はてなキーワード: フラットとは
本当は実際に死んだ時刻とせねばならないが、家族を呼んでその前で厳かに死亡確認をして死亡時刻とする医者が多い。
救急措置を諦めて心電図もフラットになったままになっていることが多い。
だから急所が受傷するか受傷程度が重く心肺停止になっているのに「重体」とされている時は単に家族待ちの状態である事が殆ど。
ただ、この運用は遠方から家族が来る途中で事故死したりすると相続関係がずれてしまうので問題を発生させる事がある。
事故で首が切断されたり頭部が殆どない場合などの場合は社会死とされ病院に搬送されないので医師の死亡確認はされない。
増田が肉親で経験したケースでは、複数回AEDによる蘇生をしても心室細動が起こり、段々と心拍が回復しにくくなったので看護師らに「もう無理なので諦めて下さい」と言われて蘇生を放棄した。
心電図がフラットになったままの遺体の横で呆然としていると看護師が点滴を交換に来た(法的には生きてるから)ので止めて下さいと言って止めてもらった。
1時間くらいで兄弟姉妹が到着、2時間程度で家族全員が揃うと医師がやってきて死亡確認を行った。死亡時刻は実際の死亡時刻の2時間半後の死亡確認時。
だから致命的な受傷をした人が死んでないというのは蘇生措置が続けられているかどうかは関係が無くて、一番の理由は単に家族を待っているから。
その中で声の大きい饒舌な男性が軽い下ネタでその場の爆笑をとったとしよう。これだけで女性が発言することが圧倒的に困難になることは、容易に想像できる。
単なる甘え。フラットな場で自由に発言させたら声の大きい個体が下ネタで爆笑取ることで場を掌握する、そこに男女差はない。
女が大きい声出して下ネタ言えばいい。
自己主張できるように女が意識改革をすればいいだけ。そもそもそういうことをするのがフェミニズムでは?男の口をふさごうとするのが今のクソフェミ
結局どこまで行っても女子供なんだよなあ
社会に出ても「どしたん?話聞こか?」ってされないとやっていけない
そろそろ独り立ちしようね
ちょっと前のはてなは他のSNSと比較して左翼とフェミが多く、そいつらが星をお互いにつけるもんだから人気コメントもそちら側に偏ってたもんだった。それでそいつらの論理の穴やらダブスタを指摘して星を集めるとアウェーで勝ったような気がして嬉しかった。
しかし最近はだいぶフラットな意見が人気を集めるようになったし、はてなのお仲間内でしか通用しないはてサやフェミの珍妙なコメントを批判するコメントも普通に載るようになったしわざわざ自分がコメントするまでもないなと思うことが増えた。
ツイッターはまだまだ煮え滾った憎悪増幅装置として熱い戦いが日々繰り広げられてるけど、あっちは最終的に信者ファンネルバトルになりがちだから全く議論にならないしもう終わりだ猫の国。
まず1stのなかでもザク、グフ、ドム、ゲルググなど世代交代しているので、ザクだけを敵の象徴には絞れない。当初のプランでは最初から最後まで敵MSはザクだけしか登場しない予定だったというが、もしそれが実現していれば続編作品でも敵はずっとザクだったかもしれない
映像作品で最初の続編Ζガンダムが「敵が地球連邦軍」「途中からそれとは別にジオンの残党も出てくる」という変則的な作品だったことも関係してきそう
また作品によっては敵MSがザクとジムを兼ねるときもある。たとえばガンダムWの敵量産型機リーオーは、主役ガンダムにやられる雑魚という作劇上の役割はザクに類似しているが、物語設定上は敵エース機トールギスの量産型という位置づけである。トールギスはガンダムWの劇中世界においてRX-78に相当する機体であり、その意味ではリーオーはジムの性格も有する。実際に顔つきもジムともザクともとれるような風貌をしている
そのMSがザク役かどうかは外見や役割から判断することできるが、型番からも見て取れる(ザクIIの型番はMS-06)
ガンダムF91で敵クロスボーン・バンガードのザク役といえるデナン・ゾンの型番はXM-01とザクらしくない。XM-06はダギ・イルスという偵察機にあてられている
Vガンダムにおいて敵の宇宙用量産型MSゾロアットの型番はZMS-006。同作で最初に登場する(赤いエース機も出てくる)敵雑魚機は地上用のゾロだが、そちらはZM-S08Gだった
先に述べたガンダムWのリーオーはOZ-06MSといかにもザクっぽい
ガンダムXはメタっぽい作風だけあって宇宙革命軍のMSにはネタ元になったMSをモロに連想させる型番が付けられている。ザク役のジェニスはRMS-006
∀ガンダムではムーンレィスのフラットがFLAT-L06Dなのでザク役なのだろう。同作にはまんまザクのボルジャーノンもいるけど
SEEDでザク役のジンの型番はZGMF-1017とザクっぽさがないが、実はSEED DESTINYのザクウォーリアもZGMF-1000と型番だけならまるでザクっぽくない
ガンダム00では3大国家群がすべて別個の量産型機を保有するが、型番だけで言えば人革連のティエレンがMSJ-06IIともっともザクに近い。色もザクっぽいしモノアイだし
81万人しか子どもが生まれてないとか、未婚率たっけーとか、やばやばやば〜って言って、亡国日本論が展開されている。
当方30代後半の東京住み独身女性なんだけど、今の日本てほんと、ヤバいかもだけど個人的には、それで助かってる人たちもいるよなぁと思ったので、メモしておくね。
無理に結婚しないでも、親(家)の意思に縛られなくても、自分の人生が生きられる世の中なのはほんとありがたい。これが人間が進化するってことなんだと思う。30代後半になっても友人たちも結婚してない人がゴロゴロいて、普通に働いて好きなもの買って、(これは運と環境もあるけど)暴力や圧力に悩まされることなく生きていられるって、これこそ人として人権と自由ある生活じゃん。
国がもっとちゃんと政治を運営してくれてたら、賃金が数十年上がらなくて(むしろ下がって)皆が貧しくなって結婚をはじめとしてやれることが減ってしまったり、高い税金や高い社会保障費や、女性全般が低賃金なことだったり、男女ともドロップアウトからの復帰が難しかったりする不自由がもっとどうにかなるんだろうに、そして自分の先行き暗い老後の保証への心配が減るのに、とは思うけど。
でも、現状ひとりで稼いでひとりで暮らせるのはほんとありがたい。
自分は若い頃から、身体壊すくらいがむしゃらに働いたので今はそれなりの収入があるけど、おかげさまでそれもひとつの自分の選択として選んでこれた。
ずっと働くのしんどいし、先行きのことを考えると本当は士業とか資格系の職に就いた方が良かったなと今では思うけどね…今やってる仕事も内容は好き。
結婚の機会無かったなぁ〜とか、出産ていう経験も人生そう何度もできることじゃなさそうだな〜とかも思えど、あれもこれもは選んでこれなかったので、今なんだよな。やってみたいことはいっぱいあっても、選択しながら人間は進んでいくので、できないことがあるのは仕方ない。そうやって結婚しないと日本がヤバい、とか言われるかもしれないけど、選べないなら仕方ないじゃない。その分、良識ある社会の一員、小市民として自律しながら、ちゃんと税金沢山納めてるからさ、年金とか子育て支援とか、社会保障に使ってよ(勿論選挙にも行ってるよ)。
生きてる中で女だからってメリットを享受できたことは、飛び抜けて目立つような出来事はない。仕事では、もしかしたら業務量とかを配慮をしてくれてた上司はいたかもしれないけど、待遇や出世の面とかではむしろ、明らかに損してきた。あとセクハラもあった。パワハラもあった。私生活では女であることで優しく接してきた人はいるかもしれないけど、プラマイゼロからマイナスになるくらいには男女問わず周囲に気を遣って優しくしてきた。それは偽善とかじゃなくて、人間関係には心遣いっていう潤滑油が絶対的に必要で、等価交換だし、優しさが多い方が世の中明るくなると思ってるからだ。
しっかり自分で働く、お給料もらう、生活する。これをやりたいと思ってやれるのがいい。大変なことはいくらでもある。ストレスは勿論あるし、健康とかもこの年齢になってくると大変。自分は恐らく要領よくは生きてない。でも、人生の中から不愉快なものを減らすことに価値を見出す自分にはその為にがんばる価値がある。
人によっては贅沢だったり華やかだったり恋愛に満ちてたり、もっとスローライフだったり、目指したい物って違うとは思うけども。自分は嫌いな人間とひとつ屋根の下暮らさなくてよかったり、自分の尊厳を自分のコントロール下に置けたり、意志を否定されなかったり、身の危険を感じながら生きなくてよかったり、人間的権利を行使できる0状態、フラットな所にいられるのが嬉しいなって思うんだよ。その為には色んなことを殴ったり撫でたり悩んだりして解決しながら、日々をこなしてきたし、これからもそうしていく。
なぜなら開発は男性からやられるもので、それで嫌な体験をした女性がたくさんいるから。
かつて(今でも)一部の男性向け雑誌などでは女性を開発しようという記事があったりした。
最初は嫌がっても開発すればそのうち感じるようになるなどの独りよがりな内容とそれに感化されて迫ってくる男子に不快感を持った女子は多いだろう。
そのような中で開発そのものはありえるとしても、不快な事象との切り分けは難しく、ざっくり開発行為そのものを否定しがちな空気があった。
それはかつて性的に受け身であった女性からの、嫌な行為は断るという自己主張であり、性の主体性を取り戻す流れの中にあったのかもしれない。
しかしそれは勢い余って女性の性欲の否定にもつながりかねず、今はもう少しフラットに考えてもいい時代になってきたと思う。
性を開発するという行為は男性の願望から行われるものでは無く、当事者が主体的に性を楽しむために行われていくという公平な意味を取り戻していき、増田の感じる偏見は減っていくのではないだろうか。
終身雇用やめるべきか…『日曜討論』各党の主張に議論百出「切られない安心は必要」「無能が切られるだけ」
6月19日、参院選選挙の公示を3日後に控え、『日曜討論』(NHK)では各党の政策責任者が議論を交わし合った。なかでも、“終身雇用をやめるべきか” というテーマが、話題を呼んでいる。
番組では、企業にとってビジネスをしやすい環境が整っているかどうかを基準にした、2022年の「世界競争力ランキング」を紹介。63の国・地域のなかで、日本は34位と過去最低の位置にあった。
そのうえで、日本の競争力を高める課題の一つが雇用だとし、終身雇用の見直しについて、各党党首に挙手制で賛否を求めた。「終身雇用を見直すべき」を選んだのは、自民党・日本維新の会・国民民主党・NHK党、「終身雇用を続けるべき」を選んだのは、公明党・立憲民主党・共産党・れいわ新選組・社民党だ。
自民党党首として参加した岸田文雄首相は、「働く立場からの、選択の幅をもっと広げないといけない。現場には、兼業したい、副業したいなど、いろいろな働き方を望んでいる方がおられる。この選択をできるシステムを作っていかなくてはいけない」と語った。
さらに、スキルを学び直す機会を設け、意欲のある人がより地位の高い分野にステップアップできるシステムを作ることを目指すと話した。
国民民主党・玉木雄一郎党首は、「終身雇用は維持が不可能。産業自体がAIによって置き換わる時代に、どうやって雇用を守るのかという観点から進めていくべき。前提となるのは、万全のセーフティネットです。われわれ国民民主党は “求職者ベーシックインカム” という言葉を掲げている。誰でも無償で職業訓練などの学び直しができ、より賃金の高いところに円滑に移動できる仕組みを整えるべき」と語った。
れいわ新選組・山本太郎党首は「国際競争力を引き上げるために、雇用を流動化させるということ自体がおかしい。国が衰退し続けてきたのは、竹中平蔵さん的な考え方のもとに雇用の流動化が進められて、一人ひとりの購買力が奪われていったことが原因じゃないですか。やらなきゃいけないことは、生産基盤の回帰。国が徹底的に、政府調達で日本国内で作られた商品やサービスを買う。そうやって基盤を強化し、国内の雇用がさらに高い賃金で安定したものへ変わっていくという順番を踏んでいかなくては」と語っている。
「戦後の日本社会では当たり前だった終身雇用ですが、バブル崩壊後は、潮目が変わっています。次第に成果主義が叫ばれ、リストラも横行。2019年5月には、経団連会長が記者会見で『終身雇用を前提に企業運営、事業活動を考えることに限界がきている。外部環境の変化にともない、就職した時点と同じ事業がずっと継続するとは考えにくい』と発言しているほどです」(全国紙記者)
“人生100年時代” といわれる高齢化社会で、いつまでどのように働いて暮らしていくのか――誰もが一度は考えたことのある問題だけに、ネット上では、さまざまな意見があふれた。
《終身雇用があるからこそローンを組んだり、貯金をあまり気にせず経済を回すんではないでしょうか?いつクビにされるか分からない状態にしたらお金使わなくなるよね。》
《終身雇用なんて要らんやろ、無くなっても有能は残って無能が切られるだけ》
《終身雇用なんて既に崩壊してると思ってたわ。てか、終身雇用をなくして、立場が弱すぎる派遣等の非正規もなくして、みんなフラットになればいいと思う。海外は大体そうでしょう》
そもそも終身雇用というのは大企業正社員にしかないもので、終身雇用のデメリットの本質は総合職という会社仕様の兵隊を育成するシステムで出世競争から溢れた人が滞留してしまうことにあります。
しかしそもそも人口の増加が続き企業規模が拡大し続けないとポストは増やせないのですから、人口減少時代に終身雇用ありきでは上記のような滞留してしまう人が増えてしまい、生産性は上がりません。
雇用保証はしつつ、リスキリングを進め人々が生産性の高い業種にもっと移動できるような政策を考えないとだめではないでしょうか。
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Farco | 3時間前
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しかし一方で、短期雇用を中心とした社会では社会不安が増大しやすく、中間層の没落に拍車をかけるので好ましくないのも明らか。
政府は、政策として正規雇用を増やすように誘導するべきで、非正規雇用に頼った方が経済的利益が大きいという状態は、改善しなくてはならない。
必要な雇用を正規の人材で確保することが、産業の基幹となり、安定化に貢献する。最低限必要な雇用まで、非正規雇用で確保しているという産業は、一時的な利益のみで、社会全体の利益を結果的には損なう。
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終身雇用こそ日本がここ十数年デジタルの発展の恩恵を十分に受けられていない所以だと思う。
本来であれば、技術革新によって同じ仕事に必要な人手は少なくなり、余分な人員はそこを離れ、新規事業を始めたり、人手が必要なとこに行ったりして、労働資源が効率的に配分されるべきである。ところが日系企業は終身雇用の下、雇用を守らなければならないので、強引にでも無駄な仕事を作って元の人数でやろうとする、これが労働生産性が低い根本的な原因。
それを抜本的に改善しない限り、日系企業が国際競争を勝ち抜ける未来は、少なくとも自分位は思い浮かばない。
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一つの会社での終身雇用は会社が存続することが前提なので、今の時代難しいかもしれないですが、一方で国民は勤労して納税の義務があるわけで働く場所が確保され、そこで人が働けるよう国は政策を考えないといけないのだと思う。納税の問題もそうだし、働かない人が増えて生活保護費だけが膨れ上がる状況も良くないと思うので。
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voi***** | 9時間前
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必要なのは、需要を増やすことであり、供給側、働く側の効率化ではないことを考えると
終身雇用をどうこう議論するのは、一番の問題である需要不足から目を逸らさせているような気がして
良い気がしません
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終身雇用制度は経済が成長することを大前提としていると思います。成長率が限りなく0に近いかマイナス成長では終身雇用制度は考え直さないと……… この先高度成長期が来るのから話は別でしょうが今の政治家や官僚、経済団体首脳では期待ゼロに近い。
アメリカが終身雇用制度てはないのは、アメリカン・ドリームが期待できるし起業して失敗しても日本のような無限保証で根こそぎ持っていかれないから。そこを改善しないでいきなり終身雇用制度だけを廃止するのは無理があると個人的には思います。
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難しい問題だよね。
終身雇用前提だからこそ企業も賃金を上げづらい一面もある。それで日本は賃金でも海外に置いて行かれているし。
皆が職につける率は上がるけど、賃金が上がりにくい社会と、誰かが職にあぶれるけど賃金は上がりやすい社会と…どっちが良いだろうね?
現実的に日本は経済成長していないのだから、「雇用を守って賃金も上げる」というのは無理があると思う。
ただひとつだけ。
知り合いの地方議員から聞いたのだけど、活動は基本自由なので、沢山登壇して政策を訴えたり作成する議員もいれば、登壇をほとんどせず政策もほぼノータッチで、地元の集まりの顔見せしか顔を出さない議員もいるそうな…。
大きな事をしろとは言わないが、政治家こそ地道な政策作成や調査などの成果主義で良いと思う。
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sno***** | 9時間前
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どうせ中年になれば辞めさせられる、という状況では会社に対する士気はあがりません、問題は、年功序列、ここが一番の問題であって、昭和時代は高給取りの社内ニートおじさんは沢山いましたが、今後は、新しい終身雇用の在り方を模索するべきかと思います
今は、終身雇用の問題点が改善されず、実力主義に代わっていますが、どっちが正しい?というよりも、私的には、双方のハイブリッドであって、両方のバランスを取りながら、評価するのが良いと思います
仕事能力に応じた評価、会社に貢献した年数による評価、これらのバランスだと思います
実力のある人は根幹の仕事を任せ、実力はなくても経験の長いベテランの人は周辺的な仕事を任せ、あまり仕事が伸びない人は、それなりの仕事をさせればいいのだと思います
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try***** | 51分前
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論点が最初からズレているように思います。「終身雇用やめるべきか」ではなく「期中採用をどうやって推進すべきか」で議論すべきです。老若男女いつでも就職できる環境が整えば、自然と「一括採用」は減り、退職・再就職が増えかもしれません。ちなみに、高度経済成長の名残で法的に守られすぎている正社員の待遇を「終身雇用やめるべきか」で議論するのは好ましくない。非正規、派遣、フリーランスの待遇を含めて議論すべき。
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終身雇用制は、労働者の側を束縛する作用もある。私は、自分の勤務経験からそう思う。ブラック企業や中小企業の社員などの多くも同じようなことを感じるのではないだろうか。労働市場の流動性が低いと「首を切られたら人生終わる」というような圧力がかかり、サービス残業や休日出勤なども受け入れてしまう。自分に今の仕事が向いていないと思っても、転職が難しい。
一方、企業側からしても、向いていない人間の首を切れないし、これによって事業の転換も難しくなっている。ブラック企業なら苛め抜いてやめさせるのだろうが、これ自体が望ましいものでない上にコストさえかかっている。
国民民主のいうように、国が転職支援をする、という形でセーフネットを保証するのが、企業、労働者、国の経済すべてにとっていい選択だと思う。
LGBコミュニティでは、昔っからそういう形で同性婚を批判する議論はあります。ぶっちゃけ50年以上前からあったし、今も同じ事を言ってる人たちはいます。
まずゲイ男性の同性婚批判について。ハッテン場とかをイメージしてもらうとわかるけど、ゲイ男性界隈というのはだいたい性的な交流・交渉に対してオープンで(享楽的ともいう)、短期間に多くのパートナーを持ったり、ワンナイトだけと割り切ってたりと、特定の相手との排他的な関係(モノガミーシップ)に拘束されたがらない人達が多かった(今でも多い)です。アクティヴィストも、基本的にはこういう行動パターンを自分たちが創り上げた独自のライフスタイル(ゲイ・ライフ)、異性愛主義から解き放たれたゲイ男性独自の文化的資産とみなし、肯定的に捉えてました。
もちろんそれは、同性との持続的関係を公にしつつ生きることが難しい時代背景ゆえの事情でもあったし、一方で60年代のヒッピー文化でもフラワーパワーとかと並んで性の解放が訴えられてたという事情もあったんですけど、まあ時代の空気だったんですね。で、そういうライフスタイルが主流だったゲイ男性の多くにとっては、「同性婚」というのはあんまりピンと来ないテーマだったんですよ。俺たちがヘテロの真似してどうすんの、という。米国でも欧州でも日本でもこういう言説は根強くありましたし、当事者自身がそう書いている書き物も多く残っています。
もう一方のレズビアン界隈での同性婚批判について。こっちはこっちで、結婚制度を「男女の性役割分業を究極的に固定化する差別的な制度」という風に見る人たちが多かったんです。今よりもレズビアン・フェミニスト的な立場の人達の影響も強かったし。家父長制と結婚制度こそが世の女性たちを抑圧しているシステムなんだから、それを自分たちが模倣するなんて…という抵抗感もありました。
そもそも当時は、「同性同士が結婚する」というアイディア自体、多くの当事者にとっても突飛な、想像を超える、およそ現実的でない絵空事だったんですよね。大半のゲイやレズビアンは、そんなことが本当に実現するとは思ってもいなかったから、それを目指して社会運動したりもしなかった。そもそも「昼間の世界」でカムアウトすること自体が自殺行為みたいな時代です。同性愛という性的指向を詳らかにして堂々と同性パートナーと暮らすことすら難しかったわけですから、さらにそこに法律婚の仕組みを適用するだなんて発想を持つ人はほとんどいなかったんですね。もちろん「同性のこの人と結婚できたらいいなあ」と夢想する人達は当時もいましたけど、それは多くの場合、ロマンティックなファンタジーとして語られていた。結婚制度を同性間に拡張することで、異性カップルに認められているさまざまな社会的権利を自分たちも獲得しよう、という発想はまだ乏しかったんです。
こういう流れを一変させたのが、80年代のAIDSパニックです。若い人は知らないと思いますけど、日本でも当時はプライバシー侵害なんかガン無視した、壮絶なパニック報道がありました(参考: https://www.janpplus.jp/topic/433 )。今でこそHIVとAIDSは、発症の抑制も症状の緩和も可能な、生活態度次第では余命を全うできる病気になりましたが、発見当初は本当に不治の病だったんです。震源地のひとつとなった米国のゲイ界隈はもう本当に凄惨な状況で、各都市のコミュニティ自体が壊滅し消え去ってしまうほどのパンデミックになりました。バスハウス(ハッテン場)で活動的だった人達を中心にゲイシーン全体に感染が広がり、次々に病み、衰え、死んでいったんです。その中にはもちろん、互いに大切に思っているパートナーと長期的関係を築いていたカップルもいました。その経緯を通して、パートナーの病と死に伴う課題、つまり「パートナーの医療・看取り・相続などについて、同性愛者は全く権利がなく、法的にとても脆弱な立場にある」ということがコミュニティに深く認識されることになりました。
結婚というのは、恋・愛から始まる親密な関係に確固とした法的枠組を与えてくれるものであると同時に、人が生きていればいずれ来る病・苦・死のリスクに対して、信頼できるパートナーと共に備え、支え合うことを可能にしてくれる枠組でもあります。AIDSという歴史的な苦難は、そのことへの経験と想像をゲイ/レズビアンコミュニティ全体に与える決定的な機会になりました。「ゲイの老後」という、それまであまり語られなかったトピックが海外でも日本でも注目され始めたのこがこの頃です。多くのゲイ男性が「自由で享楽的なゲイ・ライフ」という夢の先にある、生活者としての現実をシリアスに捉えるようになった…といってもいいかもしれません。これを保守化と取るか、成熟と取るかは人によって違うでしょうが、自分は後者だと思います。
AIDSパニック以後、ゲイ/レズビアン・アクティヴィズムが一気に同性婚推進路線に舵を切ったわけではありませんが、パートナーシップに対する法的保護のニーズを求める声はじわじわと広がっていきました。そして、米国各州で一部当事者と法曹支援者が同性婚訴訟を起こして、そのうちいくつかで良い結果が出続けたことで、同性婚に対して微妙な葛藤を持っていたアクティヴィズム界隈でも「これは行けるかもしれない」という手応えがでてきて、徐々に同性婚をめぐる権利運動が主流化していきました。このあたりの経緯は、ぜひジョージ・チョーンシーの『同性婚 ゲイの権利をめぐるアメリカ現代史』をお読みください。
というわけで、実は元増田の意見は割と真っ当というか、問題の芯をとらえてます。というのは、元増田が書いてることは、かつてのレズビアン/ゲイコミュニティでの典型的な同性婚批判のロジックとしっかり符合してるからです。
これは上でも書いた「異性愛前提の制度を模倣・従属すべきでない」という声。
それよりも新しく同性パートナーと生きていくのに必要なことを自分たちで決めてそれを法律に落とし込んでいく方がいい
それが多様性だろ
これは「既存の結婚制度に縛られない、よりフラットな意味合いの法律関係(シビルユニオンやPACSやパートナーシップ制度など)」を求める声。これについては、保護される権利が同等でない「まがいもの」で満足すべきではない、という批判もあったりして、結局それぞれにニーズのある人達がそれぞれの路線で運動して、結果的に両方が実現していくという流れがあります。
「恋愛のゴールとしての結婚」も、やはり異性愛主義やロマンティック・ラブ・イデオロギーの模倣とみなす批判はあります。一方で、先のチョーンシーはゲイの歴史学者で「自分は同性婚が法律化されても利用しないと思う」という立場ですが、それでも同性婚をめぐる運動が当事者を強くエンパワーしていることははっきり認めています。やっぱり法律婚って、そのパートナー関係に対する社会的承認の象徴なんですよね。その関係を行政が公的に認め、社会も追認する。そういう承認を得ることが当事者にとってどれほど心強く、報われる、喜ばしいことなのかは、想像していただければわかるのではないかと思います。
元増田のような問いを受け止めつつ、それでも諸々の紆余曲折を経て、同性婚の実現による法的権利と社会的承認の獲得に向かって前進してきたのが、今のレズビアン/ゲイコミュニティだと思います。
https://twitter.com/show86305417/status/1449035030236332033
ハローはてぶ。とある反ワクチンです。mRNAワクチンについて、その歴史から今問題とされてる部分まで分かりやすく説明されてるTwitterのスレッドを見つけたので貼っとくよ。超長いので読む人は覚悟して。
ところで最近は国内死亡数が急増してコロナ感染死の4倍になったんだってね。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA021SU0S2A600C2000000/
↑
この記事のはてぶのコメ欄みたら、老衰だとか寿命だとか、そんなコメが沸いてて普通に驚いてるよ。君達ってまだ、mRNAワクチンの絶対安全神話を信じてるの?従来の不活化のインフルエンザワクチンと仕組みが全く違ってるのにも関わらず単純に比べちゃって、まだ安全だとか思ってるの?
https://anond.hatelabo.jp/20220518081747
↑
前にも書いたけどmRNAはシュードウリジンによる免疫抑制がされる。mRNAはそのまま体内に入れると異物認定されて自然免疫反応による炎症反応を誘発するからね。これがカリコ理論。mRNAは自然免疫反応を抑えつつ抗体を誘導するっていう、実は難しいワクチンなんだよ。
https://www.youtube.com/watch?v=9kGoXpLpjGY
↑
詳しくはこれを見て。東京農工大学感染症未来疫学研究センターの水谷先生が一般人でも分かるように説明してくれてる。今のmRNAワクチンの問題点は抗体(Sタンパクのみ)はできるけど他の様々な病気には弱くなるってこと。免疫が抑制されてるから反ワクの私達からしたら死者が増えるのは当たり前の話なんだよね。2021年にイギリスでも同じような統計データあったね。今度見つけた貼っとくけど、暇な人は探してみてほしい。他の国でも同じようなデータは出てる。
https://www.epe.es/es/sucesos/20220524/presidente-pharmamar-lista-falsos-vacunados-covid-13698623
↑
あとこれスペイン製薬会社PharmaMarの社長JoseMariaFernandez Sousa-Faroがワクチンの接種証明書を偽造で逮捕だってよ。他2200人がこれと同じ偽造証明書を購入していたと。日本の場合は明確な証拠は無いけど、「mRNAワクチンを打ってはいけない」ってメモが政治家の間で出回ってるって話も沸いてるね。
さっきも言ったけど、そろそろ怪しまないとダメなフェーズじゃね?
コロナ関係のはてぶのコメ欄を見てると、コロナ渦に入ってから2年以上経ってるわけだけど、自分で調べてる人が本当に少ないって感じる。
https://www.gohongi-clinic.com/k_blog/44431/
↑
医学の歴史を紐解けば、パロチン問題があげられる。パロチン(唾液腺ホルモン)はクル病や白内障の特攻薬として日本で大量に使われてたけど、実は後々になって「タダの水」だったことが判明して販売中止になったお薬。
これ医者はみんな「タダの水」だって知ってたけど発見したのが東大名誉教授の緒方知三郎博士で東大医学部の大ボスだったから、誰も批判できずにずっと使われ続けてたんだよね。日本以外の国でパロチンのことなんて全く載ってなくても、お構いなし使われてた。結局パロチンが消えたのは緒方博士の死後10年後の平成2年だよ。白い巨塔だよ。白い巨塔。
日本の医学界なんて歴史を紐解けば、まず疑ってかかるのがファーストチョイスでしょ。なんで、こんなに医学界の犬が多いの?君たちが普段崇めてるあの先生だって、思いっきり製薬会社の広告塔じゃないか。君達って仮にも、はてぶの中では頭の良い人って設定で活動してるんだから、そこは知的に疑ってかかるのが正しい態度なんじゃないの?
まぁ、とりあえずさ、悪いことは言わないから、反ワクだの陰謀論だの、レッテル貼りをやめて思考停止をやめて、フラットな目線でコロナ関係の情報を調べてみなよ。mRNAのワクチン接種、今まで何も無かった人でも3回目や4回目に体が耐えられるかは不明だよ。どれだけ細胞壊すか分かったもんじゃない。
ノババックスの組み換えタンパクに切り替えても、それほど抗体誘導は期待できないしアジュバントによるキツイ副反応で体調悪くするだけな可能性高いぜ。てかノババックスの厚生労働省のデータ見ると100人単位の治験だからね(笑)薦めてる奴の精神、かなりヤバイぞ。ほぼ人体実験。
とりあえず今回は以上です。では、また。
【追記】
↑
米FDA、ノババックス製コロナワクチンの心筋炎リスクを懸念だって。日本政府は接種率の低い若い世代にノババックスを打たせたいフシがあるようだけど、こっちも様子見対象だね。
死んだ飼い犬が闘病中だとうそをつき、治療費名目で支援金をだまし取ろうとしたとして2022年4月、奈良地裁葛城支部で26歳の女が有罪判決を受けた。女はインターネットで資金を募る「クラウドファンディング」を悪用。診断書などを偽造し、心配する愛犬家ら370人以上からお金を集めた。善意を踏みにじる行為の背景には、急成長するCF側のチェック体制の限界も見え隠れする。
女が死んだ飼い犬を闘病中と偽り、治療費を集めていたCFのページ
プロジェクト開始前に死んでいた
「時間がありません。たすけてください!」。21年10月、奈良県大和高田市に住んでいた女は、重篤な心臓病などを患うフラットコーテッド・レトリバーの愛犬「斗偉(トイ)」の写真とともに支援を募るプロジェクトをCFサイトでスタートした。
女が利用したのは購入型CFと呼ばれる種類でCFサイトを通じて支援者から資金を募り、お礼に商品やサービスを返す仕組みだ。
血液検査の結果や、診療費の明細書、エックス線写真……。女はCFサイトに“証拠”となる書類の画像を多数アップし、トイの闘病記録を克明につづった。
だが、プロジェクトを始める2カ月以上前にすでに死んでいた。にもかかわらず、女は診断書の日付を改ざんするなど小細工し、「病と闘う愛犬とその飼い主」を演出。手術代や検査費用に充てるとして最終的に計180万円の治療費の支援を呼びかけた。
反響は大きかった。「わが家も愛犬がいます。応援します」――。ペット愛好家らの応援コメントは400を超え、同12月には374人の支援者から計約184万円が集まった。
うそが発覚したのは、トイが死んだことを知る関係者からの通報だ。女は支援金を手にすることなく22年1月、詐欺未遂容疑で奈良県警に逮捕され、同罪で起訴。奈良地裁葛城支部は4月、「金目当てに支援者の犬を思う心情を逆手に取った悪質な犯行」として懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役1年6月)を言い渡した。https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2205/19/news086.html
定型発達、単なる相対的な定義ではなく発達障害との絶対的な対立軸として発達障害と同じくらい徹底的に研究されてほしい。
「これまでの学問は全てそうだった」とかみたいな屁理屈ではなく、本当に「定型発達学」みたいに新しくフラットな一つの学問として独立してほしい。
定型発達が正常なコミュニケーションだと思っている物に「どうしてそう思ったの?」「それはどういう理路でそうなったの?」って専門家や研究者が一々突っ込んで欲しい。発達障害者が普段そうされている様に。
アメリカでは、自閉症者の運動から、一つのウィットというか風刺みたいな(まあお互い様だよね的な?)感じで「定型発達症候群」という概念が生まれてるのだけど、
ユーモアとしての処理じゃなくて、徹底的に「定型発達」と言う物を探り倒してほしい。定型発達の何が「定」なのか。