はてなキーワード: 動物園とは
おんなじことやってみるといいよ。
「自分が他人にするんだから、他人にされても不愉快に思うはず無いよね?」ってスタンスで。
するとストレスはその時一時的には減る。
トータルで見ると相手も対抗してくるから増えるかもしれない、すまん。
相手がなんか言ってきたら「先輩いつもやってるから、(香水なら)もしかして私が臭いのかと思って…それで社会人ならきちんと香水くらいつけなさいってことなのかなって思っちゃって…」とか。
「先輩いつもこうだからこうすべきなのかと…」とか。
でもこれ他の人に頭おかしいと思われるから人間でいたいならやめたほうがいいと思う。
奥では、別なサルが、ひっくりかえって寝ていました。
そして、見ていると、サルが、檻の外の笹に手を伸ばして、
笹をつかんで、それをちぎって口にくわえて、他のサルの前にいき、
攻撃のような感じでアタックしていったら、そのサルが反撃して、
攻撃されたサルが笹を奪って、口にくわえていました。
その後、サルは笹を食べました。
サルは笹を檻の外から引っ張るときに、なんか、動きづらそうでした。
なにか、動作的に制限がかかっていて、苦しそうな、感じがしました。
木を飛び移るのは制限がかかっていないように見えましたが、
引きちぎるのには制限がかかっているように見えるのが不思議に思いました。
あとは、しばらく、見ていたら、こちらに放尿してきたので、
自分の心に問うてみたら、幸せ度は相当に低まっていると言えてしまう実情。
好きな街に住み好きな仕事をして好きな仲間と好きな企画立てて遊びに行けた。
身近に大好きなことがいっぱいあって、それがあたり前だった。
そんな日はあたり前に続くと思っていたし
それでもまだ足りない、ぐらいに思っていた。
いま。
夫が作ってくれた夕飯を囲んでみんなでお風呂に入る。
もちろん、そのはずなんだけど。
なんでこんなに苦しいのか。
なんで心の奥がカラカラなのか。
でも、守ることをしなくちゃいけない。
この生活、家。
自由、仕事、みんな制限されたなかで繰り返す。
別人と認めざるを得ない。
どうしたら良かったんだろ?
どうしたらこの生活で充足感を得られるのか?
ステージは、変わったのか。
どんなに誇らしいだろうって羨ましく、まぶしい。
でもたぶんきっと
このアイデンティティークライシスをうまく乗り切ってきたとは思えない。
もっと話したい。肝据えてこれが私の選んだ生き方だと言いたい。
逡巡はまだまだ続く。
<相手と自分の違いに着目し、想像力を働かせて相手を理解する>
・20人いたら20通りの感じ方考え方があります。相手は自分とは違う資質のフィルター
を通して世の中を見ています。人はみな、顔があり手足があり、一見すると同じように見
えるので、考え方や感じ方も自分と同じと思ってしまいますが、人間社会は一皮むくと動
物園。自分がキリンだとすると、水の中のワニもキリンに見えて、「なぜ水の中にいるのか。
なぜ木の葉を食べないのか」と非難しても、相手はワニなんです。ワニから見たら、あな
たも同じワニ仲間に見えて、「なぜ草原を歩いているのか。早く水に戻れ」と思うかもしれ
ません。TOP5だけ見てもすべてが同じ資質をもつ人はいないように、人は皆違っていま
す。自分の見方・感じ方を押しつけないことを意識してみてください。
―コピペ終わり-----
にんげんしゃかいはひとかわむくとどうぶつえん。
ふふふ。
といっても、増田にありがちな人生初とか、昔の彼女と遺恨ある別れ方をしたとか、
しみったれた回想に浸るということはない。
自分で言うのも恥ずかしいが、この間の模擬テストは、満点までは2問遠かったが、学年首位であった。
国語のように本番で頭をひねれば正答が得られる教科でない分、私の聡明さを証明するには適切だろう。
以前Yahooだかニュースで見たが、30歳を越えても男性の何割かは女性経験がなく、そのうちさらに何割かは一生ないのだという。
私の17歳で3人目の彼女というのは、同年代に比べて遅れているのではないかと危惧していたが、
女性経験の割に流行に疎い僕は、美術館という適度なミサワ臭とおしゃれ感と、ほどよく落ち着いた空間を演出できる場所を選んだ。
ここ近年話題になった美術館で、都市の中央にありながら、古城の公園に接し緑もあるというなかなか稀な場所だ。
無料エリアもかなりのボリュームがあり、近年の美術館としては稀なほど来場者を増やしている。
どちらかというと、傷心の憂さ晴らしに、閉館直前にうろうろしつつ不審な目で見られた記憶しかない僕にとっては、
何も、映画とか、テーマパークとか、カラオケなどに、わざわざ自由な時間を騒音の中で縛られて過ごす必要はない。
僕の住んでいる地域では、割と古くから名物だった動物園が閉館となり、わざわざ山の中に移設した経緯がある。
山麓付近にある生物関係のスポットとして、昆虫館の方がユニークで有名な為、近年は動物園は客足が遠のいてしまっている。
動物といえば、臭いとか、垢抜けないというイメージが先行してしまうのは何故なのだろうか。
近年の動物園は、愛護家からの批判をかわすためか、自然環境に関する研究を行っていることはご存知だろうか。
いや、ニュースで度々耳にするので、知らなかった私が少数派なのだろう。
(なんだか少数派というと、近年の泡沫候補の演説を連想してしまうが。)
なぜ唐突に動物園かというと、丁度中学生の頃に読んだ漫画で、動物好きの主人公が動物園に幼馴染を誘う場面が、非常に印象に残ったからだ。
異論があるかもしれないが、不意の昆虫の出現における驚愕からは想像できないほど、女子の動物に対する「ハードル」は低い。
あまり性別と好みを関連付けるのは好きでないが、少ないながらも実体験から言っているので、ある程度信頼性があると見なしてよい。
近年SNSで「猫」文化が一大ムーブメントとなり、現在まで続いていることは、あなたもよくご存知だろう。
どうやら猫を始めとする、哺乳類含む動物には、人間の同じ人間に対する警戒心を一時的に解く作用があるらしい。
とにかく異性関係において呪文のように繰り返される「釣り橋効果」より、私はこちらを今回は取り上げたい。
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|ノ ヽ(( |
/ ● ●| (=)
| (_●_) ミ J))
彡、 |∪| ノ
(⌒Y ヽノ ヽ/⌒)釣り橋なんてあるわけないクマー
`\ ノ |_ノ
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■中学生の頃まで親の事を「パパ、ママ」と呼んでいたので高校入学と同時に一気に「おやじ、おふくろ」に変えたらおふくろが笑い過ぎて呼吸困難に成ったので今でもパパ、ママって呼んでる。
葬式の日、雨が降ったのでつい「見よ、天も泣いておるわ…」と言ったら弟に「なんでそんなふざけた事を言えるんだよあんたって人は!」とマジギレされた。
因みに弟は小学校の頃から父さん母さんって呼んでる。俺よりずっとマザコンの癖に。
■先週帰省したら父から思わぬ物を見せられた。子供の頃のホームビデオ。
父から将来の夢を訊かれた小さい頃の俺が「おいしゃさんーー!!みんなのびょうきをかいふくさせるのー!」なんて可愛い事を言っているんだよ。父溜息俺苦笑い。父は「この儘素直に育っていればパパも病気診て貰えたのになあ」と嘆いて見せてくる。返す言葉も無い俺。
ところがビデオの中では当時の父が「医者は無理無理。お前の成績だと難しいからラーメン屋でいいんじゃない」と子供の夢を否定してる。
「べんきょうはちゃんとするからおいしゃさんがいい!」と当時の俺が抵抗するも「パパラーメン好きだからラーメン屋にしてよ。毎日ラーメン食べられるし」と畳み掛けて当時の俺は不貞腐れてしまっていた。
この父、ビデオを撮影した頃から全く変わっていない。自分の都合で子供の職業を決めたがるし、ラーメン好きが高じて今では糖尿病だ。
「パパさえ子供を応援してくれてたら今頃は…」と嫌味を言うと「お前、今付き合っている相手は居ないのか?」と唐突に話を変え出した。
■高校の頃、苛めの煽り役だった生徒が皮膚病(性病とか言われていた)で顔が爛れて、苛められる側に転落した事があった。
自分で名付けた蹴り技を自分が喰らってて因果応報世話無いわと思った。
その生徒は苛められてから1箇月で入院名目で来なくなって、それからまた元の苛められっ子への苛めが再開した。
今振り返って考えると元の苛められっ子は強いな。やる側が1箇月で挫ける苛めを1年耐えてたんだから。
■俺の通っていた高校の同級生に「宮崎勤」君が居た。当然本人はその名前を嫌っていたんだけど、付いた仇名が「ハヤオ」。
そんな仇名で大丈夫か。
ある日ポロッとこぼしていたが、将来結婚するなら婿入りして名字を変えるつもりだという。
■こないだ震度3位の地震が起きた時喫茶店に居たんだけど、客の携帯電話が一斉に地震速報の警報を鳴らして地震が起きたものだから外人の観光客達が面白い位慌てていた。
■「ウチらももう立派なオバサンだよねー」「マジ歳だわー」。どう見ても40代の女性2人の会話。間違っちゃいない、けど…
■「俺んちルンバいるんだけど見に来ない?」という豪快なナンパを目撃した。しかも誘われた女も付いて行っちゃってるし。
俺も買うか、ルンバ。
■今神社に居るんだけどお爺さんが神主に向かって何か喚いてる。
聞き耳を立ててみると、入院中の孫の為におみくじを引いたら連続で凶だったと。食費削って200円のおみくじを6枚引いたのに全部凶だったと。
そのお爺さんは本当に切羽詰まった表情だったので、神主さんさんも気圧されたのかその場でお祓いが始まった。
普段引く分にはただの遊びだけど、家族の生き死にって時に凶が出るとそりゃ凹むよな。
■何故だか分からないけど尻が腫れた。病院で看護師に心当たりを尋ねられたので「先週酔った勢いで平将門の墓に座った」って正直に答えたら鼻で笑われた。塗り薬を塗ったら見事に腫れは治まったので、塗り薬は祟りより強い。
■壁ドンなんか何がいいんだよ。女の考えは分からん。とか思っていたけど、今日電車が揺れた時背の高い女子高生から思わぬ壁ドンを受け、考えを改めた。
■うちの猫があくびする度に口に指を突っ込んであぐあぐさせるのが好きなんだけど、さっき俺があくびした時口に猫が手を突っ込んできて「アヌフオッ!?」ってなった。やられると別に嬉しくないね。ごめんよみけにゃ(うちの猫)。
■うちの猫のみけにゃは元野良猫。その癖結構美食家だったりする。
うちの子にしてから1年位経った頃冷凍庫の奥底から黒毛和牛の成れの果てを発掘した。
捨てるのが惜しいから解凍してみけにゃに与えてみたら、それから数日間はカリカリを全く一口も受け付けず、その癖「ごはんくれー」といつもより強くねだる様に。
元野良だから絶食に慣れているという理由も有るんだろうけどあれには困った。
今はみけにゃを迎え入れた日に記念日として年に一回だけ牛肉をやっている。
■うちは今猫を2匹飼っている。それでしみじみ思うのは、猫って模様で見分けが付いていいなって事。
小学5年生の頃ハムスターを飼っていたんだけど、近所に住むハムスター仲間4人で集まった時『この中で誰が一番ハムスター好きか』を比べようという話が出た。
ルールは簡単。ハムスターを自分の口の中に一番長く入れ続けられた人間の勝ち。
書いてて馬鹿らしく思えるルールだがみんな馬鹿真っ盛りな男子小学生+女子小学生だったので仕方無い。
斯くして戦いは始まった。俺の弟が行事を務め、それぞれ恭しくハムスターを両の掌に構える。変な緊張感が部屋に張り詰める。
弟の合図!と共にみんな一斉にハムスターを頬張る。瞬間鼻孔に広がるハム臭。そして激痛!
ハムスターは只でさえ他のハムスターと対面させられ興奮していた状態で急に頬張われて錯乱に至り、爪と歯と全身とで全霊の抵抗を試みたのだった。
少年少女の汚れ無き頬肉は内側より切られ裂かれの蹂躙を受け、堪え切れなく成った俺達は愛しのけだものを我先にと床へ吐き出す。
最早勝ち負けではない。泣き出す者、血飛沫の咳を吐き散らす者、口を雑巾で拭う者、「ペストになっちゃう!」と変な怖がり方をする者(俺)。稚き人生で初めての混乱が皆を襲う。
この混乱の中それぞれが持ち寄ったゴールデンハムスター4匹は涎塗れの儘部屋を逃げ回り、何とか全員捕まえたものの既にどれが誰のものだったか誰にも分からなくなってしまっていた。結局それぞれ適当に見当を付けたハムスターを自分の家の子として持ち帰る事に相成り『愛は試すものではない』という尊い教訓を我々は得たのだった。
■動物好きの人から聞いた話。チョコエッグがはやり出した頃、動物園で蛙や昆虫といった小動物を担当している飼育員は、上からの義務として自分の担当している動物のフィギュアを持たされたらしい。
というのは、入園客の中には自分の手持ちのフィギュアと実際の動物とを並べて記念写真を撮る人が居て、更にはそれを落としたり忘れていく事故が多発したから。床に蛙や昆虫類の実寸大フィギュアが落ちていると、一見本物の展示動物が逃げ出しているかの様に見えてしまうのだとか。
それで飼育員はフィギュアの形状を記憶し、ガラスケース外に在るそれが作り物か本物かを瞬時に見分けられるよう備えたという。
■ごみ捨てに行って来た。
帰り際、突然足元からギーヴ!ギーヴ!と警報の様な音がしてびびる。
敵の襲来か!何奴!と思いつつ辺りを見渡すと、奥のごみ袋から光が漏れていた。
ごみ袋を解いて電話に出てみる。イタリア産チーズの包み紙とかいいもん食ってやがるなこの家。
相手はこの携帯電話の持ち主で、紛失に気付いて電話をかけてみたのだと言う。
少し待って現れた持ち主に携帯電話を渡す。かなり丁寧なお礼を言われて久々に照れるという体験をした。
思いがけず善い事をして気分が良いけど、すっかり目が覚めてしまったぞ。
■結構気の合う同僚と初めての飲み会。お互いにツイッターのアカウントを教え合う程意気投合したので早速フォローしようとしたら、俺この人のアカウントブロックしてた。
や、やべえ!スマホからだとどうやってブロック解除するんだっけ!?
と慌ててブロック解除&フォロー。出来立ての友情が秒速で崩壊する寸前だった。ふう。
■今日某家電量販店に行ったら「東京都よりお越しの池田大作様、大川隆法様がお待ちです。1階サービスカウンター迄お越し下さい」と放送が流れた。誰だ変ないたずらをしているのは。それとも店員用の何かの符牒か?
■もう先月の話。深夜に女性の後ろを二人っきりで歩いていて軽く気まずさを感じていたら、暗いものだからドブ板を踏み外して「うおおぉー!?」と変な声を上げてしまった。
途端に響き渡る防犯ブザーの音。「違うんだよ!?転んだだけだよ!?」と弁解したい気持ちを抑えながら慌てて道を反対側に入って逃げてしまった。
これも不審な男性に遭遇した事案として記録されてるのかなぁ…勘弁して欲しい。
■さっき男子小学生がランドセル背負いなからタバコを吹かして歩いてた。未だ3~4年生位の。注意したら無表情のままこっちも見ずにタバコを排水口に捨てて去って行ったけど、ランドセルに防犯ブザーがぶら下がってた。吸い殻が無い状態でこれ引かれたら俺やばかったかな。「変なおじさんに声かけられたー」って。
■料理好きのイケメンの友達の部屋に行ったらすごくサイゼリヤの匂いがした。
因みに俺は芳香剤を買い間違えて部屋からゲーマーズの階段の匂いがします。
■処女喪失もののアダルトビデオで見付けた女優が気に入って最近はその女優の出演作品ばかりを追いかけていたんだけど、
それより古い別の作品で「初体験は12歳の時」って答えているのを見付けてしまった。
せめて芸名位変えろよ。まるで俺は蜃気楼を追いかけていた冒険者の如き有り様。嗚呼。
■出会い系で知り合ってからもう半年位付き合っているセフレの40代のおばさん、今日話訊いたら昔俺が好きだったアニメの主人公役の声優だった事が判明した。どうしよう。ちょっと演じて貰ったら間違いなくあの声だよ。本人だよ。「昔のアニメとかよく知らなくってさぁ~」って顔で流したけど、今度からどういう顔して会えばいいんだろう。何が起きたのかまだ受け入れ切れてない。
■こないだのコミケ。便所で長い間個室を占領していた奴が出て来て俺の前を通った時、鞄の隙間から柔らかそうな円筒形の物体、つまりオナホールがチラっと見えた。
俺は列の先頭だったけどきんもー☆と思ったので後ろの苦しそうな表情の人に先を譲ってあげた。後で知ったけどオリジナルオナホールを売っていたサークルが在ったらしい。
■灼熱のコミックマーケット、いかがお過ごしでしょうか。こちらもうフラフラです。通路にへたり込む参加者に、スタッフも注意する気力を失っております。
先程は救護室にブラックジャックのコスプレをしたレイヤーさんが担ぎ込まれて行きました。
お前治療する側だろうと、周囲のみんなは目で物語っております。この暑いのに黒い上着なんて着込んでるから…
■昔、サークル友達に誘われてとある人気アニメの番宣番組の制作を一時期手伝ってた。要は声優さん達が遊びながら作品に絡めた話をするネット番組。
ある時主演声優の一人が、自分が演じてるキャラクターのフィギュアを買いましたよー、と言い出した。
告知から長い間発売延期が続いていた商品をネットショップで買ったという話なんだけど、その発言の後から番組責任者がそわそわし出した。
収録翌日に確認が取れた所、その声優が買ったフィギュアは中国の工場から流出した海賊版で、本物は来月発売予定らしい。利用したというネットショップも以前から海賊版フィギュアを販売している常習犯。
結局会社側がその声優から海賊版を買い取った上、本物を来月プレゼントするという形に収まった。当然番組は収録し直し。
ただ声優さんがにこにこしているだけの様に見える番組の裏にも、こんな事件が有るのです。
■見た目も性格もいかつく、その癖可愛い物好きの知り合いが腕にシナモロールの入れ墨を入れてきた。俺も同じシナモロール好きとして反応に困る。愛でればいいのか?これを?
■考え事をしながらコンビニで店員に話しかけて「すいません。ミミミンミミミンウーサ…じゃないや。麦茶どこですか」と言ってしまった。
■「あ、この会社やばいな」と思ったのは、社長の口癖が「あー暇だ」だと気付いた時。
だってその社長、60歳超えてるのに週6で毎日12時間は働いてるんだよ。
毎日働き詰めなのに2~3分の待ち時間や昼休みを、休む時間ではなく暇な時間と感じる体質らしい。
この歳で現役なのはこんなスタミナ人間の後釜を継げる人間が見付からないからという理由も有るんじゃないか。
面接に来たのはややイケメンの学生。受け答えはハキハキしていて好感が持てるんだけど、
履歴書を読むと「何年何月何日.自分の会社を設立。何年.25歳で東証一部上場。そして結婚! …」とずらずら未来の経歴が書かれてる。というか本来の経歴より未来の経歴の方が長い。
「この部分は将来の予定?」
「はい!夢を形にする為に!具体的な日付を付けました!」
「…夢を書くのは手帳とかのカレンダー欄の方がいいよ。こういう履歴書は会社で預かっちゃうから」
面白い子ではあったけど採用は見送り。自分の通ってる専門学校の校名「専問学校」って書き間違えてたのも理由の一つ。
■俺の友達のお話。そいつは大学時代からお笑い芸人を仕事にしていて今ではちゃんと事務所にも所属している。そこは結婚式や宴会に芸人を派遣するサービスも行っているんだけど、こないだそいつにもご指名が回って来た。
でもちょっと待てよ。先輩芸人差し置いてなんでそいつやねん。奴は人気が無いだけじゃなく、下品で毒舌でどう見てもおめでたくないネタしか持っていない。本人も事務所の人もみんな驚いていたらしい。俺も驚いたし。
で、呼ばれたのは葬式。なんでもそいつの顔が故人に瓜二つなんだとか。。。理由は変だが新人芸人に仕事を選べる余裕は無くマネージャー秒速の二つ返事。この話も事務所が勝手に了承してから知らされたらしい。
その記念すべき初依頼の現場写真を見せられて更にびびった。いつもの変な挨拶を披露している奴の顔と遺影に写った顔は本当にそっくりで区別が付かない。「何これドッキリカメラ?」と訊くと「いや…俺を騙すにしては金かけ過ぎでしょうよ」と。そんな事、訊く前から俺も頭では分かってる。
服装に背広を指定されていたから棺桶の故人と寸分狂い無く一致状態で、遺族も参列者もマネージャーも何より奴自身が驚いたそうだ。『俺が自分の葬式に参加して自分の遺体の隣でお笑いを要求されてる!』って。
一つ困ったのは、葬式に相応しいネタを幾つか考えて行ったのに(一つ見せて貰ったが『似ている人を3人見付けると死ぬって噂。今日1人目を見付けたけどもう死んでた』という不謹慎且つしょぉぉぉもないネタ)、参列者が大勢涙目でみつめて来たり、前カノ(故人の)から時計を押し付けられたり、恩師(故人の)から抱き付かれたりで6時間の内1つしかネタを披露できなかった事らしい。人気無い癖にそういう所は真面目でやがる。
そして今奴は故人の姉と付き合っているときた。奴には是非、もう2人そっくりさんを見付けて例の噂が本当か検証して欲しい。
■突然4箇月も入院して先日やっと退院した友達の部屋の掃除の手伝いに行く。前々からごみだらけだった部屋がすっかり虫達の楽園と化していた。ゴキブリはワモンからチャバネまで、ハエはクロバエからチョウバエまで向こう10年分は目にした気がする。本当に本当にこれはどうしようも無いと判断した俺達は、パソコンやテレビ等電化製品だけを退避させて部屋を大燻蒸する事にした。
明らかに「ここが虫の発生源です」と判るウジ虫だらけのゴミ袋を先に片付けようとしたら、ビニール袋の中で人間の小指大は有る親玉ウジ虫が蠢いていた。
「ここだけ進化論がおかしい!こいつ人間を食うぞ絶対!」と本気でびびりまくったが、よく見たらナメクジだった。それにしても3階の部屋にナメクジが湧くってどういう事よ。
燻蒸の結果我々人類の手には負えないという事実が改めて判明したので、結局業者に頼みましたとさ。
はてな匿名ダイアリーは12605文字前後が上限の字数制限が有るっぽい。
編集画面と『確認する』ボタンを押した時の表示ではきちんと書いた通りの全文が表示されるが『この内容を登録する』ボタンを押した後は、12605文字以上の文が表示し切れず途切れてしまっている。
以前からメディアを騒がしている橋下さんの数々の政策、事業方針ですが、良いと思うものもあれば、ちょっと眉をひそめるものもあります。例えば、最近で言えば
ランチタイムも今年から橋下流? 庁内放送は音楽中止、意識改革スローガンに - MSN産経west
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130101/waf13010111520001-n1.htm
や
などです。理由はあとで述べますが、とりあえず、一度落ち着いて、これらを考え直してみませんか?
僕は大阪市民ではないですが、橋下さんについては、一定の尊敬の念を抱いています。元はと言えば一介の弁護士だった方が、テレビを経由して、若くして大阪府知事、大阪市長という重職を勤めていることは、とてもすごいことだと思います。僕もいい年なのですが、もし明日から市長をやれと言われたらとてもじゃないですが震えて表に出れません。そうした仕事を精力的にこなされる橋下さんについては、嘘偽り無く尊敬しております。
また、そうした仕事の際にもいろいろな政策を考え、中には実行していることは、とても大変なことだと思います。僕も自分で計画を立てて実行しようとして、様々な理由で頓挫した経験があるので、権限があるとはいえ、思いを形にするだけでも一苦労なのは承知しているつもりです。
ただ、橋下さんが、上記のように行政を事業、サービス業として考えるあまり、非常に抑圧的な策を取ろうとすることについては、疑問があります。「前例がないを禁句とする」というのは、市の職員に創造性を発揮することを求めるものだと思いますが、一般に創造性と抑圧はトレードオフの関係にあると考えられています。
例えば、米グーグル社や、橋下さんのお好きなツイッター社などは、社内にビリヤード場があったり無料のレストランがあったり、とてもリラックスできる環境を作っています。実際にグーグルの社内が豪華なことはとても有名で、働きがいのある企業として選出もされています( http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1201/20/news066.html )。このように、著名な各社は従業員が気分良く働ける環境を用意することで、創造性を発揮して、前例のないサービスを作ることに成功しています。
こうしたことを鑑みるに付け、橋下さんの「音楽を中止してスローガンを流す」という案は、創造的なサービス開発とは正反対のやり方であると考えられます。橋下さんは良く「民間では当たり前」といいますが、こうしたことこそ民間では行われていないことだと言っても言い過ぎではありません。なので、動物園の件なども含めて、職員を働かせるのではなく、職員が働きたくなる環境を作る方こそが、本来実行されてしかるべきことなのだと思います。
長い行政の歴史を考慮すれば「そんな悠長なことは言ってられない」と言うかもしれませんが、そういうところだからこそ、丁寧にモチベーション向上策を考えることが必要なのではないでしょうか。部下を働かせるのではなく、部下が働きたくなる仕事をしてこそ、優れた上司であると僕は思います。
政治家にも影響力のある、とある偉い先生は橋下さんについて「沈思黙考せよ」と言っていました。僕は橋下さんが十分様々なことを行いうる人だと思うので、適切に熟慮する余裕をもってこそ、橋下さんの能力が最大限発揮されるのだと思います。だから、今一度、こうした抑圧的な策を取りやめ、職員に取って何が出来るのかを考え直してみませんか。
あともうひとつ。職員に「前例がない」を禁句にするなら、橋下さんの「民間では当たり前」も禁止しましょうよ。僕には、これこそが橋下さんのいい訳に聞こえてなりません。
まず、猫のエサとして生きたイエウサギや飼育愛護目的に繁殖された小鳥は適切ではない。
ペットブームで愛護動物用のフードが数多販売されている中、生きた動物を与えるというのは合理性に欠けるし、そもそも猫はウサギを殺して食べるまでに至っていないので実質エサやりにすらなっていない。
「野生と同じように自ら獲物をしとめて食べることが猫のためになる」と主張したとしても、自発的にウサギを襲おうとしているわけではない猫を敢えてけしかけている時点で説得力を失うし、イエウサギに関して愛護法違反であることに変わりはない。
(動物の所有者又は占有者の責務等)
第七条 動物の所有者又は占有者は、命あるものである動物の所有者又は占有者としての責任を十分に自覚して、その動物をその種類、習性等に応じて適正に飼養し、又は保管することにより、動物の健康及び安全を保持するように努めるとともに、動物が人の生命、身体若しくは財産に害を加え、又は人に迷惑を及ぼすことのないように努めなければならない。
その子がウサギを飼っているのならば、動物の種類、習性等に応じて適正に飼養し健康及び安全を保持していると言えない。
イエウサギには猫に傷つけられることで健康を増したりより成長が促進されるといった習性はなく、猫の方でもウサギを攻撃することが飼育管理上適切な運動行為とは言えない。
猫を逆上させてウサギを攻撃させているとしたら、ウサギだけでなく猫をも虐待しているという解釈すら成立する。つまり、猫は食べるためでなく怯えて/嫌がって、ストレス因(=敵)を撃退すべくウサギを攻撃せざるを得ない状況に陥らされているから。
さらに、他人のウサギを持ち出しているとしたら器物損壊にも問われる。
どこぞの国の動物園でもライオンやトラの庭の中に生きたままの牛や羊やウサギを投げ込んで
それを見世物にしているそうだが、これと同じだと思う。
同じではない。
空腹の肉食動物のために生きたままの草食動物を与えるのは草食動物にとっては虐待だが肉食動物の飼育に関しては適切か否か議論が分かれる余地がある。
あなたの見かけた子どもはウサギを食べたがってすらいない猫にウサギを押しつけていじめさせているので、ウサギにとっても猫にとっても明らかな虐待。
極端な例だが、「食べなよ」とゴキブリを押しつけられたらあなたでも悲鳴を上げないだろうか? 「それは食べ物ではないし仲良くしたい相手でもない」と。
ただ、賭けてもいいが、学校は事なかれ主義なのでこの件に関してはもみ消しを図るだろうし、先述したように機能不全家庭化している可能性もあり親は子どもの指導に関して宛てにならない。
というか、学校教育や家庭内での教育の場というレベルでそういった虐待行為を行う人間への矯正・指導のノウハウがたまっているということがそもそも期待できない。
つまりその子の行為への抑止力となるような機構はほぼ全く存在せず、またその子は見つかったことで次は見つからないようより巧妙に、かつ叱責を受けた・非難或いは疑惑の目で見られたことのストレスを晴らすためにより過激な虐待を行うようになる可能性がある。
個人的には児童相談所への通報をおすすめしたい。すぐに何らかの介入行為に至ることがなかったとしても、通報実績だけは重なるから。
はい。本気で同居解消を検討中です。今になって、亡き母の苦労を忍んでおります。
悪気は本当に無いと思うし、認知症の気が出て来たとかでもない。
昔から知人の結婚式を忘れてすっぽかしたり、大事な仕事道具をどこかに置き忘れたり、私を連れて遠くの動物園に行ったのに財布を忘れてスゴスゴ帰ってきたり、そんなエピソードには事欠かない人なんです。
あの時、泣きながら帰った恨みは覚えてるぞ、父ちゃん。
鍵のかけ忘れも何度かやった事があるので、あまり強く言えないんですね。
その辺を考えると、余計に自分は一生独りで居た方がいいなーと思う。
うん、うちの子と同じ学校だと思うので、学校に相談してみます。
でも自分の手で動物を傷つけていたわけでもないのに虐待と決めつけていいんだろうか?と情けないが躊躇する気持ちもある。
餌をあげていただけと言われたら逆に私が名誉毀損をしたみたいに言われないだろうか。
最初は飼ってる猫とウサギと一緒に遊んでるのかなとほほえましく思ってたら、どうも様子がおかしい。
リードでつないだウサギを投げたり蹴っ飛ばしたりして猫にあてがって、猫は逆上してウサギを攻撃する。
首元噛まれてたみたいだし流血してたから無事ではないはず。
最初は何が起きているのか状況を理解できなかった。
以前もおそらく紐を足にくくりつけたらしいハトだが文鳥だかインコだかを猫にあてがっていた。
立ち去った跡を見たら鳥の羽や肉片?が散らばっていた。
ここまで来たら明らかに「餌やり」とは言えないよね。
そもそもその猫の飼い主ではないだろうし。
どこぞの国の動物園でもライオンやトラの庭の中に生きたままの牛や羊やウサギを投げ込んで
それを見世物にしているそうだが、これと同じだと思う。
直接自ら手を下していなくても虐待になるのだろうか。
第七条 警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合においては、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる。但し、刑法 (明治四十年法律第四十五号)第三十六条 (正当防衛)若しくは同法第三十七条 (緊急避難)に該当する場合又は左の各号の一に該当する場合を除いては、人に危害を与えてはならない。
一 死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁こにあたる兇悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。
二 逮捕状により逮捕する際又は勾引状若しくは勾留状を執行する際その本人がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。
脅迫罪となれば警察官職務執行7条の1を満たすことはないので、警察は武器を使用することができない
しかも、パンダ死ねば、1頭当たり5千万近い違約金を中国に払う必要がある
雄雌がいるパンダ舎に乗り込んで殺せば1億近い損害を国に与えることができる
まず間違いなく、動物園や国はパンダを殺すことに躊躇すると思われる
え、損害賠償?
そんなの金がないところからは取れませんよ
お盆休みも終盤の昼間の新宿で家族連れに囲まれて観ていていたたまれなくなったので書く。
出てくるキャラクターがどうも好きになれない。顔の描き方も好みじゃないし、それ以上に主役の宮崎あおいちゃん演じる花(以下あおいちゃん)が何考えてんのかわかんない。キャラクターとしての魅力、リアリティーがなさすぎて。
この映画の問題はあおいちゃんが健気で善良でどんな困難にも立ち向かえる女の子という設定に頼りすぎていている所にあると思う。
客観的にみれば人知れず自宅で出産した外に出せない子どもを2人抱えつつ、近所から通報されて児童相談所の人が来て死んだフリーターの旦那が貯めた貯金だけを持って山奥へ逃げ出すという、なんとも独りよがりな状況であるのに、周囲との接触を自分から取ろうとせずに健気に田舎暮らしを始めたらなんとなく上手いこと手助けしてくれる人達が現れてうまく生活しているし、移住することに決めた廃屋の近所にはたまたま勝手に見守ってくれる菅原文太がいる。芋のおすそ分けから村の互助社会に参加するくだりでは、人里離れて暮らすことを目的として村との交流をする覚悟のないあおいちゃんが健気な姿をみせることだけを頼りに菅原文太に認められて話が進んでいく。この辺りはあおいちゃん自身にはなんの変化も無いのに、事は順調に進んでいくわけでどうにもこうにも都合が良すぎると思う。もしあおいちゃんの意思で周囲と交流して生活を営んでいく話にしたいのなら、健気さだけでなくそれまでの孤立主義を改心して自発的に関わっていくエピソードや身を削っていくエピソードが欲しいし、受動的に関わるのなら田舎ではもっと厄介なことを抱え込むのが常だと思う。独身男がつきまとってくるとか、村に居つかせることを前提に勝手に見合いさせられたりとか。
で、あと他にも問題だと思うのは、子育ての大変さがちゃんと描かれてないんじゃないかというところ。一連の子育て描写では誰にも頼れずに2人のこどもを保護して養っていく苦労や重圧はあおいちゃん1人にかかっているはずなのに、オオカミであることの苦労は描いてもシングルマザーである事の苦労は描かれない。動物園の檻のオオカミに相談したりはするものの、あおいちゃんはなぜかずっとニコニコしながら良き母としての態度を崩さない。たった1人で子育てをしているのに、その大変さや葛藤が単なる健気さに覆い隠れてしまっていて、子育ての重要な側面がみえないので、感情移入できないわ。その辺りのシングルマザーの苦労の描写でいえば、最近だと塚本晋也のKOTOKOが良かった。孤立して育児をしていくことでノイローゼで精神的におかしくなっていくcoccoのように、右手に焼け焦げる中華鍋と左手に泣き叫ぶ赤ん坊を抱えて途方もなく泣き崩れてしまう。そこまで追い込まれるまではいかないとしても、そんな医学的にも何者か分からないこどもを抱える不安、そんなシーンがこの映画にも欲しかった。
あとおおかみ男と結ばれたくだりは少女漫画も真っ青な純愛物語風になっているけれど、オオカミ男には社会的なケアを一切受けずに2人の子どもを設けて養っていく覚悟があったとは思えなくてなんだかなあって思う。もしオオカミ男にその覚悟があったとするならば、どうして本能を抑えずに街中で狩りをして川で死ぬことを選んだのだろうか。大学の講義に潜ってソクラテスがどうとか勉強するよりも、自分の本能との付き合い方を学ぶべきでしょうが。
この無責任さのしわ寄せが結果的にすべて母になったあおいちゃんに行ってしまっていて、あおいちゃんは不憫でならないはずなのに、2人の関係が単なる美談になっているのが腑に落ちない。
あとは音楽の使い方も好きじゃない。美化された田舎・自然にさわやかオーガニックでダイナミックな音楽を乗せればさも感動的なシーンになると思っている。この久石譲風の高木正勝がこの映画のなんとなく感動的な雰囲気に盛り上げる主因だと思う。
以上、長文になったけど、俺が一番言いたいのはこれ。
オオカミでフリーターのくせにあおいちゃんに中出ししやがって!!しかも1人ならまだしも2人目も作る所なんてまるで無反省!
俺は高岡蒼甫を許さない!
30間近にもなると子持ちの友人がほとんどで、Facebookでもmixiでも友達のブログ(主にアメブロ)でも子供の画像と子供の話題だらけ。
動物園に行った、花火に行った、それくらいならまだいいんだけど、今日は○○を食べた、○○ができるようになった、○○な表情をした、そんな毎日の少しずつの成長(というか日常)をデコレーションした写メ付きで一日に何回も公開されるたびに嫌な気分になる。子供に罪はないんだけど、それを公開しまくってる親が気持ち悪いし、そのうち毎日のように流れてくる写メの子供すら嫌になってくる。
でもそのポストに「カワイイ~」とか「うちの子もできるようになったよ!」とかコメントを付けている人はたくさんいるわけで、自分が性格曲がった嫌な人間なのかと時々落ち込む。
子供ができるとああいうのも許容できるようになるのかな?毎日のように自分の子供を、可愛いでしょ可愛いでしょって世界に公開したくなるのかな?
動物愛護団体は保健所で毎年何千頭もの動物が殺処分されるのを黙認している。
またヒグマ事件に代表される動物による人身事故が多発してることに対して襲われる人間が悪いという主張を行う。
また一部団体になると、仮にイルカやクジラは知能指数の高い哺乳類だから殺すべきではない、しかしコアラなど絶滅危惧種は害だからこれからも殺すべきだと主張する始末である。
最近中部以北で判明した熊牧場での人身事故は動物園形式なのだが、餌やりが十分でなかったり環境が劣悪だったりなどが挙げられているが、この際動物愛護団体は何も口出ししていない。
結局のところ、動物愛護団体は口先三寸なのである。野生の動物は徹底的に保護しましょうと宣言してるのに一方で家庭や動物園で飼育されてる動物に対して無関心である。
動物愛護団体の矛盾はそこに利益があるかどうかではないだろうか。
たとえば、シーシェパードおよびグリーンピースは欧米の富裕層の名誉と金によって設立した。クジラの捕鯨に関して、実は70年代後半からずっとミンククジラやマクジラは増加し続けている現状で捕鯨に関して非常に厳密な審査のもと捕鯨を行う日本などの捕鯨国に対して暴力による抗議を行っているが、実際は捕鯨反対の国が捕鯨賛成派よりも多く捕鯨しているという事実が捕鯨委員会で報告されている。
動物愛護団体の矛盾はそれが金になるかどうかであり、動物園のように利益の出るものは基本黙認なのも頷けるのではないだろうか。
昨夜、おとなしく地に座している鳥を発見した。体のどこかしかを負傷したらしく、上手く飛べなくなっているようだった。特に気にする必要も無いし、そのまま放っておいても問題なかったのだが恐らくの垂れ死ぬのだろうと思い、気まぐれで連れ帰ることにした。動機としては、私の心に内在する少量の善意や同情なる心理的情動機能がものが作用した為だろう。半日程度世話を焼いてみたが、どうやら餌を食べられないようで、何を与えても口に入らない。このままでは外でも中でも関係無く死ぬと判断し、結局野に放して自由にさせてやることにした。飼育が困難なのも理由の一つではあったが、何より鳥自身が外に出たがっていたことが最大の理由となった。やはり空を飛び、空を愛する存在にとって建築物のような閉鎖的な空間は息苦しく感じるのだろう。この鳥の行動を見た時、私は判断を誤ったと感じた。そもそも動物を保護しようとする行為自体、偽善行為なのである。普段我々は鳥はもちろん、牛や豚の命を殺し、料理の材料として扱っている。それは、我々にとって生き物ではあるが、食べ物としても認識しているからだ。何かを食べる時、その食べられる物質に命が宿っている場合は、その命を殺傷しなければならない。人はこうした殺伐とした生存的事情から、生き延びるために生物の命を原始時代から狩り続けてきた。命を弄ぶ魔の手は陸上の生物だけでは飽き足らず、海上の生物の命まで奪い、無惨に横たわった肉を調理し、欲の限り貪ろうとする。猟師は自らの殺傷行為を職業として正当化し、身を隠しながら己の飢餓を満たしてくれる野生の動物を虎視眈々と付け狙う。漁師は海上に捕獲用の網というトラップを張り巡らし、獲物が引っ掛かって人間の為の供物と成り果てることを満面の笑みで待ち構えている。動物園では野生から拉致してきた動物を見世物として扱い、サーカスでは人間を喜ばせるために動物自身の意志とは無関心に芸を仕込み、ペットショップでは金銭的価値を付加し、奴隷扱いする。このような半ば常識とされている事態を直視すれば、動物を保護するということが如何に欺瞞に満ちたものであるかは周知の事実であろう。まして動物愛護など所詮個人的な自己満足である。鯨を保護し、鮪を保護しない愛護団体にどれほどの善意が存在するのだろうか。そんなものは個人的劣情に基づいた偽善だと気付く筈である。ひとたび鯨が致死性の高い病原菌に感染すれば、愛護団体は彼らの愛する鯨達を鳥インフルエンザにかかった鶏の如く、容赦無く殺処分し捨てるだろう。まして愛護する対象が百獣の王とまで呼称されているライオンともなれば、恐怖に支配されてムツゴロウでもない限り近寄ることすら困難だろう。利己的な彼らの心に愛などという高尚な成分は含まれていない。愛という概念は常に利他的、自己犠牲的であり、決して個人的欲求のみを満足させるものではない。特定の動物を愛し、保護しようとする彼らの行為はまさに個人的欲求が反映された結果であろう。愛とは、生きとし生ける全生物に反映されるファクターでなければならない。人は、偽愛をもって動物の命を弄んでいるのである。この観点で進めると、私の行為も所詮は偽善ということになる。結論として私は判断を誤った、ということだ。全てではないかも知れないが、人間が語る愛とは、大抵が自身の身の安全保障が約束された、ご都合主義に則ったものだと言えるのではないか。現実に存在する人間の心は、ドラマや映画のように美化できるものではない。しかし、「やらない偽善よりやる偽善」ということわざが存在するように、時と場合によっては同情に駆られて衝動的な行動を形成することもあるし、何より人の善意が全て偽善だと一蹴するのも暴論だろう。それでは救われないし、そうした偽善で命が救われるのも確かである。従って全否定するスタンスまでは取れないが、「善意が如何なる成分で構成されているか」を吟味しようとする姿勢ぐらいは覚えておきたいものである。この論述は非常に理想的である。現実的でもなければ実存的でもない。この文章はただ自身の体験を交えて、安定を求めて嘘や欺瞞をバラ蒔きたがる人間の心理という厄介なものに少々メスを入れてみただけである。
なんだっけ。『ロリータ、ロリータ、ロリータ』だっけ? 『ロリータ』の読み方解説した本があって、その本の中に『アンナ・カレーニナ』のナボコフによる講義のことが出てくるんだけど。
四時に、リョーヴィンは胸をどきどきさせながら、動物園の前で辻馬車をおり、小道づたいに、手橇すべりの山とスケート場のあるほうへ向かって歩いて行った。彼は車寄せにシチェルバツキー家の馬車を見かけたので、今すぐてっきり彼女に会えるものと思っていた。
それはからりと晴れあがった、凍てのきびしい日だった。車寄せに馬車や、 橇や、辻馬車や、憲兵たちが列をなして並んでいた。 こざっぱりした身なりの人びとが、明るい日の光に帽子をきらきらさせながら、入口のところや、棟木に木彫りの飾りをつけたロシア式の小屋のあいだの、きれいに掃き清められた小道に群がっていた。雪の重みで、巻毛のような枝をすべてたらしている、庭園の白樺の老樹は、まるで新しい荘重な袈裟で飾りたてられたみたいであった。
(中略)
「あなたにほめていただくなんて、光栄ですわ。 だって、こちらでは今でも、あなたがすばらしいスケーターでいらしたという評判ですもの」 黒い手袋をはめた、 かわいい手で、マフにおちた霜の針を払いおとしながら、 キチイはいった。
という場面に対して、
この場面についてナボコフは、「トルストイの文体は実用的な比喩がふんだんに出てくる一方で、主に読者の芸術的感覚に訴える直喩や隠喩が奇妙なほどに見当たらないが、この白樺は例外である。 この老樹はやがてキチイのマフの毛皮の上に祝福するような霜の針を落とすことになるだろう」と言っています。ただし、引用で中略とした部分は実際には文庫版で三、四ページほどの、かなり長い間隔があいています。ここを読む読者は、「黒い手袋をはめた、かわいい手で、マフにおちた霜の針を払いおとしながら、キチイはいった」 という箇所にやってきても、そういえば白樺に雪が積もっていたな、なんてことはたぶん忘れているのではないでしょうか。少なくともわたしは忘れていました。ところがナボコフは、じつにいとおしそうな手つきで、その霜の針を拾い上げているのです。
っていう解説がついている。