はてなキーワード: ぼんやりとは
自分は30代。嫁と子供がいる。都会に就職に出てきて、田舎には両親と祖父母が住んでる。
盆正月にしか帰省しないけど、実家はそんなに変化がなく、皆は穏やかに暮らしているのだと思ってた。
ところがだ。一昨年くらいから祖父母の様子がおかしい。とろんとした顔つきでぼんやりしてる。返事も鈍い。
ははぁ、これがボケか。などと他人事のように捉えるだけで、あまり話題にしなかった。
母や父は普段通りだし、祖父母もちょっとおかしいけれど問題を起こしているわけではない。
あんまり会話できなくなるのは寂しいが、静かな余生を送ってくれればそれでいい。
だけど実態は違った。
ある日の帰省で母から何気なく伝えられたのは、ここ数年は本当にしんどかったということ。
祖父は免許証を返納して運転しなくなったが、代わりにタクシーを呼びつけて至る所へ連れ回すようになっていた。
祖母は祖父を邪険に扱うようになって、感情の起伏のない生活を送っている。一人で閉じこもっているそうだ。
俺はショックだった。
今は薬の効果もあって二人とも精神的に安定しているようだが、母は本当に参っているようだった。
なんで相談しなかったんだ?と聞いたら
あなたのとこも子供の世話で大変でしょ?だから面倒を増やしたくなくて、と笑っていた。
その気遣いは正直嬉しい。祖父母が大変なんだって泣きつかれても、俺だって困ってしまう。
知らないままのほうが、きっと子育てに専念できる。
だけど俺はそのとき怖くなった。
優しい母も実直な父も、ボケて人が変わって迷惑をかけるかもしれない。
それを見届け世話をするのは自分だ。
父母を見捨てられず、きついのを堪えて、変わってしまった父母に悲しくなりながら付き合っていく。
そんな日がいつか来るんだろう。
こんな話は日本のどこにでも転がっている。
名古屋に遊びに行った時、すごく普通のうどん屋さんでうどん食べてた。
(味噌煮込みの名店とかではなくて、カレーうどんが評判らしいけど、でも本当に普通の地元客が利用するような店)
客は私たちと、常連らしい中年男性しかいなくて、テレビがついてる。
店主夫妻とその中年男性が喋ってるのを聞くともなしに聞いてると
「アキオさんの代になってナントカカントカだからねえ」「でもアキオさんがうんたらかんたらだから~」みたいに言ってる。
アキオさんて近所のお店の人とかかな、親戚とか?ってぼんやり思ってたら
そのうち、どうやらそれは豊田章雄男さんのことだとわかった。
うわー名古屋の人って、豊田社長のことそう呼ぶんだと思って、すごく楽しい気分になった。
仕事とか社会的な成功、みたいなものを夢見ていろいろしつつも、
嫁さんできて、子供もできて、でも嫁ラブだし、でも子供になつかれてるし、みたいな感じだと、仕事の成功の優先度さがるなー。。。昔と比べると下がってる。勉強はしてるけれどもさ。
とある若手俳優が大好きで神様のように崇拝してきました。性格からなにから全てを。1年と半年くらいそれが私の精神の支柱、正しく生きるためのすべてだった。
そうして生きてきて急に、なぜかは分からないけれど心を壊した。大好きな俳優のことも、舞台や映画を観ることも全く楽しく感じられなくなり、そんな自分が情けなくなりエンターテインメントに触れると悲しくなって希死念慮が湧く。そんなどん底の状態を過ごして精神科にかかり、今は少しだけ回復しているところです。
完全回復とはいえないけれど少し落ち着いたいま、ぼんやりと辿り着きました。推しを崇拝するのをやめる。
精神科で言われたこと、自分の人生について、周りの人々について、俳優界隈で起きた事件についてのこと、いまの芸能界の情勢のこと もろもろ考えてわたしはもう推しを崇拝するのやめる。やめます。
決して私の中での推しの価値が下がったわけではないし彼の仕事に対する熱意も考え方もパフォーマンスも性格もすべて尊敬してる、尊敬してもしてもし足りなくて崇拝する、神様のように崇めるという結果になってしまってたわけなんですけど私はそれをあえてやめます 心を断ち切る
なぜかというと私が彼を神様みたいに崇拝することが逆に彼にとって失礼なんじゃないかと思い始めたから。彼は神様じゃない 神様じゃないのに弱い人間である私が精神のよすがにするためにブログを読んで、パンフレットを読んで、演技を見て、ご神託のようにありがたがって泣くなんて彼にとったらどれほどの重荷だろうと(決して彼はわたしの心の内を知ることはありませんが、精神世界においての話なのです)ぼんやりと絶望してしまったからなのです
推し俳優を神様のように尊敬して人生の指標にするという生き方はとても有意義で現代的で素敵なことだと思うけど、それは精神の正しい人に許されることであって、私みたいな何かに依存しないと生きていけない、心が非常に打たれ弱い人間にとっては命取りになりかねないなぁとも思いました。推しに失礼だからとかなんとかぬかしたけど結局は自分の精神と人生のゆくえを危惧して保身のためです。みみっちい考えだけど
なんか担降りする人の文章みたいなっちゃったけどこれからも変わらず推しが大〜好き!!!舞台は変わらず観にいくつもりでいます ただ今までと違うのは、彼の文章を隅々まで読んで聖書の進言のように心に留めておこうとしたり演技とか彼の美しさについて過剰反応したり(これはすごく難しいことだと思うけど、本当に輝いているから)彼のお仕事の成功が自分の人生の至上の喜びだというまでに感じることをやめること 感受性をちょっと鈍くして好きでいたいなぁと思う 私は彼の演技やパフォーマンスが大好きでちょっととぼけたようなところがあるけどストイックな性格がすごくいいなぁと思ってるいちファンであるだけ。そういうライトな気持ちで舞台に行けたらなぁと思うと心が軽くなっています。
躁鬱御用達 気力、精神的エネルギーが0%になったときの個人的な処方箋
0% 諦める。回復に専念して他には手を付けない。
1% 回復したいというかすかな気持ちの兆しを感じるだけでいい。ぼんやりとあるその感情をひたすら眺めて自覚する。
5% 回復欲の、その影のような輪郭が見えはじめる。育ってきた。同時に全部無に帰したい誘惑も生まれる。勝負どころ。
10% なにか手を付けたいという、形を持った気持ちが徐々に自覚できはじめる。ここで一気に引っ張り上げる。物を書いてみるとか、簡単な生活の記録を取るとか。外の空気を吸うのもいいし、本を読んだり、とにかく決まったルーティーン以外の刺激を取り入れる。そうすることでエンジンがかかる。
20% エンジンのかかりはじめ。いい調子。気分に明るい変化が起きるのが確認できる。そのままアクセルを踏んでいこう。
50% ここまで来たらもう鬱は抜け出した。十分やった。これからアクセルを踏む時は加減していこう。
90~100% エネルギー出しすぎてるなってのが自覚できる。はっきりと気分が高揚するのがわかる。ガス欠を引き起こしやすい。でも加減も難しい。メリハリをもたせると落ち着きやすい。つまり、規則正しいリズムの習慣を実行する。起きてベッドから出たら、まず最初に着替えと身支度を終わらせる。食事を決まったタイミングで摂る。長時間画面を眺めていいのは夜だけに限定して、朝は別の活動にあてるとか。
瓶の底で、蛍は微かに光っていた。
しかし、その光はあまりにも弱く、その色はあまりにも淡かった。
僕の記憶の中では、蛍の灯はもっと鮮やかな色を夏の闇の中に放っていたはずだ。
そうでなければならないのだ。
蛍は弱って死にかけているのかもしれない。
僕は瓶の口を持って、何度か振ってみた。
蛍は瓶の壁に身体を打ち付け、ほんの少しだけ飛んだ。しかし、その色は相変わらずぼんやりとしていた。
多分、僕の記憶が間違っているのだろう。
蛍の灯は、実際にはそれほど鮮明なものではなかったのかもしれない。ただ、僕がそう思い込んでいただけのことなのかもしれない。
あるいは、その時僕を囲んでいた闇が、あまりにも深かったせいなのかもしれない。
僕にはうまく思い出せなかった。
最後に蛍を見たのが、いつのことだったのかも思い出せなかった。
僕が覚えているのは、夜の暗い水音だけだった。
岸辺に生えた水草が、川の水面を粗方覆い隠しているような、小さな流れだった。辺りは真っ暗で、水門の溜まりの上を、何百匹という蛍が飛んでいた。その黄色い光の塊が、まるで燃え盛る火の粉のように、水面に照り映えていた。
あれは、いつのことだったのだろう。
そして、一体、どこだったのだろう。
うまく思い出せない。
※BLに関する話です。
人に読まれることをあんまり前提として書いていないのだけど、吐き出しをさせてほしい。私怨に見えたら私怨なんだろうなと思ってほしい。
支部はいいところだと思う。自分もよく使う。特に自分は二次創作の小説を読むのが好きで、特にカップリングものを読むのが好きだ。
この度、いわゆるBLに分類されるCPを好きになってしまった。元々雑食だったけど、BLのCPを本格的に好きになるのは初めてだったから、半年ぼんやり様子を探りながら、自分の好きな傾向がABであることを知り、けれども色々と探るうちにBAの話も読めることに気付いた。関係性萌えってやつだった。
で、なんですけれど、自分の中ではABとBAは絶対的に違っているんですよ。左右の差はそれだけ大きかった。もう、パスタを食うのにフォークを使うかか箸を使うかかくらい違っている。二人の距離感も価値観も全然違ってくるんですよ、個人的には。ABとBA、どちらも読めるけど、全然雰囲気が違うまた独立したCPだと思っている。
このあいだ読んだ話。ABタグで引っかかった話だったから、ABなんだなって思って読んだ。話の内容は本当の本当に最高だった。世界よありがとうと思った。
けれどもキャプションにこう書いてあった。「そういう描写はないのでAB・BAどちらでも読めます」よく見たら、AB・BAタグどっちも付いていた。
いや違うんだよ、分かってくれ。貴方が両方で読めるとしても、自分は読めない。そういう描写がないから両方で読めるとかそういう話じゃないんだよ……関係性も距離感も違ってくるんだ……お願いわかって欲しい。
なかなか複雑な心境でいたら、件の話を書いた方がもう何作か投稿しているのに気付いた。全てBAタグのみがついていた。
いや……貴方の中でその二人はBAなんじゃん。なんでABタグを付けて投稿したんだ?純粋によく分からない。もやもやする。とか言って、もやもやしているうちに件の方はBAアンソロジーに参加することになっていた。ええ……
どっちでも読めるから〜と言ってAB・BA両タグをつけるのはやめてほしい。貴方のなかでそこの二人はBAなのに……関係性が決まっていないならABA・BABタグをつけたりしてくれればいいのに。もやもやしすぎて、全ての両タグ付きの作品が読めなくなった。
ちなみに両タグを付けている作品は避けるようになってしまったけれども、作者がABタグの作品とBAタグの作品どちらもあげていたりするのは全然読める。その作者のなかでも、ABとBAで距離感から関係性まで違っているんだろうなって思えるから。
義母は非常に人のよい女性だったが、そのこと自体がやっかいで、考えなしにいろいろ発言したり、親切心から的外れな行動をしたりして、
息子である私の夫にこっぴどく叱られることがよくあった。
さらにやっかいなのは、叱られるとたいへん激しく落ち込むので、周りがフォローに回らなくてはいけないことだった。
まったく手がかかるのだ。
そしてさらに、なぜかどうでもいいことに見栄をはる人で、家族や孫といっしょに写真を撮る時も「私の汚い顔が写るから私は(写らなくて)いい」(←誰もあんたの顔なんか見てねーし。ていうかその顔で24時間365日、70年以上生きてるんですよね!?)と言ったり、具合が悪いときでもきちんと洗濯物を干したり(ご近所にいいかげんにしていると思われたくないらしい)、入院したときもお見舞いに来なくていい(具合が悪いところを見せたくないらしい)といって、絶対に来させようとしなかった。
あげくの果てに、孫たち(私の子供たち)と最後に会えずに亡くなったのだ。
孫たちにも、祖母の死に目に合わせてやることができなかった。そのことをいまでに恨んでいる。
くだらないことで見栄をはっても何もいいことはない。
義母の腹立たしいエピソードは山ほどあるが(嫌味もまったく通じないとか)、
いちど帰省したときに義父の仕事の話になり、「まだ働いているのよ。いつまで働くのって言ってるの(笑)」と話していたことを、今、よく思い返す。
義父は戸建ての外装(エクステリア。石畳とか、庭とか、塀などを作っていたらしい)を行う職人で、不動産屋から仕事をもらい、フリーで仕事をしていた。
フリーなので定年はない。引退の話をしたときも、まだ70歳になったくらいで、元気だった。
だから、「仕事を辞めてもどうせ暇なんだから、続ければいいじゃん」と、そのときはぼんやりと思っていた。
今、このことを思い返すのは、実は、義実家にお金がまったくないということがわかったからだ。
義母が義父に「引退したら」というくらいだから、老後の資金計画はしっかりできていると思っていたのだ。
ところが、義父はまず、年金に入っていない。仕事が完全にできなくなった今現在、収入はゼロである。
そして、貯金もない。
まちがいないく、数年後には生活保護確定だ。
義母はこの状態をじゅうぶんわかっていたはずなのに、なぜ「いつまで仕事するの」なんてことが言えたのだろうか。
それどころか、義母が亡くなった後に、義母が、義父に黙って、義母の姪に数十万円の学費の援助をしていたことが発覚した。
(ちなみに、うちの子供達には、お年玉以外は、出産祝いと小学校の入学祝いくらいしかもらっていない)。
義父は今、仕事ができなくなり、食べるのに困って、
家を売って明日アパートにうつるという日に、電話してきたのだ。
家賃2万円ほどのそのアパートで生活し、たちゆかなくなったら生活保護を受けるつもりのようだ。
自分は何一つ困ることもなく、体が弱いことを理由に働くこともなく、のうのうと生きて死んでいったように思えてならない。
もう少し生きていたらよかったのに。
働けなくなって食べていけなくなるということが、どれほどみじめか。
味あわせてやりたかった。
引退したあとどうやって生きて行くつもりだったのか。
亡くなったあとに聞いたことだが、もしも義父のほうが先に死んだら、自分は生活力がないので、
一人息子のところに行く、と話していたそうだ。
冗談じゃない。
弱いということは、ここまで人をずうずうしくさせるものだろうか。
まず最初に。
はちゃめちゃ長文だ。誤字脱字もある。
いい年して駄々っ子のようだとも自覚しているが、ここはそういう場所だと聞いたのでただ吐露していく。
私は母親が苦手だ
ありきたりな話だと思うが母親が苦手だ
私は生まれた頃から生粋のおじいちゃんおばあちゃんっ子だった。当時祖父母の家と自宅が目と鼻の先の距離だったこともあって、小学校に上がるくらいまでは自宅で過ごした記憶しかないくらい祖父母宅にほぼ住んでいた。
初孫で初めての女の子だったこともあり、蝶よ花よと祖父母は可愛がってくれた。頻繁に遊びに来ていた親戚も可愛がってくれた。それが母親は面白くなかった。
それもそのはずだ。自分にとっても始めての子供を姑に取られてしまったのだから。
この事が私と母親の根っこに未だに深く残っているのだと思う。
私も母もお互いへの接し方が分からず、当たり障りなく過ごしているうちに私が小学生に上がる頃祖父母宅とは遠い場所へ引っ越すことになった。
その辺りから徐々に、いや今まで溜め込まれていたものが少しづつ外へ出てくるようになってきた。
母は怒りを頻繁に爆発させた。
親は怒るものだというが、母の怒り方は常軌を逸していたと思う。
何に怒っていたかは分からない。職場や外で何か嫌なことがあったのだろう。そういう日は玄関を蹴りながら開け買い物袋から自分の荷物から全てキッチンに投げ捨て包丁でまな板をグサグサ刺し続けるのだ。
初めて目にした時はこのまま殺されるのかと思い体が動かなかった。今さらながら蛇に睨まれた蛙とはこの時の様な状態なんだと思う。
まな板にいくつもの刺した後が残るころ、気が済んだのか笑顔になり『うるさくてごめんねーごはん作るね』と言うのだ。いつも通りに。笑顔で。ついさっきまで包丁でまな板を刺していた人がだ。
この頃から母はやばい人だな逆らわないでおこうという生存本能のようなものが植え込まれていた。
他にもテーブルを蹴る。物を投げ捨てる。大声を出す様な事はわりと頻繁にあった。
母の出した料理に少しでも微妙な反応(上記の通り逆らいたくないので間違っても不味いなどは口にしてはいない)をすると食べなくていいと食事途中であっても膳を下げられた。なので食事中は大げさに『おいしい!今日もごはん作ってくれてありがとう!』とまるで『いただきます』を言うように言っていた。
幸いなのはどんなに起こっていても私や妹たちには決して手を出さなかった。なのでここまで書いておいてだが虐待されたとは微塵も思っていない。少し他の母親と違うだけだ。
まず始めに書いた私を小学校上がるまでほぼ祖父母に取られてしまったこと。
父がクソなことだ。
我が家が比較的裕福ではないこと、は父がクソなとこに繋がるので父の話をさせてもらう。
父は私たちを養うためにあまり家にも帰らず必死に働いてくれた。それは大人になった今有り難みが心の底からわかった。労働して家族を養うってものすごい大変だ。
それでも父はクソだった。
パチンコに入り浸り、出会い系をして、一回り下の子と不倫をして、借金を残して蒸発した。
父の話は以上だ。
あれだけ書いたが、私は母を恨んではいない。感謝している。父が蒸発しそれでも働いて私たちを育ててくれた。私が母と同じ状況になったらもっと駄目な母親になると思う。少しやばいけど尊敬する母だ。
それでも苦手なのはいまだに変わらない。
そんなことがあって、女手一つで育ててくれた母親にむかってと思う人もいるだろうが苦手なのだ。
嫌いではない。人として反りが合わない。
子どもの頃の母の言動がいまだに忘れられないというのもある。トラウマというには大げさだが、自分に向けられていないにしろ母親が包丁を振りかぶっている姿というのは忘れたくてもなかなか忘れられないものである。
例えばパチンコ店で働く親戚に対して、あんな所で働いて恥ずかしくないのかと言ったり。所謂『オネエ』が嫌いで、女の武器を使って姑息だと言ったり(そもそもLGBTにあまり理解がない)。階段でベビーカーを持ち上げて登っているお母さんが居たので手伝おうとしたら『私がベビーカー使ってたころは自分で持つのが当たり前だったんだから今の人たちも苦労しなきゃいけない。手伝わなくていい』と私の手を止めたりもした(そこで母に逆らいたくないあまり手伝わなかった私も同罪だ)。
それから、母に面と向かって『お前を育て直したい』と言われたことがある。
もちろん母なりに考えていて悪意のある言葉でなかったと思う。そう信じたいが、それを言われた子どもの気持ちは?
それを言われた瞬間に『今のお前は失敗作だ』と言われた気がした。
弁解させてもらうと私はいたって真面目な子だったと思う。ずば抜けて優秀だった訳ではないがほどほどの成績を取り。校則違反を犯した事もなく。教師からの評判もいい地味で真面目な子だった。働く母に変わり夕食を作り家事を手伝った。今思えば幼少期に埋まるはずだった信頼を必死で埋めようとしていたんだと思う。
それでも言われたのは『お前を育て直したい』だった。
少し他と違う、少し変わった母でも信じようと思っていた気持ちがそこで切れた気がした。
崩れたんじゃない。切れた。
母への想いがそこで終わった。
尊敬はしている。育ててくれた恩も感じている。だけど終わっている。
母は今再婚して、義父となった人と暮らしている。私も妹もみな家を出ているので母の現状の暮らしがどうなのか詳しくは知らない。
義父が地方の出身で将来的に地元に帰るので、母も付いていくのだという。
あの人の人生は幸せだったのだろうか。これから幸せになれるのだろうか。
私はあの人から産まれてあの人に育てられたのに、もう終わってしまったからそんな事をぼんやり思うしか出来ない。
ごめんなさい。
育て直せればよかったね。
ポケモンっぽいゲーム。ポケモンを武器化して主人公が振り回すぞ!
ユーザーに快適に楽しんでもらおう! という配慮をみじんも感じられない! すごい!
有名な所では、「100匹以上ポケモンモドキがいるのにボックスに30匹しか入れられない」という点。手持ちが6匹なので36匹しか持てない。イベント入手のポケモンを全部持とうとすると、最初にもらった御三家(っぽいキャラ)を手放す必要がある。すごい。意味不明だ。
一応捕まえなくても目撃するだけで図鑑は埋まるのだが、その配慮はいらないのではないか?なぜコレクションゲーでコレクションが出来ないのか?これは課金で枠を増やせるゲームでは無いんだぞ?
というのは序の口である。劣悪というからにはまだまだ配慮は足りないのだ。
まず、自転車のような高速移動手段がない。この時点でそうとうなストレス。すっとろいダッシュでぼんやり進むしかない。
さらに、エンカウント率を操作できない。「エンカウントなし」どころか「エンカウント低下」も「エンカウント上昇」も不可能。ちょう不便。素のエンカウント率は高め。かなりイライラさせてくる。
「町中で敵とエンカウントする街が存在する」のである。草むらなどではない。コンクリートで舗装された道路も、階段も、すべてである!街内の全エリアでエンカウントする!屋外はすべてである!何考えてんだ…?
その街は終盤のメインエリアであり、素通りは不能だし前述のとろいダッシュで町中駆け回る必要があるしエンカウント頻繁にあるし「とんずら」のような便利な闘争コマンドなぞあるわけもない。ひたすらにストレスフル!
代わりにスペースシャトルが五都市にあり、そこで都市間を移動できる。しかし発着場までは当然徒歩。ついでに、このゲームには10を超える街がある。……つまり、田舎には発着場がない。田舎に用事がある場合は近い都市に飛んでいって歩く。何考えてんだ…?
細かいところでいうと、戦闘ルールが「かちぬき」固定である。1匹に勝ったあと「いれかえ」するルールはない。不便。相性不利の対面が来るとわかっていても交換が出来ない。しょうがないので戦闘途中で交代するしかないのだが、その際被弾する。うざい。
こんな感じで常時ストレッサーなゲームなのだが、このゲームがクソゲーかというと……別にそうでもないのである。
ポケモンを武器にする、と言ったが、これは「命を預けてもいいと誓ってくれた友人の体を武器に変換する」ようなそんな感じの設定があり、前述の町中エンカウントする意味不明の街も「もとは神話に語られた幻想世界であり、近年近代化したが幻想の色が残っている」ようなそんな感じであり、ゲーム中にこまっかい設定が敷き詰められていて飽きない。
作中の10年前に神話世界との大戦があったが、主人公のパパ(ファンタジー側)が裏切ってくれて世界が救われたとか、パパがうっかりボスに殺されたときに主人公の中の異人の血が目覚め羽が生えるとか、あと東京が沈没して幕張が首都になった。
戦争で人口が4000万人になったけど10年で1億5000万人に増えたとか…。そんなこんなの世界観。好きな人は好きだと思う。
「ポケモン」と言ったが、実は人型キャラも仲間にできる。このゲームで言う所の「ポケモンゲット」は「戦闘中に愛の歌を熱唱し、愛を伝え、惚れられたら仲間になる」という異次元の方法をとる。キャラごとにゲット時の専用台詞もあるためドキドキできるぞ!
王道のボーイミーツガールもの(女主人公だと百合になるぞ!)でふつうに面白い。主人公以外のネームド仲間キャラが異常に弱くて友達もライバルも忍び組織のトップも前大戦の英雄も主人公のパパ(こいつも英雄)とかそういうのもボス相手にあっっさりと、それはもう一撃でやられてしまうのだが、そのへんに目をつぶれば面白い。
プレイ動画を見て、合いそうだったら買ってもいいんじゃないかと。
あと、このゲームには「愛属性」なる属性があるのだが、その相性というのが「自分以外の属性に1.5倍のダメージを与えるが、自分以外の属性から1.5倍のダメージを受ける」という、どっかのバーサーカーみたいなものである。時代を先取りしすぎたかもしれない。
あまりにも女にモテなくて、でも一度は結婚したいなと思ってて色々婚活的なことやってるけど、こんなに俺は女の視界に入らないのかってわかって驚愕してる
数打ちゃあたるで何とかなるかなとぼんやり思ってたけど、なんかこう根本的に思い違いしてたようだ
まったくさっぱり誰からも返事がない
婚活スタッフの人は大丈夫って励ましてくれるけど、いやもうこれ無理だろ・・・
もう声をかけるお相手がいない
これはめちゃくちゃ精神にクル
最近なんかぼんやりとしがちなんだが、昨日は特にひどかったんだ。
いつもは一回で済むのに、昼夕夜と3回出たんだ。
その場にへたり込みそうになったけど、とりあえず脱いでビニール袋入れてゴミ箱に入れた。まだ古くていつ捨てるか、という状態のパンツでよかった。
いつからあんな状態だったんだ?なんで全然気づかなかったんだ?ってとても混乱したしすごくショックだった。正直一日経ってもまだショックだ。
諸先輩方に聞きたいのですが、これはうんこ漏らしには入らないですよね……?
僕は今、みちのくに向かう寝台列車にひとり揺られている。(75 寝台列車)(72 鉄道)(15 一人旅)
岩手県の、とある霊山でバックカントリースキーを楽しむためだ。(51 パワースポットめぐり)(64 スキー)
今日は、バックカントリースキーの魅力をこのブログに書き残しておこうと思う。(6 ブログ)
管理されたスキー場ではなく自然のままの雪山を滑走するバックカントリースキー(BC)は、ドロップポイントまで自分の脚で登らなければいけないし、ときには野営もする。要はスキーをかついだ冬山登山である。(35 登山)(1 キャンプ)
BCはスキーの技術だけではなく登山についても十分な知識と経験、装備、そして体力が必要になる。だから夏の間は準備のためにあらゆるトレーニングをする。実際に山にも登るし、筋力トレーニングはもちろんのこと、ロッククライミングの講習を受けたりもする。(7 筋トレ)(17 ボルダリング)
今回は途中の山小屋で一泊する予定だが、山小屋泊はいつもいろいろな出会いがあって楽しい。山小屋につどう様々な年齢職業の人々の雑談に耳を傾けながら、スキットルに詰めてきたモルトをちびりちびり。至福のひとときである。(57 人間観察)(34 お酒)
山小屋の夜も更けると、誰からともなく懐かしい流行歌の合掌が始まる。僕も小屋に誰かが置いて行ったウクレレで伴奏をつけながら、絶妙なタイミングで合いの手を入れる。(22 ウクレレ)(32 音ゲー)
ある時など、同宿者から何か歌えと言われて一番得意なビーチボーイズの『サーフィン・USA』を歌おうとしたのだけれど、むかしあんなに一人で練習したのに歌詞をど忘れしてしまった。途中から出まかせを歌ったらこれが逆に大いにウケたのもいい思い出だ。(95 サーフィン)(39 1人カラオケ)(13 作詞)
このように山小屋での一泊は和気藹々としたものだが、たまにケンカもある。ある時は大道芸人とトライアスロンの選手がささいな口論から取っ組み合いになり、片方が大怪我をして訴えを起こす騒ぎになってしまった。(41 ジャグリング)(60 水泳)(47 サイクリング)(4 マラソン)(82 裁判傍聴)
みんなが寝静まると僕は外に出て空を眺めることが多い。冬山の夜空は満天の星。この美しさを楽しめるのは、自分の脚でここまで登ってきた者だけに与えられる特権だ。昔の学者たちは、こんな星空を眺めながら複雑な計算をして宇宙の仕組みを解明していったんだなあ、などとぼんやり考えていると、手を伸ばせば届きそうな頭の上をUFOが通過していくこともあった。(10 天体観測)(24 数学)(46 UFOキャッチャー)
夜が明ければ深い雪をかきわけながら山頂を目指す。道中はここでしか見られない高山植物や希少な野生動物も目を楽しませてくれる。高山と言えば長野のライチョウが有名だが、意外にヒワなどもけっこう高標高まで鳴き声が聞こえてくる。(78 バードウォッチング)
長い時間かけてたどり着いた山の頂上からの眺めは最高だ。記念写真を撮ったらまずはゆっくりとコーヒーを沸かして喫むことにしている。山の上での撮影は最近流行りのドローンが楽しい。荷物が軽い日帰りの時はできるだけ持っていくようにしている。(18 カメラ)(45 コーヒー)(80 ラジコン)
山頂での一服を楽しんだあとはいよいよ滑走だが、あれだけ長い時間かけて登っても下るのはあっという間だ。粉雪のスプレーを全身に浴びながら心を無にして滑走しているうちに、魔法にでもかけられたかのように、あっけなく麓に着いてしまう。(8 マジック)
山奥には秘湯と呼ばれる名湯がひっそりと湧いていることも多い。登山と滑走に疲れきった体は温泉でリフレッシュしよう。(43 温泉巡り)(30 サウナ)
せっかく遠くまで来たのだから、時間に余裕があれば、地域の名所や旧跡に立ち寄って見聞に蒙を啓くのもまた、旅の楽しみのひとつだ。(70 歴史)(12 神社巡り)(29 動物園巡り)(31 水族館巡り)(50 博物館巡り)(94 ダム巡り)
恭介はそうつぶやくと、しばし手を止めてパソコンのファンの音に耳を澄ませた。どこかの調子が悪いのか、最近やや熱暴走気味でファンがやたらにうなるのである。
やはり次はメーカーの完成品にしよう、と思いながら恭介はいくつかのキーを素早く叩いた。するとパソコンは、恭介の書いた原稿を校閲し「はてな匿名ダイアリー」へ投稿する自動シーケンスを一瞬のうちに実行してから自発的にシャットダウンした。(68 自作PC)(26 プログラミング)(5 小説を書く)
彼に二択を迫ったのだ。
まず別れてほしい。そしてその時に、私を選ぶか、奥さんを選ぶか決めてくださいと。
そして、仮に前者だった場合、離婚するまでは会わないので、離婚をしてきてくださいと。
世間体がどうとかいう問題ではなく、セカンドとして生きていることでこの数年自尊心が日々削られていた。そのことは最初はわかっていなかったが、ここ一年ほどでぼんやりと形が浮き彫りになり、彼に決断するように伝えた。
でも、こうやって文章にするとどうしても私が甘いような気がしてしまう
別れたとして、彼に私を縛る力はないのだ。
だから、とりあえず別れる。その後は知らん、というのが正解なのかな。
極めて寒さと雪の夜は、この日に忍び寄ると、年の最後の日です。大晦日は新年を歓迎します。冬の寒ピアス 、その後暗く 1通りに多くの人が買い物から出てきました。新鮮な表情でクワン今日は大晦日だからです。と真っただ中に それらの人々の威嚇。少女 私は服を着て ために、未舗装の道路を歩いて老人。マッチ そこに彼女のキャリア 彼女はナプキン試合でそれを包みました。と一致するものを売って少女を握りしめ片手でそれを保持するので、彼は私が木をしたい」、叫びました。火は、それをいくつかの試合を襲った...それ... マッチ、「彼女は過去を歩く母親と息子のためにいわゆる「婆マーシー足が...助け試合に私は思ったラットを購入してください」。それは、私にはわからない、多分、彼女はいくつかの慈悲を得ることができ、それは「すでに自宅で一致することができた...そしてそれが再び使用されないであろう、母と子の両方が親切な人であると思われることが期待されています。私は言わないだろう 彼女から一日中、彼女にセントを与えないものをマッチを購入Doetaa「誰のために他の誰かに依頼してください。かわいそう すごすご震えと哀れひどい飢え歩きました。島のふわふわ雪の巣。ショルダー長ブロンドの髪、彼女の母親は間違いなく駆動可能で惜しまれる喜びはないと思います。自身のビットは、彼女があることを試合を販売しようとします。今日、彼女は試合ではなく、バンドルかを販売している場合ので。でも、いくつかのシリング銀1。手に家に一度。彼女は父親でなければならなかった、酔っぱらいがこの少女を虐待エミュレート破りました。彼女は試合を販売しようとしたので、非常に取り乱した、と彼女は通りを横断しようとしていたとして。向こう側 カートライトは、高速で通り過ぎる車でした。彼女は離れて跳びました これは、古い靴を作ります 跳ね返るためにそれを置きます。すべての方向に 彼女はショックを受けたが、彼は、叫んだ大声で彼女の靴を心配していた、 "ああ、靴は、" 少年は、不良であった靴は、サイズに生まれた古いだけのペア、だからしても、それを後悔を投げた後に見えました。彼女の足は非常に多く、それは彼女が冷たいのために寒さの中に外に着用している靴を亡くなった母親の靴です。一つだけは...だけ必死に靴をジャンプ。1つの飛沫は、どこにも行っていません。他の側では、正常に動作しない少年 一つは、可能性をつかん それから彼は叫んだと...離れてそこから実行する前に、「彼がスリープ状態にガレージに彼の息子を取るだろう」と述べたしたがって。リトル母親が原因至る所に散らばっ散乱無差別に落ちる彼女のコレクションの一致、に沿って寒さ、暗赤色のあざの行くために裸足で歩いていました。そして厳粛に「これらの一致はないもはや、製品として販売されます。私たちは家に帰ると私の父はどのくらいを叱るビートにしている場合は、「彼女はぼんやりと思いました。彼女はその後、緑色の小さなペアがあるため寒さと雪の心に傷を負った、先に行きました。ああ..因果関係の彼女の何も..作品。かわいそうな子供はそんなに悪い.... 光はすべてのドアの窓から輝いていたと通りに出くすぶりローストガチョウの香りが漂うにおいがします。はい..今日は大晦日はそうです。新年 リトルハンマーは自分自身にすべての時間を事も無げ。クスクスの音 そして、彼女は停止し、ビューを覗くためにを求める人々の家で楽しくはしゃぎます。最後に、それはあまりにも、年の終わりです。この離れて 彼女の意見では。彼女はそれらを羨望WOPが突然戻って保持するために彼女のベストを流れ落ちる涙。これは、停止していないライン流下母親まで母が生きていたとき、彼女は常にあったので、どうしようもなく...当事者が祝うと料理について考えを。クリスマスへの感謝祭 彼女と彼女の家族...しかし、ここで死んない母はありません。彼女は家の中で男性を見ました 包まれた贈り物は、彼の子供たちの子供たちに与えられている喜んで開封されたギフトを急ぎました。私は彼らの幸運が悪い...覗いてうらやましいです。彼らの喜び。これは、知られていないどのくらい 撮影したとき、彼女は意識していました。家の中で明るいライトがオフでした。すべてのリターン ロンリー条件 それは非常に古いですし、もう一度...全領域を通じてセラピストは雪がまだ定期的に落ちている女の子がもっと歩き続け着実に、そしてので寒さと疲労のため、彼女は避難所に下って行きました。家の階段 屋根が少しを拡張し、それが雪の一部を奪うのに役立つ、彼女はラップします。風邪を緩めるためにウォームアップしたいと考えています小さいです。しかし、それはすることができませんでした。少し寒さを迷子に彼女を助けます。彼女は彼がそんなに恐れたので、家に帰る勇気がなかったです。お父さんはいつも彼女の父親への残酷な彼女は極めて酔って... ...赤ちゃんの冬を恐れます。私はすべての上に震え 彼女の手はほとんど、彼女が縮小しようとした、氷冷ました。別の小さいです しかし、彼女はまだ非常に寒かったです。彼女は本当に温め小さな手を両方の母は風邪でダウンして冷却するためにお茶を味気ありません。ああ...試合はいくつかの茎はあなたが気分を良くするに役立つことがあります。彼女が引っ張られていない場合 ただ唯一のタイロッドからそれを取ります。そして、ウォームアップに身をANGする壁に指を渡ります。最後に、その後母「唾吐き」火花が点滅し、一致を引き出す少なくとも1レバーとは思いつきました。それは彼の手で小さな男の子まで、それに対する素晴らしいビーコンとして非常に明るく、ロウソクの炎のように暖かいです。ドアと大きな真鍮のノブと暖炉の前に座って少し眠り自身。パワー·パーラーと 暖かい素晴らしい....母の足が離れてイギリスにそれはウォームアップするためではなく、炎を簡単にダウン消滅しました。任意のつかの間の暖炉 ベビーシッターストーク一致 バーンズはそれはより明るく、この空洞壁の建物を燃やし、再点灯した試合で係争中。照明効果はパテになると予測されています。薄い透明な膜の木のラットのように。
ずっと禁煙は何度もしてて、以下失敗
・持ってるタバコを捨てる
・灰皿を捨てる
・絶対吸わないと誓う
絶対吸わない、絶対吸わない絶対吸わない絶対吸わないー!!!!!ってめちゃくちゃストレスだった。
以下、成功。
・とりあえず吸わないことにする
これ。
これを繰り返す。吸いたければ吸えるぞという状況にする。
これがてきめん。吸ってもいいんだよと思うとわりと楽に乗り越えられた。
乗り越えられた、といいつつそれは禁煙2日目の夜まで。2日目の夜は悲惨だった。禁断症状か、もう吸いたくて気が狂いそうになりアロマテラピーのようにタバコに火を付けその煙をぼんやり見て「ここで吸ったらまた禁煙したときに、この苦しみを味わうのは無理すぎる」と言い聞かして乗り越えた。
一番きついのは「吸わない」と決めるタイミングだと思うので、参考にしてみてください。ニコチンが抜ける瞬間はさらにまじできつい。これは二度と経験したくない。ここまで来てもまだ時々うっかりタバコを吸った夢を見るので、吸わないのが一番。
いろいろ重なって去年の年収がちょっと大台に乗った。そんなにもらってたのかと思った。
給料が増えてた自覚がなかった。なぜなら使っていなかったから。生活にかかるお金は給料が増えようと増えまいと変わっていなかったから、その認識がなかった。
一応家計簿はつけていたけど、支出ばかり見ていたなあ。必要なお金を引いて今月はいくら残るって部分は見てなかった。通帳もちゃんと記帳しているけどただぼんやり数字が増えたな、使い道がないな、としか思ってなかった。
そう、使い道がない。
趣味は読書。あと昼寝。長風呂も好きだが、肌が弱いから温泉はあんまり。いくつかゲームもしている。課金はほぼしない。これまでの合算を平均しても月300円はいってないと思う。
ファッションとかインテリアとかアクセサリーとかは全然…じゃないけどほぼ全然と言っていいくらい興味がない。清潔感があってTPOに合っていて着ていて自分も相手も不快じゃないなら何でもいい。
とりあえず寒波に備えて防寒インナーを買い足しに行った。持ってるけど。まだ着られるけど。でもまあ最近寒いし増やしてもいいかなってようやく思えたから。そう思うのにも時間がかかった。
ユニクロでシャツを選びながら服って高いなと思いながら何でこんな風に思うのかを考えて、幼少時代の経験の根深さのせいかもと思った。
ゆで卵の作り方とか玉止めの仕方とか初等教育で教わったことって力強く自分の身に根付くけど、同じように幼少時代の経験が自分の根幹に残って将来にわたって思考や人間性に大きく影響する。当然のことかもだけど、その環境を離れてもずっと残って自分の基本になってると思うと恐ろしい。正直ちょっとおぞましい。
たぶん特段貧乏な家じゃなかったと思うけど、親はお金を使わない人だった。費用対効果とかメリハリとか将来に向けた貯蓄とかだったのかもしれないけど、子供はそんなこと知らん。
道具は壊れるまで使うもので、衣類は破れるまで着るもの(小4くらいまでは靴下は穴が開いても繕って履いてた)。機能性や効率は存在しない。
生活は我慢、楽は我が儘、外食はすべて贅沢、楽しいも贅沢、苦労と工夫が美徳。
生活はすべて苦労の上に成り立っていて、その他は塵芥レベルにしか存在せず、そしてそれを(それすら)楽しむのは罪悪である。ましてや自由などは塵芥レベル以下でも存在しない。
主観だから偏ってるかもしれないけど、自分の認識としてはそういう家庭だった。
兄弟がどう思っていたかは分からない。兄弟は自分より良い扱いを受けていたからたぶんまた違う印象だと思う。
ともかく、自分にとっては靴下でも下着でも新品を買ってもらえるのは本当に特別なことで、普通の普段着も誕生日プレゼントになり得ていた。だから何でもないタイミングで新しい自分だけの服を買ってもらえたときは、嬉しくて嬉しくて、毎日でもそれを着たいと思ったくらい。
…こうやって書き出してみると、どこのフィクション世界の孤児院か刑務所かって感じだな。自分にとっての現実でした。
そんな中でも本だけは十分に買い与えられていたから、いまでも本だけはどれだけ高価でも買ってもいいものになっている。だから趣味の読書もためらいなく続けられている。…いや、これは必然の結果かも。でも普通に読書好きだし楽しいからいいや。最近はデュマの椿姫がよかった。
もちろん教育として良い面もあった。物を大事に使うとか食事は残さないとか、そういうのはいいことだと思う。
でもたかだか1000円程度のインナー1枚買い足すのに、持ってるのに勿体ないかもって少しでも考えちゃうのはどうなの。
外出先ですごく疲れているのに、お茶の1杯を飲みにお店に入るのを迷ってやめるとかどうなの。
お金を使うことに後ろめたさがある。ケチとか節約とかいうレベルじゃない。最近ようやく、もしかしてこれはちょっと異常なのでは?と気づいた。
実際がどうだったか、今現在がどうかは別として、自分にとってお金は常にないものだ。
だから給料が上がってもお金があるという認識は生まれないし、お金がないのだから使い道も生まれない。
本当はたぶん、使い道はいっぱいある。
くたくたになってるカーディガンとか、袖がべろべろに伸びてるパーカーとか、筋が入ってくたびれてきた革靴とか、バッテリーが持たなくなってきたスティック型掃除機とか、生地の真ん中が大きく割けてる布団とか、ヒビが入って異様にギシギシ鳴るベッドとか。
新しいものを求める気持ち以前に、今使っているもので買い替えが必要なものがたくさんある。大きいものから小さいものまでリストアップすれば本当にたくさんになると思う。
でもそれさえためらってしまう。マメに充電すれば使えるしとか、中の綿が見えてても眠るのに問題ないしとか思って、本当にどうしようもないレベルになるまで先延ばしにしてしまう。効率悪い。分かってる。
過分はもちろんよろしくないけど、もう少し自分にお金をかけてもいいはずだと思う。自分の快適さや楽さを買っていいと思う。全然悪いことじゃない。
自分で稼いだお金を自分の生活を整え豊かにするのに使って何が悪い!
生活は我慢じゃないし、楽は我が儘じゃない。苦労だけが美徳でもない。幼少期の呪縛からそろそろ解き放たれたい。
私は今年鬱になった。
そういうと大げさに聞こえるし、実際はそんなに大げさなことではない。ただ、ちょっと薬に頼ってしまっただけ、くらいの感覚。
私は今年社会人1年生だ。4月から箱詰め研修でそのあと勤務先に配属になった。がむしゃらに毎日働いた。働いて働いて、毎日失敗して、怒られて。いっぱいいっぱいだった。途中で耳が聞こえなくなったりもしたけどそれはなんとか乗り越えて、仕事に慣れてきた頃、仕事で独り立ちすることになった。
自分ではしたつもりの確認が全くできてなくて、本当に毎日ミスの連続。毎日毎日失敗して、その度に上司に怒られる。「ちゃんと確認しろ」分かってるのにできていなかった。そのうち自分のミスを聞くたびに泣くようになった。会社の事務室で人が見てるのに涙が止まらなくて、会社に行くのが怖かった。「教わってないから知らなかった」と言うと、今度は先輩に疎まれるようになった。自分は言葉選びが下手で、余計なことを言ってしまうみたいで、上司からも変な目で見られるようになってある日、社会人採用の同期に呼び出された。「仕事舐めてんの?」同期にそう言われて私の中の糸がプッツンと切れた。
その日家に帰ってから、何もせずに布団に入って泣いていた。死にたいと思うどころか何も出来ない。だって起き上がれないんだから。会社はたまたま休みだったから次の日は夜までずっと寝てた。ツイッターだけは出来たから死にたいって呟いてた、起き上がれないって。病院に行けと言われたのでそのまま近場のメンタルクリニックに手当たり次第電話して生まれて初めて精神科の予約を取った。
精神科の予約の日は先だったが、ふと思ったことがあった。「もしかしたら自分はADHDなのではないか?」
インターネットで検索するとすぐにADHDのチェックリストを発見することができた。読めば読むほど自分に近い。当てはまっている。それはすごく単純なことで、たとえば貧乏ゆすりが激しいとか、物事の順番がわからないとか、まさしく注意力の欠如だったりとか。声が大きくなったりだとか、言葉が詰まったりだとか。ああそうか、自分は障害を持って産まれてきてしまったのか。それは自分にとって妙に腑に落ちるものだった。
病院では抑うつの薬を貰ったり睡眠薬を貰ったりして、まあそれなりに回復は出来たと思う。ADHDかもしれないと相談をしたらチェックをしてくれて、十中八九……みたいな反応をされた。しかし実際に治療をするには莫大な時間と金がかかるらしい。障害とはいえADHDは個性で、特性。もちろん治療をしないという選択肢がある。自分には金も時間もなく、薬のおかげで前よりは会社に元気に行けるようになってからは心に小さなわだかまりを残しつつも、そのことは考えないようになっていた。
そんな時だったか、8月くらいにアイドルマスター SideMのアプリの配信が始まった。Mマスは2年くらい前にハマってたけどそのあと忙しくて放置しててそのまま、な不真面目なプロデューサーだったのだが、アプリくらいはと思いダウンロードはすることにした。推しが踊るのはすごく楽しかったのだが、夏〜秋くらいはゲームをやろうという体力もなく他のゲームもやってたりして入れて少しやって放置、していたと思う。
Mマスはアニメも始まっていたが推しのユニットはセカライ組だったためいまいちやる気が出ず、録画だけして2週間くらいは貯めていた気がする。
そのくらい不真面目なPだったのだが、暇なときにふと Mステをプレイしていて気が付いたことがあった。
びっくりしてしまった。もともと四季のことは好きで、ファスライのsr+は1番に彼を取った。でも、こんなに可愛かったなんて気がついてはいなかった。踊るとすごく可愛かった、見たことない表情をする四季に何故だか興奮が止まらなかった。
アニメを見よう……そう決心して見始めた一話で号泣した。これは、素晴らしいアニメだ。四季くんも出るし、ちゃんと見よう、そう決めた。
ぼんやりとそんなことを考えながら生きていたある日のことだ。たまたまモバMの方にログインしたら、四季くんが上位のイベントが開催されていた。
決めてからは早かった。先輩Pに連絡して走り方を教わってカードを借りて、もうスタパの発売は終わってたからゲロまずいと言われながらもPエンパックを買った。それからはひたすら毎日プレライを殴っていたと思う。殴る間も四季くんのことを沢山考えた。がむしゃらに殴って課金してなんとかメガアクマックスの四季くんを手に入れる頃にはすっかり私は四季Pだったと思う。
四季くんの笑顔は私に勇気と元気をくれた。メガアクマックス四季くんが信頼度maxになると私で元気をチャージしてるという。むしろこちらの台詞だ。そもそも四季くんにしょんぼりすることなんてあるんだろうか?あったとしても一瞬で忘れちゃいそうだな。そう思ったときにふと過去の雑誌の四季くんを思い出す。営業の時に見た四季くんの台詞を思い出す。
四季くんの過去の雑誌、過去のイベントをそれから必死で全て読み漁った。四季くんはいつも元気でまっすぐで他人に迷惑をかけてしまうことはあっても、いつも一生懸命だ。眩しかった。四季くんが本当に眩しかった。何故か?それは私も自分に自信がない人間だからだ。
アニメでハイジョ回が放送された後の夜、次の日5時起きで出勤なのに眠れなくて、ベッドの中でずっと泣いていた。青春のリミットなんて言葉、しきくんには1番似合わないのに四季くんにピッタリの言葉だ。四季くんの寂しそうな笑顔が脳裏に焼き付いて離れなくてずっと泣いてた。勝手に涙が流れてくるから。そのあとナオミの部屋で八代さんの笑顔を見てなかったら眠れなかったと思う。
四季くんのプロデューサーなんだと思って生きる毎日は本当に楽しかった。四季くんが好きで、ナンジャに行ったりアニオンに行ったりする私はいつも明るくて笑顔だった。知らないプロデューサーさんに話しかけて仲良くなったことまであった。私が四季くんになったみたいに笑顔でいられて幸せで仕方がない。
そうやって毎日四季くんのことを考えて生きていたらふと気がついたことがあった。私と四季くんって似てるかもしれないなって。
メンヘラ女に似てるって思われてる四季くんは可哀想だけれど、本当にそう思ってしまった。自分に自信がないところとか、後先考えずに突っ込んでしまうところとか、ちょっと空気が読めなそうなところとか、いきなり大声出しちゃうところとか近いものがあるかもしれないなと。でも私と四季くんは頂点に立つキレイでかっこよくてキラキラで人気者な男の子と底辺メンヘラ女だから全然違う。私と四季くんの違うところはなんだろう。
そう、四季くんは私みたいに自分の自信のなさをマイナスに捉えないのだ。
どんなに自信がなくても、失敗しても頑張るぞ!って前に進むことができる。四季くんはハイパーネガティヴなのに、ギガテラMAXでポジティブなのだ。四季くんが私に力をくれるのは、私と同じなのに私と全く違う、私の生きる目標みたいになり始めていたからだと思う。
四季くんのことを思い始めてから、キツくて薬を飲む回数が減った。何故なら私の目標のような存在がすぐそばにいてくれるようになったから。事務所に行って四季くんの笑顔を拝むたびに、私もこんな風に笑えるように頑張ろうって踏ん張れるようになった。私のような存在が四季くんと同じなんて烏滸がましいけど、それが私に何よりも勇気をくれた。毎日を進む力をくれた。どんなに辛いことがあっても、四季くんみたいにがむしゃらに前に進もうと思えるようになった。