はてなキーワード: 自己中心的とは
日本で嫌独感情が強まっているそうな。中央日報はそう報じていたし、ドイツ関係記事のはてなブックマークコメントを見ても厳しい意見が目立つようになっているのは確かだ。
中央日報はこれはメルケルが日韓問題に介入したことから来る、右傾化の現れと言っていたがそう言う面がまったくないとは言えないとしても、それだけじゃないと思う。
それ以前から次第にドイツ人へのあたりは厳しくなっていっていたからだ。
これはインターネットを通して多くのドイツ人に普通の日本人が接する機会が増えたからじゃないかと思う。ドイツ人の「嫌な奴」率の高さは異常だからだ。
1.ドイツ文学者やドイツ語学者などのドイツ学プロパーの人たち。
のおおむね二種類だったが、日本でのドイツのイメージは主に第一クラスタから発信されていた。
こういうプロパーの人たちは、おおむねその国への関心が自分たちの飯のタネに直結するため、実像よりも美化して、好意的に解釈してその国を捉えがちだ。明らかにマイナス要因になるようなこと、たとえばアメリカでの警察官による黒人殺害などでも、「理想へ向けて苦難の道を模索するアメリカ」みたいに、好意的に解釈して描こうとする。
悪意だけで解釈するのが間違っているように、善意だけで解釈するのも実はその実像は歪められている。
こういうプロパーの人たちがいつもいつも対象を好意的に解釈しているわけではなくて、要は周囲の関心が高まるのが目的であるから、実態以上に悪意をもって描かれる場合もある。ロシアなんかはその好例で、実際には何とかして没落せぬよう踏みとどまっている人口1億4000万程度の国に過ぎないのに、冷戦時代の遺物のソ連研究クラスタたちの人たちの声が大きいせいでアメリカ外交政策を歪めている(代表例はブレジンスキー。あの男ほどアメリカにとって害悪を成した人はいない)。
とにかくプロパー研究者が描き出す姿には注意をしなければならないという話である。
日本でのドイツのイメージはプロパーのせいで異常に美化されていたが、実際にドイツ人と関わる一般人、第2クラスタの間では以前からドイツ人の評判は最悪だった。
私の友人は海外視察をコーディネートする、逆に日本に海外からの視察をコーディネートする仕事をしているが、ドイツ人が問題を起こす比率の高さは図抜けているという。こういう話はごろごろあって、それぞれに癖はあっても、アメリカ人やフランス人、中国人、ベトナム人などを友好的に受け入れている組織団体でも、ドイツ人だけは勘弁してという処が多い。
こういう場所でのドイツ人の評判が悪いのは、彼らの性格が単に悪いからだ。それも、そういう人もいる、レベルではなくてそういう人ばかりというレベルでだ。自己中心的なことで知られるフランス人でさえ、ここまで評判は悪くない。
フランス人の自己中心性はあくまで利益レベルでの話であり、そもそも視察に来ているのであれば何かを学ぶのが自分の利益である。
イギリス人は皮肉屋ではあるが、こういうことでは我を張らないし、皮肉は自分自身に向けても行われている。
ドイツ人の自己中心性は、現象を尽く悪意で解釈する、他人を貶めて自分を持ち上げようとする思考態度に由来している。解釈はネガティヴにもポジティヴにもできるのだが、事後の報告書などではほとんど捏造レベルのことも書かれていて、それを発見できた俺は偉い、ドイツは世界一、というような態度が顕著に見られる。
第2クラスタの人たちからすれば、今まで日本にあったドイツへの好感などは幻想そのものだったのだが、ネットで次第次第にこういう実情が知られてきた結果の嫌独感情なのではないか。中央日報も、ドイツで韓国と言えばことごとく悪意を持って解釈されている事実を見れば、考えを改めるのではないだろうか。
≒世界の不毛化された記憶が凝結する地下墓地=ミイラや<死者>の住処
≒社会的あるいは象徴的に交換されなかった大文字の他者の語らい
≒自己複製子の乗り物(?)
≒相互性の平面の下方に放逐された過剰な欲動の場≒バタイユのいう「呪われた部分」
≒自己幻想の世界=無条件の連帯の肯定も平等も存在しない共同体で自己愛を過剰に傷つけられ自己認識が悪くなった存在=承認の供給不足にある存在
≒権力者側の情報ネットワークからヨソモノとして外されている存在
≒仕返しを招くような親密な共同体の絆が欠けている存在
≒植民地化された地域の周縁化された存在=ほかで許されないことが許される別世界=誇大自己を持った者の自尊心の基盤
≒暴言連発したり失礼な言葉を吐いても責任をとらされる事なく看過される対象
≒パノプティコン的な匿名の不可視の視線の下で見世物化された監視付き生活を強制されている存在≒近代社会の合理的理性を自称する存在による抑圧的意志の対象
≒生政治的範例
≒排除された後も外での動きも捉えられる存在 ≒日常においては禁止され構造から排除されている部分=構造内で下層に抑圧された者
≒非差異、無差別、連続=差異の抹消=相互暴力状態=怒号と喧嘩の音
≒警察権力が市民生活の内に力を発揮する場=秩序創成暴力の対象
≒一般市民より下の階層の者として認識され、愚か者の範疇に入っており、隠している愚かな事物を暴いても重大視されていない
•理想自我=想像界=小文字の他者a=内在的な他者=生物的な世界
≒マスコミやカタログ文化でつくり出された美化・理想化された自己イメージ
≒貧しい文化や洗練されていない不自然な表現=モテない存在=影の薄い人
≒掟の門の前で衰退していく棄民=勝手に「悪」とされ共同体メンバーに愛されず衰退していく者
≒状況を自覚していない灰人と知らされている共同体メンバーとの境界線上にいる人
≒「象徴的他者」の位置より一段下の、原始的な対象の位置(想像的なもの、性的慰安の対象)に留めおこうとされた「想像的他者」。ラカンは「対象a」とよぶ。転移を拒否された患者が、分析家をおく場所も、この「対象a」としての場所である。この関係は、相手に社会的な幻想を抱いていた転移の局面と比べてはるかに不安定で、患者の攻撃性が分析家に向け、容易に発動しやすい状態
≒外部の情報が入ってこない<下>に見られた人のいる壁に囲まれた世界の外の世界を知ろうと巨人のいる世界を調査しようとする人
≒他者から尊重されたり対等な存在としてメッセージを交換する「人間」の壇上に上げないように弾圧される<生ける死者>といった世界
≒暴力誘発性、脆弱性を帯びた存在
≒「傷つけられる」という条件により発動した摸倣欲望
≒自己をそれとして措定してくれる言葉をもつ代弁者の探索にとらわれている状態
≒自己の統一を預けることのできるような相手を探してさまよう、鏡像としての他者の中への囚われの関係
≒動物のルアーへの反応をモデルにして語りうるような直接的な関係
≒理想化された鏡像として他者の表現の複製を取りこみ、融合しつづける動き
•自我理想=象徴界=大文字の他者A=超越的な他者=社会的な世界
≒文化の秩序、象徴秩序、言語的秩序としての構造=サンボリック
≒エディプス期につくられる=父、母、子どもの三者関係の中ではじめて成立する一つの小社会
≒掟によって自己中心的な万能感の感覚を否定し、その掟を守ることで成立する秩序と理念をもった世界
≒個々人の欲望や自己中心的な感情を一度克服してはじめて、確立されるような世界
≒自己中心的な個人的な自己愛を一度否定したところから成り立っている
≒万能感を捨てて入っていく世界=個人の実質、個人の存在全体の基盤
≒社会的絆であり、信頼を保証し、義務の支えとなる基本的な象徴的契約
≒共同幻想の世界=個体保存の欲望と各人のナルシシズムを言語の内に吸収し共同化された世界≒豊かな影を持った存在
≒仲間意識で連帯した世界=倫理的関心を内輪に限定する世界=感情で動く世界=ビオスの世界
≒魅力を持った生に変わらなければならない場であり、魅力による上下関係や差別や排除がある世界
≒魅力の低い者が客観的な理屈として正しいと思って主張した事も認められない世界
≒魅力の高い者が客観的な理屈として間違っている事を主張しても容認される世界
≒目に見えない効力をもつ法としての場の空気や人間関係の網の目に支配された世界
≒掟の門の門番
≒セミオティックの位置にある存在が自我理想を持った対等な「人間」であると主張すると生意気に感じて苛立ち権力や言葉の暴力を振り回し「下」に置こうとする存在
≒「下」に見られた人の過失は吹き散らすが自分達の過失は隠してしまう存在
≒長い例外的状態にある<エス>や<対象a>など存在しないという主権者
≒「小文字の他者a」を対等な人間として文字に残る形式で相手にする必要がないと判断している存在
≒近代国家の一市民の世界=国家の保護の下にある者=権力者側のウチワの情報ネットワークの中にいる存在
≒ネットの掲示板やコミュニティを教育的な豊かな知識を与える場所として使う事が禁止されている世界
≒労働や勉強で生産的な成果を挙げ社会的に評価される事が美徳であるとされる世界
≒人が自分を社会化するために選ぶ標識=名誉の対象=美徳のもとになる秩序
≒人が憧れる、かくありたい存在=モテる存在=小文字の他者aに模倣される存在
≒第三者の審級=規範的な判断の究極的な帰属先=権威を感じ自発的に従おうと思う存在
≒言語的、父権的な中心ないしコード=象徴的父の表象であり、制度であり、掟
•超自我
≒誇大自己に執着した存在=他者を非人間的に判断したりする存在=モラルのない世界
≒法の影=狂った法であり法を無視する=「享楽せよ」という命令
≒集団の「エス」や「セミオティック」の位置にある存在を徹底マークして情報を「自我理想」の位置にある存在に流している存在
≒植民地主義の国家、民族差別を容認する国家、人権侵害を推奨する国家、死刑を支持する国家、同じ国民の中に棄民を作り出す国家
≒近代社会の合理的理性を自称する存在=非理性的な「エス」とした存在を抑圧的制裁の対象としていいとしてもいいとする存在
•対象a
≒羊抜け
≒現実の領域は対象aの除去の上になりたっているが、それにもかかわらず対象aが現実の領域を枠どっている
≒犠牲のメカニズムにより歪められた表現を犠牲者よりに修正した回顧的な文章を書く暴力行為を告発する探偵
≒秘密の宝=他者にとっての私に還元されない<私> ≒象徴秩序の外
≒寄る辺ない存在
2日前、なぜ他県民は東京女性の性格が悪く感じるのかを考える切っ掛けがあった
同じ日雇い派遣の職場である女性に出会い休み時間中に会話をしたのだ
その生まれも育ちも東京の女性は、かなり西の方の人間と結婚しすぐ離婚したらしい
理由は「西の方は女性の人権が無い!東京では自由だった!」との事
これに付いて考えた
ミニマリストって社会インフラに対するフリーライダーなわけでしょ。
ノマドワーカー叩いてる時だって、コーヒー飲むための環境整備を安いコーヒー代でタダノリしようとしてたからな訳だし。
はてなユーザーがフリーライダーを嫌いな理由は主な年齢層を考えてみればすぐに分かることで、彼らは甘い汁を吸えなかった世代だからだよ。
つまり、バブル崩壊後に社会へと投げ出された世代だからということ。
その世代の人たちは、それまで縦社会で年功序列の中で生き残る方法ばかり教えられてきたのにバブルが崩壊したら終身雇用って考え方が突然なくなって、今までの教育を否定された上にあとは自分たちで考えて生き残ってねって突然放り出されてしまったんだ。
そうやって教えてきた人間はバブルとともにはじけたか、残ったマネーでいまだにぬくぬく老害気取ってるわけだ。
その後の世代はゆとりだかさとりだかっていう超自己中心的考え方の人間ばかりでしょ?
ってことは今の社会インフラを誰が支えてるのかって、ちょうどその中間、バブルにも乗れなかったしかと言って開き直れなかった人間なわけだよね。
つまりははてなのメインユーザーである30~40代のおっさんたち。
ミニマリスト?はぁ?働けよ。
と、まぁ当然こうなるわけですよ。
会社の先輩みてると大体こんな感じ。間違ってないでしょ?
http://anond.hatelabo.jp/20150727062838
※追記
トラバに答えるよ
・浪費しない俺カコイイって思ってる←バブル時代の過剰な消費にうんざりで無駄な浪費しない。でもこだわってるものなら高いの買うよね。お金の使い方わかってる俺カッコイイが正解。
・生活保護受給者には寛大←社会に出てから強者になりそこねたから弱者には寛大。でも不正受給には厳しいでしょ。割り込みとかされて文句は言わないけどものすごくイラつく世代。
これは俺の思ったことをただ垂れ流してるだけなので客観性皆無だし自己中心的な愚痴なんだけど、明らかに俺に降ってきてる仕事量が、平均の2倍はある。
そういう仕事のきつさもあって、出社が辛い。
なんとか出社すると、今度は頭がまわらない。
今日のTODOなんだっけ?から始まって、リストアップするまでしても手が動かない。キーボードを叩いていると、辛くなってきてだんだん手が動かせなくなってきてしまう。
自分自身がブロッカーになっているので、なんとかしないとと思ってなんとか少しずつ手を動かしているが、効率はガタ落ちなので全然こなせない。
そして退社時間が遅くなって、疲れもたまって効率が落ちる負のスパイラルに陥りつつある。
更に悪いことに俺なんか社会人歴でいうとペーペーなのに、今俺が引き受けている部分のノウハウがもう俺ぐらいにしかない。
ここ一ヶ月ぐらいなんとなく胃のあたりに重いものがあるイメージ。
メールを見るのがつらい。
旅にでたいが今の忙しさに片がつかないと、職場に対して穏便な形でまとまった有給も取れない。
今から出社だが気が重い。上司に相談して自宅勤務できないか相談してみようか。でもそれすら気が重い。上司が変わって、上司と会話するのがつらい。
無印良品にはIDEA PARKというものがあり、商品やサービスに対する要望やアイデアなどがリクエストできるようになっている。
こういう場があるのはとてもいいなあと思いつつ、時々どんなリクエストがあるんだろうと目に通す。
が、どうにも最近すこし荒れ模様だ。
IDEA PARKにいろいろなリクエストが送られるのだが、ほとんどが見送りになってしまっている。
もちろん、アイデアの内容が低レベルということもあるかもしれない。
それは(昔に比べて)幅広いユーザーがそうやって気軽に書き込みをできるようになったから、ありえることだと思う。
でもIDEA PARKにあえて、アイデアを書くのは、聞いて欲しいから、無印良品が好きだからではないだろうか。
リクエストを送るのにも、my MUJIというところでアカウントを一度作るという手間がいるから、なおさらその傾向は強いと思う。
私も無印良品に世話になっているし、好きではあるが、
自分(ユーザー)にも好意(=要望)に答えて欲しいという自己中心的な面がないとは言えないし、
身内に死にそうな人間と急死に一生を得て要介護になった人間が出た。
心から、偽りなく、
前者は、未だにそんな状態なのが信じられないし、まだ一緒に居たかったし
後者は、生きててよかったと思う。
そして双方共に苦しんで欲しくないしその為に尽力する決意だけど
そんな風に死を身近に感じてなお、
いや、更に
早く死にたくてたまらない。
自殺したいわけじゃない
明日にでも死んでいたい。
辛うじて生きる為に月に何十万もかかる存在になりたくないし
そしてそんな風に手のかかる存在になりたくないし
つかそもそも自分がそのくらい長らえても、今程の保障うけられるかも、費用払えるほど蓄えがあるかもわからないし、
というか絶対ないし
この先一瞬なら生きててよかったと思うこともあるだろうけど
別に無くても構わないとおもうし。
それだけでなくても、各種セーフティネットの充実させるべきだと思う
自己中心的な話
http://anond.hatelabo.jp/20150507012413
上記を書きなぐった増田である。4日経ってようやく落ち着いた。
思ったよりも読まれ、思った以上に言われ放題言われていた。
その方々に届くとは思えないが、目についたところだけ、間違いのないように補足を、そして意見や提案を頂いた方々に感謝を述べるべきだろうと思い、本記事を書いた。
フィクションだったらどんなに良かったことか。俺が素面で感情のままに書き殴った本心である。釣り行為は俺は好まないし、創作文を書けるほど文才はない。
なお、増田はこれまでに数回見たことがあるだけで、前記事が初投稿、本記事が2回目の投稿である。
一から十まで書いて間違いのないように伝えたい性分なので、長いのは勘弁して欲しい。
背景を書かなければ誤解されると思ったから、書いた。
就職先はメーカー系の電気系設計職である。プログラムも多少は読み書き出来る。これ以上は書かない。
価値観が勉強をして褒められるという点しかなかったため、勉強はしていたし、成績だけを見れば大学3年までは優秀なほうにいた。
しかし、研究や社会では、勉強ができれば褒められるという観点は存在しない。あるのは、仕事ができるかできないか、の一点である。俺はできなかった。
勉強したことで就職でき、結果的に現時点では生活に困っていないことだけは勉強に感謝している。
・意識高いメンヘラ乙、高すぎるプライドと目標を捨てろ、五月病乙
たぶん五月病ではないと思う。
高すぎるプライドと目標を捨てろ、は全くそのとおりである。だができずに何年も経っている。後述する。
・お前は本当に死にたいのか死にたいならこんなところへ書いてないで死ぬだろ、生きることから逃げてるだけじゃねえの、死にたいじゃなくてモテたいだろ、ハワイでゆっくり気晴らししたいだけだろ、構ってちゃん乙 など
本当に死にたいのか、と言われると、「褒められもせず認められもせずに惰性で生きている現状から逃げ出したい」というほうが正しいのかもしれない。
更に正確に言うなら、「自分の性格のクソな部分を投げ出して心機一転楽しく生きたい」だろう。
「死にたい」のは「今のまま生きたくない」からであり、生きられないなら死ぬしか無い、という思考である。
問題は、
>俺の性格の本質は、自己中心的な完璧主義、そこそこの努力で他人に賞賛されたいと願っているゴミである。自分の思い通りにならないと泣きわめく子供である。
と書いたとおり、俺の性格の本質がこうであるということである。
高すぎるプライドなども含め、このクソな性格を変えようと10年近く悩み、負の面を出さないように腐心した。が、一向に改善せず、追い詰められると上記の問題点が出てきてしまい、台無しになる。何もしていない、ということはない。
このクソな性格を後何十年も抱えて生きて、どうして苦しみよりも楽しみのほうが大きいだろうと推定できるだろうか。
これを俺自身が受け止めきれないから、「生きたい」と思えないのだと思っている。
・さっさと死ね
投稿後、時間を置いて読みなおして、言われるだろうと覚悟はしていた。が、さっさと死ね、と言われるのを見ると堪えたし、書いた人のイライラ発散以外で言う意味ないし、ぶっちゃけ今後俺が本当に自殺に踏み切った時に、匿名だろうと自殺幇助とかと見なされるかもしれないんで、何かの拍子で捕まりたくないなら遊びでも気晴らしでもやめといたほうがいいと思った。
おせっかい乙。
・グダグダ言ってないで行動しろ、受け身の人生やめれば 系、ボランティアしたら、創作したら など
自発的に行動したことは何度かあるが、いずれも実のないものにしか感じられなかったため、精力的になれない。
ボランティアをしても自尊心が満たされるとは思えないので自発的に行く気があまりない。
これまでに創作活動などをしたりもしてみたが、受け入れられたり褒められたことはない。それよりも何より、やっていて心から楽しいと思ったことがなかった。結果、三日坊主で終わっている。
文才はない。絵心もない。あるとすれば音楽センスだろうが、創作はできない。
意識高い系だったことは間違いないので、ある程度のことは試し、失敗し、上手く行かなかったことがトラウマになっている。上手くいく保証がないと動けなくなってしまっている。これもダメな性格の一部分である。
・運動したら、肉食ったら など
一応、運動は会社の人と月数回テニスをやったりしているし、食事は十分とれている。どちらかと言うと過食気味である。
これらは一時的な逃避行動として気分を上向けるにはいいが、それ以上の解決法を与えてくれなかった。せっかくの意見に対し申し訳ない。
気力が出たら、行くだけ行ってみようと思う。
猥談も中学から避けてきて、一人で二次元エロをこじらせてしまったため、全くの無知であるが。
・こんなテーマ語り尽くされている、隣の芝は青い、俺もそうだなんという俺 等、山月記を読め、三木清を読め 等
少なくとも、他の人はこういうことを言わない、言ってくれない。言ってくれても、自分が体験したことでないので、どうしても信じられない。これはそのまま他人を心底から信用していないのだ、ということになってしまうが。
ただ、これだけあるある的な感じで広まった事実はきちんと受け止めたい。
山月記は久しぶりに読んだ。なるほど、授業で習ったあの時とは受ける印象が全く違った。
嫌われる勇気は読んだが、突然の改心で置いてけぼりになってよく分からなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20141208003341 は読んだ。とても参考になるが、まだ自分は堂々と生きる自信はない。
文豪が140年も前におおよそ似たような思考ループに陥っていたことは初めて知った。
何故生きるか?に論理的に答えは出せないこと、信仰によって意義を与えられるのだ、そして神とは自分自身の生のことであり、それを信仰することが生きる意味なのだ、という風に読み取った。
まだ心底からの理解には及ばないが、何故生きなければならないのか?に対しての一つの答えを得られたと思う。
そうすると、死ねないとすると、否応にでも自分のクソな性格をどう対処するか、になるのだろう。
もうこれだけ手を尽くしたのだから俺自身では変えられない、宗教かクスリか、いつか出来るだろう科学による洗脳・人格交換技術に頼るしか無いと思っていたが、諦めて受け止めるか、どうにかしないといけないのか。
とても辛い。
書きたかったことは概ね書き終わった。
俺には生きる目的がない。夢もない。ただ漫然とゲームやアニメ等のコンテンツを浪費し、飯を食って生きながらえてしまっている。死にたい。
おそらく、かつては生きる目的はあった。勉学に励み、大学から研究の道へと進み、父親のように研究者として生きたかった。大学中に恋をし、早いうちに結婚したかった。社会の役に立てることをし、名声を得られなくとも慎ましく生きていきたかった。
だが大学の研究室で現実を知った。俺には新しいことを考え出す力が決定的に不足していた。学部生として配属されたときに最初に与えられた目的が希薄であり、自分で目標を作り目的を見出さなければならないことを知った。日々の作業はただただ雑務であり、教授の話す夢物語と現実の作業の差を感じた。そこには楽しさもうれしさもなかった。
結果、研究室に入って数か月で鬱状態となり、修士卒業までの3年を無駄に過ごした。元々の人付き合いスキルのなさもあり、在学中に出会いなどあるはずがなあった。利子なしの奨学金も取れたが、あてにしていた返済免除などとれるわけがなかった。
修士に入ってすぐ、研究の道へ進むことをあきらめた。得たことは、お前の目標とこれまでそれに走ってきた人生は間違っていたのだ、という現実だけだった。
社会的には「幸いにも」、俺にとっては「不幸にも」、俺がこれまで勉強してきた方面で、有名大学の推薦枠で、大企業の子会社かつそうそう潰れないメーカー会社に就職した。
大学での研究の道はあきらめても、企業の開発部門なら心機一転できるし、あくまで利益追求という目的があるから、君にはそっちのほうが向いているのではないか、と大学教授から勧められたからだ。
だが、入社して1年経った今、仕事にも生活にも虚無感しかない。
やりたいかもしれないと思っていたことはすでに分業化されており、統括の立場になるには20年はかかるであろうことが容易に予測できた。
研修後、ある程度希望を出した部署には配属されたが、全く興味がない仕事に半年従事させられた。人手が足りないから応援にいってこい、ついでに仕事の進め方を学んでおけ、と言われたが、いかにうまく手を抜いてサボるかを学んだだけで仕事の目的と意味をいくら聞いてもさっぱり理解できなかった。
楽しいともやりがいがあるとも全く感じられない。これを20年耐えたところで、俺のやりたいかもしれないことができるとは思えない。
別にやりたくもない仕事を押し付けられるのは社会ではよくあることだろうから、そこは仕方がないと思ってやるしかないのだろう。だが、仕方がないと思ってやるのは何故かといえば、仕事だからであり、なぜ仕事をやるのかといえば、金を稼いで飯を食って生きるためである。ではなぜ皆そんなにやりたくもない仕事してまで生きるのか?
色々な知り合いに相談してみたが、「生きてるから仕方ないじゃない」「死んだらほかの人が悲しむから」程度の回答しか得られなかった。
理由もなしにそんなに必死に生きていられるのか。言わないだけで目標とかこう生きたいとかあるんだろ?と勘ぐっても、それが何かは皆目見当がつかない。
さらに言うなら、俺にはそういう目標やらこう生きたいとかやらもない。
いや、正しくは最初に述べたとおりのことはあったが、もうかなわない夢物語と化している。代替案はない。
一山当てて海外を豪遊したいだとか、結婚したいだとか、そういうことはなくもないが、その理由は「そういうことをすれば他人から称賛されるから」というクソな理由であり、俺が自発的にやりたいことではない。
少なくとも、俺は俺が嫌いだ。俺の性格が嫌いだ。
俺の性格の本質は、自己中心的な完璧主義、そこそこの努力で他人に賞賛されたいと願っているゴミである。自分の思い通りにならないと泣きわめく子供である。
いくら表現方法を変えようと、手管を尽くそうと、我慢しようと、精神に負荷がかかると必ずこの性格が顔を出してしまう。変えられない形質というやつだ。
こんな性格を持つ俺自身を俺は全く好きになれない。むしろ大嫌いである。
自己啓発本とかでよく言われているように、まずは自分を認めなければ始まらない、だから認めたらどうだ?アホか、こんな人間なぞ信用もできないし認めてやることなんかできない。
だから、死にたい。俺には苦しんでまで生きる意味なんて、目標なんてないのだから。
一方で、この俺の行動を「構ってチャン乙」と冷めた目で見ている俺がいる。当然だ、こんなことを書いているのは俺かわいそうアピールに他ならない。
こういう風に書き散らしてみたり、酒を飲んで人に八つ当たりしたり。世から見ればこんなことをしているのはメンヘラとレッテルを貼られ、忌み嫌われ、蔑まれていく。
こんなことをする奴を助けてくれる奴なんていない。この世にスーパーマンはいない。いたら詐欺師か霊感商法か宗教勧誘だろう。
さらに、俺の周りには俺が生きたかったような人生を送っている奴がゴロゴロいる。まさに最初に挙げたような、研究職について人生順風満帆なやつが何人もいる。つきあっただの結婚しただの子供作っただの、というやつも何人もいる。仲良しグループですらそういう話題に事欠かない。
そういう話を聞くたびに、激しい嫉妬に駆られる。どうして俺はそうなれなかったんだ。どうしてお前らは。どうして。どうして。
生きているだけで、そういう話がどうやっても耳に飛び込んでくる。別に友達に限らず、仕事の付き合いでの雑談でも絶対に出てくる。避けることはできない。
俺は愛情というものがよくわからない。恋人や結婚相手、子供が欲しいとは思うが、それは社会的ステータスのために欲しいのであり、純粋に誰かを好きになったことはない。さらに口下手のオタッキーだから、これまでに付き合ったことなどないし、当然童貞である。
恋愛関係については何も知らない赤ん坊であるのだろう。だが、完璧主義のため失敗は許されない。付き合うためのきっかけもわからない。職場には女性がいない。出会い系は危険というニュースのイメージを子供のうちにさんざん刷り込まれている。街コンは行ってくれる知り合いがいない。そもそも、恋愛をするメリットが分からないまま、他人の恋愛事情に嫉妬している現状が意味不明である。
当然知識はある。山の深くへ入り込んでも、海へ入水しても、首を吊っても、道や線路へ飛び出しても、薬品やガスを使っても、風呂場でコンセントをショートさせても、すぐに死ねるだろう。他人への迷惑度など知らん。
ではなぜ衝動に駆られてもそうしないのかというと、きっと死とはどういうことかを知らないからだと思う。
幸か不幸か、物心がついた後では私の身内や親しい間柄の人間では未だに誰も死んでいない。葬式に出たことがない。ペットも飼っていなかったので、親しい生物の死に直面したことはない。
二度と会えなくなるということはわかっているが、理解したことはない。
死んだらどうなるのか?魂なんてものや天国地獄なんてものはないだろうが、そうあってほしいという願望はある。
俺がこの詰み状態から抜け出すには、俺のことを受け止めてくれるそこそこかわいい未婚女性と、ネットやゲームに張り付くよりも楽しく生産的な何かが必要なのだろう。あと金。
だがそれは降ってはこない。だが掴み取るためには今よりもっと酷い精神状態になりながら人生に打ち込まなければならない。だが、そもそもこれまでに目標を勉学以外で自発的に達成できたことなどない。
それらが欲しいなら、どうすればそれを手に入れられるか?という戦略を立て、目標と妥協点を立て、行動しなければいけないのだろう。そのような気力はない。そもそも前提として俺の性格が人間失格レベルなのだから、人生は詰んでいるのだ。
また明日から仕事だ。死にたい。死ぬのがだるい。死にたい。助けてくれ、だが無理なんだろう。死にたい。
15/5/11
スタジオジブリ「かぐや姫の物語」のストーリー批判については既に玖足氏が記されているゆえ、ここにおいては多言はしない。
かぐや姫の物語 感想その二 高畑勲監督は原作の良さを自己中心的に曲げたダメ映画
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20150316/1426441543
僕がここで記したいのは、高畑氏のあまりに32年テーゼに縛られたかの如き貧弱な反天皇観である。
例えば、高畑氏の擁護をするツイートまとめとして以下のようなものがある。
この中でCDB氏は「帝の性暴力と女性性の収奪」を描いたと言っている。しかしそれは高畑氏の平板な反天皇観をあげつらうことでしかない。
天皇は決して収奪や暴力に結び付けられて語られる存在ではなかった。天皇もまた征旅に行くことはあったが、軍の最高司令官として赴くことはなかった(「我国の軍隊は世々天皇の統率し給う所にぞある」という軍人勅諭の出だしは山県閥の西周が西洋の歴史に準じた擬制に過ぎない)。例えば斉明天皇が百済救援のために親征の途上、崩じられても軍はそのまま百済へ上陸している。天皇はむしろ巡狩(みそなはし、視察のこと)して各地を平定したのであり、軍隊は中大兄皇子や武内宿禰のような皇子・臣下に統率されて敵を討ったのである。天皇が自ら軍を指揮することは東洋古制の兵学から見ても邪道であった。東洋において軍の戦略を決定する軍師は軍司令官の任免もできるゆえに、天皇がそのような地位に就かれることはあり得ないのである。
では天皇とは何であるか。それは何よりも「社稷を祀る」存在である。具体的にいえば、五穀の豊穣を祈り天照大御神が宣らされた「斎庭の神勅」を奉じることであった。それゆえ自らは何も所有されないのが天皇の原則であった(詳しくは保田與重郎の『述史新論』『鳥見のひかり』『方聞記』などを参照せよ)。作中で「御門」は支那趣味(侮蔑の意味を込めて使うのではない)の俗な人物として描かれているが、これなぞは共産党仕込みの「収奪する権力者」の図式に無理やり天皇をあてはめたものに過ぎない。何も所有されない天皇だからこそ、天神地祇を祀り権力者を束ね日本を統らすことができるのである。権力といえば外交権を一手に握った大宰府の方がよほど強く、「遠の朝廷」と呼ばれたほどだった。聖武天皇が大宰府へ下る節度使たちに下された御製の長歌の冒頭「食す国の 遠の朝廷に 汝らが かく罷りなば 平らけく 我は遊ばむ 手抱きて 我はいまさむ」は権力や所有とはほど遠い天皇本来のあり方を示している。
明らかに反差別思想を有しているだろう高畑氏が「御門」の顔をわざと崩してかぐや姫に生理的な嫌悪感を催させ、それが月からの使者が来る原因となっているのも氏の醜悪な思想が垣間見える。氏は容姿差別は良くて身分差別は悪とでも思っているのだろうか。先に述べたように、天皇は五穀の豊穣を祈る点で国民とつながっていたし、今もなおつながっている。明治大帝は「子等はみな 軍のにはにいではてて 翁やひとり 山田もるらむ」と詠まれているし、昭和帝と香淳皇后は戦後まもなくの国内を行幸啓されて国民の暮らしぶりをみそなわした。今上陛下が東日本大震災で津波を被った田を心配されたのも記憶に新しい。天皇は宮闕の奥深くに居ましても農土を、漁場を、金山を離れてはいないのである。高畑氏の浅薄な思想はこの国史上の事実にどう応えるのか。
人間関係の調整に追われ、会社内部のわだかまりへの理解しようとした私が馬鹿だった。
それぞれの事情を理解するのと、それを踏まえて行動に移そうとするのでは
割に合わないことが多く、どうしても自分が役立たずに感じられ、誰かに使われてんじゃないか
ババを引いてるだけなんじゃないか、そもそも自分の頭で判断出来ているのか、
だれかにそう思わされているのか、ボーダーラインもよく分からなくなり、
プライベートでさえ、誰かにコントロールされているかのような錯覚してしまう。
このまま何も自分の頭で考え抜くことが出来ず死んでいくのかな。
精一杯考えてやってきたつもりだし、余裕を感じることが久しくできていないほど
何かに一所懸命だったつもりだったけど世間ではこれが怠惰そのものなのかな。
何事にも気が乗らず、笑っても笑ってないと言われ、
気が利かないと言われ、自分の非しか見れず、結果的に自己中心的になってることを
一体どうやって解消すればいいんだろう。
男の中身は、虚栄心とエロ心しかないんだろうか。男は、隠しきれないほどの競争心=一番でありたいという欲望と、いかに女を獲得するかという欲望しか持たない。要は自己中心的で、他者への思いやりや気づかいなど本心では持ち得ない。その救いようのないエゴイズム、そしてそれを隠そうとする姑息なやり口。ゲームに勝つためだけに駆動する、サバイバル本能しかないエゴイステッィクな動物だから、女を出し抜いて、これまで歴史を、社会を占有してきた。女を貶め、あるいは利用して自らが優位に立つことだけが重要で、そうしたシステムを作るためにあらゆる詭弁、こじつけをこさえてきた。封建制度なんぞクソくらえ。単に男のご都合主義で作り出した制度にすぎない。男の作り上げた道徳、社会認識にさんざんぱら振り回され、苦しめられてきた女たちに、いっぺんの思いを馳せたことはお在りか。結婚しなければならない、子供を産まなければならないなどと、誰が決めたのか。結婚すればセックスがいつでも得られて、己の子孫となる子供を産ませれば女=母親にその世話をすべて押し付ける。欲望は拍車がかかるものだから、妻に飽きれば外でより若い女と浮気する。浮気は男の甲斐性、とはどれほどのご都合主義か。男は自分の欲望を満たすためなら、どんな虚言も欺瞞も厭わない。いかなる感情操作も試みる。
そういうのが「男」のスタンダードなら、オタクの男はむしろそうした闘争心の薄さや、女を獲得する行動に出ないだけ、実害が少ないともいえる。ヴァーチャルで事足りさせる辺りも自己充足していて、むしろ害を自らに向けるオートマトンと化している。しかしいっぽうで、現実の女一般に対してはルサンチマンを抱えている。ミソジニーを強め、ますます現実の接触から遠ざかろうとする。それは単に、本来持つ競争心や性的欲望を現実に行動して解消できない欲求不満が、女への憎悪へと反転してしまったのか。彼らは妄想を強めるばかりで、彼らの苦しみもまた解決しない。ともあれ、オタク男が忌むべきはリア充男であって、女ではない。リア充こそ社会的利権を一挙に掌握しながら、その暴挙によって苦しむ者がいることに気付きもしないのだから。