はてなキーワード: 社会生活とは
http://www.kaien-lab.com/aboutdd/definition/
発達障害は医学的には脳機能障害の一種です。発達障害の人は他の人とコミュニケーションをとったり、暗黙のルールを守ったり、集中関心を保ったり、ミスや抜け漏れなく社会生活を送ったりすることに困難を感じる場合があります。
いわゆる空気を読むや相手の気持ちを読むことが苦手な「社会性」、相手の発言を即時に正しく理解したり、自分の思いを細かくわかりやすく伝えることが難しい「コミュニケーション面」、そして次に起こる出来事を想像することが苦手で自分の安心したルール・環境に過度に固執しやすい「想像・こだわり」といった特徴があります。
一度脳神経の医者に診てもらった方がいいと思うよ
もし病気なら、自覚がないまま周囲の人にすごく迷惑かけてるだろうから、その人たちのためにも一度診断を受けるべきだと思う
高学歴・低学歴関係なく、一度は一定期間アルバイトでいいから接客業経験あるといいと思うには同意。
本来大きな社会生活の中では対等という建前であろうと、お客様と店員など「その場」において常に一番下手にならないといけない立場、
多少理不尽あれど言いたいこともいえないこんな世の中…じゃなくて場、笑顔と丁寧な対応が必要、という経験は大事だと思う。
元の記事にあるいわゆるクソ客になるような人間がそれで全てなくなるわけじゃないけど、
元記事にあるような「クソ客」、つまりチンピラは、はたから見たら本当に見苦しい。
ちょっとずれるけど、以前勤めていた会社に、まあワンマンパワハラセクハラ自慢大好き威張りちらしオヤジがいたわけですが、
まー、金もちでいい学校出してもらったんですね、でもお前はただのクソチンピラだ! としか思えなかった。
しかしそいつよりよほどえらい立場のおじさまが本当に素敵なロマンスグレーで、
まだ20代ちょいのどヒラの小娘だった私にも、正社員とか関係なくパートさんにでも、
物腰柔らかで美しい敬語でにこにこお話してくださる(という言い方になるくらい素敵)ので
共同の記事で、盛山副大臣が「嫌疑をかけられた人は一般の人ではない」旨の発言をしたことについて、彼を更迭しろだの、バカ扱いしてる人がたくさんいて、少々面食らっていて、ちょいと伺いたいんですが、これを失言だと思ってるわけです?ほんとに一般の人は捜査の対象とならないと思ってたんです?
誰がどう読んでも277の犯罪を行うことを複数人で行うつもりだとの嫌疑がかかれば捜査の対象になるでしょ。だって捜査しないと、結合の基礎としての共通の目的が何なのかも、対象範囲がどれだけなのかも、偶然集まった集団なのか継続性を持った集団なのかもわからないじゃないですか。これが、誰かに頼まれてDVDを買う行為が、外形的には海賊版を作成、販売する準備行為なのか否かが捜査してみないとわからない、ということの意味でしょ。
井出庸生議員はずーっと、入り口の入り口のとこから、一般の人の定義をしつこくしつこくききつづけてきてきているので、金田大臣や安倍さんみたいな嘘かレッテル貼り、トートロジーの主張を繰り返す、質問とずれた答えを連呼する人たち以外は、まともに、論理的に誠実に答えたら盛山さんみたいに答えるしかないんですよ。盛山さんが非難されて、安倍さんや金田さんが非難されないのはどう考えたっておかしいよ。だって論理的に考えたら、盛山さんみたいに答えるしかないんだもん。元々の、「テロリズムを典型とした組織的犯罪集団が対象だから一般の人が対象となることはない」っていう安倍さんたちの主張が欺瞞なんだから。あくまで私の評価だけど、盛山さんはこの共謀罪関連で答弁してる政治家の中で、この法案を多分一番理解しているし、一番誠実だよ。参考人質疑で早川忠孝さんが、「盛山副大臣が一番法律家に近いお答えをなさったんじゃないかしら」っていってた通りだよ。トップのバカがバカみたいな縛りかけてきて、それを否定できないからますます苦しいこといわなきゃなんなくなってんのは森友と一緒だよ。このくそガバナンスで戦争とかやった日にゃあどうなると思ってんのかね。安倍さんの言質や決断を守るためにはどんな無理筋のことでもやるに決まってんだろ。「有事だから安倍」とか「外交は無難」とか「北朝鮮緊張でも森友」とかいってるのは、このガバナンスぶっ壊れた組織と心中すりゃいいけど、私はごめんだわ。腹がたって腹がたって収まらんわ。
先週、金田さんは、一般の人は対象とならないといって、盛山さんは一般の人も捜査の対象にはなりうるが、そのボリュームは小さい、という答弁をし、政務三役の答弁が食い違ってるじゃないかと言われて、今日が弁解の答弁だったわけです。
んで、その中で、白の人は一般の人、黒の人は当然組織的犯罪集団で捜査の対象、じゃあどっちかよくわかんないグレーの人はどうすんの?って言ったら、「それは調べてみないとわからない」といったことを詰めてるのが今日の答弁。金田さんのとこから。
「捜査は、犯罪の嫌疑があるから行われるわけでありまして、テロ等準備罪の捜査は、第一に組織的犯罪集団に関与する、第二に一定の重大な犯罪の計画合意、第三に、その計画に基づく、実行準備行為がの嫌疑があると認められないと捜査の対象とならないわけであります。通常の団体にぞくし、通常の社会生活を送っている方々にこのような嫌疑がかかることは起こり得ないわけであります。逆に言えば、捜査の対象となっているということは、少なくとも組織的犯罪集団の嫌疑が認められているということで、ありまして、その意味でも、組織的犯罪集団と関わりのない一般の人は捜査の対象とはならない、このように考える次第であります」
「グレーの人で、捜査の結果、調べて、白だった人は、一般の人としたほうがいいんじゃないですか。いや目的は盛山副大臣の答弁を21日に戻すことなので、盛山副大臣にうかがいますが、午前中、ご自身も無罪推定の原則、おっしゃってましたが、これ、グレーの人で、嫌疑があるから、任意捜査なりなんなりで、捜査したする、それはまぁ嫌疑があるからその通りですが、嫌疑があるから一般の人ではない、言葉遣いまずいんじゃないんですか。」
盛山
「私の言葉遣いがまずかったとすればお詫びをしないといけないと思いますが、まぁ午前中、先ほどの刑事局長の方からも詳しく説明がありましたが、何らかの嫌疑がある、ということは、言葉遣いの問題もあるかもしれませんけども、真っ白の、一般の人とはいえないのではないかと思うんですね。でもそのあとよくよく調べてみると、真っ黒とは言えない、仮にですよ、限りなく黒に近いグレーだったとしてもそれは無罪推計するわけで、実際には調べてみないと個々のケースについてどうなるかはわかりません。そこのところについて、私がしたったらずだったところもあるかと思いますが、グレーと言ういいかたを21日にしたわけでございます。で、どういうかたを一般の人というかについては、午前中、まや先程からありますように3つの要件があるわけでございまして、この要件につては何度もお話ししておりますけれども、そういうところで、何らかの嫌疑がかけられた段階で、やっぱりそれは一般の人とは言えないんじゃないかと言うことで、大臣も刑事局長も、おっしゃっていた通りで、私もそのように考えています。」
「一般人は捜査の対象とならない」っていう糞みたいなバカの宣言と、「嫌疑がかかれば捜査する」っていう当たり前のことを、両方真とするなら、「嫌疑がかかれば一般人じゃない」は当然導かれるでしょうが。嘘つきかバカしか達成できないミッションを達成できなかった咎をもって盛山さんを更迭して、嘘つきかバカを連れてこいって思ってるんです?
どうだかよくわからない場合、捜査してみないとわからないっていう当たり前の話であって、最初に書いた通り、それが組織的犯罪集団なのかどうかも、継続的組織なのかもどうかも、捜査してみないとわからないわけ。そして、このあとの藤野保史議員が指摘したように、捜査の端緒の9割が通報であって、我が国は、消防団員が制服でうどんくってるだけで通報するメンタリティのひとが数多くいて、司法白書が示すように、令状の認定率は99.9%以上であって、共謀罪は犯罪の合意があればよく、準備行為を外形から区別することは不可能だから証言のみに依存していて、以前仁比聡平議員が最高裁判決を引いてきた通り、証言だけでも十分完全な証拠能力として認められる上に、起訴されれば有罪率は99%でしょ。やばみしかなくね?
私は今年44歳になる。17歳~19歳、34歳~36歳の間に日常的に過食嘔吐をしていた。嘔吐はしても痩せはせず、むしろジリジリと体重が増えていく吐き下手な摂食障害だった。毎日過食嘔吐してた10代の頃は159cmで56キロあった。過食嘔吐が治っていた時期は、若かった頃は48~50キロ、過食嘔吐しなくなって8年経った現在は56キロ程度ある。ちなみに過食嘔吐していたときは喫煙者だった(今は禁煙して6年目)。
今過食嘔吐をしている人たちは将来どういう影響が体に出るか気になると思う。ご想像どおり、心身に確実に影響が出る。私が悩まされてるのは3点。
まず第一に歯周りの問題。過食嘔吐していたとき、それなりに気を付けて歯をよく磨くようにしていた。それでも酸の影響と喫煙と加齢が重なり30代後半で歯茎の後退が進み知覚過敏になった。そして42歳で全ての歯周ポケットが4mm以上(普通は1mm以下で、3mm以下は治療必要なし)になってしまった。その結果、歯茎全部をルートブレーディングしてもらい、そのうち1本は手術して、人口の骨を注入してもらわないといけなかった。嘔吐していなかったら、タバコを吸ってなかったら、と今でも後悔する。今では朝晩、歯間ブラシ、フロス、電動歯ブラシ、マウスウォッシュをフル稼働して歯のケアをしている。過少嘔吐をしていた頃は電動歯ブラシとマウスウォッシュのみだったのでその時からフルでやってればよかったかな、とも思うが、そもそも過食嘔吐(と喫煙)をしていなかったらここまで歯は悪くならなかったはずだ。
第二の問題は血糖値だ。39歳で妊娠した時に妊娠糖尿病になった。血縁には糖尿病を患っている人が一切いないことを考えると、何年も過食嘔吐で血糖値を強制的に乱降下させたせいだと思う。出産後は正常範囲内に戻ったけどいつも血糖値はやや高めだし、パスタ一人前の分量を食べてしまうと血糖値がガーンと正常範囲外に跳ね上がってしまう。過食嘔吐さえしていなかったらと強い後悔が常にある。
第三の問題は心理的な影響。何か不調がある度に、関係ないと頭ではわかっていても『過食嘔吐してた悪影響が今頃でてきてるのか』と思ってしまう。3回連続で流産したときも、盲腸が破裂して腹膜炎になったときも、多発性子宮筋腫が再発したときも、プレ更年期障害でも、『もしかして過食嘔吐の影響?』とふと考えてしまう。吐くために食べて、多い時には一晩で3回も食べ吐きするような日常生活を数年間してたから、体の調整機能が蝕ばまれてあちこち及んでも不思議はない、と思ってしまう。元気がいいときはそんなことは考えないけれど、人間心身共に弱くなると何でもかんでも結び付けてマイナスに解釈してしまうもの。
この日記を読んでくれた人の中には過食嘔吐に悩みつつ社会生活を続けている人もいると思う。悪い、やめたい、と思っていても、すぐにやめられないやっかいな病気だ。やめる難しさと再発してしまう頻度はタバコの禁煙と同じ感じではないだろうか。過食嘔吐をしてしまっていてもせめて20年後の自分のために①1年に一回でいいので糖負荷試験を受けて血糖値をモニターする、②半年に一回は歯科検診し、虫歯だけでなく歯周ポケットの深さのチェックもお願いする、③歯間ブラシとフロスを使う、④過食嘔吐以外の楽しみを探し続ける、ことをおすすめする。
生きることに悩んでいる人の苦しみがネット上で吐露されると「あなたはもしかすると発達障害の可能性があるかもしれません。心療内科を受診しましょう。」という趣旨の書き込みがなされることが多々ある。
実際に病院に行ったことで、原因不明だった生きづらさが何なのか解明する手がかりを掴む人も確かにいるはずだ。
だが発達障害というものはここ10年ほどの間で、その名前だけが世間に認知されていった。
その定義も特徴も曖昧で難解なこの障害を説明することは容易いことではないのだ。
マスメディアを通じこの聞きなれない障害を知った人々は、ネット上で絶えず繰り返される人生の悩みと、それに対し発達障害を疑う返答というやりとりも幾度となくみてきた。
俺が指摘したいのはこれによって発達障害=変人・無能という誤った認識をインプットしてしまった人が多いのではないかということだ。
学校に馴染めない。虐められる。
このような悩みに発達障害の可能性を指摘する書き込みが寄せられるイメージにより、逆説として発達障害は、集団に溶け込めず一般的な事務的労働をこなすことができない人間が抱える障害と捉えられてしまってはないだろうか。
集団に溶け込めず一般的な事務的労働をこなすことができないということは個人的体験であり、発達障害の特徴を端的に表した事象とは言い難い。
発達障害者には特有の苦手なことがあり、不幸にもそのために悩みの語り手はトラブルに巻き込まれてしまったのである。
発達障害者だからといって皆が皆総じて友だちがうまく作れず仕事ができず社会から孤立しているわけではない。
定型発達者の中にもうまく社会生活が送れていない人がいるように発達障害者の中にもそういった人がいるというだけではないか。
悲惨な状況にいる発達障害者ばかりが可視化されてきたことで、どうも日本では発達障害というものに過度にネガティヴなイメージがついてしまったのではないかと思う。
発達障害者を「協調することができず通常の業務を遂行することもできない人間」というふうに捉えてしまえば、配慮して共生していこうという寛容を保つことも難しくなってしまう。
最近では変わった人や冴えない人を蔑むためだけに発達障害という言葉が投げかわされているよう見える場面に出くわすこともあるようだ。
せっかく生きづらさを抱える人に発達障害というヒントが提示されても、発達障害者として生きることが世間の好奇と侮蔑の眼差しに苦しむことになってしまっては意味がない。
これからの時代に必要なのは、発達障害者の社会参画を特に知識や経験のない一般人にイメージしてもらうために、実際に活躍する障害者をロールモデルとして紹介していくことではないだろうか。
障害者にも感情や慈愛はあるし、彼らは彼らが持つ道理にしたがって行動しているわけで決して思慮の浅い人間というわけではない。
去年願書を貰いに行ったときは、まだ診断を受けていなかった。
息子については、「言葉が遅いけど3歳になったら出るようになるだろう」という楽観的な思いと、「障害があったらどうしよう」という不安な気持ちが同居していた。
3歳児検診でひっかかり、診断を受けるまで3ヶ月ほどかかった。
診断してくださった医師は50代くらいの女性で、とてもクールな方だったが、「お子さんはまだ小さいので療育で改善される可能性は充分にある」と励ましてくださった。
この時期に見つかって良かった、とも。
診断を聞いたときは、やはり、という思いと、この子はこれからきちんと社会生活を送れるんだろうか、という言いようのない不安にかられた。
それでも、嘆いても現状が変わるわけでもない。その場ですぐに、療育に申し込んだ。
今年の1月から月に一度の療育に通った。本当は週一度のペースが良かったが、定員がいっぱいだったそうだ。
月に一度で何か変わるのかと不安だったが、集団生活を過ごす息子を見られたのは新鮮だった。
また、同じ立場のお母さん方と過ごせたことが予想以上の癒しになった。先生方もみなさんとても優しかった。
4月からどうされますか、と療育の先生に尋ねられ、迷わず「通います」とお願いをした。
責任者の先生はとても穏やかな話し方をされる方で、そのお声を聴いているだけで心が温かくなる。
「子どもたちはみんなとても楽しく通いますよ」と優しく仰っていたのが印象的だ。息子も楽しみに通ってくれるようになるだろうか。
幼稚園は今の所拒否している。毎朝「ようちえんいかない」と泣いている。
先生方には療育に通っていることは伝えてある。ご負担をかけてしまって申し訳ないが、先生方は優しく見てくださる。ありがたい。
息子は偏食がひどい。決まったものしか食べない。他のものを食べさせようとすると酷く泣いて拒否をする。
幼稚園は給食だ。これが一番不安だったが、案の定息子は一口も食べなかったそうだ。お腹が空いていたのだろう、降園時はひどく機嫌が悪かった。
このままではいけない、と思い息子に「給食食べなきゃいけないから、おうちで練習しようか」と話をした。最初はやはり拒否をされた
しかし「みんな幼稚園でごはん食べてるよ。◯◯くんもみんなと一緒に食べられるようになろうよ。」と呼びかけると、「れんしゅうする」と言ってくれた。
初めてのことだった
食事は、私たち夫婦のものと、息子が食べられるものを別途作る必要があるので非常に手間だった。
はじめは、「たべない」と拒否をされた。
やはり……と思ったが、とにかく新しいものを食べられるようになって欲しかったので、「じゃあお母さんと一緒に食べてみようか」と膝の上に座らせると、従ってくれた。
そして、私がスプーンを持ち、今日の食事、肉じゃがを息子の口元に運ぶと、なんと口を開けてくれたではないか。しかも、すんなりと食べてくれた。
本当に驚いた。これまで、どんなに促しても食べてくれることはなかったのに。
息子は肉じゃがを「おいしい」と言ってくれた。そして横にある味噌汁を自分から飲んだ。
再び、すごく驚いてしまった
こちらも「おいしい」と言っていた。
そうだよ、おいしいよ。なぜ食べてくれなかったんだよ。
息子が言ってくれた「おいしい」、こんなに嬉しかった言葉はない。
結局、肉じゃがと味噌汁はほんの少し食べただけで、あとはいつもの食事を取っていたが、それでも大きな一歩だったと思う。
あまりに嬉しかったので、どうにか記録に残しておきたくて、はてなに登録までしてしまった。
明日からまた少しずつ練習をして、幼稚園のお友達と一緒に、給食を食べられるようになってくれたらと思う。
息子もゆっくりだが、確実に成長している。そう思えた一日だった。
息子よ、ありがとう。
健やかに大きくなってください。
母より。
【資料2】
毎月勤労統計調査: http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/30-1.html
労働力調査: http://www.stat.go.jp/data/roudou/
商業動態統計: http://www.meti.go.jp/statistics/tyo/syoudou/
社会生活統計: http://www.stat.go.jp/data/shihyou
短観: http://www.boj.or.jp/statistics/tk/index.htm/
機械受注統計: http://www.esri.cao.go.jp/jp/stat/juchu/menu_juchu.html
実効為替レート: https://www.boj.or.jp/statistics/market/forex/jikko/index.htm/
発達障害の診断がくだされたせいで
周囲からあらぬことを影でいわれたり発達障害ってだけで排除されたりする現実に気が付かず、
「やったーこれで周りに合わせようと頑張らなくていいーみんな優しくしてくれる!」みたいな能天気なこと考えてる人多そうだよね
できない原因がわかってもね、どうそれをカバーするか考えなきゃいけないのに
社会的に不具合が生じさせても許される免罪符か何かだと勘違いしてるんじゃないかって人が多い気がする
自分と向き合って適正や嗜好を明らかにして、自分にあった社会生活のあり方を模索するってことは
定型発達者でも自分のことをよくわからないまま自分に合わない職についたりしたら色々うまくいかないことがでてくるよ
逆にいえば発達障害の診断がなくても自分の適正をある程度見極められていれば自分にマッチする生き方をイメージできるし
障害という枠組みに囚われて自分がどういう人間なのかを考えようともしないような奴は
「だめな奴」から「関わると面倒くさい障害者」に周りの目が変わるだけだ
そう考えると診断のあるなしなんて大したことじゃないと思えてこない?
障害をすんなり受け入れられることが一概に聡明だとは言い切れないと思う
「お花見でもして浮かれているんじゃないの?」と母親が留守電にメッセージを入れていた。
物凄く腹が立ったが、冷静に考えて納得したことがある。
こういう性格の親に育てられたら、そりゃあ自己肯定感なんて持てる筈がないという事に気付いたのだ。
統合失調を患い入院してた母が、病棟から電話を掛ける様になってきた。
入院当初は文法もまともじゃなく、四六時中幻聴に取りつかれていたようだが、
最近は薬の効果があるらしく、比較的会話が成立するようになってきた様だった。
しかし相変わらず病識はなく、会話の中で彼女の敵が現れ、悪い事をされている妄想がたまに出る様だが、
数年前の最低限の社会生活ができていた頃の状態にまでは戻っている様な印象を持った。
先日「春物の服が無いから持って来てくれ」という要求があった。
多少の回復を喜びつつも、男の見立てで申し訳ないが、女性用の服やら、見舞いの品を持って行った。
見舞いの際は服も差し入れもとても喜んでくれ、会話も比較的まともになりつつあり、それなりに喜ばしい時間を過ごして戻ってきた。
医師やケースワーカーさんとも話したが、やはり今後も病識をもってもらう事は難しそうという見解だった。
しかし、入院時の完全なる狂気の状態は脱している様で、これからどうするか、という事も徐々に考え行きましょう。
という事でその日は帰った。
なんでも持って行ったパンツやらスカートのサイズが合わない、気に食わないという不満の表明と文句が延々と入っていた。
そして最後に「お前は、花見でもして浮かれてるんじゃなの?」だからからまともな服を買ってくることもできないんだろ、
自分の意図に沿わない服を届けられただけで、その相手に対し「花見でもして浮かれてるんじゃないの?」と言い放つ。
病気の症状が軽減されて現れたのは、かつて自分が嫌った親の姿だった。
ああそうか、そうだった、こういう人だった。
こちらの苦労や意図など全く無視して、自分の都合でしか物事を考えず、自分が常に正しいと考え、
自分を省みる事がないから、周囲の人間を傷つけ、呆れられ、孤立する。
何かをやろうとしても、母の意図に沿わないと否定され、激高し、ののしられる。
そのようにののしられて育った記憶がよみがえり心がざわついて仕方がない。
そんな親に育てられた子どもの頃の自分は、きっとけっこうかわいそうな部類だったのだろう。
でもだからこそ、今、自分を認めてくれる人を大事にしようと思うし、
自分を必要以上に否定する必要もない事に改めて気付く事ができた。
母との溝は絶対に埋まることはないだろう事を改めて予感しながら
【国辱的なフェイクニュース】をまた放映したイギリスBBC - Togetterまとめ
これについて、(自分を含め)大半の人が放送自体を見ず(見れず)にあれこれ語っているようなので“番組を実際に観た”という人の感想をいくつかまとめてみます(リンクをたくさん貼るとスパム認定されるのか投稿しても公開されないのでtweetへのリンクは一部のみ)
youtubeで上がってたのを消される前に見たけどそこまで偏向した内容では無かったよ 一方的に決め付けるって言うよりはStacey Dooleyが困惑しながら話を聞いていくって感じで一応は事実を報道してたと思う 日本社会の最も下賎な部分だから見た西洋人は反感を抱くだろうけど最近は海外でもオタク文化に詳しい人は多いから 漫画規制にまで発展するほど炎上するような事は無いと思われる
【@masillo氏】https://twitter.com/masillo/status/837637116125306880
今日わりとおこっていて、全員が当該の映像を見ないまま伝聞でわるぐちをどんどん言うというのがどうして起きてしまうんだというかんじです https://t.co/1FFca3cKmv— タマキ (@masillo) 2017年3月3日
@masillo “In 2014, they decided that they should make it illegal to POSSESS child pornography.“ 2014年、日本人は児童ポルノの所持を違法とするときめた— タマキ (@masillo) 2017年3月3日
@masillo “it was illegal to distribute it and produce it, sell it, but to have it on your laptop and watch it was no problem.”— タマキ (@masillo) 2017年3月3日
@masillo それまでも配布、生産、販売は違法だったけど、自分のノートパソコンにあるだけ、見るだけなら問題なかった— タマキ (@masillo) 2017年3月3日
@masillo 最初の最初でそういうふうに言ってて、それならまとめの最初の人が言ってることとちがわないのに、なんでこんなことになってしまうの。あとインタビュアーの人のヘッダー画像は動画の内容とは関係なくて最後までべつに出てきません。— タマキ (@masillo) 2017年3月3日
【@mishiki氏】https://twitter.com/mishiki/status/838064860701171712
ステイシー・ドーリーの“Young Sex for Sale in Japan”について、幾つかまとめを。①取材されていたJKカフェに良い印象は持ちにくい。あと着エロについても擁護し難い。実在の児童の人権を侵害しているんじゃないのと言われれば、両方そうなりえると思う。— 未識@🐠🏭技術書典2 お-03 (@mishiki) 2017年3月4日
②疑似ロリAVは、女優の演技や画像加工の話だし、マンガ・アニメについては「紙とインク」なのだが、「子供のように見えるものは何で合ってもダメ」というところで、一貫性を絶対に崩さない人達がいることが改めてよく分かった。ここで蒙を啓く、eye openする方法はよく分からない。— 未識@🐠🏭技術書典2 お-03 (@mishiki) 2017年3月4日
③ペドフィリアに対しては、存在も欲望も妄想もとにかく全て否定されて、社会生活上、子供に無害なように生きていってもらうというよう選択肢は、存在してないらしい。「自分に生きる権利があるじゃなくて虐待されてたとか言ってくれればいいのに」などというのは実にひどい発想だと思った。— 未識@🐠🏭技術書典2 お-03 (@mishiki) 2017年3月4日
全体として、このドキュメンタリーが「フェイクニュース」かと言われると、「悪意故または誤解故の印象操作はあるが、嘘は吐いてない」と思う。はっきり誤りと思われるのは、「30代以下のほぼ半分が非正規雇用だからJKカフェが収入源として必要悪になっているのでは」という部分くらい。— 未識@🐠🏭技術書典2 お-03 (@mishiki) 2017年3月4日
2014年まで児童ポルノは禁止されていなかったみたいな危ない物言いも、嘘ではないように文言が選ばれている。なのになぜ妙な印象を受けるのかだが、これはスクリプトを書いた人の理解と、表で喋るステイシーの考えが一致していないからなのではないか、という疑念を持っている。— 未識@🐠🏭技術書典2 お-03 (@mishiki) 2017年3月4日
http://anond.hatelabo.jp/20170305024848
私が見た限りでは“番組を実際に観た”という人はだいたい同じトーンです。@mishik氏は上にまとめた以外にも番組内容についてかなり詳細に言及していて、誤解や偏見が見られる点については厳しいツッコミを入れていますが、それでも「捏造」「フェイクニュース」という見方を否定しています。
私もまだ放送を観れてないので上の方たちの感想が正しいと断言することはできないのですが、“番組を実際に観た人”の感想を見る限りtogettreのタイトルは誇張されたものであり、現時点では『【国辱的なフェイクニュース】をまた放映したイギリスBBC』というまとめ自体がフェイクニュースという可能性が高いと考えるのが妥当なのではないかと思います。
本件に限らず日本のオタクカルチャーに対する諸外国(特に欧米)の偏見は酷いと思いますし、それが不十分な取材や偏見に基づく報道によって助長されていることも否定できないでしょう。それ自体は批判されるべきことであっても、だからといってデマ紛いの手法によって反感や悪意を煽るのは本末転倒ではないでしょうか。
死にたい死にたいと思ってしまったり(こんなことは考えたくない)
自分でしゃべっている言葉と頭の中で考えていることが違う(頭の中では自分を責めている)
自分の額を殴る。
仕事ができない。(物理的に無理。仕事の内容を喋れない。しゃべる仕事です)
薬でなんとかなることもあるから病院に行けと言われたのが昨日。
今日1日休みをいただき、予約なしで診てもらえる心療内科・精神科を探し、ドキドキしながら院内へ。
初診ということで、問診票を書く。
精神状態を見られるのだろうと思って、マークシートレベルのものを覚悟(そして期待)していたのだが、
症状に関しては「今困っていることを書いてください」これだけ。
他の症状はともかく、死について考えてしまう・・・ということを、書くべきか、10分近く考えていたと思う。
ここで隠しても仕方ないと、小さく、「死を考える」と書いた。
待合室。
5,6人が診察を待っている。
患者さんは、フツーの人たちに見えた。
何が彼ら・彼女らをここに向かわせたのか、まるで見当もつかなかった。
風邪をひいたから病院に来るのと同じ、社会生活の一環として、ここにいるような佇まい。
1人くらいは、身なりもどうにもならないような人が居るんじゃないかと何か期待していたが、そんなことはなかった。
自分は、社会に適合できていないと感じていたから、勝手に疎外感を感じてしまった。
さて、ほどなくして、看護師さんに呼ばれ、初診ということで、診察前に色々聞かれた。
両親の年齢、兄弟、家族のいる県、症状について(いつごろからか。問診票に書かれたことを少し詳しく)
死についても、慣れているのか、適度な距離感を保ちながら話すことができた。
もうしばらく待って、診察。
ふつう、「どうされましたか?」と聞かれるものだと思うのだけれど、そうではなかった。
いきなりの実家で面食らう。ほかにも、一人暮らしはいつからか、とか、仕事は何年目か、とか、
その後、問診票にも書いた「困っていること」について。
医者とはいえ、初対面の人に、あまり打ち解けて話すといったこともできず、たどたどしく
症状を伝えたと思う。
最終的に、死にたくなるようなことがあれば、もう一度病院に来てくれと言われ、
薬を処方されておしまいだった。
話してみてわかったことは、ここまできても、自分は「大丈夫」そうに見せようとしてしまうということだった。
わかってほしいのか、ほしくないのか、まったく。
医者は病名は言わなかった(し、この程度では病名はつけられないだろうと思う)が、
その後は、薬局に行って薬をもらい、代金を支払って帰った。
夜になって、夕食のようなものを口にして、薬を飲んだ。
薬について調べたりするうちに、残りの時間は過ぎていった。
疲れた一日だった。
少しばかり、ホッとしている。
元増田です。
アドバイスなどなどありがとうございます。
自分が楽しみにしていた予定のある日でも、仕事のある日でも盛大に寝過ごして悔しい思いをしたり迷惑をかけたりして、
本当に嫌で嫌で、寝坊して起きたら衝動的に壁に頭を打ちつけてしまうくらいには自分で自分にイラつくのですが、
いつまでたっても直らないし、色々あって、やる気や根性ではこれはもうどうにもならないんじゃないかと思い始めたのが数年前です。
数年に渡ってあれやこれやと試してはいるのですが、あまり金銭的に余裕もないので、なるべく安く試せるものから手を出している感じです。
起きられる勢の人たちがアラームが鳴った際にどういう感じで起きてるのか知りたいなーというところがメインだったので特に書かずにいましたが、
発達障害(ADHD/PDD)があるせいか生活リズムが簡単に乱れたり自律神経がすぐ興奮したりと、なんだかんだ妙な特性があったりするらしく、
色々なところにむずかしさが散らばっていて普通の手段ではなかなか効果が得にくいというようなことがあるのかもしれません。
あと、そもそも睡眠障害なり何らかの病気を疑うレベルで私の状況は「おかしなこと」なのでしょうか。
確かに社会生活には影響が出ていますが、私自身としてはずっとこうだったので、周りの人と少し違う気はするけど……というくらいの認識です。
仕事にも月1回か2回程度、致命的に寝過ごしてしまう日がある他は、フレックス制の時間内でなんとかなる範囲で行けていますし。
まあ、11時までに出社すれば制度上OKなのに連絡は9時までに電話連絡必須という、普通の人には当たり前に実行できる(上司談)ルールの運用が始まったおかげで、
9時5分に目覚めて連絡して10時頃に出社していたら、制度上遅刻ではないが無連絡遅刻であると頭の痛いことを言われ始めてクビが危なくなってきたわけですが……。
発達障害の方でかかっている医者に、起きられないとか寝つきが悪いとか相談しても、よくあることと言う感じで睡眠薬や導入剤や生活指導を受けるだけで終わってしまっています。
色々とご指摘を頂いたことで、本格的に別の病院にもかかってみるべきなのかもな、と思い始めました。
前々から気になって調べてはいたのですが、睡眠外来がそもそもあまりないし、あっても無呼吸症候群に特化していたりして二の足を踏みっぱなしでした。
それにしても、やってるやってるということから、試してみたいと思っていたこと、昔やったなーということまで色々挙がっていて興味深いです。
いい機会なので、自分の睡眠にまつわる諸々の要素を点検して、まずなにがどう難しいのか、どういった問題を抱えているのか、ちゃんと再調査してみようと思います。
一緒に居酒屋とかご飯食べに行ったりすると、吸った煙草を吐くときに上むいて「フゥゥゥゥゥ〜〜〜〜〜〜ッ」って。
あれなんなの?いや、意味ねーし。普通に煙こっちに落ちてきてんだけど。
横向いたりするやつもいるけど。
こないだ行った居酒屋で、隣の席の客が、同席者に気を遣ってか横(我々の席の方)に煙吐いてて
あと最近見かけるのが「アイコスだから迷惑かけない」ってドヤ顔で言うやつ。
いや、普通にくせーんだよ。
むしろ慣れ(てしまっ)た煙の臭いとは違う、なんか変な独特な臭いがして逆に気持ち悪いわ。
そもそも、煙草は嗜好品だろうが。なんで趣味で吸ってるやつらの権利を保障しなければならないのか。
煙草が病気の治療薬なのならわかるよ。それで病気が治るんならまだ納得できる。
なんでそんなやつらのために公共のスペースを使って喫煙所を設けてんだ?
こういう主張をすると反論を受けるのであらかじめ想定質問と回答を記載しておく。
これはまあ割ともっともな意見だとも思う。リスクがある場所に自ら行っているのだから。
自分も喫煙者と一緒に食事をしたり、喫煙OKの居酒屋に行ったりするときは覚悟している。
また、居酒屋側としても、喫煙者に迎合してビジネスをしているのだとも理解している。
まあ帰って来て服に煙の臭いがついてるとそれで萎えはするけどな。コートとか、なかなか洗えないから困るんだよ。
どちらかというと上述のような、気遣いふうのことをするのが理解できない。
堂々と吸えよ。なあ。悪いと思う気持ちがあるならそもそも人の前で吸うんじゃねえよ。
この意見がエスカレートして「喫煙者と絡むな」とか極論言ってくる人間もいるが、
社会生活をしている以上無理だろそれは。滅茶苦茶なこと言うなよ。
特にオフィスワークをしている人間はもっと気を遣え。近くに座られると臭いんだよ。
「アイコスだから」じゃねーんだよ。喫煙所行ってる時点で煙身にまとって帰って来てんだよ。
だいたい非喫煙者って言葉自体なんなんだよ。なんで普通の人間が逆に非って否定されてんだよ。
こっちが悪いみてーじゃねえか。
いや、ニコチンが切れてストレスになって、それを満たしてるだけだろ。依存してるだけじゃねーか。
後者の意見を言うような人はちゃんとしていることもあるが、それでも煙草臭がしないということはなく
〜〜〜〜〜〜
さて、ここまで煽り口調で書いて来てしまったのだが、自分には根源的に
「嗜好品である煙草を趣味で吸っている人間の権利がなぜここまで保障されており、喫煙者はそれをさも当然かのごとく主張してくるのか」
という疑問があり、どうしてもそれが知りたかったのだ。
意見がたくさん集まったらいいなと思う気持ちもり、多少煽り気味で書きました。すんません。
「なぜ権利が保障されているのか」は利権とかも絡んでるんだろうけど
その権利を当然のごとく振り回してくる喫煙者にはほとほと嫌気がさす。
喫煙者のみなさんはどうお考えなのですか?
幼稚園、年中組のとき明日から幼稚園にはいかないと、固く決意してそれから約半年登園拒否をした。ある日お母さんに騙されて幼稚園に連れていかれ、行ってみると意外と楽しかったのか結局また通うようになった。
小学校、割と楽しかった。友達も多く今思うとスクールカースト上位だった。でもたまにトリッキーな行動とってたな。家庭科の料理実習クラスでシェフ気取りでやけに忙しそうな感じで偉そうに男の子に指示出したり。お姉ちゃんが入ってたという理由で卓球クラブに入って部活動もしてた。お姉ちゃんが部長だったので次に私が部長だ!と張り切ってたのに、私の後にクラブに入ってきた私とも仲良しの女の子が部長に指名されてしまった。すごく恥ずかしくて認めたくなくて、その子が毎回のクラブ活動終わりの挨拶とかするときは拗ねてそこにわざとらしく毎回遅れて行ったりした。
中学、仲良しで大好きな小学校からの友達と一緒だったから基本楽しかった。でもスクールカーストトップのヤンキー女子グループに目をつけられて嫌な思いをしたこともたびたび。通学バスで中学まで通ってたんだけど、一番後ろの席はそのヤンキー集団しか座っちゃいけないっていうルールあったなぁ。そこに座りたいし、そのヤンキー集団に気に入られたかった。彼氏も出来なかったなぁ。部活もやらなかった。見た目もひどかった。
高校、高校デビューしてスクールカーストトップに返り咲いた。だけど心の中はいつも嵐が吹き荒れてた。
基本根暗だから部活やらなかったし、彼氏も3人出来たけどそんな上手くいかなかった。理想に届かない自分が許せなくて心の中は思春期にありがちなぐちゃぐちゃで、リストカットもした。今でも消えない傷がある。後悔。
大学、元々社交スキルが低い自分には、高校みたいにクラスがないとどうやって友達作ればいいか分かんなかった。大学1年間は誰も信用できずひたすら1人だった。なんとかしたいともがいた。見た目を磨くという方向に突っ走ってしまい拒食症になりかけたりした。その後見事に過食症になったけど。辛かった。大学2年のとき、今の旦那と出会えた。なよなよしたオタク気質な旦那だけど、心根の優しい人。彼のおかげでまともな人間になれた。
社会人、自己啓発本を読んだり旦那のサポートを得たりでごく普通に社会生活をこなせるリア充になれた。学生時代のベタベタした友人関係はそんなに上手く楽しめなかった自分だったけど、社会人のサラッとした人間関係は上手くこなせることに気づいた。
昔から頭は良かったのも自分を助けてくれた。世帯所得1500万、部屋から東京タワーが見えるタワマンに住んでる。成功できたと思う。何より自殺しなくて良かった。辛いときも嫌なときもあるけど、でもとても幸せ。相変わらず全く理想には届けてないけど、自分で自分をコントロールするスキルを身につけた。私は不十分なところもあるけど自分で自分を幸せにすることができると、そう感じれることが幸せ。
学生時代との友達との付き合い方は未だに迷うことがあるし、勝手に傷ついたりもする。自分の子供がいずれ生まれて育ったらどんな学生生活を過ごすんだろう。無理してリア充にならなくたっていいんだよって伝えたい。人生は長い。学生生活なんて人生の僅かなところでしかないよ。