はてなキーワード: ゲームデザイナーとは
読んでないけど、売れてるインディーズで金払いもよいという設定らしい。
大昔、同人ゲームに興味をもってたころにサークル募集をよくみたけど、だいたい一作も作ってないのに上から目線で「使ってやる」みたいな口ぶりの募集分が多かった。
「自分らはプロを目指してるから甘えは許しません!」みたいな。
募集してる側の役職は、監督、ディレクター、ゲームデザイナー、アドバイザーとかで、募集するのは、プログラマー、グラフィッカー、音楽、シナリオとか実作業が発生する職種。
こういう話をして「ゲームのディレクターが簡単だと思ってるのか!」とか反論されたことがあるけど、一作も作ってないサークルで専業のディレクターなんて「僕の考えた最強のゲーム作って」って、スタッフを急かせばいいと思ってるだけでしょ。
報酬も「利益がでたら」で、ゲームの権利は「サークルのもの」とかだし。
利益がでたら渡すというのはまだ良心的なほうで、次回作の製作費にまわす(サークルが全部もらう)とかもあったし。
思い出しただけで、例の漫画がどうとかって話ではない。
ヴァロの大会はapexよりは人集めてるでしょ何言ってんだ……
apexの大会なんて最初は実質10時間耐久みたいなクソルールから始まって、結局未だに神視点もない競技向けとはとても言えない出来だし
apexのゲーム性の話にしたってFPS後進国である日本で何故撃ち合いの長いapexがうけてるのか(しかもCS版で)って話でしかなくて、そこで協力が求められるからっていう要因を主に挙げてるのもズレてるとしか言いようがない
アルブラレリーが嫌気が差したのも結局はゲームパッドのエイムアシスト有利な根本のゲーム性がまずあっての話だろうし、そこは日本で人気がある理由とも絡んでくるよねって
当然ゲームデザイナー()さんかつアルブラレリーのファンなら思い至ることだろうけど、なぜか触れてないのは主語がデカいくせに片手落ちだよねという話でもある
このゲームApex Legendをプレイしていない人には、大した話題ではないのだが
一人のゲームデザイナーとして、なんとなくモヤモヤしたので文章にして自分の気持ちを整理しようと思う。
キッカケはアメリカの強豪チーム「TSM」のApex Legends部門所属のAlbralelie選手が、「Apex Legends」の競技シーンからの引退を発表したことだ。
youtubeなどで、翻訳をしたいわゆる切り抜き動画など、Apexをプレイしている人たちには馴染み深い、強いプレイヤーである。
彼の引退理由については本人からきっちりとした文章で発表もなされている。
ざっくりというと、今後Apexの将来性には不安を感じているため活躍するシーンを別のFPSゲーム(Valorant)に移すという話だった。
彼の引退については、感情的に言えば、慣れ親しんだプレイヤーのこのゲームでの活躍が見れなくなる「寂しさ」は感じるものの、批判する気持ちはなく、これから別のゲームで頑張ってほしいと切に願っている
しかし、引っかかったのは、彼が「APEXが私にとって沈みゆく船である」と言及したことである。
なぜ多大な時間を費やし、大きな大会で優勝するようなプロの有名選手が「沈みゆく舟」と判断するまでにこのゲームはなったのだろうか?
それについては私自身もFPSゲームの愛好家として実際プレイしている体験を踏まえて整理しようと思う。
(あくまでも自身の頭の整理のために書き、私の意見など正しい保証などない、様々な意見があっていいと思う)
APEXはFPSゲームとしてのCODやBFにはない、大きな特徴として「体力が多く一人を倒すのにたくさんの時間が必要」である。
私個人がよく楽しんでいたCODのチームデスマッチのようなルールでは、3発から4発で死ぬことが多く1マガジンで何人も倒すことができた。
BO4のバトルロワイヤルルール、BLACK OUTでも6発~9発くらいの感覚であったと思う。
何年かプレイをしているうちにうまく捌いて何人もバッタバッタ倒していくこともできるようになり、
そのスピード感に適応できている自分を感じられるのも楽しいところではあった。
しかし、APEXでは最大体力が200に対し、各銃でのダメージが10~20くらいが一般的である。
つまり、10発~20発が必要なことがほとんどで、さらにマガジンには20発~30発しか入っておらず、キルに必要な弾がギリギリなのである。
※クレーバーといった特殊な武器の例外や、LMGといったジャンルのものには例外もある。
また、体力の回復も遅く、回復中は無防備になるため、1対2、もしくは、多人数相手になるとあっという間に不利になってしまう。
その特徴に気が付いていなかったプレイ当初は「当たっているのに倒せない」感覚があり、一度離脱したこともあった。
この特徴で慣れ親しんだCODとは、また別の能力が必要とされていて
CODでは、「より早くエイムする」という能力が最重要な能力となったが、
APEXでは「相手に弾を当て続ける追いエイム」や「相手から打ち返されない位置取り」といったような別の能力を要求されていた
ある意味、APEXは先述した体力が多く、武器のマガジンも小さく、さらには、体力回復も時間かかる
よって回復などを含めながら打ち合う時間は長く、近距離戦になれば打ち合いながら敵の背後とり合うドックファイトのような戦いが起こる
CODやBFなどに比べて、バッタバッタと敵を薙ぎ倒せる感覚は少ないゲームかもしれない
しかし、この「体力が多い」という特徴は、結果的に「一人が多人数に対して無双しにくい」ゲームではある
一人の敵を多人数で攻撃することで、早く倒すことができ、また、相手からの被弾を少なくできるというメリット生まれる。
「協力することで有利になるように作られたゲーム」で、そこがこのゲームの面白さとして気が付き始めてからは復帰し楽しめるようになった。
(これを類まれなるエイム力や立ち回りによる戦術で覆す戦術のAlbralelie選手などもいるが…)
それぞれのキャラクター選択や武器の選択、地形の把握、敵の位置の予想、味方と連携する立ち回り、
状況をしっかり把握して予測しながら話し合いながら判断し、敵との瞬間的な判断の応酬を繰り広げ、優勝したときは非常に気持ちがよい。
私は「体力が多く一人を倒すのにたくさんの時間が必要」という特徴から、
「協力することで有利になるように作られたゲーム」へ体系的に構成しているAPEXというゲームは
一人のプレイングの上手さを求められるゲームではなく、協力の上手さを求めることでよく作られたゲームだと思っている。
さて、私が感じているこのゲームの面白さを長々と語ったが、そのうえでAlbralelie選手も言及している「最近のAPEX」の調整について整理しようと思う。
私がAPEXの調整に疑問を持ち始めたのは、シーズン6で起こったアーマーの調整からだ。
先述を語った理由でもあるが、このゲームは「体力が多い」ことで協力性につながっている。
しかし「全体の体力基本値を減らす」という調整をシーズン6で行ったのだ。
実際に減った体力は、全体から見れば12%くらいであったので、協力性がゼロになることはなかったが
遠距離武器が強くなったり、様々な影響があり、現在は元の状態に戻っている。
調整理由については、各記事などで「赤アーマー(最上位アイテム)が強すぎたという結果からの調整だった」とレベルデザイナーが発言している。
現在は修正されているが、この調整からAPEXの運用は難航しているのではないかという疑問を持ち始めた。
上位のアイテムの調整をするのに、下位のを含めた調整を行うのは理にかなっておらず。
ゲームのコア(と私は考えている)部分が変われば、現在楽しんでいるプレイヤーの体験が変わることを想像するのは容易い
そのほか、シーズン5から既存のキャラクターの大幅な弱体化や、武器の強化と弱体化を繰り返すというなど、
実際にリリースしてから調整を繰り返していることが目立っている。
リリースして、実際のユーザーの状況やデータを見て調整すること自体は決して間違いではないが、
結果的に、強くしたものが弱くなったり、元に戻るという調整結果に陥るということは、
ゲームデザイナーとして厳しく言うのであれば「思慮が足りない」と言わざる得ない
Albralelie選手は愛用しているキャラクターの弱体化など、様々な部分で影響を受けている
勝つことを期待されその期待に応える結果を出すことで報酬をもらっている。
そのために多くの時間を費やしてゲームの研究をしているし、その時間は趣味でゲームをしている私とはけた違いな物で、
それこそレベルデザイナーと同じレベルでゲームを研究しているであろう。
そんな彼が、この「思慮が足りない」調整の数々に対して、どう思うであろう?
日本ではストリームなどの影響もあるが、海外ではApexの任期は大分下火になってきているという記事も上がってきている。
彼が言うApexは「沈みゆく舟」というのは、こういった調整、盛り下がってきているゲームシーンつまり、ゲーム運用の結果なのではなかと思う。
昔と比べ、ゲームはアップデートを続けて新しい要素を増やし、選択が増えることで新しい体験を供給することは、ゲームを長く収益化させること
いわゆるゲーム運用はプレイヤーからも求められていることであり、企業にとっても必要不可欠なことである。
しかし、ゲームに新しい要素を加えるということは、既存の要素を見直さなければならない。
つまり、新しい戦略が生まれれば、古い戦略に勝つことも生まれる。
その一方で、それまで、そこまで強いと思われていなかった違う古い戦略が新しい戦略に勝つようになった。
そうやって、複雑な絡み合いから選択を生み出し、その選択から新しい戦略を生み出して楽しませることをプレイヤーから求められているのである。
この時、ある戦略が一強になってしまう(メタ構成と呼ばれる)のは
ユーザーに選択を与えているが、ゲームのゴールである「勝利」という目標にたいして選択を与えていないことになるし、
私自身もゲームを運用していて「アップデート」と「調整」頭を悩ませる非常に難しく困難な事は感じているが、
これはゲーム運用をするうえで乗り越えなければならない壁であり、そのためのゲームデザイナーであると認識している。
Respawn EntertainmentはTFのころから好きだった企業であり、憧れでもある。
私なんかが見ることのできない、深い視点で物事をとらえているのかも知れない。
これからもその時間が続いてくれることを、ただただ期待するばかりだ。
また盛り上がったAPEXにアルが戻ってきてほしいと願うのは
本当に最高で最悪だわ、このゲーム。
詳細は他の人がさんざんレビューしてるから、俺は感情的な面を書いてみる。というか書かずにはいられない。
例えるなら、幻の食材で最高の料理を作ったあとに、偉い人がうんこで作ったオブジェを飾りとしてのっけたような感じ。
その食材は幻すぎて、人類はもう二度と手に入れる事ができない、まで言ったら言い過ぎか?でも気分はこれ。
そのうんこをよけて食べようとするんだけど、どうしても取りきれず、どこを食べようがうんこの破片が口に入ってくる、そんな感じ。
実はcrew2の発売時にも無料プレイ期間があって、その時も遊んだんだけど、あの時はゲームはやらずにひたすらドライブしてただけだったので、ダメージは少なかった。
それでもイライラした事は覚えてたけど、それ以上にドライブの体験が良かったので、比較的ダメージは少なかった。
その後買うかどうか迷ったまま現在に至るという感じ。
それで今回のフリープレイでちゃんと見極めようと思ってゲーム部分を遊んでみたら、上記の感想になった。
ここまで読んだ人は「そこまで言うならプレイせずに無視すりゃ良いじゃん」と思うだろう。無料で遊んでて文句を言うな、とかも言われそう。
フォルツァホライゾンとかも持ってるけど、あのぐらいのマップの広さだとすぐに飽きてしまう。
GTA5はマップの広さはマシだけど、車の挙動がクソ過ぎて嫌だし。
そういう意味ではcrew1は最高だった。なんならいまだに遊んでる。
でもさすがに古くてグラがしょぼく感じる。
だからcrew2には期待してたんだけど、こんなデキなわけで、とにかく悲しい。
このゲームのマップを作った人や、建物や乗り物などのモデルを作った人は本当に苦労したと思う。彼らの努力の1%でも、ゲームデザインに向けてくれていたら、こんな状態にはなってないだろう。
このゲームをデザインした奴は本当に猛省して欲しい。というかクビになって欲しい。いやそれでは生ぬるい。会社から損害賠償請求されてて立ち直れないぐらいのダメージを受けていて欲しい。
ゲームデザイン以外でこのゲームにかかわった人全ての努力を台無しにしている。
もしこのデザイナーが批判に耐えかねて鬱病になって自殺してても、同情できないぐらいにはムカついている。普通に給料をもらって普通に働いてて欲しくない。
レース部分をプレイしてる時間は常にこのゲームのデザイナーに対する罵詈雑言で思考が埋まってしまい集中できない。
というか、このゲームのレース部分を遊んでおいて疑問を感じない人ってどうかしてると思う。
そのぐらい酷い。もしかしたらユーザーの事を馬鹿にしてるのか、嫌いなのか、なんらかの悪意のもとに作ったのでは?と邪推したくなるレベル。
なんせ長時間のレースでも、途中でやり直せないからね。序盤でミスったらテンション爆サゲのままゴールまで無駄で退屈な時間を浪費する必要がある。
しかも車の挙動が大味だから、テクニックとか不要。つまり何度も練習する意味が全くない中、何度も周回させられる感じ。
あと例えばジャングルのコースだと、複雑に生い茂った木の配置を覚えるなんて不可能なので、それにひっかかるかどうかなんて運。
そして、こうしたひっかかる系のミスが多発するようなコースが物凄く多くて、イライラは最高潮に達する。
さらに敵車はプレイヤーが速いと速くなるし遅いと遅くなるので、長いレースの序盤や中盤には害悪以外に何の意味もなくて、終盤の運ゲーでうまくいくかどうか、というだけになってしまっている。
(これだけだと序盤でミスってもチャンスはあるように読めるかもしれないが、ひっかかる系のミスは致命的なので敵車が少し遅くなるぐらいでは挽回できない)
この苦行のようなクソゲーをクリアしないと欲しい車や要素がアンロックされない。
そしてこのクソの量が半端ない。クソを作るのにもかなりの労力を使ってるのが察せられ、その想像がまたイライラを煽ってくる。考えたらダメなのだろう。俺には瞑想が必要らしい。
さんざん他の人にも言われてるけど、これなら最初から全ての要素がアンロックされてて、レース部分を全くプレイしなくても好きな車でドライブできた方が数倍良い。
わざわざ苦労してゲームの魅力を台無しにしてるのがもう、もったいなさ過ぎて腹が立つ。
単なるクソゲーならどうでも良いんだよ。惜しいんだよね、本当に。凡人レベルのゲームデザイナーが仕事をしてくれていたら、最高のゲームになってたと思えるぐらいには素材が良い。
あとUIもクソ。イライラしながらゲームを終了しようとすると、終了する方法がわからんの。
普通はポーズボタンでメニューを開けば、終了って項目あるじゃん?
いや、あるんだよ。終了って文字は。Bで終了ってあるの。つまり、メニューが終わってゲームに戻るの。
結局ググったよね。数年前の無料プレイの時もわからずにググったのを思い出したよ。
crew2って検索窓に入れたら「終了方法」ってサジェストされたのは笑えた。みんな初見ではわからないみたいね。
正解はYボタンで謎のメニューを呼び出して、そこから終了を選択する。
Yボタンで呼び出すメニューなんて普通にレースやドライブをしてたら1度もお目にかからないからね。「そういえば終了はあそこにあったな」という状態が起きない。
なぜこのゲームがこんな事になっているのか、誰か解説してくれないかな?
例えばAかBか選べて、どちらも同じ予算で作れるけど、明らかにBはクソって時に、あえてBを選んでるような、そんな感じに思える。悪意なしにそんな事になるとはとても思えない。
この文章自体うんこだと思うけど、このうんこを直接ゲームデザイナーにぶつける為だけにゲームを買ってレビューを投稿したい衝動にかられてる。
本当に最高で最悪だわ、このゲーム。
詳細は他の人がさんざんレビューしてるから、俺は感情的な面を書いてみる。
例えるなら、幻の食材で最高の料理を作ったあとに、偉い人がうんこで作ったオブジェを飾りとしてのっけたような感じ。
その食材は幻すぎて、人類はもう二度と手に入れる事ができない、まで言ったら言い過ぎか?でも気分はこれ。
そのうんこをよけて食べようとするんだけど、どうしても取りきれず、どこを食べようがうんこの破片が口に入ってくる、そんな感じ。
実はcrew2の発売時にも無料プレイ期間があって、その時も遊んだんだけど、あの時はゲームはやらずにひたすらドライブしてただけだったので、ダメージは少なかった。
それでもイライラした事は覚えてたけど、それ以上にドライブの体験が良かったので、比較的ダメージは少なかった。
その後買うかどうか迷ったまま現在に至るという感じ。
それで今回のフリープレイでちゃんと見極めようと思ってゲーム部分を遊んでみたら、上記の感想になった。
ここまで読んだ人は「そこまで言うならプレイせずに無視すりゃ良いじゃん」と思うだろう。無料で遊んでて文句を言うな、とかも言われそう。
フォルツァホライゾンとかも持ってるけど、あのぐらいのマップの広さだとすぐに飽きてしまう。
GTA5はマップの広さはマシだけど、車の挙動がクソ過ぎて嫌だし。
そういう意味ではcrew1は最高だった。なんならいまだに遊んでる。
でもさすがに古くてグラがしょぼく感じる。
だからcrew2には期待してたんだけど、こんなデキなわけで、とにかく悲しい。
このゲームのマップを作った人や、建物や乗り物などのモデルを作った人は本当に苦労したと思う。彼らの努力の1%でも、ゲームデザインに向けてくれていたら、こんな状態にはなってないだろう。
このゲームをデザインした奴は本当に猛省して欲しい。というかクビになって欲しい。いやそれでは生ぬるい。会社から損害賠償請求されてて立ち直れないぐらいのダメージを受けていて欲しい。
ゲームデザイン以外でこのゲームにかかわった人全ての努力を台無しにしている。
もしこのデザイナーが批判に耐えかねて鬱病になって自殺してても、同情できないぐらいにはムカついている。普通に給料をもらって普通に働いてて欲しくない。
レース部分をプレイしてる時間は常にこのゲームのデザイナーに対する罵詈雑言で思考が埋まってしまい集中できない。
というか、このゲームのレース部分を遊んでおいて疑問を感じない人ってどうかしてると思う。
そのぐらい酷い。もしかしたらユーザーの事を馬鹿にしてるのか、嫌いなのか、なんらかの悪意のもとに作ったのでは?と邪推したくなるレベル。
なんせ長時間のレースでも、途中でやり直せないからね。序盤でミスったらテンション爆サゲのままゴールまで無駄で退屈な時間を浪費する必要がある。
しかも車の挙動が大味だから、テクニックとか不要。つまり何度も練習する意味が全くない中、何度も周回させられる感じ。
あと例えばジャングルのコースだと、複雑に生い茂った木の配置を覚えるなんて不可能なので、それにひっかかるかどうかなんて運。
そして、こうしたひっかかる系のミスが多発するようなコースが物凄く多くて、イライラは最高潮に達する。
さらに敵車はプレイヤーが速いと速くなるし遅いと遅くなるので、長いレースの序盤や中盤には害悪以外に何の意味もなくて、終盤の運ゲーでうまくいくかどうか、というだけになってしまっている。
(これだけだと序盤でミスってもチャンスはあるように読めるかもしれないが、ひっかかる系のミスは致命的なので敵車が少し遅くなるぐらいでは挽回できない)
この苦行のようなクソゲーをクリアしないと欲しい車や要素がアンロックされない。
そしてこのクソの量が半端ない。クソを作るのにもかなりの労力を使ってるのが察せられ、その想像がまたイライラを煽ってくる。考えたらダメなのだろう。俺には瞑想が必要らしい。
さんざん他の人にも言われてるけど、これなら最初から全ての要素がアンロックされてて、レース部分を全くプレイしなくても好きな車でドライブできた方が数倍良い。
わざわざ苦労してゲームの魅力を台無しにしてるのがもう、もったいなさ過ぎて腹が立つ。
単なるクソゲーならどうでも良いんだよ。惜しいんだよね、本当に。凡人レベルのゲームデザイナーが仕事をしてくれていたら、最高のゲームになってたと思えるぐらいには素材が良い。
あとUIもクソ。イライラしながらゲームを終了しようとすると、終了する方法がわからんの。
普通はポーズボタンでメニューを開けば、終了って項目あるじゃん?
いや、あるんだよ。終了って文字は。Bで終了ってあるの。つまり、メニューが終わってゲームに戻るの。
結局ググったよね。数年前の無料プレイの時もわからずにググったのを思い出したよ。
crew2って検索窓に入れたら「終了方法」ってサジェストされたのは笑えた。みんな初見ではわからないみたいね。
正解はYボタンで謎のメニューを呼び出して、そこから終了を選択する。
Yボタンで呼び出すメニューなんて普通にレースやドライブをしてたら1度もお目にかからないからね。「そういえば終了はあそこにあったな」という状態が起きない。
なぜこのゲームがこんな事になっているのか、誰か解説してくれないかな?
例えばAかBか選べて、どちらも同じ予算で作れるけど、明らかにBはクソって時に、あえてBを選んでるような、そんな感じに思える。悪意なしにそんな事になるとはとても思えない。
この文章自体うんこだと思うけど、このうんこを直接ゲームデザイナーにぶつける為だけにゲームを買ってレビューを投稿したい衝動にかられてる。
大山高男:舞台方面がメイン?の声優。エヴァのゼーレ(豆腐)の一人とか
鬼八頭かかし:漫画家。ヤングガンガンで連載中だった「たとえ灰になっても」が絶筆になった。
白石冬美:声優。ガンダムのミライさん、パタリロ、オバQのドロンパなど
WOWAKA:ボカロP、ミュージシャン。ローリンガールとか。
関田修:アニメ演出家。ガンダム(1979)~ムヒョロジ(2018)までコンスタントに活躍。
武本康弘:アニメ監督。らきすた、氷菓、小林さんちのメイドラゴンなど
池田晶子:アニメーター、キャラクターデザイナー。キャラデザに涼宮ハルヒの憂鬱(一期)、響け!ユーフォニアムなど
大野木宣幸:作曲家。ニューラリーX、マッピーなど初期のナムコサウンドを支えた
森永あい:漫画家。ユンカース・カム・ヒア、僕と彼女の×××など
中村和子:アニメーター。手塚治虫に認められて鉄腕アトムなどを手掛ける。三つ目がとおるの和登さんのモデル。
あまり知られていませんが、任天堂にゲームデザイナーとして就職したい場合は金沢美術工芸大学の視覚デザイン専攻がおすすめです。
1学年20名ほどの少人数ながら、ほぼ毎年任天堂に1、2名就職しています。宮本茂さんの母校であり、毎年任天堂のデザイナーの方が直接大学まで説明会に来てくれます。また、大勢のOB、OGが現役で任天堂で働いているので情報収集にも困りません。1年生の頃から教授や先輩に色々聞いて準備しておけば、けっこうな確率で任天堂へ就職できるかと思います(少なくとも最終面接くらいまでは行けます。)
任天堂が学生に求めているのは、技術力よりもアイデアの力です。任天堂自身が技術力よりもアイデアの力で生き残ってきた会社であり、その能力が最も重宝されます。
画力などの技術力磨くのはもちろん大切ですが、一定の水準に達していればそれ以上のものはそれほど求められません。
むしろ、それを使ってどんな面白い事ができるのか、発想力や応用力が求められます。
就活の際にはまずポートフォリオを提出する事になりますが、誰よりも巧いのではなく、誰よりも面白いポートフォリオを作ることに全力を注いでください。
そのやりたいことが女児レイプとか、女児監禁レイプ殺害だったらどうするんだって話だよね。
思春期時代、猟奇殺人犯が大好きで、猟奇殺人犯について四六時中調べてたんだけど
多分そういうのを理解しようとしている自分、アウトローな自分に酔ってた部分も多分にあった。けど
何より法や世間の倫理があるのにもかかわらず、自分のやりたいことをやってる彼らに憧れた部分が一番大きいと思うんだよね。
今の子がyoutuberとかゲームデザイナーに憧れるのに似てるかもしれない。
実際に、大して法の無かった時代(つまり乗り越える壁の無い時代)のジルドレなんかは正直見ても何も思わなかった。
テッド・バンディみたいな、法や倫理にがちがちに固められた時代の猟奇殺人器には憧れた。
結局、やりたい事があっても、それで人を傷つけたり苦しめたりするのが嫌だから、結局しないんだよね。
地獄変を見ても思うのが、俺はこんな何かに心酔して、何かの為に自分の人生を捧げられないなって事。
みんながみんなやりたいことをやったらこの世は地獄みたいになると思うよ。
でもやっぱりやりたいことをやりたいわけで、俺はこの先一体どう生きていけばいいんだ、どうやれば幸せになるんだって考えるたびに
昔ゲーム会社で働いていて、ゲームデザイナー、漫画家崩れアニメータ崩れのグラフィック、音楽、シナリオ、いわゆるクリエイターの知り合いがいたけど、異様に盗まれるのを恐れてる人が多かったのを思い出した。
恐れてるって言うか、被害妄想っぽいの。
コンテストなんて企業がアイデアを盗むためにしてるから絶対応募しないとか、知り合いのダンサーが某有名アーティストのバックダンサーのオーディションに行ったら振りを盗まれたとか、そういう話がよくでてくるのな。
ゲームデザイナー志望とゲームの話でもりあがって、自分がこんなアイデアあってそれでゲームを作りたいとか(半分妄想)言ったら、自分もアイデアがあるけど重要だから他人には教えられない、お前も他人にアイデアを気軽にしゃべりすぎだみたいな反応なのな。
東浩紀さんが中心となって出した「ゲンロン8」ゲーム特集の内容について、主にゲーム開発者の方々が批判して炎上している件。
ざっと見た限り、電ファミニコゲーマー編集長の平信一さんのtwitter・Facebook周辺が一番熱いようです(東浩紀さんご本人の他、イシイジロウさん、米光一成さん、大前広樹さん、濱津英二さん、島国大和さん、多根清史さん、清水亮さん、川上量生さん、やまもといちろうさんなどもコメント。平さんご自身は、ものすごく冷静ですが)。
中でも、痛烈に批判しているのが、ゲーム開発者の岩崎啓眞さんのようです。
Facebookの公開投稿も検索して見てみたのですが、岩崎さんの以下のコメントが箇条書きでまとめられていて、わかりやすい。
https://www.facebook.com/jun.okada.906/posts/2082518138456655
岩崎 啓眞 今回、ゲンロン8を読んだことで本当に思ったこと。
1)ゲームは技術と複雑に絡み合ったプロダクトであり、フルタイムで仕事にしている人間とそれ以外でとんでもない差がある。
2)特にスマートフォンになってからは出る数も膨大になり、そもそもの調査の段階からフルタイムVSアマチュアでは差が出てしまう。
3)技術を知らず、調査しきれない人間と調べないとリングに上がることもできない世界で生きている人間では「基本のラインが違いすぎる」
4)結論:作り手と同じレベルの話を出来るようになってから来い。
最初は怒ったけど怒る気すらなくなった。
なかなかすごい。
しかしこれはどうなのでしょう?
銀座のいろんな寿司屋にけっこう通ってる客が「サーモンはA店、まぐろはB店が旨い」などと語っていたら、
寿司屋の大将が「サーモンは輸入なンだからどこの店だって同じでぃ。素人は寿司を語るな」と言っているようなもののような気がします。
サーモンに関しての事実誤認に関してはそうなのでしょうが、だからって寿司を握った人でないと寿司を語ってはいけないというのは言い過ぎではないでしょうか。
岩崎啓眞さんがふだんどのようにゲームを語っておられるのかと思って、ググってみて、最初に「「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】」という記事を見つけました。
その中に、以下のように書いてあります。
http://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b
プレイヤーがバトルに敗北したとき、『ドラクエ』は経験値やキャラクターをロストせず、所持金を半分にして、最後に訪れたリスポーンポイントから復活させるシステムなのだ。
「最後に訪れたリスポーンポイント」と書いていますが、ドラクエ1のリスポーンポイントはラダトーム王の1マス下のひとつだけで他にありませんので、「最後に訪れたリスポーンポイント」の部分は正確な表現ではありません。
http://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b/2
1. プレイヤーはひとりで旅を始める
→これは『ドラクエ』と同じ構造にしてプレイヤーの負荷を下げるため
→ここも『ドラクエ』とほぼ同じ構造になっている。なお『ドラクエ』というゲームの偉大さのひとつは、このチュートリアルを30年経ってもやることだ
とありますが、ドラクエ2の1人目のプレイヤーキャラ(ローレシアの王子)は魔法(より正確には呪文)は使えませんので、4の「ふたりめの王子(引用者注:=サマルトリアの王子)がパーティに加わる」前の話なので、「2. アイテム・装備・魔法の使いかたを覚える」の「魔法」の部分は事実誤認です。
このように、ゲーマーの基礎教養であるドラクエ1・2に関しても事実誤認があります。
実はやってないのでしょうか? うろ覚えなのでしょうか?
このような事実誤認によって、この記事全部が意味がないものになるかというとそんなことはなく、変わらず大変興味深い指摘だと思います。
「事実誤認を見つけたからこの本・記事は意味がない」という姿勢はいかがなものか、ということです。
そんなことはないのでは。
事実誤認があれば指摘して、著者も素直に訂正し、それとは別に議論を深め、ゲームに対する言論を高めていく、というのが健全ではないでしょうか。
だって、ゲームを本気で語ろうなんていう人たちの規模はこんなにちっちゃいんですから。
ゲーム開発者が、ゲームの遊び手がゲームを語るのを弾圧するっていうのは本末転倒では。中国政府ですか?
ゲーム開発者の方は映画やアニメを語るのが好きな人も多いですが、「映画(アニメ)作ってないお前に語る資格はない」って言われたら嫌でしょ?
あとオンラインゲームやオープンワールドやスマホ・ブラウザゲームなどはメジャーなものだけでも全部まともにやるのは、一般社会人にとっては時間的に不可能な現実もありますので、「このゲームすらやってないのか」的な言いがかりも、いまの時代、やめた方がいいのかなーと。
全部やるのは無理だから、教えあうしかないんじゃないですかね。
https://www.facebook.com/TAITAI999/posts/1977782982291793
じゃあ一方で、ゲーム業界側(ゲームメディア含む)が、その”正しい認識の歴史”とやらをきちんとまとめるなり、伝えるなりしてきましたか?というと、少なくとも僕は見たことがないんですよね。(…)
つまり、いわゆる“ゲーム業界人”(あるいはコアゲーマー)は、長年の経験を踏まえて正しい文脈を知っているかもしれないけど、それを整理して残す努力はしてないんじゃないかと思うのです。それって、僕からすると「ゲーム業界側の負い目」に思えてしまう(少なくとも、ゲームメディアがやれてこなかった仕事だと思う)。そりゃ、業界の外の人が分からなくて当然だろうと思うのです。
とおっしゃっているので、平さんあたりが音頭を取って「ゲーム業界人から見たゲームデザイン史」的なものを作ってくださるのも素晴らしいと思います。
今回の議論でもある通り、ゲームには作り手でないとわからない高度な技術的な側面がありますので。
あ、ただ、それを「正史」にする、という発想はまた違う気もしますけども。
映画業界人が作った「映画正史」とか、小説家組合が作った「文学正史」みたいのはあまり聞いたことないので。作り手が主張する歴史が正史だ、っていうのも、なんか中国政府っぽくないですか?
そして最後にゲーマー日日新聞J1N1さんのこの部分を引用しておきたいです。
そこで自分が言いたいことは一つだけ。自分たちのゲームは自分たちで語るべきだということだ。
自分たちのゲームを語り、周囲の人や後世の人に伝えるのは、自分たちしかいない。批評家や評論家の肩書を持った偉い人たちや、経済的な課題を常に抱えるメディアに、全て丸投げする程期待してはならない。
FFTことファイナルファンタジータクティクスの発売日は、1997年6月20日。
黒本こと『ファイナルファンタジータクティクス大全』は、2000年9月発売。
いずれも盗める確率は0パーセントと表示されるが、このゲームでは小数点以下を切り捨てているため、実際は小数点以下の確率で盗める。
とある。
※第4版では「絶対に盗めない」と変更されている。
5月19日にニコニコ動画で放送された「ファイナルファンタジーXIVプレゼンツ『ファイナルファンタジータクティクス』実況プレイ Part 2」内の23時-26時(実際に終了したのは朝の6時ごろ)に実況プレイで登場された松野泰己さんと吉田直樹さん、ゲストの皆川裕史さんと前廣和豊さんの枠で、
当時攻略本て、開発側が資料を出すじゃない。それをまるっと検証もせずにやってたところがいっぱいあったわけ。どことは言わないけど。それにイラッとしたゲームデザイナーの某伊藤さんがですね、うそを入れた。
とエルムドア戦前に吉田さんから攻略本に間違った記載があるのはなんで?的に尋ねられ、松野さんが言っちゃっていいんじゃない?的な深夜のノリで前廣さんがポロリした。
こう言た背景は、FFTよりも昔は編集部が独自に攻略し本を発行するものだったけれども、FFTくらいの時は開発からもらった資料をそのまままるまるコピペして攻略本と名乗るものがありそれに対して当時の開発者は職人気質なひとが多かったのか、ファミ通などの編集部のプロと名乗れない仕事ぷりと子ども相手に楽にお金を稼ぐ流れが出来ていたことに一石を投じる形になってしまった。
5月21日の「FF14 パッチ4.3「月下の華」パッチノート朗読会」にて生放送に参加していた吉田直樹さんからうそをいれたのは「キャラクターのパラメーター関連」と訂正が入る。
他に、
とも。
そもそもゲーム発売から3年後に発売された攻略本がどのくらい検証したか不明だけど、ある程度試して渡された資料と違いがあるなら問い合わせそうだけど(編プロをやったことないので憶測で書いてます)。
黒本は買っていないがFFTは発売日に買って、源氏装備盗めるかな?ってなってオルランドゥの剛剣で盗むの無理じゃない?と感じた記憶がある…。30分くらいやって先に進もうってなったくらいでした。
似ているかわからなけれど、FF7のエアリスが生存するルートがある!って自分の周りのゲーム好きでまことしやかにウワサされたレベルのお話だと思う、今回の黒本の源氏が盗めるって。当時はウソテクとかあって本当かどうか試すのも流行っていたし。
そもそも黒本にも編集者が試して盗めなかったとの記載もあるらしいし怒ってる人は黒本持ってるの?とも。単なるネットの情報に便乗で怒りたいだけの人もいると思う。
TRPGパラノイアとそのルール解釈宗教論争で揉めてる話です。
まず自己紹介をすると僕は生粋ではないにしろTRPGが好きでパラノイアはTS版の出る前の第2版の頃から知っているプレイヤーです。いきなり専門用語を出しましたが最後まで読めばわかります(です・ます調はここまで)
僕の好きなTRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム・平たく言うと卓を囲んで冒険のごっこ遊びをするゲーム)に「パラノイア」と題された米国生まれの人気タイトルがある。
TRPGファン界隈ではとても有名なゲームシステムで、その秘密は1980年代当時の本国・米国を皮肉ったゲームデザインにある。
このゲームを説明すると、自然物が排除され全てがコンピューターに管理された封建主義の巨大施設で暮らす国民が、自国内で発生したトラブルを解決するSFゲームだ。
面白いところはPC(プレイヤーキャラクター)は施設で産まれ育ち自然界を知らない設定なので、例えばゲーム中に外の世界に任務に行き木を見かけることがあったとして「あの木で休もう」などと発言すれば、「木とはなんですか? 貴方はなぜそれを知っている?」と仲間に言及され、略式処刑されるシステムにある。
またPC達は皆、与えられた任務とは別の反逆的な思想を持たされており、任務を邪魔するような役割を与えられていたりして達成できないことがままある。もし妨害していることが明らかにされると、それも処刑対象だ。しかしPC達にはクローンが数体用意されているため中途で死んでも記憶をコピーされ冒険に復帰できる。
パラノイアのコンセプトは間違いなくPvP(参加者同士の戦い)である。
通常のゲームではGM(ゲームマスター)の用意した邪悪な竜をPCが協力して倒すがパラノイアはPCをPCが倒す。ルールブックにもそう書かれ推奨されている。人気タイトル故に版がいくつもあるが、少なくともこのゲームを有名にした第2版ではそうであった。当時のベテランTRPGプレイヤーもやはりパラノイアをプレイする以上は仲間同士で争っていた。
そして、このことがいまファン内で論争を招いている。もはや宗教論争といっていい。卓内で宗派の違う者を歯に衣着せぬ言い方でボロクソに言っている。僕はそれをとても虚しく思う。
ややこしい話だが、パラノイアは版がいくつもあるばかりかシステムの応用版も公式から出ており、それらのファンである程度住み分けが出来ている。それらの説明は割愛し、今回趣旨としたい大きな宗派は主に「第2版属派」と「TS(トラブルシューターズ)派」に絞る。
この2つはイスラムの2大宗派と酷似し、源流は同じにも関わらずそれぞれが独自に文化を形成している。
前者を「属派」としたのはこれがまたややこしい話だが、肝なのでしっかり説明する。少し歴史の話になる。
現在、正統第2版派はほぼ死滅している。これで遊んでいるサークルはTRPG界でも深みにいる層だ。30年も前の版だから当然かもしれないが。
故に第2版は現在から10年ほど前に無料で有志(と呼ぶと怒られそうだが)によってウェブ上に少し改変されたものが公開された。それをもとに、いわゆるゆっくり音声などで実況したセッション動画が投稿され、その斬新なゲーム性から人気を博した。
だからもう大変なことになっている。なにがっていえば、まず前者の主なファンは動画サイトに在住したTRPGに触れたことのない者が多いことだ。そして、後者は根っからのTRPGファンである。
TRPGというのはGMが裁量権を握るもので、サッカーを例に出せばラインを越えればどちらのスローインかというジャッジもGMの仕事だ。
しかし、愚かながらパラノイアにおいてはゴールのラインを明らかに越えてもGMが面白くなければノーゴールとしてよい。ルールブックにもそう書かれている。
そのルールに則った文化が醸成された結果、動画では派手な爆発が好まれ、必要以上に略式処刑を繰り返すものが多く、パラノイアを初めて動画で知った者は仲間を爆破すればいいのだと刷り込まれる。そして、さあやるぞとルールブックを買う。
次の問題は、現在ルールブックはTSしか販売されていないことだ。そうなってくると、パラノイアをプレイしようとした生粋のTRPGファンの間に爆破プレイヤーが流入してくる。そして、セッションが荒れる。するとTS派は初めて怒りを覚える。「あいつらのせいで面白くない」これは実際にTS派が言っていた言葉だ。
今度は私達の番だといわんばかりにTS派はなんとPvP否定に傾倒していく。なんと他のTRPGと同じ様に、真面目に任務を遂行する文化が出来始めたのだ。
そして、TS派の重鎮が「第2版属派のはパラノイアではない」と新規TSプレイヤーに呼びかける。こうして2つの宗派は思想が離れた。
実のところ、TSのルールブックにもPvPを推奨はある。僕はあると思っている。しかしTS派のある重鎮は「いや、どこにも書いてない」と言う。
これはどちらが正しいということはなくて、どちらでも解釈できる書かれ方をしているためだ。宗教を例に出した理由がここでようやくわかっていただけると思う。
ルールブック(聖典)の解釈を巡り対立構図ができているのだ。TS派の中にもPvP肯定派がいたり、属派の中にそもそも派閥を意識していない者がいたりなどの点もまたリアルである。
先に述べたとおり、TRPG、ことパラノイアはGMの裁量次第のゲームなので、GMがPvP否定ならばゲームはそうなり逆も然り。
その時は途中で脱退するわけにもいかずとても窮屈な時間を過ごさせられる。
ゲームデザイナーは普遍的なSF・TRPGのデザインに辟易してギャグで仲間内で楽しく盛り上がることのできるゲームとしてパラノイアをつくったといわれているのだが、昨今のこのプレイヤー状況はどうにかならないものだろうか。
GIGAZINEから冬の便りが届いたので、気になった作品だけ。備忘録とは名ばかりの、個人の主観をまとめただけの、まったく邪悪なエントリー。
※ここで触れる作品はすべて原作未読なので、どんな物語なのかほぼ分からないまま書いてます。あとソースはWikiなので多分間違ってるとおもう。各アニメのURL貼りまくったら自動検閲されたので、悲しいけどこのままで。
原作はファンタジー小説。監督は畠山守。「ローゼンメイデン」シリーズや「昭和元禄落語心中」、「さんかれあ」の監督。他には「電波女と青春男」2話の絵コンテ/演出、「魔法少女まどか☆マギカ」5,8話絵コンテ等。同氏は小俣真一名義でクレジットされることもある模様。シリーズ構成は原作者が共同でクレジットされてる。もう一人のシリーズ構成は矢野俊策。この人はTRPGのゲームデザイナーらしい。ということはこれ、TRPGアニメということなのだろうか。音響監督は「プリンセス・プリンシパル」でおなじみの岩浪美和。戦闘シーンがあると嬉しいな。音楽は、TVドラマではおなじみ菅野祐悟。アニメだと「鉄腕バーディー DECODE」シリーズや「PSYCHO-PASS」シリーズ、JOJOシリーズなど。ゲームだと「rain」「仁王」。
原作はコミック百合姫の漫画。監督は「狼と香辛料」シリーズや「まおゆう魔王勇者」の高橋丈夫。音楽は「プリンセス・プリンシパル」のOP、EDを作編曲している高橋諒。素敵なサントラを期待してる。
クレジットされてるスタッフが監督、シリーズ構成、キャラデザ/総作監、音楽だけなので正直よくわかんない。
1話放送。脚本はハヤシナオキ(詳細不明)、コンテは監督。背景は草薙。
原作はモーニング等で連載された漫画。制作のジェノスタジオはアニメ制作会社のマングローブ経営破綻がきっかけで作られた会社。「ゴールデンカムイ」と「虐殺器官」を作ってて、これが3つ目。シリーズ構成は「アリスと蔵六」の5話、9話脚本を担当した木村暢。アマプラ独占配信。
1話放送。プロデューサーは「四月は君の嘘」等の木村誠。音響監督は「ハナヤマタ」の藤田亜希子。
原作はまんがタイムきららで連載中の4コマ漫画。制作は「ブレンド・S」に続きA-1 Pictures。監督は「ご注文はうさぎですか?」の橋本裕之。シリーズ構成は同じくごちうさシリーズの脚本を担当した井上美緒。ちなみにごちうさのシリーズ構成はいつもの’ふでやすかずゆき’。本作もふでやすかずゆきが脚本書いたりして。井上美緒が直近で携わった脚本は「宝石の国」のアンタークチサイトの話と、「ネト充のススメ」4、5、6、11話。音響監督は同じくごちうさ組の、いつもの明田川仁。音楽は藤澤慶昌。この二人は今期「宇宙よりも遠い場所」も担当している。
原作はゲッサン連載中の漫画。制作はみんな大好きシンエイ動画。かねてよりラジオでCMを聴いていたのだけれど、とても破壊力が高い作品。シリーズ構成はいつもの横手美智子なので、さぞかし面白いラブコメなのだろうと思う。同氏は今期「だがしかし2」のシリーズ構成も務める。音楽がギタリストの堤博明なので、ギターが軸のサントラ聴けるのかな。
「gdgd妖精’s」の新シリーズ。監督は引き続き菅原そうた。ちなみに前シリーズでダテコーが携わったのは1期のみ。HPにスタッフのクレジットが無いのでよくわかんない。
スタッフ詳細発表。プロデューサーは「gdgd妖精’s」の福原和晃、別所敬司を含む4人。企画協力に「てーきゅう」などのショートアニメでプロデューサーを務める後藤裕がクレジットされている。OPは前作に引き続きポンポコPと「直球話題ロボットアニメ」OP制作のビームマン。制作は引き続きストロベリー・ミーツ・ピクチャーズ。
原作はなろう系小説。監督は「のうりん」や「妹さえいればいい。」の、あの大沼心。同氏の作品のあの感じが好き。シリーズ構成/脚本は「ノーゲーム・ノーライフ」6,10,11話脚本の下山健人。最近携わったのは「政宗くんのリベンジ」3,4,7,8,9,11話、「武装少女マキャベリズム」シリーズ構成。音楽はいつものMONACA。MONACAはゲーム「NieR」シリーズの岡部啓一や〈物語〉シリーズの神前暁を擁するクリエイター集団なんだけど、MONACA名義の場合サントラが発売されないと誰が作ったか分かんないのだろうか。気になる。最近携わったのは「結城友奈は勇者である」シリーズ。
原作はcomicoの連載漫画。プロデューサーはTVドラマの逃げ恥や重版出来!の那須田淳。監督は「ゆゆ式」の監督、シリーズ構成は赤尾でこ。少女漫画かな?音響監督は「まおゆう魔王勇者」「のんのんびより」シリーズ、「サクラダリセット」等、いつもの亀山俊樹。新房昭之監督作品と縁のある人。音楽は「Re:ゼロから始まる異世界生活」「少女終末旅行」のMAYUKO・末廣健一郎。
原作はマンガ配信サイト「裏サンデー」連載作品。脚本はいつもの高山カツヒコ。
原作はKADOKAWAの漫画誌『ハルタ』の連載漫画。監督は「クズの本懐」の安藤正臣。シリーズ構成は「のんのんびより」「じょしらく」等いつもの吉田玲子。今期は「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」も担当しているので、脚本書く本数が少ないかも。背景美術は「のんのんびより」「このはな綺譚」の草薙。音楽担当のEvan Callは、他にも「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の音楽も担当している。
原作は電撃小説大賞受賞作品の小説。監督は「マクロスΔ」の安田賢司。シリーズ構成は「アリスと蔵六」3話、4話の脚本を担当したヤスカワショウゴ。同氏は今期「三ツ星カラーズ」のシリーズ構成も務める。音響監督は岩浪美和。こっちは「グランクレスト戦記」も務める。音楽は仮面ライダー等の劇伴でおなじみ中村幸太郎。この時点で既にアツい。ということは、博多を舞台にしたハートフルSF日常系バトルアニメかも。
原作は小説投稿サイト「Arcadia」投稿作品。これは2015年夏アニメに続く2期。スタッフやキャストに変更(監督が総監督になったり?)はないらしいので、路線変更は無いみたい。
原作はビッグコミックスピリッツ連載中の漫画。みんな大好きWIT STUDIO制作の作品。監督はドラえもん劇場作品の監督(帰ってきたドラえもんとかのび太の結婚前夜とかのび太と緑の巨人伝とか)を務めた渡辺歩。スタッフのクレジットが無いのでよくわかんない。
スタッフの続報発表。シリーズ構成はいつもの赤尾でこ。今期は「ミイラの飼い方」シリーズ構成も務めている。音楽はTVドラマの劇伴でおなじみ吉俣良。最近携わったのはTBS「ごめん、愛してる」など。アマプラ独占配信。背景は「狼と香辛料」シリーズなど、いつもの美峰。
原作は竹書房「まんがライフWIN」で連載中の漫画。クソアニメ。プロデューサーは生徒会役員共シリーズでプロデューサーを担当した須藤孝太郎。
オリジナルアニメ。監督/シリーズ構成は「天元突破グレンラガン」のキャラデザ、作監とか「パンティ&ストッキングwithガーターベルト」のキャラデザとか作監とかコンテとか演出とかの錦織敦史。メカニックデザインがアニメ(ーター)見本市の作品「カセットガール」のコヤマシゲト。TRIGGER/A-1 Pictures制作なので楽しみ。
オリジナルアニメ。公式HPのURL的に「よりもい」って呼んでほしいのかな?制作はMADHOUSE。監督・シリーズ構成/脚本・制作が「ノーゲーム・ノーライフ」と同じ。ノゲノラの面白さは知人が太鼓判を押していたので、後で観る。音響監督もノゲノラを担当した、いつもの明田川仁。同氏は2017秋アニメの「Infini-T Force」「Just Because!」「少女終末旅行」「魔法陣グルグル」の音響監督を担当していて、今期は「スロウスタート」も担当。
音楽は藤澤慶昌。アーティスト楽曲の編曲のがウェイトが大きい人で、特に近藤夏子の楽曲に編曲としてよくクレジットされている。アニメではあの「宝石の国」劇伴を担当している。また、「スロウスタート」の音楽も担当。管弦楽の人みたい。
メインキャスト(水瀬いのり、花澤香菜、井口裕香、早見沙織)に並々ならぬ何かを感じる。またクレジットについて、”協力:文部科学省、国立極地研究所、海上自衛隊”とあることから、結構ガチなアニメな気がしてくる。メインキャスト的に、物語の前半は幼少期、後半は成人後みたいな構成だったりして。
原作は「京都アニメーション大賞」大賞受賞の小説。制作は京都アニメーション。監督は「境界の彼方」等京アニでおなじみ石立太一。シリーズ構成はいつもの吉田玲子。音響監督は〈物語〉シリーズ等いつもの鶴岡陽太。最近携わったのは「UQ HOLDER! 〜魔法先生ネギま!2〜」「恋と嘘」等。音楽は今期「ハクメイとミコチ」も担当するEvan Call。京アニの作品はいつも「髪の毛」が主要な登場人物なんだけど、今回もすごい髪の毛が観られるのだろうか。楽しみ。Netflix独占配信。
原作はコミック。1999~2000年に放送されたアニメの続編。メインスタッフ及びキャストが前作と一緒らしい(キャラデザは変更)。監督は「ちはやふる」「ガンスリンガーガール」監督、「ノーゲーム・ノーライフ」コンテ(9話、OP)、「ハナヤマタ」コンテ(9話)の浅香守生。シリーズ構成/脚本はCLAMPの中の人こと大川七瀬。音響監督はポケモンシリーズ、「僕らのヒーローアカデミア」シリーズ、「進撃の巨人」シリーズ等、いつもの三間雅文。
OPを珍しく坂本真綾が歌い、作詞も担当。作曲は’いきものがかり’リーダー、水野良樹。
原作はまんがタイムきららフォワードで連載中のコミック。制作は「スタミュ」シリーズや「ガールフレンド(仮)」のC-Station(元請けとしての実績が少ない)。監督は京極義昭で、本作が初監督。シリーズ構成は「プリキュア」シリーズや「あんハピ♪」の田中仁。音楽はあの「けものフレンズ」でおなじみ立山秋航。アニメ企画の仕掛け人が誰かわからなくて困ってる。
[2017/12/12 追記]
☓「ハクメイとコミチ」→◯「ハクメイとミコチ」でした。てっへぺろーい!
[2017/12/15 追記]
[2017/12/17 追記]
「スロウスタート」の項を追加
[2017/12/20 追記]
[2017/12/21 追記]
亀山俊樹、末廣健一郎を追加。草薙についての記述に誤りがあったため修正
[2017/12/22 追記]
「恋は雨上がりのように」「博多豚骨ラーメンズ」スタッフを追記
[2017/12/26 追記]
「gdメン gdgd men's party」スタッフを追記、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を追加
[2017/12/30 追記]
「カードキャプターさくら クリアカード編」を追加。浅香守生、三間雅文を追加。
[2018/01/05 追記]
「ゆるキャン△」を追加
[2018/01/11 追記]
「citrus」「恋は雨上がりのように」「刻刻」スタッフを追記
どんなに身なりに気を配っても顔は下の中だし、運動神経も悪い。読書は好きだが国語は苦手だし文章も書けない。数学もしかりだ。
人生の中で何か人並み以上に努力を傾けたものは何もなく、おそらく一番好きだろうと思って目指した好きな道(漫画家でも小説家でも芸人でもゲームデザイナーでも声優でもおおよそ夢見がちな職業を各自当てはめてほしい)はたった3年で挫折して、世間一般でいう真っ当な道に滑り込んで社畜になった。
天才とは努力をする才能のことだとよく言うが、自分はまだその努力を傾ける対象を見つけていないだけだと、まだどこかで思っていたがそんな妄想は真の天才を目の当たりにして打ち砕かれた。
いじめか何かで長くヒキニートをしていたというが、普段の振る舞いからそんな過去は一切伺えなかったし、入社当初から仕事はべらぼうにでき、周囲の受けも抜群だった。
何故そんなにできるのか聞くと元々好きな分野で、ヒキ時代に趣味で色々遊んでるときに身につけた知識が役に立っているということで、どんな分野の話を振っても平均以上の話をした。一応大学を出てる俺よりよっぽど元ヒキニートの彼の方がよほど博学だった。大事なことは大体Google先生が教えてくれたと、冗談だか本気だかわからないことを言っていた。そいつは資格を取りまくり瞬く間に出世した。
上司から、そいつが入社テストでとんでもないIQを叩き出していたという話を聞いて、ブランクがあったとしても天才はやる気を出した時点でいとも簡単に凡人をごぼう抜きにするのだということが分かった。そして、ブランクのある彼ですらそうなら、ブランクのない天才はそれこそ全く手の届かない地点にいること。たとえ今から俺が努力を傾けるものを見つけられたとして、その天才にも彼にもずっと追いつけないだろうこと。そしてそもそも俺にそんなものはないだろうこと。あるならとっくに見つけているだろう。誰に教わらずとも気の向くままにググっていただけの彼が膨大な知識を持ちえたように。
何が言いたかったか自分でもよくわからなくなって来た。俺もIQ150出してメンサに入れるような人間に生まれたかった。到底受からないことはわかってるが、メンサのテストの予約をした。落ちたらけじめをつけて凡人として生きていこうと思う。