「社会生活」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 社会生活とは

2016-10-16

ゲームプレイ動画による依存症の環

ここ何年ほどだろう、Youtubeゲームプレイ動画で溢れるようになったのは。

攻略につまずく箇所があれば以前は検索から文字情報にて解決していたことが、いまでは誰でもわかりやす動画にて提供されている。

私はネットでの対戦ゲームが好きだ。

時間があればPCと向き合って対戦ゲーム時間を費やしてきた。

WoWに始まり、GW2、格ゲー全般LOLなどで対戦する際に溢れ出るドーパミンアドレナリンといった脳内麻薬依存して生きてきたと言ってもいい。お陰でゲームするときはいつでもお腹が空くことはなかった。

そんな生活をしていてもゲームという依存症から己の意志で抜け出ることは可能だったし、それをコントロールしている自信もあった。

しかしここ4年ほど、GW2の頃からだろうか、プレイヤーの対戦動画を見るようになって全てが変わった。

動画を見ているとき自分感覚が、実際に自分プレイしているとき感覚に非常に近いことに気付いた。

これはいままで実際にゲームしていたときに出る脳内麻薬が、動画を見るだけで出るようになったと考えられる。

完全に同じ状態になるわけではなく、近い状態になるというところがポイントで、この状態になるとゲームをしたくてたまらなくなるのだ。

対戦して拮抗した実力の相手ギリギリの接戦で打ち負かす、という感覚を再び味わいたくなってくる。

それ以降、ゲームに対して歯止めが効かなくなってきた。ゲームは私の社会生活にまで影響を及ぼすようになってきていた。そしてその原因は何かを考えた結果、以前は存在しなかったプレイ動画依存していることがわかった。

というわけで今後、意識してプレイ動画を見ることを控えようと思う。

いつでもYoutubeを開けば仕事中でもプレイ動画が見れるというところに問題があった。そしてそれにより再び脳内麻薬依存症へと陥る、あるいは脳内麻薬放出継続させることが問題なのであった。

そのことに今気づいたのは良かったことだと思う。

2016-10-14

アラフォー独身非モテ非正規

おまけにデブ貧乳で短足で人が目を合わせてくれないレベルのブスです。

私はものすごく寂しがり屋なのですが、そんなんでも独身のままで寿命まで一人で生きていけるのでしょうか。

私のイメージでは、寂しがり屋気質のない人間けが独身でも平気な気がするんです。

寂しがり屋な気質場合は、どこかで自殺するか、薬物依存になるか、私のようにアルコール依存になるか、いずれにせよ、一人ではまともに社会生活を送れない気がするのです。

2016-10-06

スポンサー電話するのは完全なる愚民

言葉稚拙さや乱雑さに耐えかねて反論するのはいいさ、言葉言葉をぶつけることで議論になるからな。自分長谷川氏の一番最初エントリーですぐに反論したさ。

そりゃあん堕落した透析患者抹殺せよなんて糞馬鹿頓珍漢だからな。そりゃいいよ。反社会的言論にたいして常識を教えてあげるのもいいよ。

しかしだぞ、しかしそれと長谷川氏の生活を脅かすのはまったくの別な話だろ。今回の炎上社会生活へのダメージでいえばベッキーと同じぐらいなのだろうけどどれだけ相手が悪かろうとな、相手死ぬ前段になったらこれ以上はやばいって思うんだよ。

長谷川氏のはずいぶんステップがあって彼が謝罪しなかったことも悪いけどそれ以上に彼がどれだけ悪かろうとこれ以上はやばいって最初番組降板した時に思うだろ普通は。思わないのだとしたら当事者意識責任感と身体性に欠けている。炎上して薪をくべてたら燃え上がってるのも楽しいけど一定レベルを超えたらどんなに正しくても薪をくべたら危ないって思うべきであってそれが罪悪感なんだよ。

死刑執行する時に執行官複数いて誰が殺したかからないようにして罪悪感を持たせないようにしているみたいだけどネットだとそれが100万人規模になってもはや殺したのが誰かわからなくなっちゃってる。

からスポンサー電話する馬鹿とかも出てくる。ブログの内容だけでスポンサー電話するのは完全にやりすぎ。「提供企業派遣されている個人事業主ブログでこんなこと言ってました、だから番組を下ろさせてください」なんてよく考えたらわけのわからないクレームだぞ。バランスを考えろよ。人は殺しちゃいけないんだよ、それは身体はもちろん精神的にも、そして社会的にもだよ。

2016-09-22

まれつきマジョリティであった人にはわからない心理

自分が何らかの分野でマイノリティであるという意識は、おそらくこんな場末はてななんかで増田やってる人なら持っているんじゃないかと思う。

LGBTであったり、中卒や高卒といった低学歴であったり、特定地域出身であったり、人に褒められない職業をしていたり、オタクだったり。

だけども例えばオタクだけど高学歴だったり、LGBTだけど安定した正社員だったりといったように、ある部分ではマイノリティだけどある部分ではマジョリティだったりする。

社会生活を送っていてよくあるのが、そんな自分の中のマイノリティマジョリティがぶつかる場合だ。

極端な例で言えば、「今後この会社では○○の人間は昇進させない」といった方針が出されたような場合だ。

○○の部分には、「オタク」「偏差値一定以下」「LGBT」などの世間的にマイノリティとされる分類が入るとする。

そんなとき、何食わぬ顔して自分には関係ないとばかりにその方針に従うか、それとも自分自身もそうした被差別的扱いを受ける立場であることをカミングアウトして世間に訴えるなりするかというところで対応が分かれると思う。

もともとずっとマジョリティとして生活しており、今後もずっと自分マジョリティであるということを疑わずにいる人にとっては、わざわざ訴えて波風立てなければ自分もいい扱いをうけるはずなのにどうして余計なことをするんだろうと思われると思う。

だがそれまで世間的にマイノリティという部分を持ってきた人の多くは、その「わざわざ」をしてしまいたくなる。

もっと言うと、高学歴正社員だけど、オタクで、女性で、LGBTで、障碍者といった複数マイノリティ分野を持つ人の場合、なぜだかよりマイノリティである立場としての行動をしたくなるものだ。

マイノリティマイノリティであることこそがいつのまにかアイデンティティになるのではないか最近思ったりする。

2016-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20160915201304

義務っチュー社会的概念に対して生命体としてのメスがどうこうなんて関係あらへんやろ

生理休暇は社会生活に支障があるから認められとるが、女二人産む産まないなんてのは社会的にはどうでもええ

2016-09-11

「失敗を恐れる人」について

たとえば、「失敗を恐れる」と言われる人がいる。失敗を恐れる人を批判する際にはしばしば「傷つくことを恐れている」という言い方がなされるが、実際のところそれがどういう傷つき方なのかに関して、批判者と当事者では大きなすれ違いがあるように思われる。

私見では、「失敗を恐れる」という時には2種類の仕方がある。自分能力不足を実感することへの恐れと、自分性格上の問題があらわになることへの恐れだ。 「失敗を恐れるな」という人は、そういう人を前者の意味で恐れているのだと考えるかもしれない。しかし、実際に「失敗を恐れる」と言われる人はむしろ後者を恐れているのではないだろうか(少なくとも私はそうだ)。ここにすれ違いがあると考えられる。

明確に能力不足に基づく失敗は対処やすい。やり直しが効きやすいし、そのために何を頑張ればよいのかもかなりの確率で分かる。この世のすべての失敗がこれにカテゴライズ可能だったらどんなに素晴らしいだろうかといつも思う。

一方で社会生活の中には、この二分類に収まりにくい失敗もありうる。大げさな例だが、作った製品動作不良で人を死なせてしまった場合なんかはそうだ(道義的責任が来るからね)。そこまで行かなくとも、日常ちょっとしたミスでさえ何度か繰り返していればいつの間にかそれは「意思問題」や「性格問題」になってしまうのが常であろう。

普通能力問題人格問題は別であると言われる。「あなたのやったことを咎めているのであって、人格非難をしているのではない」云々。しかしその二つが本質的区別されうるものとは思ってない人にこれが通じるだろうか。私はこの二つに本当は大した違いなど無いのではないかと感じることが多いのだが (*1) 、そういう人は他にも大勢いるのではないか

他の人がどうかは知らないが、少なくとも私の場合、失敗を恐れる気持ちとは「どこからどこまでが能力問題でどこから人格問題なのかが分からなくなる経験」と一体になっている。「次失敗すると、それが人格意思問題にされてしまうのではないか」という感覚が湧いた時、失敗を恐れる気持ちに繋がる。だからそれを逃れるためには、

のどちらかしか無い。

まともな社会性を持っていれば、人格問題能力問題区別できなくなることはそうそう無いだろう。しかし、一度それが分からなくなった人間言葉理解させるほどの力を普通の人は持っていない。区別に自信のない人間は、他人能力で殴れるようにするか、その場を逃げるしか無い。

---

(*1): どういう時にこれを感じるかといえば、たとえば「ほんとうに頭の良い人は○○しない」系の文章を見た時。これは人格を知能に還元できることを前提にした発言ではないか

(*2): 真に能力主義を貫徹しようと思ったら、意思問題本来不純な要素であるはずだ。

コールセンター勤務で得られた知見

話の初手で「いつもお世話になってます」とこちらが言ったときに、お世話になってます返しをしてくれるお客さんは話がスムースにいくことが多いと思う。

逆に、この挨拶に対するリアクションゼロの人は話をこじれさせないように気をつけようと身構える。

実際に経験上、リアクションしない人は自分の話したいことを話したいペースで話して、こっちの言うことはさっぱり聞いてくれないことが多い。

こちらと同じステージに降りて話してくれる人と話を進めやすいってのはまあ道理だよなと思う。共通言語があるというか。

共通言語がないタイプの人はどういう属性なんだろうなあ。合わせる気がないっていうんじゃなく、本当に共通言語を持っていないような人。

社会生活をする上で客商売精神を獲得しなくて済んだ境遇の人なのかなあ。コミュ障としてはうらやましい限りです。

合わせてくれるタイプの人でも色々あって、こちらの発言吟味した上でお世話になってます返しをしてくれる人は

基本的には気持ちよく話しがまとまるけど、何か納得できないことがあった場合はするどいツッコミを入れてくる場合がある。

逆に脊髄反射的にお世話になってます返しをする人は従順というか、悪くいえば丸め込みやすい気がする。

私自身にも言えることだけど、このお客さんも体育会系商売を営む中で反射的に決まり文句が出るようになったんだろうか……と勝手想像してしんみりしてしまう。

できることなら全てのお客さんに親切に、満足してもらえる応対をしたいと思っているけれど、

その実二言目ぐらいにお客さんへの態度が変わってしまっているのかもって話でした。

とりあえず、話が通じなさそうな人は非常に苦手です。

2016-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20160909174532

マイノリティーに対するヘイト表現ネタとして消費されること自体マイノリティーの安全社会生活を脅かしているんだから、直接的に危害を加えなくても有害なのはあきらか

それを認めるなら、マスコミオタクに対して否定的報道をすることにも直接的な被害なんてないと言える

2016-09-08

コミュ障から食券の店でしか食べれないとかマジで言ってんの?

いやもうそコミュ障とかカジュアルな病状じゃないか

完璧社会生活送れない運動瞑想野菜でも治らない重症患者から

松屋なんかに行ってないで今すぐ病院GO

2016-08-30

昔は不倫とか意味がわからないと思っていた。

けれど自分恋愛ではない結婚を選ぼうとしている状況になって、

この既婚男の行動が理解できるような気がする。

誰もが好きな人結婚できるわけじゃない。

時間は有限で時期も限られている。

社会生活のために結婚して、そのあとで恋愛が来たとして

それを追うことを今の私は咎める気にならない。

この既婚男が増田にどういう意図を持って近づいているかはさておき

http://anond.hatelabo.jp/20160829215436#tb

2016-08-28

バカと会話をした

事あって、久しぶりにバカと会話をした。

Aという人からBというバカとの間の仲介役として入ったのだけど、双方の間でのとあるまり事が問題となっていて(少なくとも俺にはそう見えた)、物事がなかなか進んでいなさそうだった。

(ちなみに、そいつのことをバカと言いたいが故にBと呼称したわけではない。)

「それだったらルールのもの修正すればいいんじゃないか」と思って、ルールの変更や修正相手認識させるために「なんでそうしなきゃいけないと思う?」とBに促してみた。

そしたら何と「それがルールから」と答えた。

「でも今のルールじゃうまく機能していないんだよね?」と改めて聞いてみると「ルール以外のことはやらない」と言い張るばかり。

流石にあきれて、「じゃあそのルールがなかったら、どういう風にすればいいと思う?」と聞いてみた。

が、相手は「そういう決まりになっているんだからルールを守るべきだ!」とずっと繰り返すばかり。

改善策を考えるどころか、現在の決まり事に固執されていて、「決まり事が守れないことが悪い」という考え以外に頭が回っていないようだった。

結局あきらめて結局向こうの言い分だけ聞いて、相談を持ち掛けてくれたAに「向こうはこう思っているらしいよ」ということだけ伝えて、今回の話は終わった。

まり事を守るというのは確かに社会生活大事なことだし、それを疑うことなく真面目にこなすことでその人はこれまで生きてきたし、そのおかげでバカなりにも生きてこれたんだと思う。

だけど今ある状況をよくするには、制度既存の枠組みそのものが間違っていたりすることもある。

普段そんなに意識したことがないようなことだったけど、何か問題が発生した時に色々な側面から物事をとらえて、ある観点から見た事象に疑問を持てることができるかどうか、そしてそれをどう改善していけばよいか考えて、提案できることが、バカとそうでない人の差なのかなと思った。

端的にバカと言うよりは頭の固い人の話なのかもしれないけどね。

高畑某が発達障害だなんだと言われているけど

案外変な人って多い

ちょっとおかしいんじゃね?なんかたりなくね?って感じるくらいの人はたまにいる

けどそれなりに社会生活やってけるレベルじゃ障碍じゃないよ

社会生活レベルが非常に低い健常者の枠内だと思う

養護学級には行かないけど偏差値30台とかそんな感じ

2016-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20160827164240

これ、純粋に分からいから分かる人に教えてほしいんだけど、

(1)高濃度テストステロンを「投与」された結果、攻撃的になって事件起こしたら誰がどういう罪になんの?

・本人も知らない場合…たとえばオリンピック選手コーチから筋肉増強のため「合法的栄養剤だよ」と騙されて注射されてた場合とかなら?

(2)第三者が、本人にテストステロンがどばどば出るような食事生活を送らせることで、攻撃的な性格にした結果、その人が事件を起こしたら?

・これも本人があずかり知らないところで、たとえば妻がDVを起こさせ有利な条件での離婚を企んでそのようにしていたとしたら?

(3)生まれつきテストステロンがどばどば出る人が攻撃的な性格に育って、事件を起こしたら?

・ちなみに、事件抑制する治療を受けたところ、実際すっかり穏やかな性格になったとする。本人は「子供に適切な診察と診療を受けさせなかった」として虐待のかどで両親を訴えるつもりとする。

(4)器質的には特に目立った問題がないが、性格面で子供のころから妙に性欲が強く自制心が弱い子がいたとして、そのまま成長して事件を起こしたら?

同じく「ある人に生まれつきの問題があり健全社会生活を送ることが困難である場合、いつ誰がその人の『ハンディ』を修正する責任負担するのか。両親?本人?周囲の人間? それとも社会全体?」という問にはどう答えるのが正しいのか。ケースバイケースなのか。

(追記)

すごく早く回答がきてびっくりしました。ありがとうございました。3人のトラバを見ると、要は「薬物の影響下であっても自由意志存在が認められない程度でない限りは本人責任」ということになるんですね。人間の理性や「自由意志」に対する法の期待ってなかなかすごいものなのですね。「気分」なんてもの人間が左右されることは想定していないという。

後者問題(ハンディ責任は誰に?)についても同じように考えることになるんでしょうか(自由意志存在意志支配可能なことについては100%本人責任?)。今回の事件犯人である彼の性格一種の「障害」とみなすことはできないのか、その場合一般障害責任を本人に100%背負わせないように、本人以外にも責任分散させるという考え方はないのかな、と思ったんです。

(追記2)

テストステロン男性ホルモンだよ。体つきごつくなり筋肉ついて性格好戦的になるとか言うよ。

2016-08-25

個性障害

人間には個性があります

背が高い。頭が良い。目が悪い。美人ブサイク。物忘れが激しい。性欲が強い。

それらの中で「社会生活を営むのに障害となるような個性」と認定されたものを「障害」と呼びます

目が悪いことは、昔であれば致命的な障害でしたが、現在眼鏡を掛けるだけで解消するので、概ね障害とは見做されません。

人はしばしば憂鬱な気分に陥りますが、たいていは気分転換でもすればすっきり解決するものです。

しかし、あまりにも憂鬱で長期にわたって仕事ができないということになれば、

社会生活を営むことができなくなり、これは精神的な障害と言えます

世の中に空気が読めない人間はあまりにも多いですが、

空気を読めなさすぎてまともに働くことができないのであれば、これも障害になりえます

性欲は人間にとって最も重要な欲求のひとつであり、これが全く無ければ人類は滅亡する他ありませんが、

性欲が強すぎて犯罪おかししまうようであれば、その人が社会生活を営めないのは間違いありません。

背が高いことはむしろ自慢できるかもしれませんが、

身長が5mもあれば、生活上のさまざまな困難が予想されますから、これは障害と見做される可能性があるでしょう。

まあそんな感じです。

2016-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20160824114125

いよいよ社会生活に支障をきたして働けない状態になってしまっているのなら、、

さっさと生活保護もらって治療に専念したほうが、お互いに幸せということはあると思う。

2016-08-13

精神病社会生活を困難にするから病なんであって世界にひとりぼっちだったら病気ではないと思う

2016-08-10

■その恐怖をリアルに感じるとき

 男性男性告白されて恐怖を感じるのは、「突っ込まれる」ことへの恐怖だ。人生において突っ込まれ可能性の恐怖を感じたことがないのに、初めてその可能性に直面したわけだ。以前あった痴漢論議において、女性男性から痴漢被害を受ける恐怖は、男性がより屈強な男性から痴漢被害を受ける恐怖と等しい、とあったように。

セックスモンスターは心の中に

 ずいぶん以前、メディアでの「オネエ」の扱いや、BLなどの創作におけるゲイ男性の扱いについて、性的少数者からセックスモンスター扱いはやめろ」という声をネットでよく見かけた。男性はあまりご覧になっていないかもしれない。

 性的少数者は、いまだに性的に逸脱した存在だと見られがちだ。逸脱した存在は容易に「普通ではないおかしな人」=「異常者」に置き換えられる。異常性愛者と見なされると、彼/彼女は「性的存在カテゴリに置かれてしまう。「あいつは性的おかしい。(あまたある事象の中で特に)性に関係する存在だ。きっと性のことばかり考えて、しかもそれが異常なのだ。頭がおかしい奴だ。何をするかわからない、性的妄執を抱えたモンスターだ」というわけだ。

 言うまでもなく、性的少数派は、性の指向多数派と異なるだけだ。性指向以外については、性的多数派において多様な嗜好が存在するのと変わらない。わたしたち誰もが、恋人配偶者と過ごす時間もあれば、仕事をしたり、自転車に乗ったり、映画を見たりするのと同じ。

 ついでに言えば、これも多くの人が言うことの繰り返しになるけれども、同性愛者の好みだって人それぞれだし、サラリーマン的な社会生活を営む同性愛者の場合、過剰に性的言動をしない人が多いだろう(リサーチ数が少ないので断定はしない)。あなた会社でも過剰に異性に対して性的言動をするのか?(そういう男性がいることは知っている。そういう人が見ている同性愛者は自身の鏡だ)

性的視線への耐性

 始めに戻ると、なぜ男性は同性に告白されたときに、過剰な恐れを抱いてしまうのか。それは「突っ込まれる」のではないかという恐怖だ。性欲をはらんだ視線だ。自分を害する可能性をはらんだ、性的視線だ。(自分アナニー上位者なので大丈夫かいう戯れ言には、もちろんそういう性的嗜好の人もいるだろう、多数派にも少数派にもとお答えしておく)

 ところでどんなに不細工であっても、女性はそれなりに性的視線さらされて成長する。実体験で申し上げると、不細工側の体験しか披露できなくて申し訳ないが、たとえば品定めしたうえの侮蔑とか、品定めしたうえで「お前程度なら」という軽視、顔も見えない満員電車での痴漢などなど。そこに「突っ込まれる」恐怖は、自覚するにせよしないにせよ、幼い頃から常に存在している。でも、女性女性から告白されたときに、即座に「突っ込まれる」恐怖は感じにくいよね。

喜ぶか、驚くか、嫌悪感を抱くか、そこは人それぞれ、ケースバイケースだと思うけど、「セックスモンスターが近づいてきやがった!」という恐怖は感じにくい。だってついてないものね、あの棒が。

あなた告白されたら

 あなた告白してきた相手が、性欲むき出しで「いますやらせろ」というセックスモンスターならば、告白されたのは欲望しかいから、願ったり叶ったりという人以外は速やかに逃げるがいい。

 あなたへ告白が、まずはお付き合いしたいという甘酸っぱい愛の告白ならば、熟慮もしくは即断でお返事すればいい。もうこれは、胸を焦がすようなフィクションから増田の隅の日記まで、参考には事欠かないだろう。

 あなたへ告白が、堪えきれない懊悩の告白ならば、あなたが抱えられる範囲で耳を傾ければいいし、無理ならプロに任せればいい。ただし悩みや問題には、天才的な助言で万事解決するものばかりではなく、誰の手にも負えない、厄介なものもあるし誰にも救えないこともある。プロがいないこともあるし、災難を招くこともある。だからもしも仮に、あなたがここから口をつぐんで逃げたとしても、それは仕方のないことかもしれない。

2016-08-07

親戚の子特殊学級というのか養護学校というのか、とにかくそういう学校に行ってた子がいる

詳しくは知らないけど知的障害ではないと思う、むしろ賢い子だった印象(両親も優秀)

母親づてに聞いた又聞き情報だと

暴れ出したら手がつけられない、だとか、自分の家と他人の家の区別がつかなかったりするようで?他人の家に入ってごはんを食べていたりする、とか言っていた

パズル等を器用にこなす脳の機能と、社会生活をこなすための脳の機能は、別の部分なんだなあと

社会生活をこなすのも、先天的機能能力として違いがあるんだろうなあと

この増田を読みながらふと親戚の子を思った

今では親戚の子養護学校卒業し、普通に仕事をしているようだ

2016-08-02

子育てよりも大人同士の付き合いがつらい

こんなことを社会生活でいうと不適合者のレッテルを貼られてしまうのでここにこぼす。

子育てよりもそれに付随する大人同士の付き合いの方が何十倍もつらい。

うちの子夜泣きもするししょっちゅうウンコもらすけど、

そんなのはご近所付き合いに比べれば本当に全然なんでもないことに思える。

毎朝笑顏で「大変よねー」と挨拶をかわす

行事があると一緒に出てバザーなんかをする

誕生日会にお呼ばれしたらあとでお礼の電話を入れる

そんなことのいちいちが本当に本当につらい。

子供と一緒に山奥でひっそり生活したい。

でもそうすると子供自分と同じ社会的不適合者になるかもしれないのでできない。

旦那もっと楽に距離おいてつきあえというが、それができたら苦労しない。

旦那のいう距離をおいた付き合いすら私には苦痛だ。

子供に関するご近所付き合いがなくなるまであと何年だろう。20年くらいは続くのかな・・・

2016-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20160724040923

元増田筋肉ついているだろうか

真面目なナヨナヨしてるセックスレス男性相談を受けたが、明らかに体格的にも女々しい奴で、

普通社会生活なら別に女々しくてもいいけど、根本的な家庭、夫婦問題レスなら

まず筋肉つけろ、自分を鍛えろと一緒にジムいって日焼けさせたら、なんか3か月くらいで

セックスレス解消してたわ。そういうパターン一般的かどうかはしらんがある。

さすがに同僚だったからなんとなくの詳細くらいしか聞いてないけど、鍛えて体が締まることによって

見る目が変わり、扱いも変わったとか。

夫婦関係で無理が生じてるんだから、そのままの自分ではなく、自分も無理して変えて

本能に訴えるテクニックもある。

最悪離婚してもすぐ次の女できやすくなるし、体を鍛えるのはまったくもってネガティヴじゃないと思う。

時間コスト的にジムが難しいなら、最低限のトレーニング、家でするのもいい。

2016-07-20

病院うつ病ADHD、その他精神疾患を診断された人に聞きたい

なぜ病院に行ったの?

今週の主語デカ案件はここな。

さて、それでは本題に入るが、病院ってお悩み相談で気軽に行けるような場所じゃないよね。主に金銭的な理由で。

何か、うつ病などになったと診断されることによって自分に何かしらの利益があるから行ったのではないのか、ということを俺は知りたい。

例えば休職ゲットするために必要もっともらしい理由ってのは、うつ病だが、その証明書が欲しくて行ったとかさ。

あるいは、生活保護受給するには社会生活を満足に送ることが出来ない事が証明できないといけないので、やはりうつ病診断書を手に入れるためににいったとかさ。実際はうつ病じゃなくても迫真の演技で取れるしなあれって。

ここは匿名空間なんだしそういう大人の事情ぶっちゃけられると思うんだ。

単に、病院うつ病って診断されました〜はいおわり。

っていう自覚症状の裏付けのため「だけ」に行くやつなんているのかなーっていうのが知りたい。どうなの実際?

2016-07-17

虐待するバカ親を産まない社会を作れ!

虐待した親はなぜ逮捕されないのか?

虐待受けた子供隔離された施設暮らし!親はのうのうと社会生活を送っている!

なぜ 虐待した親から親権を取り上げないのか!

行政児童相談所児童養護施設、みんな平和ボケ他人事

子供の権利条約子供の最善の利益児童福祉法 口先だけ!

虐待されている子を発見するだけでは遅い!

今も子供は泣いている!

誰が救えるのか!

2016-07-13

嫌われないためにどうすればよいか

思ったことをそのまま言う⇒嫌われる

言わぬが花沈黙を貫き通す⇒根暗と嫌われる

無難に会話を交わす⇒腹の底が読めないと嫌われる

 

色々試してきたが、ダメだ。

「嫌われるのを恐れず突き進め」的な思想もあるが、やっぱり気分が悪いし、社会生活の上で実害も出てるのでどうにかしたいところ。

ビビリすぎ

食堂で流れてた朝ドラをなんとなく眺めてたら、唐沢寿明主人公がなにやらキツい声音で何か喋っていた。

唐沢の方はどうも自分過去の行動について自分自分にキレて語ってる感じだったんだけど、

ケンカしてるわけじゃないけどなんかそういう声音に聞こえたのか、破裂音っぽい声が聞こえるたびに反射的に体がビクっとして味噌汁こぼしかけた。

そのうち、そんなセリフ結構長く続いて緊張状態が続いた(5分も経ってないけど)せいか、こめかみまでズキズキと痛み始めてしまった。

相変わらず画面の向こうの出来事ときに影響されやすすぎて困る。

そんな演技ができる俳優さんたちがすごいなーと思いつつ、自分はこの調子だといずれ社会生活が立ち行かなくなりそうで怖い。

性同一性障害ゲイ女装オカマ、おネェの違いを書こうと思う

タイトル属性の違いは一般の人にとってすごくわかりにくいと思う。

自分ではそのつもりはなくても、その言葉を使うことで「傷ついた」という人も出てきて、煩わしく感じている人もいるかもしれない。

自身は知見があるので、それらの言葉の違いと、どうすればよいか簡単に記していきたい。

おネェとオカマ

生物学的な性が男 and (女性的な格好をしている or 男性が好き)

 

この場合オカマやおネェという言葉が使われる。

オカマは上の意味に加えて侮辱するニュアンスも含まれる。

自分自虐的意味で使うのは良いが、他人にへ使うのは好ましくない。

(もちろん、仲間内冗談で使うことはあるが)

そのため、メディアで使われることへの反対の意見が強まった。

メディアオカマという言葉を控える代わりに別の呼び名を作った。

それがおネェである

ただし、これに侮辱ニュアンスを感じる人もいるため、今後オカマと同じ運命をたどるかもしれない。

また、おネェと自称する当事者はあまりおらず、メディア上の(特にバラエティ番組での)特殊言葉である

ゲイ

生物学的な性が男 and 男性のみが好き and 性同一性障害ではない

 

この時、ゲイという言葉を使う。

自分観測してきた範囲だと、ゲイ女装して過ごしている人は少数派だ。

もちろん、男性に好かれるために女性になろうとする人もいるが。

以前、ある増田が書いていた記事の傾向がよく当てはまる。

http://anond.hatelabo.jp/20160118180656

テレビのようなステレオタイプゲイはお店に行けば会うことができるが、普段からあのノリの人は少数派だ。

マサイ族が普段都会暮らしで、客が来たら民族衣装を着て狩りをするのに似てる。

性同一性障害

自身の生まれ持った性に嫌悪感を感じ、反対の性になることを望む人

 

実は、格好や性対象はあまり関係なく、自身の性に対し強烈な嫌悪感を抱いているかどうかで判断される。

女性から男性になる、男性から女性になる人の両方を指す。

ここではタイトル趣旨から男性から女性になる人について書く。

 

対象は、自分女性だと思っているので、男性になる傾向がある。

自身女性らしくすることを強く望み、普段から女性の格好をしようとする、またはできるようにする。

女性ホルモンを使うことで見た目を女性的に近づけることができるが、1年以上かかり、

その期間中は男としても女としても違和感のある存在になりがち。

自己実現できていない人や性別移行中の人は、男性であることが受け入れられない自己否定と周囲から視線偏見によって病んでいる人が多い。

素材や性別移行開始年齢によって見た目に大きく差が出る。

それらに恵まれなければ、女装した男にしか見えない容姿になってしまう。

社会生活でそれが不利に働くことを認識している人の中には、敢えて男性の姿で生活している人もいる。

女装

生物学的な性が男 and 女性的な格好をしている

 

条件が非常に単純なため、他の属性と被りやすい。

性同一性障害ともオカマともおネェともかぶる可能性がある。

ただし、性同一性障害の人にとってこれは侮辱言葉なので使うことは禁忌だ。

上記の属性以外にも、少数だが、ナルシズムやマゾヒズム破滅願望などの性癖を満足する手段として女装をする人がいる。

また、厨二病の延長で、何もない自分に何らかの特殊性を獲得するために女装する人もいる。

それらがいきすぎて女性ホルモンを使ったり性転換までしてしまう人も見られる。

しかし、彼らは社会的承認を得るために性同一性障害と主張するので、結果的性同一性障害の人と見分けがつきにくくなる。

その動機故に、性対象女性、または両性である割合が高い傾向がある。

特殊であることが彼らをかりたてているので、承認欲求を満たすべくSNSをやっている人が多い。

逆に、性同一性障害の人は自身過去を隠し、元男性であることを明かしたくないのでSNSでそれを主張する人は少数派である

(ちなみにこれらは女性から男性に変わるタイプにも見られる)

で、なんて呼べばいいんだろう

個人によって何がOKで何がNGかはバラバラなので、悪気なく上記の言葉を使っても当人を傷つけてしまうことがある。

それが面倒くさく感じてしまうと思うが、対応策としては当たり障りのない呼び方をするのが最も簡単であろう。

当事者を呼ぶ場合最大公約数的な対応を考えるなら、オカマやおネェ、女装という言葉は使わず女性と言えば丸く収まる。

もし、厳密に男性として扱わなくてはいけない場合は、「生物学的に」男性一言つけることでだいぶ印象が変わる。

あの人は生物学的に男性から。のような呼び方をすれば、当人を傷つけるケースは減るだろう。

追記:

http://anond.hatelabo.jp/20160713184113

の人が、本記事に対して不完全性を補完しようとしてくれた。

大変ありがたいのだが、本記事趣旨を明確にしていなかった私のミスだ。

興味のない人にとって新しい概念理解するのはすごく重労働だ。場合によっては知らない言葉が出てきた瞬間聞くのをやめる人までいる。

簡単概念であっても「性思考」、「性自認」と言った言葉普通の人には馴染みがないし、なんとなくつかんでも実感がわかない。

windowsユーザーに「ターミナルvimというものがあってだね」と言おうものなら、その時点で情報シャットアウトしてしまう人は多いのと同じだ。

そこで、今回はそれぞれ言葉としてはそこそこ有名だけど、どう違うの?という人に向けて書いたのだ。

(故に網羅的ではなく、トランスヴェスタイトなり、FTMなり、そこまで知名度の無い言葉類似性が乏しいものについては書いていない)

当事者にとっては性思考性自認思考区別は明確だが、知らない人にとってはごっちゃになっている。

また、当事者意図せず傷ついてしまい、それ故に当事者と関わるのが面倒くさいという人もいる。

ここではなるべく新しい概念を持ち出さずに、既に知られているがややこしい言葉の違いを一般的言葉で違いを伝え、当事者を傷つけないようにするための簡単手段を記した。

ということを文頭に書くべきだったが、あまり簡素に書きすぎてしまった。

申し訳ない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん