はてなキーワード: ラッキーとは
それってあなたの感想ですよね?どっかで線はひかないといけないんだけど。なんだろうな、96パーセント対4パーセントで選挙しますか?
まあ、96パーセントの貧民の癖に自分は上級だと勘違いしている肉屋を支持する豚ばかりだからジャップは自民を支持した挙句衰退したって話なんだけど
年収一千万ですかー親ガチャ成功おめでとうございます。そのラックを社会に還元する意識はないんですねーなんなら排除されて構わないですよ君は
無視されるとかじゃ無くて積極的に社会を助けろよラッキーだったお前が。実力を運で勝ち取ったお前が。
底辺のアホが子供産まないと回らないんすわーこの貧国。アホにも金回るようにしないと人口増えないし個人消費も増えないんだけど?喜んで税金払えよラッキーマン
昔、一時期ネトウヨになりかけてたんだけど、自分が何もできない、何者でもなくてもとりあえず「日本はすごい」って思う(思い込む?信じる?)だけでなんか自分もすごい、とまではいかんけど、幸せというか日本に住めてるだけで自分はお得だしラッキーと思えた。
あとウヨってる状態のときは国(政府・自民党)が国民に対してひどいことするはずない!日本はすごいからいまちょっと理解ないやつから文句とか言われてるけどきっと数十年後に実は正しかった!と、評価されるはずなのだ!みたいに思えてたし、そういう感じの話する黒瀬深みたいなやつの言うことを信じてたし得意げに内面化してたわ。
なんていうか、言われたことそのまま信じて、何もしなくても良かったんだよね。
弱者(障害者、貧困家庭、その他諸々)とかも理解してやってる風にしてあとは当事者の努力不足みたいなことにしてれば良くて。
ほんと、楽だった。
楽だったからこういう不平等があるとかなんか面倒なこと言うやつらがいると楽にさせてくれないから邪魔で邪魔で今思うと明らかに無理筋な論理にも飛びついてたわ。
だから今、表現の自由戦士(笑)が明らかに無理筋な論理を高らかに話しておっぱい揺らしたがる感じなのとか、自己主張する女とか障害者とか叩いてるのとかも過去の自分を思い出してすごい恥ずかしくなる。
急いで取りに行かなきゃならない。
たまにキャンペーンみたいなのでやってる昭和の古い映画なんかVHSのテープだ。
5分もしないうちに見るのを止めて、違う映画をリクエストされると
一話、二話を何とか乗り切ってくれれば、あとはボックスを手元に置いて入れ替えるだけで
危ないのは、客がシリーズを全部見終わった頃。
いきなり少し前に見てやめた映画とか見直そうとしてくるし、
これをやられると正直凄く焦る。
わわわーってなりながら、こいつ前回どこまで見た?とかメモ見て早送りをしてかけ直す。
多少まちがえても、向こうも忘れてるらしく幸いクレームは無いのだけれど。
めんどくさいから、あなたへのオススメとか新作とかソフトが揃ってるものに誘導するんだけど
どうしてもソフトが見つからなかったり誰かとダブったりした時は
しばらくしてからもう一度お試しくださいって適当なメッセージを出して誤魔化すんだけど
そんなこんなで画面の向こう側は結構忙しく動いてるので
皆さんなるべく映画は長いやつで一回見始めたら最後まで見てくださいね。
Netflixオリジナルって書いてるやつは、探すのも簡単だし、
みんないっぱい見てね。
世の中ってドラマに溢れているじゃない、
そんなに人って物語を求めているの?って思うけど、
まあ私も未来話しとか好きだし
そういうビジュアルって到底今の世の中では観ることが出来ないから、
見ていて刺激的よね。
要は見て分かりやすいのを好んでみているって分けなのよ。
だから、
それこそ
カウンター寿司屋の大将とそこに着たお客さんの最初一発目に何を頼むか心理戦ドラマって言うのは
やっぱり見た目に派手なものを求める人が多いのは
そう言うことなのかしら?って思うわ。
やっぱり本を読まなくちゃ想像力を育てることが出来ないのもあるかも知れないわ。
本をたくさん読む人が結局凄いのよ。
でさ、
私もたくさん本を読みたい!って思って
あれもあれで困ったものよね、
まとまった時間に読む!って思っても
たぶん読書上手の人は
細かい時間に読み進めてその積み重ねで読みまくっているんだと思うし
今私もまた朝ドラの録画が
40話ぐらい溜まっているんだけど、
一気に観るもん!って言っても
やっぱりこの一気に!って言う時間を捻出できなくって、
コツコツと何かを成し遂げている人を尊敬するわ。
でさ、
コツコツ観ていても、
前回の内容どうだったっけ?って覚えられないから、
たぶんそれもコツコツ観たり読んだりすることで、
私が今思ったコツコツ論は何に関しても通用するメソッドなのかも知れないわ。
話し変わるんだけど、
蚊!
盛夏の時に蚊みた?刺された?
ここ何年かずっと夏暑いじゃない、
私がまた思うに、
この盛夏をすぎた10月11月頃が蚊の最盛期だと私は踏んでいるのよね。
そのついでに蚊を仕留めたみたいで、
この蚊も私が死角だから首の後ろを刺して血ーすったれ!って思って油断していたでしょうけど、
こんなはずじゃなかったからちょっと蚊には申し訳なく気の毒に思うけど、
これからさき私は口を酸っぱくして言いたいんだけど、
コロナ禍の中、
さらに液体蚊取りが爆売れするのに間違いないわ。
買おうと思って買えなかったらもう遅いんだかんね!
ショッピングにでかけるわよ。
出掛けたいのよ。
うふふ。
週末はもしかしたら美味しいものを食べるかどうだか私が決めることなので、
気まぐれなので予期せぬドラム缶の下にチキンターキーがあったラッキーターキーに備えておくわ。
最近さ、
ちゃんと真面目にカロリーのことを考えて食生活を送ったら9月に入って痩せたような気がするわ。
本当に野菜中心というか
豆の缶詰ばかり食べている日々よ。
朝晩に少し湯冷ましのホッツ白湯を少しずつ飲むとホッとします。
別にホッツとホッとを掛けているわけではないのよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
貧困だとか容姿が悪いだとか頭が悪いだとかマイノリティだとか親ガチャだとか、それぞれの人生があるのはわかる。
生きづらさを感じるのもわかる。
でもそんなのを主張してなんになるんだよ。
俺自身、街灯ひとつないクソ田舎の裕福ではない家庭の次男で、全部兄のお下がりだったし、母はヒステリックだったし、兄はグレて家で暴れるし、そのくせ家のお金をくだらないことに使うし、父は無関心だし、小学校の担任は問題起こしてクビになるような奴だったし、中高とも公立以外の選択肢なんて元よりないし、塾だって教育より株に熱心なおっさんが1人でやってるようなのが町に一つあるだけだし、数え上げたらキリがないくらいマイナス環境要素しかなかったよ。
それでもクソ田舎だし当時ネット情報もそこまでなかったから、まあみんなこんなもんなんだろうと思ってて、世を恨むことも上や下を見て羨んだり蔑んだりせずに中高まで生きてこれたことはラッキーだったと思う。
そんな自分がやっとこさ大学に行って、今までの全てがひっくり返ったよ。
何の努力もせずに親の金で同じ大学にいる奴や、当たり前のように中高で留学して英語ペラペラな奴や、何がどうなってかモデルとして雑誌に載ってる奴や、バイト代を全てパチンコに注ぎ込める奴や、理解できないようなおしゃれな服に何万もかけられる奴や、映画監督を目指してる奴や、一年から就活を意識してあれこれやってる奴や、おいおい俺の思ってた世の中と違うぞ、スタート地点のこの差はなんなんだって思うことが毎日あったよ。
うぶな自分にもよくわかった。
こいつらが当たり前に持ってる選択肢が、自分にはなかったんだ。
ないどころか、そんな選択肢があることさえ知らなかったんだ。
ショックだったし、傷ついたよ。
ダサくてカッコ悪くて気持ち悪い自分を不安に思う毎日だったよ。
チャラチャラしてたりキラキラしてる奴との埋められない差に絶望したよ。
奨学金で授業料を払い、生活費はバイトで稼ぐしかないなんて誰にも言えなかったよ。
割りのいいバイトばかり探してガラの悪い兄ちゃんにも絡まれ蹴られ、やっとの思いで貯めたお金で先輩から原付を3万で買うのにも勇気がいったよ。
ありすぎてきりがないからこの辺でやめとくが、まあそんなだったわ。
俺の言いたいことがわかるか?
お前の感じてる生きづらさだとかハズレ感覚だとか八方塞がり感だとかスタート出遅れ感だとか、全部普通のことなんだよ。
偉そうにすんじゃねえ。
まあ今は俺のその頃と違って、ばんばんキラキラチャラチャラした奴の情報が垂れ流されてくるから、格差を可視化され突きつけられてる感覚はあるんだろうよ。
だからって偉そうにすんじゃねえ。
事実大変なのかもしれんし大変なのによくやってるよ。たぶん。
けどな、お前みたいな奴も俺みたいな奴も、掃いて捨てるほどいる。
ガタガタ言わないだけか、あるいは昔の俺のように何も知らず無知なだけかだ。
主張すんじゃねえ。
惨めを語るな。
堂々としてろ。
飯が食えて健康で寝る屋根があるだけで相対的にお前は当たりだ。
それ以外のことはクソみたいなもんだ。
俺はそのクソみたいなことを気にしてもしょうがないと何年かかけてやっと飲み込んで、今は胸張ってまあそれなりに幸せだと言えるよ。
わかったら風呂入ってクソして寝ろ。
事件報道を見ると、被害者に共感し悲しみを覚える自分が居ると同時に、加害者に感情移入し、自分だったらどうしていただろうと考える自分が居る。
これを加害性と呼ぶかどうかはわからないけれど、自身に対する嫌悪感と同時に自分もこの加害者同様になりうるのではないかという想像に恐ろしくなる。
猪苗代のボート事故の犯人が逮捕され、自分も被告同様のステータスを抱えていた場合、どのような対応をしたかと言われると自信が無い。
自分が事態を引き起こした時、適切な対処ができるか、適切な行動が取れるか、分からないのだ。それが怖い。
今日も車を運転して会社に来た。ただ事故が起こらなかっただけで加害者のロシアンルーレットに当たらなかった。ラッキーなだけだ。
原則として動物は利己的で、人間は動物で、だから人間も利己的な存在だ。
人間は利己的な存在である、この前提で制度は設計されるのが理想だと考える。
利己的な動物である人間に対して、ルールを守らせるには、守った方が得をする設計を用意することだ。
欲望をコントロールしようと思うなら、動物を鞭で打つのではなくて仕組みの方を見直さないとならない。
正直結構ムカついてまして、ここから垂れ流す駄文には言葉が乱れてる部分もあろうかと思いますんで、以上のことに少しでも思いを馳せていただけましたらば、ここで読むのを辞めていただいても結構です。
※
現像すると、10年以上前も、私がまだ高校生だった頃、友達とキャンプした時の写真だった。
思いがけず掘り起こされた若かりし自分たちの写真から、仲間内では大層盛り上がり、思い出話に花が咲いた。
そのうちの一つは、道中での出来事だ。
キャンプの最寄り駅は、今現存してたら秘境スポットとして話題になりそうなほどにオンボロの無人駅だった。
今みたいな簡易改札機もなく、木造りの台が設置されているだけ。そこにめいめいが、切符や、差額がある場合は不足分を置いていくというシステムだ。
細部は覚えてないけど、とりあえず適当に切符を買って、着いた先で精算するつもりだったんだと思う。
地元から目的地まで、乗り越し精算で2000円ほどの差額だろう。今なら乗り換え案内アプリで瞬時に計算できるけどそんな時代でもなく、駅員もいない。たしか両替機も置かれてなかった。
最初からそんなつもりだったわけじゃない。誰も目的地が無人駅だなんて知らなかった。でも、ほとんどタダ同然で遠くまで来れちゃった。ラッキー。
ということで、私たちは無賃で駅を降りた。ただ一人、律儀にお金を置いていった人間がいる。そいつは、今では警察官として働いている。
曲がったことが本当に嫌いで、空気を読まずに正しい行いができるそいつ以上に、警察になるのに相応しい人物を私は知らないし、仲間や知り合いで、警察になったのは後にも先にもそいつだけだ。
逆を言えば、警察になるくらい正義感の強い人物でもない限り、分別のつかないガキが自ら進んで真っ当な行いをするなんてのは珍しい。
私たちは、とりたてて優等生でもなければ、かといって犯罪上等!喧嘩上等!卍!みたいなヤンキーというわけでもなかった。
日本の高校生としての分布図で言えば、年相応に頭が悪く分別がつかないという点も含めて、ごくごく平均的なクソガキだったに過ぎない。
自分の行いを正当化する気は一切ない。遠方まで運んでもらった見返りとして払われるべき対価を払わない。クソだなと思う。今なら私も、絶対に支払う。
けど、一方でこうも思う。果たして、誰にも咎められずに自分が得する機会が舞い込んできた時、わざわざ身銭を切れる人間はどれだけいるだろう、と。
誰しも自分が一番大事で、余裕があれば善行もするけど、自分の目先の欲望よりも他人を思い遣るのは難しい。
私は、漫画の海賊版サイトが流行した時にも同じことを主張した。何かを抑止しようとする時、利用者側に良識ある行動を呼びかけたところで効力がない、と。
本気で人の行動を抑制するには、良識に頼むのではなく仕組みで解決するしかない。
感染対策意識がザルで、開催地だった愛知県知事や常滑市長、および国民の皆様を激怒させた「NAMIMONOGATARI」がいまだに話題ですね。
大変申し訳ありませんでした。本当なら私も参加してました。
たまたまその時の私には“良識”が働いて参加を見送っただけで、出演していたラッパーのほとんどを好きなので、気分次第では実際に参加してたでしょう。ですので、重ねてお詫びいたします。
続きを話す前に、私が“良識ある大人”に成長したことをアピールするため、「あいち医療応援基金」に、ささやかではありますが反省の意を込めてチケ代に相当する額を募金したことをあらかじめここにご報告しておきます。
以下からふるさと納税の返礼品を希望しない形で募金し、額と支払い情報を確定させると、使い道を指定する画面が出てきます。ご興味のある方は是非。
そしてこの基金の存在を知るきっかけをくれた、Awich、CIMBA、CREAMに感謝👍
https://www.satofull.jp/static/oenkifu/corona_virus_pref-aichi.php
さて、「NAMIMONOGATARI」ね。書きづらいからもう波物語でいいよね。西尾維新の作品みたいに見えちゃうけどね。これこそ風評被害だね。
このご時世に、イベントに参加して、お酒を飲んで、大騒ぎして。全くケシカランですよね。
再三の呼びかけを無視して開催を強行。現場をコントロールできず、判明しているだけで数十人に上るクラスターを出してしまったのは波物語主催者の責任でしょう。
聞きましたか? 蓋を開けてみれば、当日の参加者は緊急事態宣言下の人数制限5,000人を大きく上回って8,000人ですってよ。あり得ないっすねー。
何より、行政に補助金を申請してたのにガイドラインを守ってなかったのがヤバすぎ。
ガイドラインを守る見返りに補助金がもらえるわけで、それは取引として成り立ってない不正行為でしょ。まるで高校生の私みたいですね(笑)。
その愚行は、慎重に開催してる他のイベント事業者の足を引っ張ることになるでしょう。大きな禍根を残したと言えます。
そして、ノーマスクで浮かれて、ゴミの始末もしない参加者。ヒートアップして観客を煽ってシンガロングさせる演者。
杜撰な体制の責を負うべきは主催だけど、それぞれも、心当たりがあれば自分の行いを省みる必要があるのではないでしょうか(ルールを守った参加者、ルールを守るよう呼びかけた演者もいます)。
ただ、それは各々がやればいいし、波物語単体が問題だったわけなのであとはもう発生したクラスターの対応などを粛々とするしかない。
しかし、波物語は今もなお、なぜか“日本のヒップホップを代表”して延々と叩かれてる。
いわく、ヒップホップフェスだから。いわく、ヒップホップファンは民度が低いから云々。
この件については、とにかく主語がデカい。みんな、普段はこういうレッテル貼りは良くないと呼びかけるくせに、なんでヒップホップだけはこんなに雑に叩いて良いと思ってんだ?
これについては、擁護派のせいもある。「これがヒップホップだ」みたいな頭の悪い反論がむしろきみたちが守りたいお仲間を後ろから刺してるのに気付いてねーのかYO。後ろ見とけ後ろ。
それでさ、みんな、どういう理屈で、他人に我慢を呼びかけてんの?
医療が崩壊してる。それはそうだ。未曾有のパンデミックに対応できるように設計されてないし、日本の医療にかける予算は世界的にも決して少ないわけではないけど、それでもこの異常事態に耐えられるだけの人出も病床数もなかった。
新たに深刻な感染症が生まれた以上、そのしわ寄せはいろんな形で発生する。それはとても悲しく不幸なことだと私は心から思うけど、これからも人は死に続ける。それは私かもしれないし私の大切な人かもしれない。けどもうそん時はそん時、天命と諦めてコロナと付き合うしかない。
定期的に交通事故で人は死ぬけど、誰も「車に乗るのをやめよう」とはならない。多くは良識的な振る舞いを守ってるけど、交通違反をする人間が定期的に現れるから、人類から車社会をぶっ潰そう、とはならない。それを望ましくないと思う人間が、黙って車に乗らないだけだ。
車は生きるために必要不可欠だから?じゃあ、イベントがその人にとって必要不可欠じゃないって誰が言える?何が不要不急か、他人のてめえが決めんなよ。
ワクチン派は、ワクチンを打たない人間を自分本位で身勝手な人間だと蔑む。
反ワクチン派は、陰謀論と結託してワクチン接種しないように呼びかける。陰謀論者は頭おかしいと思うけど、他人の行動を縛ろうとする点ではどっちも変わらなくないか?
法律の問題で、日本では欧米のようなロックダウンはできないと。だから、政府は国民に“お願い”をする。
この2年で、何度「正念場」という言葉を聞いてきたか。何度「国民の皆様へのお願い」を耳にしてきたか。
しかし、政治家は会合も会食も辞められない。政府の広報である報道機関、新聞社もテレビ局も、全国津々浦々を飛び回り、取材に出向き、毎日集まり続ける。
リモートワークができない職種もあるが、IT企業でさえも当たり前のように出勤させ続けてるところがある。理由は簡単で、その方が会社の利益になると考えてるからだ。
守っても“利益”がなければ、お願いは守られない。飯を食っていくために、リスクと天秤にかけて仕事をする。みんな一緒だね。
我慢するメリットを提供できない以上、要請を無視して営業を続ける飲食店もある。開催を強行するイベントもある。それで飯を食ってるから。
波物語は補助金を申請してたけど、補助金なんて要らないから開催するよ、というスタンスのイベントはこれまでもあったしこれからもあるだろう。これはどの業界でも起こってることだ。我慢するよりしない方が利益になるなら、そっちに傾くのは容易に想定できることだった。
五輪はやる。無観客とは言え、世界205カ国から選手だけで1万人以上が参加し、関係者は海外から数万人が来日した(https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-58133532)。
五輪を開催した7月の訪日外国人数は51,100人。五輪開催前の6月の訪日外国人数9,300人から、6倍に膨れ上がった(https://www.jnto.go.jp/jpn/news/press_releases/210818_monthly.pdf)。
緊急事態宣言下、無観客開催なのに五輪閉会式に集まったのは9,350人(https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000224902.html)。あれ? 波物語よりも多くね?
政府および委員会いわく「安心・安全な開催ができた」五輪だけど、みんなオリパラ関連の陽性者の数、知ってる? 最新の発表、878人だよ(https://mainichi.jp/articles/20210909/ddm/035/040/036000c)。でも「五輪はコロナを抑え込んで成功した」ってさ。
そしたらさ、あんたらはどのツラ下げて波物語を糾弾すんのよ。大村知事、あんたは立派だけど、五輪開催については反対してなかったくね?
パラ観戦にも、結局多くのガキが駆り出された。にも関わらず、遠足も運動会も修学旅行も禁止って。わけがわからないYO。
人は原則、損得勘定で動く。そこから外れる領域は、社会からの要請にどれだけ自分を擦り合わせられるかっていう善意や良識の話だ。
人によってこの良識の振れ幅がデカすぎるもんだから、いろんなところで分断が起きる。
国家がビジョンを示せず、政治家が範を垂れない。制度の見直しは経済崩壊のスピードに追いつかない。こんな国にしてしまったのは、私たちの選択の積み重ねでもあるのだけど、国民への“お願い”は、誰もが望んでなかった監視社会をついに令和のこの時代に爆誕させてしまった。
みんなそれでもお願いを受け取って、自分のできる範囲で、自分なりに我慢をしてる。
ジジイはジジイなりに、ババアはババアなりに、ガキはガキなりに、ラッパーはラッパーなりに、政治家は政治家なりに、みんな我慢してるんだろ。人によって我慢の閾値が違いすぎるってだけの話で。
いつまでヒップホップがどうとか言ってんだ。
波物語のあの場では、演者も観客も、あの振る舞いが精一杯の我慢だったんだろ。
だから、あの場所をつくり出した主催者が悪いし、ルール度外視で支援金を掠めとろうとしたツケは払わないといけない。
そんで、繰り返しになるけど、そもそもそんなザルな申請を通した制度の方を批判するべきだ。どう考えても、強行できるようになってるシステムに問題があるだろ。
みんながこぞって口にする「自分は我慢してるのになんで?」っていう発想がそもそもおかしくて、我慢の対価を用意できない制度の方に問題がある。
特別措置法なんてものをこしらえても、罰金科されてでも要請を突っぱねた方が得するならそりゃもう制度として破綻してる。それは制度の脆弱性であって、その脆弱性に目を瞑って人の善意に頼むのは無茶だ。
善意や良識がこれほど強く求められる空気が蔓延した時代を、私は知らない。
何度でも繰り返すぞ。人間の行動を善意(や理性や良識)で制限することはできない。それを守ることで得をする、というインセンティブでしか欲望は制御できない。
良識ある人間が馬鹿を見る状況を是正したいと本気で思うなら、(真面目な人間から見れば)良識のない人間に矛先を向けるのではなく、煮え切らない対策と方針で国民同士を監視・牽制させる状況にさせてる制度を批判するべきだ。
こんなことまじで言いたかないんだけど、この2年、政府や自治体は、何をしてくれた? 提供されたのは、ごく限定的な補償と、わずかばかりの給付金とみすぼらしいマスク。それと引き換えに政府から“お願い”されてるのは、自分たちの生活すべてを犠牲にすることだ。
人と会うのを控えてほしい、外食を控えてほしい、旅行を控えてほしい、対面授業を控えてほしい、修学旅行を控えてほしい、映画鑑賞を控えてほしい、ライブを控えてほしい云々。
それももう当たり前ながらとっくに我慢の限界だ。このままじゃ死ぬってなったら好き勝手にやるしかない。
食えなきゃ死ぬんだが? 品行方正な店や会社は今もガンガン潰れてるんだが?
自分と同じように苦しんでる人間に石投げて、足引っ張りあって何のつもりなん?
他人様に迷惑かけるくらいなら指くわえて死んどけなんてさ、俺も俺のことが一番大切だから、とてもじゃないけど口が裂けても言えねーわ。あんたら悪魔かよ。
いがみ合ってる国民ほど、国家にとって管理が用意な大衆もいないですね。このままじゃまじでディストピア一直線だぞ。
奴隷は自分の鎖の大きさを自慢するっての、ありゃガチだったんすね。
いや、奴隷たちのチキンレースって言った方がいいか。主催は自分たち自身でもある。
世間が言うように、ラッパーはもしかしたら、コロナへの警戒心が薄い(ように見える)人が多いのかもしれない。
ネットで連載文が読める
石岡さんと咲さんの不妊治療がうまく行かない話というのはなんだか何回も読んでしまう
咲さんの気持ちにすごく共感するところもあるし、この考え方ヤバイんじゃないか?と思う部分もある
子供のときから「お母さんになりたい」と考える女の子は多くて、私は運良く子供を授かることができた
中絶を考えるくらい子供を必要としていない女性が簡単に妊娠して
子供がほしくてほしくてたまらないのに不妊治療に大金を使っても子供を授かれない女性もいる
「なぜ養子じゃダメなのか」「人間は一緒にいれば愛情が芽生えるから血の繋がりは関係ない」
そういう意見はある。わかる。
不妊治療をやって、どうしても授からなかったらそういう選択肢を取り、施設から子供を引き取る
里子なら早い段階でおっぱじめるのはわかるが、養子縁組という手段を最初からとる夫婦はそうそういないだろう。夫か妻か、最初から生殖能力がないとわかっていれば最初から養子縁組という選択をするかもしれないが
夫と自分(妻)の血の繋がった子供を産むことはものすごく誇らしく、快感で、かなり承認欲求?が満たされる
子供を産む前の女性も実子を産んだ快感や誇らしさを想像できるから、自分が母親になることに執着して、夫と子作りをするんだろうな
子供は産む前からものすごく欲しいと思うものなのに、子供を得ることができなかった咲さんの悲しみは半端なくて
どうしてあの女は妊娠できるのに私は妊娠できないんだと嫉妬すること
子育てをしながら夫が育児を手伝ってくれないと愚痴る母親に憎しみを抱くこと
咲さんの心の痛みはめちゃくちゃわかる。
私が共感できないのは咲さんの「私には良い母親になる才能があるんだ」と夫に言ってしまうことや
自分のメンタルが崩壊しててもSNSの友人の投稿にいいねを必死で押すところだ
親ガチャという言葉があるけれども、親にとっても出産はガチャだ
どんな子供が産まれるかもわからない。自分が絶対に良い母親になれると心のうちで考えるのは勝手だが他人に「私は絶対良い母親になれると思うんだよね~」と宣言できるレベルの自信過剰な親は毒親になる可能性が高いと考えてる。
もはや親が殺してやりたいと思わせる問題児な子供と色々なパターンがあり、
また、今までずっとSNSでずっと友達にいいねを押してきたからある日突然咲さんがいいねをしなくなったら、友達から咲さんが何かあったんだとうたがわれる。だから、泣きながらいいねを押し続けるというのは
お金ももらえるわけでもないのに、やりたくないことをやってどうする
SNSから離れる勇気もない。こんなにSNSに執着しているのは驚きだ。
咲さんは「自分で自分を幸せにする」のではなく、「子供に幸せにしてもらう」気持ちが満々だ
そりゃあ、出産や子作りは両親のエゴでやるものだ。親は親の人生を幸せにするために子供を産む
でも、親の人生の幸せは完全に子供に依存させるものじゃあないのだ
子供を立派に育て上げることで、子供を育てた私はすごい!誇らしい!と思うのは共感できるが、もしあなたの子供が幸せになっているなら親の努力だけじゃなく子供の力、子供の努力の結果なのだ。
だから、子供の功績はぜーんぶ自分のおかげ!と考える親はむちゃくちゃ気持ち悪いし
人間はそれぞれ、一人一人が舞台を持っててみんな主役なのだから
自己実現っていうのは子供という名の他人を使うものじゃなく、自分の力で自分自身を幸せにするものなんだ
完全に自分の幸せを子供に依存する気満々の咲さんが子供をもし授かっていたら毒親になっていた可能性がある
「良い母親になれるという自信がある」というのは「子供に自分の言うことをきかせて、子供を親の思いどおりにコントロールすることができる自信がある」というのと同義だろう。
そして、咲さんは子供が自分らしく生きられなくして、子供の人生を潰して、将来咲さんの子供が咲さんを恨んで復讐なりなんなりする可能性もあったかもしれない
神様は咲さんに子供による不幸がかかる可能性を完全に潰したのだから
子供に時間をかける必要がなくなって自分自身と向き合う時間がたっぷり手に入った
咲さんが実子を授かれなかったこと、そして、咲さんが養子縁組するという選択肢を持たなかったことは、不幸な子供が産まれる可能性を潰したという意味では幸運なことだったのだ
祝いのコメント等、毎度毎度、本当にありがとうございます。
質問への返信等です。
私は閉塞性で、しかも精路再建可能だったので、そもそも「無精子症患者としてはそうとうラッキー」でしたね。一般的に、無精子症のうち、閉塞性は15~20%程度で、閉塞性なら精路再建または玉から精子を取り出す手術で90%以上の精子回収が可能と言われております。
対して、非閉塞性無精子症だと「原因よくわからんけどとにかく精子が出てないから手術で頑張って精子を回収しよう!(micro-TESEてやつですね)」となり、精子回収率は30%程度だとか。そこから顕微授精→母体への着床となるわけで、費用的にも確率的にも本当に厳しい戦いとなるのでしょう。不妊治療中のカップルは本当に報われて欲しいと思います。
アラフォーの私が20代の頃、「30過ぎると転職がそうとう難しい」と言われておりましたね。そういう意味では雇用の流動化はじわじわ進んでいるのかもしれません。エージェントさんや各社面接官も「40過ぎの人の転職希望者&成功事例は毎年増えてる」と言ってました。ただ、「アラフィフ以上だと専門職または管理職としてスカウトされない限り、まともな転職はほぼ無理」なのも現状のようです。これもまた、10年後には変わっているのかもしれませんが。
婚活の経験により、「お互いの希望がある程度マッチングした上で数打たないと当たらないしお断りするのもされるのも当然」という感覚を得ていたことが良い感じに作用したのかもしれません。そもそも、直接の上司には転職活動についてのご理解とご配慮をいただけていたので、有給をガンガンに取れたことが見知らぬライバルと比べかなり有利だったかもです。
よくありましたねー。それなりに歴史が長い企業だったり病院だったりに多かった気がします。恐らく、採用担当者がWebで見繕う→担当的にはOKの応募者へ書類提出の連絡→紙の書類で上長が選考、みたいな流れなんじゃないですかね。紙の履歴書が無いと会議にかけられないみたいな暗黙のノリを感じました。
Web経由でガンガンに申込ますので、企業側としてもちょっとでも想定した条件から外れたら容赦なく落とさざるを得ないのでしょう。他に候補はいくらでもいるんでしょうし。その代わり、ピンポイントで企業側の想定にハマるとビックリするほどとんとん拍子で話が進みました。内定2社がそういう感じでした。
事務職です。ざっくり言えば総務庶務労務人事全般みたいな感じです。なお、求人票を見る限りでは、経理マンも、日商簿記2級以上&経理実務経験あり、の条件さえ満たしていれば、一定の需要が常にあるようでした。
小さめ中小にはお祈りされまくりでした。一方、一部上場企業の求人は3社ほど書類通過したのですが一次面接で全滅。内定いただけたのは全て、今の会社よりは大きい中小企業で、ちょうど40歳くらいの年齢・職歴の人間で管理部門強化または管理部門の欠員補充したい、という企業でした。つまり、私の商品価値は、「条件がマッチしてれば上場企業でも書類は通ることもあるが面接でライバルに負ける。大きめの中小だと企業側のニーズにハマってさえいれば強い。小さめ中小だと企業側が持て余すのかお断りされまくる」というくらいなのでしょう。そういうのがわかるのは面白かったですね。
あのさ、
最近できたの?
知らなかったわー!
ゴンドラが飛んでいて、
人力の大将が引っ張るタイプの蕎麦出前ロープウェイじゃなくて、
夜になるとカゴがキラキラ光っていて、
でも結構歩道手の届きそうなところを頭をかすめてゴンドラが行き交うので
ちゃんと届いてよじ登れないようにはなっていたけど
いつのまに横浜にロープウェイが出来たのかしら?って感じだったわよ。
蕎麦の出前用なわけないわよね。
都会はちょっと目を離した途端に
色々変わるのね。
そんでさ、
大阪の地下とかあそこ梅田駅地下周辺いつまで工事してるの?って
サクラダファミリアばりの工期期間を謳っていた阪急百貨店がやっと出来たと思ったら、
これ一帯どうなってるのローグライフ的な何回言っても迷ってしまうのどうにかして欲しいわ。
いつだってどこでも開発中なんだわって
ロープウェイだったわよ。
まあ乗るまでには至らなかったけど
うふふ。
買い損ねちゃったので、
だんだんと夜は寒くなってきたというか
本格的に冷えるというか、
一雨一雨毎に雨が降るっていう感じね。
そろそろ水出しルイボスティーもお茶っ葉を使い切れるのを機に今シーズンは
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
俺は何故だが知らないけど調べなかったらしい
就職する時に血液型を調べる必要があったから、献血も兼ねて調べた
献血ルームの看護師さん?に「O型ですねー」って言われて驚いた
一瞬でいろんなことを考えた
『え、俺は誰?もしかして母さん…?いや、俺は親父とそっくり…父方母方どちらの婆ちゃんも俺と親父を間違えた… 母さんが病院で赤ちゃんの俺を抱いてる写真も見た…母子手帳も見た…臍の緒だって見せてもらった』
「A型同士からもO型は生まれる」ってことは知識としては知ってた。理科でもやったし、サスペンスでも見たと思う
それでも一瞬そんな知識は吹っ飛んだ。それほど驚いた
(献血は折角なので全血にした。注射苦手だって言ったら看護師さんがずっと話しかけてくれてラッキーだった)
この話は家族で笑い話になった
血液型占いを見た時、A型の欄を見て「結構当たるもんだな」と思ってたけど、このことがあってからはO型の欄を見て「これはこれで当たってるなぁ」と思ってる
中学時代の黒い歴史の一つとして初投稿です。はてなについてよく分かってない部分もあるので、軽く読んでください。
先日、友人が割れサイトで『ToLoveる』を読んでいることが発覚した。
気持ち悪い。コイツは目が見えなくなれば良いのに。そう思った。
ソイツはどうやら、ヤミちゃんというキャラがお気に入りらしい。割れサイトで読んでいる分際で、何漫画について語ってんだこのアホは、と思いつつも、話を聞いていった。ソイツが言うには、「ヤミちゃんはエロい! エロいからかわいい! かわいいから好き!」とのことだった。俺は、「エロい」と「かわいい」の区別がついていない奴は、刑務所にでもぶち込まれたほうがいい、というタイプなので、イライラしていた。というかコイツは、「エロいから好き!」とストレートに言うと、脳みそがちん子でできていると思われると考えたから、こういう言い方をしたんだろう。まあそれでも普通に、コイツの脳みそはちん子でできているんだな、と思ったが。
さて、本題に入ろう。
俺は、コイツの話を聞きながら、「『ToLoveる』ってそんなにエロいか?」と考えてみた。考えていると、自分自身が、「ラッキースケベ嫌い」であることがわかってきた。
なぜ、「ラッキースケベ」が嫌いなのか。
そもそも、「ラッキースケベ」は現実では起こり得ないことだからこそ、「ラッキー」と呼ばれている。
何か障害物があるわけでもないのにすっ転んで、ん?何か手に柔らかいものが...となることはまずあり得ない。そこが不自然だから、気持ち悪く感じてしまうのだろう。
以前、あるツイフェミ?の人が「普通異性に裸見られたらその後の関係気まずくなるだろ」と言っていて、ツイフェミもたまには正しいこと言うんだな、と思ったことがある。ヒロインの立場に立って考えてみると、主人公は、「よく分からん所で転んで自分のブラやパンツに手を入れてくるヤバい奴」である。それが事故であったとしても、2、3回続けばわざとなんじゃないか?と疑うはずだし、主人公がどんなにイケメンでも、少し距離を置こうとするはずだ。
そもそも、我々は主人公に近い立場に立っているから、「ラッキースケベ」と呼んでいる。だがヒロインからしてみれば、偶然とはいえ、何度も胸を揉まれたり、股に顔をうずくめられたりされる。これだと、「ラッキースケベ」ではなく、「アンラッキー性的いじめ」ではないか。普通にかわいそうだ。
しかし、『ToLoveる』のヒロインはどうだろうか。「ラッキースケベ」を初対面でされても、何十回とされても、な・ぜ・か、主人公に惚れているのである。意味が分からない。人の血が通っていないのか。
おそらく俺は、この不自然さを気持ち悪いと感じているのだろう。
前に、『五等分の花嫁』の原作者である、春場ねぎ先生が、「パンツを見せたらヒロインの格が下がる」と発言し話題になっていた。俺は、この考えに深く共感した。そして、「ラッキースケベ」について考えている時に、なぜそう思ったのか分析をしてみた。
日頃の生活の中で、「パンツが見える」ことはまずない。ほとんどのパンチラは、作者または読者の「パンツが見たい!」という願望によって描かれている。不自然なエロがあると、なんでこんなシーンを入れたのか考え、その結果行き着く先が、作者や読者の願望だからということになり、下品だなと思ってしまう。
また、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』というアニメの、カトレア・ボードレールというキャラにも似たようなことが言える。このキャラは、巨乳で、胸元をこれでもかと開けた服を着ている。他のアニメにも似たようなキャラがいることは分かっている。しかし、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という真面目な作品の中で、そのキャラは違和感になっていて、個人的には下品だと感じてしまう。別に巨乳が悪い訳ではない。胸元を不自然なほど開けた、「エロい」服装が下品に見えるのだ。
本質的に、「エロ」と「下品」は紙一重なものではあるが、そう思わせないよう、自然に見せる工夫が必要になるのだろう。
そのため、不自然極まりない「ラッキースケベ」は非常に下品だと感じてしまうのである。
これについて俺は、ヒロインたちが風呂に入るシーンを挙げよう。風呂に入るときは当然、服を脱ぐ。ヒロインたちが一緒に風呂に入ることで仲を深め、今後の展開につなげる。これは比較的自然な流れだろう。
しかしここに、主人公が間違って入って来たらどうなるだろうか。雑な理由づけがあっても、そうはならんやろと違和感を感じる。
なんでこんなシーンを入れたのかを考えると、汚い読者と作者の考えが見え隠れし、下品に思ってしまう。
しかも、その後のヒロインと主人公の関係が気まずくなることはなく、逆にヒロインが主人公を好きになっていたりする。ヒロインの感情が自分の感覚とかけ離れすぎていて、主人公のことを好きになるように動いている都合のいいロボットに見える。
これらのことから俺は、「ラッキースケベ」は、その状況やヒロインの反応の不自然さと、顔を覗かせる読者と作者の汚い願望から、気持ち悪いと感じているという結論に至った。
あくまでこれは俺の意見なので、反対意見があればそれはそれでいいと思う。
ただ、俺はラッキースケベが嫌いだ。