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2015-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20151211110902

家柄がどうのっていう名家ならともかく、庶民にとっちゃ姓なんてのは数多くの手がかりのひとつにすぎなかったんだよ。

お前がこう書いているように、すでに現代日本においては手がかりの一つとして成立してんだよ。

タンダートとして定着し、かつ利用価値があるツールとしてそこにあるわけ。

絶対に失ってはいけないだけの利用価値があるかといえば、そうではない。だから「変えられる」「変えられない」で言えば、変えられる。

しかし、変えても得られるような特段のメリットがない。変えても損しかしないから、変える必要がないと言っているわけ。

金額多寡にかかわらず、誰もカネをどぶに捨てたりしないでしょ?

http://anond.hatelabo.jp/20151211104054

からその「結婚のコンセプト」のかなりの部分が思い込みだっつうの。

確かに戸籍筆頭者でまとめるという意味での姓の統一という制度自体歴史は短くはないけど、昭和の中頃まではひとつの家に複数家族が住んでたり、子供を別の家に住まわせてもらったり、そういうのってありふれてたわけじゃん。家柄がどうのっていう名家ならともかく、庶民にとっちゃ姓なんてのは数多くの手がかりのひとつにすぎなかったんだよ。

ナカジマ君やハナザワさんにとってサザエさんタラちゃん友達家族だろ。「カツオ君の家」と言った時に「磯野家={波平フネカツオワカメ}」でひとくくりにして、「フグ田家={サザエマスオタラ}」は別の家庭だし、といった観念ほとんど無かったと思うよ。区別する必要がある時に思い出すだけで。

家族=「父、母、子供」になったのなんて、昭和の後期からだぜ。今のある世代下の人はそれしか知らないから「そういうもんだ」って思うのかもしれないが、そういう観念って1世代くらいで簡単に変わっちゃうもんなんだよ。

2015-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20151127200915

そういう成金臭い感じじゃなくて、昔から名家っぽい感じでは。

タワマンより閑静で環境の良い住宅街の一軒家(が無理あるなら低層マンション)を好みそう。

2015-07-19

鷲津巌の人物像について

考察はとても面白かったし、読ませるな。

ただ、履歴を通じて少し無理があるなと思ったのは、「戦争直後」の部分で、説明のとおりとすると、終戦直後GHQとの交渉に乗り出すことができるようなストーリーが描けないってことだ。いくらひそひそやってた連中の尻尾を握ってたとしても、そんな(自分の弱みを握る)存在に、彼らがGHQとの交渉を任せるか?

というわけで、内務省を辞めた後、公式には語られていないが、鷲津は引き続き権力と何らかの形でつながっていたと考える方が妥当だと思うんだが、どうだろう?

戦争中は目立たない、しかし、戦後GHQとの交渉に乗り出すメインストリーム…具体的には、親米派とうたわれた一派だ。地下ではそことつながり、表向きは浪人をしつつ、裏の関わりはずっとキープしていたと考える方が、戦後すぐの活躍には説明をつけやすいのではないかな。名家出身だろう、という推測は、のちの彼の派手好みな生活の様子からもうかがわれるけれども、こういう地下の地縁血縁ネットワークとのつながりを考える上でも生きてくると思う。

名家出身で卓越した能力をもち、戦前から権力の近くにありながら、戦時中に突然隠棲し、しか戦後すぐにGHQの交渉にも再登場し卓越した交渉力を見せつけて、しか政治の中枢には残らず民間で莫大な財を築いた…ダンディでパワフルな日本人離れした人間。そんな漫画みてーな奴いるわけねーだろ、設定が非現実的すぎるぜ、という人は、ぜひ白洲次郎のことを調べてみるとよいと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20150624033641

2015-07-02

お金持ちが嫌い

テレビに出ている成金とか、代々受け継がれた名家の人とか、昔はどん底を見たけど今は事業大成功している人とか

そんな人達テレビで見るたびに物凄くイライラする。自分が一生かかっても買えないような物をいくつも買って、それをテレビで見せびらかせているくせに これですか?安いですよ(笑)なんて言うものから、余計にイライラする

身近にいる人だってそうだ。カバンを見ればヴィトンやらシャネルやら、グッチやら。挙句子供の持ち物はミキハウスで揃えています。な人達ばっかり 習い事お姉ちゃんがしてたら行きたがるからとりあえず行かせてみようかな〜って(笑)習い事が月にいくら掛かるんだ。それを行きたがるから行かせられるその経済力に腰が抜けた。

妬み嫉みだって事は言われなくても分かってる。そうだ。私はお金持ちに盛大に妬み嫉みの感情を持っている。

特に既婚者で経済力のある旦那を持っている女性には更にこの感情がキツくなる

旦那が働いて来たお金を我が物顔で使い、ブランドのバッグを持ち、子供にもブランド物。そして決して自分経済力ではないのに、偉そうな顔をしてそこに君臨しているのだから、本当に苦手だ。

経済力のある旦那を捕まえた時点で、もはや勝ち組なのかもしれないが私はやっぱりお金持ちが幼い頃から嫌いだ。

2015-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20150626142252

女であっても子供を産まないのに一生専業主婦で、

かつ一生金のこと考えなくても安泰と思えるくらい豊かな生活、ってかなりレアだと思うんだが。

そのレア人種も、実家金持ちとか名家旦那財産ではなく実家財産で食ってる、なんてのを除いたらどれだけ残るのか。

2015-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20150619170515

都市じゃなくて田舎だよ。

田舎は昔から共働き家事育児も全部女というのがデフォ専業主婦が許されるのは限られた名家の嫁くらいだった。今でも共働き率は田舎の方が高い。

高度成長期に都会で専業主婦デフォとなった時、それが女性の憧れ扱いされたのはその為だよ。

今の都会は専業主婦田舎くさい扱いで、共働き家事育児分担がデフォとなりつつあるけど。

2015-06-09

東大滑り止め化で思い出した、東大を滑り止めにする京大生の話と京大東大よりも勝ってるところ

東大教養学部英語コースに合格した海外学生の7割近くが東大入学を蹴ったそうですね

http://www.47news.jp/smp/CN/201503/CN2015032801001115.html

しか東大の滑り止め化は2007年度にはすでに始まっています

京大2007年度に保健学科以外の後期入学試験を廃止して以来、一部の京大生は東大後期を滑り止めにしました

東大よりも京大を選ぶ人間はいるのだなあと当時は驚きました

東大を滑り止めにした京大生たちにその理由を聞くと

「自宅から通える」

東京家賃が高すぎる」

京大の方が卒業やすい」

東京が嫌い」

京大の方が楽しそう」

研究者になりたいから

という意見が返ってきました

金銭的なこと以外はあまり共感できませんでした

私は権威が好きだったので、親が下宿を許すなら間違い無く東大を目指していました

しか京大入学してなんとか卒業し、就職して東大生出身者と交流するうちに、東大よりも京大を選ぶ人間気持ちがわかりました

私が見てきた範囲なので偏っていることを前提にしますが、京大は次の点で圧倒的に東大よりも勝っていると思います

哲学的な話や教養必要な話ができる京大生は多いが、意外と東大生には少ない

フェルミ推定はできても分析哲学認識論の話はできない、ハイカルチャーなどの教養がない学生割合京大より高い気がしま

東大には受験就職関係ないことはわからない学生が多い印象があります

しか官僚東京の有力者や名家の子息がごろごろいるのが東大で、そういう人は教養あることが多いです

貧乏人でも生活やすく、かつ文化的教養にあふれた学生生活が送れる

個人的京大の一番いいところだと思います

吉田寮など家賃が月々千円未満の安い寮に入れば、かなり金銭的負担は小さくなります

思修館の院生だと専用の寮にタダで、しか奨学金付きで住めます

また、授業料申請も半額免除までなら通りやすく、うまくいけば学生支援機構借金しなくて済みます

それに図書館では名作と言われるクラシック音楽映画文学ほとんど揃っています

学生証を見せると入館料がタダの美術館博物館も近隣にあります

物価東京ほど高くありません

拝観料なしに楽しめる寺社仏閣、歴史的建造物もあります

お金がないけどハイカルチャーに飢えている人は是非来てください

なお、東京の某芸大教授のご子息が「東京には文化がないけど京都文化でできている。だから僕は京大に来た。」といっていました

まったりしておおらかな時間の流れと空間

そもそも東京より京都の方がのんびり暮らせますが、京大特に時の流れがまったりした、おおらかさのある独特の空間だと思います

よく京大には変人が多いといいますが、あれは違うと思います

変人が多いのではなく、変人がのびのび暮らせるから自分を抑えない、もしくは普通の人が普段は隠している個性を発揮しやす環境なだけです

東大はよくも悪くも真面目で、アンチコスプレ卒業式派の私からしたら「安田講堂に入れなくてもこんなに姿勢を正して粛々と式辞を聞いている東大生は真のエリートだなあ」と惚れ惚れしま

しかし、あれだけの色んな人間個性を発揮して生き生き暮らせる空間は、真面目な東大には存在し得ないと思います

ちなみに私は東大に行きたかったです

卒業してから社会的なうまみが全く違うので

2015-05-12

自分他人相談することも無ければ他人の悩みを聞く事も無いと思う

アラサー男。自営業最近そろそろ寂しいので、遊びでなく本気の恋をしてみようと思って居るが、異性と精神的につながろうとすればするほど自分の抱えている問題が出て来る。

今良いなと思っている相手は、名家ではないけれど、まあいい家のお嬢さん博士号を取って大学非常勤講師、おっとりした性格ぽっちゃり、顔はまあまあ、趣味が多少俗っぽいけど頭は良い、あとは同性の友達多いな。それから、向こうも、まあ俺に好意を持ってくれている。

何度か遊んでお茶や食事しただけ。下心全く無いし、別にそこまで飢えてない。

ただ、何だろうな、好きだけど、この子自分の弱いところを見せることは絶対に無いだろうな、という確信がある。

たぶんこの女と一緒になったら、俺は彼女に悩みを相談しないし、彼女も俺に話したいことを我慢して、たぶん彼女が病むと思う。

そのくらいこの子に対して一歩離れて見ている部分が俺にある。

…というより、この女に限らず、異性に対して信頼をおくことがほとんどない。

以前メンヘラストーカーされ日記まで全部見られて女を信じられなくなったのもあるかも知れない。そう云えば母も毒親だった。学生時代貧乏で垢抜けてなかった頃、女に馬鹿にされていたのも大きいと思う。有り体に言えば女が信じられない。

自分の中で「こいつは別の世界人間だ」という線引きの基準が他の人間より緩いんだと思う。

…と思ったけど、信頼を置いている異性が二人いるのを思い出した。

その二人はまったく恋愛対象として見ないで済んでいる(相手が魅力的でないというわけで無く)。

自分にとって恋愛って、結局性とカネの等価交換なんだろうなと思っているのかも知れない。

長くてすんません。俺も「いつもこんな妄想しながら致してます」まで読みました。

2015-04-04

趣味つながりの友人?で、元上級公務員昭和ヒトケタ生まれ男性がいる。

先日趣味の集まりの後でちょっと飲んでたのだが、昨今の一部の公務員自民政治家極右化はバランス感覚がなさすぎて恐いという話になった。

インターネットささやかれているような極右バックグラウンドになってる宗教法人の話なども。

オジサマ曰く、ぼくらのような戦前まれは、たまに「紘」の字が付く名前の人がいるが、自分たちが学び仕事につく時期は戦後民主主義化であったこともあって、

某「紘一」さんなどは、「八紘一宇から取られた紘一という自分の名を「いやお恥ずかしい名前で」と自己紹介するようなこともあったらしい。

それを昭和ヒトケタの友人は、「まだ客観性バランス力が残っていた頃」と言っていた。

それが、なぜいつの間にこんなにガツガツ極右化しているのか。

保守層というのは、身も蓋もないいい方をすれば戦前から既に豊かだった人が大半だろうと思うが、

揺らがない豊かさを背景に、鷹揚に、時代の変化を気にせずにいられたのだろう、と。その前提が崩れつつあるのかも、という話が面白かった。

地方経済圏がどんどん狭まり弱くなっていくこと

・都会からどんどん地縁が消えていくこと

郊外田舎からは人が居なくなっていること

これらは、多くの保守層にとってもダメージである

彼らの多くはもうずっと都会者のような顔をして東京暮らしては居ても地盤地方であることが多い。

彼らの現在の金と地位の源泉は地方にある。「地元の名士」「郷土の誇り」「名家末裔」だったりするからだ。

地方が衰退することで、この源泉が揺らぐ。

例えば、彼らの子供や孫が、自分たち家業(政治行政地元企業等)に興味を持ってくれない、という形で「時代の変化」が突然具現化したりする。

もう一つ、目に見えて彼らの危機感を煽るものは、祭り寄付金らしい。

地元神社祭り寄付金を集めるのが大変だ、大口寄付を出してくれていた名士や名家が居なくなる、法人化してつながりが薄れる。

当たり前のように、神社(場所によっては寺)などを求心力の中心として行われてきた地元祭りが、「町おこしイベント」のようになる。

この流れには問題が隠れていて、要するに地元神社後継者維持管理問題があるらしい。

ここで出てくるのが神社本庁である宗教法人神社本庁については、興味があるならググっていただければ何となく雰囲気がわかるかもしれないが、ちょっと怪しい宗教法人という側面がある。

インチキな壺を何百万で善良な呆け老人に売りつけて、という危うさでは全然ないのだが、例えば天理教胡散臭いと思う人がいるなら、歴史の長さはその辺の明治新宗教と実質大して変わらない。

まぁそれはともかく、明治時代神社庁という公の役割を持ったという経緯もあって、地方後継者難の神社は、宗教法人神社本庁にお願いして後継者を探してもらったりすることもあるらしい。

その土地に根を張って仕事をしている人たちにとっては、「神社がすたれる」というのは、割と心に重くのしかかる事実らしく、

その辺りからバランスを失って極の方に取り込まれていくのでは、というのが、私と趣味友のオジサマが、酒飲み話で適当に出した結論だった。

酒飲んでたからね、色々適当なんだけど。

別の話っぽい、地方衰退と政治行政組織右傾化が繋がったのが、酔っ払いものたわごとはいちょっと面白かったので、メモ代わりに増田に。

2015-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20150303221506

上を見たらきりがないよ。

土地を持っている家は、土地を持つために

どんな経緯を持っているのか?思想的なものとか、

それらすべてを受け継ぐんだよ。

その両親は初めは貧乏だったかもしれない。

今、土地を持っているだけ。

また、逆に名家が落ちぶれて今、貧困なのかもしれない。

態度とプライドがでかく、金遣いが激しい。

親を選んで生まれてきたと思わないと、

見えていないものが多い

2015-01-09

田舎の付き合いめんどくさい



義父の実家田舎のそこそこ名家で、

正月2日に義父の兄弟本家に集まるんだけど、

その中の義伯母(義父の姉)親子っていうか、

義伯母の息子夫婦(夫には従兄にあたる)がうざい。

義伯母は明るくて子供好きで、いい人。

年に1〜2回しか会わないうちの娘や私のことを

「こんなお孫ちゃんほしいわ」とか

「こんなお嫁さん羨ましい」とか

人前で褒めてくれるし、

お年玉もたくさんくれるし、

こっそり私にもお年玉くれたりするし。

でも、義伯母息子夫婦は、娘へのお年玉も僅かだし、

笑顔で話はするけど、上っ面。

もっとお姑さんを見習って気を使えばいいのに、

うちの娘の名前も年も覚えてない。

以前、それをちらっと夫に言ったら、

年に数回しか会わないんだし、

兄弟の子供なんて覚えてられないだろと言われたけど、

夫には娘1人しかいない。

義姉みたいに3人も子供がいるならあやふやでも仕方ないけど、気遣いが足りないと思う。

兄弟夫婦には子供がいないから

そういう親心がわからないんだろうし、

そもそも子供がいないのに田舎の賑やかな場所に来るのは

きっとみじめだろうから、可哀想な人なんだと思って、

その時は我慢した。

去年、その従兄弟夫婦が家を新築した。

今年の1/1、義父母の家に義姉一家とうちで集まった時、

明日本家に行った帰りに従兄弟の家を見に行こうかとなった。

すぐに電話をかけたら、義伯母が出て快く来ていいよと言ったのに、

その1時間後、従兄弟から電話が来て、

1/3から仕事から日を改めてほしいってなった。

本当だったら、去年のうちに向こうから招待すべきなのに連絡もなく、

こちらから連絡してあげたら断るとか

本当常識を疑う。

それでいて、本家にはヘラヘラ来ていて、気分が悪かったので

義伯母に挨拶だけして、夫婦無視したけど、

あんまり気にしてなかったっぽい。

もう付き合いたくない。

2014-11-02

http://anond.hatelabo.jp/20141101144325

別に自分人生犠牲にしてまで子供いらんなと思ってる俺からすれば異次元価値観だな。

よっぽど由緒正しい名家の生まれなんだろうか。

2014-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20141014093445

何でこんな記事が伸びているのかよくわからんけど、これって自社製品がクソ高いものを高級レストランに例えた某著名家メーカー皮肉でしょ?

最新製品でわざわざ有機EL採用しておいて、その製品のリビジョンアップで液晶に戻したって所まで含めて。

2014-09-14

ノーベル賞受賞者の生まれ、育ち、血筋、親の出身、最終学歴データ

ノーベル賞出身関係

2011年までの日本ノーベル賞受賞者18人の出自

人物名 国内最終学歴 出身生育地

鈴木章 ─── 北海道大 ─ 北海道まれ北海道育ち

田中耕一 ── 東北大 ── 富山県まれ富山県育ち

南部陽一郎東京大 ── 東京都生まれ福井県育ち

小柴昌俊 ── 東京大 ── 愛知県まれ神奈川県東京都育ち(1歳から小4まで東京/中学から神奈川/高校東京)

小林誠 ─── 名古屋大 ─ 愛知県まれ愛知県育ち

益川敏英 ── 名古屋大 ─ 愛知県まれ愛知県育ち

利根川進 ── 京都大 ── 愛知県まれ富山県東京都育ち(小学校富山/中学から東京

白川英樹 ── 東工大 ── 東京都生まれ岐阜県育ち(小3から岐阜)

朝永振一郎京都大 ── 東京都生まれ京都府育ち(小学校から京都

湯川秀樹 ── 京都大 ── 東京都生まれ京都府育ち

下村脩 ─── 長崎大 ── 京都府まれ長崎県育ち(幼少期に長崎/中学でまた長崎)

福井謙一 ── 京都大 ── 奈良県まれ大阪府育ち

江崎玲於奈東京大 ── 大阪府まれ京都府育ち

川端康成 ── 東京大 ── 大阪府まれ大阪府育ち

野依良治 ── 京都大 ── 兵庫県まれ兵庫府育ち

佐藤栄作 ── 東京大 ── 山口県まれ山口県育ち

大江健三郎東京大 ── 愛媛県まれ愛媛県育ち

根岸英一 ── 東京大 ── 満州国まれ神奈川県育ち(小学校から神奈川

国内最終学歴

東京大7

京都大5

名古屋大2

北大東北大・東工大長崎大1

■生まれ

東京都愛知県4

大阪府2

北海道富山県兵庫県奈良県愛媛県山口県満州国1

■育ち

京都府3

東京都神奈川県富山県愛知県大阪府2

北海道福井県岐阜県長崎県兵庫県愛媛県山口県1

http://kamomenome.exblog.jp/14156659/(元ソースから間違いを修正

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湯川秀樹(出生地東京都)両親は和歌山県 ※中間子論は計算間違いであった

朝永振一郎(出生地東京都)親は長崎県埼玉県

江崎玲於奈(出生地大阪府)親は大阪府三重県 ※助手アイデアパクリ

福井謙一(出生地奈良県

利根川進(出生地愛知県)親は広島鳥取青森

白川英樹(出生地東京都)両親は岐阜県

野依良治(出生地兵庫県)親は長野県福岡県

小柴昌俊(出生地愛知県)両親は千葉県

田中耕一(出生地富山県

南部陽一郎(出生地東京都)親は福井県福島県

小林誠(出生地愛知県

益川敏英(出生地愛知県

下村脩(出生地京都府)両親は長崎県

根岸英一(出生地満州)親は東京都

鈴木章(出生地北海道)両親は山形県

山中伸弥(出生地大阪府)親は福井県兵庫県

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湯川秀樹和歌山田辺藩紀州藩

朝永振一郎(父・長崎大村藩、母・埼玉川越藩)

江崎玲於奈大阪)親は大阪三重

福井謙一奈良

利根川進愛知県出身)親は広島鳥取青森

白川英樹東京都出身)両親は岐阜県

野依良治(父・長野、母・福岡)父の仕事関係兵庫県で育つ

小柴昌俊(両親とも千葉)父が豊橋連隊所属のため豊橋まれ

田中耕一富山

南部陽一郎(父・福井、母・福島関東大震災に遭い福井移住

小林誠愛知

益川敏英愛知

下村脩京都)両親は長崎県 父が福知山連隊所属のため京都まれ

根岸英一満州)親は東京都本籍日本橋目黒根岸家に戦災で親戚が大勢つめかけたため神奈川移住

鈴木章(両親とも山形から北海道移住

山中伸弥大阪府出身)親は福井県兵庫県

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小柴昌俊

わたしは1926(大正15)年9月19日に、愛知県豊橋で生まれた。軍人だった父の

小柴俊男がそのころ豊橋陸軍第18連隊所属していたからだ。

小柴昌俊物理屋になりたかったんだよ』朝日新聞社

母親は、はやといって、千葉木更津農家の末娘だった。木更津高等女学校を出て、

父と結婚した。どういうなれそめで知り合ったのかは知らないが、父も千葉館山

まれから誰か紹介する人でもいたのだろう。

父は農家の三男に生まれて、中学に通うのも親せきの造り酒屋小僧代わりに働きながら

学費をだしてもらった。さらに進学する学資はないから、学資不要陸軍学校へ進んだらしい。

小柴昌俊私の履歴書 科学求道者日経ビジネス人文庫

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野依良治

祖父の塩川三四郎は1873年生まれ政治家を志して長野県から上京し、東京帝国大学法学部

卒業した。そして、渡辺千秋長野県出身)の次女・千夏と結婚した。

「野依」は母方の血筋で、福岡県東部築上郡吉冨町に行き着く。「立野屋」の屋号をもつ

庄屋で酒づくりをなりわいとする大地主であった。

野依良治私の履歴書 事実真実の敵なり』日本経済新聞社

祖父:塩川三四郎 長野

父:野依金城 上京

http://kingendaikeizu.net/gakusya/noyori.htm

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下村脩

>父の生家は長崎県雲仙市瑞穂町にあり代々庄屋を勤めた名家

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E8%84%A9

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朝永振一郎の父三十郎は、東京真宗大学在職中に旧川越藩士大枝美福の長女ひでと結婚している。

(『素粒子世界を拓く』京都大学学術出版会

朝永振一郎「なぜ京都にいながら東京弁使っているかっていいますと、おふくろが埼玉県まれで、

おやじ長崎まれで、中学の頃東京に出て、ずうっと東京にいた。そういうわけで、家庭では

東京弁を使っておりました」(『回想の朝永振一郎みすず書房

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南部陽一郎

私の父は仏壇屋の家業を継ぐのを拒み、文学者になろうと家をとびだした。東京で私が生まれた。

母は福島県出身だった。しかし私が2歳のときあの大震災に遭い、一家はやむなく福井に戻った。

(『ほがらかな探究 南部陽一郎福井新聞社

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利根川勉「私の親父は守三郎といいまして、福山藩(広島県)の貧乏侍の息子でした。ところが

同じ貧乏侍の利根川という叔父子供がなくて、岡本という家から養子に行きました。

家内の父方は弘前藩士青森県)の家系でした」(利根川進受賞時に父・勉氏へのインタビュー

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鈴木章

北大理学部受験した時、母は「落ちてくれ」と本気で祈っていた、と譲さんは明かす。

恩師は「章君を大学に進ませて」と勧めたが、家計に余裕がない。町で理髪店を営んだ

山形県出身の父の定輔さんは1946年に51歳で死去。長男鈴木さんは16歳だった。

(「タウンガイド札幌2010年10月11日)(母ナエも山形県出身

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2014-08-20

東大卒アラサー独身ニートが語った「働かない理由

学生時代同級生で、30になるのに一切働かない奴がいる。

仲間うちでは成績はピカ一だった。当時から分厚い洋書バターナイフでも入れるかのようにサクサク読みこなしていた。

名家の出で、父上は元官僚にして実業家、今は経営の実権は兄上に移っているといい、当人家族生活費を出してもらって、都内に一軒家を借り、使用人を2人も置いて悠悠自適生活をしている。

仕事もしないで何をしているのか不思議だが、膨大な本を読み、コンサートに足しげく出かけ、実家コネを使って外国人主催パーティに出入りしたり、芸者遊びまでして、本人は多忙なつもりらしい。

家族は彼が働かないことは全く気にしていないようだが、30にもなって独身でいることこそを問題視しているらしく、しばしば縁談を持ちかけては断られているようだ。

 

だって、君だって、もうたいてい世の中へ出なくっちゃなるまい。その時それじゃ困るよ」と言ってみたことがある。

その時の答えが、これだ。

「世の中へは昔から出ているさ。ことに君とわかれてから、大変世の中が広くなった様な気がする。ただ君の出ている世の中とは種類が違うだけだ」

「そんなこと言っていばったって、いまに降参するだけだよ」

「僕の知ったものに、まるで音楽のわわからないものがある。

学校の教師をして、一軒じゃ飯が食えないもんだから、三軒も四軒もかけ持ちをやっているが、そりゃ気の毒なもんで、下読みをするのと、教場へ出て器械的に口を動かしているよりほかにまったく暇がない。

たまの日曜などは骨休めとか号して一日ぐうぐう寝ている。だからどこに音楽会があろうと、どんな名人外国から来ようと聞きに行く機会がない。

まり楽という一種の美しい世界にはまるで足を踏み込まないで死んでしまわなくっちゃならない。僕から言わせると、これほどあわれな無経験はないと思う。

パンに関係した経験は、切実かもしれないが、要するに劣等だよ。パンを離れ水を離れた贅沢な経験をしなくっちゃ人間甲斐はない。

君は僕をまだ坊っちゃんだと考えてるらしいが、僕の住んでいる贅沢な世界では、君よりずっと年長者のつもりだ」

私は重い言葉で「うん、いつまでもそういう世界に住んでいられれば結構さ」と返すのが精いっぱいだった。

 

 

かく言う私は、成績はこの男にはるかに及ばなかったが、大学卒業後は首尾よく銀行就職することができた。

しか関西支店に配属され、順調にキャリアを積んでいたつもりだったが、あろうことか初めてつけられた部下が客の金を使い込んでいたことが発覚した。水商売の女に入れあげたというのだ。

そんなバカみたいな話が今どきあるものかと思ったが、後の祭りだった。

部下が懲戒免職になったのは当然として、詳細は書けないが客というのがややこしい相手だったため、マスコミに勤め先の名前を出さないために私までが詰め腹を切らされる羽目になった。

 

前後して妻が最初の子死産するという不幸にも見舞われた。もともと体の丈夫な方ではなかった妻は、それをきっかけに病に伏せったり起きたりをしばしば繰り返すようになった。

ちなみに妻は藤谷美和子という女優若いころにそっくりの美人だと言われるが、私には何のことかわからない。

 

いろいろあって気づいたら一千に近い借金を背負い、文字通尾羽打ち枯らした状態で東京に戻ってきた。

率直に言えば、いくらかでも金を無心することはできないかという内心の希望を持って、この古い友人のところを再び訪れる気になった。飲みに誘われたので付き合った。

そんな酒が美味いはずはない。本心を切り出せないまま、私はいつに増して饒舌になった。雰囲気はみるみる険悪になり、私ははっきりと相手が仕事をしていないことを咎めるようなことを口にした。

 

「君はさっきから、働かない働かないと言って、だいぶ僕を攻撃したが、僕は黙っていた。攻撃されるとおり僕は働かないつもりだから黙っていた」

「なぜ働かない」

「なぜ働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、おおげさに言うと、日本西洋関係が駄目だから働かないのだ。

第一、日本ほど借金をこしらえて、貧乏震いをしている国はありゃしない。この借金が君、いつになったら返せると思うか。

そりゃ外債ぐらいは返せるだろう。けれども、そればかりが借金じゃありゃしない。日本西洋から借金でもしなければ、とうてい立ち行かない国だ。それでいて、一等国をもって任じている。

そうして、むりにも一等国の仲間入をしようとする。だから、あらゆる方面に向かって、奥行きをけずって、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨ものだ。

牛と競争をする蛙と同じことで、もう君、腹が裂けるよ。その影響はみんな我々個人の上に反射しているから見たまえ。

こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、ろくな仕事はできない。ことごとく切り詰めた教育で、そうして目の回るほどこき使われるから、そろって神経衰弱なっちまう

話をしてみたまえ、たいていは馬鹿から自分のことと、自分今日の、ただいまのことよりほかに、何も考えてやしない。

考えられないほど疲労しているんだからしかたがない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にしてともなっている。

のみならず、道徳の敗退もいっしょに来ている。日本国じゅうどこを見渡したって、輝いてる断面は一寸四方もないじゃないか。ことごとく暗黒だ。

そのあいだに立って僕一人が、なんと言ったって、なにをしたって、しようがないさ。

僕は元来怠けものだ。いや、君といっしょに往来している時分から怠けものだ。あの時はしいて景気をつけていたから、君には有為多望のように見えたんだろう。

そりゃ今だって日本社会精神的、徳義的、身体的に、だいたいのうえにおいて健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。

そうなればやることはいくらでもあるからね。そうして僕の怠惰性に打ち勝つだけの刺激もまたいくらでもできてくるだろうと思う。

しかしこれじゃだめだ。今のようなら僕はむしろ自分だけになっている。

そうして、君のいわゆるありのまま世界ありのままで受取って、そのうち僕にもっとも適したものに接触を保って満足する。

進んでほかの人を、こっちの考え通りにするなんて、とうていできた話じゃありゃしないもの――」

2014-07-06

Seven years after...

高校生とき受験少女でした。とにかく隙間の時間ができたら勉強同級生の男は、バカの木偶に見えていました。実際バカだったし。

同じ高校で、学年でトップを争っていた女の子がいました。理系同士で、学年3位だった男の子を遠く引き離して争っていたのですが、違いは容姿でした。私は明らかに太り気味で、もっさりしてて化粧っ気も全くなかったのですが、彼女容姿明眸で大人びていて、背が高くて手足が長いのに女子っぽい柔らかさがあって、私から見ても綺麗な子でした。もちろん彼女男子からモテまくりなのに、私は、毛虫のように嫌われ、陰で「豚めがね」と呼ばれていたようです。

勝負受験彼女東大理二、私は理一を受けました。そうした理由はたった一つで、彼女に負けたくなかったからです。理一の方が理二より偏差値が高かったからです。うちの学校から東大なんてたぶん十何年ぶり、先生たちもかなり気合が入っていました。私の親は、容姿も平凡以下の娘が唯一の取り柄が勉強ということで、経済的には厳しかったのですが、しぶしぶ受験を認めてくれました。彼女の家は地元でも有名な名家で、経済的には全く問題ないし、一族男子たちは、みな地元進学校から一流大学に進んでいたそうです。


彼女合格し、私は不合格でした。人前で泣くのは悔しかったので、宿泊していたホテルで一晩中泣き明かしました。


家庭の経済的事情浪人できなかった私は、併願で合格していた某私大政経学部に進学しました。私大理系学費が高く、その割に就職時の評価が高くないからです。ところが、東京私大の華やかな雰囲気に飲まれた私は、友達もまともに作らず、上京していた高校の先輩が彼氏にはなったのですが、寂しいばかりに付き合っただけで、どう考えても容姿も知能もいけてない男です。彼氏けが家にセックスするために入りびたる程度で、ほぼ引きこもって暮らしていました。

成人式田舎に久しぶりに帰りました。件の彼女も来ていました。東大生彼女は、とても華やかな容姿はそのままに、人の輪の中心でした。聞けば、素敵な同級生彼氏もできたそうです。彼女と直接話したのですが、当時の彼氏が私のことをぺらぺらしゃべっているのを聞いたらしく「あなた彼氏って、○○先輩なんだってね」って言われました。心なしかせせら笑われたように見えたのがとても悔しかったです。別の子たちも「○○先輩って今ブタメガネに行ってるんだね、物好き~」と言っているのが聞こえました。きっと聞こえよがしに言っていたのでしょう。周りを見れば、大学に入って可愛くなった女の子たちの周囲に男の子が集まり、とても華やかな雰囲気を醸し出していたのに、私はといえば、声をかけてくれる友達もいるわけでもなく、ひとりぼっち。だれも私に話しかけてくれず、遠巻きに陰口を叩かれるばかりです。私は、屈辱でその場にいられなくなり、家に帰って泣きました。みんな努力らしい努力もしてなかったのに、勉強できなかったくせになんで私をバカにするのか。キレイはそんなに強いのか。勉強ができることよりも、キレイが評価されるのなら、私は全力で綺麗になってやる。

まずあれだけバカにされて悔しかったので、例の彼氏とは別れました。相当しつこく粘られましたが、間接的に聞いたところによると、私と別れるとセックスできなくなるのが嫌なだけだったようです。ブタと言われるほどには太っていなかったので、痩せるようにしました。毎日ジムに通って、プロトレーナーについてエクササイズ半年10キロくらい痩せたら別人のように顔がすっきりし、スタイルがよくなりました。もともと胸は大きかったんだし、痩せればそれなり。で、ダイエット中に、そこそこ見栄えがするようになったところで、渋谷サロンで髪を切ってもらうようにし、メイクの心得もあるという担当美容師さんと付き合うことにしました。髪の毛のお手入れとか化粧の方法を徹底的に知りたかたからです。脳みそアヒル並に空っぽでしたが、そんなことはどうでもいい。それと、新宿に会ったセレクトショップの店員とも同時進行で付き合うことにしました。ファッションセンスを身につけるためです。この男の脳みそカエル並にスカスカでしたが、そんなことはどうでもいい。

ここまでしたところで、綺麗になるには莫大なお金がかかることがわかりました。ところが私の実家にはお金はないし、バイトするのは時間効率が悪いです。私は綺麗になるために忙しいのです。そこで、交際クラブに登録し、スポンサーになってくれる男性を探しました。2人ほど適当なのが見つかりました。一人は大学の先輩で、某大企業役員になっている50代の男性でした。彼はやはり容姿問題があり、学生時代ちっともモテなかったので、「青春を取り返したいんだ」って言うのが口癖でした。定額10万円/月+デート代は向こう持ち。受け身で純情な女の子として振る舞うととても喜んでくれました。もう一人は、大きな保険代理店経営している40代経営者で、高卒学歴コンプレックスの塊みたいな人でした。「早稲田美人が俺に全てを捧げてるってだけで無茶興奮する」ってのが口癖でした。デートのたびに5万円+デート代は向こう持ち。フェラとか全身舐めとか、とにかく奉仕させられました。それと、中出し原理主義者で、「俺の子どもを孕め」とか言いながら中で出すのが常でした。ピル飲んでるんで問題ないんですが。二人ともやたら精力が強く、一晩に2~3回は当たり前で、お金持ちになる人は精力の強さがはんぱないなーと思いました。二人とも、お金をくれたのはもちろんですが、学生ではまず行けないレストランとか、美味しいワインの選び方とか、一流ホテルってどんなところでどういう振る舞いをしないといけないかとか、そういうことを経験させてくれたのはとてもありがたかったです。


成人式から1年。これだけの努力をした結果、私は、見違えるような美人になりました。美容整形とかはしていないので、元も悪くなかったのだと思います


そのころには、ITベンチャー経営者大学生を紹介するのが事実上の商売、みたいな男性スカウトされて、そういう合コンにも出るようになり、そのうちの一人の独身若手経営者と付き合うことになりました。お金スポンサーからもらっていたものがそこそこ貯まっており、彼氏から教えてもらったいろいろな情報で、株式結構儲けました。リーマンショックの少し前、皆がイケイケだった時代のことです。1年くらい株で遊んで、数百万円になったところで、スポンサーを2人とも切りました。40代経営者はあっさり別れてくれましたが、50代の会社役員は、すごくねちねち渋りました。私はこの時、青春コンプレックスの方が、学歴コンプレックスよりはるかに重いことを学びました。若いころモテなかったことは、心の深い傷になるものなのです。


スポンサーと切れて、後ろめたい足かせがなくなったその後は本当に交際の範囲も上に広がりました。ITベンチャーの後は、独身・既婚取り混ぜて、官僚広告代理店コネで入った御曹司総合商社銀行で働いている某企業御曹司、若手経営者と順に付き合いましたが、世の中こういう風に動いてるんだ、ってのが彼氏の言動とかからわかるのです。見える風景が一変する、というのはこのことです。それにあわせて、私の運用資産も殖えていって、大学卒業するときには2000万円を超えていました。キレイを続けるために相当のお金を使いましたが、それでもまだまだ貯まるものです。ああ、一人だけ、プロ野球選手と付き合いましたが、地アタマはよさそうでしたがなんせ関心が酒と女と野球マッチョしか存在しないので、結局うすらバカでした。セックスだけは異常に強かった。体力もすごくて、体が壊れちゃう、って思うほど気持ちがいいのですが、まあそれだけですね。彼氏とのセックスに満足できないとき代用品として散々使わせていただきました。プロ野球選手結婚する女子アナの人は、お金好きでなければセックスマニアだと思って差し支えないと思います


美人になるとこんなに世界が変わるんだー。


大学卒業して、東京に来ている高校同級生で集まる機会がありました。東大大学院に進学した彼女は相変わらず美しかったのですが、実験疲れ?なんだかやつれて見えました。間違いなく私の方が綺麗です。かけたお金時間努力が違うのよ。如才なく人との会話を紡ぐことができるようになった私の周りには、人垣ができました。私は内心、つい3年前に私に陰口を叩いていた人たちが私にひきつった笑みで話しかけてくるその姿、その軽薄さに反吐が出る思いをしましたが、そんなことは振りにも見せず、同窓会主人公になりました。無論、「整形?」とか陰口で勘ぐる人もいましたが、何言ってんの?何の努力もしていないくせに。


外資系金融就職し、それなりのお金を稼いでまあだいたい1億円くらいの資産を得ることができました。もうしばらくすると、収入はさほどではないけれど、名家の出の夫と結婚して退職します。屈辱成人式から7年。東大に行った彼女は、まだまともなアカデミックポストを得ることがないまま、同級生東大男子結婚したとの報せが先日ありました。ご主人も、同じく根無し草研究職のようです。ご夫婦写真を見ましたが、まあ平凡な容姿になっていました。苦労は美貌を蝕みます勉強ができることにこだわった彼女は、結局世の中の幸せと縁遠い人生を歩むのでしょう。勉強けができることは人生の勝利には結びつかない。キレイであること、お金があること、コネクションがあること、人生で勝つために必要な要素はもっとたくさんあるのです。


あれから7年。短いようで、長い7年でありました。こんなところでしか書けないけれど、私は勝利した。本当にあなたに会えてよかった。そうでなければ、今のこの私はないのだから

2014-07-05

生きるための武器文化資本か、よく生きるための知恵か

たぶん教養を、分野を問わない知識の定量的集積に「すぎない」と考えてる人はあんまりいないよね。

本1冊にしたって、カント浅田彰稲盛和夫マンガケータイ小説では人それぞれ重み付けが違うだろうし、逆に「そんなものを読んでいるなんて教養がない」と言う人だっているわけだし。

やっぱり、なんらかの方向付けや傾向があって、それによって何らかの能力権力が生まれるような、組織的な知識や見識の編成…って感じがするね。

はいえ、増田のいうマウンティングみたいな形で、誰か他人との上下関係を競うゲームに直接使える、高級な知識資源のことだけを「教養」というには、あまりに貧しい気もする。


さて(今よみなおしたら元エントリの冒頭で元増田も言及していたけど)フランス社会学で有名なブルデューという人は、70年代フランスでのいろいろな職業と、文化的選好を下のような図にしてマッピングしてる。ここで彼は「教養というのは、単なるお金経済資本)とは違う種類の資本文化的資本だ」というようなことをいってるのね。

http://www.ofda.jp/sakaushi/text/2004a/_img/fig03.jpg

この図では、聞く音楽、乗ってる車、好きな番組、休暇の過ごし方…なんかがさまざまな職業クラスタとむすびつけられているね。そして、図の左にいくほど「文化資本+/経済資本−」、右にいくほど「文化資本−/経済資本+」となっている。つまり金持ちじゃなくても教養があるのが右側、金持ってるけど教養には欠けるのが左側、というわけ。

経済学でいう「資本」には「蓄積保存でき、何かに投資でき、自己増殖できるもの」という含みがあるけど、ブルデューさんは「教養というのは、実はそういう点でお金に似てるんだよ、でも、それは必ずしもお金持ちという意味での裕福とは結びついていないけど、やっぱりそれ固有のパワーを持ってるんだよ」ということを実証的に明らかにした。日本的な言い回しなら「名家成金の違い」といえば体感できるよね。

教養文化的資本には階級の表示機能があるし、だから階級再生産することもできる。やっぱり趣味が近い人間はそういう人間同士でつるむものから、そのクラスタの中での「当たり前」な知識や所作価値観をお互いに共有・強化しつづけることになるし、そういうクラスタに属する家族では、子ども自然に同じような教養のセットを身に付けるよね(文化資本継承相続)。婚姻選択のときにも「いくらお金持ちでも一代限りの成金の家にはウチの娘(息子)はやれませんな」みたいなのがあるし。

つづくかも。

http://anond.hatelabo.jp/20140704205502

2014-06-09

マスオさん早稲田大学商学部というのを家族が知らない事実

今みたいにAO公募で簡単に入学できた時代と異なって昔の早稲田大学慶應義塾大学よりも入学が厳しかったと聞く。

というのも幼稚舎からエスカレーター式に進学できる上にその生徒の殆どがどこそこの名家華族出身者で犇めいてたわけで

それらから選抜的に大学へ進学してきたという歴史があったからだ。

一方早稲田大学文学を志す者、法律を志す者、政治を志す者とで多くの庶民階級がその入学希望したものだった。

今ではそんな早大慶應並に簡単に入学試験を通過できるようになってしまったし、犯罪団体スーパーフリー小保方晴子の一連の捏造案件もあって

最近の質低下は否めない事実である

今、早稲田慶應私大の二大巨頭である事は周知の事実であるが、マスオさん時代はどうだったのか。

今週放送サザエさんでは、マスオさん英語を話せるという事にサザエさん以下家族の誰もが驚きを隠せなかった、という話があった。

その当時、早稲田大学というのはあくまで学問を志す者が行く大学であった、という事なのだろう。

まりステータスを重視する、あるいはステータスとなった現在と異なる、という事である

要するに、サザエさん一家はマスオさん出身大学に関して何一つ関心がなかった。

という事は早稲田大学というのは当時無名に等しかったと言う事であろう。

無名である事が悪いのではなく、むしろそこから文学者政治家新聞記者などが輩出されてきた事を受けて学問大学として有名になったという境遇がある事を証明するものである

今でこそ早稲田大学は、無知人間が多く通っているし無知人間捏造をしたり犯罪を冒したり等をして有名になってはいるが、それは誤りである

何故ならば、マスオさん早稲田大学出身である頃の早稲田大学無名であったが、そこから学問大学へと全国的に知られるのはそう遅くはなかったのである

ま、要するにだ。

マスオさんが居た頃の早稲田大学はあまり知られてなくてその後学問における優秀な人材国内どころか海外の様々な分野で活躍して有名になったのだろう。

からこそ、サザエさん一家の中で高学歴でありながら英語が話せるかどうかについてマスオさんが疑われるエピソードがあったのである

そうでなければ説明が付かない。

http://anond.hatelabo.jp/20140609123257

そうやってあなた人生自分とパパンママンのために差し出せと言ってくるボキタン結婚するのが

本当に正しい選択肢なのかどうかという点からまず考えるべきだと思う。

自称名家奴隷になってもいいと言うマゾだと言うなら勝手にすればいいだろう。

だが俺にはあなたその男とくっついて幸せになるようにはとても思えない。

2014-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20140514000739

ヒントぐらい出せそうなもんだけどな。

パイロットとか、官僚とかそのへんだ、とか。

ま、お前が大多数のMARCH程度の学歴でせっせと日夜働かされてるゴミリーマンかとおもっただけだから

それよりも、田舎成金成金っていうか土地持ちだからから金はあるんだけどな。地元名家とまではいわんが)のほうがマシだろうに、とおもっただけ。

2014-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20140415132416

その女性にかぎらずそれが日本人特性から諦めな

ツイッターで悪ふざけした奴の住所氏名家族構成を根掘り葉掘り晒しあげて他人の人生面白半分に破壊するのに熱中してる人間の多さを見れば分かるでしょ。

そうして口を揃えて「あいつが悪いことをしたんだから何をされても文句は言えないだろ」って言うんだからね。

2014-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20140410021147

そうだね。戦前から名家、あるいは戦後成長期に伸びた名家

高等教育与えねば、だいたい3代くらいで終わる。あるいは狭い範囲の

成功しかしない。4代5代と拡大して続く家は、確実に教育投資している。

金があって、教育ではなく金を与えたところは確実にだめになる。

なってる。

数学英語なんの役に立つという。ところがどっこい、数学英語で鍛えた

頭が後々大いに役に立つ。それをわかってるか無駄だと思うかでまったく

発展の仕方が違う。天と地だ。

少しばかりの成功をし次の世代のすべての者に家を与えた祖父は愚かだったと思う。

今はまったく感謝していない。

2013-12-21

ロジック・ロック・フェスティバル』と〈古典部シリーズの類似点

はじめに

中村あきの星海社FICTIONS新人賞を受賞したデビュー作『ロジック・ロック・フェスティバル』が、古野まほろメフィスト賞を受賞したデビュー作『天帝のはしたなき果実』と類似していると指摘され話題になっている。『ロジック・ロック・フェスティバル』は星海社ウェブサイトで無期限全文公開されている(http://sai-zen-sen.jp/works/awards/logic-lock-festival/01/01.html)ので読んでみた。その結果『天帝のはしたなき果実』だけでなく、米澤穂信の諸作品との類似点が見られたので検証したい。ちなみに現時点で私は『天帝のはしたなき果実』を未読であるが、これから読んでみる予定である

以前から米澤穂信作品との類似は指摘されていた

読書メーター12月4日投稿されたjinさんのレビューhttp://book.akahoshitakuya.com/cmt/33836748)。

読んだ印象としては、米澤穂信西尾維新になったつもりで古典部シリーズを書いたらこうなるんだろうなと思った文学部員が書いた同人誌と言った感じ。

読書メーター12月11日投稿された×(旧らっきーからー。)さんのレビューhttp://book.akahoshitakuya.com/cmt/34001390)。

米澤穂信とかを目指した結果、残念ながらそこに至らず。そんな印象。

物語構成

まず『ロジック・ロック・フェスティバル』の物語の流れを説明する。以下が『ロジック・ロック・フェスティバル』の章タイトルだ。

  1. 四人の申し分なき閑人
  2. 実行補佐
  3. 回想と回送
  4. モバイルコード
  5. 葉桜の季節
  6. 大脱出
  7. バス班室写真消失事件 前編
  8. バス班室写真消失事件 後編
  9. そして、時は来たれり
  10. フェスティバルフリーク
  11. 健康と対策
  12. アイの告白
  13. それは清き学び舎を妖しく濡らして
  14. さよならコージー
  15. 現場検証
  16. 見捨ていくプリコンディション
  17. 星のお告げと逆転密室(万亀千鶴告発
  18. 失われた血の絆(成宮鳴海告発
  19. 浪漫秘密の抜け穴(衿井雪の告発
  20. 犯人探偵中村あきの告白
  21. 名探偵』の復権(鋸りり子の告発
  22. 顚末
  23. 探偵の動機

全部で23章で構成されている。『ロジック・ロック・フェスティバル』のメインとなる事件は文化祭開催期間中に起きた密室殺人事件だが、文化祭が始まるのは「9.そして、時は来たれり」からだ。ではそれ以前はというと小さな謎解きが2,3あるという構成になっている。具体的には「4. モバイルコード」で携帯メール暗号の謎解き、「6. 大脱出」で閉じ込められた蔵から脱出、「7. 女バス班室写真消失事件 前編」「8. 女バス班室写真消失事件 前編」で写真盗難事件の謎解きが行われる。

次に米澤穂信デビュー作『氷菓』の物語の流れを説明する。以下が『氷菓』の章タイトルだ。

  1. ベナレスから手紙
  2. 伝統ある古典部再生
  3. 名誉ある古典部の活動
  4. 事情ある古典部末裔
  5. 由緒ある古典部封印
  6. 栄光ある古典部の昔日
  7. 歴史ある古典部真実
  8. 未来ある古典部の日々
  9. サラエヴォへの手紙

この章タイトルだけではどんな物語かわからない。『氷菓』のメインの物語ヒロインである千反田えるの叔父、関谷純が関わったと思われる33年前の事件を解明することであるしかし、その謎がはっきりするのは「4. 事情ある古典部末裔からであり、「2. 伝統ある古典部再生」では千反田える地学講義室に閉じ込められた謎解き、「3. 名誉ある古典部の活動」では、ある本が毎週借りられている「愛なき愛読者」の謎解きが行われる。

はじめに小さな謎解きがいくつかあり、中盤からメインの大きな謎解きになるという物語構成は特定作家専売特許ではない。であるが『ロジック・ロック・フェスティバル』と『氷菓』の物語構成が類似していると指摘するのは間違いではないだろう。

ヒロインのお屋敷にはじめて行くシーン

ロジック・ロック・フェスティバル』の「6. 大脱出」では、主人公中村あき)がヒロイン(鋸りり子)の家をはじめて訪れるシーンが描かれる。これを『氷菓』の「6. 栄光ある古典部の昔日」で、主人公折木奉太郎)がヒロイン千反田える)の家をはじめて訪れるシーンと比較したい。

 目に飛び込んできたのは圧巻の庭園だった。手入れの行き届いた刈り込まれた木々。配置を整えられた岩。雨粒を受けてなお静謐を湛える。その中を悠然と泳ぐ色とりどりの錦鯉。そしてそれらを統べるかのように鎮座する絵に描いたような日本家屋。その向こうには立派な蔵も見えた。

 道なりに設置された飛び石を歩きながら息を呑む。家柄でここまで住む世界が違うものなのか。自身の境遇比較すると、少しばかり悲しい気持ちになってしまう。

(中略)

 唖然としているうちに僕は言われるがまま三和土で靴を脱ぎ板張りの廊下彼女に説明された通りにんでいた。


ロジック・ロック・フェスティバル

 広大な田圃の中に建つ千反田家は、なるほどお屋敷と呼ぶに相応しかった。日本家屋らしい平屋建てが、生垣に囲まれている。水音がするところを見ると庭にはがあるらしいが、外からは綺麗に刈り込まれたしか見えない。大きく開かれた門の前には、水打ちがしてあった。

(中略)

 無視する。門をくぐり飛び石を飛んで、玄関先のベルを鳴らす。

(中略)

 石造りの三和土で靴を脱ぎ、千反田に先導されて板張りの廊下を進む。


氷菓角川文庫版、135~136頁

太字で示したのが二つの作品で完全に一致した箇所である。いくつか単語が一致しているが、文節単位での剽窃は行われていない。単語の一致も同じ「日本家屋を初めて訪れたシーン」を描いたのだからあって当然だ。むしろ庭園に入ってから周りを描写している『ロジック・ロック・フェスティバル』、生け垣の外から庭をうかがっている『氷菓』という点が大きく異なる。

そもそも、高校一年生のヒロイン日本家屋の豪邸に住んでいるという設定がめずらしいが、かといってこの設定が特定作家専売特許というわけでもない。

氷菓』において、千反田える日本家屋の豪邸に住んでいるのは、千反田家が桁上がりの四名家といわれる名家からだ。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、鋸りり子が日本家屋の豪邸に住んでいる理由は説明されない。家柄は明らかにされていないし、両親も学者だ。一般的学者であれば豪邸を建てるほど高給とも思えない。シリーズ化されこれからの作品で明らかにされるのかもしれないが、現時点では主人公たちが閉じ込められる蔵を登場させるためぐらいしか物語必然性がない。背景が説明されないので、どうしても取ってつけたような印象を受けてしまう。

主人公ヒロインが閉じ込められるシーン

ロジック・ロック・フェスティバル』の「6. 大脱出」で描かれる主人公ヒロインが閉じ込められるシーンは、〈古典部シリーズの4作目『遠回りする雛』に収録されている短編「あきましておめでとう」と類似点が多い。例えば、どちらも冒頭に閉じ込められている主人公述懐を置き、時間を巻き戻す形でなぜ閉じ込められることになったのかを記述する形式をとっている。

あらすじはひとことでまとめると以下のようになる。

具体的に『ロジック・ロック・フェスティバル』では、

具体的に「あきましておめでとう」では、

となっている。

以下、『ロジック・ロック・フェスティバル』におい主人公中村あき)とヒロイン(鋸りり子)が小屋(蔵)に閉じ込められるシーンと、「あきましておめでとう」におい主人公折木奉太郎)とヒロイン千反田える)が小屋納屋)に閉じ込められるシーンを比較したい。

 目が慣れてくると、そこは本当に本の山だった。本しかないといってもいいくらい。備え付けの本棚に、そこらに積まれたボール箱に、ぎっしりと詰められた本、本、本――今すぐ古本屋が何件だって始められそうだ。

 りり子に案内され、その後ろに付いていく形で奥の方に歩いていく。中はそれほどの広さでもないようだったが、薄暗さと障害物のように設置された本棚のせいで、なんだか迷路に迷い込んだような眩暈感があった。

推理ものは確か……」

 一応分類されているのだろうか。背表紙を見流す限りでは全く統一感がないような気がするぞ。

 と、その時。

 ぎぎぎ、と何か引きずるような音がして、室内の明度が明らかに落ちた

 なんだろう?

 りり子も一度こっちに振り返り、異変があったことを確かめ合う。

 そして二人同時に思い当たった。

 扉が閉まったのだ。そんな当たり前の結論に到達するのにいやに時間がかかった。

 慌てて扉の方に引き返す僕ら。見るとやはり扉はぴっちりと閉められていた。風やなんかであの重い扉が閉まるだろうか。疑問に思いながらも、とりあえず僕は扉に近づいて手を掛けてみる。

「……あれ?」

 開かない。まさか

 がちゃがちゃがちゃがちゃ。

 扉の外側から響く、金属が打ち付けられるような硬質な音。

 いやいや、冗談でしょ?

「鍵が……閉められてる……?」

強く揺さぶってみると扉はほんの薄くだけ開いた。その間から無慈悲にも完全に閉じられた錠が覗けて。


ロジック・ロック・フェスティバル

 闇の中に手を突き出し摺り足で進んでいく。目が慣れればもう少しマシになるのだろうが、いまはこうしないと危ない。そろそろと奥に進み、手に酒粕が当たらないかと気をつけてみるが、どうも手ごたえがない。

「簡単なお使いかと思ったら、なんだか面倒なことになってきたな」

「あの、折木さん」

 いつの間に近づいてていたのか、千反田が俺のすぐ後ろで名前を呼んだ。背後でアルミドアが風に吹かれて閉まってしまい、納屋の中はいっそう光が入らなくなった


『遠回りする雛』角川文庫版、218~219頁

「おう、開いてるぞ」

 そして、なにやら不吉な、がこんという音。

「え? いまのは……」

 とピンと来ていない千反田。俺はすぐさまドアに、暗くてよくわからないので正確にはドアがあったと思しき場所に飛びついた。アルミノブの、冷たい感触はすぐに探り当てられた。

 しかし。

 がたがたと揺れるだけのドア。オレは千反田を振り返る。千反田の輪郭もはっきりしないけれど、なぜか、心配そうに小首をかしげるやつの顔が見えたように思う。

「どうしました?」

 どうせ見えないだろうけれど、肩をすくめてみせる。

「閉じ込められた」


『遠回りする雛』角川文庫版、221頁

 まず、このドアが閉められている構造をもう一度考える。このドア自体には鍵はない。だから強く押せば、ほんの少しだけ開く。それ以上開かないのは閂のためだ。


『遠回りする雛』角川文庫版、228頁

今度は先程と違い完全に一致する箇所ではなく、同じ事象を別の表現にしている箇所を太字にした(そもそも完全に一致する単語ほとんどない)。非常に似通ったシーンを描いているので、一致している箇所がいくつかあるが、文節単位での剽窃はおこなわれていない。

違和感があるとすれば『ロジック・ロック・フェスティバル』において、「扉はほんの薄くだけ開いた」という点だろう。「あきましておめでとう」では脱出が困難なことを示すために閂がどのようにかけられているか仔細に描写されており、「強く押せば、ほんの少しだけ開く」というのも話の流れから違和感がない。一方の『ロジック・ロック・フェスティバル』においては、どのような扉なのか、どのように錠がかけられているかは具体的に示されておらず、一般的な扉と錠であれば扉が薄く開き外の錠が覗けるというのはおかしい。

「あきましておめでとう」では、折木奉太郎脱出するために様々な方法を試す。そこにはどうやって脱出するのかというハウダニットの愉しみがあるが、『ロジック・ロック・フェスティバル』では、早い段階で窓から脱出できることがわかっている。謎解きの興味はほとんどなく、むしろそれまで葉桜仮名先輩一筋だった主人公中村あき)がヒロイン(鋸りり子)を女性として意識するシーンとして描かれている。

私感

ロジック・ロック・フェスティバル』と〈古典部シリーズ両方を読んでいる私としては、影響は受けていると感じた。しかし、文章の剽窃など著作権法違反に問われるような箇所はないと判断していいだろう。他にも中学時代探偵していたが、とあることをきっかけに探偵することをやめたという鋸りり子の設定が、〈小市民シリーズの小鳩常悟朗の設定と類似するなど気になるところがあるが、それはまたの機会に検証したい。

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