はてなキーワード: ベランダとは
私は園芸が嫌いだった。
いや、おそらく……嫌いだったのは父で、園芸には興味がなかった。
父が大事そうに育てている花たちに興味が持てず、どの株も同じようにしか見えなかった。
だから最初から農園を継ぐつもりもなく勉強に打ち込み、そこそこいい大学に行って実家を離れた。
それから10年間の間に私は園芸に触れず、父の農場が今どうなっているかにも全く関心を示さなかった。
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ある春の日の仕事帰り、ふと100円ショップでミニサボテンが売られているのを見つけた。
連日の激務で疲れ果てていた私は売れ残っていたのであろう萎びたそれに同情し、自身の安アパートの部屋に連れて帰ることにした。
「生き延びろよ」と声をかけ、俺も頑張るからと心の中でつぶやく。
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しばらくたったある日、異変に気付く。
よくよく見てみると肌にツヤがあり(水を吸ったのだろう)、新しいトゲが頭のてっぺんから生えてきている。
なんだか嬉しくなってしまい、その日は滅多にしない晩酌をした。
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一人じゃ寂しかろうと思い、ホームセンターから別の種類のミニサボテンを連れ帰った。
サボテン入門の本を買い、よく育つよう黒のプラ鉢に用土、肥料も用意した。
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まずい事実に気付く。ベランダが北東向きで日照時間が足りない!
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職場からは少し遠くなったが、ベランダは広くなった!園芸用スチールラックも買った。
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また春がやってきた。
希少なサボテンの種を購入した。多肉植物、コーデックスの種にも手を出した。
種まき後の生存率は5割……初心者にしてはまあまあなのではないか?
日ごとに成長している姿を見せるサボテンの苗たちが愛おしい。
いつのまにかそれぞれのサボテンたちの顔色が少しわかるようになっている気がした。
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婚約した。
婚約者を父に紹介することになり、日程調整のため久々に電話で父と会話した。
インスタやってるよと言われ、写真を見てみる。
「父さん、このサボテンは?」
「え、初耳なんだけど……」
「昔は少しだけだったけど、今は農園の区画が余ってるから趣味のものを増やした」
さらにインスタをスクロールすると食虫植物やら蟻の巣玉やら……まあいい趣味だこと!
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私は園芸が好きだ。
初めて手に入れたサボテンはもう二回り以上大きくなった。
果たしてこんな大きさ要るのか?と疑問に思って、バスタオルの半分未満の大きさのタオル(298円)買ってみた
今日みたいな雨の日はバスタオル乾かすのも時間かかるし、ベランダに干すのも大きいぶん手間かかるし
バスタオルいらねぇわ
しかし相手は私より幾分歳上で、正直とっくに結婚しているものだと思っていた。だからその報告を聞いて、別の方向で驚いてしまった。結婚していなかったのか、と。
好きな人、と記したが、正直その人に抱いていたのが明確に恋愛感情なのかわからない。いわゆる憧れや「推し」に向ける感情と言った方が正しいのかもしれない。実際、その人とどうのこうのなりたい、なれるとは思っていなかった。
最後に恋をしたと言いきれるのが高校二年生の頃だから、恋という感情すら曖昧になってしまった。だから、わからない。
それでも結婚報告を聞いたとき、祝福したい気持ちと同時に、ぽんっ、と小さな穴が左胸に空いたような気がした。胸にぽっかり、という程ではない、ほんの小さな穴。
彼の周りの人は皆彼を祝福した。私も、祝福の言葉を贈った。彼はとても、幸せそうに見えた。この状況のなかでも、互いを支え合って生きていきたいと思える人と結ばれたのだから。
だから、心の底から祝福している、と言い切れない自分が、とても嫌な人間に思えた。
今まで吸おうとも思わなかったが、仕事の帰り道でコンビニに寄って、初めて煙草を買った。ネットで調べた、初心者でも吸いやすいもの。今時は何でも調べれば出てくる。おおすめの銘柄も、煙草の吸い方も。
帰ってからいつも通り風呂と夕食を済ませ、ベランダに出た。咥えた煙草に火を点けて吸い込む。吸い込んだ煙を口内から肺へ送り、口から吐き出した。最初はむせるとか見たけれど、特にそんなことはなかった。父が吸っていた匂いを嗅ぎ慣れていたからだろうか。
一本目が短くなれば灰皿へ押し付けて二本目へ。二本目が終われば、三本目を取り出した。
初めて煙草を口にした日は、三本吸った。
結婚の報告を聞いたとき、家に帰ったら泣いてしまうのではないかと思ったが、風呂に入っていた時も、食事中も、煙草を吸っている時も涙は出てこなかった。いや、風向きが急に変わって煙が目に入った時は、少し涙が出たかもしれない。
買ってきた一箱が終わる頃には、左胸の穴も塞がっているだろうか。煙草を習慣にはしたくない。この一箱で、終わらせたい。
私は梅雨のない地域で生まれ育ったので、この季節特有の空気感に慣れるのにはまだまだ時間がかかりそうです。夏の間はいつも冷たい素麺や饂飩ばかり食べているのでどんどん痩せていきます。軽くなった体で往来を歩いていると、蜃気楼の中に自分が溶け込んでいくようです。
目的地まではまだ距離があります。あまりに暑いので、途中で見つけたスーパーで冷たいお茶を買いました。あとは、お土産に西瓜も一玉買いました。
お茶を飲んだせいか、片手にぶら下げた西瓜が重いせいか、一歩足を進めるごとに全身から汗が噴き出てきます。もう夕暮れ時だというのに、気温はまだ高いままのようでした。
ふいに私の後ろからなまぬるい風が吹いて、石けんと汗が混じった自分の匂いがしました。私は夕焼けを背にして歩いていたので、目の前には自分の影が長く伸びていました。私はもうこれ以上歩けない気持ちになって、シャッターが閉まった八百屋さんの前にあるベンチに座り込みました。
しばらくじっとしていると、もう何年も前のことになりますが、初めて一人暮らしをした年の夏の出来事が頭の中に蘇ってきました。
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私が初めて一人暮らしをしたのはとても大きな街でした。
人々の歩く速度や、次の電車が来るまでのスピードは信じられないほど早く、私はよくそれらに圧倒されて駅のホームにあるベンチにただ座り込み、地下鉄を何本もやり過ごしたものです。そういうとき、街全体がそこで暮らしている人々をも取り込んだ一つの巨大なシステムであるかのように感じられました。そうかと思えば、人気のない道端は吐しゃ物やごみで汚れていたり、ぼろぼろの格好をした人々が呻きながら寝転がっていたりしていたし、私が駅のホームでぼんやりしていても変に思われませんでした。同じようにぼんやりしている人をあちこちで見かけました。そういった意味では暮らしやすい街だったなと思います。
この街に来たばかりの頃はとにかくお金がなかったので、いつも働き口を探していました。私は学がなく、またひどい吃音と緘黙症をもっていたために仕事探しは難航するかと思われましたが、幸運なことにこの大きな街においては仕事にあぶれることはありませんでした。
私はその年の夏、街の端の方に位置する治安の悪いXという地域にある建設会社で働いていました。
上司の指示を受けて色々な住宅展示場に出かけていって、モデルハウスの前のパラソルの下でお客さんが来るのを待ちます。お客さんが来たらパンフレットを渡して、モデルハウスについての簡単な説明と質問応対をスケッチブックやパソコンを使って行います。お客さんが来ても来なくてもお給料は変わりません。そんな仕事でした。当時はほとんど話すことができなかったので、なぜ採用されたのかはよくわからないのですが。
お客さんはあまり来なかったので、週末に図書館で上限まで本を借りて、それらを読んで時間をつぶしました。仕事が終わる時間は十八時頃まででしたが、土地勘がないのと、ときどきバスでしか行けないような場所の展示場に行くことがあったために(それまでバスに乗ったことがなかったので)帰り道を間違えてしまい、ようやく家に辿りつく頃にはもうとっぷりと日が暮れているというのが常でした。
お客さんが来ない日は、モデルハウスの中に立ち入ることは禁じられていました。一日に二回、私が勝手なことをしていないか上司が見張りにきました。とはいえそれはいつも同じ時刻だったので、その時間だけ本をかばんに隠してパラソルの下で神妙にしていればよく、それ以外の時間はのんびりと過ごしていました。
夏至を過ぎると一気に気温が高くなって、私はそれまで体験したことのない暑さに驚きました。外の気温が体温を超えたときなどは、時間を見計らってこっそりとモデルハウスの玄関で涼んだものです。窓と玄関のドアを細く開けると気持ちのよい風が通りました。髪をほどくと、風に吹かれて私の汗と石けんが混じった匂いがしました。
その日の最高気温は三十八度で、朝から晩までかんかん照りという有様でした。
お客さんは一組も来なかったのですが、あまりに暑くて読書に集中することができませんでした。仕事の時間が終わって戸締りをしようとしたとき、雲のない空からまっすぐに差す夕日が、太陽を背にして玄関に立つ私の影を家の中まで長く伸ばしました。
それを見た瞬間、真新しい家の二階の窓から夕焼けを見てみたいという強い気持ちが私を襲いました。それまで、お客さんが来ないときに家の二階まで入り込んだことはなかったのに。
ここで働くようになって初めて、新築の家の匂いを知りました。それは、少し化学的な匂いと、新品の布や畳の匂いとが混ざった匂いです。
階段を静かに上りながら、この家に自分が住んでいる空想をしました。ベランダが付いている部屋を見つけて、ここを私の部屋にしようと思いました。その部屋の窓は南西に向いていて、西日が差し込んでいました。この場所には学習机を置いて、ベッドの向きはどうしようか?壁の一面には大きな本棚を置きたいけど、背表紙が日焼けをしないように扉が付いたものでなくてはいけないかもしれない。友達が遊びに来たときのために小さいテーブルも必要かもしれないな。そんなことをつらつら考えているとなんだか少し悲しくなってきて、その気持ちを振り切るように窓を開けてベランダに出ました。
辺りはすっかりオレンジ色に染まっていて、建物や木々や道を歩く人々の輪郭を曖昧にしていました。
それらを見つめながらかすかな風の中に佇んでいると、少しずつ気持ちが落ち着いてきて、これからまた何だってできるような気がしてきました。何しろ私はこんなに大きな遠くの街にいるのだから。
部屋を後にしようとしたとき、クローゼットの扉が少しだけ開いているのがふと気にかかりました。窓を開けたせいで風にあおられて開いてしまったかもしれません。二階に上がったことを上司に知られてはいけないので、扉を閉めるために私はそこに近づきました。
扉の隙間からは妙な匂いがしました。新築の家には似つかわしくない匂いです。手垢で小口が汚れた古い辞典をめくったときや、寂れた地下鉄の駅のホームに列車が来たときにこんな匂いをかいだような気がしました。大工さんが中に何か忘れていったのかもしれないなと思って、私はクローゼットの扉を両手で開きました。
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初めに「それ」を見たとき、私は大きな置物や等身大の人形の類かと思いました。しかし「それ」は紛れもなく本物であるようでした。
「それ」を目にするのは初めてではありませんでしたが、こんなに乾いていてさびしげな「それ」を見たことはありませんでした。ほとんどミイラのようになっていたので、いわゆる腐乱臭のようなものは感じられませんでした。ひどく痩せていて、夕日が肉の落ちた腕やあばら骨の浮いた胸に濃く影をつくっていました。眼窩は落ちくぼんで暗くなっていましたが、色々な方向からのぞき込むと、小さな白い虫が奥の方でひっそりと蠢いているのが見えました。
夕暮れどきの時が止まったような不思議な雰囲気のためか、私の心は奇妙なほど落ち着いていました。あるいは、日中の暑さで頭がうまく働かなかったのかもしれません。
ここでの私の仕事は、パラソルの下でお客さんを待ち、お客さんが来たら簡単な説明と質問応対を行い、時間が来たら戸締りをすることです。もし家の中に「それ」があったときには上司に報告したり警察に通報したりするように、などという指示は受けていません。私はクローゼットの扉を静かにぴったりと閉めました。
部屋を出て階段の方に向かったとき、奥の部屋から何かの気配と殺気のようなものをふと感じました。私は子供の頃に大きな野良犬と対峙したときのことを思い出しました。その犬からはまっすぐな殺意が感じられましたが、奥の部屋から漂う殺意には迷いがあるようでした。そこにいる何かが心を決める前に、私は階段を下りて玄関のドアを開けて戸締りをして、人通りの多い道を選んで駅まで歩きました。
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ふと気が付くともう太陽が沈むところでした。私の目の前には誰かが立っていましたが、暗くて顔がよく見えませんでした。大丈夫ですかと尋ねられて初めて、私はその人が恋人であるとわかりました。
約束した時間を過ぎても私が家に来ないので迎えに来てくれたようでした。夏でもいつも平気そうにしているはずの恋人の額には汗が浮かんで、髪が少し乱れていました。
ぎゅっと心臓をつかまれたような気持ちになって、迷惑をかけてしまったことを謝りました。彼は私の頭のところにそっと手をやって、あまりにそこが熱くなっていたらしくびっくりしていました。こんなに暑い日なのだから自分がそちらの家を訪ねればよかった、すみませんと恋人は言いました。そうやってベンチにすわってお互いに何度も謝り合っているうちに少し涼しくなってきたので、家に向かうことにしました。
手を繋ぐと、恋人の腕の内側の皮膚が私の腕に触れました。少し汗ばんだあたたかいその皮膚は、その下に肉や血の通った血管があることを教えてくれて、私はそれで少し安心することができたのでした。
今日の晩御飯は一緒にピリ辛茄子素麺を作る約束をしています。西瓜はすっかりぬるくなってしまったけど、水とたくさんの氷を浮かべたお風呂に沈めておけば、夕食の支度をして食べ終わった頃にはちょうど冷えているかもしれない。そんなことを話しながら、蒸し暑い夏の夜道を二人で歩きました。
子どもの頃に食べて、すごく美味しかった干し梅があって、でもパッケージがどんなだったかを忘れてしまった。
また同じものを食べたい一心で、おやつにはいつも干し梅を買ってもらっていたんだけど、どれもなんか違った。
記憶にあったのは、種があって、酸っぱめで甘くなかった、ということだけ。
当時は子どもだったので、ネットで調べるだとか、スーパーやコンビニをはしごするなんてこともできず、ついぞその干し梅に再会することはなかった。
大人になって、その干し梅のことも忘れて、でも干し梅を好きな気持ちは変わらなかった。
今までは職場のお菓子を食べながら仕事をしていたのが、お菓子が支給されなくなってしまったので近所のお菓子屋さんで買い溜めすることにした。
グミやクッキーをカゴに入れていると、梅コーナーに目がとまった。
よく買う干し梅の他にも、色んな干し梅が並べてあった。そのうちのひとつをなんとなく手に取りカゴに入れ会計を済ませた。
家に帰って何日か経ち、甘いお菓子に飽きた頃、その干し梅をひと粒食べた。
あの干し梅だった。
もう20年も忘れていた干し梅を、一瞬で思い出した。あの頃と同じ味だった。
子どもの頃、お母さんとよく近所のダイエーに行っていたこと。お菓子は必ず2個買って、お兄ちゃんと食べていたこと。団地の5階まで荷物を持って帰るのを手伝っていたこと。ホークスの優勝セールでマグカップを貰った事。お父さんがベランダで爪を切ってくれたこと。おばあちゃんがぷよぷよで13連鎖したこと。ピンクのランドセルを買ってもらったこと。タニシを飼ってたら、干からびて死んじゃったこと。
ずっと思い出していなかったけど、ぜんぶ頭の中から消えてはいなかった。
もう3年前だ。
下の紙の風が当たる部分が痛んでたので、なおして
翌日「風鈴五月蠅いのではずして!迷惑、うるさい」という内容の手紙を
父がいるときは一言もそんなこと仰らなかったのにな、とため息交じりに、
良い音色なのに、うるさいのか。)
その奥さまのところの、お嬢さんと、お友達筋が、大声で近隣で立ち話してるのは
何度も見てる。
きのうの度を越した大声&大笑いの喧騒は(女性の声だったのですね複数の。)
怖いので外覗いたりもしてないけど(見とがめてるように思われるのも怖いし)
あなたのお母様は、風鈴の音でも「やかましい」と、うちに手紙をくれるような方ですが、
あなた方の大笑い大騒ぎの
その声は聞こえなかったのかな?
それともお母様は外出中でいらっしゃらなかったのかな?
2m離れてはなしてらしたのかなぁ。だからあんなに大声だったのかしら。
それぞれお家でSkypeでもズームでもカカオトークでもLINEでも
いまどきの女子は出来るんじゃないの?
2Fで、家の中につりなおした、父の風鈴をみて
ちょっとため息を吐いた。
親御さんは自分ちの騒音や、迷惑にはあんまりきにならないんだろうな。
私たちがまだ幼かったころ、猫ちゃんを放し飼いにしておられ、うちのひさしを跳びうつり
うちは父が厳格な人だったのでそれがドン、と音がすると
「またか!」と怖い形相になってて、母と私で「でもご近所やし、動物にはわからんよ」
なだめるのたいへんだったの思い出す。
部屋の中の押し入れの前の、洋服掛けにつった風鈴はもう鳴らしてない。
でも、洗濯ものをハンガーにかけて、ベランダに出すときにときどき触ってしまい、
風鈴のいい音がするよ。
渋谷から電車で30分くらいの駅の、駅から徒歩5-6分くらいのアパートに住んでいた。駅の付近は起伏の多い地形で、谷のように降っていく地域と、丘のように登っていく地域があった。住んでいたアパートは駅から緩やかに丘の上へ登り、2車線の道路を渡って降っていくかという場所にあった。アパートの名前は忘れた。なんとかハイツとか、なんとかハイムというような、地名と無個性な単語の組み合わせだったと思う。
アパートは確か5階建てくらいで、その3階に住んでいた。
部屋のドアの色は鮮やかな青色で、そこだけが新品のようにつやつやした手触りだった。ドアを開けるとキッチンの向こうにベランダがあり、やけに大きな窓が2方面に開いていた。窓は西向きだったのか、夕方に部屋の奥まで光が差し込んだ。アパートの向こう側は下り坂になっていたので窓の向こうの景色は開けており、他の建物からの視線が気になることがなかった。カーテンはつけず、部屋の中の照明も控えめなものにして、1年中夕焼けが見えるようにした。冬は寒く、1日中毛布にくるまって過ごした。
駅の近くにあるスーパーで買い物をして帰ることができた。ぼけっとしていてスーパーを通り過ぎても、セブンイレブンがあったので弁当を買うことができた。何かの拍子にセブンイレブンも通り越すと、小さな蕎麦屋が家の向かいにあった。夜は半分居酒屋メニューで、テレビがいつでも小さな音量でついていて、麺がやわらかい店だった。
蕎麦屋のメニューを覚える頃には、別のお店がないかと探した。Google Mapは今よりもずいぶんいい加減な情報を表示していて、個人のお店は載っていないことが多かったように思う。通りの雰囲気と人の流れを頼りに、アパートの向こうの下り坂を降りて、自室の窓から見えていた桜の咲く公園の近くへ歩いた。
この下り坂を降るとき、いつも不思議と不安なような気持ちになった。あたりは夜でも十分に電灯はあったし、人通りもそれなりにあった。建物は2階建て個人宅が多く、昔から住んでいる人たちの木造建築はどれも立派な造りに見えた。アパートやマンションは比較的新しい建物のようで、大声が聞こえることも、不審に思える人物とすれ違ったこともなかった。
だが気になるのは、家々の窓から漏れ出る光。白からオレンジ色の光が、どの家からもアパートからもマンションからも、どの方角からも道に向かって漏れている。電灯から次の電灯までの間、辺りを見るとこの窓の光だけがぽつぽつと目に入ってくる。
それぞれの窓の中の景色を想像する。自分と同じ一人暮らしの人も多いだろう。渋谷へのアクセスが良く、駅徒歩も10分以内といったところだ。不動産屋も紹介しやすいことだろう。二人暮らしの人もいるだろう。駅から離れるにつれてアパートの敷地は広くなり、一部屋の間取りにも余裕が生まれる。ファミリー層向けのマンションには子供が生まれたばかりの夫婦が住むだろうか。昔から建っている立派な木造建築には、3世帯で住んでいる人たちもいるに違いない。夕飯の時だけは1階に集まって、テレビをつけながら談笑したりしているだろうか。そうした想像をすると、窓の光の一つひとつに生活があり、違った人生があるという当たり前のことが、リアリティをもって感じられた。この実感は、私をとても不安な気持ちにさせた。
通勤電車が混むことが苦痛になり、2年でその町からは引っ越した。今は生活が変わり、住宅街を通ってもあの時と同じ気持ちにはならない。でも、あの町の、あの坂道を通ってみたらどうだろうか。あの部屋で、夕焼けを直に受けるクローゼットの扉を見たらどうだろうか。
隣のベランダでタバコを吸われ、窓から煙が部屋の中に入ってくる。
狭いアパート、狭い部屋なので、気付いたらすぐ閉めないと、部屋中に広がって、しばらく窓を開けられないので臭いがつらい。
色々対策をしてきたけど、いっこうに直してくれる気配がない。
ところで最近、気温が上がってきて、いやな虫が気になるようになった。
ベランダに「Gがいなくなるスゴイスプレー」、略してゴイス、をまいて、そのとき閃いた。
これだ!と。
たぶん隣の住人は、そうは言っても隣の部屋の中にまで自分の煙が流れる訳がないと思っているから、改めないのではないか?隣でタバコを吸い始めたら、ベランダにゴイスをまいてみたらいいのではないか。
というのも、ゴイスは、ヤバい臭いがするからだ。あれ、みんな普通に部屋で使ってるの?寿命縮まりそうな臭いしない?
まぁ、タバコの煙を吸うと寿命が縮まることは科学的に立証されてますけどね。
さっそく、外からライターの着火音とゲホゲホ!!と音がする。まもなく臭いが立ち込めた。タバコを吸い始めた合図だ。
私もベランダに出て、風向きを見計らって手すりに散布した。手すりに付着しきれず残りのゴイスは風にのって流れていった。
おお〜うまく隣に流れ込んだようだ。
想像力があれば、自分が吐いたタバコの煙も同じく隣の部屋に流れ込んでいるのが分かるはずだ。普通の感覚を持っていれば、自分の行為が他人に迷惑をかけていることに気付き、迷惑をかけるのはやめようと思うはず。思わない限りは、私もベランダの害虫対策を続けるつもりだ。
もし、臭いと文句言われたら、最近ベランダに害虫(と、あなた)が出るので殺虫剤を撒いています。臭くて迷惑をおかけしたらごめんなさい。ところでベランダで何してたんですか?と聞いてみよう。
俺もかつて一階に住んでたことがあって、うっかりカギを持たずにゴミ出しに出てしまって締め出されたが
ベランダの塀をよじ登り窓のカギも開けてたのでなんとか事なきを得た
水虫になった
正確には超悪化した。
もともと水虫だったがほぼ完治寸前だった。
二年前皮膚科で真菌が見つかり、抗真菌薬を処方され、これが劇的に効いた。
ほぼ治ったが全滅は忍びなく軽く温存しつつ2年が過ぎた。
ところがひと月前に突如凶悪化し左右の足の指の付け根を溶かし始めた。
水虫とは中学2年生から35年来のお付き合いだがこんなの初めて。
俺の体に一体なにが起きたのか。
皮膚科でもらった塗り薬はとうに無くなっておりその後シンガポールから抗真菌薬を個人輸入していた。
皮膚科に行くより早いし安い。どうせ真菌なんだろ?
だが、今回は様子が違う。
それまで気が向いたときだけ塗っていたが
一日2回きっちり塗布しても患部はどんどん拡大、
速度が異常
朝まで中指で防衛できていたのが夜には人差し指を侵食、みたいな
抗真菌薬効いてねぇ
在宅勤務中だったので頻繁に足を洗う、消毒もした
ダメ、どんどん広がる
ググった
真菌以外が原因っぽい
思い当たる節がある
暖かくなり素足にサンダルで出かけるようになり
もしくは最近妻の妹が頻繁にウチに出入りしている、
どちらかだ
ネット情報によるとまずジュクジュク患部の改善治癒をしその後抗真菌薬を使わねばならないらしい。
効いた
ジュクジュク患部はたった一日で目に見えて改善
昨日までの絶望的領土消失がウソのようにみるみる乾いた皮膚に戻っていく。
かゆみも消えた。
そういえば思い出した。
ベトナム出張中蚊に刺され現地薬局で塗り薬を買ったらステロイドと抗生物質が入っていた。
そういうことか、どういうことだ。
ともかく、
ネット情報のセオリーでは2週間ステロイドで皮膚再生と整地をしてからその後抗真菌薬で根本治療のフェーズに入るのが良いそうだ。
便利な世の中だなぁ。
そして今、まさにその時、既にかゆみはなく、ジュクジュクも収まり、皮膚再生完了、わりときれいな患部
このまま安易に完治させて良いのだろうか。
試しに今朝はなにも塗らずに出社した。
なんかかゆい