はてなキーワード: 即売会とは
オタクは多様な表現に寛容ではなく,自分の好きな表現に寛容ですよと
コミケの”準備会”は多様な表現を守る努力をしてるけど,参加者は……
コミケ準備会としては法人(会社)あるいはそれに準ずる方の参加は明確に断っている,
コミケットはアマチュア、営利を目的としない団体(サークル)、個人のための展示即売会です。基本的に法人(会社)あるいはそれに準ずる方の参加はお断りします。
https://anond.hatelabo.jp/20170828024450
そしてコミケ準備会としては,ダメなことはダメと書くと明言している,
会場・警察との話では、「サークル参加を見合わせてもらう」「黒子関連の本を置かないようにする」だけで、それ以上の強制はしなかった。むしろコスプレはして欲しかったのであえて書かなかった。
https://10den.sakura.ne.jp/zakki_comi/c83-day3b/
よって,これまでクラウドファンディングで資金を集めて参加することを禁止していないのだから,真木さんの参加に問題無いと思います.
ただし,これは”準備会”の声明なので,コミケ”参加者”の意見は異なるかもしれません……
私は,自分の意見の異なる参加者を排除する典型的な例として”逆カプ”問題があると思います.
そうなると、自分の好きなキャラを 「無理解」「誤解」 で動かされているように感じられ、しばしば感情的なトラブルの原因となったり、叩き へと発展してしまったりもします。
http://www.paradisearmy.com/doujin/pasok_gyaku_cp.htm
”逆カプ”問題でトラブルにならないよに,準備会は配置を離すなど(カップリングは明記することが必須)工夫を続けていますが,いまだにしばしばトラブルになるようなことを耳にします.
(正直,私は逆カプでもOKなのですぐ近くに配置してほしいというのが個人的意見ですが……)
なので,コミケ”参加者”の中には自分の意中に沿わない意見を排除する傾向があっても,不思議ではないと思います(あってはいけないことですが……).
今回は”自分が自腹を切って赤字なのに通販も取り扱ってくれないのに,クラウドファンディングで,参加できなくても通販出来てずるい”という人が反発しているのかもしれません.
コミケの中の人は(表現の自由のために)誰でもウェルカムだけども,参加者の中には場合によってはそう思っていない人もいるという意見です.
適当なことをいうな。
コミックマーケットはアマチュアの為の展示即売会です。法人、営利目的などの団体の参加は基本的にお断りします。また、頒布物もオリジナルのものに限ります。
とある。「理念」は、企業ブースも含めたコミケットという場全体について語っているから、そういう表現に改められたのだろう。サークルスペースがアマチュアのためのものなことは変わらない。
この問いを考えたやつは誰なんだ。芸能人というのはそれ自体がブランドだ。だから即売会に既に確立したブランドが入り込むことは忌み嫌われるわけだ。叶姉妹も自分たちの写真集を売っていればだめだっただろう。しかし彼らは他ジャンルの同人誌を発表するという方法で筋は通した。建前上、サークル主が金持ちだろうがなかろうが、たまたまどんな職業についていようが、それ自体は参加資格を疑われるようなものではない。
「真木よう子って誰?」という問いはこれを拡張するものだ。彼女が出してくるのは職業ジャンルのコンテンツなのだろう。しかし彼女には芸能人としての地位がない、ようだ。彼女が誰なのかを誰も知らなければそれは実質的に一般サークルと変わらないということをオタク達が承認することになる。この転がりの良いフレーズがどこからどのようにして来たのかは追及されるべきではなかろうか。
かれこれ20年近く夏冬と連続当選してサークル参加してる身だが、真木よう子のコミケ参戦は別に問題ないと思ってる。
真木よう子の参加は、コミケの理念に照らし合わせると、何の問題もないからだ。
私のようにコミケに長く参加している古参でさえも勘違いしている人がいるのだが、
まず、コミケは、オタのためだけの、非オタは参加を許されない祭典ではない。
そして、今のコミケは、「非営利」の、「アマチュア」に限った場ではないのだ。
2013年に、申込書等、コミケ準備会側の公式文書に書かれている「コミックマーケットの理念」の記述から、「営利を目的としない」などの一連の文言が消えたことを知る人は少ないんじゃないだろうか?
コミケットはアマチュア、営利を目的としない団体(サークル)、個人のための展示即売会です。基本的に法人(会社)あるいはそれに準ずる方の参加はお断りします。
と、なっていた。参考 http://wanda.hatenablog.jp/entry/20100418/1271549068
長らく「営利目的でない」「アマチュアの」イベントであり、「法人」は原則ダメですよー、という理念を掲げていたが、
こうした理念がとっくの昔に形骸化していたのは、コミケにそれほど詳しくない者の目にも明らかであっただろう。
そして、最も新しいC93(今年の年末に行われるコミケ)の申込書に書かれているコミックマーケットの理念には、
と、書かれており、続いて、
とも書かれている。オタじゃないと参加はダメとか、オタク文化系の頒布物じゃないと参加はダメ、とも書かれていない。
このコミケの理念に照らし合わせると、真木よう子の参加希望を、現時点で全否定する理由は無い。
一個人として、事務所を通さず好きに作りたいのなら、本人がコミケを選んだって構わないだろう。
クラウドファンディングで本を作るのだって、別にいいと思うし、これからの時代の同人活動での一手法になりうると思う。
自分の金で作らないなら、参加は絶対に認めないぞ!なんてルールは、どこにも書いてないのだし。
また、「コミケでやる必要がないからコミケ以外でやれ」というのは暴論すぎる。
委託店等の販路が多くある昨今なら、「コミケでやる必要はない活動」となってしまう。
参加目的に「(ファンの)皆様と会いたかった」と言ってる点を持ち出し、参加するなと批判している人がいるが、
同人作家で、「買ってくれる人や~~さん(同人作家)と交流が楽しみ」みたいな呟きをしている人なんて簡単に見つかるし、
混雑しそうだから参加ダメ!なら、そもそも壁サークルや島中の大行列を生んでいるサークルはどうなんだ?となる。
禁止されている徹夜等を含め、そういう混雑を生んでいる大人気サークルは、コミケに参加するべきでなく、大手委託店等で通販のみを行うべきなのだろうか?
私が参加したこの20年近くの間に、オタとオタを取り巻く環境、そしてコミケも大きく変わった。
90年代には、アキバのビルの薄暗いフロアにスチールラックをおいただけ、という裏ビデオ屋のようだった同人委託店が、
同人だけで食っていけるような人も(参加者全体の数からすると割合は少ないが)見受けられるようになった。
つまり、明らかに営利目的・収益目的だなってとこも珍しくはなくなった。
壁サークルのような大手や有名どころは法人成りしてる例も見受けられ、限定グッズを売り出す企業ブースは毎回長蛇の列で大盛況だ。
企業の人間がブレーンとして関わって制作された、商業流通している本に顔負けの同人誌だってある。
コスプレ広場のコスプレイヤーには、芸能事務所に登録しているような子も増え、
芸能界へのステップアップを目指す子もおり、現役グラドルすら来るようになった。
現役プロ漫画家やイラストレーターが参戦する例だって、ずっと前から枚挙に暇がない。
そうしたコミケに参加するプロやアマチュアが、コミケを通して知名度をあげたい、広告宣伝効果を得たいという思いだってごくごく普通のことになっている。
コミケに参加したこと無い人でも、コミケ等大イベント前の怒涛の頒布物広告宣伝ツイートはよく目にするだろう。
好き嫌いはあるだろうが(私自身はこうした一連の変化は苦手だが)、こうして世とともに変わっていったのもコミケの現実だ。
私は今の言葉で言うところの陰キャなので、キラキラした芸能人や、リア充と言うのかパリピというのか、
なんというのかそういうある種の言葉でくくられる人が来て多数派になっていくのは嫌だ。
しかし、それは私の好悪に過ぎず、そうした好悪の感情をもとにある参加希望者を叩き、拒むことは、コミケの理念に間違いなく反している。
極端な話、コミケの理念に反せず、法令と、準備会が定めた運営ルールを守っているならば、
「オタなんて大嫌い」という人が、「オタ大嫌い論」という本を評論・情報ジャンルで頒布するために参加したっていいのだと思う。
コミケの準備会側が、搬入計画に懸念を示したりして参加させないと判断するならまだしも、
私のような一人ひとりのコミケ参加者らが、コミケの理念に反していない者を、
「こいつは参加するべきではない」「コミケに不慣れなこいつは問題を起こすに違いないから来るな」として叩き、
参加を断念させることになったら、ただただ禍根となる。
いわゆる「夏コミ」「冬コミ」と呼ばれてるもの2つがわりと苦手。
自分自身も同人誌描くタイプのヲタクだし、作品を発表できる場はありがたく思っている。でもどうしても、コミックマーケットのルールや理念、参加するときの煩わしさが苦手。
申込みはもう少しスマートにできるようにならないのかと思っている。必ず申込みキットを買い、それに沿って申込みし、少しでも不備があれば問答無用で落選…。
性格の問題かもしれないけれど、どうしても面倒に感じてしまう。マメで真面目なやつ以外はサークル参加するなと言われてるみたいに感じる。(実際コミックマーケットにおいてはそうなんだろうが)
あと、コミケ名物とか言われていい話のように毎年聞く参加者やスタッフネタが苦手。
いかにもヲタクらしく……それ故にどうしても受け付けない。多分あれが楽しい人は楽しいんだろうから批判してるわけではないけど、自分には合わない。
参加者のマナー、ルール、良心……コミケという文化を愛する気持ち……
理解はしている。けれど自分はそういったものはわりとどうでもよくて、参加者としてのスタンスは、悪質でさえなければいい。できればあっさりと即売会を終わらせたい。
お祭りでなくてもいい。好きな人と本を(材料費と引き換えではあるが)トレードするだけの場でいい。
…と考えてるからコミケには参加しないのだよ、ということをハッキリ言えたらどれたけいいだろう。
申込みの楽さからビジネス特化した企業主催のイベントに絞って出ているし、特別、参加中に嫌な思いもしたことがない。
でも、いろんな人から、○○○主催はクソ、コミケいいですよ!とか、申込みキット買ってきましょうか?とか余計なお世話を焼かれるのだけは本当に勘弁してほしい。
多くの人が楽しめていることが苦手だと、匿名でもない限り公表できない。
例えば、小さな村で年に一度の祭りがあって、村人のほとんどが楽しんで笑って過ごすのに、どうしてもその祭り自体が苦手で楽しめず、祭りの夜は引きこもるしかない村人になった気分。
わざわざ「この祭りが嫌い」って言って好きな人の気持ちを損ねたくはない。けれど黙って誘いを断れば「変な奴!」って離れられちゃうし、理由を言ったら言ったで「こんなに楽しいお祭りを楽しめないなんて可哀想」と何故か上から目線で哀れまれたり、蔑まれたり。
筆者はコミックマーケット(通称「コミケ」)を愛する者である。
私は、徹夜組を撲滅したい。
本稿では、なぜコミケで徹夜組がなくならないか、今後どうすべきかを考察する。
2017年も8月11~13日の間、東京ビッグサイト(国際展示場)でコミケが行われた。
3日間で例年50万人を超える人が来場し、プロ・アマ、個人・法人を問わず、自己の制作した創作物(主に同人誌)を自由に売り買いできる即売会である。
コミケはあらゆる問題を抱えているが(どのような問題があるかはウィキペディア等を参照)、ここでは徹夜組の問題を取り上げたい。
「徹夜組」とは、文字通り、コミケの開催前夜から東京ビッグサイトの周辺で待機する人々のことである。
コミケ準備会は徹夜行為を禁止しており、原則として、電車の始発で開場で来ることを要請している。
徹夜行為の禁止の理由は様々考えられるが、主な理由は、深夜に大勢が集まることによる周辺地域の治安悪化や犯罪、生活環境の悪化、騒音を防止すること、また未成年者が深夜に出回ることで犯罪に巻き込まれることを防止すること等であるとされている。
なぜか。
始発で並んで入場しても既に目当ての商品が完売していることがあるという現状がある(筆者も何度も経験がある)。
これは、ルールを犯してでも、徹夜行為をせねば手に入らない商品が存在することを意味する。
事実として、在庫を僅少にしか用意しない人気サークルがあり、これが、徹夜組の創出の遠因となっていることは否定できない。
しかし、サークル参加者には販売数を自分で決める権利がある。また、人気サークルとはいえ個人であることがほとんどなので、たくさん在庫を用意することを強いて赤字の危険を一方的に負わせるのも酷である。
そこで、販売数に実績のある人気サークルや芸能人出展者、継続的にプロとして活動している出展者は、事前に販売予定数を準備会に申告するとともに、購入希望者は事前申込みをすることができるようにルール化すべきである。事前に申し込んだ者は、申込時点ですでに売買契約が締結されているので、キャンセルはできない。会場へは受け取りにいくだけであり、受け取らない人間に対しては送料・手数料受取人負担で送付する、ということである。
準備会は人気サークルを把握しているので(壁サークルの存在)、このシステムは実現可能であると思う。
これに関連して、後日通販を強制するという手段も唱えられることがある。しかし、販売数についてはサークル側が予測できない場合があり、十分な量を確保していたつもりでも予想外に早くすべて売れてしまうという場合があるから、後日再生産を義務付けるのは酷であること、また再生産には最小ロット数の制約があり再生産も簡単ではない場合があることから、問題がある。
さらに問題なのは、徹夜禁止のルールに違反に対するペナルティは存在しないことである。
履行強制がないルールには実効性がなく、参加者からみて「ルールを守る意味がない」のである。
たとえば、何者かが開場時間前に勝手に会場内に侵入した場合、国際展示場の管理権者および捜査機関は、建造物侵入罪(刑法130条)として現行犯逮捕(刑事訴訟法213条)することができる。
しかし、徹夜組のうろつく国際展示場周辺は公道であって、原則として何時でも誰でも出入りできる空間である。
東京都が条例によってこれを禁止することも考えられないではない。しかし現状生じている不都合といえば、始発で駆け付けたマジメで純朴なオタクが、お目当てのものを買えないくらいのもので、徹夜組が出ようと目立ったトラブルが生じていないから、立法事実(条例を作るべき十分な社会的背景)がないといわざるを得ない。
東京都が法的なペナルティを課さないのであれば、コミケ準備会こそ徹夜行為に対してペナルティを課すべきである。
そうであるのに、コミケ準備会は深夜も国際展示場周辺に待機し、徹夜組を誘導、整列させ、始発できた人間より先に入場させている。
準備会はいう、「徹夜組を容認しているわけではない。しかし深夜に国際展示場周辺にきた人は整理せねばならない」と。
準備会としても、東京都が条例を設けないのと同じ理由なのであろう。すなわち「大した問題ではないから今のままでいい」と考えているのだ。
繰り返すが、準備会は徹夜組に対して何らかのペナルティを課すべきである。
具体例としては、始発前に国際展示場周辺で待機していた者は、入場ができないようにすべきである。
これを徹底させる手段としては、準備会は深夜に列形成をしない。治安維持は本来その職務を担うべき警察に任せる。または、列形成してもその形成した列からは入場させないという手段が考えうる。
なお、参加者をあらかじめ管理し、次回以降の参加を禁止するなどといったペナルティも考えられるが、いかんせん徹夜をする人間が多すぎるので、人的・金銭的リソースが足りず、このアプローチは困難であろう。
コミケは一見、自由な表現ができる楽しい場、そして神聖な場のように見える。
まず、正直者が馬鹿を見る状況はなんとしても変えるべきである。
メディアで、いわゆる「始発ダッシュ」が取り上げられることがある。本当に哀れだな、と思う。だってルールを守って損をしている人々だから。
そして、欺瞞を容認するままであれば、コミケ自体の価値が下がる。とことん下がる。
コミケを知らない人間から、やはり低俗なイベントなんだね、と思われる。
コミケが「参加者はみな平等という崇高な理念を掲げる」なら、たとえ困難が付きまとおうとも崇高さを追及せねばならない。
今のままでいいなどという考え方はコミケを滅ぼすであろう。
それこそ即売会に拘って交流の機会を自制してるようにしか思えないんだよね。
それほどのマイナージャンルならオフ会とか開きゃいいじゃんって思う。
極論言うと数年くらい我慢したらいいじゃんと思うし…死にゃしない。
まず初めに言うが、私自身は過去にコミケにも、その他の同人誌即売会にも行ったことがある。
その上で、最近の会場問題や権利問題含めて思うことを書いていきたいと思う。
単に同人誌を不特定多数の人に見てもらいたいのであれば、ネットで無料公開するなり、電子版を委託すればいい話だ。
でも、そうでない何かを求めているから人は同人誌即売会に行く。
そうでない何かっていうのは何なんだろう。
コミケに行く人に、なぜコミケが好きなのかと聞くと、毎回のように決まった答えが返ってくる。
それはそうだろう。でも、それって、コミケでなくてはならないの?
例えば、コミケが晴海で開催されていた時期から参加しているような、古参の人ならば何らかの思い入れのある場として重要だろう。
でも、そうでない人にとっては?他の、地方で開催されているような同人誌即売会では充足感を得られない理由はなんだろう。
確かに、コミケは年に2回のお祭りであり、特別な非日常というブランドはある。
では、コミ1(一応書いておくが、コミ1の会場がビッグサイトなのは承知している。あくまでその他の例)やサンクリではいけないのだろうか?
私はそうは思わない。コミケの役割は、他でも十分に代替可能だと思ってる。
日本の知的財産権や著作権の基準を、国際的なものと照らし合わせたときに、仮にコミケが不適当なものだと判断されたとしても、私は仕方がないと思ってる。
とは言え、コミケ参加者のほとんどは赤字で回しているからこそのグレー。
しかし、コミケは近年目覚ましい変貌を遂げている。企業ブースが極端に注目されたり、芸能人が同人ブースを開いたりとだ。
単に、"ファン"アートの場として一括りにするのは難しいと思う。
中小零細の多い印刷業者、展示会として使う製造業者にとっては、会社自体の存続問題に関わることだ。
その点に関して言えば、ビッグサイトの利用について明確な答えを出すべきだと思う。
本当に分からない。
どうやら、修正を入れないと頒布できないというのに、自分でプリンターやら買って印刷する気配もない。
https://twitter.com/macaronicheese0/status/852924068898643968
けど、男性向けではコピー本は無料配布と思われるのか?よく分からんが、コピー本だとか自分で刷るとか色々あると思う。
本当にこの国は北朝鮮みたいだ
本題なんだけど、コミケは「コミケの存続ガー」ってやたら振りかざして法に対抗するつもりもないよな。
マハトマ・ガンジーですら抵抗権を行使して不服従を実践したのに、なぜお前らはやんねーの、って話。
それ、純粋に疑問に思うんだけど。
ネットショップでも出来るじゃん。海外サイトならそういうもので検閲受けないし、BOOTHなら見本誌チェックなどない。普通に売れるし。
抵抗権でもっと言えば、ヨハン・クライフの息子がジョルディって有名やん?
クライフに息子が生まれた時、当時フランコ将軍により『ジョルディ』とかカタルーニャ系の名前を禁じていたわけ。
それでも『ジョルディ』って名付けた訳だよ。「オランダの出生届のコピーだ」ってアリバイも作った。
まあこれは、その前日に5-0でバルサが買ったこともあるんだよな。
なんで俺がこうやって増田さんに愚痴ってるかと言うと、純粋に疑問に思うわけ。
なんでこんなろくでなし子裁判でも批判が吹き出てるのに、抵抗権を行使しないのか。
世間体ってのもあるんだろうけど、本当に自分のこと信じられるならそんなモン乗り越えられるだろ。
清岡純子が一昔前は普通にあったんだが今はタブー視されてるんだぜ?
そんな風に世の中は変わるんだよ。すぐに。
世相なんてこんなモンだろ。
頭のおかしい痛い一部のやつが世間という皮を被って糾弾するわけで、それはかつての部落解放同盟のつるし上げとかまなざし村と変わらん。
これは個人的な意見になる上、私は表現規制を推進している訳でも何でもないんだが、覚悟が無いなら同人活動やるな、同人活動に文句言うな。
あれだけ印刷所が「成年向同人誌は何時でも逮捕される可能性がある!」って煽ってんだよ?
そんな煽りを真に受けるなら「覚悟のないやつはしない」が正解じゃん。
何を言ってんの。
俺の思う同人活動が違うのか、抵抗権を行使して無修正で頒布するのはカウンターカルチャーの一つとして見るべきか。
1ヶ月が経とうとしているpixiv論文問題ですが、皆様もそろそろ忘れてきた頃合いでしょうか。
備忘録として、書きたい。
問題の経緯や、研究上の・法的な問題、および女性オタクの側の事情についてはだいたい下でまとまっている。
https://anond.hatelabo.jp/20170525145352
https://anond.hatelabo.jp/20170527202448
https://anond.hatelabo.jp/20170528113521
https://anond.hatelabo.jp/20170530031948
https://anond.hatelabo.jp/20170531012221
前提として書いておくと私はヘテロ男オタで、全年齢向けの二次創作と一次創作同人が好きな人間である。R-18にはあまり触れることはない。最近はめっきり海鮮になったがちょっと前に二次創作小説を書いたことがあり、即売会でも売ったことがある。ついでに言うと研究者の端くれでもある。そういう立ち位置。
なのでやっぱり、そういう立場としては、腐女子の側をどうこう言う前に男オタの側の過去を振り返ってみる必要があるだろうなと思う。キチガイじみた腐女子叩きに加担したことはさすがにないけど(ていうかそんな腐叩きが蔓延ってたことも、後になって知ったくらいだ。けどまあ、知らなかったことは言い訳にならんよな)、腐女子の文化に対する偏見・蔑視のようなものが自分の中にあったことは否定できない。それは女性差別と同性愛差別の複合だという主張ももっともで、実際の行為に加担したわけでなくとも黙認・許容することでそういう連中が跋扈する土壌を作ってきたことは、謝るほかない。
けれど、今回の件で、一部のオタク(これは男女を問わない。ヒステリックに論文側を叩いていた男オタ、一山いくらってレベルでいた)が、著作権法について何もわかっていなかったり、引用も表現の一部なんだという大原則を忘れて表現規制を主張したりするのは、本当に醜悪な光景だったと思っている。
そして学問の側からは、文化人類学だのといった喩えも飛び出す始末で、なんというか、オタクを尊重している風でいてオタクの尊厳を傷つけている人が多いなって思った。ていうか、オタクの側から、同人を商業と一緒にしないで! という主張が出てくるのが、ほんと残念だった。
私は、いくつものジャンルで、私を夢中にさせてくれる、そこいらの商業作品よりも全然おもしろい、二次創作同人小説を読んできて、そのたびに心が踊った。ワクワクしながらページを繰った。読み終えて長い余韻に浸った。そういった経験があるから、二次創作だろうが商業作品だろうが、良いものは良いし、アニメだって漫画だって、主流派カルチャーとなんら劣るところのない、遜色ない芸術表現だと信じている。
でも、世間一般では、それは単なるオタクの二次創作だ。マトモな文化人や識者は鼻にもかけない。最近だとライトノベルはだんだん市民権を得てきつつあるが、二次創作はそうじゃない。それにオタクの中にも、まあ、でも、所詮俺らのやってることは二次創作だしな、っていう意識は一定数ある。
そんななかで、そんななかでだよ?
いったん公表した著作物であれば、村上春樹だろうがピコ手のエロ同人だろうが、同じ枠組みで保護し、同じ枠組みで義務を与えてくれているのは、大げさに言えば著作権法だけだ。
著作権法は、村上春樹の小説を無断で全文アップロードすることが違法なのと同じ理由で零細同人作家の薄い本を無断でアップすることも違法なのだ、と言い切ってくれる。著作権法は、誰かが勝手に村上春樹の作品を自分が書いたと偽って発表してはいけないのと同様にBL二次創作の著者名義を勝手に騙ってはいけないのだ、と保証してくれている。そして、今回問題になったように、村上春樹の小説が好き勝手に引用されていても拒否できないのと同じ理由で、合同誌に書いたヘボ小説を引用されあれこれ分析されても諦めなさい、と告げてくれる。
これは、考えようによっては、すごく誇らしいことなんじゃないか?
法律に守られた著作者である、というその一点で、私たちは村上春樹と対等なのだ。同じ地平に立っている。少なくとも、著作権法という枠組みの中では。
私はオタク文化は主流文化と対等だしそうであるべきだと強く信じている。けれど、著作権のフェアユース規定がなかったり、オタク蔑視が残っていたり、オタク側の自虐や自己防衛もあったりして、なかなか対等だということになっていないのも受け入れている。それはもう、仕方のないことだと思う。
でも、だからって、既に得ている法的な対等の地位を捨て去ろうなんて主張に、頷けるわけがない。同人を商業と同列に考えるな、って主張は、一見もっともらしいけど、でも、「立場の弱い作品」として保護しようとか保護してもらおうっていうのは、対等じゃなくなるってことだ。かつて私の胸を揺さぶったあの感動が、商業作品よりも面白いと思えたあの作品が、「しょせん同人」になるってことだ。
創作の楽しさと苦しさを知る者として、それは、やっぱり嫌だ。創作は胸を誇れる素晴らしい趣味で、あらゆる作品は同じ地平に立っているんだと私は信じたい。私の書いたヘボ小説や、私を作ってきた素晴らしい二次創作小説を、私は貶めたくない。下手くそだ、と言われるのは私がヘボ字書きってことなので甘受するけど(くやしい! 次はもっといいものを書いてやる!)、そもそも商業とはまるで別物のお遊びなんだよ、と言われることは悔しい。だってそこには、紛れもない、本当の感動があったんだから。
だから、私は、同人小説だろうが好き勝手に研究や報道で引用していいんだよ、と強く言いたい。これ引用していいの……? とためらっている研究者がいたら、いいんだよ、と背中を押してあげたい(もちろん、不安なら許可取れば? とアドバイスはするだろうが)。だって、村上春樹の小説は、好きに引用していいんだから。私たちの文化が主流文化と対等であろうとするならば、そうされることを受け入れるべきなんだ。
私たちの文化は、「保護」を与えてもらわないといけないほど、か弱く、脆弱で、稚拙なものではない。私たちの文化は、そんなに惨めなものではない。
同人作品には商業作品と違った研究倫理や著作権に関する考え方を適用すべきだ、という主張は、オタクの権利向上に反する。だから私は、オタクとして、その主張を否定する。
daisya 余計なお世話。遊びでやってるだけだよ。
そういう遊びの領域はあっていいと思うのですが、遊びだというなら、真剣に創作に取り組んで作品を公表しているひとたちを、「勝手に引用するな!」だのとわめいて邪魔するのはやめてください。迷惑です。公表せず存分に遊べばいいじゃない。
ガールズアンドパンツァーが公式に非正規グッズの販売、頒布を認めない旨を発表した。
わざわざ同人即売会で使われる「頒布」という言葉を使うところを見ると、同人グッズも対象となっていると見える。
近年、こうした二次創作同人グッズを認めないというガイドラインを発表するコンテンツが増えている。
なぜなら、版権元の商売と競合するとはいえない同人誌と比較して、グッズは公式の商品展開を潰しかねないからだ
茨城の事件で逮捕されたのは中国人だったが、二次創作同人グッズの販売というのはまさに中国などで行われる海賊版の生産、販売と何ら違いはない。
例えば件のガルパンでは、劇中に出てくる校章そのままのバッヂやワッペンを販売しているサークルがあり、問題となっていた。
ここで気になるのは、次のコミックマーケットでの同人グッズへの対応である。
同じ問題が生じるガレージキットの即売会では当日版権などと言った制度があるが、同人グッズではこういった対応は聞いたことが無い。
同人誌においては成人向け同人誌における修正の確認などのため見本誌を提出するが、同人グッズのチェックは行われていない。
しかし、公式にグッズの販売を禁止する発表をしているコンテンツのリストを作り、それと照らし合わせるくらいの事は可能なはずだ。
繰り返すが、禁じられた同人グッズの販売、頒布は海賊版を作る中国人と変わらない行為だ。
これを見逃すならば、コミックマーケットはオタク文化の祭典を謳いながら、作品への敬意を持たない不届き者の集会ということになってしまう。
反応してくれてありがたいし、(もう一人のよくわからない人よりは)賛成できる意見だけど、そのときどきで一番調査してるの印刷所と即売会なんで、本をつくるたびにいちいち読むし、あなたたちもそうしたほうがいいよ。
前半はおっしゃるとおりで、だからこそ自分は文章を書くだけだから全部大丈夫というわけにはいかないんだ。
1人でラノベよりかっこいい本つくりたい編集者も兼ねるんだから、挿絵もお願いすることはある。
「エロい」というか恋愛のシーンに筆を費やして盛り上げてたらそこを選んで挿絵をつけてくれたっていう場合、本当めちゃめちゃうれしいよ。自分で載せない判断なんかできそうにないくらいだ。
逆にいえば実際のところ、小説でもR-18マークを自主的につけてゾーニングしてれば子供の心を傷つけることがないという意味で安全側だから二次小説書きでもわりとみんなつけてる(そのことを上に貼ったリンクにも書いてある)。
「地雷の多いモンスター読者」避けのお守りの意味あいも強いし、完全に18歳以上の人でも「これはR-18がついてませんが、大丈夫ですか? 私は生々しいシーンが苦手です」といって確認しながら買いに来てくれる人もいる(ちゃんと生々しくないやつ進めて買ってもらって嬉しかった)。個人的な意見としては今時は細かくタグをつけるにこしたことはない。食品アレルギーみたいなもん。
逆に、おっしゃるとおり18禁小説などないという立場で何もつけずに押し通している人もいるし。それもその人に似合ってるなと思う。(結構、しっとりねらいの難解めな文体で、大人な鑑賞力のある人でないと萌え萌えになれない感じで、装丁もキレイ目で一貫している。固定読者多い。うちみたいにとっちらかった芸風の一部としていけないものがうっかり読ませてはいけない人の手に渡る・・ってことはないだろう)
以下は論旨全体への反論というよりは事実誤認の摘示(むしろ論旨全体には賛成の立場)
・著者への尊重はない(そもそも目的外使用の許可も取ったことはない)
→→・著作権32条の条文そのものより判例法のほうが現在の主流。文化庁HPで「地の文の目的を補強する目的でやむを得ず(だらだら長く引用しない)」「原典しっかりかく」など3項目あげられているので読んで。
・AIに判定させるデータに使うのはそれは鑑賞なり解釈しようとした上の「引用」どころか加工、「改変」なのでは。
→この場合は同一性保持権を定めた著作権法20条2項3号(電子計算機での利用)または同3号(利用の目的または態様に照らしやむを得ない改変)が適用される余地がある。
→→引用32条とは別個の条文であり合法か否かの基準がそれぞれ異なっています、条文解説よく読んで。元増田は32条にこだわっているので書きました(32条条文だけみて「はいはいあてはまる」としてしまってはおい、プライバシー権は?っていうところに話がおよばないためにこの長文を書いています)。ていうか著作権法自体が、2条1号よめばデータベースが著作物に入るわけないのに十の三でやっぱり入るワとしているなど、矛盾の多い条文。つぎはぎパッチだらけ。立法趣旨をよむと20条などはグーグルなど検索サイトのキャッシュやサムネイルやスニペット(短文引用)などのことである。ネットからみると全部バラッバラにちらばっていて背骨がないのが著作権法。判例法で通常と異なる言葉の意味から(レコードにはCDやmp3を含むんだなとか)いちいち解釈し判断していかないといけない。
・「幼稚園児の書いた母の日の絵を、(勝手に持ってきて)保護者の肥満認定に使う」
→このたとえ自体は適切だし、このケースは確実にプライバシー権が上回る。
ただ、今回の論文のケースでは、少なくとも当該論文だけでは著者のプライバシーは一切明らかにならない点にある。
だって、IDと文章だけでは、その人の氏名も住所も容貌も、その人を特定する情報は何一つ明らかにならないのだから。
たとえ幼児のものであっても似顔絵として身体的特徴を描いた絵画とは根本的に異なる。
逆に言うと、あの論文に書かれており、URLをたどったpixivだけの情報で、それらがわかるというなら、どうしてわかるのか教えて欲しい。
なお、作者自身がプロフィール欄やその他のSNSで自分の個人情報をダダ漏れにしている場合はその限りでないし、そんなプライバシー情報に対する侵害のハードルは高くなるのは当然。
→→文体と「マストドンあたりがあやしい」とのわずかな情報で必死で御隠れになった神をおいかけなければならない信者の立場になってください、というわけで即売会に出ている人なら一発(ピクシブに即売会でうちのブースに来てくれという広告的な情報を載せる人が多い。当然、ペンネームをある程度の期間に一貫させておくことが創作活動や創作スタンス表明の基本になる)。ペンネームだとかピクシブ限定というところにこだわっているが(ふつう会員同士でなければ見れない情報とかはいざさらしにあった幼稚園の母親にだって意味がないなぐさめ。興味本位でたどり着かれる可能性があるというだけで恐怖です)、ネットにはもっとひどいことに特定班というのがいるわけです。http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%89%B9%E5%AE%9A%E5%8E%A8 コミュニケーションってのはすべてが善意前提で成り立ってる世界です。あの人に伝えたい、なんならもっと多数の人にもみてもらってよい、という意志から、隠れたいという意志に代わるきっかけをもたらした罪は大きい。法的にも問題ないしここならさらに問題ないだろう、とおもって「都条例ではわいせつでない」ものを公表しておいてこのありさまですから、油断していたとの反動でとにかく消しまくっているかもしれません。マイピク限定にしていたってツイッターに鍵をかけていたって、結局は無駄だった、というのは唐澤弁護士だって引っかかった罠だと思います。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%94%90%E6%BE%A4%E8%B2%B4%E6%B4%8B
あとプライバシー権でいう個人情報は個人情報保護法の個人情報とも、また、著作権でいうペンネームhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E5%90%8D%E3%81%AE%E7%99%BB%E9%8C%B2 とも当然異なる可能性がある。なんたって、プライバシー権こそ判例法しかないんだから。ブブカ事件とかピンクレディー事件では芸名でちゃんと議論されてたと思うよ。
引用についてなんだけど調べるとこんな判例があるんでそもそも「引用」に当たるのか疑問…(実際に裁判になると変な転がりかたしそう…
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/755/080755_hanrei.pdf
「他人の著作物を引用して利用することが許されるためには,引用して利用する方法や態様が公正な慣行に合致したものであり,かつ,引用の目的との関係で正当な範囲内,すなわち,社会通念に照らして合理的な範囲内のものであることが必要であり,著作権法の上記目的をも念頭に置くと,引用としての利用に当たるか否かの判断においては,他人の著作物を利用する側の利用の目的のほか,その方法や態様,利用される著作物の種類や性質,当該著作物の著作権者に及ぼす影響の有無・程度などが総合考慮されなければならない。」(13頁)
「当該著作物の著作権者に及ぼす影響の有無・程度などが総合考慮されなければならない。」ってのがどこまでかがけっこうやばげに見えるんだよな。特にペンネームが匿名ではなく別名(即売会等直接会うこともできる)である状況だったりすると
ちなみにここをみました
トラバのアドバイスに従って1項目追記しました。ありがとうございます。
トラバの指摘に従って1項目追記しました。また、ブコメの疑問に応えて1項目追記しました。
ごめんなさい、その文はTakamoriTarouさんの指摘(「追記」で書いてある「ブコメの疑問」)を受けて書き加えたものです。きちんとどこを追記したか書いていなかった私の落ち度です、すみません。
ブコメで指摘された1点(作家のHNを出す必要性)につき追記し、それに伴って本文を並べ替えました。また、「卒論を堂々とウェブに晒せる者だけが石を投げなさい」という文章は「ご自分の卒論を思い返して胸に手を当ててみましょう」と訂正しました。当たり前のことですが、たとえ卒論を書いたことがなくとも、もしくはレベルの低い卒論しか書いていない人であっても、本件論文については存分に批判その他をすることが言論の自由として保障されています。また、「好きな作家さんの作品が読めなくなった」「違法か合法かなんて最初から論点じゃない」「分析だから引用じゃない!」という3項目を追記しました。
「全文を機械分析するなんて引用の範囲を超えている!」「会員制なのに公表してるってみなされるのおかしくない?」「社会調査で研究対象のコミュニティを破壊するのはどうなの?」「「有害」と「猥褻」は違うの?」「じゃあ確実に名誉毀損では?」「あの論文に影響力ってあるの?」「他人の作品が消えてるのに責任とらなくていいの?」「著作権法って個人でやってる創作に過酷すぎない?」「素人が法律に詳しくないのは仕方ないでしょ!」「それで食べてるプロの作家と素人を一緒にしないで!」「こんな強弁をするようでは研究者を信頼できない」「自分の方が法的には強いと相手に言う時点で恫喝じゃね?」「自分はちゃんと理解してる。理解してないオタクの責任なんて取れない」「研究者はオタクの心がわからないのか?」「ファッション乙」の15項目を追記しました。また、「無断で引用していいの?」「pixivは会員しか見れないけど?」の項目の回答の文言を変更しました。
トラバのご指摘を受けて、「不特定多数」を「不特定の誰か1人以上」に変更しました。ご指摘ありがとうございます。また「なんでも引用していいって研究者の傲慢じゃない?」「黒歴史ノートも引用されちゃうの?」を追加し、「研究者が研究のガイドラインをきちっと作成するよう粘り強く要求を続けます!」の回答の文言を変更しました。「猥褻」について、まあ私も名誉毀損にあたらないとは思うのですが、あたらないと自信を持って言い切ることができないので、この文面にしました。判例などがあればご教示いただけると幸いです。
トラバのご指摘を受けて、「判例はあるの?」という項を追加しました。ご指摘くださりありがとうございます。この事件は知らなかったので勉強になりました。
「引用が自由なら消すのも自由でしょ?」「論文の形にすれば何でも許されるの?」「引用して批判するってひどくない?」の3項目を追記し、「素人が法律に詳しくないのは仕方ないでしょ!」「ひょっとして黒歴史ノートも引用されちゃうの?」「身の危険を感じる!」「こんな強弁をするようでは研究者を信頼できない」の項目の文言を変更し、著作権に関連する項目の位置を変更、並べ替えを行いました。また、ひとつ上の追記を削除しました。
遅まきながら。私は理性的に「まあ法的には問題ないよね」という話をしていた女性オタクがたくさんいたことを見てきていますし、感情的に「違法だ! 無断引用だ!」とわめいていた男性オタクが大勢いたことも知っています。もちろん、感情的な女性、理性的な男性もいっぱいいました。なので「女叩き」のような意図は(私の主観では)持っていません。ただ、それはそれとして私の筆致が「冷静な俺様が感情的な女を諭してやる」という文脈に回収されかねない、とか、そのように読める、という指摘は、受け止めたいと思います。
例えば音楽なら「もうレコード会社に任せておけん!自分で稼ぐ!YouTubeにタダで聞ける新曲アップしてライブで稼ぐ!」ってやってるじゃん
映画の場合はSNSで口コミを盛り上げて「この映画すごすぎ!大勢で見るの楽しい!ライブで映画館で見ないと損!発声上映何度も行きたい!」ってなって『君の名は』なんて海賊版が出ていても若い子たちは映画館にお金落としたじゃん
漫画の場合は個人で新作をネットで売れるシステムがアマゾンとかニコニコとかに備わっているにも関わらず「新刊出たから買ってくれ~売れないと続巻出せないよ~」って弱音ばかり。そのくせに「出版社はクズ。編集者は酷い」という声もでかい。
今クリエイターが稼ぐには客にその場でしか味わえないライブ感を提供することが求められている。漫画の場合これが遅れている。
漫画で音楽や映画のような「ライブ」を提供することができるのだろうか。
できる。
一つに即売会だ。長年コミケで何十万人も人を集めて成功している。作品の魅力だけでなく「イベントに参加したい」という欲求があるから同人誌を購入しているのだ。その場でしか買えないという作品を即売会で売って稼ぐ。
もう一つに展示会という手もある。例えば井上雄彦が廃校となった学校の黒板を使ってスラムダンクのその後の話を描いて公開展示した。この時、全国各地から大勢の漫画ファンが集まった。このように漫画の展示会をすればいいのだ。よくある「大御所作家の生原稿の展示」というものではなく「新作漫画の展示」。期間限定でその場に行かないと読めない。映画と同じ。入場料で稼ぐ。生原稿展示というわけじゃないから全国各地で同時開催なんてこともできるぞ。