はてなキーワード: 自己分析とは
いや、私は気持ち悪く感じないようにしてほしいわけじゃなくて「それは気持ち悪いです」って言いたいの。
「気持ち悪くないです」って言い返したい人は言えば良いけど、「気持ち悪いでしょ中身が男の女の子なんて。何考えてんの」って言えちゃうわけ。
ええ、ええ、そうですね。
「何でちゃんと男で描かないの、女を何だと思ってんの
これはよくわかりません。
「ちゃんと」っていうのはなんなのか。
これまであなたが力説して来た「他の作品はちゃんとしてる」という主張は
少なくとも全体的に間違っていることを説明してきました。
ほぼ全てのエンターテインメントはあなたが求める意味では「ちゃんと」していません。
「何でちゃんと男で描かないの、女を何だと思ってんの。それって超勝手だよね
これの意味がわかりません。
ここの内容をもう少しはっきり書いてくれると
「勝手で悪いか」って開き直りたい人は開き直ればいいけど、どんどんサイテーになっていくだけだしやめた方がいいのにって思う。
同上。
開き直る、直らない以前の話として
「勝手」の成分がよくわかりません。
結局「その方が萌えるから、売れるから」っていうだけでやってることになる。
で、それって超いい加減なので叩かれても仕方ない。
「超いい加減」の意味が良くわかりません。
萌えるように売れるようにするのが「超いい加減」であれば
世の中は「超いい加減」な作品で満ち溢れています。
あなたが他の「超いい加減」な作品にではなく
この作品にだけ強烈な反発感情を持つ理由を
自己分析して説明しないとあなたの感情の経路が伝わらないと思います。
『ジョジョの奇妙な冒険』には女の子の皮被った男なんて出てこないからね。
例えばイギリス人やイタリア人のフランス人やアメリカ人の皮をかぶった日本人なら出てきます。
あなたの理路でいくと「全員日本人にすればいいじゃないか」ということになります。
JOJOシリーズの登場人物を全員日本人にし、舞台も日本に限ることで
もちろん、私はその「リアリティ」の使い方は間違っていると思います。
残念ながら「真っ当」でも「真摯」でも「まとも」と同じ程度に意味不明です。
たとえば私があなたに「あなたは真っ当でないから駄目だ」と非難をしても、
これは何も言ってないのと同じです。
「あなたは駄目だから駄目だ」という意味しかここにはないからです。
よくわからないな。攻撃されてると感じるの?
思ったことを整理して書いているだけなので、傷ついちゃったならごめんなさいね。
では語尾に「w」をつけたりしながら挑発する必要は無いと思いますよ。
そういうことを始めるとご自分の心が掻き乱されて
まとめると
あなたが批判に用いる言葉は「気持ち悪い」「ちゃんとしてない」「まともでない」「真っ当でない」「超勝手」…といったもので
ですからこれだけ長文を費やしてきて、
「感情的に気持ち悪い」に尽きるのではないでしょうか?
「私はあの漫画が気持ち悪い!」とだけ言ってるのが一番正確なのでは。
「あの漫画が非難されるべき理由」をでっちあげなくても
友達の紹介、3度デートして、告白後メールが返ってこなくなった。
友達の紹介、合わない感じを感じていたので、二度目はないなぁって思ったが、あっちから「ごめんなさい」と言ってきた。
会社の後輩、5度デートした後に告白したら「勘違いさせてごめんなさい。」
ひどい戦歴だ。
世の中の女は見る目がない!と叫んでやりたいものの、彼女いない歴が31年の俺なので、もちろん問題はこっちにあるんだろう。
友達がいないほうだとは思うんだけど、もう5年も6年も会ってない友達が、急に女の子を紹介してくれたりするんだから、スペック的にはいいんじゃないかと。
だって、紹介してくれるってことは、スペックが充分か、好かれるキャラか、あるいは両方ってことだと思うし、そして、俺は好かれるキャラではない。
1対5のプロレスごっこで1のほうの役だったし、お誕生日会に行けば、「あれ?きみ呼んだっけ」みたいな扱いをうけるほうだったし。
いじめられっ子というほどじゃないけれど、人気者とは程遠いポジショニングだったはずだ。
女から見て、自分以外の彼氏には丁度いい男であり、自分の彼氏としては嫌なタイプ、ということなんだろう。
考えると嫌な気分になるけど、自己分析するとそんな結論だ。
やはり、改善点というのは見た目ということになるのだろうか。
ほんと、やってられん。
2、3月中に大量のESを送る大企業、つまり誰でも知ってるような有名メーカー、マスコミ、金融は4月中で全て決まる。
自分はなれなかった。でも、そこからどうにか5月上旬に希望の業界に内々定をもらった。
そこで気付いた落ち武者なりの面接のコツ的なものを書こうと思う。
基本的かつごく当たり前のことだけど、徹底的にこれらを意識するようにしてから内定ラッシュが遅れてやって来た。
何社落ちたかなんて数えない。落ちた選考の資料、終わったスケジュールは全部捨てて消せ。
でも、どんな企業の選考でボロカスにされようと、それは決して無駄じゃない。
そのなかで絶対に譲れないものが見えてきたら、そこだけ目指せばいいと思う。
4月大手に全滅すれば、泣きながらよくわからない企業に新たにエントリーすることになるだろう。
周りは半分以上大手に決まって、スーツで授業に出る学生が少なくなる。
すると、そのなかで自分は何がやりたかったのか、何をやってるのか、電車の中で必ず絶望する時が来る。
でも、たとえ全く興味のない企業の面接で志望動機を0からつくっても、結局は同じ所に帰結する。
軸は、例えばこの職種、業種、勤務地、給料でないと自分は働かないという
「希望勤務条件+自分の今までの人生の総決算から導き出された自分は何がやりたいか」だ。
将来何がやりたいか、から入ると思考停止してしまうから、気をつけるのはこれまでの自分から考えること。
それは大学時代だけじゃなくて、21年間の総決算だと思えばいい。
未来は過去の延長なので、過去を探れば探るほどそれ以上でもそれ以下でもない答えが見つかる。
やりたいことを企業を限定しないように。
自分の人生で感じる使命感とか夢とか、そういう大きな括りで考えるとあらゆる企業の志望動機に転用しやすいから。
自分はこの21年間、どんな人間だったか。徹底的に物心ついたときまで遡る。
なぜその高校に入って大学に入ってその活動を頑張って、なぜその企業に入りたいのか。
いわばこれが自己分析ってことになる。
例えば「自分はこの活動を頑張りました」「なんで?」「~が好きだから」だけじゃだめ。
「自分は子供の頃からが~好きで、それを通じて~できたり~できるから、それが原動力となって頑張れた」
全部に筋道を立てて、相手に納得させる答えを考える。
また、面接では他企業の選考具合について必ず聞かれるけど、そのときは決して受けてる企業と無関係の企業を口にしないこと。
自己分析って言葉はわかりにくいが、常に自分に質問を投げかける習慣をつけること。
「御社のこの製品が、サービスが素晴らしいから御社に入りたい」なんて間違っても志望動機じゃない。
「自分はこういう人間でこういう生き方をしてきたから、こういうことがしたい、それは御社でしかできない、だからお前らは俺を入社させるべき」くらいの強気で。
就活は恋愛だという。それは正解だと感じた。いかに相手の興味を惹くか。駆け引き勝負。
2でつくった筋道を、全部話すんじゃなくて相手に聞きださせることが大切。
面接の最中、これから面白くなるぞなるぞという雰囲気のギリギリ一歩前で話をやめる。
「えっ、それでそれで?」と身を乗り出してくれば勝ち。思いっきりアピールしまくれ。
逆質問は最後の猶予なので、面接で言えなかったことを無理やり質問に詰め込む。
質問を相手に投げかけつつ、むしろこっちが答えを返す勢いで。
たとえば営業職の場合、「お客様にと接する際、どのようにそのニーズを聞き出していますか?」と聞く。
そのとき重要なことは、「自分はアルバイトの経験から接客でこのようなことに気をつけていたんですけれど…」と前置きすること。
自分の答えが相手の答えに一致するよう誘導する。
「○○さんのおっしゃった通り、我々もこのようなことに気をつけています」で返ってくれば勝ち。
じゃあなんなのかというと完全にフィーリング。
今までの面接と違い、何回も自分の話を聞いてくれたことのある人事ではない。
相手はただのおっさんだ。
何故か今更エントリーシートについて素っ頓狂な質問をされる。家族について聞かれる。自分語りを始められる。鼻で笑われる。
そんな感じなので、自分は最終面接はいつも失敗したと思って帰った。
でも受かってるのだ。落ちてることもある。
お偉いさんだろうが相手はただのおっさん、そこでの結果について決して自分を責めないように。
自分はごく普通の学歴と経験(むしろ留年のハンデ付き)で、可もなく不可もありませんでした。
ぼくの根っこの部分にあるものはなんだろうと考えてみたよ。
ぼくの根っこの部分には「飢餓感」がある。
おなかがすいたーとかいうソレとはちがう種類の飢えだ。
自分への誇りであり、
それをバネにして生まれる飢餓感だ。
ぼくにはある、キラキラしていないし、大きくもないけれど。
確かにある。
ちっぽけなプライドってやつだ。
いつだってがんばるをしてた。
その誇りが潰されたことはあるか?
ある。ナンバーワンな人間はいつだって造作もなくそれをしてみせる。
同じことをしても結果は違うってやつだ。
何でできなかったんだろう。
くやしい。はずかしい。いつのまにか名誉や体面をうしなってた。
その感情をバネにしてなにが生まれた?
それなのにまだがんばるをするんだ。
まけたのに、温泉の中みたいに居心地が良かった。
でも足りなかった。
ひもじい、からっぽで見渡す限りどこにも求めるものはなくって、
ぼくの根っこの部分はからっぽだ。
あまりにも攻撃されるものだから翻って何されてもずっとヘラヘラして生きてきた。
そうすると人間関係がとても円滑になり、少なくとも嫌われることはなくなった。
しかしそれはただおもちゃになっただけだった。今にしてみれば、やれと言ったらやるし、何をしてもヘラヘラしてるのだからそりゃあ遊びたくなるな、とは思う。
自分で選んだことだがこんなのは嫌だ嫌だと考えるものの、他のやり方は知らぬのだからどうしようもなく、成人してしまった。
大学三年生なのでそろそろ自己分析とやらをしなきゃいけないのだが、まさか面接でありのままを吐露するわけにもいかない。
嘘はあまりつきたくないし隠し通せるとも思ってないが、案外わからないものなのだろうか。
そもそも今までだってうまくやっていた確証などないし、うまくやれていても結局はそれ自体が不満なのだから同じだ。
だから勉強も研究も動力は他人の目でしかない。言われなくても「早く走れ」と急かしてくる。行き先は知らないし、選択の時は消去法だ。
こんな不良品を押し付けたくない。本当は品物でもありたくない。でもこれしか知らないし、さっさと走れと囁かれるものだから動くしかない。
不遜だとわかっているし、こんなことは微塵も思っていないが、いっそ就活なぞ失敗してしまえばいいとどこかで願っているのかもしれない。
でもやめてどうするのだろう。無理だ。どっちも苦しいのだ。どちらも見えてくるものは違うし、どちらがより良いかなどわからない。
もうばれているのならさっさと言ってほしい。
こんな薄っぺらいんだから、見透かしてください。
誰かにめちゃくちゃに壊されたい。もしくはめちゃくちゃ幸せにされたい。
正直、「馴れ馴れしくする事」と「コミュニケーション能力が高い事」についての分別があるのなら、無理に嫌な人・苦手な人と関わる必要はないと思う。
建前上の付き合いは当然するとしても、無理に仲良くしようなんて思う必要はない。
頻繁に「色々な人とできるだけ関わりましょう、自分が嫌いであってもです、そうすることがコミュニケーション能力の向上につながります」なんて言われるが
そんな事しなくても演技力でなんとかなるよ、なってきたしね実際問題。
・上京して慢心してるカッペ
・常に俺を侮ってくる人
・馴れ馴れしすぎる人
・たててやると図に乗る人
・口調が早すぎる人
・高飛車な女
・猫なで声の女
・デブ女
・容姿が醜い女
・絡みがだるい人
・異性が絡むと特別テンションが変わる人
・やる気のなさアピールしてくる人
・オタク趣味を得意げに話す人、容姿端麗な奴ならまだいいけどオールドオタクよ頼むから自重してくれ。恥ずかしい。
・字が汚い人
・協調性がない人しかもそれを個性とか換言する奴。ちげーよ気づけ馬鹿。
・褒めることが出来ない人
最近むかついたので詳しく書く。twitterやニコ動にやたらとログインしているのを見かけるコミュ障っぽい女。案の定、話す時は相手の目も見やしない。
そいつを交えてのグループワーク。お互いにレポートを交換して良い点と改善点の「2点」を相手のレポート裏に記述せよという指示にも関わらず
改善点しか書きゃしないし、よせてあるコメントもなんだか煽り口調。自分の作ったレポートにも悪いところはたくさんあったが、素直に受け止められる
コメントではなかった。こういう時は普通、お世辞でも良いところは書くだろう。少なくとも俺は見たレポートの良い所悪い所を一つづつ書いたんだけど。
・だからSNSやってるコミュ障。頼むから死ね。お芝居も出来ないのに口だけやたら偉そうなのは何よりもむかつく。
・自分は何かを成してきたんだと声高々に自慢する人、言わなければかっこいいのに。いや言わないといけないのか今の世の中。
・清潔感のない奴
・負の努力をする奴
・相手をたてようとしない奴、思いやりがないと換言してもいいかも。
これまでのそしてこれからの駄文は全て自己分析の為に書いているつもり。
人生における不満の「見える化」を行なって、出来るだけイライラしない人生を送っていきたい。
追記:ネットの中でくらい好きなこと言わせろよ・・・(笑)なんで俺が死ななきゃいけないんだよ。まだなんかしらしたいよ。
でも本当、親の俺への関心も薄れてるみたいだし、どんくさいし、あんまり面白い生き方出来てないし
女性に対してもう特別夢もないし、期待もしてないし、まぁこっちも期待されないと思うし
さあ、どうしましょうかね。
http://anond.hatelabo.jp/20120310202830
俺は起業するつもりでいたから就職なんて全く真面目に考えていなかった。
適当にやり過ごしてチャンスが来たらとっとと辞めればいいと考えていた。
17歳で会社を作って(ただしほとんどおままごとの延長のようなもので儲けなどない)
腰掛けのつもりでIT系専門学校に特待生入学して肌に合わないから3ヶ月で中退して
20歳近くなって、親のコネでベンチャー企業にアルバイトとして入社して
周りはみんな優しくて温室のような環境なのが逆に不満だったりした。
でも1年半して会社が潰れそうになったので、転職サイトに登録して
(2005年当時はIT系は人手不足で俺みたいな経歴でもわりと潜り込めた)
今何をしていてもどこかで大逆転できるとたかをくくっていたから、
就職活動なんてせずに広き門を歩み続けてきた。
そんな俺も30歳を過ぎて思うのは、自己分析力やアピール力、
そして「嘘を付く力」が圧倒的に欠けているということ。
適当に生きてきた分、今になって苦労している感じだけど、
でもまあ、「0」を「1」にしたり「1」を「100」にしたりせずに
やりたい職種を進んできたので、別に潰れたりはしない。
起業の夢はとっくに潰えたけどな!
まあ何を言いたいかというと、
・就職活動の機会があるなら訓練の場として最大限に生かせば自分の糧になるんじゃね?(やったことないから知らんけど)
・就職活動に失敗しても、(アルバイトからでも)やりたい道に進んで時機を待ってれば、案外何とかなるんじゃね?
・エリートは嘘をいっぱい付かなきゃいけなくて大変だね^^ 嘘をあまり付かなくてもいい底辺っていいよね^^
って感じ。あじゃじゃしたー。
純粋未修で2振して撤退した俺が、ロースクールに進学又は在籍する純粋未修者にロースクールの社会構造を伝えること並びに生き残りの方法及び生き残れなかった場合死なずに済む方法(撤退)を伝授すること。
ロースクール(以下「ロー」という。)は、成績優秀者をピラミッドの頂点とした、階級による格差社会です。教授も学生も、成績優秀者を持て囃します。まじでモテます。「※ただしイケメンにかぎる」じゃない世界が、ここにある!(イケメンならなおのことモテるわけだが)
成績悪い奴は人間扱いされません。あからさまに無視されることもあるし、授業で発言すれば笑われることもある。彼女など夢のまた夢orz(余談だが、彼氏づくりに影響がなさそうだったのは不当だ。)
インド人もびっくりのカースト制度ですよ。最初はひでえなと思ったけど、司法試験の仕組みを考えたら当たり前。2~3年で合格レベルにもっていかなきゃならんのに、バカにかまってるひまはないっすよ。
純粋未修は、それまでの人生がうまくいってて自分は勉強得意だと自負してる人が多いけど(だからこそ新しい分野に挑戦しようとしたわけで)、自分が勉強できないんだということを受け入れるのって、辛いと思うよ。人間って、何回も自尊心を傷つけられると、ほんと自分てだめな人間なんだなと思ってダメスパイラルに入るんですよ。ロー入るやつってなまじ勉強ができるからそういう挫折も経てない人が多くて結構心折れるし回復魔法知らない人が多くて(俺とか)病むよ。しかし病んでると勉強進まないからますます成績悪くなって(以下略。
また、ローは、階級が初期に固定されて、後に革命を起こしにくいのも特徴。ぶっちゃけ、法律って、最初っからセンスある奴はあるし、ない奴はないんですよ。純粋未修だろうがなんだろうが、1年前期で成績優秀者になるやつはいる。※階級固定は多分既修も同じ。むしろ既修はロー入学以前に数年勉強して既に自分の実力を把握してるから、より固定化されてる気がする。成績優秀者は能力+努力がある奴が大半だから、革命起こすには数倍以上の努力が必要という残酷な真実。
さらに、いったん格差ができると、それは拡大する一方なんですよ。みんな優秀な奴とかかわりたいから、優秀者に情報が集まる。みんな優秀者に質問するし。かてきょとかやったことあればわかるけど、勉強は、教えられるよりも教える方が身につく。教えるやつはどんどん理解が深まり、教える機会がない劣等生とは差が広がる一方。
あと、大事なのは勉強会ね。司法試験では勉強会単位で合格が決まると聞くけど、俺の実感としてもそんな感じ。優秀なやつは優秀なやつ同士でゼミ組んで、全員で合格しようぜ→全員合格(たまに一人落ちるやつがでる)。他方、劣等生は劣等生同士でゼミ組んで、全員落ちるか受け控え続出orz。知らない間に公務員試験受けてたりな!
そんで重要なのが、ロー成績と司法試験合格率の相関関係。上位ローでは概ね相関関係があるらしい。サイトで公開してる学校もある。つまり、ロー成績悪いけど予備校漬けで逆転狙うぜ!が、実現困難だってこと。実際、俺の感覚でも、受かるべくして受かったやつと、落ちるべくして落ちたやつが大半で、え・あの人が落ちたの?はあっても、あの人が受かったの?はほぼいない。
だから、ローの成績悪いなーそして上がる見込みもないなーと思ったら、方向転換することも視野に入れたほうがいいんじゃないかというのが俺の提案。
撤退か否かの見極めに役立つかと思い、書いてみる。統計とかじゃなく、俺の感覚だけど。
以上の少なくとも1つに当てはまるようなやつじゃないと、3年で合格レベルまでもっていけないんじゃないかと。
これもあくまで俺の同輩や先輩で、中途退学者、卒業して試験受けずに新卒で就職した人、1~3振り後に方向転換した人は今!?てゆー結構個人的なリスト。
俺がどこかは申し訳ないがノーコメ。
予備校が溢れてるんだからまず講座説明会とか行ってみて、入門講座をやってみる。法律の答案ってモンを答案を読んでみる。つまらんと思ったらそもそも入学しなきゃいい。※ツイッターで「適性○○点!」てプロフィールに書いてる人を見かけてびっくりしたんだが、適性試験と法律の適性は相関関係ないです。適性試験が良くても法律ができるとは限らないんで、驕らないように。
法曹になる動機だけじゃなくて、司法試験受ける動機も含む。どーしても弁護士になりたいんじゃあ!!!社会正義じゃあ!!!!などとおっしゃる立派な方は別にして、普通はそこまでは考えてないと思う。既修だったら、これまでに投入してきた時間と費用を思い返して今更受験やめられない(サンクコストだっけ?)っつう考え方もあるかもしれんが、未修だとそこまでのリソース投入してないからよく言えば身軽、悪く言えば覚悟が足りてない(いや自分のことですが)。
成績あがらなくても努力し続けられるのか、孤独な浪人生活でも踏ん張れるのか、いや踏ん張りたいのかってのをよーーーく考えたほうがいい。おれはふんばれなかった。みんな、おらのしかばねをこえてゆけ。
まだローでどんなことやるかわかんないからおれはつくらなかったんだけど、やったほうがいい。つーかさっさとやれ。予備校ごとに合格体験記が溢れてるから参考にしつつ。社会人なら仕事のプロジェクト計画と同じだし(某社会人の受け売り)、学生は今までの勉強の歴史を辿って自分の合格必勝法的なものを考えろ。
俺の敗因はこれだと自己分析してる。プライド捨てて質問したり、答案見せたりできなかった。自分ではがんばってしてたつもりだけど、ぜんぜん足りなかった。
この前、元女子アナの菊間弁護士の本読んだけど、心底裏山しいと思ったのは、菊間弁護士には浪人中信頼できる勉強会仲間がいたこと。「4人で手をつないで♪」とかスイーツ()とバカにせず大事なことじゃないかと。孤独な勉強って、つらいっすよ。勉強会仲間がいれば俺も心折れなかったと思う。
これらを頭において挑めば、ロー在学中余計なこと考えずしこしこ勉強できるし、しこしこ勉強してれば成績はあがるだろうし、合格も見えてくる。がんばってください。
司法試験が人生のすべてじゃないけど、人生を賭けて挑戦する試験なんだから、いろいろ覚悟しろ。
菊間弁護士の本に「司法試験は下りエスカレータを逆走するようなもの」と書いてあったがまさにソレ。やるなら必死に。
でも、心が折れて修復不可能なら、潔く去ればいい。司法試験に落ちたからって、人生は終わりじゃないから、死ぬな。
以上
普通の女子大生がなぜ、Google+で「日本一」になったのか - nanapi Web
真性引き篭もり: 普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。
他の記事もひと通り読んだので長くなるが思ったことを。
久々に様々な意見が読めて、数年前までのはてなのようで楽しかったから、感謝として。
「わたし、写真が大好きだと思われてるんですが、嫌いですね。撮るのも、撮られるのも」
写真が嫌いで、SNSも苦手だという坂口さん。それでもGoogle+に写真をアップし続けているのは、「就活のため」だ。
大学3年生になり、就職活動を始めたが、「就活でしゃべれることがないんです。好きなこととか、何もなくて。何も好きじゃないし、何もできないから、流行ってることとか、これから“来そう”なことをやろうと。目標に向かって努力した経験や、自己PRが求められた時、なにか印象に残ることが言えたら」。
「恐怖感」という言葉で感じ取り、理解した者もいたことだろうと思う。自分になにもないような気がして焦燥感に焼かれるような時期のことを覚えている者なら。
彼女は賢い女性だ。自己分析も、目標設定の仕方も。早稲田という学歴を手にしたのはなんら不思議なことではないと思う。「意志が弱い」のに「恐怖感」で毎日朝3時50分に起床できる。これだけでも「普通」じゃない。褒められていい。好きでもなく、むしろ嫌いなことのため。けれど、将来に向けて役立つものを作るため。長所で点を稼ぐことでは行けない場所に彼女はいるのだろう。弱点を克服してこそ立つことができる場所に。
そして、就活を目前に控えても彼女はその方法論を用いて不器用に「これから“来そう”なこと」を選んだのかもしれないと感じた。この選択に自尊感情の低さを読み取ったとしても、病的と謗るのはどうだろう?彼女は自分と自分の人生に果敢に向かい合っている。安易に楽を選ぶような人ではないようだ。きっと彼女のいる場所では自分と同程度に出来がいいだけでは評価されないのだろう。だからこその課題解決と弱点克服。お前は何者だ。その問いにも、その答えにもおそらく彼女は気がついている。
彼女は結果を出した。Google+とInstagramということを差し引いても称えられていいのではないだろうか。確かにそれは誰にもできそうな話だ。お手軽で浅薄にも思える。パソコンとiPhoneがあればできる。インターネットは「自分だって」という幻想をもたらすツールだ。ユーザが少ないから、顔が綺麗だったから、学歴があったからということは自分も思った。嗚呼、またカモネギか、と。けれど、そういう一面もあったとしても彼女の努力は称えられていい。それがどんなやり方であろうとも自らに欠けているものを獲得しようとしている者の痛ましい努力を。壊れたiPhoneに感じるものはないだろうか?もしかしたら、壊れていたのは彼女だったのかもしれないとさえ自分には思えた。
事実、元記事にはこうも書いてある。
「1日1枚はInstagramに上げないと、というノルマに対する恐怖感で起きています。写真を1枚逃したら、私は何もない元の自分に戻っちゃう」
何もないわけがない。そんなに綺麗じゃないか。そんなに有名な大学にいるじゃないか。Google+で一位じゃないか。
ここで大事なのは“彼女にとって”は「何もない」ということだ。Google+を取ったら、彼女のいる環境では普通(以下含め)に埋没する。その恐怖感たるや如何ばかりだろうと考える。自分は自分だろなどと励まされても、“彼女には”そうじゃない。それに「何も好きじゃないし、何もできない」ということは本当に苦しいことだ。それだけ頭が良ければなんて言ってはいけない。彼女以外の者が自分のいる場所から考え言葉を発するのなら、彼女だってそうしていい。なによりも、なにもないという自分との対峙は大学生らしくまっとうな悩みではないだろうか?むしろそこに一度撓んで伸びようとする魂を感じはしないだろうか?
なにもない自分と向かい合うのは力のいる作業だ。彼女はいま奈落と向き合っているところなのかもしれない。それはこれからも時間をかけてやっていくことになる作業だろう。途中で転職や結婚や出産という転機にだって出会うことだろう。そしてそのたび自問自答しつつ、誠実にひとつずつ向き合っていくように感じた。そう信じたい。
「気持ち悪い」と思っていた一眼レフカメラも、最近は欲しくなってきた。「iPhoneのカメラには限界がある。誰かに伝えたいと思うような美しい景色が思うように撮れない時は、ちゃんといいカメラで撮りたいなと」
「気持ち悪いと思っていた一眼レフカメラ」「誰かに伝えたいと思うような」この言葉も印象的だ。
関心や興味は良いものとされがちだが、あまりに強い関心というものは異様に映る。強すぎる情熱を持って自分には興味のないことを続けている者を見かけたとき、つい引いてしまったことはないだろうか。それに、物事への関心が薄い者はネットでは目立たない。彼や彼女の発する情報はあまり役に立たないからだ。そもそもネットに現れないことの方が多いのだろう。語ることがないから。伝えたいことがないから。なぜそんなことをする必要があるのかわからない。ネットと接してきた時間が長い者と彼女のような伝えることのないタイプは互いに異形の者。でも、彼女はネットを選んだ。
何かを伝えたいと思うようなことがなかった女子大生がインターネットで「伝えたい」方向に気持ちが動いた。この先「やっぱりカメラは気持ち悪い」と思うことになっても、ここに自発性や意欲の萌芽を読み取ることはできないだろうか?
彼女は「好き」を獲得し忘れてしまったのか、どこかに置き忘れてしまったのだろう。だからこそ傾向と対策を練り、「型」の反復から入って習得しなければならなかった。そして、恐ろしいまでの勤勉さで、本来は好きというだけで心理的報酬が発生する行為を、他者からの称賛という報酬で自分の中に意欲として還元し定着させつつある。このことがいつか他者からの称賛という報酬がなくても行為自体が報酬をもたらすようなものとして彼女の中に育っていくといいと願う。考えてみて欲しい。多くのひとはもう記憶もないような幼い頃に獲得したか、考えずとも手にしているものを彼女は二十歳を超えてから獲得しようとしているのだ。野暮なことは言わず、讃え見守りたいと思う。もしよかったらあなたもボタンを押し、気が向けばなにかコメントするだけの簡単なお仕事をしてみてはどうだろうか。翼を広げ飛翔する彼女を目にすることができるかもしれない。それはインターネットから翔び立つことかもしれないけれど。
岡田有花という方を自分はよく知らない。しかし、この取材はきっと彼女も困ったのではないかと感じた。岡田氏は「写真大好き」な女子大生と出会うはずではなかったのだろうか?意外な言葉に戸惑ったのは彼女も同じだったのではないか?確かに記事の内容はありがち。わかりやすい良い話にしたかったのだろう。しかし、穿った見方をすればこの方は自分がネットで付与された(と思しき)物語を坂口さんにも着せようとしているような気がしてならない。「普通の女子大生」なんて表現は彼女が京大でなければ出て来なかった言葉ではないのか。また、彼女は一度自らに問うてみるといいと思う。自分が向けられた男性からの視点を内面化していないかどうかを。こうすればネットでは受ける視点が男性目線からのものであるのなら、あざといパッケージは文章を安くする。
そしてこのありがちな文章に対してのカウンターである『普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。』があまりに凄すぎた。素晴らしすぎた。誰もが薄々感づいていて言葉にしなかったことを暴いてしまった。それぞれの方がそれぞれの部分に喝采を贈ったのであろうが、自分は次の部分だった。
3年以上前からブログを書いている女性を、思い出せるだけ思い出してみてほしい。全員ぶさいくである。1人の美女もいない。美しさの欠片も無い。顔も醜い。心も醜い。そういう人達ばかりである。不平不満とくだらない馴れ合いをはき出して、だらだらいきている醜い人ばかりである。1人として美女はいない。もちろんの事、美男もいない。美しさは消えるのである。インターネットから消えるのである。時間と共に消えるのである。美しい者は、インターネットを捨て、廃棄し、跡を濁さず消えて行くのである。インターネットという地獄では、醜い者だけが生き残るのだ。そういう風に出来ているのだ。
すべてとは言わないがそう思う。自分にとってこの「美しさ」に儚さや弱さも含みたい。多分、ある種の脆弱さという美しさを持った彼や彼女たちはインターネットからも弾かれる。長くネットに表現を置くことができる者は強者であると言ってもいいと自分は思う。
だから思い出して欲しい。「ワンチャンあるかも」ということがどれだけ美しい者たちを潰してきたかを。
女性に「クン」とつける中高年男性向け雑誌のように「タン」などと語尾につけてキャラ化し、持ち上げるだけ持ち上げてコンテンツとして消費し、そして次の対象へと関心を移す。そのとき、賢く、美しく、センスのあり、慎ましやかな者を選んでいたのは他ならぬ「ワンチャンあるかも」という者ではなかったのだろうか?そういう者たちが結局美しい者を淘汰していってしまう。残るのはマシュマロの中に鉛が入ったような女性だけである。「私の名ならば女。それ以上でも以下でもない」と賢い女なら気づく。そして鎧を身につけるか、鉛を飲むか、逃げるかしていく。また、当然の如く逆もある。どちらかだけが捕食者とは限らない。女というだけで入れ喰いならフォトショ覚えるくらい安いものだ。これを楽しめるのもまた人間としてのある種の強さとこじつけてもいいのかもしれない。
男の敵も女の敵もお互いとは限らない。いつの間にやら話の流れは新旧ネットの流れになっているらしいがそれも含めて自分が感じ取ることをどんなゲームにしてもいいし、そんなものはないと木で鼻をくくったように言ってもいい。それが自分の考えだと感じるならそこから行くしかない。そして、それが違うからこそ人と出会うのは面白い。
最後に、個人的にはネットで多数と繋がりたくはないと考えていることについて。
Twitterが普及してからある種の文章をあまり見かけなくなったように感じている。エッジの効いた、ヒリヒリするような、血の滴るような文章を。嫌だったひともいるのだろうが、自分はああしたごりごりとした長文が読みたくてネットを見始めたクチだから大変残念だ。その一因はネガコメとかあの辺もあったんだろうなと思う一方で、ブログならば見えない読者を一人失うだけだったのがTwitterと連動させたことで明確に誰から拒否され関係が切れたのかがわかるからではないのかとも考えていた。それが罰のようなものとして認識されているのではないだろうかと。人間関係の煩わしさがネットに持ち込まれることで混沌と表現と情報は薄まっていく。ネットを現実と重ねていく流れがあるのならば空気を読むのは当然のことだ。日常の罪をネットで告白することの意味に気づかない者たちが晒される見せしめのショーも連日開催中だ。自宅、職場、学校まで晒される。あまりにリスキー。お利口でいい子になっていくのは必然だろう。誰かが自分に関心を向けてくれたときのあの興奮を一度でも味わったことがある者ならば。好かれたい、愛されたい、褒められたい、繋がりたいと願うのならば。
旧世代と誰かを括って責任押し付けるのは簡単だ。若いってそういうことだ。けど次はお前の番だ、お若いの。この流れの先に待っているのがパノプティコンでも向かいの囚人に片目を瞑ってみせようじゃないか。
以前知り合った縁のある方から、出会い系攻略について聞かれたので
長くなったし、メールには残したくないし、もしかすると誰か他の人の
役に立つかもしれないと思ったので、ここに書いておきます。
【目次】
・まず決定しておくべきこと
・行動する上で心がけること
・具体的に何をすべきか
・その他配慮すべきことはあるか。
→サバ読み、一人か複数か、狙い目
【ア】まず決定しておくべきこと
1.目的
無目的で海に行っても、ぼーっと海を眺めて終わるだけ。
楽しみたいなら目的をはっきりさせる。
出会い系も同じ、目的はメル友なのかお茶友なのかセフレなのかはっきりさせる。
後述するように、目的が明確だと行動にブレがなく効率的な攻略が可能となる。
2.ターゲット
仮に目的を「釣り」として、ありきたりな竿、ありきたりな仕掛け、
ありきたりの餌で堤防から糸を垂らしても、魚が釣れるわけがない。
よしんば釣れたとして、①効率が悪い②なぜ釣れたのか分からないので
再現性が悪い、という問題がある。
なので、例えば「クロダイ」「マグロ」等、何を釣りたいのかはっきりさせる必要がある。
そうすれば、適切な竿、専用の仕掛け、最適な餌と釣り場を選択することが出来る。
出会い系も同じ。「JK」「主婦」等、誰を狙うのかをはっきりさせておく。
例)『東京23区内もしくは神奈川東部在住の30代後半の独身OL、親元から離れて
一人暮らしをしている。彼氏はいるが惰性でつきあっており、割と時間がある。
好奇心が強く、危ないと分かっていてもつい踏み込んでしまうことが良くある。
好きな作家は酒井順子、最近上野千鶴子も手に取ってみるようになった。』
ターゲットをこう決めたら、それ以外の女性はすべてスルーするのが鉄則。
3.自己分析
目的を「釣り」、ターゲットを「クロダイ」と決定しても必ずしも釣れるとは限らない。
なぜなら、出会い系において針に付ける餌は「自分自身」だから。
自分の強みと弱みを明確に自覚し、ターゲットのニーズを満たせるか考える。
もし、あなたの強みがグルメなら「スイーツ()」のニーズを満たしやすい。
もし、あなたの強みが平日昼間休みなら「主婦」のニーズを満たしやすい。
※これら3つをを決定しておくメリット
・「○○だから上手くいった(いかなかった)」等、分析が出来る→次回に活かせる
・結果が平準化される→いつでもどこでも使える。ビジネスにも、リアルナンパにも。
結局のところ出会えない人というのは、この3つの事柄に対して無自覚、なのだ。
【イ】行動する上で心がけること
「クロダイを釣る」と決めたなら、心がけたいのは「良き釣り人」であること。
良い釣り人とは、魚の習性を熟知し、魚の好む竿さばきが出来る人のこと。
相手を良く知り、相手の好む行動が出来る人、ビジネスではそれを顧客志向と言う。
相手を知るつもりがなく、自分の好みを押し付ける人、それはたんなるわがまま。
例えば、読めない名前や口にしにくい名前をプロフィールに設定している人
「GSXR1000」とか「メルルのアトリエ」とか。
第一に、ターゲットに訴えかけないよね?
第二に、会ったときになんて呼ばせるつもりなの?
2.活動期間を限定する
「良き釣り人としてクロダイを狙え」ば、かならず釣果を得ることができる。
しかし同じ場所でずっと釣りをしていると、いずれ魚はあなたに慣れ、釣果が
同様に、いずれアカウントは飽きられ、反応が悪くなる。
てっとり早いのは退会して新しいアカウントを新しく取ること。
これなら同目的、同ターゲットでも新鮮味を演出でき、釣果が戻ってくる。
では新規登録〜退会までの期間はどの程度か?経験則では3ヶ月がメドだろう。
3ヶ月経過したら、釣果を確認し、反省点を踏まえ新しいアカウントを作成する。
もちろん、素晴らしい相手を見つけたならば、退会してそれで終わりも良いだろう。
【ウ】具体的に何をすべきか
使うツールは基本3つしかない。「プロフィール」「日記(掲示板)」「メール」
見栄えが悪くなければそれで良し。名前もアバターもごく普通で構わない。
たまに派手なアバターやプロフィールを見かけるが、そんな「ドヤ顔」は必要ない。
自分のターゲットが誰なのか、自分の強みは何か、さらっと書いておくと良いだろう。
仕事がら全国いろいろなところへ行きますが、そういったところで
出会う美味しいもの美しい風景を日記に書いていこうと思ってます。
一人暮らしをしているので、同じように一人暮らししてる方と仲良くなりたいです^^』
最も難しく、コアな部分と言えるだろう。ターゲットの心に響かなくてはならない。
何を書くかよりも、書く内容をブラッシュアップさせる方法を見つける必要がある。
指針とすべきは「閲覧数」と「閲覧数に占めるコメントの率」。
過去の日記の数値を確認し、良かった日の日記のどこが良かったのか
なお、ハッピーメールではコメント率10%、ASOBOならコメント率4%が目安。
相手と仲良くなることは意識しない。自分の望む条件かどうか、相手が
仲良くなることを意識するのは、「直メ」「電話」フェーズである。
サイト内でのメールは、1回の量にもよるが、10回前後だろう。
直メへ移行すれば、会う確率はかなり高まる。
【エ】その他配慮すべきことはあるか。
1.サバを読むべきか
サイトでは、年齢をサバ読む人が非常に多い。男女問わず若い子が好まれるためだ。
半数程度の人間が、自分のプロフィールをサバ読みしていると考えて差し支えない。
自分がやるかは目的による。継続的な関係を望むならやるべきではない。
2.一人に絞るか複数を狙うか
これは複数が良い。一人だとつい入れこんでしまうし、リスクヘッジになる。
お手玉やジャグリングのように、リズム良く進めると良いだろう。
3.どんな人が釣れやすいか
はじめたばかりの人がもっとも狙い目。観察していると「初日記」「初書き込み」
は非常に人気が集まっている。前述したように、自分のアカウントは常に始めて
3ヶ月以内なのだから、「私もはじめたばっかりなんですよ^^」と、
相手との共通項を作れるメリットもある。
以上、私なりの攻略法でした。
内定がない就活生のうち、駅弁国立大生あたりがふとした時に嘆くこの言葉。
特に地道に勉強してきた良い子ちゃんが、一念発起して都内の華やかな業界を志向して就活していたりなどすると
多々見受けられる。
「一応国立なのにまだNNT。(自分はそれなりに優秀なのに、なぜだかうまくいかない)」
それは、君の自己分析が足りてない証拠だよ。
「国立なら安心」「親に負担をかけたくない」「とりあえず安心の進路」「それなりに名前もいいし」
といった後ろ向きな理由が多い。
「そんな事ない!すっげー優秀な知り合いだってたくさんいるし、教育の質は高い!その地域においては最強の人材だ!」
とおっしゃる方々、都内の有名私大、旧帝大に対するコンプレックスは受験時代のままかい?
「早慶を蹴った」こと自体を勲章にする時点で、君は早慶よりもブランドで劣った大学を選んだんだよ。
なにより、就活において地銀や地方公務員、比較的堅実な業界以外の、華やかな職を目指せば目指すほど、駅弁国立という飛び抜けてないパラメーターはハネられる。
華やかな職であるほどに、「地味」属性を最初から付与される駅弁大生は、圧倒的に不利な戦いを強いられている。
ここのところ急に。
いったい何なんだろうこれは。
別にデブに恨みがあるわけでもないし、健康状態や生活や仕事も良好。
突然なんの脈絡も無くデブへのイラつきがインストールされた感じ。
街などでデブが近い距離で視界に入るとイラーッ!っとしてしまう。
不様に突き出した腹、みっともなく横に広がる尻。
もともとデブには寛容、というか何も感じないほうだった。
子供の頃から、デブがいじられたり馬鹿にされたりしてるの見てもよく理解できなかった。
今はデブを見た瞬間「怠惰」「だらしない」「図々しい」のような価値判断がパーン!と頭に入ってきて
目の前の見知らぬデブにすごい迷惑をかけられたような気持ちになっている。ヤバい。
デブをやたら嫌う人がたまにいて理解できなかったけど
急に理解できるようになってしまった。
なんでデブなのにそんなアホみたいな量の昼食を買い込んでんだよ。
この宇宙人に突然注入されたような、特定対象限定の説明不能のイラつき・怒りと言うのは何なんだろうか。
あーデブ全員死なねーかなー…
小学生の頃はかなり人気者の方だった。
中学から不良に目を付けられイジメられ、高校ではイジメは無かったが、少しでもDQNっぽい人がトラウマになり、
少数の固定友人とだけ連むだけになった。でもその頃はその友人らにすらどこか敬遠されたりもした。
それでも付き合ってくれた事は感謝。
飲酒や喫煙、ギャンブル、チャラい人、今でいうDQNをいろいろ嫌悪していた。
DQNグループに対して表面上はヘラヘラしてペコペコしていたが・・・
その反面、自分より劣ってそうな人には、イジメるわけではないし嫌いもせず親しくはしたけど
内心は見下してた最低なゴミ野郎だった。(自分より弱そうだから親しくできたのだろう)
女に対しても純情で、可愛くて清楚な見た目じゃないと駄目だと思っていて、
最近ネットでそういう風潮があるが、昔の自分を見ているようだ。
成績がいいわけでも非行するわけでもない。そういう立場だった。
(どちらかというとロキノン厨だった)
まぁそれらは置いといて、とにかく決まった友人以外の人との関わりに自分で壁を作っていた。
成人を迎えてから親に「お前は真面目すぎる。遊びを知れ」と言われた事もあり、
自分でも交友が狭い事が苦で、それからお酒をよく飲むようになり喫煙もはじめ
積極的に外で知人や友人らと交遊するようになった。
酷いときは連夜飲み屋に行ったり遊び歩きまくってた。いろんな人とも出会い知り合った。
成人過ぎると周りの友達は落ち着いていったのに、自分はその逆だった。
そのおかげか当時嫌っていたタイプの人間に対し先入観や固定観念は崩れ、
例えDQNと呼ばれるような人相手にでも恐怖も毛嫌いもなく接する事ができるようになった。
言わば昔自分が嫌悪していたタイプに自分がなったとも言うべきか。
あれから数年。今では落ち着いてプライベートはインドアでネット主体に
最近、ひしひしと痛感することがある。
「親しくなった友人に更に好かれたいのに、いつも敬遠されたり最終的に呆れられる」
いろいろ自己分析をする内に、その理由がハッキリ分かってきた。
・相手の事より、自分の話ばかり
・鈍感なせいかうまくボケたりツッコんだりできず、逆にツッコまれる
・相手の話を聞こうと集中しても話を整理して混乱して頭から何の話だっけと流れてしまう
(↑これにおいては、少ない言葉で何気ない内容のキャッチボールなら問題ないが相手が早く多く喋るとこうなる)
・些細な事を気にしすぎたりする。(嫌な事あるとすぐに友人にだらだら一方的に愚痴る)
・とにかく同じ話ばかり(前にも聞いたとよく言われる)
こんなところでしょうか。これはあくまで親しくなった相手に対し1vs1の時で
多人数の時は逆に黙り込んでしまう。
自分が好きだなって思える友人の特徴は、
・よく話を聞いてくれる
・話の切り返しが上手
・話題や心を引っ張り出してくれる
・空気を乱さない
・率先して自分の話ばかりしない(←カリスマというか別の理由で好かれてる人なら常に自分語りしていても好かれてるが)
こういう感じ。
10代の頃は先入観や固定観念の塊で、それを打破して一時期交遊も広くなったが、
落ち着いてネット主体の交流になったここ数年は、今度は自分のそういう面が原因で
人から好かれにくくなった。
元より好かれたいだなんて思ってなかったら楽だが、
常々人に好かれたい自分も人気者になりたいだなんて思っているのに、
悪い面が際立ってしまう。
問題なのは、付き合いが浅い人や、まだ心を許してない相手には自重もできるし、
表面上で割り切って付き合えるが、心を許せた相手には途端、自分の全てやボロをどんどん出してしまい、
徐々に呆れられる・離れられるということです。
人に対しての偏見は無くなったけれど、それだけじゃ良い人付き合いはできない。
ましてや好かれるということは、もっと別の所にも問題があるんだなと。
心苦しいけれど、きっとそれが自分というものなんだろうなと自負するようにもなってきた。
こんにちは、新婚です。タイトルはホッテントリメーカーから。
いや結婚はいいよマジで。仕事終わってクタクタで帰るだけで好きな人にくっつく特権が!そして相手も満更でもなさそうな顔でニヤニヤしてたりして!それより何より家に男の人がいるってだけですごく安心するよ。ありがとう夫、愛してる夫!
……そんな幸せいっぱいの三十路喪女ですが(ええ、結婚しても喪は喪です)、かつては婚活なんかもしておりました。結婚を意識して動き出して結婚まで7年ほどかかりましたよ。何しろ喪ですから。そんでも!そんでも!アタシいま愛されちゃってるしぃ~、幸せのおすそ分けに?これは効果あったんじゃないかなぁって思ったことを増田に書いてみるよ。だって自分が結婚できたからってリアル友人に上から目線でアドバイスするの恥ずかしいんだもん。
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喪の婚活には当然のリスクヘッジでしょう。結婚しなくても生きていけるけど、お金が無いと生きていけない。タダでさえ喪というハンデを負った身、婚活が絶対に成功するとは限らないことは折り込まないと。別に勝間和代にならなくても、自分一人食べていけるだけ稼げればそれでいい。どんな有名企業に勤めていても永久就職希望オーラを出すだけで男は逃げ出す。“別に結婚までしていただかなくてもお付き合いしてもらえればいいですよ”くらいの軽さを出す役には立ったと思う。
私の場合、ブラック企業のいじめられ事務(あの頃本当に卑屈だった)を辞め、介護職→ホームヘルパー→家政婦として個人契約して今に至る。家政婦いいよ家政婦。学歴要らないし、性別が女で普通に家事が出来ればとりあえず食べていける。ありがとうお母さん私に家事と敬語を教えてくれて。身体を売らなくても、ババアになってもなんとか食いつないでいけそうです。
結婚願望が強い男に仕事の話をすると、すごい家事能力を期待されてしまってげんなりするけどな!(そーゆーのが顔に出ちゃうから婚活長引いたんだと思う)
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あるマニュアル本には美のためなら何でもする!って位の覚悟でお洒落しろって書いてあったな。その割にコスメフリークにメンヘラが多いのはなんで……まあいい。性別が女である事をアピールしないことには始まらない。髪を伸ばして、スカートはいて、産毛剃ってメイクしてプチネックレスつける、ってくらいには頑張った。ありがたい事にブラック企業と肉体労働のお陰でダイエットはしなくて済んだ。未だに友達にはお洒落しろって言われるレベルだけど(だから婚活長引いたんだと思う)
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あったら喪なんかやってねぇよ(゚Д゚#) ゴルァ ……と卑屈になるのは大得意。だけど、なんとか売りになりそうな自分の特徴について自己分析してみた。
……ということで需要はある!と考えた。そう思わないとやってられなかった。
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多分、他の婚活女子を見ていて一番違うのはここを考えたことだと思う。絶対クリアしていて欲しい条件を3つ。
私の場合は
念のため一般的にはアレだけど私は許せる条件も洗いだしてみた。
で、そんな男はどこにいるのか?を考えた。ここでブス山さんメソッド発動。
ブス山さんのモテ哲学 - タケルンバ卿日記 http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20071109/p2
スポーツ誌じゃない、男の人が読みそうな雑誌を読むように心がけた。月刊アスキーとか、MONOマガジンとか、ファミ通とかホビージャパンとか。あとDSを買ってインドア派の最大の娯楽?ゲームも始めてみた。ホッテントリの妹の人(http://anond.hatelabo.jp/20110708170527)みたいに明確なターゲットがいたわけではないし、性に合わなかったのですぐ飽きちゃったけど。
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ブス山さんメソッドで雑誌読んで見つけたイベントも、合コンもお見合いパーティーも行きました。あと用もないのに電気屋をブラブラしたりした。あと自分が興味があって男の人もやりそうな趣味のイベントとか。
合コンやお見合いパーティに関しては、結婚願望のある男女が集まるのはいいんだけどマーケットが絞りきれてないから効率が悪いしすごく疲れる。電気屋行ってもナンパなんかされないwでも引き篭っているよりはまし。
自分が興味があって男の人もやりそうな趣味のイベントはよかったと思う。別に出会いがなくても趣味が楽しめるから、婚活疲れみたいなストレスがない。気さくに話せる男友達もできたし。そういうのはmixiで探した。
ただ、これといった目的のない、ただの社会人イベサーはア○ウェイとかの温床なので気をつけろ!
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あー、これ書くと炎上するんだろうな。でも他の婚活女子があまりやってない2番目に大事なことだと思うので書いておく。
[amazon:THE RULES―理想の男性と結婚するための35の法則]
例:
こんな事やってるから婚活が長引いたんだよ(3回目)でも本当にこれはいいと思う。ネットを徘徊してルールズガール(とはいっても大体アラサー)が勧めてる関連図書と合わせておすすめ。女尊男卑とかじゃないんですよ。自分で「積極的に」行動して重たい女になって痛い目見たことがあるから言える!喪女が健気な女をやっても卑屈オーラがでるので碌なことはない!でも、外に出ていればこれをやっててもたまぁーに、ごくたまぁーに、私を複数回デートに誘ってくれる人は現れた!7年間で4人!(うち、最後の一人が夫)あと、ちょっと優しくされるとすぐ舞い上がる喪女(私)が趣味の男友達を作れたのはルールズがあったからだと思う。痛い女にならずに彼らと仲良くできたお陰で男性不信がちょっと治った。
あとはねー、私の女友達で自分からアプローチして彼氏ゲットした子に、あんまり幸せそうな子がいないんだよね。なんでだろ。an-an的メソッドに詳しい友人もまだ独身だし。
実際うまくいってみると、自分から好きになったわけじゃない男の人に好かれて優しくしてもらうのがこんなに楽しいとは思わなかった。で、じわじわと温まるように私も彼のことが好きになった。ありがとう夫、愛してる夫。
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7年ね、時間かかりすぎだよね。最初に結婚を意識した頃には婚活なんて言葉なかった。
でもその間仕事変わったりいろいろあったし、自分自身もいい方向に変わっていったと思う。諦めないでよかった。
夫への謝辞で締めくくりたいと思います。ありがとう夫、愛してる夫。
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予想以上のブクマが!ルールズあんまり叩かれなかった!ありがとうございます。
はてな記法がちゃんと効いてない気がする。なんでだろ。。。
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これは本当にごめんなさい。風俗に行かない男がよかったのと、男を見る目に自信がないのでこんな指標を使いました。
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>喪の自称をやめるべき
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>7年は短い
まじで?
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>7年で4人。。。
本当にねー、時間かかったね。ルールズ系の婚活ブログ読んでると常時3人くらいとデートしてる人は早くて半年~1年、大体2-3年で結婚してた。まあ新しい仕事に適応するのに忙しかったのと、女装キープする根性がなかったのと、それでも周期的にやってくる猛烈な寂しさのお陰で細々と続いた、って感じです。あまり努力した感じはしない。強いて言うなら、ルールズを自分にとって自然なマインドセットとして吸収するのがちょっと難しかったくらいか。デート1回で振られたことはありませんでした。皆さん3回はデートした。
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今までにを見る限りそうでもないと思うけど、ある程度以上の自信がある男性探し、という側面はあると思う。
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>俺もルールズ読んでみよう
男性にはお勧めしない。何の役にも立たないし、胸糞悪くなるかもしれないよ。
それより散髪して、風呂入って、サイズのあった洗濯した服を着て、いいなと思う女の子を気軽にデートに誘ってください。スタバでお茶飲むだけでもいいと思う。都市圏の夜のデートなら、モスorフレッシュネスバーガーで軽く腹ごしらえ→夜の公園をお散歩→カウンターでカクテル一杯くらいのおしゃべり、とかとか。オゴリでも安く上げることはできるはず!短いデートを3回もすれば大体の相性と相手の人となり、自分の気持ちは分かると思う。今の私があるのは夫の勇気のおかげなので、全力で応援してます。
このご時勢、内定が出ただけでもありがたいとは思っている。
親に、恋人に、報告したのに、
どこか「あんたにそんな仕事できるの?」といったニュアンスが悲しい。
「もっとこういう仕事に就くのかと思った」って、あんた、
でも、そういう数少ない切符は手に入れる事ができなかった。
思うに、仕事とアイデンティティとが、結びつきが強すぎるから窮屈なんだと思う。
どうして、そんなに仕事と私個人の人格が結びつかないといけないんだ。
どんな仕事を職にしようと、私は私でいることが許されてほしい。
私に言わせれば、こんなもんは全部鬱陶しい枷でしかない。
労働の世界が大きなウェイトを占めることは、重々承知している。
でも、それが、一人ひとりのアイデンティティを支えるほぼ全てって生きづらいだろ。
もっと、友人関係とか、家族とか、地域社会とか、アイデンティティの拠り所はあってしかるべきじゃないの。
そうでもないと、仕事でうまくいかなかった人は、アイデンティティの危機に陥ってしまう。
「自己実現」のための仕事、就活にはびこる「自分探しイデオロギー」とか、勘弁してほしい。
生きていくために、そういうのとは関係なく働いていく人がいることを承認してほしい。
その職に就ける人が明らかに少ないのに、やたらと駆り立てるのやめてほしい。
就職活動が長期化して、大学の勉強がおろそかになる状況、なんとかしてほしい。
酔っ払ってて、支離滅裂な文章ですみません。
でも、もうちょっと生きやすい社会って、実現できないのかなあ。
うつ病ではないと思う。
そういった類のものではなくて、自分でもわかっているつもりではいるんだけど、要は他山の石というか隣の芝生は青く見えるって言うのとおんなじなんだと思う。
処理レベルでしか思考が羽ばたかないってことではないし。あくまで苦手だと思ってしまっているだけで、できないわけじゃないのだろうしさ。
まどろっこしい書き方でごめん。謝ることでもない気がするけど、これ以外に適当な返事を思いつくのが面倒だ。
なんて、ね。言い訳がましい。誰に対しての言い訳なのかも不明だ。
あんまり失礼なことは書きたくないんだけどな。正しく自分が思ったことを伝えたいとするとどうしようもなくなる。今日はそんな気分なのです。
それはそうと、自分自身を主観的に観るって言うのはどういうことなんだろうな。自己分析は客観視してるってことでしょう。
そもそも、自分で自分を見るって言うことが、光の二重スリットじゃないけど、自分がふたり居なければいけないことなんだから不可能なのかな。
この時期に追加募集に食いつく人たちなので、
なんとなく「ああ、そりゃ無い内定だよな」と、
思わされてしまう要素が、たくさん見受けられた。
・距離がある面接官に対して、声が異様に小さい。
・緊張しすぎて、日本語が支離滅裂に。
・聞かれている内容からずれて、
・普段使わないだろ!っていう小難しいカタカナ語を入れてくる。
・やたらと自己評価が低い。
中身がなくて上滑りしてる言葉は大嫌いだ。
しかし、具体的な場面に下ろしてくれば、
目の前にいるオッサンに、適切な方法で、
聞かれたことに答えつつ、自分を売り込むんだよな。
自分を売り込まないといけない場所なのに、
「自分はこんなにダメです」「こんなことが出来ません」「こういう力はありません」
自分の売り方、見せ方、を意識していないとダメだな、と思いました。
自分も気をつけよっと。
ニコニコ動画にしてみても、2ちゃんねるにしてみても、ツイッターにしてみても、というかありとあらゆるインターネットの形態として、どうしてコメントを残すことが流行っているのだろう。例えば面白い動画なり書き込みがあったときに、そのレスポンスとして草を生やす行為にいったい何の意味があるのだろう。あるいは短い一言、「泣いた」とか「ご飯食べてる」とかそういうもの。その発言は、本当にする必要があるものなんだろうか。何の意図があってそんな発言をするのだろう。
無論、その一言を誰かに伝えたいというのが根底にはあると思う。そういった伝える誰かを想定した書き込みならまだ理解できる。腑に落ちないのは、そういった誰かを想定していない文章、いや文章ならまだわからないこともないのだけれど、突発的な反応とか予定なんかを発言することだけはどうにも度し難い。何で「私はここで笑いましたよ」「ここが面白いと思いましたよ」なんていう感情を記号で表さんといかんのか。表さないと気が済まないのか。その一言を書きこむ前に、その一言を書きこんでどうしたいのか疑問に思わないのだろうか。
確かに初めこそ真新しさから書き込みをしたくなることもあるとは思う。でも、次第に飽きてくるものでしょうに。いや、もしかしたら飽きている人が大勢いるのかもしれない。そして、そういった何気ない意図を持たない(あるいは今のところ理解出来ない)コメントをしなくなっている人が増えてきてるのかもしれない。その減少傾向よりも新規のコメンターが多いのかもしれない。ツイッターなんてその最たるものなのかもしれない。
はっきり言って、自分が今何をしているのかとか何をどう思ったのかなんてことを呟くことに価値は見いだせない。逆に、よくそれだけの呟きに自分の思いをまとめられるものだと感動する。更に逆説的(使い方間違ってるかもしれない)に考えるに、やはりその呟きというものは突発的な短絡的な発言でしかないのである。突発的ないし短絡的な発言は、その時そのタイミングで本当にしなければならないものなのだろうか。もっと後から考えてみて整理して、そうして発言するに値するか考えてもいいんじゃないのかな。
まあそういった発言をする行為を否定するわけではないけれども。
自分個人としては、ここまで書き込んだこのチラ裏にしてみても削除を検討してしまうので理解がしにくいだけなのだ。だって、どう考えても音声だとか感情に生まれた「呟き」なり「発言」は、それを文にする際に客観的にならざるを得ないものでしょう。今現在私がどのようなことをしようとしているのかが目の前に提示された際、それに何の意味があるのか――違うな。本当はわかってるんだなあ。意味なんてないけどそうしてしまう時の心情というものが。文字にすることは自分には無理だけど、感覚的にわかっている。少し落ち着いて考えて見れば、少なくともわかったような気にはなれる。そして、そのことに疑問を呈する不毛さもわかる。馬鹿馬鹿しいことだよなってわかる。
さて、ここでよっぽど問題にしたほうがいい事柄が持ち上がってきた。けど、一瞬のことだったので忘れてしまった。何につけても自分は忘れっぽいのが良くない。←この一文を書いてしまったことによって、いよいよ本格的に思考の流れとでも言うべきものが全くの別方向を向き始めてしまったので始末に終えない。上に書いてある、よっぽど問題にしたほうがいい事柄ってなんだったんだろう。なんとなく持ち上がってきたけど、また沈みやがった、ちくしょう。こんな築一経過を報告したチラ裏を発言するつもりなのかどうか、それはまた別問題なのでこの際横に置いておく。なんていうか、かくあるべき発言みたいな問題は今は考えないようにしたいし、そもそもそんなものはあり得ないのでどうでもいい(とか言いつつ、理想のあり方みたいなのを考えてみて、結局それにも欠点というか、見方によって性格ががらりとかわることがあるのでどうでもいいなんていうゴミクズじみた結論にしか達しないのだろうなあ)。また忘れた。推敲ってした方がいいのかしらん。仮にもこれは不確定多数の誰かに見てもらうことを想定した、あるいは見られてしまうことが確定的な文章なのに、こんな破茶滅茶な形態でいいのだろうか。良くないと思う自分と、これはこれで味があっていいのではないかしらんなどとふざけたことをぬかしおる自分がいる。
ああ、問題点。何となく当て嵌まる適切な言葉を見つけた気がする。
『不確定』。これこそが、先に記述したよっぽど問題にした方がいい事柄であり、ありとあらゆる物事に対した時に生じる自分の問題点だ。問題点とするとネガティブすぎるかもしれない。厄介な性分としたほうがいい。そのほうがより適切。それともう一つ。ころころ興味が移り変わること。泡沫の種のようなものが次から次へと沸き上がってくるくせに、そのひとつひとつを発芽させることができない愚図であるということ。それから適切という解決策についても。不確定に対する今のところ思いつける唯一の解決策。自分という個人が不確定な波のような人間であるなら、最適を求めるのは酷(というか無理)であるので、より適切なものを探すという方向性でいいのではないのだろうか。
はあ。それにしても結局最後は内省的なことになってしまうなあ。太田光みたいだ。こんなことを書くと氏に迷惑か。いや、迷惑になるほどのものでもあるまいて。
自己分析ついでにもうちょっと自己嫌悪じみたことを続けようかしらん。無計画と計画と呆気無さとハードルとか、そんな諸々のことについて。あー、でもそれっぽいキーワードを並べたら、頭の中でそれっぽい答えが出てしまったからもういいかなあ。面倒だ。でもそれでいいのかしらん。それっぽい答えで満足してしまうことが自己分析なのかしらん。
結局は自分が気持のいいことしかしてないんだよねえ。ナルシズムに酔っているというか、僕ってこんなこと考える奴なんだよって喧伝したいみたいな。また同時にそうあるある自分を馬鹿馬鹿しくも思っていて、いやいや違うんです自分てばそんな奴じゃないんですよははは、みたいにフォローしてみたくもあったり、フォローしている自分を自慢したかったり。堂々巡りなんだな。目立ちたいというか、言葉が出んなー、そうだ誇示、誇示したいっていう欲求が大きいもんだから、それを恥じて。
なんていうか、 誇示→卑下というか否定(の振りをした誇示→卑下というか否定(の振りをした誇示→卑下というか否定(の振りをした誇示→Endless……))) みたいなことが往々にして起きていやがる。面倒くさい。こんな奴関わりたくない――みたいな書き込みをしてまたエンドレス。
これは考えているのかどうか。わからん。考えていなんじゃないのか。考えるってどういう事を言うんだちくしょー。思うことと考えることと感じること、いや感じることは違うか、思うことと考えることって具体的にどう違うんだろうなあ。ロジカル。規則に則って順序立てることが考えることならば、自分は考えることができない人間だ。いつだって思ってる。いかなる時でも考えずに思ってる。なんてメルヘン。ロマンチック。もう訳がわからんくなってきた。わからんっていう言葉は便利だよね。思考放棄にはもってこいだ。あれ、思考って言葉にはどっちもついているのね。つまりは考えることと思うこと。どちらもそれほど違いはないのかもしれないわねえ。それほど重要でもないのかもしれないわねえ。重要でもないことにどうしてこんなに時間を使ってしまうのかしらん。みんなから面倒な奴だと思われちゃうじゃない。まあそんなんはどうでもいいのだけど。でも、重要かどうかって、そんなに重要視すべき問題なのかしらん。重要じゃないことを云々唸りながら思い悩んでいたっていいじゃないねえ。そんな姿勢を馬鹿にはできない。しちゃいけないと思うわけで。いやいや、馬鹿は褒め言葉とも言うか。もうね、いいんだよ。もう全部いいよ。どんなことをバッチコイだ。あっていいよ。悪いことなんてねえよ。あ、あって悪いことって意味ですね。ありとあらゆる事象物事ははあり得ていいのです。そのことがらがそのものごとがあることには何に罪も糞もないのです。あることはもう仕方が無いのですからね。しょうがないのです。我々に出来ることといえば、それを受け止めることだけなのです。その存在を否定はできない。疎ましく思うことも、邪魔臭いと思うことも、消えてしまえばいいと思うこととも大いにあるでしょう。危険視したり、抹消してしまいたくなったり、暴力的な情動を抑えきれなくなることも多いかもしれません。でも、そんな生じ得るありとあらゆる反応レスポンスをもひっくるめて、今存在している遍く全てもの物事は存在していていいのです。というか、存在している限り仕方が無いのです。仮に今その存在を消し得たとしても、その存在があった記録は残る。記憶は残り続ける。ならば、その存在は永遠に消滅し得ないのです。あるということはそういう事。あるということは時間を超越するのです。そして、私たちはありとあらゆる在るという事象の中で存在しているのです。だから、その存在を否定することは不可能。在ることは仕方のないことなのです。であるからして、自分としては在ることが混在したカオスティックな状態を享受したいと思うわけなのです。更に言えば身勝手甚だしいことに、自分が心地いいと思う状態が続いて欲しいと願うわけです。しかしながら、自分が心地いいなどと思う状態というものは恒常的にそこに在るのでしょうか。また私が心地いいと思う状態そのものは恒久的に不変であるのでしょうか。そんなわけはないと思います。わからないけれども。ね。結局何が言いたいんだという。暴走したこの書き込みはどう始末を付けたらいいんだろう。増田に落とせば迷惑がかかるかもしれないと危惧してしまう。ならば削除してしまえばいいのだが、それはそれで悲しい。確かにこのような無為な文章を書き綴った記憶は残るかもしれないけれど、その記録が残らない。ハネムーンの写真を友達に見せびらかしたい気分だ。祝女でいつかやってた。あの新婚さんは今の自分の気持ちに似ているのかもしれない。
でもどうしよう。こんなもの、チラ裏にしても性質が悪すぎる。