はてなキーワード: オーティズとは
日本語の「自閉症(あるいは自閉)」は英語の「Autism(オーティズム)」の訳語なのですが、この二つの言葉には、かなり語感の違いがあるように感じています。Autism はギリシャ語の「自己(autós)」が語源となっており、外部の力や操作によらず、自律的、自己完結的に動く、といった意味になります。オートマ(AT)車の「オートマティック」や、自動化を意味する「オートメーション」などに含まれる「オート」も同じ語源から来ています。この「オーティズム」が日本語に翻訳された際、自己を表す「自」に加え、外部に向かって閉じた状態を表す「閉」が加わって、「自閉」という語が当てられたようです。
https://www.musashino-higashi.org/education-center/senjumessage.htm
アメリカに数年間住んでたことがある、診断済みのADHDです。
個人的に感じた発達障害者を取り巻く日本との違いを振り返っていきたいと思います。
かなり偏った話になるとは思いますが、ご了承ください。
まず呼称。
自閉系の障害全般は「Autism(オーティズム)」と呼ばれます。
アメリカ人は診断済みであれば、どんどん発達障害をカミングアウトしていきます。
「僕もADHDだ」、「私の妹もautismだ」など、
当事者やその家族が自ら手を挙げて発言していて、本当に驚きました。
(アメリカの学校自体、授業では積極的に発言することが推奨されています。)
ちょっと仲良くなれば、「実は発達障害なんだ」と面と向かってカミングアウトされることもあります。
よくネットでは「アメリカは発達障害に理解があり、周りが寛容である」という話が見受けられますが
それは違うかな、と。
日本での生活同様アメリカ人から避けられることは多々ありました。
それから、前述の発達障害をカミングアウトしてくれたアメリカ人や
カミングアウトはなくても「この人もしかしたら発達障害なんじゃない…?」
と感じたアメリカ人。
ただ、日本人が普段の人格と能力を結び付けて総合的に他人を評価するのに対して
アメリカ人は、コミュニケーションや性格に難があっても、何か特出する能力があれば
受け入れてくれる人が多いと感じました。
私はとある特技を持っているのですが
発達障害起因のコミュニケーション難のせいでぼっち気味だった私に対しても
その特技に関しては彼らはきちんと認めてくれました。
と大きなリアクションをしてくれました。
何か面白いことを言ったり、凄いことをしても「し~~ん」となる空気がありますよね?
グループ内で影響力のある人がリアクションを取らなかったら、残りのメンバーも右に倣えで「し~~~ん」。
もしくはコソコソ顔を見合わせて、誰も反応をしないと察するやいなや「し~~~ん」。
アメリカ人もその場にいる全員が反応をくれるわけではないですが
少なくとも彼らは、「自分がいいと思ったものは素直に評価する」という線引きができているように感じました。
普段のキャラに左右されずに能力そのものを評価される分、自信をつけやすいです。
ただ、何か得意分野を持った発達障害の人は
あんまりトラバに返信するのもアレかな、と思ったんだけれどこれ(http://anond.hatelabo.jp/20161106132341)は偏見を助長させかねないと思ったので言及することにした。
多分詳しく説明したところで、増田は納得しないだろうし話を聞いたところで「ふーん」というぐらいだと思う。
もしちゃんと理解しようと思ってくれてるなら、先のエントリも含めてちゃんと読んでほしいし、理解する気がないなら別にそれでも構わない。
文章から察するにASDの検査は問診だけで決まる、と思ってるのかもしれないけれど、先のエントリに上げたように脳血流検査、IQ検査のほかに生育歴やMRIの画像、問診が必要になってくる。
そういった検査を受けた上でASDと診断されているので、私は素人だし診断された通りだと思ってる。
高機能自閉症だと思う、と書いたのはお察しの通り幼児期に言語発達の遅れがあったからそう書いているということ。
書いてないからと言って無い行間を読まないでほしい。(今回に限らずよく思うことだけど)
ASDは治療が必要ないわゆる「病気」ではなく特性なので、通院せず社会生活を普通に送っている人もたくさんいる。
困っている人は病院へ行け、というのも併発しているうつ病などのメンタル面を整える目的で行ってほしい、ということ。
メンタル面での治療が終わったら、ASDは通院で何をするのか?というと日常生活を普通に送れるように生活指導を受けたりする。
例えば私の場合睡眠がちゃんと取れていないので、認知療法で睡眠時間の記録をつけていた。
また仕事やゲームなどを始めてしまうと10時以上も同じ場所に座ってまさに寝食を忘れるということがあった(そして何日間も電池が切れたように動けなくなる)ので、時間割を決めたり1日の行動記録を事細かにつけたりして、普通の生活習慣を身に付けられるように指導を受けた。
睡眠も十分取れるようになったし、身体的にも精神的にも無理しなくなったので今は通院していない。
「困ってない」というのは主観的なことなので説明は難しいけれど、このように「日常生活を送る上では」困っていると言えるかもしれない。
それは観測する側が「ああ、大変そうだな」と思うのであって、私はそういう特性だと思っているので起きて寝て、栄養失調にもならず生きていけてるなら問題ないな、と思ってる。
「ウワアア!!困ったーーーー!!!」っていう状態ではないということ。
失感情なので自分が本当に困ってるかどうかは体調崩さないと分からないので何とも言えないけど、とりあえず平和に暮らしてる。
そういうことなので私もまた「困ってる」ことにぶち当たったら病院に相談に行くかもしれない。
先のエントリにも書いてあるけれど、12年間うつ病の治療を受けていて「うつ病ではなくオーティズム(自閉症)のような気がしますね。1度検査を受けられては?確実に言えることはうつ病ではないということです。」と言われたので受けることに。
それまでは原因不明の頭痛や吐き気、慢性の肩こり、胃潰瘍、突然卒倒する、などといったことがあって精密検査を何度も受けていた。
それでも分からず、うつ病の治療でも緩和せず、ASDの診断を受けたあと結局それらは失体感によるところが大きく「寒いのに暖かい格好をしていなかった」だとか「同じ姿勢のまま微動だにせず、5時間以上も座ったままトイレにも行かずに仕事を黙々と続けていた」とか「偏食で栄養が偏っていた」、「失体感により食べ過ぎに気付かず食べ続けていた」というだけのことだった。
(他の人に言われるまでまったく気づかなかったし、普通だと思ってた)
服屋の強すぎる照明で気分が悪くなったり、晴天時に耐えがたい頭痛に襲われるのは視覚過敏だからだった。
動作IQと言語IQの違いでアスペルガーか高機能自閉症かが判断されるというのは、まだ知的に遅れのないASDにその両者の分類があった際、それが判断基準であったということから。
今はアスペルガーも高機能自閉症もカナータイプも全てASDという括りの中なのですでに判断基準は失われているし、旧判断基準でいうと高機能自閉症だろう、という話。
判断基準の話はまだそれがあった頃の当事者の親御さんたちの話からなので、本当のところは私も分からない。
ちなみに増田が言う通り、アスペルガーは言語発達に遅れがない。(よって言語IQが高い)
先のエントリにも書いてあるし、引用している文章そのままだけれど一般的にアスペルガーは「自閉症スペクトラムの中でもコミュニケーションに問題がない」と言われている。
知的に遅れのあるカナータイプは言語発達に障害があるし、高機能自閉症も幼児期に言語発達に障害があると言われているためだと思う。
ASDの中でもアスペルガーは言語ポテンシャルが高いので、コミュニケーション障害が起こりにくいのかもしれない。
高機能自閉症よりもアスペルガーの方がまなざしから人の気持ちをくみ取る力が強い、という実験結果もある。
以下にURLを貼っておく。
Do Adults with High Functioning Autism or Asperger Syndrome Differ in Empathy and Emotion Recognition?
もしかするとアスペルガーにコミュニケーション障害が全くない、と読み間違えたのかもしれないなと思った。
読み返してほしいけれどそんなことは書いてない。
もし誤解させるような書き方だったとしたら、それがコミュニケーション障害なので「ごめんなさい」したいと思う。
これについては私が知人に対して口頭で話をする際にどちらも説明したけれど、精神医学に何の興味もない人に突然「失体感・失感情」もしくは「アレキシソミア・アレキシサイミア」だという話をしても誰も理解できなかった。
なので併記をしたからと言って精神医学に興味のない人に理解が深まるとは思えないし、これは主観だけど「失体感・失感情」の方が字面的にどういう症状なのか分かりやすい(誤解もあるけれど)と思ったので、こちらを採用した。
けれど聞きかじった知識や思い込みで書かず、ちゃんと当事者に意見を聞くなどして書いてほしいと思った。
これを機にASDは治療ができる病気などではなく、生まれつきの特性であるということを理解してほしい。
あとやれアスペルガーだ、やれ高機能自閉症だとは書いてきたけど旧分類であって今は死語である、というのも強調しておきたいかも。