はてなキーワード: 教職とは
13人の客、その13人目は関係者だ。
「私は関係者」
「関係者……とは、このビデオ屋の関係者ってことでしょうか?」
「そうともいえる」
「ああ、そうだったんですか。ご用件は何なんでしょうか」
「全体的に」
“全体的に”って何だ?
俺は不審に思った。
「関係者って、一体どういう……」
「“何らか”というのは?」
「私の関わるもの全て」
そのくせ何に関係している人なのかが全く分からないし、何の目的でここに来たのかも不明だ。
「全て?」
「ありとあらゆる事柄に対し、時代や場所を問わず、その全てにおいて関係者であるということ」
幾度か尋ねてみたが、抽象的な回答ばかりしてくる。
“全てにおいて関係者”って、一体どういうことだ。
このままじゃ埒が明かないので、不躾だが証明書の提示を願い出た。
「身分を証明できるものはお持ちでしょうか? マイナンバーや、車の免許など……」
「そんなものはない。より正確に言えば必要がない。なぜなら私は関係者だからだ。関係者とは証明そのものであり、その者が発する言葉の担保そのものである」
いや、必要がないってことはないだろう。
俺はあんたが何の関係者で、実際にそうなのかも分かってないんだから証明にも担保にもなってない。
“関係者”という肩書きに対する、その絶対的な自信はどこからくるんだ。
どうやら、この客が言っている“関係者”っていう概念は、俺が知っているものと違うらしい。
「あの、もう少し噛み砕いて説明してくれませんか。せめて具体例を挙げるなどしていただかないと」
「ふむ……例えばだが、私が教職に就く身であり、学校について何らかの言及をするとしよう。この場合、重要なのは私が教職に就いているかどうかではない」
「え?」
「重要なのは、学校について言及した、その内容なのだ。その内容に耳を傾けても大した支障がないのであれば、それは実質的に私が関係者であることを認めているのと同義ではないか」
何を言ってるんだ、こいつは。
「そんなことしても、専門的だったり現場の話とかでボロが出るでしょう」
「分からなければネットで調べたり、様々な新書を読めば取り繕える。多少のことは個人の感想なんだから誤差の範疇だ」
それってつまり“実際は大して関係ない立場で、事態を把握しているわけでもないのに首を突っ込んで、ただそれっぽいことを言っているだけの人”ってことなのでは?
それを関係者と言ってしまっていいのなら、この世の人間はほとんど関係者だぞ。
そう思い至ったところで、俺の中で何か“違和感”が込み上がってくるのを感じた。
「社会学者」という肩書ではもうTwitterで発言しない。それだけでネットの社会学叩きは止まる。SNSで遊ぶのはお終いにして、仮説・調査・検証のサイクルを回すお仕事に戻ろう。
https://anond.hatelabo.jp/20210131185208
SNSで妄想大系の「宇宙論」を語っている物理学者が多数観測されて、彼らが海外の一流大学で学位を得て、国内の名門大学で教職に就いて、同業者から「アイツはトンデモだから」という批判も出ない、
という状況になったら「物理学徒は頭おかしい。こんな学問税金の無駄」と素人の市民は思うようになるでしょう?
いや社会学はあまりに対象が広く使ってるフレームワークも分野ごとに違い過ぎるから、同業者でも他分野の人の「正しさ」を検証するのは難しくおいそれと口出しできない、という状況なんだろうなと同情してるけど。
https://togetter.com/li/1660066
このTwitterの社会学叩きが酷すぎて鬱になりそうな院生さんも「自分はあの人達とは違うんです」と思うなら、Twitter止めて真面目に学位論文に取り組めばいいんじゃないですかね…
著者についてあまり知らなかったから調べてみたら(頻繁にエゴサしてるらしいから名前は書かないけど)
まぁ右から左まで全方位に叩かれてて草だったわ。これとか
https://togetter.com/li/1187992
もう何年も前から、データのチェリーピッキング、データの意図的な読み替えの常習犯らしいな。
今回の記事と同じ手口だ。
自分も数字を再現できなかったが、ほかにも再現できなかったケースが多々あるようだ。
もう真面に議論・分析できる人はほとんど相手にしておらず、「死んだほうがいい」とまで言われるレベル。
真に受けてるのは「日本は強姦がひどい、女性差別的」って内容を拡散するフェミニストだけ。
社会学者を名乗ってはいるが教職にはもう何年もありつけてなくて(そりゃそうだ)、より先鋭化して煽り記事を書くことに専念してる、ってとこか。
常識だと思ってたけど知らない人いるのか。
自分に都合のいい結論を見たときは、一回冷静になって、ちゃんと論理展開がなされているかチェックするべき。
ってよくわかんだね。
大学に入って、教師になるために子供と関わろうと思って塾でバイトを始めた。私が入った塾は、初めは個別担当で、半年から一年経ったら集団も持つという方針だった。
宿題やってきた?この問題といてみて、すべてのわたしの発言に全く反応せず、80分間ずっと座っていてどうしようもなかった。休憩中同じ学校の友達とははなしてたので喋れないというわけではなかったんだろうけど…
親友と席替えで離れてしまった腹いせに、担任の授業のことは意図して授業崩壊を起こしていることを楽しそうに毎回話してた。離れた親友と大声で話しているらしい。やんわりと注意すると、「なにが悪いの?席をはなしたあいつ(担任呼び捨て)が悪いんじゃん」と言い放つ。
英語だと英単語、国語は漢字の宿題があり、毎回授業始めに覚えているかテストがある。それにめっちゃキレられた。モンペいわく、単語は塾で覚えさせてこいだそうだ。80分の授業にそこそこのお金払ってるけど全部単語覚えるために消費してええんか?この時は初めてすごく怒鳴られて心が折れた。
(基本電話対応、保護者対応は社員がやって学生はやらないのだが、この日は生徒の授業に合わせて乗り込んできたのでどうしようもなかった)
勉強の仕方はいろいろある。私にも私なりのやり方があるし、生徒にもあって然るべきだ。ただ、自分のやり方を確立できてるのなんて、都立上位校を狙う生徒くらいで、そういう子に限って自分のやり方に拘らず貪欲に私にやり方を聞いて実践してきたりする。親御さんたちも穏やかで、連絡票も普通だった。
問題なのは勉強ができない子とその親。できないくせに文句だけはすごい。偏差値が上がらないことをすごく言ってくる。多分、親も勉強は反復練習ということを知らない。習った日はできるのは当たり前で、それをどれだけ持続させ定着させられるかはが重要なのだが、できない子の親は週に一回80分通うだけでできると思ってる。単元を定着させるまで扱えば他の単元が進まないし、基本定着という作業は自己作業なの理解してほしかった。
一対一の個別授業なのに、授業始まって5分で突っ伏して寝る。毎週。起こしても起きない。じゃあ10分だけ寝て後は集中しようと言っても起きない。
どうすればよかったんだ。
I am play tennis. みたいな。
これに関してはわたしの実力不足もあるが、「正解の文を書けなくてもいいから、be動詞と一般動詞を同じ文に入れるのだけはやめよう」ということを一年経っても定着させてあげることができなかった。
5分が限界だった。
勉強の面白さを教師と生徒で共有でき、生徒に授業崩壊やいじめを起こさないモラルがあり、学生として過ごしてた間モンペの噂は聞かない環境で6年を過ごしてきたわたしは、教師というものを誤解していた。
もちろん、お金を払って授業を受けている子に対し、教育をしていくのは私の仕事だった。でも、無理なものは無理だったのだ。
例えば、授業中全く反応しない生徒にはどうすればよかっただろうか?怒る?親に相談する?反応がなくても教え続ける?心に傷があるのかもと推測して反応がなくてもなにか話しかけ続ける?1週間80分の関係でなにができたのだろう。
この子がクラス40人の中にいたら、1週間に80分もその子に時間をとることはできないだろう。そしてそれが問題になった時に教師は責められる。
元担任の先生に教師を目指すのをやめたことを告白したとき、あなたたちの担任をしてた時は楽しかったけど、若い時はいじめ問題や学級崩壊に悩んで髪の毛がすごく抜けて休職したことがあると聞いた。あんなにパワフルで素敵な先生ですらこんなになるなんて絶対わたしには向いていない職業だったのだ。
教職の授業で、学校のテーマパーク化みたいな文章を読んだことがある。内容はそのまま、学校はテーマパークと化し、親たちは何でもかんでも要求するというものだった。
途中で気づいて諦めてよかった。
もう増田ご本人は見ていらっしゃらないかもしれないが、私なりに寄り添って、こんな風に考えてみたらいいんじゃないか、と思ったことを書く。読みにくくてすまん。
トラバとブクマを見たが、9割5分はまともに文章を読んでなくて、結局KKOの書いた文章はエンタメとして消費されるんだなとわかった。
ここにあなたのつまずきがあると思う。
人の話や文章をちゃんと理解する(そしてそれに見合った返答をする)、というのは、実はとても難しくて、たぶん世の中の半分以上の人間にはできない。
増田はたまたまそれが何の苦もなくできる。そしてできる人には、あまりにも自然にできてしまうせいで、できない人がいるということが理解できない。〈誰だって頑張れば理解できるはず〉だから、〈理解しないのはやる気がないからだ〉と思ってしまう。そして〈なぜやる気を出さないのだろう、なぜ俺の話をちゃんと聞いてくれないのだろう〉→〈俺が「キモくて金のないおっさん」だから、見下されていて、消費対象のエンタメだと思われているんだ〉、と思っている。
まったくの勘違いだ。彼らはやる気がなくて読んでいないのではなくて、やる気を出しても読めないのだ。
仮にあなたが「若くてきれいな女性」だとしても、相手があなたの話をちゃんと理解し適切な応答をしてくれるようになるわけではない。無意味にあなたをちやほやと取りかこみ、「わかるー、ほんとむかつくよね!(←全くわかってない)」とか「大変だったね笑そういうときはこうするといいよ笑」とかいうトンチンカンな応答をするやつが増えるだけだ。
ちょっと世間を見ていればわかると思うが、「相談なんてしていない」のに「少し深い話になるとやたらとこちらの言うことを否定してくる」おじさんやおばさんに、若い女性も毎日遭遇している。〈相談されたから解決策を考えてやったら「共感してほしかっただけなのに」とかいわれた、これだから女はw〉みたいな話も日常的にエンタメとして消費されている。つまり増田はほぼ若くてきれいな女性そのものだよ! やったね!
自転車に乗るみたいなものだ。増田は自分が自転車に乗れて、乗れない人がいるなんて想像もできないから、自転車を運転できない人を見て〈まともに乗れよ〉と怒っている。これがどのくらい無意味な行いかはわかるだろう。
あなたは〈みゆさんみたいな人は貴族で、自分は貧民なんだと思っていた〉というが、この表現は劣等コンプレックスを刺激して冷静な対処の邪魔になるので、ちょっと視点をずらして逆に考えたらどうだろう。つまり、少数派にしか許されない特殊なマナーが身に染み付いているあなたが「貴族」で、みゆさんや我々トラバ・ブクマカのほうが庶民なのだ。
だからといって、〈よしじゃあ庶民を馬鹿にしていればいいんだな〉という話でもない。「貴族」といっても別に権力があるわけではないから、正面から殴りにいったらむしろ数の力ですぐに負ける(日本学術会議はこのへんを勘違いしている)。そして道徳的にも、貴族のマナーが無条件で優れているわけではない。「武士の商法」という言葉があるけれど、自分のマナーが正しいことを疑わず、従わないほうが悪いとばかりに庶民のあいだでもそれを押し通すのは、滑稽な所業だ。
さてでは、貴族のあなたが心穏やかに過ごせるようになるには、どんな方向があるだろうか。パッと思いつくのは次の三つだ。
1庶民を丁寧に教育し、マナーを社会的に浸透させる(啓蒙家コース)
2庶民社会のルールに順応し、そのなかで栄達を図る(資本家コース)
3おつきあいはできるだけ貴族同士に限定し、無作法な人には近づかない(社交界コース)
おすすめは3だ。別にそこまで極端に交流を狭める必要もないと思う。普通に生きていると案外、貴族は貴族同士、庶民は庶民同士で集まる。「普段縁のない層」に絡みにいくから摩擦が増える。みゆさんじゃなくて、「別の人に相談した」というその別の人に話を聞いてもらったほうがいいんじゃないか。庶民の恐ろしさを知った今なら貴族の貴重さも身にしみて相手を大事にし、一層深い関係を築けるかもしれない。
自分の信じるマナーが社会全体に受け入れられるという1のゴールはとても素敵で選びたくなるだろうけど、過程がマジで大変だ。もしこれができるようなら明らかに教職が天職なので、さっさとその方面に再就職すべきである。少なくとも、人々が〈やる気がない〉のではなく〈自転車に乗れない〉のだと気づいていなかった増田には難しそうだ。
以下はここまで以上に説明が難しい部分で、フィーリングに頼って話を進める。読んでも非論理的なでたらめにしか思えないかもしれないので、適当に流してもらっていい(「論理」と「合理」が曖昧に使われているのもその一環と許してほしい)。
ここまで「まともに」つまり合理的に読んだり話したりすることの難しさについて述べてきた。けれども人間が非論理的なのは必ずしも悪いことではない。生き物が不合理なエゴを抱えるのは当然で、合理的論理的に考えたら生きる意味はなくなってしまう。その意味で、〈正面から反論せず「それが普通だ」と不合理に押しつける〉のは、人間なら避けられないことといってよい。貴族仲間というのは、不合理な領域が自分と一致しているので苛々しない相手に過ぎない、ともいえる。
問題はむしろ、論理的な人間が往々にして、自分の中の不合理な部分まで論理的だと思い込み押しつけてしまうことだ。2(資本家コース)は不合理な政治的手法に順応するということなのだけど、とくに庶民に対する劣等コンプレックス(軽蔑もしばしば劣等感の反転である)が強い場合、〈実際には不合理なルールを利用しているのに、次第に自分は論理の力でみなを啓蒙しているかのように思いこむ〉機制が働きやすい。インターネットを見れば、中途半端に論理的だったために自分の正しさに凝り固まったイデオローグと化し、敵を感情論と指弾することの不合理な喜びに支配されている右翼や左翼やフェミニストや表現の自由戦士の実例には事欠かない。
このルートに入ると論争のイライラ感に依存するようになって、マジで「世間話をする」みたいなささやかな幸福に支えられて生きていく邪魔になる。なので、自分のなかの不合理な部分は不合理と認めて、適当に愛撫しながら生きたほうがよい。
https://anond.hatelabo.jp/20201024152554
上記の反応エントリがあったので追記で答えます。書いたのが増田なのか別の人なのかわからないのがちょっとやりにくいけど。
あとあらかじめ注意。「多少突っ込んだコメントになると」「あなたたち」等と言われているから、もしかしたらこのエントリ以外にもいくつか念頭に置いているコメントがあるのかもしれない。でも私は私自身の意見の説明しかできません。そこはご容赦を。
ごめん、前提が共有できていなかったみたいだ。ちゃんと読んでもらえば分かると思うけど、前者を擁護しているわけではない(余談部分までいくとまたちょっと別だが)し、読み手についても、ましてや増田について「悪い」とは言っていないよ。
当為(「べき」)と事実(「である」)の区別、って聞いたことないだろうか。私は事実認識「文を読めない人が多い」を確認しただけだ。当為については述べていない。
うん、だからそれは当為認識〈あれこれ論じることができなくてはならない〉なんだよね。で、〈あれこれ論じることができる人は少ない、あれこれ論じるのは非常に困難である〉、これは事実認識。当為によって事実は変わらない。
ここで重要なのは、当為の実現を諦めろっていってるわけじゃないってこと。むしろ当為を将来的に実現するためにこそ、偏りない眼で現状を、そして現実がどういう法則で動いているのかを、正確に認識することが必要だ、という話。
たとえば〈この水は氷になるべきである〉という当為認識があるとしよう。ここで、水を前にただ「氷になるべきなんだからならなきゃおかしい」「なっていないのは誰かが悪いに違いない」とか考えててもしょうがない。そもそも水は氷になるのか、なるとしたらどんな条件下で氷にすることが可能なのか、当為とは無関係に物理法則がどういうルール「である」かを知らなければならない。最終的に、〈この水はこれこれの限られた条件下でのみ氷になる〉という事実認識が把握される。この事実認識を踏まえてはじめて、私たちは技術を用いてその条件を実現し、水を氷にすることができる。
たとえば「沖縄の基地負担は減らすべきである」という当為認識だけがあって、基地とそれを巡る政治的力学についての事実認識がなかったために、ひどい混乱が起こった例はご存知でしょう。
「でもお前の提案した3(社交界コース)は当為を諦めてるじゃないか!」といわれるかもしれない。それは、もともと増田が設定している当為=ゴールが〈万人が言語交流できるだけの知性をもつべきである〉ではなくて、〈増田は幸せになるべきである〉だと判断していたからだ。後者の当為はちゃんと追求している。
前者も当為から外せない場合、1(啓蒙家コース)にあたる。「1は難しい」とは言ったけどそれも事実認識を述べただけで、「1は選ぶべきではない、3を選ぶべき、3を選べなかったのは悪い奴」とは言っていない。なので、1をとりたいならどうぞ。
たぶんあなたは、悲しいことが起こるのはどちらかが「間違ってる」「悪い」からだ、と考えてしまっているんだと思う。そして、「責任のある」「悪い」方が変わる「べきだ」、と思ったんだと思う。だから、私が主に相手を変えない手法を提案しているのを見ただけで、「増田が悪いんだと結論づけ」ていると誤読してしまったのではないか。でも、これは単に、〈相手を変えるよりも自分の選択を変える方がはるかに労が少ない〉という理由から提案したものにすぎない。
と言わざるを得ない。
実は「自転車に乗れない」と書いたところ、最初は「因数分解ができない」という例も考えていたんだよね。学校で授業を受けても因数分解ができない人、文章がまともに読めない人、あるいは一度できたはずなのにしばらくしたら忘れちゃう人、たくさんいるでしょ。恥ずかしながら私も、理科や家庭科で習ったこと、すっかり忘れちゃったなぁ。当為と事実の区別も学校で習うような気がしてたけど、これは私の記憶違いかな。
もちろん私の事実認識自体に反論することはありうる(「事実認識」であって「事実」とまではいっていない)。それならそれでいいです。
それは多分誰も反対しないと思うw
また長く雑ですまん。
親の前と教師の前で子供が違った振る舞いをすることもあるしそこに期待しているのでは。
「こりゃだめだ」とおもったらすぐ(担任の判断だけで、校長とか教育委員会までまわす手間もなく)変更してくれる用意があるのかどうかだけ
「もしうちの子が立ち歩きや授業とあきらかに違うことなどしてるのをみたら
そのほうがうちの子のためになるとおもってるんで。
同級生からいじめられたり悲惨なことになる前の時点で別の場所で学習させたいんです」と
事情をはなしておくといいのでは。
意外と「うちの子の見た限りですけど、○○ちゃん全然ふつうに授業受けれてるみたいですよぉ、ノートもとってたって」とフィードバックくるかもだし。
あと男親(夫がダメならじいちゃんとか)、過去に教職・医療職についてた知り合いとかいれば引っ張り出して口添えしてもらうのも効くとおもう。
鬼滅は台詞回しが独特、というのは旧タイトルの読み切り時代から編集側にも言及されていた。
ただその独特さは、なんてことない場面の台詞の稚拙さ杜撰さ、そして一方で正論独白などの見せ場の台詞の力強さ語気の強さ、で表す事ができるように思う。
作者は連載経験が本作以前にないので、場面構成における場つなぎの台詞回しが慣れていないのはわかるが、主に炭治郎の言動に顕著である正論や主張などを語る際の語気はそれらと比較すると苛烈に過ぎ、浮き上がって見え、作者にとってよく聞かされていた言葉や、耳慣れた語調であるかのようにも感じられる。
こういう物言いをする層で真っ先に思い浮かんだのは教職であったが、少し言葉が強すぎるようにも感じた。
どちらかというと仏教あたりの厳しい坊主が身内にかける言葉の語調に近く感じられた。
福岡あたりの出身で、女性漫画家で、30そこそこで家の事情で引退との事だが、
総合して考えると、寺の長女で婿取って寺継いで後継ぎ生むんで引退するのではなかろうかと思う。
妹はいないか、仮にいても跡を継げない立場なのではないかと思う。
アホか、みんなマスクしてフィルム越しにしゃべるんだからわかんねえよ!!
だけだと寂しいから一応いっとくと経験上はやっぱ外見は玉石混交ですね
・汁絵がうまくてめっちゃ売れててそのお金の一部?をファッションや旅行でタイムラインに還元する痩せてて20代くらい若くて色白きれい(ただしなぜか異常なくらいピアス穴あけてる。爪も当然ジェルネイル)人たちもいる。まさに壁。
(常識があればSNSに公開してはいけないプライベートをなんとも思わず「取材がてらヤってみた」と写真公開して「こんな人がいるとジャンル全体の風紀が~」でツイ凍結の憂き目にあった人もけつの穴まで文句つけようのない美人だった。VIO脱毛済みやね。見た目最大限に活かせる人生なんやな)(絵も本人もきれいなら神だけどその神が善神か悪神かは一般人からは計り知れん)
・普通に美人な30代くらいの奥様(腕に自信の奥様、一度はフルカラー料理再現本を出される。料理上手なのはわかったよ・・)たんせき。玉○さんを見習って製麺に邁進したほうがいいよもう・・
・のちにプロで本の売上がその年のトップ5に入ったBL作家さんのデビュー前のころ、どうみてもお眉が??なのと本当に雰囲気が怖いくらい真面目?で、
めちゃくちゃスケブたのみたかったのにどう~しても話しかけづらくてあきらめた人もいる。その後お祭りにはいらっしゃらない。
・デビュー済みプロ(女性向けソシャゲに1回は声をかけられるイラストレーターさん)でこざっぱりときれいでおしゃれで好きになってよかったなーっていう感じの人もいる。
・長年プロと二足のわらじして、年配のわりに髪の色とか近所にいたら目立つくらいの派手な見かけだが物腰はかわいげありつつ落ち着いてる家刀自風のお人もいる。壁からたんせきなう。
(五分刈りショートでド金髪。手堅い職をおもちでいらっしゃる。女性専門職兼任)
残りは普通に小太りのおばさん(ファッションセンスはさまざま)とおもえば平均値です。
普段は看護師さんだったりママだったり教師だったり保育士だったり教職だったり専門職だったり学生だったりするふつう~のそこらへんにいる女性をかき集めた感じ。バス停にいるような普通の人。
・田舎からの一般参加者が夏冬いくときは登山の一種とおもってでかける場合がある。ヤッケと寝袋、首にはタオルだ。
・つけまつげ取れてる/マスカラ流れてる/口紅とれてるんだけど直接みんなのまえで言いづらい。山だからしょうがない。
・産みたて3ヶ月の赤ん坊担いで来るのはやめてほしい・・山なのよ
・よしんば半年前からちゃんと予約して宿が取れていてたとしても、暑くても寒くてもマリーアントワネットのサロンのように優雅に振る舞えるのは若いかそういう過酷なお仕事で鍛えていらっしゃるかただけです
車で足をあまやかして暮らしている田舎者は正午になれば子鹿のように足腰がガクガクするのだからシンデレラを気取らず最初からスニーカーを履くか通販がよろしい
ペットの見た目を選ぶことは出来ても、病気・障がいにならない個体を確実に選ぶ、普通の範疇から外れていない気性の個体を確実に選ぶ、
そんなこと出来やしませんよ。生き物なんで
もっとも、病気になったり・障がいを負ったり・好みじゃないあるいは手に余る気性だった場合は
人間においても同じこと。たとえば、四肢に欠損があろうが普通の人よりも稼ぐ人もいる
ダウンや知的障がい者でも大学を卒業・あるいは好き分野を学ぶし、その後も教職のサポートについたり、なんらかの仕事に就く
それはすべて親次第だ
■ NDSS
Today, there are approximately 250 two and four-year colleges and universities that include students with intellectual disabilities in educational, independent living and vocational/career programs.
https://www.ndss.org/advocate/ndss-legislative-agenda/education/postsecondary-education/
障がい者を持つ自分自身の子どもと、同じような子どもたちのために私財を投げ打って遊園地を運営する夫婦もいる
本来はそういうレベルじゃなきゃ子なんて作るべきじゃないんだよなぁ
[BBC] 娘のために遊園地を建てた米男性 総工費56億円
https://www.google.co.jp/amp/s/www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-40823738.amp
家族旅行に出かけたハートマンさんたちがプールを使っていた時のことだ。ハートマンさんがプールから上がって間もなく、当時12歳だったモーガンさんがプールで遊ぶ子供たちと仲良くなろうと近づいた。だが、子供たちはすぐ水から上がってしまった。
子供たちは障害のある人とどう接したらよいか分からず、尻込みしたのだろうとハートマンさんは考えている。モーガンさんの認知理解力は5歳程度で自閉症の症状もある。
「モーガンはともかくすごく素晴らしい女の子です。いつも微笑んでくれるし、いつもハグしようとしてくれる。けれども、彼女を色々と連れていけないことが多すぎた」
ハートマンさんと妻のマギーさんはモーガンさんをどこに連れて行かれるか、ほかの親たちにも聞いてみた。モーガンさんにとって居心地良くて、周りの人も気まずい思いをせずにモーガンと触れ合える場所はないのか。
「そんな風に受け入れてくれる場所などないと、気が付いたんです」とハートマンは話す。
そこでハートマンさんは2007年、自分で遊園地を造ることにした。もともと不動産開発業のハートマンさんは、2005年に所有していた複数の住宅建設会社を売り、障害者支援の非営利団体「ゴードン・ハートマン家族財団」を設立していた。ハートマンさんは「世界初のものすごく寛容なテーマパーク」の建設に着手した。
「すべての人が何でもできる場所、障害があろうがなかろうが遊べるテーマパークが欲しかったんです」とハートマンさんは話す。
ハートマンさんは医師やセラピスト、保護者、障害のある人にもない人にも声をかけ、どんな遊戯施設が良いか相談にのってもらった。その結果、テキサス州サンアントニオの採石場跡に25エーカーの広さを持つテーマパークが誕生した。
はてなーはこんな釣り気味の記事に引っかかってないでちゃんとソースをチェックしような。
はてなブックマーク - 「わいせつ教員の免許再取得を5年に延長」案に異論…文科省は一体何を守ろうとしているのか(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース
この記事によると、教員による児童生徒への性暴力が深刻化している事態を受けて文科省が、わいせつ行為で教員免許を失っても3年経てば再取得可能な教免法を改正し、制限期間を5年に延長する”規制強化案”を検討しているという。
はい、ずいぶんと持って回った書き方ですね。どういうことかっていうと、教免法には「わいせつ行為」の規定なんてないんですよ、元から。
第十条 免許状を有する者が、次の各号のいずれかに該当する場合には、その免許状はその効力を失う。
三 公立学校の教員(地方公務員法(昭和二十五年法律第二百六十一号)第二十九条の二第一項各号に掲げる者に該当する者を除く。)であつて同法第二十八条第一項第一号又は第三号に該当するとして分限免職の処分を受けたとき。
2 前項の規定により免許状が失効した者は、速やかに、その免許状を免許管理者に返納しなければならない。
第十一条 国立学校、公立学校(公立大学法人が設置するものに限る。次項第一号において同じ。)又は私立学校の教員が、前条第一項第二号に規定する者の場合における懲戒免職の事由に相当する事由により解雇されたと認められるときは、免許管理者は、その免許状を取り上げなければならない。
2 免許状を有する者が、次の各号のいずれかに該当する場合には、免許管理者は、その免許状を取り上げなければならない。
一 国立学校、公立学校又は私立学校の教員(地方公務員法第二十九条の二第一項各号に掲げる者に相当する者を含む。)であつて、前条第一項第三号に規定する者の場合における同法第二十八条第一項第一号又は第三号に掲げる分限免職の事由に相当する事由により解雇されたと認められるとき。
二 地方公務員法第二十九条の二第一項各号に掲げる者に該当する公立学校の教員であつて、前条第一項第三号に規定する者の場合における同法第二十八条第一項第一号又は第三号に掲げる分限免職の事由に相当する事由により免職の処分を受けたと認められるとき。
3 免許状を有する者(教育職員以外の者に限る。)が、法令の規定に故意に違反し、又は教育職員たるにふさわしくない非行があつて、その情状が重いと認められるときは、免許管理者は、その免許状を取り上げることができる。
4 前三項の規定により免許状取上げの処分を行つたときは、免許管理者は、その旨を直ちにその者に通知しなければならない。この場合において、当該免許状は、その通知を受けた日に効力を失うものとする。
わかる? 具体的に「子供へのわいせつ行為」を罰する規定なんてどこにもないの。
抽象的に「教員がとんでもない不祥事をしたとき」には免許を取り上げることができ、その「教員のとんでもない不祥事」には飲酒運転とか万引とか部活で児童を殴って負傷させたとか学外で痴漢したとかと並んで学内で児童に性暴力を振るったというのが含まれますよ、という話。
子供に乱暴したのに5年で済むのか! と言って再取得可能な年限を引き上げたら、別に子供を傷つけたわけではない飲酒運転教師や万引教師とかにも差し支えが出ることになるけど。
飲酒運転や万引の場合でも永遠に免許取れないようにしろ、とはまさか言わんよね? 再犯率とか被害者の安全とか関係ないもんね。
ちなみに、これって小学校とかだけの話じゃないからね。高校教員も含まれる法だから。
つまり、既婚者の教員が17歳の高校生と合意の上で性行為を行い、結果として懲戒免職処分を受けて失効した場合もこの規定が適用される。
これを、10歳の子供をトイレに連れ込んでわいせつ行為をはたらいた場合と同じように永遠に免許を再取得できないようにしろ、というのは不合理極まりないでしょ。
やるべきことは、今の大雑把な免許失効規定の見直しなんじゃない? 職務を利用して子供に対して性的暴行を行った場合、みたいな条文を新設して、そこだけ再取得を不可能にするか再取得までの年限を長くするみたいな解決策はありえると思う。
逆にそこを切り分けられないやつが議論している限りは現行の3年を堅持すべきって主張するね。万引やら不倫やらの社会復帰に3年というのは妥当な期間だと思うもの。チャイルドマレスターのとばっちりでそんなホイホイ引き上げられてたまるかよ。
教員以外にも仕事はあるんだから、理由はなんであれ免許取り上げられた人は学校戻ってこなくていいよ。性犯罪だろうと万引きだろうと。
いや最終的に不祥事の大小関係なしに一律汚れた教員は永遠に追放したいってのが世の要求では……? なんやかんや最終的にみんなが目指してるのそれでしょ。
「不祥事の大小はどうあれ教職に復帰させるな」というなら最初からそう言うべきで、「わいせつ行為の再犯率が高い」とか「小児性愛者を子供と接触させるな」とかそんな理屈は微塵も関係ないやんけ。
ここで問題にしてるのは、まるでわいせつ行為をピンポイントで罰する規定があるかのごときミスリーディングな書き方と、それにホイホイ釣られるはてな民であって、つまり教免法でどんな規定がなされているか理解せずに論を立てていることなわけ。
「5年は短すぎる」って言ってた人たち、どう考えても元々の規定が性犯罪以外も含むものであるって把握してないでしょ。そこが問題なんだよ。「性犯罪を起こして免許が失効した場合の再取得までの期間が5年と規定されている」と「不祥事を起こして免許が失効した場合の再取得までの期間が5年と規定されていて、そこには性犯罪者も含まれる」はまるっきり別の話でしょ。実際は後者なのに前者と勘違いして叩いていた人たちは恥を知るべきって話。
量刑と言われても、犯罪じゃない行為でも懲戒免職の対象になるんだけどそういう場合はどうすればいいの? 失効の翌日から再取得を認めるべき?
たとえば、「児童の母親と何度もセックスしていた校長」が懲戒免職処分になってるけど、当たり前だけど大人同士が双方合意してセックスする行為自体はなんら刑事罰の対象にはならないからね。
教員の不祥事といっても、そこには犯罪であるものと犯罪ではないが教員の品位を損なうものが混在していて、現行の教免法はそれをまとめて処分する規定になっているわけ。「犯罪とそれ以外は分けろ」というならわかるけど、ひとまとめに「量刑と連動させろ」と言われても「無理です」としか言えない。
スマートでエレガントな解決策を提案してくださるのは実にけっこうなんだが、頼むから現在どんな条文になっているか把握した上で語ってくれ……
??? 「万引やら不倫」も含む条文になるかは、立法のテクニカルな話で、そこは現時点では関係ないよね。よっぽど切り離せない理由があるか(ある?)、馬鹿が条文を書かない限り、そんなことにならないじゃん。
だからさ、元のFNNの記事ではどういう改正案が検討されているかわからないじゃん。「わいせつ行為で教員免許を失っても3年経てば再取得可能な教免法を改正し、制限期間を5年に延長する”規制強化案”を検討している」っていう文章それ自体がミスリーディングなんだから。これ、どういう意味の文章だと思う?
「わいせつ行為で教員免許を失っても3年経てば再取得可能な」という部分は、FNNがくっつけた形容詞なの? それとも文科省が本当にそこをピンポイントで問題にしているの?
文科省のねらいは、「教免法を改正して免許再取得の制限期間を(現行の失効規定を維持したままで)5年に延ばそうとしている」ということ? それとも、「教免法を改正してわいせつ行為で教員免許を失った場合は制限期間を5年に延ばそうとしている」ということ?
「そもそも児童へのわいせつ行為を処分するための独立した規定が存在しない」状況で、「わいせつ行為で教員免許を失っても3年経てば再取得可能な教免法」なんて書くのは、間違いではないけどどう考えても誤解を招く書き方でしょ。これは誤解を誘発することを狙って(つまり単純な制限期間の延長問題を性犯罪の問題とすり替えて読者に理解させようとして)やってるの? それとも言葉足らずでこういう表現になっちゃっただけで本当に文科省はわいせつ行為に的を絞って5年に延長しようとしているの? そこがわからなければ是非を論じる以前の問題じゃん……
条文がないので推測でしかないですが、免職事由によって処置を分けるような立法が困難な理由があるのかもしれませんね。例えば学校側による恣意的運用がなされた場合の検知が困難とか
逆でしょ。事前に細かく「こういう場合はこういう処分」と決めてたら、「どう考えても大問題なんだけど規則に書いてないから処分できない」という事例が発生し得る。それを防ぐために、つまりある程度恣意的に免許を失効させられるようにするために処分を分けてないんだと思うよ。
……何書いてんだこいつ?
読んで真っ先に思った感想だ。
特殊性癖に知識が少ない人にそういった考えを刷り込む形になってしまっているからだ。
自分もラブドールでは無いがでかい少年ドールを所有している。だけど、そこに性愛は全く無い。
作者は“現実の代わり”として人形を買っていて、自分は“着せ替え人形”として人形を買っているからだ。
ラブドールを購入する人にも着せ替え人形として購入する人もいる。
性愛はないのに特殊性癖者だと思われる事、特殊性癖なのにラブドール買わないの?という様な事態を作った事は十分他人に迷惑をかけているのではないか?
作者は男性だ。
女性用ラブドール、女性用としては使えません、重いので重労働といった記述などで女性と思った方は多いと思う。自分も思った。
更に件のラブドールの公式を確認した。棒は使えないに使える穴はある。
ならばそれは男性用の少年型ラブドールで女性の性愛を満たす為のものとは考えづらい。
何故作者は女性用ラブドールと判断して紹介したのか。自分はそこにすごく違和感を感じた。
大した事じゃない話に聞こえるがこれはまずい傾向だと思った。
誰だって身に覚えがあるだろう。
ダイエット中だけどこれくらい食べても良いだろう。
このくらいなら許されるよね?ってのが危ない事なんだ。
少なくともその主張をする人には二次元と三次元で明確に境界線がある。だから三次元に性癖を持ち込む事は少ない。
あくまでも作者にとっては人形は現実の代わりでしかないのにも関わらず。
購入した時の満足感や初めて使った時の背徳感は徐々に薄れていく。
そうなると代わりだから満足出来ないんだと思う様に脳は変化していく。
姿見るくらいなら良いよね?
声かけるくらいなら良いよね?
手を握るくらいなら良いよね?
海外でラブドールが規制対象なのはこういった考え方だからで特殊性癖者に境界線を曖昧にさせない為に規制してる。
自分にはどちらも間違った対策だとは思えない。どちらも被害を出さない為に考えた事だから否定は出来ない。
偽物じゃ満足は出来ない。垣根を容易く超える。
自分の欲求を満たす為に子供に関われる仕事を選んだり、その為の地位や立場を得ようとする。
一人親家庭の再婚相手、近所の挨拶する人、見守りパトロールをする人、教職…書き出したらキリがない。
事件が起きるのはそういった身近なところだ。
作者が書いてたLG等と同じく小児性愛を性的マイノリティと認めて欲しいと書いていたが相手と対等な関係が成立しない時点でそれは難しいと思う。一方的に従わせる事が容易すぎる。
また、かの有名なパタリロでもあった話だが、成長してもその子供を愛し続けられるのか?歳を取って性癖から離れても愛し続ける事が可能かどうか?
学校の悪いところってここだよなって思うわけだよ。
テストの点数や生活態度などで通信簿の良し悪しをつける癖に、習ってない漢字を使っていたのを褒めただけで、
「他の生徒を見下すようになる」なんて考えがよく出るなって感じ。
なら、そもそもテストというもので生徒の理解力の良し悪しを決めるなよ。生徒同士がテストの点を見せあったりする時点で「見下す可能性」はあるわけでしょう。
それを棚に上げて、子供が難しい漢字を使ったのを褒めたくらいで管理職がギャーギャーいうのはおかしいんだよ。
なんでそんなに同じ高さの杭しか育てようとしないのかが不思議。
同じ高さの杭にだってなれない子はいるでしょうに。その時点で見下すための要素を作り出しているわけだよね。
日本人の悪いところ(全員じゃないよ)って、こういう管理職のようなネガティブ的な考えばかりする大人がいるってところ。
習ってない漢字だろうが、習ってない数式だろうが使える子は勉強や読書で関心を持ったから出来るようになっただけで、なぜ同じ歩数で歩かなきゃならないのってね。
そりゃね、一定の協調性は必要だよ。だけど、同じ歩数にしてすでに理解している授業をつまんなく受けさせてどうするの?
理解しているから見下すってくだらないネガティブ思考を持つよりも、理解しているから周りの生徒も勉強や読書に関心を持つかもしれない影響力を考えないのかね。
「すげー、なんでそんなの知ってるの?」から始まって「それはこれを読んだからなんだよねー」っていう流れよりも
「なんでそんな事も知らないの?馬鹿なの?」って生徒になる!なんて、根暗な考えに持っていく管理職ってどうかなって思うのね。
どんなに同じように育てようが差は生まれるものなんだから、同じ授業を受けさせても多様な考えを持てるような生徒たちの個性に発展させたほうが良いと思うんだけどね。
というか、昔の学校でも辞書を読むのが好きな子は普通に知らない漢字を使ってたし、担任に「よく知ってるな!」って褒められていたし、それによってその子は勉強に強く興味を持つようになったよ。
それが普通だったのに、なんで同じようにしか育てようとしないのかね。協調性うんたらの話を出すのなら、それはイベントなどでのクラス一丸、全校生徒一丸での協力作業で育成すればいい話でしょう。
ワイはフツーに反対してるが?
ダウンも親次第じゃ大学を卒業するし、その後も教職をサポートする職に就いたりほかなんらかの仕事に就く
■ NDSS
Today, there are approximately 250 two and four-year colleges and universities that include students with intellectual disabilities in educational, independent living and vocational/career programs.
https://www.ndss.org/advocate/ndss-legislative-agenda/education/postsecondary-education/