2018-02-04

7年前に死んだ義母にまだ腹が立つ

義母は非常に人のよい女性だったが、そのこと自体がやっかいで、考えなしにいろいろ発言したり、親切心から的外れな行動をしたりして、

息子である私の夫にこっぴどく叱られることがよくあった。

さらにやっかいなのは、叱られるとたいへん激しく落ち込むので、周りがフォローに回らなくてはいけないことだった。

まったく手がかかるのだ。

そしてさらに、なぜかどうでもいいことに見栄をはる人で、家族や孫といっしょに写真を撮る時も「私の汚い顔が写るから私は(写らなくて)いい」(←誰もあんたの顔なんか見てねーし。ていうかその顔で24時間365日、70年以上生きてるんですよね!?)と言ったり、具合が悪いときでもきちんと洗濯物を干したり(ご近所にいいかげんにしていると思われたくないらしい)、入院したときもお見舞いに来なくていい(具合が悪いところを見せたくないらしい)といって、絶対に来させようとしなかった。

あげくの果てに、孫たち(私の子供たち)と最後に会えずに亡くなったのだ。

孫たちにも、祖母の死に目に合わせてやることができなかった。そのことをいまでに恨んでいる。

くだらないことで見栄をはっても何もいいことはない。

義母の腹立たしいエピソードは山ほどあるが(嫌味もまったく通じないとか)、

いちど帰省したときに義父の仕事の話になり、「まだ働いているのよ。いつまで働くのって言ってるの(笑)」と話していたことを、今、よく思い返す。

義父は戸建ての外装(エクステリア石畳とか、庭とか、塀などを作っていたらしい)を行う職人で、不動産から仕事をもらい、フリー仕事をしていた。

フリーなので定年はない。引退の話をしたときも、まだ70歳になったくらいで、元気だった。

から、「仕事を辞めてもどうせ暇なんだから、続ければいいじゃん」と、そのときぼんやりと思っていた。

今、このことを思い返すのは、実は、義実家お金がまったくないということがわかったからだ。

義母が義父に「引退したら」というくらいだから、老後の資金計画はしっかりできていると思っていたのだ。

ところが、義父はまず、年金に入っていない。仕事が完全にできなくなった今現在収入ゼロである

そして、貯金もない。

まちがいないく、数年後には生活保護確定だ。

義母はこの状態をじゅうぶんわかっていたはずなのに、なぜ「いつまで仕事するの」なんてことが言えたのだろうか。

それどころか、義母が亡くなった後に、義母が、義父に黙って、義母の姪に数十万円の学費の援助をしていたことが発覚した。

(ちなみに、うちの子供達には、お年玉以外は、出産祝いと小学校入学祝いくらいしかもらっていない)。

義父は今、仕事ができなくなり、食べるのに困って、

息子である夫に何も言わず、いつの間にか自宅を売却していた。

家を売って明日アパートうつるという日に、電話してきたのだ。

家賃2万円ほどのそのアパート生活し、たちゆかなくなったら生活保護を受けるつもりのようだ。

義母は、そんな義父の困窮した姿を見ることなく、亡くなった。

自分は何一つ困ることもなく、体が弱いことを理由に働くこともなく、のうのうと生きて死んでいったように思えてならない。

もう少し生きていたらよかったのに。

働けなくなって食べていけなくなるということが、どれほどみじめか。

味あわせてやりたかった。

あのとき義父に「もう引退したら」なんて、よく言えたものだ。

引退したあとどうやって生きて行くつもりだったのか。

亡くなったあとに聞いたことだが、もしも義父のほうが先に死んだら、自分生活力がないので、

一人息子のところに行く、と話していたそうだ。

冗談じゃない。

弱いということは、ここまで人をずうずうしくさせるものだろうか。

いから誰かにめんどうをみてもらえると思っていたのだろうか。

義母が生きている間に、小一時間問い詰めたかった。

それをするチャンスさえ、私に与えず死んでしまった義母に、つくづく腹が立つのである

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