はてなキーワード: 試行錯誤とは
診断がついたのは初めてだが学生時代から軽い鬱のような状態を何度か繰り返してきたから、薬だけじゃいかんなと思ってカウンセリングしてくれるところを探し、休職する少し前から今の病院に通い始めた。
担当のカウンセラーには幼少期の話から、考え方の癖から、最近の人間関係までなんでも話した。歪んだ考え方を指摘してもらったり、力を抜く方法について試行錯誤して、完璧主義が少し改善されて気持ちが楽になった。嬉しかった。この調子なら生きていける気がした。
ただ、それでも落ち込みや希死念慮が消えないことを相談してみた。そうすると、以前話したエピソードから、「あなたの大好きな家族から本当は大切にされておらず、自己肯定感が育っていない。本当は寂しくて我慢ばかりしていたんじゃないか。彼らに悪気がないとしても私は肯定できない」と言われた。完璧な家族ではなくとも愛されて育ったと思っていたからショックだった。
愛されていたと思っていたが自分にとっては足りていなかったのだろうか、今でも自立しているつもりだが実は過去に囚われているならどうすればいいのか(ちなみに一人暮らし)、家族を責めたくはないなど、思いつくままに口にするとカウンセラーの表情が強張っていった。
「議論するつもりはない」「あなたを論破したいわけじゃない」と言われて困惑した。議論も何も、過去の家族の行動によって今の自分が苦しんでいるという仮説を飲み込めていないのだ。もちろん幼少期の曖昧な記憶から出てきた仮説なので具体性もない。疑問に答えてもらうことで理解を深めたかった。
それを伝えると、「だって否定から入るんだもん(原文ママ)」と返ってきた。だもん?とは思いながら質問の稚拙さを詫びた。それでもできるだけ咀嚼したいから付き合ってほしいと頼んだ。
「あなたの大事な家族を否定するような辛いことしたくないのよ正直」
友達か?友達だったっけか?他人の大切なものを否定するのは確かに辛いことだろうが治療としては必要なことだから言ってくれたんじゃないのか?というか辛いのはこちらなんだが?
無限に疑問が浮かぶがなんかとりあえず謝った。どんな人にも人権があるのだから嫌なことを避けるのも権利だろう。
ここまでで時間切れとなり病院を後にした。話している途中からずっと涙が止まらず、何に泣いているのかよくわからなかった。何もかもショックだった。何よりカウンセラーに問題だけ提示されてこの先はやりたくないと言われたらどうすればいいのだろうか。「あなたが自ら気づいてくれれば私はそれを肯定できるんだけど」それができるなら友達に肉でも奢って聞いてもらっている。
今のご時世さ、同人で歌うたったり、ドラマ作ったり、youtuberになったりしてるじゃない。
まずは別に収入もって、そのうえで趣味で歌うたったり、ドラマ作ったりして、そのCD出すように勧めたら?2次創作推奨で、ガイドラインがあるところなら、ガイドライン範囲内なら驚きの白さだし。
サブカル系は、まず趣味でやってみて、それでいくらか同人で売って、プロとして仕事お願いできない?となってからプロになるもんだと思う。
また、こちらが客つかんでるから、出版会社にもそこそこ強気に出れる。客なし能力なし全部お願いなんてのだったら出版会社になめられ使いつぶされるだけよ。
今時、頭の緩い女に声優とかアイドルになる夢を語って、AVに出させる手口が横行しているけど、自分に客がなければそういうのに流されざるを得ない。
だから、声優の専門学校に行く前に、何らかの同人かyoutuberデビューを先にするべきだと勧めるべきだと思う。売れる技法なんか自分で試行錯誤で身に着けるもので、教えてくれる専門学校なんてないよ。
話題のOculus Questをアマゾンでポチって、先週末に届いた。
VRの初体験。Youtubeで事前学習していたので、スムーズに使い始められた。
宇宙船の中を宇宙遊泳できるし、ゲームもすごいリアルで迫力がある。
アダルトVRだ。普通のAVに戻れないという記事をみたのがきっかけだ。
目の前の可愛い女の子に笑顔で見つめられながら、優しく胸を触り、微笑みながら恥ずかしがる。
増田は中学生の時からほぼ毎日自炊してきて、今の妻と数年間の体の関係後、仲は良いがセックスレスになった。
アダルトVRは完璧ではない。しかし、未来へ確実に進んだと実感した。
行為中も本番さながらの視野でキスも本当に唇が触れている感覚だ。
妻との行為も慣れてきたら、目をつぶってお気に入り女優などを思い浮かべながらしていた。
数個目に試したのが歯医者で歯科衛生士に歯をクリーニングしてもらい、その後Hをするストーリーだ。
最初の10分はお客さんとして可愛い子ちゃんが真面目にクリーニングしているシーンだ。
それがこの10分が目を見つめるだけで心がドキドキして先っちょが濡れてくる。
周りにばれないようにスリルを味わいながらの体験も本物の感覚だ。
今までのAVなら増田は5分で終わっていた。出して満足していた。
服を着た状態の顔で声を確認したら、インタビューはすっ飛ばす。
初めて出した時は、まるで中学生の覚えたての頃の快感レベルだ。
そしてその後も恋の満足感で、心が高ぶっていて満足レベルが全く違う。
ただし、まだ完璧ではない。自分の体位をどうすればよいか模索中だ。
近所のかっぱ寿司が閉店する。
理由は定かではないが、おそらく売上が減ったのだろう。
ここ数年、街にはスシローや魚米が進出してきた。どちらも何度か足を運んだが、いつでも客でごった返している状態で、対してかっぱ寿司は連休中を除けば閑散としていることが少なくなかった。
俺は数年前までかっぱ寿司が大嫌いだった。詐欺同然の代替魚ばかりで、しかも鮮度も悪い。サイドメニューの品揃えやボリューム感もお粗末。
低所得者層に漬け込んで、安かろう不味かろうの寿司もどきを食わせるこの企業を最低だとも思っていた。
それを変えたのは、たった一尾の赤えびだ。
数年前、先輩に「かっぱ寿司に行こう」と誘われて、内心ものすごく嫌だったが、仕方無しについていった。
そこで先輩が何度も赤えびを注文するので、俺は「そんなに美味いんですか?」と聞いたら、先輩はこう言った。
「最近のかっぱ寿司は変わったんだよ。昔のイメージを払拭しようと頑張ってるんじゃないかな。まあ一つ食べてみろよ」
俺はかっぱ寿司の企業努力よりも先輩の味覚を少し疑ったが、言われた通り赤えびを食べて、驚いた。
美味かったのである。
言うまでもなく冷凍ものの海老を解凍して提供していることは分かるが、大振りかつ肉厚で、歯ごたえもよく、臭みもない。俺の歯と舌の上でコリコリッと身が弾け、ほのかな甲殻類の甘みが広がった。
俺は本当に驚いた。
それからしばらくして実家に帰った時、家族にその感動やかっぱ寿司の企業努力を熱く語ったが、家族は眉唾と言わんばかりに、まるで取り合ってくれなかった。
「それこそうちの近所のかっぱ寿司、あそこは初めて食べに行った時は本当にひどかった。もう二度と行きたくない」と両親は苦々しく話した。
俺と同様、やはり家族もまた以前のかっぱ寿司の劣悪なイメージが頭から離れないようだった。
そんな家族も、その後『ガイアの夜明け』のかっぱ寿司特集をテレビで見た途端、汚名をそそごうと悪戦苦闘するかっぱ寿司社員の姿を目の当たりにしたおかげか、手のひらを返すように行こうと言い出し、ついに一家そろってあの近所のかっぱ寿司に入店する日を迎えた。
家族が口々に笑顔で「かっぱ寿司、変わったね」と言うのを見て、俺はなぜか少しだけ誇らしい気持ちになったくらいだ。
家族は全員寿司が大好きで、昔から様々な寿司を食べている。今や全国に名を轟かせた有名店にも昔から通っていたし、築地や都会の回らない高級寿司屋にも何度も行っている。寿司に関しては一家言持っているその家族が、かっぱ寿司を褒めた。
そうして俺たちは一月に一回はかっぱ寿司に通うようになり、毎回様々な品を食べる内に、かっぱ寿司のいいところにいくつも気付いていった。それはたとえば、
これは今でも驚く。しっかりとダシが香る甘味の効いた茶碗蒸しは他の回転寿司屋とは比べ物にならない。地元の割烹でさえこのレベルの味を食べさせてくれるところはまずない。ただ、何故か期間限定のものより通常の茶碗蒸しに限っての話だ。
揚げ物はいつもからりと揚がり、香ばしい。トランス脂肪酸の嫌な苦味もまったくない。フライヤーのマニュアル整備や油の交換頻度に起因しているのだろう。断トツの美味さを誇った上穴子天ぷら寿司やインパクト勝負の大海老フライ握りがメニューから消えたのは本当に悔やまれる。
すべての回転寿司屋において、かっぱ寿司の麺類に勝てる店はない。俺はあまり麺類は食べなかったが、家族は貝の塩白湯ラーメンを毎回頼み、そのたび褒めていた。時々ぼんやりした味付けの混ぜそばで迷走したりもしたが、基本的には満足のいくような作りになっていた。何より時流に乗って何度も様々なコラボをして、気軽に有名店の味を楽しめるようにしたことは賞賛に値する。かっぱ寿司全体では一幻のえびラーメンが一番人気だったらしいが、俺はにぼしラーメンこそ最も美味かったと思う。
ツナを原料とした面白い風味が癖になるツナゲット、肉厚で濃厚なハンバーグ、最近だとハワイアンキャンペーンでガーリックシュリンプなど、商品開発部門の遊び心とこだわりが感じられる。唐揚げやフライドポテトなどの定番も、万人受けするように余計な個性を出さない控えめさがあって好感が持てる。ただたこ焼きは誰も食べなくていい。
はじめこそド定番のケーキやなんちゃってパフェぐらいしかラインナップは無かったものの、ある時を境にスウィーツが急速に良くなった。中でも販売終了した杏仁豆腐、フロマージュは特に忘れがたい。かっぱ寿司は大体素晴らしい商品が消えてゆく。なおプリンに関してだけは、近所の店舗がだめなのか、そういうコンセプトなのかは知らないが、まったく固まらずどろどろと液状化しているのが今でも許せない。
といったようなことだ。寿司ネタに関してはあえて自分の舌で確かめてくれと言うしかない。
ただ、世間がそんなかっぱ寿司よりもスシローや魚米やくら寿司に流れていくことは仕方ないだろうという諦めもある。何故かと言えば、かっぱ寿司は今までのイメージの悪さだけではなく、純粋にやり方がとにかく下手くそなのである。
まずは店作り。かっぱ改革が始まってからできた店はともかく、既存の店舗は妙に清潔感に欠ける。これはおそらく蛍光灯やインテリアの配色がそうさせているんだろう。
店内BGMもそうだ。お得さを無意識に感じさせる心理効果を狙ってなのか、スーパーで流れるようなJ-POPのクソクソフュージョンアレンジが常に流れていたりするところは正直毎回疲れる。
CMもひどい。「かっぱが変わる」みたいな内容の頃のCMはまだよかったが、最近は聞いているだけでイライラする歌付きの脳みそ空っぽなCMに変わって呆れた。
接客は口調だけ丁寧な典型的な感じで特に不満は無いが、もう少しホールの人たちの労働意欲が増すような環境とか制服を作った方がいい。
後は注文端末。液晶パネルが高い位置に固定されているため、注文していると異常なほど腕や肩が痛くなるのは致命的。これは親や年寄り世代には辛いだろう。
低所得者層、学生、家族層をターゲットにしているのだとしても、せっかく採算度外視で質の高いネタを提供する方向に舵を切ったのならば、もっと落ち着いた居心地のいい店舗作りをすべきだったのではないか。
しかしそれでも、週末は必ず激混みする地元のスシローや魚米に比べれば、かっぱ寿司の満足度は群を抜いている。
スシローは注文品も一緒に回ってくるシステムのせいで他のアホ客の勘違いで取られたりするし、赤えびも茶碗蒸しも、かっぱ寿司ほどの感動はない。
魚米は麺類の不味さが全企業トップクラスだ。パスタや明太釜玉うどんはもはや悪夢。えんがわが食べたくて仕方ない時にえんがわ軍艦を食べに行くお店だと思ってる。
それでも実家の近所のかっぱ寿司は閉店する。他のかっぱ寿司は車で20分近くはかかるので、家族がかっぱ寿司に通う頻度は激減するだろう。
昔はあんなに毛嫌いしていたが、生まれ変わろうと努力し始めたかっぱ寿司にすっかり惚れ込み、応援したい気持ちもあって、何度も通った。
今後はあの赤えびや茶碗蒸しがなかなか食べられないのかと思うと切ない。
過去に問題があった人間や企業に対してどこまでも冷たくなる気持ちは分からないでもない。だが、過ちを反省し、顧客の満足のために試行錯誤し奮闘努力している人間たちが確かに存在している訳だ。
約束を取り付けた後に急にメッセージを途切れさせる理系男より。
いやね。まだそんなに仲良くなっていないのに、何をやりとりすればいいのよ。
長文だとウザいし、短文連発だと馴れ馴れしすぎないか。
と思って、具体的な約束内容以外のLINEをマメにしてなかったのだが、約束取り付けてたり一度会って「悪くないかも!!」と思っていた相手にも、ちょっと時間経ってからことごとくお断りされていくんだ。
なので意を決して試行錯誤中。
お疲れさま。仕事いつも遅いんだよね。
…いつも質問ばかりになってしまうので、自分自身も開示してみる。
いい人に巡り会える会えない以前の問題で、人柄を判断するに至るまで進展する兆しが、全く見えない。。。。。。
うちの仲人は「あなたらしくいれば、そのうち合う人も現れるよ」的なことしか言ってくれず、具体的な改善点が分からん。
つうか世の人々は、アプリでも合コンでもお見合いでも友人紹介でもいいんだけど、日常的に接点のなかった人とどのように距離を詰めているんだ。
http://yaraon-blog.com/archives/153621
みんな自らの体験を元にありえない体勢、と言ってるようだけど、オナニーの体勢って千差万別だと思うんだよね。オナニーのやり方ってなんかノウハウがあって始めるわけじゃないから、ふんわりした知識を元に試行錯誤してみたりとか、偶然の中で見つけた気持ちいいやり方とか、そういう手探りの中で徐々にチューニングしていく感じ。
似たようなことで、例えばうんこしてるときの体勢とか詳細に共有されないよね?どこまでパンツ下げるとか、上に着ている服をどういう状態にしているとか、自分が自然だと思っている姿勢がはたして他の人もそうだとは限らない。
まぁそんな風に冷静に考えられるのは自分がそこそこ年齢を重ねたからだと思うけど…。高校生とかの頃は、アブノーマルに行為をすることに謎の快感を感じたりして、おかしな体勢とか場面とかでヤることもあったはず。しかしそれすら個人の体験だ。多くは共有されずに自分の記憶の中に眠っている。
そんなわけでオナニー描写に関して色々言いたい事もあるだろうが、こういう体勢でオナニーするに至った理由があるんだろうなと、逆に考えるんだ。きっと騎乗位のシーンをみながら、男優と体勢を揃えようとして、可能な限り体を横に倒したかったんだ。だから椅子の上だと足を上げる方向になってしまったんだ。どんどん興奮が高まると、右手だけではなく、腰が動き始める。そして無理な体勢であることを徐々に忘れ始め、ひっくり返ってちんこを出しながらみじめに痛みに悶えることになる。家族がいたりすると心配して自室にやってくる。もっと惨めな瞬間がやってくる。あの日の自分のように。
エアープランツを知っているだろうか? 土がなくても育つという植物で、おしゃれインテリアアイテムとして人気である。チランジアやティランジアとも呼ばれる。少し大きなホームセンターに行けば売られているし、ダイソーで見かけたことのある人も多いかもしれない。
私は激怒した。エアープランツの間違った育て方がネット上に氾濫しているからである。検索をかけるとおおよそ植物系のキュレーションメディアみたいなサイトが上位を占めることとなっているが、だいたい間違えている。Googleも植物の育て方についての真偽を見抜く力はないようだ。
間違った知識を基に植物を過酷な環境で育てて枯らせてしまっても有罪ではない。なぜなら植物には脳がないからである。我々が植物に同情したり、罪悪感を抱いたりする必要はどこにもない。
だけど、どうせなら元気に育てたいじゃない。
本稿では、巷に溢れるエアープランツの間違った育て方をあげつらって批評し、なるべく元気な育て方を提案するものである。
あらゆる植物を育てるにあたって、問題となるのは水やりの頻度である。
「とりあえず土を常に濡らしておけばいい」というお手軽な植物は問題ない。何も考えずに朝晩に水をあげればいい。
ところが、サボテンや多肉植物のように「水をあげすぎると根腐れする」という植物に直面したとき、我々は混乱する。誰でも植物に水をあげたいという衝動を持っているが、それを抑制しろとサボテンや多肉植物は言っているのである。それは「困っているぽい人がいても助けるな」と言われているのと同義であり、我々の本能・善意・優しさが激しく揺らぐ。
で、エアープランツである。奴らはそもそも土に植えて育てるものではないので、この混乱は虚無へと昇華され、思考が完全に停止する。そして、キュレーションメディアに書いてある通りに3日に1度霧吹きで雀の涙程度の水を与えて、やがてその植物は枯れさらばえる。
エアープランツは実は水をかなり好む。だから、毎日たくさん与えて良い。水の冷たい冬以外は、キッチンの水道水を直接じゃぶじゃぶかけても良いし、数が多いなら浴室においてシャワーでざぶっと水をかけても良いし、究極、溜めた水の中にドボンと数時間くらい漬け込んでも良い(これをソーキングという。毎日は非推奨)。
「水をあまり与えなくて良い」という言説は「乾燥に強い」を履き違えた誤謬である。これら二つの言説はこの場合、両立しない。
私は昨年のあの猛暑の一番暑いときに家を3日間空けた。ベランダの日陰にエアープランツを残して。それでも奴らは、ある程度の傷みこそあったものの枯れなかった。だから、乾燥には強い。だけど、それは水をあげなくて良いということではないのだ。
某フリマアプリにおいてこう記述されているのが目についた。何を根拠に言っているのかわからない。
日本の夏は蒸し暑く、湿度が70%を超えるという。それでも水やりをしなくて良いと言うのか。先述の私が真夏に3日間家を空けたケースで言えば、3日間水やりをされなかったエアープランツたちは「元気」というよりは「耐えた」という有様であった。先程は書かなかったが、乾燥に弱い1品種は完全に枯れていた。
エアープランツはある程度の湿度があっても水やりの必要はある。私は梅雨でも秋の長雨でも構わず水をやっている。
玉村豊男『料理の四面体』では、調理法を「火」「水」「空気」「油」の四要素に解体・再構築することで、すべての料理の作られ方を普遍という名の白日のもとに晒した名著であると私は考えている。この考え方を応用すれば、私は「植物の四面体」として植物の育て方を「光」「水」「風」「気温」の四要素に解体できるのではないかと考えている。
例えば、サボテンが健全に生育するには「光」「風」「気温」が必要だ。森の奥深くに茂っているシダ植物などは殆ど「水」だけが必要だ。
このように考えると、エアープランツに必要なのは「水」「光」「風」である。「水」は先に述べた。「風」は後に述べる。
「光」である。エアープランツは明るい場所を好む。真夏の直射日光ではさすがに葉焼けしてしまうが、春の柔らかな光くらいならむしろ直射で育てたいくらいである。
エアープランツはおしゃれアイテムとして認識されており、いろいろなウェブサイトにおいて室内でのかわいい飾り方が提案されているが、正直、室内だと光が弱すぎると個人的には思う。光が弱すぎると成長することができず、そのまま萎れてしまうか、蒸れてある日突然バラバラになる。
南向きの窓辺ならギリ大丈夫かと思われるが、できればベランダの明るい日陰で育ててほしいところである。木漏れ日のように時々陽が当たるとなお良い。ある程度の光量があるならずっと濡れっぱなしでも構わないのではないかという仮説もあるくらいである(室内の暗い場所で濡れっぱなしだと十中八九腐ってしまう)。
私がエアープランツ初心者だった頃、室内で育てていたのだがなぜかうまく行かず、すぐに枯れてしまう(バラバラになる)のだった。そこで、思い切ってベランダに出してみたところ、そこからは殆ど枯れることはなくなった。「光」と「風」のおかげであると思われる。室内の明るい場所だとしても、屋外の日陰に比べたら光量は全然足りないのである。
言語道断である。私の知る限り瓶に詰めて元気に育つのは苔くらいである。
上で「水」「光」と述べてきた。落とし穴的な存在なのが「風」である。意外と思われるかもしれないが、植物の健全な育成には空気の流れ、すなわち「風」が重要な要素になる。
エアープランツにおいてなぜ「風」が肝要かと言うと、あげた水をなるべく早く乾かすためである。エアープランツは水を愛しているが、その水がずっと乾かずに停滞してしまうと傷んだり、最悪、腐ってしまうのである。
なので、最も適切な場所は屋外であり、屋外が難しいなら室内の明るくて風通しの良い場所となる。扇風機などで送風して、空気が停滞しないようにするのも良い。エアープランツの生産者さんは、ハウスの中で常に高湿度を保ちながら、大型の扇風機で送風している。
水→エアープランツは水が大好き。ジャブジャブとあげて良い。水やりのコツは、あげた水が完全に乾いてから次の水やりを行うということだ。これを守れば一日に何回でも水やりをして構わない。
光→エアープランツは明るい場所が好き。できれば屋外、難しいならかなり明るい窓際で育てよう。
風→空気が停滞しているとあげた水が乾かず、腐りやすくなってしまう。盲点だけど通風にも気を払おう。
私はズボラである。面倒くさがりである。シンクに数日間皿を溜めてしまうことはザラだし、掃除は苦手だし、ペットを飼うのにも向いていない。だけど、エアープランツは育てることができる。つまり、コツさえ掴んでしまえば難しくないということだ。
(春〜秋)ベランダの日陰になる場所に吊るしている。数が多いので100均のワイヤーネットに大量に吊るしている。水やりは朝晩の2回。いずれも滴るくらいにたっぷりと与えている。朝昼夕晩の4回くらい与えても問題ない。
(冬)最低気温が5℃を下回るようなら室内に取り込む。北関東に住んでいるので、冬はおおよそ寒い夜は室内、暖かい昼は屋外で直射日光に当てるというサイクルになる。水やりは変わらず朝晩2〜4回くらい。
スペースの関係で吊るせないエアープランツは、100均で売っている網状の書類入れや雑貨入れに並べている。網状なのは当然ながら、通風を良くしてあげた水を停滞させないためだ。管理は上述と同じ。
*
たったこれだけ。明るくて風通しの良い場所で管理して、朝晩に水をやるだけ。乾燥に強いので数日は水やりを忘れても大丈夫。ね、簡単でしょ?
とはいえ、コツを掴むまでが難しいんだ。少なくとも「室内で瓶詰めにしておしゃれに育てる」という類の植物ではないかな。エアープランツは最初は誰もが失敗するに違いなけれど(私もだいぶ枯らせた)、コツを掴んでしまえば簡単に育てることができる。
土がいらないので虫が湧くこともないし、省スペースで園芸を楽しむことができる。エアープランツの魅力を伝えたくて本稿を書いた。
枯らせてしまっても大丈夫だ。なぜなら植物には脳がないからだ。エアープランツは君を呪わない。何度もトライアンドエラーを繰り返して、より良い植物ライフを!
エアープランツにはいろいろな種類があるが、本稿では「エアープランツ」と十把一絡げにして取り扱った。大きくは「銀葉種」と「緑葉種」に分かれるらしいけれど、それはあまり問題ではない。うちのエアープランツは銀葉種だろうが緑葉種だろうが全て上記の要領で管理している。ホームセンターやダイソーで売られている普及種はどれも比較的に丈夫なので、細かいことは気にしなくて大丈夫だ。
エアープランツは葉から水分を吸収するという不思議な植物である。だけど、根が生えないわけではない。おおよそ春頃、状態が良いと根が生えてくる。自生地では大樹の幹などに根を張って成長している。蘭などと同じ着生植物というやつである。「土が要らない」というのは「自生地では木などに着生している」という意味である。
なので、最も良い育て方は、流木・コルク・木片などに針金やテグスでエアープランツを固定するというものである。そうするとそのうち根が出てきて、その木片などに着生する。着生するとより元気に育つと言われている。
本文であえてそれを書かなかったのは、育てるにあたっての敷居を高くしたくなかったからだ。着生させなくてもきちんと育つ。慣れてきたら着生にも挑戦されたし。
私が最近、余って置き場所に困っているエアープランツに対して行っている育て方は、上述の100均の書類入れで管理し、
朝:室内に取り込んで南向きの窓辺に置く
ここから察するに、エアープランツにとって最重要なのは「風通しの良い場所で水をやる」ということなのではないかと推測される。もちろん明るさも大事だけれど、それと同じかそれ以上に。
正解は一つじゃない。私も未だにいろいろと試行錯誤している。居住環境や生活スタイルは人それぞれだから、それぞれの人にあった元気な育て方を見つけてほしいと思って追記した。
・葉先から枯れていく
「葉先から枯れていく」のは水が足りない証拠である。水やり量や頻度を増やすことが推奨される。また、上に挙げたソーキング(溜めた水に数時間浸ける)をすると一気にハリが出る。ソーキング後は風通しを良くすることを忘れずに。
「中心部がスカスカになりバラバラになる」場合、光量や通風が足りないと思われる。暗い室内で管理していると結構な確率でこうなる。はい、私もよくバラバラにしました。置き場所や環境を工夫することで回避できる。
https://note.mu/fromdusktildawn/n/n5067707f07a7
自己顕示欲と承認欲求が肥大しまくって頭内側から割れそうなので、もう頭を下げて増田のみなさんに知恵を借りたい。
小説自体は子供の頃からもう何十年も書き続けて、最近はネットで公開してるのだが、誰にも読まれない。
ツマンナイとか言われる以前の問題として、そもそも読まれない。
なろうに置こうが、noteに書こうが、ツイッター(一応フォロワー1000以上)そもそも反応がない。アクセスもない。
昔家でワープロ専用機で書いて印刷して自己満足してた頃と何も変わってない。
こういうことを書くヤツに限ってURL貼らないんだよって言われたから増田に貼ってみたらわりと面白いって言われた。うれしかった。
でも増田で宣伝するのは規約違反らしいのでもう貼ることはできない。
今回も自信作をアップした。
だがアクセス1日7だぞ!
一桁だぞ!
だから文章力そのものが決定的に無い、というわけでもないだろう(と思いたい)。
自己顕示欲と承認欲求のオバケだから自分の作った作品は読まれたい。ほめられたい。
なろうで承認欲求満たすのがあたりまえみたいに言われてる人たちはどうやって読まれてれるんだ。
元々協力会社の立場で、ドワンゴのプロジェクトに参加していました
そこで声をかけてもらって、選考を受けてもらいたいと言われました
当初は正社員としての採用というはなしでしたが、まだエンジニア歴が浅いため、
ゆくゆくはチームのマネージメントも含めて雇用したいということから、
まずは契約社員として経験を積んでほしいということで、契約社員として入社しました
しかし、残念ながらすぐにサービスのクローズが決まり、雇用については考えると言われました
その結果、次回の契約更新をしないという結論になり、退職すること決定しました(契約社員は半年ごとの契約更新)
この点については、自分のスキル、経験不足が問題なことも当然自覚していますし、
会社として状況が変わってしまったので仕方ないかなと思っています
が、僕も人間なので裏切られた気持ちも、やるせない気持ちも当然あることを理解してもらいたいです(恨んだりはしてません)
個人的には完全裁量労働で、やることをやっていれば評価してもらえるのはありがたかったです
また、前職ではレガシーなプロジェクトも多かったのので、割とモダンな開発環境で、環境構築の段階から携われたことはとても有意義でした
チーム的にも割とコンパクトで、すぐに相談できる人がいたり、働きやすかったです
困っていれば別部署の方からもアドバイスをもらえたりと、社員の方々もSlack上はフランクで、話しやすかったと思います
一部Slackが心地よくないという話もあるようですが、社員数も多く、雑談を含めて色んな話題が出てくるため、
個人的に腹が立つことも、不快なことも当然ありましたが、人と付き合う上で仕方ない部分なのかなと割り切っていました
とはいえエンジニアとしてはまぁまぁというところでしょうか(スキル、経験不足のため)
お昼がとても困りました
ケータリングやお弁当など、現状試行錯誤しているようですが、お昼に一人でゆっくりしたい人にとっては、なかなか手軽ではありませんでした
近くのコンビニも全く商品がなく、お昼の時間を大幅にずらさないとパーソナルスペースを確保してお昼休憩を取ることが難しかったです
また、僕は中途で、参画するプロジェクトも決まっていたため、同期と呼べる存在がいませんでした
新卒の人たちは仲良くフォローしあっていましたが、僕には誰とも交流する機会もなく、
そのため、チーム外の状況についてほとんど知る機会がなく、Slackを眺めるくらいでしか社内情勢がわからなかったです
中途で入社する人は社内でコミュニケーションを取るのが難しいかもしれません
その間では決めることができませんでした
一応話をもらっている企業もありますが、絶対ではないので不安です
一個人の感想として流してもらえると嬉しいです
また、機密保持契約にサインしている以上、これ以上詳しく書けないことをご了承ください
(どの部分が機密に当たるのかを確認できないので)
額42万ナスなし
作り方は簡単、最初にホールスパイスをテンパリングしてにんにく、生姜を入れて、玉ねぎを炒めて、トマトを煮詰めて、鶏肉を入れて、水を入れて少し煮込んでスパイス入れて、ちょっと煮込んで完成。
インド風チキンカレーのレシピはどれも似ているから一度作れば覚えられる。
(ホールスパイスを揃える優先順位クミン、クローブ、コリアンダー、シナモン、カルダモンの順。異論は認める。量が少ないやつなら全部そろえて1500円くらい。最初はとりあえず三つくらいから始めるといいと思う、その場合はクミン、クローブ、シナモン)
何度か作ると飽きるのでアレンジを加えていくわけだ。
鶏肉をヨーグルトでマリネしたり、バター入れたり、スパイスの分量を変えたり、鶏肉を別のものに変えたり。
そんなアレンジの試行錯誤の中で一番美味しかったのは鶏肉をサバ缶に変えて作った時。
サバ缶は主に水煮、味噌煮、一部には醤油煮があるけれど、味噌煮が圧倒的に美味しい(甘くなるけど)。
サバ缶じゃなくて鶏肉でも味噌とか醤油、みりんを入れると突如親しみやすい味になる。
結局、醤油や味噌といった日本の発酵食品に囚われているんだなぁと痛感した。
醤油、味噌以外ならヨーグルトとか生クリーム、りんごとはちみつを入れても味がまとまる。
トマトを多めにしてトマトを中途半端に煮詰めるのも悪くない(レトルトのバターチキンカレーが何種類かあるけど、一部はそんな感じ)。
ブラック企業でどんなに理不尽な仕打ちを受け続けても転職を考えないのは、自分なんて他の会社で働けるわけがないと卑下してしまったり、他の選択肢があることを考えもしなかったり、お前はいまここで恵まれているのだと上司や同僚に吹き込まれたことを固く信じ込んでしまったり、などの理由が挙げられる。あるいはまた、配偶者からひどい身体的・精神的な暴力を受けている人が逃げようとしないのは、逃げたところで今より状況が良くなる保証もないと考えてしまったり、自分を愛してくれる人が他にはいないと思ってしまったり、そもそも自分がいま受けているのはDVではないのだと信じ込むことで乗り切ろうとしていたり、などがある。本当は、現在の環境を「変える」ことは、ただ「変える」ことに過ぎないのだけど、それが逃げ癖と呼ばれてしまったり現実を直視できない人間だと批難されたりする。世の中は基本的にトライアンドエラー、試行錯誤というものが許されていない。環境を次々と変えていって、より良い場所を見つける、より良い方法を編み出すことが良しとされない社会では、いつまでも人はブラック企業に残って心身を病んでしまい、ブラック企業は末永くいつまでも栄える一方で、健全な企業が競争に敗れて消えていく。あるいは暴力や暴言で人を支配するような酷い人間によって人が縛り付けられて、どこかに必ず存在する優しい人に出会えないままで時間が過ぎ去っていく。不遇のときを過ごしている人が自ら呪縛を脱ぎ捨てて今とはまったく異なる選択肢に踏み出していくのは容易ではないようにも思えるけれど、だいたいの場合において人は疾走するトロッコ列車に載せられている訳ではなく、ただ単に自分の足で歩いているだけなのだから、いつでも曲がり角を曲がって異なる方向へ進むことができる。水際に向かって下り坂を全力疾走するネズミの群れではないのだから、いつでも自分ひとりで方向を変えて、下り坂から横道へ入ることができる。ひどく長い前置きのあとに政治の話をすると白けるだろうなと思いつつ政治の話をするのだけど、いまの自公政権を支持するのは、DV加害者やブラック企業から離れられない心理に近い。「俺と別れたらお前はひどい目にあう」「他の会社でやっていける訳がない」という言葉が、そのまま「野党はだらしない」「民主党時代は悪夢だった」という言葉に等しい。いまの状況が恵まれているのだと百回や千回繰り返すことで、そうかたしかに今が一番恵まれているよなと刷り込まれて行き、自分の生活を苦しめる政権を支持し続けることになる。今も苦しいけど他の政権に変えるなんてできない、という思考になる。だけど自分の行動は自分で変えられるのだし、変な言い方をすれば、配偶者を変えることに比べれば政権を替えることは容易い。自分の心や経歴に傷がつくことはないし、いつでも何度でも取り替えていける。だから、DVをふるう現在の政権からは、いったん縁を切ろう。6年も付き合って駄目だったんだから、もう我慢しなくていい。
箸の持ち方やマナーに関して何やら揉めているようだが
ちゃちゃこ正直クソババアお母さんという下品なハンドルネームの女や
もじゃもじゃ頭のNO科学者が「持ち方の自由」を主張している。
だが、騒ぎの本質は「正しい」という表現への脊髄反射。それだけ。
これが子供ではなく、いい歳した大人の態度というのだから驚きだ。
動作や操作に関しては「適切なフォームやポジション」が存在する。
私は筋トレが趣味だが、いわゆる「正しいフォーム」というのがあり
その「正しいフォーム」とは「数多の先人達による膨大な試行錯誤と経験則」から
「平均的、あるいは好ましいフォーム」として定まったと解釈している。
そして「正しいフォーム」は自ずと美しく見える。
もちろん平均から外れる人もいる。私も種目によっては正しいフォームが合わない。
「正しいフォーム」を頭ごなしに否定し自由で良いんだと言うのは
結局「使いやすければどんな持ち方でも良い」を突き詰めれば
必ず、前述した「数多の先人達による膨大な試行錯誤と経験則」の繰り返しになる。
「正しい」とされるに至るプロセスを辿らず表面だけ見ているとそんな事にも気付けない。
基礎を禄に学ぼうとしないのに「なんとなく」「雰囲気で」調理する。
満足しているのは自分だけ。
ただ「正しいとされたきた」全てを肯定しているわけではない。
例えば「下半身強化には走り込みが常識」という主張には反対だ。
筋力が上がるどころか下がるリスクの方が高いというの学んだからだ。
強化の観点からすれば走り込みは裏付けのない根性論でしかないとわかる。
マナー・エチケット・フォーム・ポジションなどをご破算にし「自由」の行使を主張するなら、
今後、他者の無礼や無作法を「自由」の名のもとに受け入れる覚悟があるということか。
「お前が言うな」と嘲笑されても甘んじて受け入れるか見ものだ。
従来の正しさを葬ったところでまた独自の正しさを押し付けてくるのは明らか。
それが予想できないペラペラ人間には、モジャモジャ毛の生えたハートに箸を、いや釘を刺して
「いっぺん死んでみる?」と言ってやりたくなる。
現代に生きる自分が必ず最良の選択していると勘違いするのだろう。
「親の躾がなっていない」と。私は酷く憤慨した事を覚えている。
今思えば憤慨は恥ずかしさを隠すためだった。
魚や肉を綺麗に切り分けたりしているのを見て
同じ箸を使っているのにどうして自分にはできないのだろう、
そんな疑問が浮かび訊いてみた。
答えは簡単「あなたの持ち方がおかしいのよ」。たったそれだけ。
それから懸命に持ち方と動かし方を真似て練習。するとどうだろう。
今まで何となく不便を感じていた箸がまるで最適な道具になったかのよう。簡単に物を掴める切り分けられる。
米粒でも豆腐でもツルツルした煮豆でも容易く掴むことができた。
正しいフォームを反復練習するだけで、こんな大きな違いになるのか、
自分なりに使いこなそうとしていたのはなんだったんだと、己の視野の狭さと浅はかさに唖然とした。
そして何より箸を考案し正しい持ち方までも無償で提供してくれた昔の人にありがとうと思った。
ちゃちゃこ正直クソババアお母さんという女、ちらっと見ただけでも
その覚悟もなく子作りをした結果、子育てに窮し不平不満を爆発させ
どうせ子育てについて「正しさ」「適切さ」に反発して碌な情報収集や勉強もせず
「己を犠牲にしない自由な育児」なんてアホなお花畑思考だったのではないだろうか。
この女は悪知恵も働くようだ。
子育てしている主婦なら誰でも直面する不安を不平不満に転換させ肥大化と正当化を煽る。
悪いのは夫だ!親だ!環境だ!社会だ!と責任を他に求めるよう誘導し
あなたは一人ではありません、私のサロンで仲間と学び人生を謳歌しましょうと
夫のことを平気で「旦那」なんて呼べる品の無さと
「正直さ」と「あつかましさ」を履き違えたデリカシーの無さは見苦しい。
こんなのがチヤホヤされているのを見ると
未だに橋下や堀江を有難がっている人がいるのも頷ける。
【対案を出せ!】中野剛志が改革バカをぶった斬る【大阪都構想】
https://www.youtube.com/watch?v=EduqZb9Xf0o&feature=youtu.be&t=79
論理性をなくす背景に、新しいこと、普通、改革と言われている「Change」
「New Change」は何か良い事をもたらすはずだという漠たる…
変化を恐れるなとかですね。
それがずっと続いているんですね。
セリフ同じなんですよ。
お前起爆してやるっていうw
http://www.nicozon.net/watch/sm20102492
17:42~
そしてこれまでが全部悪かったんんだ、これまで全部否定して良いんだと言って始まった人達は
行き詰まってくると、またそれをやりたくなる。
これ言葉があるんですよね。
英語では「The Myth of the Clean Slate」って言うんですが
今のシステムチャラにして1からやり直すのが一番良いという発想です。
これをやりだすと大変なことになる。
で、壊すと言うことは何やら「現状に風穴を開ける」ということで