義母は非常に人のよい女性だったが、そのこと自体がやっかいで、考えなしにいろいろ発言したり、親切心から的外れな行動をしたりして、
息子である私の夫にこっぴどく叱られることがよくあった。
さらにやっかいなのは、叱られるとたいへん激しく落ち込むので、周りがフォローに回らなくてはいけないことだった。
まったく手がかかるのだ。
そしてさらに、なぜかどうでもいいことに見栄をはる人で、家族や孫といっしょに写真を撮る時も「私の汚い顔が写るから私は(写らなくて)いい」(←誰もあんたの顔なんか見てねーし。ていうかその顔で24時間365日、70年以上生きてるんですよね!?)と言ったり、具合が悪いときでもきちんと洗濯物を干したり(ご近所にいいかげんにしていると思われたくないらしい)、入院したときもお見舞いに来なくていい(具合が悪いところを見せたくないらしい)といって、絶対に来させようとしなかった。
あげくの果てに、孫たち(私の子供たち)と最後に会えずに亡くなったのだ。
孫たちにも、祖母の死に目に合わせてやることができなかった。そのことをいまでに恨んでいる。
くだらないことで見栄をはっても何もいいことはない。
義母の腹立たしいエピソードは山ほどあるが(嫌味もまったく通じないとか)、
いちど帰省したときに義父の仕事の話になり、「まだ働いているのよ。いつまで働くのって言ってるの(笑)」と話していたことを、今、よく思い返す。
義父は戸建ての外装(エクステリア。石畳とか、庭とか、塀などを作っていたらしい)を行う職人で、不動産屋から仕事をもらい、フリーで仕事をしていた。
フリーなので定年はない。引退の話をしたときも、まだ70歳になったくらいで、元気だった。
だから、「仕事を辞めてもどうせ暇なんだから、続ければいいじゃん」と、そのときはぼんやりと思っていた。
今、このことを思い返すのは、実は、義実家にお金がまったくないということがわかったからだ。
義母が義父に「引退したら」というくらいだから、老後の資金計画はしっかりできていると思っていたのだ。
ところが、義父はまず、年金に入っていない。仕事が完全にできなくなった今現在、収入はゼロである。
そして、貯金もない。
まちがいないく、数年後には生活保護確定だ。
義母はこの状態をじゅうぶんわかっていたはずなのに、なぜ「いつまで仕事するの」なんてことが言えたのだろうか。
それどころか、義母が亡くなった後に、義母が、義父に黙って、義母の姪に数十万円の学費の援助をしていたことが発覚した。
(ちなみに、うちの子供達には、お年玉以外は、出産祝いと小学校の入学祝いくらいしかもらっていない)。
義父は今、仕事ができなくなり、食べるのに困って、
家を売って明日アパートにうつるという日に、電話してきたのだ。
家賃2万円ほどのそのアパートで生活し、たちゆかなくなったら生活保護を受けるつもりのようだ。
自分は何一つ困ることもなく、体が弱いことを理由に働くこともなく、のうのうと生きて死んでいったように思えてならない。
もう少し生きていたらよかったのに。
働けなくなって食べていけなくなるということが、どれほどみじめか。
味あわせてやりたかった。
引退したあとどうやって生きて行くつもりだったのか。
亡くなったあとに聞いたことだが、もしも義父のほうが先に死んだら、自分は生活力がないので、
一人息子のところに行く、と話していたそうだ。
冗談じゃない。
弱いということは、ここまで人をずうずうしくさせるものだろうか。