はてなキーワード: 課税とは
世帯で課税というのを見て、単純に不公平が解消されたと思った。
日本では累進課税を取り入れているので、同じ世帯収入1,000万円でも、夫500万円、妻500万円と夫1,000万円、妻0円では世帯収入が同じであっても課税額が全然違って不公平だと思ってた。どれくらい違うかは計算してみればいい。
https://www.nta.go.jp/taxanswer/shotoku/2260.htm
ちょっと前まで格差拡大が騒がれ、格差の拡大がいかに社会不安をもたらすかが取りざたされていたけれど、配偶者が高額所得者であってもやすい税率で計算した手取りがもらえることになるので、配偶者の稼ぎに関係なく安い所得税が惹かれた手取りを得て、世帯間の格差を助長すると思ってた。
配偶者控除は世帯収入に対して影響を与える制度で、世帯収入額が同額でも働き方で課税額が変わるという不公平さで暴動が起きないようにするための黙らせ役だと思ってた。
配偶者控除を廃止するというのは増税になるから嫌だという思いは多少あるが、世帯で課税するとなるとこの不公平感が解消されるので、納得感がある増税になっていると思う。
いやまあそのあの飢餓で死ねという意味ではなく「生きるにあたって生かすに余力を与える」という意味でいいたかったわけでして
食うべからずは「飢えて死ね」がデフォルトみたいなので言葉がたりなかったのは申し訳ないっす
働いた分だけよりよくなる はたらく目的がみつかる 目的について手段を犠牲にしない 手段の選択のために補助がでる
障碍者でいうなら障碍者には年金がでて暮らせるのがあって 介護士の仕事を選べばつらい部分を金銭の補助という再配分で
介護士になりたいという選択肢を目的のために選択できる 介護したいが手段が辛すぎて生活できないので無理とならないように
というような配分方法でほか全般的に職業への補助で累進的に補助がでればということなんですよ
仕事の評価を会社の評価だけでなく補助することで経営者も資本を裂かなくていい分公共投資に免税で個人の行動量に対して
そこは勘違いだよ。徴税は私有財産権の侵害にほかならない。ただ、私有財産権は公共の福祉の制限を受けているから、実際的には私有財産権の完全な発露を抑制されている状態ってだけなんだよ。公共の福祉のためにということで個人の財産の一部を徴収するのが税というシステムだと言いかえることもできる。
税金を払いたくない(多くの人はそうだろう)に対してそれを徴収することができるというのは、これは前記事でも触れたとおり「暴力」なんだよ。前記事やここで「暴力」としているのは「対象の意志を無視して自分の意志や行動を強行/強要する能力、行為全般」だ。
もちろん公共の福祉という概ね良い目的のために、国民が監視可能な形で、適切に運用されているから課税/徴税は現代日本において「悪い暴力」ではない。
でも歴史を見れば分かる通り、財産の徴収が国家独裁者の一方的な都合で行われて、戦争などに使われた例なんてざらにあるわけ。だから、「徴税は暴力ではない」なんて詭弁だよね。まさに暴力にほかならない。大多数にとって納得できて現代日本の社会では善として扱われている(あるいは近代国家運営のための必要悪)だけであって、暴力であるのは否定できない。これは警察(治安維持)なんかもそうで、僕らの日常にも暴力は溢れているわけ。
選挙を始めとした多数決だってアレは暴力だ。数が多い事をてこにして少数者の意見を踏みにじるためのツールだ。もちろんその暴力が適切に、みんなを幸せにするために使われることはあるし、事実現代日本では多くのケースでそうだろう。でもだからといって、そういう暴力性を無視しちゃいけないんだよね。無視したところから民主主義の崩壊は始まる。だからこそ多数決で勝った側が負けた側
少数者)の声に耳を傾けることが重要なわけ。民主主義=多数決ではなくて、むしろ多数決をした後あるいはする前の合意形成技術や、それを支える民度が民主主義の精髄だ。
さらに例えば、経済的な地位を濫用して企業が労働者を搾取するってのも(経済的あるいは社会権力的な)暴力だ。暴力だからこそ法で規制する必要があるわけだよね。またその逆側の、労働者が数を頼んで選挙やストなどで他者(多くは富裕層)の財産や権利を奪おうとするのも、これまた暴力だ。
人間社会は(先進国では概ねちゃんと制御された)暴力の応酬で形作られている。長い歴史の中で人間は(人間の政治は)暴力の範囲を限定してきた。ロングソードで農民の頭蓋骨を数個割れば村の徴税権ゲットだぜ! なんて時代に比べれば文明的になった。
でもブコメなんかに見られる「現代日本で暴力は駆逐された」みたいに信じている人のそれは正しくないんだよ。むしろありとあらゆる接触に暴力が上乗せされているのが現代社会というものだとおもうよ。
多少ひねくれた表現が許されるのならば、政治とは「利益の異なる個人や集団の暴力の相克を、なんとか社会崩壊しない範囲内で収める術」だと言いかえることもできると思う。それに失敗すると、ベネズエラとかジンバブエになるし、その手前の「社会の分断」段階でもEUやらアメリカみたいになる。
「富裕層から税をぶんどれば良いんだ」「AIに課税してしまえばいいよ」「共産主義にして金持ちの資産を国有化しよう」これらはすべてコメにあった無邪気な意見だけど、それらは「あいつを殴って奪おうぜ」という暴力肯定の意見だとちゃんと自覚して発言しているのか、そこが疑問だ。別に富裕層をかばうつもりは全然ないんだけど、「あいつを殴って奪おうぜ」に賛成するのならば、当然に「自分が殴られてすべてを奪われる」覚悟が必要だよね。
一番最初の記事(https://anond.hatelabo.jp/20171115141727)に感じたのもそういう懸念だったんだ。「俺はあいつを殴っても殴り返されないし許されるだろう」みたいなふわっとした(悪い意味での)信頼感。
いやいやとんでもないそれ暴力だから。記事中ふれたように暴力は社会のあらゆる場所に(表面的にはあたかもそうではないようなカモフラージュをされて)存在するものだから、殴るなとも暴力を振るうなとも全く言わないのだけど、でも振るうのならばせめて自覚しないと危険だよ? と思った。
全力で殴り返されて半死半生になった後に「そんなつもりはなかったのに」って言っても手遅れなわけで。
もう1年以上前になるが、骨髄提供をしてみたのでその感想をつらつらと書きます。
そもそも献血が好きだったので、骨髄バンクの登録もそのついでにした。登録はしたけど5年くらい音沙汰はなかった。
「あ、これ、いつもの骨髄バンクニュース送ってきただけじゃないな」ってすぐにわかった。
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ここから先、■は個人的にめんどくさいこと、★はマジでデメリットだなって思ったことですので、面倒な方は■は読み飛ばしてください
患者さんに提供する骨髄液だから、健康面について聞かれるのはしょうがないなと思いつつ、読むだけでも結構多い。
「貧血に最後になったのはいつか」とか覚えてない。己の記憶力のなさが憎い。
家族の同意が必要なので、親と話し合う。母親がメッチャ反対する。まぁでも「反対された」っていうのは、それだけ大切に思ってくれてるんだなと思い、なんだかありがたい気持ちになった。両親ともに「いいよ(適当)」だったら嫌だったかもしれない(し気楽だったかもしれない)。
一応正社員で働いている身としては会社への説明責任があるわけで、上司はとばして突然社長に直談判した。
家族の同席必須なので、父親に頼んだ。うちの父は自営業なので時間が取れたが、平日のクッソ昼間に社会人2人が病院に出向いて説明を聞いて、弁護士の目の前でハンコを押す。「弁護士とコーディネーターがうちの近くに来てくれるんじゃだめなん?」って思った。医師が必要だからしょうがないか。
■使っている薬の申告をする
これもしょうがないとは思うけど、提供前にちょっと風邪ひいたとか、目が疲れたとか、薬を使うときは「これ使っていいですか」って連絡しないといけない。時間が時間だと「明日にならないとわからない」ってなった。「とりあえず使ってもらって、だめだったら明日中止させてもらうかも」っていう対応だった。私はセーフだったが、安くないお金を使って薬を買って、それを1回しか使えなかったってパターンもあるんだろうな。
これは入院前にもっとも面倒だった。先生が緊急手術で不在の時、時間通りに行って1時間待ちとかね。必要な骨髄液の量が多いと、事前に血液を抜いておいて、手術中に戻すための自己血が必要なのよ。他人の輸血だと、献血できなくなるしリスクも高いからね。わかっちゃいるが面倒。
実は手術前、友達とスカイダイビング付きの旅行に行く計画を立ててた。
でもけがのリスクが高すぎるということで、(遠回しに)スカイダイビングをやめてほしいと言われた。正直、骨髄バンクにキャンセル代は払ってほしかった…
★パジャマ代は実費
手術や入院費は患者さんの保険負担だが、パジャマ代は実費負担だった。何だか知らんがパジャマが1回300円以上する病院だったので、家から持ってきてもらった。普通の病院って1着80円とかじゃないの?
人生初の全身麻酔をした。麻酔か、事前に飲んだ薬の影響下はわからないが、手術後吐き気がとまらず、おなかはすいているのに食べたものは全部戻す状況に追い込まれる。これが一番きつかったかもしれない。
■個室ではない
場合によるんだけど、私は4人部屋だった。目の前の入院患者さんがずーっとうんうん言ってて、なんか不安になった。
暇つぶしがスマホと本しかないが、本は読み終わったのでスマホゲーに移動。wi-fiとんでないので、パケットが死んだ。はじめて通信制限くらった。次回からは3DSを持ち込むことを誓った。
★お金はもらえない
みんなが骨髄提供を嫌がるとしたら、これが最大の理由ではないだろうか。
入院をし、会社を中抜けし、「名前も顔も知らないだれか」のために健康な体の背中に穴をあける。これだけのことをして報酬がないのだ。
ちなみに私は医療保険と生命保険にも入っていたので、問い合わせてみたけど「病気治療のための入院ではないので入院給付金は下りない」と断られた。
なんのための保険だよ!!!!背中に注射器6回刺されてるんだぞ!!!!
(ちなみにだが、私の住んでいる市区町村は骨髄提供をした人への助成金があり、それはもらえた。総額10万以上非課税。骨髄提供を考えている人は、自分の住んでいる市区町村が助成金をやっているか調べた方がいいと思う)
■お礼もあるかわからない
じゃあ骨髄提供をなんでやるのかっていったら、「自己満足と人助け」のためだと思う。
「人助け」ならこれでいいのかもしれないが、私は「自己満足」もほしかった。
なんで献血するかって言ったら「献血ありがとうございます!」の一言が無料でもらえてお菓子が食べられて「いいことしたなぁ」って気持ちになりたいからなんですよ私は。リストカットするよりは健全な血液の使い道だと思う。自己承認欲求の強いメンヘラにオススメ。
お医者さんに「うちに入院してくれてありがとう」っていう一生聞くことがないであろうセリフはきいたが、
一番ほしいのはなんといっても「骨髄をくれてありがとう」の一言である。
私には手紙が来なかった。
ご本人の治療がつらくて、文字が書けないなら、近親者の方が代理でもいいから、とも思った。でも来なかった。
手術後、私から手紙を出した。やっぱりそれにも返事が来なかった。
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私には、2回目の適合通知が来た。
でも、今回はお断りした。仕事が繁忙期だったのが最大の要因だが、正直「提供先が(病気の再発等で)同じ人だったらやだな」って思ったのも事実だ。
でももう一回、適合通知が来たらその時はするかもしれない。
久々に行った献血で、「骨髄提供をしたんです」と言ったときに、お医者さんが「あなたがした最大の功績は、患者さんの家族の救いになったこと」と言ってくれたからだ。
骨髄提供を受けられないまま弱っていく中で、「適合する方が見つかりました」の声は、病室の時間を一瞬とめて、途端に涙であふれさせ、結果がどうであろうとも「最後まで治療をしてあげられた」という患者さんの心の支えになるからだ、という。
あまりのコメントの多さに驚いています。興味を持っていただきありがとうございます。
あと、誤字脱字が多くてすみません。
一番ひどいのは
→「最後まで治療をしてあげられた」という患者さん【とその家族】の心の支え
・いくらだったか思い出せませんが、「入院に伴うお金」は少しいただけますので、そちらでパジャマや日用品は買ってくださいとのことでした。3000~5000円だったかな?1万円はなかった気がする。まぁそれにしたってパジャマ高すぎる
・手紙は、「もらえないかもしれないし強制もできない」ということも事前に説明されていました。理解したうえで「手紙ほしかった~~!!!」とダダをこねています。人間としての器が小さくて…すいません。我欲を捨てられるように、来世の自分に頑張ってほしいです。
・あとみなさんが知りたいであろう手術について書くのを忘れてました。
なぜならあんまり痛くなく、尿道カテーテルのほうがよっぽどイラついたからです。
私は麻酔が効きすぎるタイプのようで、手術室に入った途端寝たからなんにも覚えてないんだなこれが。麻酔解けるのも予定時間を3時間オーバーしました。
退院日翌日には会社に行き、2週間後にはプールに行っちゃうくらい健康だったからです。参考にならず申し訳ない…
なので現金的な持ち出しはあまりありませんし、少しばかりプラスかもしれません。
なお、この骨髄提供を経て失った有給は持ち出しに加算したら大変そうですよね。融通が利く会社でよかったなとつくづく実感しました。おかげで私の有休消化率は110%です(未来から借りました…)
あと、「つらつら」の使い方が違う、というコメント、ほんとすみません。恥ずかしいです。ご指摘ありがとうございます。
さんざん愚痴っぽくなってしまったんですが、ブコメ等すべて拝見して、うれしくて涙が出てきました。
みなさんがこんなに褒めてくれるのに、なんで拗ねた態度をとってしまったんだろうと改めて反省しました。ありがとうございます。
・傷跡について
お察しのとおりきれいさっぱりないです。2週間後のプールでも誰にも何も言われなかったです。
生まれつき背中にでっけぇアザがあるんですが、「お、あるな~~~」くらいにしか思わないので…。
あと、「人を救ったかもしれない証」が背中にあるってオタク的にはかっこいいです。ごめん私思考回路がおかしいから…参考にしないでください…
この記事にコメントくださった、「骨髄提供は最高だった」っていう方すごくない?この方こそ聖人君子じゃんって思いました。親にひどい目にあわされながらも人を恨まずに救うことにためらいがないって…すごい…器が違う…この方、もしもお子さんができたら「私を母親にしてくれた」って子供をすっごく大切にしそうだなって思ったんですが、結婚に興味なしなのか~~
ごはんをおごってくれるとかいて下さった方、日本中のおいしい茶わん蒸しのお店を書いておいて。行くから。
追記の追記の追記→ https://anond.hatelabo.jp/20190212162717 いやほんとごめんって 長くし過ぎだって ごめんって
https://anond.hatelabo.jp/20170612191223 の続き
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なんだかんだあって、今年の年収が1億円に達する見込みだ
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100万円しか持ってなかったときは、安心するのには1000万円必要だと思っていた。
1000万円に到達したときは、5000万円は欲しいと思っていた。
1億円に到達した今、10億円は欲しいと思っている。
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というもの年収1億円ということは手取り5000万円くらいになる。税金って恐ろしいね。
なんか高度な手法を使って課税逃れをしてる人もいるけど、私は真面目に愚直に5000万円納めるつもりだ。
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話がずれたけど5000万円じゃ一生過ごすのはなかなか厳しい。
豪華な暮らしをするなら5億円は欲しいけど、税金を考えると10億円も稼がないといけないことになる。
もちろん年収1億円以上が継続するなら何も心配はいらないけどそんなラッキーがいつまでも続くわけがない。
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この文章で伝えたかったことは、人間の欲望には天井がないということだ。
今後どうなることやら。
一、まえがき
今年は中国立憲百年、「世界人権宣言」公布60周年、「民主の壁」誕生30周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名して10周年である。長い間の人権災害と困難かつ曲折に満ちた闘いの歴史の後に、目覚めた中国国民は、自由・平等・人権が人類共同の普遍的価値であり、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度枠組みであることを日増しにはっきりと認識しつつある。こうした普遍的価値と基本的政治制度枠組みを取り除いた「現代化」は、人の権利をはく奪し、人間性を腐らせ、人の尊厳を踏みにじる災難である。21世紀の中国がどこに向かうのか。この種の権威主義的統治下の「現代化」か? それとも普遍的価値を認め、主流文明に溶け込み、民主政体を樹立するのか? それは避けることのできない選択である。
19世紀中葉の歴史の激変は、中国の伝統的専制制度の腐敗を暴露し、中華大地の「数千年間なかった大変動」の序幕を開いた。洋務運動(1860年代初頭から約30年続いた)はうつわの表面の改良(中体西用)を追求し、甲午戦争(日清戦争1894年)の敗戦で再び体制の時代遅れを暴露した。戊戌変法(1898年)は制度面での革新に触れたために、守旧派の残酷な鎮圧にあって失敗した。辛亥革命(1911年)は表面的には2000年余り続いた皇帝制度を埋葬し、アジアで最初の共和国を建国した。しかし、当時の内憂外患の歴史的条件に阻害され、共和政体はごく短命に終わり、専制主義が捲土重来した。うつわの模倣と制度更新の失敗は、先人に文化的病根に対する反省を促し、ついに「科学と民主」を旗印とする「五四」新文化運動がおこったが、内戦の頻発と外敵の侵入により、中国政治の民主化過程は中断された。抗日戦争勝利後の中国は再び憲政をスタートさせたが、国共内戦の結果は中国を現代版全体主義の深淵に陥れた。1949年に建国した「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」であった。政権党はすべての政治・経済・社会資源を独占し、反右派闘争、大躍進、文革、六四、民間宗教および人権擁護活動弾圧など一連の人権災害を引き起こし、数千万人の命を奪い、国民と国家は甚だしい代価を支払わされた。
20世紀後期の「改革開放」で、中国は毛沢東時代の普遍的貧困と絶対的全体主義から抜け出し、民間の富と民衆の生活水準は大幅に向上し、個人の経済的自由と社会的権利は部分的に回復し、市民社会が育ち始め、民間の人権と政治的自由への要求は日増しに高まっている。統治者も市場化と私有化の経済改革を進めると同時に、人権の拒絶から徐々に人権を認める方向に変わっている。中国政府は、1997年、1998年にそれぞれ二つの重要な国際人権規約に署名し、全国人民代表大会は2004年の憲法改正で「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだ。今年はまた「国家人権行動計画」を制定し、実行することを約束した。しかし、こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている。法律があっても法治がなく、憲法があっても憲政がなく、依然として誰もが知っている政治的現実がある。統治集団は引き続き権威主義統治を維持し、政治改革を拒絶している。そのため官僚は腐敗し、法治は実現せず、人権は色あせ、道徳は滅び、社会は二極分化し、経済は奇形的発展をし、自然環境と人文環境は二重に破壊され、国民の自由・財産・幸福追求の権利は制度的保障を得られず、各種の社会矛盾が蓄積し続け、不満は高まり続けている。とりわけ官民対立の激化と、騒乱事件の激増はまさに破滅的な制御不能に向かっており、現行体制の時代遅れは直ちに改めざるをえない状態に立ち至っている。
二、我々の基本理念
中国の将来の運命を決めるこの歴史の岐路に立って、百年来の近代化の歴史を顧みたとき、下記の基本理念を再び述べる必要がある。
自由:自由は普遍的価値の核心である。言論・出版・信仰・集会・結社・移動・ストライキ・デモ行進などの権利は自由の具体的表現である。自由が盛んでなければ、現代文明とはいえない。
人権:人権は国家が賜与するものではなく、すべての人が生まれながらに有する権利である。人権保障は、政府の主な目標であり、公権力の合法性の基礎であり、また「人をもって本とす」(最近の中共のスローガン「以人為本」)の内在的要求である。中国のこれまでの毎回の政治災害はいずれも統治当局が人権を無視したことと密接に関係する。人は国家の主体であり、国家は人民に奉仕し、政府は人民のために存在するのである。
平等:ひとりひとりの人は、社会的地位・職業・性別・経済状況・人種・肌の色・宗教・政治的信条にかかわらず、その人格・尊厳・自由はみな平等である。法の下でのすべての人の平等の原則は必ず実現されなければならず、国民の社会的・経済的・文化的・政治的権利の平等の原則が実現されなければならない。
共和:共和とはすなわち「皆がともに治め、平和的に共存する」ことである。それは権力分立によるチェック・アンド・バランスと利益均衡であり、多くの利益要素・さまざまな社会集団・多元的な文化と信条を追求する集団が、平等な参加・公平な競争・共同の政治対話の基礎の上に、平和的方法で公共の事務を処理することである。
民主:もっとも基本的な意味は主権在民と民選政府である。民主には以下の基本的特徴がある。(1)政府の合法性は人民に由来し、政治権力の源は人民である。(2)政治的統治は人民の選択を経てなされる。(3)国民は真正の選挙権を享有し、各級政府の主要政務官吏は必ず定期的な選挙によって選ばれなければならない。(4)多数者の決定を尊重し、同時に少数者の基本的人権を尊重する。一言でいえば、民主は政府を「民有、民治、民享」の現代的公器にする。
憲政:憲政は法律と法に基づく統治により憲法が定めた国民の基本的自由と権利を保障する原則である。それは、政府の権力と行為の限界を線引きし、あわせて対応する制度的措置を提供する。
中国では、帝国皇帝の権力の時代はすでに過去のものとなった。世界的にも、権威主義体制はすでに黄昏が近い。国民は本当の国家の主人になるべきである。「明君」、「清官」に依存する臣民意識を払いのけ、権利を基本とし参加を責任とする市民意識を広め、自由を実践し、民主を自ら行い、法の支配を順守することこそが中国の根本的な活路である。
三、我々の基本的主張
そのために、我々は責任をもって、また建設的な市民的精神によって国家政治制度と市民的権利および社会発展の諸問題について以下の具体的な主張をする。
1、憲法改正:前述の価値理念に基づいて憲法を改正し、現行憲法の中の主権在民原則にそぐわない条文を削除し、憲法を本当に人権の保証書および公権力への許可証にし、いかなる個人・団体・党派も違反してはならない実施可能な最高法規とし、中国の民主化の法的な基礎を固める。
2、権力分立:権力分立の現代的政府を作り、立法・司法・行政三権分立を保証する。法に基づく行政と責任政府の原則を確立し、行政権力の過剰な拡張を防止する。政府は納税者に対して責任を持たなければならない。中央と地方の間に権力分立とチェック・アンド・バランスの制度を確立し、中央権力は必ず憲法で授権の範囲を定められなければならず、地方は充分な自治を実施する。
3、立法民主:各級立法機関は直接選挙により選出され、立法は公平正義の原則を堅持し、立法民主を行う。
4、司法の独立:司法は党派を超越し、いかなる干渉も受けず、司法の独立を行い、司法の公正を保障する。憲法裁判所を設立し、違憲審査制度をつくり、憲法の権威を守る。可及的速やかに国の法治を深刻に脅かす共産党の各級政法委員会を解散させ、公器の私用を防ぐ。
5、公器公用:軍隊の国家化を実現する。軍人は憲法に忠誠を誓い、国家に忠誠を誓わなければならない。政党組織は軍隊から退出しなければならない。軍隊の職業化レベルを高める。警察を含むすべての公務員は政治的中立を守らなければならない。公務員任用における党派差別を撤廃し、党派にかかわらず平等に任用する。
6、人権保障:人権を確実に保障し、人間の尊厳を守る。最高民意機関(国会に当たる機関)に対し責任を負う人権委員会を設立し、政府が公権力を乱用して人権を侵害することを防ぐ。とりわけ国民の人身の自由は保障されねばならず、何人も不法な逮捕・拘禁・召喚・尋問・処罰を受けない。労働教養制度(行政罰としての懲役)を廃止する。
7、公職選挙:全面的に民主選挙制度を実施し、一人一票の平等選挙を実現する。各級行政首長の直接選挙は制度化され段階的に実施されなければならない。定期的な自由競争選挙と法定の公職への国民の選挙参加は奪うことのできない基本的人権である。
8、都市と農村の平等:現行の都市と農村二元戸籍制度を廃止し、国民一律平等の憲法上の権利を実現し、国民の移動の自由の権利を保障する。
9、結社の自由:国民の結社の自由権を保障し、現行の社団登記許可制を届出制に改める。結党の禁止を撤廃し、憲法と法律により政党の行為を定め、一党独占の統治特権を廃止し、政党活動の自由と公平競争の原則を確立し、政党政治の正常化と法制化を実現する。
10、集会の自由:平和的集会・デモ・示威行動など表現の自由は、憲法の定める国民の基本的自由であり、政権党と政府は不法な干渉や違憲の制限を加えてはならない。
11、言論の自由:言論の自由・出版の自由・学術研究の自由を実現し、国民の知る権利と監督権を保障する。「新聞法」と「出版法」を制定し、報道の規制を撤廃し、現行「刑法」中の「国家政権転覆扇動罪」条項を廃止し、言論の処罰を根絶する。
12、宗教の自由:宗教の自由と信仰の自由を保障する。政教分離を実施し、宗教活動が政府の干渉を受けないようにする。国民の宗教的自由を制限する行政法規・行政規則・地方法規を審査し撤廃する。行政が立法により宗教活動を管理することを禁止する。宗教団体〔宗教活動場所を含む〕は登記されて初めて合法的地位を獲得するという事前許可制を撤廃し、これに代えていかなる審査も必要としない届出制とする。
13、国民教育:一党統治への奉仕やイデオロギー的色彩の濃厚な政治教育と政治試験を廃止し、普遍的価値と市民的権利を基本とする国民教育を推進し、国民意識を確立し、社会に奉仕する国民の美徳を提唱する。
14、財産の保護:私有財産権を確立し保護する。自由で開かれた市場経済制度を行い、創業の自由を保障し、行政による独占を排除する。最高民意機関に対し責任を負う国有資産管理委員会を設立し、合法的に秩序立って財産権改革を進め、財産権の帰属と責任者を明確にする。新土地運動を展開し、土地の私有化を推進し、国民とりわけ農民の土地所有権を確実に保障する。
15、財税改革:財政民主主義を確立し納税者の権利を保障する。権限と責任の明確な公共財政制度の枠組みと運営メカニズムを構築し、各級政府の合理的な財政分権体系を構築する。税制の大改革を行い、税率を低減し、税制を簡素化し、税負担を公平化する。公共選択(住民投票)や民意機関(議会)の決議を経ずに、行政部門は増税・新規課税を行ってはならない。財産権改革を通じて、多元的市場主体と競争メカニズムを導入し、金融参入の敷居を下げ、民間金融の発展に条件を提供し、金融システムの活力を充分に発揮させる。
16、社会保障:全国民をカバーする社会保障制度を構築し、国民の教育・医療・養老・就職などの面でだれもが最も基本的な保障を得られるようにする。
17、環境保護:生態環境を保護し、持続可能な開発を提唱し、子孫と全人類に責任を果たす。国家と各級官吏は必ずそのために相応の責任を負わなければならないことを明確にする。民間組織の環境保護における参加と監督作用を発揮させる。
18、連邦共和:平等・公正の態度で(中国周辺)地域の平和と発展の維持に参加し、責任ある大国のイメージを作る。香港・マカオの自由制度を維持する。自由民主の前提のもとに、平等な協議と相互協力により海峡両岸の和解案を追求する。大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国を樹立する。
19、正義の転換:これまでの度重なる政治運動で政治的迫害を受けた人々とその家族の名誉を回復し、国家賠償を行う。すべての政治犯と良心の囚人を釈放する。すべての信仰により罪に問われた人々を釈放する。真相調査委員会を設立し歴史的事件の真相を解明し、責任を明らかにし、正義を鼓舞する。それを基礎として社会の和解を追求する。
四、結語
中国は世界の大国として、国連安全保障理事会の5つの常任理事国の一つとして、また人権理事会のメンバーとして、人類の平和事業と人権の進歩のために貢献すべきである。しかし遺憾なことに、今日の世界のすべての大国の中で、ただ中国だけがいまだに権威主義の政治の中にいる。またそのために絶え間なく人権災害と社会危機が発生しており、中華民族の発展を縛り、人類文明の進歩を制約している。このような局面は絶対に改めねばならない! 政治の民主改革はもう後には延ばせない。
そこで、我々は実行の勇気という市民的精神に基づき、「08憲章」を発表する。我々はすべての危機感・責任感・使命感を共有する中国国民が、朝野の別なく、身分にかかわらず、小異を残して大同につき、積極的に市民運動に参加し、共に中国社会の偉大な変革を推進し、できるだけ早く自由・民主・憲政の国家を作り上げ、先人が百年以上の間根気よく追求し続けてきた夢を共に実現することを希望する。
(括弧)内は訳注。
原文:
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/8f95023140c18356340ca1d707aa70fe
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/84859dc4e976462d3665d25adcd04987
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/d5a614fa9b98138bb73cd49d3e923b40
(転載自由、出典明示)
政権交代がなくても、中心となる政党が誤った方向に行けば、正しいと思われている政党が躍進する。
中心となる政党がやばい!と感じてそちらに引きずられて政治がただされる。場合によっては正しい政党がそのまま勝つ。
小選挙区制。その元できる二大政党制って、二大政党が両方グルになったら、選挙民には選択肢がなくなるからさ。
それは今回の選挙で明らかになった。自民と前原民進がグルになって消費税増税、自民と希望がグルになって日本会議的改憲をで選択肢をなくそうとした。
しかし、枝野が立って完全に潮目が変わった。希望がベーシックインカムとか内部留保課税とか言いだしたが、この政策の正誤はともかくとして、枝野が出なかったら絶対言わなかったよ。
野田以降消費税増税やTPP推進など、民進も完全に新自由主義になって、選択肢がなくなった状態だった。むしろ、自民より過激だった。
高校の頃ぐらいまでは消費税がなかったから、竹下内閣が導入を強行した時はショックだった。頭に来て半年ぐらい、一切買い物をしなかった。子供から税金を取るということが信じられなかった。
海外留学している間に3%が5%になってた。帰国してまた怒り狂った。
8%に上がった時は発狂した。
そして今度また10%→15%→20%→30%へと上がるにつれて俺はどうなってしまうのだろう。もう死ぬしかないのだろうか。
やはりここまで消費税を嫌うことは異常だろうか。
2017年秋衆議院選挙で、小泉進次郎が、新聞業界が、自分達にだけ軽減税率を求めていることを批判した。池上彰も、これに関しては一切コメントすることなく、進次郎の言い分に聞き流すだけだった。生放送での発言の後に収録済みのVTRも流してたけど、進次郎の意見に賛成するでも反論するでもなく、キャスターやコメンテーターではなく、ただの頷き芸人に成り下がってた。
そもそも、新聞業界が軽減税率を求めている、表向きの建前は「思索のための食料」だからだそうだ(笑)
ところで、消費税法第6条「非課税」から参照される別表1を見てほしい。(条文そのままだと見にくいのでタックスアンサーで)
https://www.nta.go.jp/taxanswer/shohi/6201.htm
ここで注目してほしいのが、(15)学校教育(16)教科用図書の譲渡、である。新聞には知識や情報を大衆に広くあまねく知らしめる必要性があると主張するなら、この学校教育、教科用図書に類似するものであるから、新聞業界は「新聞は非課税とすべき」と主張しなければならない。にも関わらず、0%だの3%だの5%だの軽減税率を求めるのは理由がある。新聞業界が皆こぞって馬鹿か、皆こぞって卑怯者であるのどちらかが理由だ。
教科用図書と新聞で比較してみたい。わかりやすく通常税率10%、軽減税率0%で比較すると、以下のような違いが生じる
小売金額 | 200円 |
---|---|
売上にかかる消費税 | 通常税率:20円、非課税:0円、軽減税率:0円 |
材料費 | 100円 |
仕入れに係る消費税 | 10円 |
非課税では還付されないのに、軽減税率では10円還付される。この違いを見れば、新聞業界が非課税より軽減税率を主張する理由がお分かりいただけると思う。既にある非課税の仕組みを知らないなら馬鹿だし、知っていて軽減税率にしろと言っているなら卑怯者ということだ。
還付が実際に得なのか、何円得してるのかとか、非課税とされた業界の苦闘とか書こうと思ったけど、疲れたのでここでひとまず終了。
いや、反新自由主義のスタンスを出して、小池の騒動で、新自由主義、法人税減税、フラット税制の連中を追い出したからだいぶ良くなったと思うよ。
むしろ、野田のあたりからTPPだの法人税減税消費税増税なんかの新自由主義色をだいぶ強めていって、民主でも自民でもどちらでも変わらない。むしろ民主のほうが過激になったからね。
だが、その辺の連中は出ていった。
前原、小池あたりは小選挙区制と二大政党制の欠点を知っていて「トップ2党が同じ方向を向いたら選挙民の選択肢がなくなる」ということだ。
小池の排除の論理や、その騒動内の前原の想定内発言とかいうのを見て、ああ、これ確実にわかってやってるなと確信した。
それでも、くだらない中韓あたりを対立軸にしようとして、中韓あたり擁護を民主が担当したが、民主評価できる部分皆無だった。
自民VS前原民進で、消費税増税以外の選択肢がないようにしたが、消費税増税は幾度も景気を落とし続けている。
で、あまりにも反発強かったから、都議選と同じ構図になるようにして、
自民VS小池前原希望で、消費税をあきらめて日本会議系改憲以外の選択肢がないという形にしようとした。
そうやってほおりだした枝野が立って、その日本会議系改憲と新自由主義を対立軸にして立ってる状態。
枝野が立ってヤバいと思って、ベーシックインカムとか内部留保課税とかやってるが、受けがいいのを適当に言っただけでバックや財源わかってないから迷走している。
対立軸があってヤバいと思えば、国民に受けがいい政策を言い出すってことだ。でも対立軸がなければ国民を無視して進めようとする。
学生時代はろくに友達も作らず、そして勉強もせず、かといって部活や学校行事に精を出さずゲームばかり、
一日8時間フルタイムで働くが最低時給なので手取りは9万円、もちろん交通費や住宅補助等は一切なし。
一人暮らしはしたいが一生無理だろうと諦める。家も持ち家ではなくアパートなので将来性もない、死にたい。
今の日本は私みたいな”無能”に対してあまりにも不寛容なのではと思う。
新卒の就活は公務員でも企業でも求める人材は第一にコミュニケーション能力(笑)、そして即戦力(笑)
主体性があり協調的でかつ元気で若者らしく大学時代は海外留学(笑)やボランティア(笑)、部活(笑)サークル活動(笑)に精を出しリーダー性(笑)もある、
そういうスーパーマンばかりを求めるこの時代。それでいて薄給でも文句を言わないやつ(笑)
それらの能力を持った”有能”はらくらくと就活をこなし内定を取る一方、コミュ能力や学生時代に頑張らなかった”
無能”は非人間、非国民として奴隷として最低時給でこき使われるのである。
たしかにそうだ、高校大学で一生懸命勉強やコミュ能力、そして部活やサークルボランティア等に精をだせばたいてい就活は乗り越えられるし、
普通に働いて普通に恋愛・結婚して普通に子育てして普通に家を建てて普通に退職して普通に老後を生きることもできる……。
そういった普通の生活を昭和の時代は”無能”な人でも大抵の人は送れたわけだが、今はその普通の生活すら努力のボーダーが高い。
相当努力しなければ普通の生活は送れなくなったのがこの日本社会。
企業は人件費削減の嵐でリストラを敢行した会社が評価されるという異常な時代。昔なら手厚く研修をやり、
できるだけ長く働いてもらおうとしていた日本企業の面影はもはやない。能力!即戦力!コミュ能力!
それすらできない”無能”は切り捨て!かといって一度正社員・正職員というレールから外されると再起は難しい……。
「努力は報われる」と言われていたのは過去のことであっていまや寝ているだけでも株の配当や家賃収入、その他不労所得を得たり、
タックスヘイブンで課税逃れをする富裕層がいる一方、庶民は働けど薄給サビ残で少ない給料から年金税や保険税をひかれさらに
そもそも日本で「富裕層」という言葉が使われてきた時点で相当持つものと持たざる者の格差が広がっているということを意味していると思う。
中置半端な努力ではバカを見る、まして私みたいな努力をしないやつは奴隷同然の地位。
若者が努力をせず底辺へ落ちぶれていく原因は私みたいに単に怠け者なやつばかりではない。
家が貧困で努力しようにも学ぶ教材が買えなかったり進学できなかったり……。
親からの虐待、学校でのいじめ…そういったもので努力しようとしたら阻害されたりしたり……。
そういった努力をしない、できなかった”無能”な人種に対して今の日本社会は「甘え」「お前が悪い」と切り捨てて奴隷のように扱う。
”無能”を養える余裕がない日本ははっきり言って未来がない、有能な人はぜひ海外へ脱出するべきなのでは?
余談だが私みたいな”無能”は成功している奴に対して極度のコンプレックスを持っている。
同級生が公務員や大手企業の社員として人生で成功を収めている一方、
人生で成功している奴の人生をどんな手段でもいいからメチャクチャにしてやりたい!!!!!!!!!!!!
と思う毎日だ。