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2023-12-26

anond:20231224205818

何なのこれ釣り

オタク仲間を作ろうとして失敗してきたってなんなんだ…

スクールカーストの最底辺にいたら自然オタク仲間"しか"できないだろ…!

ていうか私がそうだった

物心ついたときから友だちがいなかったから、絵を描くことと漫画を読むこととアニメを観ることとゲームすることが生きがいで、それ以外に生きる術がなかった

庵野監督が「現実に帰れ」とアニメ映画でわざわざにオタク説教かましたり…他ならぬアニメカントクから糾弾迫害されるような、そんな存在だっただろ、オタクってやつは…

そんなこんなで16歳のころにはオタク自分ほとほと嫌気がさし、アニメ漫画もすべて観なくなり、メイクを覚えてオシャレも覚えてオタクとは無関係世界に行ったけど、まったく楽しくはなかった

おかげで今もそのころ流行った作品(主にONE PIECENARUTO)に関する知識がすっぽり抜けてるせいで苦労してる

○○さんも漫画とか読むんだ?!と驚かれるくらいの人間になったし世界は広がったけど、やったことはただの自己否定だったので辛かった

そんなわけで、オタクは「なってしまう」もので「なる」ものじゃない気がする東京在住アラフォーおばさんからのお便りでした

2023-12-25

そのジャンル作品コンテンツよりそういうのに着くタイプファンが合わないのの派生ジャンル等衰退の最新ってSFなのかな

特撮ガンダムファンが色々言われてる印象だけど今でも一応続いてる

ファンマウント癖のヤバさ等で個人的に足遠のいたジャンル作品等はあるけどジャンルの寂しさを感じまではしないし

物心いたころにはSFジャンルが衰退してたようなものでいくつもある娯楽の一つとしてしかとらえてなかったから盛況の頃の勢い知らない

毎日同じ服装をしたい理由

服のパターンがたくさんあっても結局「この組み合わせは自分的に90点」「この組み合わせは70点」みたいに序列ができて

最も100点に近い1パターンの服ばっかり着るようになる、っていうのを物心ついたときから延々繰り返してる

他の人はいろんな服装してるから自分もそうなりたいとおもうけど今んとこ全く抜け出せる気がしない

泣く子供が許せない

自分物心ついた頃から親を困らせるために泣いた記憶が無い。親にもあなたは全く駄々をこねることがなかったと言われている。子供ながらに泣いて何かを要求するって卑怯行為だと分かっていたし、同年代の子供がおもちゃ屋ショッピングモール駄々をこねて泣いているのを見るたびに恥ずかしくないのかな?と感じていたのをうっすらと覚えている。

乳幼児はともかく3歳越えた子供は、駄々は親を困らせる行為だとはっきり認識しているはず。それでもなお公共の場で大声で泣く子供自分は許せないんだよね。「僕子供でーす。ピュアでーす。」みたいな顔しながら、本当は自分行為のずるさをはっきり理解している気持ち悪さが本当に無理。

駄々をこねて泣くのはしょうがない、みたいに放置してる親がいるけど単なる責任放棄だと思う。子供自分行為ちゃん理解できているんだから痛い目にあわせてでも嘘泣きをやめさせるべきでしょう。子供を泣かせないことなんて容易にできるんだから、せめて公共の場では泣かせないように躾けるのが大人役割だと思う。

2023-12-21

anond:20231221175157

美的感覚って広告だけで形成されるものではないと思うのよ

例えば日常生活の中で夕暮れ時の空のグラデーションを観たときだったり、紅葉した木々を観たときや春に咲き誇る桜を観たとき自然に心に湧き上がってくる気持ち

あるいは義務教育美術で習う芸術だったり、美術館で観る絵だったりさ

物心ついてから触れてきた幅広いもの美的感覚に結びついてる感覚

2023-12-15

ゲーム趣味を続けることの難しさ

ちょくちょく、〇〇歳になったら趣味継続できない云々な増田が流れてくるけどさ、ゲームって意外とずっとやるのが難しい趣味だと思うんだよな。

というのもゲームってホントにガキの頃からやれるわけでさ。

今のアラフォー以下くらいなら物心ついたときにはファミコンあったし、アラサー以下なら物心いたころにはプレステとか64あったわけじゃん。

ほんでガキの頃から30年くらいゲームやってきたなら、やっぱ新鮮な驚き・感動みたいなのをゲームから得るのってむずいよね。どうしても「どっかで見た事ある」みたいな感じになるし。

(そういう意味ではBotWとティアキンは革命的だったよね)

まあアラサーとかアラフォーになって趣味が云々ってのはけっこう色んな問題・原因が絡んでるんだと思うんだけど、ことゲームに限っては

「〇十年ゲームやってきてそもそもゲームのものに飽き気味」てことはけっこうあるんじゃないかと思う。

2023-12-11

anond:20231211182541

自由殺人」っていう小説はそんなのだったな

ある大富豪の男が、それまでの人生わずかながらも関わりがあった者たちにプレゼントを送る

それは大きなスーツケースで、中には爆弾が詰め込まれており、設定時刻になるのを待つか、ロックを解除すれば爆発する

確か12個ぐらいあって、クリスマスのある時間から1時間に1つ爆発するよう設定されている

威力は、小型ビル程度なら跡形もなく吹き飛ばせるほどのもの

受け取ったある主婦は、説明書きを見ても気味の悪いイタズラとしか思えずゴミに出す

庶民ゴミ捨て場に不釣り合いな真新しく高価そうなそのスーツケースに興味を持った弱者男性ホームレスは、4桁のロックを0000から順に試した結果、爆死

そこで主婦警察に駆け込みはじめて爆弾存在世間に発覚

他にもスーツケースを持参して警察にくる者も

しかし困ったことに、警察の把握できた爆弾の数が12個には足りない

報道爆弾が本物だと知った上で、届けを出さずに所持したままのものが何人もいるということになる

爆弾を贈られた者たちはそれぞれ、「爆弾を使って自殺しよう」とか「人が多く来る場所に仕込んでやろう」とか「嫌いな奴のいる場所に仕込んでやろう」と企んでいた

ある弱者男性は、レストランバイトをする中年で、バイト若い女に恋をしていたが、その女はバイト若い男と交際を始めてしまった

爆弾を受け取った弱者男性レストラン爆弾を仕込み、爆発の様子を見届けてやろうとレストランの向かいにあるコンビニ立ち読みするふりして待機

しかし彼が思っていたよりも爆発の威力は凄まじく、コンビニガラスが熱風によって柔らかく変形し迫ってくる姿がスローモーションのように見えたのを最後光景にして弱者男性も死亡した

また別の弱者男性は、世間では爆弾騒ぎがやべえけど俺は引きこもりから関係ねーわwもっと死ねwとマンションゴロゴロしていた

実はそのマンションの住人である男子中学生爆弾を受け取っていた

本来なら思春期一過性で終わるはずの反抗心を家族に抱いていた中学生は、爆弾を自室に追いたまま外出

設定されていた時刻を迎え、爆弾中学生家族弱者男性マンションにいた全員を餌食にした

また別の弱者男性は、なんとか結婚はできたもの家庭内ではATM扱いで妻子に蔑視冷遇されていた

物心ついた頃からからも嫌われ親にもあまり愛されず、幼児の頃に保育士に優しくされた記憶まで遡らなければ温かな記憶はなかった

弱者男性爆弾を受け取っており、爆発の時刻は遅く設定されていた

他の者の爆発が世間を騒がせている中で、弱者男性はこの爆弾をどうするべきか悩み続けた

常に抱いていたうっすらとした希死念慮のまま、爆弾で死のうかと次第に決意を固めていった

無人公園で、弱者男性爆弾を抱きかかえたまま、保育士のことを脳裏に浮かべ、他の誰も巻き添えにせずに孤独に死亡した

わしが物心ついた時にはテレビ毎日リクルート事件」のニュースをやっていて、子どもながらに「政治家っていうのは嘘つきで、汚いことをやる仕事なんだな」って思って育ったものじゃ。

いまの子どもたちも、テレビキックバック事件を見て「大人って、政治家汚い」ということを学んでいくじゃろう。

2023-12-09

母親がエグかった話

うちの母親の話

正社員週6日勤務(半日出勤2日)

旦那と同等の収入

・家の家事を全て担当

アルコール中毒旦那の世話

・同居義母の世話30年(食事、買い物の足等) →介護施設可哀想、薄情だと思われるといった理由で×

・親類の対応 (所謂本家正月&盆に20人近く泊まり客が来る)

子ども宿題確認(毎日添削)

これ全部ワンオペでやった上にやりきったので、自分世代女性を会わせるのは無理だなと思ってる。

自民党支持だし、女だったらやって当然って思ってるので義実家にこんなのいたら嫌でしょ。

物心付いた頃から観察してるが、これをやらせてるのは強固なジェンダー意識だよ。

ちなみにこの人、上記事柄子ども(男)がやろうとすると仕事を取られた&不適格認定されたって受け取り方して滅茶苦茶キレてくる。

この手の人は娘にどういった育て方をしたんだろうな。

2023-12-08

anond:20231208103903

プーチンはアウトだけどネタニヤフはセーフとか言われたら国際協調なんてアホらしくなって当然だし

アメリカウクライナよりイスラエル支援優先するしで

アメリカダブスタ物心両面でプーチンに利してるんだよな

発達障害に効くのは暴力だったりする

発達障害(診断済み)、女です

全知能IQは118なので知的障害なし

うちは兄弟ほとんどがおそらく発達もちで、父がたぶんADHD。母はキレやすいが頭のいいお嬢さまだ。

自分が発達の診断を受けたのは大学進学がきっかけで、大学に馴染めず精神いわしたことがきっかけだ。

今までもっとしんどい思いをしてきたのに、なぜここにきて急に?と思い、いろいろ病院を巡った結果発達障害と鬱の診断がおりた。

結論から言えば私が精神いわしたのは父母の支配がなくなったからであった。

うちの家は昔ながらのゲンコツ教育で、物心ついたときから箸の上げ下ろしさえ父母の顔色を伺う家庭だったのだ。

発達障害というのはある種の個性であるなら、個性の隙間すらないほど叩きのめす教育を施せばよいのである

私は自分には支配してくれる人が必要なのだと思い、超モラハラ気質人間とばかり好んでつるむようになった。彼らもまた、孤立しがちなタイプであったため、私のようにモラハラされたい人間は好都合だったようだ。

かつての友人らから心配される交友関係ではあったが、精神回復はすさまじく、鬱も障害特性もすっかりなりを潜めたのである

発達障害者のみなさん

モラハラと付き合いましょう!

理解のある彼なんか必要ないです!理解を示さないでガン無視する彼こそが正解です!

努力できない苦しみから解放されましょう!

2023-12-07

日本がすごかった時代に生まれたかった。

俺95年生まれ

物心ついた時には、すでに世界的な電機メーカーサムスンで、トヨタ最後の砦と言われ、失われた10年とか20年とか言われてた。

世代では日本という国について凄い国!みたいな認識を持ってる人は全くいないと思う。

今のネトウヨおっさんみたいにバブルを味わってtoshibasony世界を席巻して、ハイテクといえば日本!みたいな時代に生まれたかった。

日本という国が嫌いなわけじゃないけど、絶対60年70年ぐらいに生まれた方がもっとこの国を好きになれたと思う。

anond:20231207105027

ワイは回転レストランめっちゃ好きなので子供物心ついたら家族絶対に行くんだ!と意気込んで実行したが配偶者が「酔うからもういい」と一度しか行けなかった

そしてどんどん回転レストランは減ってゆく

(´;ω;`)

2023-12-06

干渉ヒスママの元で生まれたら学歴厨になった話

無職製造機と言われる過干渉ヒスママ学歴製造機でもあったという話を、去年の年収が400万超えた私が実体験を元に説明しようと思う。

去年の年収が400万を超えたを何故わざわざ書いたか、それは私が弱者からだ。

毒親育ちと言う弱者的な要素を抱えると、他人から説教されたりマウントされたりする機会が増える。

から、「過干渉ヒスママ無職製造機」という言葉に反応して「お前が無職なのは自己責任だろ。言い訳すんなゴミが」と言う言葉が返ってくるのを想定してしまう。

攻撃されることが前提にあるから「25歳の時に年収400万稼ぐ程度には社会に適合してたので説教しないでください。そう言う話をしたいわけではありません。」

と言う免罪符を先に用意して、自衛したくなる。

ただ、人生を順当に生きてきた人には攻撃されたり説教されることが前提にないため、

「なんでわざわざ年収書くの?自慢したいの?そんな中途半端金額で??うざ!」という反応になってしまう。

ーーここから本題ーー

私の父親中小企業役員で激務だった。対して母親専業主婦だった。

自分母親を見る限り、承認欲求が強く他人へ関心がある女性専業主婦に向かない。

専業主婦のような立場になっても問題が起こらないのは他人への関心が薄く適度に面倒くさがりな人間だ。

「人から褒められたい、頼られたい」という願望を持った人間専業主婦になると問題が起こる。

私の母親承認欲求が強いのに専業主婦になってしまった。

この手の女性子供赤ちゃん夜泣きしているうちは(大変だけど)問題が起こらない。

問題が起こるのは子供物心がついた後だ。

子供物心がつくと家族との関係よりも学校での友人関係を重視し始める。

すると母親視点では最悪なことが起きる。誰も母親必要としないのだ。

父親仕事で忙しくて滅多に家に居ない。子供学校での人間関係で満足してるからから愛情はそこまで求めていない。

子供が親に求めている役割なんて

父親なら働くこと。母親なら家事をすること。そして、子供が悪いことをした時に適切な熱量で叱ること。」

これぐらいのものだと思う。情緒面のつながりとか一緒にいて楽しいとかは家の外で作る友達に求めていることで、親には求めていない。

子供父親が働き、母親家事をする様子を見て「そう言う役割分担で結婚したんだな」と解釈するので、

「お母さん、家事をしてくれてありがとう」とはならない。「そう言う役割なんでしょ。」と思ってしまう。

父親はずっと仕事しているので専業主婦メンタルケアなどする暇がない。

「当たり前のことでお礼を言い合うのは格好悪いだろ」ハンターハンターキルアが言ったセリフだが、現実人間でも当たり前のことに感謝している人はいない。

すると母親視点では「情緒面でも役割面でも誰から必要とされていない」状況になる。

これが承認欲求の強い女性専業主婦に向かない理由で、誰から必要とされていない状況が続いた母親は狂い始める。

そしてトチ狂った母親は「子供から必要とされること」で自分存在意義を見つけようとする。

これが過干渉ヒスママが生まれる経緯で、地獄の始まりである

最初被害者長男だった。母親と兄はよく喧嘩していた。

当時の私には何で喧嘩しているのか分からなかった。兄に対して「短気でみっともない」ぐらいに思っていた。

ある日、兄が我慢限界に達して家のガラス破壊した。

この日を境に長男母親干渉されることがなくなり、代わりに私が干渉されるようになった。

子供から必要とされたいと思った母親は、子供ランドセル勝手に触って勝手時間割したりとか

子供自分でやるべきことを先回りして勝手にやり始める。

小学生の私「子供自分でやるべきことをお母さんがやったら、子供が何も出来なくなるでしょ。やめて」

母親「何?お母さんが悪いんか?何でもお母さんのせいなんか?」

私「責任押し付けをしてるわけじゃなくて、お母さんがやっていることは悪影響があるからやめて」

母親「でも、あなた放置しておくと時間割忘れるじゃない」

長男ガラスを破る前は寝る前に自分時間割をしていたのに、ある日急に母親が私のランドセル勝手に触るようになった。

今まで自分時間割してたのになと思ったが、自分時間割をできない人間として扱われると自信が無くなってくる。

小学生なりに頑張って筋道立てて「子供の成長を願うならば子供自分ですべきことを親がするべきではない」と説明したのを覚えている。

ただ、私の母親理屈で説得できるほど楽な相手ではなかった。

母親あなた時間割を忘れるとお母さんの評判が下がるのよ」

私「え、子供の成長なんかどうでもいいか自分評価が欲しいってこと?」

母親「違う」

私「何が違うの?説明して。」

母親「違う!!」

私「違うなら説明して」

母親「ええか、あんたは小学生から分からんかもしれんが、大人になれば親の言ってることが分かるようになるんや」

私「子供時間割を忘れるなら自分時間割をできるような人間にするのが本質的解決なのに、大人になると問題を水面下に押しやって解決したことにするってこと?」

母親「違う!!!あいえばこういう!!上司に向かっても言い返すつもり!そんなんじゃ社会通用しないよ!!」

母親感謝して!!!時間割してやってんだから感謝しなさい!!!

家を出る時間、朝起きる時間宿題をするタイミング、家を出る時の服装、予定の管理....etc

ありとあらゆることを母親干渉してきた。専業主婦で働いていないだけ体力が残っていて、その力で全力で私の自立を阻害しようとしてきた。

呼吸の仕方にまで干渉されるんじゃ無いかと思うレベル干渉された。

干渉を止めようとして筋道立てて説得しようとしたり、怒鳴って拒絶しようとしたり、罵倒したり色々と試したが母親言葉が通じることがなかった。

友達母親愚痴を言っても全く理解されなかった。

「そんなに不満なら言えばいいじゃん」と言われた。

健全社会生活を送れている人の大半は言葉が通じない人への解像度が低いせいでこういうことを平気でいう。

なぜ母親言葉が通じないのか私は考えた。

当時の私は「母親高卒から話が通じない」のだと考えだした。

本音をいうと母親ヒステリックなのは学歴問題であって欲しかった。努力解決する問題であって欲しかった。

良い大学に言って、言葉が通じる情緒の安定した女性を捕まえて幸せな家庭を築きたいと思っていた。

「過干渉ヒスママのもとに生まれたら学歴厨になった」というタイトルで多くの人が誤解してそうだが、母親から勉強しろと言われたことは一度もない。

自分意思で私は塾に入って東大を目指すことにした。

塾は生徒が受験成功する仕組みをしっかり整えている。

まず入塾テストがあり、最低限のラインをこえている人間だけを生徒として迎え入れる。

そして、生徒の成績を伸ばすために成績の悪い生徒を公開処刑に処すことで生徒の成績を伸ばしている。

まず成績で上級クラスと下級クラスに分ける。

私は下級クラス上級クラスも両方経験しているから分かるが、授業内容は上級と下級で全く変わらない。ただ、生徒の競争心を煽るためだけにクラスが分離している。

そして、クラス内でも成績で席順が決まる。成績の悪い人が前の席に配置され、成績が悪いという事実を席に座るだけで後ろから見られる仕組みになっている。

私は自己評価が低かったから、下級クラスの前の席に配置されても問題なかったし勉強すれば良いだけだと思ったが、プライドの高い人が下級クラスの前の席に配置されると捻くれ始める。

塾に入ったくせに「なんで勉強しなきゃいけないんだよ。高学歴でも無能な奴はいるって聞くぞ。」みたいなことを言い始める。

から思えば、多感な時期の中学生を成績順で配置して公開処刑すると捻くれ始めるのは普通のことかもしれない。

ただ、当時の私はそう考えなかった。

「成績の悪いバカ性格が悪く、無駄プライドが高いか文句を言い始める」というのが当時の解釈だった。

から必死勉強して上級クラスに行こうとしたが、下級クラスから抜け出せなかった。

ある日、自分勉強しても成績が伸びない理由に気づいた。無駄なことをしていたからだ。

勉強は良いことだと思ってたせいで、作業量の多いやり方で勉強していた。

無駄なことを増やしたせいで効果のある勉強時間を避けず成績が悪くなっていた。

から作業勉強区別するようにして、どうやれば成績が伸びるか必死に考えて、勉強方法改善改善を重ねた。

その結果として、上級クラスに移動することに成功し、なんとか上級クラスの平均より上の成績になった。

ただ、勉強したこと自分がかなり深刻な問題を抱えているという事実に直面した。

問題点1)勉強を質の高い労働者になるための訓練と考えたとき勉強のやり方を改善した」は「仕事のやり方を改善した」に該当する可能性がある

問題点2)仕事のやり方を改善できるのは職場で信頼されている人間である

問題点3)基本的なことが出来ない人間は信頼されない

問題点4)母親の過干渉悪化し、私が自分でやるべき基本的なことは全て母親がやっている。怒鳴ってもブチギレてもやめてくれない。

問題点5)母親頭が悪いが有能な秘書なのかと思うぐらい子供の予定を把握している。

問題点6)問題点5から察するに勉強しても頭が良くなっても「基本的なことを当たり前にこなす能力」は身につかない

以上の問題から母親干渉を全力で止めようとしたが、止まらなかった。むしろ悪化した。

私の母親は頭が悪く支離滅裂なのにしっかりと子供の予定を把握し、干渉してくる。

頭の悪いしっかり者という母親存在が、逆説的に高学歴社会不適合者の存在を暗示している。

そして自分でやるべきことを自分でやってない私は高学歴社会不適合者になりつつあるんだろうなという恐怖があった。

勉強して色々と分かるようになった分、恐怖が強くなっただけだった。

勉強ができても、頭が良くても、頭の良さが求めらる立場まで出世できる人間じゃないと意味がない。」

という可能性が頭をよぎったが、どうやって勉強するかが唯一私に許された意思決定だったか学歴固執するようになった。

この状態で、さらに悪いことが起きた。

塾の教育方針が変わったてから、今まで自由放任勉強できていたのに急に干渉されるようになった。

塾の先生がいう勉強方法会社でいうと現場にいない上司がいう仕事のやり方みたいなもので、的確なものには思えなかった。

自分にとって唯一許された意思決定だった勉強先生干渉されるのもが嫌だった。

上級クラスの平均より上の成績だったといえ、地元で一番レベルの高い高校を目指していたせいで先生のご機嫌をとるために

わざわざ先生指導のもと非効率勉強をする余裕などなかった。

から、塾の先生と揉めるようになった。

塾の先生もなかなか頭がおかしい人で「そんなに自分意思勉強したいなら、

私の意思あなた意思だと思え」とか「じゃああなたあなた勉強方法で100点取れるの?」とか言われた。

塾を辞めたいと言ったが親に反対された。必死に辞めたい理由説明したが日本語通用しなかった。

先生に親の許可はおりなかたが塾を辞めたいという話をすると「子供大人が稼いだ金で生活してるから反抗する権利はない」とか言われた。

大学に行けばまともな人間と一緒になれるという原動力に近い幻想が塾の先生という頭のおかしな人と遭遇したことで壊れた。

どこに言ってもヤバい人にヤバいことされる人生が続くと考えた瞬間、精神を病んでしまった。

精神を病んだ瞬間、上級クラスから下級クラスに戻り受験は無事失敗した。

心を病んでから母親干渉されることが無くなったので、母親子供が成長して自立するのが怖かったか干渉していたんじゃないかと思う。

メンタルを病んでから母親との関係改善された。

ただ、メンタルは治らなかった。

高校時代はずっと中学の嫌な思い出を思い出して、まるで現在進行形で嫌なことが起こってるかのように感じて苦しんでいた。

ずっと苦しい感情を抱えたまま苦しんでいた私には友達ができなかった。

そして、時間が流れGMARCHクラス大学に進学した。

メンタルを病んで卑屈になっていた私は友達ができなかった。

大学生のとき私はバイトを始めた。

お金が欲しかったわけではなく、友達のいないメンヘラで、基本的なことを親がやってきた人間社会に適合できわけがないと思っていたか自己改善のためにバイトを始めた。

バイトを始めると高校受験の時に頭のおかし大人に囲まれたいた弊害が出てきた。

例えば飲食店料理を作った後手が空いた場合「手が空いたから皿を洗おうかな?」と考えて皿を洗うのが普通だろう。

ただ、私はこうならなかった。

「手が空いたから皿を洗えるな。で、私は何をするべきなんだろう?」という状態になった。

から考えると本当に意味が分からない感覚だったと思う。

自分時間割自分でやろうとしたり、自分が下級クラスから上級クラスに上がった勉強方法を続けようとしたりすると母親や塾の先生に怒られることになっていた私は

自分が正しいと思っていることをすると怒られる」という意味不明な経験を積んでいた。

から「何が正しいか」の感覚と「どうするべきか」の感覚が全く別のものになっていた。

その結果「手が空いたから皿を洗えるな。で、私は何をするべきなんだろう?」みたいな支離滅裂思考回路になっていた。

大人の人=自分に対して理不尽に怒鳴ってくるモンスターみたいな認識だったから、職場コミュニケーションにも支障が出た。

そんなんだったから、バイトを何個か首になった。低学歴のしっかり者だった母親対義語として高学歴社会不適合者になってしまった。

偏差値60の私立大が高学歴に当たるかは謎だが。

自分の中の壊れてしまった感覚と向き合って、何とか自己改善してバイトが務まる程度の社会性を身につけたと思ったら大学時代が終わった。

失ったものは多いけど、なんとか自分人生を取り返していこうと思います

2023-12-05

物心ついた時にはもう太ってて、幼稚園の時にデブデブと言われるのが当たり前だった

小学校はいると健康診断のたびに太り過ぎだという注意の紙を渡された

親に見せるとからかわれるため、親に見せずに隠蔽するようになった

食欲が異常で、食べすぎて吐くこともあった

何故たびたび吐くのか親は病気かと思って病院に連れて行ったが単に食べ過ぎだったため家族の中で笑いものになった

やがて吐かなくなったが体重は増える一方で中学生の時には100キロ突破した

デブデブと言われいじめられまくり不登校

たまに会う祖父母が流石に太り過ぎではないかと言い、親が「そのうち自分で気を使うようになって自然痩せる」と返したのを覚えている

そのうち自然痩せるのかなと思ったけど痩せないまま成人デブとなった

普通の体型だったという時期がない

今まで自分健康デブだと思っていたが、32歳になり体重130キロの今、心肥大を指摘され痩せるよう言われた

健康診断に引っかからない健康デブだと語るデブタレントを見てきていたが

そんな選ばれしデブではなく、健康に影響が出てくる程度の平凡なデブだったんだな

食べ物を腹に詰め込んでいないと落ち着かないし、お腹がいっぱいでも味を感じたい衝動が強い

糖尿病のケはないようだが、なんらかのデブ病の末にこのまま死ぬのだろう

祖父のような人が、昨日死んだ。

祖父のような人が、昨日死んだ。

血の繋がった祖父は、自分の生まれる前に亡くなっていた、少なくとも父方の祖父は、割と早くに亡くなったらしかった。

母方の祖父は、母親子供の頃に祖母離婚しており、多分早くに亡くなったのだと思うが、仮に生きていても会うことはなかった。自分がいつそんなことを聞いたのかは確かではないが、物心ついた自分が、血の繋がった祖父、というもの意識した時にはどうやら亡くなっていたらしいのは確かだ。

祖父のような人」は、僕が生まれるずっと前から祖母と一緒に暮らしていた。多くの人が誰しも持つ思い出のように、自分子どもの頃、祖母と彼の住む家に遊びに行き、甘やかされ、小遣いをもらい、トランプやら野球やら将棋やらをして、思う存分に遊んだ

将棋ルール司馬遼太郎池波正太郎、他にもいろいろと、今ではどれが彼に教わったものか一々思い出せない程、いろいろなことを彼は教えてくれた。

しろ祖母と彼には、高級旅館に何度も旅行に連れて行ってもらったり、高級料理を食べたり、普通の人よりも随分いい思いをさせてもらった、祖母お金だったのか、彼のお金だったのか分からないが。

祖父、おじいちゃん、適切な言葉は分からないが、彼は自分にとって唯一のそういった存在だった。彼は無責任で、冗談と嘘をよく話し、調子のいい軽口を叩き、良い人間とも思えないが、憎めない人だった。

陽気に昔の自慢話を語り、祖母や叔母に返す刀で昔の失敗をからかわれると、機嫌を損ねて無口になり、眠ければ眠り、食事の時は誰よりも早く食卓について料理が出てくるのをやたらと祖母に急かした。彼は一言で言えば、「簡単」な人だった。読書好きで、色んな経験をしてきたらしい割に難しいことは考えず、毎日似たようなことをして気楽な生活を送っていた。

祖母が彼と暮らし始めたのは、離婚した直後のようだった。母や叔母(母の姉、祖母の娘)は、彼のことを時折「おとうさん」と呼んだし、祖母、叔母、母、彼の四人で暮らしていた時や旅行をした話を聞くことも稀にあった。

ただ、彼は、外に出れば家族ではなかった。彼の苗字は一人だけ違った。祖母が「田中」(仮名、でもそれくらいありふれた苗字だった)と彼の苗字を口に出す時、聞いてはいけないタブーに踏み込んでいるようで、胸がざわついた。今でも克明にそのざわつきを思い出すことができる。

父方の家族に会う時、彼がその場に来ることは当然なく、それどころか、彼のことを口に出してはいけない、そんな人はいないものとして話さないといけないことは、子ども自分にもいつの間にか十分過ぎるくらい分かっていた。

父は自分や兄や母とともに、母方の祖母の家に行くこともあったが、彼のことを嫌っており、彼と会ってもまともに話さず、彼の話を自分や兄から聞くと不機嫌になった。自分も兄も馬鹿じゃなかったので、幼い頃から、彼の話を父の前でしてはいけないことは分かっていたが、父は、祖母の家から帰ってくるたびに普段の落ち着いた様子からは考えられない程ぶっきらぼうに「田中はいたんか」と自分に聞いて、「うん」とだけ自分が答えると、より一層不機嫌になった。

母は、自分たち兄弟を育てながら、よく酒を飲み、よく荒れた。父は単身赴任で平日ほとんどおらず、母は毎晩のように台所で酒を飲み酔っ払って、自分や兄を理不尽に怒鳴って手を挙げ、警察学校や塾にやたらと電話をかけてほとんど脅迫に近いようなクレームを怒鳴り散らかした。たまに帰ってきた父がそれを制止すると、コンクリートで出来た平成生まれの一軒家ですら、簡単に壊れてしまうのではないかという程の暴れ方で反抗した。酒を飲んだ母は、怪物だった。

母は、素面の時、神経質で、常に他人の目を気にしていた。タクシー運転手にも、ずいぶん年下の店員にも、学校先生にも、息子の同級生の親にも、そこまで丁寧に話さなくてもいいのにという程、丁寧に低姿勢に話した。素面の時も、酒を飲んで暴れる時も、母は「正しい社会から向けられる目に怯え、苦しみ、酒を飲んだ時だけ、自分の正しさを暴力的に吐き出すことで、何とか自分という存在を保とうとしていた。

自分中学生高校生くらいの頃、彼には今は離れて住む子供がいることを知った。思えば「いない」とも聞かされたことはなかったが、はっきりとそれを聞いた時は、ただ胸の内で「そうだったんだな」とショックを受けたのを何となく覚えている。

それくらいの頃、叔母が離婚し、一人暮らしを始め、段々と精神病み、盗聴されている、組織に狙われてるなどと、典型的統合失調症の症状が出始めた。

この頃から父はよく自分にもはっきりと言い始めた。母が酒に荒れ、叔母が病んだのは、家庭環境のせいだ、母、叔母の親である祖母と、彼が不倫をして、母や叔母の実の父親を追い出したからだ、と。きっと母や叔母は、「外で言ってはいけない」ことを家の中で強く教えられ、世間の目を気にして怯えて生きてきたのだと。

それはある意味で納得のいく説明だった。祖母は、離婚理由を、相手、僕の実の祖父の賭け事のせいと言っていたが、どこまで本当かよく分からなかった。

知り合い、昔からの友人である大学同級生と会う時も、祖母は、「娘が二人いて、孫もいる独り身」として話しており、彼のことを誰にも言っていないようだった。

お盆、お坊さんがお経を唱えに祖母の家に訪ねてくる時、彼は訪ねてくる少し前に外出し、お坊さんが帰ってもういないことを電話で聞くと、すぐに帰ってきた。用事があって出かけるのではなかったから、すぐ近くにいたのだろう。祖母は、お坊さんが来る時間をいつも気にして、去年は遅かったとか今年は早過ぎるとか言っていたが、後ろめたさと面倒なことへの苛立ちが入り混じっていたのだと思う。

彼は、彼の子供とは長年会っていないようだった。彼の子供は、僕の父や母と同年齢程度のはずだが、彼の子供や、家庭のことを思うと、僕に罪はないのに申し訳ないというか、複雑な気分になった。彼の家族が彼のことをどう思っていたかからないが、少なくとも誇りには思っていなかったのではないかと思う。

祖母と彼は、僕が知る身近な家族の中で最も夫婦らしい二人だった。時に自分の子どもたちを犠牲にしてまでも二人の時間を過ごし、お互い喧嘩し、お互い気ままに生きて、美味しいご飯を食べ、よく酒を飲み、一緒になってから数十年間を死ぬまで共に暮らした。

この一年程、彼はほぼ寝たきりになり、祖母は、彼の子供のところへ帰って欲しいと伝えていたようだが、結局最後まで彼が聞き入れることはなかったようだった。

彼とのことで一番はっきりと思い出せるのは、大学落研に入った自分に、彼が帯をくれたことだった。自分の着ていた着物は、桃色で、当時自分が持っていた水色の帯とは合っていなかった。祖母がその写真を見て、「合う帯があったら、おじいさんにもらい、おじいさん、呉服屋社長をやってたから」と言った。彼は昔の仕事の話をされるのが少し気まずいのか、「ええの残ってるか分からんで」と言っていたが、次会った時に、自分着物によく合う、濃紺の帯をくれた。とても気に入った帯だったし、締める時は不思議気合が入った。他人に言えない自分の生まれを、言葉に出さずとも身に纏って話しているようだった。

思えば彼について知らないことも多い。下の名前も一度くらいは聞いたことはある気もするが思い出せない。思い出すのは、人となりと、「田中」と呼ばれているのを聞いた時の、あのばつの悪さだ。彼がくれた帯も、彼がどこにしまっていたのか分からない。少なくとも祖母と彼が暮らしていたマンションには、彼の私物しまうスペースはほとんどなかったはずだった。彼は、祖母マンション以外にも一応自分の部屋を借りていたらしいが、ほとんど帰っていなかったし、何を残して、何を捨ててきたのか、いつから祖母暮らし始めたのかも、本当のところはよく分からなかった。

彼が死んで、母から僕に電話が来た。

「二日前くらいか入院してもう危ないとは聞いてたんやけどな、おばあちゃん病院行かはったんやけど、内縁の妻、言うんかな、死んでも詳しくは教えてくれへんのやて。ほら、おじいちゃんて、"田中"さんやんか、息子と娘さんがお葬式とかお通夜はるから、心の中で弔ってあげてな」

母は冷静に話すようにつとめているようだったが、その話し振りは、まだ状況が飲み込めない子どものようでもあった。

母にとって、彼がどんな存在だったのか分からない。少なくとも、幼少期ともに過ごし、自分の血の繋がった親である祖母暮らし続けていた「彼」のお葬式にもお通夜にも出れないことは、やはりショックな出来事であり、何を悲しんでいいのか、すぐには整理がつかないようだった。

きっと、親である祖母離婚して、その後すぐ彼が家に来て、そこからずっと母は、同じように色んなことを飲み込めないまま生きてきたのだと思った。

もう高齢で、ボケかけの祖母は、すぐには状況が完全に理解できなかったらしく、母からLINEが入っていた。

母は気持ちの整理がつかないのか、若干文章ががおかしかったが、「やはり 悲しいことと思います。」と書かれていた。

彼が死んだら、お葬式にもお通夜にも、自分はおろか、「田中」以外の人間が出ないことは、ずっと前から、僕が生まれるよりも前から分かっていたことだった。

別に祖母がそのことをどうにかしようとする素振りもなかった。祖母と彼はただ一緒に暮らして、おそらく楽しい思い出をつくり、何かを片付けることもないまま、彼は死んだ。

残された人はみんな、この悲しみをどう受け止めていいかも、怒っていいのかも、誰に話していいのかも、どう弔えばいいのかも、分からないままだ。

祖父のような人が、昨日死んだ。このことを上手く話せる日が、いつか僕に来るだろうか。

2023-12-03

anond:20231202205122

うちの息子小5なんだけど、まだ甘えてくる。

俺が帰った時に周りに誰もいないとハグしてくる。

ショッピングモールで平気で俺と手をつないで歩く。

親に甘えるって全然やったことがない(少なくとも物心ついてからはない)ので人に甘えるという概念いまいちからないまま大人になったわ。

2023-12-01

陥没乳首、陥没乳頭

陥没乳頭の手術をした。まだ術後日が浅いので手術についての詳細はまた書こうと思っている。

この投稿は本当にただの愚痴。とりとめのない愚痴

手術の投稿建設的なものにする。



わたしは陥没乳首に悩んでいた。

調べると陥没乳首エロいだとか、感じると出てくるのが楽しいだとか嬉しいだとか、エロしか頭にない人の意見ばかり出てきた。



物心ついたときから陥没していた。大人になれば自然に出てくるものだと思っていた。

インターネット理解たころに乳首について調べてみたらエロ目線の話しか出てこない。

出てきたエロ漫画の知識で手に入れた「感じたら出てくる」「寒いと出てくる」「吸ったら出てくる」という情報に藁にもすがる思いで試してみたが何をしてもわたし乳首微動だにしない。

そのときエロ漫画の乳首が固くなるということ自体都市伝説創作だと思っていた。

真性の陥没乳首だった。

上記エロ漫画の知識で手に入れた出てくる情報は仮性の陥没乳首場合適用されるはずだ。たぶん。

真性は本当に微動だにしない。少なくともわたしはそう。


そういう状態で、公衆浴場に入るのが恥ずかしい、将来子どもができたら確実に授乳ができない、と考えて本当に悩んでいるのに調べて出てくるのはエロ目線の話のみ。

しかもそれは仮性の話。

真性で悩んでいる人間情報収集の邪魔をするな!!と憤った。

悩んで調べているのに、もし何かの拍子に調べていることがばれて陥没乳首性癖人間に思われたらと想像すると調べることすらやめた。

結局美容整形について調べていたときに「陥没乳頭」という言葉を見つけて、それから情報収集が捗るようになって手術まで至った。

その言葉にたどり着くまで邪魔しまくってきた陥没乳首性癖人間にはとても憤りを感じ続けている。


これは真剣に悩んでいたわたしわがままだが陥没乳首という言葉エロ用語として使わないでほしい、いや、使ってもいいが本当に悩んで調べている人の邪魔をしないでほしい。

ただのわがままだが。

調べていたうんぬんは遠い過去の話なので今はちゃん検索結果に出てくるのかもしれない。

ただ、今Twitterで調べたらスパム性癖の話しか出てこなかったので手術前に経験者の情報収集をしていたとき邪魔しかなかったことは記しておく

2023-11-30

あー!害悪!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ブクマカ「年齢のインフレ」が起きてるから今の「30代後半は昔の20代後半」ぐらいだと思う。人生100年時代まだまだいけるよ。

ダメ絶対ダメ害悪言質絶対ダメ

「年齢のインフレ」が起きてることは認める。でもそれは「若いうち(10代、遅くとも20代前半)に生産手段、影響力、知名度などを築いた人がその後中年になっても下手したら老年期に入っても稼いだり影響力を与えられる」ってことだから!!

人生10代のスタートダッシュをもとに残りの人生を駆け抜ける短距離走から!!

大器晩成型の偉人10代で既に基盤を作るなり、努力してスキルをつけるなり、コネを作るなりしてるからたまたま結果が出るのが遅かっただけ!

例えば、医師教育訓練期間が長いか20代、30代になっても研鑽して勉強してるけどその医師になるための勉強物心ついてから10代終わり頃までずっとやってるでしょ!医師としての下積みはまだまだ続くけど医師になれるかどうかは10代で決まるでしょ!

医師だけじゃなく人生は全部そうだから

こういう言質がモブ中年ニート勘違いさせるんだ!

勉強スポーツ、対人スキル恋愛スキルなど、全て10代で経験してスキルを獲得しなきゃいけないんだ!

それが出来なきゃスタートダッシュ切れなくて残りの数十年は負け戦なんだ!

お前らみたいな人間が「まだその年齢なんだからどうとてもなる!」とか俺に言ってくるんだ!

俺はニートだけど、ニートしたくてしてるわけじゃないんだ!

10代でスタートダッシュ切れなくて、それでも20代前半のうちは取り戻そうと頑張ったけどダメで、仕方なく非自発的ニートしてるんだ!

そういうと今度は「じゃあ死ねば?」とか言ってくるんだろ!

わかってるよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

死ななきゃいけないのは!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

だけどな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

10代でスタートダッシュきれなかったクズには死ぬ勇気も度胸も!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ないんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

まれてきてごめんなさい

2023-11-29

終わらせたい家

父方の実家が嫌いだ。

最近ようやくその縁が切れる目処が立ってきたのだが、いざというとき決心が鈍らないようにどんなに嫌いか書き起こしておくことにした。



父の実家田舎だ。

緩やかな坂の上に建つ家は大きく、貧乏だった祖父会社を興し一代で築いた。隣の家に行くのに坂を下り道路を渡っていかなければいけない。

いずれは父の家庭(つまり私たち)を呼び寄せ二世帯で暮らすことも考えていた、と後から聞いた。

その割には電気関係があまりに貧弱で頻繁にブレーカーが落ちていたので、どのみち無理だったと思う。


家の前は杉林でそのまま山へと続く。夏はアブが、冬はカメムシ大量発生する。

敷地は広く、車が三台収まるコンクリート造りの車庫に加えて大型の農機具が複数収まる小屋や鶏小屋、2つのビニールハウスを備えてなお広がる畑もある。

畑の先にはそれなりの大きさの池があり、祖父がそこに鯉を放し飼いにしており夕方には餌をやりに行っていた。

その池を回ろうと祖父が小型の舟を買ったことがあったが私は一度も乗った記憶はなく、舟は池の側で逆さで放置されていた。

祖父は昔からそうだ。思いつきで使いもしないもの大金はたいて買い、あとはゴミになる。成金のものだ。

ワープロパソコンピアノ


祖父は六人兄弟長男で下はみんな妹。

正月や盆にはその親族大勢この家に集まって、仕出し料理なんかをとって宴会をする。映画サマーウォーズのような風景だ(なお、このために私は本作が嫌いである)



私は普段はそこから車で一時間弱の県庁所在地暮らしているが、長期休みや時には土日ともなればすぐさま連れて行かれ父の実家に預けられて過ごした。(これは祖父母の意向であり、母は嫌々だったと聞いている)

家の周りは田んぼと山で、歩いていける範囲にあるのは駄菓子屋のみ。

その頃にはすでに人口過疎化が進んでおり同年代の子供は一人しかいなかったし、あまり気も合わなかったのでその子とはあまり遊ばなかった。

長期休みの始めから終わりまでを、家から持ち込んだ自由帳に絵を描いたり、擦り切れるほどに読んだ漫画をまた読み返したり、近所の家のお兄さんのお下がりファミコンソフト数本でしのぐのだ。いつも学校で一緒の友達はみんな64で遊んでいる時代にも関わらず。


家業建築業であったが農業も営んでおり、物心ついた頃から田植え稲刈りに連れて行かれるのが普通だった。

当然ヒマだったし、それなりに成長してから仕事が振られるがそれも嫌だった。

小学生の頃は春に運動会、秋に学芸会があったがちょうど田植え稲刈りの時期と重なっており、父や父方の祖父母がそれを観に来た覚えはない。母と母方の祖母がいつも来ていた。

仲の良かった子たちの親はみんな会社勤めや公務員だったりして、行事ときには父母揃っている姿をよく見た。

羨ましいと思った記憶はないが、うちは何か違うんだなぁということは感じた。

一番嫌だったのは、運動会の後にはそのまま車で父実家連行されて田植えに駆り出されることだった。最初から体操着を着ているので都合がよかったのだ。

運動会頑張ったか今日レストランに晩ごはん食べに行こう、と話すどこかの家族ドラマ世界のようだった。


田舎自然環境農業中心の暮らしよりも嫌だったのは、親戚付き合いや近所付き合いだった。

道を歩いているだけでどこの家の人間かわかってしまう。他に子供がいる家がないからだ。

そして田舎特有距離感で、なまりの強い言葉でやたらと話しかけてくる。こっちはお前が誰だかも知らないのに。

私は三姉妹の真ん中だが、みんなだいたい私を姉と思って話しかけてきた。

姉とはけっこう歳が離れているので普通なら間違わない。実際、地元の知り合いに私と姉を間違う人はいなかった。

しか田舎の人たちは子供を見慣れていないので子供の年齢からくる体格の違いなんてわからないのだ。子供子供、と一括りにされている。


そもそも私たちがいくつになるかなんて知らないし興味もなかっただろう。なら放っておけばいいのに何故か近寄ってくる。

妹とは歳が近かったし見た目も似ていたので当然間違えられた。最初から最後まで間違えたまま帰る人もいた。

中間子は影が薄いなんて言われることもあるが、姉と妹の名前は覚えているのに私の名前だけ出てこないなんてこともザラにあった。


母(というか女性)は親戚集まりの際には台所であれやこれやと仕事をしていなければならなく、それは子供である私達も同じだった。

ただ飲んで騒ぐだけの男たちにやれ酒を持ってこいだのあれが足りないだのと次から次に言い付けられても愛想のいい姉はちゃん対応していたし、妹は人見知りがひどかったので常に台所で母にくっついて手伝いをしていた。

私も妹と同じく人見知りだったが母は妹に取られている、かといってよく知りもしない親戚連中のおばさんたちに指示を仰ぐこともできない。

人見知りなのだから愛想がいいわけもなく、私が「もっともだめなやつ」になるのは当然だった。

そのうち人前に出ることも手伝いをすることも拒否するようになって、親戚集まりの際には空き部屋に引きこもるようになるとますます評価は下がった。

「姉も妹もよく働くのに、どうしてあなたは」とわざわざ嫌味を言いに来るおばさん(祖父の妹の一人)もいたが無視していた。

上記のおばさんには奇しくも私と生年月日を同じくする孫(私からすると再従兄弟になる)がおり、彼はいわゆる優等生だった。勉強ができ、親の言うことをよく聞く子だった。(数年後に爆発して親と険悪、音信不通になったが)

姉妹の中だけではなくそこでも比べられた。

更に私は高校受験に失敗するし入った学校は結局辞めるし定時制高校に入り直すもバイトに明け暮れて学業を疎かにして卒業が危うくなるしで株を落とし続けた。

親戚中からの「あいつはどうしようもないやつだな」みたいな空気は幼い頃から親戚集まりがあるたびに感じていたのに、後半はもう完全に腫れ物でいないものかのような扱いだった。その頃にはもうその方が居心地がよいほどに親戚が嫌いだったが。


高校に入ってすぐに父母が離婚して、当然私は母方の籍に入った。というか三人全員そうした。

父方の親戚たちは離婚時にまで首を突っ込んできた。(中でも嫌味おばさんはすごかった)

なんで夫婦問題祖父母どころか親戚が絡んでくるのか謎だったし、そういうのが当たり前な気質気持ち悪かった。

元々苦手だった祖父母のことも、このときに嫌いだとハッキリ自覚したと思う。

それまでは幼い頃にそれなりに一緒に過ごした情があったというか「家族(親戚は別)を嫌うのは悪いこと」という固定観念があったので「自分祖父母が嫌い」ということから目をそらしていたのだと思う。

そもそも両親の離婚の根っこにも祖父母の干渉があった。

幼い頃から父とあまり関わってこなかったせいか特に離婚のものダメージはなかったし、なんなら父とはその後不仲になる一方だった。

離婚後に実家に戻ったことで、父に元々あった、私の嫌いな「〇〇家(父実家)の人間っぽいところ」が顕著になったために父に対する嫌悪感が強くなってしまったのだと思う。

(親権は母が持ったが、みんなそれなりの年齢だったので私たちが父や父実家に関わるかは本人に任せるスタンスだった。そのため離婚後もときどき父実家に行ったりなどがあった)

離婚から十年近く経ってから、父が亡くなった。持病を持っていたし年々痩せていたので長生きはしないと思っていたがまだ五十代で予想よりもずっと早かった。

父とは、死の半年前に病院から退院する父を迎えに行ったとき最後だった。

もっと会えばよかった、みたいな後悔は別になかった。

私よりも父と過ごした時間が長かった姉や就職と同時に県外に出ていた妹は訃報を聞いて泣いていたが、私は一度も泣かなかった。飼っていたペットが死んだときの方がずっと悲しかったし泣いた。

その頃には父のことが嫌いとまではいかなかったが決して好きとは言えない、という程度で、なんなら二人が行くなら私は葬式に行かなくてもいいか?と姉妹に聞くくらいだった。葬式の日に舞台チケットを取っていたのだ。私にとっては本当にそのくらいの関係性になっていた。

流石にそれは、と二人になだめられて舞台は諦めて葬式に出た。

父の葬式ときにも父実家は最低だった。

誰が喪主をやるかで揉めて、しまいにはすでに嫁に出て別姓を名乗っている姉に押し付けようとするために姉が泣く始末になった。

私は当然怒って姉を庇ったが普段ロクに喋らないので、おそらく親戚たちが聞いた最初最後の私の怒声だっただろう。

嫌味おばさんが人生終了レベルトラブルに見舞われたり(自業自得)親戚の中でも故人が増えたりしながら数年経った。

父の死後は、介護とまではいかないが姉に協力するという形で祖父母の様子を見に行ったり通院の付き添いをするようになっていた。

姉は祖父母を見捨てきれなかったが姉一人であの家に関わったら姉が潰れてしまうと思ったので協力することにしたのだ。

数年間そんな生活をしていたが、少し前に祖父が持ち前のクズを発揮して優しい姉に絶縁宣言をされた末に施設へ入った。

姉が縁を切るなら私ももう関わる義理はないので、自分が請け負っていた祖母病院関係を整理したりして縁切りの準備をしている。

最低限の下準備はしてあげているので今後は自力でなんとかするだろう。というかするしかないけど。


姉と妹は結婚しているが子供はおらず、私に至っては結婚願望どころか恋愛願望すらない。

自分にもあの一族の血が混ざっていることが嫌だし、自分もああなってしま可能性があるかと思うとボケときなんかが恐ろしくてたまらない。

なるべく迷惑をかけずに一人で生き、静かに死にたい

別に葬式もいらないし、火葬だけは法的にしないといけないので最低限のお金を遺して身元保証会社かにお願いしておくから適当無縁仏かに放り込んでおいてほしい。

最近はそういうことを考える。

子供は欲しくない」「あの家の遺伝子はここで絶ったほうがいい」が三人の共通認識なので、家庭環境って大切だなと思う。

歯医者との相性は本当に大事

タイトルのとおりだ。


私は口元に自信がない。


ガチャ歯というほどではないけど今も叢生(そうせい、というらしい。歯が一部重なり合ってしまっている。今通っている歯医者で教えてもらった)というやつだ。八重歯もある。幸い受け口はそこまでひどくない。

咬み合わせも悪く、幼い頃はハッキリとした反対咬合(イーッとしたときに下の歯が前に出る)だった。

こちらは成長に伴って軽減されたのか今は改善されている。幼少期に一瞬だけ矯正治療をしたせいかもしれない。(一時期マウスピースをつけていたが全く慣れなくて、すぐに噛み締めて割ってしまうため親も諦めた)


小学校高学年くらいの頃には周りの子に比べてわかりやすく歯が黄ばんでいた。親からは幼少期に飲んだ風邪薬の影響だ、と言われていた。

口周りに自信がない一番の理由はこの黄ばみかもしれない。友人にハッキリと「なんで歯が黄色いの?」と言われて落ち込んだ記憶がある。


反対咬合は生まれつきだったので自分にはそれが普通だったし、矯正自分が嫌で辞めたのもあってあまり気にしていなかった。

そしてこの叢生のせいなのかとにかく昔から歯磨きが下手で、当然虫歯もできやすかった。


そんなわけで

・歯並びが悪い

・歯が黄色

虫歯ができやす

という三重苦を背負ったのだ。


ちなみに、親はあまり歯磨き指導に熱心ではなかったが矯正治療も考えてくれたしちゃん虫歯が出来れば歯科へと連れて行ってくれたので私はこの件は親に責任はなく自分意識問題だと思っている。


こんな三重苦の私だが、ここ最近まで年単位歯医者に行っていなかった。

歯医者が苦手というありふれた理由だが、おそらく小学生の頃に通っていた歯医者がすべての始まりだったと思う。

その歯医者には小学生中学生の半ばくらいまで通っており、私は学校の検診で引っかかってはそこで治療するというのを繰り返していた。

そこに一人、とにかく常に不機嫌で高圧的な歯科衛生士がいた。妹も当たったことがあるらしく「あの人でしょ」とわかるほどに露骨だった。

虫歯治療は長引くことが多かったので当然その歯科衛生士に当たる機会も多い。

毎回歯磨きをしてから向かうのだが、私は歯磨きが下手だ。だから虫歯ができているのだけど。

彼女は毎回のように「歯磨きが本当に下手、何度やっても上手くならない」「歯の生え方が悪いからどうしようもない」と言い続けた。

言われている当時は自分が悪いのだから仕方ないと思っていた。何年もそこに通い、何年も言われ続けた。

中学の頃にもう一度きちんと矯正治療をしてみるか?という話が出たが、そこの歯医者で参考として見せられた本の内容がかなり外見的な面での不安を煽るもので、一応年頃だった私の矯正治療へのイメージは最悪になった。

ちなみに最初マウスピース治療をしたのもこの歯医者だったが、私が何度も壊れたマウスピースを持って受診するので医者から中止を進言されたと聞いた。

矯正治療の件をきっかけに私がその歯医者に苦手意識を持ったことや、母の仕事多忙になり私を連れていくのが難しくなったこと(車で通う距離だった)で、自分で行ける距離歯医者へ変えることになった。




自分で行くようになると、私は歯医者に通わなくなった。

最初の2回くらいは行くのだが、その後は予約をしていても無視して行かなくなってしまうのだ。

当然気まずいので今後その歯医者には行かなくなる。そんな理由で行けなくなった歯医者が何軒もできた。

そのうちよっぽどの痛みがないと歯医者に行かなくなり、その場合も痛みが引くと次の予約があっても行かなかった。

社会人になってもそれは続いた。行けない歯医者は増えた。






虫歯があるだろうな」と思いつつ下手くそ歯磨きをして暮らしていたが、転機は去年の春先だった。

当時はそこまで気にしていなかったが、その頃にはすでに歯磨きをすると歯ぐきから少量の血が出る、いわゆる歯周病になっていた。

ある日、食パンを食べたら歯が欠けたのだ(と思ったが実際には過去治療したところが取れただけだった、見た目が白かったので自分の歯だと思った)


さすがに歯が欠けたとあっては焦って、歯医者電話した。

何ヶ月か前にも詰め物が取れて近所の歯医者に行ったのでそこにかけた。

そこは「駄目なところ全部治すか、それとも今困っているところだけでいいか」と最初カウンセリングで聞いてくれたので「困っているところだけでいい」と答えた。

取れたものを再装着するだけだったので久しぶりにちゃん規定治療完了まで通えた歯医者だったのだ。

しかし予約がいっぱいで私の都合がつく日だと一週間以上先になってしまう、という話だった。




さすがに自分の歯が取れた(と思っている)状態で一週間放置は怖かった。

歯が取れた原因をネット検索すると当然のように歯周病について表示され、これまた恐ろしい末路が書いてあるので尚更だ。さんざん歯医者を避けてきて何を今更、という感じだが。

結局、なるべく通いやすそうなところで、と新たな歯医者を探し翌日に見てくれるということで行ったのが今の歯医者との出会いだ。



当日、受付を済ませ問診票を渡されて驚いた。

すごく事細かに書くことがある。

どういう症状があるかはもちろん、以前のところと同じくすべて治したいか、その場限りでいいのか。

その他にも治療までいかなくても悩んでいることや、今まで歯医者不安だったこと、嫌だったことなどを書く欄まであった。


私は歯並びが悪いことや歯の黄ばみがあること、歯磨きが下手なこと、歯医者に通うのが苦手なことをすべて正直に書いた。

治療方針については、悩んでいる、と書いた。

その後カウンセリングルームに通されたが、これまた丁寧だった。

問診票を元にいろいろ質問されたが「通いづらいのは、治療が怖くてですか?」と聞かれてハッとした。


私が苦手なのは歯磨き指導だ。

考えてみたら私は痛みに弱いわけではない。麻酔も効きづらいのに抜けにくくて、ほぼ麻酔が効いていない状態で歯を削られたり抜歯されたこともあった(思い返せばこれも最初歯医者でのことだが、まだ感覚がありますと数回言ったところで面倒くさそうに溜息をつかれ結局治療されたのを思い出した。痛かった)




治療が怖いのではなく、歯医者や衛生士の言動歯磨きのものに苦手意識を持っていることに気がついたのだ。


「昔から歯磨きが下手なんです。自分では磨いているつもりなんですけど、どこの歯医者でもいつも歯磨き指導が入るのでそのたびに下手だと叱られているようで行きづらくなってしまます歯磨きのものにもすごく苦手意識があります


泣きそうだった。

最初歯医者の頃、そんな小さな頃のことが今までずっとトラウマになっていたことに気付かずにいたなんて。歯医者に通い続けられない自分ダメなやつだと思っていた。



レントゲンや唾液の検査(これも初めてだった)の結果、自分の歯の生え方は歯磨きが難しいこと、かなり虫歯ができやすい口腔状態であること(この時点で虫歯が少しあった)、軽度の歯周病であることがわかった。

ここなら大丈夫かもしれないと、思い切って「駄目なところを全部治してください」とお願いした。

担当した衛生士は「治療と一緒に毎回歯磨き練習をしていきましょう。少しずつ口内環境を良くしていきましょうね」と言ってくれた。



そしてこの歯医者に通い始めて一年

虫歯治療歯周病治療が一段落つき、おためしで自費クリーニングをやってもらった。

クリーニング後は目に見えて黄ばみが軽減していて「回数を重ねればもっと綺麗になると思いますよ」と言われた。

そこで気になっていた歯の色のことを相談してみた。

「薬での黄色とは色味が違うんですよね…家族喫煙者の方とかいましたか?」

父が喫煙者で、家の中はタバコの煙で白くなっていることもあったと話す。

タバコ副流煙って歯にも影響あるんですよ。あとは食生活ですね。この黄ばみは改善できる黄ばみですよ」

衝撃だった。物心ついた頃から黄色い歯だったのでこれが変わるとは思いもしなかった。

歯磨きの仕方も何通りも教えてくれて(伝え方の違いかもしれないが)その中の一つがあっていたのかやりやすく「前よりずっと良くなってますよ!」と言ってくれる。

自費クリーニングはそれなりに高額なので、保険内の定期クリーニングをしつつ必要に応じてつど歯医者の方から薦めてくれることになった。

歯医者に通う前は慢性的にあった沁みる感じもないしもう歯磨きしても血も出ない。

自分歯磨きが下手だという気持ちはまだ消えないが、むしろそう思っていた方が気を遣うのでいいのかもしれない。

歯磨きは下手でも、今の自分ちゃん歯医者に通って診てもらうことができる。

医者なんてのは健康ダイレクトに関わってくるので、自分に合ったところを見つけるのは大事だね、という話。


今まで飛んでしまった数十軒の歯医者さん、ごめんなさい。

思い出話に弱い

そこそこ年期の入ったオッサンだけど、他人の思い出話というか、その人が小さかった頃の話にめちゃくちゃ弱い。

結構な頻度で泣きそうになる。泣かないまでもだいぶ込み上げてるので話への相槌が変な声になったりする。

誤魔化してるけどたまにバレて気味悪がられる。そりゃそうだろうな!

今になって始まったことじゃなく、子どもの頃、もっというと物心ついたあたりから既に思い出話に弱かった。

俺は今も昔も寝付きがめちゃくちゃ悪いんだけど、親に寝かしつけてもらうときは「両親の子ものころの話」をせがんでそれを寝物語にしてもらっていた。その起承転結のないただのなんてことのない遠い昔の話を聞きながら、ひとりめっちゃ涙と鼻水を流してはスッキリしてスヤスヤ寝付いていた。

泣くっていっても嗚咽あげるとかではなく、涙と鼻水を垂れ流すだけなのでさすがに両親も気づいてなかったのでは…と思う。。

親の実家である親戚の家の周囲の景色を思い浮かべながら、そこで駆け回る子どもの姿の親を想像する。

特に涙腺を刺激するお気に入りナンバーもあったので、繰り返しリクエストしたりもした。

学校水泳の授業が池で行われて、ヒルに吸われて大変だった話とか。

何一つ感動・悲劇ポイントもない、本当にただの日常の話なんだけど、その思い出話の中にいるあどけない子どもがすっかり大人になり今隣で話をしている。ガキの自分からすれば気の遠くなるような時間の流れに、子どもながらに「無常」を感じていたんだと思う。「無常」でそれはとても「あはれ」で、他に言い換える語彙が見つからない。

親も昔は子どもで、それゆえにさまざまな未来可能性があったはずだけど、結局今こうして大人になって結婚してキショいガキを産んで思い出話で寝かしつけている。そうじゃない色々な可能性もあったんだろうなと思うと、もっと幸せだった未来もあったのかも、と申し訳なくなったりもした。両親の場合はそういう涙腺加速バフがかかるのでより泣けた。

なぜそんなことを思い出したかというと、昨日妻がめずらしく子どもの頃の話をしたからだ。妻はあまりそういうことを話さない人で、俺は妻の子もの頃の写真さえ見たことがない。なんか話の流れで、妻が子どものころどこかの旅行土産で「笑い袋」を買ってもらってしばらくそれで遊んでいた、と言ったのでたまらなくなってひとりで泣いてしまった。

色々お土産がある中で笑い袋を選んだ彼女のそのとき気持ちはどんなものなんだったのだろうか、思いをはせてもうダメだった。

うちには子どもはいないが、仮にいたとしたら自分の子なら昔話をせがんできたりするんだろうか、なんてことを思いながら、自分子どもだったときのことを一寸思い出したりしてみた。

2023-11-27

ほんまに年金って払った方がええのか

65歳から貰えるっていうけど、そんなじじいになってから金貰ってどうしろと言うんや。体の動く若いうちに金使って遊んだ方がよくないか

親見てると、50代になってからどんどん弱っていってるし、60歳近くになった今、とてもじゃないけど金があったところで何もできそうにないぞ。

物心ついた時には祖父母は60代やったが、祖父母貯金するだけで最後結構な金残して死んだしな。

そもそも自分の年齢から考えるなら年金もらえるの40年くらい先。しかも、少子高齢化であったり、年金も昔は60歳から貰えたらしいじゃん。40年後には、70歳からになってやしないか

年金払うの不安しかないんやが、払い損にならんか?

追記

みんな、無知な俺にありがとう義務なんやねこれ。税金払ってると思って大人しく払うし、長生きできるように努力するわ。

2023-11-25

今の10代はホリエモンが何した人なのか全く知らない

ライブドア社長だったことも知らないし、ライブドアのこともあまり知らない

そもそもホリエモンのことを知らないか

ホリエモン活躍したのは2000年代前半

新規参入」で2004年流行語入賞2005年に「想定内」で大賞を取ってる

でも2006年逮捕

10の子たちはその後に生まれたか物心つく前だから、知らない

出所後のホリエモンしか知らない

ただのギラギラしたYouTuberおじさんだと思われてるんだろうな

2023-11-24

子のために離婚すべきか悩んでいる

明るくて楽しくて、子供を愛する良い母だ。

いつも子供健康を考え、楽しくするためのアイデアを練り、息子の笑顔を増やしている。

息子のためにとても頑張っている。


ただ、自己愛が極度に強く、ヒステリックなのだ

自分不愉快を、正当化してしまう。

子供懲罰的に当たってしまう。

アレはダメ、これはダメダメなのは君が悪いせい、そう言って息子を抑圧してしまう。


そんな日には、息子はちょっとした会話で唐突に泣く。

夜にうなされて、寝ながら暴れて壁を蹴る。


そんな息子の様子を見ながら、彼女自分の不満の原因があなたにあったのだと語る。

こんな嫌なことがあったせいだと。

あなたがあの時こうしたせいだと。

から彼にも一日中辛く当たってしまったと。

からあなたは私に謝って欲しいと。


僕はただ謝る。

彼女の言った通りでなければ、もっと大きな声で喚き散らす事を知っているから。

彼女の悪い行動は、彼女のせいであってはいけない。

彼女が怒るのは、周りが悪くなくてはいけない。

僕にはそんなことどうでもいい。

ただただうなされている息子が心配なだけだ。


息子に物心がつき始め、彼にもヒステリックな様子が現れ始めている。

うまくいかないと、すぐカッとなる。

人をぶつ、ひっかく。友達も何度も怪我させている。


遺伝かもしれない。

でも環境拍車をかけているだろう。


別に妻のことは嫌いではない。

僕は、やり過ごし方も知っている。

だが、息子はまだそんなことはわからない。

彼の人格形成を考えた時、この環境に置いておいていいのだろうか。


親権を争った場合父親は不利だと聞く。

僕にできることはあるだろうか。

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