2015-02-13

死んだように生きる,とは

去年,一年間の浪人の末,志望校に落ちた.

経済的事情も絡んで,進学先は志望とは真逆学部だった.文理さえ違う.

いろいろあって,もう一度受験しようと思った.

今度こそ,と思って受験して落ちた.

ここまで事実を突きつけられると自分勉強,特に数学の才能がないんだなあとつくづく思い知らされた.

結局,今いる大学卒業しなければならなくなった.勉強が出来ないのは全部,自分のせいなんだが.

自分自分らしく生きるのは,そう難しいことじゃないと思う.一人で好きなことに励めば,多分自分らしく生きるという事になる.

しかし,ここではやりたくもない勉強課題として押し付けられ,「あなた達はレベルが低い」と他の学生とひっくるめて言われ,好きで現在学部に入ったかのように誤解され,学習過程が違うから自分の考え方が他の学生とまるで違う.

文字で見ればなんともないことだが,実際毎日それにさらされる,しかもあと何年もと思うと正直絶望である.

もう死んだように生きるしかない気がする,と思った.死んだように生きる,というのは人によって解釈,意味が違ってくると思うのだが,私の場合は「何にも頑張れず,劣等感を抱き,現状に不満を感じながらただ生きてるだけ」といった意味である.

私は大学進学しているだけ十分マシな方であるということは自覚している.勉強が出来なくて大学に落ちまくったのも自分研究不足と才能不足である.(勉強努力だ,と思われるかもしれないが,これでもこれ以上はないと思うくらいには勉強した結果,数学はやはり才能が関係あると感じた.)

まあ,こんなことは,人生で一番悲しかったことと比べると,ちっぽけなものなのだが.

しかし,人間はたまに嫌なことを吐き出さないと,精神的な健康は得られない.

から,ここに不満を書いたことを許してほしい.

  • 大学院で文系から理系に来る人ぽつぽついるけどな。 大学入試程度なら才能じゃなくて努力でカバーできる範囲だろう。 具体的にどのくらい数学できないんだ?

  • 親族の男子が自分以外理系で一人は科学者で飯食ってて、兄弟は父親の借金の尻拭いをしながら弟に勉強の基礎を教えながら上位大理系に受かって 留年率の高さで悪評が立っていた学校...

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