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はてなキーワード: 脆弱性とは

2024-03-19

プロネットワークゲームエンジニアが考えるAPEXのチート

ほぼこれだと思うもの

・件のチートはDebug用にゲームにしこまれものを改変して(つまりテキストなどをゲーム内の別の場所から拾ってきて)使っただけ

 

理由

ツールインストール経路がないため

仮に戦績画面のバッジなどのデータハードコード指定してサーバーからダウンロードさせる方式であり、ダウンロードさせることができるのだとしても、そうしたAPEXの脆弱性+管理者権限で動くEAC脆弱性とAPEXからEAC脆弱性をつく経路の2つが追加で必要

なのでEACはほぼ関係なく安全

そして昔から流行ってるらしいBOTを操る機能上記のDebug機能の一つだと思う

ウォールハックに関してはゲーム内にウォールハックをキャラクター特性として一時的に実現するキャラいるから誰でも5分で再現可能

私がEA開発者だったら1ヶ月で現行のチートほぼ全て防げます

 

なお、意見初見の時から変わっていない

https://anond.hatelabo.jp/20240318162850

https://anond.hatelabo.jp/20240319001847

2024-03-15

anond:20240315181914

生活も不規則、酒のガバのみでのどと胃がやられて息も臭いホストがなんであんなにもてるとおもう?

自分依存させる営業メソッドというか、そういうスキームがあるからでは?

それに引っかかるのは精神か知性に脆弱性を抱えている女性だけという認識

あなたの思っている女子が求める清潔さなんて幻想しかないんだよ

なるほど。私は女性なんで幻想ではないですね。

歯がろくに磨けてないとかありえんです。

2024-03-10

anond:20240310093904

WindowsXPは本当にやめて!

IE経由で遠隔でメモ帳が立ち上げられたり、脆弱性の宝庫だからやめて!

犯罪者玄関全開みたいなもんだからやめて!

2024-03-08

Macを購入してしばらく使っているが、使いにくすぎる

今までUbuntuに慣れていたからかもしれない

プロプライエタリなので環境の隅々まで完全把握するということができない

まずSafari脆弱性があって、アドウェア強制表示してくる

会社Windows機に接続する時に、キーボード配列互換性がない

VimEmacsが使いにくい

なんだ「英数」「かな」って、全角半角でいいだろ、キーを分けるな

と、イラつきが止まらんので、中古で2万円の安いDELLラップトップを注文した

やっぱUbuntuに限るよね

2024-03-07

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2403/07/news064.html

DenyList方式で何回も抜け穴が発見されてるの見るとApache Struts2脆弱性を思い出してげんなりする

2024-02-28

anond:20240228151131

AIが労基を守るとか、そういう前提はあるかな

法律を遵守するという前提がある

その範囲で極限まで利益AIが求めたとして、それで問題が起こるならば、AI問題ではなくて法律問題法律脆弱性とか穴だと思う

anond:20240228150632

内部の技術者がわざと脆弱性を作るようにできないかな…

まあ、夢物語とかフィクション世界だけど…

オウム信者警察官じゃないけど、そういう思想を広めれば信者がやってくれるとか…

まあ、ないか

2024-02-25

アイドルマスター界隈って女性オタク界隈みたいな所あるよな

・(筆者男です)(追記しました)男だけど異常に胸がデカキャラが苦手

ttps://anond.hatelabo.jp/20240208215941

女性オタクの棲む暗い池について

ttps://note.com/meisounote/n/nbed9573f66a5

先日、これらの記事を発端としてインターネットでは何度目かの「女性オタク界隈特有文化に男オタクがたまげる」イベントが開催された。

件の記事がどれだけ性格かは定かではないが、女性と思われる一部のアカウントらの反応を見る限りはそう大きく間違ってはいないように思える。

(私見を述べさせてもらうなら女性オタクにはクレーマー気質人間が多いというよりは男性オタク界隈でもクレーマー気質人間は発生しているが無視されるかボコボコにされるかの二つが殆どでその一方で女性オタク界隈ではそのような人物相手でもまともに取り合ってしまう人が現れてしまうため増長されやすいという構造があるのではないかと考えている。)

本題に入ろう。実はこの手のイベントが開催される度にいつもとある考えが自分の頭の中に渦巻いていた。

自分がいた頃のアイドルマスター界隈にもこういう所があったな」と。

自分は既にアイマス界隈から距離の遠いところに来てしまって久しいため今でもアイマス界隈が当時のままなのかは判りかねるが、当時のアイマス界隈でも所謂「学級会」や「お気持ち表明」と称されるイベントは定期的に起きていた。

ちなみに内容はというと「担当アイドル※の設定が変更されてしまった」「担当アイドルイベントでの出番が少ないような気がする」「一向に担当アイドルCVが決定しない」「担当アイドルSSRが後回しにされている気がする」といった主に担当アイドルの扱いの悪さに対する不満が殆どである

※厳密には異なるのだが概ね「推し」のようなものだと思ってもらって構わない。。

そうしてこの手の話題になる度にアイドルマスター界隈(と女性オタク界隈)の性質について少しずつ考えていたが、この度ようやく考えがまとまったためここにそれを垂れ流すことにした。

といってもそこまで難しい話をするつもりはなく、言葉にすればシンプルな事である結論を先に書かせてもらうと要するに重要なのは「その作品に対してどれだけ『真剣(マジ)』になっているオタクいるか」という事である。「どれだけ深く入れ込んでいるか」と言い換えてもいい。

念の為に予め言っておくがこれに揶揄意図は一切無い。しっかり線引きはしましょうという留保くらいはつけておくが元アイドルプロデューサー自分としてはむしろコンテンツ真剣(マジ)な姿勢で挑む事には好意的ですらある。学校文化だって斜に構えた態度でいるよりも真面目に取り組んだ方がなんだかんだ満足感が高い訳だし。

正直に告白すると、男性オタクよりも女性オタクの方が真剣(マジ)なオタク割合が高そうだという偏見自分にはある。創作経験があるオタク多寡ミーム定型文に頼らない感想の出力。フィクションの展開の影響を受けて実際に体調を崩す。推しと対面して泣く。ライブで気絶する。同担拒否。いずれも(男オタクにもこういう事例が無い訳ではないだろうが)女性オタクによく見られるケースという印象が強い。

アイドルマスター界隈もまた同様に真剣(マジ)なオタクの多い界隈である。(もう一度記しておくがあくま自分が界隈にいた当時の印象と伝聞を元にした話であり今でもそのままなのかは判らない)

何故かというと、それはアイドルマスターリアルフィクションの境目を壊す試みにずっと大真面目に取り組んできたコンテンツであるからだ。ぶっちゃけ異常者の域に片足を突っ込んでいる。

例えばアイマスライブには演者自身が演じているキャラクターを舞台上で「再現」するという文化がある(もしかしたら他の二次元アイドルコンテンツにもあるかもしれないが)。あれは自分に言わせれば二次元上のキャラクターを三次元人間の上に降ろそうとする一種の降霊の儀式だ。声優ネタキャラクターに逆輸入されるかつての風習もその精神性の延長線上にあったものだと自分解釈している。

それになんでも最初アイマスであるゲームセンターアーケード版の時点からフィクションリアル侵食してくるような試みは存在していたそうだ。なんと、しばらく店舗に通っていないとプロデューサー(プレイヤーの事)に見捨てられたのではないか不安になったアイドル達が実際にEメール送信して切実に訴えかけてくるというのだ。今やバンダイナムコ常套手段である女の子」を見捨てられないという男の本能、その脆弱性を突いた卑劣人質商売がこんな早くから行われていたとは、驚きの極みと言う他ない。

当時が全盛期だったニコニコ動画という動画サイトに、原作ゲーム動画編集して制作した担当アイドル自作MV投稿したり、担当アイドル二次創作小説紙芝居(ノベマス)を投稿したりして、それで同志である視聴者コメント交流していていたニコマスという文化も、リアルフィクションの境目を曖昧にし自分はこの子担当プロデューサーであるという自覚、いや錯覚を強める事にきっと大いに貢献した事だろう。残念ながら自分世代ではないため当時の空気感を伝聞や当時の動画を視聴する事で推し量る事しかできないが、自分にはこの時代が「プロデューサー」というロールプレイをするにあたって最も恵まれていた時代だったように思えてならない。

そしてそのリアルフィクションの境目を壊そうとする姿勢は「シンデレラガールズ」(デレマス)にも受け継がれる(デレマス場合商売っ気がやや強すぎる気もするが)。

代表的ものはやはり悪名高い「総選挙システム、そしてそれに端を発する声有り・声無しという概念だろう。初期のデレマス(当時はモバマスと呼ばれていたそうだ)はどのアイドルにもCVが付いておらず、ゲーム内のイベントであるシンデレラガールズ総選挙で上位に入賞するとそのアイドルCDデビューが決定し、それに伴ってCVも決定するという流れがあったらしい。勿論、ここでいうCDデビューとは現実世界でそのアイドルの歌とトークが収録されたCDが売り出されるという意味であり、故にデレマスPにとって総選挙とは「実益」が絡む完全に「現実」の話となる。

そしてデレマス総選挙における「有権者」とは、(奇妙な日本語ではあるが)プロデューサー(ユーザー)の事である。そのため同じ現実人間である同僚プロデューサー達に対して担当アイドルプレゼンもとい演説を行い、投票を呼び掛けるというまるで現実選挙のような活動を行うインセンティブが発生する。その「選挙活動」に端を発する文化として、互いに手持ちの票の一部を相手担当アイドル投票し票交換を行うグループが現れたり広くプレゼンを募って気に入った担当アイドルに手持ちの票を分けるユーザーが現れたりなどがあるが、最も自分の印象に残っているのはやはりプロデューサー自身インフルエンサー化であろう。それもプロデューサー活動の末に自然自分も有名になっていたという結果論ではなく、みんなに担当アイドルの魅力を知ってもらうためにはまずは自分自身が有名になり影響力を持つ存在にならねばという戦略ありきである自分プロデューサーの端くれとして彼らがそうした理由理解できるし感情についても共感はできるつもりなのだが、やはりこの現象俯瞰で眺めた時にどこか滑稽である事は否めない。(こうした現象現実にも存在し、例えば作品宣伝するために自分自身が有名になる事を出版社から求められる作家アカウントなどがある。)

シンデレラガールズとは姉妹のような立ち位置にある「ミリオンライブ」(ミリマス)にもこの選挙というシステム採用したイベント存在する。とはいえミリマスの場合提示された幾つかのテーマにそれぞれ登場する幾つかの役の枠を奪い合うというルールであり、フレーバーとしては選挙というよりはむしろ公開オーディション表現した方が近い。そして当然これも現実CDとして発売されるため、やはりミリマスP達もデレマスP達と同様に戦場に赴く事を半ば強いられている状況下にあると言っていいだろう。

そうはいってもデレマスと違って最初から全員にCVが付いているミリマスでは声有り声無しの格差存在しないぶん比較平和なのではないかと思う人もいるかもしれない。その見方に一理ある事は認めよう。だが、ここにもまたここだけの地獄があるのだ。

ミリマスの選挙イベント最大の特徴はゲーム内の特設ページにてそれぞれの役の得票状況がリアルタイムで確認できるという点だ。端的に言って心臓に悪い。例えば自分担当アイドルが他のアイドルと熾烈なデッドヒートを繰り広げていたりなどしたらもう大変だ。そのうえ対抗馬が主人公自分担当アイドルラスボスであるかのような風潮が界隈に浸透し、ジワジワと追い上げられ始めたりなどすればもう終わりだ。いや、終わった。

ちなみにリアルタイム故に成立するミリマス特有戦略として、特定時間帯に集中的に投票を呼び掛ける一斉投票という戦略がある。逆転の雰囲気意図的に生み出す事で同陣営にはこれだけの数の味方がいるのだという安心感を与えて戦意を維持してもらい、逆に対抗馬にはプレッシャーを与えて戦意の低下を狙い、更には浮動票層の関心を惹いて余った票の使い所をアピールする事もできる、気取った表現をさせてもらえば一石三鳥の戦果を狙う事ができる戦略である。まあ、最も効果があるのは手持ちの票が潤沢な最初の一、二回程度でそれ以降は尻すぼみのように効果が小さくなっていくのだが。ただしこれはあくまで当時の話であり、メタゲームが回りきっているであろう今でもこの戦略有効なのかは既にアイマス全体から離れて久しい自分には最早判りかねる事である

(誤解の無いように書いておくと自分アイマス全体から距離を置くようになったのはこのようなプロデューサー活動に嫌気が差したからではない。むしろこういった選挙イベントアイドルマスターというコンテンツにおける醍醐味の一つですらあると思っている。確かに当事者にとっては入れ込めば入れ込む程苦しくなっていく地獄の催しかもしれないが適切な距離さえ取れればこれほどエキサイティングイベントもそう無い。自分アイドルマスター界隈から離れたのはこの終わりも無ければ変化も無いサザエさんのようなコンテンツに追い続ける意味を見出せなくなったからだ。端的に言うと、ただのマンネリである商業的には到底採算が採れない企画だろうが個人的な願望を言わせてもらえば、リアルタイムで一年の時が経つ毎に作中でも一年の時が経ち、アイドルも一つ歳を取り、そしていつか終わりを迎える。そういうアイドルマスターを今は体験したいと思っている。Vtuberではダメだ。リスナーではVtuberと一対一の関係を築く事はできず、所詮はただの one of them にしかならないからだ。だからアイドルマスターでなければダメなのだ。)

今もう無くなったがある時期までのアイドルマスター界隈の一部(?)には「『担当アイドル』と『推し』は別物だから一緒にするな」という風潮が確実に存在していた。ここまで読み続けてくれた人であればもう理解してもらえるだろうが、当時のアイドルマスター界隈において「担当する」という言葉は「推す」とは異なり相応の責任を負う覚悟があるという意味を含んだ重みのある言葉だったのだ(とはいえそれは無論ロールプレイ範疇に収まる程度のものしかないが)。南無阿弥陀仏とさえ唱えれば誰でも担当プロデューサーを名乗ってもよいとされている時代の今時のプロデューサーからしたら到底理解できない馬鹿げた異常な感覚かもしれないが、これもアイドルマスターがかつて有していた一つの側面だったのだ。運営側人間でもないのに架空版権キャラクターの世間への売り出し方を真剣に悩む、そんなプロデューサーがかつてはいたのだ。そしてこんなに真剣(マジ)だからこそきっと学級会やお気持ち表明も起こりやすいのだろう。

これを読んで「アイマス怖……近寄らんとこ……」と思った方は安心してほしい。運営もも時代にそぐわないと判断したのか今のアイマス比較カジュアルスタイルになっており、そこまで気負わなくても気軽に遊べるようになっている(はずだ)。だから興味があるなら軽い気持ちで手を出してくれて構わない。あとはバンナムが二度とは戻れない深い沼の中へと勝手に引き摺り込んでくれるから

この記事自分が言いたかった事はひとまずこれで全部だ。ここからはほぼ余談になってしまうがせっかくだからシャニマスについても触れておこう。流石にこの時代になると他のアイマスで見られたようなプレイヤー責任感を感じさせるような取り組みは無いのだが、リアルフィクションの境目を壊そうとする点ではシャニマスもしっかりアイドルマスターの一員である。ただシャニマス場合シナリオ中の表現描写演出等によってアイドル達は現実に生きている人間であるとしてその日常の一コマ写真のように切り出そうとするというストロングスタイルであり、自分の語彙ではこれ以上の説明はなかなか難しい。他の取り組みとしては普段アイドル達が使用している靴箱(靴入り)の再現セットの展示、畳まれていたり畳まれていなかったりするジャージが床に置かれているレッスン室の再現セットの展示、ほとんど環境しか収録されていない事務所内の定点カメラ映像を六時間ぶっ続けでYoutube配信するなどがある。どれも意図理解できるがどこか変態所業じみた取り組みばかりになってしまうのは少々困り所だ。

ここまできてアイドルマスター界隈でもあり女性オタク界隈でもあるSideMに触れないのも不義理な気もするが、他のアイマスと比べると中途半端しか触れられておらず界隈の雰囲気についてもあまり詳しくないので正直語れる事があまりない。何か言える事があるとすればせいぜい「いい加減Mアニ二期を制作しろ」という事くらいだ。偉そうなタイトルにしておいて肝心な部分がこの体たらくなのは申し訳なく思っている。本当にすまない。

2024-02-23

松本人志ですらいなくなってもテレビ業界お笑い業界普通に回っていくし、誰であっても替えのきかないかけがえのない人間なんていないんだと思う

誰一人として世界系の主人公にはなれない

まあ見ず知らずの他人一人のせいで社会崩壊しても困るしな

他人が致命的脆弱性にならないよう替えの効く1パーツにしておくのが社会性安定性につながるけど

その結果誰もが代替可能価値のない人間になっている

大谷翔平藤井聡太がことさら持ち上げられるのは時代の中で唯一無二の替えの聞かない人間がいるって幻想を我々に見せてくれているからじゃないかと思う

2024-02-21

ウオッチドッグス二始めたけど二時間で酔ってしまった。

三人称視点で酔いづらいとはいえカメラハッキングが売りで視点が頻繁に変わるし、特殊視覚モード活用しなきゃいけないし、ほぼ全編(個人的に酔いやすい)探索パートみたいなゲームなんでなかなか難儀しそう。

操作メーカー同じだしアサクリっぽいのかなーと思って始めたけどアサクリはアサクリはでもシンジケート以前のタイプで(ついでに慣性が強めなキャラクターの動きも)、その割に悪しき押し込みダッシュだけ今風なのも個人的微妙

あとアサクリの感覚で段差登ろうとして全く登ってくれなかったりで動作で諦めるか、酔いがひどすぎて諦めるかの勝負になりそう。

  

  

ウォッチドッグス2クリアした。

アサシンクリードシンジケートの後くらいに出てきたこともあって、妙にふにゃふにゃした動きとかカメラワークで酔いやすかったけどシンジケート同様どうにか慣れてこなせた。

  

大きな特徴のハッキング操作…というか反応が複雑で(操作自体簡単ワンボタンハッキング)、一回軽く説明したらそれだけで放り出されたのがかなり大変だった。

操作自体に慣れても忙しすぎて、ハッキング中や武器選択中はスローになるような演出が欲しかった。オンライン要素もあるから難しいんだろうけど。

車の運転もツルツル滑るしで、はじめの頃は特にただ運転するのも大変だった。

その上自動運転もないのに高速運転しつつハッキング要求される場面あったりで(しかもかなり序盤のメインミッションで)中々きつかった。このゲーム野良バイクを一回も跳ねずにクリア出来た人いるんだろうか。

  

難易度的にはノーマルでやっていたけど、序盤がキツかった以外はリモートでの爆破などが解禁されれば楽だった。

一方で銃器は数回くらいしか使わなかったくらいには扱いづらくてイマイチだった。このゲーム必要最低限のハック以外は銃器だけでクリアした人いるんだろうか。

個人的にはタイディス社乗り込み、レンチ操作サイバードライバーあたりが難関。タイディス社はギャングファンネルが即やられてしまったり、遠隔で倒す手段が封じられてたりでいつもの手段がつかえず、結局椅子に隠れて警察をひたすら呼んで一人づつ時間をかけて減らしていった。

レンチ武器をぶっ放すチート的なミッションなのかと思ったらただの制限プレイだったので同じように公権力の力を借りた。サイバードライバーは序盤でやらせミッションじゃない。あれのせいで警察嫌いになって、パトカーを見かけ次第処分するようになった。

  

ストーリー映画ネタネットミームネタとかどっかで見た企業とかネタまみれでその意味では楽しめたけど、ストーリー自体には短めであっさりした印象だった。

情報を牛耳ろうとする大企業の闇を暴くぜ!→黒幕に手のひらで転がされてて痛い目みたぜ…→凹んでたところに新しい凄腕のオッサンも入ってリベンジだ!→乗り込んで証拠突きつけて黒幕逮捕に追い込んでやったぜ!だいたいこんな感じ。

ライバル的なハッカーも出てきたり(このとき演出は凝ってて面白かった)、衛星からハックしたりとかネタ面白かったんだけど、キャラクターが全体的に弱く感じてしまった。レンチくらいだろうか魅力的に感じたの。

あとは、主人公たち(デッドセック)は別に正義集団じゃなくて、あくまクールかどうかで行動してる集団ってのをわかるまでは大分違和感があった。ゲーム的にお金盗んだり車勝手に操って事故らせたりめちゃくちゃできるというのを抜きにしてミッションで促される行動だけ見たとしても、無辜の民の口座凍結して大喜びしたり(一応、口座の脆弱性発見したのでそのテストという名目ではある)、兵器開発とか許せねえぜ!その兵器使って大喜びで大暴れだ!。スワッティングするクソ野郎にスワッティング仕返してやる!とか。

変にその辺清廉潔白にしちゃうとノリに合わないし、無茶苦茶できるゲームシステム的にも違和感が出ちゃうからそれでいいんだろうけど。

2024-02-19

anond:20240219175307

あるよ

大手なら脆弱性発見に報奨金だしてるしコンテストとかもあるでしょ

2024-02-17

今後3年以内に起こることは「ミニコミ媒体の復活」なのではないか

①生成AIの影響で真偽が判断つかない情報や、無意味・無内容な情報が、加速度的にSNSなどに溢れかえる

➁もはや、オープンSNSインターネットはスカム情報で溢れかえりナンセンスで役に立たないものになる

オンライン/オフラインわずニッチフェイス2フェイスコミュニケーション流行

ニッチコミュニティを横断するミニコミ媒体需要が復活する

意味のある情報」が人の手に戻ってくる時代と考えると、インターネットがより身近になる、人間中心的テクノロジーになる契機なのかもしれないよね。もはや、「ただの情報」がスカム化して意味をなさなくなり、「人とのつながり」みたいなコンテクスト重要になる。

この話はなにも生成AI話題に出すまでもなく、そもそもインターネット広告モデルの持つ情報流通脆弱性の話なんだけどね。

まりインターネットはすべてをフリーにした。そういったアナーキー価値観草の根的に生まれ世界だった(cf.自由ソフトウェア運動)。だけど、それじゃビジネスは成り立たない。

そこで、インターネットがたどってきた道はこうだ。

アナーキストたちは採算度外視で(そもそもそういう商業主義否定するんだからそりゃそうだ)市場を壊していく。「無料アクセスできる」情報には誰も金を払いながらない。だって、値段をつけて売られてるものが、ネットならタダではいから

そのため、商業主義者たちは考えた。「つまりエンドユーザーには無料で届けなければ太刀打ちできない。なら、エンドユーザー商品にして、toBエンドユーザーを売ればいいんだ」。これが今日まで続く、インターネットで主流の「広告モデル」によるコンテンツ生産だ。

しかし、インターネットの「広告モデル」は、これまでのメディアのそれと大きく異なる。なぜならば、トラフィックのすべてが事細かに分析対象となり、しかもそれがリアルタイムで見えてしまうから。つまりウェブコンテンツは「この特定ページのこの部分にこのくらいの時間滞留する。だから、ここに広告を置けば見えやすい」ということが分かってしまう。

これは大問題だ。クリエイティブっていうのは、コミュニケーションっていうのはそういうもんじゃない。数字言葉に現れない絶妙な采配。そこにしかクリエイティブは宿らない。なのに、それが許されなくなってしまった。

そうなるともう、アテンション・エコノミー問題につながる。さらに注目を、さらに注目を、そんなことをしているうちに「何に注目したらいいか」をゆっくりと捉える時間がなくなり、「安易な刺激」に逃げるようになる。

タイパ」という言葉最近話題らしいが、あんものは嘘っぱちだ。「安易な刺激」のイテレーション周期をいくら速めたところで、そこに「意味」はない。TikTokを2時間見る時間があれば、映画館に行ったり、コンサートに行ったりして、「意味のある体験」をしたほうがよっぽどパフォーマンスはいいはずだ。

そして、「タイパ」という言葉流行さらに「生成AIによる情報のスカム化」は、いわばこの「無意味な加速」の極限であり、ピー状態である。つまり、このバブルはあっという間に弾ける。徐々にその加速が無意味であることに気が付き始める。(cf.寝そべり族、Doomer、だめライフ

からこれからは、「ミニコミ時代」だ。自分たち時間を大切に、自分たち価値を大切に、自分たちいのちの使い方を大切に決められるオルタナティブライフが求められる。そうした血の通ったネットワークが求められる。そこに必要なのは、内部の結束と、外部への発信としての「ミニコミ」なんだとおもう。

2024-01-30

たらいまわしじゃないけど、市も都も管轄外を主張すると

俺があれを壊してしまっても構わんのだろう?って脆弱性がある気がする

市議だより読んで思った

2024-01-27

anond:20240127192824

志賀町能登中核工業団地などに代表されるように、

石川県県内あちこちで進めてきた企業誘致北陸新幹線建設など、

産業観光振興への投資をしてきた。

一方、災害リスク軽減に向けた計画づくりは産業振興にブレーキをかけることになるからペンディングにしてきた。

今思えば07年後の耐震診断くらいはしないといけなかったな。

防災投資を暗黙の裡に手控えなければ進められないという平時政治メカニズムが、

この国の災害脆弱性を増大させている一面はありそうだ。

この平時復興期の政治の動きは表裏一体。復興期の動きのなかでは、二つの政治的な動き方がありうる。

ひとつは、地域経済産業災害前の同じ状況に迅速に戻そうという動き。

観光地であれば、訪問する外の人々に災害を早く忘れてもらったほうがいいし、

曲突徙薪の故事でいえば政治家が災害後の復旧でヒーローになる手っ取り早い発想だ。食べて応援!みたいな流れもそれに近い。

2004年インド洋津波被災したリゾートアイランドでは、

ビーチ沿いのせまっくるしい土産ストリートで人があふれ逃げ遅れたという教訓があるにもかかわらず、

復興過程はいち早く観光産業再生し、政治家は避難施設への誘導標識をつけたり訓練をしたりすることすら嫌がり、防災対策としてはあまり何もしなかった。

結果、全く同じショッピングストリートが出来上がった。そして同じ規模の津波がきたらきっと同じことが繰り返される。

もうひとつの動き方は、災害で失われた生命財産に対するバックラッシュ

東日本大震災復興過程では、生命安全をなにがなんでも守るという災対法の理念を忠実に実現しようとした。

平時では合意形成が難しく、とても実現できないことを復興期にやれるのは強味ではある。

浸水地域ではもう人は住むな、といって一世帯あたり3000万くらいかけて高台をつくり、巨額の復興予算海岸は大量のコンクリート防潮堤建設した。

しかし迅速な復興を目指したあまり復興計画への住民合意形成拙速になった。

結論を急いだ結果、家を失い生計を失って自分自身生き方を迷っていた多くの地域の人たちが結果的地域を出ていき、地域に残りたいというのは

そこで人生を終えたい高齢者だけになった。以前にも増して限界集落となって投資したコンクリートを誰も住まない地域に残した、という教訓がある。

山本一郎復興のあり方に懸念した文章みたけど、それってこのあたりの課題に重なる。

ただ、じゃあ徹底的にB/Cで思考しろって話でもない。

行政が介入した瞬間から参与観察になって地域に影響を与えることを覚悟しないといけなくて、費用便益を事前に計画客観化できるというのはうそだ。

復興過程での政治行政主導が住民レジリエンスを阻害して、結果的投資釣り合わない結果になったかもしれないという部分を考察しないといけない。



どちらか一方しか選べないのだとしたら、前者のほうがマシだと最近思うようになった。

ハード的には不十分な復興というぐらいがちょうどいいんじゃないかと。

2024-01-25

やっぱり賢人ワイの考えた通りやん

道路標識に「人に見えないレーザー照射 自動運転車を欺く攻撃 米国日本研究者らが発表

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2401/25/news049.html



7,8年前自動運転がもう実用化する!みたいに盛り上がってた頃に

自動運転車って広まった後に特定パターンカメラに読ませたりしたら誤作動起こして事故るみたいな脆弱性見つかったら

世界一斉にお手軽テロとか起こせてヤバいよねみたいなこと書いたら

人間脆弱性の方ガーとかお決まり反論だらけやったけどやっぱりそういう問題あるんやん

ワイは自動運転技術周りの知識は全くないけどパッとこういう発想ができるのがやっぱり"知性"ってことなんやろなあ

上っ面の知識に左右されない思考力があるというか”本質”が見えてしまうんやなあ

2024-01-02

大地震一覧

自習としてまとめる

死者多数のものだけ

 

2024/1/1 能登半島地震 Mj7.6

2018/9/6 北海道胆振東部地震  Mj6.7 土砂崩れ

2016/5/16 熊本地震 Mj7.3 災害関連死

2015/5/30 小笠原諸島西方沖で地震 Mj8.1 史上最深

2011/3/11 東日本大震災 Mj8.4 大津波 日本史上最大

2007/7/16 新潟県中越沖地震 Mj6.8

2004/10/23 新潟県中越地震 Mj6.8

1995/1/17 阪神淡路大震災 Mj7.3 耐震強度問題

1993/7/12 北海道南西沖地震 Mj7.8 大津波30m 死者・行方不明230人

1984/9/14 長野県西部地震 Mj6.8

1983/5/26 日本海中部地震 Mj7.7 大津波 死者104人

1978/6/12 宮城県沖地震 Mj7.4

1974/5/9 伊豆半島地震 Mj6.9

1964/6/16 新潟地震 Mj7.5

1960/5/23 チリ地震 Mj9.5 世界史上最大

1952/3/4 十勝地震 Mj8.2

1948/6/28 福井地震 Mj7.1 死者・行方不明者数3769人 震度7が制定 複合災害

1946/12/21 南海地震 Mj8.0 死者・行方不明者1443人

1945/1/13 三河地震 Mj6.8 死者・行方不明2306人

1944/12/7 東南海地震 Mj7.9 大津波 死者・行方不明1223

1943/9/10 鳥取地震 Mj7.2 死者1083人

1939/5/1 男鹿地震 Mj6.8

1933/3/3 昭和三陸地震 Mj8.1 大津波 死者・行方不明者3064人

1930/11/26 北伊豆地震 Mj7.3

1927/3/7 北丹後地震 Mj7.3 死者2925人

1923/9/1 関東大震災 Mj7.9 死者・行方不明105385人 日本史上最悪

1922/12/8 島原地震 Mj6.5

 

所感

 

死者数が増えるのは

津波

火災(近年は少ない)

土砂崩れ

・倒壊、圧死(特に都市部

避難

 

21世紀の方がむしろ被害が大きいことが意外だった

戦後、大きな被災があったのはご時世もあったのだろうと考えると、東日本大震災阪神淡路大震災が異常

津波」と「直下型」の2パターンが主

 

地震が頻発している危ない地域

三陸沿岸部津波)★

青森秋田西沿岸部津波)★

津軽直下?)

北海道南部西部東部沿岸地域津波)★

新潟直下)★

静岡伊豆駿河湾

千葉茨城沿岸部津波

愛知直下

長野直下)★

大阪兵庫直下

瀬戸内

和歌山南部

福井能登半島

九州南部直下)★

 

★は100年内に確実に一回はでかい被害が起きてる

 

日本には逃げ場がないとはよく言うが

現代においてそれでも大惨事になる場所というのは限られているとは思う

大地震であっても被害が少ない地域もあるのが意外だった

地域次第で脆弱性が違うんだろう

 

比較安全そう(大きな被害になっていない)なのが

関東北部東北の内陸部、近畿中国四国の内陸部、九州北東部など

直下地震が頻発している地域でなく、かつ沿岸部でなければ被災確率は低そう

沿岸部チリ地震みたいな例があるのでどうしようもない、逃げ場はない

特にリアス式海岸がよくない

 

南海トラフは有名だけど個人的にはやっぱり伊勢愛知大人しいのが気になる

でも地震ってむしろ連鎖するから、無いなら無いで数百年行きそうでもあるよね

 

昭和三陸地震(1933)、明治三陸地震(1896)があったし、三陸沖は地震頻発地域なのに

何で東日本大震災であれだけ被害が出てしまったんだろうというのは結構解せない

80年も経つと忘れるというのがよくわかる

2100年まで果たして持つだろうか?正直またやらかす気がする

2023-12-22

anond:20231222182135

アップデート実施脆弱性の多い脳かどうかだから割合に差こそあれ全世代にいるだろう

脳のセキュリティは常に気を配らないとバグる

2023-11-20

本当のクソコードっていうのはバグがあってちゃんと動いてないんだが

そのバグを探すのにかなりの労力を有するようなコードのこと

話題になってるファイル化してファイルリストソートする、みたいなのは全然可愛いもの

ファイルリストを表示させるコマンドを直接コールしてて

引数ユーザーリクエストが含まれていて簡単ルート権限取られてしまうようなコードが書いてあるのがクソコード

おまけにどこで何が起きるかわからいからそういう脆弱性にも気付きにくい

そこまで危険じゃないものでもバグがあるのに条件が分からない、再現しにくい、どこでその状態になっているかが分からないっていうコードは山ほどある

分かりにくいコードになっている原因はただただ書いた奴がアホな上に調べ物しないやつだからっていう理由だけ

悲報オリックス銀行ウェブサイトセキュリティガバガバ

https://archive.li/3Qfzm

webmaster@とsecurity@に報告するもmailer-daemonの模様

もう終わりやね

ちなみに存在する脆弱性ROBOT, Zombie POODLE

悲報ニッセンウェブサイトセキュリティガバガバ

https://archive.md/BNOpJ

親切に報告してあげても90日以上放置の模様

なお脆弱性そのもそは2年以上放置の模様

もう終わりやね

ちなみに存在する脆弱性はPOODLE, Zombie POODLE, Sleeping POODLE

2023-11-14

ボーカロイド音楽論」(ぱてゼミ)は何故あまり批判されないのか

追記そもそも「何故もっと批判されるべきなのか」については、【最後に】の後に追記した(2023/11/15)。

【背景】

 東京大学東京芸術大学では、鮎川ぱて氏(以後、ぱて講師)による「ボーカロイド音楽論」という講義が開講されている。東京大学の方の講義はぱて講師による著書『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』においてその過去の内容が公開されている。このダイアリーの筆者(以後、「筆者」)は「ボーカロイド音楽論」の元受講生であり、書籍を購入し一読した。同講義Twitter(現X)での実況が推奨されておりTwitter上で一つの活発な動きを毎年見せているが、「ぱてゼミ 批判」「ボーカロイド音楽論 批判」などと検索しても同講義に対する明確な批判ツイートはヒットしない(Twitter検索システムが悪いという可能性は保留する)。書籍についても、これに批判的な書評Amazonレビューやブックメーターにわずかに存在するのみである講義内容全体のレビューはそれらに譲るとして、本ダイアリーは、この「批判の少なさ」の原因について仮説を立てることを目的とする。

 本ダイアリーは直接の筆者の特定を避けるため匿名形式をとっている。内容について「そんなの当たり前じゃん」「その仮説は的外れだ」と思う読者もいるかもしれないが、このように書き残さなければ何も始まらないということでご容赦願いたい。また、筆者は全ての年度や東京芸術大学講義を聴講したわけではないこと、このダイアリーの内容は主に『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』の初版第一刷(以下、書籍)に基づいていることを断っておく。

【本論】

まず結論として、 「ボーカロイド音楽論」に対する批判の少なさの原因として、筆者は次の4点を提唱する。

1. 媒体:現地で行う音声形式講義では記録に基づく批判が困難であるという点。

2. 受け手資質講義対象となる学生や読者のほとんどはその議題についての非専門家であり、しか批判に割くだけのリソースを持っていないという点。

3. 内容:この講義の内容が批判を先んじて封じてしまうように作られている点。

4. コミュニティ:この講義ボーカロイド音楽が好きな東大生のうち一部を迎え入れるコミュニティ形成する役割を同時に担っており、コミュニティ批判との相性が悪いという点。

以下、これらの点を順に見ていく。

1. 媒体

 書籍が発売される前、「ボーカロイド音楽論」(以下、この講義)は大学の構内の教室で開講されているのみであった(初回の何回かこそニコニコ動画配信されたが)。そこではぱて講師の口頭でのみ内容が話され、レジュメは一枚も配られることなく、板書も最低限であった。言われたこと全てを紙に書きとるのはほとんど誰にもできないだろう。従って口頭の講義に基づく批判は、言った言わないの水掛け論になってしまやすい。現に筆者がこのようなダイアリーを書くことができるのも書籍が発売され、何を書いてあり何を書いていないかを把握し見直すことが可能になったかである

2. 受け手資質

 この講義は主として東京大学教養学部学生に対して開講されたものである。その多くはこの講義で取り扱った多くの思想概念の(多くとも)全てについて専門家であるというわけではない。またぱて講師自身もそれら全ての専門家でないことは講義中に明言している(85ページ脚注5など)。従ってぱて講師によるそれらの援用が妥当でない可能性は常にあるが、そのような観点から検討をすることは学生にとって難しいだろう(勿論専門家のみがそれらを扱うべきだという立場をとることは避けなければならないが)。さらに言えば、進振りのための勉強で忙しい学生にはわざわざこの講義批判するためだけに捧げる時間も体力も残っていないということ(そしてこの講義のもの大学が門を閉める時間まで延長していることもそれらのリソースを奪う一端となっていること)を指摘しなければならない。これは書籍の読者の多くについても同じである

3. 内容

 ここでは書籍でぱて講師が用いた概念の内容が批判を先んじて封じる性質を持つことと、ぱて講師が「論じるべき内容を論じなかった」ことが批判すべき点を覆い隠す機能を持っていることを指摘する。

 まず、ぱて講師はテマティスム(テーマ批評)に則ってボカロ曲評論するとしている。ぱて講師の言うテマティスムとは、以下に抜粋する通りである

「テマティスムは、作家メッセージをその意図の通りに読み取るということではありません。そうではなくて、むしろ作家作品の細部から作家自身も気づいていなかったかもしれないテーマ抽出し、作品価値を読み替えていく。それがテーマ批評という手法です。」(40ページ14行目-41ページ1行目)

さらに、この講義の鍵となる概念の一つとして「アンチ・セクシュアル」をぱて講師提唱している。以下に書籍抜粋を示す。

「本講義の当面のキーワードは『アンチ・セクシュアル』です。性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱う感性が、ボカロシーンには多く見られ、そして支持されました。なにに比してかというと、いわゆるふつうのJポップに比してです。Jポップのチャートを見れば瞭然でしょう。ラブソングばかりです。」(42ページ8-12行目)

「『アンチ』といっても、それは必ずしも単純な否定のことだけを指しません。性愛を疑ってみたり、気持ち悪いもののように言ってみたり、ときにそれは、米津玄師において見られたように、アンビヴァレントな愛憎を差し向けるというかたちをとることもあるでしょう。」(43ページ2-4行目)

 つまるところ、「テマティスムを用いれば、性や愛をめぐる通念を自明とせずに扱う感性(単なる否定に限らない)をボーカロイド音楽から読み取ることができ、そのような音楽がシーンの人気を博した。一方で「いわゆるふつうのJポップ」からはそのような読み取り方のできない曲が人気を博している。」という主張をぱて講師はしているということになる。この主張に当たって用いた「テマティスム」と「アンチ・セクシュアル」の二つの概念は、この主張に対する批判として想定される「作者はそこまで考えていないと思う」型の主張や「この曲は性や愛めぐる通念を否定しているとまでは言い切れない」型の主張を先んじて封じる機能を持つ。このため、読者がすぐに思いつく形での批判ができず、ぱて講師の主張に対する批判が少ないことに寄与していると考えられる。

 もう一つ批判封じに寄与しているのは、「論じるべきところを論じていない」ということである。「いわゆるふつうのJポップ」についての記述に注目すると、ここでぱて講師が行わなければならないのは、

①「いわゆるふつうのJポップ」を「『アンチ・セクシュアル』な感性を持たないJポップ」以外の形で定義すること

個別楽曲評論を通じて「いわゆるふつうのJポップ」に該当する曲に「アンチ・セクシュアル」な感性が備わっていないことを論じること

③それが「Jポップのチャート」に非常に多く見られることを指摘すること

であるしか書籍の中で「いわゆるふつうのJポップ」についての言及があるのはここのみで、上記3つ全てを行っていない(ぱて講師言葉を借りれば、「瞭然」という「感覚思考俎上に載せ」ていない)。それもそのはず、「テマティスム」と「アンチ・セクシュアルな感性」を用いた読解だけではこのようなことは到底不可能からである。「テマティスム」は確かに「作者の意図」に縛られない自由評論の基礎であるが、それは同時に評論者次第でどうとでも言えてしまうことを意味する。同じ曲が違う評論家によって「アンチ・セクシュアル」であったりそうでなかったりする。もし「そうは言ってもこじつけってものがあるでしょ」と思うのであればそれは「良い評論」の基準として「テマティスム」以外の何かを想定していることになる。さらに言えば、「アンチ・セクシュアル」という概念の幅も広い。同じ言葉賞賛にも皮肉にもなる世界で、「性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱」っているかどうかを「テマティスム」のみで確定させるのは不可能だ。つまるところ、ぱて講師が「いわゆるふつうのJポップ」を論じないことは「テマティスム」の持つ脆弱性、あるいは、「何でも言えてしまうが故に何も言うことができない」性を(本人の意図とは無関係に)覆い隠し、批判を予防することに寄与していると言える。

4. コミュニティ

現地での講義に付随する活動として、コンピレーションアルバム作成ちょっとした食事会など、ボーカロイド文化が好きな東大生のためのコミュニティ積極的提供する姿勢をぱて講師は見せている。それ自体マイノリティたる若者鼓舞するという目的からすれば妥当であるが、評論の面ではこれが裏目に出ている。余程肝が据わっていない限り人間は、自分を匿ってくれるコミュニティの発起人の言うことに盾突いたその先を恐れる。発起人自身が何とも思っていなくても、同じコミュニティの仲間から邪険に扱われるかもしれない。仲間が何とも思っていなくても、内なる自分が責め立てる...。こうなれば講義批判するのは難しい(批判したとて有耶無耶に言いくるめられるだけだ、という疑念もあろうが)。「肝を据わらせろ」という主張はマッチョイズムなのでしないが、しかコミュニティ形成するとはそういうことなである

最後に】

 「ボーカロイド音楽論」の講義書籍化されたことは、この講義自身にとって、そしてボカロシーンにとっての大きな一歩であると筆者は考える。内容の巧拙政治的立場はともかく、書籍化されたことによってこの講義は「亡くなったボカロPを悼み、内輪でボカロ曲をべた褒めする会」になってしま未来を脱して、元受講者やボカロ関係者を含む全ての人の衆目に晒され、批判され、検討され、洗練され、時に新たな論を生み出していくことができるようになった。後は実際にそうしていくだけである。筆者よりもっと優れた批判をできる人は多くいるはずなので、後は彼らに託してこのダイアリーの締めとする。

追記:何故もっと批判されるべきなのか】

 強い言葉で言えば、

「『ボーカロイド音楽論』などと大層な看板を出しながら、その実著名な学者の業績を形だけ借り"正しい"思想を添えた類推だらけの持論を『教養』と称し、[『教養』]と[『教養』を並べ立てた個別楽曲評論]を弱い脈絡の下で繋げただけの、部分を詳細に語っただけで全体を語った気になっている、評論と呼ぶべきなのかもわからないものが、まともに批判されずに学生の間や世の中に広まることが許せないから」

である(「まともに批判されずに学生の間や世の中に広まる」という心配杞憂であってほしいが)。

 筆者がこの講義書籍の内容が批判されるべきであると考えている理由は3つあり、これらを以下に簡潔に説明することで追記とする(注あり)。

1. タイトル詐欺:「ボーカロイド音楽論」を名乗りながら、その大部分は個別作品の読解に費やされている上、それらを踏まえて「ボーカロイド音楽とはなにか」をまとめて論じている内容が存在しないこと。

2. 「思考俎上」に載せる「感覚」の選び方の恣意性:本論で述べたように、思考必要なぱて講師感覚があるにも拘わらずそれを思考した形跡が存在しない箇所が見られること。

3. 「思考」の粗雑さ:「感覚」を正当化する目的しか思考」が用いられていないこと。「思考」に用いた「教養」の内容もそれぞれの分野を専攻した読者から見れば的外れものになっていること(注1)。「類推」や「テーマ批評」などのいくらでもこじつけることが可能手法を用いているのに、何故その手法を用いるべきなのか、その手法限界はどこにあるのか、といった説明がされていないこと。

注1:少なくとも一つの例として、筆者が専攻していた生物学に関連した部分を挙げる。リチャード・ドーキンス書籍利己的な遺伝子』に言及した後、「しかしこれらのような個体利他行動も、種や遺伝子主語にすると、自らを温存するための利他行動にすぎない。」(54ページ8-9行目)と段落を結び、その後「性はこのように、種の都合のための機能主義的なプログラムであるという言い方もできるわけです。」(54ページ18-19行目)と主張している。結論から言えば、この言い方はできない。生物学を学んだことがある人物なら絶対にこのような主張はしない。進化の結果としてある個体Aが(同種とは限らない)他個体Bに利他行動をする形質を獲得する条件はあくまで「それが後に個体A自身生存繁殖に有利となる可能性が十分高い」あるいは「個体Aと個体Bで利他行動に関連する遺伝子を共有している」であり、そこに「種」の概念は一切関係しないかである。(遺伝子自然選択対象となり得るのに対して)「種」という概念は観察者が生物を分類する際の線引きのツールであって、自然選択対象として観察可能ものではない以上、「性は種の都合のためのプログラムである」ということを(観察によって)事実として得ることもできない。つまり「種」を全体と見立て個体」を部分と見立てるような類推は成立しない。百歩譲って「利他行動に関連する(種を問わず)同じ遺伝子を持つ全ての個体」を全体とみなす形で類推を成立させるとしても、それは「類推を成立させるためだけに拵えた全体」であることを指摘しておく。

2023-11-07

anond:20231107131626

検索機能がしょぼいのって仕様じゃないの?

なんかの脆弱性なの?

2023-11-05

パスワードを使い回すな」派の人たちってどうやってパスワード管理しているんだ?

ITエンジニアにこの主張をしている人が多いけど、当人はどうやって管理しているんだろう。職業柄上、使いまわしているなんて言えないだけなのかもしれないけど。

パスワード管理ツールで対応できないものもあるし、何をしても脆弱性があるから使いまわした上で接尾辞を付けるくらいしか現実的管理方法が無いと思う。

2023-10-24

anond:20231024174516

買った人が死んで相続放棄されて空き部屋化するのか

分譲マンションという住居形式の致命的な脆弱性で草

2023-10-14

anond:20231014213231

あと、お昼にセキュリティーの脆弱性についてこんな投稿ありました

どういう意図なのかは言及しがたいですが

https://anond.hatelabo.jp/20231014130648#

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