はてなキーワード: 自己中心的とは
http://www.komazaki.net/activity/2016/02/004775.html
この人の考える「子育て層」「子育ての当事者」の範囲が狭すぎるだけでは?
この人が「子育て層」と考えてるのは「東京在住の保育園児親」だけだけど、
実際はそれ以外にも大量にいるというか、むしろそれ以外の方が圧倒的に多いよね。
地方民にとっては「うちじゃ保育園なんて余りまくってるし関係ねえよ、何で都会民にだけ大量の税金つぎ込まなきゃならないんだ」となるし。
都会民でも幼稚園派にとっては「幼稚園も入れなくて困ってるのに何で保育園ばかり作るんだ」となるし。
子が小学校入れば「幼児向けの政策なんてもうどうでもいいから小学生以上の子向けの支援しろよ」となるし。
中学高校となれば「大学学費高騰とかの方をまずどうにかしろよ」となるし。
なのにその中の極一部でしかない「東京在住の保育園児親」の話を「子育て層」と言う大きすぎる主語で語ってそれ以外の存在を無視するのは
随分と「それ以外」に失礼な態度だよね。
勿論世の中には「子育て層」以外に、子供がいない人も多いわけで。
子供がはなから要らない人もいれば、子供が欲しくても結婚出来ない人や状況的に産めない人、不妊の人もいる。
んでもってこの人はよく高齢者叩いてるけど、人間誰もが高齢者になる訳だし
障害者団体についても、人間誰もが障害者になる可能性がある訳だし
日本医師会までとばっちり受けてるけど、人間誰もが医療を受ける訳だから
これらに対しては日本国民全員が「当事者」なわけだよ。直接の当事者ではなくても、間接的には誰もが関わりがある。
でも「東京の保育園」なんて一生関わる事のない人の方が圧倒的に多いんだから全く話が違う。
そういう当事者じゃない人に対して
とかキリッと言ってるけど、何で「都心部在住の保育園児親」だけが特別扱いされて当然だと思ってんのですかねこの人は。
やたら高齢者叩くけど、そういうあなたは「高齢者の苦しみ」に対しては動いてくれないんですかね。
「都心部の保育園児親以外の子育ての苦しみ」や、「子供がいない苦しみ」に対しても動いてくれないんですかね。
「自分 だ け が苦しんでいる!だから皆は自分に協力して自分に都合が良い世の中になるよう政府に働きかけるべき!!」
と言う自己中心的な奴になんて、同類以外は誰も協力したくないよね。
政府もそれが分かってるんじゃないの。被害者意識と権利意識ばかりが強いノイジーマイノリティを優先しても仕方がない、とね。
・新世代の人々の前に広がった風景(サード後)は、悲惨なものであった
・彼らはそれに触れるうちに慣れてしまった
・世界が滅ぶかどうかという危機的状況に置かれている彼らは一個人の生死を優先することができない
・サード後はサクラはシンジに対し複雑な感情をもって葛藤している
・歴史認識(サード、ニアサード)に関して、新世代とシンジの間で相違がある
・シンジが起こしたサードのせいで、新世代の平穏な生活は奪われた
・他人を思いやれるほど平和な状況ではない、むしろ十分な対応している
・「怒りと悲しみの累積」をそれぞれが抱えている
・それゆえ、悪意はないにせよ各種の言動に繋がった
大体こんな感じですが、もう少し要約したいと思います
<1>
新世代には明るい未来が広がっていたが、サードインパクトによってそれは全て壊されてしまった。サードインパクト後、凄惨な風景が彼らの目前には広がり、悲惨な暮らしを強いられた。サード(ニアサード関係)を起こしたのは碇シンジであり、新世代は彼に対し複雑な感情を持っている。特に、サクラはエヴァ搭乗者としてのシンジの側面も兄から教えられているために、余計に葛藤している。
<2>
サードインパクト後、生き残ることで精一杯であった彼らは悲惨な暮らしを過ごす中で、人が死ぬことは日常茶飯事になり慣れてしまった。そして、危機的状況の中では人類の存続が最優先であり、シンジ一個人の希望を優先することはできない。この点に関し、シンジと新世代の間で齟齬が生じている。また歴史認識、すなわち「世界はなぜ壊滅的な状況になったのか」という史実に関しても情報は錯綜しており、新世代は誰を憎んでいいのか分からない。
<3>
新世代にとって、「シンクロ率」とは憎悪/恐怖の対象であり、サクラの発言は純粋な喜びから出たものである。他人を思いやれるほど平和な状況ではない上に、各人が「怒りと悲しみの累積」を抱えている。それゆえ、新世代にとって複雑な感情から各種の言動に繋がってしまった。世界崩壊の犯人扱いされたシンジも可哀想だが、未来ある人生を壊滅させられた新世代も同時に可哀想な存在であり、ヴィレの中に悪者はいない。
まず押さえておきたいポイントですが、肝要なのはサードインパクトです。「破」のラストでは、アスカは精神汚染で隔離中、マリと弐号機は戦闘不能に陥り、綾波は故障明けの零号機での戦闘を試みるもゼルエルに飲み込まれてしまい、残っているエヴァは初号機のみです。
シンジがあのまま残り、何もしなかったと仮定しましょう。そうすると、自ずと零号機と同化したゼルエルは地下のリリス+槍と共鳴を果たし、サードインパクトが起こります。これは旧劇における最後のインパクト(初号機+リリス+槍)と同じであり、ほぼ人類の生存は期待できません。
すなわち、シンジが勝手な行動を取ろうと取らまいと世界の壊滅は決定的だったわけです。まずこの点が重要。「シンジが勝手な行動を取ったために」世界が壊滅したわけではなく、あの状況においてはシンジの動きに関わらず世界は確実に壊滅します。ダミープラグの処遇を巡ってシンジを追放した時点で、世界の壊滅はほぼ決定的だったのです。これらの事をミサトたちは目前にし、自分たちでは解決不可能な問題のを一人の少年に託したはずです。責任転嫁も甚だしい。
そのため、新世代の未来は元々明るくありません。それに加え、戦闘が続き疎開が相次いでいたサード前から推察しても明るいものではありません。戦闘に爆弾に見知らぬロボットによる迎撃、ドンパチ騒ぎ。当時から元々平和ではなく、明るい未来/今と同じくらいの幸せは元々存在していません。
そうなると、次に問題となるのは「誰が世界を滅茶苦茶にしたか」という史実です。14年間何があったかは分かっていません。しかし、前述のとおり、ミサトたちは一連の内容を把握しています。シンジの追放、そして再び手に負えなくなったら都合よく再利用。しかも、「自分自身のために!」と応援とまきた。自分たちの範疇を超えた問題を一人の少年に託しておいた、これは致し方ありません。初号機に乗れるシンジにしか解決できぬ問題ですから。しかし、新世代はなぜこの史実を正確に把握していなかったのでしょうか。青葉がビデオも取っていたのに。情報の錯綜は当然あるでしょうが、凄惨な暮らしを強いられたのであるならば、その犯人が知りたいというのは最もです。
14年間の内容は分かっていませんので、ある程度の推察も含みますが、おそらくミサトたちは組織を作るために嘘を伝えました。まさか事もあろうに世界を再建しようとしている幹部たちが、実はこの凄惨な状況を招いたサードインパクトを自分たちの力では解決できず、一人の少年に託した上に、失敗に終わった。などという情報を流せば、組織の混乱/疑心は図りかねません。
そのため、「サードインパクトは碇シンジによって引き起こされたものであり、自分たちはNERVに騙されていた」という主旨の内容を伝えたはずです。そうすれば、ヴィレの総括はしやすくなります。嘘も方便というやつですね。その結果、ミサトは建前上シンジに冷たくしなくてはならなかった。オペレーター全員がいる戦闘室ではハッキリと冷たい目線/口調で述べたのに対し、サクラのみが同行した応接間では俯き「もうレイはいないのよ…」と寂しげに呟くだけでした。その後、マーク9の突入時にもサクラがいたために、「身元は私達で管理します、ここにいなさい…!」と言うしかなかったのです。本音はその後のDSSチョーカーの震えに現れている通りであり、シンジを組織統括の大義名分として利用したことへの罪悪感と、そこから生じたシンジの命だけは守りたいというアンビバレントな感情の現れです。
新世代には嘘の史実が伝えられました。「碇シンジが君たちの世界をぶっ壊した張本人である」といった旨を教えられたために、たらこ唇は苦い顔をしサクラは憤りを顕わにしました。シンジと新世代の間で、サードインパクト史実に対する認識が異なっているのはミサトの嘘のためです。この齟齬によって、彼らはシンジに対し憎悪/複雑な葛藤を抱くしかなかったのです。旧世代とリアクションが異なるのも、嘘があったためと考えると納得いきますね。
彼ら新世代にとっては「自分たちの幸せな未来を吹き飛ばしたのは碇シンジである」という史実がありますが、軍人としては問題を分けて考えるべきではありませんか。軍に身を置くのならば、職責と史実は分けて考えるべきです。アメリカに原爆を落とされたからといって、共同戦線を張る際に感情を表に出すなどあってはなりません。さらに言うと、サクラが本当に「サードを繰り返したくない」と考えているのであれば、なおさら自分の感情は胸に秘め、”危険な対象である”シンジには慎重な扱いが妥当です。シンジは新世代にとって大型地雷みたいなもんで、どこを歩くと爆発してしまうかということには慎重になるべきです。危機的状況が続いて精神的に疲労していたとしても、ここは慎重にならざるを得ません。シンジを最も危険な対象として認識しているのであれば尚更、軽はずみな言動は避けるべきです。
さて、シンジはその前のシーンで自己のアイデンティティを支えていたエヴァ(「あなたはもう何もしないで」)を奪われ、自己が安定していない心理状況です。774さんのおっしゃるとおり、確かにここのサクラの発言;「シンクロ率は0です。良かった」には曇りがありません。純粋に喜んでいます。しかし、前述のとおり、ここは大変に慎重ならざる得ない場面であります。トウジからエヴァ搭乗者であったことをサクラは知っていたはずです、それならばシンジの大変さ/苦労も伝わっているはず。そうであるならば、シンジの拠り所であったエヴァに関する言及は非常に繊細になる必要があります。
なぜ、サクラは不用意な発言をしてしまったか。それは、ミサトがここでもう1点嘘を付いていたからです。新世代に伝えられていた2つ目の嘘は、「シンクロ率は危険な指標である」ということです。サード前はエヴァ搭乗者のポテンシャルを図るポジティブな指標でした。しかし、サードを起こしたのはエヴァ、エヴァの搭乗者にはある一定のシンクロ率が必要、そしてシンクロ率は危険という考えに至ります。サードを起こしたエヴァに乗るためには碇シンジのシンクロ率が必要であり、それさえ無ければ金輪際インパクトは起きないと伝えられていたと推察します。ある程度は新世代の思い込みもあります。そのために、「シンクロ率0で良かった」というサクラの不用意な発言に繋がってしまったと考えられます。
さて、ここまでの内容を振り返っても、サクラを筆頭に新世代が迂闊であり、配慮に欠けている自己中心的な人物であるという自分の結論は変わりません。彼らの苦しみを考慮していなかったのは事実ですが、それらは軍事的な職責とは関係してはいけません。広島/長崎に原爆を落とされたからといって、いつまでもアメリカを憎んでいても仕方ありませんし、感情的には理解できても意味のない行動です。ましてや彼女らは軍人、マヤさんなんて吹っ切れてビシビシ動いてるじゃないですか、あれもシンジやサードで亡くなった人への贖罪の一つですよ。
もう一つ、彼らが迂闊で自己中心的だというのは、ミサトたちの話を信じこんでしまっている点です。本当にシンジがサードの犯人であるのか、本当に敵であるのか、危険な存在であるのか、といったことに思慮を巡らせず、自分たちの都合のいいように解釈し、シンジを原発のような危険物とみなす。悲惨な現実は確かに目前にありましたが、そこに思考の責任転嫁をするのは納得できません。旧世代、青葉や伊吹、日向は度重なる戦闘のオペレーションを繰り返して精神がすり減る中でも、自分たちで思慮していました。「ダミープラグは仕方ない措置だった」「そうじゃなきゃ君が死んでいた」と、目前にしたシンジの心情にも折り合いをつけながら分析して答えています。旧世代の行動は利他的ですよね。新世代の彼女らからは稚拙さが拭えません。感情論に支配されている軍人は、利己的/幼稚と捉えられても致し方ないと思われます。
また、新世代たちに同情的な目線を向ける必要がなぜあるのでしょうか。そこがよくわかりません。「新世代もいろいろあって辛いんだよ!!だからシンジに気配りできなく当然!!」なんて論理は通りません。彼女たちの先には幸せな未来が広がっていて、なおかつそれをシンジに壊されたと仮定しても、彼女たちに世代的な苦しみへの慮りを要求するのは些か理解に苦しみます。シンジは世界をたった一人で守れと言われた、背負わされた、その上理由もなく突然にそれをヤメロと言われた。エヴァを通じて人間関係を築けたのに、アスカは精神崩壊し綾波の感情はリセットされたTV版以上ですね、精神の乱れ具合は。
それで、ぼくは劇中のゆとり世代に腹は立ちますが、物語としては彼らの成長も一つの展開だと思うんですよ。旧世代も新世代も力を合わせてお互いに妥協する点を模索して、やっていくストーリーだと思うんです。世代論にかまけてたり、時代や環境のせいにするのではなく、当事者意識をもって問題の解決に(能力差があっても)構成員全員で取り組もうというメッセージだと思うんです。左翼/右翼、若者/年配で内ゲバ起こしてる場合じゃないんですよ、今の日本って。GDPは下がり年金受給年齢は上がり、消費も増えない。賃金も上がらない。対立してる場合じゃないんですマジで。
インターンやってます、ぜひこのページ見てください! 留学決まりました!TOEICスコア900超えました!なんちゃらプログラミング言語習得しました!
という言葉を耳にする度、心臓が跳ねて胃がヒュンと飛びそうになる。
辛い。なにもやれていない自分が辛い。今からやっても到底追いつけなさそうなのが辛い。
大学生控えめに言って凄過ぎないか。良いコミュニケーションが取れて、向上心があって、愛嬌があって。彼ら彼女らはこれ以上何を望んでいるんだ。
私はその中で一部分しか持っていないのに。自分自身でも充分わかる。
こんな自己中心的な考え方だから悪循環に陥ってしまうのもわかる。
もう自分じゃない赤の他人に振り回されるのはやめようと、数日前に思い立ったばかりなのに。
必殺「でも私は○○がある」を使って騙し騙し自分に有利な結びを持って来ようとする。
そんな風に一瞬納得したようでも、自分が一番わかっている。
「自分の方が結果も過程も下であること」、「足りていないこと」に。
何が足りないのか?
それともこんなことを思ってしまう、心か。
”人は誰だって唯一の存在なのだから比べることに意味はない。”
でも何か一つの能力を見た時にこいつにはそれがあるかないか……見るでしょう?非常に日本の典型的就活面接っぽい見方だけど。
比べることがやめられないのが人間なのか。それなら周りの人達はなぜあんなに平然としているのか……。
あれ、これ私もじゃないか?
さすがに私も公の場でこんなこと言ったりしたらヤバイので言わないし。
なるほど。比べるのはみんなしていると考えてもいいのか。
私より上のその人たちはさらに上の人を見上げてこんな気持ちになったりするのだろうか。
そうだとしたらやっぱり比べることに意味はないんだろうなあ、うん。
意味ないんだったらやるだけ損だよ、前向きになるかあ、と落ち着く。
でもこれが再発するんだ、知ってる。
再発するごとに免疫ができて症状が弱くなるとかないかな。
あるといいなと思いつつ、再発してこじらせたくないので過程くらいは胸を張れるように、日々頑張ろう。
過去のことを振り返ってもしょうがないから今からやれることをやるしかないんだ。
とはいつも思う。
とりあえず生きよう。
「あなたのためを思って」という言葉は最も卑怯な言葉だと思っている。
「相手を思いやっている」という傘の中で、相手の事情などお構いなしに
更に自分では「いいことを言っている」と思い込んでいるからタチが悪い。
「あなたのためを思ってもう少し痩せなさいと言っている」
「あなたのためを思って無駄遣いはやめて貯金しなさいと言っている」
こういうことを平気で言う人間は
なぜ勉強をしないのか、やる気がないのか、やっているけど効率が悪いのか
なぜお酒やタバコを止められないのか、生活にストレスが多いのか、誘惑が多いのか
なぜ痩せられないのか、ダイエット方法が間違っているのか、そもそもやる気が出ないのか
なぜ貯金できないのか、不要な支出が多いのか、収入が少ないのか
という原因分析まで付き合うわけでもなく、ただただ自分がその分野において
自分より優れていますよ、という前提のもとでこの言葉を発している。
多くの場合において、この言葉を言われた人間は、やる気をなくす。
この言葉を聞いて、「確かにその通りだな!よし、今から頑張ってみるか!」となった経験のある奴を
聞いたことがないし、私がそうです、という奴がいたら、正直病院に行ったほうがいい(頭の)。
ただただ相手のコンプレックスを再認識させ、モチベーションを削ぐだけの言葉だ。
対抗する切り返しに「余計なお世話だ」という文句があるが、これはあまり有用ではない。
余計なお世話であることは確かであるが、すでに一般化されすぎていて、
返す言葉に詰まった時のバーカ、アホー!と対して変わらない効力しかないのでオススメしない。
ここでオススメしたいのは、「それを聞いて、俺がどうなると思うの?」という切り返しだ。
仮に「タバコをやめなさい!あなたのためを思って言っているのよ!」と言われたとしよう。
「それを聞いて、俺がどうなると思うの?ハイ!今すぐ止めます!ってなると思って言ったの?」
と言ってやりましょう。大概の場合、相手は黙り込むことになる。
さらに、「やる気を削いだだけだって気がつかないの?なんで僕の禁煙の邪魔をするの?」と
考える間も無くまくし立てると効果は更にUPする。
13日間ではてなブログの読者を40人増やした方法! - 独りぼっち研究室
目立つ為にはブログを更新するほかに、はてなスター・はてブ・読者登録などのボタンを活用する術があるのです。
その3つのうちのいずれのボタンを押しても、相手側に通知が届くのはご存知だと思います。
通知が届くという事は・・・そう、あなたの名前が相手側に見える形になるのです。
「あっ、またこの人にはてブしてもらえた」と気付くようになってくると、相手側も自分のことが気になり自分のブログに来てくれるようになります。
繰り返ししていれば、いずれは読者登録をしてくれるくらいに仲良くなる事も可能でしょう。
俺は明らかに読んでないし興味ないのがまるわかりの人間がはてブだけ付けていくの本気で腹立つんですが。
はてなブログの機能の中に「言及」というシステムがあるのはご存知でしょうか?記事を書く時に、自分以外の誰かの記事のリンクを貼ることで相手側に「言及されました」と通知が届くのです。(「減給されました」じゃなくてよかった)言及するという事は、自分のブログをしっかり読んでくれて、しかもそれに対する意見も書いてくれているという事なので、テンションが上がります。
そうやって数だけ増やして、俺こんなに読者数有りますよってアピールして
有名人に顔をうって紹介してもらってPV稼いでお金稼ぎたいんですかそうですか。
ほんとに腹が立ちますね。
書いてるブログの内容もすごく薄っぺらくて他の人のコピペか受け売りばかりでまるで書き手の顔が見えませんし
わかるのはあなたが他人の迷惑なんか考えない自己中心的な人間だということだけです。
こういうの最近ほんとに多いんですけど、どこかで指導してるんですかね。
意識だけ高い人に、数字の稼ぎ方だけ教えたりこんなに金稼げるよって煽って
俺も月39万円稼ごうとしかしてるブロガーがいたらホントにもうすぐブーム終わりですねえ。
はてながいままで運営がカスでもなんとかなってたのって本当に人数が少ない上アフィカスが少なかったからだかなんじゃねえの。
日本は経済は没落し、軍事力も弱い。その上国民は白痴ばかりで、自己中心的な思想が蔓延している。そのため凶悪犯罪もあとを絶たない。
このままでは日本は滅んでしまう。それを防ぐための処方箋を提示したい。
1.自分がよければそれでいいという考えを捨て、社会に尽くそう
社会に尽くせるなら、自分の命や財産なんて喜んで捨てられるはずだ
2.社会のためなら家族や恋人、友人を喜んで殺める気概を持とう
痛みを与えることで、人に迷惑をかけない人間性を身につけられる
5.テレビ・ラジオ・映画・漫画・アニメ・ゲーム・ポピュラー音楽・小説・ラノベのような、白痴化を促進させるものには触れない
この手のメディアによって、我々は自己中心的な卑しい心性をインストールされている
それとともにこの手の下劣メディアは麻薬のような働きを果たし、人間が本来持っている滅私奉公という欲求を捻じ曲げる
自分の体と心を鍛えるためにも、冷暖房や防寒着を使わない生活を送ろう
7.こんな駄文を真に受けない
私は見た目は社交的だとおもう。その辺の人でも結構話そうと思えば気軽に話せるし、みんなで困っている状況をいい感じに抜け出す方法を提示したり、議論を促進したり、まぁ、ひととよくはなしている。
でも、実は、困っている人が居ても助けようとはしないし、議論が不要なところでは何も言い出しはしない。要は自分にとって必要だから人と話すという行動を選択している。実際自分自身は社交的じゃないと思ってる。
でもこれは、悪いことじゃないと思う。自分勝手で自分の必要なことを自分でやればいい、と思ってる。
困ってる人から質問を受ければ私は回答する。逆に言えば誰かに質問しない状況の人は何かを考えているか質問する必要がないってことになる。
そこまで一般的な考え方じゃないのかもしれない。けどこの考え方はいろんなものを救うきがする。
自己中心的考え、というのは自分を再優先で考えるということだろうけど、何がおかしいんだろう。自分のやりたいことをやって何が悪いんだろう。
まぁ本当に単純にやりたいことやってたらダメかも。だけど、行動を行ったあとどうなるか、その結果自分は得をするのか みたいなことをかんがえたら 多分まともな行動になる。
私が自分をまともと思ってるだけかもだけど。
他人中心の考えっていうのは、時間が経つとおかしくなっちゃうことは学んだ。自分のことを考えるのが一番っておもった。
親や教師から、
「相手によって態度を変えるような人間になってはいけない」
と教育を受けた人は多いのではないか。
自分にとって利益をもたらす相手には媚びへつらい、自分にとって役に立たず、害も与えない無害な人間を邪険に扱うような人間は、多くの人にとって不愉快だ。時間が経つにつれ、そのような人間の周りからはまともな人間がいなくなり、人生がつらくなる。たしかに、このような利益の如何で態度や行動を変えるような人間になってはいけない。
しかし、ここで多くの人が勘違いをしている。上記のバカな人間が間違っているのは、自己中心的な視点で態度を変えていたからだ。「相手によって態度を変えること」自体が間違っているわけではないと思う。
私の年上の知人だが、彼は、社会人となった子どもとうまくいっていない。子供が、過去に親から受けた仕打ちを決して許さず、話し合いをしても平行線をたどるばかりだという。
彼は、経営者としてとても優秀な人間だ。得意先の情報を、様々な手段を用いて彼は収集する。手段は別に違法な方法やストーキング的な方法ではなく、あくまで正攻法だ。得意先との何気ない会話や、購入履歴、得意先の知人やさらにその知人への何気ない質問、報道、ニュースなどなど、手に入れる方法は無数にある。その上で、お得意先である顧客が口に出さない潜在的な欲求について、常に考え抜き、要望を先回りして叶えようと動く。
贈り物も欠かさない。何か機会を見つけては、様々なものをプレゼントとしてお得意先に立ち寄った時に渡す。こうした努力を欠かさないお陰で、顧客からの信用は抜群だ。
ところが、彼はそれを子供にも、やる。
子供のすべてを把握していないと気が済まない。だから、子供が虐められていたことを隠していて、それがバレた時に、彼は激高して子供を殴りつけた。子供が自分を信頼していないことが許せなかったのだろう。
そして、子供の意思を確認せずに、
「子供が喜ぶだろうと思われるもの」
を子供に次々に用意してやる。
これが子供には、きつい。もらえるものは確かに嬉しい。カネのある親が選んだものだから、たしかに質もいい。
だが、子供はたとえ質の悪いものでも「自分で」選びたいのだ。
ところがそれが知人には納得出来ない。
「子供の頃から質の高いものに囲まれていなければいけない」
というのが知人の持論だからだ(たしかにそういう考えは価値観を育てるという点で一面の真実なのだろうが)。
こうした行動の積み重ねの結果、子供は親から常に支配されているという圧迫感を感じながら育つはめになった。社会人となって感情が爆発、親の言うことを一切聞かない、という事態に陥っているのだ。
上記の知人の例は一例だ。仕事上の態度をそのまま家族に適用して、家庭が壊れてしまう、という例を、いくつも見てきた。
分け隔てなく教え子に接する素晴らしい教師が、自分の子供にも同じように接してわが子を鬱病に追いやったり、
論理的な態度で定評のある弁護士が、我が子にも常に論理的であることを求めた結果、子供が家に寄り付かなくなり家庭が崩壊したり、
腰の低いことで有名な人物が、子供にも同じような態度で接したために、子供に舐められて子供の非行を止められなかったり。
相手によって態度や行動を変えなければ、一番大切な家庭を維持できないとしたならば、
「相手によって態度や行動を変えない」
という原則が間違っているのだろう。
自己中心的な態度の変化という、間違った選択をすることが問題なのであり、相手によって態度を変えることがわるいことではない。
だから、
「彼は相手によって、態度を変えない。立派な奴だ」
という評価をすることを改めねばなるまい。評価をするとしたら、
「彼は自分に利益のない相手にも優しく接している。立派な人間だ」
と、こう評価をしなければならない。
相手によって態度を変えないことを立派だと考える価値観を心の何処かにもったままでいると、その人が子育てに関わるとき、一番気安く接する子供に、仕事上の態度と同じ態度で接してしまう。それは家庭を壊すもとなので、注意をして欲しい。
めっちゃ好きなんだけど!!めちゃくちゃ好きだし常に考えてるけど!!言えない言えない絶対無理!
ほら、友達だし? 親友レベルだし? あっちがどう思ってるかわかんないけど、少なくとも私はそう思ってるし?
「セックスできそうな異性とかいないの?w」と聞かれてもついつい「玉木宏」とか答えちゃうし!! あんただよあんた!君以外考えられないってば!
明け方までチャットに付き合うわけないじゃん、君じゃない人なら無視して寝ちゃうよ!! そんなこといえないけどさ。
「暇だからいいよ」なんて嘘に決まってるじゃんね。いつもやることを中断して付き合ってるの!! 君の声好きだし話したいしさ!!
ついつい意地はって君のことなんてアウトオブ眼中な態度取ってしまうけど、きっと私が好きだって知らないんだろうな。
そもそも!私に気なんてないだろうな!!レディーファーストも「可愛いね」も、私だけじゃないんだろうし。
最近君が私の好きな音楽ばかり聴くのも、ただ趣味が合うだけだもんね。私のことが好きだからじゃないんだろうね。
友達として好きだよ、じゃない好きを言いたいよ。
iPhoneの新作が発売されるたびに前日から並んでいるような人たちは、死ぬことについてどのように考えているのだろう?私は自分の死後に発表されるiPhone(その頃にはiPhoneという名称ではないかもしれないが)のことを思うと気が滅入ってしまう。そのiPhoneには現代では想像もできないような新しく素晴らしい機能が搭載されていることだろう。なのに、死んでいる私はそれを体感できないのだ。くやしい。不老不死になりたい。
そういうわけで「私が死んだら同時に人類は滅亡する」という設定で生活をはじめた。滅亡してしまえばそこから世界が発展することもないだろう、これで一安心、というきわめて自己中心的な。もともとは「私が死んでも世界は変わらない」「生きていても死んでいても意味がない」と思っては涙を流すような、繊細な中高生だったのだけれど。今ではすっかり私が神だ!状態である。嫌いな人と相対していても、こいつもしょせん私が死んだら同時に死ぬ運命にあるからなあ……ふふふ……という冷静になると???な余裕がうまれているほどだ。
ジャッキー・チェンの映画見たらその後数日はカンフーをしたくなるが、
ドラゴンボールはそういう根源的なアクション欲求を満たしてくれる作品だったと思う。
主人公だし!
この頃の好きは単純だったように思う。
ギャグが面白くて好きだった。後、ククリからニケへの好意の描写も多くてよかった。
この作品はアニメ終了後も単行本をずっと追いかけてずっと好きだった。
単行本は終盤の絵柄が好きじゃないとか言う人がいるけど俺は気にならなかったし、
初めて買ったCDはEDの「Wind Climbing 〜風にあそばれて〜」だった。
もちろんククリも好きだが、やはりニケのボケ、ツッコミはこの作品の肝だ。
この作品を知ったのは親父が映画「Air/まごころを、君に」を借りてきたからだった。
OPが非常に好きだ。
あの全部理解させる気のない圧倒的情報量、スピード感はこの作品を象徴していたように思う。
敵も毎回色んな形態、シチュエーションで、全ての話数で飽きさせない、先の読めない展開の連続だった。
BGMのクラシックが非常に印象的で最高の盛り上がりから最後のカヲルくんを握りつぶすタメまで、息の詰まるというか、
心拍数が上がるというか画面の中に意識を囚われて、終わった後も戻ってこれない感覚を味わった。
傾向として、物静かなヒロインより、自己中心的だと捉えられることも多いが、
自分の意見を言う、他人に不利益が例えあったとしても自分の意志を通す、欠点のある人間らしいヒロインの方が好きなようだ。
思うに放送局がNHKでどの地方の人間でも見ることができて、何度も何度も再放送されたことがこの作品の地位を築き上げていると思う。
さくらちゃんは可愛いし、小狼くんと打ち解けていく過程がいいです。
この回は小狼からさくらちゃんへの好意が明確に描かれた回だった。
この作品はそういう視点で見ていたので、この回が印象に残っている。
当時はツンデレという言葉はなかったが、振り返って考えると当時からツンデレキャラが好きだった。
小狼くんはクロウカードを集める関係上敵対的な態度を最初取るが、どんどんさくらちゃんに好意を寄せていく事になる。
最初の印象はポケモンアニメの亜種という感じだったがポケモンアニメがサザエさん的なのに対して、
デビモン編では各キャラクターの紹介。
ダークマスターズ編では提示された欠点の再描写と解決となっている。
デジモンワールドと現実世界を何度か行き来するが、時間の流れが違うおかげで、
デジモンワールドに戻った時に状況がガラッと変わっていて、新たな問題の提示と困難度が劇的に表現されていた。
FF6の崩壊後の世界とかそういうシチュエーション好きなんです。
基本的に各編のボスと主人公勢との間には圧倒的な力の差があって、ボスから逃げつつ、
勝つ手段を探すような感じで、敵の強さの描写とその敵を倒したときの爽快感はすごくよかった。
何だかんだで主人公勢が勝つだろうと安心して見ていたそれまでのアニメと違って、
本当に勝てるのか?という感じで展開が読めない所がよかった。
この回はとにかく異色だった。
当時はアニメ、ドラマ、映画等の面白さはシナリオの面白さのみに依存すると思っていた。
合奏における指揮者は棒を降っているだけで誰がやっても同じだと思っていた。
厳密言うなら、この回を演出した人が監督を手掛けた映画「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」を見て、
その人は今でこそ知らない人はいないほど有名になった「細田守」で俺の中では宮﨑駿と同列になった。
この人が有名になってトトロのように金曜ロードショーでぼくらのウォーゲームが流れることを切に願っていた。
なんか妙な色っぽさがあった。小学2年生なのに。
全部21話が悪いんです。
けど、元気なヒカリちゃんも好きです。