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はてなキーワード: 権威とは

2016-12-01

何を言ったかよりも誰が言ったかを重視しろ

コンテンツ至上主義者はコンテクストや発信者による権威づけを軽視しすぎるきらいがある。

何を言ったかよりも誰が言ったかを重視しろ

コンテンツ至上主義者はコンテクストや発信者による権威づけを軽視しすぎるきらいがある。

2016-11-30

ディベート教育の先の課題

ちょい前の世代までは正当かを判断するのにデータを追わない人が多かった。

上の意見絶対専門家が言うから、偉い人が言うから権威主義万歳・・・とそんな空気

最近ではそれが少々改善し、ディベート教育を取り入れればさらに良くなるだろう。

 

しかし、ディベート的なやり方でも穴が存在する。

データを取れない議題なんてのは溢れている。

それに対し、無理やりこじつけデータをあてがい、正当だと思い込もうとする動きが加速するだろう。

データがないものは全て主観感想に過ぎないと扱う人間大量生産される。

よって、データを示したものが勝ち、正しい考えを持っていてもデータが取れない人間議論で敗北する。

 

この誤謬を防止するために必要になってくるのは想像力なのだが、これがない人間は本当に多い。

例えば、昔の医師でさえ自分が学んだことが全てであり、暫定的アレルゲンとなり得ないとされるものは疑わない姿勢を崩さない人がいた。

だが、研究が進むにつれ、かつての仮説は間違えであることがわかってくるのだ。

運の悪い患者は追加の診察をされることがなく、その医師恣意的な診断を信じることしかできないのである

様々な可能性を想像する力が必要なのにもかかわらず、それを受験で測ることは難しい。

 

断言するが、今後はデータが新たな権威となり、フォーマットを変えた権威主義人間再生産され、

しろ議論がしずらくなり、正しい答えを導くことはさらに困難になるだろう。

なるべくこのリスクを多くの人が把握することを望む。

2016-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20161128232711

人が言ったなら自分と大差ない・ありがたくもない、というのはよくある価値観ではある

教理への権威付けはそれぞれの宗教が趣向を凝らしているところではあると思う

この前に姪っ子が録画したミュージックステーションをぼーっと見ていたのだが

オリコンベースにしたランキングのコーナーが短縮されていたことが気になった

そのコーナーではシングルランキングしか紹介しないし

6位以下はテロップ表示だけで

TOP5だけを映像ナレーション込みで紹介していた

しかランキングコーナーが短縮された代わりなのか

トピックスコーナーでその週のビルボードチャートが紹介されていた

いよいよCD売上だけではヒットソングが測れないことが世間に浸透し

オリコン権威失墜が表面化してきたのだなと時代の流れを感じた

月並みだが、ディーンフジオカがユーリ!!!onICEのOP担当したというVTR

何気なく流されていたのも軽く衝撃的だった

時代の寵児とも言える人気俳優

特に意味もなく深夜アニメタイアップソングを歌うことも昔はあり得なかったが

Mステがこれにフォーカスを当てインタビューまで行ったなんて

僕がティーンエイジャーの頃はアニメ存在のもの無視されて然るものだったのに

2016-11-26

メディアによる権威の低下がもたらすもの

中高年の世代権威主義の人が多いように思えるが、権威物事の正誤を判断するのは非常に愚かな行為で、

頭の良い層にとっては愚かさの極みであると思われる。

特に理系人間であれば、正当かを判断するのには非常に慎重になる必要があると理解できるだろう。

有名な機関が発表していたとしても、その主張に至るまでのプロセスなどを加味した上で蓋然性の高さを評価する。

時には権威主義人間が愚かに思え、雰囲気で正誤を判断してしまう風潮を変えたいと思うようになる。

 

最近ではテレビで有名大学の学生だったり医者弁護士など、権威を認められた人間が、

意外にも一般人と大差がなく、そこには誤謬も偏りもあるという情報が共有されるようになってきた。

特に大学入試に関してはテクニック世界であることが露呈され、テスト手段や知力の指標としては危ういものになっていると感じる。 

この流れが、権威に対する疑問をもたらし、今までの絶対的判断の仕方に変化をもたらすのではないかと期待する。

 

だが一方で、インターネット上では耳学問で得たあやふや知識と不完全な思考力を持つ人間が、

陰謀論や極論を論拠に、非常に知識正当性にも長けた人間否定する動きが見られる。

こういう理屈が通じない人間には、圧倒的な権威正当性を認めさせるのが有効手段なのだろうが、

その方面に関して言えば逆行していると言えるだろう。

 

勉強しなくても生きていける世の中であるが、こうした頭の悪い、世の中をかき乱すだけの人間を減らすには各々に勉強をさせる必要があるだろう。

正当な人間をも権威が低下した中で、自己評価肥大した人間諌める手段は非常に効率の悪いものになると想像する。

権威の低下と同時に、個々に学習必要性啓蒙していく責任メディアにはあるはずなのだ

ただ、現行の義務教育の中には科学的に正当性判断するための手段論理性と想像力を身につけさせる手段は入っていないが。

2016-11-25

http://anond.hatelabo.jp/20161124064919

マジレスするね。

一応自分はどことは言わないけど、とある新興宗教を信じてるものです。

と言っても自分が信じてる宗教に限った話ではなく、一歩引いて宗教ってこういうものーという視点で答えてみます

胡散臭いと思うことについて

まず全体的に「胡散臭い」と思うのは正直、正常というかしょうがないなーと思う。

マスコミガー」とは言いたくはないけど、実際問題としてマスコミの影響ってかなり大きい部分があるかな。(報道しない自由ってやつだけど)

理由大手メディアマスコミ新興宗教を全くと言っていいほどほとんど報道しません。

歴史ある有名宗教ですら、一部観光的な部分(京都のお寺とか)か歴史的な部分やおぼうさんの良い話くらいしか報道しないけど。)

だいたいどの新興宗教一般的善行震災時の炊き出しとか寄付とか)をしてることは意外と多いんだけど、良いことをしてるときは基本報道しません。

報道するときは、だいたい事件性があるときや、何かスキャンダル的な部分を面白おかしく盛ってるときくらいです。

要は、良いことや肝心の中身は伝えないけど、悪いことをした(とメディアが思った)ときだけ報道します。

そりゃーいい印象もてないよ。何をしてるかわからない集団がいつ事件を起こすかわからない!みたいな印象になっても不思議じゃない。

しかオウムという超特質宗教も実際に出ちゃったし。(実はこれが一番の元凶だと思ってる)


>1.教義がわかりにくい

これはたぶん宗教によるかな。そもそも新興宗教と言っても、仏教キリストなど伝統ある宗教派生のものが多かったりします。

実際に中の人たちもよくわかってないけど、「昔の偉い人が言ったものをそのまま伝えてるから」という場合もあるし、

逆に古い教えを簡単現代語で言い換えた時点で、「その言い換えた人の解釈が加わってしまうので、元祖言葉意味を曲げちゃうからあえてできない、というのもあるし。

それと、他でもでたけど、元々教義がなかった宗教もあります教祖預言者が言ったものを後年、誰かが編纂して教義にした、とかね。

あと、「あえて難しく見せたほうが権威がある」ように見えるから、というのも宗教によってはあるはず。権威というのは意外と重要な部分だったりします。

もちろん、現代にわかやすく作ってる宗教もあったりするけどね。一見簡単に言い換えられてる教義はすぐ反論できる気になっちゃうでしょ?


>2.変な(でかい・奇抜なデザインの)建物を建てている

これも宗教によって考え方が違うと思うけど、基本的にはその宗教の「神」を祀る領域なので、信じてる人にはとっても「神聖もの領域)」です。

その神聖領域をチープにするというのはないよね?という感じ。

歴史的に見ても、多くの歴史的建造物宗教関係している建物だと思います。お寺とか教会とかお墓とかね。おそらくそ時代の最高の装飾や技術を投入してるはず。

もちろんそれに伴って金銭的に法外にはなると思うけど。


>3.政治に介入してくる(場合がある)

そもそも宗教人助けや悟りを求めるもので、多くの人を救いたいという欲求があります

実際問題として、突き詰めると政治を変えなければ世の中が良くならないという事象に行き着くので、政治に介入するというのはある意味しょうがないです。

しろ政治に興味がないということは、世直しや人助けを本気でしようと思ってないとも言えるけど。

あと、逆に歴史的にいうと宗教政治に介入していない時期のほうが長い時代で見ると圧倒的に短いです。詳細は省くけど宗教政治が関わってるほうがむしろ普通とも言えます


>4.やたら他人アプローチしてくる

正直自分もこれはちょっと苦手だったりする。

一般的にどの宗教も教えを広める布教活動をしないことはありえなくて、良い教えは広めたいという欲求は不可避です。

ただ、その布教する人が一般的信者さんで、その信者さんはごく普通のおばさんやおじさんだったりします。(若い人もいるけど)

要は教えることや人に何かを伝えるプロというわけでもない普通一般的な人なので、アプローチの仕方や接し方が下手だったりします。

しろ側で見てると、その言い方ないわーって思うこともしばしばw その方法が下手で気持ち悪い、と思われる原因にもなってる気がするんだけどね。


>5.非科学的なことを言い出す

この世的な現代科学が全てという認識をもってしまうと、全てが非科学に見えるかな。

そもそも「魂」や「神様」というのは現代科学で計れないものでしょ?

逆に現代科学がそこまで進んでなくて、魂や神様証明できないくらい遅れている、という見方も一部あったりするけどね。


>6.献金を迫る(?)

これも布教をするためには、現代社会にはどうしてもお金がかかっちゃうからしょうがいかなーと思う。

あと、この世的な「お金」が全てじゃないよ、という視点があると、その執着を持たないというのも考え方の1つかな。

もちろん、悪い宗教もあるのでお金目的な所もありそうだけど。

突っ込みどころはたくさんあるのは承知で、今自分が知ってる範囲の浅い知識で答えたけどこんな感じ。

ただ、1つ言いたいのは目に見えない崇高なものを信じるというのは「とっても尊い行い」で決して悪いことではないんだよということ。

そういう目に見えないものを信じてるからこそ、誰も見てなくても悪いことはしないというような道徳的な考え方になるしね。

日本人モラルが高いのは意外とこの宗教心が高いから、とも言えるんだよね。)

こいつは騙されてるんだとか、洗脳されてるんだみたいに思われちゃうのもしょうがないと思うけど、崇高なものを信じてる人を悪く思う現代日本の考えはちょっと悲しいことかなとは思います

追記

おもったより伸びてたのでビックリ。1点追加します。

>なんで伝統宗教じゃダメなのか、っていう一番大事なことが書いてない

いくつかあって、おそらく各宗教によって違う部分だと思うけど、

伝統宗教じゃ現代の難問に答えを出せない」

から。確かに伝統宗教の教えで、多くの人も(考え方によるけど)救われてきただろうし、安らぎを得られた人は多いと思う。でも現代の複雑な問題や昔の考え方だけでは対応できない時代になっている。

個別のところで言うと、「現在貧困経済原理」や「グローバル化した社会問題」、「クローン」、「宇宙問題」、「性差別」や「インターネットメディア問題」、などお釈迦様やキリストムハンマドが生まれて教えを解いた内容やその次代の考え方では解決できない。というか時代背景を考えると当然といえば当然で、これは伝統宗教が悪いとかではなく、時代が代わりすぎてしまたから新しい考えや教えが必要だよねという考え方が1つ。

もちろん伝統宗教普遍的な教えの部分は今でも十分通じるし、正しいことだとも思うけど、やっぱりそれだけでは現代社会問題解決できないからじゃない?と思う。もちろん伝統宗教否定しているわけではなくて、いい部分や不変な部分は残せばいいと思う。もちろんすべての新興宗教がこれらの答えを出せているわけではないけど、考え方としてね。


それともう1つ。

伝統宗教と言っても、「巨大組織が長く続くと、腐敗も進む。」組織運営してるのは所詮人間からね。その腐敗した組織は淘汰や改変が必要で、長い歴史の中では、派閥会派など、分裂、競争差別化、滅亡などいろいろ繰り返している。

そのあたりは企業と一緒で、古くて大きい会社いつまでも最高かというとそんなことはなかったりするでしょ?イノベーション進化、新しい考え方みたいなものを取り入れたところだけが生き残る感じ。

実は新興宗教というか宗教世界って、かなりの競争社会国内だけで数万団体があるのだとか。その中で滅びる宗教もあれば、生き残って大きくなる宗教もある。市場原理と一緒で競争社会。より多くの信者を獲得できた団体が生き残るというのはその通りで、かと言って営利主義的だけに走っても人は離れていったりしちゃう

もちろん、戦争に負けた、国が滅びたなど物理的な問題で滅びたところもあるだろうけど、多くの人を引きつけることができなくなった宗教は淘汰される。ざっと思いつくところはそんな感じ。ところどころ乱文になってるけど、文章が書くのが下手なのですいません。

  • 再追記(11.26.00:15)----

正直、ここまで数字が伸びると思ってなかったので、ちょっと驚いています。あっさりスルーされると思っていたので。

多くの反論や暴論、各人の経験談や心情などいろいろ拝見しましたが、全てを尊重できるものだと思います

特にそれぞれの思想や今までの経験宗教というものに嫌気や嫌悪を感じてる人が多いというのも理解できます自分人生の多くをどちらかというと反対の立場で過ごしていたので。

個人的に感じたことは、どんな意見であれ「宗教」という繊細なものにみんな一言物申したい!という感情を感じました。

先にメディアがどうのと言いましたが、ある意味リアル生活上でもメディアでも日本国内では話題にしちゃいけない領域、見てみないふりをしていた話題というのを再認識できました。

ポジティブに考えると、多くの人が興味関心がある領域とも言えると思うので、リアルな場でもそれぞれの意見をはっきり言えるような話題昇華できる日がくるといいなと思いました。

2016-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20161124064919

ここで結論出てるじゃん

古い仏教うさんくさいこと言ってる部分はあるし、キリスト教イスラム教みたいな世界宗教もかなり怪しいところはある。

けど世界宗教の怪しいところって、時間を経るごとに権力者が良いように解釈した結果ついてきた怪しさだった

新興宗教って言ったって、既存宗教を再解釈したようなものばかり。

まり、今までの権力者と同じように、都合いいように解釈してるから怪しいの。

既存宗教との違いは、解釈する人に権威あるかないかって話。権力者でも権威でもない一般人恣意的解釈すると新興宗教が出来上がる。権威ある権力者恣意的解釈しても既存宗教を押さえ込み取り込めるだけのパワーがあるから既存宗教の一宗派となる。

2016-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20161120221925

バカの特長

1.煽られたとき、同じ文体で返せば煽られ返し成功だと思い込む

2.本論とは全く外れた枝葉末節の間違いを指摘すれば自分が勝ったと思い込む

3.自分人間関係経験がない(社会的ひきこもり)なのでデータ権威のある人の意見を引き合いに自分が偉いように振る舞う虎の威を借るキツネてかゴキブリ

おまえさあ、控えめにいってかよちゃん以下だよ。

2016-11-16

なぜ内田樹はこれほど認識を誤り続けるのか?

http://blog.tatsuru.com/2016/11/15_1128.php

「なぜ内田樹はこれほど認識を誤り続けるのか?」

その理由はとりあえず周知されていない。誰でも知っている理由なら、こんな特集は組まれない。

ふつうリベラル批評家発言力を持ち続け得るのは(事象に即した言説のクリーンヒット時の「ご祝儀」を除くと)批評のまなざす先の恩沢に現にリベラル市民が浴しているかである

だが、内田樹はそうではない。

特別顧問で参画した大阪市改革頓挫した。旗を振るったSEALDsは見るべき成果を上げていない。野党連合の結託をいくら煽っても鳥越醜態や民進のグズっぷりばかり悪目立ちしてしま自民党打倒の糸口が見えない。安保法案への言及ではシーレーン国防自衛隊員の命の軽視と反知性主義の態度が露呈した。五輪計画福島原発豊洲移転問題では共産党走狗となり知性の欠如があきらかになっている。どれも老いたリベサヨの末期の徴候である。にもかかわらず内田は高い読者数を保持している。その根拠は何なのか?

一番簡単なのは、「リベサヨ市民現状認識の適否を判断できないほど愚鈍になった」という解釈である

しかに話は簡単になるが、先がない。

リベサヨの過半が愚鈍であるなら、こんなあげつらいも何の意味も持たないからだ。だとしたら、問いの次数を一つ上げるしかない。「リベサヨ内田を支持することでどのようなメリットを得ているのか?」である

保守速報などネトウヨまとめサイト観測によれば、内田支持理由トップは「他に適任者がいないから」である

だが、現実には「他にどのような言論人が適切か?」という問いは誰も立てていない。いずれ支持層急逝して「ポストリベサヨ」がリベラル市民話題になればリベラル市民は「人気投票」を行うだろうけれど、今は話題になっていない。

私の解釈はこうだ。国益が損なわれ、国民が日々損害を被りそうな諸言説を垂れ流すにもかかわらず、「内田を黙らせろ」という声が上がらないのは、リベサヨ代表格の適格性を最終的に判断しているのは「リベラル市民たちではない」とリベサヨが思っているかである

残念ながら、リベサヨ界隈において、内田言説の適格性を判断しているのは理性ではない。

リベサヨ自分たちの歪んだ情念から現実を歪ませて認識することはできる。でも、現実に即した言説に身を委ねるはできない。

リベサヨ指導者を最終的に決めるのは中共である

リベラル市民たちが誰を選んでも、中共が「不適格」と判断すれば、リベサヨメディアでのオピニオンリーダーの座には就けないし、就けても短命に終わる。そのことをリベサヨは知っている。知っているけれど、知らないふりをしている。それを認めてしまうと、リベサヨ権力圧政に反して日本社会市民生活をより良くしようという正義善意集団ではなく中共の野望の片棒を担ぐ工作機関であるという事実直視しなければならなくなるからである

2008年頃からネトウヨ嫌韓豚の吹き溜まりである保守速報などのまとめサイトで「朝日新聞中共工作機関である」との言説が広まった。反日朝日の誌上におけるオピニオンリーダーの任免権は事実上中共が保持している、と。

日本リベサヨ言論はこの発言をまともに取り合わなかった。違うと思うなら反論すればいい。だが、「反日朝日中共工作機関ではない」と述べたリベサヨ言論は一つもなかった。

サントメプリンシペの政治学者ガバーヌ・マンコニックは〜中略〜同じことを指摘した。だが、リベサヨはそのような意見ネトウヨ社会では当然のように行き来している事実のもの組織的黙殺している。

内田樹は「宗主国中華人民共和国属国報道官である実質的権威づけは中共が握っている。もちろん、外患誘致に問われるから権威付けの作業は「アウトソーシング」されている。中共情報誘導朝日新聞日刊ゲンダイへの記事コラムを通じて醸造され、外国人特派員クラブワシントンポストニューヨークタイムズなど外信へ逆輸出することでマッチポンプ効果で言説の信憑性がより強化される。そういう仕組みでリベラル言説が制御されていることをリベラル市民はもう知っている。知っているけれど、知らないふりをしている。

「他に適任者がいない」というのは朝日新聞など反日工作メディア判断である

内田樹日本国益よりも中共国益を優先的に配慮してくれる「理想言論人」である。だから反日メディアがそう評価するのは当たり前である。そして、リベサヨの多くは朝日新聞判断の方がリベサヨ当人自身生活の延長線上にある主観的現実評価よりも夢想的でありかつ幻想であると信じている。

いちご白書〜の時代からそのマインドは少しも変わっていない。

「追記」

ただ、アメリカ大統領ドナルド・トランプに交替したことで、「宗主国代官」にどのようなタイプオピニオンリーダーを選好するかについての判断基準がこの後変わる可能性はある。

これまで、「属国代官」の適不適を事実上判断していたのは辛淑玉たち「差別の当たり屋」であった。

リベサヨのグズっぷりに「市井の人々」は巨大な「マイノリティ利権」をひさしく貪っていた「差別の当たり屋」たちから取り上げようとするだろう。

差別の当たり屋」たちのお気に入りであった日本リベサヨ言論人たちはこれから新たに「オーディション」を受けなければならない。

明日11月17日に安倍首相トランプ西側首脳として最も早く表敬訪問をするが、これは「日本総理大臣である以上当然のことであり、これは安倍首相にとっては「新しいカウンターパート」に対する「牽制」に相当する。

中共が「虫が好かない」という判断を下す可能性はある。

日米の関係がより進歩的に発展するという「(中共にとって残念な)結果」になった場合反日メディアではオピニオンリーダーリテラマガジン9も「アベシネホントシネゲリグズ野郎」と(はじめはおずおずと、そのうち猛々しく)言い始めるだろう。

そして、そうなることを(自分の手を汚したくはないが)切に望んでいるのである

2016-11-15

宮﨑駿のポリコレには擁護に回るあたり、はてなー権威に一貫して弱い。

http://anond.hatelabo.jp/20161115082046

いくらNHK制作はいえ、大手メディアトップ罵倒された場面が放映されたのは

明らかに川上氏がそれを了承したからだと思う。

画面では神妙な顔をしていたけれども、自分を上回る権威に叱られるところをあえて晒すことによって

彼が得たものも少なくないはずだ。

2016-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20161108131416

元増田記事問題として

元増田想像するより、想像力のない人が「ほとんど」ということです。

これは現実です。

この為、想像力がない、ほとんどの人に理解できるように、内容を誘導する必要があります

内容以外でも、書く言葉の一つ一つや順番も重要ですし、データ必要だと思います

一番必要もの権威なので、増田での主張は厳しいでしょう。

権威ある論調引用で幾分かは改善されます

人の想像力に期待して(頼って)は駄目です。

想像力はごく一部の限られた人の特殊能力からです。




単純なブラック企業是正で起こると考えられるのは下記になります

----------------------------------------------------------

 ■日本経済規模の縮小

   完全に国内での仕事が受け継がれない

   コスト面に絞って戦っている先が日本国内ではない

   などがあります

   ※単純な規模縮小はマイナススパイラルを発生させます通貨国債や身近では日本向け製品を作らないなど

 ■失業者の増加

   良くも悪くもブラック企業と呼ばれているもので下支えしている人材一定割合でいます

   正確な数字の試算は難しいですが、データを集めれば割り出せると思います

   ※副次的治安が悪くなります

 ■その他

----------------------------------------------------------

ブラック企業を潰すのではなく。

グローバル経済の下で新しい利益モデル創造日本経済規模を拡大。

ホワイト化する。

・・・理想です。




>その他

経営層が私腹を肥やしているという意見は、ほとんど場合において間違いです。

経営は売上と利益コミットしているので報酬が上がる為です。もちろん逆もあります

確かに一部にひどい経営者がいるのも事実です。

ブラック企業化している理由は主に、経営者能力が足りていないことが多いです。

ただし、市場業界全体を変える事ができないという部分での能力です。

給与という点においてのみ見れば、

  アニメ業界ブラックですが、ゲームパチンコ業界ブラックではありません

  介護業界ブラックですが、医療業界ブラックではありません

会社経営する能力で言えば、どの業界を選ぶかが最大の経営能力だと思います

不正であり犯罪行為だという認識がない

この書き込みなんかも典型なんだが、

http://anond.hatelabo.jp/20161107104928

どうも日本では「ブラック企業」「長時間労働サービス残業」に対する認識がきわめて甘い。近年、特に甘くなっている気がする。

労働美的な考え方と、権威に盲従する姿勢と、前近代的(「自分くらいはいいだろ」)メンタリティ。それらに支えられて蔓延するこれらの存在は、日本労働環境を他に例を見ないほどひどいものにしている。


「潰れろと言うのか」とおっしゃるが、ハッキリ言ってそれは泥棒が「飢えて死ねと言うのか」と開き直っているようなものだ。そもそもが違法行為であり、食えない先・潰れた先をどうするかという話は人権的な問題であって、雇用労働政策とは別の次元問題だ。それは泥棒していい理由にはならない。

なぜブラック企業サービス残業違法かというと、そういう行為放置すれば市場原理がはたらかなくなって健全市場経済運営されなくなるからだ。泥棒行為蔓延すればセキュリティリスクが許容を越えて社会崩壊する、それと似たようなものだ。ブラックにならないと経営できない企業をつぶさない限り、その陰であおりを食う良心的でまともな経営努力会社市場から撤退していく。ブラック企業違法労働は、それ自体がまともな会社労働者を潰し、殺しているも同然なのだ。強圧的に労働力を買い叩く企業も、ダンピングして労働力を売りまくる奴隷労働者も、市場経済からみれば等しく不正行為者であるという認識必要だ。そこのところを放置する限り、よりよい社会、富の適正配分は実現されない。

もちろん「ソフトに」潰すようにはした方がよいと思う。その程度の現実的運用は、当然必要だ。だが、根っこのところで勘違いしている限り、問題解決しない。

「潰れろと言うのか」? まさにその通り。むしろさなければならないと言っている」のだ。そこのところをぜひ認識していただきたい。

2016-11-05

いずれ結婚しない人がマジョリティになる

男と女とかっていうかそもそも他人同士が一緒に暮らすってのがハードル高い

男みたいな女とだれが結婚したいんだよ

態度は悪く、口も悪く、頭の中はちゃらんぽらん

癇癪、ワタシ至上主義

そもそも、20年間も子供育てる生物なんて存在しないし

人間がやってることが異常なんだよ

個人主義の成れの果て

しろ当然と言える

ネットSNSが普及したせいで、

男も女も不倫相手見つけるの圧倒的に簡単になったからなぁ

結婚意味はこないだ無くなったじゃん

婚外子でも平等相続させられるんだから

結婚子供権利ための制度から

専業ニートATMをゲットするための制度になったんよ

自分の金は使えなくなり

さらに金がなくなるスピードマッハ

おまけに嫁は浮気し放題

結婚の具体的なメリットを示せない以上今の若者は賢いからこれから少子化はどんどん進むよ

理由は腐るほどあるだろうが、一つは、結婚自体は紙切れ1枚で簡単に出来るのに、

離婚となるとめちゃくちゃハードル上がるよな。さらに、離婚後は慰謝料養育費親権とかで圧倒的に男に不利なことが多いよな。

から、先のこと考えちゃう男ほど結婚しりごみしてしまうんだろうよ。

まず結婚における女の優遇措置撤廃しなけりゃ無理

どこからどう見ても男を縛るだけの内容だろこれ

これで少子高齢化ガーとか喚いてる政府マジ無能

メディア結婚について女に都合のいいことばかり推進してきた

嫁姑問題は嫁につかない旦那が悪いと煽り

専業主婦ですら家事育児を手伝って当然と煽った

そして昔の権威がある夫の立場を壊し

家庭の中で居場所がない夫をクローズアップし続けた

こんな男にとって不利益になった結婚するなんてただの趣味だろ

趣味は人それぞれだから

好きなら黙って自分が楽しんでろって話しだ

そもそもオスは結婚したいと思うような生き物じゃないだろ

人生において結婚絶対的幸福だなんて価値観の維持はもう無理

みんなメリットデメリットを考えるくらいには理性的なっちゃった

実際に婚姻率が低下し続けている以上、結婚できない層が言ってるだけという酸っぱい葡萄論で片付けるのもも限界

結婚という制度女性に有利なのは明らかなんだ。

ただ、その有利さは男の側に資産があることを前提とする。

資産がない男には、ない袖は振れぬというように、効き目がない。

DQ/N最強だね

逆に資産がある男というか普通に職のある男には今の法制度は不当に厳しい責任を負わせる仕組みになっている

まじめな男が結婚から逃げる要因になっていると思う

2016-11-02

Amazon包囲網

2016年秋。

Amazonの勢いはとどまることを知らず、

日ノ本の中心を従える大勢力となっていた。

しかし定額削除を巡って、権威ある講談社が強い抗議の意を表明。

紀伊国屋三省堂など大書店連合がこの動きに同調

さらには書泉丸善、他の地元本屋などや、宅配業者も参加。

Amazonを追いつめる包囲網が構築されようとしていた。

そして本邦最大勢力を誇る楽天がついに上洛を開始。

年末クリスマス商戦年始福袋決戦に向けて、

大量の将兵が集結しようとしていた。

2016-10-30

インターネット平等

インターネット平等だと思う

こう言うと、そんなことはないと言われそうだが

 

喩えるなら大きな体育館のようなもの

その体育館には全ネットユーザー収容されている

体育館ステージには誰でも上がることができて、そこでマイクを使って喚き散らすことができる

 

大抵の意見無視されるか聞こえさえしない

聞かれたところで野次が飛んで来るかもしれない

もちろん名前を明かしたり、名前をつければ傾聴する人が出てくるので、格差は出る

 

それでも誰だってステージに上がることができる

上がっても、年齢・性別所属などを隠すこともできる

権威もなく、どこの馬の骨とも分からない弱者も、一つの意見を発することができる

 

誰かのココロに刺さることを言えば、拡散されてそれはやがて大きな意見になる

言葉には色がつかず、いつでもソースを辿ることができ、リアルのような不確定さも薄い

これは本当に平等に近い状態

 

しかし同時に気がつく

平等というものが非常に窮屈だということに

結局のところ、視点分散されるから自分の言うことなんてほとんど聞かれないし

誰かのココロに刺さるような事を言わないと歯牙にもかけられない

体育館に全校生徒が集められたときのことを思い出して欲しい

自分いかにちっぽけな一個人なのかと絶望したことはないだろうか

 

それにリアルにおける、有能な有名人凡庸な我々という構図はインターネットにおいても存在する

インターネットは、ただただ厳しくも優しい平等という現実を実現し続けているだけだ

 

それでも誰だってステージに上がることができるんだ

リアルで観客が突然ステージに躍り出ることができるだろうか

テレビ視聴者が突然テレビの中に入ってぎゃーぎゃーとまくし立てることができるだろうか

インターネットならできる、できるのだ

 

いざという時は、誰も聞かずともステージに上って叫ぶべきだ

ここではそれが未だ許されているし

野次飛ばしている人だってステージから降りろとは言わない

 

私は、インターネットにはずっとそうあって欲しいし

できればその手伝いがしたいと願っている

2016-10-29

香山リカ挟持

恋愛心理特集をしたいと知り合いの編集者に頼まれて、裏付けがあるわけではないのに、「こういう性格の人は、こういう男性と付き合うほうが心理学的にもいい」と言うことがあるわけですね。それなんか、すごくいつも、ちょっと罪悪感、後ろめたい気持ちがある。

自分のなかでは、これは治療行為とは違うんだ、エッセイを書くのと同じようなもので、ああそうなんだって思う人はそれでいいし、これは絶対真実だとみんながみんな思っているわけではないんだから解釈という範囲で済むことなんだとか、そうやって自分に言い聞かせながらやっているんです。でも、それだったら精神科医って言わずに、エッセイストとか詩人とか言うべきだよなとか、そうじゃないんだからおかしいよなって思ったり、これでも葛藤があるんですよ。

から、私の場合は、自分だけの話なんですけど、白衣を着た写真絶対に出さないという線引きがある。白衣を着た私が「こうですよ」と言っているのは、それはやめてもらって、白衣という権威は利用しないっていう線引きがあるんだけど、それは全然まり意味のない、それだけのことで。

ただ、いずれにせよ、うしろたくやっているんです。うしろめたいからいいとか、うしろめたくないから悪いとかじゃないんですけど。でもきっと、うしろめたくない人もいますよね。「あんなもんにだまされやがって」って思いながら言っているんですかね。

香山リカ菊池誠 (2008). 信じぬ者は救われる かもがわ出版

香山リカ先生ツイッターアイコンを見よ、彼女はうしろめたいのだ。

精神科医から発言も、うしろめたい思いをしながら言っているのだ。

2016-10-19

三浦弘行九段の出場辞退に関する叙述トリック

竜王戦主催する読売新聞最初記事を見てみよう。

将棋会館内の他の部屋で休んでいた」などの三浦九段説明常務会が納得できないとしたのに対し、「疑念を持たれたままでは対局ができない」と三浦九段竜王戦への出場辞退、休場の意向を示した。同連盟では12日午後3時までに休場届を提出するよう求めたが、届が出なかったため、出場停止を決めた。

http://www.yomiuri.co.jp/culture/igoshougi/ryuoh/20161014-OYT8T50052.html

一読すると、連盟が「納得できない」と言い、三浦九段が「対局ができない」と返したように読めるが、

よく読むと「対局ができない」と三浦九段が言ったとは書かれていない。

三浦九段が」は「意向を示した」にのみかかり、「対局ができない」の発話者は宙に浮いている…という解釈可能なのだ

状況を考えても「疑念がある人物を対局させられない」と考えているのは、もちろん連盟の側であろう。

なんと言っても竜王戦は棋界最高(賞金)の権威あるタイトルであり、そしてそれはスポンサーあってのものなのだから

おそらくはこんなやりとりだったのではないか

連盟ソフト指ししとるんちゃうかって疑惑が出てるんやけどどうなんや

三浦「休んでただけですよ…」

連盟「こんな一手ごとに離席して、休んでましただけでは納得できまへんわ」

三浦「そう言われても…竜王戦もありますしこんな茶番は早く終わらせたいんですが…」

連盟「でも疑念があるのに竜王戦はできまへんやろ」

三浦「それはそうでしょう、もちろん疑惑解消には最大限協力しますよ」

連盟「ほなそういうことで…」

2016-10-16

電通過労死村上春樹

自分若い頃、よく「自分の殻を破ってこそ一人前だ」的なことを言われた気がする。

その「殻を破る」とは、例えば宴会で一気飲みして記憶を失うほどになるとか、度胸試し的なものだった気がする。

そんで自分はなかなか殻が破れなくて、社会人として生きていく自信ないなぁと思ってた。

しかし今になって、そういったものへの嫌悪をみんながネットで表明するようになって、あれは決して絶対的ものではなかったんだなと思った。

そんでたぶん、「自分の殻を破る」の延長線上にあるのが、中川さんやトイアンナさんの記事など電通過労死に関連する記事に書かれていることなんだなと思った。

http://jnakagawa.blog.jp/archives/1061586847.html

http://toianna.hatenablog.com/entry/2016/10/15/102629

要するにあれは社会人として一人前というより、組織人として使い勝手が良いか指標だったのかなと思う。


そんでふと、ほぼ同時期に話題になってた村上春樹のことを思い出した。

ノーベル賞を取れない理由として、政治性やメッセージ性がないからと分析されているのを読んで、なんとなく彼の「卵と壁」を思い出していた。

http://anond.hatelabo.jp/20161014174630

「卵と壁」になぞらえるなら、電通などの企業社会は「システム(壁)」で、卵は個人だ。過労死した高橋まつりさんだ。

卵は壁に叩きつけられ、自我の形を無くし、壁に吸収されることを余技なくされた。

村上さんやその他の大勢自分の殻を護ったままクリエイティブでいられる例もあるのに、殻を破らないとクリエイティブになれないと刷り込まれていたのかも知れない。

(そんで殻を破った電通的なクリエイティブより、自分の殻の中の世界表現している人のほうが今の時世では共感を得やすい気もするし)


ということで、何年も前に村上さんはこういったことを言っているのだけど、婉曲的で控えめがゆえに「メッセージ性」としては弱い。

なぜ弱める必要があるかというと、メッセージ性が強く、世の中を動かそうとする意図を持ってしまうと、自分が「壁」の側になってしまいかねないからかもしれない。

ノーベル賞権威であるから壁の側だ。そして彼が卵の側でいる限り、政治的ではあり得ない。


話があっちこっち行くけど、個人的には村上さん方向でクリエイティブでいたほうが今後未来があるのではないかという気がする。

今の私たちが、昔はしょっちゅう戦したりハラキリしたり野蛮だったんだなぁと思うように、組織自我尊厳を奪われ、過労死させられるなんて昔の日本野蛮だったんだな、って世界になるよう、若くて賢い人たち、がんばってください。



※あ、私もがんばります

http://anond.hatelabo.jp/20161013181442

同様の例としては皆無。それはそうで、負けても対局料が手に入るのにそれをみすみす捨てる馬鹿はいない。

ただ、寝坊スケジュール管理ミスといった過失による対局放棄はある。

近年の例で言うと、2010年郷田真隆九段(現・王将タイトル通算6期の超一流棋士9月に公開対局での二歩話題になった)が寝坊竜王戦の予選を不戦敗になった。

この際の郷田に対する処分は1.対局料の不払い、2.竜王戦参稼手当100万円の半額を返納、3.ファンへの奉仕活動1日 だった。

類似の例としては、日本将棋連盟の分裂寸前にまで至った「陣屋事件」というのがある。

1952年2月に行われたタイトル戦の王将戦第6局で、挑戦者升田幸三八段が会場となった神奈川県弦巻温泉旅館陣屋」に到着したが、「玄関ベルを押したが誰も出てこなかった」ことに腹を立てた、と言って対局を拒否、第6局が不開催になったということがある(ただし当時陣屋玄関ベルはついておらず、これは枡田の虚言。これをきっかけに陣屋は、玄関に呼び出しのための陣太鼓を置くようになって、陣屋名物となっている。また升田は陣屋に向かわず秦野温泉の別の旅館に籠って対局を促しに来た関係者にも会っているので、過失ではなく明確な故意による対局拒否)。

事の真相は明らかになってないが、将棋界の間ではまず間違いなく以下の理由だったと言われている。

王将戦は当時から現在に至るまで七番勝負で四勝先取したほうが勝ちというシステムだが、この当時はどちらかが四勝以上してもさら継続する、というシステムだった。そして決着がついた後の対局は、シリーズに勝ったほうが負けた方に対して自分の駒(香車)を落とすハンデをつけて指すことになっていた。このシリーズは第5局までに升田が木村義雄名人に4勝1敗で勝利を決めており、この第6局は升田が木村に対して香車を落とすことになっていた。

名人というタイトルの重みは現在でも特別だが、この当時はそれにも増して大きいものだった。単に将棋界最強というだけではない、ある種の宗教的権威があるものと言っていい。その名人が、対戦相手香車を落としてもらうなどということは、名人品格を著しく傷つけるもので、いかルールはいえ誰も見たくない(この感覚は、羽生善治がコンピュータ将棋に角を落としてもらって対局する、という場面を想像してもらえばいいかと思う。対局に関係ない第三者でさえ屈辱を感じるというようなものだ)。もちろん王将戦が始まる前、この事態は当然予想されていて、香車を落とすことに強く反対していたのが升田、一方で「名人が第7局を迎える前にシリーズに負けることはない」と言ったのが当の木村義雄名人で、木村の一声で沙汰止みになってしまった(昔から今に至るまで、将棋界というのは将棋の強い側の声が通るのだ。そして当の本人がこのようにその報いを受けてしまう)。升田は「将棋を守る」ために、バレバレの嘘をついて対局を拒否したのだろう、と思われている。

真意はさておき、タイトル戦を故意にすっぽかしたことには変わりないからこれは一大事で、当初将棋連盟は升田を一年間の出場停止処分にしようとした。これは現代の目から見ても重さとしては妥当だと思う。ただ、日本将棋連盟関東関西将棋指しの団体が合一してできたという経緯があり、東西対立まではいかずとも派閥意識というのは当時強かった。関西棋士である升田への処分に対しては関西棋士たちが反発し、すわ東西分裂か?という事態になった。最終的には木村名人の一存に委ねられ、升田は一切お咎めなし、という結末になった。

今回の一件で「平成陣屋事件」という感想が一部のファンから出てきたのはこういう歴史があったから。

2016-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20161014195610

権威覇権関係いからね

自分が信じたナンバーワンアニメ覇権

権威っつーのは有名アニメオタクが勧めてるとか、視聴率がいいとか、円盤が売れてるとか、

そういう他人に流された選び方の話

からないのに権威に流されてるとか言うな

お前はアニメの何もわかっていない

村上春樹ノーベル賞を取ることは100パーセントない。

毎年、この時期になると村上春樹ノーベル賞を取るんじゃないか、と話題になる。

で、なぜかハルキストや母校の関係者は本気で受賞を信じて、そのたびにガッカリするわけだが、彼らはノーベル賞特性をまったくわかっていないと言っていいだろう。

断言するが、村上春樹ノーベル文学賞絶望的だ。

なぜなら、ノーベル財団村上春樹に受賞させる理由が、まったくないからだ。

理系部門と違い、平和賞文学賞は受賞理由政治性を重視しているからだ。

平和賞文学賞は、功労者や優れた結果を残した人に与えられるわけではなく、ノーベル財団から世界へのメッセージ意思表明に近い。

今回のボブ・ディランに関しては、ドナルド・トランプ代表されるような排他的ナショナリズムに傾きがちな人々に対して、「あの頃の公民権運動戦争反対燃えた、反骨の気風はどこに行ったんだ?」というメッセージに近い。ボブ・ディランが良い歌を作ったから受賞、ではないのだ。与えるべき受賞理由メッセージがあるとノーベル財団判断たから与えられたのだ。これがジョン・レノンが生きていたら、100パーセント彼に与えられただろう。

莫言アリス・マンローに与えられたのはアジア文学女性文学に目を向けましょう、というメッセージだし、それを通した一部の国や差別の現状への牽制である

これに対して、村上春樹はどうか?彼が受賞したとしても、なんのメッセージにもならないのである

村上春樹の特徴はその無国籍性や非政治性であり、それが理由世界的にも売れているのだが、それゆえ、ノーベル財団が彼に受賞させる理由がないのだ。

村上春樹ノーベル賞を受賞しても、世界に対してなんのメッセージにも、牽制にもならない。

それを意識してか、最近村上春樹政治的メッセージを受賞コメントなどで言ったりしているが、どれも抽象的なお題目で、彼が言う必然性がない。彼の国籍や生い立ちに裏付けされた「凄み」がないので、受賞にはほど遠い。

ノーベル賞アイデンティティ政治性、そして文学性が合わさり、さらノーベル財団が伝えたいメッセージ合致した人物に与えられる。村上春樹はどれも欠けている。ノーベル賞とは一番遠い人物だと言っていい。おそらく、次に取るのはサルマン・ラシュディだ。

村上春樹ノーベル賞を取ることは絶対にない。彼はただ「すごく人気がある」というだけで、受賞させるほどの理由がない。音楽でいえば「GLAY」や「ラルク」みたいなもので、彼らがいくら人気でも、政治的権威ある賞を取らないのは当然だろう。

2016-10-11

はてなー進歩主義でもなんでもない

単なる権威主義なだけ。

権威存在しない領域では慣習がその役割を果たす。

飯を残す者に対して見られる非常にconventionalな反応もこのため。

2016-10-05

君の名は。理解できない人は童貞臭い

煽ったタイトルつけたけど、なんとなくそんな感じになって行きそうな気がする。

どうも、新海誠作品が詩的とかなんで女性気持ちがこんなにわかるのみたいな評価が増えてきた。

新海誠自身文学部出身バックボーン和歌とかあるし、権威歴史もある。昔の和歌恋愛系多いし。

まぁ、オタク視野が狭すぎただけなのかもしれない。

極端な恋愛美化ってよく考えたら日本お家芸よな。

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