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2018-03-26

anond:20180326025146

改めて返答感謝純粋に話ができて楽しいですw

あるとすれば人の数だけ死後の世界はある。

こんな教義宗教はないけど。

コレ実は、矛盾しない余地もあると思います

生物学者のユクスキュルが提唱した『環世界』という概念をご存知でしょうか?

同じ空間認識していても、その認識者の認識機能差異によって、脳や心に創り上げられる世界千差万別で、

同じ空間認識し・生きながらにして、全く異なる世界認識し・生きているという考え方です。

まり言ってしまえばこの現世だって、人の数だけ異なる世界があるのです。

まして恐らく、あの世では現世の五感とは異なる認識機能によって観測するのだろうから、現世以上に環世界差異が大きい可能性も大。

加えて、教祖あの世観測した世界教義に記す能力と、教祖あの世世界複数あることを観測する能力はまた別ですから

例えば「あの世には野球部があったぞー!」という教義真実でも、その教義に従っていれば将来その野球部に入部できるのは真実だとしても、

あの世には野球部以外にサッカー部もあるという事実認識できたか…というのはまた別の話で、だからと言って野球部教義は嘘にはならない。

私は科学教の信徒(ともいえる)なので、ここは「ない」と断言しちゃう

この認識ならば一切口を挟む余地はないです。

実際以上に科学で判明している事を過大評価した科学事実云々ではなく、科学技術信仰のような人の信仰自体自由ですので。

この世に影響を与えてないものが、人の魂(コア)を動かす、ってところ。

これも矛盾しない余地はあると思います

先の環世界的な話でもあるのだけれど、例えば、人の認識機能3次元な訳ですが、超弦理論などでは実際には10次元だそうです。

そして、蟻の認識機能はこのうち2次元だけとも評されるように、人間認識機能もこのうち3次元だけで、

(嘘か真か、盲目数学である者ポントリャーギンは「5次元図形を視覚的に思い浮かべることができた」なんて話もありますし)

実はあの世というのはこの世の4次元目以降にすぐそこに存在し、別に魂が動かされるとかそんな大層な話ではなく、

脳による認識機能が失われて初めて認識できる環世界あの世があると考えれば、何も矛盾しないのではないのでしょうか。

それこそ、その認識機能が特異的に鋭敏な人がいたら、その人が教祖としてそうやって微かに観測できた世界教義に残した…

なんて仮定すれば、先の複数ある死後の世界を一つと錯覚した件も含めて、諸々矛盾しないことになると思います

…因みに言うまでもないとは思いますが、私も個人的宗教観などは貴方に近いです。が、ここはあくま論理的思考実験としての話ですのでw

要は「死後の世界宗教教義簡単否定できる程の認識能力材料を私達は持ち合わせているのか」って話です。

では、その時喋った私は一体誰なんでしょうか?

面白いですね。凄く興味深いですね。

ただ、麻酔は確か飛行機の飛行原理と同じく、科学的にはその原理が解明されていない事柄ですから、断定的なことはやっぱり不明でしょうね。

単純に済ますのであれば記憶を失った酔っぱらいと同じ状態なのかもしれません。

もしあえて漱石枕流っぽくロマンを追求するならば、擬似的に脳(の電気信号)を失ったことにより、

先の4次元目以降の世界観測干渉できていた…かもしれないこともあるかもしれないw

2018-03-25

anond:20180325013455

なるほど!お付き合い頂き感謝

なぜ違うかというと、どっちかは地獄に落ちるべきと思って戦ってるから、同じとこに行くのはおかしい。

これは確かにその通りだね。

ただし、あくまで「天国的なもの」と「地獄的なもの」の矛盾であって、「あの世」そのもの矛盾ではないかな。

加えて、死後の世界大学サークルみたいに、その魂の在り方に合わせて多様な天国地獄集合体みたいなものがある

…と考えれば、一概に矛盾してるとも言えないかな。

野球の方が面白いだろ!」と「サッカーの方が面白いだろ!」という人達が激突しても、

その後それぞれ野球部とサッカー部に入れば万事解決的な。

やっぱり脳が消えたら消えたままになるとおもう。

そうだね。ぶっちゃけ個人的にもその可能性の方が高いとは思う。

でも、断言はできない。科学的には「わからない」が正解で、「ない」と断言するのは「ある」と断言する信仰と同レベルだとも思う。

この世に影響を及ぼさなものが、どうしてこの世に関与できるんだろう?ここで矛盾する。

ここはもうちょっと解説をお願いしたい。

例えば、天体望遠鏡観測できる遥か彼方のアンドロメダ銀河とかは、地球からはとても関与・影響はできないけれど、

人間認識メカニズムや現状の科学が確かならば、確かに存在はすると考えられている訳だよね?

この世に関与や影響がないことに何の問題が?関与できない世界のことが何故教義として残っているのかっていう矛盾

それに、死後のこの世のことなんて後世の生者に任せれば別にそれで良いのでは?

「金を残すは下、名を残すは中、人を残すは上」なんて言うし、それこそ後世に託すのが人生の目的考える人だっている。

anond:20180324234556

お、良いね哲学的な話は大好きだ。

ただ、その話は前提条件の時点で既に問題がある。

最後の審判極楽浄土もないんなら

なんでそうだと知ってるの?一度死んでそれがないことを確認してきたの?

別に私もそれらが「ある」と主張するつもりはないし、確かに宗教教義には現代科学矛盾する怪しい所もあるけれど、

それと死後の世界的なもの存在しないのとは別の話であって、存在しないことは科学的に立証された訳でもないのだし、

それらが「ない」と断言することは「ある」と断言することと同レベル信仰なのでは?

加えて、もし仮にそれらが存在しなかったとしても、人は心の作り出した虚構世界の住人である以上、

あると信仰している人の世界においては実際に存在するに等しい訳で、それが実世界存在するか否かも枝葉末節では?

「人はパンのみにて生くるものに非ず」と本気で考えて、天命だとか使命だとかを本気で全うしようとしてる人もいるものよ。

2018-03-24

さな宗教戦争テロは再発するのか?

地下鉄サリン事件から23年が過ぎた。

23年という事は、言ってしまえば、今時の大学生以下の世代地下鉄サリン事件を知らないという事だ。
それは、オウム真理教事件も知らないという事。

先週の土曜日3月17日東京で「地下鉄サリン事件23年目の会」という会が開かれた。
オウム真理教事件被害者地下鉄サリン事件被害者及び、その親族家族が集まる会。そこに、麻原彰晃の娘・・・三女の松本麗華が来ていたらしい。
入り口には「オウム真理教及び、その後継団体関係者は入らないで下さい」と書かれていたにも関わらずいたらしい。
松本麗華は、数年前よりオウム真理教の後継団体の一つ「アレフ」と争っているという。争っている理由については非常に複雑で、この増田で書くには文字数が多くなる。
松本麗華にとっては、オウム真理教事件被害者オウム真理教及びその後継団体アレフ」の敵=「アレフ」の敵である自分の味方という考えでの参加だったのだろう。
だが、松本麗華のTwitter上での主張には明らかに麻原彰晃を正しいと思っている節が見られる。
以下に、その主張の一部や最近の行動等をまとめたサイトリンクを貼っておく。

麻原彰晃の三女、松本麗華の主張

これらの主張より、松本麗華は

と言える。
そんな中、ある「ひかりの輪」の脱会者が、「ひかりの輪」の代表である上祐について、こう証言していた

ひかりの輪脱会者の証言

さな宗教戦争

このツイートをした人物は、「アレフ」や松本麗華を擁護する様なツイートをしている。
アレフ」も「ひかりの輪」も「松本麗華」も、やっている事はスケールの小さな宗教戦争なのだろう。

教祖である麻原彰晃存在し、その麻原彰晃逮捕された事で彼らの中で神格化された。
そして・・・
麻原彰晃は無実なのに国の陰謀死刑判決を下された」と考える松本麗華派
「表面上は麻原彰晃否定しつつ、麻原彰晃教義尊重し、麻原彰晃の息子を新たな教祖にしたい」と考える「アレフ
オウム真理教を脱退した一部の幹部が脱・麻原彰晃を謳い文句に金儲けをしたい」と作った「ひかりの輪

そして、「アレフ」を脱会した信者の中には「ひかりの輪」の教義に傾倒する者もいれば、「ひかりの輪」を脱退した者の中には松本麗華や「アレフ」の教義に傾倒する者もいる。

泥沼だ、スケールの小さい宗教戦争なのに泥沼だ。
どの派閥も「麻原彰晃教義」が第一に有り、それを肯定するか否定するかで成り立っている。

きっと、原初時代キリスト教ユダヤ教イスラム教も、元々は一つだったのがこの様に分かれて今の状態にあるのだろう。
からキリスト教イスラム教ユダヤ教エルサレム聖地としているのかも知れない。

このスケールの小さな宗教戦争に、麻原彰晃オウム真理教事件の確定死刑囚死刑執行はどういう波紋を呼ぶのだろうか?

地下鉄サリン事件から23年、今年の4月東京メトロ(旧・営団地下鉄)に入社する4年生大学卒業した新入社員は、
地下鉄サリン事件の起こった年に生まれ人達だ。
地下鉄サリン事件を知らない世代が、地下鉄サリン事件の有った会社入社した時・・・果たして、同様のテロが起こった時に防げるのだろうか?
オウム真理教事件の確定死刑囚死刑が近付いていると感じられる今、「あの事件は何だったのか」もう一度考える時期に来ているのではないだろうか?

P.S 本日17時半からTBSニュースでは、麻原彰晃の娘、松本麗華に取材した内容を流すそうです。是非、ご覧になって皆さんも「あの事件は何だったのか」を考えて欲しいと思います

2018-03-20

anond:20180320130307

婚前交渉を悪とする慣習や教義を持つ宗教社会は少なくないが

彼らは叩かれても仕方ない悪ということだね

2018-03-06

anond:20180306184913

典型的な、勉強できないのに自分の言いたい方向に歴史ねじ負けたいだけの無敵の人なのかな?

山川世界史Bは私も使ったが

使っただけで、自分咀嚼理解できていない可能性はひとつも考えないのか。面白いなぁ。無敵だね。

物凄く雑に言っちゃえば、ローマ以降のキリスト教(雑だなぁ主にカトリックプロテスタントそもそも時代でも差はあるが)世界においてある時代まで、女は劣った生き物なので劣った扱いをすべき、という思想一般的で、

そういう思想キリスト教世界ベースに組み立てられた各国家社会構造に影響したのでは、という考え方があるんですよ。近代までは、宗教社会構造はとても密接に絡み付いていたから、影響を受けるのは当然と言えば当然ですし。

で、その「女は劣った生き物である」という男尊女卑世界観がどこが源泉なのかは説は色々ありますけども(月経原因説から楽園リンゴ食ったからとか存在が不浄って書いてあるとか色々)、実は東洋世界仏教儒教)でも、イスラム世界でも発生している。おまけにキリスト教仏教も、教義だけを読めば男女に救済の差はないと読むことも可能(救済に差があると読むこともできるから上記の誤解が発生したんだろうけど)。

なので、古代あたりから、「人間の発生と進化の一過程」という時代において、女は格下!的な、非モテ厨二っぽい思想流行った時期が長くあったのかもしれない、などと増田は考えているがこれはあくまでも私見感想。豊かさを他に求める侵略時代において「そういう考え」になりやすいのは、現代日本を見ていても納得感があるので、符牒は合うっちゃ合う。

でもこの私見を、ちゃんと論拠を追い示しながら説明するのは増田には荷が重すぎるので、取りあえず、山川教科書を読み直しつつ、思想史のみを抜き出した年表とか作ってみたどうでしょうか。

あとは、「フェミニズム神学」というキーワードでググっても面白いと思いますよ。この20年ぐらいでは「宗教が女を差別してきた(怒)」から学問が進んで、「そういう側面もあるけど原典ではそうじゃないよ」とか、歴史原典個別事象思想家などと照らし合わせて分析をしている人もいますベース神学なのでラジフェミみたいなおかしなのはほとんど居ない、ので比較的当たりやす学問のはず。山川Bをちゃん咀嚼できていたのなら笑。

つーかそういう学問体系もすでにあり大学カリキュラムになっているところもあるような現在進行形学問なので、元増田のように「もっとお母さんのように教えてくれ」と甘えるのも、割とズーズーしいね。と思う。

2018-02-24

anond:20180222211209

うん。めちゃくちゃ肩入れしてるよ。私はナウシカという人物が大好きだし。

そして、ナウシカは現人類に肩入れしている。ユパが好きだし、アスベルやチククも好き。クシャナクロトだって好きだ。風の谷のみんなが好きだし、トルメキア人やドルク、蟲使いも。それ以上に王蟲が好きなんだけど……。いがみ合いは嫌いだが、いがみ合ってる人物のものを嫌っているわけではない。

その好きな人々を亡くしたくないんだよ。そのためにできることは何でもするだけだ。犠牲行動を「良い」と思ってやっているわけではない。行動原理は「その相手を助けたい」だ。そのためなら瘴気の中でマスクだって取っちゃうし、周りをドルクに囲まれて死の一歩手前だろうがトリウマを助けるのが先だ。「良いかいか」で判断してるような人にこの行動はとれない。

ナウシカ墓所が現人類邪魔から消したんだよ。私もその決断同意する。「私達のように凶暴でなく、おだやかで、かしこ人間」なんていらない。少なくともそれを生かすことによって自身の愛する世界を失うことになるのなら、その障害を潰すことを厭わない。

作中の現人類の多くはこの思考同意するだろう。漫画世界ではなく、今PCを閲覧している読者の多くも、ヴ王と同様に「そんなもの人間はいえん」と思っているだろう。

王蟲は変わったけど、新人類が変わるわけがない。それもまた思い込みにすぎない。

うん、それは私の思い込みだな。新人類進化して「凶暴で、おだやかでない、バカ人間」に、現人類並みに育つ可能性はあるよ。私はそれまで待てない、と言い換えるか。それにどうせ現人類並みになるならリセットせずに今の現人類を使えばいいじゃない。そしてそのとき墓所技術は現人類にとって危なすぎるの。そこの技術が現人類のいがみ合いの種の一つになってるから。「ヒトラーと同じだ」というが、ヒトラーなら優性思想から「おだやかで賢い人間」を生かすんじゃないの。知らんけど。

墓所側が攻撃するのは当たり前のことだ。旧人類の悲願は人間性の闇を捨てることだ。現生人類死滅させたいのも当たり前だ。それが残っていては計画が水の泡になる。交渉する余地など最初からない。武力で負かして交渉テーブルに無理やり着かせる必要がある。

あ、そういうこと言っちゃうんだ。じゃあまあ墓が弱かったから仕方ないね。「交渉余地すらない。武力で負かして交渉テーブルに無理やり着かせる必要がある」と言うからには負けた旧人類と新人類は黙って消えるしかないだろ。どうもあなたは「墓所が勝った場合人類交渉余地はない」しかし「墓所が負けた場合は、墓所交渉テーブルに着かせてもらえる」と思っているようだが、そんな甘いわけがない、巨神兵裁定はおりている。そして巨神兵プログラムしたのは旧人類だ。

新人類に正しい審判を下せるのは旧人類でも現生人類でも新人類でも王蟲でもナウシカでもない。はるかかなたの未来に生きる人類たちだ

あなた言葉には "説得力がない" んだよ。

「今」を生きるのに精いっぱいの人々にはるかかなたの未来に生きる人類を気にかけてる余裕なんかない。21世紀の現代日本ですらそうだろ。繰り返すけど、あなた物語の中の今を生きている人類に寄り添えていない。そんな人物の言説を誰が聞く?

古今東西、人を説得できないと物事は変わらない。国会でどれだけ「日本を良くする法だ!」と自説の正しさ唱えたところで、党内の票をまとめられなければ法案は通らず歴史は変わらない。

その、愚かな人類と決別しようとする "新人類教" では物語の中の世界を変えられないんだよ。せいぜい数千年後にまだしぶとく生き残っている現人類が「古文書見つけた!『お前ら人類虐殺者だ』『ナウシカ悪魔だ!世界を滅ぼしたのだ!』とか書いてあるよ。新人類だってさ」と珍しがる程度だ。

現生人類のみんながナウシカに心酔してたわけではないように、人間凶悪さを誰もが喜んで従っているわけではない

そうだろうね。そしてそういう人物は、誰かを殺す心配をするまでもなく、とうに誰かに殺さているだろう、と先にも書いたよ。

ナウシカ世界は、その環境過酷さにより人々がいがみ合い、憎しみ合っている。しかしそれぞれの人は "新人類ではない" から憎悪の一方で愛も持っている。良い一面も悪い一面も持っている。これが人間だ。そういう人々の行動を変えるにはどうしたら良いか。まずは説得だ。ナウシカは数々説得してきた。しかし凶暴で賢くない人類から、説得には応じられないこともあるだろう。では説得に応じない相手はどうすれば良いのだろうか?そう "行動を起こす" のだ。あなたは「交渉する余地などない、まず武力だ」と言っているが、まずは交渉、のちに行動。

最終話近く、マニ族とクシャナ軍がにらみあっている。ユパが、ケチャ年寄り連中と一緒に必死にマニ族を説得している。だがマニの若者たちは納得しない。彼ら彼女らも "復讐は何も生まない" と理性では分かっているのだ。だが自身感情を説得しきれない。そして、この気持ちを晴らすにはトルメキア人を殺すしかない、と"行動を起こし"クシャナに襲い掛かかった。(法の整備された現代日本では許されないよ)

ここでユパも説得は通じなかったことを悟り次の手段に出る。マニ族とクシャナの間に割って入り、マニの刃を受けることで双方の連鎖を止めた。先だって左腕も犠牲にし「この片腕、わしの心のあかしだ。たのむ判ってくれ」と再度説得。単なるきれいごとではなく、自らを痛めてまで訴える人間言葉は人の心に届く。(これには先立ってマニの僧正が同じ方法でユパの命を救っており、恩返しという側面と、僧正の念がこの場に出現しマニ族を説得するという流れになっている。この通り、聞かなきゃ殴るだけが行動ではない)

ナウシカも同様に、数々の行動によって人々を説得してきた。

ナウシカは恐れでためらうことが少なく、瞬時の判断力を持っており、おおむね良い方向に作用する。(主人公補正はあるが)

  • トルメキア軍を攻撃してきたアスベルを何の迷いもなく救出に向かう。単に"声"の主を探してたらアスベルがまだ生きてて遭遇しただけなんだが、死を目前にしながらも懸命に生きようとしている人間が目の前にいれば、躊躇なく助けるのがナウシカの特徴だ。

アスベル新人類と入れ替えてみたらどうだ?と言いたそうだな。やってみようか。新人類は生き残ろうとしない。生に執着しない。あなたと同様に「人間凶悪さを発揮し蟲を殺してまで生きようとは思わない」と言い残し、ナウシカに遭遇する前に蟲に食われる。おしまい

  • 粘菌に船を飲まれ「もはやこれまで」念仏を唱えだすチヤルカを問答無用で救出。説得の末、チヤルカの信頼を得る。
  • 王蟲の信頼を得ているので大海嘯の最前線に入れ、王蟲が怒っているのではないことに気づく。
  • 清浄の地から引き返すことで"森の人"セルムの信頼を得る。あなたなら「わ~い、清浄の地だ~」ともう帰ってこないだろう。
  • 腐海侵食され絶望する残された人々に対し「私たち風の谷の民は腐海とどうにかこうにかやっていく術を知っている。今残された土地は少ないが、まだお終いではない」と解決策を示している。


説得・行動・説得・行動だ。これによりナウシカは数々の障壁を超えてきた。残念ながらあなたの思惑とは違い、最終話ではもはやナウシカを止める人はいない。ナウシカはもう辺境の一首長ではない。行動により強力な支持者を得て、民衆を説得できる力を持った。ナウシカはみんなをつなぐ糸になれた。

あなたには説得力もなければ行動力もない。だから序盤で死んでいるだろうけど、それを大目に見てこの場で

新人類に正しい審判を下せるのは旧人類でも現生人類でも新人類でも王蟲でもナウシカでもない。はるかかなたの未来に生きる人類たちだ

と言えたとしよう。で?誰が耳を……あ!聞く耳持つ人がいたわ!墓所と守り人。ヒドラ

最後には旧人類の歩んだ道をなぞるだけだ。まったく徒労でしかない

これがあなた発言。そして墓所庭園の主『歴史は繰り返す』『お前達はその朝をこえることはできない』。そっくりだな!といってもあなたは墓の側に立って意見を出してるんだからそりゃそうか。

あなた墓所ヒドラだった場合、結局ナウシカを説得できなかったので歴史は変わらない。変えるとしたら、最後の生き残りの人々の前に現れ、今回の数々の教義を唱え、賛同者を募ってナウシカを止めてもらう必要がある。

そこにいる人々は、戦乱の世を必死に生き延び、死にたくないと願い、場合によっては人を殺めても生き延びてきた人たちである。その中でどのくらいあなた賛同者がいると思う?ナウシカを引き留めるには到底足りないと思うんだけどね。

ナウシカだって最初無垢でいたかったんだよ。でもそれだけでは自分愛する人は救えないと理解し、成長する物語だ。そしてナウシカは罪悪感や自己矛盾ちゃんと受け入れている。「人類を滅ぼしにいくのかもしれない」と自覚している。「悪魔として記憶されてもかまわぬ」と言っている。それに比べりゃ私たちなんて楽なもんだ。最後の決定をナウシカに任せちゃえるんだから。だからこそ、その決定について、ナウシカに責を負わせることはしないでおこうと思う。

あなたは、虐殺を犯したくない、無垢でいたい、と思っているようだが、一方で「まずは殴って言うことを聞かせる」と言う。あなたには矛盾があり、残虐で、勝手である。どう見ても現人類側の人間だ。

新人類だってあなた救世主だとは思えないだろう。「その人は私たちのために何かをしてくれたの?」「なんだ、世界の片隅で祈ってただけか」と。

あなたは、未来を変えたいが、自分の手は汚したくないという。墓所の主はそういう役割としてプログラムされているからまだわかる。しかあなたはには自分意志があるのに、その体があるのに、先へ進もうとしない。今の自分を超えようとしない。現人類より新人類側に思いを寄せている。もしかしたらあなた旧人類のように全てに絶望しているのかもしれない。どうせ全滅するのだから何をしたって同じか?「そうではない」とこの物語は示している。

ナウシカ行為正当性を産むことができるとしたら現生人類が生き残ることではなく、火の七日間を再度起こさないと確信に値するものを示すしかない。しかし作中の現生人類がそれを示すことはないまま作品は終わってしまった。

「答え」なんか分かるわけがない、っていうか自分で考えろってことだよ。人類は再度火の七日間を起こすよ。歴史は繰り返す人類は愚かだから正統性より目の前の命を取る。

今回私が書いたことはほとんど漫画の中に描写されていることだ。あなた最後の答えを知りたいというが、まずそこに至るまでをうまく読み取れていないじゃないか。まずもう一度通して読んでみてはどうだ。

あなたは結果を重視しているが、私は現人類過程を重視している。あなたは「自然に任せよう」と思っているらしいが、あなた自然だと思っていることは実のところ人間プログラムだ。穏やかで、賢い、人工の物体だ。自然体は許されない。人も動物も全てを書き換えるつもりだ。ナウシカ方法の方がずっと自然だ。「今」を乗り越えても、凶暴で頭の悪い人類は結局は滅ぶかもしれない。でも人類は滅んでも虫や動物は生き続ける。人類は滅ぶが、世界は滅ばない。とはいえ、人類はそんな簡単には諦めないという話だ。

たとえ過去1万回同じ過ちを繰り返したとしても、諦めなければ1万1回目でクリアできてしまうのが人類だ。1万1回やったけどダメだったから諦めたのが旧人類なんだろう。現人類は1万2回目、歴史は繰り返すしかしそれがいつになるかは現人類が決めるし、現人類はその今を精いっぱい生きるの。

このあたりはどこまでいっても平行線かもしれない。だからあなたが「私はナウシカ決断同意できない」と宣言すること自体問題はない。ただ、最後決断をした人物を責めてはいけない。私は旧人類の決断が間違っていると思うが、旧人類がそれしか取る手がなかったのだということは受け入れる。旧人類を責めはしない。現人類として、その決断には従わないという意思を示すだけだ。

1万2回目の人類最後ナウシカが決める。少数の反対を除き、私を含め大多数はナウシカ最後を託した。

歴史に埋もれたできごとが間違っているわけではないが、トルメキアとドルクをクシャナとチククが再興していくことを考えると、はるかかなたの未来に生きる人類たちはナウシカを「救世主」として受け止めることになるよ。「青き衣の人」として。新人類は生に執着しないが、もし執着するほど進化したとしたら、その時は現人類選択理解し受け入れるだろう。(同時にはなし得ないのでパラドックスだが)

あなたは現人類絶望しているのだろうが、それでも旧人類の決断自分を託すんじゃなくて現人類として自分で決めよう。誰から必要とされない自分なんていなくていいと思っているかもしれないが、人の評価未来を決めることはない。

本当に絶望の淵に立っている人に「マンガでこう言ってるし」「不安絶望も背負って、それでも生きていくしかない」と諭してもまったく力にはならないだろうなとは思う。私は漫画版ナウシカから力をもらったけど、絶望中にはせいぜい現実逃避として読んでただけな気がする。ある程度元気になって、現実世界に少し救いがあったからこそ、余裕をもってああだこうだ言える今がある。

はいえ、あなたは「マンガだし」と投げ捨てず、その内容について意見を書き綴れるくらいの力があるんだから、もう一度立ち止まって読んでみてはどうですか。

2018-02-20

ケンタッキーフライドチキンが好き

俺が権威とか人がどう思うかとかに左右されずに心から思うことができる数少ない考えは俺はケンタッキーフライドチキンが好きだということだ

正確に言えば衣が好きなのだがとにかく好きだ

値段や健康とかそういうのを無視して単純にうまいかまずいかでいってこの世にこれよりうまいものがあるんだろうか?

ケンタッキーをまずいと思う人なんてこの世に存在するんだろうか?

もし強がりや嘘や教義を取り除くことが出来たとしてケンタッキー世界一うまいものと思わない人がこの世にいるんだろうか?

anond:20180220103929

教祖信者仲間がどんな間違ったことを言ってもスルー

教祖教義批判されたら真っ先に応戦

口先では違うって言っても完全に教団を守るため奮戦してるんだよなぁ

低能先生自分の行動客観視できてないから困る

2018-02-18

瞑想運動野菜というけど

瞑想というかマインドフルネスに抵抗があって、本を買って読んだりしてみてるわりに、全然実践できていない。

効き目がないと思っているわけではなくて、「まあこういう仕組みだから、こういう世の中でやると、こういう調整が効くんだろうな」と自分なりに納得もしてる。

じゃあ何がひっかかってんのかというと、自分がちゃんとした仏教徒じゃないからだ。

マインドフルネスは、宗教的要素を取り除いたとは言われるけど、きっぱりはっきり「八正道の中の正念」という概念イコールなことがあきらかだし、そもそもその宗教的要素を取り除いたっていうことに対しても「……いや、そんな勝手に取り除いていいものなのか?」っていう気持ちになってしまう。残りの八正道ノータッチでいいんだ?? ほんとに??

自己実現のために、信仰してない宗教教義のごく一部分だけをお気軽に使うの、自分のオシャレのためにまったくコーランも知らないのにヒジュラかぶちゃうみたいなアウト感をね……。感じてしまうんだよな~。

基本的自分が考えすぎなのはわかってるんだけど、うっかり他人重要な箇所に土足で入ってるんじゃないかって不安がどうしても残ってしまう。

写経体験みたいなものだと捉えたらどうかと言われたけど、マインドフルネス継続して行う習慣なとこがどーもな……。

運動はがんばってますスクワットちょっとずつ回数増やしてやってるのえらくないですか。

野菜お菓子の油程度ですぐ死ぬ胃腸から、気を使わなくても、自然と食べてる。

2018-02-11

とある宗教に対する信仰心がもうなくなってしまった

私の親がとある宗教信仰している。だからまれてすぐから毎週集まりに連れて行かれていた。

当然宗教教義を信じ込んだ。今も神の存在は信じている。

組織の中で嫌な事がいくつかあった。

母親が一時精神を病んでたのか、家も長らくすごく居場所が悪かった。

父は空気。そのうち父は精神科に通い始めた。精神科に行くべきなのは母親だと思ったし、なんども行けと言ったけど結局行かなかった。

宗教やめたら殺すと言われたこともあった。ずっと他の家の子たちが羨ましかった。母は家でずっと他の信者悪口を言ってた。父は怒ったけれど焼け石に水だった。そのうち父も「尊敬しろ」とか言って怒鳴るようになった。家族で毎週宗教勉強をしなきゃいけないんだけど、高校の時宿題しながら参加してたら叩かれた。私が悪かったのかもしれないし後で謝られたけれど、未だに思い出すと悲しい。

それからその宗教について毎週他の信者の方が家に来て私に宗教のことを色々教えてくれていたんだけれど、大学に行くって言った瞬間に豹変して、私が大泣きしてるのに数時間ずっと文句を言って私の母親文句まで言って帰った。その次の週からその人はもう家に来なくなった。

おばあちゃんみたいに慕ってて、その人もすごく親切にしてくれて、高校時代の私はその人をすごく信頼してたから、ショックだった。

でも大学行くなとか他人が軽々しく言っていいことじゃないし。

それでも私はまだ信者で居続けた。

独り暮らしを始めて、そこでもまた宗教がらみで嫌な事があった。

思い出したくもないから書かないというか書けないけど、本当に辛かった。やせ細って家でずっと泣いてた。家にいると涙が出て止まらなくて本当に病気になったのかと思った。

宗教活動を熱心にしてないから陰で悪口を言われたりもしたけれど、(とはいえ当時は週3で活動をしてた)私はバカだったからそういう風に言われてもちゃんと集まりに言ったり活動に参加することで信仰を示してるつもりになってた。

それから引っ越した。引っ越した先の人たちはみんな良い人だった。

今までの嫌な思い出とか、あれってやっぱり普通じゃなかったんじゃないのかと思い始めた。

そもそもこの宗教内では、この宗教をやってない人は道徳的堕落してて薬やっててアル中で嘘つきで泥棒殺人する(これはちょっと大げさだけど子供の頃は本当にこういうイメージだった)、みたいな感じなんだけど、中高の友達大学友達もごく普通に良い人達で、むしろ「愛、親切」とか言ってる宗教をずっとやってる私よりみんなずっと性格が良かった。

陰口を言うような人もいない。まあカンニングする外人友達がいるくらい。

愛の組織なんかじゃなかったんだ、って一度思うともうそ思考がぬぐえない。

まりで話を聞いている間もちょっとしたきっかけで嫌な思い出がバーーーっとよみがえって来て

そんなんじゃない!!!嘘つき!

ってつい思ってしまって、泣きそうになる。というか泣いてる。

もともと話は聞かない方だったけれどこれのせいで意図的に聞かないようにするようになった。

もう感情的限界だと思う。

真理とか人生の目的とか興味ない。

けどやめて家族から無視されるのは嫌だし、家族宗教から引き離そうとは思えない。

どうしたらいいのか分からない。

でも神が本当に愛だったらいいな、と思う。

2018-02-10

anond:20180210213449

どうしてそう排他的なんだろうな。教義のせい?もう少し寛容になれないもんかね。

2018-02-05

母の愛は無償の愛という概念っていつ生まれたんだろうな

の子供は親にとってはただの労働力だったり、売って換金する為の商品であって

無償の愛なんて概念は無かったわけだが

いつからそういう概念が生まれたんだろうか

キリスト教の影響だろうか?「無償の愛」って元々キリスト教用語だよね?

いやキリスト教教義詳しくは知らんけどさ

それが同じくキリスト教聖母伝説と結びついたんだろうか

2018-01-31

冠婚葬祭を最低限の費用で済ませるための新宗教をつくろう

欧米と比して宗教色が薄いと言われる現代日本でも、完全に宗教と決別して生きていくことは難しい。

いわゆる「冠婚葬祭」においても、近年では小規模化の傾向が見られるとは言え、有形無形の圧力により望まぬ負担を強いられることが常態化している。

そこで、出来る限りコストのかからない極めて簡素宗教を新たに用意し、それを宗教的圧力からの逃げ道にすることができないかと考えた。

簡素と言っても、冠婚葬祭を全く執り行わなければ社会的摩擦が生じ、かえってコストが増大しよう。それでは本末転倒である

なので最低限の儀式は執り行いつつ、それ以上の出費を防ぐために、「私の宗教では盛大な儀式が禁じられている」などと、宗教言い訳に使えるようにしたい。

まず宗教目的を設定しよう。

メタ目的が「宗教に関連するコストを低減する」ことであるので、「戒律を課す」「現世利益約束する」といったコストの嵩む方向性は論外である

そこで「死に対する不安を取り除く」=「死後の安楽」という点に絞る。

死後の安楽を保証するために、まず神を用意する。

神は全知である

故に神は「人の死後が安楽である」ことを知っておられる。

これを基本にしよう。

「神によって安楽がもたらされる」でないことに注意されたい。

安楽が神によってもたらされるのならば、神に対価を支払う必要性が生じてしまう。

しろ

神は無能である

とすべきだ。

無能であるが故に、神は何の行動も起こさない。

神は信徒に何も与えず、信徒は神に何も捧げない。

信徒は神に期待してはならない。

ただただ「人の死後が安楽であることを知る神が存在する」ことを信じるだけである

全知なる神は、既に信徒信心を知っている。

あらためて信心を表明したり、神へ誓いを立てたりすることは、神の全知を疑う行為であるので、できるかぎり慎むべきである

無能なる神は、決して信徒の求めに応えることはない。

ことさら神へ祈りを捧げたり、神の名の下に騒ぎ立てたりすることは、神の無能を疑う行為であるので、できるかぎり慎むべきである

と、このような教義を設定すれば、冠婚葬祭のたぐいを簡略化できるのはないだろうか。

結婚式

神は新郎新婦の愛を既に知っている。

よって神に愛を誓う儀式としての結婚式不要である

披露宴的なものはやっても良い。

葬式

神は死後の安楽を知っている。

よって死者のために祈る儀式としての葬式不要である

告別式的なものはやっても良い。

法事

神は死後の安楽を知っている。

よって年忌法要などは不要である

埋葬する必要もないが、埋葬した場合でも墓参りはしなくてよい。

といった具合だ。

もちろん冠婚葬祭以外でも様々なシーンで利用できるはずだ。

これを「全知無能神教」と名付けよう。

どうぞ信仰してくれ。

何の宣言許可もいらない。

あなた信仰を神は既に知っているからだ。

2018-01-30

保育園反対運動本質は、騒音問題ではない

保育園設置の反対のための大義名分として、騒音などが挙げられているけど、それはまさに大義名分であり本当の理由ではないと思う。

はっきり言えば、保育園必要としている親そのものに対する批判非難なのではないか

具体的に言うと、保育園設置に反対している人たちの理由は、そもそも両親どちらかが働くこと自体に反対しているのではないか

もっと言えば、母親子供育児を放り出して働くこと自体に、強い抵抗感を持っている人たちなのだと。

父親は働き、母親は家の中で子育て家事をする」というライフスタイルが身にしみている人たちから見れば、保育園なんて異教徒宗教施設のようなものだ。

そんな人たちに「父親だけの稼ぎだけでは生活していけない」などと説明しても無駄

イスラム教徒に、キリスト教教義説教するようなもので、絶対相手に話は通じない。

保育園設置に反対する人たちの年齢層が比較的高い気がするのも、これで説明がつくよね。

逆に保育園ではなく、幼稚園建設工事だったら反対する人はいないと思う。

だって子供たちの笑い声は好きだからさ。

保育園の設置に反対する人たちも、はっきり言えばいいのだと思う。

母親が働く風潮を後押しする保育園は受け入れられないのだ」と。

2018-01-22

どっかの宗教に入って、定時に帰らないと教義に反するって言いたい。

残れって言われたら、宗教差別ですか?と。

何とかユニオンに入るのに問題があるんだったら、どうだろうか?

2018-01-12

『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』を読んだ

リンク先の本を買って読んだ。

https://twitter.com/alpaca_mofu/status/943446184676306944

私にとっては本当に辛い記憶でありこれまで「ネタにするくらいしか昇華しようがないかなー」と漠然と考えていた体験だが、このような本に巡り会い昇華方法として素晴らしいと感じた。

この記事を書くに至った衝動はいくつかあるが、1つはかの宗教地域性ローカルルール豊富であることに由来する。

Amazonレビューや著者の方を含めたツイッターでの会話を眺めたら「まさにそうだった」「うちはこうだった」「それはなかった」といった感想を目にした。

この宗教に関わっていない方にとってはどれが正しいかからない状況かもしれないが、きっとどれも正しく、単に環境が違ったのだと思う。

この記事あくまで私の体験であり他の方と一緒かもしれないし違うかもしれない。

ただそういう経験をしてそう感じたと書く。

各々信じたいものを信じ、やりたいことをやるしかないのであるし、公序良俗というやつに反しない限りそうあるべきなので特定個人を貶める意図はない。

また、正式名称ものみの塔聖書冊子協会通称エホバの証人」についても賛成も反対もなく信教の自由保証されてしかるべきなので信奉したい人はどうぞ。

ものみの塔」とか「エホバ」とか書くの本当に久しぶりだが手が震える。

コメントorツイッター( https://twitter.com/s_fjw )で質問してもらえたらできるだけ書く。

この増田を書いてる人

いわゆる「元2世」というやつで、親が入信してたので必然的に参加していました。

かの団体地域性ローカルルールが多いことが知られており「いつ」「どこで」「どれくらい熱心だったか」という前提が欠かせないのでまずそれを書きます

生年

1980年前後

地域

西日本

年1回の「地域大会」というやつはスペースワールドの近くで開催されるやつに割り振られていた気がします。

いつから

母が洗礼を受けたのは私が乳幼児の頃らしい。

当然私にとっては「物心ついたらそういう環境だった」。

いつまで

17歳の時に自分の心の中で脱退し以降戻ってない。

洗礼受けてから脱退すると「排斥処分」というやつになって以降かの団体の人々との交流を一切禁じられるが、洗礼を受けずに諸々の行事に参加しなくなっただけなので、扱いとしては単に「信者候補が『世の人』(信者ではない人の呼称)になった」だけ。

排斥処分」の有無は感情精神に色々影響与える場合があるらしいのでここに状況を明記する。

家族構成

父母私。

父→大きく賛成も反対もせず。一時母の勧めで「研究」に参加した模様。

母→熱心な信者、たぶんまだ現役。

今の私の立ち位置

前述の通り心理的に脱退済み。

たまにフラッシュバックして死にたくなる。

かの教義には賛成も反対もないので自分意思でやりたい人はやったらいいんじゃないんですかね。

ただ子供押し付けるな!!!!!

作品と私の体験共通するところ

書く。

作品と私の体験で違うところ

本当に体験が近しくてびっくりした。

が、ごく一部私の体験と違ったので書く。

良いことを「エホバ」、悪いことを「サタン」として使う

悪いことを「サタン」と言うことはあった。

しかし良いことを「エホバ」と言うことはなかった。

これは十戒あたりに「神の名をみだりに唱えてはならない」とか書いてあって、私の周りでは「良いこと」を表すために神の名を使うことはそれに沿っていないと考えていたか、あるいは単にそういう用法を思いつかなかったのだろう。

なお彼らは主に新約聖書教義根拠として用いるが、旧約聖書も参照する。

繰り返すが地域性ローカルルールが多彩であり特定の人の記憶や考えを否定するものではない。

今のところこれくらい。

他は本当に体験が近しくて驚いた。

良いこと

悪いことばかりというのはあり得ず、このような環境で過ごしてよかったこともあるので書く。

その他本作品で呼び戻された記憶の数々

気力が戻ったら書く。

思い出すだけで辛いし得損なった15年ばかしと数々のチャンスを考えると何かを呪わずにいられなくなるんだ、わかる人にしかからないだろうが。

この件を考えると人に優しくできない。

2017-12-31

anond:20171231122718

反出生主義者でない人が自殺するかどうかはこの場合問題ではないよ

反出生主義者はその教義原則に沿って決断するなら今後人生自殺を上回る苦痛しか予測されない時に自殺しなければならないのではないか、そうでないなら自殺しなくてもよい論理を教えてくださいという話だから

anond:20171231104619

反出生主義者が全員自殺したとして、

その時点で反出生主義の教義が失われるだけだよ。

仮に人類全員が反出生主義になって全員自殺しても、人類以外の生物本能で子孫を残し続ける。

ならば、地球を核で破壊すれば解決かというと、宇宙のどこかの星には別の生命体がいるかもしれない。

よって、宇宙を終わらす方法まで辿り着かなければいけないんだ。

これが、宇宙全体の知的生命体に等しく課せられた使命だよ。

2017-12-30

anond:20171230111228

面白い考え方だとは思ったけど、それ以上に言葉遊びというか、哲学遊びな気もするな。

マイナスは確実にあるが、もしかしたらプラスもある」より「確実にマイナスはない」のほうが合理的と言うけれど、

誰もが「限られた時間」や「あり得た未来」という代償を支払い続けて生きている以上、マイナスのない行為など存在しない訳で、

代償を恐れることは即ち生きることを、何もしないことも含めた全ての事象を恐れるに等しい訳で、

・車には交通事故という、他者権利侵害するマイナスがあるから倫理的廃止した方が合理的

インターネットはそれによる犯罪の誘発という、他者権利侵害するマイナスがあるから倫理的廃止した方が合理的

もっと言えば、

現代人は限られた資源一方的使い捨て、将来や発展途上国の人が活用する余地権利侵害しているか科学技術自体廃止した方が合理的

・限られた食物を消費することは他の誰かが食べられた食物を、特に貧困地域の人の生存権を奪う事に繋がるから生命活動廃止した方が合理的

なんて論法根本的な部分は変わらないと思う。

これが「出生」というセンシティブ大事適用されてるから、物凄く鋭敏に聞こえはするのだけれど、

世界色即是空プラスマイナス存在せず、苦痛存在しない楽園では快楽認知定義存在することはできず、

人の認識が生み出す虚構世界に対し、絶対的普遍的価値を見出そうとするが故の苦悩と言うか、

ある種の『悲劇のヒロイン症候群』的な思考遊びでしかない気がする。

------

「出生による苦痛」を特別視して、且つその前提条件を割と当然のように語られる方が多い印象だったので追記。

これはもはや宗教的な話になってくるのだけれど、

何故、「生まれてくる前の世界が、苦痛認識存在しない“無”である」ことを当然のように前提にしているの?

例えば『六道輪廻』みたく、今より悪い世界から現世というより良い,より苦痛のない世界へ生まれ変われるという可能性は?

これは別に宗教論議をしたい訳ではなくて、現代科学では出生前も死後も“あること”も“ないこと”も分かっていない以上、

「出生前世界が無である」と信じるのは「出生前世界存在する」と信じることと根本的には同義でしょう。

もっとも、「子どもを産む以上、その責任覚悟を持とう」という“信仰”の話であるならば、個人的には良い教義だと思います

2017-12-23

anond:20171223004026

イスラム教以外で子供を増やす事にポジティブ宗教といえば日本の某教がそうだが別に某教の信者がやたら子供多いって話も聞かないし、やっぱり教義ではない何かなのだろうか。

2017-11-30

それでも運動瞑想睡眠野菜が好き

ここ数日のxevra御大へのバッシングに本当に心を痛めている信者の一人だ。

御大を崇め奉る信者として、その心境を率直に語りたい。以下は教義PRです。

以前、自分はいわゆるブラック企業に勤めていた。

ポンコツ自分が職を選ぶ立場になんてなかった。

その後数年勤めるも、心を病んで退職し、引きこもりになった。

どこにでもある、ありふれた話だ。

そんな自分がまた社会に復帰できるようになったのは、運瞑睡野のおかげだと間違いなく確信している。

運瞑睡野の根源にある考えは、自分へのいたわりという視点だ。

仕事に全力投球するのはもちろんいい事だが、しかし同時に自分の体も脳も心も、休めるべき時には全力で休める。

その為のセルフケアの具体的な指針が、運瞑睡野なのである

ヘトヘトに疲れているのにオフタイム運動なんて勘弁してくれよと思うかもしれないが、これが驚くほど効果がある。

運動すると妙に気分がよくなり、くよくよ悩んでいた事がバカらしくなってくる。

肉体を意図的に疲れさせる事で、逆に肉体が頑張らねば!と元気が湧き出てくる。

瞑想もいい。

過去の嫌な経験や、やり直したい事について延々考えてしまう負の思考ループ鬱病はこうした反芻思考に陥る病気である

これを断ち切る具体的な方法の一つが瞑想だ。

あるがままの自分状態を見つめる。浮かんできた感情客観的に眺める。

負の思考ループに陥りそうになったら瞑想していた事を思い出す。心を鎮めて、また自分を見つめる作業に戻る。

瞑想については色々なやり方があるから各自に向いた実践方法を探すといいと思う。

それから睡眠大事だ。野菜大事だ。

書く作業に飽きてきたので省略するが、これらは全て自分癒し、いたわり、

また明日から元気に楽しく日々を送る上で非常に有用ライフハックなのだ

瞑想はまだデータ不足ではあるが、運動睡眠野菜効果については科学的なエビデンスも多い。

オカルトと思うかもしれないが、何より自分自身、本当に効果があると実感している。プラセボでも効果があるなら上々だ。

もちろん御大に思う部分もある。野菜は350gでは足りないと思うし、もっと全体の栄養バランスについて考えるべきだと思うし、最適な運動量の考え方についても自分とは違う。

だがそれでいい。運瞑睡野をどう実践するかは各々考え、自分ライフスタイルに落とし込む作業必須だ。

ここで唐突に冒頭のありふれた自分語りを思い出して頂きたい。

自分ブラック企業でうまく立ち回れず、大脳が壊れたメンヘルになってしまった。

当然至らない部分があったのは自分の未熟さ故だ。

だが、自分のような大脳の壊れたメンヘルを量産するようなブラック企業、歪な社会構造

立場の弱い小作人一方的搾取されるような権力者中心のビジネスモデルは、

果たして看過されていいものだろうか?大脳の壊れたメンヘルの末路を、自己責任で終わらせていいものだろうか?

御大過激物言いはたしかに万人受けはしない。

いきなり名指しで、上から目線批判されたら反発するのが人情というものだろう。

だが、御大日本社会への批判は、大脳の壊れたメンヘルをこれ以上生み出すなという強いメッセージ性が根底にある。

メンヘルに陥りかけている人間に手を差し伸べている。おせっかいと言われようとも目の届く範囲でも救いたいという意思を感じる。

それが、大脳が壊れてメンヘルになってから知った、世界自分が一度挫折していなかったら決してそうは思わなかっただろう。

から罵詈雑言を浴びながらも手を差し伸べ、メンヘルを生み出す社会構造をひたすら批判する御大の事が好き。

ちなみに運瞑睡野の素晴らしさについては自分で調べて知った事なので、xevra御大から教わった事は特にありません。

あとオピニオンリーダーと言えば社会派っぽい雰囲気ますが、実際にはタンク役とかメイン盾とかそんな扱いです。

2017-11-25

https://anond.hatelabo.jp/20170912064220

俺は休みが増えるならアベでもカベでも誰でもいいし、適当に盛り上げればもうけもんだし、

仮に休んだ分が休日出勤になるってのなら手当がついていいじゃんって思うんだけど

安倍憎けりゃ休みまで憎いっていう教義のために輸血を拒む人のような人もいる

2017-11-19

anond:20171118141200

新興宗教不安をあおって教祖依存させ、金を納めさせるんだよ。

でも、ありもしない不安にとらわれるようになるから、不幸になるんだよ。

いらぬストレスを抱えるようになるから

で、宗教でも昔から残ってる宗教は文献が非常に多く、特に現代だと簡単に買える。

逆に、宗教団体自体形骸化し、あまり教義を教えてもらうものではなくなってる。

から、とにかく本をいっぱい読んで、取捨選択してやるぞぐぐらいのものが適切だと思う。

2017-11-18

anond:20171118115051

過去から、といっても1970年代からじゃないかな。それまでは合計特殊出生率もそれなりの数字だった。その辺から女性賃金が上がり始めた。

フェミニズムの隆盛には波があるね。第2波の辺り https://ja.m.wikipedia.org/wiki/フェミニズム#.E7.AC.AC.E4.BA.8C.E6.B3.A2 それは成果は悪いとは思っていない。ただ副作用、悪影響としての少子化責任は取れずに熱量が下がり変なフェミが目立つようになった。

別の観点でみると『人口が増えているところ』はどこだろか? 

イスラム教圏?あと面白いのがアメリカアーミッシュというキリスト教の一派も増えてる。男女の性役割分業は明確に開拓時代をなぞってる。意外と寿命も長い、女性は早く結婚し子沢山。コミュニティーを出る選択もある。が、人口は増えてる。フロンティアを探して分布図が広がってる。

彼らの教義共感するわけでは全くないが「人口規模が継続しうる社会」ってどんな感じかな、と日本とかヨーロッパニュースを見てると思う。持続可能社会ってどんなだろうな。日本少子化団塊Jrが出産適齢期を逃した段階で確定した。

目を反らしているのは。どっちなんだろうな。事実としてアーミッシュみたいなケースを認めることは出来るか? 

ゲーリー・ベッカーの比較優位性の話にフェミニズムが反対したって話を知ったときにはバカかよ、と。

いまは男女が等しい能力を求められている。

それは関係性の維持に役立ってるんだろうか、能力が異なる国が連携することがあるように、異なる能力を持った人間同士が尊敬しあう事もあり得る、つまり旦那からリスペクトされる愛される専業主婦がいてもいいはずなのになー、ほんとクソだなぁ、と。

追記

女性の平均年収350万なのに年収300万円台の男性を養う気概を問われるのはやはり目を反らしているんじゃないかなあと思うのだ

目を反らしているという言い方が悪かったのなら、見誤っているだ

平均に意味あるかな。稼いでいる女性と稼いでいない女性がいる。

女性上方婚傾向を残したままで、女性賃金があがると(稼いでいる女性が増えると)、結婚が成立しにくくなり、少子化が進む。

から、君に覚悟があるのか? というのはそういう事。 女性がどういった年収であれ「自分より下の男性結婚できるか?」という点がポイントがある。

今でこそ「年収350万の女性年収300万男性」ってカップリングがありえるが、

バブルの時ですが、女性は「シンデレラコンプレックス」なんていって、自分より上の男性を求めていた。

必要年収ではなく「自分より上か下か」という基準なんだよね。

先進国女性は軒並み出生率は低い。 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9020.htmlまり皆さんご存知ないんですね。

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