はてなキーワード: 喪主とは
この前の同性婚必要なくね、みたいなやつで話題になってたけど、同性婚とまではいかなくても「結婚しないけど生涯一緒に暮らす予定です」みたいなのを表明できる制度あってもよくない?
扶養控除みたいな法律的な金銭的なメリットはないけど、喪主にもなれるし病院にも付き添えるぜ!みたいな証明書みたいな(そもそもこの辺はなくても出来るようにしようよ!って思うけど。家族でなくてもやってくれる人がいるならそれに越したことないんだから)。
わんちゃん民間のサービス(ケータイの家族割とか)は受けれるようにしてさ。
これから独り身増えるだろうし、逆に独り身同士で面倒見合える制度あればいろんな人が楽になりそうだけどな。
介護はしないけど入院の面倒くらいは見てもいい人っていると思うんだ。
数は多くないけどそれなりに需要はあると思う。
それとももうあるのかな?
架空OL日記ってあるじゃないですか、バカリズムさんの。銀行勤めのOLの日常を赤裸々に綴ったすべて嘘の日記っていうわりとヤバめの発想の。
映画を見たんだよね、主演、バカリズムさんだった。やばいよね発想が。企画立案からプラン実行まで隅から隅まですべてやばいんだけどこれが面白いんだな。いるいる!てなる。OLの日常知らんけど。
いーなーわたしも、そういうの、そういうのやりたい!て思って。やっぱ人生現実一本だと正直キツいんだわ。まじで。長すぎない?人生。そんでもってしんど過ぎない?ていうか、労働時間長くない?給料、少なくない?なんかもう楽しくパロディみたく生きていたい。
で、ハッと気が付いたんだわ。
自慢じゃないんだけど、というかまじどこをどういう角度で切り取っても自慢になり得ないんだけど、高校〜大学時代のあだ名が「人妻」だった。
さすがに社会に出てからはそんなトンチキなことを言ってくる非常識人には巡り合わず、なんなら24歳バリバリ職場でいっちゃん歳下なのでみんなにでへでへ可愛がりしてもらってた。のだけど。
こないだ数ヶ月振りに再開した会社の同期から言われました。開口一番。
「未亡人感が増したね」と。
待て、夫よ。いつ死んだ。
わたしの知らぬ間にわたしは結婚し団地に暮らし夫の帰りを待ちながら昼下がりに宅配業者を誘惑したり義父と密会したりしていつのまにか夫が死んでた。
なんでなのかな。
なんでなんだろ。
そんなに幸、薄そうかな。
成人式に振袖着た写真を見せたら色んな人に「喪主か極妻」って言われたんだよね。岩下志麻に弟子入り志願だわ。あんたら覚悟しいや!
よしわかった、今からお前らの欲望を全部受け止めてやる。人妻団地妻未亡人枠として腹を括った悲しき24歳独身バリバリ労働者。扶養はしてもされてもいないし、なんなら夫どころか彼女も彼氏もおりません。
人妻ってでも、言ったらわたしの母上も人妻な訳で。でも、人妻ってそういうことじゃないんよね。ファンタジーなんよ。人妻は。
リアルガチ人妻は仕事に家庭に忙しいスーパー現代女性なわけですが、ファンタジー人妻はファンタジーだから。夢を見させてくれる存在だから。
所帯持ち感とかゼロ。エプロンは白。髪は黒。夫という連れ合いはいるけれどもいつもどこか頼りなげ。何処の馬の骨とも知らない野郎に連れてかれそう。押しに弱い。流し目が得意。儚さの中に漂うエロス。判子を押したあとの上目遣いでノックアウト。そのまま家主のいない部屋へと雪崩れ込み…………
親戚が裕福なので支援もしてたし、もうちょっとなんとかならんかったか、とも思ったが、悔やんでも仕方ないのでどこかのタイミングで割り切れたことが救い
父は他界しており、母も高齢なので喪主が回ってきた(残った兄弟で一番上だったので)
大往生まであと一歩というところ。最後は風邪こじらしてしまったらしい。ホームから連絡来た。
当日まで元気だったし話もしてたのでちょっと理解が追いつかなかったが90超えてたのでまあしゃーないか
喪主は色々案が出たし初めは頼まれて引き受けるつもりだったけど最終的に叔父に任せたが、兄と同じところの会館だったので、勝手もわかってるからとサポートに回った
打合せとかは同席して
ほんとあっという間。遺品とか全然片付いてないし、兄の手続きも全部は終わってない
祖父は増田兄弟に負担をかけないように後見人つけててくれたので、葬儀以降はほとんどすることないけど、
祖母のほうは、叔父が遠方で仕事もしてるということもあって、頼まれて市役所とかは済ましたけど、まだ銀行とか相続関係とかほとんど手をつけてない
葬儀費用はケチらなかったのと、父の意向もあって、200万弱、150万、300万とか
祭壇とか馬鹿高い
とりま流れで元々会員入ってた葬儀やとかホームが紹介してくれたとことかで他を調べずにやってみたけど
まず会員入ってたところはお勧めしない。安くなるよーって耳障りのよい営業で年寄に契約(予約)させるけど。
部屋のサイズとかも選べなかったり。入会から式まで何十年も経てば参加者の数も大幅に増減(大体減だろうけど)するし、
コロナとか色んな事情も変わってしまう。ただサービスとかは良かったので、いきなり葬儀社選びから始める面倒さを無くす意味では助かった。
ホームの紹介のところもめちゃ高かった。こちらは打合せすることがほとんどなかった家族葬だったので楽だったが。
(花のランク決めるぐらいで、オプションの選択がほとんどなかった。こだわりたい人にはちょっと物足りないだろう)
基本パックに入ってないこまごまとした追加料金が発生することもあるし、棺桶ひとつとっても5万が基本プラン込のやつで、三面彫りとかになると30万とかもっと上のランクがあったり、しょぼしょぼ葬儀を回避しようとするとあっという間に何十万という金額足されていく
あと俺が喪主しそうな人とは話して、最低ランクで簡素に済まそうということになった。
それだけでも、霊きゅう車の手配とか棺桶やらドライアイスやらなんだかんだで何十万円になるだろうけど。お寺高いし、高齢の親戚への体裁とか考えたら初七日もやらんとだし。
そんで、市役所からは5万円しかもらえないけど。(あー、健康保険かなんかの5万といっしょに暮らしてたらまた数万年金のほうから出たんだっけ。手続き多すぎて忘れた)
しばらく葬式はしたくない
母が亡くなって、1年ほどになりました。
時折ふとした瞬間に、そうだ、この世の中には、もうお母さんはいないのだなあ……、としみじみ思い出して寂しくなります。
母親が亡くなると、大げさにいえばそれ以前とそれ以降で、自分の心持ちががらっと変化してしまったような気がします。
抱えている寂しさや空しさの量が少し増えましたし、自分自身の死ということにも、よりリアリティを感じるようになってきています。
とはいえ、人生は続いていくわけで、時間が解決することもあるけれど、この寂しさや空しさを、当たり前にそこにあるものとして、これからは暮らしていくんだろうと思います。
ただ、今日この場で語りたいことは、現実的(で大切な)話、葬儀・供養についてのお金の話題です。
私、母以外にも肉親をもう2人、既に亡くしていまして、喪主の経験が3回あります(3回あれば、語る資格ありますよね?)。
さて皆さん、人がひとり亡くなると、葬儀・供養にどれくらいのお金がかかると思いますか?
もちろんケースバイケースですが、私の母のケースを参考までに述べますと、
・ほぼ家族葬、参列者が15人以下。
・コロナなので、会食はなし。
というもので、
(高齢化社会になると、高齢で亡くなるため、すなわち、葬儀に参加する仕事のつながりや友人知人もいなくなります。なので近年は、家族葬の割合が増えていると聞きました)
位牌・・・4万円
合計・・・180万円
でした。
(これに加えて、香典をもらうとしたら、平均ひとり1万円いただくことになり、その半分を返礼品でお返しすることとなります)
わりとメジャーな葬儀社で、いちばん簡素なプランを選んでの金額です。
お布施は付ける戒名のランクによって金額が変わるというお寺のシステムがあり、こちらも最低ランクの戒名でお願いしました。
なので、自分が亡くなる時には180万円くらい残しておかないと、残された人たちが困るかもしれません。
たとえ自分が「葬式不要・戒名不要」と遺言を残していたとしても、実際には、残された親族親戚からすると、それでは気が済まないから、
皆でお金を出し合って最低限の形にしよう……という話になる可能性もおおいにありえると思うのです。そこは、自分だけの合理性では済まない部分もあるといいますか。
私自身、もちろん亡くなった家族を悼む気持ちはありますが、宗教的な信仰心が厚いわけではないので、
葬儀・供養については、できるだけシンプルな形でと考えていたのですが、それでもこの金額になりました。
ちなみに葬儀社には「互助会」というシステムがあり、生前に入会して積立金を支払っておくと、費用の割引を受けられるというシステムがあります。
(なので、互助会に入会していないと費用が割高になるようです)
亡くなった親が既にどこかの互助会に入っていたり、どこかのお寺の檀家になっていると、このあたりについては選択の余地はないですね。
小さめの家族葬をメインとしたセレモニーホールだと、価格が抑えられたかもしれないなとは思います。
しかし、決して安くはないけど、ネットで調べた相場よりも高くはないようなので、まあ、こんなものかなという感想です。
ただ、お墓への戒名彫りと納骨費用の10万円は、調べると相場は3~5万円ということらしいので、ちょっと高かったのです。
(あと、戒名彫りのフォントが野暮ったくて、それも不満に感じています)
石材店に依頼して、お墓の側面に戒名と没年を彫り、骨壺をお墓の下に収納するわけですが、墓地には「指定石材店」という制度があり、
決められた石材店にしか依頼することが出来ないルールなんです(公営の墓地にはそういう制度はないようですが、民間墓地にはあるそうです)。
それを聞いたときには、ちょっと疑問は感じました。シンプルに独占禁止法にひっかかるのではないかと思ったのですが、それにはあたらないという見解もあるみたいで。
とはいえこのルールでは相見積もりも取れないし、これが適正価格なのか信用はできないな……、と思います。
そういった独占的な商売を、消費者としてどこまで信用してよいのでしょうね。
だけど、お墓はトラックが横付けできないような山あいにある墓地ですし、近年の様々な材料の高騰の影響もあるのでしょう。
素人にはわからないコストもあるでしょうし、ネットで調べた相場感だけで軽々には判断できません。
ところで、その石材店の社長名でfacebook検索してみると(そういうこと、しますよね?)、
自宅ガレージの前には、レクサスはおろか、BMW X4 M Competition、フェラーリ ポルトフィーノ、488ピスタ、などの写真が並んでいて、
私たちはいつから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説!
https://intojapanwaraku.com/culture/48024/
疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉、から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができます。しかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちのご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。
日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授・中澤克昭先生のお話をもとに追ってみました。
うつりかわる肉食への考え方
日本史の教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代(明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜は労働力を提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。
3世紀ごろの日本(ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀に仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避(タブー)につながっていくのです。
しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシやシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代の遺跡から出土した木簡からわかっています。中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地の所有権を確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。
古代には禁欲の対象だったお肉も、平安時代になると禁忌つまり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代も飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物が確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。
「天神さま(菅原道真)の牛のように、神話や伝承の世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓(ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。
新鮮な馬肉
では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。
なお、近代以前に肉を地方から京都や江戸へ運ぶとき、塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉も存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカやイノシシでしたが、貴族社会の宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお(現在の味噌・醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています。
肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家に権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家の食事のマナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別な作法があったようです。
江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料上確認できますが、その後しばらく姿を消してしまいます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗は徳川家康を尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名の特権ではなくなりました。明治天皇も御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇が狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野で鷹狩りをして以来のことでした。天皇は800年ものあいだ狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士の時代と重なっているのが興味深いところです。
明治天皇は1872年に牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後生まれの世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥でちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活も高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。
一方で2030年ごろには、世界の人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食の研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。
「動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ちを自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。
コロナ禍じゃなければ多分、危ないですって連絡が事前にきてたんだと思う。
それでもまだ生きてる内に会いたかったなぁ。
入院前に会った老人ホームで車椅子に腰掛けて、こちらを見てくれる祖母はちっちゃかった。
この日が生きてる内に会える最後かもなぁとぼんやり思ってたけど、振り返るとやっぱり最後だった。
私も母も隣の市に住んでいて、コロナ禍での病院の規定上、面会は一度もさせてもらえなかった。
受付だけ済ませて車内で待ち、タブレットを受け取ってほとんど返事も目線も返ってこない祖母を少し見ただけ。
しかもそれも一回。
小さな頃、ほとんど祖母に育てられていた期間があって、とある宗教を信仰している祖母はよくその教会に私を引き連れた。
教会にいくと祖母には祖母の仕事があり、事務所のようなところに籠もるので私は寂しかった。
同じような子どもたちもいたけれど、私はあまり人と仲良くなるのが得意ではなく、誰ひとり好きでもなかった。現に今でも誰一人として顔も名前も覚えていない。
私はその宗教を信仰していなかったし、神だ教えだは興味がなかった。
それでも少年部に属されることになり、何度か導師(式典においてメインで読経する位置)もさせられた。祖母は鼻高々って感じだったのを覚えてる。
属しているかと言って全員が全員式典などで導師をできるものじゃないんだろうと思う。
高校生にもなれば自らの意思で参加不参加を決められたので、(祖母的には出てほしかっただろうが)基本的にそういったものは以降すべて不参加にした。
そんな宗教も祖母が亡くなったことでもう完全に抜けさせてもらえると思う。母も私も信心深くなければ御布施も払わないタイプなので。
あぁでももっと、行ってあげたら良かったのかなぁ。
おばあちゃんがそれで、喜んでくれるのなら。
おばあちゃんがお墓参りのときに作ってくれる鬼まんじゅうが好きだった。蒸しパンと呼んでいたが、多分鬼まんじゅうだったと思う。
おばあちゃんがよく作ってくれたヒメジの酢漬け、何故かいつも口内炎があるときに作ってくれるから、よく泣きながら食べてたな。
祖母の家に泊まって迎えた日曜日の朝、「ピザにしてあげようね」と作ってもらえるピザトーストが大好きだった。
なんか食べ物の話ばっかりだな。
皮のたるんで柔らかい腕が好きだった。冷たくてぽってりしている耳たぶが好きだった。「ただいま」と言う時のイントネーションが好きだった。(中一高で完全に“ヘタリア”と同じだった)
今考えたら軽度の認知症が出始めた頃、週に一回くらい祖母の家で一緒に食事を摂っていた。基本的に祖母が食事の準備をしていくれていたのだが、一度、私が食べたいからという理由で筑前煮を作ったことがある。
「おいしいねぇ。これで○○ちゃんもいつお嫁に行っても困らんねぇ」
これを50回位言われた。
当時私には恋人がいたが、最悪なことにその恋人には妻子がいた。
ごめんね、お嫁には行けないかも。
内心でめちゃめちゃ泣きながら「大げさすぎん?」って言いながら祖母の倍食べた。食べたくて作ったのですごい美味しかった。
妻子がいる人とお付き合いするのは本当に最低なのだが、一番最低なのは妻子がいる身分で新入社員に手を出したそいつだと思う。あとこの世にいるご結婚なさってる方々、指輪嵌めろマジで。知らなくて好きになったあとだともう狂ってるから遅いんだよ。
言い訳はこの辺にしとく
あの世がもしもあるなら、どこも痛くなといいな。
輪廻転生をすることがあるのなら、次はおばあちゃんのなりたいものになって、幸せに過ごしてもらえると嬉しいな。
火葬ボタンを喪主に押させるのって酷だね。震える母の背中を見ながらそう思った。
思い出すといつもちゃん付けで呼んでくれてたなとか、眠りが浅くてすぐに起きてしまうのに何故か毎晩ラジオをつけて寝ていたこととか、こたつで眠る私に毛布をかけてくれたこととか、思い出すのは些細なことで、そしてちょっとずつ美化されてる。
ちょっとうまれが複雑な私に思うところとかたくさんあったと思う。叔母に幼少時首を締められた私としては叔母を擁護する家族に思うところもあったし。
備忘録。前にも確か書いたけど、編集中に消してしまったので修正加筆してもう一度。
1.なんで子供欲しくないの
2.子供嫌いなの
3.なんで結婚したの
4.将来後悔するよ
6.結局どうしたいの
欲しくないから。
なんかここに壮大な理由を求められたり悲惨なバックボーンを想像されたりすることがよくあるけどマジのガチで普通に欲しくないだけ。
宇宙飛行士は確かに立派で尊敬すべき職業だけど私はなりたくはない。同じように、母親という存在は立派で尊敬すべき職業だけど私はなりたくはない。
あとSNSやら何やらで流れてくる「妊娠はこんなにも辛くて出産はこんなにも痛くて産んでも誰も助けてくれない乳痛い飲みに行きたい自由になりたい死にたい」という母親の本心を見ているとああはなりたくないなと思ってしまった。本当にお疲れ様です。
苦労されてるんだろうと思うので、子育て世代のための納税や日々子供さんを見かけたときにサポートできることがあればお手伝いさせていただく、くらいの距離でいたい。
ハチャメチャに子供好きなのでようつべで「赤ちゃん 予防注射」とか「赤ちゃん お食い初め」とか「幼稚園 お遊戯会」とか調べまくって癒やされてる。こう言うと「やっぱり産みたいんじゃん!」って言われるので普段は絶対に言わないが、私は自分の子供は絶対に欲しくないだけで子供そのものは好き。
というか、好きなもの=絶対に手に入れて手元に置いておくべきって考え方はちょっとやばいんじゃないか?と思う。しかも対象が人間て。
そもそも「かわいい子供」だけが欲しくて子供産んじゃうのは流石に無責任すぎて私にはできない。子供は確かにかわいいけれど、その子も永遠に子供でいるわけではないので「かわいい子供が好きなら産むべき」っていうのは暴論だと思う。
その子供が大人になっておっさんおばさんになった後の方が人生で関わる時間は長くなるのに。
かわいい子供を楽しみたいからという理由で産んでしまうのって、我が子をアイテム扱いしてるみたいでなんか嫌なんだよな。
猫ちゃんも好きだけど同じように飼おうとは思えない。
子供大好きなので子供の話とかは遠慮してもらわなくても大丈夫。なんか世の中、子無し夫婦の前では子供の話はNGみたいな風潮あるけどアレも寂しい。むしろ聞かせてほしい。好きな漫画の話くらいは盛り上がれるし話したいし聞きたいので。
これめちゃくちゃ聞かれるけどやっぱり世間一般では結婚=子供なんだろうか。
私は法律のバックアップが欲しくて結婚したんだけど、やたらと「なんで子供欲しくないのに結婚したの?同棲でよくない?」という声をいただくことが多い。
結婚と子供って別に繋がらなくね。同じ道の上にはないよね。最初から「結婚はしたくないけど子供が欲しい」と未婚の母を選択する人もいるし、「結婚はしたけど子供はいらない」っていう私みたいな人もいるし、私は結婚そのものは子供とは繋がらないと思っている。
結婚すると、配偶者が困った時に一番先頭で支援する立場に立てるようになる。親族、それも一番親しい人としてあらゆる書類にサインができる。突然の事故や病気の際、医者から直接説明を聞ける。入院しても家族として助けられる。介護が必要になったら私が相手のおむつを替えられる。死の床でも一番近くで手を取れる。喪主ができる確率も上がる。私が先に死んでしまったとしても、財産を相手に優位に残せる。これは同棲では無理な場合やいちいち説明が必要な場合が多いから、私は結婚した。
むしろ結婚する理由ってほとんどこれらを得るためだと思ってたけど、これを説明すると「そんなこと考えたこともなかった」っていう既婚者がめちゃくちゃ多くてビビる。
子供を産まずに生きて後悔するかどうかは分からないけれど、子供を産んだら100%後悔する未来が見えているので…子供産んで後悔するより子供産まずに後悔した方がずいぶんマシじゃない?
ぶっちゃけてしまうと、大人は親業をやめることができる。親であることをやめたいと願ったとき、その方法はいくつか合法で用意されている。
仕事が嫌なら転職する、配偶者が嫌なら離婚するのと同じで、親が嫌なら親をやめられる道が親には存在している。
親子とは言っても思想も思考も全く違う他人なので、性格や体質の致命的なミスマッチが発生する場合もある。そんなとき、親側から離れることはできても子供側から親の元を離れることは法律上難しいのだ。
子供が親の子供をやめられるのは何か大きな事が起こってからで、その時には既に親子共に大きな傷を負ってしまっている可能性が高い。
下手したら人が死ぬ。
そんな重大な責任を私は負えない。私という人間の元に一人の他人を縛り付けるなんて怖いことはできない。
それにもしも私が産んでその子を合法的に手放したとしても、子の戸籍には私の名前が永遠に残り続ける。私が死んだら、その子に死後処理と相続放棄の負担をかけることになってしまう。
今一番やりたいのは卵管結紮。だけど今の日本で手術をするには「既婚者」かつ「子供を数人産んでいるor配偶者の同意が必要」で私にはほとんど手が届かないものになってしまっている。
既婚者ではあるけれど子供は産んでいないし、夫は「ピルを飲んだりミレーナを入れることには同意するけれど、体に穴を開けてまで避妊手術をするのは同意できない」とのことで、こちらも難しい。そもそも「or」と書いたけど、現実的には「&」を条件にしている婦人科ばかり。本当に困っている。
自分が子供を産める体であることがおぞましくてたまらない。ピルをやめると子供を産める体に戻ってしまうことが苦しくて気色悪い。憎悪感しかない。なのに、手術は受けられない。
本当なら子宮摘出したい(ホルモン由来の病になりたくないので卵巣は残したい)くらいなのに。
なんなら不妊治療にも子宮移植の話が出てきてるし、私の子宮で幸せになれる人がいるならそうしていただきたい。
性別適合手術は未婚者でも可能なのに、性別違和の無いシスジェンダー女性が子宮を取るには配偶者と配偶者の同意が必要というのもよく分からない。
世の中には、子供が欲しくない既婚女性を良しとしない人が多い。女性はみんな将来的に子供を産むもんだと思われているし、子供を望むもんだと思い込まれている。
子供の頃から「将来はいいお母さんになるね」「赤ちゃんのお部屋を守るためにお腹は冷やしちゃだめだよ」と言われるたびに感じてきた違和感が、大きな嫌悪感になって今の私を苦しめる。
思い返せばおままごと等でも母親役は絶対に避けていたし(妹役やペット役や親戚役など赤ん坊の世話をする人とは程遠い役を買って出ていた)将来の夢にお嫁さんもお母さんもその名が上がったことはなかった。
子供が欲しいと純粋に願う女性もいれば、子供が欲しくないと純粋に願う女性もいる。なんならここで言う「女性」は他の性別に入れ替えたって問題ない。とにかく、世の中には本気で自分の生殖機能を閉ざしてしまいたいほど子供が欲しくない人がいるということを分かって欲しい。
同性「婚」にするかは別として、同性カップルにある程度の権利を持たせる制度は作ったほうがいいんじゃないかと思う。
配偶者控除とかじゃなくて、例えば「死ぬ間際に病室で面会できる」とか「喪主になれる」とか。遺書がなくてもパートナーとして遺産を受け取れるとか。
このままだと50年連れ添った同性パートナーには遺産を渡せなくて、縁切ってた兄弟の顔も知らない子どもに遺産が渡される…みたいなことが起こり得るわけでしょ。
それなら別に「少子化対策に貢献しない同性カップルが優遇されるなんて」ってならないし。それすらも駄目なんかね。
移民が増える〜って考えの人もいるけど、それなら若い外国人女性と中年の日本男性のカップルが婚姻届出すときに厳しく審査するのが先なんじゃない?
最終章ではありますがまだやるべきことが残っているので第1篇となるでしょう。
- 母親の介護から逃げてから、その後 anond:20210322144223
- 母が精神病棟に入院した anond:20210403022555
以前に語ったとおり、母親は病気で自活が不可能となり父親による老老介護を受けた後に精神病棟に入りました。その後は体調不良のたびに転院を繰り返し、最後は実家からほど近い病院で息を引き取りました。最期を看取ることはできませんでした。そもそも職場から2時間近くかかりますし一報があった時点ですでに危篤状態でした。
その少し前から体調不良が続きいつ旅立ってもおかしくない状態でした。でもコロナにより面会はかなりの制限がついていたので、病院からほど近い父でも最期を看取ることは難しかったのとこと。特に第5波の現在ではまともに病院に入れることすら怪しいのですが。
母親に関しての良い記憶は殆どありません。私が子供の頃から彼女の周囲はストレスと負の感情が渦巻いていました。あらゆることに怒鳴り散らし厄介事を量産します。隣人、宅配業者や取引先とのトラブルは枚挙にいとまがありません。家族の中にあっても暴力と暴言は絶えず、幼いときから母親は嫌悪と畏怖の対象でした。常に誰かしらを敵に回すことでしか自分を保てず、最後は泣きわめいて八つ当たりを繰り返す人でした。機械音痴だったのが救いでしょう。彼女はスマホやPCどころか自身のケータイ電話すらもっていませんでした。仮にスマホを扱えたとしたらツイッターやらでどんなことを書いたかわかりません。
そんな母も亡くなりました。
一番最後に家族が聞いた言葉は「来てくれてありがとう」だったそうです。数すくない面会の中で唯一話せたのはそれだけだったとか。そもそも、4月以降の入院生活の多くで彼女は心を閉ざしていたようです。閉鎖病棟という空間が耐えられなかったのかもしれません。彼女自身が介護状態になってから父への依存がマックスになっていたこともあり、父に会えず家族の顔を見れない寂しさが彼女を内向的にしていったのでしょう。だから面会時に言葉を話したことに周りの看護師が驚いた、と聞きます。おしゃべりだった母親がおとなしく心を閉ざすということはよほど病院の生活が心を折るに充分だったに違いありません。
父はそれを後悔しているようです。
葬儀は直葬でした。リーズナブルで早いというそれだけの理由でしたがコロナ禍では最善の方法だと思います。母親の親戚縁者数名と私の家族だけで執り行いました。
葬式自体は何度か経験があるものの、直葬は初めてです。住職もなく火葬場に直接集まって遺体を焼いて納骨するだけというもので、移動時間を除けば1時間半で終わりました。
従来型のように通夜と告別式を執り行うことが悪いとは思いません。故人を悼む人の多さや気持ちの整理をつけるために必要な儀式もありますから。
高くとも50万せず、極めて簡易的でスピーディ。遺族の負担が本当に少ないのです。
なぜ喪主が大勢の人の前で挨拶をしなければならないのか。多くの時間とお金をかけて悲しみと疲れをふくらませる必要があるのか。ほとんど交流のない親戚や会社の人々に頭を下げなければいけないのか。お坊さんの固いお話。。。
それらをすべて省くだけでここまで楽になれるのかと感動しました。いままでの葬式は何だったのでしょう。
コロナは多くのものを奪いましたが、葬式に対する考えを改める機会をくれたことだけはメリットと受け取っています。
さて、旅立ちのあと家族と合流していくつかわかったことがあります。
母親はいくつか不動産を持っているのですが、その一つが少々どころかかなり厄介な物件だということ。保険嫌いだったのにいくつか保険に入っていたこと。預貯金はそこそこあるのですが、額よりその中身についてここで書くことが憚られるものであること。デパートの預け金が結構な額になること。そして、母親が成人後に殆ど健康診断等を受けていなかったということ。
母親が病院を嫌っているのはわかっていましたが、健康診断そのものをまともにしていないのは驚きです。歯もぼろぼろだったので長く歯医者にも行っていなかったのでしょう。
思えば母親の数々の病気は、去年の夏に倒れてからようやくわかったものですばかりです。糖尿病やガンなど、本当は健康診断で発覚するものばかりです。少なくとも献血でいいからしておけばなんらかの予兆を見て取れたかもしれません。
恐らく長いあいだ健康上の不安を抱えていたと思います。でもそれを認めずに騙し騙し過ごしていた結果がこれです。
さらに病気がわかっても頑なに医者を信用せずかなり説得が難しかったと聞きます。
自分の家族が崩壊寸前だった記憶が強いがために、幸せな家族という存在が実感できないのが本音です。配偶者の実家にお邪魔したとき、リビングに家族との写真が所狭しに飾ってあったのはかなり印象的でした。そうやって家族と記念写真を撮って飾っておく習慣が失われた家庭でしたから。実家で目につく写真といえば、唯一仏間くらいにしかありません。本当は以前にもありましたが引越しの際に殆どなくなってしまいました。
今一番不甲斐ないのは、遺産や死後の手続きの諸々を実家の家族に任せっきりだということでしょうか。でも多くがオートメーション化されているのでかなり手続きは簡単とのこと。いい時代ですね。
遺産の整理がついたら第2編を書くかもしれません。
母親がいわゆる「友達親子」になりたくて産み分けまでして産んだ娘と全く気が合わなかったという記事を読んで旋律した
私も娘を産んだので
息子なら気が合わなくても男と女は違う生き物だから仕方ないよねーで済むが娘と合わない母親つーのはショックだ
娘は今一歳で衣食住完全に親に依存してるから合う合わない関係ない生活してる
私が母親と性格が合わないので、性格が合わない母娘のシチュエーションはバッチリ
プレゼントを送ったあとにまた送ってねと言うところとか私は家をとっくの昔に出てるのに実家の家電の修理費を払えとか、祖父のオムツ替えを母親はやらないくせに私の妹にやらせようとするところとか
もう亡くなった祖父が昔排尿するときに私に尿瓶を持たせたところとか(大好きなおじいちゃんだったから下の世話をすることに当時なんの疑問も持たなかったけど今思うと立場的に母親が率先してやるべきだろ娘にやらせるなよ私なら父親がおしっこするとき絶対大切な娘に尿瓶を持たせないわ娘が介護士になってお年寄りの世話をすることにはなんとも思わんけどプライベートで祖父の下の世話は絶対にやらせない)
出産はガチャだから陰キャの私から陽キャの娘が生まれるかもしれないし陰キャの私を見て育ち陰キャの娘になるかもしれないし
とにかく子供ちゅーもんは親の思いどおりの人間にさせようとしちゃダメ
たとえ、私が娘に嫌われたって娘が幸せな人生を歩んでくれたらそれでいい。でも葬式の喪主はやってほしいなぁ
とりあえず、旦那の悪口や愚痴は子供には絶対に言わないでおこうと決めてる
母親から父親の悪口を聞かされて心を病むお子さんたくさんいるから……
まぁ、母親が父親の愚痴を言わず飲み込んでても父親が母親を苦しめるような家庭だったら子供は少なからず心を病むから
ちょうどその頃から祖母がボケ始めた。休日に祖母の家に来てくれと電話が鳴り、母が出ないので私が取り、仕事で疲れているから無理だと断っていた。
社会人1年目の冬、知らない番号から着信があったので出てみたら、祖母のかかつりけ医らしい。
母と連絡が取れないので、祖母宅にメモがあった私の番号にかけたらしい。
祖母の病状が悪く、一度見に来てほしいとのことだったので休みを取って行った。仕事が佳境だったので恐る恐るだった。
祖母はがんにかかっていたらしい。顔が酷く腫れ上がって明らかに弱っていた。
小学生の時は私をネグレクトした母の代わりにご飯を作ってくれ、父宅に住んでいた時も、私を呼びだして会う度にご飯を奢ってくれ、お小遣いもくれた祖母だった。酷い状態に涙が止まらなかった。医師の話も聞いた。
何回か通ううちに、私のことを祖母の妹の名前で呼ぶようになった。それがつらくて行くのをやめた。
祖母の親族と母に連絡するだけで自分の役目を終えたような顔をして、また仕事に行って休みは寝たり遊んだりする日々に戻った。
仕事が終わって自宅の最寄り駅に着いたばかりの私は、「疲れているので行けない」と返した。
祖母はそのまま亡くなった。連絡が来てからやっと自分のしてしまったことに気づき、熱を出して寝込んだ。熱が下がらないまま遺品整理の手伝いに行ったがまるで役に立たなかった。
葬儀の喪主は母だったが、やはり様子はおかしかった。親戚や父も含めて会食をしようとしたらしいが、場所を押さえてないので無理だった。八つ当たりされたので逃げ帰った。
小学生時代は祖母に育ててもらったようなものなのに、大学生にもなってお小遣いを貰っていたのに、なんで仕事で疲れたくらいであんなに簡単に切り捨てられたんだろう。自分はまともな人間だとばかり思っていた。おばあちゃんごめんなさい。
骨壷は母が持っていたが、どうも墓に入れるのを面倒がっていたので、私が行っている墓には祖母がいないかもしれない。墓越しに謝ることすらできない。
墓参りには線香しか持っていかなかった。あとは掃除だけして帰った。
祖母は私の着物姿を見て喜んでくれた。習字で金賞が取れなかった時だけ怒られたけど、私がもらった賞状やトロフィーをたくさん並べていた。
次は花を持っていった方がいいだろうか。祖母の好きな花も知らない。仏花は菊だったっけ?
私が死んだら祖母に会って謝れるんだろうか。
比較的楽しく過ごしているけど、ふと祖母のことを思い出す度に罪悪感で苦しくて涙が止まらなくなる。本当にごめんなさい。父と母に振り回されていた私をかわいがってくれたのに、報いるどころかネグレクトで返した。
言い訳しようと思えばいくらでもできる。そう思う度に自分の外道さに反吐が出る。仕方なくなんかない。疲れていたとか関係ない。祖母に比べれば大変なんかじゃなかった。休みには遊ぶ余裕があったのになんで行かなかったんだ。きっと私がそういう人間だからだ。屑だ。生きていていいのだろうか。父と母が死ぬ時も私はこうなんだろうか。私が代わりに死ねばよかったのにな。ごめんなさい。ごめんなさいと伝えられない。ごめんなさい。おばあちゃんは許してくれるだろう。こんな屑に優しくしてくれたんだから。
天罰を与えてくれ。
「そう・・・」ぐらいのもので、帰る実家がなくなるとかそういう感覚もないしこのあと二人と連絡を取るのかすら怪しい。
自分は所謂「長女様」ってタイプの人間で、末っ子両親の間に生まれ二人姉妹の上、「下の子供の気持ちがわかってない」と怒鳴られて以降、
家族全員を弟や妹として捉える事で精神の均衡をなんとか保ってきた。
なるべく連絡も取らず、相続放棄・喪主の果てまで娘たる妹に丸投げしようと心に固く誓っていた。
それがあっけなく離婚した。おそらく最近の情勢でずっと二人が家にいるようだったから、見えなかったものが見えてしまったんだろう。
「寂しい」だの「心配」だの、綺麗な言葉を並べてくる厄介極まりない元カノみたいな連絡のとり方をしてきた母親に対しても、
今更甘えてくるのか、とかそういう気持ちしかわかず、父親も「母親が最近おかしい」というし、
何なら二人は夫の出来ること・妻の出来ることに限界を覚えたのか、「すべてを解決できるのは娘であるお前だ」と家族の大黒柱にする始末である。家族ごっこってめっちゃ疲れる。
今思えばSOSだったのかも知れないけど、今までのことを考え直すとここで娘が解決してくれると私を頼るのはナンセンスなんじゃないかなって思ってしまった。
不思議なことに申し訳無さもまったくないし、「私があの時連絡を取っていれば」みたいな後悔や自責の念が一切ない!面白いぐらいにない!!
いや本当に。きっと育ててくれた恩とかないのかって思うかも知れないけど、困ったことにそれを差し引きマイナスに出来るレベルのあーだこーだがあったので親子の情ってものがない。
家族愛って二次元やドラマの中にしかないんじゃないかなって思ってるし、母親と旅行に行ったとかって話す人は随分幸せな人生歩んでるんだな・・って別次元の人として見てしまうし。
本当に困ったことに、やっと自分の人生始められる気がしてきて将来の展望どうしようかなって前向きな発想しか湧いてこないんだなこれが。
結局私に兄や姉が出来ても、末っ子ではない私はあの家の家族には一生なれないし、末っ子っていう家族を作るためのゴミみたいな感覚で生まれてきたんじゃないかなって思えば
人生も多少楽になるんじゃないかって思ってたら家族がなくなっちゃったよ。最初からきっと家族じゃなかったんだろうけど。
これからも誰かを頼って生きていくんだろうけど頑張ってくれ。私は父と母のお姉ちゃんでいることにもう疲れた。
私も人間になりたい。お姉ちゃんって生き物じゃないんだ。適当な概念姉でも見つけてくれ。もう知らん。
ここまで五体満足で育ててくれた事には感謝しますが、歪んでしまったものを直し、欲しかったものを手にするために親は不要でした。
お世話になりました。さようなら。
祖母は夫を早くに亡くして戦後空襲の焼け跡に縄張ってバラック建てて子供を5人育てたような人。
私の母にはクソ姑だったらしいけどそれはご愛嬌。
それはそれは信心深くて、離れて暮らしてる私達が訪ねて行っても法話会だ報恩講だって出かけてしまってたり。
やっぱり娑婆の人間からすると身内の使ったお金は気になるもんで、御布施も結構してたんじゃないかな。バラック跡に建てた小さい小さい家で何の贅沢もせず、シワシワのくちゃくちゃになって最後は病院で看取られて亡くなった。
でね、私は新幹線の距離にいたんだけど祖母の葬式って事で駆け付けたのよ。やっぱりかそろそろだと思ってたってのと、もう一回くらいは会えるつもりでいたのになってのと半々。
どうしても気持ちが収まらなくて、通夜の夜に写経をしたのね。般若心経。初音ミクとかでブームになる前だったかな、でもこっちはそれなりにハマってたのよ。封筒に入れて、葬儀の前に導師の方と喪主の父が話す時に同席して、棺に添えて入れていいかって聞いたらさ。ダメだって。
なんかねーやるせなかった、祖母の影響も多少あって私なりに仏道とか色々と考えた上での般若心経であり、ひとつの見送るけじめだったんだけど。
黙って入れて宗教的に何かダメだったら祖母の信仰にミソがついたみたいで嫌だからさ。
でも遺族としての私の気持ちと、宗派の排他性と、導師の方の事務的な問答と、信心深かった祖母の預金は残り十数万円だったことと。
どうしたらよかったんだろう?
これ、宗教やコロナの問題じゃなくて田舎の親戚付き合いの問題だと思った
普通の流れだと、お通夜の前段階や亡くなる前に親戚に連絡して色々相談したりする
その時点でリモート葬式が明らかに許されない感じの反応を食らうので実現までいかない
(お通夜の前に法事とかやってもらってるお寺さんに連絡した時点でも多分わかる)
もっと前に、普段からその田舎の空気がわかってる場合、リモート葬式やりたいけど絶対反発されるだろうな…と言い出す前に挫折したりする
そういうのがなかった時点で恐らくもともと親戚とは疎遠で、リモート葬式やったからというよりも
もともと親戚関係は微妙だったと思われるのであまり気にしなくていいと思う
親戚と密な付き合いがあっても色々大変なだけなので…
コロナがどうとかじゃなくて田舎ではどんな事情があっても法事や葬儀などの行事は普通にやらないと、そして行かないととんでもない反発を食らう
(年末年始田舎の親戚の集まりでクラスター発生した件も恐らく年末年始の親戚の集まりを中止にできなかったからかと)
ちなみに田舎でのコロナ対応葬儀として実現可能な案はそもそもあるのか?についてだけど難しい
高齢者が一番亡くなりやすいけど、普通に葬儀やって呑んで喋って盛り上がりたいのは高齢者層なのでもう仕方がない
マスクなしの会食がまずいけど、恐らく会食前に喪主がどう気遣って言っても生意気扱いされるだろうし許されない空気になる
比較的角の立たない方法として、事前に葬儀会社やお寺さんに相談して
静かに食事できるよう言ってもらうのは可能かもしれないけど、それでも確実に静かにできずマスク外したまま呑んで喋ると思う…
そんな田舎の親戚づきあい、マイルド絶縁してもらえてむしろよかったのでは…
(そうじゃないと今後の法事や葬儀もずっと思い通りにはいかないので)