はてなキーワード: 占領とは
え
全然湧くでしょ…
フィリピン人と結婚した、タイ人と結婚した、みたいな誹謗中傷めっちゃ見て来たけど
お前の視界どうなってんだよ
普通にしてりゃあ遭遇するのは日本男と外国女カップルの方が多いから誹謗中傷だってそうなる
お前の視界がそもそも日本女と外国人男性の結婚しかとらえてない可能性が高い
というより日本男の知り合いが極度に少ないんじゃね?
お前みたいな視界の歪んだ人間が社会を論じても全く説得力も意味もないんだよ
あとお前みたいな論法なら「男は女を守れ」みたいな価値観も厳しく非難してくれ
俺は元からそういう価値観ないけどそういう価値観で男を非難してくるアホが女にもめっちゃおるやん
結婚は好きにすりゃいいし、日本の女がレイプされてても日本の男の問題ではない
裕福で社会階層の高い外国人男性と結婚した女は勝ち組扱いじゃん
女もそういう女のことをは露骨に羨望してね?
ほんと気持ち悪いなーって思うよ
お前も俺も
ただ自分は気持ち悪い存在じゃないと勘違いしてるだけお前のキモ度の方が上だな
そんくらいだよ
外国人との恋愛や結婚をした人に対する、「同じ人種の異性に相手にされない負け組だからだ」
別に恋愛や結婚をするのに同じ人種を第一の候補にする必要なくない?言葉の問題はあるにせよ、それって人種は関係ないよね?
しかもこれってほぼ、日本人女性と外国人男性の組み合わせの時にしか湧かないんだよね
日本人男性と外国人女性の結婚に際して、「同じ人種の異性に相手にされない負け組だからだ」なんて誹謗中傷はまず湧かない
結局、自国の女性を勝手に自分達の自分達の所有物であるかように思い込んで、外国の男に取られたのが面白くないんでしょ
こういう男どもが占領下のアメリカ軍による日本人女性に対するレイプを話題にしたところで全く説得力がない
それって別に女性の人権や自己決定権を重んじている訳でも何でもないから
そいつらが当時生きていたらアメリカ軍人と合意で恋愛や結婚をした女性達の事も同じように叩いていただろう事が目に見えている
ほんと気持ち悪いなーって思うよ
1946年とか1953年の話題で「命が危険に晒された」とか言われましても。
これはむしろ祖国を守るための命懸けの戦いの必要がなくなって、愛する家族のために戦った兵士たちが帰国して穏やかな日常に戻る中で、敢えて占領地勤務を選ぶ輩の話よ。
https://altairposeidon.hatenablog.com/entry/2007/06/01/221511
https://altairposeidon.hatenablog.com/entry/2007/06/01/223323
これによるとソースは
”SAPIO,4/11号の「封印されていた占領下の米兵『日本人婦女子陵辱事件』ファイル」で、ジャーナリストの水間政憲氏の記事である。”
http://blog.livedoor.jp/nanka_youkai/archives/6835240.html
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J6LL0I
そしてこれによると
”「続 日本の貞操」蒼樹社 1953年(昭28) の復刻版です。”
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000903727-00
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000903727-00
占領米軍の性暴力に触れた増田に影響されて「帝国日本の戦時性暴力(京都大学,2013)」という論文を斜め読みし始めたんだけど、第1章のテーマが、いわゆる「銃後の妻」の浮気についての話でそっちが面白くなってしまった。そもそも、出征した兵士も自分の奥さんが浮気してんじゃねーかと気になって仕方なかったみたいで、前線から実家近辺の警察とかに問い合わせる奴が相次いだらしくてまあ悲喜劇なんだけど、「このままじゃ兵士の士気がヤバい!」てことで、全国で警察が極秘に、予防のための講習会を開いて妻らを組織化したり、名簿作って「浮気してないか」監視をしたり周辺に聞き込みしたり、妊娠したら本当に旦那の子か調査したり……と、隣近所、地元、妻同士、警察と何重にも監視の目を行き届かせたらしい。その上、いざ実際に浮気が起きたら兵士本人には知らせず、かといって姦通罪は親告罪であるため、間男を「住居不法侵入」という名目で処罰していた(たとえ妻が了承しても「戸長」たる夫の許可がない住居の立ち入りは不法侵入にあたるという理屈らしい)とか、いろいろ苦労して浮気を防ごうとしたらしい。ああ、「銃後の妻の貞操」つーのは、こうやって国家が必死こいて作り出した神話だったのかー……という奇妙な納得と言うか感心というかが得られて、なかなか有益だった。
いや、なんか当時を扱った小説とかでも、戦時中の出征兵士の奥さんてなんか妙に貞淑に描かれてるイメージがあるじゃん? で、それが「戦前の道徳教育」のおかげ(逆に言えば”戦後風俗の乱れ”)みたいなこっちの勝手な思い込みがあったんだけど、そんなの思いこみだよ、と頭を小突かれた気分で、やっぱそういう”美しい”話というのは大体神話に過ぎないということを再確認させられたのだった。
なお、実際のところは、そうやって警察が取締りしてさえも、結構な数のかーちゃんが浮気したらしい。まあ、生命の危険のある状況に若い男女がおかれたらそらそうなるやろ、って感じで浮世の道理である。下は内務省資料、引用は上記論文から。
出征兵士の奥さんで浮気する奴がいていろいろヤバいので、こっそり呼び出して注意したり間男を転勤させたりとかヤバい処置したけど、その件数が全国でもうヤバい。
(原文)
不義の悪評ある留守宅に対する措置
応召者妻にして留守中素行不良にして風評に上る者ありて一般遺家族への影響及出征者の士気等も顧慮し適切なる方策を講ずる要あるもの時に発生する状況にあり、因つて之に対し隠密の間に説諭を加へ、或は姦夫の雇傭主と懇談を為し之を他に転ぜしむる等の方法を講じて遺家族及び出征者の名誉保持に善処したる事例は瀧川警察署管下其の他に於て相当数に上り居れり。(内務省警保局,1939)
まあ、実にグロテスクな話である。とーちゃんを兵士に送り出して浮気するかーちゃんがグロテスクなんではない。間男でも、それを取り締まる警察でもない。ただ、それらを含んだ戦時の風景が全体としてグロテスクとしか言いようがないんである。戦争を美しいというのは、よほど頭のネジがぶっ飛んでいるか、それともメディアに手もなく踊らされている奴だけだ。
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか』を読んだ。ナチスの行った行為についての<事実>や<解釈>については自分が誤解していたこともいくつかあり、とても面白く読めた。一方で、著者らの<意見>は、タイトルの問いに対する十分な回答ではないというのが正直な感想である。
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか』というタイトルを読んで私がまず考えたことは、著者らは「良いこと」をどう定義しているのだろうかということである。
②Xは善い(価値判断)
①については著者らの言う通りナチスが実施した行為について歴史学の方法で事実とその解釈を検討することは重要であろうし、素人の考えが誤っていることは多々あるだろうこともよく理解できる。素人の私が専門家の整理に対してとやかく言うつもりは(あんまり)ない。
一方で、②については、"「~である」から「~べき」は導かれない"というヒュームの法則が端的に表すように、事実・解釈とは独立した善悪についての価値判断である。①についてお互い同意していたとしても、②が異なれば善悪の意見が真逆になることは十分あり得る。
もちろん、何を善いとするかは自由に決められるわけではない。「ナチスは良いこともした。なぜなら ②ナチスのしたことは善い からである。」という主張は(そう言うのは自由だが)多くの人を説得できないだろう。
そこで普遍化可能性という基準が出てくる。普遍とは簡単に言えば、固有名詞を含まない、という意味合いである。例えば、「金を返さないのは悪いことだ」という価値判断を採用するのであれば、誰であろうと金を返さない人は悪人であると判断しなければならない。
「あなたが私に金を返さないことは悪いことだ」とするならば、「私があなたに金を返さないこともまた悪いことである」としなければならない。ナチスの行為を何らかの理由で善い/悪いこととするならば、他の〇〇国がした同じようなことについても、別扱いをする普遍的な理由を挙げなければ、同様に善い/悪いこととしなければならない。
ナチスの政策Aが良くないことならば、同様(に見える)〇〇国の政策Bも良くないことですよね?という問いはWhataboutism論法ではなく、価値判断の普遍化可能性についての確認である。同様に良くないことだと言うならそれでいいし、違うならその理由を説明すればいい。
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか』は歴史学の本であり倫理学の本ではないから、ナチスの政策についての事実・解釈の説明がメインなのは当然である。しかしながら、「良いこと」もしたのかというタイトルにするならば、著者らの価値判断が普遍化可能であるのかについてもある程度の紙幅を割くべきだったろう。
さて、本では素人が考えがちなXとして、A:オリジナルな政策、B:目的が善い政策、C:結果が良い政策 の3つを挙げ、「素人考えでは政策AはXに見えるが歴史学の手法で解釈するとAはXではない。よってナチスは良いことをしていない。」とする方式で説明が進む。
まず、著者らがオリジナルの定義をかなり狭いものとしているのが気になる。まったくのゼロから何かを考え出すこと以外にもオリジナルさを見出すことは特段おかしな考えではないはずだ。
私はメーカー勤務の研究者である。ニーズ先行の商品開発は、(i)市場調査部が計画を立て、(ii)R&Dがラボ試験をして、(iii)工場が大量生産化するという流れで進む。ここで、市場調査が計画をしたことをただ実験して、ただ大量生産しただけなので、研究者も工場技術者もオリジナルなことはしていないと言われたら、ちょっと待てよとなる。
また、実はコピー製品も安定的に製造するのはかなり難しい。同じ会社の別工場で品質がぜんぜん違うことは珍しくないし、他社製品をコピーするのに数年以上かかることも珍しくない。
私は政策を計画・実行したことはないが、計画を実際の法案として成立させることや他国の制度を法律も文化も経済も違う自国で同じように実施することには何らかのオリジナリティが必要であろうことは想像できる。
これについては、著者らも書いている通り、オリジナルであることと良いことは何も関係がない(もちろん、オリジナルでないからといって良くないとも言えない)ことを説明するのが適切だったのではないか。
「確かに狭い意味ではオリジナルでないことは同意する。しかし広い意味ではオリジナルであったし、A:オリジナルは善い という価値判断の元、ナチスは良いこともしたという意見は変わらない」と言われるだけのように思う。
著者らはナチスの政策の真の目的は戦争のための「民族共同体」の構築であるとして、それは良くない目的であると価値判断をする。これは(i)戦争のためという目的は良くない、(ii)「民族共同体の構築」という目的は良くない という2つに分解できる。
(i)戦争のためという目的が良くないとすると、例えば福祉政策が戦争のために発達したことは多くの指摘があるが、福祉政策は良くないことと言えるのかという疑問がでてくる。またインターネットやロケットなど戦争のために生まれ発展した技術は良くないことと言えるのかという疑問もでてくる。
先に書いた通り、これらを良くないとするなら(同意を得られるかは別として)普遍化可能性についてはクリアしている。しかし、これらを良いとするならば説明が必要だろう。
また(ii)「民族共同体」の構築が良くないとすると、例えば「国家共同体」の構築のために移民(特に既存の国民にとって良くない影響を及ぼす可能性が高い移民)を排除することは良くないことなのかという疑問がでてくる。
私はリバタリアンとして個人の自由を尊重する立場から国家が移民を制限することは良くないことだと考えるが、日本はもちろんヨーロッパやアメリカの現状を見るに、世界全体で受け入れる人は少ないと思われる。
「民族共同体」の構築という目的は問題ないが、その方法としての搾取・断種・敵対者の排除が問題であるという主張も考えられる。私もそれらの方法について全く支持しない。
しかし、目的は問題ないとするならば、②目的が善い政策は善い の反論としては不適である。
また、占領地・植民地からの搾取や障害者の断種、反政府思想の弾圧などは同時期の他の国でもあったことであり、それらと比べてナチスの政策はと同程度に悪いのか、それともより悪いと言えるのかという疑問もでてくる。
先に書いた通り、①事実・解釈について素人の私が専門家の整理に対してとやかく言うつもりは(あんまり)ないが、気になる点をいくつか挙げる。
(i)失業者600万人に対して雇用創出政策では50万人程度であるから効果は限定的というのは乗数効果を全く考慮にしていない。私個人としては政府の雇用創出政策の効果に懐疑的ではあるが、ケインジアンはこの<解釈>に文句があるだろう。
(ii)「膨張する国家支出と巨額の負債は国家財政を圧迫し、やがて財政破綻の危機とインフレ圧力に直面することになった」について、例えば日本の社会保障政策も同様という論者は多いが、良くない政策だと言えるか?(なお、私は良くない政策だと考える)
(iii)「「軍備の奇跡」なるものも結局のところ戦争の集結を引き延ばし、多数の人命を犠牲にするだけに終わった」は枢軸国側が負けることを知っている前提の意見ではないか。(現在はともかく)露宇戦争開始当初はウクライナが人命の犠牲を避けて早く降伏すべきという意見はそれなりの数あり、またそれに対する批判も多くあった。
(iv)例えば医療分野の発展はその大部分を動物の搾取を前提としているが、動物愛護思想の人が「医療は"何も"良いことをしていない」と主張することを認めるか?もし動物愛護思想を認めた上で医療分野は「良いこと」もしたと言うならその理由はなにか。
(v)タバコについて、一方では「最終的には自己責任であった」と強制がなかったことを問題としているが、もう一方では特に女性について「家父長的干渉主義」という強制があったことを問題としている。これはダブルスタンダードではないか。
ナチスの政策・行為の"総和"として大きくマイナスであることは多くの人が認めるだろう。
しかし、"個々が全て"マイナスであったというのはかなり強い主張になる。
「ナチスは「私たちはこうあってはならない」という「絶対悪」であり、そのことを相互に確認し合うことが社会の「歯止め」として機能している」ことが正しいとしても、それは"総和"で達成できるのではないだろうか。
うちの夫は、夕食後、スマホでゲームしながらダラダラ晩酌して午前1時過ぎにダイニングのソファで寝落ちする生活をほぼ毎日している。
酒の飲み過ぎだと思うが、毎朝1時間はトイレに篭っている。私や子供はトイレを占領され非常に迷惑している。夫の肝臓は腐っていると思う。
夫は会社の福利厚生で毎年、人間ドックを受けており肝機能の項目で再検査の指摘を受けているにも関わらず、放置している。
普段ソファで寝ているせいか、頚椎を痛め、そのせいか片腕が常に痛いらしいが、面倒くさがって病院受診せず、市販の痛み止めで耐えている。ソファで寝るのをやめろと思う。
こんな感じなので夫は早死にするんだろうなーと思うけど、私の言うことは聞かないし、どうしようもない。
ヤバいと思うよ。
生活に必要なものの値段がどんどん上がっていて、たっぷり外貨を稼げる手段が自動車くらいしかないから一億総貧乏一直線。スマホ、ワクチンも海外の会社、東電のALPSも莫大なお金がフランスの会社に流れてる。それがスマホ代、税金、電気代の形で家計に降りかかってくる。羽振りが良いのは外資の手先になった人やら、外貨を稼げる業界とかその辺でしょう。経済的に占領された時代にありつつあるね。選択の自由がないわけだから。進駐軍界隈の商売って儲かるんだよな。ペド芸能事務所もそれで成り上がったし。恐ろしいわ。
それと、高齢化ってある年に突然高齢者が増えるわけじゃない。2010-2020年代で20-45歳の人口が激減している。ITなんて歳をとったら最前線では使えないわけで、現場の中年化とパイの減少による新卒の質の低下が同時に発生していて、今後益々加速する。
ここを眺め始めて3カ月、初めて投稿する。
題名だけ見ると気持ち悪いかもしれないが、複雑な感情をどこかに吐き出したくて書こうと思った。
時間があれば読んでほしい。
------------------
マッチングアプリで私みたいな理系陰キャに対して優しいと言って好いてくれた、文系陽キャパリピで同い年の元嫁。
お互いダメなところはあったし「理系院卒なのになんでそんなに年収低いの?」と聞いてきたときは凹んだけど、それでも一緒に居て楽しかった。
元嫁は田舎出身で、彼女の母の影響もあり都会や都会ので優雅な暮らしへの憧れがとても強かった。
結婚するまでにお互い違うかな、と思うことはありつつも何とか結婚までたどりつき、金はなかったけど元嫁に喜んで欲しくて港区で高級ウェディングも挙げた。
(親のおかげで何とか回避したが、結婚するためにローン審査だすとは思わなかった)
もっと喜んで欲しいと思い転職もした結果、年収1000万をゆうに超えるようになったが、生活も犠牲にしてしまった。
お金がある程度の事を解決してくれると思ったが、結婚するまで~仕事多忙期にできた溝はそう簡単に埋まらず、仕事で余裕がなくなった自分には元嫁を愛する気力も残っていなかった。
自分が都会に対する憧れがなく彼女の考えが理解ができなかったり、そもそも生活リズムだったり考え方に差が大きすぎたのもあった。
元嫁は元嫁で、私がいない時間や心の隙を埋めるために、社会人サークルで頻繁に活動するようになっていった。
それでもいつか元嫁を幸せにするためにと辛い仕事に耐えてきたが、そんなことしなくていいから別れたいといわれた。
区役所に離婚届けを出しに行って、二人で泣きながら歩いて帰ったのはずっと忘れないだろう。
離婚届を提出して思ったのは、自分の不甲斐なさはもちろんだが、それ以上に彼女の大事な時間を奪ってしまったことだ。
年齢も30を過ぎ、子供が欲しいと言っていた彼女の大事な時間を数年を私が占領してしまった。
そんなことを、私はずっと気にしていた。
別れ際も「もう決心はついたから、早く次のいい人を探してほしい」と本心から伝えてしまった。
昨日、久しぶりにFacebookを開いたら、元嫁が時間制限の投稿?をしているのがたまたま目に入ってしまった。
見なければいいものの、ある思いが過り開いてしまった、案の定だった。
顔は写っていなかったが、私とは違いパーマをかけたオシャレそうな雰囲気の男性と写っていた。
明るくて美人だったので大丈夫だろうとは思っていたものの35近くでバツ1、そんな女性が次の婚活市場にでるのは困難だろう。
でも、無事いい人を見つけてくれたみたいだ。
見た瞬間は食べていた唐揚げの味がなくなった、ちょっとしたら濃いめの味付けとほんのり効いた酢が鼻を抜けていた。
元嫁がいたおかげで、もさい理系男子を抜け出して女性と話すことへの抵抗がなくなり、男として魅力的で居ようという心構えを持つことができた。
そんな元嫁はアラサーの貴重な時間を私みたいなダメ男に捧げてくれたが、私は彼女に対して何かしてあげられただろうか。
こんな思考自体が自己満でしかないが、何にもしてやれなかったんじゃないかと今でも思う。
私は相変わらず仕事に追われていて、一時期より落ち着いたが、結婚に対して全然前向きにはなれない。
元嫁が前向きに自分の幸せを追いかけてくれている姿を見て、なんとも言えない複雑な感情だが、おめでとうと素直に思ったのと同時に、心にあった何かが落ちた気もした。
今日は日課の筋トレをサボって、パチ屋に寄って、家で珍しくビールを飲んでいる。
やっぱり一人で飲む酒はやっぱりそんなに美味しいとは思えない。
めちゃくちゃ喧嘩はしたけど、二人で探して二人で飲んだ安いワインの方がよっぽどおいしかったなぁと思う。
二人で住んでいた時より高い家賃の家に住んで、毎日外食、好きなもの買って何不自由ない生活をしているが、私は幸せにはなれないなと思った。
2023年8月12日ドル円、144.9円、ここで反転はありえない
ここ3週間のユロ/ドル高、ポン/ドル高が8月中続いたなら(あと2週)
ドル円高に転換開始
147-9円台からジリジリ下がり始める
日足200MAを割ったら120円台まで想定される、というか下げ割る
現時点でも米経済状況は利上げどころかむしろ利下げに回るべきでFRBはこの判断と動きは早い
次米CPIで堅調が示され、利下げが示唆され始めたら円買いが加速する
日経平均は上がり続けるので日本も政策金利の微上げ余地は生まれる、やるだろう、やらざるを得ない
120円台、あるいは110円台から円安反転したとしても日足200MAは跳ね返される
占領地域の期限内(5年から10年)国家独立を条件にロシアが委任統治、独立とは別に期限直前で住民投票によりどちらかの国に帰属するか決めるみたいなオプション特約つきで
Twitterを手に入れるのではなくてXを作り出したかったんだとすれば、イーロン・マスクの勝ちだな。
Twitterをぶっ壊して新しい何かをやりたかったんだとすれば、イーロン・マスクはそれほど間違ったことをしていない。
ちな追放されていたスティーブ・ジョブズがAppleに帰ってきたときも、それまでのAppleがやってたことほとんど全部ちゃぶ台返しして止めさせたからな。
だってさ日本企業のパイオニアとかが自分とこのブランドでMacとか作ってたんやで。
Mac互換機とかいってAppleがライセンスして独自のMacを作らせる商売をやってたんや。
それを、そんなもん全部やめや!!って無理くりに契約打ち切ってなかったコトにしてしまった。
その他にも進行中だった多数のプロジェクトは全部中止。
そんで何をやりよるんかな?って思ったらシンクディファレントとかいうポエムを詠み始めた。
そらーな、後世の立ち位置から過去を顧みたときには、それは偉大なる思想の現れだけれど、当時生きていた人間から言わせたらちょっとした悪夢やぞ。
それまでの積み重ねを、やめる、やめる、それもやめる、あれもやめる、全部やめる、って強引なことをして
じゃあ、なにやんの?
ってポエムかよ、ポエムかよ、ポエムかよ!?巨額の宣伝費をポエムに使うんかよ!???
ってなるよな。
本当に何の商品も宣伝せずにマンションポエムみたいなことが書いているだけの広告が世界中のMacの雑誌を占領したんだからな。
そりゃちょっと何考えてんの???と思うよ。いやいやいやいや、結果を知ってる後世マインドからしたら馬鹿なのは俺だけど、そんなん未来人の傲慢な嘲笑だよ。
同時代に生きながら同時代のことを正しく評価する、というのはなかなか難易度が高いんよ。
日本の教育は、戦争の目的は何だったか、戦争で何が変わったかという視点が欠けている
振り向けば第一次世界大戦では4大帝国が革命で新体制になり、植民地体制は縮小されていったわけだ
一方、仏蘭は植民地を返還しないので日本は主に仏蘭の植民地を狙った
第二次大戦後も仏は戦後ベトナム戦争の火種を抱えた(本来は戦勝国)
戦中から自主返還していたが、ガンジーは暗殺、香港返還は80年代、今もイギリス連邦王が君臨
革命にならなかったのは植民地利権と保険利権の勢力が強すぎたのと、思想統制や大本営発表の騙しや欲得もあった
だから英米原爆と占領と新体制が出来たというだけで良かったとは思えないな
憲法(天皇被告裁判官保護)、女性選挙権、生活保護制度、国民健康保険(医師保護)、銃所持禁止ぐらいではまだ不十分で、ほんと罷免国民選挙制度ぐらいあってもいいだろ
https://anond.hatelabo.jp/20230731103637
電鉄会社は始発駅にデパートを持っているが、この二社はちょっと特別で文化をブランド化している。
両社ともデパートの一部に美術館を持ち、古典よりも現代美術などを扱う傾向が強かった。
また西武はレコード店WAVEや巨大書店LIBROなども併設して文化/流行の発信者的立場であった。更にこれら文化/流行事業がブランドとなってルイヴィトンなどのハイブランドの出店の寄せ水ともなっていた。
現在ヨドバシ西武出店で豊島区がクレーム出しているのはこういう背景があるから。
2.本屋
巨大書店が何棟かあるが、神保町三省堂、池袋LIBRO、池袋ジュンク堂、六本木青山ブックセンター、新宿紀伊国屋などは毛色が違って、売れ線の本を並べるのではなくて「推し」を優先して陳列するという特徴があった。「話題の本」が話題になる前にそこにあるという感じだ。売っているのは本じゃなくて文化文脈という感じか。ヘイト本陳列などで紛糾しているのはこの辺の事を知っていないと理解が出来なかったかと思われる。池袋ジュンク堂以外は退潮傾向。
3.レコード屋
渋谷その他のタワーレコード、西武系列のWAVE各店、CISCO、新宿/下北沢のディスクユニオン、秋葉原の石丸CD館など特徴的なレコード店があり、これらでは売れ線のJPOPなどは余り売っていない。これも流行のアンテナショップ的な感じでマイナーシーンでこれから流行るもの、ここでしか買えないものを揃えていた。
CDの退潮によりこれらも退潮傾向(石丸は大火災)だが、CDにかわりビニール盤(レコード)が復活してきたのでタワレコなどは盛り返しつつある。
広尾、六本木の欧米系、新大久保の韓国人、西川口、池袋の中国人、など外国人が集中して居住する地域があり、彼ら向けの商店など外国の風が吹いてるかの如くの雰囲気がある。またその地域では国内で見かけない外国製品が売られているなどエキゾチック。文化的な対立などの問題も起きるが都会や資本主義というのは異物に包容力があるのでなんとかやっている。外国人との対立問題で刑事事件などが根拠にされる場合があるが根本原因ではない。文化間の接触域では「文化を浴びる」感が日常で起こり、それが浸食されるという不安を産んでいることを忘れている。
東京とその近郊は戦前は軍都でもありそれらが全部占領されたのでその基地や居住地付近は米軍の文化に染まった。
占領解除と基地返還でこれらは忘れられつつあるが、近郊には所沢、横須賀などアメリカテイストが残り、それを維持しようとする住民がおり、ニューイングランド様式の家+アメ車などの組み合わせを見る事がある。東京郊外だが埼玉の入間市には米軍住宅をそのまま残したジョンソンタウンという街がある。
6.裏原宿
原宿は西から原宿駅\竹下通り\明治通り-渋谷川暗渠地域/青山(線の傾きは高低差)となっているが、この渋谷川暗渠に沿って民家改造した古着屋、インポートショップが乱立した。両方とも若い経営者が米国や西欧に行って古着市場や日本に入っていない若手ブランド服を買い付けて一般民家を簡易な改造した店舗で売るというモデル。全国展開しているBEAMSなども裏原出身。今では地方都市やショッピングモール、観光地周辺でも見られる業態だが、わざと「簡易な内装」を作るのは裏原の文脈があるから。若者のスモールビジネスからセレクトショップやアンテナショップ業態に移行しつつある。なお、渋谷川暗渠に密集したのは、暗渠沿いには高いビルが建てられず地下が低かったから。
7.お祭り
地方より東京の方が中間共同体が残っている事が多く、お祭りが維持できているケースが多い。
道路上での演奏は禁止なのだが路上演奏者は多く居て、警察が来るとダッシュで逃げるというのを繰り返している。特に外国人が民族衣装を着て民族音楽を演奏するものなどは人気がある。
単にオタクが好きなアニメの服着てるだけに留まらないレベルの人が結構いる。そういう人は総じて相当な美人/美男であり服の装飾や裁縫レベルも高くて高級感もある。文化文脈の摂取に貪欲で外国に出かけて実際の文化を見て吸収しようとするし写真のレベルも高く、サブカルなのにハイカルチャーの趣きがある。SNSの過去ログを手繰ると、昔から美人だったのではなくて文化の吸収や意識の向上に従って外見が変化している。だとするとそれを生ぜしめたコスプレという行為も文化現象として上等と結論づけるしかない。
クラブ遊びもちゃんとやろうとすると音楽の知識、海外の文化現象の理解などが必要になる。カッコだけの真似だとダサイ、浅いという評価になる。
環状八号線の世田谷地区には外車ディーラーが並ぶ。外車は単に高級品というだけではなく、その国の文化というものを纏っているもので、特に米国、イタリア、フランスがその傾向が強い。故に環八の外車ディーラーが並ぶ風景は車好きには外国の風が吹いているように見えるものである。
「ビルの内装はがして壁も天井も配管も白いペンキ塗っただけ」みたいな小さいギャラリーが多くあり、マイナー作家やマニアックな展覧会が催されている。その辺の敷居の低い部分があるのを利用してお上りさんやオタクつかまえてサブカル絵やラッセンの絵を高額ローン組ませて売りつける商法をしていた連中は万死に値するな。
13.商店街
地方ではすっかり衰退してしまった商店街が東京では幾つか健在で、若者文化を取り込んで混在する下北沢とか吉祥寺とか買い物以外でも面白いところがある。増田のおススメは赤羽で、昭和のマーケット形式の商店、カゴに小銭入れてゴムで吊るしている八百屋とかも健在で、新しい飲食店も沢山あって混在している。更に飲食店にやたらとテラスがあるのが特徴で日本じゃないみたいな感じになっている。小奇麗なカフェから昭和の立ち飲み焼き鳥屋にはしごとか出来る。
14.モグリ
人気講師がいる大学には偽学生のモグリが発生する。在籍していないのに勝手に講義を聴きに来るやつだ。大学によってはそれを止めるつもりもない。更に学外者が立ち入るのが当然のように大学内で展覧会を開催したりする。
15.TV局
テレビ局は働く人が多いので企業城下町的なものを形成していたりする。いけ好かないギョーカイ風でもあるがTVの地位低下とオフィス街と一体になった再開発などによりオフィス街と混じる形になって衰退傾向(例:TBS@赤坂、TV朝日@谷町、六本木)
16.建築
近代建築も多く残り、有名建築家の作品も多い。中に入って素材の質感、施工の程度などを触って確認できる。隈研吾のなんか食傷気味でもういらねぇとか思ったりする。但しザハ・ハディッドのは無い…。
今までも歩行者天国は色々なサブカルチャーを生み出してきた。だが加熱しすぎて警察に禁止されたり通り魔が起きたりと都度潰されるという道を辿ってきた。今ではフェアなどで自治体が大道芸を支援するような動きがある。
18.大学
身も蓋も無いが地方の大学と東京の大学では学生生活の質が違うというのはある。東京で大事なのは同質性の低さで、地方から出てきた者、エスカレータ組、留学生、帰国子女が混在している。特に帰国子女は「似た外見を持った異人」であって同質的な学校空間で育った学生に異化作用を齎す。概ね彼らはその異文化経験によって判断基準を「みんながそう言うから」に置かず、成熟して大人びていている。帰国子女とも留学生とも邂逅しない大学というのは大学と呼べるのか。
ホームレスに日常的に遭遇し、自殺の現場に居合わせるなどの経験(鉄道など)により、落伍への強烈な強迫観念が刷り込まれる。当然これはいいことではない。だが影響を強く受ける文化現象として外せないと思われる。