はてなキーワード: ブランクとは
三十路を過ぎてから焦ってお見合いパーティや出会い系SNSで恋活・婚活をしている。
お見合いパーティは一度に10~20人前後、SNSは登録者数百人~数千人以上と、確かに知り合いになり得る機会は転がっている。
しかし、かわいい上に教養レベルと趣味が合う子となると、なかなか見つからない。
年齢が行き過ぎていたり、見た目が恋愛対象にならない子を外していく。
若くてかわいくても、高卒無職なんて子もいて戸惑ったり、趣味に「ヨガ・カフェ巡り」とある子はいったい何を話していいのか分からない。
そんな自己選考をくぐり抜けた子が見つかったとしても、大抵ライバルの男が多く、激戦のためマッチングしない。
自分の今あるステータスを棚卸しして人気の子に必死にアピールするもなかなか振り向いてもらえず、空しさばかりが増長していく。
「お見合いパーティや出会い系SNSは出会いの効率がいい」なんてことを聞いたが、やっていくうちに本当に効率がいいのか疑問に思えてきたとき、
http://anond.hatelabo.jp/20140720013419
という記事を思い出した。
同じ大学という時点で教養レベルフィルターをくぐり抜け、さらに同じサークルとなると、同じ趣味条件で検索に引っかかってきたのに等しい。
同じサークルの人はどうも馬が合うと思っていたが、世の中いろんな人がいると思い知らされた今、よく考えてみれば当たり前のことで、恵まれた環境だった。
婚活市場でこういった子を見つけるのすら大変なのに、自動的に希望条件をくぐり抜けたたくさんの若い子が毎年入学してくる訳だ。
いったい当時の俺は何をやっていたのか。タイムマシンがあったらしかりつけたい。
一方、サークル内恋愛を行うにおいては、「活動との折り合い」や「サークル内の目」と戦う必要があり、独特な別の難しさがあるだろう。
当時の私もその葛藤に悩んでいたが、サークル内で次々とカップルが誕生し、いいなと思った子も他の男に取られていく中、
嫉妬もしていたのか、最終的に「俺はここにサークル活動をしに来ている訳であって、恋愛をしに来ている訳ではない(キリッ!)」と硬派を貫き通すことにし、
どんな醜男でも彼女ができているという異常な状態だったそのサークルから、最後まで彼女を作らずに卒業した。何人か、自分のことを好きだったっぽい後輩もスルーしてしまった。
数年後、そのうちのいくつかのカップルは既に結婚し、子どもも生まれ、幸せな家庭を築いている。
一方の俺は、状況に絶望を覚えながら帰宅後や休日にパーティスケジュールや女性プロフィールの検索に余念がない。
「活動」や「サークル内の目」は4年で終わる。気を遣うのが間違いだった。サークル内で生まれた愛のいくつかは、これからも一生続くのだろう。
お見合いパーティや出会い系SNSを利用して、さらに気づいたことがある。
たまたまいい人が見つかってマッチングしたとしても、そこからこまめに連絡を取って仲良くなっていくというのも大変な労力で、至難の業だということだ。
所詮は赤の他人同士に過ぎず弱い結びつきのため、気を抜くとあっという間に疎遠となってしまう。
反面、「同級生」「同じ学校」「同じサークル」という動かせない事実の、なんという結びつきの強さか。
何年も会わなくても、会ったときにはブランクを感じさせないほどすぐ意気投合し、盛り上がる。
婚活サービス利用疲れをしていたある日、街中のとある場所で働いているサークルの後輩と偶然再会した。
相手も自分のことを覚えてくれていた。仕事中だったため、卒業後何をしていたのだろうとあれやこれや話したいことをいったん飲み込み、すぐ別れた。
とにかく今の母親たちが叫ぶのが「待機児童の解消」ばっかりなんだよなあ…
旦那の給料上げろとか在宅ワークを一般化させろとかいう声は聞かない
本当は自分で育てたいけれどお金がなくて仕方なく働く…ならまだ分かるけど
いや、実は久々でもない。今でも月に数回は来る。
とにかく僕はウルトラストリートファイター4をプレイしに来た。
まだ稼働したばかりだからだろう。対戦台の周りは賑わっている。
なんとなく、もうあそこに自分の居場所は無いように感じて、隅の練習台に座った。
だんだん対戦台に座ることは減ってきていた。
3rdの時は、ユンにはどう足掻いても勝てなかったし、
それでも、僕の真・昇竜拳は通じると信じていた。
結局、仕事に追われる中で時間と労力をそこに割けなくなってしまっていたのだろう。
ゲームの優先順位が下がって、そこまで時間と労力を割かなくなってしまったのだろう。
たまーにCPU戦を、コツコツとこなしていた。
ただただ練習して、強くなることが楽しかった。
頭を、使いたくなかったのだと思う。
筐体に座る。CPUと闘う。ウルトラコンボが二つも使えるようになっている。
僕のリュウは、なんとかかんとか勝ち進む。
ブランクは大きい。
思い通りに動かせない。だから、闘いを組み立てられない。
あの一瞬に感じる高揚感はまだ、忘れてはいなかった。
久々にさくらも使ってみる。
リュウは闘い続けているし、さくらもリュウの背中を追い続けている。
しゃがみ強パンチからの咲桜拳が気持ち良い。
ま、こーんなとこだね、とのセリフに、確かにな、と妙に納得する。
楽しさ、悔しさ、残念さ。それらを一息で吐き出して、僕は席を立つ。
帰りに対戦台を覗く。みんな上手くて、何より楽しそうだ。
勝ってる方はもちろん、負けた方も楽しそうだ。
20連勝している人も居た。
圧倒的な強さで挑戦者を寄せ付けない。
それでも、負けた方も笑顔だ。
その理由が知りたくて、僕も一回だけ挑戦する。
そりゃもう負ける。圧倒的に負ける。
どうにかパーフェクトで負けないレベル。
でも、この格上に挑戦して、コテンパンに負ける感じは気持ちのいいものだ。
楽しいな、と素直に感じる。
家庭用でも買って練習するかな、と思い、僕はゲーセンを後にした。
子猫のときに引き取り、1年半ほど生活をともにしてきた猫が姿を消して5日になる。
犬は何度か飼ったことがあるが猫は初めてで、心配で食事も喉を通らない。
猫を飼っている知り合いに聞くと「そのうち帰って来るから大丈夫だよ」と言われるし、そうなのだろうと思う。
犬もそんなことがたびたびあるものだし、わかるにはわかる。
それでも夜中、ちょっとした物音に目が覚め、目が冴えてそのまま周囲を探し回ったりしている。
今日は勤務先が休みの日で、強制参加の勉強会はあったのだけど欠席した。
頭痛薬と胃薬を飲み、昼間は泥のように眠り続けていた。何度か目は覚めたが起き上がれず、20:00過ぎてようやく起き出して、そうめんをゆがいて食べ、洗濯物を干し、風呂の掃除をした。でも結局体調がよくても悪くても、もう何年も休みの日はだいたいこんな感じだ。
うつ病を患ったのは10年も前だが、まだ薬を完全になくすことができない。量はかなり減らしたが、年に何度か通院して薬をもらい続けている。
医師の見立てでは、もっと前からあった気分変調性障害に大うつが重なったのがその10年前で、大うつが軽減された今も気分変調性障害は続いている可能性があるとのことだったが、それについて普段はあまり意識をしていなかった。仕事は昼から夜中までで、朝起きられなくてもなんとかなったし、仕事内容に深刻な影響もなかったと思う。
何もやる気が起きない。
別に何かすごいことをしなくていい。
何もかも嫌になる。
猫を探すわたしに対しての彼のあまりに無神経な言動にわたしが腹を立てたのがきっかけだ。
その日以来、彼に愛情や信頼を感じることができない。
彼も猫のことはかわいがっていた。
もともとわたしが飼っていた猫で、猫連れで同棲を始めたからか、あまり彼には懐いていなかったけど。
彼のほうは猫と仲良くなろうと頑張っていた。
しばらくして夜になり、じっとしていられなくて猫を探しに出た。
そしたら涙が出て止まらなくなった。
猫も心配だし、彼ともおそらくこのまま別れないといけないのだろう、と思うと悲しくて情けなくて涙が出た。
別エントリで両親と縁を切った人の増田があるが、両親の感じはあれに近い。
彼とは結婚に向けて話が進んでいたが、それがなくなるなら今から転職活動か、と考えると絶望しか出てこない。
職歴はあるものの、うつ病でブランクあり、年齢も結構シャレにならず、ホワイトな仕事には就ける気がしない。
もちろん彼と分担できることは分担した。
でもそれで無理が出たのかもしれん。
彼もこんな陰気な女と一緒にいたくはないだろう。
ていうか、いるべきではない。
うつは伝染する。
自分はこの界隈からもう縁が切れかかっているとばかり思っていたが、今また自分のその部分に直面せざるを得ない。
もう嫌になる。何もかも。
わたしは治したいのだ。
もうこんなのは嫌だ。
薬も飲みたくない。
でも飲まないとしんどい。
働きながらなんとかするしかない。
でも仕事もままならない。
彼を金づると見ていたわけではない。彼の収入もわたしと大差ない。
結婚には愛とお金のどちらがより大切か、という問いにかつて職場の先輩が
「両方に決まってる」
と断言したのもよく覚えてる。
泣きながら猫を探していたら彼が出てきて一緒に探してくれた。
以来、仲直りとは言えないがいろいろ話はしている。
どうするのがいいか、結論はまだ出ない。
増田に彼氏彼女への不満を書くと脊髄反射のように「もう終わってるじゃん、なんで別れないの?」みたいなコメントが必ず付くが、そういうのじゃなくて、別に彼に不満があるから別れたいとかじゃないんですよね。もう何もかもうまくいかなくてしんどくて、嫌になってるのよ、それを吐き出したかったの。しにたい。
息子と歩いていると、「ボクいい子だねー、幼稚園生?」って聞かれる。
久しぶりに親戚に会うと、「大きくなったね、幼稚園は今年から? 来年から?」って聞かれる。
そのたびに、「いえ、1歳の時からずっと保育園です」って答えると、なんだか育児より仕事を優先するダメな母親ぶりを責められているような気分になる。
ママ友のブログに「入園式だった。幼稚園の制服を着た子供の成長に感動した。自分も気合い入れて着物を着て出席した」みたいなことが書いてあっても、やはり自分が何かの脱落者のような気分になる。
統計とか見たことないけど、共働きの家庭って6割だか7割だかあるわけで、幼稚園に行かず保育園に行く子供も半数近くいるんじゃないの?
なのに、おもちゃ屋さんのミニカー売り場に行くと、「ようちえんバス」はあるのに「ほいくえんバス」はない。
絵本やテレビに出てくる幼児も、みんな幼稚園バックを持って黄色い帽子をかぶった幼稚園児ばかりだ。
仕事に復帰した時は、きちんと育休を取って復帰できるホワイトな大企業に就職できた自分に誇りをもっていたし、ブランクを経て再び自分の技量を社会のために使えることに喜びを感じていた。だけど、同じ年の子供たちが皆「幼稚園生」になったこの春、突然今までの自分が間違っていたような感覚に襲われている。
nao0990
設定が十分に練られていないから、一浪で大学入学して大学二年生修了後さらに二年休学の時点で22歳、なんていう基礎的な矛盾が起きるのだ。
普通に凡ミスでした、すみません。その時点で23歳ですね。他にもおかしい点があるかもしれませんが、記憶違いや身バレを恐れての改変が混ざったためと思って下さい。
nekora
一応事実として書いているので、言語だけで見るとショボい経歴ですがそのまま書いています。VB6 については弁護出来ないレベルの古さなので、格好悪いと言われるとその通りですが、それも含めて仕事をしようと思えればできる、と捉えて頂ければ幸いです。もちろん、古い言語の悪い部分に甘んじて低い技術レベルのままで仕事をしてもよいと言っているわけではありません。
htnmiki
語りたい病ですね
augsUK
今が勝ち組なのかよくわからんとか設定が杜撰だとかいろいろあるけど、想定Q&A作ってまで語りたいんだなあということはわかった。もう少し勝ち組設定の方が良かったと思う。
語り寄りになってしまってすいません。事実ベースで書くことにこだわり過ぎました。
大学中退やその他のハンデがあったとしても、場所/労働条件(給与、福利厚生)/企業のブランドなどへのこだわりを必要以上に持たずに捨てて視野を広げ、自分が必要とされるであろう企業に絞ってエントリーすれば数十社もエントリーしなくても内定はもらえます。なので頑張りどころを間違えずに頑張ってほしいです。
以下はこの一言に対する補足説明となる、背景や就職活動の指針についてです。
Twitter / s_suneco: これリクナビのトップだけど、これ私がおかしいというよりは周り ...
https://twitter.com/s_suneco/status/448665586222899201
高校に上がったくらいから就職ということを少しずつ意識するようになり、上記のような何十件もエントリーしなければならない熾烈な就職活動があるという話を聞いて、まだぺーぺーの学生でありながらもそんなのはおかしいと思っていた。学歴は確かに一定の修学を積んだという証明になるかもしれないけれど、企業はそれだけではなく採用希望者の人となりもきちんと見て、共に働くものとして十分な経験、知識、学習意欲などを持ち合わせているものをきちんと採用してくれればいいのにと思っていた。(働いてから採用する側になって、その難しさもまた分かったのだけれど。)
自分の能力は客観的に見て高いのか低いのかは分からないけれども、少なくとも学歴に関しては大学中退という傷物でありピカピカの新卒に比べると人材としての価値は低かったと考えている。そんな自分の足跡をここに記して、一般的な人材像とされている新卒でなくとも、その他諸々の身分であったとしても、落ち着いて丁寧に就職活動をし、こうして就職が出来ているということを知って就職活動の励みとしてもらえればと思う。
結局の所、労働者として働きたい僕らはお金が欲しいというのが企業と同様に前提条件なのであって、そこから
という流れが導き出せると考えています。
自分が学生であった当時もそうですが、そういった流れがあるとこまでは分かっても各点の具体的なイメージは出来ず、企業がどうやって稼いでいるか、従業員はどういった業務を行って給与を得ているかなどを適宜調べたり、諸先輩方に会う時などに質問するなどして一つ一つを自分なりに具体的にしていきました。そうして自分なりの芯となる考えを持っておく事で、無鉄砲に企業に当たるのではなく少しずつ焦点を絞りながら就職活動をし、数社のエントリーのみで内定を頂く事ができたのではないかなと考えています。
うまくまとめられたかは分かりませんが、ここに記した自分の経歴や考え方を見て何かしら参考にしてもらえれば幸いです。
経歴にも書いていますが自分の場合は理系→プログラミングという分野で活動していますので、別の分野(業界、業種、業態)では参考にならないということもあるかもしれません(分野によっては数十社へのエントリーを行った方が確率が上がる、など)。逆に言えば、踏み込む分野によって適切な就職活動の方法というのはあると思うので、それぞれの分野の現職やその周辺の方々の情報をうまく集めて、適切な方法で活動していってもらえれば自分が望む方向に近い所へ向かって行けるのではないでしょうか。
就職活動中の皆さんが無理をせずに向かいたい方向へ努力して向かい、その努力が報われる事を祈りつつ。
うちにも引きこもりの義弟がいた。
10月末に義父と連絡がとれなくなり、家に入ったところ、浴室であおむけに倒れて意識ないままの義父を発見した。
向いの部屋には引きこもりといわれ、「誰にも会わせたくないから」という義父に言われて結婚して以来7年間全くあったこともない(もちろんそれ以前にもあったことはない)
義弟がいるはず。おそるおそる部屋をノックして中をのぞくと、腰まで届く髪、恐ろしく長く伸びた爪、部屋の壁は四方とも穴だらけで長い年月かけて積み上げられた土壁で覆われて廃墟のようになっていた。テレビも本もパソコンも何もない。きっと誰にもいえない苦しみをぶつけていたのだろう。
彼は何もない壁に向かって座っていた。初めて言葉を交わす私と顔を合わすのがつらそうだ。声は全くでない。かすかにうなずくか首を振る程度の反応しかうかがうことはできない。
「お義父さん、倒れてるけど、いつから?気づかなかった?」尋ねるわたしにかすかに首をふるだけの彼。
大急ぎで救急車を呼んで義父を病院に運んた。体重は20キロ台になって衰弱しており、おそらく2日間ほど風呂場で倒れたままになっていたようだ。
真向いの部屋にいた義弟がそれを本当に知らなかったのか、それとも「なんとなくわかったけど、自分は何もできない、したくない」と放置していたのか、それはわからない。
けれど、2日間もトイレにすらいかないなんてことはないだろうから、おそらく倒れている義父の姿は見ていたはずだ。だけど、なにもしなかった(できなかった)に違いない。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/131230/waf13123010560008-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/131212/waf13121213220024-n1.htm
引きこもり、あるいは無職でお金もないため、高齢の親の死に瀕しても葬儀も出さず放置していたというニュースをみて、彼のことを思わずにはいられない。
彼の場合、幸い「父親を死後放置」するまえに、父が救出された。
そして、彼自身も強硬に他人に見せたがらなかった当の父親自身が倒れたことによって、家庭裁判所に保護者選任の手続きをとったわたしたちが病院に運んだ結果、統合失調症とわかり、長期間発話もなかったために脳が委縮しているとわかり、精神科に入院している。
引きこもりと言われる人の中には、彼のように統合失調症の症状のひとつとして、誰ともコミュニケーションをとらず、引きこもっている人も少なくないように思う。
彼の場合は、高校卒業頃から徐々に引きこもるようになったようで、その頃に専門医療機関の受診をしていれば、と思わずにはいられない。
彼の実母は彼が2歳の時に自殺、うちの夫は年の離れた異母兄にあたり、早くに家を出ていたため、家族らしい心の交流はなかった。母親の死後、父親が一人で育ててきたものの、父と息子の二人の生活ではたいしたコミュニケーションもなかったらしく、食事は作ってあれば誰もいないときに出てきて勝手に食べてまた部屋に引っ込むという生活が中高生頃からずっと続いていたようだ。 そして、高齢でもある父親は、妻が自殺したことの子供への影響を懸念して、「精神科を受診させたら、かえって自殺してしまうかもしれない」などと言って、周囲が受診を勧めても頑なに首を縦に振らなかった。そういう懸念もあったのかもしれないが、その精神的な病への偏見や知識のなさ、そして特に男の子が家にこもり、仕事にも行かないことを恥じる考えもあっただろう、結局は彼を放置することになってしまった。そしてその結果、統合失調症という本物の精神的な病にさせてしまったのかもしれないと思うとまだ30歳になったばかりの彼の人生が不憫でならない。
ひきこもり、これは「症状」にすぎない。 どこかに原因がある。きっかけがある。
何もない部屋で崩れ落ちた壁に向かって日がな座っている生活のどこが「好き好んでしている」ひきこもりだと?
つらくて長い年月だっただろう。
せめていえることは、彼を「死亡した親をそのまま放置した」と新聞に書き立てられる当事者にせずにすんだこと、それだけだ。
(以下追加)
障害年金を受け取ることができるのは、きちんと年金を払ってきたか、免除の申請手続きをしていた人。
あるいは「未成年の時期に病院で診察をうけた」証明ができる人。
彼は高卒あたりからひきこもってしまって、その頃以降外部との連絡もほとんど取らず、郵便物もおそらく見もしなかったか、見ても理解できなくなっていたのかもしれない。
免除の手続きもしないまま、一度も年金を払ったことがなく、また医療機関に一度もかかることなく、30歳になってしまっていた。
統合失調症の場合、症状が出てから病院を受診するまでに何年もブランクがある人が少なくないらしい。また18、19歳あたりで発症して判断力が低下して年金の手続きなど何もわからないまま数年経ってしまい、障害年金の受給資格を失う人も。彼の場合はまさにそれ。
入院中の医療費は毎月10万(限度額申請してようやくこの金額)と、それ以外に病院でお世話してもらう費用が別途数万円かかっている。
それも父親の扶養で保険に入れている今月までの話。1月で父親が後期高齢者になると、自分で国民健康保険に加入しないといけなくなるが、そんなお金は彼にはない。
私たちもこれ以上の金銭的負担をする余裕がなく、途方にくれていたとき、後見人の手続きをすること、生活保護の申請をすることなどを教えてもらった。
そして先日ようやくそれらが認められて、これでなんとか年を越せる、とほっと一息ついたところ。
義弟の症状は相変わらずで、退院の目途は全くたっていない。
※義父のことが中心の日記ではないので深く書かなかったら釣りだとかかかれてるので一言。
もともと体が小さい人でしたが、1か月ほどまともに食事ができなかったらしく、入院させたときには敗血症で20キロ台になっていました。
20キロとは書いてません。20キロ台です。骨と皮ってこういうことか、とおもいました。今は要介護2で運よく空きがあった老人ホームに入居しています。
http://anond.hatelabo.jp/20131222201757
http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/main.htmlより
● 近況。小学生のころから見てきた中3女子「を」辞めました。長らく寺子屋稼業をしてきたけど、僕から指導辞退を申し入れたのは初めてです。
● 理由は明白。「本人に進学する意志がない」から。5教科合計が90点なのは、点数を上げるのが仕事の僕として特に問題ありません。この夏休みで何とかしようと思って意気込んでいました(ちなみにこの生徒、昨年一度辞めてます。辞めていた4か月間のブランクが災いして、ここまで成績が落ちました)。
● ただ当の本人に勉強する気持ちが見られないばかりか、いくら僕が諭しても、毎回「親が悪い」「教師が悪い」など責任転嫁の言い訳ばかりで授業が成り立たない。成績表で、授業態度が最低評価Dになっているのも、本人曰く「教師がちゃんと見てない」からだそうです。
● ちなみに滋賀県では5教科合計が100点にも満たないと、よほど内申書の点数が高くない限り、県内最低レベルの公立すら通りません。また仮に定員割れなどで運よく合格したとしても、学力不足で進級は厳しいでしょう。最初の1年で生徒の3割が退学するような高校なので、まあ彼女も同じ流れだろうなあ、と。
● これは単なる僕の主観ではありません。過去指導してきた中で、その高校に合格、その後毎回定期試験前だけ僕が応急処置的に授業をして何とか高3になれた生徒でさえ、中学時代は合計130点取れていたのです。
● この前の授業でも、2時間近くにわたってあれやこれや言い訳を聞かされたけど、要は「勉強せずに合格したい」ということなのですよね。「そんな都合のいいことあるわけないだろう!」とビンタの一発でも浴びせてやりたい気持ちを何度も抑えながらこれまで5年間我慢して授業してきましたが、この大事な夏休みですら2時間ほどしか勉強せず、あとはテレビに読書(本人が言うには「自分の時間」)を満喫しているような生徒に、これ以上時間を費やしても成績向上は見込めないと判断しました。
● 反抗期まっただ中で、親とも口をきかないらしく、もう何かにつけてどうにもしようがありません。僕だってこの夏期講習シーズン、いつもの倍ペースで毎日授業をしていてそれでなくとも忙しいのに、1の指摘に対して10の言い訳を聞かされ続け、結果何も教えないで帰宅するような不毛な仕事はさすがにご勘弁願いたい。僕の精神衛生が保てません。
● そんなわけで、僕はこの仕事を降りました。ただ見捨てたつもりではないから、いちおう「本気で危機感を持ったなら、親を通さず、直接僕のところに連絡しなさい」と言っておいたけど、どうなることやら。
2013/8/9(金)
>毎回「親が悪い」「教師が悪い」など責任転嫁の言い訳ばかりで
クッソ長い文章を書くけれど、できれば最後まで読んでみて下さい。
この話は、医者に聞いても、「そういう人生の話になってくると、私の管轄外」と言われ、
また、だれも容易に答えを出せないであろう事なのだろうけれど、
一人でかかえるには重すぎて悶々とするので、ここでブッパして、色々な他人の意見を聞きたい。
病歴は10年近い。
20過ぎ位にグラフィッカーとして、某大手ゲーム会社に入社したものの、
あまりのハードワークについて行けず、2年ほどで精神疾患を発症。休職の後に辞めた。
当初の診断は欝だったけど、今は双極性障害2型と言われてる。
私の精神疾患は凄まじく、発症してから数年はまともな生活ができなかった。
器質的には異常は無いのだけど、非常に顔面が痛いという異常な症状がある。
根源的治療法はその精神疾患から回復する事だけで、他は対処療法しか無い。
この顔面痛のせいで、本当に苦しい。今も苦しい。
しかし、あちらへこちらへと治療法を探し、非常に運良く、良い医者に巡り合えたようで、
その医者の治療と指導の下、ここ数年、根強い治療の成果あって、かなり回復してきた。
最近は、ちょっと無理するが映画館に行ったり、イベント事にも行ける位症状は改善している。
身の回りの事は100%ではないが、かなりできるかも。
しかし、まだ「寛解」状態になるまで、自分で自分の体とこれまでの経緯をみて、まだ数年かかるかもと思ってる。
ちなみに「寛解」っていうのは、「薬を飲んでるけど、普通の人と変わらないレベルの能力を取り戻した状態」の事。
ここまでめでたい話のように聞こえるけど、ここからが本題で、ものすごく頭の重たい話。
実は、重病人にとって病気が治るというのはゴールでは無く、あくまでスタート地点に立つ行為であって、
「絵を描いてそこそこの知名度が欲しい。」それが目指すもの。
私はそもそもゲーム会社に入社する前から、学生の時代から、個人絵師か漫画家か、まぁとにかくそういうポジションになりたかった。
今は体が付いていかないのでハード過ぎる仕事は出来ないと思ってる。でも、やはり作家業をしたい。
というか、むしろ大手ゲーム会社に入社したのは、自分の経歴にハクを付けたかったのと、本当のプロの間で揉まれたいかったからだった。
揉まれた結果病気になったけどな!!
そして、最近、頑張って絵を描いてみた。
絵を描くのには非常に体力を使うのだけど、無理すればある程度描ける位まで回復してきた。
するとやはりまず、病気のせいもあり、薬のせいもあり、ブランクのせいもあり、昔のようには描けない。
それでも頑張って描いてみたら、ブッツリとそれ以上上達も変化もしない訳では無く、やはり描けば描くほど上手くはなる。
錆び付いたとはいえ、昔から培ってきたセンスとかもまだ残ってるかもしれない。
しかし、全然底辺。現状で言うなら、まだ病気のせいで体力が足りず、大掛かりな完成された絵を描くのは難しい。
かといって、ちょいちょいと描くラクガキがすごくうまい程達人でもない。
なんにしろ、ある程度アドバンテージはあるかもしれないけれど、ほとんど底辺から積み上げ直し。
で、話は戻るのだけど、寛解と思えるまで、まだ数年、そして、そこからさらに、また絵の修行で数年、
すると私は40を超えてしまうのだけど、そんな人生楽しいのだろうか?と思ってしまう。今から。
この闘病してる10年近くで私はあらゆるものを失ってきた。
病気で寝込んでたせいで、あらゆる社会的活動から置いてきぼり食らった。
実は頭がかなりハゲてきた。私はこんな若くハゲるなんて、病気が原因だと思ってる
当然モテた事などこの10年ない。
でもこの10年でも、消えないものがある。
それは何かを作り出したい、認められたいというクリエイターの魂だ。
そんな、ただ自分の認証欲求を満たすためだけに、しかも当たるかどうかわからない作家業に、
別に作家業やるからといって、すごいトップクリエイターになりたい訳じゃない。
でも、ある程度のファンが付くような作家になりたい。
医者は、「心機一転して、違う生き方するのも手だよ」とも言ったりする。確かにそうかもしれない。
もし今後病気が良くなって働けるようになったら、これまでの知識を活かして、楽などこかのゲーム業界の端の仕事に付いて、
婚活して、嫁さんもらって子供を作って、っていう人生を考えんでもない。
それは10年病気で寝込んで地面を舐めても、消え去らずに、今でも燃えている。
むしろ、燃えているからこそ、病気が快方に向かってるのかもしれない。
じゃあ、作家として生きるとして、今からでも出来る事は無いかと考えたりもしてしまう。
どうすればいいんだ。
このクソ長い日記を書いてて、頭の中が整理された部分はある。
まずやはりこの病気を一刻でも早く、寛解させよう。そのための努力をしよう。
どうにもこうにも、それをクリアしないと次に進めない。
そして、いずれ寛解したと思える時、30中盤のおっさんになってるであろう私が、
それとも別の幸福を探すのか、
どっちが良いか、それとも、どっちの道に何か良い考えがあるか、
もしくは私のこの文章読んで何か感想があるか、
誰か私何でもいいから、あらたなインプットをしてくれないだろうか?
一人ではもう煮詰まり過ぎたんだ…
もしかしてお前「バニラ」フレーバーのアイスが「プレーン」とか「素」か何かと勘違いしてないか?
「おにぎりで言う塩おにぎり」「仮面ライダー電王におけるプラットフォーム」みたいな存在だと。
おにぎりでいうなら「梅・鮭・鰹」、ライダーで言うなら「電王のソードフォーム」「ウィザードのフレイムスタイル」だ。
キバのキバフォームとかサイクロンジョーカーとかタトバはちょっと例えにそぐわないから例えが古くなった。
え?龍騎? 通はガイだろ。
___
id:lisagasu さん
ゴレンジャーでファーストガンダムです。ファーストガンダムは書こうと思ってたけど消しました。
詳しくないですが00で例えるとエクシア、デュナメス、キュリオス、ヴァーチェの中のエクシアって感じです。ナドレの扱いはよくわかりません。
種はある程度わかるんですが、ミルク味がデュエルでバニラがストライク。
しかし、バニラ味をデュエルやアサルトシュラウドだと思ってる人が多いよね。という話ですね。
ゴーカイジャーはゴーカイジャーだけで強いフォームが合った気がするんですが、それはバニラ味でなくジャージー牛乳アイスとかに当たると思います。
最近パーナとかアラシックとかハイフンとか、ジャニヲタが何かと話題に上がってるようなので各グループのヲタの特徴をまとめてみる
サンプルは自分の友人・知人、彼女らのTwitterやmixiで見える界隈のようす、あと自分が行った現場での印象。
※基礎用語
担当:ファン。○○担というと○○のファンという意味。自分の担当のタレントのことを「自担」、ファンをやめて降りることを「担降り」等の派生用語多数。
Jr:いわゆるジャニーズJr.のこと。デビュー予備軍で主な仕事は先輩のバックダンサー。
スマは日本を代表するアーティストで特別で別格だからジャニーズがどうみたいな狭い範囲で評価しないでくれますかね?嵐?あぁまだまだでしょスマの模倣しかしてないし?みたいな上から目線のおばさん。偉いのはSMAPであってヲタではないのに全般的に後輩タレントに対して超上から目線。
長らく他のジャニーズとの表の場での共演や交流が絶たれていたたためジャニーズの流行り廃りとか関係ないSMAPがオンリーワンでナンバーワン!
…とか本気で信じてるふうだったわりに単に免疫がないので、いざキスマイや山Pとかと共演を始めるとSMAPを慕ってくれる後輩が可愛くてしょうがなくなってたりもする。
希少種。たぶん現在のヲタ実数ではデビュー組で一番少ないんじゃないか。
DASHもトキカケもいいんだけどあれじゃヲタはつかないからたまにはアイドルらしいことしてくれてもいいんだけど…いいんだけど一般人気が安定してればテレビには出れるからまぁいいか、と諦めてる。
主力層はぱっと見常識も良識も財力もある働くお姉さんたち。ただしその内実は余裕で10年以上ヲタやってるので一般的な価値観とは少々異なっていることにも自分で気づいてはいる。例えばカミセンは若くて可愛い天使だとか(全員30超えているのでどう考えてもアイドルとして若くはない)
数年前から徐々に増えてる若い新規ファンも基本的には歓迎していて親切だが、時折出てくる「ブイは(他とは違って)こうだからさぁ」「ブイヲタは(他とは違って)こうだからさぁ」っていうカッコ内の自意識がめんどくさい。
futari信者6割・光一様親衛隊のばばあ3割、シャーマニッポン1割。
futari信者はfutariこそ運命で宇宙で究極で至高で世界、っていうファンタジーを信仰してないとやってらんない。
光一様親衛隊の皆様は2chで言うなら鬼女。ちょっとTwitterで光一様を褒めると5RT15FAVくらい即効つくので☆乞食にはオススメだよ!
ファンクラブ会員数がジャニーズ内で唯一100万の大台に乗っかっている、数的には間違いなく最大派閥。たぶん今140万くらいかね?
内訳は大体3種類
『クソサブカルな嵐はもういない。そんなことわかってるけどでもだって。新規は死ね。』
・中堅(08年~10年くらいまでにファンになった)
『嵐ってかわいくて(30超えたおっさんです)超仲良くて(仲良くなくても仕事はできます)歌もうまくて(正気か?)ダンスもうまくて(これはまぁまぁ)やっぱ嵐さん最高だし!そんな嵐さんのヲタであるわたしたちアラシックも最高!新規は死ね!』
・新規(11年以降くらい)
『えっ古参とか新規とか関係あるんですか?みんな嵐さんが好きなのは変わらないんだから差別良くないと思います!コンサートにJrがいる意味とかわかんないし、昔の話とか聞いてもわかんないです!マナーとかもファミリークラブからは言われてないですよね?勝手に決めないでもらえますか?』
やや希少種。気分は取締役の夫の帰りが遅いことに寂しさを募らせつつも夫の立場もわかってるから耐えるわ…!な妻。
コンサートや舞台で今回もよろしくおねがいしますとか言ってくるJr担うざいとは思ってるけど、Jrがいないと席が埋まらないこともわかってるから表立っては言わない。耐える妻。
10年やってるグループだけど主力層はここ数年で入ってきた若年層。いわゆるパーナさんとはここのことを指すので間違ってもこれより上のグループのファンをパーナと呼んで刺されても知らん。
4人になって><NEWSがんばってるから><わたしたちはNEWSの味方だから><山Pは悪くないよ><
山下の顔が可愛ければだいたい世界は回ってる人たちだろたぶん(※筆者が実サンプルを知らないので詳細はわからん)
本人たちの隠しきれないヤンキー層育ちの気配に引き寄せられてやってくるヤンキーなりそこね。
あたしたちeighter、最強のeighter。エイトを信じてれば間違いなんてないから。…これくらいは真顔で言う。
ハイフンはKAT-TUNを繋ぐ絆!って誇らしげに叫んでる、いや、いた。もう安易に言えなくなっちゃったね?そもそもが2011年に世間で流行した「絆」と同じうすっぺらさの「絆」だったけどね?
たぶん今後は「道が違ってもわたしたちは応援するよ><」モードの連中ばかり残ると思うのでカツンは新規獲得がんばってください。
涼介担歴3年です☆どんどん絡んでください☆なリアちゃんと、じゃんぷちゃん世界一かわいくてかっこいいよおじゃんぷちゃんを評価しない大人が間違ってるよおおおおなモンペの2種。
声がでかくてうっっるせええのはリアちゃん、金と実権握ってるのはモンペ。
テレビに出てるキスマイを見てテレビで言われてることを信じてテレビに出てるキスマイを生でも見てみたくて現場に来る層。現場は自宅の茶の間でないことを忘れている。古参もいるけどどこにいるのかすらよくわからんくらい新規の波がすさまじい。
リアちゃんとモンペが存在している点にかけてはJUMPに近い。
ただセクゾン自体のグループとしての形が不安定なのもありこっちのリアちゃんの方が心変わりが早くてすぐ降りるしこっちのモンペの方が若干ドライ。
一番最近デビューしたグループなわりに、新規流入が緩やかなのでプロぶった古参が幅をきかせている。だからプロなのは本人たちであってヲタじゃない。
古参なので胸の前で手を組んでキラキラした目でステージを見るポーズが似合わない年齢に掛かってることに気づいてんのかいないのか。
ひとくちにJr.と言ってもいろいろいるので誰のヲタかによって大きく違うけど、大雑把に言えば現場がないと死ぬタイプと上昇気流に乗ってたいタイプと育成に快感を覚えるタイプと純粋なショタ。
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一週間前にむしゃくしゃして書いたやつが突然Twitterであちこちから(ジャニヲタじゃない方面含めて)RTされてきてびびったwww
>千賀さん居ない事になってる
すいません訂正しました
世論じゃなくヲタです、クソDDですすいません。とはいえ担当とか元担とか推しとかもあるんで全然客観視じゃないです。
>赤西は?
素で忘れてましたすいません。でもこれも身近にサンプルいないしソロになってから現場行ったことないんだよな…Twitterで見る限り腹をくくった我が道を行くお姉さんとどっかとかけもちでとりあえず片足引っ掛けてる子といる気がする。
>嵐は07で古参なの
あー…サブカル浸ってたのは05くらいまでかなー…なんか増加の傾向からしてこれで3等分かな?って思ったんですけど、性質的には~05(古参)~07(中堅)~10(新規)11~(ド新規)くらいっすかね?
>エイター雑じゃね?
正直この辺からめんどくさくなってますすいません。あとエイトは個人的にブランクがあるので流れが追えてない。
じゃぁ…ヤンキー(古参)と虹色宗教(07年~)とミーハー(10年~か11年~)かな。
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10/22追記
丸パクリのクソまとめ(>http://matome.naver.jp/odai/2138232333764019801)されるのもはじめてでどうしよう…
こちらは参考になりましたありがとうございました。勉強します。
>http://matome.naver.jp/odai/2138227698438256701
これはさすがにJフレ大戦争が起こりかねないうえにたきつばやNEWSエイト筆頭に後輩も結構攻めこんでくるから早く島に逃げた方がいいと思います。
私は、しばらく前にプログラミングで根を詰めすぎて精神的に病んでしまい、いまは休職中の身。ただ、貯金も少ないし、そろそろ仕事を再開しようと考えている。ブランクがそれなりにあるので、いま試しに簡単なプログラムを書いて、ウォーミングアップしようとしている。
いまテトリスを作っている。最終的には Android で動かしたいのだが、まずは Applet にして、PC 上で動かすことを目指す。今日は4時間くらい作業をして、400行のプログラムを書いた。半分くらいできた感じ。Java でまともにプログラムを書いたのは少なくとも10年ぶりくらいであることを考えれば、上出来かな。…正直プログラミングにそれほどの情熱は感じないけど、プログラミングに平均より資質があるのは間違いなさそうだ。やれやれ。とりあえずこれでお金を稼いで次の目標に進もう。
数か月のブランクは予想以上に大きく,まったく会話ができなくなっていてショックw
うまく聞き取れないやら,センテンスが頭に浮かばないやら,舌が回らないやらwwいやー,初学者に戻った気分だねw
今はとりあえず復習編ということで単語を思い出したり短い動画を見たりしているんだけど,例文をみたりトークを聞き流していると
「あー,こんな使いまわしあったな」とか「そうそう,この構文って大事だよね」とか,フレーズや文法は意外と身についていたみたいでびっくり.
iknowは学習サイクルをもっと早くしてくれると助かるけどw
さて,これからどのくらいの時間をかければ以前のように会話ができるようになるのかな.
長くても3か月で元通りになってほしいな.
冬には北欧に行く予定だし.
最近スペイン語も始めてみたけど,どうして語学はこうも楽しいんだろうか.
自分は年に数回,語学の勉強がしたくてたまらない時期が来るんだけど,今回はブランクおよび新しい言語もあいまってすごく充実した期間になりそう.
ああ,楽しいですな.
そこから、目的を洗い出してその目的を達成可能な具体的なデザインを出来る限りのスキルを詰め込んで提示した。
(パソコン?OSって何?ってクライアントだったので、分かりやすいように0ベースでは無くて既存のデザインを提示して完成形の摺り合わせ)。
そこから、仕様を詰めてガントでタスク/期限を洗ってゴリゴリ日程を詰めてった。
作業完了日と支払いに関して詰めていった。
見積もりについてはブランクがあったので、金額は相場の半値以下で引き受けた。
(今思えばコレが間違いだった。労力に見合う対価を自分で安請け合いして、自分の首を絞めていた。社畜根性抜けてない)
OKが出たので、ワイヤー作ってコーディングの大体の雛形もついでに並行して作った。
ただそのままだと内容的に「いや、パクリだろコレ?」ってのに近かったので、コンテンツや細かいとこで被らないようにフルコーディング&レスポンシブで独自コンテンツを詰め込んでガリガリ書いた。
お仕事なので、それに見合う様寝る間を惜しんでもてる全ての技術を要望に沿うように詰め込んだ。
最初の納品期日が訪れた。
データを納品して、仕様が確定していない部分を残して仮公開した。
この時点では、「クライアントさんものんびりしてらっしゃるのでこういうケースの場合の後学のために勉強させてもらおう」ぐらいに思っていた。
一度目の期日が過ぎ、ガントからタスクがはみ出し出したのでバタバタとタスクを消化しながら、更新作業の教習を実地で行い、完全とは言えないが業務に支障が出ないレベルには育て上げた。(つもり...)
2回目の暫定期日が過ぎた。この段階からクライアントさんが今までのヒアリング等を無かった事にして想定外の変更を修正・指示依頼を出してきた。
「まぁコレはこっちがしょうがないよな。その際の詰めを甘々にした自分が悪いし、コレも仕事だろ」と契約の際に修正対応の限度を設けなかったのを反省しながら対応していった。
日々修正対応に追われていたが既にクライアントに投げている仕様確定がまだ返ってこない。
この段階で嫌な予感(炎上臭)がしたので、やるべき事に専念するようにして気長に待ち、その後仕様を催促して詰めた。
3回目の期日を設定し、それに伴い延長されていた入金日を確定させた。(ここで不信感が少し芽生えた)
期日を過ぎても入金がされていないので、確認すると「え?その日だったけ?」と眩暈がする返答だった。
これには正直殺意を覚えたし、リアルとネットでそんな荒れたツィートとかメッセやらただの害をまき散らしていた。(当時を知ってる方、ホントすみませんでした)
気を取り直して入金日を再設定した。
すると、今度はとある法人から連絡が「ウチから今月請求無いけど、この入金何?」
なんとなく泣き寝入りや炎上が現実味を帯びてきたので、なんとかして元本を回収してなるべく被害が拡がる前にこの件から撤退しようと考えた。
なんとか回収自体は成功し、ホッと一安心したのもつかの間、今度は追加対応に関して「言った/言ってない」に至り、
クライアントがコチラを罵倒しながらなんとか費用を払わない方向に持って行こうとした。
「やってしまった。」
今思えば、コレも向こうの手だったのだが当然こっちが悪い。
どんな相手でも客は客。
切れたら負けだ。
学ぶことは多かったが、地雷案件だったとどうにも割り切れない。
キレてる負い目も利用されてるんだろう。
あぁもう少し耐えてリリースすれば良かったのか。