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はてなキーワード: ピンぼけとは

2023-09-11

【堀口英利】ぶれないナイフ

https://twitter.com/airu_7272/status/1700815695523786993

うさぽん

@airu_7272

私は、SNS上であんなごつい凶器画像を画面に突き刺してる人初めて見た…(堀口氏のは2回目)あの画像トラウマ級に恐怖感じる。不特定多数の見るSNSでアレはない…マジ怖すぎる。

引用

暇空茜

@himasoraakane

5時間

怖すぎるんで刑事告訴するか、、、 twitter.com/nalltama/statu…

午後7:17 · 2023年9月10日

野村和司

@NomuraKazushi

何が怖いって、ナイフもそうだけど「一切ピンぼけ手ブレしていない」のが怖い。

もし俺が激情に駆られて【モニターを壊してそれを写真にとってアップ】しようとしたら、怒りで手が震えると思う。

そもそも上記【】ができないだろうね。

午後7:25 · 2023年9月10日

https://twitter.com/NomuraKazushi/status/1700817709771243982

本当に堀口か?

2022-10-13

アウフォトを買って読んでる

最近1997年から1998年くらいに発行されていた投稿写真雑誌『アウフォト』を何冊か買った

たぶんメインの投稿層はその当時の10代後半から20代くらいで、友達だったり家族だったりの写真が多い

ピンぼけしてたり、顔のアップ過ぎたり、わけわからん構図だったりするけど、誰か知らん人の人生の一枚を覗き見している感が面白い

さっきはパラパラめくっていたら、入れ墨入ったやんちゃそうな兄ちゃん全裸で座って酒飲んでいて、陰毛と玉はほぼ写っているけど、竿だけはウノのワイルドカードを置いて隠している写真を見つけて笑った

2021-12-19

anond:20211217215002

熱量の大きい反論トラバ意見は出尽くしてるかな

元増田反論トラバの通り全体的なピンぼけ感は否めないけど

なんか余裕ある感じが漂う

70万で道楽サービス作っても影響しない本業持ってそうな印象

2021-02-27

anond:20210227105408

「このゲーム結局はレース始まってから運ゲーから育成もクソもねえよ」

「元々競馬なんてジョッキーの腕次第な所もあるから育成が全てじゃねえよ」

だな。

どっちにしろ「育成の成果が明確に出るから試行錯誤やりがいがある」と競馬ゲーにレビューしてる輩が色々ピンぼけ気味であることは間違いないという結論なっちゃうな

2020-06-15

anond:20200615144658

英語という共通語を使ってるだけで、国も文化も共有してないって言ってるのよ。

アメリカ人文化=正しいもの

なんて一言も言ってないし、「英語アメリカ」って短絡的すぎない?

英語母国語とする国がアメリカだけだと思ったの? アメリカだけじゃないよ。

ピンぼけした仮想敵作ってヘイト撒き散らすの不快からやめなね。

2019-11-27

ダウンロード違法化に関する誤解を解く

著作権侵害物写り込む「スクショ」はOK 文化庁が転換:朝日新聞デジタル』という記事に関するトップコメ

画面に表示された時点でダウンロードが成立しているって言う根本認識が無いので、いつまで経ってもピンぼけ制度しかならない

というのがあった(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASMCV6HZBMCVUCLV013.html)。

しかしこのトップコメ理解は間違っている。

ダウンロード違法化の話が出るたびにこの手の誤解が散見されるので、ここらでそれを正しておきたい。

なお、筆者は法律は独学なので、細かいところで間違っているかもですが、その場合は誰かフォローをお願いします>丸投げ。

まず基本的理解として、法律では「何をしたか?」だけでなく「どういう動機でやったか」(=容疑者心理状態)が問われる。

分かりやすい例は人を殺した場合だろう。「やつを殺す!」という動機殺意)があれば殺人罪に問われるが、そうでなければ過失致死などになる。

もちろん、殺意があったかどうか=容疑者の心の中は当人以外は確かめようがないので、裁判において様々な外的証拠(例:「殺してやる」と常々発言していた)から殺意の有無を推察して刑が確定する。

これを踏まえた上で、さっきのトップコメの何が間違っているかというと、技術的にはウェブページの閲覧とダウンロードはたしかに(あまり)差がない。

しか容疑者の心のなかでは単なる閲覧とダウンロードは全く異なった行為である

したがってダウンロード違法化で罪に問われるのは、「ダウンロードしよう!」という意思を持ってデータ自分PCに落とした場合のみである

繰り返しになるが、意思の有無は容疑者当人しか確認できないので、裁判で外的証拠から意思の有無の推察が行われる。

例えば閲覧時にダウンロードボタンを押せば、ダウンロード意思ありと判断される可能性が高まるし、ブラウザキャッシュから「保存用」という名前フォルダ画像を移せば、それもダウンロード意思ありと判断される可能性が高まる

このようにダウンロード違法化で罰せられるのは、ダウンロードする「意思」とその意志があった事を示す「証拠」があった場合だけである。単にウェブページを閲覧しただけでは、「意思」の「証拠」を確認できないので、罰せられることはない。

2019-05-10

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

2019-02-04

マッチングアプリ登録してみました

男性側に言いたいんだけど…

一言だけのメッセージメールで返事がくるとホントに思ってるの?

女側が登録してすぐの、写真コメントも何も無い状態

「良かったらお話しませんか^^」

みたいなのが何通かきたけど、ポイント無駄打ち過ぎない?

プロフィールコメントが書いてあったとして、内容ガン無視メールも多い。

プロフィールみて気になりました。お友達になりませんか?」

みたいな。

プロフィールのどこが気になったのかを言いなさいよ。

まあここで何を言おうが定型メールしか送らない人には何も耳に入らないんだろうけど。

あと写真載せるならもうちょい服装とかさ、気にしない?

顔面ドアップもダメ

多少の顔の作りの悪さはしょうがないよ。

しょうがないなりに雰囲気をなんとかがんばろ。

ドアップややたらピンぼけした遠くから撮ったやつとか顔の一部だけとか載せるくらいならないほうがマシ!

顔がわからなさすぎるから証明写真載せたほうがいいんじゃない?って人が多すぎる…

その時の注意点はあごをひこう。ひきすぎはもちろんダメ

2018-10-26

金田さん、オトコのカラダは気持ちいいって性的消費ではないですか?

これ、オンナのカラダは気持ちいいってタイトルの本を男性が出そうもんなら,フェミ激おこ案件じゃないでしょうか?

BL無罪ですか?

オトコの▶カタカナ記号化 人格ある特定の誰かではなく男という属性のみを意図

カラダは▶上と同じ。カナ表記によって人格ある特定の誰かではなく、オトコのと続けることで一般的男性が生まれながらに持つ肉体を意図

気持ちいい▶性欲の発動

まり生物学ジェンダーである男性が生まれ持つ肉体(人間の首から下と言い換えてもいいいです)を性欲の対象として自らの性欲消費に使うことを表明したものとみなせるのですが、これは性をオンナに変えたとき果たしてフェミニストはそれを許すでしょうか。

かつて新聞記事に「美人の首無し死体発見」というタイトルが踊り、書いた記者潜在的女性へのルッキズムが暴かれ大きな問題になりました。しかし、ここでオトコのカラダは気持ちいいということも、男という属性の首無しの肉体を愛玩対象として考えているという意味で同じように批判されなければならないはずではないでしょうか。

また日頃女児と思われる体型の絵や創作物への性的視線イコール犯罪と結びつける言動が多いフェミニストたちの多くがBL二次創作で成人男性ショタ(少年)に肉体を変換して描写していることを知っています。それはか弱い男児ペド目線性的消費する女性の嗜好を刺激し、助長してる、まさしく描かれているのが女児であれば涙が溢れる忌まわしいではことありませんか?

昨日女性創作物に性欲を欲しないと言ったありえないピンぼけ発言ネットを賑わせた編集者がいましたが、それはあまりにも無知すぎるのでここでは触れません。

以上、オトコを女性自らが性欲の対象としてモノ的に消費することを是とするような自らの立ち位置にも関わらずキズナアイ萌え絵ポルノといった議論に加わることのおかしさに気づいていないようですので我慢できず書いた次第です。

2018-08-16

出会い系ホント楽しいのでやめられない。

「昔撮った写メです♪後ろのややピンぼけの方が私です」

昔っていつや。今撮れ。それと一緒に写ってる友達晒してやんな。それとお前後ろにいるやつかい。それとピンぼけかーい。それと顔半分隠れとるやん。それと友達の方が可愛いやん。釣りやん。確信犯やん。

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「まだこのサイトの使い方よくわかってないです(>_<)」

その割にはプロフをみっちり書いているし、ログイン日時が常に新しいし、なんなら新しい機能まできっちり駆使してるけど、何故写メだけピンぼけなんだ。そっちか。そっちが良くわかってないのか。

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「また戻ってきました!よろしく!」

あんたが以前出会い系やってたかどうかなんて興味ないし、出戻りってことは前回出会った奴とうまく行かなかったってことで自分爆弾ってことを晒しているわけだが、お前、ここに住むつもりか。

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ああたのしい。

2018-05-25

anond:20180525161655

悪気はないのかも知れないけど、自分の知っている範囲いちゃもんつけて工程戻してくるのは勘弁してほしいわ。

現場担当者で9割方話をまとめて先方が上司に最終許可とりにいったら、こういうの修正しろとか申し訳なさそうに言われたことがある。

写真のピントが甘い」→商品とかじゃないただのイメージ写真ピンぼけとかじゃなくて写真マニアらしい。

ホームページ会社案内なのに表紙がないのはおかしい。表紙、目次の順につけろ」→?30年前のホームページ

行間が広すぎるからもっと文字をつめろ」→そんなの読みたいかよ…

何か意見言わなきゃチェックしたことにならないってメンツがあるのかもしれないけど、余計な口出ししなきゃもっとよくなるのになって案件経験してる。

2018-04-02

ブログで演じる

ネット上ってどんなキャラクターとしても振る舞えるから面白いよな。

昨日スマホでぐるぐる興味あること検索してみたらひとつブログにたどり着いて、なかなか読みやす文章挿絵もついてたからついつい読みふけっていた。20代前半の女の子が書いているらしい。アラサーの私より10歳近く年下ということになる。だからそのつもりで見ていたらだんだん違和感に気がついた。

はじめの違和感センスだった。なんかいちいち古いんだよな、言葉選びとか話口調とか絵の雰囲気とか絵に着せる服とか。ブログの主と年の近いであろう大学生20代前半の子Twitterでつながってるんだけど、全然感覚が違う。だけど私も所詮アラサーなので、実際の20代前半のことをそれほど知ってるわけじゃない。母親の影響を強くうけていたりしたらそんなこともあるかもしれないと思った。

次の違和感写真20代前半とかアプリ加工まっさかりだと思うのに全然加工がないんだよな。それになんかどれもピンぼけ解像度が低そう。スマホ、少なくともiPhoneで撮ったらもっとれいに撮れそうなもんなのに…。さらに言うと自撮りに抵抗が少ない世代のはずなのに手さえない。

そもそも20代女の子ブログだけで、Twitterやインスタのアカウントも公開してないなんて珍しい。

極めつけは映画とある映画をそのとき貧乏だったから見れなかったって評してたんだけど、その映画公開されたとき20代前半の女の子だったら子どものはずなんだよな。「そのとき子どもだったから~」ならわかるけど、貧乏だったからなんていうかなと思って。

ひとつひとつ見ればそんな女の子もいるよっていう話なんだけど、全部合わさるととても20代前半には見えなかった。なんだかとても興味深くなった。

2017-09-07

ソラのこと

この季節になると思い出す、昔飼っていたハムスターのこと。

母の同僚が飼っていたハムスターが子を生み、里親募集していた。

種類はゴールデンハムスター世間ではジャンガリアンハムスターが人気だった。

しかし「とっとこハム太郎」で、こうしくんよりもハム太郎が好き。「ハムスター研究レポート」が愛読書だった私は喜んでゴールデンハムスターを迎えたいと申し出た。

やってきたハムスターは小さかった。その日は抜けるような青空だったので、名前はソラになった。ソラは賢い子だった。1週間もすれば餌をくれる人間を覚え、愛想を振りまいた。

楽しみは、夜の散歩。30分程度、部屋に離すのだが、障害物や隠れる場所が多い我が家では目が離せないし、好奇心の塊の小学生にとって、目を離すなどもったいないと思える動きをした。

ひくひくと鼻を動かし、ときどき二本脚で立ってはキョロキョロとあたりを見渡す。

私がひまわりのタネを手のひらの上に乗せ差し出せば躊躇なく手のひらに登り、ほおぶくろに詰めた。その動作が可愛くて、兄とふたりで「写ルンです」で撮ろうとしていた。しかし、当時の写ルンですに接写機能などなく、現像したらすべてピンぼけだったときがっかりした。

飽きっぽい子どもだったが、ソラは別だった。日記は1週間以上続かなくても、ソラの小屋は毎週掃除した。ソラは私とともに成長した。小学6年生のとき中学生になったら部活勉強でソラのお世話をする時間が少なくなるかなと不安になったが、それは杞憂だった。

小学6年生の10月。ソラがあまり餌を食べなくなった。親とともに動物病院へ連れいていった。

私はずっと待合室にいるよう言われていた。待合室の時計を見ていた。

秒針が何度も分針を追い越したとき、親がなんともいえない顔で診断室から出てきた。

病気なの?」と私が聞いた。

病気じゃないよ。ただ、おばあちゃんになっちゃっただって」と、母はゆっくり言った。

ソラは私を追い越して、もう老体なのだと知った。ソラが初めて来た日と同じような空模様のある朝、ソラは動かなくなっていた。餌置きの前で、ひまわりのタネを口からはみ出させながら、冷たくなっていた。

家族みんなで涙を流し、ひととおり落ち着いて、お墓を作った。

実家を離れて10年ほど。玄関コルクボードにはたくさんの写真が貼られている。旅行写真に混じって、ピントの合っていない茶色と白の何かが写っている写真。多分だれにも何かわからないが、私だけはソラだと知っている。

2017-08-24

家でパン作った時うっかり塩入れ忘れたら、なんとも言えないピンぼけの味に仕上がって、味覚って面白いと思ったよ

2017-02-07

インターネット上のコメント欄って脊髄反射マウンティング多すぎじゃないか

自分が詳しい分野のニュースコメント欄とかみると

記事本文(最悪見出しだけ)と曖昧知識

わかったような態度のコメント多すぎ。

そんなコメントに限って論点ピンぼけ事実誤認ひどい。

2016-11-03

効率効率連呼しながら仮眠を取らせないIT系職場

今までIT系4社で働いたが、「仕事中に仮眠していい」という職場が一つもなかった。

そんなの当たり前と思うかもしれないが、

本当に効率を重視するなら、仮眠は取れたほうが絶対にいい。

別に30分とか寝かせろとは言わない。

仕事2時間につき、10分かそこらでいい。

タバコか大便にかける時間ほとんど変わらない。

それだけで仕事の能率は格段に上がる。

たった10分の仮眠で、次の2時間を大幅ブーストできるのに、それを許さない。

頭使う職種で本気で2時間も働いたら、グロッキーになって当然だろ。

そのまま続けたって、頭働かないままピンぼけした仕事をして、

ふと気づけば1時間2時間ほとんど進んでないなんて事はザラだ。

「眠気をこらえる」ってのは、しんどくてストレスが溜まって心身の健康を害する上に、

その間は眠気をこらえるのに精一杯で効率なんて上がるわけがない。

これほど無駄時間はない。

ただ10分だけ眠らせてくれれば、それが解消されて頭の中がスッキリ整理されて次の2時間ブーストできる。

それなのに、タバコは許しても仮眠は許さないって、

本気で効率上げて欲しいと思ってるのだろうか。

2016-04-05

今年こそ一歩差を付けたい桜の写真撮り方

関東の桜は満開のピークをすぎました。

これからは散り際の桜が見頃になります

そこで他人と差をつける撮影方法を2つ紹介したいと思います

多重露光で量を表現

写真デジタルになった恩恵の一つは、撮った写真データの合成が容易にできるということです。

桜の花びらが舞い散る様を撮影して、いざ写真を見てみると花びらの少なさにがっくりすることがありませんか?

人の目で見ているとき時間の経過があるので、次々に花びらが舞っていく量を体感することができますが、いざ写真に撮ってみるとその時に舞っている花びらしか写らないので量を感じるには乏しい物になってしまます

これは、写真が瞬間を切り取るものであるからこその悲劇と言えます

そんなときは、カメラを高速連写モードにして3~5枚ほど一気に撮影しましょう。

その後、撮影した写真データをそれぞれ重ね合わせて合成します。

フォトショップでいうところのレイヤーの描画モードや、スマートフォンアプリなど可能です。

そうすると、それぞれの写真の変化があった部分だけが合成されます。つまり、舞い散る花びらの量だけを増やすことができるのです。

ちょっとした角度の違いで背景がブレてしまうようであれば、舞い散る花びら以外の部分は消しゴムで消してしまいましょう。

あとはお好みで合成する枚数を増やしていけば完成です。

ちなみにこのテクニックは雪の表現などにも使えます

手持ちで撮って余計な部分は消してしまえばいいという手軽さです。覚えておくと便利です。

スローシャッターで動きを表現

スローシャッターとは、シャッタースピードを遅くして故意被写体ブレを起こさせるテクニックです。

花びらや桜の枝を故意にブレさせることによって桜の散る様を表現してみましょう。

シャッターの開いている時間が長くなるということは当然それだけ手ブレリスクが増えます

そうなると三脚必須ですが、人通りの激しい花見の季節にはなかなか取り出せません。

そこでオススメなのはスタンド機能がついている一脚です。マイクスタンドの用に一脚の下の部分がパカリと開きます

注意して使えば軽いミラーレスでなくても数秒は安定してくれます

ビデオ撮影にも役に立つので一つあるととても便利です。

次に大切なことは、光量です。

日中撮影スローシャッターをすれば当然露出オーバーになってしまます

そこで登場するのがNDフィルターです。

減光フィルターとも言われ、文字通りレンズから入る光の量を減らしてくれます

要するにサングラスのようなものです。

フィルターには減らす光量に応じて種類が用意されていますが、光量を可変できる安価ものがあるのでひとまずはそれで十分です。

使っているレンズの径にあったものを選びましょう。

この時、設定をカメラ任せのままにしていると一向に思った通りの写真ができあがりません。

まずはISOを最低感度に固定。

モードをMにしてF値は11を上限に、シャッタースピードを下げていきましょう。

F値とシャッタースピードは相反の関係です。

F値の数値が大きくなれば露光量は下がり、シャッタースピードが遅くなれば露光量は多くなります

まずはその時の散り具合や風の強さに合わせてシャッタースピードを決め、露出が適正になるようにF値を絞っていくのがいいでしょう。

この時も、先ほどの可変NDフィルターが役立ちます

最後ちょっとした微調整は、NDフィルター明暗を調整することでも可能です。

デジタルになって一番の恩恵は、なにより撮影結果をその場で確認できるということでしょう。

それまでは高度な技術と知識が必要だったスローシャッター撮影も、撮影結果を確認しつつのトライアンドエラーですぐに成功させることができます

その場合液晶に写る写真のもので成否の確認を行ってもいいのですが、せっかくなのでヒストグラム確認しましょう。

右や左にはみ出してしまっている量が多いと、つまり白飛びや黒つぶれが起きている証拠であり、レッタッチでは情報を取り戻せない状態です。

中央に向かって山型が描かれていれば、あとはレッタッチでどうにでもなります

ちなみにNDフィルターを用いたスローシャッター撮影にはもう一つのメリットがあります

それは、動いているものがブレるために写っている人のプライバシーを守れるというものです。

観光地などで人が多くて邪魔だと思ったことはありませんか?

そんな時にスローシャッター撮影すれば、当然人は動くので被写体ブレが起きて顔の判別ができなくなるというわけです。

スローシャッターを使った写真をうまく撮影するコツは、写真の中にブレていないポイントしっかり写しこむということです。

なぜなら、写真ピンぼけやブレがあると人はその写真が失敗写真だと感じてしまうからです。

例えば揺れない桜の幹、桜の花の背景など、ブレないものを一緒に写しこむことで桜の枝や花の動きを表現しましょう。

また、露光の原理は暗い部分に光で像を描きます

まり、動きを表現したい背景は表現したいものよりも暗いものを選ぶとより動きが表現できるようになります

これ以外にも、カメラ世界には表現したいことに対するアンサーが沢山用意されています

手持ちの機材で限界を感じ始めたらまずは色々とためしてみることで更に世界が広がっていくことでしょう。

またそのうち!

2015-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20151109110141

地上波でも編集なんて切って貼ってSE入れて、出演者セリフテロップかぶせて「ちょろっと同じ動画9個並べて見ると面白いよね?」「いいですねーw」とかそんなレベルから

あと、例としてあげるなら動画の出来じゃなくてカメラ撮影技術のほうだな

パンが水平出てないとか、9割ピンぼけとかそういうこと

報道アナウンサーが何言ってるかわからないとか

料理番組で塩と砂糖間違えるとか

2015-10-14

フジヤマガイチとかnoiehoieとかがどうしてあれほど有難がられるのか

まったく理解できん

基本、薄っぺら本質からずれた発言しかないでしょ

なのにそれがRTやファボの嵐になる

ノイホイはまだ活動家的なところにシンパがくるのかも知れんが

ピンぼけ発言ばかりのフジヤマガイチはマジで分からん

2015-08-31

なんなの? この超弩級駄文

佐野五輪エンブレムは超弩級の駄作! - INSIGHT NOW!プロフェッショナル

純丘曜彰氏、この人は一体何なのだ

大阪芸術大学教授という肩書きになっていて、一応美術博士号は持っているらしいが、東大卒で専門は哲学。少なくともデザイン専門教育を受けた形跡はない。

佐野氏のオリンピックエンブレムがいかに駄作か、いかにも論理的解説している風の記事寄稿しているが、初めから批判ありきで筆を進めているから、展開している論理むちゃくちゃだ。特に色の解説が酷い。

「黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ」

・・・じゃあなにか? Jリーグマークは、死や悪と血のシンボルを掛け合わせた、醜悪なデザインって事になるのか? とんちんかんにも程があるだろう。

紅白+金銀+黒なんて、日本凡庸伝統的配色だよ。何言ってんだ。

ナチスは一個も関係ねえよ。

大阪芸術大学教授なんて肩書きで延々とピンぼけ思い込みを垂れ流しやがって。信じる奴が出ちゃうだろう。勘弁してくれ。

佐野氏を批判するも擁護するも勝手だが、純丘氏の変な理屈だけは信じないように。

特に佐野氏に批判的でデザインに明るくない奴。この記事ソースにして批判を展開すると恥かくぞ。気をつけろ!

2015-05-19

勇者と村人の関係

大魔王圧政を強いられている村人は、勇者を熱望する。

そして現れた勇者は、魔王退治のために全力を尽くす。村人はそれを応援する。

そして、ついに魔王を倒した勇者を称え、世界平和になったことを喜ぶ。

だが、その後勇者を村人として迎えるようなことはしないのだ。

強すぎる人間、村のロジックと別の論理を知っている知恵者、そういった者は凡俗の世界には邪魔になるだけなのだ

ゆえに、勇者は旅に出なければならない。

最近政治運動をする人間勇者に、それに関わらない人間を凡俗の村人に例えて考えている。

凡俗は勇者を称え、その気にさせ、散々賞賛し、サポートし、ついに魔王を倒すまでに育て上げ

そして、その成果は凡俗が喰らい勇者最後には切り捨てるのだ。

その『最後は切り捨てられる勇者』になる覚悟が、あるのか?ってところは問いたくはなる。

あんたらの政治活動は確かにご立派だが、正直成果を出したらもう用済みなのである

成果さえ出せそうにないピンぼけ活動ならむしろやらないで居て欲しい。

そして『勇者なのだから、村人を切り捨てることが出来ない。切り捨てたとたん村人の『敵』でしかないからだ。

凡俗の村人に覚悟は要らない。ただ生きていればいい。

そんな人間にまで、己の政治的成果を喰らわせなければならない。

それを屈辱と思うか、凡俗を軽蔑するのか。

運動家活動家は、こういった凡俗達を『許せる』のかってのはいつも引っかかっていて。

しかし、それらを「許せない」として改革した社会から切り離そうとすることは、民主主義国家では出来ないものであり。

ほんと、「あんたらどうするんだろうなぁ」と凡俗の立場から見ちゃったりする訳なのだ

意識高い連中の繰り言をせせら笑い、そいつらの作った成果はしっかりといただき

生きるために日和見的にすり寄る凡俗。そう言う連中を許せないなら、政治活動なんかやらないで欲しい。

勇者として立ったなら、俺たち凡俗のために戦い、成果を上げて死んでくれ。忘れない限り讃えてやるから。まぁ、忘れるけど。

…そんなささくれた気分になってくるのだ。

右も左も、意識の高い連中ばかりで息が詰まる。

2015-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20150402132311

もちろんだけど、版画で見て欲しい。

でも、いきなり画廊にいって手で持って鑑賞するってのもハードルが高いかと思うので(実際はけっこうこころよく手に持って鑑賞させてくれるよ)、伝わる部分、伝わらない部分をすこし説明しようと思う。

例によって、少し長くなるけれど、お付き合い願いたい。

かなり落ち着いてきたし、ずいぶんと絵の勉強もしたので、前よりもわかりやすく説明できると思う。

まず、色について。

画集はおそらく現存するもので一番古いもののうち、一番いい色のもの採用していると思う。

復刻版の浮世絵の色は、初版、あるいは最も有名な版の摺りたてを目指して作るというものと、摺ったものの経年変化まで考えて作るというものの2通りのものがある。

現在つくられてる復刻版は、ほとんどは前者。

摺りたてを想像して作られてる。

後者は、贋作作製ともとられかねないから下火。

そういう復刻版は明治大正の頃に作られていたんだけど、当時なら50年100年くらい経った浮世絵の再現ってことで、意味もあったんだろうけどね。

いまそれやったら、ほとんど灰色になってしまってよくわからない古ぼけた絵を作るってことだからね。

色については、復刻版のほうが圧倒的に綺麗。

ただ、いくつかの色については、江戸時代の絵の具そのものは使えないらしい。

たぶん、鉛とか水銀とかのように、水道法や毒劇物取締法にかかったりするものや、天然素材資源保護の都合上手に入らなかったりとかだと思うんだが、詳しくは知らない。

それを差っ引いても、色については復刻版から見るべきだと思う。

そういう意味で、画集は残念。

摺りについて

浮世絵には摺りでいくつかの特殊効果がかけられる。

画集ではとても再現できない。

まず空摺り、布目摺りという紙へのエンボス加工。

空摺りというのは、色をのせずに摺ることで紙につけるエンボス加工

たとえばこれ、巻物の縁の部分と、着物の衿の部分に注目。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/utamaro063/utamaro063_thumb4.jpg

布目摺りというのは、布を押し当てて紙に布のような質感を再現すること。

たとえばこれ、たなびく布が、本当に布のようなエンボスになってたりする。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige175/hiroshige175_thumb5.jpg

両方共復刻浮世絵を売ってるサイト画像だ。

これについては生で見ないととてもわからない。

そうはいってもスマホ画集でみたいなら

名所江戸百景の亀戸梅屋敷

スマホ画面で鑑賞するのに適した作品として、まず歌川広重の名所江戸百景の亀戸梅屋敷を挙げる。

実は俺のiPhoneロック画面はこれにしてる。

寝る前によく眺めてる。

ゴッホが模写したとかで有名なやつらしい。

なれないうちは有名どころからいくといいよ。たぶん。

さて、画像検索すると、ピンク色に染まった空の一番上の部分が、ピンクから赤へのグラデーションバージョンと、ピンクから青へのグラデーションの二種類がある。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/hiroshige160_main.jpg

http://www.gogh-ukiyoe-museum.jp/images/kameido.JPG

どっちが本物でどっちが偽物っていうわけじゃない。浮世絵って色の違う別バージョンが無数にある。

さて、それはさておき、俺はこの絵をみるときに、画面いっぱいに広がる梅の木の幹ではなくて、幹のあいから見える、その向こうにいる人だかりを見てしまう。

というのは、画面いっぱいに広がる梅の幹の木肌が滑らかすぎるんだ。

言ってしまえばピンぼけ

木の幹は視界に入っているのに入ってない。

フェンス越しに野球をみてる、そんな感じ。

フェンス越しでも野球がみれるように、手前の木のピンぼけは、木の影から覗いてるという風に解釈してしまう。

ピンク色の空が幻想的で、幹と幹の間から見える遠くの人々の会話が聞こえてきそう。

遠くで友達花見をしてる、それに混じりたいのに出て行く勇気がなくて遠くから覗くしかない俺、っていう架空設定をついつい脳内に作ってしまったりする。

さて、これだけでも手品みたいな画面効果だっていうのに、広重ときたらもう一つ仕掛けをつくってる。

次に、白梅の花に目を移してみる。

そうすると、白梅がとびだしてきやがるんだ。

さっきの野球の例えだと、フェンス越しに野球をみてて、ふとフェンスに焦点をあわせるとフェンスがブワァって飛び出してくるような感じ。

とりあえず、興味を持ってくれると嬉しい。

そんなこんなでまたいずれ。

2015-02-05

写真モテる

カメラつかって女食いまくった話書く。

増田で色々手法暴露されてるから別にもういいでしょ?

ひとまずお金かかるから貧乏人は回れ右しておk

ある程度お金持ってますって人なら、年齢・見た目関係ないから進んでよし。実際、変に若いよりも30歳以上とかのほうが相手を油断させやすい。

ターゲットは主にJKJC、あとはアダルトチルドレンというかメンヘラというかアイドルのなりそこない。要するに精神年齢がこどもってことだから熟女好きとか女遊び無理とかいう人もここで回れ右普通にリスカしてる娘とかにも出会うので、それをスルーできない人もやめたほうがいい。

芸術的センスないです、カメラの知識全く無いです、って人。最近カメラの性能も優れているので、半年もあれば普通に綺麗な写真が撮れるから心配なし。その代わり少しは勉強しろよ。

・機材

まずはキヤノンニコンのフルサイズ一眼だ。APS-Cじゃないぞ。フルサイズを買え。

キヤノンなら5D mark3か6Dだ。24-105のレンズキットで20万~30万だ。

ニコンならD810かD610の24-85のレンズキットだ。これも大体20万~35万だ。

本体レンズキットを買ったら次は単焦点レンズだ。

迷う必要はない。シグマの50mm F1.4だ。大体9万円前後で買える。

レンズはこれだけあれば十分だ。キットのレンズは全身から顔のアップまで対応できる画角と性能を兼ね揃えているし、50mm F1.4は物を撮るのにも万能だが、ポートレート鉄板レンズからだ。

あとは丸いレフ版を一つ買っておけ。80cmのならamazonで1000円くらいで買える。

三脚スピードライト(いわゆるフラッシュ)もいらない。写真趣味にしたくなってから買えばいい。

・練習

とにかく食べ物と花を撮るんだ。

花はどこでも咲いてるし、大きな公園とか季節に合わせた名所が沢山ある。

食べ物だって店に行けば出てくるし、お取り寄せグルメだっていいんだ。

まずはとにかく機材に触れて、ピントの合わせ方を練習するんだ。

写真が失敗する理由は主に3つ。

ピンぼけ手ブレ被写体ブレだ。あとはデジタル処理でどうにでもなる。

・構図

写真には鉄板構図がある。逆に失敗しやすい構図もある。ひとまずこの2つを覚えておけば写真が上手な人になるから心配するな。

鉄板構図は三分割法だ。ここでは四の五の言わないからまずググれ。それで大体何を言ってるか分かったら、上手な人の写真を見てみろ。90%以上がこの構図に当てはまる。それだけお手軽で鉄板な構図だ。

逆に素人臭くみえる構図は日の丸構図だ。日の丸構図でいい写真撮ろうなんて思うな。超絶ベテランでもまずうまく撮れないのが日の丸だ。

もし日の丸で撮ってしまった時はあとで無理矢理でもトリミングしてしまえ。

・下準備

まずはカメラマン用の名義を考えるんだ。芸名みたいなもんだ。適当写真家芸能人名前をもじればよいが、すくなくとも本名はやめたほうが無難だ。

そしたら、twitteerでも何でもいいからSNS活動するんだ。とにかくフォローしまくってアカウントの信用度を上げるんだ。

そこで出会おうなんて欲を出すなよ。あくま名刺代わりのアカウントを作り上げることを目的にするんだ。

花と食べ物写真を撮る理由はここにもある。単純に女子けがいいからだ。

趣味フィギアとか電車シェアするのはやめておけよ。路上スナップとかも実力差が顕著にでるからやめておけ。

とにかく花と食べ物は害がなくさらに長く撮り続けられる最高の被写体だ。

写真の練習を兼ねてまずは半年くらい活動を続ければ、うける写真もある程度理解してくるし、アカウントの信用度もある程度蓄積されてくる。

センスの良さそうな他人投稿シェアして、コメント無難なことだけ返すことに徹するんだ。

そうしてある程度練習して、アカウント情報が溜まってきたら名刺を作れ。

カメラマン用の名前SNSアカウント名、あとはメールとか適当な連絡先だ。いずれにしてもプライベートで使ってるものはあまりおすすめしない。

・女探し

撮影会」「コスプレ イベント」でググれ。いくらでも出てくる。

撮影会は、主に主催者側がモデルと会場を用意して、あとは自分たち勝手写真を撮ってくれといった趣旨のものほとんどだ。

ここでモデルと言っても本当のプロではなく、芸能界に憧れた少女たちの成れの果てが生活に困って働いている場合が多い。本人たちがどう思ってるかは別としてだ。

コスプレイベントは、主催者が会場を用意して、JKやらJCたちが好き勝手コスプレをする場所だ。

ただそれだけでは運営できないから写真を撮りたい人間も呼んでそいつからも金を取ろうというビジネスだ。

撮りたい欲求と撮られたい欲求のバランスが取られているようにも思えるが、そこで発生する問題は見てみないふりをしてたりするものすごく危うい業界だ。

今これを読みながらそんな世界に近づくのは嫌だと思っているだろ。だから狙い目なのだ

普通こういうところに参加する男性は、大抵頭のネジが数本飛んでいる人間だ。そうした中に常識を持った人間が現れてみろ。相対的ものすごく素敵だ。これは本当だ。他人と天気の話が出来るなら十分合格だ。行って来い。

ターゲット

撮影会場合適当に順番が回ってくるのでターゲットを選ぶ必要はないが、コスプレイベント場合は、ちょっとしたコツが必要だ。

間内で楽しんでいるようなグループには近づくのは難しい。専属カメコカメラマン)と連れてるのもダメだ。

2人ではしの方で撮り合ってるか、何故かポツンと1人でいる子が狙い目だ。

ただし、2人でいるのに写真を撮ろうともせずただ座っているのは危険だ。ほぼ9割がリスカ経験のあるこじらせ系かまってちゃんなので、話しかけたところでやけどしかしないからな。

相手を見つけたらまずはこう切り出せ。「こういうところ慣れてなくて、どんなふうにすればいいか教えてもらえると助かります。」

もしそれで会話が進むようならしめたものだ。あとは適当に褒めながら会話すれば、撮影中の雰囲気が悪くなるようなことはない。

撮影

基本的にここにあつまっているのは、自己承認欲求が肥大しすぎた女だ。

フルサイズを選んだ理由は、わたしを撮るにふさわしいカメラ演出してやるためだ。

レフ板を買った理由も同じだ。使ってるとプロっぽいからなのだが、一応使い方も書いておく。

基本的に人を撮影するときは逆光か斜め後ろ45度に光源を持ってくる。レフ板は下から煽るように構えて光源の光を反射させてやることで顔の影を減らすことと目の中に明るい部分を作ることが目的だ。あとはググれ。

それと撮影をしている間はとにかく褒めろ。化粧、肌質、目、髪の毛、爪、衣装アクセサリー、顔つき、体型、とにかく目につくもの全てを肯定的に捉えて言葉にするんだ。もし相手が喜ぶ場所を見つけたら、そこを更に重点的に褒めるんだ。

あとは適当に普段どんなイベントに参加しているかとか、今まで撮った写真の話とかすればいいんだ。とにかく撮影中無言なのが一番キツイからな。

ちょっとしたテクニックとして、被写体を斜めに撮るという手段がある。これを使うと実にお手軽にそれっぽい写真が撮れるのだ。

自分経験から言わせてもらうと、斜めの写真を褒めてくる女はちょろい。殆ど場合そのセンスはエセだからだ。それっぽい写真で十分と自分から言ってきてるようなものからな。

・連絡手段の交換

そうして撮影が終わったら、「もしよければ撮った写真を送りたいのだけど」と相手とやりとりする手段を聞き出すんだ。大抵何かしらの連絡手段提示してくれるはずだ。

もしそれがダメなら自分名刺を渡して、適当に連絡をとってもらうようにするんだ。それで連絡がない場合は諦めろ。

この時、カメラマンとして活動しているアカウントがあるとないとでは、相手からの信用に雲泥の差がある。なくてもいいもかも知れないが、あったほうが圧倒的に有利だ。

・その後

以前は個人撮影といって個別に呼び出すという方法もあったのだが、最近ではかなり警戒されるようになってしまった。

ここからは多少地道な作業になるが、とにかく相手とこまめに連絡をとって参加するイベントに足を運んだり、食費や交通費を出してやることで容易に近づくことが出来る。

ある程度仲良くなればイベント前後に食事をしたりカラオケとかにも誘いやすくなるし、自分は「花を一緒に撮りに行かないか?」といって休日公園に誘い出すなんて手を一番使ったかもしれない。

基本的には自分の話を聞いて欲しい子ばかりなので、口下手でもとにかく口を挟まずに聴き続けてやれば勝手に相手から信用されるようになる。

そうして相手にある程度信用されたなと感じたら、「きみがいないと寂しい」とか相手の必要性有りきで口説けばほぼイケる。

なにせ彼女たちは自己承認欲求の化け物なのだ自分が誰かに必要とされることを喜ばないわけがないのだ。ただし独占されることはとにかく嫌う。みなのアイドルでいたいのだろう。

それ故か彼女たちの写真をこちらが世に出してやる必要もない。彼女たちに渡せば自ずと出す出さないの判断をするからだ。

・始末

ここまでの関係を持つの自分本名彼女らの本名必要はない。むしろ彼女たちは普段の自分を切り離した自分でいたいと願うからだ。

ゆえに関係を断つことも容易だ。よほどの場合アカウントごと捨ててしまえばいいのだ。それでもう彼女たちから連絡を受ける手段はなくなるのだ。


・まとめ

いいか、ここに書いたことは大げさじゃなく本当にこういう世界からな。

もっとひどい話になると、それこそ騙されて二束三文のカネでビデオに撮られて勝手に販売されてるなんて話もあるくらいだ。

そんな世界面白そうとか流行ってるからという理由若い子たちがどんどん足を踏み入れているんだ。

アイドル気分を気軽に楽しんでたはずなのに、気が付くと一生を棒に振るようなことに巻き込まれてたりする世界なんだ。

撮られる側はしっかりと身を守らないとひどい目にあうってことを理解しなきゃいけないし、回りの大人も見ないふりをせずに教えてやらなくてはならないのだ。

増田が書いたことなんてのはまだまだ普通だ。あんなのはコミュニティ囲ってればいくらでも有り得る話に誰かが妬んで名前連ねただけの話だ。

カメラメーカーは売れるからという理由でこうした業界をあまり放置しすぎている。この業界が占めるところの売上の大きさに気付いていないわけがないのだ。

もし身近な人間にこうしたことに興味をもつ人がいたら教えてやってくれ。一歩踏み込めばそこはクソみたいな世界なんだと。

2014-06-17

価格.comレンズの作例

「このレンズを使ったら自分プロにでもなったかと思いました!」っていう人の作例が、ひどい。

構図がどうこうというよりも、そもそもピンぼけである

2014-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20140602191121

どうやったらそんなピンぼけ投稿ができるのか

貧困ゆえに自転車通勤しか選べない、選ばざるを得ない境遇を嘆いてるんだろ

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