はてなキーワード: 教職とは
塾でバイトをしたことはあるだろうか。教員を目指している学生の多くが塾で働くと経験が得られるのではないかと考えていると思う。
私もそのように思っていて、塾でのバイトを大学入学と同時に始めた。そして、今となっては失敗したと思っている。思っていたよりも労働環境がひどいと感じている。
ただ、お前がひどいと思っているだけだろって思う人も多いのではないだろうか。それに関してはわからない。
そもそも塾のバイトはどんな仕事をするのか知っているだろうか?授業だけすればいいって。そんなことはない。
少し業務内容(アルバイト)を説明してみようと思う。補足だが、集団塾での経験なので個別はわからない。
しかし、授業をするためには準備がいる。カリキュラムがあって何をやるかはわかる。しかしどのように教えていいかがわからない。塾には指導案やマニュアルが用意されていなかったからだ。
最近では、一部の科目には一応指導案ができた。しかし、それを読んで授業ができるとは思えない。教職課程で作るような、指導案みたいに何分で説明しろとか細かくは書かれてない。
ただ、○○を教えてくれと書かれているだけの場合が多かった。
なので授業準備として予習はある程度必要だった。しかし、そこには給与が発生しない。バイトの立場からすると授業準備をしても金がもらえないんだから準備するのがばからしい。
授業以外には、テストの採点や欠席者への電話なども行う。ここまでは理解できる。
それ以外にも保護者会の話者や保護者面談・電話の対応を行う。(正直社員がやれと思っている)
マニュアルがあって、それに沿って話せばいいのかと思ったら大間違いである。そもそも保護者会のマニュアルなんてものはない。
保護者会でどのようなことを話すべきかなんて研修もないし、面談のやり方だって研修されない。
そんな中で保護者に科目や受験について話さなくてはならないのだ。(私としてはそのような授業以外のことは社員がやるべきだと思う。)
まぁ受験学年以外なら何とかなるかもしれない。しかし、受験学年も担当するのだ。
保護者に受験パターンなどの受験に関する様々なことを聞かれる。しかし、それもマニュアルがないのだ。
受験校のパターンなんてはっきり言ってわからないのに答えなければならない。そのための勉強をしなくてはならないのだ(無給)
面談には給与が出る。しかし、時間が決められていて、それを超過した場合は必ず支払われるとは限らない。
ちなみに面談の日程を決めるために一カ月以上前から予定を組まされる。大学生の一カ月前の予定なんてわからない。バイトが優先されるのだ。
そのためか、何人か留年するバイトが出てくる。バイトでもらう給与より留年したことで発生する学費の方が高いんじゃないか?
保護者への電話や、添削が必要になったりする。そもそも早く帰ると嫌な顔されたりもする。
各種特別講座的なものの催促も電話で行う。(営業の仕事は社員がやるはずだけど)
特別講座の申し込みなんて、書類だけ配って終わればいいと思う。締め切り前にわざわざ確認する必要なんてないのでは?
社員が管理しているわけではない。しかし、電話しなければ叱れる。意味わからない。
業務に対する給与はコマ給で払われる。授業一コマに対していくらか払われている。
それでやってくれということなのだ。ちなみに。一日当たりではなく月単位で考えるそうだ。
一カ月で何時間分コマ給をもらっているのだから、月単位の労働時間で考えろということらしい。
一日コマ給をはみ出る仕事をしたとしても、別美のコマ給をあてて考えろと言われた。
塾長に代講を探すようにお願いすると「当日までに探してください。見つからなければあなたの責任です。」と言われた。
意味が分からない。管理職である、お前がシフトの調整をするべきだろ。
ここに書かれていることが本当かどうかは読んでいる人が判断してほしい。
共感する人もいるだろうし、うそをつくなと思う人も多いと思う。
ただ、一つ言えるのが、金が欲しいだけなら塾のバイトはやめるべきだ。
教職を目指しているなら大学の勉強をしっかりするべきだ。(やらないと後で後悔する。)
塾という産業が大学生や院生に依存しているといっても過言ではないと思う。
保護者は、塾で働いている人は全員社員とでも思っているのではないだろうか。大間違いである。ほとんどはバイトだ。
塾はやりがい搾取問行っても過言ではない。バイトをしたいと思っている人は時間外労働は覚悟するべきだと思う。個人的にはおすすめしない。
はっきり言うと、責任や負担が以上なほど重い。バイトにそんな仕事させるなって思わないのか?
やりがいはあるけど、それだけじゃいけないと思う。
ないよ
支援級は、「教室で授業に参加できるかどうか」が基準だから、宿題ができない程度じゃいれないよ
現場の教師は、受け持つ生徒一人一人に合わせたきめ細かい指導をする義務があるよ
障害があろうとなかろうと、子供は一人一人違うから全員に同じ対応で済ませるのは無理なわけ
コロナウィルスのワクチン接種が日本で始まってから、医療従事者や予約を取った高齢者以外のルートで、自治体の首長や議員、地元の企業の有力者が接種したということがニュースになり、批判をされている。このニュースにおいては大きく分けて以下のような意見が出ていると思っている。
批判派のメインは一つで、ずるをしている、ということだ。権力者と近い人間がその権力を使って、ワクチン接種の列に並ばずに自分だけが利益を得ようとしているというものだ。
もう一方でこのニュースを肯定する意見もある。いくつかあるが、大きくその意見を支えているのが「ワクチンを余らせるべきではない。余るなら別の人が打つべき」ということだ。1本2000円する高額なワクチンを無駄にするわけにはいかないので、余って捨てるぐらいだったら誰かが打つべき、という意見はもっともらしく聞こえる。
ただ、ちょっとここで考えてみた。素人考えなので間違っているところは十二分にあると考えている。どこが間違っているのかを教えてほしいので、どうか上記のニュースに肯定的な意見を持つ医療関係者の意見をいただきたい。
私がワクチンのオペレーションに関して参考にしたのは以下の資料である。厚生労働省とファイザーの情報なので一番正確だろう。
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000726454.pdf
https://www.pfizer-covid19-vaccine.jp/#/VaccineTreatmentMethod
余ったから別の人に接種を行う、というオペレーションを想像してみる。厚生労働省の情報によるとファイザーのワクチンは接種日まで超低温冷凍庫に保管されて、当日に冷蔵庫に移される。解凍されたワクチンは5日以内に打たなければならない。その場合余ったとわかるのはいつのタイミングだろうか? 1日100本用意して、その日80本しか使われなければ明日使うという選択肢も用意されているのに。そもそも厚生労働省の資料にある当日に解凍というのを無視して月曜日に金曜日までの1週間分ワクチンを一気に解凍していない限り、余るということが発生するのだろうか?
もう一つ考えてみるのが、接種会場に届くものが解凍済みという場合である。そうすると1日に必要量以上届いてしまった場合は一気に接種をしなければ行けないし、余っているので明日少ない本数送ってきてください、というオペレーションが成り立たないのかもしれない。接種会場に在庫が積み重なるパターンである。しかし、ファイザー推奨の移送手続きによればサテライト会場でもドライアイスによって-60℃の超低温状態が保たれているはずなので、届いた時点で解凍済みというのは正しくないと考えている。通常医薬品の取り扱いというのは厳格なものであり、このオペレーションと異なる方法をとっているとしたら重大事故になるはずである。
では、厳格に運用するとして解凍した当日中に打たなければいけないとする。その場合に余ったとわかるタイミングはいつだろうか。少なくても午後だ。仮に午後3時ぐらいとしよう。予定していた人が会場に来ない。あと2時間で会場は閉まってしまう。このままでは予定の接種を終えることができず解凍したワクチンが無駄になってしまう。
接種会場から取りまとめをしている役所に何本余ると連絡が届く。ワクチンを無駄にしないためにあと2時間で打てる人に会場に来てもらわなくてはいけない。そのときに誰に連絡をする?
最初の連絡先に市長や議員、社長を選ぶ? それらの人は朝から一日の予定が決まっている。その予定をすべてキャンセルして今から2時間以内にどこどこ会場に来なさい、と言うか? そんな人達の予定を調整するのがどれだけ難しいか、社会人として働いた事がある人なら当然知っているはずだ。
では逆に、余ることを前提に市長や議員などの予定をおさえたとする。逆に余らなかったらどうなるか? せっかく開けた予定が無駄になる。それらの人が余るかどうかわからないワクチンのために何日も予定を開けておくのか? そんなことは非現実的である。
もっと言えばファイザーのワクチンは接種後に副反応が発生して、高熱を発症する場合もある。簡単に一日の予定を開けられない市長や社長の翌日も潰れてしまう可能性がある。急いでワクチンを接種して翌日に影響が出たら? そんなリスクを負ってまで急遽仕事の予定をキャンセルして接種に行くのか?
しかし現在報道によれば、多忙な上流階級の人々に対してのみ、余っているので接種できたという情報だけである。ただし、余っていたら接種したというのは上記のようなオペレーションが働かないと成り立たない。
最初に書いてしまったが、市長だの社長だのは余ったから接種されたのではなく、最初から自分たちの分を融通してもらっているはずである。そうでなければ説明がつかないからだ。ただ、医療従事者や予約が取れた高齢者が接種対象となっている現状で、融通してもらうというのはまぎれもなく自分の持つ権力の行使であり、それでは具合が悪いので、一番マトモな言い訳として、余ったから打ったと言っているだけだと思っている。
この結論に対して、上記オペレーションを踏まえた上でぜひ間違っている点についての指摘を求めたい。
これまでのオペレーションの穴があったとして、本当に余ってしまった場合、そのときに誰が打つのかについて考える。
ワクチンが余っているなら誰でもいい、かつ極めて時間制限がある状況下であるならば、一番病院において近くにいる人、医療事務や病院で働く掃除担当のパートの方、医療従事者の家族、病院に出入りしている卸業者などを対象にすることだって選択肢はある。医療従事者の家族がコロナに感染すれば、ワクチンを打っているとはいえ濃厚接触者になるのではないだろうか(ここは自信がないので教えて下さい)。その場その場で判断するなら、どこぞの社長を呼ぶより家族の方がまだ急遽の呼び出しにも対応ができる可能性が高い。
さらに言えば、私は他にも優先的に接種すべきエッセンシャルワーカーがいると考える。インフラに関わるような公務員(水道局やゴミ収集車の職員の方も含む)や高齢者施設の職員、物流系の仕事に従事される方、あるいはスーパーの店員などいくらでも挙げられる。この人達だって市長よりは予定の調整をつけられやすいだろう。
新潟県三条市がワクチンが余った場合は教職員を優先する、と表明して高い評価を得ていた。教職の方々は常に多くの子供達との接点があるし学校でクラスターが起きて学校閉鎖になれば影響度が大きいので正しいと考えている。
権力者のワクチン接種のニュースで肯定する意見として「いずれ打つことになるのだから問題にすべきではない」という意見がある。私はそれを正しいと思わない。この手の話でニュースになるのは議論も合意もなく権力者がワクチンを優先して接種しているという、権力を持っているか、権力に近いかどうかが、ワクチン接種の決め手になっているからである。今はまだすべての医療従事者への接種が終わっていない。彼らが先に接種したことで接種日が数日ずれた人もいるだろう。その数日のズレがコロナ感染の決定打になることもありうるかもしれない。
これからは高齢者への接種が始まる。誰ががその列に割って入ったとして後回しになるのは自分の親や祖父母かもしれない。一人や二人ならいいとなるかもしれないが、昨日セコムの役員が80人分のワクチンを接種したというニュースが流れた。この話がだんだん甘くなってくれば、○○議員の後援会員数百人を優先して、という話になるかもしれない。それによって遅れる人も出てくる。遅れた人は自分が遅れたかどうかに気づくことはないが、それは権力の使い方として正しいのだろうか。今回はワクチンだが、コロナ感染者が入院できる基準が権力の近さによるものだったとしてそれを許容できるのだろうか。ワクチンだからいい、入院はいけない、ということのどこに基準を設けて話をすべきなのだろうか。
以上が素人が考えた意見である。はっきり言ってこういう意見は専門家に語ってほしい。医療系のライターならワクチンが余るのかどうか専門知識によって確認することができるはずだ。社会学者とか政治学者なら権力者が優先されることへの意見をもっとロジカルに説明できるはずだ。新聞社などメディアはただ批判するのではなく、もっと深堀してほしい。もし、専門家がここで説明していたという記事があればそのリンクなどを貼ってもらえると嬉しい。
私としては、こんな素人の意見でどうのこうのはてぶがつくよりもビシッと専門家のみなさんによって議論が深まってくれる方が嬉しいし、この疑問がそういう知性のある人に届いてほしいと思っている。
教員:週末は原則半分程潰れる(一部部署除く)。大会が連続すると一ヶ月の休日がゼロになることもある。
文部科学省:残業代がフルに出ることはない。状況によっては全残業時間の2割程度しか支給対象にならない。文部科学省は他省と比較しても少ない。
教員:残業代は一切出ない。いくら働いても教職調整額4%しか支給されない。他地方公務員と比較しても少ない。
文部科学省:ニュースで自身の仕事が報道されると大きなやりがいを感じる。
教員:ニュースで教員不祥事が報道されると大きな失望を感じる。
文部科学省:上司が黒と言えば、白でも黒。永田町が赤と言えば、上司は赤に変更するので、そうですね、赤ですと言える度量が必要。
文部科学省:プロパー職員もだいたい2年ごとに部署異動があるため、専門的な知識の蓄積がしにくい。
文部科学省:都道府県により教育にも特色があってよい。国は最低限のルールと必要な行政指導を行えばよいと思っている。
教員:学習機会の差が生じないようにできるだけ国で統一してほしいと思っている。
強いかどうかは知らない
というか弱いと思う
賢さ根性補正ってなんだよふざけてんのか開幕2戦マイル走らすな
でも可愛い
俺のことを信頼してくれる
通えなくなってはないな
ちょっとだけ対面授業ができるようになった
でも俺は教育実習に行けないし、教務課も教職課程の教授も補講を用意するのがめんどくさいしこんな状況で教職が第一志望じゃない学生には対応するのも面倒って態度を隠さない
だったら2018年の教職課程の要項に「教職を目指さない人間は受けるな」って書いとけ
基礎疾患のある身内がいるので実家にも帰ってくるなって言われた
誰も俺のこと助けてくれないし切り捨てられるのにウマ娘たちは俺のこと信頼してくれるんだよ
楽しいに決まってるだろ
二次創作も馬主もサイゲもJRAもどうでもいいからさ、俺からビワハヤヒデを奪わないでくれ
寂しい
俺のこと切り捨てないで 頼りにして 笑ってくれるやつはトレセン学園にしかいないんだよ
サ終しないで
いじめられている、という申告が生徒から出た場合、学校はどうするか。
その作業は担任にしかできない。日ごろからクラスをみてるのはその担任一人だけだから。
専科の先生たちや教頭・校長はなんとなくはみていても、クラスの内部での細かい人間関係までは把握できていない。
軽度のいじめの場合、問題があると認識したらまずその生徒に注意する。ほとんどのケースはそれでおさまることが多い。
それ以上の深刻な問題の場合、担任が教頭・校長と相談し、必要であれば保護者を呼んで面談することになる。
いじめに絡んでいるのが複数人の場合、複数人の保護者との話し合いを重ねる。
保護者が比較的まともな親のみであった場合はそのプロセスを経れば解決することもある。
が、保護者がまともな親ではなかった場合(自分の子どもがしたことを客観的に判断できない場合とか)はスクールカウンセラーや教育委員会をはさみ、家庭相談員などを介して問題解決をはかることになる。それはすごく時間も手間も精神力も削られるし生徒側も学校側も相当しんどい時間を過ごすことになる。(余談だがそんな重役を仰せつかる家庭相談員はパートの非常勤であることも少なくない・・・)
そんなプロセスを経るのだが、いかんせん通常の教師の仕事が激務すぎて、それ以上のことが起きたら時間的にもリソース的にも対応しきれないような現状。
そうなるとどうなるか。精神面で相当タフな教師なら持ちこたえられるが、まともで真面目な普通メンタルの教師はだいたい精神を病む。その結果、突然職場に来れなくなるなどの症状がでる。長期休暇コースである。それでも立ち直れず、あるいは教職に絶望し、教職を離れてしまう人も少なくない。
担任がリタイアしてしまった場合は教頭と校長で引き継ぐのだが、如何せん人間関係や日頃の様子はそこまで把握できていないのでその状態での引き継ぎになる。
すでに残っている教師は精神面で相当タフな人か、相当マイペースな人か、問題を見ないですませてしまうタイプの人か・・・というように現時点で何パターンかにある程度ふるい分けられていると思ってもいい。もちろん地域差による生徒数の格差や各自治体のコミュニティの傾向などもあるが、生徒数が多い学校ではトラブルが起きないことはまずない。
最近は教師の威厳も権限もまるでないから子どもも先生を見下してたりする。頼りない新米教師の場合、学級崩壊も簡単に起こったりする。
公立の小学校で働いているが、#教師のバトンなどで最近クローズアップされている教職を傍から見た所感。自分は非教職・非正規。地方都市在住。あくまで個人的な所感。
・クラス担任になるとその教師にクラス全員分のほぼ全部の判断や責任が委ねられるので教師一人あたりの負担が大きい。自分の勤務する学校では他の教師は生徒指導的な面ではほとんど関わらない。
・教師個人によって判断・傾向の差が大きくあり、平たく言えば当たり外れも大きくある。いじめが起きた時、真摯に対応するか否かもその教師の経験や価値観に基づいて対応が変わる。
・やる気があると際限なく仕事が増えてしまうのでほどほどで止めるしかない。教師の仕事は膨大。日中は授業と生徒の面倒をみなくてはいけないのでそれ以外の時間に授業準備などをこなさなくてはならないが、職員会議を終えた朝8時過ぎには登校してくる生徒もいるので教室で待機になる。そこから15時~まで生徒の面倒をみてからの授業・行事準備や採点や提出物チェックや研修や問題ある生徒の対応や・・・(エンドレス。
・ちなみに自分が働く学校ではいつも朝6時から学校で勤務していた真面目な若手の教師がいたが、クラスにどうしようもない問題児が二人いた年度の半年を過ぎたあたりで精神を病んで休職されてしまった。
・ただでさえ人数が多い学校の事務的なことを事務員と教頭の二人でこなさなくてはいけないのでこちらも仕事量がやばい。あまりにも仕事量が多いせいか教頭はやる気とガッツが果てしなくあるタイプか問題を見ないふりをしてできるだけやり過ごすタイプの二通りに分かれる。
・問題のある子どもの親はだいたいやばい。親に問題点を伝えても対応できない(しない)こともある。授業の妨害をする子どもの場合、授業中にその子をおさめるために教師の労力が割かれてしまい、ほとんど授業にならないこともある。
・数年ごとの教員異動の仕組みのせいで教師全般が学校業務の最低限をこなすことしかできない。それ以上の改革まで踏み込めるような仕組みになっていない。
・現在の公立小学校はやる気のある真面目な教師から精神を病むようなシステムになっていると感じる。とりあえず無駄な行事をどんどんそぎ落として業務をスリム化すべき。
はてブでは、「文科省の若手が、敢えてネガティブな意見を引き出した確信犯」説が大人気だが
私は違うと予想する
と、いうのも、「教師のバトンプロジェクト(文部科学省)」公式が、炎 上 前 にnoteにした
↓
https://mext-teachers-gov.note.jp/n/n1effc43cd146
2021/03/26 08:50
こちらに書かれてあるプロジェクトの説明、一見はてブでバズッた内田良さんがYahoo!ニュース個人コーナーで語った内容と、ほぼ同じに見えるが
以下にまとめてみた
↓
(引用はじめ)
・私たちは、プロジェクトを検討する中で、多くの教職を目指す現役学生や、教職を断念した学生・卒業生と意見交換をしてきました。
「教師の魅力・やりがいはわかっているけれど、報道されているような長時間勤務に耐えられるか不安」
「実習先の学校で見た教師たちが保護者対応や事務作業など、教える以外の業務対応で忙殺されていて 教師になれるか自信をなくした」
・学生の生の声を聞き、私たちは考えました。【一部の報道や、実習先など一部の学校の印象で教職を諦めるのはあまりにももったいない】し、現職の教師が行っている、全国の学校現場の日常の創意工夫や広がる改革の波について、教職を目指す学生や社会人の方々に対して十分に発信できていないのではないかと。
・【教師は子供たちの人生を変えるくらいに大切な価値ある職業であること、文部科学省も現状の課題をふまえ時代に対応した制度改革を急速に進めていることを改めて社会に共有したい】と考えました
・こうして「#教師のバトン」プロジェクト の構想が固まってきました。
・また、教師だけでなく、【保護者や地域の皆さまからも、例えば、「娘の担任のここが素敵」、「地域と学校をつなぐ自慢の教師たち」など、教師へのエールのシャワーをたくさん浴びせていただき、社会全体で教師を応援するという雰囲気をつくることができれば】、こんなにうれしいことはありません。
・このバトンを教師だけでなく、【社会の多くの方々につなぐことで、教師を社会全体で応援する雰囲気を醸成したい】という思いも込められています。
(引用おわり)
特 に 【 】 で 括 っ た 箇 所 を 、 よ く よ く 読 ん で ほ し い
見比べると、かなり印象が変わるのではないだろうか
【疑問】
上記の文章を読むと、文科省に対して、こんな疑問を抱くのではないだろうか
・文科省は『一部の報道や、実習先など一部の学校の印象」で働き改革が進んでいないかのごとく受け取られているが、実際は急速に進んでいる』と印象づけたい?
・文科省は
「教師は子供たちの人生を変えるくらいに大切な価値ある職業であること」
「保護者や地域の皆さまからも、例えば、「娘の担任のここが素敵」、「地域と学校をつなぐ自慢の教師たち」など、教師へのエールのシャワーをたくさん浴びせていただき、社会全体で教師を応援するという雰囲気をつくることができれば」
「社会の多くの方々につなぐことで、教師を社会全体で応援する雰囲気を醸成したい」などの記述があるように
教師という職業のやりがいや社会的価値の『誇示』に主眼を置いて、更にやる気を搾取する方向での解決を目指そうとしているのではないか?
私は、文科省がこのプロジェクトを始めた意図はこの二つにあると強く感じた
〇更に「敢えてネガティブな意見を引き出した確信犯」を否定する状況証拠として「公式Twitter上での文科省の振る舞い」がある
炎 上 時 に彼らが「何をリツイートし、何にいいねを付けたか」確認していきましょう
#教師のバトンプロジェクト【文部科学省】 (@teachers_baton) | Twitter
https://twitter.com/teachers_baton
↓
・#教師のバトンプロジェクト【文部科学省】さんがリツイートした教員エピソード(3月31日時点)
(引用はじめ)
大野 睦仁
@m_tongarikids
離任される先生の中で、ボクより経験を重ねてきている先生が「この学校に来て、授業研究が初めて楽しくなったことが一番の思い出です」とおっしゃっていた。確かに疲弊している学校研究だけど、やり方あり方次第で、まだまだ可能性は残っていると思う。若手大量採用の時代だからこそだ。#教師のバトン
大野 睦仁
@m_tongarikids
「この学校に来て、一番学んだことは、学ぼうと思えば、どんなことからも学べるということです。そして、どんなことからも学ぼうとする人は、カッコよくて、ステキな人だと思います。6年間ありがとうございました。どうぞお元気で」11人も異動者がいたボクの30秒ほどの離任の挨拶。#教師のバトン
(引用おわり)
う ん 、 働 き 方 改 革 と は 縁 遠 い ね ?
・#教師のバトンプロジェクト【文部科学省】さんがいいねしたツイート(3月31日時点)
↓
(引用はじめ)
@senoo8masatoshi
応援します。ネガティブな報道なども多いなかですが、当の先生たちの思いやがんばっている姿、なかなかニュースなどでは取り上げられない声も共有していこうという取り組みかと思います。もちろん、やりがいだけPRしてもダメで、働き方や職場環境などもよくしていくことと両輪です。
(引用おわり)
【注】妹尾昌俊は、文科省『公認』のプロジェクト応援団の一員(鼻から応援する立場の人間)。一見中立的なコメントを装っているが、その実全く中立ではない
・ネガティブな報道も多いですが、当の先生たちの思いやがんばっている姿、なかなかニュースなどでは取り上げられない声も共有していこうという取り組み
→「ポジティブなツイートでネガティブな印象を払拭したい意図があった」
「このプロジェクトはやりがいPRが目的だ」という文科省のお考えが
【結論】こうした文科省の動向をみると、やはり文科省は「敢えてネガティブな意見を引き出した確信犯説」ではなく「教師のイメージアップを図ってやる気解決を目指してる説」の方が有力
少なくとも「はてブでバズッた内田良さんが投稿したエントリや、炎上後の文科省の言い訳だけを読んで、文科省の真意を読み取ろうとするのは避けるべき」と言えるのではないだろうか
はてブでは、「文科省は敢えてネガティブな意見を引き出した確信犯」説が大人気だが
私は違うと予想する
と、いうのも、「教師のバトンプロジェクト(文部科学省)」公式が、炎 上 前 にnoteにした
↓
https://mext-teachers-gov.note.jp/n/n1effc43cd146
2021/03/26 08:50
こちらに書かれてあるプロジェクトの説明、一見はてブでバズッた内田良さんがYahoo!ニュース個人コーナーで語った内容と、ほぼ同じに見えるが
以下にまとめてみた
↓
(引用はじめ)
・私たちは、プロジェクトを検討する中で、多くの教職を目指す現役学生や、教職を断念した学生・卒業生と意見交換をしてきました。
「教師の魅力・やりがいはわかっているけれど、報道されているような長時間勤務に耐えられるか不安」
「実習先の学校で見た教師たちが保護者対応や事務作業など、教える以外の業務対応で忙殺されていて 教師になれるか自信をなくした」
・学生の生の声を聞き、私たちは考えました。【一部の報道や、実習先など一部の学校の印象で教職を諦めるのはあまりにももったいない】し、現職の教師が行っている、全国の学校現場の日常の創意工夫や広がる改革の波について、教職を目指す学生や社会人の方々に対して十分に発信できていないのではないかと。
・【教師は子供たちの人生を変えるくらいに大切な価値ある職業であること、文部科学省も現状の課題をふまえ時代に対応した制度改革を急速に進めていることを改めて社会に共有したい】と考えました
・こうして「#教師のバトン」プロジェクト の構想が固まってきました。
・また、教師だけでなく、【保護者や地域の皆さまからも、例えば、「娘の担任のここが素敵」、「地域と学校をつなぐ自慢の教師たち」など、教師へのエールのシャワーをたくさん浴びせていただき、社会全体で教師を応援するという雰囲気をつくることができれば】、こんなにうれしいことはありません。
・このバトンを教師だけでなく、【社会の多くの方々につなぐことで、教師を社会全体で応援する雰囲気を醸成したい】という思いも込められています。
(引用おわり)
特 に 【 】 で 括 っ た 箇 所 を 、 よ く よ く 読 ん で ほ し い
見比べると、かなり印象が変わるのではないだろうか
【疑問】
上記の文章を読むと、文科省に対して、こんな疑問を抱くのではないだろうか
・文科省は『一部の報道や、実習先など一部の学校の印象」で働き改革が進んでいないかのごとく受け取られているが、実際は急速に進んでいる』と印象づけたい?
・文科省は
「教師は子供たちの人生を変えるくらいに大切な価値ある職業であること」
「保護者や地域の皆さまからも、例えば、「娘の担任のここが素敵」、「地域と学校をつなぐ自慢の教師たち」など、教師へのエールのシャワーをたくさん浴びせていただき、社会全体で教師を応援するという雰囲気をつくることができれば」
「社会の多くの方々につなぐことで、教師を社会全体で応援する雰囲気を醸成したい」などの記述があるように
教師という職業のやりがいや社会的価値の『誇示』に主眼を置いて、更にやる気を搾取する方向での解決を目指そうとしているのではないか?
私は、文科省がこのプロジェクトを始めた意図はこの二つにあると強く感じた
〇更に「敢えてネガティブな意見を引き出した確信犯」を否定する状況証拠として「公式Twitter上での文科省の振る舞い」がある
彼らが「何をリツイートし、何にいいねを付けたか」確認していきましょう
#教師のバトンプロジェクト【文部科学省】 (@teachers_baton) | Twitter
https://twitter.com/teachers_baton
↓
・#教師のバトンプロジェクト【文部科学省】さんがリツイートした教員エピソード(3月31日20:00現在)
(引用はじめ)
大野 睦仁
@m_tongarikids
離任される先生の中で、ボクより経験を重ねてきている先生が「この学校に来て、授業研究が初めて楽しくなったことが一番の思い出です」とおっしゃっていた。確かに疲弊している学校研究だけど、やり方あり方次第で、まだまだ可能性は残っていると思う。若手大量採用の時代だからこそだ。#教師のバトン
大野 睦仁
@m_tongarikids
「この学校に来て、一番学んだことは、学ぼうと思えば、どんなことからも学べるということです。そして、どんなことからも学ぼうとする人は、カッコよくて、ステキな人だと思います。6年間ありがとうございました。どうぞお元気で」11人も異動者がいたボクの30秒ほどの離任の挨拶。#教師のバトン
(引用おわり)
う ん 、 働 き 方 改 革 と は 縁 遠 い ね ?
・#教師のバトンプロジェクト【文部科学省】さんがいいねしたツイート(3月31日20:00現在)
↓
(引用はじめ)
@senoo8masatoshi
応援します。ネガティブな報道なども多いなかですが、当の先生たちの思いやがんばっている姿、なかなかニュースなどでは取り上げられない声も共有していこうという取り組みかと思います。もちろん、やりがいだけPRしてもダメで、働き方や職場環境などもよくしていくことと両輪です。
(引用おわり)
【注】妹尾昌俊は、文科省『公認』のプロジェクト応援団の一員(鼻から応援する立場の人間)。一見中立的なコメントを装っているが、その実全く中立ではない
・ネガティブな報道も多いですが、当の先生たちの思いやがんばっている姿、なかなかニュースなどでは取り上げられない声も共有していこうという取り組み
→「ポジティブなツイートでネガティブな印象を払拭したい意図があった」
「このプロジェクトはやりがいPRが目的だ」という文科省のお考えが
この「唯一したいいね」(3月31日20:00現在)から感じ取れる
【結論】こうした文科省の動向をみると、やはり文科省は「敢えてネガティブな意見を引き出した確信犯説」ではなく「教師のイメージアップを図ってやる気解決を目指してる説」の方が有力
少なくとも「はてブでバズッた内田良さんが投稿したエントリや、炎上後の文科省の言い訳だけを読んで、文科省の真意を読み取ろうとするのは避けるべき」と言えるのではないだろうか
いわゆる中堅大といわれるところだ。平均偏差値は45くらい。滑り止めで入った学生が大半を占める。私もその一人だ。
大学4年間のことはあまり覚えていない。アルバイトとサークル活動であっという間に過ぎていった。
記憶がない。本当に記憶がない…自分は何をしていたっけ? そこまで無為には過ごしてはいないはずなんだけど、私の記憶の水槽の中には、講義中にボーっと過ごしていたこと、学食でいつも一人ご飯を食べていたこと、飲み会のノリについていけずにちびちびと酎ハイを啜っていたこと――大した思い出は詰まっていない。
こんな自分だけど、景気がよかったおかげか、いわゆる大手企業に入社できた。この業界では一流とされている。
会社名を出したとすると、「いい大学を出ていない人でも社風がマッチすれば内定が取れそう」といったイメージを持たれることだろう。
私自身を殺したい。
子どもの頃は、絶望とか、虚無とか、疎外感とか、そういったものを感じたことはなかった。アニメやドラマに出てくる人達がそういう状態になっていても、自分には関係がないと確信していた。
大学3回生の秋になって始めた就職活動で思い知ることになった。通っていた大学のレベルの低さを。
志望していた企業は説明会すら受けられない。どれだけ気合いを入れてエントリーシートを書いても、通過率は2割に満たない。大手企業に至っては、今の会社以外すべて門前払いだった。
うすうす分かっていた。
学際サークルに所属していたが、大学名で見事に序列ができる。特に、異性なんかは、私が大学名を出した途端に空気が変わる。嘗められている感じ――こいつはイケそうと思われている感じ――頭が弱そうと思われている感じ――とにかく、私が大学名を名乗ると、話相手だった人間の態度が変わる。心が変わる。私に対して変わる。
どうして私はあの時、浪人を選択しなかったんだろう。どうしても行きたい大学があったのに。
あと少し頭の回転が速くて、あと少し努力ができて、あと少しだけ運がよければ合格できた。だったら浪人した方がよかったのに。
もうこんな年になるのに、あの当時の夢を見る。夢の中の私は、浪人を選んでいる。それで、もっともっと勉強して、第一志望の大学どころか、さらに上の国立大学に合格して、それでも第一志望の私立大学を選ぶのだ。
朝になって目が覚めて、これが夢だとわかって、通勤中に夢じゃなければよかったのにと思い、勤務中に昔の自分を思い出しては嫌悪を感じ、過去の自分に鞭を打つ。
こんな苦しい思いはしたくない。どうすればいいのだろう。
もう少しだけ聞いてほしい。もっと話せば、気持ちの整理がつく気がする。
つまらなくないように配慮する。増田に書いてはいけないことを書くかもしれない。でも、それはフェイクなのでセーフということにしてほしいんだ。そういうことにしておいてほしい。頼む……
エピソードをひとつ挙げる。私がまだ入社1年目で、転職エージェントの見習いだった頃、先輩から課題が振られた。私ともう一人の同期の男子に。
その先輩は、事業所内でも実力のある若手だった。今では私の直属の上司だ。当時は、新人だった私のサポーターとして色々教えてくれていた。
課題というのは、転職希望者リスト(履歴書+職務経歴書+参考資料)の並び替えだった。何十枚ものクリアファイルの一つ一つに、転職したい人の情報が挟んである。
「お前ら2人で勝負な。これを並び替えといて。ルールは任せる。変な並びになってても、そのとおりに使うから。元に戻したりしない。その代わり、変なの作ってきたら今後のことは考える」
先輩が椅子に腰かけていた。その目の前で、私と、同期の子が一緒に並んで話を聞いていた。先輩の指示を聞いていくうちに、どんどん不安になっていった。
お昼ごはんの時のコーヒーが喉に絡んだ。いま話をしたら、変な声になるんだろうなと思うと、先輩の顔を見ることができなかった。スカートの上の方を握りしめて、離して、握って離してを繰り返していた。
勝負なんてしたくなかった。負けるに決まっていると思っていた。
「彼」は、私の同期だったけど、私とはレベルが違った。関西にある一流の私立大学を出ていた。浪人も留年もしていない。そのうえもちろん、新卒入社だ。
私が行きたかった大学だった。それも法学部。私は1日に10時間以上もの勉強を半年以上も続けて、模試で一番判定がよかった政策学部を受けたものの、合格点まであと30点も足りなかった。
でも、その彼は、高校3年生の夏頃まで、週に何度も同級生と麻雀をしていたという。子どもの頃からサッカーをしていて、イケメンで、背が高くて、空気が読めて、……私よりも頭がいい。
部屋の中央に長細い机がふたつ重なっていた。その上に、個人情報の詰まったクリアファイルの山が置いてある。私がまとめたのと、彼のだ。
彼は緊張している様子だった。いつもはニコニコしているのに。
「こいつの見てみ」
こいつ、とは私のことだ。彼は私が整頓したグループを手に持つと、指先で丁寧に捲っていった。
「お前も」
先輩から、「彼」が並び替えをしたクリアファイルの山をもらった。
……整然としていた。業界、職種、特技、資格、学歴――様々なカテゴリがきめ細かく揃っていて、一周する頃には、誰がどの辺りにいたのか大体思い出せた。
「参りました!」
芸人みたいなリアクションを取りながら、彼は私に頭を下げた。おどけた様子だった。
「俺のより〇〇ちゃんの方が絶対いい」「俺にはこの視点はなかった」「営業所全体で共有しよう」
そう言って私のことを誉めそやすけど、上っ面だった。こいつは私のことを馬鹿にしている。
「頑張ったな。こんなの作れるなんて、感動してしまった。お前はすごい」
声の方に体を向けると、先輩が、笑顔とも苦笑とも取れない顔つきで長机に肘を置いていた。
「そうでしょ!〇〇ちゃんスゴイって思いました」
彼の言葉は嘘だ。この場をごまかすためだけにしゃべっている。その証拠に、ネクタイの首元を撫でるように触れている。
「でもな。今回は、〇〇の勝ちとは言い難い。というのも……」
ほら、やっぱり。
もうロクに覚えてないけど、仕事の速度、コストパフォーマンスという言葉が出てきたのは覚えている。彼は、これを1日で仕上げてきたらしい。私は3日かかっている。だから、私の方が質がいいのは認めるけど、私の勝ちとは言い切れないって。
先輩は、彼と同じ大学だった。同じ部活か、同じゼミか忘れたけど、とにかく繋がりがあった。だからだと思った。彼のメンツを潰さないように配慮した。
先輩は、「彼」の顔を立てた。私がどれだけいい物を作ろうと、彼と同じ日数で完成させようと、彼がどれだけよくない物を作ろうと、『私が勝てない』という結果は決まっていた。
先輩は、私よりも彼の方が大事で、だから私をダシに使ったのだ。
彼は、小会議室から出てすぐ、ディナーに誘ってきた。「ご飯行こうよ」と言われた。「泣かんでもいいじゃん。俺が負けたんやし」とも。
行きたくなかった。彼は私を馬鹿にしている。そんな相手と食事はできない。
彼だけじゃない。私だって私を馬鹿にしている。私は頭がよくないし、子どもの頃から自分の意思を実行する力に欠けている。
甘えたい私に負けて、自分で自分に誤った道を導き続けてきた。だから、こんなに情けない今がある。周りにイジメられて弱くなったんじゃなくて、私が私と一緒に弱くなっていった。
これからも自由にはなれないだろう。私が、私自身と気が合わないからだ。私が、私自身を恥じて顔を赤くするからだ。
私が先輩に提出したリストは、ある一つだけのルールに従っていた。
転職できる可能性順だ。社内にある過去の転職データを基に全員をランク付けして、数か月以内に転職できそうな人はAランク、ほとんど可能性がなくて放置が望ましい人はCランク、それ以外はBランクにした。
クリアファイルの中の転職希望者は、その全員が20代後半までだった。
なのでこの場合、優先順位は、①学歴、②社会人経験(特に新卒で入った会社)、③希望する業界・職種・企業名になる。
①学歴というのは、社会人として死ぬまで一生ついて回るものだ。転職エージェントとして一人前になって何年も経つけど、いまだに実感する。
②も大事だ。どんなレベルの会社に籍を置いていたのか気にする企業は多い。その人が第二新卒だったらなおさらだ。有名な会社だと、欲しいスキルを身に付けているか予測しやすいこともある。
③は、そこまで重視しなかった。本人が望んだ会社でも成功しないことはあるし、逆に志望していない会社でも、受けてみたら案外よかったということもある。
詳しく書くわけにはいかないけど、いわゆる高望みだった。小売業界で働いていて、とある電子機器メーカーを志望していた。それも一流の。
結果は目に見えていた。その電子機器メーカーの干飯スキルと本人のそれがぜんぜんマッチしていない。いわゆる論外だった。
その人の書類を2、3分ほど読んで、Cランクの一番下のあたりに入れた。そうせざるを得なかった。切ない気持ちになった。
今こうして自分の想いを整理してみると、母校への恨み辛みの感情は確かにある。
『嘘』を吐かれたからだ。
講義とか、就職関係の行事などで、大学の先生や事務職員から、「うちの卒業生はすごい!」という話を聞かされたり、アピールされたりすることがあった。
とある文学部の先生が言うには、数十年前に国家公務員一種試験に合格して法務省に採用された人がいたらしい。後にも先にも、佛教大学を卒業してキャリア官僚になったのはその人だけということだ。根が真面目で、卒業に必要な単位をすべて取っても、まだ大学に通っていたらしい。
とある社会学部の先輩が言っていた。(当時から数えて)数年前に、伊藤忠商事に内定した人がいると。その人は、とにかく忙しい人で、講義にはあまり出席せずに水商売の仕事に明け暮れていたらしい。それでも単位を順調に取得して、教職課程最難関の講義ではチーム全員で百点満点を取って、大学の学園祭ではパヒュームのダンスを踊ってウケを取って、とにかく活動的な人だったらしい。
私が在学中、社会人の先輩を囲んで話を聞く懇談会があった。就職活動中だった私は当然参加した。その会場には、いろんな会社の人や大学院生やNPOの人が来てくれていた。基本的に先輩方をちやほやして、実りのある話を聞く会だったのだけど、中でも別格だったのが、とある学校の先生だった。
見た目は40代前半くらいだったけど、教育学部の先生方から熱烈な歓迎を受けていた。熱烈とかを超えて、もはや神扱いだった。懇談会が進む中で、その人が教師として実績を上げたことで、地元の教育委員会に赴任して、〇〇教育(※よく覚えていない。社会教育とか生涯教育だった気がする)の分野で課長職にあるとのことだった。
相応に高齢で、そのうえ高い地位にある大学の先生が、どうしてはるか年下の人を神扱いするのだろう。当時の私には不思議な光景だった。でも、とにかく、この会場にいる卒業生の人達がすごいことが伝わってきた。
すべて『嘘』であるとわかったのが就職活動の結果だった。学生が六千人もいれば、凄い人は必ずいる。ただそれだけのことだった。私は、私が才の足りない人間であることを理解できないだけだった。
大学について思うことがある。社会人になってそれなりの年月が経つけど、今いる会社の人に比べると、常識のない人、精神的に幼い人、人格がおかしい人が多かった。
①常識のない人
健康のために週3で通っていたトレーニングルームは、体育会の部活が支配していた。彼らは、50キロ以上ものバーベルを両手で上下させて1セットを終えると、上空からマットに投げ捨てていた。凄まじい音がするうえに、危険極まりない。その横では、ベンチプレスをしている後輩の体をイタズラで小突く先輩がいた。一応、社会人の利用者も同じ室内にいるのだが、誰も注意することはない。ほかにも危険な行為をしていた。
②精神的に幼い人
講義中によくある光景だった。隣にいる人が先生に当てられるのだけど、その人は答えない。ノートを見ると、ちゃんと取っているように思える。答えだって書いてある。でも、こういう人は答えない。わかっていても、わかっていなくても、だんまりを貫くのだ。いわゆる、「大学生になってはいけない人」だった。行動が大人のレベルに達していない。大学生は大人でないにしても、ひどすぎる。
私が在学中に、野球部の人が後輩に当たり屋を強要して逮捕された。その人は、上に書いたトレーニングルームで危険なことをしていたうちの一人だ。柔道部の部室からは、たまに悲鳴や怒号が響いていた。ある土曜日の昼に中を覗いたところ、中で女子部員がされていた。すぐそばには、先輩に殴られたと思しき男子部員が長椅子のそばで震えていた。
すぐに1階に走って行って、警備員の人に事情を説明した。彼らが2階に上がっていったところで、心臓が痛くなって、気分が悪くなって、吐き気がしてトイレに行った。事の顛末も知りたくなかった。トイレから出ると、まっすぐに家に帰った。
大学を卒業するまでの私は、一流とか、一流に準ずるとか、そういう組織に所属したことはなかった。
大学だけでなく、中学・高校もそうだ。当時、私が住んでいた地方都市では名門と呼ばれる高校に入ったものの、大人になってから、その名声がまやかしであると知った。
数年前のことだ。中高一貫校であったその学校が――中学卒業とともに別の高校に行く生徒を卒業式に参加させない慣行があったことがわかり、教育委員会から是正指導を受けていたことを知った。最近では、英語教師が、校内での英検本試験実施後に、問題をすべてコピーして持ち帰っていたことが新聞沙汰になった。
高校だけじゃない。中学もそうだ。都市部の端っこにある、いわゆる貧困地区で育った私が、校内暴力その他の犯罪行為に塗れた母校に誇りを持てないのは当然だった。年に一度は田舎に帰るけど、あの学校が今はどうなっているのか、見に行ったことは一度もない。
このあたりで最後にする。自分の想いばかり書いてしまって申し訳ない。
学歴コンプレックスに打ち勝ちたいと思っていた。自分が何者でもない感じを拭いたかった。
私は運がよかった。中堅大学から大手企業に入ることができた。誰もが一流であると認識するであろう組織の一員になれた。でも、拭えないんだ。ぜんぜん。
飲み会などで「大学どこ?」って聞かれる度に、嘘を答えたい気持ちに抗うことになる。実際に、嘘をついたこともある。
嘘をついたら、その時は楽になったけど、後で罪悪感が浮かんでくる。自分で自分を許せない気持ちになる。
どうして、あの時の私はもっと努力をしなかったのか? どうして、あの時の私は浪人を選ばなかったのか? どうして、あの時の私は第一志望の大学に行けなかったのか?
何が正しいのか。頭ではわかっているし、心でもわかっている。
シロクマ先生ほか、有名なブロガーの記事を読んでいて感じることがある。今の社会を生き抜くにあたって大切なのは、自分自身を愛せることだ。そのためには、ありとあらゆる活動に手を出して、得意な分野、自分にとっての「たましいの仕事」を見つけて、自分を作り続けていく。それを繰り返すうちに、自分を愛することができる自我が生まれる。
私にはできない。社会からどんなに認められても、自分を愛することができない。
今の私の転職エージェントとしての実績は、先ほど述べた「先輩」よりも上だ。数字でいえば、先輩の現役時代と比べて1.3倍以上の開きがある。営業所の若手の中では、私が一番多く給料をもらっている。部下も4人いる。みんな可愛い。私を慕ってくれる。最近、「彼」もできた。
満たされない。いつ、どんな時でも、高校時代の努力が足りなかった自分を許せない。おそらく、死ぬまで過去の自分を許せないんだと思う。
最近は、それでもいいかと思っている。思えば、この気持ちに向き合うことで私は成長してきたのかもしれない。
だったら、この、昔の自分が許せない気持ちに感謝すべきなのかもしれない。むしろ、持ち続けるべきなのかもしれない。
ここまで聞いてくれた人、ありがとう。
涙が止まらないんだ。
昔の私に、いつか伝えてみたいことがある。
「諦めないでくれてありがとう」って。
教員免許取得の定められた実習に介護等体験がある(教育実習だけじゃなくなった)。養護学校で2日、社会福祉施設で5日というもの。
私はこれで中学生の知的障害児が通う養護学校に行った。知的障害のある人と触れあうのは小学生の時以来で、上手く振る舞える自信など全くなかった。実際、養護学校の生徒たちと顔を合わせて怯まなかったかと言えば嘘になる。その時の気持ちを正直に言えば「怖い」だった。
どういう行動をするのか予想が出来ない。
どういう反応をされるのか予想が出来ない。
そういう人に対する純粋な恐怖。差別と言われても仕方ないが、これは生理的な恐怖であって22歳かそこらの小娘が易々と払拭出来るものではない。
しかし、養護ではないとはいえ仮にも教職を目指す者。「知らないから怖いんだ」「まず知ってみよう」と思い直し、なけなしのコミュ力を絞り出して実習中は極めて明るく振る舞ったと思う。おかげで2日目には生徒たちとも打ち解けることが出来た。
彼らの唐突な反応にびくびくすることもなくなってきた頃、一人の男の子が私にぴったりと寄り添って来てくれるようになった。私も嬉しくなり、手をつないで一緒に歌を歌った。その男の子は私の手を引き、にこにこしながら廊下の端の方まで連れて行った。結構な力持ちで、半ば引っ張られるような形だった。
そして彼は私に顔を近づけ、強引にキスをしようとしたのである。
ダメ!と言ってもにこにこしたまま口を寄せ続けた。聞こえていないかのようだった。当然、力は彼の方が強い。やられる…!と思った私は教職を目指す者としては最低の行為に及んだ。走って逃げたのだ。
その時の私、22歳で処女。ファーストキスもまだ。平均よりも恋愛に夢を持っていた方だろう。
怖かった。やっぱりどうしても怖いと感じてしまった。半泣きで走って(彼は笑いながら追いかけてきた)、養護学校の先生のいる部屋に「すみません!○○君が!」と駆け込んだ。助けてもらえると思っていたのだ。
「○○君、キス魔なんだよねー」にこにこ
この時の目の前が真っ暗になる感覚はまだ鮮明に覚えている。障害のある男の子より、先生の反応の方が怖いと思った。先生方は、キスぐらいさせてあげるのが普通だと思っているのか。ブスの実習生の貞操なんて福祉の前では守るものでも何でもないのか(今、考えればまさか先生方もいい年してファーストキスだとは思っていなかったとは思う…)。
結局、彼は逃げ続ける私に途中で飽きて、別の実習生について行くようになった。私はそれをハラハラしながら目で追った。ようやく実習が終わった頃には心身ともに疲れ果てていた。ひどく、恐ろしく、長い時間に感じた。
これは私が大学生の時、教職課程で必須の「介護等体験」で5日間障害者施設に行った時のこと。
初日に障害者の男の人の片手で腕を掴まれ、もう片方の手で殴られた。車椅子を押そうとした時のことだった。
障害者と言っても体型は私より一回り大きい男の人だし、私は力も体重もなくインドア貧弱な方だったので、どうすることもできず、私の助けを求める声でかけてきた施設の職員の人が来るまでどうしようもできず、殴られ続けるしかなかった。
ちなみに家に帰ってお風呂で自分の体をみて、その青痣にびっくりしたのを今でもよく覚えている。
ただ残念なことに、警察に相談することも、必修の実習を途中で止めることもできず(大学に言えばなんとかしてもらえたかもしれないが、留学の関係で特例の日程で組んでもらっていて遠慮してしまった)、職員さんの謝罪にただ職員さんは悪くないですよ、と言うしかなかった。
流石に私がその人のお世話をすることはそれ以降なかったが、私以外の人が殴られるのを4日間みてるのは辛かった。
その人はなぜかいつも人を殴ってしまうので、やめさせるには両腕を拘束するしかないが、そういうのは人権侵害だからできないらしい。移動、トイレ、食事、お風呂、着替え、ベッドにうつす、全ての作業で殴られる。正直腕と体をぐるぐる縄で巻いてしまえとすら思ってしまった。私でさえ青痣があんなにはっきりできてたのに、毎日のように殴られて、あの服の下にはどれだけの青痣があるんだろう。
この人以外にも利用者さんが職員さんに手を出したり、叫んだり悪態ついたり、食べ物吐き出したり払ったりする様子をみて、でも職員さんが一度でも大声出したり例えば「ふざけんなよ!!」とか言い返したり、手をあげたりしたら虐待になってしまうんたからこんな仕事やってられないよな。と思った。
きっと今日もあの人は誰かを殴り続け、誰かが傷つけられているんだろうな
また英語を落とした。
2年連続で落としてる。
教養科目も取れない。
ずっと落としてる。
超楽そうで興味もある分野の研究室が第一希望だけど、めちゃくちゃ人気だった。
第二希望は僅かだけど空きがあったからそこに変えようかと思っていたのに、今何も考えずに第一希望で出しちゃった。
あと3年前期の必修取れなかったのキツい。
この間まで落としたショックで打ちひしがれてたのに、もう再履の季節かよ。
早すぎ。
もう18単位ぐらい足りないらしいんだけど、何が取れそうなのかがわからない。
それなのに教職課程もやってる。
そっちも取れてないけど。
前期再履修あるくせして教育実習も行こうとしてる。
研究室入ったところで嫌われるやつじゃん。
教員免許取れる条件がイマイチよくわからないから、もしかしたら実習も行けないのかもしれない。
なんだよ。
自分はこの通りめちゃくちゃヤバいけど、付き合ってるやつは留年確定したらしい。
そっちと比較しちゃうと自分の方が楽じゃんって思われてると思うけど、いやギリ進級しちゃった(本当に?)方がキツくないか。
何喋っていいのかわからなくなった。
13人の客、その13人目は関係者だ。
「私は関係者」
「関係者……とは、このビデオ屋の関係者ってことでしょうか?」
「そうともいえる」
「ああ、そうだったんですか。ご用件は何なんでしょうか」
「全体的に」
“全体的に”って何だ?
俺は不審に思った。
「関係者って、一体どういう……」
「“何らか”というのは?」
「私の関わるもの全て」
そのくせ何に関係している人なのかが全く分からないし、何の目的でここに来たのかも不明だ。
「全て?」
「ありとあらゆる事柄に対し、時代や場所を問わず、その全てにおいて関係者であるということ」
幾度か尋ねてみたが、抽象的な回答ばかりしてくる。
“全てにおいて関係者”って、一体どういうことだ。
このままじゃ埒が明かないので、不躾だが証明書の提示を願い出た。
「身分を証明できるものはお持ちでしょうか? マイナンバーや、車の免許など……」
「そんなものはない。より正確に言えば必要がない。なぜなら私は関係者だからだ。関係者とは証明そのものであり、その者が発する言葉の担保そのものである」
いや、必要がないってことはないだろう。
俺はあんたが何の関係者で、実際にそうなのかも分かってないんだから証明にも担保にもなってない。
“関係者”という肩書きに対する、その絶対的な自信はどこからくるんだ。
どうやら、この客が言っている“関係者”っていう概念は、俺が知っているものと違うらしい。
「あの、もう少し噛み砕いて説明してくれませんか。せめて具体例を挙げるなどしていただかないと」
「ふむ……例えばだが、私が教職に就く身であり、学校について何らかの言及をするとしよう。この場合、重要なのは私が教職に就いているかどうかではない」
「え?」
「重要なのは、学校について言及した、その内容なのだ。その内容に耳を傾けても大した支障がないのであれば、それは実質的に私が関係者であることを認めているのと同義ではないか」
何を言ってるんだ、こいつは。
「そんなことしても、専門的だったり現場の話とかでボロが出るでしょう」
「分からなければネットで調べたり、様々な新書を読めば取り繕える。多少のことは個人の感想なんだから誤差の範疇だ」
それってつまり“実際は大して関係ない立場で、事態を把握しているわけでもないのに首を突っ込んで、ただそれっぽいことを言っているだけの人”ってことなのでは?
それを関係者と言ってしまっていいのなら、この世の人間はほとんど関係者だぞ。
そう思い至ったところで、俺の中で何か“違和感”が込み上がってくるのを感じた。