この季節になると思い出す、昔飼っていたハムスターのこと。
母の同僚が飼っていたハムスターが子を生み、里親を募集していた。
種類はゴールデンハムスター。世間ではジャンガリアンハムスターが人気だった。
しかし「とっとこハム太郎」で、こうしくんよりもハム太郎が好き。「ハムスター研究レポート」が愛読書だった私は喜んでゴールデンハムスターを迎えたいと申し出た。
やってきたハムスターは小さかった。その日は抜けるような青空だったので、名前はソラになった。ソラは賢い子だった。1週間もすれば餌をくれる人間を覚え、愛想を振りまいた。
楽しみは、夜の散歩。30分程度、部屋に離すのだが、障害物や隠れる場所が多い我が家では目が離せないし、好奇心の塊の小学生にとって、目を離すなどもったいないと思える動きをした。
ひくひくと鼻を動かし、ときどき二本脚で立ってはキョロキョロとあたりを見渡す。
私がひまわりのタネを手のひらの上に乗せ差し出せば躊躇なく手のひらに登り、ほおぶくろに詰めた。その動作が可愛くて、兄とふたりで「写ルンです」で撮ろうとしていた。しかし、当時の写ルンですに接写機能などなく、現像したらすべてピンぼけだったときはがっかりした。
飽きっぽい子どもだったが、ソラは別だった。日記は1週間以上続かなくても、ソラの小屋は毎週掃除した。ソラは私とともに成長した。小学6年生のとき、中学生になったら部活や勉強でソラのお世話をする時間が少なくなるかなと不安になったが、それは杞憂だった。
小学6年生の10月。ソラがあまり餌を食べなくなった。親とともに動物病院へ連れいていった。
私はずっと待合室にいるよう言われていた。待合室の時計を見ていた。
秒針が何度も分針を追い越したとき、親がなんともいえない顔で診断室から出てきた。
「病気なの?」と私が聞いた。
「病気じゃないよ。ただ、おばあちゃんになっちゃったんだって」と、母はゆっくり言った。
ソラは私を追い越して、もう老体なのだと知った。ソラが初めて来た日と同じような空模様のある朝、ソラは動かなくなっていた。餌置きの前で、ひまわりのタネを口からはみ出させながら、冷たくなっていた。
家族みんなで涙を流し、ひととおり落ち着いて、お墓を作った。
実家を離れて10年ほど。玄関のコルクボードにはたくさんの写真が貼られている。旅行の写真に混じって、ピントの合っていない茶色と白の何かが写っている写真。多分だれにも何かわからないが、私だけはソラだと知っている。