは確かで、しかしそれをおかず利用しない腐女子もいるというのも確か。私も性欲がない訳じゃないのにBLをおかず利用はしないわねぇ。
1.#ドラえもんのお風呂シーンのカットを希望しますってやつ。
12月に署名開始して3月末まで続けられて15,000の署名が集まった。
それからの動きが無い。
「効果的な提出方法あったら教えて下さい」というコメントを最後に止まってる。
署名を始めた当人のツイッターは更新されてて忘れてる様子は無いんだけど言及もされない。
「ツイッターの検索ワードが呪術廻戦の高専と高等専門学校とで混在してる」
と問題提起した。
「高等専門学校生はツイッターで“高専”検索して他の地域の工業専門学校とコミュニケーションしてる」
という話が?で、そもそもアカウントのあなたは誰?だったんだけどはてブは
「これは良くない。なんとかしよう」
と好意的な反応だった。
話題になったときのツイッターの検索だと呪術廻戦と高等専門学校とが半々位の割合だった。
さっきツイッターで高専で検索すると9割が呪術廻戦になっていて、あれだけ盛り上がったのに誰も対応しなかったのか?とよくわからない。
★佐野デザイン騒動で思ったが、もはやここまでデザインで溢れている現代社会だと
『ゼロから創作して、前に存在したデザインを被らないようにする』ということ自体が、もはや無理ゲーなんじゃないか?
デザインに限らず、音楽でも文学でもマンガでも、ゼロからの創作にこだわるには、既存作品が多すぎる
『既存の〇〇のデザインをオマージュしました』『既存の〇〇のマンガをオマージュしました』のように、
適正なライツフィーを支払う前提で、オマージュを活用した方が、いろいろうまく行くような気がする。
著作権法をその方向で変えてみては?
★例えば、『ドラえもん』は、アニメだと新作をテレビ朝日が毎週作ってますが、マンガだと故藤子F先生の作品以降、読めないのです
『ドラえもんの一話完結マンガを藤子プロ管理の電子書籍フォーマットに投稿して、収益をオマージュ作者と藤子プロで折半』というプラットフォームがあったら受けるのでは?
★新人のマンガ家が、いきなりオリジナルの世界観を打ち立てた作品を世の中に公表しようにも、読者はまずその世界に没入するのに『コスト』が掛かる。
それよりは、日本人ならだれでも知ってるドラえもんの世界観をそのまま『借用』して、オマージュ作品を創作する、という建付けの方が、スムーズだと思う
そんな感じで『夏目漱石へのオマージュ作品』とか。『こころ』の『先生』『K』のスピンアウト作品を募集するコンテストなんてのを開けば、文学青年が多数応募するかも
『怪人20面相と明智小五郎の世界観をオマージュした作品を募集』・・・って、もうマンガで既にあるじゃん。
ルパン三世なんてのは、フランス原作をオマージュしながら、それ以上に華麗なワールドに昇華してるなあ
怪人20面相に至っては、マンガでオマージュされるどころか、リアルでオマージュされてるもんな。かい人21面相とか。
当初は著作権者である小学館および藤子プロ側は黙認していたが、絵柄が原作と酷似しているため「藤子・F・不二雄の真作」であると勘違いし、小学館に問い合わせる者が出るなど、あまりに広まりすぎたために「想像していた以上に深刻な事態」[3]と受け止め、男性に著作権侵害を通告。
「これまでも、そこそこのことであれば見過ごしていたが、ネットで野放図に拡大されていくことには強い危機感を覚える。もしドラえもんに最終回があるとすれば、それは亡くなられた藤子先生の胸の中だけであり、この『ドラえもん 最終話』によって、先生が作り上げた世界観が変質してしまうようなことがあってはならないと思っている」
半分しか読んでないけれど、著作権法の扱いをコピー作品の内容で差別すべきではないんじゃないかと思います。
内容がよくても悪くても、著作権者の権利を侵害している(とみなされる)ことについては同じですし。
最近のドラえもんの内容低下という批判については議論する気はありません(見ていないので)。
ただ、藤子プロは、ドラえもんという作品がF先生の描かれたものだからなおさら、都合のいい展開の最終回など描けないのではないかと思います。
ちょっと時期遅れなんですが「ドラえもん」の同人誌に関してちょっと疑問が浮かんだので書いてみます。コミケ直後で、時期的にいいかもしれないし。
半年くらい前に、藤子プロが「ドラえもん」の最終回を勝手に作って売った人が訴えられて、その売り上げの一部を藤子プロに支払われることになった…というできごとがありましたよね。この同人誌、結構、というか、とても出来がよくて、学校の道徳の授業で使わせてほしいと藤子プロにお願いがきたんだとか。
当然、著作権を侵害しているのだから、この同人誌を描いた人は訴えられてもおかしくはありません。でも、訴えてしまったが為に藤子プロはネット社会から痛いしっぺ返しを受けることになりました。声優交代以降の「ドラえもん」の内容及び製作者の質の低下というのがその理由だと思います。(詳しくはアマ・ジャナ『「ドラえもん」の呆れた制作裏事情』に書かれているので、参照されたし)。確かに、昔と比べると製作者の質は落ちたかもしれないし、この『「ドラえもん」の呆れた制作裏事情』を見た限りで、その製作者に好感を寄せることはできそうにないです。
でも「著作権問題」に関して、私たちは見るべき方向、考える方向を間違っていたのではないのでしょうか。
小学館が訴えるべきは、この同人誌を描いた人よりも、ドラえもんに関する「エロパロ」つまり、内容を18禁にしてインターネットに貼り付けた人々ではないかと私は思うのです。「最終回」であろうが「エロパロ」であろうが、元ネタのドラえもんをパチって、それで金を儲けたという点では変わりはありません。しかし、子供たちに害を与えたという点においては、はるかに「エロパロ」のほうが大きいと考えられます。中学生なら話は別ですが、「性的なもの」に抵抗のある小学生はけして少なくはない。まして、「エロパロ」作者は本物と見間違えるくらいの作画テクニックを持っているのであるから、子供がそのパロディ作品を見たとき、それを本物だと勘違いして、本物に対して嫌悪感を抱いてしまう、というのもありえない話ではない。
このことを考えると「ドラえもん」を穢しているのは製作者側ではなく「最終回」でもなく、「エロパロ」であることは明らかだろう(というかみんな子供のこと考えてないね)。ドラえもんを卒業した私たちにとって必要なのは、今のドラえもんに対してケチをつけるのではなくて、そういった「エロパロ」を描かないこと、そして子供たちに見せないように配慮することだろう。製作者を非難したところで、ドラえもんは何も変わらない。旧声優が年食ってるのは仕方ないし、そんなことについて何を言っても無駄だ。そうしていると自分たちが「いつまで経ってもドラえもんから抜け出せない子供のような大人」として見られるだろう。
コミケに参加する人も、そんな幼い人が多いんじゃないかと私は思う。当然、全員が全員とは言わないけれども。
十代の男子は若いわけだから顔にそれほどの年輪は刻まれてはいなくて当然だが、二十代後半以降の男性においてもそういった年輪の刻みがあまりみられない。「このオタさんは日常で意図的に顔面の表情を動かしてはいないんだろうな」という男性が年齢が上の層においても圧倒的に多い。人間の顔つきは、意図的にあれこれと表情筋を動かしていればそれ相応に筋肉などが発達して容貌に特徴が生まれてくるわけだが、老けている割にはそういった容貌の年輪発達がみられない男性オタクが多くみられた、ということだ。
シロクマの屑籠(汎適所属):2007夏コミ三日目行列にみる、男性オタクの表情と服飾の特徴に関して
それにコミケで襲撃、ケンカをするというのは、まさに子供の所作ではないだろうか。そんなことでケンカしてるようじゃ、革命なんて起こせないし、彼女だってできないぜ!
こういったことを書いている私も、漫画は好きです。だからこそ、漫画との付き合い方について考えるべきではないかと思っています。