はてなキーワード: 少年漫画とは
ただの吐き出し
そういえば、なんでボンビー「ガール」しか取り上げないんだろ。「幸せボンビーボーイ」なんでないんだろ。
「にじいろジーン」昔よく見てたけど海外紹介のコーナー、案内人いつも女性だったよね。なんでだろ。
街に貼ってある交通安全運動とか火災予防とかの啓発ポスター、だいたい若い女の子だよね。なんでだろ。
キャンペーンガールはたくさんいるのにキャンペーンボーイはあんまりいない、なんでだろ。
少年漫画誌の表紙は水着の女の子だけど少女漫画誌の表紙は水着の男の子ってことはないよね。なんでだろ。
JKやJDって言葉は頻繁に耳にするのにDKとかDDはめったに聞かない。なんでだろ。
なんで女性ばかり有徴化され、キャラクター化、アイコン化され、「見られる存在」として扱われるんだろう。
一つ一つはだから何って話だし、まあ自分に直接害があるわけじゃないんだけど。
その延長線上にあるものを思うとなんかしんどい。ちょっとずつ心が削られる気がする。
何より、こういう話に対する反応がしんどい。「へー」って一旦受け止めてくれる人って少なくて、数少ない例外を持ち出してきて反論したり、「お気持ち」って揶揄したりする人ばっかり出てくる。本当にめんどくさい。
しんど。
貯金・投資を除いて使いたいということから推測するに、人生設計の上で100%想定していなかった収入なんだという前提で書く。
都市部在住なのか、地方在住なのか、持ち家があるのか、ないのかで話が大きく変わってくるからどんな条件でも適用できそうな事で子供の教育に投資するのがよいと思う。とはいえ塾にお金使ってお受験だとかいう話じゃなくて、将来の可能性を増やす下地作りとして、読書が身近にある家庭環境の構築に使う案を提示したい。
大人になって読書習慣があるかどうかは家庭環境の影響が大きいものだ。そして読書週間の有無は成長してからの学力に大きく影響が出てくる。そんなわけで初めに大きな本棚を買おう。子供にも手が取れる、高さ120cmくらいで幅60cmくらいのを3台ほど。1台は漫画で埋め尽くそう。夫婦の好きな作品でもいいし、最近の流行でもいい。それから、学習漫画。全30巻くらいの歴史の学習漫画読ませとけば中学レベルの定期試験なら無勉でクリアできるようになる。文学作品やサイエンス系も入れよう。もう一つの本棚には図鑑をたくさんと世界の名作文学をどっさりと。この辺は別に読まれなくてもいい。成長してから国語の教科書に出てきた作家の他の作品を読みたいなとなったときに、そういえば家に全集みたいなのがあったぞ的な感じでいい。本のある環境は確実に好奇心を広げてくれる。本棚の空きスペースは子供が本棚が5万くらいで、少年漫画が500円 x 200冊で10万円、学習漫画が1200円 x 100冊で12万円、図鑑が3000円 x 50冊で15万円、文学全集で1500円 x 100冊で15万円のトータル 57万円。ざっくり60万円もあればおつりがくるはず。非常にコスパの良い投資になるはずだ。
成功体験がなく、失敗体験しかないから、成功するという状況に違和感を感じるが
セックスアピールを受けるということは、失敗体験すらない都合のいい幻想なので違和感すら感じないんじゃないかなぁ。
一般向けの作品と違って、オタク向けの作品って「主人公の好意が承認される描写」が少ないと思うんだよね。
少年漫画にも少女漫画にも見られるけど、オタク向け作品だとヒーローまたはヒロインから主人公への好意がまず発生して、その好意を主人公が承認するって形を取ってる気がする。
まず言っとくと俺はドラハラ(ドラゴンボールハラスメント)を受けたわけでもないし
むしろド直球のDB世代ではあるがそれでもドラゴンボールが嫌いだ。
ドラゴンボールという作品の説明は流石に不要だろうからここは飛ばすが国民的人気を得ているのは別に不満はない。
むしろ国民的人気を得てしまっているからこそどうしても申し出たい事があるのだ。
ドラゴンボールの世界においてはとにかく戦闘力が全てである。途中から数値化するのは止めてもそこは揺るがない事実である。
そんな戦闘力のインフレはフリーザ戦から始まったと言ってもいいのだが俺はそのフリーザ戦を大きく評価している。
ノーマル状態の悟空がフリーザと良い戦いしていると思いきや裏で界王拳で10倍も引き上げていたと分かった時の絶望感は未だに覚えている。
そして初めて超サイヤ人になった場面のカタルシスは凄まじく少年漫画史の頂点に飾れるといっても過言ではない。
しかし超サイヤ人の登場と同時にドラゴンボールという物語は終わってしまった。
これから始まるのはサイヤ人の為のサイヤ人によるサイヤ人の物語だからだ。
本来はフリーザ編で終わる予定だったものを引き延ばして人造人間編(セル編)なんてものを出したから狂ってしまった。
宇宙一の強さを誇っていたはずのフリーザを倒した超サイヤ人がなぜスカウターすら作れない地球の科学者の開発に負けるのか
ドクターゲロの科学力は宇宙一と言われれば身も蓋もないが、やはり匹敵もしくはそれ以上の力を持つ敵が現れないと話が始まらないのだろう。
超サイヤ人が負ける姿も見たくはなかったがそれよりそれ以上に戦闘力のインフレの弊害を受けているのがサイヤ人でもないZ戦士達だ。
セル編でZ戦士が活躍した場面なんてピッコロがスッキリしない戦いしたのと天津飯がセルを足止めしたぐらいだろう。
あとはサイヤ人達が超サイヤ人の壁を越えようとしている別次元のスケールを腕を組んでただただ眺めてるだけだ。
セルゲームの時の彼らはもうセルジュニアに一方的に蹂躙される為だけの存在となってしまった。
ブウ編はもう説明不要だろう。Z戦士達はブルマと変わらぬモブとなってしまった。ピッコロだけは保護者として頑張ったとは思うが。
そもそもクリリン除くZ戦士は界王様の所に行ってんのに界王拳を覚えなかったのが最大の失敗と思える。
もしZ戦士が界王拳を取得していればサイヤ人は超サイヤ人を極めたように界王拳を極めていくという生きる道があったはずだ。
しかしそれはもう今となっては時すでに遅しでピッコロなんか界王拳覚えてないのにドラゴンボール使ってまで自信満々でナメック星に行ったのも未だに納得いってない。
それはともかく戦闘力こそ全ての世界とはいえ国民的人気を得てしまっている作品がこんなにも超実力至上主義というのはどうなんだろうか。
思いついたことを書くだけ。
旧来のジャンプ的少年漫画の王道文法と呼ばれる要素の一つに、社会性のない獣のような主人公が成長して(ある程度は)人間的になっていくというものがある。ドラゴンボール、スラムダンク、キングダムとかチェンソーマンとか色々。約ネバもかな?
成長前の主人公がそういう風に書かれるのは、少なくとも文法成立の初期の頃は、子ども(クソガキ)のふるまいを誇張して描いていたからだと思う。
元はそういう子ども向けのコンテンツで、読者は主人公のふるまいや考え方に感情移入していた。
具体的な対象者は、まずは小学校低学年くらいの階級構造があやふやな時期の子ども全体。彼らの世界は上も下も決まってなくて、全員がわがままで、ボスザルになれる可能性を秘めている。
次に、小学校高学年くらいの、ボスザルに憧れることができるレベルの、ガキ大将文化圏の強者群。ここでナードや賢しらぶった子ども(=ガキ大将文化圏における弱者)はふるい落とされる。
中学校以降となると階層構造はどんどん細分化されていって、真の意味で感情移入できる人間はごく一部である。
その頃には二次性徴とか諸々により価値基準が変わってきて、ガキ大将主人公に感情移入できてる奴の方がやばいわけだが、それはここでは置いとく。
中学生以降になっても(むしろなったからこそ)そういうガキ大将主人公の漫画を楽しめるのは、他人事をフィクションとして楽しめるようになるからである。だから女子中学生もジャンプを楽しめるわけだ。
感情移入とはいかないまでも、まぁ話は面白いしいいか、ってなものである。
ところで、鬼滅関連の記事かTwitter投稿か何かで見たのだが、今の小学生はジャンプを読まないそうである。何を読んでいるのかというと、コロコロとかだそうだ。ジャンプは中学生のお兄さんやお姉さんが読む雑誌らしい。
個々の能力にもよるだろうが、小学生くらいだと感情移入できないと物語を楽しめない子が多いだろう。(感情移入がほとんど無くとも物語を楽しめる小学生は、漫画雑誌など読まなくても他のフィクションを楽しめるのだ)
つまり、今の小学生はジャンプの主人公に感情移入できないのである。
ジャンプの王道(やエロ)を楽しくありがたく読んでいるのは、中学生~中年のお兄さんやおっさんなのである。しかし、彼らも感情移入して読んでいるわけではない。(そういう人間もいるかもしれないが・・・)
ちなみに、ナードと賢しらぶったガキと女の子、お姉さん、おばさんは、名探偵コナンを読んだ。基本は頭脳戦である。コナンはアンチガキ大将な者たち(今やそちらの方が多数派である)を取り込んで覇権を取れたのだ。
また同時に、お姉さんやおばさん、爽やかな男子諸君はスポーツをやる作品を好んだ。乱暴ではないが、パワーが正義であり、勝ち負け目標がはっきりさせやすい。そういえばコナンもボールを蹴ることがある。
不幸なのは、スポーツものが今どきのほとんどの人間にとってファンタジーであることだ。とりあえず野球やろうぜってな時代ではないので、真っ当なターゲットは食指を伸ばさず、結果としてスポーツものは非公認ソフトBLとして扱われることになった。
ここで鬼滅である。
炭治郎(主人公)は作中で関わった人物のほぼ全員から愛され慕われている。
主人公が普通に頑張っていたらみんなにモテモテ、などというとまるでなろう小説のようだが、炭治郎は精神性も行動も実に真っ当であり、納得感があるのだ。
炭治郎は無知な田舎者だが(そこが"王道でありながら"と言われる所以かもしれない)普通の社会性はあって、道徳面では模範的とすら言える。人として備えているべき慈愛に満ち、努力家で、真面目ながら寛容。
彼は人間としてシンプルに魅力的で、そばにいてほしいタイプなのである。
不思議なことに、フィクション(特に少年漫画)において最初から人間として魅力的な主人公というのは中々いない。なぜか。
主人公はどこかしらに問題を抱えていて(社会常識がないとか非モテであるとか)、それを解消していくことが成長であると、文法によって決められたからだ。漫画ではなくとも、物語というのはそういうものである。
良い映画の主題は「自分は何者なのか」という問いかけに収束すると何かで読んだ。これは人々が普遍的に感じている(感情移入できる)哲学的な命題であって、映画の中では様々なドラマを経て主人公なりに「自分は何者なのか」という答えを見いだす。
それに依ると、鬼滅にこの主題はほぼ存在しない。主人公の家に伝わる教えによる未知の能力というフックは途中に入るものの、その話題は全く重視されていない。
炭治郎は、そんな大げさな悩みを持ったりしない。「俺はこんなものだ」と割り切って「自分にできることを真面目にやろう」なんて考えている。目的は常に「妹を人間に戻すこと」という、哲学的でも何でも無い現実的な物でしかない。
インターネットの影響は大きい。宣伝だとかバズだとかの話ではなく、インターネットが人々に与えた影響だ。
今やネットによって全世界基準で自分の順位のようなものが何となく分かってしまうようになった。自分より強い奴は山ほどいて、社会に向かって怨嗟の声を垂れ流している情けない大人もいっぱいいる。
「自分は何者なのか」が主題として機能しなくなってしまった。「俺はこんなものだ」と思わざるを得ない社会なのだ。
今の子ども達にとって、どうあがいても未来は暗いのだ。それがもう嫌と言うほど目に見える今の世界で、獣が人間になり大望を成し遂げるというフィクションはファンタジーに過ぎるのである。
一方で、目標に向かって自分ができるだけのことを精一杯やっている炭治郎の愚直さは真似できそうである。そして、作中ではその姿がひねくれた大人(柱)たちを無言のうちに説き伏せ、主人公を応援する側にシフトチェンジさせる。
今の時代、大人も子どももみんな人間関係に疲れている。努力が報われ、ついでに周辺環境を居心地良く改善していく姿は誰にとっても魅力的に映るだろう。
慈愛に満ち、努力家で、真面目で、他者に寛容な人間というのは、既存の作品では大体理不尽な目にあってきた。
それがモブであれば理不尽に死ぬ役だし、ネームドであればトラウマを負って冷笑系とか陰のあるタイプになった。それらの作品の主人公はわがままであり、理不尽に負けない強い者であって、慈愛や寛容は弱さであった。
炭治郎は、物語の最初の最初に理不尽な目にあって復讐を誓うわけだが、それでも慈愛と寛容、真面目さを失うことはなかった。むしろ、それしか持っていないと自分で言っている。
炭治郎の師匠たる鱗滝さんは、初見の炭治郎のことを評して「こいつは優しすぎてジャンプ主人公にはなれない」というようなことを言っている。(曲解ではないと思う)
その鱗滝さんの薫陶を受けた最も優秀な弟子であるところの錆兎は、炭治郎とは真逆で非常にマッチョなジャンプ主人公思考である。「男なら死ぬ気でやれ!優しさなど不要!」みたいな感じのことを言いながら急に殴りかかってくる。
炭治郎はその錆兎に努力の上で勝利して修行編は終わり、かくして時代に即した新タイプの主人公が生まれたのである。
彼は修行の後の最初の試練で打ち潮(修行によって身につけた特殊な技)を繰り出し、「俺にもできた。修行は無駄じゃなかった」と涙する。いい話である。
アニメ派の人にはネタバレになって申し訳ないのだが、錆兎が死んだ理由は他者を生かすためであった。古い主人公時空に生きる錆兎は、慈愛と優しさを持っていたが故に理不尽な死を遂げたネームドキャラだったのである。
鬼滅が女性人気を得たのもむべなるかな。
自分の子どもでも彼氏でも旦那でも父親でも、乱暴で直情的な猿よりも真面目で優しい男の方がいい。(比較論である。個人の趣味は置いておく)
男は猿だった時代を楽しむこともできるわけだが(何なら郷愁を感じもする)、ほとんどの女の子は猿に迷惑をかけられたことしかないだろう。なお、一応言っておくとワイルド系とかオラオラ系と猿は違う存在である。
旧来の主人公的な存在といえば、伊之助はまさにソレである。どうやって感情移入するんだと思うかもしれないが、たぶん昔の子どもは彼に感情移入できていたのだ。
実際、伊之助はサブキャラとして一つの人気を確立している。普遍的な人間的成長のカタルシスを端々で見せるからである。ほわほわ
ただし、伊之助には旧主人公的でないところもある。それは顔が良いことである。
伊之助は全く以て迷惑で嫌われ者の要素しかないキャラなのだが、顔の良さがギャップになるのか、女性人気が結構高い。実際、アニメの実況では14話で顔が出た瞬間に手のひらを返して興味を持ち始めた人を結構見かけた。
顔がいいだけの生意気なガキが、成長して徐々に素直になっていくのである。そりゃ人気もでる。
一方で、旧来の猿型主人公というのは特段美少年だったりはしない。たぶん、見た目は本質的な魅力ではないという思想があるんだろう。男はロマンチストなのである。
炭治郎は今のネット時代に即して「自己を保ち、できることから愚直に始めなさい」と示した。そうすれば、今の自分なりに良いところまでいけるはずだし、周辺環境をよくできる(かもしれない)というわけだ。
元々時代に即しておらずいびつだった"王道"にメスを入れて見事解体して見せた鬼滅であるが、果たして続く作品は出てくるだろうか。
視野が広くなったが故に個人レベルではむしろ可能性が閉塞されたネット時代である。この時代に生きる子ども達に未来への希望を与える作品が現れれば良いと思う。
つまりはそういうことなんだが、チェンソーマンの面白さとは、アンチカタルシスを極めたあの藤本タツキという作者の作品に、少年漫画のエッセンスをこれでもかとぶち込んだその濃度だ。
漫画マニアなら作者の前作、ファイアパンチは知っているし、最低でも1話は読んだことがあるだろう。今ならジャン+で無料で1日1話やってるから、知らなかった一般人諸兄も気になるなら読める。1話目をとりあえず読んでくれ。復讐譚の導入としては、これ以上ないほどの1話目だと感じられると思う。これが合わないなら藤本タツキは合わない。それはしょうがない。
で、このファイアパンチだが、連載終了後もとにかく賛否否否両論ある漫画だ。とはいえ、否の方も「編集がバケモノを持て余した」というタイプの否が多く、1話目の出来を疑う人は少ない。ではなぜここまで否が多いか?簡単だ、徹底して読者の予想を裏切ることに特化したからだ。問題は、予想だけじゃなく期待すらも裏切ったことだ。
1話目を読んだ時点では、ファイアパンチはどう考えても「復讐譚」になる。復讐譚にしかならない。モンテ・クリスト伯や虎よ虎よの導入のように、如何にして復讐を遂げるか、を期待させ、復讐への葛藤を乗り越え、最後にどうやってカタルシスを感じさせるか、に焦点が行く。しかし、ファイアパンチは徹底してその予想、期待を裏切り続け、復讐ではなく「呪い」「嘘」「演技」といった、ユングのペルソナ論的な方向性に進んでいくのだ。あれだけ復讐の想いを奮い立たせる効果がある1話目の妹の言葉すらも、「その役割からそれっぽい言葉を言う」という演技からくるものではないか、というちゃぶ台の下の畳からひっくり返すレベルの話を平気で作ってくるのが藤本タツキだ。主人公の復讐という目的から、アレコレあってブレてブレてブレまくって、という葛藤をも描いた作品だ。カタルシスなんてあったもんじゃない。全力で振り回される、ジェットコースターのような作品だ。観覧車に乗ったと思ったらてっぺんから急降下してなんかよくわからないけどコーヒーカップで目が回ってた、みたいな状態になる。徹底したアンチカタルシス、解決しないことへのこだわりを感じさせる作品だ。
さて、ここまで前作の話だが、今作のチェンソーマンはどうだろうか。1話目は作者の妹(作者)のTwitterでも読めるし、ジャン+でも確か読めたはずだ。まず読んでくれ。1話読み切りだとすると完璧過ぎる1話だ。「普通を望みながら、誰もが今以上を望む」というテーマを書きながら、ちゃんと伏線張って回収する、お手本のような1話目だ。さて、ここから本作がどうなっていくかだが、とにかく主人公であるデンジが直情的なのだ。俺の邪魔すんな、面倒みてくれる奴が好き、おっぱいもみたい。とにかく目的が、「自分の感情」でブレない。ここが前作と比較したときの大きな差で、少年漫画とはこの確固たる「目的のブレなさ」が大きな魅力なのではないか。ナルトなら火影、ワンピースなら海賊王、チェンソーマンなら「普通の生活」である。カッコつきの「普通の生活」が何かは読めば分かる。読め。デンジはその「普通の生活」への憧れが本気で、徹底してる。馬鹿らしくても徹底してるんだよ。それも1話目からだ。
そして藤本タツキ作品には、素晴らしい助演が居るのだ。ファイアパンチではトガタ、チェンソーマンならマキマさんだ。まて、石を投げるな。チェンソーマンならポチタだろうとか、パワーちゃんだろとか、アキくんと姫野の話とかコベニちゃんだとかコベニカーだろとかあると思うが、マキマさんだ。マキマさんが圧倒的にエロいんだ。直情的なデンジに、文脈のエロさを教えるんだ、あのシーンでマキマさんに心を動かされなかった奴は居ないだろう。いいから読め。まだ既刊は7巻だ。今日7巻発売。一瞬だ。読め。合わないならしょうがないが。読め。マキマさんは怖くてエロいぞ。1話目のセリフも、素晴らしい前フリになってる。読め。
もう一つの魅力はセリフ回しだ。例えば、デンジが夢をバカにされた時のセリフ、「み~んな俺のやること馬鹿にしやがってよぉ、みんな偉い夢持ってて偉いなぁ!じゃあ夢バトルしようぜ夢バトル!お前が俺に負けたらお前の夢は俺の夢以下な!」だ。最高に頭が悪い。バカのデンジが、圧倒的なバカを本気で叫ぶ。読者も、そのバカを待ち望んでいる。予想は裏切っても期待は裏切らない、王道の少年漫画だ。それでいて、前作のジェットコースター性は失っていない。圧倒的なスピード感と期待を裏切らないフルスイングのバカ、これはジェットコースターではなくもはやテーマパークだ。
まだまだ魅力はあるぞ。マキマさん以外も素晴らしいキャラがたくさんいる。全員がブレない、生きたキャラだ。書ききれん。読め。キャラデザも最高だ。読め。全てを理解していけ。
チェンソーマンというテーマパークを楽しめるかは個人差がある、友達になりたくないならしょうがない。私だって高校の文化祭が最高の思い出で率先して同窓会の幹事をやるような奴とは友だちになれない。シラフでディズニーランドを楽しめる奴とは友だちになれない。大学院の研究室生活が365連勤のような状態で如何にクソだったかを語りつつ、研究室生活に戻りたいと思ってるような奴と友達になりたいと思ってる。そこはしょうがない。いいか、読め。1巻だけでいい、読んでくれ。
昭和の少年漫画で主人公がエッチなセクハラをしてヒロインが怒って暴力ふるう
↓
読者から批判を受けて主人公からセクハラ属性が減るがヒロインは人気のためそのまま
↓
昭和の少女漫画の主人公って遅刻するわとんでもないミスするわで周りに迷惑かけまくる女なんだよね
(そうすることで話が進む)
で、そんな主人公を叱責する男キャラとただ優しいだけの男キャラだったら
前者に惹かれるだろ
だんだん失敗しない、むしろ周囲の人間より優れてる主人公が増えてきた
そうすると普段失敗しない主人公のミスを責める嫌な俺様キャラと
頑張ってる主人公を優しく褒めて見守ってくれる好青年キャラとなり
ただ優しいだけだった男は好青年ともてはやされるようになったわけ。
『100日後に打ち切られる漫画家』というツイッターの連載ものが完結した。
作者は浦田カズヒロ、かつて週刊少年チャンピオンで『JINBA』という漫画を連載し、打ち切られた漫画家である。
あの作品の連載開始から星の数ほどの便乗作が出たわけだが、100日完走したという意味で、その中でもかなり特異な存在であるといえよう。
かつて週刊少年漫画誌に連載を持っていて、打ち切られた経験がある作者がこんなタイトルの連載をしているということで、それなりに話題になっていたので知っている人も多いと思う。
で、これが、凄かった。
ここには、地獄がある。
はっきりと一言で感想を言うと「どんな気持ちで読めば良いのかわからない」。
優れたフィクション作品というのは、作者が読者の感情をちゃんとコントロールできている作品だと思う。
「ここで笑ってほしい」「ここで泣いてほしい」……そういう、感情の導線がちゃんと引かれていて、読者はそれに身をゆだねていれば良い。
個人的に好きかどうかはともかくとして、あの漫画は「ここで盛り上がってくれ!」という作者の意思がはっきりと感じられる漫画だ。そりゃあ、人気になる。
で、『100日後に打ち切られる漫画家』は、とことん、作者が読者にどう思ってほしいのかが分からないのだ。
最初、私は「調子に乗ってる漫画家が痛い目にあうのをスカッとジャパン式に楽しむ漫画か」と思って読み始めた。
それらしい要素はたくさんある。
本編の主人公は、とことん愚かに描かれていて、その所業をざっとまとめると下記の感じだ。
・俺は年収一千万以上の漫画家様だと通勤するサラリーマンを嘲笑う。
・女アシスタントに手を出す。
・皮算用で調子に乗って車を買ったり服を買ったり無駄遣いをする。
・そもそも、主人公の絵が「かわいい」とも「かっこいい」とも思えない、どっちかというと不快になるタイプの顔
・「あの漫画家は実は親子で…」とかの個人情報を友人との飲み会で話す。
・ネットに書かれている批判を「嫉妬乙」といって、SNSのアカウントをブロックする
これらの要素は、控えめに見ても、まあ、好感が持てるものではない。
こういう風に主人公にヘイトを集めて最後に爆発させる。そういう話か、と思う。
けど、読み進めていくと、違和感が出てくるのだ。
もしかして作者、この主人公を「可哀想」「がんばれ」と思ってほしい、と描いてないか?となる描写が一方で沢山ある。
たとえば、こんな具合だ。
・嫉妬に狂う友人
読みながら「えーっと、好感を持ってほしいのかな?そうじゃないのかな?」と困惑してしまう。
もしかしたら、作者は、良い面も悪い面も持った愛すべきキャラクターとして彼のことを描いたつもりなのかもしれないが、はっきり言って、そういう深みを出すには四コマ100連発はページ数が少なすぎるし、
何よりも上記で彼に対し読者が感じるヘイトは尋常なものではないので、むしろ良い奴、可哀想な奴アピールされても、ただ、不愉快なだけなのである。
それは元ネタのワニからしてそうでは…と思う人がいるかもしれないが、実のところ、そんなことはない。
ワニは確かに派手なストーリー展開がある作品ではないが、「毒にも薬にもならない日常」を一本筋を通してしっかりと描けている。
ワニ君の友人たちの話であったり、女ワニさんへの恋であったり、一日ごとに進行する話としてのストーリーが地味ながらも用意されていて「明日も読んでやろうかな」という気分にさせる。
『100日後に打ち切られる漫画家』では、そういう、一本筋がない。
思いついたように調子に乗ったり、真面目な漫画家アピールをしたり、ゲス顔をしたりで、一日一日が繋がっていないのだ。
(それが上で言ったような主人公に対してどう思ってほしいかが見えてこないチグハグさに繋がっている)
そもそも、100日のリアルタイム進行という枠すら守れていない。
主人公の連載が開始するのは30日目だ。
物語は、主人公が描いていた漫画の最終回が雑誌に載った日で終わるので、10週打ち切りである。
作中では人気が落ちたどうこう路線変更がどうこうと言っているが、10週打ち切りでそんなわけはない。
たとえば48日目に主人公がカラー原稿を描いている描写がある。
場合にもよるだろうが、普通、連載開始前に数話書き溜めているだろうから、連載開始二週間ちょっとでカラー原稿がくるということは、第七話とか、第八話とかの原稿を書いているタイミングだろう。
このタイミングでカラーページをもらえる漫画が、10週打ち切りになるだろうか?
100日は一日一日をかみしめて過ごすと確かに長い日数だが、リアルでのことを考えるなら
ちゃんと考えるならただつまらなくて、人気がなくて、連載終了したというだけのストーリーにしかできない日数だ。
このへんの日数のコントロールが、全くもってできていない。
(ちなみに路線変更を促した編集者が登場したのが68日目。打ち切り宣告が79日目。
路線変更した回は、どう考えても打ち切り宣告時にまだ発売されていない)
登場人物のキャラクターも、ストーリーも、何もかもがガタガタ。
あえて打ち切り漫画家の悲哀を描くために酷いものにしたんです、ということかもしれない。だったら素直に拍手する。
かつて週刊少年誌で連載を持った漫画家が、こうもガタガタの漫画をツイッターに放り投げて、一瞬チヤホヤされる。
なんというか、辛い。ただただ、辛い。
凄い漫画だ。
「男」だから頑張らなきゃ
という表現が目についた。
きめつだけじゃなくて、少年漫画には度々出てくるセリフだと思う。
ここで言う憧れは「好きだから付き合いたい」ではなく「私もそのキャラと同じになりたい」という気持ちだった。
女性キャラに憧れることはほぼなく、いつも男性キャラに憧れていた。
だけど、漫画や小説などに出てくるキャラで憧れるのはいつも「男性のキャラ」であり「男性のキャラが担っている役割」だった。
男性キャラが実在したと仮定して相応しい女性になれるように努力しよう、ではなく
男性キャラになりたい!あのキャラは勉強できるから私も勉強頑張らなきゃ、という感じ。
だけど、なれない。
自分の事は女性だと思ってるし、手術したいとかそういうのではないから。
少女漫画もいろいろ読んたが、主人公やライバルに憧れることはなかった。
部分的に憧れたりはあったが、総合的に見ると自分とは違うな…としか思えなかった。
主人公が「男だから頑張れる」と言った時、私は女だから主人公と同じにはなれない、という現実を突きつけられた。
そして、やっと何十年も男性に憧れていた自分を見つめることができた。
もう30年ぐらい前の話。
担任は新任の先生で、いきなり5年生を持つには負担が大きかったからか、副担任がついた。
おじいちゃん先生は普段ほかのお仕事をしてて、週に何回か助っ人にくる感じで
授業というよりは雑談しながらいろんなことを教えてくれるおじいちゃんて感じで
話が逸れすぎて理科の授業が道徳の時間に変わってしまったりしていた。
私は、いつもニコニコニコニコしている小柄でかわいらしいおじいちゃん先生が好きだった。
ある日、校庭で女子3人くらいとおじいちゃん先生で雑談していたとき、
おじいちゃん先生には息子がいて、その息子さんがマンガ家をしているという話になった。
おじいちゃん先生はもったいぶってなかなか教えてくれなかったけれど
最終的には息子さんの名前を教えてくれた。
「えっ!知ってる!○○(雑誌名)に載ってる人や!お兄ちゃんが買ってる!」
その場にいたのは女子ばっかりで
私たちはきゃあきゃあ騒いだ。
『そっかぁ、君らでも知ってるんかぁ』って
嬉しそうに恥ずかしそうにしていた。
そんで、その年のうちにおじいちゃん先生、突然亡くなってしまった。
ほんとに突然。
たしか天気が悪くてすごく寒かった気がする。
私はそのお葬式の時に一回だけ、漫画家をしているという息子さんを見た。
お葬式のあと、どういうタイミングだったか忘れてしまったけどクラスのみんなの前でおじいちゃん先生の奥さんがお話をしてくれる機会があって、
(最初にも書いたけどおじいちゃん先生は学校の先生がメインのお仕事ではなくて
お仕事を継いでくれる人がいなくてたいへんなの、と奥さんは話していた。
私はその時、おじいちゃん先生は息子さんに自分の仕事を継いでほしいとは思ってなかったんじゃないか、ということを奥さんに伝えたかったけど
小学生の私にとってクラスみんなの前で過去のエピソードを持ち出して奥さんになにかを伝えるというのはハードルが高すぎて無理無理の無理だった。
そこから30年、おじいちゃん先生のお仕事は別の人が引き継いで、息子さんは息子さんのお仕事の世界で活躍を続けている。
こないだふとその息子さんの名前をググってみたら
その当時から数年前まで実家を継ぐ継がないですごく葛藤していた内容のインタビュー記事が出てきて
やっぱりこの話したほうがいいんじゃね?と思った。
息子の名前を教え子が知ってたこと、名前を聞いて子供らがきゃあきゃあなったことをめちゃ誇らしく思ってたと思うよ。
私たちが知らないだけでおじいちゃん先生はもしかしたらその話を奥さんや息子さんにしたかもしれない。
これを読んでる他人様にはどこにでも転がってるようなちょっとお酒が美味しくなるほっこりエピソードでしかないかもしれないけど
もし、もし、息子さんが
「親父は最後まで俺の仕事を認めてくれなかったな~」みたいなことを思ってる、または思ってたとしたら
いやいやいやいや、そんなことないから!大丈夫よ!めっちゃデレてたよ!あなたのお父さん!!って背中バンバンしてあげたいなと思って書きました。
いつかそのうちファンレターでも書いて送ろうかなとか思いながら30年経ってしまったので
このままでは死ぬまで書かないなと思ったので手軽にネットに書き込んでしまいました。
どうにか息子さんに届くといいなぁ。
誰か心当たりあったらおしえてあげてください。
もう30年ぐらい前の話。
担任は新任の先生で、いきなり5年生を持つには負担が大きかったからか、副担任がついた。
おじいちゃん先生は普段ほかのお仕事をしてて、週に何回か助っ人にくる感じで
授業というよりは雑談しながらいろんなことを教えてくれるおじいちゃんて感じで
話が逸れすぎて理科の授業が道徳の時間に変わってしまったりしていた。
私は、いつもニコニコニコニコしている小柄でかわいらしいおじいちゃん先生が好きだった。
ある日、校庭で女子3人くらいとおじいちゃん先生で雑談していたとき、
おじいちゃん先生には息子がいて、その息子さんがマンガ家をしているという話になった。
おじいちゃん先生はもったいぶってなかなか教えてくれなかったけれど
最終的には息子さんの名前を教えてくれた。
「えっ!知ってる!○○(雑誌名)に載ってる人や!お兄ちゃんが買ってる!」
その場にいたのは女子ばっかりで
私たちはきゃあきゃあ騒いだ。
『そっかぁ、君らでも知ってるんかぁ』って
嬉しそうに恥ずかしそうにしていた。
そんで、その年のうちにおじいちゃん先生、突然亡くなってしまった。
ほんとに突然。
たしか天気が悪くてすごく寒かった気がする。
私はそのお葬式の時に一回だけ、漫画家をしているという息子さんを見た。
お葬式のあと、どういうタイミングだったか忘れてしまったけどクラスのみんなの前でおじいちゃん先生の奥さんがお話をしてくれる機会があって、
(最初にも書いたけどおじいちゃん先生は学校の先生がメインのお仕事ではなくて
お仕事を継いでくれる人がいなくてたいへんなの、と奥さんは話していた。
私はその時、おじいちゃん先生は息子さんに自分の仕事を継いでほしいとは思ってなかったんじゃないか、ということを奥さんに伝えたかったけど
小学生の私にとってクラスみんなの前で過去のエピソードを持ち出して奥さんになにかを伝えるというのはハードルが高すぎて無理無理の無理だった。
そこから30年、おじいちゃん先生のお仕事は別の人が引き継いで、息子さんは息子さんのお仕事の世界で活躍を続けている。
こないだふとその息子さんの名前をググってみたら
その当時から数年前まで実家を継ぐ継がないですごく葛藤していた内容のインタビュー記事が出てきて
やっぱりこの話したほうがいいんじゃね?と思った。
息子の名前を教え子が知ってたこと、名前を聞いて子供らがきゃあきゃあなったことをめちゃ誇らしく思ってたと思うよ。
私たちが知らないだけでおじいちゃん先生はもしかしたらその話を奥さんや息子さんにしたかもしれない。
これを読んでる他人様にはどこにでも転がってるようなちょっとお酒が美味しくなるほっこりエピソードでしかないかもしれないけど
もし、もし、息子さんが
「親父は最後まで俺の仕事を認めてくれなかったな~」みたいなことを思ってる、または思ってたとしたら
いやいやいやいや、そんなことないから!大丈夫よ!めっちゃデレてたよ!あなたのお父さん!!って背中バンバンしてあげたいなと思って書きました。
いつかそのうちファンレターでも書いて送ろうかなとか思いながら30年経ってしまったので
このままでは死ぬまで書かないなと思ったので手軽にネットに書き込んでしまいました。
どうにか息子さんに届くといいなぁ。
誰か心当たりあったらおしえてあげてください。
個人的には、現状は男性向け>>BL>夢>CPなし年齢制限なし>女性向け男女CPという認識。BL>CPなし年齢制限なし>男女CP≫夢のところもある場所もあるだろうとも思う。育ってきたジャンルで認識は大きく違うという感覚。男性向けと女性向け男女は違う印象。BL夢(男主)は観測範囲外のためよくわからないが、女主夢やBL、男女よりは下になる認識。感覚としてはCPなし年齢制限なし以外どこも殴り合っているため、きれいなヒエラルキーとは言い難いと思う。GL(百合)はよくわからない。属性としては女性向け作品によく入り浸っていて、男女が基本的に好きな夢やBLやGLもものによってはいけるタイプ。BLとGLだったらGLの方がよく見る、夢はCPなしのようなものの方が好き。乙女ゲームだと自分としてプレイするのではなく、ヒロインと攻略対象をヒロインの体からのぞき見する感覚でプレイする。プレイヤーがコントロールできる少女漫画として楽しんでいるともいえる。2010年くらいから同人を見るようになって、途中でpixiv一本になったROM専。認識にはpixivやツイッターの存在が大きい。
1、BLについて。乙女ゲームがきっかけで二次創作を知り、同じサイトで扱っていた少年漫画ジャンルも割と見るようになったりと同人サイトに入りびたりになった。乙女ゲームなのに攻略対象者同士のBLを見つけてしまったり、女性向けゲームの雑誌でBLゲームコーナーが多いのを知るなど個人サイト時代からBLの存在は知っていた。乙女ゲームがきっかけでpixivを知り、入り浸るようになった後に某少年漫画が流行し、ハマった。女性ファンばかりなのもあって、二次創作を見るとBLが圧倒的だった。主人公とヒロインにも萌えていたが、BL作品や作者に比べると圧倒的に少ないと感じた。それからというもの女性ファンが多めのジャンルだと、元がなんでもBLばかりで検索除外しようにもCP名しかつけてないのもあったり、女キャラをBLのために雑なキャラ崩壊させるのが多かったりするというのが閲覧者として多く感じた。原作での女キャラとの恋愛描写に文句を言ったり、想定以上の女キャラへのヘイト感情が高かったり、BL以外のCPにマウントしたり、単語の意味を乗っ取ったり、ネット上で暴れたりする人などマナーが悪いなと感じることや、それへの全体的な対処の雰囲気がないように感じた。おそらく人数が多いからマナーが悪いままの人もいるとは思うが、人数が多いからこそBLのヒエラルキーはかなり高いという認識。
2、夢について。個人サイト入りびたり時代に面白いと感じる夢にも出会えたが、ヒロインの存在乗っ取り系夢、年齢制限物でキャラ崩壊が過ぎるという夢もあった。利用していたサーチでは非ヒロインものが感覚としては多く、実質のところは夢の方が男女よりも多いと感じた。pixivを利用してからは夢に出会うことはなかったが、2015年の刀剣乱舞リリース以降よく見るようになった。夢とBLとのすみわけ論争が刀剣乱舞では起こり、それを見てBLは夢よりもヒエラルキーが上なのだなという感覚に陥った。現状では原作での恋愛描写やヒロインに文句を言ったり、ヒロインをうがった目で見たり、原作でのヒロインを無視したり、マウントとったりするなどマナーの悪い人が多く感じた。しかし、BLよりは性質上作者・読者が結びついているという感覚はない。BL夢(男主夢)に関しては非恋愛夢・友情夢を好んでいたために存在は知っているし見たこともあるが、男のオリキャラと原作キャラ(男)との恋愛夢に関しては存在だけは知っている状態。百合夢も最近知ったため、夢の同性間恋愛ものについては女夢主と男キャラとの恋愛よりはヒエラルキーが下という感覚。
3、男女について。ネットで悪名高い少年漫画の男女CPにはまることは少なく、感覚として苛烈ではない性質だと思う人に出会うことが多かった。基本的には公式で描写のある男女にはまることが多かったせいもあると思う。公式で描写のない男女にもはまることは多かったが、①人気があればそのルートが作られるジャンル、②キャラの恋愛描写には決して描かれないジャンル、③公式でフラグは立つものの作者のスタンスが公式化を狙ってないものが多い、と感じることが多かった。pixiv以降ネットで悪名高い男女CPをはじめとする男女CPの人のやらかし(原作メインヒロインアンチ、多方面でのマウントなど)や作品を聞いたり見たりするうちに、男女も性格が悪い人が結構いるのを知り男女CPは完全なるヒエラルキーの底辺とは言えないのだなと感じている。ただ現状のpixivでは夢やBLの人気がすさまじく、観測範囲の男女CPが夢と区別しづらいもの(主人公の個性が必要以上に出せないゲームでの女主人公ものなど)もあり、男女を名乗ってはいるが夢(女キャラの人間性を無視して、男キャラにしか萌えてないように感じるものなど)というものも感覚としてあるため、BLよりは下、夢よりも下という認識。
4、男性向けとCPなし年齢制限ありについて。男性向けは感覚として、オタクのイメージ=男性向け創作となっていると思う。商業的にも同人的にも女性向け作品よりも多大なシェアであるという認識。年齢制限分野の話になるが、性癖が男性向け方面というのを抜きにしても女性向け創作が生緩いものが多く使えないものが多いため、男性向け年齢制限>>>>女性向け年齢制限という感覚がある。女性向けがBL、夢、男女とシェアを複雑にしている中で、男性向けは一つのパイに集中しているという認識。CPなし年齢制限ありは、それ専門でやっている人をあまり見たことがなく、BL、夢、男女の人たちが書いているのを見ることが多かった。BLの人にマウントをとられたり、夢ではオリキャラ無双、男女ではヒロイン総受けの体のいい道具として、使われているのを見た経験はある。寵愛されるのがオリキャラか自分の好きな原作のある一人のキャラかであるという点が違うだけで、スタンスとしては同じだと思う。ただ二次創作が好きな原作を創造して書くものであるため、嫌ったり厭う人は少ない認識。BLが作品・作者・読者ともに多い分、人数差でヒエラルキーは負けるものの、夢や男女よりはヒエラルキー的に上だと思う。
5、GLについて。女性向けジャンル・女性ファンが多いジャンル(男キャラが多いジャンル)によくいるため女性向け百合は全然見ないか、BLのついでの処理の感覚がある。BLの処理とは原作で男←女だったり、まだフラグは立ってない良いなかの男女で、男キャラをほかの男キャラとくっつけるため別の女キャラとくっつけること。女キャラ同士に萌えたわけではないなという作品を見たことがある。BLっぽいということが、人気の要因となったGLCPもあるとは聞いたことがある。百合の意味をBL的な意味(受け×受け)に乗っ取られかけたりするなど、BLよりはヒエラルキーが下の感覚はある。男性向け界隈では、自分以外の同性(男)を見ずに済むためか重宝されているものの、本質としては男性向け男女(自分×キャラ)の代替の場合も結構ある印象。ただ同人作品としてみることは経験上少なく、一次創作のほうが多い。
BL、夢、男女どれかしか食べられない人、萌えるメインが存在する人、全部同じくらいに好きな人と様々だろうし、あるジャンルでBL書いている人が女夢主との恋愛を書いていること、男女を書いている人が女夢主を書いていることを見た経験もあるし、ジャンルによっては違うと思う。男性ファンが多く、女性キャラが多いジャンル(艦これやラブライブなど)だと、BLのヒエラルキーは男女(男性向け女性向け関係なく)よりは下に感じることもあるだろうし、女性ファンが多く、男性キャラが多いジャンルだとこっちみたいに男女のヒエラルキーをかなり下に感じるだろう。グラブルやfgoなどの両性をターゲットにしてどの層にもサービスを行うジャンルでは、ヒエラルキー差は強く感じないこともあるだろう。自分が被害を受けたことは忘れなくても、自分が攻撃をしたことは忘れているため、こっちがメインの男女のやらかしを過小評価、BLや夢のやらかしを過大評価している節も否定できない。
https://note.com/komatsuna777/n/n1d69e89f8c59
こっから始まってちょっと言及したくなったことが出たけどその前に
https://tkrtht.hatenadiary.com/entry/2019/06/04/195908
このへんとかを合わせて読んでポルノとしてのR18BLと性的消費が主題でないBLは分けて考えた方がいいんじゃないかと思った話をします。
(不可分って言ったのに分けて考えるというのもなんか変な話なんですが)
そもそもBLになぜハマるかについては人それぞれ理由があるので全部ひとまとめにはできないわけですが、それでもやっぱり大まかな傾向っていうのはあります。
ありますが、その大まかな傾向も当然ながら一つにまとまるようなものではなくて何種類かに分かれるはずです。
そういう中でBL=ポルノとかBL=性的消費とか言い出すと、いや確かにそういう部分があることは否定しませんけどそれ言い出したら恋愛小説は全部性的消費かっつったらんなことねぇだルルォ?ってなるじゃないですか。
ポルノとしてのBLについての考察は個人的にはかなり当たってるところはあるんじゃないかとは思いますし、そのあたりを否定するつもりはないんですけど。(受けが女体化したりするのはまさにそういうとこだと思ってるしなんなら自分も受けに投影してポルノ的な消費の仕方をするBLもある)
普通に男女の恋愛ものとかも少女漫画もガンガン読むし、少年漫画とかで主人公×ヒロインを推しまくって恋愛フラグのないサブキャラをくっつけてキャッキャしたり主人公攻め、主人公受けの場合も主人公に明確な恋愛フラグが立ってないからこそ男とくっつける時もあるので「それだけじゃないよ!」っていうのは声を大にして言いたいわけです。
例えば自分はマジモンの「性癖」として悪堕ちモノとか洗脳モノとか催眠モノとか好きでして、リアルの世界でそういうことをされたいかと言えば絶対にノゥ!なんですけど、安全が保障された妄想の世界であれば征服される側になってみたいというM志向があって、かと言って自分自身の容姿やら何やらには割とコンプレックスがあって自分がそういう目にあってもまあ興奮するどころか萎えるので、美形同士のMC系コンテンツはガチでポルノ消費してます。(キモオタとかモブおじがかわいい子をあれこれしちゃうのは好みでない)
「犯される」ことがかなりウェイトが高いみたいで、レズものでもふたなりだったり触手とか使ってまあつまりインする類のものであればとてもにっこりして読めます。増田じゃないとこんなこと書けねぇわ。
じゃあBLは全部ポルノとして消費しているかと言えばそうでもなくて、そもそもR18じゃないBLとかも普通に読むし好きなCPでもそこまで積極的にエロ妄想しないCPとかもあるんですよね。
あとこれは本題とは無関係ですが「必ずしもポルノ消費するのが目的ではないけどポルノ消費もできるCP」についてはABの場合BAもCBもNGですがBC(恋愛感情はないけどいわゆる連鎖堕ち、快楽堕ち要員としての攻めのBと落とされるC)はアリです。ポルノ消費しない場合のBCはやっぱり無理です。おまけにポルノ消費を目的としていない部分の自分がたとえポルノ消費であろうとAとBの間に必ず愛情を求めてきます。(歪んだ愛情は可)
何かの参考になるかと思って書いたけど業が深いなこれ。
それで「じゃあポルノ消費を求めないBL」について何を求めているのかという話ですが、多分突き詰めると本当は愛や情ではあっても恋愛である必要はない、互いに求めあう心だとか、こころのふれあいって奴を求めているんだろうなあとは思っています。
それは別に恋愛でなくとも家族や親友といった間柄でももちろん表現できるものではあるんですが、そこでなぜ恋愛関係にもっていくのかについては自分の中の固定観念として「結婚とかは基本的に面倒臭いことだし誰かと一緒に生活するのって何かとしんどいけどそのしんどさを許容してでも一緒にいたいと思える相手は本当に想っている相手だ」みたいな感覚があるんですね。
それが必ずしも正しいものではないことも理解はしていますし、常に一緒にいることだけが愛ではありません。
ですが一つのモデルケースとしてとても分かりやすく、「いいことばっかりじゃないけどそれでも一緒にいたい相手と一緒にいることを選ぶ二人の話」はあれこれ考えずにするっと頭の中に入れられるので気楽に人と人との心の触れ合いを楽しみたい時は恋愛に行くのだろうなあと思います。
それ以外でも家族の絆とか友情とかももちろん好きですが、なんだかんだ恋愛ものってやっぱりコンテンツとして大きいしその分洗練されてて安定した品質を確保しやすいのはあるよなあと。
だから自分は別にBLに限らず男女でも百合でもなんでも自分の感覚に会えば見ます。その時に必要としているのはSEXではなくて心のふれあいなので。
そのような背景を前提に、二次創作で同性CPを妄想する時になぜそこをくっつけたのかという自分の思考の流れを追います。
まず最初に既存のコンテンツや公式CPではなくて二次創作による捏造CPを生み出す理由として、自分が考察厨で妄想癖があることが原因かと思います。
受け取ったコンテンツを消費する時に、そのまま受け取っておしまい、ではなくてなぜそうなったのかの裏を考えたり、間の空白をそれっぽい何かで埋める遊びが大好きなんですね。だから二次創作CPも無から有を生み出すのではなく作中の描写を元にそれを拡大解釈して捏造するのが好きです。これは好みの問題ですのでもちろんそれが正しいとか言うつもりはないです。二次創作なんて全部捏造。
この、考察厨亜種としてのBL好きの存在は実は結構いると思っています。特に二次創作をやってる人は考察勢と言うか、CPとして成立する根拠を持ち出す人が多く、顔カプと言われるような原作で接点のないキャラをくっつけるのを嫌う傾向にある人が多いと思うので。
そしてそれが男同士になる場合、一つは「恋愛が主題ではない作品の場合、主人公とヒロインのフラグが薄い、あるいは明確なヒロインが存在しない場合がある」ことにあります。
先程も言いましたが、自分は恋愛要素があるコンテンツは(複数ヒロインの際にどのヒロインを推すか問題を抱えることはあれど)ファイナルファンタジー(最終回発情期)やら連載途中で後付けでフラグが立ったりとか作品に入る順番を間違えた(うっかり終盤のネタバレを踏んでそこから入ったとか二次創作から入った場合)といった事故を除けばそもそも主人公×ヒロイン推しの人間です。FFシリーズ(PS以降)とかテイルズシリーズなんかは主人公の同性CPは考えたことないです。
ところがそういった関係性が明示されていない場合、「この作品好きだけど心のふれあい要素が少ないんだよなあ。あれ、そういえばこの主人公このキャラと仲がいいよなあ、ふむふむ…」といったあたりから始まって妄想が始まっていきます。
もう一つは「恋愛フラグが立っていないメインキャラ同士のCP」であるケースです。
この場合、性的思考は割と異性寄りなので男女で見ることの方が多いですが、最終的にときめいた関係性のキャラをCP視するので、メインキャラに男性が多い作品だったりすると軽率にBLに走ります。
また、主人公が無個性であり主人公と自信を同一視するようなタイプのゲームだと自分とキャラの恋愛は「そもそもこのキャラが自分を好きになるはずがない」と解釈違いを起こすので主人公とのCPは除外されます。
とは言えCPの女性側や受け側に自己投影をしていないとは思いません。(二次含めて創作する場合)登場人物全てある意味では自分のペルソナだと思っているので自己投影を全くしていないキャラなどいないという意味で。
ですが「そのCPが互いに心惹かれるに至った動機」だとか「相手のどういった部分を好きなのか」といったこころのふれあい部分に自分のパーソナリティなんぞが入ってきたら邪魔というか異物でしかないので、キャラに自分の一部を重ねることはあっても自分のパーソナリティを重ねることはないです。
そういう意味では攻め視点・モブおじ視点は自分のようなタイプの腐女子とは相容れないですね。(もちろんそれが悪いとは言ってません。分類が違うということです)
ところで書いていて思ったのですが、腐女子が受けに対しての「自己投影」を否定するのは、人によりけりですが「私は受けと自分のパーソナリティを同一視したりはしていない」の意味が強い思ってます。
単に共感するかどうかではなくてそれこそ自分自身が作中に入り込んだのかのような、それこそ同一視というやつになるんでしょうか。それはやってないよという意味だと思ってます。
昔からアイドルに対しての「ガチ恋勢」とかキモイってよく言われるじゃないですか。住む世界が違う相手に本気で恋い焦がれる、まではまだしも彼女かなにかのように振舞うとかキモイ、ってやつです。
それと似たような感じで、住む世界どころか実在しない相手に対して本気で恋い焦がれて彼女面するとかキモイ、妄想乙、って話だと思うんですね。
つまり「ヒロインに自己投影=ヒロインと自分のパーソナリティを同一視するような奴」は「架空のキャラに対して本気で恋愛感情を抱いており」「架空のキャラをまるで現実の人間であるかのように扱い、恋愛感情を抱くなんてキモイ」というという三段論法なんじゃないかと。
誤解されないように言っておきますが、私個人がガチ恋勢をキモイと言ってるのではないし、ヒロインとパーソナリティを同一視することが必ずしもキャラとの恋愛にイコールで繋がるわけでもないし、夢女子がガチ恋勢とイコールで繋がるわけでもないし、自己投影を理由に相手をバカにするような行為は本来許されてはいけないものです。
物語が誰の視点で語られるか、の問題ではないと思われます。受け視点のBL二次なんて腐るほどありますが、なら受け視点の物語であれば自己投影を疑われるかと言ったらそんなことないです。
なぜ架空のキャラに対して恋愛感情を抱くことをキモイと感じるのか、あるいはキモイと言われてバカにされるのかについての根源的な部分についえは残念ながらよく分からないのですが(現実と架空の世界を混同していると思われているのかな)、実際に夢女子に対して「キャラと恋愛する妄想とかキッモww」というたぐいの罵倒は見たことがありますし、自分にもバカにするとまでは言わずとも昔になんとなくガチ恋勢を下に見ていた時期はあったなあという黒歴史があるので。
で、二次で受けのキャラ崩壊が激しいと、もうそれこそポルノ目的で快楽に弱いえっちな子にされるのは逆にそういうものだと納得?できるのですが(キャラ崩壊そのものが嫌な人もいるが、それはそれとして理由が明確である)、明らかな性的消費というわけでもなさそうなのにこのキャラがこんなことやるかよみたいなことをしたりすると、キャラの性格を改変した理由に自分の中で何かしら説明をつけるために「この人は受けに自分のパーソナリティを反映させているのでは?」という仮定が出てくる、と。
更に他ジャンルの二次創作でもどんなキャラであろうとも常に受けの性格が一定のテンプレに押し込まれていて原型がなかったりすると倍率ドンですね。
そして原作と性格がかけ離れてしまった(と読者が感じた)キャラが優遇されていると、そのキャラが好きで優遇したと言うより改変後のキャラが好きで優遇されたと判断され、改変されたキャラは作者のパーソナリティ的な分身だと認識される、と。
当然ながらその仮定は仮定でしかないし(単純に二次作者の力量の問題であるパターン、実はむしろ原作に忠実であり読者の方がむしろ受けを美化しているパターン、性癖ではあるがパーソナリティを反映しているわけではないパターンなど色々あり)、仮に事実であったとしてもそれを理由に相手をバカにしたりするのは言語道断なのですが、思考の流れとしてはそう特別なものではない気がしています。
要は「飛影はそんなこと言わない」なんですよ。もはやそのキャラはそのキャラではなくニセモノとみられているのです。
壁になりたい、空気になりたい腐女子については単なる第三者というだけではなくて第三者かつ彼らを至近距離からのぞき見したい現れなのではないかと思っています。
というか物語を楽しむ視点の話ではなくて「そのCPの私生活やら何やらをあますところなく全部至近距離でじっくり拝見したい」んですよ。
だから「空気になって24時間推しCPに密着したい」になるんですね。空気視点で作品を楽しみたい、とはちょっと違う気がします。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 79 | 17612 | 222.9 | 55 |
01 | 60 | 6414 | 106.9 | 43 |
02 | 49 | 5848 | 119.3 | 47 |
03 | 28 | 6527 | 233.1 | 55 |
04 | 22 | 2690 | 122.3 | 48 |
05 | 12 | 1376 | 114.7 | 34 |
06 | 20 | 9895 | 494.8 | 36 |
07 | 34 | 7123 | 209.5 | 67 |
08 | 86 | 6917 | 80.4 | 38 |
09 | 139 | 8964 | 64.5 | 37 |
10 | 119 | 11573 | 97.3 | 38 |
11 | 124 | 11172 | 90.1 | 41 |
12 | 176 | 15605 | 88.7 | 32 |
13 | 107 | 10594 | 99.0 | 57 |
14 | 112 | 8356 | 74.6 | 37.5 |
15 | 124 | 7489 | 60.4 | 34.5 |
16 | 146 | 16030 | 109.8 | 38 |
17 | 187 | 12892 | 68.9 | 33 |
18 | 130 | 10782 | 82.9 | 35.5 |
19 | 158 | 28423 | 179.9 | 34.5 |
20 | 145 | 13637 | 94.0 | 35 |
21 | 169 | 17552 | 103.9 | 48 |
22 | 147 | 13619 | 92.6 | 43 |
23 | 122 | 11852 | 97.1 | 41.5 |
1日 | 2495 | 262942 | 105.4 | 39 |
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