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2020-08-04

今年のやることリスト内容の変更、教えて欲しい

コロナの中で年始に考えてたやることリストが(主に外出系)が破綻した

もう残り5ヶ月しかない中でやることリスト路線変更せねば!という気持ちです。

上期の振り返りも兼ねて、今後のやることリスト変更したいと思う

みなさんも残り5ヶ月何する想定か教えて欲しい

私の今年のやることリストに入れたい

今年めいっぱい長期的な遊ぶ予定だったのになあ。


2020年当初決めてた今年やることリストはこれだった↓

長岡花火大会見に行く

 →花火大会開催されない行けない悲しい

・一週間以上の海外旅行をする

 →GW行く予定だったのにコロナキャンセル

 →海外旅行普通にできるようになるのは5年後らしい

 →かなしい

キングダムもう一度読む

 →読んだ

キングヌーライブに行く

 →行けない

副業する

 →したけど失敗した、全部やめた

ペルシャ絨毯マニアになる

 →マニアになるのやめた



改め、2020年残り5ヶ月でやりたいこと

副業起業をもう一度チャレンジ

韓国ドラマトレンド映画見まくる

筋トレを極める

 最寄駅のジム登録しようかな

登山、緑豊かなところへ行く

帰省したい、心から

・手持ち花火する

パン作りとか何か極めようかな

 でも食べたら食べた分だけ太るんだよなー

・新しいスポーツ始めたい

 登山とかゴルフかなあ。ミツをさけたスポーツ教えて

・月に1回多国籍料理つくる

noteはじめる

 →今年やったけど頓挫した

  もう一度チャレンジ

  自分がいま考えてたことを残すことは大事だと気づいた

 


あと、2020年7月までにできたこ

旅行行かなかったお金でこんなことした

コアラマットレス買った。最高

・部屋の中DIYディアウォールつくった(旦那が)最高

・ミツを避けた旅行した、伊香保山梨

ベランダウッドデッキ?敷き詰めた

・花を飾る習慣ができた、素敵

自炊能力高まった

ベランダ菜園充実した

Netflix韓国ドラマ見漁ってる。梨泰院クラス最高

市民プール行きまくってる

 泳ぎながらボーッとできて最高

みんなの今年のやることリスト教えてくださ〜〜い

2020-08-03

さっき仕事終わりに買い物して帰って来たら、中学生の娘が嬉しそうに「昼間、〇〇ちゃんが来たよ」と言う。

いたことのない名前だが、クラス友達だという。約束してたわけでも、ラインで誘ったわけでもなくいきなり来たらしい。

マンションオートロックで、エントランスインターホンで部屋番号を押さないと入れない。住所を部屋番号まで教えているのは年賀状を出す相手だけのはずだ。マンション住民エントランスを通るのに付いて入って来たにしても、なぜ我が家の部屋がわかったのか?

娘にきいても「さあ知らないけど」とか「それはどうでもいいんだよ」などと言うばかりで要領を得ない。

何か親に言えないようなことを隠しているのか?それにしては嬉しそうに、家に来たことを私に報告するのは腑に落ちない。

なんとなく、その子が「よろしくないお友達」のような嫌な感じがして、ややキツめに「それで、いきなり来た子を家にあげちゃったの?」ときいた。

「ううん、ベランダからたから中には入れてない」

え?

うち、8階なんだけど。

「何言ってるの、ふざけないでよ」

「ふざけてないよ!なに怒ってんの?ベランダの、上からすーっと降りて来たんだよ普通じゃん」

娘はへらへらと言う。

俺の姉は強かった。

俺は5人家族、3兄弟末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。

対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。ここでは、そんな姉の話をさせて欲しい。

我が家学歴コンプレックスを持つ母とそんな母に言いなりな父に育てられ、母は俺達が幼い頃からいい大学に出て、良い会社就職するんだよ。」と教え込んでいた。兄は幼い頃からの子達よりも優秀で、褒められてばかりの少年だったので母は自慢に思っていた様で、その頃兄と同等程度の学力を発揮していた姉を小学校1年生の頃から塾に通わせ、学校の授業の範囲を先取りする形でどんどん吸収させ、兄より優秀な娘を作ろうとしていた。また、ロングヘアも可愛らしい服も似合わないと笑われた過去トラウマとしていて、それの当て付けの様に姉の髪を伸ばし、可愛らしい服を着せていた。姉はそれを従順に受け入れていたし、身内の贔屓目もあるが姉はかなりの美人であった為、幼少の頃の姉は俺にとって「可愛いお姉ちゃん」だった。

転機が訪れたのは、姉が小学校4年生、俺が小学校1年生の時だった。よく一緒にケーブルテレビ放送されていたスラムダンク兄弟3人で観ていた俺達は、3人で地元バスケチームに入りたいと両親に相談をした。

父は「スポーツを習うのは良い事だ」と賛成していたし、母もスポーツに興味を持った俺達を喜んでいたが、入部を認めて貰えたのは俺と兄の2人だけ。姉は「お姉ちゃん大事な塾があるからそんな暇無いでしょう。」と却下されてしまった。その時姉は「それもそっか、塾と被るもんね。」と笑っていたが、その後子供部屋に戻った時、ボロボロと目から涙を零して「行きたくて塾行ってる訳じゃないのに。」と泣いていた。俺はそこで初めて、姉の本心を知った。兄はそんな姉を見て「母さんを説得しようか。」と声を掛けていたが、泣きながらも姉は「いい、無駄やと思う。」と首を振っていた。

それから姉は、塾をサボる様になった。塾の時間に外に出て居るものの、友達の家で遊んでいる事を俺は知っていた。姉の友人の弟もまた、俺の友人であったからだ。でも俺はそれを両親に報告もしなかったし、姉に知っている事も言わなかった。しかし、なんだか俺は悪い事を姉と一緒に隠しているつもりになってしまって、落ち着かなかった。

からはいつも、姉が居ない事について電話が来ていたらしい。父がよく連絡を受けていたらしいが、父にも思う事はあったのか母には姉が塾をサボっている事を伝えていなかった様だった。悪い事は、父も一緒に隠していたのだと思うとなんだか安心したが、偶々その日家に居て塾からの連絡を受けてしまったのは母で、母は全てを知ってしまった。そして、帰宅した姉の髪を掴んで家の柱に顔を打ち付け、殴り、11月の寒空の下、ベランダに締め出した。姉は泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返していて、兄も俺も助けてやりたかったけど、母はそれを許さなかった。あの日、父が母を説得して家の中に入れてやるまでの3時間程度の間、俺と兄は母がトイレに行った隙にこっそり姉にカイロを渡す程度しかしてあげられなかった。

やがて、両親が離婚した。原因はまだ幼かった俺に説明は無かったが、兄と姉は知っている様だった。でも姉は「知らない方がきっとお前の為だから」と言っていたし、兄は「両親がお前には教えないと判断したなら、俺もお前には言えない。」と言っていたので、理由は知らないままであるが、兎に角離婚した。そして、俺達兄弟は父に引き取られた。母は少し離れた場所引越し、1ヶ月に1度程度会関係になった。

母の引越しが行われた日。母が出て行ったのを見送った姉は、そのまま一人部屋を得ていた兄の部屋へと向かった。俺も暇だったので何をしているのかと着いて行くと、姉は兄に「ねえ、お兄ちゃんの着れなくなった服ちょうだい。」と言い出した。「男の服だからお前が着ると変だよ。」と言う兄はそれでも、持っていてもどうせ着れないからと姉に小さくなった服をあげていた。いつか、俺が大きくなったらお下がりで貰おうと思っていた服もその中には混じっていて、姉はそれを嬉しそうに受け取るとリビングで着替えた。女の子らしい、可愛らしい服ばかりを着ていた姉が、男の子の格好をしているのにそれはそれは強烈な違和感があったし、見ていた父も何事かと首を傾げた。

次に姉は、そんな父の所へ行って「髪の毛切りに行きたい」と言い出した。父は了承すると姉に美容室代を渡して、姉は通い慣れた地元美容室へと一人で出掛けて行った。リビングでそれを見ていた俺についでと言わんばかりに父はお小遣いをくれて、「これで駄菓子屋美容室の隣にあった。)行ってお菓子買って、姉ちゃんとわけっ子して2人で帰っておいで。姉ちゃんの事待っとくんぞ。」と言った。俺は了承してウキウキ駄菓子屋自転車を走らせ、駄菓子を沢山買って店の前で姉が美容室から出て来るのを待っていた。

店の前に出て20分くらいだろうか。美容室のドアが開く音がして顔を向けると、そこには男の子の服を着て、髪をすっかり短く切った、ジャニーズ風の雰囲気髪型になった姉が立っていた。「え、そんな切ったん?」「うん、長いの嫌やったっちゃん。てか何でおるん?」と会話をしている相手は姉なのに、見たことも無い姿にやっぱりなんだか違和感があった。離婚を機に、姉は塾も辞めたらしい。「ホントはずっと塾も長い髪も嫌やったっちゃんね。男子の服の方が動きやすそうやし、かっけーしさ。」と笑った姉は、何だかいつもより楽しそうだった。

中学生になった姉は、優秀な兄と比べられるストレス、兄が優秀な分同等の価値を求められるストレスから段々とおかしくなっていった。ちょっと悪い人達と一緒に居るようになって、学校サボる様になった。髪を染めてピアスを開けて、知らない人みたいになっていった。偶に会う母と姉の関係は冷え切っていた。理想とは真逆を進み始めた姉を母は受け入れられなかった様で、居ないものとして扱うようになってしまったし、姉は「元々ね、うちと母さんは理解し合えんのよ。やけん仕方ないね。」と笑い飛ばした。結局姉はそのまま中卒で社会に出た。

俺が高校生になった頃。よく姉が仕事休みの日に家に連れて来る女の子が居た。その子と姉は休みの度に会っているようで、なんだかやけに親しげだった。

姉は俺のテスト期間や週末に休みが被ると、よくご飯に連れて行ってくれて、多少値が張る店でも俺が好きそうな飯がある店によく連れて行ってくれていた。その日は個室タイプ居酒屋ランチ営業に2人で行っていて、聞けるのはこういう時しかない、と思って俺は口を開いた。

「ねえ、姉ちゃんってレズなん?」

姉は驚いた様に目を開いて、暫く迷う素振りを見せた後静かに首を振った「違うよ、でも、最近連れて来るあの子と付き合ってんの。」そう零した姉に、俺は首を傾げた。女と付き合ってるならレズなんじゃないの?そう言おうとした俺に姉は「今からね、お前がびっくりする話すんね。でもお前にしか言わないから皆には秘密ね。」と続けた。

話によると、姉は性自認が人と少し違う人だった。でも、性同一性障害という訳でもないし、自分が女であるというのは理解している。でも、自分が女だという事に強烈な違和感があり、だからといって男なのかと聞かれればそれも違和感がある、所謂性自認がどちらでもない人」だった。後で調べた話、こういう人をどうやら「Xジェンダー」と呼ぶそうだ。

そして、姉はレズビアンではなくて、性自認がどちらでもない関係上、女も男も異性であり同性。そして、自分とは違う人達という認識で、そこに差を持たない生粋バイ・セクシャルだった。でも、男と付き合うと女である事を強く求められるけれど女と付き合うと自分のままでも受け入れてもらえるからと、女性と付き合う事が多いのだと話していた。

その頃の姉は奇抜な髪色に、耳と顔に沢山のピアス。そしてやっぱり、男性物の服を着た性別も年齢もよく分からない様な見た目をしていて、「そういう格好もわざとなん?」って聞いた。そしたら姉は「女を押し付けられたちっちゃい頃の反動。分かんない、反抗期なんかな。」と煙草を片手に笑っていた。俺は姉を「姉ちゃん」と呼ぶのを辞めた。友達みたいに、名前で呼ぶようになった。姉はそれに気付いたみたいで泣きそうに潤んだ瞳で一言「弟のくせに生意気」と言った。

そんな話から3年後。姉に珍しく彼氏が出来た。親や兄の前では特に触れてなかったが、彼氏の紹介を終えた姉は俺の部屋に来て「あんね、彼氏ね。うちの性自認理解してくれる人なん。」「女の子やなくてね、うちのままで居ていいって言ってくれたん。」と嬉しそうに笑っていたし、性自認を打ち明けられない息苦しさと、女性と付き合うことによる周囲から偏見の目に晒されていた姉の言葉に俺は夜じわじわと一人で寝る前に泣いた。幸せになって欲しかった。姉は派手な見た目と素行から誤解をされがちだったが、いっぱい我慢して来た人だった。そして、誰より優しい人だった。自分を殺してでも、周りが求める理想従順である努力を、ほんの幼い頃から出来る人だった。ふたつしか貰わなかった大好きなクッキーを、「兄ちゃんと弟にあげるから」と食べずに持って帰って来る様な姉だった。人の為に、が出来る人だった。反発の仕方が分からなくて、反骨の仕方が上手くいかなくて、すっかり周りからは「グレたヤンキーのどうしようもない娘」だと思われていたけど、俺にとっては大好きで大事で、自慢の姉だった。

社会に出るまでの道筋は兄が示してくれた。でも、人に優しくする方法は、いつだって姉が示してくれた。

半年後、姉は彼氏同棲を始めて家を出た。寂しくて、荷造りする姉の手伝いをしながら、昔話を2人でして、引越しの前はアルバムなんか俺が引っ張り出してきて、あんな事あったこんな事あったと話して2人で泣いた。随分派手な見た目になった姉は、それでもやっぱり昔のままで「うちの事受け入れてれてありがとう」と嗚咽混じりに告げた。髪が長くて可愛らしい服を着た「可愛いお姉ちゃん」は、見た目が変わってしまってもやっぱり美人で、俺にとっては「かっこいい兄弟」にランクアップしただけだった。姉は泣き腫らした顔で翌日旅立った。俺はその日、寝る前にまた一人で泣いた。

姉には幸せになって欲しかった。やっと姉が、姉のままで居られる環境に旅立てた事が自分のことの様に嬉しくて、次会った時にもっと男みたいになってて、俺よりよっぽどイケメンになってたらどうしよう。なんて再会を楽しみに思っていた。

思っていたのに。

2年後姉はボロボロ状態で帰って来た。

髪を伸ばして、派手な色もやめて、ピアスだって全て外して、綺麗めな女性の服を着て、パンプスなんか履いていた。一人称は「私」になっていた。父には「やっぱ私さ、実家が好きだわ〜!嫁に行けんでごめん!」とか言って笑い飛ばしていた姉は、荷解きをする為に戻った自室で1人で泣いていた。

「びっくりした、めちゃくちゃ女になってて。」

だって、そうしろって言われた。隣に並ぶの恥ずかしいってさ。」

嗚咽混じりに聞いた話はあまりに酷い話だった。

彼氏が姉の性自認を受け入れてくれたのなんて嘘だった。姉と付き合いたいが為に理解者のふりをしていただけで、同棲開始直後からである事を求められ、髪は伸ばし黒く染め、持っていたメンズユニセックスの服は捨てられた。一人称も、喋り方も矯正させられ、前の喋り方が出ると「気色悪い」と詰られた。

「お前みたいな厨二病メンヘラと付き合ってやってんだから」と姉に言い聞かせ、2年間ずっと都合のいい存在として消費されていたらしい姉の話は、俺の心にずっしりのしかかって来るなにかがあった。姉には幸せになって欲しかった。姉にはありのままの姿で生きていて欲しかった。泣いて帰って来てなんて欲しくなかった。

俺は財布から金を抜いて姉に渡した。「俺、お前のショートヘア大好きだったよ。かっけーもん。」

俺のお下がりの服は、体格差から姉にはかなり大きかったけど、それでも小さいサイズのものを選んで貸した。あの日から10年以上経って、姉は今度は兄ではなく俺の服を着て美容室へ向かい、長い髪の毛をすっかり短くして来た。ツーブロックまでした姉を俺はあの日と同じ様に駄菓子屋で待ちたかったけど、駄菓子屋改装して雑貨屋になっていたから、雑貨屋で姉の部屋に飾るアクセサリースタンドを買って、袋を提げて店の前で待っていた俺に姉は「お前もおっきくなったね」と笑った。やっぱり中性的な姉は美人だった。

俺は5人家族、3兄弟末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。

対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。しかし、俺は幾らだって言いたい。俺を優しいと言うけれど、その優しさは姉から貰ったものだった。優しくて、生きづらくて、それでも決して誰かを悪く言わない強い姉だって、昔から兄と同じくらい自慢の姉だった。

2020-07-29

給食マスクで思い出すこと

給食マスクと聞くと、小学生だった時の担任のM先生を思い出す。

M先生は30歳前後女性で、2年間自分担任だった。小学生ながらに「この先生ちょっとヤバイ」と思っていたので、M先生について思い出せたエピソード客観的に書いてみる。別に変じゃないエピソードもあるかもしれない。もう自分では何が普通で何が異常なのかよくわからなくなっている。

給食当番は、家からマスクを持ってこないといけないルールだった。M先生は、マスクを忘れた生徒を怒り、黒の油性マジックで顔にマスクを書いた。口の周りに大きな四角を、それから耳まで紐の部分を書いた。さすがに四角を黒で塗りつぶすことはしなかったが、四角の中に大きくバッテンを書いていた気がする。そしてそのまま生徒を下校させた。

授業参観の前日、M先生は「明日授業参観なので、みんなで1本ずつバラの花を持ち寄りましょう!教室が華やかになりますよ」と言った。「反対の人は手を挙げて」と言うので手を挙げた。手を挙げたのは自分だけだったので理由を聞かれた。「今月のお小遣いがもう残っていないので買えません」というと、「自分で買えなんて言ってないわよ、みんな親御さんに買ってもらいなさい」と笑った。帰宅し、母親バラを買いに行った。田舎だったので町に花屋さんは1つしかなく、バラはもう売り切れていて買えなかった。

M先生結婚した。相手は他校の教師らしい。結婚式準備や新婚旅行で何日か学校を休んだ後、生徒の家にハガキが送られてきた。二人が肩を組んでいる幸せそうな写真入りで、「私たち結婚しました」と書いてあった。母親が苦笑していた。

ある日、M先生の発案で、授業間の10分の休み時間がおしゃべり禁止になった。最初の何回かはみんな守らず、ひそひそとおしゃべりをしていたが、M先生がついに本気で怒った。その次の休み時間、本当に誰一人声を発しない、静まり返った教室となった。するとM先生は「なんか誰もしゃべらないのって気持ち悪いわねぇ!やめましょやめましょ!!」と笑い、そのルールは一日でなくなった。

やんちゃ男子3人組がいた。何か物が壊れていたりすると「あの3人がやったに違いない!!!」と騒ぎ、3人を呼びつけ怒っていた。3人は反論せず呆気に取られていた。

やんちゃ男子3人組のひとりが何か悪いことをしたらしく、M先生に怒られていた。M先生は、「先生の言うことは絶対なんです!先生が死になさいと言ったら死ななくてはならないんです!今すぐあのベランダから飛び降りなさい!」と言っていた。※ちなみにその男子は先生の話を全く聞いておらず、いつものようにケロっとしていた。その後落ち込んだりとかはしていなかったと思う。

M先生親族が亡くなった次のお正月父親が「M先生喪中から年賀状ではなく寒中見舞いを出しなさい」と言ったので、その通りにした。学校が始まると、M先生年賀状を出してしまった生徒が集められ、「あなたたちはとても失礼なことをしたのよ」という旨のことを怒られた。寒中見舞いを出した自分も一緒に怒られた。親に報告すると、母親が「だから寒中見舞いも出す必要なかったのよ、余計なことはしなくていいのよ!」と父親喧嘩していた。

2年間、平日は毎日顔を合わせていたから、他にもたくさんあるはずだけど、これしか思い出せなかった。もう20年くらい前の話なので、印象に残ったこしか覚えていないし、詳細も確かではない。ただ、もうすぐクラス替えというタイミングで、「来年先生担任がいい人~?」と自ら生徒に聞き、誰も手を挙げなかったときのことは、今でも鮮明に思い出せる。

2020-07-27

彼女のかわいさ

さっきベランダに鳥が来てたらしい

ピヨピヨ聞こえるから覗いてみたらセミをくわえててイヤだったとのこと

結局セミは持ち去られたからセーフだったらしい

鳥の鳴き声を聞いてベランダを覗く彼女 セミを見て嫌がる彼女 かわいい〜……

2020-07-23

自粛中の都民の4連休、積み残した仕事を午前中にちょっとやって一休みしている。

コロナ以降は夫婦ともに在宅率が一気に高まったので、家で料理を作って食べるようになった。料理は好きだし通勤しないで済む分の余裕があるから苦にもならない。

考え事が仕事の大半、というか企画職なので、送られてくる所与の資料を読みふけり調べ物をしうーんうーん、うーんと煮詰まったりしながら資料を作り、リモート会議プレゼンしたりする。最初のうちは化粧した方がいいだろうか、ビジネスぽい恰好をした方がいいのだろうかなどとと思ったがこちらも先方もだんだん緩くなり、家にいるとき服装会議をしている。さすがにタンクトップとかではないが、Tシャツ全然ありであるプレゼンしたもののピント外れで画面に並ぶ顔たちからつぎつぎにダメ出しをされたりすることもしょっちゅうなので、冷や汗もすぐ乾くTシャツでもいいぐらいだ。

我が家には子ができなかった。そのせいもあってリモート仕事環境はかなり良いのだろうと思う。マンションの部屋からは割といい風景が見える。手が止まったらベランダに出て少しボケっとしたりしている。古いマンションだが窓から風景が気に入って買った。寝室の他にもう一部屋あったのでそちらを夫用の部屋にして、私はダイニングテーブル占拠している。リモート会議の内容は当然家族にも守秘なので、私が会議中は夫はリビングには入れないし逆もしかである。共用スペースを私が占拠すると夫はイヤなのではないかと思ったが、特に不都合はないか大丈夫だというので良かった。夫のリモート会議の声が個室から漏れ聞こえてくることがある。何を話しているかは分からないが気配は感じて、仕事中の夫…ふふふ、とほくそ笑む。こちらがダイニングテーブル猫背になって酷い顔をして煮詰まっているところに、夫がコーヒーを淹れに来るときがある。コーヒーがいいにおいで気づいて顔を上げると私の分のコーヒーテーブルにおいてくれる時もある。そうじゃない時もある笑、紅茶淹れるけど飲む?と声をかけて二人でちょっと休憩する時もある。

ダイニングテーブル仕事をする良いことの一つは、食事の支度だ。食事まわりは以前から主に私の分担なので、ダイニングで仕事をしながら、煮詰まったら手を洗って晩ごはんちょっとした下ごしらえをしたりしている。しょっちゅう煮詰まるおかげで凝った晩ごはんが増えたように思う。正月でもないのに黒豆を煮込んだりしている。だし巻き卵とか(だしを引いたら冷えるまで待つ、みたいなほんの少しの手間が、出勤上等な日々ではなかなか面倒になっていた。タブレット資料を読みながら煮魚の上に煮汁をかけたりしている。煮汁をさんざん浴びせられてツヤツヤになったカレイ煮物が我ながら旨かった。ダイニングを私が占拠したことで、ごはんリビングテーブルで食べよう、ということになった。それも宴会みたいで何か楽しい宴会料理ではなく粗食だが。

夫は良い椅子を買うと言ってデカビジネスチェアを買っていた。下に敷くものを合わせて買っていて、さすが夫ナイス!と思った。私はダイニングの椅子テーブルで割と快適に仕事をしている。おたがい、残業(というのかな?)で遅い時間まで仕事をしている時もあるのだが、寝室を仕事部屋にせずに済んだのは一番幸いだったと思う。

リモート会議ももうかなり慣れてきて、今はお子さんがいる相手方が話している時にかわいらしい声が入ってくるのにデレたり、先方の旦那さんのデカくしゃみが入り込んでくるのに笑いが止まらなくなったりしている。やはり在宅だと静かで外部環境の変化が少ないので、小さいことがツボって笑いが止まらなくなったりする。

自分取引先だと、会議映像をoffにして、実質複数電話状態で打合せをすることが増えている。社内会議ではすでに回線の安定確保のために映像要らんとなっている。でも実は、野次馬根性もあって背景に映りこんでいるものに興味津々なのでこの風潮はほんの少し残念でもある。一方で、先方が年配の方だったりすると顔が見えないのが不安になるようなので、映像onでやる。私はダイニングテーブル会議中なので背景はリビングダイニングの壁全面に作り付けてもらった本棚が映る。素敵な画集や素敵な装丁文学の間にオシャレなインテリア雑貨などが美しく並んでいればいいのだろうが、大半は仕事関係の本が雑然とそしてギュウギュウに縦・横に詰まっている。web映像でどんな本が置いてあるかまでは分からないだろうが、仕事の本に混じってお笑い男の星座とかも入ってるからバレたら恥ずかしいな。

2020-07-22

うつ病休職して1ヶ月経つんうつになったきっかけとか書く②

文字数制限引っかかったんで前回の続き

もう書くことないしここみることもないです

フリーター時代

仕事をやめてから寮も出て友達と2人、都内の端っこの方でルームシェアを始めた。これは小学校同級生で、今も一緒に暮らしてる。

彼女大卒で、就職を機に上京するというので私から話を持ちかけた。家電代浮くし、部屋探しやライフライン周りの手続き全部やるし、ってことで。

ぼんやりニートをして、中々バイトが決まらなくてめっちゃ苦労した記憶がある。給料はそんな良くないけど暮らしていければいいなー、っていうのでクリーニング屋さんでバイトを始めた。

めっちゃみんな優しくてびっくりした。おばちゃん3人と、年の近いお姉さんが1人。駅前にあるクリーニング屋なので今でもたまにあったりする。

その中にめちゃお上品な人が居て、何かと本当に気にかけてくれる。お菓子持ってきたよ~!とか、これお土産!お友達と食べて!とか。未だに道端で会うと「マックごちそうさせて!笑」とか言ってくれる。

常連クレーマーかいうよく分からん人に当たって苦労もあったけど凄く良い環境だった。労働時間も5時間ぐらいで短い代わりにたくさん出勤させてくれて稼がせてくれた。

多分おばちゃんたちからすると「有給使って休めるラッキー」くらいだったのかも。就活とかも大丈夫?とか、旦那会社紹介しようか?って本当優しい人たちばかりに恵まれたいい環境だったなあ。

お盆休みも2週間くらいあった。初めて夏休みが出来た……って思ったくらい。大体半年ちょっとクリーニング屋で働いてる間にそろそろ就活しよう!と思った。

バイト始めてから仕事を覚えるので手一杯で、就活するような余裕が無かった。なので、落ち着いてきた秋ぐらい。生活の安定しないフリーターだと友達不安だろうし、と思ってたまたま母親の紹介してくれた就職エージェント的な人に会った。

ふとフォロワーが「縁切り行けば?」と言ってくれたのを思い出してその日のうちに縁切りに行った。



行った縁切りは於岩稲荷陽運寺。お岩さんの階段で有名なとこ?らしい。縁切りと縁結び、両方あるってネットで見てこれは今の私に最適じゃ~んと思った。

そこで今までの悪縁全部切って、今月中に就職したいです!あと櫻井孝宏みたいな(声の)彼氏欲しいです!!ってお願いした。(櫻井孝宏の声に人生狂わされたオタクなので)

その効果があったのか分からないけど、縁切りに行った3日後に内定が出た。それが去年の10月末のことで、友達自分ことみたいに喜んでくれた。

今までしたことなかったけど、決まった次の日が土曜日だったのでピザとか頼んじゃって、お酒冷やして、ハロプロライブみて騒いだ。今までで一番うまい酒だった。



転職して休職するまで

転職先はインフラIT企業警備員だったときの基本給が14万だったので、多分17万くらいだろうな~と思って雇用契約書みたら21万って書いててひっくり返った。ドッヒャー!

研修中にCCNA取得して、12月中はなかなか常駐先が決まらず、月末頃にやっと決まった。その間は本社研修のお手伝いとか電話番とかしてた。この時ぐらいにマッチングアプリ彼氏出会ってお付き合いに至る。

なお、櫻井孝宏みたいな声ではぜんっぜんない。ただ、名前が「ささき たかひろ」という。名前に寄せろって言ってないんだけど~!?wwwwwwみんなもお岩さんにお願いするとき絶対ちゃんと細かく指定したほうが良い。

私のようなニアミスを起こす人が出ないことを祈ります。ただ彼氏お酒は苦手、タバコは吸わない、ギャンブルもしないっていう良い人なんでオッケーです。


年明けからは常夜勤、土日祝休みの超ホワイト現場で働き始めた。最初は何が何だかよく分からん~ってなってたけど先輩は優しかったし、「僕もよく分かってないこと多いです」って言ってくれた。本当にこの言葉に助けられた……

初めての夜勤最初は辛かったけど警備員時代の体力で普通に乗り切れた。仕事も慣れてきたら楽しいし、現場におじさんが多いのもあってお菓子とかよく貰った。優しくて厳しい人たちだった。

夜勤のうちは本当に良かった。満員電車に乗ることも無く、コロナ流行りだしてから通勤があったけど人がさらに減ってラッキーぐらいに思ってた。でもコロナのせいで、夜勤で出来る仕事がなくなって日勤に移動になった。

それと同時に、現場の人は変わらないが場所だけ移転となった。今まで通っていた場所までは1時間だったのが、通勤に1時間半かかるようになった。

夜勤は広いフロア20しか居なかった。日勤は常にたくさんの人で溢れかえっていた。常にどこかピリピリした空気が漂っていて、人多いな~、嫌な感じだな~くらいだった。

通勤の時も満員ほどではないけどほぼ満席、それでも毎日座ることは出来てた。日勤になってから、徐々に徐々に、自分でも気付かないうちにストレスが溜まってたのかもしれない。

日勤に移動したところで仕事はほぼ無く、暇な時間を過ごすことが多かった。何もやることも、出来ることもなかった。

この頃からなんとなく自分の体調がおかしいことに気付いてた。なんとなく落ち込んで、イライラしてしまう。生理前だからだろ、って勝手解釈して片付けてた。

食事を摂らなくなって、早朝覚醒が多くなったのはこのへんからだと思う。

これが、5月20日頃の話。


私の心と体のバランスが完全に取れなくなったのは緊急事態宣言解除後からだったと思う。

今までにないくらいの満員電車職場の人の多さ。思い返してみると6月中はずっとピリピリして彼氏に当たり散らしてた。先月までの私は口を開けば愚痴ばかりの女で、何をきっかけに怒るか分からない。そういうヤバい人だった。

コロナの中での通勤、3密を避けられない満員電車、新しい場所現場、常にピリついた雰囲気、人の多さ。これが私のストレス源になってたんだと思う。

6月10日の夜。

気が付いたら自宅のベランダ、3階から飛び降りていた。幸いなことに怪我は打撲と切り傷しかなかった。痛くて涙が出て、その時に「もしかして私は限界なのでは?」と思った。もしかしなくても限界である。気付けバカ、と過去自分に言いたい。

痛い……って思いながら階段登って家に帰った。次の日、寝て起きて普通に出勤した。今思えば普通に病院行けって感じだけど、とにかく私は出勤しなきゃと思った。

そこで初めて飛び降りたことは伏せて「気持ちの具合が悪い」的な感じで先輩に相談すると「早めに医者には行くほうがいい」と言われる。先輩も前の会社メンタル病んで辞めた人だった。

日勤はやることが殆ど無かったし、そういう日は先輩に時々相談したり、LINE自殺相談チャットとか、自殺相談電話とかを週に2、3回してた。

6月10日の週や、その前の週は「私は何もしてないのに周りは仕事をしている」。というので落ち込んでた。勝手に周りと比較して、勝手会社の中で泣きそうだった。

15日以降は通勤電車の中で泣きそうになった。「この人達は今から出勤して働くんだ、なのに私は今日出勤しても何もやることない。その上通勤するだけでもう泣きそう、なんてダメなんだろう」って思った。

確か出勤したのは17、19の2日間だけ。あとは休んだ。休んでしまう罪悪感で押し潰されそうだった。夜中、車や大雨の音が怖くて怖くてたまらなかった。


22日はコロナ抗体検査を受けるように、と言われて抗体検査の会場に会社の人たちと向かった。昼からだったので午前休を取って、会場に行った。

自宅で玄関を開けるだけで手が震えて、最寄り駅に行くまでの間で泣きそうになった。すれ違う人が怖かった。行かなきゃ、使命感みたいな義務感で向かった。

その会場がよくなかったのかもしれない。今まで行ったことがない場所で、たくさん人が居た。検査結果はオール陰性で、これから会社に行こう、って向かう駅の改札前で具合が悪くなった。

突然目の前が真っ暗になるって感じかもしれない。フラフラして、しゃがみこんだ。すぐに駅員さんが椅子持ってきてくれて、先輩がポカリ買ってきてくれた。


流石に改札前じゃ目立つ、って思って駅のホーム椅子に座って、半泣きで先輩に色々話した。

先輩が教えてくれたのは「いい意味で休んでも大丈夫。休んでも今みんな暇だから代わりにやってくれる人はたくさんいるし、みんなやりたがる。だから一度休んだほうがいい」。

その先輩は色々限界な人だったらしく、一時期生活保護貰って生活してたこともある、生きてたらなんとでもなる、と言ってくれた。出会って半年くらいの小娘にここまでいろんなことを教えてくれるいい人だった。

やっと自分限界なのを悟って休職に踏み切った。心療内科電話して、予約を取って、人生二度目の医者にかかった。



最初看護師さんとカウンセリングをした。その時今ここに書いてあるようなことを喋った。生育歴、というらしい。

カウンセラーさんには「うーん、親離れが出来てないのかも?」と言われてめちゃくちゃ衝撃を受けた。

私は今までの人生母親の言うことは絶対だと思って生きてきた。何なら今もそう思ってる節はあるかもしれない。

お母さんが言うから女子より男子の多い学校に行って、お母さんが言うからAOで入れる学費の安い専門に入って、お母さんが言うから仕事社員寮のある場所にして、お母さんが言うから前の会社を辞めた。

私は無意識にそういう話し方をしていたらしくて、自分でも無意識のうちに、母親の言うことにずっと従ってたらしい。あまりの衝撃に呆然とした。待合室でぼんやりしてた。

他にもいくつか心理テストみたいなものも行った。自分の思ってるものに近いものに丸をつけましょう、みたいなやつ。


その後の診察でお医者さんに言われたのが、「まあ、いわゆるうつ病ですね」だった。自分でも「ですよね」って思った。多分、ホッとした。

心理テストの結果で点数が出るらしい。その数値は「平均的なうつ病」らしい。平均的なうつ病、有る種のパワーワードだなと言うのが率直な感想だった。

そして、休むことに対する罪悪感が大きい、と告げれば「うつ病一種に過剰な罪責感って項目があるのね。だから病気のせいだよ」と言われた。それと同時に、「多分あなた場合はお母さんから言葉があるのかも」と言われハッとした。

「休むことはサボり」という価値観は、母親に植え付けられたものだった。職場にいるのに仕事をしない=サボってる状態、と無意識解釈してたのかもしれない。それで疲れていたのもあったのかも。

元々うつ病の素質(警備員時代)があったこと、環境の変化がストレスに繋がりやすタイプなこと。今回は後者きっかけで表に出てきたんだろうね、と丁寧に図を使って色々説明してくれて、休職診断書を書いてくれた。

私に言い渡されたのは3ヶ月間の自宅療養だ。



休職してから

会社の人とオンラインでの面談なんかを済ませ、なんだかんだ休職して1ヶ月近くが経過する。

一緒に住んでる友達は「お父さんがうつで休んでた事あるし、私は私で生きてるから大丈夫。今はめっちゃ休んだらいいぞ」と言われた。理解の有る友達で一生大事にしたい。

最初の1週間は何したらいいんだ…?って凄い焦ってたし、休むことに対する罪悪感が大きかった。

でも、彼氏友達、お医者さんにも「休むことは権利として存在してる。そうじゃなかったら公休以外の有給祝日存在しない」と言われた。

そしてお医者さんには「休まなきゃ人間は病む」と言われた。医者が言うならそうなんだな!って思える単純な脳みそで良かった。

薬のおかげもあってか、死にたいとか思うことは無くなった。段々夜も眠れるようになった。外に出るのが苦にならなくなった。休んでも良いんだと思えるようになった。

何より説得力があったのは「警備員時代に休めなかった分休むと思えばいいんじゃない?」という彼氏言葉だ。月3、4休みの1年半。3ヶ月休んでも多分足りないんだよな~!

今は買い物に出るぐらいは出来る。ただ、人が多いとパニック状態になってしまうのでオフピークや、パニクったら一人になれる場所に行く、とかで対策してる。

外で店員さんと話すのとかはちょっとまだ不安なことが多いけど一時期よりは随分マシになった。

当面の課題電車に乗れるようになる、あとは選択肢が多すぎるとパニックになるのを克服する。この2つかな、と思う。

徐々にだけど良くなってきたので無理せず今はやりたいことをやって行こうと思う。


最後にこんなアホ長文読んでいただいてありがとうございます。何かの役に立てば幸いです。

それから真・女神転生3 ノクターン HDリマスター、発売決定めっちゃ嬉しい。はよ復職したい。

2020-07-21

クレ 556 はどんな時でも期待に応えてくれるこの世で最も信頼できる製品

今日ベランダの窓を力尽くで閉めたらビクともしなくなった。

外側の網戸がガタついてたのは知ってたけどどこか引っかかったののか少しも動かない。

なんとかこじ開けようとドライバーを持ち出したり力一杯引っ張ったりしたけど全くダメ

ふとクレ556を思い出してダメもとでレールにスプレーして窓をひっぱったら音も無く開いた。

ほんと頼りになる。

希死念慮

数年前、うつ病になり希死念慮体験した。

自分はとても臆病で死ぬのが怖い。今でも時々死ぬのが怖くなり眠れなくなることがある。

死が怖いのに、うつ病になると、ふとした瞬間に「死ぬ」という選択肢が浮かぶようになった。

ベランダに近づけなくなった。電車ホーム踏切から距離を取るようになった。油断したらふらふらと飛び降りしまいそうで怖い。

ゲームで言うなら、「戦う」「魔法」「道具」「逃げる」の中に急に「死ぬ」という選択肢が表示されているような感じだ。強烈な存在感で常に表示され続ける。

死ぬのは怖い」「死ぬのは嫌だ」と思っているのに、「今一歩踏み出せば死ねる」「ここで死んだら苦しみから解放される」という思考回路に何故かなってしまう。

うつ病中は全てが辛いので、解放されるという選択肢は妙に魅力的に見えてしまう。それを思考で違うだろうと否定して何とか回避した。

運よく数ヶ月でうつ病は治ったが、もし希望の見えない底なし沼の状態が何年も続いていたら……。

うつ病の再発率は高いらしい。治ってから、再発が怖くてストレスのかかることから逃げるようになった。他者からは甘えに見えると思う。たまに自分でも甘えなんじゃないかと思うこともある。

一度膝を痛めたら、常に膝のことを気を使って生活するようになると聞くが、それに近いと思う。

そのせいで就活に失敗して別の地獄を見たのだが、うつ病よりはマシかもしれない。

何だかんだで今はメンタルに気を使いながら幸せに生きている。死ななくて良かった。

2020-07-20

anond:20200720070503

禁煙ストレスが、と思い込みの面がありそうだな

吸うんなら迷惑かけずに吸えって言ってるだけで、それが出来るなら勝手に吸って勝手に早死したらええよ

でもベランダもそうだし廊下もそうだし隣家もそうだし、人様にはその有害な煙を絶対吸わせるな

あと吸った後の服についたくさい臭いもどうにかしてくれ

2020-07-17

隣の部屋から壁ドンされてうざい

夜8時に窓を開けてテレビ見てたら壁ドンされるわうるせーなーとベランダ越しに言われるわで死ぬほどうざい

どう対抗すればいいかな?

とりあえずテレビの音量は上げたけど

2020-07-16

下半身露出してベランダタバコ吸うと気持ちいい

タバコ青空の下で吸ってこそ。汚い狭い喫煙所なんてもってのほかと考える小生ですが、先日知人の家のベランダタバコを吸ったらふと下半身露出できることに気がつき冒頭の知見を得た次第です。ベランダ構造を逆手にとったライフハック。狭苦しい喫煙所に押し込まれ日々肩身の狭い思いをしている愛煙家諸兄殿におかれては梅雨空に差す一筋の陽光となりますことを期待します。

2020-07-15

派遣社員同士のカップルのおもいで

この話はフィクションで、俺もこんな職場存在しないし、出てくる人たちも存在しなくて、これを読んでる君もどこにもいないです。

から5、6年ほど前に、俺はとある大型事務センター派遣社員をしていた。

就職できなかったというより、仕事が出来ない無能な上に人中りして人間関係が酷く疲れる気質なので、新卒短期間で蹴って逃げた俺は正社員として働きたくなかった。あんな思いをしながら生きるぐらいなら、いっその事死んだ方がマシだと真剣に思えた。pha中島義道斎藤環の本を布団の中でずっと読んでる様な、そんな時期だった。こんな社会不適合者にとって、ひたすらキーバンチャ―をするだけの派遣社員のこの仕事はまさに天職で、社会に出てからはじめて「俺は生きてても良いんだ。」と思えた。仕事帰りに出かける精神的余裕ができたのもこの時期だったと思う。社会不適合者にとって社会は厳しいけれども、俺でも受け入れてくれるぐらいには懐が広い。そう気づけた。

こういう誰でも出来て、なおかつ多くの人力を必要とする楽な仕事には、時給1000円そこらにも関わらず多くの人間が集まる。

主婦、他に働き口のない年配者、皮膚病がある人、身体障害がある人、精神疾患がある人、売れないバンドマン、社会生活を諦めた人。

みんな彼らを奇異な目で見る事も見られる事もない。若い女の子ちょっかいかけて迷惑がられる中年オヤジもいたが、主婦層が若い女の子が嫌な目に合わないように囲ってオヤジを寄せ付けないように庇うシーンなんかも観た。

生涯非正規雇用しかいたことのない年輩者。漫画映画サブカルチャーに異様な詳しさを見せる30後半の男性キャバクラに費やして借金を500万程背負って自己破産した躁鬱の中年ネトゲ経由で女子高生と付き合って会うたびにセックスに興じてる話を嬉しそうにする20代半ばの日焼けしてない小太りの男。通信大学勉強をすることだけを生きがいにしてる勉強好きな人。顔色の悪いその日ぐらしのデイトレーダーリーマンショック会社が潰れてからずっと派遣社員をしているこっちが心配になるぐらい優しくて人が良い男性派遣をしながらアート勉強をしていたが仕事に結びつかずそのまま派遣を続けてる女性HSP気質が強すぎて大きな音を聞くだけで目に見えて動揺する女性借金を抱えている上に子宮筋腫の手術を控えていて頭を抱えながらこれからの先を涙ながらに悲観する中年女性。本当にいろんな人がいた。当欠してもお咎めなし、生産性求められず、社交性無くてもウェルカム!この気楽さと中島らものような門戸と懐の広さに「派遣社員制度福祉」だとさえ感じた。もちろん突然消える人も多かった。

そんな中、俺が今でも一番印象に残っているのが派遣社員同士の一組のカップルだった。

彼らとは別の部署で直接接点はなかったが、休み時間に休憩室で勉強しているときに向かいに座っていたカップルの会話が耳に入ってきた。

どうやら二人は同棲しているようで、そろそろベランダミニトマトが食べれそうだの、そんな話をしていた。

穏やかな口調で静かに話す30前半ぐらい思われるスピッツ草野マサムネに似た男性と、化粧一つしてない新興宗教リトルぺブルのクララさんに似た20後半ぐらいの女性だった。

二人とも素朴な感じで、見栄とか恨みとか憎しみとか、そういうものとは無縁のような、表現は悪いが人畜無害そうな、植物の様な、そんな印象を受けた。二人の間には確かに静かな時間が流れていて、誰も傷つけず、誰にも傷つけられないような、そんな二人が纏う空気が俺はとても好きだった。もしも俺の半径内で彼らに危害を加える人間が居たら全力で守りたい。そんな庇護欲にさえ駆られた。

時給千円だと二人の手取りを合わせて月の可処分所得はおおよそ28万円ぐらいになる。交通費支給されない。二人が広げる手作りのお弁当を眺めながら、一体、どんな部屋に住んでいて、どんな生活をしているんだろう。と好奇心が湧いた。(が、最後まで接点はなかった。)

何も身につかない職場(しいて言うなら相手の眼を見れば躁鬱かどうかがわかるスキルは身についた。薬のせいか病気のせいか理屈はわからないが、躁鬱疾患者の目には特有のギラつきがある)で過ごし20代の貴重な数年を棒に振った俺は、月の半分が休みのような仕事正社員として採用されたので、天職だと言えた派遣職場を去った。

派遣時代に比べれば可処分所得は倍以上になったが、忙しさや疲労度は増した。仕事帰りに出かける気力もなくなってきた。休みの日が多くなったが、寝ている時間も増えた。LINE新卒時代に消したままだ。外部との連絡手段gmailのみ。SNS嫌いの俺にはそれが心地よかった。友人の誘いを断ることが多くなり、連絡も途絶えるようになった。

職場にいるキラキラとした女性たちやイケイケでエネルギーに溢れる男性を目にすると、その表裏を帯びた見栄や世間体を感じてしまい、とても息苦しくなってしまう。息がつまりそうになる。ドッと疲れる。どうしても派遣時代の、良くも悪くも何事に対しても無関心な、山野一漫画世界マイルドにした様なあの雰囲気が恋しくなってしまうのだ。

上司に「お前彼女はいるのか?」と聞かれた。素直に「いないです。」と答えた。

若いうちに良い女をみつけとけ、ここはキレイどころ多いだろ、金持ってる女も多いしな」と上司は笑った。

もしもここで交際相手を見つけるなら俺は自分をひん曲げてでも人格気質を変えていく必要がある。しかし、自分をひん曲げてまで彼女が欲しいと思える程のエネルギーは無かった。負け惜しみとかではなくて素直に交際相手が欲しいとは思えなかった。静かに寝ていたかった。

そういう時に、いつも派遣時代のあのカップルを思い出してしまう。

昇給もなく、雇用も切られやす派遣社員同士で生活していくのは将来不安なことだろう。両親から容認も難しいだろう。友人から理解も難しいだろう。きっと「将来どうするの?」とか水を差されたりするんだろう。男性は「もっと甲斐性を持て。給料もらえる仕事につけ。非正規とかやべえぞ」と尻を叩かれ、女性は「そんな将来性のない男と一緒にいるの辞めたほうが良いよ先が無いよ」と窘められるのだろう。それでも二人は一緒にいる事を選んだのだ。そこには見栄も、経済的な豊かさも、時間に追われる事も、仕事ストレスもない。二人でのんびりと過ごせる、二人で居られる時間を選んだのだ。今の職場で働き出して、ようやくそれに気づいた。

「だから彼らは幸せ」というのは些か短絡的ではある。そもそも俺には二人のパーソナル的なものは何一つわからない。ひょっとしたら二人とも重度の精神疾患を患っていて共依存の様な関係なのかもしれない。それでも、様々な障害差し置いても二人で居られる時間を二人で選べた彼らを、俺は心の底から羨ましく感じた。もしかしたら俺は二人の関係がずっとずっと羨ましかったのかもしれない。どれだけ金を詰もうが、どれだけ自分磨きをしようが、二人の様な関係性は簡単に築けるものではない。少なくとも彼らの人生における彼らの関係性はとても豊かな物だと、俺は思う。

今あの二人がどうしてるのかわからないけど、出来るなら今でも二人で幸せ暮らしていて欲しいと、時々ふと思う。上手くすべてが続いていけばいい。

PS. お外出たくないし通勤しないで寝ていたいので在宅で食っていける仕事おしえてください。

しゃぼん玉が好き

ベランダとか公園とかあと田舎から人も車もいないしコンビニまでの道すがらとかで結構吹くんだけど

もし自分無自覚感染症を患っていたらしゃぼん玉って兵器レベルに広めちゃうのかなあ

飛沫だなんだとかよく聞いたけどしゃぼん玉についてはどうなんだろ

2020-07-14

夢 20200713

早朝に急に実家母親が訪ねてきた

追い返そうと思ったが急いで部屋を片付けて招き入れた

仕事は休んだ

今より広い部屋に引っ越し

新しい部屋には今より大きい収納スペースがある

食器を入れる棚もある

最上である

ベランダが広い

屋上駐車場になっている

ごみ捨て場が近い

近くに公園がある

無断で休んだことは謝らねばならない

2020-07-13

キャバ嬢腐女子ストーカーになった話(気持ちの整理)

このページを開いて頂きありがとうございます

はじめに

「誤字脱字てにをはの使いワケが出来ていません。」

腐女子キャバ嬢云々関係ないです、ただストーカーしてこうしたというだけのお話です」


私は腐女子ではありません。普通の昼職と夜職を掛け持ちしている一般人です。

私がストーカー行為をしている絵師様(仮にA様とします)は、フォロワーが5000人近い方で、ジャンルは先日14周年を迎えた有名(?)な漫画です。しか最近魔法系のゲームにハマってらっしゃいます


私がそのA様と出会ったのはTwitterでした。

初めは居もしない2次元相手に「かわいい」、「好きだ」と呟くそ行為に恐れすら感じましたが今ではその熱意を見る度顫動します。

彼女もっと知りたい、そう思ったのがストーカーになるきっかけでした。  

A様に狂い始めた頃、仲良くなりたい!まず1番にそう思いました。しかし私は絵は人並み言葉も人並み…2次創作に全く向いていない人間です。

2日程してそもそもこんな私がA様とお話するなんて…!と思い、いいねRT以外の行為はなにもしないと決めました(後にお題箱が出てきます)。

それでもやはりA様の事をもっと良く知りたかったのでネットに詳しい方に依頼してA様のTwitterアカウントパスワードを解析して頂きました。

DM、下書き、リスト…全て見る事が出来ました。とても嬉しかったです。

しかパスワードを替えられてしまうと厄介なので、特に何の行動も起こしませんでした。

ここまで読んだ方には異常だと思われるかもしれません。そうです、異常な上私には時間お金が余っていました。

普段から食事をしないので会社のお昼ご飯時間が暇だったのです。食費も全くかかりません。本当にお金時間がすごく余っていました。暇人はなにをするか分かりませんね。


また女性なら誰でもするメイクメイクをするのが私はとても好きなのですがどうしてもA様と同じ物を使いたく、お題箱にどのような化粧品使用しているか投げ込んだ事があります

彼女のお題箱には口調を変えて何度も何度も言葉を投げ込みました。彼女の答えているお題箱の7割は私の質問です。

A様の使用しているヘアカラー材も同じ物を使用しています髪型絵師様の友人が以前上げていた写真と同じ物にしました。


椎茸パプリカを購入し、育てて居らしたので同じ時期に椎茸パプリカを育てました。

マイメロハローキティが好きでしたが、A様はポチャッコが好きなので、マイメロたちのグッズは人に渡し、部屋にはポチャッコが溢れました。

しょっぱいモノはキライでしたが、A様がかっぱえびせんを好きと仰ったので4日に1度の食事かっぱえびせんしました。仕事低血糖で失神しました。

A様の同僚がエビチリの服を着ていらしたので私もその服を購入しました。

職場ミスをしたら「I.Q2」と言います。A様が職場で失敗した際そう言ったそうです。

他にも全てのツイートを保存し、リプライも保存し、ノートに纏めました。これでいつでもA様のツイートがすぐに見られます

画像ツイートした際には印刷して貼りつけようか迷いましたが、スマホへ保存する事に留めました。




それでも足りませんでした。関わり等全くありませんが、追いかけ続けた時間が長すぎて、A様に対する執着がどんどん強くなって行ったのです。

ある日、A様がディズニーランド写真投稿されました。すぐに友人のBのアカウントを見ると、A様と2人で遊びにいっているという事が分かりました。

その日は仕事を定時で退社しディズニーランドへ行こうとしました。が、仕方ないと思いつつ夜の仕事まで時間が余ってしまったので、A様の住んでいる区の隅から隅まで車で走りました。あの女性がA様だったらどうしようあの女性がA様だったらどうしよう。そう考えてドキドキする時間が大好きでした。

A様の鍵アカツイート、A様の友人のリプライから、どの区にお住まいになられてどの区へ出社しているのかは知っていました。

そして冬の初め、人生で初めて探偵を雇いました。

BはよくA様の写真投稿していたので、A様の見た目、体型、おおよその検討は着いていました。

そして21日待つと、事務所からハッキリとした連絡がありました。

やっと見付けられた!喜びも束の間、渡された写真にはやはり想像上のA様とはあまり似ていない方が写って居ました。

それでもとても嬉しかったのです。どんな顔だろうとどんな体型であろうと私は嬉しかったハズです。

また、住所、高校(大学名は自力で調べました)、部署、全てを教えて貰いました。

これでA様のほとんどを知った事になります

探偵様には本当に頭があがりません。

お金は少し無くなりましたが、この為に働いていたのかと思うくらいとても達成感がありました。

私自信もストーカーを何度もされ、ベランダに貼り付かれたり「俺の女だ!」と叫ばれ近隣の方に迷惑をかけられた事が沢山あります迷惑をかける、分かっててもやめられません。苦しいですね。


A様を監視していたTwitterアカウントを消したので気持ち吐露しました。

また次に引っ越す時は、A様と同じ区に住みます

ここまで読んでくださりありがとうございました。私の気持ちの整理なので拙い文章申し訳ないです。






















絵師さまみてくれたかなぁ

キャバ嬢腐女子ストーカーになった話(気持ちの整理)

このページを開いて頂きありがとうございます

はじめに

ストーカーはよくありません。」

気持ちの整理のために書いた文章です、誤字脱字てにをはの使いワケが余り出来ていません。」

腐女子キャバ嬢云々関係ないです、ただストーカーしてこうしたというだけのお話です」


私は腐女子ではありません。普通の昼職と夜職を掛け持ちしている一般人です。

私がストーカー行為をしている絵師様(仮にA様とします)は、フォロワーが5000人近い方で、ジャンルは先日14周年を迎えた有名(?)な漫画です。しか最近魔法系のゲームにハマってらっしゃいます


私がそのA様と出会ったのはTwitterでした。

初めは居もしない2次元相手に「かわいい」、「好きだ」と呟くそ行為に恐れすら感じましたが今ではその熱意を見る度顫動します。

彼女もっと知りたい、そう思ったのがストーカーになるきっかけでした。  



A様に狂い始めた頃、仲良くなりたい!まず1番にそう思いました。しかし私は絵は人並み言葉も人並み…2次創作に全く向いていない人間です。

2日程してそもそもこんな私がA様とお話するなんて…!と思い、いいねRT以外の行為はなにもしないと決めました(後にお題箱が出てきます)。

それでもやはりA様の事をもっと良く知りたかったのでネットに詳しい方に依頼してA様のTwitterアカウントパスワードを解析して頂きました。

DM、下書き、リスト…全て見る事が出来ました。とても嬉しかったです。

しかパスワードを替えられてしまうと厄介なので、特に何の行動も起こしませんでした。

ここまで読んだ方には異常だと思われるかもしれません。そうです、異常な上私には時間お金が余っていました。

普段から食事をしないので会社のお昼ご飯時間が暇だったのです。食費も全くかかりません。本当にお金時間がすごく余っていました。暇人はなにをするか分かりませんね。


また女性なら誰でもするメイクメイクをするのが私はとても好きなのですがどうしてもA様と同じ物を使いたく、お題箱にどのような化粧品使用しているか投げ込んだ事があります

彼女のお題箱には口調を変えて何度も何度も言葉を投げ込みました。彼女の答えているお題箱の7割は私の質問です。

A様の使用しているヘアカラー材も同じ物を使用しています髪型絵師様の友人が以前上げていた写真と同じ物にしました。


椎茸パプリカを購入し、育てて居らしたので同じ時期に椎茸パプリカを育てました。

マイメロハローキティが好きでしたが、A様はポチャッコが好きなので、マイメロたちのグッズは人に渡し、部屋にはポチャッコが溢れました。

しょっぱいモノはキライでしたが、A様がかっぱえびせんを好きと仰ったので4日に1度の食事かっぱえびせんしました。仕事低血糖で失神しました。

A様の同僚がエビチリの服を着ていらしたので私もその服を購入しました。

職場ミスをしたら「I.Q2」と言います。A様が職場で失敗した際そう言ったそうです。

他にも全てのツイートを保存し、リプライも保存し、ノートに纏めました。これでいつでもA様のツイートがすぐに見られます

画像ツイートした際には印刷して貼りつけようか迷いましたが、スマホへ保存する事に留めました。




それでも足りませんでした。関わり等全くありませんが、追いかけ続けた時間が長すぎて、A様に対する執着がどんどん強くなって行ったのです。

ある日、A様がディズニーランド写真投稿されました。すぐに友人のBのアカウントを見ると、A様と2人で遊びにいっているという事が分かりました。

その日は仕事を定時で退社しディズニーランドへ行こうとしました。が、仕方ないと思いつつ夜の仕事まで時間が余ってしまったので、A様の住んでいる区の隅から隅まで車で走りました。あの女性がA様だったらどうしようあの女性がA様だったらどうしよう。そう考えてドキドキする時間が大好きでした。

A様の鍵アカツイート、A様の友人のリプライから、どの区にお住まいになられてどの区へ出社しているのかは知っていました。

そして冬の初め、人生で初めて探偵を雇いました。

BはよくA様の写真投稿していたので、A様の見た目、体型、おおよその検討は着いていました。

そして21日待つと、事務所からハッキリとした連絡がありました。

やっと見付けられた!喜びも束の間、渡された写真にはやはり想像上のA様とはあまり似ていない方が写って居ました。

それでもとても嬉しかったのです。どんな顔だろうとどんな体型であろうと私は嬉しかったハズです。

また、住所、高校(大学名は自力で調べました)、部署、全てを教えて貰いました。

これでA様のほとんどを知った事になります

探偵様には本当に頭があがりません。

お金は少し無くなりましたが、この為に働いていたのかと思うくらいとても達成感がありました。


私自信もストーカーを何度もされ、ベランダに貼り付かれたり「俺の女だ!」と叫ばれ近隣の方に迷惑をかけられた事が沢山あります迷惑をかける、分かっててもやめられません。苦しいですね。



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また次に引っ越す時は、A様と同じ区に住みます

ここまで読んでくださりありがとうございました。私の気持ちの整理なので拙い文章申し訳ないです。






















絵師さまみてくれたかなぁ

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このページを開いて頂きありがとうございます

はじめに、私は腐女子ではありません。普通の昼職と夜職を掛け持ちしている一般人です。

私がストーカー行為をしている絵師様(仮にA様とします)は、フォロワーが5000人近い方で、ジャンルは先日14周年を迎えた有名(?)な漫画です。しか最近魔法系のゲームにハマってらっしゃいます


私がそのA様と出会ったのはTwitterでした。

初めは居もしない2次元相手に「かわいい」、「好きだ」と呟くそ行為に恐れすら感じましたが今ではその熱意を見る度顫動します。

彼女もっと知りたい、そう思ったのがストーカーになるきっかけでした。  



A様に狂い始めた頃、仲良くなりたい!まず1番にそう思いました。しかし私は絵は人並み言葉も人並み…2次創作に全く向いていない人間です。

2日程してそもそもこんな私がA様とお話するなんて…!と思い、いいねRT以外の行為はなにもしないと決めました(後にお題箱が出てきます)。

それでもやはりA様の事をもっと良く知りたかったのでネットに詳しい方に依頼してA様のTwitterアカウントパスワードを解析して頂きました。

DM、下書き、リスト…全て見る事が出来ました。とても嬉しかったです。

しかパスワードを替えられてしまうと厄介なので、特に何の行動も起こしませんでした。

ここまで読んだ方には異常だと思われるかもしれません。そうです、異常な上私には時間お金が余っていました。

普段から食事をしないので会社のお昼ご飯時間が暇だったのです。食費も全くかかりません。本当にお金時間がすごく余っていました。暇人はなにをするか分かりませんね。


また女性なら誰でもするメイクメイクをするのが私はとても好きなのですがどうしてもA様と同じ物を使いたく、お題箱にどのような化粧品使用しているか投げ込んだ事があります

彼女のお題箱には口調を変えて何度も何度も言葉を投げ込みました。彼女の答えているお題箱の7割は私の質問です。

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マイメロハローキティが好きでしたが、A様はポチャッコが好きなので、マイメロたちのグッズは人に渡し、部屋にはポチャッコが溢れました。

しょっぱいモノはキライでしたが、A様がかっぱえびせんを好きと仰ったので4日に1度の食事かっぱえびせんしました。仕事低血糖で失神しました。

A様の同僚がエビチリの服を着ていらしたので私もその服を購入しました。

職場ミスをしたら「I.Q2」と言います。A様が職場で失敗した際そう言ったそうです。

他にも全てのツイートを保存し、リプライも保存し、ノートに纏めました。これでいつでもA様のツイートがすぐに見られます

画像ツイートした際には印刷して貼りつけようか迷いましたが、スマホへ保存する事に留めました。




それでも足りませんでした。関わり等全くありませんが、追いかけ続けた時間が長すぎて、A様に対する執着がどんどん強くなって行ったのです。

ある日、A様がディズニーランド写真投稿されました。すぐに友人のBのアカウントを見ると、A様と2人で遊びにいっているという事が分かりました。

その日は仕事を定時で退社しディズニーランドへ行こうとしました。が、仕方ないと思いつつ夜の仕事まで時間が余ってしまったので、A様の住んでいる区の隅から隅まで車で走りました。あの女性がA様だったらどうしようあの女性がA様だったらどうしよう。そう考えてドキドキする時間が大好きでした。

A様の鍵アカツイート、A様の友人のリプライから、どの区にお住まいになられてどの区へ出社しているのかは知っていました。

そして冬の初め、人生で初めて探偵を雇いました。

BはよくA様の写真投稿していたので、A様の見た目、体型、おおよその検討は着いていました。

そして21日待つと、事務所からハッキリとした連絡がありました。

やっと見付けられた!喜びも束の間、渡された写真にはやはり想像上のA様とはあまり似ていない方が写って居ました。

それでもとても嬉しかったのです。どんな顔だろうとどんな体型であろうと私は嬉しかったハズです。

また、住所、高校(大学名は自力で調べました)、部署、全てを教えて貰いました。

これでA様のほとんどを知った事になります

探偵様には本当に頭があがりません。

お金は少し無くなりましたが、この為に働いていたのかと思うくらいとても達成感がありました。


私自信もストーカーを何度もされ、ベランダに貼り付かれたり「俺の女だ!」と叫ばれ近隣の方に迷惑をかけられた事が沢山あります迷惑をかける、分かっててもやめられません。苦しいですね。



A様を監視していたTwitterアカウントを消したので気持ち吐露しました。

また次に引っ越す時は、A様と同じ区に住みます

ここまで読んでくださりありがとうございました。私の気持ちの整理なので拙い文章申し訳ないです。






















絵師さまみてくれたかなぁ

キャバ嬢腐女子ストーカーになった話(気持ちの整理)

このページを開いて頂きありがとうございます

はじめに、私は腐女子ではありません。普通の昼職と夜職を掛け持ちしている一般人です。

私がストーカー行為をしている絵師様(仮にA様とします)は、フォロワーが5000人近い方で、ジャンルは先日14周年を迎えた有名(?)な漫画です。しか最近魔法系のゲームにハマってらっしゃいます


私がそのA様と出会ったのはTwitterでした。

初めは居もしない2次元相手に「かわいい」、「好きだ」と呟くそ行為に恐れすら感じましたが今ではその熱意を見る度顫動します。

彼女もっと知りたい、そう思ったのがストーカーになるきっかけでした。  



A様に狂い始めた頃、仲良くなりたい!まず1番にそう思いました。しかし私は絵は人並み言葉も人並み…2次創作に全く向いていない人間です。

2日程してそもそもこんな私がA様とお話するなんて…!と思い、いいねRT以外の行為はなにもしないと決めました(後にお題箱が出てきます)。

それでもやはりA様の事をもっと良く知りたかったのでネットに詳しい方に依頼してA様のTwitterアカウントパスワードを解析して頂きました。

DM、下書き、リスト…全て見る事が出来ました。とても嬉しかったです。

しかパスワードを替えられてしまうと厄介なので、特に何の行動も起こしませんでした。

ここまで読んだ方には異常だと思われるかもしれません。そうです、異常な上私には時間お金が余っていました。

普段から食事をしないので会社のお昼ご飯時間が暇だったのです。食費も全くかかりません。本当にお金時間がすごく余っていました。暇人はなにをするか分かりませんね。


また女性なら誰でもするメイクメイクをするのが私はとても好きなのですがどうしてもA様と同じ物を使いたく、お題箱にどのような化粧品使用しているか投げ込んだ事があります

彼女のお題箱には口調を変えて何度も何度も言葉を投げ込みました。彼女の答えているお題箱の7割は私の質問です。

A様の使用しているヘアカラー材も同じ物を使用しています髪型絵師様の友人が以前上げていた写真と同じ物にしました。


椎茸パプリカを購入し、育てて居らしたので同じ時期に椎茸パプリカを育てました。

マイメロハローキティが好きでしたが、A様はポチャッコが好きなので、マイメロたちのグッズは人に渡し、部屋にはポチャッコが溢れました。

しょっぱいモノはキライでしたが、A様がかっぱえびせんを好きと仰ったので4日に1度の食事かっぱえびせんしました。仕事低血糖で失神しました。

A様の同僚がエビチリの服を着ていらしたので私もその服を購入しました。

職場ミスをしたら「I.Q2」と言います。A様が職場で失敗した際そう言ったそうです。

他にも全てのツイートを保存し、リプライも保存し、ノートに纏めました。これでいつでもA様のツイートがすぐに見られます

画像ツイートした際には印刷して貼りつけようか迷いましたが、スマホへ保存する事に留めました。




それでも足りませんでした。関わり等全くありませんが、追いかけ続けた時間が長すぎて、A様に対する執着がどんどん強くなって行ったのです。

ある日、A様がディズニーランド写真投稿されました。すぐに友人のBのアカウントを見ると、A様と2人で遊びにいっているという事が分かりました。

その日は仕事を定時で退社しディズニーランドへ行こうとしました。が、仕方ないと思いつつ夜の仕事まで時間が余ってしまったので、A様の住んでいる区の隅から隅まで車で走りました。あの女性がA様だったらどうしようあの女性がA様だったらどうしよう。そう考えてドキドキする時間が大好きでした。

A様の鍵アカツイート、A様の友人のリプライから、どの区にお住まいになられてどの区へ出社しているのかは知っていました。

そして冬の初め、人生で初めて探偵を雇いました。

BはよくA様の写真投稿していたので、A様の見た目、体型、おおよその検討は着いていました。

そして21日待つと、事務所からハッキリとした連絡がありました。

やっと見付けられた!喜びも束の間、渡された写真にはやはり想像上のA様とはあまり似ていない方が写って居ました。

それでもとても嬉しかったのです。どんな顔だろうとどんな体型であろうと私は嬉しかったハズです。

また、住所、高校(大学名は自力で調べました)、部署、全てを教えて貰いました。

これでA様のほとんどを知った事になります

探偵様には本当に頭があがりません。

お金は少し無くなりましたが、この為に働いていたのかと思うくらいとても達成感がありました。


私自信もストーカーを何度もされ、ベランダに貼り付かれたり「俺の女だ!」と叫ばれ近隣の方に迷惑をかけられた事が沢山あります迷惑をかける、分かっててもやめられません。苦しいですね。



A様を監視していたTwitterアカウントを消したので気持ち吐露しました。

また次に引っ越す時は、A様と同じ区に住みます

ここまで読んでくださりありがとうございました。私の気持ちの整理なので拙い文章申し訳ないです。






















絵師さまみてくれたかなぁ

キャバ嬢腐女子ストーカーになった話(気持ちの整理)

このページを開いて頂きありがとうございます

はじめに、私は腐女子ではありません。普通の昼職と夜職を掛け持ちしている一般人です。

私がストーカー行為をしている絵師様(仮にA様とします)は、フォロワーが5000人近い方で、ジャンルは先日14周年を迎えた有名(?)な漫画です。しか最近魔法系のゲームにハマってらっしゃいます


私がそのA様と出会ったのはTwitterでした。

初めは居もしない2次元相手に「かわいい」、「好きだ」と呟くそ行為に恐れすら感じましたが今ではその熱意を見る度顫動します。

彼女もっと知りたい、そう思ったのがストーカーになるきっかけでした。  



A様に狂い始めた頃、仲良くなりたい!まず1番にそう思いました。しかし私は絵は人並み言葉も人並み…2次創作に全く向いていない人間です。

2日程してそもそもこんな私がA様とお話するなんて…!と思い、いいねRT以外の行為はなにもしないと決めました(後にお題箱が出てきます)。

それでもやはりA様の事をもっと良く知りたかったのでネットに詳しい方に依頼してA様のTwitterアカウントパスワードを解析して頂きました。

DM、下書き、リスト…全て見る事が出来ました。とても嬉しかったです。

しかパスワードを替えられてしまうと厄介なので、特に何の行動も起こしませんでした。

ここまで読んだ方には異常だと思われるかもしれません。そうです、異常な上私には時間お金が余っていました。

普段から食事をしないので会社のお昼ご飯時間が暇だったのです。食費も全くかかりません。本当にお金時間がすごく余っていました。暇人はなにをするか分かりませんね。


また女性なら誰でもするメイクメイクをするのが私はとても好きなのですがどうしてもA様と同じ物を使いたく、お題箱にどのような化粧品使用しているか投げ込んだ事があります

彼女のお題箱には口調を変えて何度も何度も言葉を投げ込みました。彼女の答えているお題箱の7割は私の質問です。

A様の使用しているヘアカラー材も同じ物を使用しています髪型絵師様の友人が以前上げていた写真と同じ物にしました。


椎茸パプリカを購入し、育てて居らしたので同じ時期に椎茸パプリカを育てました。

マイメロハローキティが好きでしたが、A様はポチャッコが好きなので、マイメロたちのグッズは人に渡し、部屋にはポチャッコが溢れました。

しょっぱいモノはキライでしたが、A様がかっぱえびせんを好きと仰ったので4日に1度の食事かっぱえびせんしました。仕事低血糖で失神しました。

A様の同僚がエビチリの服を着ていらしたので私もその服を購入しました。

職場ミスをしたら「I.Q2」と言います。A様が職場で失敗した際そう言ったそうです。

他にも全てのツイートを保存し、リプライも保存し、ノートに纏めました。これでいつでもA様のツイートがすぐに見られます

画像ツイートした際には印刷して貼りつけようか迷いましたが、スマホへ保存する事に留めました。




それでも足りませんでした。関わり等全くありませんが、追いかけ続けた時間が長すぎて、A様に対する執着がどんどん強くなって行ったのです。

ある日、A様がディズニーランド写真投稿されました。すぐに友人のBのアカウントを見ると、A様と2人で遊びにいっているという事が分かりました。

その日は仕事を定時で退社しディズニーランドへ行こうとしました。が、仕方ないと思いつつ夜の仕事まで時間が余ってしまったので、A様の住んでいる区の隅から隅まで車で走りました。あの女性がA様だったらどうしようあの女性がA様だったらどうしよう。そう考えてドキドキする時間が大好きでした。

A様の鍵アカツイート、A様の友人のリプライから、どの区にお住まいになられてどの区へ出社しているのかは知っていました。

そして冬の初め、人生で初めて探偵を雇いました。

BはよくA様の写真投稿していたので、A様の見た目、体型、おおよその検討は着いていました。

そして21日待つと、事務所からハッキリとした連絡がありました。

やっと見付けられた!喜びも束の間、渡された写真にはやはり想像上のA様とはあまり似ていない方が写って居ました。

それでもとても嬉しかったのです。どんな顔だろうとどんな体型であろうと私は嬉しかったハズです。

また、住所、高校(大学名は自力で調べました)、部署、全てを教えて貰いました。

これでA様のほとんどを知った事になります

探偵様には本当に頭があがりません。

お金は少し無くなりましたが、この為に働いていたのかと思うくらいとても達成感がありました。


私自信もストーカーを何度もされ、ベランダに貼り付かれたり「俺の女だ!」と叫ばれ近隣の方に迷惑をかけられた事が沢山あります迷惑をかける、分かっててもやめられません。苦しいですね。



A様を監視していたTwitterアカウントを消したので気持ち吐露しました。

また次に引っ越す時は、A様と同じ区に住みます

ここまで読んでくださりありがとうございました。私の気持ちの整理なので拙い文章申し訳ないです。






















絵師さまみてくれたかなぁ

2020-07-12

anond:20200711214754

ベランダで、本体部分を金づちでたたいたり、水道工事用のプライヤーで握りつぶしたり、とかでガス抜きして捨てた。住んでる自治体ルールで、中身を使い切ってスプレー缶などと同じカテゴリで捨てることになっていたので。十年くらい前なんで、自分がやった内どれが効率よかったかは忘れた。缶と違ってプラの部分は釘を打っても火花でないだろうから、一番楽で速い方法見つけて処分すればいい。

2020-07-10

こころの耳メール相談の返事が来た

文章がとっても読みやすいからきちんとうつ治療に専念すればすぐ次の仕事も見つかりますよって書いてて、え〜なんか久しぶりに文章読みやすいって褒められちゃった〜〜〜〜〜!!!って嬉しくなった

奨学金の返済額相当の貯金が出来たら死のうと思いながら半年上通院服薬しながら仕事してた

この間の夏のボーナス給付金奨学金プラス火葬代くらいの貯金が出来たから、死ぬ仕事辞めてニートするか2秒悩んだけどとりあえずニートしてから決めちゃう〜〜〜〜〜〜〜〜仕事辞めるぞーーー!!!!!!

ゴミカスうんこヘドロ上司と御局様の板挟みもあと数ヶ月だと思えば耐えられる、社用車に乗せてる自殺用の練炭ベランダ焼肉しよっかな

軒先で朝顔が咲いている増田須丸医定差顔が差亜で妃の(回文

おはようございます

朝顔が咲いていて見ていると楽しいわ~

私はそんなにお花とか育てるタチじゃないんだけど、

ベランダ朝顔育てたことあって、

その時にいろいろ調べていたら、

上に伸びる芽を摘まなくちゃワサッとならないってあって。

とにかく上に伸びる芽を摘まなくちゃいけないの。

そんで

上に蔓が育っていけないか

朝顔ちゃんは諦めて横に蔦を伸ばそうとするの。

そうしたらワサッと茂っていい感じの緑と朝顔大輪の花が咲いて、

私が育てたにしても

そこそこ見栄えの良い朝顔を咲かせることができたのよ。

なんか小さいとき育てた覚えはあるけど、

そんなことやったっけ?ってついこないだのことなのに、

まったく思い出せなくて、

その時の朝顔の色とか何も一切覚えてないわ。

ただただ朝顔育てたつもりになっていたのね。

私たちは如何に雰囲気朝顔を育ててたかってことなのよ。

でも

よその家にある朝顔ちゃんを見ると

大黒摩季さんばりに懐かしい匂いがしたあの夏の日のことのようね。

朝顔育ててもただただ花を愛でるだけなので、

夏の綺麗な花しかも美味しく頂けるオクラちゃんに心を入れ替えたのよ。

オクラハイビスカスみたいなお花が咲くから見て綺麗だし、

実もなればオクラだって食べられるじゃない。

調子に乗って花咲くの楽しいからってたくさんプランターに植えてたら、

逆に収穫が大変になってきて、

朝摘んでは朝どれオクラいらんかねーって

そんな具合なのよ。

でもおかげ様で朝穫れオクラは人気で

一袋100円で売って無人販売スタイルでやってみたら

結構貯金箱に100円がたくさんはっていて、

あながちオクラ買ってくれるのかよ!って

アメリカレモネード屋さんを子どもときにやったことを

またそれはそれで思い出した具合なのよ。

朝顔オクラを見るとそんなことを思い出しちゃうし、

いよいよ夏ね!ってチューブの人たちが張り切って歌います!どうぞ!って

ミュージックフェアーで言われそうなほど

張り切ってしまわ!

うふふ。


今日朝ご飯

目玉焼きベーコンレタストマトサンドがすっかりないので、

すねてても仕方ないし時間無駄だしすねてるリソースを頭の中でいっぱいにしたくないか

タマサンドしまいた。

ベーシックタマサンドってやっぱり美味しいわね!

って美味しい笑顔の輪が広がるわね!ってそう伝承して受け継いでって欲しいわ。

あれって実は玉子の美味さより

マヨネーズとか調味料私たちは騙されちゃってるんじゃない?って思うぐらい卒無く美味しいのよね。

外れが無いの。

エクストラバージンオリーブオイルマヨネーズとかドレッシング作ったら最強な美味しいドレッシングが出来上がると思ってた時代があったけど、

まりオリーブオイルの味が強すぎて、

あれはあれでサラダ油と言う、

個性があってないような

あいう引き立て役だったのね!って実感したわ。

なんかオリーブオイルで作ったドレッシング

辛すぎだわ!

辛いと言うよりオリーブオイルの風味豊かすぎ!って具合。

タマサンドも使ってる油を

そんな油を何でもオリーブオイルで作ったら美味しいと思ったら大間違いよねって。

デトックスウォーター

オクラウォーラー

朝どれ新鮮オクラちゃんが手に入ったので、

ネバネバパワーにあやかりたいと思うわ!

夏前なのに夏バテとかは避けたいしね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

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