はてなキーワード: 理想郷とは
この際、当該労働者の能力などは考慮されない、だって、労働者だもん♪
上記企業の管理職が、ブラックで自殺しニュースに(ただし、部下の件とは独立して)
この際、この当該管理職が、実はブラックを形成していたことなど知りもしない
上記企業がニュースにより廃業、社員がいろんな企業に転職するが、転職先で無能扱い
ブラックなやり方でしか働けない無能はホワイトな環境を守るために辞めるべきと大合唱
ちなみに、大真面目に「無能なブラックは廃業しろ」と言うやつ居るからな。
はてさて、はてなーの皆さん。
「無能」はどうしたら良い?
理想的な人員で構成された、理想的なホワイトな社会で暮らせない無能はさ。
ホワイトな職場で働けるほど能がなく、はてなーが言う最低限の賃金を払うにも惜しいような無能。
昔ならブラックな環境で、それでも罵倒されながら働き、自分が管理職になってからは同じように無能を罵倒して、
なんとか社会の歯車たらんとする無能はさ、「理想郷」ではどう生きればいい?
ベーシックインカムかなんかで、誰の邪魔もせず、誰の気分も害さずに、寄生してればいい?
アメリカみたいに契約制にして、無能は一生うだつの上がらない底辺生活ってのも、でも許されないんだろ?
無能をいつでも切り捨ての出来るコマとしてでも使おうと思っても、派遣村みたいな話になって、そんなの人権侵害って話だよなぁ?
んじゃ、企業が人を雇うときには、社会福祉的にも考える必要あり?
え?でもそれって、昔の終身雇用じゃね?
さっき、テック系ブログのRSSと一緒にホットエントリのRSSを外して、アプリを削除したよ。何年の付き合いだろう?サービス開始からだから・・・悲しくなるから確認せずに行くよ。
最初はダイアリーに書いて、反応なんて全然なくて、広告コメントばかりだったな。いまでもはてなの知り合いはいないんじゃないかな。
ネットコミュ障なんだ。Twitterとか色々やってるけどやりとりする相手なんて誰もいないよ。
僕は君になにもできなかったね。本当に君の事が好きだったのかな?本当に村民になりたかったのかな?多分、違う。本当はブクマされて、スターつけられて、承認欲求を満たしたかったんだ。
意識高い系を笑えないよね。何年も異性にお金を注ぎ込む人を笑えないね。僕もずっとホットエントリを見て、色んなものを買ったりしたんだ。
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どうしてこうなったか?聞きたくもないだろうけど、最後だから言わせてくれよ。
初めて君を見たとき、天国に見えたよ。最新の技術トレンドがここにあってさ。自分の理想郷はここなんだって。技術力をつけて、認められる人間になって、ここの住人になる事が幸せなんだって思ったんだ。
そうやってさ、次々流れてくるトレンドに耳だけが年増になっていって、それを知らない周りの人たちをバカにしてたな。
でもさ、肝心の技術力は全然つかなくてさ、大学生になれば、就職すれば、東京に出れば、新しいマシンがあれば、お金があれば、時間があれば、やる気があればって制約条件がなくなる度に新しい言い訳を考えてたな。
結局、生半可な知識じゃ参加できないってチンケなプライドのせいで勉強会に参加せず、ブログも書かず、なれたのは一番軽蔑するExcelとにらめっこしてるSIer。おいおい、Web系のベンチャーでテックブログ書くんじゃなかったのかよ(笑)
耳年増で、周りをバカにしてたクセに仕事が全然できない自分とのギャップに10年耐えてきたけど、年末に休職したんだ。自律神経失調症。
眠れるんだよ?ごはん食べられるんだよ?ただ、会社の人みんなが怖くなってさ、朝だるくってさ、すげー疲れてさ。苦しくて。仕方ないから受け入れて。っていうか、甘やかして。つまるところ、ズル休みなんだよ。
時間が出来たから、ずっと積ん読になってた技術に正面きって立ち向かってみたんだ。すぐ投げ出したね。理由は分からないけどただ苦痛だった。
作りたいものなんかなかったし。多分、技術を使いこなしてスゴいって言われたかったんだね。
部屋にはPerlやRoR、SQLite、jQuery、node.js、AWS、Haskell、Hadoop、Docker、Raspberry Pi、R、Reactのホコリを被った本がある。彼らはブックオフ行きかな。
最近は時間はあるからさ、はてブばっかやってたんだ。見るのがホットエントリから新着エントリーになったな。いつもみたいに100文字制限ギリギリのコメントだけじゃなくて、10文字くらいの一言コメントも書くようになったんだ。その10文字コメントのうちひとつが100スターくらいもらえてさ。
そのとき分かったんだ、これはずっと片思いなんだって。叶わない恋なんだって。自分が住める世界じゃないんだって。おかしいよね、小学校の頃のプロ野球選手の夢だって、中学生の頃の小説家の夢だって、高校の頃のパンクロックスターの夢だってすぐ諦められたのに、この夢は35歳の今だって諦めきれないんだ。
応用情報取った時も、ネスペ取ったときも、オラクルブロンズ取った時もLPIC 2取った時も全く達成感なかったよ。コレ取るのに何年かかってんだってさ。村民は1ヶ月あれば取れるぞ。同期のアイツだって3ヶ月で取ってるぞ。何が言えるんだってさ。
銃・病原菌・鉄読んだ時もそうだった。で、お前はそこから何かアウトプット出来るのか?ってさ。読むだけなら幼女でも出来るんですけどwって。
伝わる?伝わらないだろうな。みんな高IQですぐに色んな技術を理解出来るじゃない?すごいよ。自分は二浪で駅弁大学しか行けないくらいのバカで、リアルでもネットでも知り合いを作れないコミュ障で自己承認が全然出来ないんだ。
ADHDって言葉を知った時、これだーって思ったけど違ったね。ITの勉強してても過集中が全然ないんだ。
話が逸れたね。認知療法してて、気づいたんだよ。何をしてても自分を認められないんだよ。はてなに受け入れられる事を成し遂げられてないからね。
だから、自分を認めるために、君のことを自分から切り離さなきゃいけない。自分の世界を作らないと。一方的になっちゃうけど、さようなら。勝手だけど、今にも泣きそうだよ。
これからどうしようかな。匿名で好きな事書けるのはココだけなんだ。自信のない間違ってるかもしれない事を書いてもいいのはココだけなんだよね。ここなら見たくないコメントを見なくてすむんだ。
でも、前に進まなきゃ。夢の世界への憧れは終わりだ。目の前の現実世界に適応しなきゃ。また逃げ戻ってくるかもしれないけど、いまはさようならしなきゃ。
最後に何か残せるとしたら・・・スタバのハチミツ、あれ何に使うと思う?あれ、ワッフルを食べるときに使うんだよ。
・・・スベったね。
さようなら。このエントリも2時間すれば次のページ行きだ。そうすると、誰かの目にも触れなくなる。単なるはてなの磁気データになる。
最後にブコメとかつくんじゃないかって浅はかな期待を持ちながらこの内容を登録するボタンを押します。じゃあね。
P.S. 認知療法について書いてくれたこの増田には本当に感謝しています。まだまだ自分について書く事が苦しいけど、正しい道を向いてると信じています。
あらかじめ、簡単にまとめておくと、
『けものフレンズ』のOPソング「ようこそジャパリパークへ!」は
その一見人畜無害に見える歌詞に、人類がジャパリパークへ至るまでに辿ってきた道のりや設計思想を隠している。
ファンにとってはもはや常識の部類であろうが、啓かれていない野蛮なインターネットの民衆たちにはまだまだ広まっていないであろう。
人類のよりよき未来のため、「ようこそジャパリパークへ!」の歌詞解説をここに記す。
Welcome to ようこそジャパリパーク!
歌い出し。「ドッタンバッタン大騒ぎ」とは戦争前夜の政治的な混乱を暗示している。
うー!がぉー!
「うー」が「おー」になる言葉とは何か。そう、War である。戦争がはじまったのだ。関係ないが SEKAI NO OWARI というバンド名には NO WAR という文字列が潜んでいる。
「喧嘩してすっちゃかめっちゃか」になった時代を経て、けものへ進化したことで今ではすっかり仲良しになれたことを感謝している。
本当の愛はここにある
「けものは居ても のけものは居ない」は一般的に「みんなちがってみんないい」の謂だとされがちであるが、誤読である。
どんな社会には一定のはみ出し者は必ず生まれる。それが発生しないということは、そもそも排除されているからだ。
ジャパリパークは初めから「のけもの」を拒絶するようにデザインされた場所なのだ。
我々はここでナチスの蛮行を想起し、戦慄をおぼえざるをえない。排他的な国家で称揚される「愛」とはどういった類のものか――?
ともあれ、「ジャパリパーク」建設の理想に燃える人物が現れた。その人物は長引く戦争によって疲弊した人類世界を次のレベルに導き平和をもたらすために、ある行動に走ることとなる。
夕暮れ空に 指をそっと重ねたら
きのこ雲を暗示。
そう、ジャパリパークの設立者は単なる戦争を破滅が約束された核戦争へとひきあげたのだ。
振り向けば あちらこちらでトラブル
みんな自由に生きている
そう 君も飾らなくて大丈夫
我々の生きる現代と遠未来のジャパリパークをつなぐミッシングリンク――核戦争後の『マッドマックス』的終末世界で人々がたくましく生きる様子を描いている。
何を「大目に見る」のかといえば、無辜の民衆から暴力で資源や食料を略奪することだ。万民が「獣」になってしまった世の中だからしょうがないだろババア、ということである。
みんな「獣」になってしまったので「自由に生きている」わけである。
安価で高品質な大量生産の衣料品も失われ、この時代の人々はみな古代人のような粗末で簡素な服装をしている。アクセサリーなどは一部の特権的な支配階級にしか許されていない。だから「君も飾らなくて大丈夫」。
(はいどーぞ♡)
荒廃した世界、蔓延する暴力、無法なる秩序――もはや人類に安息の地はないのか?
絶望にくれた未来人の前に「はいどーぞ♥ はじめまして!」と登場したのが我らが理想郷ジャパリパークである。
いつもいつでも優しい笑顔 君を待っていたの
開かれた扉(ゲート) 夢をいっぱい語ったら
どこまででも
続いてくグレイトジャーニー
Oh 東へ吠えろ 西へ吠えろ
「ヨハネの黙示録」第四章:「見よ、開いた門が天にあった。そして、さきにラッパのような声でわたしに呼びかけるのを聞いた初めの声が、「ここに上ってきなさい。そうしたら、これから後に起こるべきことを、見せてあげよう」と言った。」
まさにその門(ゲート)から旧世界を滅ぼす災厄の獣や四騎士たちが「東へ西へ」放たれたのである。
「世界中に響くサファリメロディ」は獣たちの咆哮であるとともに、天変地異を報せる天使のラッパも暗喩しているものと考えられる。
―Welcome to ようこそジャパリパーク!
サビの一節だけを印象的に挿入することで、新世界の誕生を強調。
うー!がぉー!
ララララ ララララ Oh, Welcome to the ジャパリパーク!
ララララ ララララ Oh, Welcome to the ジャパリパーク!
ようこそジャパリパーク!
「ラララ」というコーラスで、言語や思考の多様性を切り捨て幸福に統一されたユートピア・ジャパリパークの状況を示唆。
そこでは「welcome」されたフレンズが「集まって」わいわいし、いつか「素敵に旅立つ」=死ぬ。それだけでサイクルが成り立つ。
それは完成された世界だ。
それは完成された福音だ。
ようこそジャパリパーク!
「こんな世の中、もうウンザリだ!」
あ、小生、自殺したくなったこと過去数えきれないほどあるでござるよ?
だから自殺したいと思ってしまうことがあることは小生、理解できるでござる。
でもその理由で代表的だと言われてるこれに関しては全く同意できないでござるよ。
【ツッコミどころ】
「こんな世の中」
これって何と比較して「こんな」なの?
こんな世の中嫌だって言うけど、評価する以上は何か対等なものと比較してるってことだよね?
「酸素が嫌だから臭素を吸って生きる」とか言い出すやつがいないように、オンリーワンの体験しかしてないはずなのに、
何が「こんな世の中」なの?
ちょっと創作物の異世界モノとかラノベの転生モノとかに影響されすぎじゃないの?
死んだら転生できるとか、
死んだらあの世があるかもとか、
死んだら無になれるとか、
その幻想の君の心にしかない理想郷とこの世を比べて「こんな世の中」?
この時点で同情できないし同意できないし共感できないでござるよ。
小生はね。
もし、死んだ結果ここよりもクソな世界に放り込まれたらどうするんでござるか?
少しは考えて欲しいでござるよ。
死ねば助かるなんておこがましいでござるよ。
死んでもこの世界の肉塊になって原子・分子・クォーツ・素粒子もろもろ、残されるでござるよ。
ちゃんと魂が解放される確証もないのに、自殺なんてできないでござるよ。
でも何度もいうように何の確証もないでござるよ。
夢の世界かな?現実かな?という逃げ口上じゃなくて明確に夢の世界とされる真世界からこっちの世界に来なければいけない理由があるとして
何でもできすぎるせいで欲望が欠けてしまったために存在が知性体でありかつ欲望があったはずの者たちで維持できなくなったものたちの最後の理想郷が
現実世界であるユートピア空間がこちらの世界なのではないかなと
つまり箱庭のような世界観であまりにも自分たちの持つ力の大きさに逆に絶望をしている状態を解消するための装置がこの世界なのではないかと
全ての有機生命体は知的レベルを上位者からランクダウンさせて上位者が不自由と欲望を再起するための舞台役者にしかすぎず
今も今も参加したくて仕方ない順番待ちの状態かもしれない
大量の餓死者が出たとしても不自由という形で織り込み済みでひたすら記憶を消してまた参加することを繰り返していくが
ついには記憶の残骸を集めた集大成であるテクノロジーが発展してしまい逆アクセスしようとしている段階が今なのだとしたら滑稽でさえある
↓
↓
ソーシャルリベラリズム(社会自由主義)←(影響を与える)←社会主義 →(社会主義は共産主義の第一段階。理想郷を目指すのだ。ガハハ)→ 共産主義
↓
↓
と呼称することが多い。
どっちも自由主義なので自民党がリベラルを名乗ることも民主党がリベラルを名乗ることも本質的には間違ってはいない。
一部の共産党支持者は
「日本共産党は昔の共産主義とは決別してて、いまは労働党みたいなもんだ」
といってソーシャルリベラリズム寄りだと主張してる(党名を変えて欲しいという意見はそのため)。
対して全共闘とかの過去の経緯から信用出来ない人が日本共産党は共産主義であると言ってる。
ただ、上記を踏まえた上でソーシャルリベラリズムこそが(真の)リベラリズムである。
と自称するひとが多いので左派リベラル=リベラルである、という認識になってる。
それに対抗して左派リベラル側がこっちはリベラルあっちは右派リベラル=(右派だから)保守みたいに結びつけて戦ってた。
元増田の言い様にどうも納得がいかないので一席ぶたせてもらう。
なお、個々人が作品から何を見出すかは千差万別であることは認識しているので、この記事を読んで意見を変えろなんて言うつもりはない。
ズートピア世界は、理性によって被食-捕食関係が終わり、共存できるようになったからこそ成立している。
理性の存在は、動物が喋る/二足歩行する/服を着る/文明化してる/etc.と同レベルの、物語における大前提である。
理性/野生の対立軸は本編前にもう終わっているのだ。
もちろん、これは「過去」として本編中でも言及はされるし、“偏見”の大本にもなっているが、この過去そのものが本編中に蘇ったりはしない。
では、元増田が見出した“野生”というのは何か?― それは“偏見”である。
「肉食動物は凶暴で草食動物を襲って食べたがっている」という偏見だ。
そしてこれはズートピアにおいて一貫して存在している、理性/偏見という対立軸の一部なのだ。
「肉食動物は凶暴」なんて、「ウサギは臆病」「キツネはずる賢い」と同種の偏見と言えば分りやすいんじゃないかな。
― 当然さ!でもそれは“野生(という名の「肉食動物への」偏見)”とは別物なんだ。
草食動物だって「野性的」で「野蛮」で「非社会的」な行動を取るだろうって?
― 当然さ!まさに黒幕がそうだったろう?
― あれは薬物による凶暴化さ。野生とは関係ないよ (薬物中毒の人間が暴れてるの見て「野生だ」って言う?)。
「理性は必ずしも野生より優れてはいない」、「理性が善、野生が悪とは限らない」、「理性ばかり肯定的に扱うな。野生にも光を!」。
しかしズートピア世界においては、過去に克服された野生にしろ、偏見としての“野生”にしろ、内容的には「共に暮らす隣人(隣獣?)を襲う」というものだ。
なに? 野生は自然だから善?それは自然主義の誤謬と言うのだ。
元増田は言う。
「ズートピアはユートピアを意識しているはずなのに、ユートピア文学等を踏まえた批判/論評が盛り込まれていない!つまらん!」
さて思い出してほしい。ズートピアはユートピア/ディストピア的な世界だっただろうか?
初期案(肉食動物に電気ショック首輪等々)であれば、これはなるほどユートピア/ディストピア的世界だと言えよう。
映画があって道路があって、スマホもあるし、屋台、車、電車、etc。職業だって警官からお役人、詐欺師もいれば泥棒だっている。
では、我々の世界はユートピア/ディストピア的だろうか?―もちろん答えは「いいえ」だ。
単に、ズートピアは作品の名前であり、都市の名前であり、ZooとUtopiaの合成語である。
ユートピアの俗語的な意味、すなわち“理想郷”的な意味合いは持たせているだろうが、それだけだ。
ぱっと見、理想郷にも思えるような、動物たちの共存する大都市ズートピア。
そこにも現実の、我々人間の世界と同じように偏見があり、差別がある。そういう世界。
タイトルがユートピアのもじりだからって、ユートピア的世界観なわけでなし、なんでわざわざ関係ない批評を盛り込む必要があるのか。(もちろん盛り込んでも良いが)
ズートピアはZooという単語も含んでいるわけだが、動物学(Zoology)の観点からの批評とか盛り込むべきだと思う?私は思わない。それと同じさ。
以下のブログ記事では「野生」の原語(Biology, Biological)について示してある。(全部ではない?)
「ズートピア」を見た。
結果、少々がっかりしてしまった。「理性」と「野性」というキーワードが引っかかってしまった。(地元には吹替版しかないのでオリジナルの表現は確認できていないけども)
社会差別、偏見モノのストーリーとして見ればよかったのかもしれない。
トランスジェンダーのガゼルが、作中でカリスマ的シンボルとなっているところを見るに、制作陣の意図として設定されたテーマは「一見ユートピアに見える中に残る差別偏見とのたたかい」みたいなやつだと思うよ。
私は理性/野性で読んだので批判的ですが。
○理性と野性
(理性/野性とも、理性/本能ともいえる。英語だと「savage」が使われているらしい。「野蛮」だ。)
・・・・・・・「理性による野性の淘汰」をこの時代にわざわざやります?
残念だったのは、「理性」「野性」の判断基準が恣意的であることに対して、さしたる言及もない点。
作中に言及されている「野性」の部分って、肉食動物の側だけなんだよ。
「(多数派である)草食動物への害になりうる野性」のみが、「野性」として取り上げられている。
草食動物だって、「野性的」で「野蛮」で「非社会的」な行動を取るだろう。
群れを維持するために弱い個体を追い出したりするというような。
そうしたことに、少しは言及されていてもよかったのに。
「草食動物が90%の社会だから、肉食動物の怖さにだけ、敏感だ」みたいな位置づけが欲しかった。
非対称的で、ひどく残念だった。
そして、ああ救われねーな、と思ったのが。
肉食動物の野生状態の描写が「凶暴」一辺倒であるかのように描かれ。
そして、肉食動物である彼ら自身が、野性の克服を「是」としているところだ。
野生に「戻った」カワウソが、彼の奥さんを認識できなかったりとか。
そして、「理性ある」状態の奥さんに、「あんなの夫じゃない」と言われてしまったりとか。
彼らにとっても、野性・野蛮は憎むべき敵なのだなという位置づけが、ひどく残念だった。
理性/野性の構図が一貫して変わらない。自明視されていて言及されない。
理性は善で、野性は悪。
あまりにも。
あまりにも不足が大きすぎるのではなかろうか。
○タイトルについて
タイトルは明らかにユートピアないしはディストピアを意識してのものだろう。
いわゆる「ユートピア(ディストピア)」にまつわる言説を、なんらかの形で昇華するのかな、という期待もあった。
「ユートピア」といえば。
元をたどればトマス・モアの「ユートピア」に連なる一連の「ユートピア文学」だ。
「人工的で、規則正しく、滞ることがなく、徹頭徹尾『合理的』な場所」だ(wikipediaより)。
だから、高度に機械化され、監視機能が発達し、そのなかで主人公が公職に付いた時点で、
過去の「ユートピア文学」らの批評を加味した、なんらかの言及がなされるのではないか・・・・・・という期待をした。
作中内に、理性/野性が取り上げられ。
理性が善で、野性が悪。
「ユートピア(=ディストピアに転じうるもの)」への、なんらかの批判がなされるのではないかと、期待した。
・・・・・・・・・・・・・・・・そ ん な こ と は な か っ た 。
理性によって作られた社会。
理性の肯定。野性の克服。
「それだけ」だった。マジで。
理性的で合理的な「ユートピア」が、「ディストピア」に転じうるってもう言及されているのに。
「理性」ゴリ押し。
それってどうなん。
つまらん。
愚痴終わり。
これ、字幕版見たら変わるかな。
でも県内にないんだよな。
県外までいく気力は、今のところ、起こっていない。
20年前、まだ彼女達が赤ん坊だった頃、彼女達の親は独立戦争の指揮をとっていた。
その結果は敗北、彼女達の親は戦争犯罪人として処刑されてしまう。
小国は再び、大国の支配下におかれることとなるが、再起を狙う独立派は、赤ん坊の姫を次の旗頭に据え、潜伏を続ける。
その際に、姉は独立派と共にゲリラと共に、妹は大国の支配下に置かれた国の中枢で生きて行く事になる。
大国の国としてのあり方を根底から覆すマクガフィン的な物の位置を発見した独立派は、それを手に入れるため再び戦いを仕掛ける。
しかし、双子姫の姉は幼き頃から続いていた戦いの日々を辞めさせるため、マクガフィン的なものを奪い逃げ出してしまう。
そして、逃げ込んだ先で偶然、双子は再開する。
戦いを辞めさせたい姉と、大国に苦しめられ息も出来ない国民を救うために戦いを続けたい妹と、2人の意見はすり合わない。
2人は争いながらも、自分たちを慕い、何より今苦しんでいる民のために何が出来るのか苦悩する。
自分たちは国民を、国を、ひいては自分たちを支配する大国を、何よりそうしてしまった世界を、俯瞰で見ていることを、あたかも自分たちだけが特別な外側にいるような考えでいることを。
あたかも、時の流れ全てを知って、自分たちだけが正解を知っており、それ以外の全員が間違っているのだと、思い込んでいた事に気付く。
改めて、自分たちが何をすべきなのか、ではなく何をしたいのかを2人で話し合う、
離ればなれだった20年間を埋めるように、2人は話し続ける。
人類の革新、ニュータイプと呼ばれ宇宙に適応し、オールドタイプではなし得ない、超常の感覚によるコミュニケーションを可能とする2人であっても、たった2人っきりの姉妹の家族の合意すら得られない。
人類史における進化の速度の例から見ても、そんなことは当然のことなのかもしれない。
ジオン、デラーズフリート、ティターンズ、ネオジオン、シャアの逆襲。
幾多の戦争を経験してもなお、連邦の”高官”という地位は守られ、そしてそれは次の戦争の火種になっていく。
そう、木星の総督に”高官”の娘をあてがうことが発端になる争いには、人類の革新もコロニーの独立などのお題目とは関係ない、ただの「差別された」ことへの不快感しかなかった。
その不快感が、ドゥガチを、カリスト兄弟を、ギゾを、凶行に走らせる。
とどのつまり、人が人を支配することは、今この瞬間の平和を生む事はできても、10年、20年先の、100年続く平和を生む事はできない。
だけれども、その先に待つのは何だろう?
結局、ミネバ・ザビとミネバ・ザビになれなかった者は、そんな答えのでない議論を朝まで続け、気付くと眠っていた。
国に残った妹は川澄綾子さんに決定です!
みなさんのキャスティングをお待ちしておりまーす!
差別や偏見と戦いマイノリティだって自由に自分を表現していいんだ
こんなにそれらに配慮した内容が盛り込まれている!いった旨のRTを連日沢山見るようになりました
小さくてかわいいウサギは警察官になれないのか?いやそんな事はない!
決めつけてはいけない!差別はよくない!だって努力すれば夢は叶うのだから!
といった主旨をどうこう言うつもりはまったくない
だがなぜそんな中で、なぜ『肉を食べること』は悪としこれを排除したのだろうか
そこがずっとひっかかっていて、素直に良い映画だった!と言えなくなっている
(世界観の設定上やストーリーの進行上そうせざるを得ないのは理解できるのだけれど)
誰だって望んだものになれる!と謳っておいて肉食獣のそれは奪うのか…と思ってしまって
肉食獣だってただ趣味で殺すのが目的ではなく生きるために肉が必要でそれを食らうのであって
それ自体は悪ではないはずだ
野生に戻ったら凶暴になったと本編で言われていたが
何かを襲う時はそれを食べる必要がある時か自分の身を守る必要がある時だ
むやみやたらと目の前のものを殺すものがイコール肉食獣ではないわけで
差別なんかダメッて言ってるんだ!!ともてはやされている映画が
素晴らしい!と言われていれば言われているほど複雑な心境になる
こんなところを気にしてしまう私の感覚がズレているのかもしれないけど
そりゃあいつ食われるかわからない恐怖と戦っていた草食動物から見たら
捕食者である肉食獣は天敵になるわけだけれども
『狩りをする必要が無くなる』のを仮に利点とするとして
かわりに与えられるものが肉でなく虫などで代用されたものでそれで本当にWin-Winなのか
肉を食べる事はこの先(この理想郷に居を構える限り)永遠に諦めないといけないのか
(昔は食べていたという肉を食べてみたくなった、という理由で
狩りをするために牙が鋭くなったもの
動物の特徴になる部分はおおよそ『狩るため/狩られるのを防ぐため』、
それらの器官ももしかしたらどんどん退化してしまうのではないだろうか
服を着て脳が発達し、特徴のある器官が退化していったらどうなるんだろう
みんな人間になるのかもしれないですね
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20160323/p1
ここに書いてあることはその通りで、シラク三原則と寺井校長スピーチは違う。
ところで、シラク三原則などフランス的価値観が日本にあうかというとそれはまた別問題だろう。
フランスの価値観は上記サイトにもある通り。女性の権利は最優先である。仕事をする権利は守られなければならない。子供も3歳から上は幼稚園というか学校(エコールマテルネル)に入るので、就業前と就業後に父親と母親が分担してお迎えすればなんとでもなる。あるいはシッター(ヌヌー)がやる(フランスでは小学生高学年くらいまで、子供一人で家にいることだけでなく外出することも法律違反なので、幼稚園~小学校の送迎が必要)。日本の幼稚園と違って、4時くらいまで面倒を見てくれるし、無料だ。面倒を見るというか授業してるけど。まあ、まずはこれが成立するために週35時間労働制だとか安くてたくさんのアフリカ移民を主体とするベビーシッター(フランス語を話せないこともまれではない)が必要になる。
しかし3歳まではそれもなく、保育園(コクシネル)は競争率が高いしお金もかかる。そのため、子供はほぼヌヌーさんに預けっぱなしである。パリの公園で平日の昼に観察しているところによると、彼女たちヌヌーさん(男女平等・差別禁止が徹底されているはずのフランスで、なぜかヌヌーさんのほとんどはアフリカ系女性だったように思う)は子供たちが遊具で遊ぶのを遠巻きに眺めつつ、みんなで集まってベンチに座ってタバコを吸ったりマックを食べてだべっている。
実際ヌヌーさんに預けるというのはどういうことなのかとフランス人に聞くと、それはやはり不安なことはある、とは言うのである。
しかしそれでも預ける。なぜか?女性が働かないなどというのは考えられないからのようだ。そちらのほうが優先だからのようである。
日本からの赴任家族では、当然ながら(?)奥さんは働いていないことが多い。それを知った時のフランス女性の不思議そうな顔つき、「ずっと家にいるの?へぇ~」という反応を見るに、これは女性の選択の自由を尊重しているように私は思えなかった。日本では子供がいる母親は働かず家で子育てをした方がよいという暗黙の圧力があるのと同じように、フランスでは子供がいても母親は外にいて働いているはずだという暗黙の圧力があるように感じたのである。私はこれは「自由」の名のもとに行われる別の因習的社会であるように感じた。
まあ、それはそれでいいのだ、不思議なことではない。世界のどこかに理想郷があるわけではないのだ。あるのはバランスであり、フランスでは子供が母親とずっと一緒にいられることよりも、母親が仕事をして自己実現を続けることを選んだところ、(因果関係は分からないが)出生率が向上したらしい。社会がどれを選ぶかの話であろう。正解と誤答があるような話ではないと思う。
ドイツ人に、ドイツはどうかと聞いたことがある。ドイツでもやはり女性の労働は権利であり、その程度は日本よりもずっと強い。しかしそれと同じくらい、子供が小さいころは母親は家にいて子供の面倒を見るべきだという社会的意識も色濃く残っているそうだ。それはまた母親の多くもそのようにしたいと思っていることでもある。また、出産後一年以内に仕事を再開しようとすると、あなたそんなことをして子供はかわいそうではないの??という周囲の目があるのだそうだ。ちなみにドイツの出生率は日本と同様に低い。
フランスは経験談だがドイツは伝聞である。出羽守ではあるが、真実を含んでいないとは思わない。日本はどの方向に向かうべきか。フランスの方向に向かうのは不可能であると思っている。
祈願依頼者が来社。
夫婦者。
ぱっと見、旦那は二十代後半、嫁は三十代前半。
嫁さん「えっと、はい」
嫁さん「えっと、心願成就で」
嫁さん「内容…いろいろあって」
嫁さん「主人はー、勤務の順調を」
嫁さん「私は今仕事探してて見つからないんでー、就職の成就を」
嫁さん「それとー、子宝を」
まあ、「最下位の阪神が今年の日本シリーズに出て制しますように」みたいなふざけた願いでも、どんな願いを告げられようが祈願はするけども。
就職したら試用期間中や新人研修中で仕事まだ覚えてないけど妊娠するかもしれません、
ていうか何年か休職して子育てに専念した後で復職しますから私の席はあけておいてください、
二つ並べると、こう聞こえるんだよなあ。
これってもはや、まだ見ぬ職場に対する害意の現れ以外の何物でもないように見えるんだがなあ。
「正社員採用だけど既婚女性歓迎!一年目で妊娠してもOKだよ!誰一人嫌味のひとつも口にしないし産休も育休も取れるしキミが復職するまで席もあけておくよ!」
普通に考えたら、そんな理想郷は存在しないよなあ。例えあったとしても、入場制限を課していて、学歴経歴資格能力に優れた人間しか入れないようになっているよなあ。みんな殺到するもんなあ。
もちろん「既婚のパートさんだらけで皆バンバン育休だの産休だの取りまくってる理解ある職場でのんびりパートしたいんです!」とかいう願いだったらいいんだけどさあ。明らかに違ったよなあアレ。
ま、ひたすら自分に都合のいい理想郷だけを望むってのも個人の自由というものだが。
神頼みをする前に、まずどちらかに自分の覚悟を決める方が先なんじゃねえのかね。
子供を持つならさっさと妊娠する。出産子育てして、子供が手がかからないくらい大きくなってから就職する。
就職するなら就職一本。ひたすら何年も仕事して、ある程度の職場内存在感を獲得し、職場内発言力を十分に貯めてから、それを「妊娠出産」に対して行使・消費する。
こうじゃねえのかね。
まあ、専門教育も受けず資格もなくだいたい高卒で入ってきて例外なく神社界の洗礼を浴びる巫女連中に同情なんざしねえけど。
結婚しても即退職、妊娠しても即退職、という条件下で働く若い巫女連中の前で、よくもまあぬけぬけと甘っちょろい人生計画を口にできるもんだと感心はしたな。
もちろんその嫁には関係ないことだし、知ったこっちゃねえ話なんだろうけど。
おそ松腐女子がキモすぎて泣いた http://anond.hatelabo.jp/20160119142815
オタク文化が大好きで、子供の頃からインターネットにハマり、pixivやお絵かき掲示板で二次創作イラストを見るようになった思春期
初めは女の子の裸イラストを見ていたのだが、ふたなりからショタにハマって、筋肉ショタ、ケモショタと発展していき、やがて「あ、俺ってゲイなんだ」と気が付いたのが高校生
オタク文化にどっぷり染まった子供時代、俺はオタクを社会における差別や偏見とは無縁な、表現の自由の体現者だと思っていた
しかし、やがて成長するに連れ、自分がゲイだと気がついてから、好きなマンガや好きなアニメの感想を2chやツイッターで見る度に、オタク文化は、俺が見た理想郷ではないと知るようになった
>キモすぎて泣いたんだ
>生理的にウエッとなって、なぜだかツーッと涙が流れた
(略)
「そして男同士が裸で抱き合ってるのは、男からしたら生理的に気持ち悪いことなんだ」
その昔、子供の俺にとってオタク文化とは、2次元の世界において、セクシャルな自己表現が最大限に抑圧されず、完全に自由な世界だと思い込んでいた
でも、少しずつ気が付いていった
「表現の自由」を錦の旗に掲げるオタクも、むしろ、その趣味嗜好において、自分たちが「生理的にキモい」と思えば排撃の目を向けるのだ
pixivでは腐女子たちが、自分たちのBL趣味を「普通の人」には受け入れられないものだと自認して、「隠れる」ことをローカル・マナーとして掲げていた
二次創作だから、R-18表現があるから、などなど理由付けされるが、「異性愛のR-18二次創作」はBLほどには隠れることを強要されていない
結局のところ、腐女子がBLを隠すべきものだと扱う理由は、元増田の一文に現れている
「男同士が裸で抱き合ってるのは、男からしたら生理的に気持ち悪いことなんだ」
「男同士は気持ち悪い」
BLは男同士が気持ち悪いからという理由で叩かれて、腐女子たちはBLが叩かれるのは当たり前だと受け入れて、BLを隠すのがマナーだと考える
オタク文化の中で繰り返されるBL・キモイ・隠れろマナーは、社会において、同性愛が攻撃されて、同性愛を排除することを法とした、今も残る同性愛差別の姿と全く変わらなかった
子供時代、オタクであることを誇りにしていた俺は、オタク文化を表現の自由の体現者と夢想していた
だがしかし、オタクたちも、オタク文化の中で、性差別を再生産する
2次元の世界で最大限の自由を求めたオタクは、時折こんなことを言う
「オタクはジェンダーを超越した、オタクは社会の性差別を乗り越えている!」
悲しいことに、全くの欺瞞だ
追記:
http://anond.hatelabo.jp/20160120001508 キモオタ男の差別意識がすべての元凶なのにオタクというくくりで全体の話にしないで欲しい