はてなキーワード: 正念とは
シンデレラガールズ総選挙の締め切りが残り24時間を切ったが、投票先を未だに決めかねている。ちなみに中間時点では投票しておらず。
もちろん問題は夢見りあむだ。具体的に言えば、推しに入れるか夢見りあむに入れるかを本気で悩んでいる。
ぶっちゃけると推しはガッツリ恵まれている部類で、声もあり曲もありユニットも参加しており順位も割と高め安定している。だが属性TOP5を狙うのはかなり厳しい。そんな位置にいる。推しへの愛はここでは割愛するが、要するに地盤の硬さと爆発力のなさにより、投票してもしなくてもあまり意味がないのである。ぶっちゃけ今回も推しにぼんやり全額入れるか~くらいに思っていた。
そこに夢見りあむが来た。
より正確に言おう、デレステの「夢見りあむのウワサ」が来た。
曰く、「夢を見たいらしい」。
衝撃を受けた。
最近のアイドルものというのは、なんだかんだで「夢をかなえる」というキーワードから出発しているものが多い。その結果として出力されるのは「夢を目指す」、すなわち目標に向かっていく物語である。目標はどんなぼんやりしたものでもいい(何しろ色んなのがいるので)が、とにかくそれがなければアイドルが歩いて行かない。「夢を見たい」と言い出すということは、夢見りあむには夢がない。アンチが言うのとは全く違う意味で、物語が存在しなくなる。
「夢を見ることができるようになる」ことだ。それ以外に存在しないと言ってもいい。逆に言うと、夢を見た時に彼女の物語は終わる。つまり、夢見りあむがアイドルとしてスタートに立った時点で話が終わるのである。
確信をもって言うが、来年の夢見りあむはここまでの勢いを出せない。スタート地点にすら立っていない、ということを武器にした夢見りあむは、ストーリーに参加するたびに牙を抜かれ、刃を鈍らせていく。今までのデレマスが他アイドルに関してやり続けてきたように、最も致命的な問題を巧妙に回避し続けていくであろうからだ。これまではそれでよかった。たとえ終着点に辿りつく可能性が無くても、そこに進んでいく姿を描けるならそれで良いからだ。
夢見りあむは一歩踏み出せば、すなわちストーリーを始めれば、夢を見始めることができれば、そこが終着点になる。それを回避するため、シナリオでは煮え切らない話を繰り返すことになる。スタート地点に立たないままできることは、殊更に少ない。ぼんやりした描写が増える。勢いを失う。少なくとも、現在の最大風速には届かない。それが夢見りあむだという実感がある。
だから、この瞬間、デレマス実装から半年、デレステ実装から一か月、そのタイミングで開催される最初のシンデレラガール総選挙こそが夢見りあむの正念場なのだ。二度とないチャンスなのだから、全力で大爆発させるべきではないのか。
それこそが「夢見りあむがスタートラインを目指す物語」にとり、最大の偉業となるのではないか。
ネタと天秤で投票先を悩んでいるわけではない。ここまで状況が煮詰まっていれば、入れるならオールインだろうという確信もある。
あまり関心を持ったことのないポイントなので、勉強になります。僭越ながら、グロテスクさが感じられうる示唆的なシーンが、人物の行動の結果などに繋がって作品としてのテーマになるまで昇華されていなかったとしても、芸術的な意味はありうるのでは、と考えています。例示していただいたアイデアのように正面からこれをテーマに据えてしまうと、作品自体の目的が”説教”になってしまうので避けたが、示唆したいことは確かにあった、という可能性です。別の方の増田を引用します。
芸術というものは非常に幅広い概念であり、故に、善し悪しを語るのは、非常に難しくなります。話が拡散しすぎてもしょうがないので、ここでは、いわゆる一般的なエンタメ(これ自体もかなり広い概念ですが)の方法論に沿った評価とします。
あるモチーフをメインテーマに直接繋げると説教臭くなる場合は確かにあります。メインテーマの一本調子にならないように「Aの正しさ」を中心に描きつつ、「A以外の正しさ」にも軽く触れるといった構成はよくありますね。ただ、その場合でも広い意味で調和し、繋がる必要はあります。さもないと単に、とっちらかった話になってしまいます。
けもフレ2の場合、キュルルが「みんなのことが~大好きなんだー!」と叫び、これが多分メインテーマなわけで、だとすると、「リョコウバトを絶滅させ、イルカやアシカにショーをさせ、イエイヌを人間なしには生きられなくした人間の業」はメインテーマと真っ向からぶつかるアンチテーゼなわけで、その業とどう向かい合うかは、避けて通れない話でしょう。軽く触れるだけで終わらせるのは構成的に不備があります。
私は、それを「深く考えないで出した」と考えますが、「示唆したいものがあったが描ききれなかった」と考えることもできるでしょう。意図はわかりませんね。
「さぁとっとと野生解放するのです」「我々の群れとしての強さを見せるのです」からの、闇に光る数々の目、は名シーンであったと思います。あれを見ると、「ここが正念場なのだから、野生解放できるフレンズは全員した」という流れが伝わるかと。
それはそうと、あのシーンを、フレンズ化セルリアンで再現した、けもフレ2は本当に何をしたかったのだろう……。
ところで「野生解放を言わない」ということには、けもフレ2制作陣の明確な狙いがあると思います。けもフレ2では他にも「ちほー」や「フレンズ」といったタームがほとんど言われません。推測ですが、これは一般受けを狙うために途中から入ったりぼーっと観てる視聴者やキッズが引っかからないように配慮したものだと思われます。逆に明確に説明するようになったものもあります。キャラクターの性格です。「私、体が丈夫なだけじゃなくて記憶力もいいので」「私は用心深いから」… などなど、けもフレ2ではキャラクターが自分の性格を自己申告します。作劇技術的な難度という点ではこのような表現はおそらくレベルが低く、エレガントでもないのでしょう。しかしそれが直ちに作品として悪い、ということにはならないでしょう。解りやすいというメリットは確実にあります。あざといくらいハッキリ言うので、おそらくここを起点に自分でも動物の性質を調べてほしい、という願いも込められているのかもしれません。
全体としてキッズ向けのノリで、わかりやすくする意図はあったかもしれません。それはそれで一つの方向性ですよね。ただ「野生解放と言わずに野生解放で急に強くなる」は、わかりやすさ優先ではなく、むしろ、わかりにくくなっています。子供なのだから、そのへんの脈絡を気にしない……と仮に制作者が思っているとしたら、それはそれで、子供を馬鹿にした話です。子供向けにわかりやすくするというのは、そういうことではないでしょう。
ケムリクサ周りは、まだまだ見返して伏線を捜しているので、勘違いしてる点もあるかもしれないことを先に述べて起きます。
おっしゃる点、それぞれについて、説明はできると思います。例えば、ミドリがケムリクサ自体を回復できるのに、なぜ、赤を回復してしまわないか、は、複数の葉を重ねて作られた赤を「治す」ことで、元に戻してるのかもしれません。あるいは、ワカバが苗床になった時に、ミドリに赤に対する抵抗力を与えたのかもしれません。リンの中に、リリの記憶が漏れていることは、わかばがロックを解除して、そのまま開けっぱなしの状態だったのかもしれません。光については、木を倒して、残った全部の力を、わかば治療に使った描写に思えました。
このへん、贔屓の引き倒しというか、脚本ミスの部分を無理矢理、好意的に見てるものは混じっているかもしれません。好意的に見れば、けもフレ2の矛盾点とおぼしき部分も説明をつけることができるとは思います。
ただケムリクサという作品は、全体を通して様々な伏線があり、矛盾や意味不明に思えた描写が「なるほど、こういうことだったのか!」と思う瞬間が何度もありました。だからこそ、矛盾と思える部分についても「もしかして、これはこうなのでは」と考えたくなります。けもフレ2は、そういう作品ではないので、その点は一緒にできないなと。
ケムリクサは、けものフレンズ1に比べて全体的にダークなわけで、それを「優しい世界」と呼ぶかは意見が分かれるかもしれません。ただ、ここで書いたようにキャラの基本的な優しさ、裏表のなさなど、けもフレ1とも共通してる作家性があり、だからこそ、全体として、けもフレ1ファンの人にも人気が出た、くらいは言えると思います。
設定や伏線において、けもフレ2に不備があるように思えるのは錯覚で、実態は作品の狙いと得意な表現の範囲の違い「へーきへーきフレンズで得意なこと違うから」、で済むレベルなのではと考えているのです。
作品の狙い、得意な表現分野の違いにすぎない点が、1との比較で、不当に欠点とされてる部分は多いと思います。その一端は、一連の記事で書いています。
その上で、けもフレ2の設定や伏線に不備がない、とまでは私は言えません。もちろん、どんな作品にも瑕疵はあるわけで、減点法だけで評価するのも、考え物です。どこを重視するかの違いかもしれません。
おこがましいことを3つ書きます。長々と。
「教養がない」と思ってることを思ってると思います。たぶん。彼女がどんなに鈍い人でも。
「教養の無さ」、もっと言うと知的生命体として、彼女を一段下に見ている感は
ふとした瞬間に相手に伝わっていると考えた方がいいと思います。
(敏い人であれ、愚鈍な人であれ)
彼女はあなたとの結婚生活において、あなたの言語化してないボンヤリした侮辱を受け続けることになります。
しかし、たぶん彼女はあなたのそういう態度を許しているのではないでしょうか。
この点、あなたは彼女に一つ「借り」をつくっている・と考えて欲しいのです。
今後、起きるであろう人生のつまずき、アンラッキーな事柄に見舞われたとき、
「君は教養がないから」(知的に劣っているから)役に立たない・という趣旨のことを、
口から出そうになる誘惑に耐え続けねばならないということです。
之が難しい。
簡単なことのように思われるかもしれませんが、
不運な時というのは通常とは異なるストレスがかかって、忍耐力も落ちています。
夫婦共通のトラブル時にはクリティカルヒットになる可能性が高く、
そういうトラブルや困難というのは、「来る」ことを前提に考えた方がいいです。
ではどうすればいいか。
まず彼女への不満の根に「教養のなさ」がくるということは、意識的であれ・無意識であれ、
あなたという人が、本来は知的な生き方というものに一定の価値を置いてらっしゃる人であるということ。
人を測る尺度の一つにすぎず、また(長い人類の歴史でいえば)割と新しい・他の要素と代替可能なものであること、
(昔はもっと「狩りや獣肉を捌くのがうまい」とか「洗濯が早い」とかの方が価値があった筈です)
この事実をつよく我が身に刻み込むことです。
ところで、全く話はかわりますが、
色々あると思いますが、以前読んで感心した台詞があったんですよ。
正確には思い出せない(すみません)のですが、
全身クタクタで動けない・精神的にももうダメだと挫けそうになったとき、
「ああ、それはそうだな」って、この歳になると分かります。
当たり前のこと、ともすればバカっぽく見えることも、淡々とできる人というのは強い。
そして、そういう強さが必要になるときは、だいたいが人生の正念場です。
でもコレは「知性」や「教養」だけでは測れない要素ではないでしょうか。
いざというときに、そういう「支え」的な役割をパートナーに過剰に期待するのは良くないかもしれませんが、
あなたが異なる価値観でもって彼女を見、(侮辱でなく)尊敬の念をもって接していれば、
少し長くなりました。
まとめますと、他人を測る物差しの一つ「教養」を彼女にだけは取っ払ってください。
そして(最初のうちは自分を騙す感じで)異なる価値感でもって相手を見、
信頼と尊敬の念で接し続けるようにしてください。
世間の注目が薄らぎつつある中でも、NGT48の山口真帆さんを守るための正義の戦いが続いています。
NGT48山口真帆さんを守るために、皆さんの協力をお願いいたします。
#JusticeForMahohon
ホリプロおぎゆかは処分され難いです。太野彩香はしがみついてます。山田は何でか・・放置されてます。西潟も危うい位置にいます
山口真帆さんを下ろして出航するのか、天使軍4名を優遇した対処を下すのか、欠陥品を下ろして出航するのか
今が、まさに要注目です。頑張りましょう
正念場です— 相互鳥@フォロー100% (@sougodori) 2019年2月23日
【西潟黒確定!】山口真帆さん犯人の2人!西潟と同じボウリングチームだった【殺人教唆】 │ AKBタウン|AKB48 最速ニュース速報 https://t.co/48DlHqPlT7— 相互鳥@フォロー100% (@sougodori) 2019年2月24日
「自民に勝とうだなんてー、めっ!だよ♡」
「兄の国への礼儀を教えてあげよう」
ごめなさい ごめんなさい
なんてのは もうごめんだ
いきなりきた 正念場 誰もアベを止めんな
ここで雑魚はぶっ潰す
破り捨てた9条
俺のヘイトはお前の脳に
直で届くリアリズム
見た目だけのリベラリスト
潰す まるで関東軍
はぁ? 笑わせんな
ここじゃKPOP未満
常に腹はくくる それがDead or live
何を偉そうに語っているペラペラ(Fu Fu)
(Fu Fu Fu Fu Fu)
いくら書いても売れない本と
増えるだけのペンダコ
(ん〜) なるほど (ふむふむ) 一理ある
できれば一緒にプロジェクト
なんて無理 「嘘ですよ」
足元も見えなきゃ躓くばかり
いつでも軍事力が正解じゃない
The Battle Battle Battle (yeah)
The Battle Battle Battle (uh)
The Battle Battle Battle (yeah)
The Battle Battle Battle (uh)
The Battle Battle Battle
The Battle Battle Battle
The Battle Battle Battle
The Battle Battle Battle
決着つける 今日の勝者を決める
The Battle Battle Battle
The Battle Battle Battle
南京事件はは こどもだましの戯れごと
望むはこころがわりを
黙っていればいい気になる
バカなら一気に 黙らせるその口チャック
さらに縫い合わせてく
えーやだー 過半数って どうせならば
中共みたいにかっこよくて
強い奴じゃないと不満です
いくらお口チャックしても
すぐに開くビリビリー
BTS どちらも響かせるよ どうかな?
「人の過去のことを何度も持ち出すんじゃねー」
これでどうだ いい加減 俺らこそが進化系
楽しくなっちゃう
ほらしちゃいなってギブギブ
そしたら 僕ら有田さんのとこに
すぐに行く行く
俺ら左翼 見せる絆
あーうるさいうるさい
黙れ 御託ばっか並べて
どんな辛い過去もヒックリ 返すだけだろ
それができる仲間たちと組んだ
この歴史戦
プロパガンダばかり
耳にに入り込んだやつらには
国のために 出す力で
それを歌い 握る拡声器
(靖国!)
The Battle Battle Battle (yeah)
The Battle Battle Battle (uh)
The Battle Battle Battle (yeah)
The Battle Battle Battle (uh)
The Battle Battle Battle
The Battle Battle Battle
The Battle Battle Battle
The Battle Battle Battle
決着つける 今日の勝者を決める
The Battle Battle Battle
The Battle Battle Battle
もちろんそういう趣味自体は否定しないから「アナルセックス特集号」とか「アナル専門作家」とかいうことでやっていくなら文句はない。
普段そういうの描かない作家がバリエーション出しましたみたいな顔でアナルセックス描くのはほんとむかつく。
そのぐらいにはジャンルが違うんだよ。
具体的に今何にむかついてるかというと
こんちきはずっとweb雑誌で面白くもない一般漫画描いてたのが終わって、
ようやくエロ漫画雑誌に帰ってきて、それに気付くのが遅れてアマゾンじゃ売り切れてたからたくさんwebショップ探してようやく3月号の在庫残ってるとこ見つけて入手して、それがギャグっぽくお茶を濁したアナルセックス漫画だった時のむかつきがわかるか?
俺はマジでむかついてんだぞ。
のびのび輝けるエロ漫画を休んで一般漫画に身を押し込んだ覚悟がぬるいわけはないよな。
それなのにあんなに誌面から伝わってくるほどのこなし仕事感を放射してたのは何故だったのか?
お前は照れてるんだよ。
いまだに本気の自分をぶつけることを恥ずかしがってる。
エロ漫画描いてる時より一般漫画描いてる時の方が照れが激しい。
だからことさらにテンプレルーチン感の強い展開やキャラ出しばっかり選んだ。
お前いつまでそんなことやってるんだ?
お前みたいに斜に構えてパンツ脱げないまま歳食った作家でろくなことになってる奴は居ないぞ。
「なんでもっと全力でやってみなかったんだ」っていう後悔を抱えてつまんない漫画描いてるだけのやつになる。
お前みたいに結構画力が有って器用な奴ほどテクに驕って自分を大事にし過ぎて恥ずかしがってそういう末路になるんだ。
ISUTOSHIとか新貝田鉄也郎とかみたいにな。エロ漫画ならかるま龍狼とかがお前に似てるよ。
かつて人より抜きん出た技術がありながら斜に構えるのがかっこいいと勘違いして
一度も全力でやれずにパッとした代表作もなくいつが全盛期だったのかもわからないまま老い果てて取り返しが付かなくなった奴等だ。
あいつは木尾士目やひぐちアサ等がかっこつけるのやめてパンツ脱いで大成したのを見習えないみたいだ。)
お前はまだあそこまでいってない。まだギリギリ間に合うだろ。
今パンツ脱がなかったらもうチャンスはないぞ。
危機感がないのかガッツが落ちてるのかしらないが、今が正念場だと思ってくれよ。
エロ漫画でまで照れのあるお茶濁し漫画描いてる場合じゃねえんだよ。
もっとお前が全力でエロいと思えるエロエロでも、恥ずかしいぐらいのラブラブでも、そういうの描いてみろよ。
もう一回一般やりたいなら一般でもいいけど、「こなしてまーす」みたいな言い訳のオーラ出すのもうやめろよ。
入れ込むのでも冷めるのでもなく、落ち着いて自分を見つめて、自分の中から出てくるものを恥ずかしがらずぶつけてくれよ。
あれが全力だったと認められるか?
お前が全力だったと自分を騙しても俺が認めねえよ。
いい加減「結構描けてるよな」っていう器用さや技術に逃げ込むのやめて、そこから飛び出してくれよ。
まだ全然間に合うぞ。
魔道の~~からなる三部作を読んだ。一巻にあたる系譜を読み終わったときはなんだか物足りない読書感だったけど、福音、矜持と進むにつれてどんどん面白くなっていったシリーズだった。続刊が楽しみ。
ファンタジーで差別問題を描く作品はあんまり読んだことがなかったので新鮮だった。恐怖は目を曇らすし、無知はおぞましい。鬱憤はいつか爆発するものだから、うまくガス抜きをしないとだめだよなあって思った。
系譜が残念だったのは、中盤以降に一回大きな山場があるんだけど、それ以降最終部まで盛り返さなかったところ。最強の魔術師が輝きを取り戻すのかと思っていたのにそうじゃなかったからうーんってなってしまった。
なによりも、重要そうな登場の仕方をしていたくせに、終盤にちょびっとだけ出て終わってしまった姉弟子の扱いがひどかった。
あそこで彼女に大きな活躍をさせるんじゃなく、師匠が徹底して精神的な支えになるところに女性作者っぽさみたいのを見てしまった。すごい偏見だけど。
だけどだけど、四巻以降では、彼女にも日の目が当たりそうなので一安心している。
福音から顕著だったけど、キャッチ―なキャラクターが登場するようになって、また文章もこなれてきた感があって面白さにつながっていたように思う。女性陣がみんな強いお方です。
見せ場の作り方も、二巻での現象的な正念場の描き方とか、三巻での地味なんだけど逼迫した状況とか、場面がどんどん具体的になっているためにぐいぐい引き込まれしまった。
一巻はそのてんふんわりしてたかな。状況が過酷なのは間違いないんだけど、なんだか上滑りしている感じだった。
主人公や仲間たちをめぐる環境は依然として厳しいままだけど、国外に魔術学校ができて、そこに人材が集まり、援助してくれる人も出てきて、小さな一歩だけれどひとつひとつ着実に前進しているのがいいと思う。
瞑想というかマインドフルネスに抵抗があって、本を買って読んだりしてみてるわりに、全然実践できていない。
効き目がないと思っているわけではなくて、「まあこういう仕組みだから、こういう世の中でやると、こういう調整が効くんだろうな」と自分なりに納得もしてる。
じゃあ何がひっかかってんのかというと、自分がちゃんとした仏教徒じゃないからだ。
マインドフルネスは、宗教的要素を取り除いたとは言われるけど、きっぱりはっきり「八正道の中の正念」という概念とイコールなことがあきらかだし、そもそもその宗教的要素を取り除いたっていうことに対しても「……いや、そんな勝手に取り除いていいものなのか?」っていう気持ちになってしまう。残りの八正道ノータッチでいいんだ?? ほんとに??
自己実現のために、信仰してない宗教の教義のごく一部分だけをお気軽に使うの、自分のオシャレのためにまったくコーランも知らないのにヒジュラかぶっちゃうみたいなアウト感をね……。感じてしまうんだよな~。
基本的に自分が考えすぎなのはわかってるんだけど、うっかり他人の重要な箇所に土足で入ってるんじゃないかって不安がどうしても残ってしまう。
写経体験みたいなものだと捉えたらどうかと言われたけど、マインドフルネスは継続して行う習慣なとこがどーもな……。
ここだ、ここで踏ん張らねば。
絶対に振り落とされないし諦めてなんかやらない。いらないんだろうな、消したいんだろうね、そんなの知らねえこっちがそれに従う理由は皆無だ。
絶対這い上がって見せる、私の自担はハンサムゾンビなのだ。イエスも思わず二度見するほど何度だって蘇ってみせる。
ここで諦めて声上げるのをやめるなんてあちらの思うつぼ。絶対に黙ってなんかやらない、うるせえファンがいるんだっていうのを伝え続けなければならない。
かの有名なマンガのセリフにあるとおり「戦わなければ勝てない」
何事もまず「戦う」そしてその後に「勝てる」のだ。
金を運営と出版社に落としまくって、要望を絶えず出し続けるんだ。
そして自担様、そこでなんとか踏ん張ってくれ。最後に逆転してあのステージで笑顔を見せてくれ。
負け戦になんかしてやるもんか。
みなさんはコップの水を目の前の人間にぶちまけたことがありますか?
わたしは一度だけあります。土下座している人に向かって、そのとき持っていたコップの水を全部勢いよくぶちまけました。うわっ、ますますドラマみたいだなと思いました。
すなわち、わたしには「土下座して謝っている人に向かってコップの水をぶちまけた経験」があります。稀有な経験だと思いますが、リアルで話すと絶対に引かれるので、致し方なく匿名ダイアリーに書いています。
どうしてそんなことをしたのか?
相手が土下座という、およそ非現実的な謝罪方法を選択したとき、わたしは強い危機感を覚えました。彼の必死さが怖ろしく、一方で、ここで舐められたら終わりだと思いました。わたしが相手を絶対に赦さないことをはっきり示し、復縁を諦めさせる必要があると感じました。
伝統的には土下座をしている相手を踏みつける方法もありますが(ドラマとかで)、現実にそれをやると犯罪なので、とっさに手に持っていたコップの水をぶちまけました。水は弧を描いて、土下座をしている相手の後頭部と背中を濡らしました。
厳密に言えば、これも暴行罪に該当する可能性がありますが、場所が自宅のリビングで相手はパジャマ姿だったので、万が一、被害届を出されても警察は動かないだろうと考えました。
相手は、土下座して謝っている最中に水をかけられるという完全に異常な状況であるにもかかわらず、特に驚く様子もなく、か細い声で「ごめんなさい。本当に反省してる。許してほしい。」と言いました。
わたしはここが正念場だと思ったので、普段は出さない大きな声で「うるさい。早く出て行け。視界に入るだけで不愉快だ。」というようなことを言いました。その夜はさすがに眠れませんでした。
その日に至るまでの3カ月間、彼はほぼ一日おきに「とても反省している。愛しているのは君だけだ。君を失ったら生きていけない。なんでもするからやり直すチャンスをくれ。」といった内容のポエムメールを送ってきていたのですが、その夜を境にピタリと止み、2週間ほどで荷物をまとめて出て行きました。
彼が去ったあと、がらんとした部屋のテーブルの上に記入押印済の離婚届と一緒に四つ折りにされた便箋が置いてあり、確か「君と暮らした10年間、とてもしあわせだった。本当にありがとう。傷つけてごめんなさい。」というようなことが書いてありました。
わたしはそれを読んだあと、すぐに鋏で細く切って他のゴミと一緒にマンションのゴミ捨て場に持って行きました。
部屋に戻って靴を脱いだ瞬間、ああ本当に一人になってしまったんだなという実感が湧いてきて、涙が溢れて止まらなくなり、床にうずくまって、文字通りわんわんと泣きました。
離婚したことについて後悔はなかったのに、それでも10年の歳月はあまりにも長く、喪失感は大きく、どうしようもなくてわんわん泣きました。
それからの一年は、これまでの人生で最もつらい期間でした。一番つらかったのは、人を信用できなくなったことです。わたしはおろかだったので、10年も一緒にいた相手が病的な嘘つきであることを見抜けなかったのです。客観的な証拠により相手が膨大な嘘をついていたことが分かった後は、誰も彼もが嘘つきに見えました。
周囲の人からは、なんであんなにいい人と離婚したのか、もったいないと責められたり、浮気は男の甲斐性だ、許せない女のほうが悪いと説教されたりしました。
離婚後も相手からは「元気にしてる?君のことをとても心配している。落ち着いたらまた会えないかな。」といった内容のメールがときどき来ていたのですが、返信せずに削除していました。
最近連絡がないなと思った矢先に、「ご報告」という妙にかしこまった表題のメールが届いて、開けてみると「結婚(再婚)することになりました。相手は妊娠しています。」といったことが神妙なトーンで書いてありました。彼が出て行ってから半年も経っていませんでした。
彼の再婚相手は、複数人いた浮気相手の誰でもなくて、わたしもよく知っている、ほんの数日前に一緒に食事をした女性でした。わたしは彼女を友人だと思っていました。お酒がとても好きなはずなのに、その日はガス入りの水しか飲まなかったので、体調が悪いのかなと少し心配していたのです。ああ、なるほど、妊娠していたからアルコールを飲まなかったのかと妙にスッキリ腑に落ちました。
わたしは、「土下座して謝っている人に向かってコップの水をぶちまけた」瞬間が一連の出来事のクライマックスだと思い込んでいたので、まだ続きがあるなんて想定外でした。事実は小説より奇なりとはこのことかと思いました。
そして、ようやく治り始めた傷口に乱暴に塩をすり込むようなことをした彼らを強く憎みました。彼らを憎んでも自分を損なうだけだと頭では分かっているのに、感情がコントロールできなくて、四六時中、彼らがしたことについて考え、彼らが不幸になるように願いました。そのときには、もうわんわん泣く余裕もありませんでした。
彼が出て行ってから一年くらい経ったある日、気が付くとすべては過去になっていました。時折、激しい憎しみの名残が発作のようにやってくるのですが、それも長くは続かなくなりました。ただ、不倫や浮気を美化する内容のドラマや小説に強い嫌悪を感じるようになりました。
彼らが不幸になったかも知りません。子どもは無事に生まれたらしいと風のうわさに聞きました。それでよかったと思います。わたしの見ている前で、彼らが不幸にならなくて本当によかった。
さっき「離婚して、わんわん泣ける女になりたかった。」というタイトルの記事を読んだら、一連の記憶がフラッシュバックしてつらくなったので、気持ちを静めるためにこれを書きました。
自分の経験に照らすと、記事中できれいごとを言っている元夫は嘘つきで、本当は慰謝料を払わずに離婚して他の女性と再婚したいだけなのではないかと感じましたが、そんな風にうがった考えを持つことは人を幸せにしません。
ありがとう、トラバ遅れてすみません。読んでもらえるとうれしい。
たしかに、人権をどこまで認めるかは元記事のブコメのように意見分かれまくりるし
経営として判断するならこの問題にそこまで手間とコストかけるか?って話になりそう。
もっとも、そういったDB管理のためにマイナンバーが始まったと思ってた。今ある仕組みもうまいこと活かしてほしいよね。
他にキリ排除について生活保護を例にするなら受給金額の見直しや期間に応じて金額低減するとか?(弱者締め付け!!!って声むっちゃ上がりそう)
いっそユルめの職業訓練からの課題クリアに応じて生活保護給付の額が変わるとか。もはや保護する気がないって言われそうだけど笑
感情論の話で、
「働いている人にぶらさがって働かずに暮らしてる奴らが働いている奴より金もらってる」
って状況に反感が湧くんなら、やっぱり最低賃金の話になるんかな。もしくは↓の人材側に必要な技術力が身についていることが前提になるのかも。
公的機関による就労支援も重要だとは思うのだけど、近頃はどこも人手不足なので、
「もうこの際、未経験でも既卒でもなんでも良いから来て。OJTするから。」ってとこ今後は増えてくる気がする。
あくまで希望的観測だけどね。「え、そんなレベルの人も採用しちゃうの?」って事案を周りでよく目撃する。
それに加えて雇用流動化の徹底しかないね。就職しやすい代わりに首も切られやすい。
元キリだろうと一念発起すればスルリと社会に滑り込めるようにするしかない。
使えん!とすぐに首切られたって、すぐにまた就職できれば問題なし。
あと主体的に辞めやすくもなるので、ブラック企業が駆逐される可能性も高い。
そうなのか!現状を知らなかった。
でもたしかに労働者不足は叫ばれてるから、再雇用について悲観することもないか。
ただ個人的には「技能がないためにどこへ行っても結局低賃金で働く人」っていうのがいるとしたら、すくい上げる仕組みがあってほしいと思ったんだ。
今社会に求められる技能を身に着けられる仕組みのためなら、俺はどんどん税金使ってもらって構わん気持ち。
話聞いてると人材が流動的になることが状況を大きく改善しそうな気がする。どうしたらより促進されるんだろう?調べることたくさんあるわ。
どうも、元キリ今アリ増田です。
そうなんだよ、ここが頭をもたげてくる。
勤労意欲や学習意欲の有無(例えばハローワーク訪問証明書などの提出)、
担当者による月一の近況面談の強制、くらいはしないとアリキリ判別は難しいだろうな。
上記の減点方式でアリキリ判定する。アリには温情ある対応を、キリには現物支給だけに絞る。
ただここまで徹底すると、基本的人権やらその他諸々に抵触しそうだ。左翼も激おこだろう。
しょせんお役所仕事、人件費やらシステム構築にも莫大な金額が掛かるだろうしね。
ただITをもっと役所の現場レベルに落とし込んで、DB一元管理すれば出来なくもない気がするけど。
労働力不足!一億総活躍!とかのたまうなら、これぐらいやってほしい。労働人口は減り続けるのだから。
前に比べたら新卒至上主義も既卒不遇も減ったんだろうが、まだまだこれからが本番だろうな。
これから10年以上後を見据えて需要がありそうな技術を身に着けられて状況改善できるキャリアプランを描ける公的機関があるといいなぁ。
どうだろう、元キリ今アリの貴方はどう思う?
公的機関による就労支援も重要だとは思うのだけど、近頃はどこも人手不足なので、
「もうこの際、未経験でも既卒でもなんでも良いから来て。OJTするから。」ってとこ今後は増えてくる気がする。
あくまで希望的観測だけどね。「え、そんなレベルの人も採用しちゃうの?」って事案を周りでよく目撃する。
それに加えて雇用流動化の徹底しかないね。就職しやすい代わりに首も切られやすい。
元キリだろうと一念発起すればスルリと社会に滑り込めるようにするしかない。
使えん!とすぐに首切られたって、すぐにまた就職できれば問題なし。
あと主体的に辞めやすくもなるので、ブラック企業が駆逐される可能性も高い。
テスラ3の販売がまたもや遅れるそうだ。2018年にギリギリとの報道もある。
経営者として優秀なのは疑いようがないのだが、その商売方法が詐欺一歩手前。
過去1年間の主要自動車メーカーの発表が計画通りであるならば、
テスラが掲げるモデル3の価格、航続距離、自動運転機能のいずれもが、
2018年ではスタンダードなものになり優位性はなくなっているものと思われる。
あくまで2016年に発表し、2017年に発売することに意味があったのだ。2018年では意味がない。
ここで勘違いして行けないのが、テスラが保有する自動運転機能は他社より先進的なものではないということ。
国内を含めた他社も既にテスラレベルの技術は保有しており、あとは法規とかいろんな制約で発表していないだけだ。
昨年フォードや日産が自動運転を20XX年に実現しますということを大々的に発表したが、
これは「行政とのロビイングの結果なんとか国交省やNATSAから許可の下りる目処がたちそうです」と読み替えたほうが正確である。
決して開発の目標ではない。なぜなら既に開発はほぼ完了しているからだ。
もっと正確にいえば、モービルアイというイスラエルの部品屋とコンチネンタルという部品屋が自動運転に関してかなりの知的財産を保有、
その主導権を握られている状態であり、自動車メーカー単体で他社を出し抜くのは難しい。
で、テスラに話を戻すと、彼らはそういった業界のルールに縛られにくいベンチャーであることを強みとして、自由に発言をしているだけということだ。