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はてなキーワード: 考察とは

2016-09-12

聲の形を読んだ

なんか映画になってたから。

映画観てないけど。

聲の形面白かったけどけど、なんかろくな感想書いてるやついねーなクソと思ったら、

本にまでなってるなぞ解き聲の形ってサイトに全部書いてあった。

でもなー。

そこで長大考察してる因果応報っていうよりは、まさに声の形についてずっと描いた物語に見えたよ。

声って目に見えないし形がないものだけど。

手話になると目で見える形があるものになって。

形があるなら、目で見てはっきりと伝わるものになるかと思えば、そんなこともなく。

普通の人が普通に声でするように、誤解があって。

逆に、耳や言葉不自由のない、健常者だって、ろくに気持ちなんて分かりあってないよねって、あからさまになるという。

植野が硝子と再会してつっかかって、将也と硝子の間に割って入れない関係ができてるって悟って泣き笑いするシーンが、まさにそれだよな。

耳が不自由だと、大勢の健常者とはコミュニケーションをとりずらくなって壁ができるけど。

手話ができる二人と、できない植野の間に、逆に壁ができてしまう。

コミュニケーションの壁なんて、相対的ものしかないのだ。

声の形について、考えさせられるシーンだ。

耳が聞こえないとコミュニケーション不自由して気持ちが伝えられない、ハブられる、迷惑をかける。

そんなの言葉普通に使える人も、大差ないじゃんよって話だよな。

子供ならではの残酷さと間違いを、大人になりかけの高校生がずっと引きずって、本音も言えず、本音を言い合えば皆楽になるのに言えず。

そういう傷を負いながら、生きていくって。

面白かったなぁ。

あと元担任クズが、実は手話覚えてたシーンで最高に泣けた。

硝子と将也が手話で会話するのを見て、

「ほら やっぱり立派になったじゃないか

というシーンで唯一泣いた。

そして、他人事として眺める分には、最高に感動できるセリフでも、物語当事者たちには、わだかまりを払拭するには十分じゃないという展開に最高に泣いた。

声の無力さよ。

しかし我々は声にたよって、無様に、お互いに怯えながらコミュニケーションをとっていくしかないのだった。

ほんと面白れぇな!

2016-09-11

「金を払う」が万能免罪符なのか

http://anond.hatelabo.jp/20160910185500 を読んで。

元増田は「俺が金を払っている以上、俺がどんな食べ方をしようが自由だろ」と書いている。

そこで金を払えば何でも自由なのかを考察しようと思う。

極端な例 飯をそのままゴミ箱シュートした場合

元増田の件では飯はある程度食われたあと残されている。

しかYouTuber企画で、飯を食わずダストシュートした場合想像してみよう。

YouTuberはこう主張する。

「飯は金を払って自分が買ったものであり、どう処理しても自由

店主はこう主張するだろう。

自分が飯を提供したのは食べてくれるだろうという(暗黙の)了解の元だったので、この契約無効じゃね?」

おそらく店主が正しい。

契約が成立するのには、「お互いが必要情報を共有」している必要があるのだ。

この場合飯を買ったら食うというのが「暗黙の了解」だったのでちょっとややこしいが、

店主:この人は買ったら食うだろう

YouTuber:この人は買ったら食うだろうと想像しているだろうが、自分は買ったらゴミ箱に捨てる

というふうに持っている情報に偏りがある。よって正しい契約ではない。

お金を払ったからいい」は万全ではない

少なくとも、「その契約は適切な契約だったか」が問われるであろう。

なお元増田の件が全体としてどうかは自分にはわからん

ただ、「俺が金を払っている以上、俺がどんな食べ方をしようが自由だろ」は違うと思う。

2016-09-10

映画セッション感想承認欲求狂気

映画セッション』を観ました。

2014年映画で、一言でいえば音楽院ドラマーを目指す青年ニーマンとそこの鬼教師フレッチャーとのガチバトル?

愛読しているブログ考察記事があり心惹かれたので、さっそくレンタル

朴訥な青年が鬼教師傍若無人なふるまいを受ける中で狂気じみてくるのがたまらないですね。

血だらけで笑いながらドラム叩くシーンあるんですよ。おっかないけど、狂うほど突き詰める人間の姿そのものってもはや芸術的

個人的には、フェス舞台で恥をかかされたニーマンが、父親から抱擁の後、舞台に舞い戻ってフレッチャー舞台を乗っ取る展開が印象深いです。

ここ、ニーマン父親愛情に浸るより、フレッチャー自分ドラムを見せつけることを選択したシーンだと感じます

肉親の愛を振り切ってフレッチャー承認を求めるニーマン

彼はドラム評価しない父より、たとえ鬼でもドラマーとして自分を見るフレッチャー評価がほしかったのかもしれません。

ブログ考察記事ではニーマン承認欲求とその達成のための手段としての彼のドラムに触れていて、興味深く読ませていただきました。

最初、ニーマン普通ドラマーでした。しかし、フレッチャーとの関わりが進むにつれ、ドラムへのめりこんでいきます

ただ、ここでのドラムへの執着は、ドラムという音楽のものよりフレッチャー評価に向けられたものです。

この点に、彼にとってのドラム承認欲求を満たす手段であると表れているのかと。

ニーマンフレッチャーから承認を乞い続け、最終的にはブチ切れて憎悪が爆発する。そこまで至った彼の演奏が、フレッチャーを感服させるというね。

なんというか、愛憎劇ですね。

ニーマン狂気の源泉は、強烈な承認欲求なのでしょう。

それを集中して向けたフレッチャーの行いによって、さらにそれが育ち、ついに狂気へ変わる。

狂気に走ることで芸術が完成される図式は映画ブラック・スワン』と通じるものがあるように思います

承認欲求って一般的にめんどくさいもの扱いされますが、あそこまで昇華させると薬、というか劇薬ですね。

ニーマンドラマーとして天才だったかわかりませんが、それほどの承認欲求の種を持っていたこ自体天賦の才だったかもしれません。

とりあえず久々にジャズ聴きたくなってきたから、返却ついでにCD借りてこようかな。

2016-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20160909231347

だいたい3代目で没落する。

東大東大とき私立になるパターンがある。

東大2代続くと、資産形成が完成して3代目と次くらいは

働かなくても生きていける状態になる。

ここに面白い考察がある。

ある生体で、実験を行った。

とても快適な環境で育ったバッタ

ある程度快適な環境で育ったバッタ

少し悪い環境で育ったバッタ

とても環境の悪いところで育ったバッタ

トランプ大富豪のようなものだが、

一番繁殖力、羽の力があるのは、

から3番目なのだよ。

上記からわかるように、一番上のバッタ

一番下のバッタは、どうも優秀ではないらしい。

一番上は羽が退化してくるし、一番下は栄養が回らない。

環境に耐えきれない。

したがって親が高学歴でも、子供高学歴では必ずしもないという

ケースが生まれる。

成功者は、

常に2番目くらいの環境意識して与えることが重要となる。

一番下は、なんとか3番目くらいに脱することができるようにする。

http://anond.hatelabo.jp/20150910001208

朝ドラってたまに観るだけだからほんとかどうか判断できないけど、納得感ある考察

2016-09-06

同人作家が嫌い

正しくは「締め切りに追われているアピールをする同人作家が嫌い」。

だってイベントに申し込んで本を出してる。自分で出るイベントを決めて参加してる。描きたいものが決まってないなら申し込まなきゃいい。コミケコミケだってコミケ用にネタを考えておけば落ちたって違うイベントで本出せるだろ。なんでわざわざ白い原稿晒して「あと○○日……」とか言ってんだ。てめーのTwitter画像欄、ソシャゲスクショばっかじゃねーか。描きたいネタがないなら申し込むなよ。別になんだっていいよ。エロ本だろうがほのぼのだろうが一次創作だろうが二次創作だろうが小説だろうが考察本だろうが写真集だろうがなんだっていい。

こっちはある程度描きたいものを固めてから申し込んでるんだし早く終わって当然だろ。なんでそれを誉めるんだよ。むしろお前らはなんで同じことができねーんだよ。なんでそれが恥ずかしくねーんだよ。意味わからん

2016-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20160904231904

君の名は。」は、同人業界エロゲを2桁年月で追ってるキモオタから家族連れや中高生カップルまでイケる幅広い客層に対して

減点・加点方式どちらでも高得点狙える上手い出来をお出ししたのが良かったのだろうと思う。

あんまりないでしょ、そういう作品って。

  

以下疑問点へのツッコミ

  

主人公2人はどうして惹かれ合ったのか?

…仮に自分女子高生だとして、無意識のうちに他人(男)と入れ替わってて、胸を揉まれていると分かったら、

逆に自分が男になっている間になんとかして社会的に殺そうとしないだろうか?

三葉は憧れのイケメン都会男子生活を満喫するのに忙しくてそんなことしてる場合じゃないですよ。

何時入れ替われなくなるか分からないので、この後も長く付き合わなきゃならない相手かも知れないですし。

何故惹かれ合ったのかでいうと、ああも強烈な体験でお互いのことを知り合って惹かれない方が創作的にどうかと思う。

  

・入れ替わっている時、年号が違うことになぜ気づかないのか?

…多少なり新聞TVなどのメディアを見ていれば、3年前or後にタイムスリップしている事くらいすぐ気づきそうなのに。

そもそもカレンダーとか曜日が違うから違和感ありまくりじゃないのか?

自分自分以外であることは分かっても、それ以外のおかしい点には気付かない夢とかないかな?

俺はTS淫夢とかTSケモ化淫夢とかよく見るので別に違和感なかった。

まあこれは「そういう条件の世界設定です」という前提部分であろうと思う。

  

・3年前に既に会っていることをなぜ忘れているのか?

受験期間というナーバスな時期に、あんキチガイじみた女子高生に遭遇していたら、

間違いなく覚えていると思うんだけど、記憶喪失にしては都合良すぎないだろうか…。

三葉の普段髪型(3年前にあった姿)と、瀧が入っている時の三葉の髪型が別物(瀧は髪を結えないし組紐存在も知らない)なので、

組紐エピソードを思い出すまでその姿が瀧の中で連結していない。

  

・三葉はどうやって父親を説得したのか?

…あえて描かないことで、観る人間解釈させる余白を持たせたのだ、という考え方も有ると思いますが、

絶対カットしてはいけない部分じゃないかと思う。

父親は三葉の母親祖母が入れ替わりを起こしていたことを知っている。

そこで、瀧が持ち込んだ未来情報と三葉が実際に入れ替わっているという確信を持って、危機回避に動いた。

しかし、三葉に入った瀧が山頂で入れ替わってその後の説得を託す展開はちょっと強引だとは思う。

  

この父親の詳細な描写書籍アナザーってやつに詳しく載っているらしいけど、映画1回見ただけでもこの辺までは読み解けた。

個人考察南男で間違ってたら悪いけどね。アナザーも購入済みなので今夜読む。

君の名は。」を見に行こうか迷ってる

 エヴァにハマったある年の夏、アニメ映画を見まくっていた中オススメされていた「秒速5センチメートル」は当時の自分には輝きすぎてて予告編だけで辛かったし、何より現実路線恋愛話なんだろうと思って距離を置こうとしていた。それでも調べてみれば聖地巡礼というまだ聖地巡礼という行為がそこまで一般化していなかったあの時代にそういう事をしている人が居るという事はそれなりに面白いのとリアリティがあるのだと感じ、見た。まず出た感想が「絵が凄い」だった。それから考察聖地巡礼を通じて「秒速5センチメートル」は遠距離恋愛という距離恋愛構成されている事を理解したし、小説版で補完もした。何度見直したか覚えていない。その後、「ほしのこえ」「雲の向こう、約束の場所」と見た自分はいつの間にか新海誠作品ファンとなっていた。秒速もあってアニメ業界では有名だったけど一般人にはまだまだ有名では無かったからこの人の作品は凄いんだよと周りに言いまくった。

 でも「星を追う子ども」で流れが変わったと自分は感じた。追っかけていた自分はまずあれをジブリに似た何かだと。それから思考が停止したかのようにあの描写ジブリのアレ、これはあれ、みたいな感じで多くの描写を他の作品で出てきた物と捉えた。もちろん今でもそう言ってる人は居るし、初見であればあの光る石を見て飛行石だと感じる人も少なくないと思う。

 それでも先日の配信で、2度目の「星を追う子ども」を見て自分はある事に気付いた。それは新海誠作品テーマの1つに「生と死」がある事だ。自分が入った「秒速5センチメートル」では死というものほとんど描かれず、生きるの辛いって言いながら生き続ける人の物語だったとも言えるので、これに気付かなかったのも仕方がない気はする。距離恋愛という先入観から前の2作品ともこの状況下の恋愛はなぁ・・・みたいなのが無意識にあった事で、受け取る感情制限されていたのかもしれない。ほしのこえ宇宙戦争、雲の向こうは昏睡状態(と戦争)が描かれ、星を追う子どもでは家族の生死が描かれている。だから自分にとって今まで新海誠作品というもの距離恋愛心理描写テーマになっているものという意識をしていたけど、星を追う子どもを見たことで生と死というテーマもあるのだと気付かされた。また、星を追う子どもは公開が2011年とあの東日本大震災から間もない頃で正直な所、生と死なんてテーマを扱った時期が悪すぎたというか運が悪かった感じがあるのだと思う。自分にとってはあの出来事もあってそういった部分をシャットアウトしていたのかもしれない。断言しておくが被災者ではない。だから日見た時は家族(または親友)を抱きしめたいという気持ちに一瞬駆られた。

 自分にとって「星を追う子ども」はターニングポイントであると感じていたがそれは全く違くて、ただ「生と死」というテーマを強く出した新海誠作品以外の何物でもないという事になるし、その後の「言の葉の庭」も考えてみればいじめの様な生死の関わる話が入ってきたりエンディング距離が生まれるという事は、テーマに沿っていた訳でやっぱり新海誠作品は最高だという事が分かった。このテーマ建設会社Z会CMにも出てきている様に自分は感じるし、どういったコンテンツであってもポリシーを貫いている監督は素晴らしいと素直に思う。

 今回の新作「君の名は。」には予告編を見る限り、恋愛距離、そして生死という新海誠が描くテーマが備わっているように見えた。自分にとって最高の作品になっている事に間違いない。だからこそ新海誠作品に描かれるテーマを今更分かった自分が、見に行って自我を保てるか不安でならない。(隙あれば自分語り 執筆時間30分)

シン・ゴジラ

一昨日、とうとう観てきたよ。

すごく面白かった。

もう1回観ようかな。どうしようかな。

ガルパンさぁ、後から考察サイトとか見て、何回も観に行ったんだよ。

そのたびに新しい発見があったりさ。

シン・ゴジラ複数回観た人に聴きたいが、2回目には1回目にはない(1回目では味わえない)驚きとか感動はあった?

行きたい思いと、行っても知ってる話をなぞって終わりだよなって気持ちがせめぎ合っている。

意見が欲しい。

2016-09-02

人権を認める理由

知能のある猿に人権を認めるべきhttp://anond.hatelabo.jp/20160901015020

という書き込みを読んで、趣旨は分かったが、掘り下げが甘いので正直中学生書き逃げしかなってないと思った。

そう思う理由は「なぜその猿に人権を認めたくなるのか」についての考察が欠けているからだ。


これは考えてみればすぐ分かる。「そこに『人間性』が投影できてしまうから」だ。

知能それ自体に、自動的人権が発生するのではない。

我々がそこに無視できないほど「人間」を見てしまうため、それに権利付与しないことを感情が許さないからだ。

要は感情論である。同じようなことは、人工知能であっても、ドールであっても起こりうる。そこに「人間性」を

認めたとき私たちはそこに(ある程度条件付きであったとしても)権利付与しないことを許せないような気になるのだ。


こう書けばおわかりだろう。知能は「人間性」を認める上での根拠の一つにはなり得ても、それ以外に「人間性」を認める根拠がないわけではなく、

従って、知能の欠如は人間性を否定する論拠にはなり得ない。

2016-09-01

[]

今回はとなりのヤングジャンプ

息子がかわいくて仕方がない魔族の母親 第14話

正直、前数話にかけての展開は「なにこれ?」という感じで、何か無理やりシリアスというかドラマティックにされて置いてけぼりにされた。

いや、「育児含めて未熟すぎる母親意識を改めさせるエピソード」として機能させたいってのは分かるんだけれども、それを考慮しても疑問符がつく展開だったんだよね。

唐突尊大なやり方は困惑するから勘弁して欲しい。

今話から通常運転のようで安心した。

Drive

シンマンエントリーNo.6

物語はどうしようもない無常感が出てて、兄弟二人のやり取りとか、その構図も悪くない。

ただ、やや尻切れトンボというか、プロットの段階から意識して作って欲しかった。

終盤の展開を除けば、後は車による逃避行だけで、会話ばっかりだからなあ。


竜と勇者配達人 第7話

実際、このテのファンタジー世界役所とかがちゃんと機能するのかっていうのは興味ある考察ではあるんだよね。

治安の悪い区画とかでゴネられたときとか、非協力の体勢の場合はどうするんだろうって。

住所は、まあ現実世界ですらマシとはいえるかもしれないけれど、私からいわせれば微妙な感じはする。

住所が分かったからといって、迷わずいける保証なんてないわけで。

ましてやこのマンガ世界観とかだと、地元の協力なしだと、仮に協力があってもそれ絡みのトラブルは間違いなく出てきただろうなあ。

anond:20160831162511

終わったアニメスレ行くと長文考察してるオタクが居て楽しい

長文が悪いように書かれてるけど別に悪くなくね?

2016-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20160831093229

マジそれ

ちょっと古い映画とかになると、ネタバレを気にして深い考察してるサイト全然出てこない

ミステリーとかでも「○○は○○で…つまりそういうことです」みたいなふんわり解説ばっかり

見る気もねーくせに「うわーネタバレ食らっちまったわーつれー」とかホント死んでほしい

2016-08-30

もっとネタバレを!!

面白い映画を見たり、本を読んだり、ゲームしたりすると、他の人はどんな感想なのかやっぱり知りたくなるわけですよ。

から「○○ 感想」という感じでググったりするんですが、まーなんというかみんなネタバレ無しの感想が多すぎ。

面白いコンテンツだと、やっぱり面白いシーンがあったりして、そこを他の人はどう感じてるのか知りたいし、自分はあまり印象に残らなかったけど、他の人は印象深かったシーンとか知りたいし語りや考察を見たいんですよ。

ネタバレ無しだとどうしてもそういう話がなくて、つまらん。もちろん上手い人が書けばネタバレ無し感想でも面白いんだけど、大半の人のは紹介文に毛が生えたようなもので物足りん。○○シーンで感動した、という簡単感想だって、そのシーンを知ってれば、そうそう!と思えたりできるのに、ネタバレしないように書くと、この映画の終盤は感動しただとか、ものすごくモヤモヤした文を見せられることになる。

なんでそんなに見ず知らずの人に対してネタバレするのを怖がるんだ。

面白いものならネタバレ上等で存分に語ってくれたっていいじゃないか

2016-08-29

石原さとみシン・ゴジラに使われた本当の理由(わけ)

あえてツッコミどころ満載な石原さとみを使ってリアルっぽい描写リアルじゃない部分を隠すため。

 

ドへたくそ発音やドへたくそな演技という閃光弾を何度か打ち上げツッコミの余力を石原さとみに向けさせることで

リアルっぽい描写に突っ込ませないという手法

これに気付いたやつは今のところ増田に一人もいない。

いやネットですら未だ確認していない。

 

邦画宿命石原さとみは使わざるを得なかった。とか。

なぜスタッフは疑問に思わなかったのか。とか。

 

なんか失敗扱いされている石原さとみ採用だけど、

ちゃんと石原さとみシン・ゴジラを守ってる。

リアルっぽいけど嘘っぱちだらけの作品」という評価からシン・ゴジラを守るためのサンドバッグ石原さとみ

なので、今の石原さとみに対する評価想定内想定内

完全に庵野スタッフが思い描いた通りの絵。

 

邦画の悪い習慣とか言ってるやつは馬鹿だし何でエヴァ作品を見ているくせにそんなことも気づかないのだろうか?

自称エヴァオタってこんなこと1つにも気づかないんだから低能扱いされるんだよ。

賢くなってほしいので煽っとく。

 

PS:

公開後、1カ月近くたつのにクソ雑魚ナメクジたちが気づかなかったのが理由としては、

1.庵野の思惑通り、ゴジラ存在感石原さとみの下手くそ英語でうまくツッコミの方向反らしと緩衝させることができた

2.シンゴジラの迫力に感動した自分肯定的にみてより承認したいために作品自体にも深みを求めるという欲求すり替えが起こったか

3.石原さとみ存在キャストミスということで興味を無くし、ゴジラにだけ目を向けて考察されていたか

4.石原さとみ採用邦画の癌だと捉えることで慣習に物申す書き方でマクロ的な展開をされたか

大体、以上の4点にカテゴライズされた話題になってしまったことで

シン・ゴジラリアルっぽいエンタメでありリアルではない」という認識を巧妙に隠されていたのと、

その立役者となった石原さとみ存在も注目されずに思惑通り隠ぺいしきれていたということ。

2016-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20160827001833

放射線ビームがもう1回観たい

・気になる考察確認したい

・「シン・ゴジラ?ああ3回観たよ」って言いたい

2016-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20160826224503

そもそも専門学校に入って学んだことはほとんどなかったように思います

私はHTMLCSSJSも多少はできますけど、講師質問しても調べれば分かるよとしか言われませんでした。

制作物持って評価お願いしても真っ当な答えが返ってきたことはありませんでした。


そもそもうちの専門学校にはデザイナーをやっている講師は2人しかいませんでした。

なんかバーの店員映像講師やってたり、無職で何やってたのかもわからない人がグラフィック講師でした。

嘘かと思うかもしれませんが本当です。田舎専門学校なんてそんなもんです。

ほとんど雑誌デザイン本買ったり、展示会に通ってデザイン学んだり、考え方?を自分なりに考察したりしてました。

タイポグラフィ表現に興味を抱いていたので書体のなりたちを独学ですけど学んで、イラスト写真は正直上手じゃないんですけど

文字だけは恥ずかしくないようにしていました。

なので、正直、社長にそこを褒められた?時は嬉しかったです。お世辞だったのかもしれないですけど(笑

仙台高専学科改組で何が変わるのか?

仙台高専では来年から学科改組が行われるようです。

http://www.sendai-nct.ac.jp/news/2016/07/13/newly-004002.php

この変更点は大雑把に言って次の3点でしょうか。

(1)入学の時点では専門を選ばないようになる(ただし、建築以外)

(2)学科名が変わる

(3)4年次から配属可能応用科学コースができる

それぞれについて見てみましょう。(筆者は広瀬キャンパスOBなので名取キャンパスについては基本的スルーします)


(1)入学の時点では専門を選ばないようになる(ただし、建築以外)

今までは入学時点で「知能エレクトロニクス工学科に行きたい!」などと専攻を選ばねばいけませんでした。

しかし、高専志望の中学生普通中学生よりも工学に興味を持っているとはいえ、自分に合ってそうな専攻を選ぶのは難しいことです。

たいていの中学生学科名前ウェブページ雰囲気で決めると思います

ゲーム製作したくて情報システム工学科に入学した人が、回路系の授業で苦戦したり、CGの授業が実はほとんどないことを知ったりして、「どうしてこうなった……」となることだって珍しくありません。

(もちろん、卒業後にゲーム関係企業就職することは可能です。)

他にも、情報システム工学科と情報ネットワーク工学科の違いが中学生にはほとんど分からない、という問題もあります

そこで導入予定なのが科類制ですね。

建築系を除くと、とりあえず入学時点では広瀬に行くか名取に行くかだけ決めればOKで、1年間高専で過ごしてから専攻を選ぶわけです。

この1年の間に、先輩からの話を聞くなり、シラバスを読むなりして、どのコースに行くのがベストかを考えられます

1年生の頃は専門の勉強ほとんどないし、その専門の勉強も内容は(広瀬では)学科共通だったので、特に問題はないかと思われます


(2)学科名が変わる

名取の方はよく分からないのでスルーします。

広瀬の方では情報ネットワーク工学科が情報通信コースに変わります

この学科名の変更は大したことがないように見えますが、実はそうでもありません。

仙台電波の頃には「情報通信工学科」という学科がありましたが、そちらに戻そうというわけです。

その背景には情報ネットワーク工学科の不人気さがあります

先ほど中学生学科名や雰囲気で志望学科を選ぶと書きましたが、なんとなくパソコンネットが好きな中学生にとって「情報システム工学科」と「情報ネットワーク工学科」はどちらの方が魅力的に映るでしょうか?

今までの入試倍率を見ればその差は歴然です。

H22 情報システム:2.7倍、情報ネットワーク:0.7倍

H23 情報システム:2.1倍、情報ネットワーク:2.3倍

H24 情報システム:2.5倍、情報ネットワーク:0.9倍

H25 情報システム:1.9倍、情報ネットワーク:1.0倍

H26 情報システム:2.9倍、情報ネットワーク:1.4倍

H27 情報システム:2.1倍、情報ネットワーク:1.1倍

H28 情報システム:2.1倍、情報ネットワーク:1.3倍

平成23年度を除くと情報システム工学科の倍率の方がずっと高いです。

(H22が仙台高専としては初の入試で、このとき情報ネットワーク工学科の倍率がとても低かったため、H23では確実な合格を狙った層が情報ネットワーク工学科を志望した、と筆者は予想しています。)

情報システムの方がなんとなく楽しいことをやってそうに見えるのでしょう。たぶん。オープンキャンパスCG作品の展示をしていた影響もあるかもしれないけど。

ネットワーク」という言葉を使うと、どうしてもシステムとの違いが分かりにくいのでしょう。おそらく。(受験生アンケート調査してみたいですね)

そこで、仙台電波の頃の学科である情報通信コースにしようというわけです。

通信」という言葉を入れることにより、このコースにはある種のブランドのようなものが生じると考えられます

今や仙台高専という学校名になりましたが、もともとは東北無線電信講習所→官立無線電信講習所仙台支社→官立仙台無線電信講習所→国立仙台電波高等学校仙台電波工業高等専門学校という経緯があるわけです。

電波高専は各地方存在していた無線電信講習所が元になっています。(電通大ももとは無線電信講習所!)

仙台高専広瀬キャンパスにとって、通信というのは花形分野なのです。

実際、キャンパスを見るとまず目につくのが大きなアンテナだったり、アマチュア無線部が強かったりします。(今も強いですか?2期性がたくさん入っていた覚えがあります

また、かつての仙台電波高専仙台電波高校時代卒業生が今やお偉いさんになっていたりするわけです。

電波という名前こそなくなったものの、愛子学び舎通信を学んできたというのは必ず評価してくれる人がいるでしょう。

そういった点で、この学科名前の変更は大きな点です。(情報通信コースに優秀な学生が入ることを祈っています!)

ちなみに、情報システム工学科と情報ネットワーク工学科の違いは、電磁波工学などの通信関係をやるかどうかの違い、先生の違い、就職の強さの違い(?)などが挙げられます

ネットワーク関係に関しては両学科ともCISCOe-learning教材を使って学びますが、情報ネットワーク工学科の方がより力を入れている印象です。

また、通信には法規知識必須ですが、情報ネットワーク工学科ではそれも学べます

目指せ一陸技!(通信を大プッシュしたわりに、筆者は一陸特しかとってなかったりします……)


(3)4年次から配属可能応用科学コースができる

これに関してはHPではあまり説明がなされていませんね。

数学理科を深く追求して,サイエンステクノロジーに結びつけるために必要なことを幅広く学びます。」とだけ書いてあります

これの詳細についてここで書くのはまずそうな気がしますし、これから変更があることも十分考えられるので、具体的なことは書きません。

そこで、高専にもこういったコース需要がある、ということだけ説明しておきたいと思います

高専大学と違い、本来モチベーション研究ではなく、技術者養成です。

その意味で、応用科学コースのようなどことな理学匂いを漂わせるものは不適なのではないか、と思う人がいるかもしれません。

しか高専数学科物理学科があったら困惑しますよね。

しかし、応用科学コースはおそらく大学工学部で学ぶような基礎的な数学物理学程度の内容を教えるようなものになるかと思われます

高専若いうちから専門の教育をするのが最大のウリなわけですが、専門の内容を正確に理解するのに必要数学物理の授業はそれに追いついていません。

電子回路を例に挙げてみましょう。

電子回路を学ぶ際に必ず半導体の物性を使います

半導体の物性を理解するためには量子力学統計力学知識が不可欠です。

しかし、量子力学統計力学は知能エレクトロニクス工学科以外では学びません。(一方で、電子回路は全学科で学びます

知能エレクトロニクス工学科でも、正確に半導体物性を理解するのに必要なところまで物理を学ぶかは怪しいです。

そうするともやもやとしたものが残ります

それ以外にも、高専ではフーリエ解析ラプラス解析を学ぶ前に交流回路網の計算を叩き込まれたりします。

工学部生が聞いたらびっくりするような話だと思います

数学物理が追い付いてない以上、「それはそういうものから原理は気にせず覚えてね」という指導にならざるを得ないわけです。

その結果、「もっと原理を深く知りたい!」という人や、「これだから工学は嫌!」という人が出始めてきます。(これで工学が嫌になって理学部に行く人もいますが、大学工学部はその意味では高専よりずっとまともなので、工学部に行くという選択肢簡単に捨てたりしないといいなと思います

そういった需要を見込んでの応用科学コースだと思います

大学編入志望の学生が集まりそうな感じはしますが、そもそも大学編入したい人は専門をより深く勉強したい勉強好きの人が大多数だと思うので、まあ問題ないんじゃないでしょうか。

一部の人が望んでいるかもしれない、編入試験特化型の授業にはならないと思います


以上、学科改組で変わる3点についての考察でした。

筆者は仙台高専教員でも職員でもないので、ここで書いたことが間違えている可能性は十分あります。ご了承ください。

2016-08-25

フィクションにおける共感羞恥

共感羞恥話題になっていますね。

私も昔からいかにも考えが足りてなさそうな人物が

これまた明らかに考えが足りてなさそうな行動をして

案の定大きな失敗をしてしまう、というシーンが苦手でした。

そういうシーンを見るたびにいやーな気分になるのですが、

今回、改めて今までを振り返ってみると

この感覚フィクションかつ動画で感じることがほとんどであることに気づきました。

アニメ映画ドラマなどでは感じたことはあっても

現実生活ドキュメンタリーなどでは感じたことはおそらくないです。

マンガ小説でもほとんど無い気がします。

では何故フィクションのみで感じるのか。

おそらく、

・いわゆる現実世界には失敗に至る演出がほぼないこと。明らかにこのあと失敗するぞ!というシーンというか演出現実では見たことがないです

動画かつリアルタイム場合、失敗演出を終わるまで待たなければいけないこと

あたりが理由なのではないかと考えてます

ただ、これだと、何故そんなに失敗演出が嫌いなのかという説明にはなっていません。

Togetterでは自身が恥をかくことを恐れすぎているせいじゃないか、という考察がありましたが

恥をかくのが好きな人はそもそもいないでしょうし、

私自身、現実生活では恥をかくのを恐れて行動ができない、

といったこともあまりないため、この話題は今後も当分気にかけていくんだろうなぁと思っています

2016-08-24

はてなーが案外やさしかった件と、その他のもろもろ

母親結構な金が注ぎ込まれてる」(http://anond.hatelabo.jp/20160823232626 )を書いた元増田です。


まずは予想をはるかに超えて、多くの方からかいコメントをいただいたことに感謝したい。

こんなにブコメがつくとは思わなかったし、ついたとしても、もう少し甲論乙駁するブコメになるかとおもっていた。



お金ことなど気にすることはない」という趣旨コメントを多くいただいた。

本当にありがたいし、そういうコメントに対してこんな返し方をするのも失礼なのかもしれないが、

本心を言えば、多分、そういう言葉をくださる優しい方々が心配するほどには気にしていない。

母は、当然の権利行使しているのだと思っている。

ただ、やっぱり現実に「60万円」という金額を見ると驚かざるを得ないのは事実だし、

どちらかというと気にしているのは「俺らが後期高齢者になっても、これが続けられるのか?」ということなのだと思う。

日本現在人口ピラミッドをみれば、そう思わざるを得ない。

その解決方法が、少子化対策なのか一億総活躍社会なのか、はたまた移民の受け入れなのか、難しいことはよく分からないが。




「きちんとQOLが保たれているから、ちゃんとしたお金の使われ方だ」「寝たきりに金を注ぎ込むのとは違う」という趣旨コメント散見された。

それはそうなのだが、ただ、では、どこで線を引くのかと言われると、それはそれで難しいのではないかと思う。

一度線を引いたら、その線の位置だんだんずらされていくのではないか? という危惧もあるし。

母はガンの罹患前、「あたしは別にそんなに長生きしたいとも思わない。元気なうちにポックリいきたい」という趣旨のことをよく言っていたが、

逆にガンと戦い始めてから生への執着が強まったように見える。

多分「長生きなんてしなくていい」というのは健康が当たり前な人の贅沢なのであって、

実際、死を意識し始めると、すこしでもそのタイミングを先に延ばしたいと思うのが本能なのではないか?と、最近考えている。

「いつ死んでもかまわない」といっている人に、「じゃあ、あした死んでもらいますね」というと、大多数は「え? ちょ、ちょっと、もう一日待ってくれ」と言い出すのではないか

で、「もう1日」が毎日続くのだろう。




自分の書いた増田リツイートされて回ってくるというのも、初めて経験した。

そのなかで @natorom さんが「はてな匿名ダイアリー抗がん剤加療中のstage 4の母親の話。医療費がメインのエントリーだけど、

現在抗がん剤治療リアル副作用がないわけではないけど普通に生活可能)が描かれている」

と、拙文を紹介してくださっていたので、この辺のことも触れておく。

母が抗がん剤治療を受けている、というと、患者ことなど考えない医者にやたらめったら薬を打たれ、

副作用でのた打ち回って悲惨きわまる闘病生活を送っているに違いないと勝手に思い込んで慰めてくれる人が、少なからずいる。

はっきりいって迷惑だ。

確かに、副作用がないわけではなく、特に新しい抗がん剤に切り替わった直後などは、食欲も落ち、夜中も何度もトイレにたって、

日中ほとんど寝たきりになっていることもあるし、母がレディースアデランスの愛用者になっているのも事実だ。

初めての薬を投与して、一週間後の最初の検診までの期間は、当人家族も緊張はする。

どの程度の副作用がでてくるのか、医者だって正確なところはわからないし。

薬を変えてはみたが、どうやら医者が当初想定したほど腫瘍マーカーが下がらなかったらしい、という局面にも遭遇した。

からといって、その他の期間は、時に温泉旅行に出かける程度に回復するわけだし、勝手イメージで同情されても困る。

そういう人に限って「自分想像しているような、苦しそうな闘病生活」を送っているわけではない母をみると

今度は、「あら~、大変かと思ったら元気そうじゃない! よかったよかった! もうすっかり良くなられたのかしら!」などと、トンチンカンを言う。

「アタシだって病気と闘っているのに・・・」という母の愚痴を聞くのは、こういう人とあった後だ。

確かに、今ほど抗がん剤進歩する前は、いろいろと悲惨な状況もあったのかもしれないし、病状によっては、かなり大変な副作用を併発することもあるのかもしれない。

だが、別にがん患者がすべて、あなた想像するような悲劇の中で生きているわけでもないし、だからといって病気の大変さがないというわけでもない。

おそらく大半の現場医療関係者は、真摯に最善の治療法を(保険でまかなえる範囲で)考えているし、

製薬会社だって別に人の命を食い物にして儲けることだけ考えているわけでもあるまい。

とりあえず、何十年前の知識で、抗がん剤批判を繰り広げて金儲けするのはやめろ、近藤誠

(実際、母親世代には、まだまだ近藤誠信者と思しき人がいる。そういう人との付き合いは、なんとしても切るのが吉だ)

早期発見できた人は違うのかもしれないが、「ステージⅣで発見」という状況だと、「基本的に治ることはない」というのが、周りの人間にとっても難しいところだ。

当人もっと大変なのだろうが、自分当人ではないので、本当のところは分からない)

普通病気のように「頑張って、治しましょうね」という励まし方はあり得ない。

いかに上手に付き合っていくか、いかに現状を維持していけるか、というスタンスで付き合えないと、患者家族双方にストレスたまることになろう。

しかも「いつまで続くか分からない」「いつ悪い方向に進むかわからない」という不安を抱えながら、である

この辺、バランスを取れなくなった人が、「奇跡治療法!」とかに走るのだろう。

奇跡はめったに起きないか奇跡なのであって、その奇跡自分には起こると考えてしまうのは「逃げ」だと思うけれど。


先日、とある観光名所にいったとき、「健康」とか「長寿」とか「家庭円満」などと書かれた名産品が売られていた。

ちょっと考えた上で「長寿」のヤツを、母の土産に買って帰った。本当の意味で「健康」を回復することがない人に、「健康」を祈願するグッズを渡しても白々しいからだ。

ちょっと迷ったが、母に「『健康』ってやつもあったんだけどさ、まあ、いまさら健康』ってのは無理だから、『長寿』にしたよ」と言ってみた。

母は、「そうねえ、もうちょっと早く『健康』のヤツがほしかったけど仕方ないわよねえ」といって笑っていた。

ああ、この人は強いな、と思った。

長くなってしまったが、最後にもう一つだけ。

60万超の治療費にたいして1万5000円という負担に関して。

これは、母が後期高齢者で、かつ、健康保険の仕組みにおいては、もっと収入の少ないカテゴリに分類されているので、この金額になる。

(なお、自分とは世帯は別)

もし、母がもっと若かったり、年金以外に収入があったり、夫(自分の父)が生きていて収入があったりしたら、もっと請求されている。

まり、母は医療費世界において「相対的貧困者」とされているおかげで、この程度の負担で済んでいるということだ。

ここで「でも、温泉旅行いったり、映画見に行ったりしてるんでしょ? もうちょっと払えるんじゃないの」とか

「息子、治療費全然だしてないのかよ。親子なんだから出させろよ」とか非難されたらと思うと、ぞっとする。

だが、どうやら世間は、子供貧困に対しては、似たようなことを平気で言うようだ。

ぶっちゃけていえば、あと長くても10年は持たない老女よりも、この先何10年もこの国を支えていく若者のほうが、

ROIは確実に大きいと思うのだが、なぜこうなるのかは、考察に値すると思う。


いずれにしろ、この話題は、増田でこそいろいろ吐き出せるネタであった。

この世に増田があったことに、感謝したい。

2016-08-23

通常兵器効果があるなら最大火力?

から「後から判明したこと」から遡って「なぜあのときああしなかったの?」と言うのは無しでいこうよ。小学生じゃないんだからちゃんとストーリーの中での必然性を語ろうよ。

エネルギー切れるまで打たせろ」→ゴジラが一通り東京荒らし尽くして制止している状態が「休眠」であると「仮定」できるようになって初めて言えること。それ自体ゴジラ停止から数日後でしょ。

無人機使ってから誘導兵器云々」→だからそれも後出し軍隊同士の戦争じゃなく「どんな進化するかわからない不明生物」との戦闘なんだって相手の出方が全く予想できない状態で「相手停止!一斉攻撃!」なんて指揮したらそれこそ負けフラグのものでしょ。ましてそこに「群体化・有翼化」なんて可能性が出てきたら、確実に「通常兵器による攻撃差し控えよう」という判断になるわ。

「休眠してる間に次なる進化可能性を誰も考慮してないの?」→だから、それがあったからこその国連の「核攻撃やむなし」って判断でしょ。ちゃんと見てた? その考察あったから安田くんも「そりゃ選択肢としてはある」って言ったんだよ。むしろ、群体・有翼化して四方八方に飛び散るかもしれない(そして各地で再び巨大化するかもしれない!)生き物に対して、あなたが「物量作戦空爆が上策」と思ってるのが不思議で仕方ないよ。

結果論結果論、そして穴だらけの考察あなたの書いてることは、普通に全てシナリオの中で解決がついてることばかりだよ。あなたが「おかしい」と感じるのは、端的に言って読解力不足のせいなんだよ。

ハッキリ言うけど、そもそもあなた最初は「群体・有翼化」の話が作中で出ていたことを完全に見落としてたでしょ? そのレベル記憶作品の「あれがおかしい、これがおかしい」と言うのはちょっとどうかと思うよ。

それにね。「シン・ゴジラ」のラストは、「みんなでゴジラ倒したったwwwやったぜww」じゃないんだよ。あなたはそれさえ分かってないんじゃないの? ラストシーン尻尾の大写しは、最後最後で「ほんとにギリギリ幸運による成功だったに過ぎない」「一歩間違えたら最悪の事態だったかもしれない」「しかもその悪夢はまだ終わってないかもしれない」ってことをあの映像で観ているものに見せつけて、最後にゾッとさせる系のエンディングだったんだよ? 人類ゴジラ禍をまだ全然逃れ得ていないし、だからそもそも「あの攻撃が後から見てもベストでした」なんてこと、映画の中でも誰も言ってないしそういう作りにもなっていない。ただ「その時点その時点で得ていた情報の中で、各自が最適を選びながらがんばった」という話だったんだよ。各自の行動に、ストーリーご都合主義的で不自然かつ間抜けな見落としはほとんどない。そういった完成度の高さも、あの映画評価されてる一因なんだよ。

もちろん、本当のところ映画制作の都合上「そう言いつつも、この絵を見せたいからこうしたんだよねー」という部分は、そりゃある。映画からね。「リアル」と「リアリティ」は違うからね。ただ、その嘘の見せ方自体もかなりうまかった。納得して許せるなと思えるレベル。その意味で、あの作品の防御力はゴジラ並に堅い。だから、あの映画に切り込みたいならもっと違った角度、切り口、意表をつくアプローチ必要なんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20160823104151

なお、タイトルの「通常兵器による最大火力」について一言考察。ここからはオマケ。

アメリカには「通常兵器有効」だというデータはあったのだろうけど、それに加えて、ゴジラレーダーのような能力を備えることまで予測していたのかもしれないね。でないと『同質量の金と同額』とまで言われる世界一高価なステルス爆撃機B2を(しかも3機も!)投入するのは不自然から。そして爆撃に使用するのは外しようのない、最大火力の誘導兵器である地中貫通爆弾バンカーバスター

まり、この時点ですでにアメリカは「普通に適切と考えられる最大の兵力」を投入してるんだよね。しか当事国同意を得ないうちに素早く。アメリカいか危機感をもち早期収束を焦っていたかが分かるね。しかし、そんなアメリカですら残念ながら予測できていなかったことが二つあった。「ゴジラ攻撃の対空レーザーへの進化」加えて「バンカーバスターで貫くことはできても死なないどころか怒らせただけというゴジラ身体構成(結果、馬鹿みたいに被害火災とおそらく放射能汚染)が拡大)」という2点。この2点のミスは致命的でかなり痛い。結果、米軍全体でも21機しか保有しないB2のうち3機(しめて約5000億円?)とその搭乗員を失い(エリート爆撃機乗員6名以上…プライスレス)、同盟である当事国の首脳陣をほぼ全滅させ(プライスレス)、同首都に壊滅的な打撃を与え(東北震災の約10倍としてざっと数百兆円? 円と株の暴落による世界経済への影響は…少なくとも米国債ドル暴落にも歯止めかからないレベルの打撃はまさにプライスレス)…。これ、単なる「攻撃作戦失敗」の域を越えてるよ?! いくら大統領に巨大な権限があるとしても「判断ミス」追及されたら辞任どころか死刑になってもおかしくないくらいの大失態だよ? ゴジラ対処する必要がある超非常事態からこそギリギリ責任問われずに済んでるけど。結果、アメリカ自分判断では動けなくなり、国連主導の解決策に移行するしかなくなった。その国連判断が、中露という地勢的に近隣な国々を中心とした「核攻撃止むなし」という結論であって、「通常兵器でなんとかしようとしてた前半」と「核攻撃止むなしの後半」では主体が変わってることもけっこう重要ポイントですね。

2016-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20160819153835

今日スパム!!

 

今日はてブスパム報告はこちら!

 

バズ部ガシー・レンカージャパン

http://b.hatena.ne.jp/entry/bazubu.com/case/guthy-renker-japan

 

またバズ部スパムやってる(た)よー!

 

ガシー・レンカーブクマページで見てしまったんですが、

先日の、はてブスパム解説マスダで書かれていたように、

ブクマコメントが消されていました!!

 

コメントの一つに、参照の①へのリンクが貼られていたんですが、

そのコメントが削除されていました!

 

コレだ!と思いました。

 

なんかコメントとか色々見ているけど、スパム擁護するコメントあって、

そのアカウントは多分バズ部中の人とかがプライベードで普通に育てたアカウントじゃないの?とか思ってしまます

 

だってスパムはみんな嫌でしょ?

 

私も大嫌いです。

から本当に、はてブスパムで嫌な気分になるくらいなら、

バズ部はてブスパムをもぐら叩きゲームのように楽しむ事にしました。

それで嫌な気分になった分は楽しませてもらおう!という感じです。

 

以上、「今日スパム報告」でした。

 

じゃなくて、

以上、バズ部よ、反論があるなら書いてみよ!

 

(参照)

はてブスパムを許して良いのか?いい加減、さらします。

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160819153835

 

はてブスパム考察している記事つけました!

 

(株)はてなは、Google並みに「はてブスパム排除すべき」なのでは?

http://anon.isc5.com/2016/08/hatena-spam-ng.html

2016-08-17

語源の楽しみ

語源の楽しみ。家にいて、そこらへんにある言葉を拾うだけでいろいろ考えた気になる。暇なときに最適な楽しみである

たぶん、それで得られる思索は、ほんとに言語学とかやっている人には当たり前のことなのだろうけど、まあ趣味ですから、許してほしい。逆にそういう専門の人の面白い語源の本もまた好みである

アメリカ上院はSenate。この語源ラテン語Senatus、すなわちローマ元老院。その単語をそのまんま使っているということに僕は衝撃を受けた。つづりの違いは言語の違いに過ぎないから、たぶんアメリカ人学校歴史の授業で、ローマ歴史を学ぶ時とアメリカ合衆国政治機構について学ぶ時に同じ単語Senateをもとに学習しているわけである。そこに歴史の一貫する深い流れを感じ取ることが、感覚としてあるのではないか。ちなみに下院House of Representativesで、一般名詞形成されている。

ところで、どうしてこのように名付けたのだろう。

たぶん、アメリカ民主主義が、設立当時はイギリスよりもフランス継承している意識が強かったことに由来しているのだろう。イギリスは、貴族院庶民院下院)であって、それぞれHouse of LordsとHouse of Commons。それに対し、フランス上院下院は、SénatとAssemblée nationaleであり、上院には同じ単語使用している。フランス上院のことは日本語訳でも直接的に「元老院」の訳語をあてることもあるようで、Wikipediaはそうしている。単語としては同じなんだからアメリカ上院も時には元老院と呼んでもよさそうだ。

アメリカ上院議員はSenator。オバマ大統領大統領選を戦っているとき、「Senator Obama」とよく呼ばれていた。

このときこのひびきは通常の日本語訳では「上院議員オバマであるが、原語では「元老院議員オバマ」と同じものなわけであり、これはつまり歴史を好むアメリカ人にとっては「元老院議員カエサル」と同じ響きをもって伝わっているのだろう。ここがうらやましい。

明治維新が起きてすぐのころ、明治4年の制度では正院の長は太政大臣であり、三条実美が就いていた。過去太政大臣と言えば、藤原道長であり、平清盛であり、当然のことながら、豊臣秀吉である。なんで「太政大臣」の名前を廃したのかな、と残念に思うところ。

もちろん、より有名なところ(だが現在には継承されていないもの)として、ドイツ皇帝カイザー」、ロシア皇帝ツァーリ」は、それそのものローマ皇帝または副帝の称号カエサル」を引き継いでいる。

こういうのを見ると、欧米では歴史単語レベルで地続きであることが多いのだなと思う。しかしもちろん日本でも、大連(おおむらじ)と大臣(おおおみ)の権力争いの末大臣家が勝ち残ったことが、現在でも内閣大臣名称に残っていることなどは、語源から歴史の深みを感じるところではあるのだ。

・・・これを読んで「そんなの誰でも知っとるわアホ」と思った方による、より深い考察も歓迎でございます

2016-08-16

ネット文章を書いてあげるのが怖くなった

ちょっとふざけた感じのサイトを作っていた

ふざけると言ってもニューアカとかペダンチックな語りとかと学会みたいな「くだらないものをあえて知的ぶって語る」ノリの「こんなの真に受ける人いないよね」という感じの文章を書いていた。

そのうちサイトに書かれたことを本気にしだす人たちが出てきた

いや、こんなもんまともに読まなくていいよ、ただの衒学なんだし、本をちゃんと積んで読もうねと思ってたが、その頃はまだネットが閉じた空間だったからそんなに被害はなかった

ところがスマートフォンで一気にネットが開かれてしまうと本気に思ってしまう人たちがわんさか押し寄せて、しかtwitter受け売りを話し出すようになってしまった

しかに本だって誤解されるようなこともあるだろうと思うけど、そういう本を読んで基本的な土台を作ってから付け焼き刃に自分文章を使ってるんじゃなくて

ネット上の雑文だけをかき集めて自分の都合の良いパッチワークを作ってる感じが不気味だった

まりにも怖くなってそのサイトは閉鎖したしネットにそうした考察みたいなのを書くのが怖くなった

ちゃんとした論文とふざけた物言いチャンポンみたいな中間文の発表場所ネットがなれるんじゃないかと思ったけど

スマホ普及で大勢の目に強制的に触れられるようになってしまうとそうもいかなくなった

本当の意味での仲間内同人文やミニコミ誌的な閉鎖的な文化が復活したらいいんだけどもう無理みたいで心理的に落ち込んでいる

こんな感じの自分の思いをつらつら述べただけの感想文なら書けるんだけどもう「ちゃんとふざけた論考」が書けなくなるのかと思うと憂鬱になってくる

テーマには価値がない」がわからないやつ

映画漫画小説テーマを論じると怒り出す人たち

http://anond.hatelabo.jp/20160815210616

増田の苛立ちがよくわかる。あいつら本当どっかいってくんねえかな。

多分ネット上ではテーマってもの理解されてないんだよね。テーマ作品を左右する価値があると考えてるからテーマどうこうを毛嫌いするし「高尚なテーマw」とかが揶揄になると思ってる。もし価値があるなら、映画なんかにしないでそのテーマ自体を叫んだ方が作品よりよっぽど優れたものになるだろうに。

テーマ評価作品を絡めるのが如何に下らないかについてもっと言えば、ゴッドファーザー反社からから駄作反戦映画は総て名作という論理が成り立つこと。下らなすぎるでしょ。

テーマは観客が作品から読み取る主観的もので、もともと決まってるものと考えるのが間違いのもと。(シナリオ小説作法では絶対説教臭くなるから作者すらテーマ最初に設定してはいけない。またテーマと「モチーフ」は違うものだけどややこしいので略) だいたい「テーマ」の一言で伝えられるんなら誰も作品なんか作らねえよ。

から人それぞれテーマ解釈が違うのが正しくて、そこから多様な見方を話し合えるからこそテーマについて他人と論じるのは面白いわけ。テーマがないとか言って何か言った気になってるやつには本当ゲンナリする。そんなの作品観てないってのと同義から黙ってろよ。

それと、エンタメという言葉が糞みたいな扱いを受けてるのも問題エンタメから批判するな、深く考えるなとか言うやつが多くて本当に辟易するが、エンタメなんてたくさんの人に見てもらうことが前提なんだから多勢に伝えたいことがあるし、批判されたり考察されることは想定済みなんだよ。エンタメからこそ深く考えるべきものもある。決して無批判で受け止めるべきものなんかじゃない。

こんな簡単なこともわからないんだから、要はネット上の大半の奴らは映画も好きじゃないし考えること自体がそもそも嫌いなんだよね。自分がなんとなく好きなものはみんなにも好きって言って欲しくて反対意見を言うやつの口は閉ざしたいだけ。自己肯定のために作品とかテーマとかエンタメって言葉を道具にして、他人意見を封じる。

そういうやつは映画に口なんか出さないで昼飯の写真でもアップするくらいがぴったりだと思うんだけど、全然いなくならないんだよね厄介なことに。

ちなみにシンゴジについてぼくは絶望しようよがテーマだとおもいました。

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