はてなキーワード: M2とは
まぁ、単位がわからないけど、全部金銭で考えるとして。まず、M1とc2は、既に市場の定価があるわな。
M1は、そういう風俗があることを考えると、多分、1回数万円ってところ?c2は電車賃だよね。通勤なら、片道数百円〜数千円程度では。
問題なのは、「単に電車に乗ることによるメリット」M2が人によって大分ちがうことかな。要は、電車に乗れないことによる機会損失がいくらかって話と同じだよね。
就職とか面接に行くために電車に乗る&それ以外の方法では遅刻する奴は、それこそ、M2が数千万円だったりするし。
毎日の通勤でも、電車に乗らないと職場に行けないんだったら、M2は1日の有給休暇分ぐらいの勝ちがありそう。数万円だわな。
載ってるのがビジネスマンで、企業同士の契約が絡めば、M2が数百万とか普通にありえるし。一生に一回しか無い冠婚葬祭系は、M2いくらするか分からんな。
一方、学校休みたいと思っている中高生だったら、電車に乗れないことによる機会損失は0円かもね。
…って考えていくと、まず、「いくらなら電車に乗るべきか」を決めないとな。M1<=M2-c2で、M1は数万円、c2が数百円なら、c2はほとんど無視できるから、M2も最低数万円程度ってことになるな。
つまり、その電車に乗らないと数万円の損害が生じるような用事でなければ、電車に乗るな、と。
で、痴漢でないことを証明するためのコストc1は、M1とM2-c2の間でテキトーに決めろ…と。まぁ、M2の男性乗客に対する平均値とか使って決めるんだろうな。
季節の風物詩ですね。私の失態を後輩の皆さん他山の石としてください。
M2:未申請。大学院で学部とめっちゃ違う分野来て研究テーマすら曖昧にしか決まってなかったので
D1:未申請。メンタル病んで1ヶ月ほど大学こなかったらいつの間に期限過ぎてた
D2(1回目):未申請。内臓疾患系の開腹手術とかして4ヶ月ほど休学しててそもそもそれどころじゃなかった
今ここ->D2(2回目):未申請。「D2(1回目)のときは休学届出してたし在学期間からさっ引かれるからDC2出せるよね??」って思って要項調べたら「6ヶ月未満の休学期間は考慮しない」という無情な一文が…
じゃあ実質D3みたいなもんだからPD出せよ、って思われそうだけど、今年からPDは学位とった人じゃないと申請出来ないようになったので㍉
そもそもM2で出せなかったのが最大の敗因なんだけど、「学振 "転科"」でぐぐっていまだに3番目に自分の書いた増田が出てくる有様だし途中で分野変えた人に厳しい仕組みの制度だからね、仕方ないね
学部1年から1つの分野しか見てこなかった視野狭窄な学振パーソンの皆さんはどうかそのまま頑張ってください。転科しても普通に通った物理屋の人はマジで尊敬します。
就活を通して将来のキャリアプランとか考えるんだけど、自分が同性愛者であることが原因なのか明るい未来が想像できない。
すごいエンジニアになって、仕事バリバリやって、金ガンガン稼いで、面白いものつくっって....てな感じで色々考えても
「あっ、自分て同性愛者だから、キャリアをいくら積んだからって一生孤独じゃん。働く意味!?」っていう着地点になるんだよね。
中学生のときに同性愛に目覚めて、いま24歳。両親の離婚、自分の性癖、不登校、浪人生活.....色々乗り越えての現在(いろいろあったなぁ)。
大学では友人に恵まれて、人生で一番楽しかった。それもあと一年で終わり。
友人たちもそれぞれの道に進むために就活中。社会人になって、家庭をもって、キャリア積んでとかそれぞれの夢に向かって散らばっていく。
今までみたいに、学校行けば誰かがいて、楽しい時間を過ごせるってことがなくなる。
だからどうしてもパートナーがほしい。一生とは言わない、社会にでてからも支え合えるパートナーがほしい。生きる原動力がほしい。
若さを失い始める年齢だし、年々パートナーを作れるチャンスが減っている気がする。肉体的に最も活発といわれてる16-25歳で童貞。愛するひとと、若さをぶつけあう激しいHがしたかったなぁ。
主人公である珠は哲学科のM2で,彼氏と同棲しており,冒頭から濡れ場がある.
珠は修士論文のネタとして人はなぜ生きるのかについて研究する.
当初予定していた手法は100人にアンケートをとるというものだったが,指導教員が一人を意味のない尾行してはどうかと提案し,珠はそれを実行する.
もはや意味不明であるが,珠は対象Aを尾行するためにタクシー乗ったり,高そうなイタメシ屋でカルパッチョを食べてとワイン飲んでたりしていた.
タクシーに乗る場面では上がっていくメーターと野口英世が2枚しか入っていない財布を交互に見ており,カネに余裕はないようだった.
彼女は修羅場に遭遇しつつも,夏から冬にかけて修士論文を完成させる.指導教官はそれをかなり評価していた.
珠の彼氏は,意味がわからないという評価をしていた.私もまったくの同意見である.
桜が満開になるころ,珠は引っ越した.そのとき彼女の手には修士論文があった.
私は情報工学科のM2で,一人暮らしをしており,外出先は研究室とイオンが大半である.
最初の2本は指導教官に与えられたネタで書いた.無事に国際会議にアクセプトされ,一週間ずつアメリカとカナダにいけた.
3本目は自分でネタを考えて,自分だけで書き上げた.今週末が締め切りの国際会議に投稿する予定である.
修士論文の締切は2月の頭にあり,3本の論文をつなげて,はじめにとおわりにと謝辞を書いて終わった.
4年生のとき、当時M1だったAさんと同じ班員として研究をしていた。
そのAさんははっきり言って無能だった。4年生の4月に研究が始まって、1か月経つ頃には「この人を信用したら大変なことになる」と悟った。
というのも、Aさんが描いた図面をもとに部品を制作していたら、全然寸法が合わないので、よく調べたら全然違う寸法が入ってたり、実験ノートをフリクションペンで書いて、ちょくちょく消しながら実験してたり、そのせいで条件とデータの関係が分からなくなってデータを取り直しになる(しかもこれはAさんはやらないで自分がやらされる)とかそんなことばかりだったからだ。
しかもその上にいたM2の先輩も責任感のない人だったので、自分はすぐに相談にいけて、頼りになる存在がいないままだった。そんな状況で、大して知識や経験もないままやってるので、たまにある進捗報告で指導教員にボロボロに言われる。
結局、あまり価値のない卒論しか書けなかった。教員にも半ば放置されていたので、先輩や教員に厳しく指導されながら研究をやっている同期が、うらやましくて仕方なかった。それでも、当時はSTAP細胞問題が話題になってた頃でもあったので、コピペなどあってはならないという気持ちをもって卒論を書いた。
自分のいる研究室は「序論とか実験手法は過去の卒修論をコピペすればいい」みたいな風潮があって、実際に過去の人たちが書いた卒修論を読んでいると「ここは誰かの論文のコピペだな・・・」と気づいてしまうことがよくある。実際、実験装置などは同じものを使っているし、手法も変わらないので、結果的に同じものを書くことになってしまうこともある。だからといってコピペが許されるわけではないし、いくら研究室内で保管されるだけとはいえ、将来、誰かに読まれる可能性は高い。しかも、研究内容としては価値がない以上、自分で文章を書く、というところだけは譲らずに書こうという気持ちがあった。図や装置の諸元は引用したりはしたものの、基本的には自力で書いて提出した。
同じ研究室の大学院生になって研究を進めてくる中で、卒修論については上述のような事情があることは分かっていたので、昨年修了したAさんの修論を読んでみようなどという気持にはならなかった。ただ、自分と一緒に研究をしている4年生が、過去の卒修論の中で、役に立ちそうな論文としてAさんの書いた修論を持ってきていた。一応Aさんの修論発表は聴講しに行ったのだが、発表を聞きながら「これ、自分が卒論でやったこととほとんど変わらないじゃないか、こんなので修論として認められるのか」と感じていた。その修論が後輩の机の上に置いてあったので、どうせAさんのことだから大した出来ではないのだろう、と思って、目次をちらっと見てみた。
最初は、あれ、という違和感だった。「従来研究」として目次に書かれている論文が、自分が4年生のときに調べて卒論に書いたものと同じだったからだ。どんな風に引用しているんだろうと思ってそのページを開いた。
違和感は確信に変わった。手元にある自分の卒論のファイルと見比べてみると、一字一句変わっていない。「序論はコピペでいい」という論理で、後輩が過去に書いた卒論を、修論でコピペするなんてことがあり得るのか、と愕然とした。
しかし、そんなのはまだ序の口だった。さらにページを読み進めてみると、実験手法、解析方法、モデリング方法、計算結果、考察、結論、ほとんどが自分の書いた卒論のコピペだった。しかも、英数字のフォントが自分のものとは変わっていて、図表番号や設定条件などだけは置き換えられているので、「間違って使ってしまった」などということはありえない。さらに、自分の卒論と違う部分は追記されたりしているので、その修論を読んだだけでは誰かの論文をコピペしていたとは気づかないだろう。でも書いた本人が見ればすぐにわかる。こんなことがバレないとでも思ったのだろうか?
しかし、一つ違和感があった。というのも、Aさんに自分の書いた卒論のデータを渡した覚えがないのである。だからどうやってコピペをしたのかが不思議だった。
しばらく考えてから思い出した。自分がM1のとき、卒論を書いている後輩に参考資料としてデータを渡していたのだった。その後輩はAさんの近くで研究をしていたので、おそらく後輩がAさんにデータを渡したのだろう。その後輩は自分とは研究テーマが少し違っていたので、「せっかく卒論のファイルをもらったけど、あまり参考にはならなくて、引用もできなかった」と言っていた。
Aさんの修論発表を見ていたときに「自分の卒論とあまり変わらない」と感じたが、むしろAさんがコピペして修論を書いていたのだからそう感じるのも当然である。
Aさんがコピペしていたことに気が付いてすぐ思ったのが、どうしてこれで指導教員は何も言わなかったのか、ということである。「他の大学の研究と変わらない」「新規性がない」とかのレベルではなくて、「昨年の○○が卒論でやった研究と変わらないじゃないか」と一蹴されるレベルである。数年前のことならまだしも、1年前に卒論で書かれていた内容を忘れているはずがない。
これはあくまで推測なのだが、おそらく指導教員はAさんの指導を放棄していたのではないか。留年させても仕方ない、何も進めないなら叱ってでも何かやらせるけど、無価値な内容とはいえ修論を書いている(かどうかが怪しいのだが)し、修論発表も一応乗り切っているので、とりあえず修了させたのではないかと。
卒論をコピペされたことで頭に来ているのかというと、Aさんがいかに無能かはよくわかっているので、今更どう感じるわけでもない。ただ、コピペされた側として、このことについて指導教員に話をするくらいの権利はあるはずだ。
今は修論の審議がなされている段階なので、波風を立てるようなことはしないでおいて、修了が確定してから、訴えてみようと思う。
Aさんの修了は取り消すべきなのではないか、と。
前に西之園萌絵が嫌いな人はシリーズをどこまで読んだのか↓というのを書いたとき
http://anond.hatelabo.jp/20160215141400
エゴサして反応を見ていたら時系列が分からない、どれから手をつければいいのか?と言ってる人多かった(流石多作の森博嗣先生)
ただ、気軽に森ミステリィ沼に誘うことを趣味にしている身として、ドラマ、アニメ化が行われている二人からキャラ読みを薦めてみたいと思う。
基本的には「S&Mはどこから読んでもいい by作者」はずなのだが、きっと誰もそんな薦め方しない。
ここでは犀川と萌絵に関わる本を、出来るだけネタバレ無しで時系列説明しながら並べていきたい。
アニメは大体忠実に作ってるので、原作を読みなおすかアニメを見直すかは自己判断。アニメは「四季 夏」が混ざってる他、オリジナル描写も。
この時点で萌絵は大学一年。しかし高校時代にブランクがあるので19歳。犀川は32歳。
そこから発行順。
(とりあえずここまでが、当初予定されてたまでのシリーズ5連作だったらしい。なのでその知識を入れると、「ここまでが面白い」という偏った感想を抱くかも)
・封印再度 を機に微妙に二人の関係が変わっているような気がするので、読み飛ばすにしてもこの巻は読んだほうが良い。
ここから最終巻まで、萌絵はずっと大学4年生。22歳~23歳までの話。
一緒に見たほうが良い、というトリックがあるわけでも無いけれど一部リンクする。
萌絵のパーソナリティの問題としては「夏のレプリカ」は読んだほうが良い。この話のネタバレはググるな。
すべてがFになる の四季とか島田文子さんとか諸々が出てきます。
10作でS&Mシリーズ完結。でも犀川と萌絵の話はまだ終わらない。
この巻は完全にS&Mの続編、「萌絵 秋」なのですが。Vシリーズを読まないとわけのわからないキャラも出てきます。
「あのレゴ」の意味が書いてます。すべてがFになる、有限と微小のパンの残った謎解き。アニメにもなってません。
(四季4作は基本的にS&MシリーズとVシリーズを読んだ人向けのスピンオフ作品)
ちなみに「四季 夏」にも一瞬、犀川先生出てくるよ。Vシリーズ全体のネタバレがガッツリ書かれてるからお気をつけて。
二人の関係に大きな動きがあります。「四季 秋」の途中ぐらいの時系列。
……正確に言うと新作は収録されてませんが、S&MシリーズとVシリーズの番外短編を時系列としてまとめて再録した一冊です。
Vシリーズをなにひとつ読まなくても、S&Mシリーズとして読めます。オチをちゃんと知りたければVシリーズを読むしかない。
さぁここまで来たら、Gシリーズを発行順に読んでください。Gシリーズは1巻完結ではなく連作。
萌絵がD2の27歳、国枝研究室での後輩たちとの話を描いています(萌絵の内面のお話がたくさん出てきます。犀川先生とのラブコメも健在)。
と言いたいんですが、話が進むごとに時間がどんどん飛びまして。萌絵ちゃん別の大学の助手になります。
ここで時系列的にXシリーズが開始。Xシリーズでは助手萌絵が登場。こちらは独立性があるのでどれからでも読めるはず。
XシリーズはVシリーズの流れを汲み、GシリーズはS&Mシリーズといった印象。
そしてGシリーズに戻って
西之園准教授の誕生です。西之園先生!この巻はS&Mシリーズ、Gシリーズの同窓会といった感じ。
しかし犀川と萌絵がガッツリ出てきて、Gシリーズのメインキャラは大学を卒業し……今後どうなるのか。
ちなみにこの巻で島田文子さんが再登場。
どうやら
>あの夏、あの島の研究所にいた島田文子さんが主人公です。5月刊行!
とのこと。時系列はさらに飛びそう。全12巻らしいので、あと3巻ですね。
まぁここまで行くと説明せずとも読んでる人が居ると思うのですが、読み直したいとか、もう追ってない、とか言う人用のまとめでもあるんで。
四季からの百年シリーズからのWシリーズとか(Wシリーズ評判良いっすね!)まだまだ沼は広がってるんで。
みんなでまた森沼につかろう。
(何度か投稿失敗してごめん)
絶好のお出かけびよりですね。
でも基本インドア派だから天気がいいといって目的もなく外出したりしないけど。
つっても、先週末にダンボールとかはバラして、ゴミもある程度はまとめて捨ててたから、今日やることは布団周りの片付けとちらかってるとこを少し片付けることと、掃除機かけることだけだったけど。
あととりあえずベランダに布団とか毛布とかてきとーにかけて布団バサミで止めといた。
それでも途中で意味もなく止まってぼーっとしてた時間も込みだから、実作業時間だけならもっと少なかっただろうけど。
掃除機かけながら思ったけど、部屋もっと狭くていいなあ・・・20m2くらいあるけど、でっかい家電もないし、趣味のものもだいぶ処分したし、ムダにひろくて掃除機かけるのが大変だわ
基本部屋の広さ分だけ散らかす・食べ物があるだけ食べるような自分みたいなタイプには、
んーそれにしてもやっぱりそうじすると気持ちいいなー
ってのはわかってるけど普段はまったく掃除する気になんないんだよなー
風呂や歯磨きといっしょだね
前掃除したのは去年の8月頭に親がくるから掃除したってだけだし。
艦これやるか
Ankiに代表される暗記系アプリは受験生が陥ってはならない罠だ。とにかくカード作成が手間すぎる。搾精ならされてみたいかもだけど作成はマジカンベーン。
あれを嬉しがって使ってる輩はおおよそまともじゃあない。重度の安本丹かまともに勉強したことがない仁丹飴かのどちらかだ。
いま声を大にして言いたい。今年の受験生はもう手遅れだが来年受験するそこの君、もう今日からAnkiを卒業しよう。
兎にも角にもありえぬ沼アプリ。はやくしろー抜け出せなくなっても知らんぞー。
海外ミリオネアのクイズ王がAnki活用してたからって凡人が真似しちゃイカン。カード作ってる間に覚えるからなんてたわ言はもう聞きたくない。亀毛兎角の与太話。
手間手間手間。とにかく手間だ。手マンはいいけど手間はイカン。手間暇かけてどうすんの。
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最も効率良い暗記法は、復習タイミング管理アプリの活用ではなく、参考書への直接の復習タイミングの記入である。
つまり所定の日数前の所定の記号がつけられた事項を復習し記憶度に応じて記号を更新する。これが概要だ。
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復習タイミングは初見の直後、翌日、7日後、30日後、90日後の5種類。「正」の字を使って欄外にタイミングマークを記入する。
簡単のため、5つのマークをm1, m2, m3, m4, m5とする。また、昨日、7日前、30日前、90日前のことをd-1, d-7, d-30, d-90とする。
つまりこういうことだ。何か覚えたい事項があればそこにm1の印をつける。そして一区切り勉強したら直後におさらいし、m2の印をつける。
また、毎日復習のためのまとまった時間(寝る前が最適)をとり、学習記録でd-1, d-7, d-30, d-90の学習範囲を確認し、
該当範囲をパラパラとめくりながら、それぞれm2, m3, m4, m5の印がついた事項を復習する。そして、記憶度に応じてタイミングマークを更新する訳である。
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飲み込みの早い人は以降の詳細は読まなくてよいが一応アプリ好きの粗チン野郎と粗マン女郎と犬畜生も対象としているので運用ケースを説明しておこう。
マークの更新は基本的に番号をプラス1する。m3ならm4になるという具合。ただし理解が良好なら飛び級しても良い。
また理解が不良なら覚え直しとしマークの筆順の最後の画を二重線にする。ここではm3'等と表記する。m3は7日後の復習だったがm3'は14日後の復習だ。
マークの視認性や復習の煩雑さを考えて覚え直しは1度までとする。また、諸般の事情でm1,m2の覚え直しはしない。
つまり、毎日復習すべき範囲は先述のものに加えd-14, d-60, d-180だ。
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このアルバムはすごい名盤だってものすごく語りたいです。音楽にうるさい方々にも積極的に聴いていただきたいなと思う次第です。
でも、こういうのをあまりべた褒めするのって結構怖いですね。音楽の好みは人それぞれですし。
自分が最高!って思ってても世間的には全くそんなことないなんてことは本当によくあります。妙に褒めると反発をくらいかねないです。
実際、音楽雑誌とかの「2015年ベストアルバム特集」をぱらぱら読んでみても全然話題に出てなかったので。まあそんなもんです。自分の視野が狭いだけです。
とはいえ、それなりに注目されて評価されてるのかなってのはなんとなく勝手に思っていたので、年間ベストに入ってなくてちょっとがっかりしました。
だから自分で語ろうかな、と思い至るわけですが、やっぱり、ハマってしまったあまりに冷静さを失った文章になる気がするので、書いて叩かれるのが少し怖いところはあります。
花澤香菜とは、声優です。人気若手女性声優です。名前くらいは聞いたことがある人が多いと思いますし、検索したほうが理解は早いです。
声優の中ではアニメの出演数がトップクラスに多いです。1年間に何十本も出ていたりします。最近は少し落ち着いてきましたけどね。
特徴は、ウィスパーボイスというか、天使のようにかわいらしい声ですね。ヒロインボイスです。個人的には少し荒げた演技も好きですが。
声に含まれる倍音成分がものすごく豊富らしいです。科学的に実証されてるらしいです。
声優なので、当然ソロで歌手デビューする前からキャラソンとか歌っていました。化物語の「恋愛サーキュレーション」という曲がレジェンド級に有名です。
あと、セキレイという作品のライブで歌った時の歌い方がネタにされてて、わりと音痴っぽい扱いを受けてました。
そして、2012年に満を持してソロ歌手デビューをするわけですが、みんな歌の方は割と心配してました。
私も深夜アニメはよく見ていて花澤香菜さんのことは当然知っていましたが、当時は特別好きというわけでもありませんでした。
しかし、プロデュースするのがROUND TABLEの北川勝利だというニュースを聞いてにわかに興味が湧いたのを覚えています。
ROUND TABLE、及びfeaturing Ninoは好きで聴いていましたし、声質との相性も良さそうだということで、けっこう期待していました。
その後2013年に1stアルバム「claire」がリリースされたのですが、確かに名盤でした。
北川さんをはじめ、中塚武、神前暁、カジヒデキ、宮川弾、矢野博康、沖井礼二などなど、渋谷系の流れを汲むポップス好きにとってはたまらない作家陣で、花澤さんにぴったりの歌を作ってくれました。
花澤さんも声優らしく表現力豊かに歌いこなしていて素晴らしかった。「マダダーレモー」とはなんだったのか。たぶん自分の歌い方ってのを少しずつわかっていったんでしょうね。
1年後の2014年には25歳の誕生日を迎えることにちなんで25曲入りのアルバム「25」をリリースしました。ものすごいハイペースです。
この2ndアルバムでは岩里祐穂さんを作詞に迎え、花澤さんと意見を交わしつつパーソナルな部分を反映させた曲作りをしています。
そのうえで、25曲という多さを生かして幅広いジャンルの曲に挑戦していきました。
そんなこんなで、アニメやらレコーディングやらライブやらで多忙を極めた後に迎えたソロ活動3rdシーズンの集大成が「Blue avenue」になるわけです。
Blue Avenueがリリースされるまでに、3つの先行シングルが発売されました。
しかし、この3曲を聴いて「このアルバムってこんな感じか」と思ってはいけません。
むしろ、この3曲がアルバムの中で最もコンセプトから外れている曲といっても過言ではないでしょう。
では、このアルバムはどんなコンセプトで制作されたのでしょうか?
「Blue Avenue」のコンセプトは一言でいえば「ニューヨーク」です。
テーマがニューヨークになった経緯はインタビューで話されています。
──今作のテーマは「ニューヨーク」とのことですが、なぜこのテーマを?
ニューヨークはわりと後付けなんです。アコースティックライブの「かなまつり」みたいな少人数でのライブを何度か経験して、少ない音と声で作り上げる空気感っていいなと思っていて。
3rdアルバムの方向性を考えているときに、「あの自由に音楽を楽しむ感じを生かすなら、ジャズをやってみるのもいいんじゃない?」って意見が上がったんです。
その中でニューヨークというキーワードが浮かび上がって。ジャズの街でもあるし、ほかの新しい音楽に挑戦するのにも「ニューヨーク」をテーマにすれば統一感のある作品になるんじゃない?って。
ジャズ、AOR、フュージョン、レゲエなど、これまでのアルバムと比べると「大人」な雰囲気を持った曲が多めのアルバムになっています。
そして、ニューヨークといっても70~80年代くらいのニューヨークのイメージという感じがします。
それはSwing Out Sisterが参加してるのもあるかもしれませんね。
詳しい方ならば、楽曲のクレジットを見ればこのアルバムがどういったアルバムなのかがわかるかもしれませんね。
ということで曲目・スタッフリストを載せたいのですが、長いので記事の末尾に載せました。
こういうのをあまり主張するのもどうかと思うんですが、参加しているミュージシャンが豪華です。
クレジットを見ていただければわかるように、今までのアルバムでおなじみの作家陣に加え、シングル曲ではSTUDIO APARTMENTややくしまるえつこがサウンドプロデュースをしたり、2つのニューヨークレコーディング曲においてウィル・リーやスティーヴ・ジョーダンなどの海外のスタジオミュージシャンの参加、80年代から活躍するイギリスのユニット・スウィングアウトシスター提供曲など、一流の人たちがたくさん参加しています。
まあ、極端な話、名前は知らなくてもいいと思うんですけどね。聴けばわかりますから。「I ♥ NEY DAY!」「Nobody Knows」での軽快なドラムが気持ち良いなあとか、「Dream A Dream」の洋楽っぽい感じがすごい良いとか。ここでいう洋楽っぽいってのは英語圏の歌っぽいなあっていう意味ですね。洋楽の日本語カバーみたいな雰囲気がありますね。それもまた味。そして、セリフのパートがあって、もしかして本業が声優であることを意識して作ってくれたのかなとか想像してみたり。
おなじみの作家陣もすごい良い仕事をしてくれています。というかキレキレです。特に矢野博康作曲「We Are So in Love」が光ってますね。4つ打ちのフュージョンで、イントロからもうたまらないです。シンバルズの頃から思っていたんですが、矢野さんは王道のポップソングもいいんですけど少し趣味に走った感じの曲を書くと時々とんでもない名曲を生み出しますね。
一つだけ主張しておきたいのは、みんな決して無駄遣いではないということですね。すべてが良い方向に結びついています。
「ニューヨーク」というコンセプトがあって非常に統一感があるのが素晴らしいです。
最初に「シングル曲がコンセプトから外れている=ニューヨークっぽくない」と言っておいてなんなんだ、と思われるかもしれませんが、このアルバムの面白いところは3つのシングル曲が違和感なく自然に収まっているところなんですね。
バラードの「君がいなくちゃだめなんだ」が終盤に入ることでアルバムがよりドラマチックになっています。そこから最後の曲「Blue Avenueを探して」に続くのがもう最高ですね。西寺郷太さんの歌詞がいいんですよ。
クラブミュージックの「ほほ笑みモード」ややくしまるえつこさんの個性が色濃く出ている「こきゅうとす」も、意外なくらい自然に入ってるんですよね。それは曲順が考えられているのもあるんですが、「ほほ笑みモード」がアルバム用ミックスになっていたりなど、音づくりにこだわっているからというのもあるのでしょう。後述しますが、このアルバムは音が良いです。
アルバムとして非常によくまとまっていて、通して聴いた後の余韻が良い感じです。
NYで録音した2曲は際立って音が良いんですけど、それに劣らず全体的に非常に高いクオリティの音づくりがされています。花澤さんのアルバムは1stの頃から一貫してソニーの茅根裕司氏がマスタリングエンジニアを務めていて、常にクオリティが高かったんですが、今回は最高の出来栄えなのではないでしょうか。オーディオに詳しいわけではないので断言はできないですけど。
シングル曲が違和感なく収まっているのもマスタリングによるところが大きいのでしょうか。詳しくはわかりませんが、ぜひ良いヘッドホンでじっくり聴いてほしいと思えるくらい良い音です。
ニューヨークっぽいということでAORとかフュージョンを取り入れた、と聞いても正直ピンとこない人が多いんじゃないかと思います。AORってどんな音楽かを説明できる人って実はそんなに多くないのではないかと。結構マニアックなところを突いてきてると思います(そんなことないよ、常識だよとお思いの方もいるでしょうが)。
でも、そういうジャンルとか全く分からなくても「良いな」と思えるようなアルバムになっているのではないかと思うのです。それは曲自体がそう作られているというのもあるかもしれないんですけど、やはり花澤香菜が歌うということでポップスとして完成されるというか、そこに花澤さんの歌のすごさがあるのではないかと思っています。
3rdアルバムを出すまでの3年間で60曲以上のオリジナル楽曲を歌い、ライブも精力的にこなしてきたからこそその次元に達しているというか、こういう曲を楽しみながらポップスとして歌える筋力がついたのではないかなと思うのです。それこそ「25」あたりの頃の怒涛のスケジュールが千本ノックのように効いてるのかもしれないですね。
1stの頃は作家の作る曲を最大限に活かすために歌うという感じ、それこそ声優としてディレクションに応えるような感じで歌っていたように思うのですが、「Blue Avenue」ではコンセプトの発端が花澤さんの意見であることからも、ちゃんと歌手になってきてるのだなと感じます。
当然ですが、豪華なメンツに霞むこともなく、曲に負けているだとか歌わされてるだとかいう印象を全く受けません。むしろ北川さんも他の作家さんも花澤さんをプロデュースすることで新しい扉を開けているような感じさえします。インスピレーションを与える「ミューズ」なのかもしれませんね。
私が花澤さんのアルバムの中で際立ってこれを好きなのは、花澤さんと作家陣が一緒になって制作している感じを受けるからなのかもしれません。化学反応が起きているのをひしひしと感じます。
また、花澤さんは1stの頃から自作詞曲を歌っているのですが、今回も2曲作詞していて、ちょっと詞もこなれてきたというか、アーティストとしての一面が出てきたような感じがします。
「タップダンスの音が聴こえてきたら」では音楽に身を委ねることの喜びをシンプルに書いていて、歌を楽しめている感じが伝わってきます。
タップダンスの音が 聴こえてきたら
軽やかなそのリズムに 身をまかせて踊るの
今はいらない ふみならそう 夢中になるだけさ
一方、「プール」では暗い部分を歌っている感じで、こういうのがあるとなんというか、深みが増しますよね。
花澤さんは詞を書くと少し重たい感じになってしまうみたいで、それもまた個性というか、人気声優としてバリバリ活躍している彼女の影の部分が垣間見れるようで、イイですよね。
どうやって喋ってたかな
ねえ どうやって眠ってたかな
どうやって歩いてたかな
ねえ どうやって 笑ってたのかな
わからない 思い出せないの
もしかしたらここまで惚れ込んでいる理由はライブを見たからなのかもしれません。花澤香菜の歌の魅力の真骨頂はライブにあるのかもしれません。
武道館公演の映像を収録した「Live Avenue Kana Hanazawa in Budokan」というBDが発売されているのですが、アコースティックライブの映像も収録されていまして、他にも素晴らしい映像特典もありまして、とても素晴らしい商品です。
花澤さんの歌って生演奏にすごく合うんですよね。地上波で「こきゅうとす」を披露したこともあるんですけど、それとは全然違いますね。ライブの「こきゅうとす」すごく良いです。
武道館ライブではバックバンドの通称「ディスティネーションズ」にホーンも加わって、とても豪華なものになっています。
一番の見どころはジェームス・ブラウンの「Get Up (Sex Machine)」(ゲロッパ)に合わせて花澤さんが好きなパンの名前を叫ぶというパフォーマンス(メロンパン!メロメロ!)。冷静に考えるとすごくくだらないシャレなんですが、演奏がガチであることと、みんなすごく楽しげな様子が印象的で、とても幸せな空間が出来上がってるなあと感じました。
あと、花澤さんのパフォーマンスがいちいちかわいらしいんですよね。「Merry Go Round」の振り付けとか。
そして、アコースティックライブが素晴らしいんです。花澤さんの生歌ってこんなに良いものなのか、とため息が出ますよ。本当に、歌がヘタであるような扱いをされていたのが嘘みたいです。声量は確かにそんなにないのですが、歌の細かい表情付けがたまらなく上手いです。ピアノとギターだけの少ない音だと余計に際立ちますね。
誰にと言われれば万人に、と言いたくもなるんですけども。
最近、星野源やらceroやらで、ブラックミュージックとかシティポップとかそういう言葉がよく聞かれるようになったんですけど、このアルバムもそれと同じ文脈で語ることができるのではと思います。
「シティポップ」ってもはや言葉が独り歩きしだしてよく分からない感じなんですけど、街のことを歌うのがシティポップだとするなら「Blue Avenue」も十分当てはまりますよね。
また、北川勝利さんをはじめとした作家陣は、最近再評価の流れがある気がする「渋谷系」や、最近流行り気味の新しい「シティポップ」の世代の狭間にいる人たちなんですよね。どちらも独り歩きしてあやふやな状態にある言葉ですけど。
良質な音楽を作ってきながらも長らく日の目を見なかった人たちがこうやって素晴らしいものを作り上げてくれている、というのも感慨深いものはありますね。
そして、70~80年代のニューヨークイメージってことで、けっこうオッサン向けなのかもしれません。……年間ベストに入らなかったのは革新性がないと思われたからなのかも。私は花澤香菜さんが歌うだけで十分新しいと思うんですけど。
というわけで、以上、Blue Avenueについてでした。
花澤香菜「Blue Avenue」インタビュー - 音楽ナタリー Power Push
http://natalie.mu/music/news/111594
花澤香菜×北川勝利が明かす、“極上のポップソング”の作り方「人生と音楽がより密接になってきた」|Real Sound|リアルサウンド
http://realsound.jp/2015/04/post-3000.html
作詞 : 岩里祐穂 作曲・編曲 : 北川勝利 ホーンアレンジ : 村田陽一
Bass : Will Lee
Drums : Steve Jordan
Electric Guitar : David Spinozza
Piano, Organ : Rob Mounsey
Trumpet : Jeff Kievit
Trombone : Mike Davis
Saxophone : Andy Snitzer
Conga, Tambourine : 三沢またろう
Electric Guitar : 山之内俊夫(流線形)
Wind Chime, Chorus : 北川勝利(ROUND TABLE)
Chorus : acane_madder
作詞 : 岩里祐穂 作曲・編曲 : STUDIO APARTMENT
Guitar : 堀越雄輔
Vocal Direction : 北川勝利(ROUND TABLE)
Sound produced by STUDIO APARTMENT
作詞 : 岩里祐穂 作曲 : 北川勝利 編曲 : 北園みなみ、北川勝利
Bass : Will Lee
Drums : Steve Jordan
Electric Guitar : David Spinozza
Piano, Organ : Rob Mounsey
Trumpet : Jeff Kievit
Trombone : Mike Davis
Saxophone : Andy Snitzer
Conga, Tambourine : 三沢またろう
Wuritzer, Claviniet, Analog Synthesizer : 北園みなみ
appears courtesy of Polystar Co.,Ltd.)
Wind Chime, Shaker : 北川勝利(ROUND TABLE)
Chorus : acane_madder
作詞・作曲・編曲 : 宮川弾
Programming, Clarinet, Saxophone, Chorus : 宮川弾
Guitar : 後藤秀人
Chorus : acane_madder
作詞 : 岩里祐穂 作曲・編曲 : mito
Drums : 千住宗臣
Guitar : Saigenji Permalink | 記事への反応(0) | 15:20
今年も残すところ十日程度。
実験のし過ぎで大脳の壊れたメンヘルとなってしまったので、日本語の下手さについては多めに見てください。
自分は卒業研究をやっていても一つの結果から多くの可能性を考えることが出来る実験手法が好きで、可能な限り一度に多くの組み合わせについて検討してきた。
そこで、自分が考えた推論をボスに報告すると、結構高い確率で何を言っているのか分からないと言われる。
先生からしてみれば、学生はただの結果出力装置でしかないわけで、余計なことをごちゃごちゃと言われても迷惑なだけだろうとは思う。
しかし、駒なりにも苦労してデータ取ってきて考えて新しいモデルを考えたのだ。せめて間違ってるならちゃんと間違っていると指導して欲しい。
そんなやり取りを繰り返している内に、僕は先生とディスカッションをすることが嫌になってしまった。
研究対象自体はニッチな割に重要かつ複雑で面白いとは思うが、とにかく先生と話をしたくない。
平日も休日もなく、朝も夜もなく実験に取り組んできたが、もう何でも良くなってしまった。
なるべくがんばらないで実験数をこなして卒業出来たらいいな、と思うようになった。
そうこうしている内に、どうやら自分は「わけの分からないことをごちゃごちゃ言う」「指示に従わない」「実験をしない」「研究が進んでいるように見せかけられている」学生のレッテルを気分で貼られてしまったようで、ラボ内の進捗報告会で発言しても無視されるようになった。
研究者向きではないが言われたことは全く反論せずただ淡々とやっているだけの同期(結果は出ていないが)は親密に指導してもらっているようだ。羨ましくはない。
体裁上修士論文に関する指導はしてもらっているが、卒業した瞬間データは信用されなくなって、もしも論文になったとしても助教か後輩が第一著者になるだろうなあ。
今まで論文出せそう出せそう、っていう状況で頑張って来たけど、その時とは内容も大分変わってしまったから、まだ全然形にならないだろうな。
買取アローズの商品センターは加古川市なので加古川市の倉庫物件
http://www.athome.co.jp/jr_06/dtl_6958801568/
坪単価3500円。1畳あたり1800円ぐらいだな。
標準的な店舗の積載耐荷重は300kg/m2、1畳あたり450kg(恐らく倉庫だともっと上だろうが低めに見積もる)
本棚の重さが50kgとして1畳あたり400kgの本を保管可能(天井高12.5mあり体積は無視できる)
コミック一冊(190ページの単行本)が平均200g、1畳あたり2000冊保管可能。
1800円÷2000冊=0.9円/冊/月
さすがに保管に10円/冊/月は盛りすぎ。
コンピュータサイエンスの研究室配属を控えた人 or 他大院進学を検討してる人で、ちゃんと研究をしたい人
予算が足りなかったことで、やりたかった研究がやれなかったという話ならまだかわいい方です。
予算不足が原因で、学会に行く費用や、研究に必要な参考書を購入する費用の大半を自己負担しなければならない研究室もあります。
したがって、国から研究費をコンスタントに調達できている研究室に入るべきでしょう。
研究費は分野や予算元や期間(大体は3年か5年)によってまちまちで、100万程度のものから億の単位が動くものまであります。
予算元は様々ですが、科研費というものが国内では一番メジャーで手軽とされています。
科研費の情報は全て https://kaken.nii.ac.jp/ で公開されていますので、教員の名前で検索しましょう。
また、億の単位で動く大型予算の存在も覚えておきましょう。国内だと科学技術振興機構(JST)のものが一番有力でしょうか。
JSTのプロジェクトもプロジェクト代表者(や主要な共同研究者)は公開情報となっておりますので、志望教員の名前でぐぐった時にひっかかると思います。
企業との共同研究では、あまり予算の額が大きくなかったり(下手すると10万ちょっととか)する上に、情報が公開されていない場合が多いのであてになりません。
助教、研究員、ドクターの誰もいない研究室は控えた方が無難でしょう。
教員は授業や会議などで忙しいため、実際に研究室を動かすのは助教や研究員やドクターだったりします。
そういう人がいない研究室ではM2が下級生の面倒を見たりしますが、修士の時点で下級生の面倒を見きれるほどの実力者は相当少ないです。
周囲に頼らずに研究を進めるというやり方もあるにはあるのですが、学部生、修士の段階ではかなり危険です。
確かに成長はするでしょうが、成長する前に(あるいは成長の途中で)大きなミスを犯していて、
それに気付くくらいに成長した時にはかなり手遅れで卒論(修論)が大変なことになったという話を時々耳にします。
(ドクターでもよくある話ですが、さすがにドクターでは自己責任でしょう)
しかし、彼らがいれば安心かというとそうとは言い切れないところがあることには留意しましょう。
特にドクターについては注意が必要です。やる気をなくしてしまった人はもちろん、社会人Dや博論を書くためだけに在籍していて実際は他の研究機関で研究している人、というように、
秘書(事務員)が研究室にいるかどうかもポイントです。特に国公立大学でありがちな面倒な書類作業をある程度任せられるので、研究に集中することができます。
秘書は研究費で雇うことが多いので、秘書がいるということはそれなりに大きな研究費を獲得していると考えて良いでしょう。
多くの場合、その研究室を出願するときは教員と直接面談をすることになると思います。
ただし、研究室の空気を作るのは学生です。教員と面談をする時に学生居室やミーティングなどを見学したいと教員側に要求してみましょう。
日中ならば、最低でも1人は学生がいる(いない場合は考えなおした方が良いでしょう)はずですので、会話してみると良いと思います。
ミーティングの雰囲気は重要です。学生が自主的に発言する雰囲気のある研究室を選ぶべきでしょう。
また、「レッドブルやモンスターが大量に捨てられている研究室はブラック」という説は、コンピュータサイエンスに限って言えば成立しにくいと思います。
エナジードリンクを愛飲する人、というのがコンピュータサイエンスにはそれなりにいるので。
業績(論文)リストを研究室のページや教員個人のページに載せてることはよくありますが、この記事が対象としている学生が読んでも「海外発表が多いな」「この時賞を取ったのか」程度の情報しか得られないと思います。
国内(電子情報通信学会や情報処理学会など)で発表された論文は、ほとんど価値がないとみなされる傾向にあるので、この記事では国際的なものに絞ってお話します。
コンピュータサイエンスの業績は大きく分けて、ジャーナル、プロシーディングス、ポスターの3つに分類されます。
(一部を除いて)ポスターはほとんど価値がないとみなされていますので、ここでは更にジャーナルとプロシーディングスに焦点をあてます。
ジャーナルとプロシーディングスは、出すジャーナル名はカンファレンス名で掲載されるまでの難易度が大きく変わります。もちろん難易度が高ければ高いほど凄いとされています。
研究室選びという観点でだけでならば、次の2つの観点を持っておけば問題無いでしょう。
では、ジャーナルとプロシーディングスはどっちの方が偉いかというと、簡単には優劣が付きません。
他の分野ではジャーナルが第一なのですが、コンピュータサイエンス特有(?)の大きな特徴として「そこらのジャーナルよりも、トップレベルのプロシーディングスの方が上」ということが挙げられます。
ですので、ジャーナルが多いからこの先生は凄いとか、ジャーナルが少ないからこの先生はヤバイ、と考えるのはコンピュータサイエンスに限っては違うと考えましょう。
また一部の教員には、COREランクに載ってないような学会での発表は業績リストに入れない、という人がいます。
このように主要な業績のみからなる業績リストをSelective Publicationといいます。
Selective Publicationのみを公開してる人と、単純に学会に論文を出してない人は区別する必要があります。
色々挙げてきましたが、「結局どれを優先して見るべきか」というのは難しいところがあります。
しかし間違いなく言えることがあって、業績を全く挙げてない人が大型予算を確保できることはありえませんし、優秀な教員の下には優秀なスタッフがついてくるものです。
つまり、これらの要素はお互いに作用しあっているので、今まで挙げたうちの1つでも「あ、この研究室凄そうだ」というのがあれば、少なくとも地雷を踏むことはないと思います。
せっかく個人としての能力は優秀なのに、研究室選びで失敗してしまい、折れてしまった人を今まで何人か見てきました。この記事でそういう人が1人でも減ってくれることを祈ってます。
修士2年になってから休む暇もなく作業をし続けていて最近体のあちこちが不調になり始めてる。
1日5,6回はトイレの個室に駆けこまなければならないし、胸痛がある。
胃も焼けるように感じることが多い。食欲は過食傾向にあって3ヶ月で6kgぐらい太った。
久しぶりに会う人みんなに輪郭が変わったと評される。
もうやる気が出なくて、簡単な作業をするにも気合を入れないとできないレベル。
研究室には毎日いけている。というか行かないといけないという想いで行ってる。
多趣味なのでいろんな気分転換の方法があったのだが、最近は何をやっていても研究のことが気になって休めない。
暇さえあれば「うつ チェック」とかでググって診断してみてるけど
「うつ病の疑いがあります」「うつ病の傾向にあります」と診断される。
精神科にかかりたいけど、予約制だからすぐには診てもらえないんだろうなと悲観してる。
ボスから昼夜問わず土日問わず気まぐれに急に指示が飛んでくるし、すぐに反応を求められるので、
心の休まる瞬間がない。指示が来たり催促されたりすると心臓が縮むように感じる。
「できて当たり前」という評価が多くて、アメなしでムチを打たれ続けてる感じ。
iPhoneをおやすみモードにしてどこかに逃亡したこともあったけど、
結局あとで見返すことになるし、逃げたことを後悔してまた胃が痛くなってた。
今の研究もボスもすきじゃない。M1まではうまくやれてたし充実していたけど、今年の頭あたりから変わり始めた。
研究室の同期はいいやつらで社会人になってからも飲みに行きたいぐらいの連中だが、今やってる研究からは逃げたい。
早く逃げたい。やりたくない。なんのためにやってるのかわからない。卒業するためだけにやるとしたらつらすぎる。
他の研究室の奴らが羨ましい。俺も一晩中スプラトゥーンとかやりたい。
なんども死ぬことを考えた。遺書書いてボスをdisりまくってあいつの社会的地位を貶めてやって末代まで祟ってやろうと思ったけど、
死んだら育ててくれた家族に申し訳が立たないと思ったから、退学を考え始めた。
親も「やめたいならやめてこっち帰ってきてもいいんじゃないの?身体壊すよりマシよ」とのことだった。
就活はもうとっくに終わってて行くところは決めたけど、修了までの道のりが長すぎて絶望してる。
このひどい環境が半年も続いたら俺の心が崩壊するか死ぬかのどちらかだと思う。
ベンチャーだから交渉すれば3月までバイト、4月に退学して入社というのもできるかもしれないし、
いろんなコネがあるのでそのツテを頼れば職はなんとかなると思う。
ただ、このいっときの辛さから逃げてしまって、修士が取れずに一生履歴書に「中途退学」の文字が躍るのと、
やり遂げられなかった奴という烙印を押されるのがつらすぎる。それらも考えると死にたくなる。
甘えなんだろうか…。
まだマシなうちに退学したほうがいいんだろうか、と考えている。
はやく2年前ぐらいの健康的な心身に戻りたい。
卒業生の追い出しと新たに配属される4年生の歓迎会で、ボスはこうこぼした。次のM2の進路の話題になった時の話だ。隣のテーブルで話していた研究室のボスと僕の同期が話していた。僕は隣のテーブルの学生達の輪の中にいたが、ちょうど自分にも関係のある話のようにも思われたので、どちらのテーブルからも身を引き、静かに聞き耳を立てていた。
「進路はどうするんだ?」
ボスが聞く。
「ウチかどうかは決めてませんが、進学しようと思います」
友人が答える。彼は研究室の中でも研究に対するセンスがあって、なんとなくこいつは研究に生きていくんだろうな、というような雰囲気もある。
ボスが続ける。
「そうか。それは良かった。研究っていうのはもともと純粋な疑問を突き詰める学問で、もっとやる人が多くてもいいし注目されるべきだと思う。博士取らないのに他の人はなんで修士でやめてしまうんだろうな。」
友人が答える。
「確かにそうですよね。修士でやめるなら行かなきゃいいのに。」
僕が思ったことを書く前に、少しこの研究室について紹介しておこう。うちはいわゆる基礎実験系の研究室で、出来てから日が浅く、純粋培養ドクターはまだいない。他大からは一人いるが。ボスがドクターを取る時には同期が全てD進し、今は全国各地で教授やら助教授やらをやっている。
実験は楽しい。没頭感があり、仮説通りの結果が出れば手放しに嬉しい。ボスが言う純粋な疑問を突き詰めるっていうのにも賛同できる。しかし、これを20,30年こういう環境で続けていく自信は正直、僕にはない。この自分の中の自信のなさを追求していくと、学問を続けるには、衣食住、さらには心の余裕が必要だということに気付いた。よく言われるようなマズローの欲求5段階説が説明するのにわかりやすいと思う。基礎的研究というのはかなり高いところまで満たされなければ追求したいと思えないのではないかと思った。そして、これが(研究にたいして)優秀な友人と僕の違いだろうと思った。
僕はその辺りのマネジメントが上手くないというか、余裕が無い。実験をすると、時間がなくなるのでバイトできない。実験をする。友人とも飲みに行けない。実験をする。心の余裕がなくなる。実験に失敗する。はてな民らしく大脳が壊れる。というようなループにすぐ陥る。それに対して友人は高学歴一家で、親戚に医者や大学教授、大企業役員などがいる。スポーツもやってたらしいし大脳も壊れていないのだろう。
研究ができない院生のはなし http://anond.hatelabo.jp/20130813130159
感性が死んでいる http://anond.hatelabo.jp/20130814020053
自分が犯した最大の失敗は,コミュ力不足を成績で補おうとしたところ http://anond.hatelabo.jp/20130828015430
コミュ力不足を成績で補おうとした学生の話の続き http://anond.hatelabo.jp/20140107004842
1月後半以降,調子が悪くなり,心療内科にて精神疾患と診断された.
就職活動は断念.
夏まで鬱に悩まされるも,治療の甲斐あって少しずつ復調している.
以前留学した時もそうであったが,日本の大学の研究室から離れると調子が良くなる.
ま,それは一時的な話でしばらくすると調子がよくなったり悪くなったりするのだけど.
今日は,これまでのエントリーで吐露してきた苦しみの原因の一端を見つけることができたので書き記しておく.
実績らしい実績は特にない.
そんな自分も,高校・学部生の時は(学内で,だけど)中の上くらいの成績はキープしていた.
正直なところ,自分は大学院入学以前(以下,入院前)の教育方法にはそれなりに良く適応できていたと思っている.
入院前の教育方法では,与えられた問題を,決められた方法と手順で解くことが求められる.
正答率が高ければ優,低ければ可もしくは不可,といった具合に.
自分が長い間苦しんできた答えの一つは,この評価のとらえ方にある.
自分は,学校で下される評価がそのまま自分の価値であると思っていたのである.
つまり,良い成績であればあるほど自分は高い価値を持っており,そうでなければ価値のない人間である,と思っていた.
ここで,一応書いておくが,自分は成績の悪い友人を価値のない人間だと思ったことはない.
成績の如何に関わらず,何かに秀でていたり一風変わったことに興味を示す友人は好きだったし羨ましいとさえ思っていた.
では,なぜ自分は自分の価値を学校の成績と結び付けてしまったのか.
それは,自分の価値観というものを持っていなかったからである.
Wikipedia には,
と書いてあるが,自分の場合は他人からの評価が全てで,自分にとって何が大事でそうでないのか,わかっていなかったのである.
それでもまぁ,入院前はそれで何とかなった.
自分は入院前の教育・評価方法に馴染むことができたし,それなりに良い成績(=それなりに高い自己肯定感)を得ることができたからだ.
結果的には,それがよくなかったのかもしれない.
徹底的に成績が悪ければ,自分はもっと別のことに価値を見出していたのかな.
いや,それはわからないし,なにより話がそれるから深く突っ込むのは止そう.
やがて僕にも,進路を決める日が来た.
僕が進学を選んだ理由は次の通りだ:
1番目の理由は,先に挙げた自信の無さ(他人に依存した価値観)に由来するものだ.
2番目の理由は,別のモノに由来する.即ち,惰性だ.
この惰性も,自分を苦しめている(苦しめていた)原因の一つである.
僕は,大学院がどういう場所で,学部とは何が違うのかまるで考えていなかった.
そのうえ,自分は将来なにをしたいのか,どうなりたいのかさえつかめていなかった.
自信(価値観)の無さに負けず劣らず,惰性での意思決定も非常にまずかった.
僕は一度も大学院に来たことを後悔したことはないが(幸運なことに良い出会いと経験に恵まれたから),
もっとよく考えて進路を決めておけば,就職にせよ進学にせよ今よりずっと充実した生活を送ることができたのだろうな,と思えてならない.