はてなキーワード: 社会生活とは
下記書籍を最小限読書した。読書時のメモを以下に記す。 小口 孝司 (監修),"史上最強図解 よくわかる社会心理学",ナツメ社,2013. 人は社会的存在であることを前提 パーソナリティ心理学 性格心理学 心のなか 3つのシステム 自己概念 自己評価 自尊感情 認知 状況やできごとへの認知 他者への認知 感情 情動 人ならではの高度な感情 社会的感情 関係 心の遺伝子 行動 人には必ず自分について知りたい欲求がある 自己査定動機 自己概念 個人的アイデンティティ 社会的アイデンティティ 自己 主体的自己 客観的自己 物質的 精神的 社会的 作動的自己概念 意識に上ってる自己概念 状況や相手によって常にかわる 自己スキーマ 現実 ありのまま 理想 こうありたい 義務 こうでなくては 可能 そうなれるかもしれない 気になる異性に好かれたい → 理想自己を選択 人は常に他者との比較によって自己評価 社会的比較論 自分は良い、価値ある人間だと思いたい 自己奉仕的動機 自分に甘口 自己高揚動機 自己防衛動機 平均以上効果 上方比較 私もあんなふうになりたい 下方比較 あの人よりはできるはず 自尊感情はほどほどがいい ローゼンバーグの自尊感情尺度 俺 27 10〜50 40以上 高め 20以下 低め 潜在連合テスト 日本 謙遜を美徳 欧米 自己アピール 評価される 自尊感情を維持のために無意識に心理作戦 セルフハンディキャッピング 栄光浴 認知的 評価 倹約 バイアス 不協和 都合良しに目を向け、悪しにはつぶる ヒューリスティック処理 代表性 利用可能性 認知的評価のさい、何かに原因を求める 原因帰属 内的、外的 初期カテゴリー化 興味があれば深掘り ステレオタイプ 個人に対するステレオタイプ 2次元 能力 優劣 温かさ 温冷 解釈レベル理論 時間的 心理的距離によって物事の捉え方 異なる 長 抽象的 高次解釈 why 大目標達成できるが、理想高すぎで実行できない 短 具体的 低次解釈 how 実現性高いが、目先しか見えない 恋愛 高次解釈 崇高 理想化 現実の恋愛しにくくなる 低次解釈 肉体だけ 使い分け重要 コントロール可能 情動 喜び 悲しみ 驚き 恐怖 怒り 嫌悪 生理的変化 伴う 重要な事態に気付くため 社会的感情 社会生活を営む人間のみ 社会生活を円滑にするため 愛 友情 感謝 誇り → 助け合いを促す 疑い 嫉妬 正義感 罪悪感 恥 → 集団内の裏切りを防ぐ 感情の役割 命の危険から身を守りつつ、社会生活を円滑に送れる 感情 脳内で無意識に 大脳辺縁系 扁桃体 大脳皮質 気分一致効果 良い気分の時は良い記憶を思い出す 感情感染 感情を適度にオープンにすると健康になる 感情コントロールの理由 合理的に判断するため 疲れやストレスを避けるため まわりの人によく思われるため 社会にうまくなじむため 感情 あらわにしすぎも、抑制しすぎもよくない 紙に書いて表出する筆記療法 感情抑制による健康への害を防ぐ 1日15分以上 静かな場所で 誰にも見せない 状況、感情を整理 いやなことへの慣れ できごとの解釈が変わる 抑うつ感がなくなり 免疫力もアップ 心の特徴は遺伝子で受け継がれる 進化心理学 助け合いの社会行動 適応的かどうか 適応的でないと淘汰されやすい 以上
頭はおかしくても病識がなく、それでもなんとか社会生活は送れるという、グレーゾーンの厄介な奴。
元々の性格もキツい。同居はまず無理、こっちが確実に狂うか殺すことになる。
本人に自覚のない虐待をされて育ったので、近親者としては愛情なんてなく恨みしかない。
最近になって症状が悪化して、独居中のアパートの近隣住民に迷惑をかけまくり警察沙汰になった。
最近も警察から電話があってトラブル起こしたと報告あり。謝罪に行ったり引っ越し先探したりで物凄いストレス。
こいつの長年の一番の被害者が、そいつの巻いた被害を謝罪して回るという地獄絵図。
ただ最近症状が悪化したしたことでグレーゾーンを超えたので、役所や医師を巻き込んでなんとかできないかという所。
ここ数年事あるたびになんとかできないかと動いているが、病識がなくて精神を患っている者に対して、病院も役所も世間も冷たすぎる。完全放置、なかった存在になる。
制度も半端なものしかなく、精神科の医師にかかっても治療しても無駄じゃないの?みたいなことを平気で言われた。病院を変えて、電話相談しても診療自体をやんわりを拒否されることもしばしば。
統合失調は100人に一人は発症するっているのに、この取り付く島のなさは何だろうと絶望することもしばしば。
それでも周囲に被害は及ぼし始める。どうしたらいいんだか。
強制的に入院させるにも、万床で長く待つ必要があったり、医療費以外の滞在費がかなりかかるので、自分の生活すら成り立たない現状ではどうにもならず。
本人の兄弟親戚にも連絡したが、本人の性格でとっくに愛想をつかされている。
そこで、責任を負わされる子供に稼ぐ力がないと確実に人生積む。
この親の影響か呪いの言葉を浴びて育ったせいなのか元来の性格か、
昔から自己肯定感が低い割には性格にムラがあり、全てにおいて人生が思う様にいかず。
最近は諦めて無能な働き者から無能な怠け者にジョブチェンジした。
ひそかに追記
親にはこどもが二人いるので今はその二人でなんとかしようとしている最中です。
今は自分の心理状態よりも周囲の人間をこれ以上不幸にできないというモチベーションだけでなんとかしてる。
30を手前にしてセックスに飽きてしまった。まぁ、それだけならよくあることだろうけど、僕はいわゆるナンパ師のヤリチンで、女の子と遊ぶ以外に趣味のない男だ。
なので今、LINEの友達リストを見ながら、どの女の子にも会う気になれないことに、ひどく退屈している。
これからどうしよう。別の趣味を見つけようかな。仕事も楽しくないしな。
女の子と遊ぶことが楽しかったから、それだけあればいいと思って、ほかを捨ててきた。余暇はデートばっかりしていたし。スケジュール帳を女の子の名前で埋めるのが楽しかった。
今思えばもっとちゃんと仕事をすればよかったな。仕事のスキル上げて、評価あげて給料あげたり、もっといい会社に転職したりさ。女の子と遊んでばっかりいたら、薄給で、趣味がなく、将来性もない男のできあがり。未来のことを考えると、暗い気持ちになる。
今まで楽しいこともいっぱいあった。一人暮らしの女子大生の家に転がり込んだりとか、バリキャリ美魔女のマンションに通ったりとか、曜日ごとに違う女の子に家に帰ったりとか。
とにかく女性が自分の言うことを聞く、欲望を叶えてくれるというのがとても楽しかった(僕も相手の欲望を叶えたりもしましたよ)。LINEを送ったらすぐ会ってくれて、チ○コを咥えてくれる女の子が愛おしかった。
まじめに社会生活を営んでいる女性が、僕の前ではメス全開になるのがたまらなく可愛かった。いろんな女性のメスの顔を見たかった。
でも、今はそういうことに興味が持てない。しょせんセックスなんて一時的な快楽で、一生続かないのだから虚しい。そんなことにあくせくしているのが馬鹿らしくなった。お金出せば風俗だってあるんだし(お店には行ったことがない。そこら辺を歩いている女の子をメスにするのが楽しかった)。
とにかく毎日が退屈だ。仕事もつまらない。セックスもばかばかしい。打ち込める趣味もない。これからどうしよう。生きてはいけるんだけど、それだけじゃ意味がない。誰かアドバイスをしてくれ。そういう友達もいないんだ。
噂に聞いたのだけれど、ある芸能人のセクシュアリティがどうこうってことで騒がれているそうですね。
結論から言って、セクシュアリティの相異(多様性)を認められない日本社会の方が異常です。
セクシュアリティということ自体がそもそもきわめてプライベートなことなのに、それが勝手に暴露されていじくり回される人々って、気色悪いし危険です。
ただでさえ、シスヘテロでない(ヘテロセクシュアルでなかったり、トランスジェンダーであったりする)ってことだけでも、あれやこれやと言われたり、興味本位でネタにされたりする社会です。しかも近年は、少子化問題とか言って、結婚しろ、子供産めっていう、儒教的な教義(道徳)を押し付ける社会的圧力があって、たかがホモセクシュアルでさえも狩られそうな雰囲気です(一種のヘイトです)。公言する(いわゆる「カミングアウト」)ってだけでも、人生や命が懸かるんです。
たとえ公言せずに隠していたとしても噂が流れて社会生活に悪影響が出ます。実際にはシスヘテロの人でも虚偽の噂が流れて社会生活に影響が出ることがあり、「自分はシスヘテロだ」って言って噂を否定することになるでしょうが、それは結果的には世のシスヘテロでない人に対する否定的価値観を表明する効果が出てしまいます(ヘイトの片棒をかつぐことになります)。
私は生まれつき染色体異常で、幼い頃から今までもずっと、周りの人々から酷い扱いを受けてきました。皆、私に対してだけ態度が変わり、職業柄で私に接さないといけない人(店員とか教諭とか医者とか公務員とか)でさえも嫌々やっていることが露骨です。陰口叩かれたりありもしない噂を流されたりするのはいつものことで、勝手にホモセクシュアルだという虚偽の噂が流されていました。面と向かって罵詈雑言を浴びせられもしてきたし、殴る蹴るや盗むや壊すといったことは学校ではしょっちゅうやられていました。私からすると、不条理です。なんで私ばっかり迫害を受けるのか。
人間というのにはどうにも、現実が自分にとって都合が悪かったり好きでなかったりすると、認めたがらない性向がありますね。例えば「正常性バイアス」というのもそうでしょう。
例えば、自分の中にも若干はあるゲイ的性向が怖いから、嫌だから、ゲイを嫌悪する男がいるのでしょう。自分のことを褒めてくれない(承認欲求を満たしてくれない)からゲイを嫌悪する女がいるのでしょう。レズビアンがヘイトされるのも同様ですし、そのほか多彩に実在するセクシュアリティについてここではいちいち言及しませんが。
例えば、現実には醜いから、「美しい国」って言うんでしょ。弱いから「強い」って言うんでしょ。どこぞの首相とか大統領とかも現実を認める能力を欠いているわけでしょうし、現実を認めたくない人々の心情を利用して権力を獲ったんでしょうね。だからきっと、世の中は良くなるどころか、更に悪化していくのでしょうね。自分さえ良ければいいんでしょうし、自国さえ良ければいいんでしょ。けどおそらく、一過性の愉快しか得られず、将来へのツケを増やしていくばかりになると思いますね。
今の人々は、現実を認められないし、現実を観る能力すら欠いてきています。周りの人が言うこと、マスコミが言うこと、SNSとかで流れていることが、現実とすりかわって認識されています。自分自身の眼や脳で見なくなり、自分の脳で感じたり考えたりすることを放棄するようになってきています。こうした異常性について自覚がないから、ものごとはよくなるどころか悪化していく一方なのでしょうね。
http://gigazine.net/news/20161125-sparrow-with-four-sexes/
http://b.hatena.ne.jp/entry/gigazine.net/news/20161125-sparrow-with-four-sexes/
この鳥の研究では、遺伝子で規定される性・セックス(生物学でも性をジェンダーと言うが、社会的性との区別のために
器質的性をセックスとここでは呼ぶことにする)がつがいの行動として発現していることがわかった。
一方、人間のLGBTは、先天的な要因であれ後天的な理由であれ、主に社会生活上の立ち位置という意味での
性・ジェンダーの問題であり、本人そして受け入れる側の社会の問題である。
仮にLGBT固有の遺伝子が発見されたとして、遺伝だからしょうがない、おまえ遺伝子持ってないのにLGBT名乗るなよ、
「性の定義の曖昧さ」という言葉をは、ジェンダー人間の社会的性・性的嗜好とセックス遺伝子的な性の現れ方の多様さ
錐体外路症状とは、1. 「舌のもつれ」により正常に話せなくなる、2. 腕や太ももの筋肉に力が入らなくなり物を持ち上げたりすることができなくなる、3. 判断力、注意力および記憶力の低下により普通の社会生活が営めなくなる、が主だったものだ。こうなると正常な街の歩行も困難になる。
では、錐体外路症状さえ抑えられればよいかというとそうではない。次に、アカシジアの問題が出てくる。アカシジアが生じると、落ち着いて「ベッドで横になること」が困難になる。落ち着いて「ベッドで横になること」ができないのだから、もうこれはどうしようもない。
向精神薬の副作用としては、1. 錐体外路症状、2. アカシジア、を優先順位として、両方とも取り除かれなければならない、そのような製剤の開発が望まれる。
「腐女子こそ夢小説を書くべき論」が話題になって「よくぞ言ってくれた」と喜んでいる人と記事自体に怒っている人がいた。
記事自体に怒っている人、とりわけ「腐女子こそ夢小説を書くべき論」を読んで欲しい層として想定された(と思われる)「腐女子」以外の人について考えてみた。
腐女子以外で、この記事に対して怒っている人たちに、自分たちを「自己投影勢」と自称している人たちがいる。
夢小説を愛好する方の中で、主にガチ恋勢などと言われる人たちのことだ。
彼女らは、夢小説に出て来る名前変換が可能な「主人公」に自分だと思いながら、夢小説を読む。
私は怒っているので、キツイ言い回しになっているかもしれない。
この記事を書いている私は、彼女ら「自己投影勢」の「腐女子こそ夢小説を書くべき論」に対する反応に怒っている。
私が怒っている対象は「自己投影勢の肩身が狭くなるから、こういった記事を書いて腐女子が書く夢小説を増やしてほしくない」と言っている人たちだ。
自己投影勢全般に怒っているわけでもないし、嗜好について私の理解が及ばないと思っていても馬鹿にもしていないし、気持ち悪いとも思っていない。
彼女らに私の嗜好を貶され、排除しようとされない限りは、はっきり言って、彼女らがどう思っているかは興味がない。
嗜好を名指しして「布教をするな」と言われたのでなければ、この記事を書くことはなかった。
上記の自己投影勢の説明ではあまりにいい加減なので、ある程度、前提条件を絞りたいと思う。そのために私の自己投影と名前変換に対する考えを記述する。
私と同じ考えだと自信のある方は飛ばしていいと思う。
目印として本題に入る部分に矢印をいっぱい付けておくのでそこまでスクロールして欲しい。
私のスタンスとしては、他人が書いた小説の主人公を自分だと思いこむことは特殊な技能であると思っている。
これは、キャラの恋人が自分だと妄想することとは別の話であることを留意してもらいたい。
誰かの恋人になった自分を空想すること自体は、誰もが抱くことのある欲求のひとつであると私は思う。空想し、それを作品にアウトプットすることもまた、ありふれた行動であると思う。
しかし、小説という作品媒体になったものを読むとき、登場人物が「自分だ」とはっきり信じることのできる人は多くないだろう。
映画や本を読むときに、話者となる登場人物に感情移入してストーリーを疑似体験する。これは基本的なエンターテイメントだと思う。
感情移入する登場人物は主人公に限らない。幼少の頃に見ていた映画を大人になって見ると、幼少の頃に思い入れた登場人物とは別の人物の気持ちになって泣いてしまった、ということはよく耳にする話だ。
さて。このとき観客あるいは読者は、登場人物は登場人物であって、自分とは別の個体であることを認識している。境遇を自分に重ねることはあっても、自分ではないと分かっているはずだ。
腕にひどい怪我をした人物を見て、自分の腕が痛い気がして顔をしかめる。怪我一つない自分の腕を押さえる。これが共感だ。多かれ少なかれ、誰しもが持っている感覚だといえる。
「共感」は人間の社会生活を円滑にする上で欠かせないものだ。一説では、サイコパスは共感的な感覚を先天的に欠いているのだという。共感が出来ないからと言ってその人がサイコパスであるとは限らないことに気をつけたい。
この共感が強すぎることで、映画やテレビを見るのが苦痛だという話が、しばらく前に話題になったと思うので、「共感」というものがピンとこない方はそっちを覗いてみるのがいいかもしれない。
話は戻って、名前変換によって、いくら登場人物が自分の名前を冠しているからといって、主人公が自分だと思い込む、ということは「共感」ではなく「同一化」に当たるのではないだろうか。
サイコパスの話を持ち出してしまったが、専門用語としての話ではないのでその点はご理解いただきたい。
自己投影と称している人の中で完全な「同一化」ができる人はそう多くないのではないだろうか。多くの人が、夢小説の中で恋愛をしているのは小説の中の「わたし」であって、今この世界にいる「わたし」でないものだと折り合いをつける。
2は、1よりちょっとだけ現実の私と切り離されている。 なんというか、原作世界や二次創作の世界をパラレルワールドだと認識しているのはこの層が多いんじゃないかなあ。 その世界の「私」となって、キャラと接するのがこれに当たる。
「同一化」と書いたものをこの方のいう1とするならば、2は「折り合いをつけている」人たちのことだろう。3の話はここではしない。
この折り合いが付けられた状態は、映画を見て登場人物に共感して涙することと差がないように私は思う。
夢小説は、コンピュータとインターネット回線の普及によってもたらされたジャンルであると思う。
それまでは小説といえば紙の書籍が主体で、印刷物として市販されている小説の主人公たちの名前は変えることができなかった。
それが、コンピュータの普及によってテキストの一部を自分の名前に変えることができるようになった。これを女性向けとして利用した人が現れる。これが夢小説のはじまりだと思う。
夢小説の出現よりもひと足早く、ゲームでも主人公の名前を自分の名前に変えることができることが「普通」になっていった。その片手で、インターネット上に公開された名前変換可能なテキスト群が夢小説と呼ばれることになった。
一見違うもののように見えるが、双方デジタル化によって生まれたユーザビリティの結果であり、本質的には同じものであると思う。
そこで、ゲームをしているユーザーは自分の名前のついた主人公を「自分だ」と思い込むことができるだろうか?
これは、できる人もいる、が正解だと思う。自分の選択によって動きを変える主人公が、自分であると思う人もいれば、画面の中で動く人型のイラストを、自分が操っている操り人形だと思う人もいるだろう。
後者については、海外に多い「プレイヤーの視点が画面になるタイプのゲーム」のユーザー間では減少する可能性がある。ゲーム内のアバターをアバターだと認識することは、ゲームのプレイヤーが自身のアバターを俯瞰する形になる、多くの日本産のゲームに特有の感覚かもしれない。長くなりそうなので、ゲームでの視点の話はこの程度にしたい。
余談の最後に、私が思うゲームと夢小説の違いをまとめて、話を「自己投影」についてに戻していこう。
ゲームには操作性の問題がある。主人公の行動を自分で操る事ができる。この点が、ただ与えられたテキストを読むだけの「夢小説」とは大きく異なる点だろう。
夢小説の中に出てくる登場人物の行動を、読者は変えることができない。
夢小説の中に出てくる登場人物のセリフを、読者は変えることが出来ない。
繰り返しになるが、自分の意思とは違う行動を取り、違うセリフを喋る主人公に「共感」するのではなく、「自分だ」と思い込む、「同一化」する事ができるということを、私は特殊な技能であると思う。
私の一歩先を行っているのかもしれない、とも思う。
「同担拒否」を自称する方たちに対して、いくつかの疑問がある。
まず、私が思うのは彼女らは何を読んでいるのだろう?ということだ。
人が書いた小説を読めば、必ず違和感が生じるだろう。お母さんが枕元で、主人公の名前を子供の名前に置き換えて読んでくれることとはわけが違う。クラスメイトに貴方が主人公の小説を書いてもらい、プレゼントしてもらうのとも違う。
ただ、スクリプトを使って文字列を自分の名前に置き換えているだけだ。
好きな食べ物も、癖も、言い回しも、得意な教科もすべて変換するわけにはいかない。そんなに違う「わたし」とどのようにして「同一化」するのだろうか。
自分と恋人の話を綴った物語を公開して、自分と同じように彼を恋人だと思いこんでいる人が読んで、自分の体験が他人のものにされることが不愉快ではないのだろうか?
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本題にうつる前に周りくどく鬱陶しい話をしたのは、前提条件をはっきりさせておきたから、と断っておく。
本題はその「自己投影勢」がなぜ「腐女子こそ夢小説を書くべき論」に怒っているか?
なぜ、私が「自己投影勢」が怒っていることに対して怒っているか?
という話だ。
私がTwitterで観測した限り、怒っている理由には大きく分けて2つあったように思う。私が見かけた2つの理由について話をしたい。
怒っている理由その1
だそうだ。
これは見当違いな怒りであると私は思う。「腐女子こそ夢小説を書くべき論」の中で、たしかに
など書かれている部分はある。
しかし、これは、この記事を書かれた方の意見ではないのだ。少なくとも私にはそう読める。
私が読むところによると、これは、世間から「夢小説」に対して向けられている一般的な感想だ。
偏見としてあげられる言葉を持ち出すことすら許さないならば、許さない人が偏見を持っている人にやめてくださいと訴えるべきだ。怒りを持っていく場所が違う。
誰が発言するかによって怒りが違うならば、それは貴方の心にある差別が原因だろう。胸に手を当てて心当たりを探ることをおすすめする。
そういうのもあるけどそれだけじゃないよ!
としているが、自己投影的な考え方を否定しているわけではない。むしろ、全体を通して自己投影は誰もが持ち得るものだと書いているように私には読める。
そもそも、「それだけじゃないよ!」は嫌っている人に嫌いなものをそのまま食わせる馬鹿はいないので「夢小説はあなたが嫌いだと思っているものよりもずっと多様なものですよ」と話しかける言葉だ。自己投影を貶めることは書いていない。
行間から書いていない言葉を読み取るのはやめたほうがいいと、老婆心ながら言わせていただこう。
そのうち行間から呪詛を感じ取ってこの記事のせいで呪われたなんていい出しそうだ。
怒っている理由その2
というものだ。
はっきり言おう。私にはこの感覚がまったく理解できなかった。そして、これを理解したことによって怒っている。
夢小説のはじまりは、自己投影にある、と言っている人がいた。これは当初のことがわからないので、間違っているかあっているかは問題にしない。
私がこれに対していうことがあるとすれば「だから何?」だ。
だから? 幼稚園児が遊び場の権利を「すべり台はわたしが先に使っていたのでわたしのものです」と主張するくらいにどうでもいい。
余談としてゲームと夢小説の部分で触れたが、主人公の名前を変えるという考え方自体は珍しくない。それを二次創作に使うことは、誰にでも思いつく可能性があったことだと私は思う。
夢小説が流行り始めた当初、このスクリプトを自分で書くことのできる人は少なく、多くの人が他人からこれを借りた。
その借りた先の人が「夢小説」あるいは「ドリーム小説」と読んでいたのなら、これは自己投影云々についていた名前ではなく、名前変換というシステム自体につけられた名前であると私は思う。
異論はもちろんあると思うが、自己投影がたしかに原初であったとしても「だから何?」と私は返すだろう。
夢小説のルーツでの幼稚なマウント以外に、私は「追い出される」という感覚が理解できなかった。なぜなら、10年以上も前から、自己投影勢もあったし、オリキャラ勢もあった。共存していたのだ。
古の超大手夢小説検索サイト「ワンドリサァチ」さんのキャッシュからも、当時から細かく別れていた傾向のチェックボックスを見るとわかるのではないかと思う。
ちなみにワンドリサァチさんがページ消失したのはかなり昔のことだ。ワンドリサァチさんの消失は夢小説界隈を、まるで神に言語を乱され方方に散ったバベルの塔の逸話のように、引き裂いた。
夢小説史はさておき。なぜ突然、オリキャラ勢が押し寄せてきて……なんていいはじめたのか。
たしかに数年前から「夢主はオリキャラです」と発言しやすくなったことは感じているが、これはオリキャラ夢主で夢小説を書く人たちが、仲間を募り、自身の創作を楽しんだ結果であると思う。彼らは自分たちで、自分たちの楽しむ場を作った。これに嫉妬しているとしたら、理解に苦しむところだけれど、同担拒否です!この小説は私じゃないので読めません!なんて言って、他人を牽制しまくっている人がいるのなら、仲間が増えないのは当然だろうと思ったのでこの点は言及するのはやめておこうと思う。
私にとっては、自分の好みではない作品が増えたところで、自分の好きなものの絶対数が変化しなければ、どうでもいいことだったのだが、彼女らにとってはそうではなかったらしい。
問題になった「腐女子こそ夢小説を書くべき論」では、腐女子にBLを主題として扱った夢小説を書くことを勧めている。
このことに対してアレルギーを起こしたように反応している人たちがいた。
そもそも、オリキャラ夢主と自分の推しが恋愛しているという情報自体が気に入らないのだそうだ。
腐女子が参入することによって、腐向けでもあり夢小説でもあるものや、彼女らにとって不快なものが増えることによって、住処を追われるのだそうだ。
先述の通り、昔からオリキャラを主人公とする夢小説は存在していた。
夢小説を愛好する人の中には「腐向け」を嫌う人は多い。しかし、夢小説の中には「腐向け」の夢小説、BLDと呼ばれるものもある。BLの夢小説は彼女らが何を思うことにも関係なく、すでに存在する。
はっきりいいたい。「何様のつもりだ」
インターネット上は公共の場所だ。不愉快なものを見ることもあるだろう。しかしながら、貴方にとって不愉快なものは、誰かにとっての大切なものだ。それを見て貴方が気分を悪くするだけならいい。
気分が悪くなるから、遠慮しろ、肩身を狭くしていろ、というのは傲慢がすぎるのではないか。
腐女子も好きなジャンルで、自分が好きなカップリングとは受け攻めが逆のカップリングが増えてしまうこともあるだろう。逆CPは見るだけでイヤだという人も多いだろう。しかし、だからといって自分の気に入らないCPをの悪口を言ったり、そのCPが増えてほしいという人に、私の地雷だから布教活動をしないで下さい、と訴えることを考えて欲しい。
私なら人混みで鳩尾に肘を入れるし、靴を踏む。(暴力はよろしくないと思うがそれくらい腹立たしい)
貴方が自身の当然の権利と思って言っているそれは、これと同じことだ。恥を知るがいい。
マナーやら何やらで加工して訴えようと、本質は変化しない。貴方は自分が不愉快だからと、他人の活動を制限しようとしているのだ。いかなる理由をつけようと「布教活動するな」と訴える行為が正当化されないことを覚えておくべきだ。
腐女子の人が「自分の好きなものではないので書かない」ということとは、わけが違う。
自分の好きでないものに増えてほしくない、という権利は貴方にはない。
そして、自分の好きなものが数で負けるなら、その分は貴方がかけばいい。貴方が布教して増やせばいい。貴方の夢小説を読んで楽しいと思った人が、同じような小説を書くように努力すればいい。
蝗に怯えて耕作を怠るな。実りのない田畑では人も増えない。
心優しい私は、対処法をあなたに教えてあげようと思う。心して聞くがいい。
Web ブラウザ上の文字列を検索して非表示にするNGワード導入しろ。それくらい自分で調べろ。
最後に、そんな発言をしている人が存在するのか疑問に思う人もいるだろう。それでもツイートを引用することは控えたことの意思は汲んでいただけたらと思う。
勘違いなさっているようですけど、少なくとも私の知る範囲では30代の男性に対して感情的になっているところを「更年期障害だからねー」で片づけている例は知りませんね。あなたのまわりではどうか知りませんが。
勘違いなさってるようですけど、早ければ30代でもなりますよ、学のなさそうな貴方様よりは医者が監修している内容の方が信憑性は高いですね。http://www.skincare-univ.com/article/007851/自分の知識のない分野でドヤ顔すると痛い目にあうとよくわかりますね。それから彼女は30代後半であることも指摘しておきましょう。
能町さんはすでに手術もして戸籍も変えられている「女性」ですので、仮に男性の更年期障害が30代という非常に若い年代から発症して性格を変えてしまうほどのものだったとしてもそれを当然に感情の変化の原因として持ち出すのは少々短絡的ですね。
更年期を示唆したところ元男性でも当てはまるのか?といい出したバカがいたので可能性として十分あげられると述べただけですよ?あなたはそう思いたくないのか知りませんが、否定するのに必死になる方が短絡的なのでは?
それと、男性に更年期障害があるという事実は聡明なあなただけが知っている真実というほど珍しい知識でもないので、偉そうに人に教えるのは普通の社会生活では辞めておいたほうがいいですよ。
元男性が~とか言ってる的外れバカにしか言わないので心配しなくていいのではないでしょうか。的外れバカの的外れを指摘すると偉そうに人に教えたことになる世界に住む聡明な誰かさんにはわからないのかもしれませんが。
勘違いなさっているようですけど、少なくとも私の知る範囲では30代の男性に対して感情的になっているところを「更年期障害だからねー」で片づけている例は知りませんね。あなたのまわりではどうか知りませんが。
あと、能町さんはすでに手術もして戸籍も変えられている「女性」ですので、仮に男性の更年期障害が30代という非常に若い年代から発症して性格を変えてしまうほどのものだったとしてもそれを当然に感情の変化の原因として持ち出すのは少々短絡的ですね。
それと、男性に更年期障害があるという事実は聡明なあなただけが知っている真実というほど珍しい知識でもないので、偉そうに人に教えるのは普通の社会生活では辞めておいたほうがいいですよ。
気持ちは分かる。確かに社会は悪い。けどやれ社会が悪いだのADHDだの嘆いている暇があれば、今後どう生き抜くか考えた方がはるかに建設的だ。
あと大学に進学すべきという周りのアドバイスは何も間違っていない。高卒よりも大学を卒業した方が将来の選択肢がはるかに拡がるからだ。
仮に社会不適合者でも大学を出れば、それに見合った就職先が見つかる可能性は高くなる。ましてや偏差値65の大学の理系卒なら、多少人間性に難があっても専門性を活かして活躍できる場所は意外と多い。
ろくに勉強もしてないけど推薦で入ってきたような奴がレポートやテストのコピーを手に入れて効率よく、卑怯にやり過ごしていった、そんな人間が今立派に就職していたり、
←これは卑怯ではない。不公平に感じる気持ちも分かるが、できるだけ少ない労力で効率よく目的を達成する方が良いに決まってる。苦労そのものに価値はないし、苦行主義や他人も苦労すべきという考えほどバカバカしいものはない。それこそ弟さんを苦しめているブラック企業の温床だ。
人間関係が下手だからレポートやテストのコピーが手に入らないという状況は分かる。私も対人能力が皆無で(高校時代に興味を持ってくれる友人がいた時点で少なくとも私よりは人間的に魅力があるはずだ笑)行く先々で嫌われるので、同じような状況は幾度もなく経験してきた。
けど(成績評価は別として)単位を取って卒業すること自体はそう難しくはないはずだ。東工大に後1問で合格できる実力があればなおのこと。
それでも卒業できなかったのは自分の責任だ。社会のせいではない。
とはいえ、今になって過去のことをとやかく言っても仕方がないので、これからできることを提案したい。
①: 自分の置かれた状況を認識する。まずはプライドを完全に捨てる。
今のあなたは、社会不適合者であり引きこもりニートであり、4年も年を食ってしまった高卒である。厳しい言い方だが、その現実を直視してプライドを捨て去ることで、自分に合った道を模索する必要がある。
知り合いでも同じように大学を3留中退→1年の浪人生活の後某有名私大に行った人がいるが、意外と就職も何とかなっているようだ。時間はあるのだから難関資格の一つでも取れれば大きくチャンスは拡がるはず。やり直しはいくらでもできるはずだ。
とは言っても本当に社会生活が向いてないのかもしれないし、仮に②ができてもそれが自分に合わなければ今回の二の轍を踏みかねない。
①で述べたように、まずはプライドや世間体を一切考えずに、自分の好きなことや熱中できることを探してみてはどうだろうか。ものによってはフリーランスででも食べていけるかもしれないし、会社勤めしたとしても好きなことなら続きやすいだろう。
④: ①、②、③もダメで、親でもナマポでも奨学金でも利用できるものは利用し尽くして、それでもダメならその時死ぬことを考える
当方東大生で来年就職を控える身なのだが、プライドや親からのプレッシャーもあって、好きなことよりもステータスや就職偏差値から就職先を選んでしまった。
早起きが苦手で対人関係が致命的にダメなのに、朝が早くコミュ力が必要な職場(そういう会社に限って世間体が良かったりする)を選んでしまったため、刻一刻と迫る入社日が恐怖でしかない。
自分に見合った就職先も分かっていたのに、プライドが邪魔をしてしまった。
いっそプライドを完全に捨て去り、一からやり直すためあえて留年することも真剣に考えたけど、結局踏み切れずズルズルとここまで来た。
確かに世間から見れば上手くやっているのかもしれない。けど来年から地獄を見ることは明らかだし、貴方と同じように死ねない呪いと向き合う毎日である。
(他人からの評価≠自身の幸せ、なことは電通のニュースを見ても明らかだ)
私の場合親がどうこうより痛いのが怖くて死ねないので、来年の3月31日に天災や事故でも起きて、嫌でも死ねることを祈るばかりだ。
そのような現状もあって(そしてアルコールが入っているのもあって)、つい熱く語ってしまったのを許してほしい。
残された奨学金だけは懸念材料だけれど、自分の置かれた状況を認識し、プライドを捨てて行動すればやり直しは不可能ではないと思う。ぜひ好きなことをして幸せになれるよう祈っています。
あんまりトラバに返信するのもアレかな、と思ったんだけれどこれ(http://anond.hatelabo.jp/20161106132341)は偏見を助長させかねないと思ったので言及することにした。
多分詳しく説明したところで、増田は納得しないだろうし話を聞いたところで「ふーん」というぐらいだと思う。
もしちゃんと理解しようと思ってくれてるなら、先のエントリも含めてちゃんと読んでほしいし、理解する気がないなら別にそれでも構わない。
文章から察するにASDの検査は問診だけで決まる、と思ってるのかもしれないけれど、先のエントリに上げたように脳血流検査、IQ検査のほかに生育歴やMRIの画像、問診が必要になってくる。
そういった検査を受けた上でASDと診断されているので、私は素人だし診断された通りだと思ってる。
高機能自閉症だと思う、と書いたのはお察しの通り幼児期に言語発達の遅れがあったからそう書いているということ。
書いてないからと言って無い行間を読まないでほしい。(今回に限らずよく思うことだけど)
ASDは治療が必要ないわゆる「病気」ではなく特性なので、通院せず社会生活を普通に送っている人もたくさんいる。
困っている人は病院へ行け、というのも併発しているうつ病などのメンタル面を整える目的で行ってほしい、ということ。
メンタル面での治療が終わったら、ASDは通院で何をするのか?というと日常生活を普通に送れるように生活指導を受けたりする。
例えば私の場合睡眠がちゃんと取れていないので、認知療法で睡眠時間の記録をつけていた。
また仕事やゲームなどを始めてしまうと10時以上も同じ場所に座ってまさに寝食を忘れるということがあった(そして何日間も電池が切れたように動けなくなる)ので、時間割を決めたり1日の行動記録を事細かにつけたりして、普通の生活習慣を身に付けられるように指導を受けた。
睡眠も十分取れるようになったし、身体的にも精神的にも無理しなくなったので今は通院していない。
「困ってない」というのは主観的なことなので説明は難しいけれど、このように「日常生活を送る上では」困っていると言えるかもしれない。
それは観測する側が「ああ、大変そうだな」と思うのであって、私はそういう特性だと思っているので起きて寝て、栄養失調にもならず生きていけてるなら問題ないな、と思ってる。
「ウワアア!!困ったーーーー!!!」っていう状態ではないということ。
失感情なので自分が本当に困ってるかどうかは体調崩さないと分からないので何とも言えないけど、とりあえず平和に暮らしてる。
そういうことなので私もまた「困ってる」ことにぶち当たったら病院に相談に行くかもしれない。
先のエントリにも書いてあるけれど、12年間うつ病の治療を受けていて「うつ病ではなくオーティズム(自閉症)のような気がしますね。1度検査を受けられては?確実に言えることはうつ病ではないということです。」と言われたので受けることに。
それまでは原因不明の頭痛や吐き気、慢性の肩こり、胃潰瘍、突然卒倒する、などといったことがあって精密検査を何度も受けていた。
それでも分からず、うつ病の治療でも緩和せず、ASDの診断を受けたあと結局それらは失体感によるところが大きく「寒いのに暖かい格好をしていなかった」だとか「同じ姿勢のまま微動だにせず、5時間以上も座ったままトイレにも行かずに仕事を黙々と続けていた」とか「偏食で栄養が偏っていた」、「失体感により食べ過ぎに気付かず食べ続けていた」というだけのことだった。
(他の人に言われるまでまったく気づかなかったし、普通だと思ってた)
服屋の強すぎる照明で気分が悪くなったり、晴天時に耐えがたい頭痛に襲われるのは視覚過敏だからだった。
動作IQと言語IQの違いでアスペルガーか高機能自閉症かが判断されるというのは、まだ知的に遅れのないASDにその両者の分類があった際、それが判断基準であったということから。
今はアスペルガーも高機能自閉症もカナータイプも全てASDという括りの中なのですでに判断基準は失われているし、旧判断基準でいうと高機能自閉症だろう、という話。
判断基準の話はまだそれがあった頃の当事者の親御さんたちの話からなので、本当のところは私も分からない。
ちなみに増田が言う通り、アスペルガーは言語発達に遅れがない。(よって言語IQが高い)
先のエントリにも書いてあるし、引用している文章そのままだけれど一般的にアスペルガーは「自閉症スペクトラムの中でもコミュニケーションに問題がない」と言われている。
知的に遅れのあるカナータイプは言語発達に障害があるし、高機能自閉症も幼児期に言語発達に障害があると言われているためだと思う。
ASDの中でもアスペルガーは言語ポテンシャルが高いので、コミュニケーション障害が起こりにくいのかもしれない。
高機能自閉症よりもアスペルガーの方がまなざしから人の気持ちをくみ取る力が強い、という実験結果もある。
以下にURLを貼っておく。
Do Adults with High Functioning Autism or Asperger Syndrome Differ in Empathy and Emotion Recognition?
もしかするとアスペルガーにコミュニケーション障害が全くない、と読み間違えたのかもしれないなと思った。
読み返してほしいけれどそんなことは書いてない。
もし誤解させるような書き方だったとしたら、それがコミュニケーション障害なので「ごめんなさい」したいと思う。
これについては私が知人に対して口頭で話をする際にどちらも説明したけれど、精神医学に何の興味もない人に突然「失体感・失感情」もしくは「アレキシソミア・アレキシサイミア」だという話をしても誰も理解できなかった。
なので併記をしたからと言って精神医学に興味のない人に理解が深まるとは思えないし、これは主観だけど「失体感・失感情」の方が字面的にどういう症状なのか分かりやすい(誤解もあるけれど)と思ったので、こちらを採用した。
けれど聞きかじった知識や思い込みで書かず、ちゃんと当事者に意見を聞くなどして書いてほしいと思った。
これを機にASDは治療ができる病気などではなく、生まれつきの特性であるということを理解してほしい。
あとやれアスペルガーだ、やれ高機能自閉症だとは書いてきたけど旧分類であって今は死語である、というのも強調しておきたいかも。
しか話してこない。
身近な存在が話題になるのは当然だしそれは別にいいのだが、どれだけ話を変えても、他の人が関係ない話をしていたとしても奪い取って自分の話をする。
新人ちゃんの旅行の話してたのに、自分と彼氏のLINEの話にすり変える。え、まだ旅行に出発したばっかだったよ??
あまりにひどいので、同僚が話している間は他の人は「あ〜、うん、へえ〜」みたいな感じになるか黙っている人が多い。
最近はみんなその同僚との会話は数人に任せて、別の会話したりしてる。(でも、同僚は全体に向けて演説したがるから面倒だ。)
うちの会社にはいろんな年代の人がいるのだが、同僚の根底に流れる価値観は
・30過ぎて独身女は不幸
・性には役割がある
みたいな古めかしいもの。
なので会話の端々にそれをほのめかす要素が含まれる。
例えば、女性の話になると必ず年齢と既婚未婚かどうかの説明が入る。
大人だし、所詮ビジネスの付き合いなので悪口を共有することは少ないが、同僚に苦手意識を持つ人はやっぱり多い。
こないだの飲み会で、同僚はどんな結婚式にするかとか、顔合わせはどうだったかとか、指輪はどうしたかとかをいろいろ話していた。
自分も話をふられたが、結婚式・指輪・結納などはやらない予定であると言った(変わっている自覚はある)
同僚「え?なんで式あげないの?お金ないの?彼氏って仕事なにしてるの?」
同僚「だからお金がないってことでしょ?親御さんは出してくれないの?」
自分「同僚さんは400万かけてホームスタジオを自宅に作りたい?作りたくないでしょ?お金を使いたい興味の方向性が違うんだよ」
この時点でかなり腹が立っていた。
同僚は自分の幸せ価値観から少しでもズレて居る人間は、「不幸」だと判子を押さないと納得がいかないのだ。
同僚「お母さんが悲しむんじゃない?そういうのきちんとしないとだらしないと思われそう。」
自分「お互いの実家も了承済みだよ。どちらの実家も私たちらしさを分かってくれてます。」
同僚「友達の結婚式とか行ったことある?呼ぶ友達はいるでしょ?」
自分「私は同性の友達も多いし、たくさん行ったよ。お呼ばれで行くといつもすごく感動するよ。自分がやるとなると何か違うだけ、もういいでしょ?私と同僚さんは価値観が違うんだよ。」
いったん結婚式やるやらないトークをここで終わったが、同僚はなぜかプンプンしており、「うちはきちんとした家庭なので」とか「愛されて育ってるから結婚式はちゃんとやる」みたいなよく分からないマウントをし続けていた。
飲み会のあと、同僚が先輩に私がいじわるだ!と泣きついたらしい。
「私は同性の友達も多い」
「私と同僚さんは価値観が違う」
めんどくさいことに、「なんかすごい怒ってたから週明けにちゃんと話し合いなよ」とか先輩に言われてしまった。
話し合うってなにを?なにか結論がでる話でしたっけ?ってなったが、要は同僚は「嫌な気分にさせてごめんね」と言われたいだけなんですよね〜。
同僚がわけわかんない自分ルールをおりまぜた日記トークを会社でしまくるから私は会社で自分の話したくないんすよね〜
私は私の価値観で私生活送ってて幸せなんすよ〜〜あ〜〜だり〜〜〜社会生活ってだっりいい〜〜〜〜
みたいな話を先輩と電話して、昨日は寝ました。先輩いてよかった〜〜〜
そこそこ規模が大きいけど閉鎖的な人間関係においては、かなりの高確率で発生するごくごく当たり前の、人間が社会生活を営む上で普遍的な現象だということを認められないか、認めると都合が悪い人が多いようだ。
発達障がい者のまずいところって健常者と肩を並べたがるところでしょ
脳の障がいなんだから健常者と同じだけの成果をあげることなんて期待できないわけで
共同作業所やそれに類する場所で健常者の管理のもと発達障がい者が集まって何かやってたほうが良いと思うのよ
いわゆるゾーニングってやつだよね
発達障がいの診断下されて健常者でないことを明白にしたほうがいいとか
この増田のように「発達障がいに理解を」という言いまわしで健常者が寛容さであることを求める人たちは
それと反するようにどことなく発達障がい者が健常者の輪の中に交わって社会生活をおくることを望んでいるように見受けられる
障がい者と認定されれば、健常者扱いされていた頃よりも同じように社会と関わることはできない
あからさまに疎外されるというようなことは残念ながら根絶しようがない