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2023-11-20

なんだかんだでいい時代になったと思うよ

小さい頃はまだ闇市が主流でね、物心ついた時には姉と一緒に焼いた豚の鼻なんかを食べたりしていた。

まれ田舎で、たぬきがとことこ歩く姿をよく見かけたりしながら小学校へと登校したもんだ。

人里離れた村だったけど学校は立派な木造で、生徒の数もそれなりに居たんだよ。

当時はまあ大した娯楽もなかったのだし、子供の数が多いのが普通だったんだ。

中学高校実家暮らしで、大学入学と共に上京することに決めた。

懐かしいなぁ。あのとき母さんと姉ちゃんが駅まで迎えに来てさ、汽笛が鳴ってゆっくり動き出すと二人とも映画みたいに走ってさ、泣きながら「がんばれ!」って声をかけてくれた。

俺もおんおん泣いて「頑張るから!」と姿の見えなくなった二人にも聞こえるように必死に叫んだ。

から死ぬ気で勉強をして、大学の頃はあまり遊ばなかったなぁ。

少しでもいい会社に入りたい。それで、ちゃん仕送りして、恩返しがしたい。

そんな思いでいっぱいだった。

努力甲斐もあって名の通った一流企業就職してからすぐバブルになった。

新入社員でも給料うなぎ上りで、毎晩先輩や同僚と夜の街に繰り出しったけ。

すべてが眩かった。

大学時代特に想い出がなかったせいもあって、そうした思いは顕著だった。

その後、バブルは本物の泡のようにあっけなく弾けた。

翌日、出社すると他の皆が思いのほか落ち込んでもいなかったのが印象的で、仕事終わりにはいものように飲みに言った。

でも、少しだけ口数が少なかった気がする。沈黙は雄弁だった。

その後PC一般家庭にも流通するようになり、俺は95を買った。

家に来た初めてのパソコンがそれで、今では考えられないくらモニターは分厚かった。キーボードも深い。

時代の流れというのは時に緩やかで、時に激しい。

それは俺の幼少時代社会人時代を対比させているようであり、技術進歩は目まぐるしかった。

30手前の頃、PS2が発売され、それでも俺はドリームキャストを買った。

先見の明があるから、と当時はそう語ったが、今にして思えば単に傾いていたかったのだろう。

それでも初めてKanonプレイしたときの衝撃は今でも覚えているし、だからDCを選んだことに悔いはない。

仕事では特に起伏もなく、淡々仕事を過ごす毎日

30も半ばになると今度はVRと来たもんだ。

時代の変化は早いものだなと感心し、ファーストペンギンのつもりで飛び込んだ。

実際PS4VRは凄かったし、最初は本当にサメに食われるんじゃないかって冷や汗を搔いたほどだ。

あの時の背中の冷たさは今でもはっきり憶えている。でも、VRは思ったより流行らなかったな…。

そして時代はもうPS5だ。

40手前となった今、俺はWin11でそれなりのCPUグラボを積んだPCを購入し、今は専らAI生成に嵌っている。

時代の流れは特に早くなりつつある。

あと10年後には、この世界はどうなっているんだろうな。

2023-11-19

40歳、生まれて始めて両鼻で息を吸って普通の人の感覚を知る

俺は物心いたこから鼻の片方がいつも詰まっていて常にどちらかの鼻の穴からしか空気が通らない体質だった。

右の鼻から息を吸ってる間は左の鼻は詰まっており、時間が経過すると逆転する。

鼻の穴が2つあるのは片方は常に詰まるものからだという認識だった。

成長するにつれて様々な情報を受けて「どうやら普通人間は両方の鼻の穴から同時に呼吸できるみたいだぞ」と知ったが特に支障なかったのでそのままだった。

それがコロナにかかった後で肺の容量が小さくなった感覚になり深く呼吸ができなくなったのに加えて最近では両鼻が同時に詰まるようになって日々のリアル息苦しさが増した。

テレビを見ていてこういう時はどうやら鼻炎薬が良いと聞いてドラッグストアで一番安い点鼻薬を購入。

シュッとやって暫く経つと詰まってた鼻にスーッと抜けるように空気が通る。片方ずつ鼻の穴を押さえても左右どちらから空気が通り抜けるのが分かる。両鼻同時に呼吸するってこういうことなのかと。普通の人になれた感じ。

よく盲目の子供が移植手術を受けて初めて親の顔を見る動画とかあるけど、ああいう新鮮な感覚を味わえた。

点鼻薬をあまり使いすぎると効果がなくなるというので寝る前の使用に抑えている。これだけで寝付きは良くなった。

2023-11-14

anond:20231114020840

ピンク好きの男だけど俺ってトランス女性だったの?

物心ついたときからピンク色が好きでランドセルピンクをねだった程なんだが。

2023-11-12

子供持たなくてよかった

越谷とか幕張あたりのショッピングモール行くと、多分年収も平均くらい、容姿も並かそれ以下同士の夫婦とその子供みたいな家族ゴロゴロいるんだよ。

SUV乗って、子供習い事はせいぜいYAMAHAピアノ公文地元野球サッカーチーム程度。

一方都内の富裕な地域では、高収入美男美女夫婦からまれ子供物心がつく前からプロ音楽家からリトミック教育を受け、元体操選手とかが主催する人間科学を取り入れた幼児スポーツ教育を受け、幼児認知科学を取り入れた教室小学校受験中学受験の土台となる知能に磨きをかける。

俺は非自発的ものだったとしても、何かの間違いが起こって婚活成功して子供を持つようなことが起きなくて本当に正解だったと思うわ。

2023-11-04

官僚になった家柄底辺のワイがやらされてた幼児教育

因みに親専門卒、祖父祖母いとこ中卒です。

いとこでワイだけFじゃない大学入れました。

ピアノ(3歳から18歳まで)

マンションだったので安物電子ピアノでやってた。

頭が良くなるからやれと言われた。なんだかんだ一回小さな大会で優勝したり学校伴奏したり役立った。

日記(年中年長)

文章力をつけるために寝る前に書かされてた。小学校に入ってからは3行日記宿題で出てたため解放された。

言い回しとかは毎日添削入ってた。これにより小説書くのが好きになって今のささやか趣味になってる。

読み聞かせ

中古で集めてきた本や絵本が大量に家にあった。

物心毎晩読み聞かせしてもらってて、年少から自分絵本とか読んでた。親が10代の頃読んでたちょっとエロい漫画とかも読んでた。ルビ振ってくれてた。

カードゲーム

トランプオセロかるた家族園児の頃からめっちゃやった。祖父祖母ともやった。オセロは今でもめちゃくちゃ弱い。

こどもちゃれんじ

進研ゼミのやつ。2歳くらいから小3くらいまでやってた。サボってたけど課題添削は出してたかなぁ。

ドイツ語

→謎に2年くらい習ってた。何にも覚えていない。

土いじり

→親の実家農家だったんで、田植え稲刈りじゃがいもの収穫とか物心ついた時から色々

やっとけばよかった

公文

英語数学の先取りを全くやらずに中学に行ったのでキツかった。

運動

小学校の頃何か一つチームスポーツをやっとくべきだった。メンタル面での成長が欲しかった。

あとは園児の頃からイベント作る系の遊びが好きだった。ごっこ遊びと称してちょっとしたお遊戯会みたいなのを友達と開催したり(演目練習とかプログラムとかも作ってた)紙芝居友達合作したり、お手紙交換も園児の頃からやってた。

2023-11-01

不安依存している

物心ついた時から不安を感じやすかった。

この頃は特に不安で仕方なかったから、ついに心療内科に行き薬をもらった。

薬の効果は絶大で気がつくと嫌な気持ちが消えている。

しかし、そうすると不安を感じていない自分が怖くなる。

不安を感じていない自分なんて、まるで自分じゃないみたいだ。

アイデンティティを失ったかのようである

薬を飲んでも飲まなくても不安に悩まされる。

2023-10-31

anond:20231031113101

物心いたこから声優という職業認識していて芝居であるという理解だった

というのは親が子供の夢などおかまいなしに声優やなどの存在言及する人だったか

(「フリーザぽろりばいきんまんは同じ人が声つけてるんだよ」のように)

絶対見てくれよな」も「仕事から見て欲しいんだろうなあ」と

増田みたいにそのキャラ自体が話してるって思えた時期を覚えている人が羨ましい

2023-10-30

anond:20231030085958

低い身長に弱い筋力、余分な脂肪、毎月の出血

妊娠出産にともなう体力低下、育児負荷。

こんなハンディ背負わされて、社会がどう変われば真の男女平等になるのか、

本当は誰も想像がつかないんだよね。

aox先生の口癖、「物心つく前に子宮男性移植しましょう」の方がまだマシなレベル

そんな中で、特に困ってる女性だけでも優先的に救ってあげてゆこうというのが、

女性のための〇〇な活動だったり、Colaboみたいな女性支援団体だったりするので、

そこに、弱者男性はどうなんだ?と問われても意味がないというか、解決したい課題本質が異なるわけ。

社会弱者に男女の区別必要無いので、性別関係なく困ってる人のための〇〇な活動や、

弱者支援団体を立ち上げる自由はあるのだから問題意識を持った人たちが活動を始めたらいい。

一方で、女性特有の知能の低さからホストのハマってしま弱者への女性専門の支援団体必要性も認めてほしい。

2023-10-26

Vtuberミーハーすぎる

どいつもこいつもゴマキゴマキってさあ

プライドってものがないのかよ

25年前が全盛期のオバサンに何いまさら媚びてんだ

てかおまえら物心ついた時にはもうモー娘。卒業してたんじゃないの?

恥ずかしいよまったく

2023-10-25

ファスト風土化って言うけど

戦前位までの農村もどこも同じ作物を同じ技法で育てて、同じような村祭りやって同じような物食べてで大概個性無かったよね

他の選択肢を許容できないほど物心共に貧しかったってのもあるだろうけど

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-24

初めてBuck-Tickを聴いたのは、中学生の頃でした

ヤンキー界隈で初期(※1)Buck-Tick流行っており、CDを貸してもらったのが最初でした

その後、BT音楽性が深みを増すに従って、また、皆それぞれに聴く音楽が変化するに従って、

中高時代に周囲でBuck-Tickを聴いていた人たちは、一人また一人と、徐々にBTから離れていきました

特にBTが大きく路線変更(というか、やりたい音楽をやるモード?)をしたDTDやSIX/NINEで、

10代のカジュアルファンはかなりふるいにかけられた印象です

私はというと、正直、それらの作品が当初はあまりよくわからず、せっかく購入したCDもそれほど聴くことがありませんでした

しかし、なんとなく気になって時折聴くうちに、数年の時間を経て大好きな作品となりました

私は、BT音楽を聴き続けているだけで、ライブへ行ったこともなく、ファンクラブにも入らず、音楽以外の何かを購入したこともありません

なので、いわゆる「ファン」というものではないのかもしれないのですが、中学生のころに初めてBTに接してから

これまでの数十年間、数年に一枚コンスタントに発売され続けるアルバムをずっと楽しみにしてきました

「今回はどんな音、曲、歌、歌詞を聴かせてくれるのだろうか?」と、毎回楽しみでした(※2)

物心ついてから、この年まで追い続けているアーティストとなると、ほんと数少ないですし、

聴き手の勝手な思いですが、自分人生と共にあり続けた一部でした

彼らの活動作品から察するに、BTはこれからも当分は健全音楽活動を続けていけるのだろうと当然に思っていました

少し経って気持ちが落ち着いたら、BTアルバムを聞こうと思います

※1) 殺しの調べあたりまで。「初期」というのは、今となってはというニュアンス

※2) 初期の頃のBTイメージしか持っていない方にはピンとこないかもなのですが、Just One More KissBTではないのです。言葉が全く足りませんが文字数(ということにしておく

やりきれない怒りのひとりごと

自分は受け入れてもらえる

もしくは、何かやって支えてくれる人がいる、と思ってそうなのがうらやましい

おれに味方はいない、と、ずっとそう思っている

味方になろうと「してくれる」人はい

そこに善意があることはわかる

だが、ほしい形の味方であることは少ない

まり嬉しい味方じゃないことが多い

優しい人を傷つけるのは本意ではない

味方であろうとしてくれる人を傷つけるのも本意ではない

だが、それでもおれは圧倒的に我慢をしている

文句を言いたくなるときもある

いらねーアドバイスばっかりよこすんじゃねえよ

おれが今進もうとしてるのはそっちじゃねえよ

おれを制限するんじゃねえ

おれの行先を決めるんじゃねえ

決めてくれなんて誰も言ってねえ

誰にもおれを止めさせない

二度と誰にも止めさせない

あの母のようにおれを止める人間なんて人生に二度と存在してはいけない

誰にもおれの価値観邪魔させない

自分の身で納得したことだけやらせ

邪魔をするな

二度とおれの邪魔をするな

邪魔をされたら縁を切らなきゃならないだろうが

で、こんなことを言っても味方でいてくれる人がほしいわけだ

そんな子どもワガママ

気分だってコロコロ変わる

昨日遊びたいって誘って今日気が変わってすっぽかしたりする

わかっとるわ

ワガママ

言われるまでもない

我が子でもない限りそんなやつの味方になりたいやつなんていない

相手だって人間

そりゃあそうだ

そんなもんわかっとる

そしておれの親は味方じゃなかった

から今でもほしいんだ

ほしくてほしくてたまらないんだ

それがあるやつがうらやましいんだ

ほしいと思ってなにがいけないんだ

叶うかどうかは別にして

ほしいと思ってることのなにがいけないんだ

なんでてめえらにおれの人生否定されなきゃならねえんだよ

こういうことを言うと

お前は依存だの依存を断ち切れだの大人になれだの言われるわけだ

相手善意を受け取りなさい、と言われるわけだ

うるせえよ知ったことかよ

それが正しいのは頭じゃわかる

感情が納得しねえんだよ

おれはそこまで癒やされてねえんだよ

誰が説教してくれっつったんだ

おれは味方でいてくれっつってんだよ

説教する形の味方もそりゃいるだろうよ

ありがてえって言う人もいるだろうよ

でも今求めてねえんだよ

そんな味方は得られないだの

自分自分の一番の味方になれだの

自分自分を満たせだの

わかってるよそんなことぐらい

ちょっとぐらい夢見ただけでなんで否定されなきゃなんねえんだ

味方がほしいって思うことすら許されねえのかよ

なにを望んでいいのかわからなくなった

「望む」なんてなにより自由でいいはずなのに

「なにを望んだら許されるのか」を考えなきゃいけなくなった

なんでお前らのために「なにを望んだら許されるのか」なんて考えなきゃいけねえんだよ

自分が何を必要としてるのかわかっていないのだろう

何がほしいのかわかってないんだろう

そりゃわかんねえよ物心ついてからずっっっっっっっと我慢してんだから

いまさら自由になんでも望むこと言えって言われたって知らねえよ

こちとら「私の望む答え以外許さん、さあ望みを言え」って一生叩き込まれてんだよ

知らねえよおれが何を望んでるかなんて

わかんねえんだよ

おれを見て何を望んでそうか言ってみろよ

なんなら望んでいいのか言ってみせろよ

知らねえよ

わかんねえんだよ

から苦しいんだろうがよ

助けてくれっつったって誰も助けられないからお前が自力で助かれって言うんだろ

知ってるよ

聞き飽きたよ

おれは味方でいてくれっつってんだよ

おれを否定すんじゃねえよ

この世のどこに安らぎがあるんだよ

どこに安心があるんだよ

おれを否定しない人間はどこにいるんだよ

金を払わなくても味方でいてくれる人間はどこにいるんだよ

名乗り出てくれよ

もう傷つくのは飽きたんだよ

味方なんていやしねえ

かに心を開いても馬鹿を見るのはおれだけだ

おれを守れるのはおれだけだ

そう、おれだけなんだ

でも、そんな現状に嫌気が差してるのも確かなんだよな

自己投資して行動してるんだよ

からこういう怒りを出していい、と思ったのかもな

で、こういう事を言うと「怒りは二次感情から裏に別の感情がある」とか

欲しいもの自分から先に回りに与えろとか知った口で言うわけだ

うるせえよ黙ってろよ

2023-10-20

薄情

世の中の輝いている人々を見ると、皆友達誕生日を全て覚えてその日の0時にお祝いを送るし、旅行に行ったら必ずお土産を配るし、友人間トラブルをなあなあにせず、母の日父の日には心のこもったプレゼントをする。

それらは全くもって素晴らしいことだ。しかしそれを踏まえて自分の行動を見てみると少しばかり心が痛む。友達誕生日の8割をそもそも知らず、知っている人のうち半分はその日の22時に気づく。お土産安価なのを買うだけ買って結局タイミングを逃して配るのを諦める。母の日父の日定型文のメッセージ1通でおしまい。なんて薄情な奴だ。

言い訳をすると、いや、情は人並み程度には持っているはずなのだ。恥(とも言えない、自分でも何かわからないもの)や忘れっぽい性格城壁となって、その情を僕の心の中に閉じ込めているだけなのだ。どちらも物心のついた時から存在しているのでいくら危機感を持とうが治しようがない。これを「薄情」や「怠惰」等々にごく自然に繋げられてしま世界サイドにも責任があるのではないか。しっかり気持ちを伝えなきゃ、今度は忘れないようにしよう、と1番思っているのは自分なのに。

そしてこんな奴にも先述のような行動をしてくれるのがキラキラの方々なのだ。僕だったら普通に嫌っているだろう。

2023-10-15

子がいる人生いない人生

子供を持たず、後悔している40代男性ブログ話題だ。

男性は後悔していないとは言っていたが「自分の子供がいたら、と色んな場面で想像してしまう」と言っている時点でそれは後悔じゃないのかと思う。


私は20代だが10年以上前から子供を産む気が一切ない。

理由としては大きく3つある。


まず一つ目、自分遺伝子子供に継がせたくないからだ。



私はアトピーワキガ、天パ持ちだ。完全に詰んでいる。顔は可愛くないし身長も並、運動神経も頭の良さだって平均くらい。こんな遺伝子子供に継がせる方が可哀想だ。

自分のことは昔からきじゃなかった。ようやく最近好きになれたが自分特性を好きになれたわけではなく、自分自身が好きになれたというだけだ。自分ワキガは全く好きではない。




そんな遺伝子を継いだ子供可愛いと思えるわけがない。20数年ずっと共にしてようやく好きになれたもの自分の股からひょいと生まれた別の生命簡単に好きになれるわけがない。



二つ目は、自分父親がクソだったからだ。

物心ついた時から父親は別居と同居を繰り返し、学校行事は大抵母だけだった。



とあるごとに母と父が喧嘩をしては母が苦しんでいるのを見るたびに、早く離婚をすればいいのに私たち子供いるから出来ないんだと胸が苦しくなった。

母は子供がいなかったら、父と早くに離婚できていれば、もっと違ういい人生を送れていただろうと思う。母は本当に良い人なのでそういう想像をしてしまう。

そして自分子育てをして幸せな家庭を築くという想像ができない。




三つ目は私ですら将来が不安日本に、大事子供を産むなんてさらさら出来ないからだ。

私が生まれた時は年収300万の人の手取りは290万だったそうだ。ところが今は253万。

50万弱が税金やら何やらで持っていかれ、物価は当時よりも何倍も高くなっている。

マクドナルドはどんどん高くなり、カントリーマアムはどんどん小さくなる。


今後経済が良くなる見通しもなく、私が今払っている年金も定年後受け取れるかわからない。

私でも将来が真っ暗で希望もないのにそんな世の中に新たに子供を産めない。可哀想から



子供を産む気がないと言うと「結婚したら価値観変わるって〜」や「産んでみたら本当に違うから!」や「老後はどうするの?」など言われるがそんなことを言われても持たない理由が多過ぎて一切産む気になれない。



結婚したところで私が10年以上考えていることなのでおそらく揺らがないだろう。産んでみたら、というもしもの話で産めるほど子育ては甘くない。老後の世話を期待して子供を産むというほど失礼なことはない。

そもそも大金をかけ、子供を育てたところで真っ当に育つと言う保証もなければ、自分の老後の世話をしてくれるという保証もない。

それならば、子育てにかかったであろう費用自分の老後に回す方が確実だ。

かに今後の自分人生子供がいないことで大きな楽しみはないかもしれない。しかし、子育てによるものの大きな心配を抱えなくていいというのも事実だ。


子供が無事五体満足で生まれてくるか、発達の遅れはないかちゃん幼稚園で馴染めるか、学校友達はできるか、いじめをするような子じゃないかちゃん学校に通えるか、犯罪を犯さないか定職に就けるのか…心配し出したらキリがない。そして、どこかでも踏み外せばそれは”親の責任”になる。

いつだか、俳優高畑裕太性犯罪を犯した時も母親謝罪していたっけ。もうあの時彼は22歳だったのに。


自分が股から産み出したというだけの別生命不祥事を、22歳になろうが尻拭いをしなければならない。それが親ってものらしい。

その責任に比べたら、人生の子供による大きな楽しみが減るということも、老後の悲しみも軽いものだ。


そんな理由で私は子供を産むことはないだろう。

2023-10-13

年齢的にあと15年くらい藤井サンの天下続きそうじゃん?もう終わりの方は「圧倒的に強い一人が君臨するのが普通」ってなってそうじゃん?

物心いたころには藤井サン存在したような中高生ラノベ読んだら「いろんな人間がしのぎを削っててリアリティがない」ってなりそうじゃん?

2023-10-10

anond:20231010164432

当時、ギリギリ物心がついたかどうかという年代ですが、なんで日本人が命懸けで

パレスチナのために戦うのか理解不能です。

それでも、テルアビブ空港乱射事件で生き残った岡本公三レバノン亡命して

英雄として扱われてるみたいですね。

ハマスイスラム組織戦闘員達は、物心つく前から拉致されたり親元から離されて訓練を受ける

そうした環境下で育った人たちは倫理道徳なんて当然壊れてるし、愛情を受けたことがないか他人共感もしない

安全な国で育った人たちでさえ、不全な環境で育つと他者への好奇心が奪われ、学習意欲が低下する

そのもっと酷い環境で育っている人たちなのだ

虐げられて育った犬のようなもの

そういう人たちが、西側世界のものである音楽フェスなんか見たらただ怒りに包まれるのみだろうな

自分音楽フェスは好きだけど、彼らからしたら怒りの対象しか無いのだ

それが悲しいなと思った

そもそもイスラム教が禁止してる

それにパレスチナ人から彼らの土地を奪った原因も西側陣営だ

この話を受けて憂うこと

それは

中東の人たちに比べ自分は恵まれてると思った。本当に幸せだなあ」という、社会問題に関心を持つ人たちに対して冷笑を行うガキのようなゴミ増田エントリが増える事だ

救いようの無いゴミみたいなバカエントリが増えると思うと憂鬱になる

2023-10-09

せせせっしゃがアニメ版16bitセンセーション感想を!!?

ほほほ本当でござるか~~~~~拙者のような底辺キモータでいいんでござるか~~~~。

冒頭 アス比4:3

拙はテレビアニメ歴史には全く詳しくないのでござるが、昔のアキハバラが映るとなんとなくデ・ジ・キャラットなんかを思い出しちゃったりするでござるよ。

さてさてこの懐かしいアスペクト比ぶっちゃけもう今の若い子は「懐かしい」とさえ思わないんでござるな。

「知らない」のでござるよ。

これがいつ頃から始まったのか、大雑把に言えば『デジタル放送に合わせて』でござる。

かい部分はアニメに詳しいオタクが教えてくれるでござろうからシロートである拙者に言えるのは「WIKI日本地上デジタルテレビ放送でググれ」ぐらいでござるな。

そこから簡単抜粋すると大事なのはこの辺りでござるな。

日本地上デジタルテレビ放送(にほんのちじょうデジタルテレビうそう)とは、日本における放送局により行われる地上(陸上)のデジタル方式テレビ放送である2003年平成15年12月1日の正午に導入が開始され、2011年平成23年7月24日の正午にアナログからの完全移行(アナログ放送の終了)[注 1]となった。略称は、「地デジ」。

2000年平成12年12月1日より、BSデジタル放送が開始され、2003年平成15年12月1日11時より、3大都市圏である東京大阪および名古屋のNHK3局、民放16社から地上デジタル放送が開始された。残る43道府県でも段階的に放送が開始され、2006年平成18年12月1日には全ての県庁所在地および近接する市町村放送が開始された。これらのことから12月1日デジタル放送の日とされた。

まり物心ついたのが2011年以降の子供は4:3の画面なんなんて知らないので御座るよ。

昔のアニメビデオなんかとして残ってるのかも知れないでござるが、それがテレビ放送されていた時代のほうは「物心つく前」なんでござるな少なくとも。

大雑把に言えば今の小中学生ぐらいでござるな。

いやーびっくりでござるよ。

しかしてこのアニメオタクテンプレオタクファッションは着るくせに「ござる」と言わないでござるな。

じゃあ俺もやめるか。

令和に適応していかないとな。

しかしあれだな、主人公が「タイムリープするのは選ばれし人間だけで凡人がするものではない」という感性をもっているのも令和風だな。

カマトトぶって「え?そもそも何が起きたの?」からスタートなんてしない。

ファストな時代クールヒロインだ。

ブルーベルがんばってんな

社長の声がテンプレキモータで「あっ、これぐらいのステレオタイプは令和でもゆるされるでござるか」となる。

ラノベやVに追われるエロゲ業界というイメージはまあ確かにって感じ。というより1人でつよつよ出来る人はエロゲ業界なんて岩の下日陰通りダンゴムシ横丁なんてスルーして表舞台で売ってるから才能が流出しとんのよな。

フルプラ避けて薄利多売はしょーじきこの時代では賢い。

パープル?って実在するの?あっググったら実在した。あれ?結構かいなこの会社。あれ?俺なにしに来たんだマジで

もう書くのやめるか。

ちな説明するが俺はエロゲ全盛期が終わった頃、大体シュタゲアニメ化されたぐらいでエロゲからは抜けたぜ。

最近ゲームランスXとぬきたしぐらいしか知らねえ。

逆にこのアニメにふさわし気がしてきた。

書くの続けるか。

うわぁ!急に作画カロリーを使うな!

大作のエロゲ否定される時代っていうのはマジで分かる。

俺がエロゲから離れたのも「え?大作が見たいなら全年齢の方が強いじゃん。じゃあもう抜きゲーでいいじゃん?でも抜きゲーもわざわざクリックカチカチするのだるいじゃん?」だしな。

正直、全部載せである必要性がないんだよなあ。

セックスシーンが物語の中で重要意味を持っている文学的作品なんて結局ほとんど生まれず、義務的セックスシーンを描くか、義務的物語を描くか、そうしてどっちつかずな何かだらけになっちまった

というには拙者エロゲ知らなすぎるでござるのに口が勝手に動いたでござるよ。

誰彼100円!

自分でも誰彼100円は聞いたことがあるでござる。

自分でも知ってるあの時代伝説ライター達が今やってるのがプリコネ、レドバンFGOソシャゲばかりなのはマジで時代なんでござるなあ。

フルプラの10倍の値段払ってガチャ回すんだからそりゃソシャゲが強いでござるな。

でもエロソシャゲの話は全然聞かないんだよな。

対魔忍のサ終とかちょっと話題になったしアイギスも10周年、そう考えるとエロソシャゲもまあまあ元気はあるっぽいが、表のソシャゲと比べると弱いんだよなあ。

やっぱ18禁世界って弱いんだなあ。

声が……使われている声優が古い……

いや古いってほどじゃね―んだけど、露骨に緩急つけてくるからすげー高低差見えるっつ―の?

「20年か25年かぐらいでもいざ意識しだすとスゲー昔に感じるよな」を演出してきてる?

いやそれならバチリコ刺さってるわ。

はぁ~~~声優の起用一つでもこういうこと狙えんのね。

1話目に20分かけて面白いもん仕込んでくるなあ。

総評

まあ、俺は続き見るけど見る気のない人に薦めようって気はしないな。

面白そうと思った人間以外が見て楽しめるものがある感じではないだろ。

気になった奴は見たほうが良いけど、気になってないなら見なくて良い。

絵は別に凄いってわけじゃないけどノイズにはならない。

演技や脚本問題はなし。

まあマジで「このコンセプトでアニメが見たい人が見る」のプラマイゼロなんよな。

俺は気になったから見るけどな。

しかしあれだな書くことがなんというか偏るな。

コノハ好感度をジワ上げしつつ物語の導入してるだけで終わってるから、あえて見てる側が語るほどのことがないというか。

コノハ可愛いよね」「そうだね」で終わるっつーか。

コノハ時代キャラ付けのコンセプトであるレトロ美少女ゲーヒロインっぽさ」+「今みてもうわッ!キッツ!にならない程度の大人しさ」+「物語を転がす時に適度に摩擦抵抗を持てそうな尖り具合」の掛け合わせが滅茶苦茶無難というかね。

やっぱ作者がエロゲ沢山やってるだけあって最大公約数がどの辺りなのかは外さねえなとは思うんだが、「最大公約数だね」で終わってしまうのはそれはそれで弱点じゃねえのかという気持ちもある。

でもキャラ単体として尖らせすぎると最も出したかったであろう「どことなテンプレ感」がそっちに飲まれリスクがあるから出来ないんだるな。

まあデザインってのは結局こういうものというか、デザインでやりたいことをまず優先して個性を出すのはそのあとに回すのが正解なんだろうと思うわけよ。

神のみエルシィは「ファンタジーだと一目で分かるキャラデザが世界の中で浮きやすく、他のヒロインとの集合でみたとき攻略対象とは別枠として映りやすい」を狙っていて、ある意味で逆なんだよな。

露骨テンプレヒロイン感を意図的に外せる人間は、逆にど真ん中に投げ込もうと思えば投げ込めるっていう。

野球でもなんかあるっぽいんだよな、ど真ん中すぎるとすっぽ抜け感があって逆に打てないみたいな現象

コノハはそれっていうか……こうヒロインとして扱いにくさがあるとういか……つまりヒロインでありながら主人公としてデザインできてるんだよ。

いわゆる前髪隠し無口系主人公みたいな方向性

からこう「エロゲヒロインに対して向けるような品定めの目で見ないで済む」っていうかさ。

うん。これを少しでも脱臭して言うためにここまで長々と書いたけど結局コレなんだな。・

まあつまりコノハはよく出来てると思うんだよな。

でもだからこそ本当に「良く出来てるよね」で終わっちゃう。

それが中心に1話が進むからちゃんと出来てるね」で1話が終わっちゃう。

良くも悪くも。

まあこれはひょっとして「まだOPの部分なんですよ~~~」が伏線な感じ?

じゃあ、こっからフルプライスの感動見せてくれんの?

期待していい?

迷惑

2023-10-08

anond:20231008140047

本当のスペック

都会とも田舎とも言えない街済み。

30歳。

彼女いない歴=年齢。

高卒年収は400万。

身長171cm。体重85kgの中肉中背。

顔はまあフツメンより上くらい? 性格は温厚な方だと思うけど、キレたらヤバそうって言われるw

友達は少ないが……

こんな感じだろうか? まあ、ざっくり言ってしまえば貧乏なことを除けばどこにでもいる弱者男性である

本題

物心ついた頃からずっと陰キャとして虐げられてきた。

具体的には、幼稚園小学校では同級生達にイジメられ、中学校遅刻ばっかりだった。

高校はたまに叩かれたりしてイジられキャラだったけど、大学は行かなかった。

なぜ自分弱者なのかと考えたこともあったが、結局周りが悪いと思っている。

社会人になってからオナホをとっかえひっかえして遊んでみた。

「これで禁欲生活から抜け出すぜ」と思っていたけど、彼女は何時までもできないのに、たまにちんちんが痒くなったりして不思議だった。

なんというか女性に対するコンプレックスとかはないはずなんだけど、どうしても人間と恋しようと思えないのだ。

結局は上司に紹介された病院に通院することになり、俺は一生ヘルペスのままなのかと絶望している。

ようやく弱者男性を抜け出せたかなと思っていたのだが、まったくそんなことはなかった。

俺のスペック

都内済み。

30歳。

彼女いない歴=年齢。

大卒年収は800万。

身長180cm。体重70kgのチビデブ

顔はまあフツメンより上くらい? 性格は温厚な方だと思う。

友達は少ないが……

こんな感じだろうか? まあ、ざっくり言ってしまえば貧乏なことを除けばどこにでもいる弱者男性である

本題

物心ついた頃からずっと弱者男性として虐げられてきた。

具体的には、幼稚園小学校では女子からかわれ、中学校では男子はいじられる。

高校ではクラスの中心人物に絡まれてパシらされ、大学では陰キャぼっちだった。

なぜ自分弱者なのかと考えたこともあったが、結局答えなんて出なかった。

社会人になってからセフレをとっかえひっかえして遊んでみた。

「これで弱者男性から抜け出すぜ」と思っていたけど、彼女は何時までもできずに弱者男性のままだ。

なんというか女性に対するコンプレックスみたいなものがあってどうしても恋愛関係に発展できないのだ。

結局は上司に紹介された女と結婚することになり、俺は一生弱者男性のままなのかと絶望している。

2023-10-07

何かから逃げたツケは、必ず後で回ってくる

人生でやるべきことをやらなかった場合、そのツケは必ずあとになって回ってくるのだと、最近になってやっと分かった。

まぁ、はてなには人生逃げずにちゃんと生きた、既婚者や高収入エリートが多いのであんまり関係ない話かもしれないけど。

私は物心ついたときから逃げてばかりだった。幼稚園小学生ときからはもう嫌なことから逃げてきた。それを許してくれる環境だったから。

頑張って受験勉強して受かった高校もすぐにやめた。一年後ほどに入った次の高校もやめて、また一年後に入った通信制高校をやっと卒業した。

まともに青春しなかった学生時代であった。こういうところでも差が出るんだろうな。

高校卒業後も就職しなかった。思えばここが一番ダメだったなあ。

働きもせず好きなことをしていたら運良くそれが当たり、少ない金額ではあるけど稼げるようになってしまった。

一番いいときで200万くらいだったかな?まぁ少ないけど、自分の好きなことだけやって稼いだんだからいいや、なんて当時は思ってたなぁ。

だけど去年くらいから、ただでさえ低い収入が激減してきた。貯金があるからまだいいが、それも崩し始めれば、一瞬で底をつく程度でしかない。

こりゃマズいな、いい加減仕事しなきゃ、と思ったときにはもう遅かった。長年テキトーに生きてたせいで、自分は働けるような精神じゃなくなってたし、

そこをクリアしたとしても、自分には資格技術もないことに気がついた。あるのは無駄に重ねた年齢だけだ。

今になって、今までサボってたツケが回ってきて、めちゃくちゃ頑張らないと先に進めなくなったことにやっと気がついた。

2023-10-05

anond:20231005184120

まあ物心いたころには数字の羅列で10桁ずつ覚えてたか自分自身はつかってなかったのと

昭和生まれ父親から教わったうろ覚えの語呂で「に」いれてた気がしてすまんね

2.236067977と覚えてたけどまだあってるかな

電話番号一種みたいに覚えてるな

2023-10-04

anond:20231004131445

???

俺は物心ついた時にはフィクトセクシュアルだったけど?

マジで頭悪いんだな対人性愛者って。

流石に可哀想になってきた。

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