はてなキーワード: アレキシサイミアとは
自分は根暗で、人間が嫌いで、自分にとって嫌なことがあるとすぐにスマホでネガティブワードで検索をし始め、精神病の名札がほしいというただそれだけの思いで精神病を調べまくってたらいつのまにかバーナム効果に陥っちゃってたり、ルサンチマンとかアレキシサイミアとかいう自分の中でかっこいいと思っているカタカナの文字列をわざわざ使いつつ、大学の心理学とか哲学だかの講義の論述問題で自分のどっよ~んとした心情を吐露して先生をドン引きさせて人様に迷惑をかけない主義の自分が先生に迷惑をかけたりしている超アイデンティティークライシス状態のつい最近虐待以外で自分の意志で飲酒しても未成年者飲酒禁止法に引っかからない程度の年齢になった大学生だけど、
本当の幸せになりたい
と思った。
自分の中での本当の幸せの定義は、「恒常的に幸せであると"感情レベル"で感じることができている状態」のことである。
感情レベルで感じるというのは、感情的に感じることができるということであり、逆に、いままで見てきた人の中に「~だから幸せだ」という、"考えた"結果として自分は幸せであると言っている人がいて、これを"思考レベル"の幸せというのならば、自分の中では 思考レベル < 感情レベル という幸せ度の違いがある。
そして3時間程度考えた結果、本当の幸せになるには性格を変えなければいけないという結論に至った(性格は簡単に変えることができないと考慮した上での結論である)。
なぜそのような結論に至ったのかというと、自分の中では感情とは脊髄反射に似たような反応であると思っていて、脊髄反射に似たような反応は性格によって起こっていると思っているので、脊髄反射的に幸せを感じるには、性格という不可侵領域をなんとか書き換えるしかないと思ったからだ。
自分の中では性格という地盤の上に考えが成り立っているので、思考レベルの幸せで妥協しようとしても、自分の場合は情緒不安定で考えが性格に支配されているので、考えがコロコロ変わり恒常的に思考レベルの幸せを感じることができない。
そこで、考えがコロコロ変わってしまうのなら、その考えを性格に強制的にインストールしてしまえばいいんじゃない?と思ったが、それはもはや"思考レベルのインストール"でしかない。
やはり本当の幸せになるためには、大嫌いな第三者に自分へ自分が感情レベルで脊髄反射的に感じる言動を与えてもらって性格を書き換えてもらうしかないのだろうか。
繰り返しになるけれど、DSM-5における自閉スペクトラム症(ASD)の診断基準は、社会的、職業的、または他の重要な領域における現在の機能に臨床的に意味のある障害を引き起こしていることを求めているので、
現在社会的に適応しており、日常生活に支障をきたしていない元増田には不必要な診断名なのです。
元増田は勘違いなさっているようだけれど、この診断名は「特性を持った人」のためではなく、「その特性によって困っている人」のためにあるのです。
だから「今全然困ってないけどASDです!!」という発言は反発を招いても仕方がないように思いました。
また、ASDを診断するための客観的な検査も生物学的な指標(バイオマーカー)も現時点では存在しません。
脳血流検査、IQ検査、MRIの画像、問診を受けて診断されたとのことですが、脳血流検査もIQ検査もMRIの画像も、あくまで精神科医が総合的に判断するための補助にすぎないものです。
そして、精神科医の判断の基準になるのがDSM-5やICD-10などの診断基準なんですね。
ところで元増田はこれらの診断基準は当然お読みになっているんですよね?
アレキシソミア・アレキシサイミアについては、心身症の分野でよく使われる言葉です。
ご存知かもしれませんが、これらの症状はASDに特有のものではありません。
診断を受けた経緯については分かりました。
やはり二次障害があったので診断を受けることになったのですね。
動作IQと言語IQの違いでアスペルガーか高機能自閉症かが判断されるというのは、まだ知的に遅れのないASDにその両者の分類があった際、それが判断基準であったということから。
そんな判断基準はありません。
高機能自閉症も成長するにつれて言語発達の遅れは取り戻すので、臨床的な経過はアスペルガー症候群と高機能自閉症にほとんど差がないと言われています。
よって両者をわざわざ分ける妥当性が乏しく、DSM-5では「自閉スペクトラム症」という診断名に一本化されたという経緯があります。
ASDの中でもアスペルガーは言語ポテンシャルが高いので、コミュニケーション障害が起こりにくいのかもしれない。
コミュニケーションは言語によってのみ行われるものではありません。非言語的コミュニケーションというものがあります。
よって、「言語ポテンシャルが高い=コミュニケーション障害が起こりにくい」という推論は拙速だと思います。
あとやれアスペルガーだ、やれ高機能自閉症だとは書いてきたけど旧分類であって今は死語である、というのも強調しておきたいかも。
アメリカ精神医学会の診断基準であるDSM-5では自閉スペクトラム症に一本化されましたが、WHOの疾病分類であるICD-10にはまだ存在している診断名なので、死語ではありません。
あんまりトラバに返信するのもアレかな、と思ったんだけれどこれ(http://anond.hatelabo.jp/20161106132341)は偏見を助長させかねないと思ったので言及することにした。
多分詳しく説明したところで、増田は納得しないだろうし話を聞いたところで「ふーん」というぐらいだと思う。
もしちゃんと理解しようと思ってくれてるなら、先のエントリも含めてちゃんと読んでほしいし、理解する気がないなら別にそれでも構わない。
文章から察するにASDの検査は問診だけで決まる、と思ってるのかもしれないけれど、先のエントリに上げたように脳血流検査、IQ検査のほかに生育歴やMRIの画像、問診が必要になってくる。
そういった検査を受けた上でASDと診断されているので、私は素人だし診断された通りだと思ってる。
高機能自閉症だと思う、と書いたのはお察しの通り幼児期に言語発達の遅れがあったからそう書いているということ。
書いてないからと言って無い行間を読まないでほしい。(今回に限らずよく思うことだけど)
ASDは治療が必要ないわゆる「病気」ではなく特性なので、通院せず社会生活を普通に送っている人もたくさんいる。
困っている人は病院へ行け、というのも併発しているうつ病などのメンタル面を整える目的で行ってほしい、ということ。
メンタル面での治療が終わったら、ASDは通院で何をするのか?というと日常生活を普通に送れるように生活指導を受けたりする。
例えば私の場合睡眠がちゃんと取れていないので、認知療法で睡眠時間の記録をつけていた。
また仕事やゲームなどを始めてしまうと10時以上も同じ場所に座ってまさに寝食を忘れるということがあった(そして何日間も電池が切れたように動けなくなる)ので、時間割を決めたり1日の行動記録を事細かにつけたりして、普通の生活習慣を身に付けられるように指導を受けた。
睡眠も十分取れるようになったし、身体的にも精神的にも無理しなくなったので今は通院していない。
「困ってない」というのは主観的なことなので説明は難しいけれど、このように「日常生活を送る上では」困っていると言えるかもしれない。
それは観測する側が「ああ、大変そうだな」と思うのであって、私はそういう特性だと思っているので起きて寝て、栄養失調にもならず生きていけてるなら問題ないな、と思ってる。
「ウワアア!!困ったーーーー!!!」っていう状態ではないということ。
失感情なので自分が本当に困ってるかどうかは体調崩さないと分からないので何とも言えないけど、とりあえず平和に暮らしてる。
そういうことなので私もまた「困ってる」ことにぶち当たったら病院に相談に行くかもしれない。
先のエントリにも書いてあるけれど、12年間うつ病の治療を受けていて「うつ病ではなくオーティズム(自閉症)のような気がしますね。1度検査を受けられては?確実に言えることはうつ病ではないということです。」と言われたので受けることに。
それまでは原因不明の頭痛や吐き気、慢性の肩こり、胃潰瘍、突然卒倒する、などといったことがあって精密検査を何度も受けていた。
それでも分からず、うつ病の治療でも緩和せず、ASDの診断を受けたあと結局それらは失体感によるところが大きく「寒いのに暖かい格好をしていなかった」だとか「同じ姿勢のまま微動だにせず、5時間以上も座ったままトイレにも行かずに仕事を黙々と続けていた」とか「偏食で栄養が偏っていた」、「失体感により食べ過ぎに気付かず食べ続けていた」というだけのことだった。
(他の人に言われるまでまったく気づかなかったし、普通だと思ってた)
服屋の強すぎる照明で気分が悪くなったり、晴天時に耐えがたい頭痛に襲われるのは視覚過敏だからだった。
動作IQと言語IQの違いでアスペルガーか高機能自閉症かが判断されるというのは、まだ知的に遅れのないASDにその両者の分類があった際、それが判断基準であったということから。
今はアスペルガーも高機能自閉症もカナータイプも全てASDという括りの中なのですでに判断基準は失われているし、旧判断基準でいうと高機能自閉症だろう、という話。
判断基準の話はまだそれがあった頃の当事者の親御さんたちの話からなので、本当のところは私も分からない。
ちなみに増田が言う通り、アスペルガーは言語発達に遅れがない。(よって言語IQが高い)
先のエントリにも書いてあるし、引用している文章そのままだけれど一般的にアスペルガーは「自閉症スペクトラムの中でもコミュニケーションに問題がない」と言われている。
知的に遅れのあるカナータイプは言語発達に障害があるし、高機能自閉症も幼児期に言語発達に障害があると言われているためだと思う。
ASDの中でもアスペルガーは言語ポテンシャルが高いので、コミュニケーション障害が起こりにくいのかもしれない。
高機能自閉症よりもアスペルガーの方がまなざしから人の気持ちをくみ取る力が強い、という実験結果もある。
以下にURLを貼っておく。
Do Adults with High Functioning Autism or Asperger Syndrome Differ in Empathy and Emotion Recognition?
もしかするとアスペルガーにコミュニケーション障害が全くない、と読み間違えたのかもしれないなと思った。
読み返してほしいけれどそんなことは書いてない。
もし誤解させるような書き方だったとしたら、それがコミュニケーション障害なので「ごめんなさい」したいと思う。
これについては私が知人に対して口頭で話をする際にどちらも説明したけれど、精神医学に何の興味もない人に突然「失体感・失感情」もしくは「アレキシソミア・アレキシサイミア」だという話をしても誰も理解できなかった。
なので併記をしたからと言って精神医学に興味のない人に理解が深まるとは思えないし、これは主観だけど「失体感・失感情」の方が字面的にどういう症状なのか分かりやすい(誤解もあるけれど)と思ったので、こちらを採用した。
けれど聞きかじった知識や思い込みで書かず、ちゃんと当事者に意見を聞くなどして書いてほしいと思った。
これを機にASDは治療ができる病気などではなく、生まれつきの特性であるということを理解してほしい。
あとやれアスペルガーだ、やれ高機能自閉症だとは書いてきたけど旧分類であって今は死語である、というのも強調しておきたいかも。
失体感症(アレキシソミア)・失感情症(アレキシサイミア)と書いたほうが分かりやすいかもしれない。
アスペルガー症候群と高機能自閉症の違いは、幼児期に言語発達に遅れがあったかどうか。
高機能自閉症では幼児期に言語発達に遅れがあるが、その後は言語発達が追いつくため、青年期以降はアスペルガー症候群と区別がつきにくくなる。
知的能力障害を伴わない自閉スペクトラム症を高機能自閉スペクトラム症と言い、アスペルガー症候群、高機能自閉症などが含まれる。
元増田が言いたかったのは、こちらの高機能自閉スペクトラム症のことだと思われる。
これも勘違いがあるけど、一般的に「コミュニケーションに問題がない」と言われているのは、自閉症スペクトラムの中でもアスペルガー症候群の人である
コミュニケーションの障害がなければアスペルガー症候群とは診断されないので、元増田のほうが勘違いしているものと思われる(言語性IQとか動作性IQというのは診断には関係ない)。
これはまったくその通りというか、矛盾しているというか、自閉スペクトラム症の診断基準には
『その症状は、社会的、職業的、または他の重要な領域における現在の機能に臨床的に意味のある障害を引き起こしている』
とあるので、困っていない元増田は「自閉スペクトラム症の傾向がある人」であって「自閉スペクトラム症」とは診断されないはずなのだ(そもそも精神科の診断名っていうのは、困ってる人を治療のためにラベリングするためのものなので、困ってない人をラベリングする意味がない)。