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はてなキーワード: 教義とは

2018-07-11

anond:20180711110648

ある教義がほかの教義と衝突する。

その時、数や力で片方を抹殺することがある。

人、それを「侵略」という。

anond:20180711110222

から、その教義自分たち世界を埋められればいいけど実際にはコリジョンが発生して、判定負けしちゃったんだろうがよ。

人が沢山いればコリジョン判定なんてそれこそ無数に発生するんだから、判定式を複雑にしないようになるべく他のコリジョンと条件は合わせておくべきだったんだよ。

anond:20180711110016

他人ナイフで刺したりサリン撒いたりリンチ社会的にブチ殺そうとした

といったことが加害であるという考えは、我々が信仰している教義しかないんだよ。

anond:20180711105456

どういう教義だろうが理屈だろうが関係ないんだよな

他人ナイフで刺したりサリン撒いたりリンチ社会的にブチ殺そうとした時点で、そいつはもはや加害者以外のなんでもない

弱者がどうとか教えがどうとかいうのは全部暴力性をごまかすための言い訳しかない

anond:20180711104935

彼らは加害者自覚ないと思うけど。

空中浮遊おじさんの教義では、「殺す」=「つらい現世からの救済」だったと思うし、

そういう意味では「殺人犯」ではなく「救済者」と思ってるのでは?


で、これは何も空中浮遊おじさんに限った話ではなく。

ポリコレ信者やら、民主主義信者やら、自由恋愛主義者やら、一方の正義を盲信する奴はみんなそう。

「正しい道を説いてやる」といいながら実際は相手をぶん殴ったり、社会的に殺したりする

2018-07-10

anond:20180710221945

オウム教義インチキだったのです。当時のオカルトブームに乗ってみようとしただけです」

2018-07-08

anond:20180708173058

解釈に幅がある教義からこそ人気んあだろ

厳密にこうだと決まってたら裁量余地ゼロから開祖カリスマが要る

2018-07-07

anond:20180707022322

彼らはこの世の中のことはすべて教義説明が出来ると思っているからその傲慢さが排他的につながってるんじゃないか

2018-07-06

猫の里親募集してる人たちの狂気

猫を探してるんだけど、挫折して三度目くらいかな、嫌な思いばかりするのでいいたい。

里親募集をかけてるネコ保護団体のひとたち。

めちゃくちゃ里親応募者の人格プライバシー個人情報をうるさく聞いて人をジャッジする癖に、

自分たち宗教活動政治活動しててその教義押し付けをしてきたり

猫の飼育状況に関しては応募者たちよりよっぽどやばい環境で雑に猫管理してたり、まず最初から応募者を「詐欺師動物虐待人間か?」という疑いの目で見るところから始めて当たりがきつかったり、

こっちはたくさんの猫の世話で忙しいのよとばかりに雑で失礼な態度とられたり(管理しきれてないなら囲うなよ。虐待してるのはそっちだろ)、ひたすらどうでもいい雑談相手に拘束したり、……かいてて思い出しゲンナリするが、そんなんばっかりで本当にひどい。

そうじゃない団体もいるだって?いるなら教えてほしいよ。どこにいるのそんな「優良」慈善団体

たいてい関わると体力ゲージガリガリに削ってついでにSAN値も削ってくる。

もう、やばい一言

「すでに一匹いて、マンション規約で二匹までしか飼えないから、もうあと一匹しか引き取れません」つって話が進んでたのに

唐突トップのおばはんが二匹いらないかといってきて、断ると「子猫社会性が育たない!」とかキレたおして譲れませんの一点張りになるとか、なんかそういうわけのわからない団体めちゃくちゃ多い。げんなりする。

大抵、窓口になってるおばさんは条件がゆるくて、トップにいるおばはんがめちゃくちゃガチガチマイルールもってて仕切っている。

芸能人名前出して宣伝してた、メディア露出の多い東京の某団体もそう。

実際やり取りしたら「基地外かな?」って感想になった。

動物を助けてるんだから善人の看板持ってるつもりで選民意識義憤活動してるおばさん多くて

自分正義の人!だから自分の考えは正しい!やってることは百パー正しい!」ってもうそこの認知が揺るがないから、そういう自己の在り方に疑問のない人達って本当にひたすらめんどうで、

もうめんどくさいかペットショップネコ買いたくなってきた。

かわいそうな猫を一匹でも減らしたいって思いもあるのに。

生体販売ビジネスやってるペットショップは、この世からなくなればいいと思ってるけど、

ネコ譲渡に関わってくる「慈善活動家(社会から認証に飢えてる専業主婦のおばさん、おばあさん)」がやばすぎて、いままた何度目かの挫折中。

今飼ってる愛猫の伴侶が欲しくて探してるんだけど、この子を見つけるまでも本当に苦労したし、伴侶をみつけるのにまたこやばい連中と知り合わなきゃいけないってだけで鳥肌立ってしまって挫折してしまう。

うちの子を譲ってくれたおばはんのことも、我が家では「キ〇ガイババア」と陰で呼んでいる。

政治活動をしていてその説明で家に居座ったからだ。

エサは市販のものは駄目、手作りもしくはオーガニック食品を!とか、どこそこの政治家はこんな動物虐待に加担している!とか、

私はこんなに身銭を切って猫ちゃんたちを助けてるのよ話を延々2時間人んちに来て話して、出したお菓子に全部手を付けて帰った。

スッゲーなー……という感想しか出てこなかった。

そもそもこちらはわざわざ野良猫里親募集に応募して長い取り調べを受け、それでも不幸な猫を幸せにしてやりたいと思ってる側なのに、

あいつらこっちはしりたくもない「心無い人間による犬猫虐待情報」めちゃくちゃおしえてきて嫌な気持ちにさせるし、

応募してきた人間自分の好みで判断して譲渡してて、猫の為じゃなくて自分承認欲求を満たす手段としてやってるおばさんが多すぎていやになる。

猫の世話で忙しくて髪の毛ばさばさ、服も汚くてよろよろ、体臭なんかもう獣のにおい移っちゃってて臭うし(無自覚)、薄汚くて怪しげなおばさんを家に上げなきゃいけない嫌な思いまでしてるってのに、

猫を人質(猫質)にしてやりたい放題なのだ

猫たちはなんにも罪はないが、おばさんの肯定まではしてない。

あいつらときたらやりたい放題なんだ。

どうにかしないと私ほど忍耐力のない人たちはペットショップで買って、そんで捨てたり多頭崩壊させてるよ。

条件あわないことも多いけど、保健所への直登録で、希望の子が出てくるのを待つしかないのか。

いたとしても毎日はりついてるおばはんたちがいち早くかっさらっていくんだけどな。

やりきれない。

2018-06-24

anond:20180624093142

あの手合はそれこそ自分らが正義!って思ってるんだから御しやすいだろうな

多分既にある「アベガー」「在日ガー」界隈が、その方向的に、

アンチ竹中って教義を取り込めないだけだと思う

anond:20180624004623

正解は「女性蔑視は今の時代に即してないか教義を変えさせる」です。

カトリックもそうだし、イスラム教もそういう動きがありますね。

ポリコレクイズです。

ポリコレ的に、宗教差別は許されません。信仰自由です。

そしてポリコレ的に、女性差別も許されません。

しかしある男がある宗教信仰しており、その教義として『女性は卑しい存在から社会にでるのは許されません』というものがありました。

彼はその教義に則った社会的な言動を行ったところ、炎上してしまいました。


この場合、『教義よりもポリコレ正義を優先しろ』としろ、として彼にその教義については諦めさせるのが正しいのか、

それとも宗教教義なんて多少不条理なのは当たり前として社会が彼みたいな存在を受け入れるのか

どっちが正しいんだろうね。子供選択余地を与えず信仰押し付ける某宗教なんて、こんな感じの問題抱えてる気がするけど

2018-06-23

[] 心神喪失状態での死刑執行

バロンデッセ(観測気球。ある計画などに対する反応をうかがうために意図的公表される意見など)について分析

 

同会が麻原裁判の再開を求める理由として挙げている主要なポイントは以下の通り。

 

(1) 「麻原を吊せ」という世論に押された裁判所が1審のみで裁判終結させたために死刑判決が確定したのは不当である

(2) 一審判決では麻原がなぜサリン事件を指示したのかについての動機が解明されていない。判決根拠とされた、「リムジン謀議」についての井上嘉浩死刑囚の証言は、後に井上死刑自身NHKに当てた手紙否定しており、判決根拠は消えている

(3) 自分処刑されるということすら理解していないかもしれない松本死刑囚治療せず処刑するのは問題である

 

問題は(1)と(2)だ。

本紙容疑者総裁藤倉善郎氏のコメント

 

死刑執行が近いのではと言われオウム問題が注目を浴びる中、お調子者の著名人雁首揃えてその話題に便乗してくるだけなら、まだ笑って済むかもしれない。しかデマを流し、実際には深い関わりがあると思われる重要人物との関係を明確にしないのは、よく言えば不誠実、悪く言えば偽装アレフ勧誘等に利用されかねないという問題点と合わせれば、社会的有害な会とさえ言えるのではないか。呼びかけ人・賛同人になっている著名人たちは、この会に名前を連ねるリスクをもう少し考えたほうがいい」

 

藤倉善郎氏は、(3)の詐病について言及を避けている。その理由を推測。

 

詐病

  1. 正常説:糞尿を垂れ流しているのは、発狂している演技。本当は正気なので刑事責任を問える。死刑執行可能
  2. 病気説:糞尿を垂れ流しているのは、拘禁症などの精神病心神喪失状態場合死刑執行停止になる。

 

死後の神格化

  1. 正常説を採用した場合死刑執行可能だが、裁判所が死刑囚の精神は正常だったことを保証したことになる。信者はこの事実教祖神格化に利用することができる。「発狂は演技。詐病であり、本当は正常だった。教祖殉教者になった。教義の真偽については裁けなかった。」
  2. 病気説を採用した場合教祖発狂していたなら神格化には利用できないが、同時に死刑執行停止というジレンマに陥る。

 

(A)教祖発狂しているが、(B)心神喪失状態でも死刑執行必要、という矛盾を解消するためには、(一つの解決策として)日本刑法改正すれば良い。

 

刑事訴訟法第479条

死刑執行の停止)

第479条

  1. 死刑の言渡を受けた者が心神喪失状態に在るときは、法務大臣命令によって執行を停止する。
  2. 死刑の言渡を受けた女子が懐胎しているときは、法務大臣命令によって執行を停止する。

 

その他の解決

解決策にはいくつかあるが、公正を期すなら精神鑑定で脳波を測定すれば良い。

演技では、人間精神科医など)を欺くことはできても、機械脳波測定器)を欺くことはできない。

2018-06-01

anond:20180601183051

でも少子化心配がないイスラム教の厳格な宗派は布が擦り切れるまで服を着ることを教義にしてるからなあ。

2018-04-19

[] #54-7「誰も期待していない宗教裁判

≪ 前

この聖書基準に、教祖はどんどんニセ教祖を追い詰めていく。

ニセ教祖聖書を手に対抗する。

「えーと あ 我々がやっていた免罪符ランダム性についてですが 第12項によると『賭博にあたる行為を推奨していない』と書かれています なので禁止もしていない と解釈することもでき」

生活教の七戒の一つ、『営利を介した宗教活動を禁ずる』。是非が明記されていないものについては、生活教の基本信条と七戒を参考にします」

だけど、どうもニセ教祖は話についていけてない。

俺たちと同じで、聖書をマトモに読んでいなかったっぽいな。

「え それって矛盾しませんか どうして こんな曖昧表現にするんですか」

賭博抵触するもの全面的禁止すると、娯楽だったり、保険などに入ることすら広義的にはダメだとなってしまうからです。それは心身の健全さや、生活における安寧を、かえって損なうことになります


その後も応酬が続く。

あ、このあたりのやり取りは話の構成上、読み飛ばしても何ら支障はないぜ。

有償であることについてもそうですが、免罪符の中に“転生”という概念を持ち込んでいるのも看過できません。生活教は、原則として“今”を重視した体系であり、確証のない未来約束するものではないからです」

ちょっと待って 生活教は死生観について言及していない これは否定もしていないってことで 輪廻転生解釈次第では」

肯定否定もしていないものについては、基本信条と七戒を柱に考えます

「えー では 死生観については えー」

生活教の時間概念は、基本“今”とそれに直接繋がる“身近な未来”を重視しています免罪符は、そのどちらでもないですよね」

「でも 保険否定しないということは 遠い未来保証についても 否定していないのでは」

「それは“今”を生きる糧に繋がるという、可能性を考慮した場合においては、です。もし、あなた免罪符無料であるか、輪廻転生が何らかの補償約束するものであるなら話は別ですが」

「うーん うーん」

「どちらも満たせていませんよね? あなたのやり方は、確証のない未来担保にして“今”を搾取している。明らかな教義違反です」

ニセ教祖は手元の聖書現在進行形で読みつつ弁明する。

だけど、付け焼刃ではどうにもならず、教祖に「都合のよい解釈だ」と論破され続けている。

「更に、あなた免罪符販売の際、『主の降臨日』だとか『主の生誕日』記念だと言っていましたが、これもおかしい」

「え いや あるじゃないですか 世間でも期間限定の催しは 多少の開きは認められているはず それに生誕日や降臨日といったもの解釈が分かれ」

「そうじゃなくて。そもそも生活教に“主”といったもの存在しません。生活教は体系そのもの信仰しているため、神の存在を認めこそすれ、崇拝しているわけではないですし」

え、そうなの?

宗教って、大抵そういうのに祈ってるイメージなんだけど。

「え、そうなんすか?」

「そういえば、現象について説明するとき、いつも精霊がどうとかって言ってた気がする……」

信者のカジマとタイナイも、知らなかったらしい。

「まあ教祖が言ってるんだから、そうなんだろう。どっちでもいいよ」

仮にも信者名乗ってるのに、そんな反応でいいのか。


…………

こうして十数分に及ぶ応酬は終わった。

パッと見、教祖側が一方的だった形だけど、俺たちの目線では違っていた。

自治体教義を知らないから是非を判断できなかった。

そこで、傍聴していた信者投票によって判決を下すことになったんだけど、信者たちも判断できなかったんだ。

教義がどうのこうの言われても、その場で理解している人間教祖しかいなかったってわけ。

馴染みのないスポーツ観戦の、解説を聞かされているような状態だ。

みんな、大体の雰囲気で観ていた。

「んー、免罪符を売ってた人がニワカだったのは明らかだし、有罪確定っぽいよね」

「話の流れとしては、そうなんだけど、何か普通の展開過ぎて面白みに欠けない?」

生活教の信者たちは、面白半分で入信しているから、当然この期に及んでも「面白さ優先」だ。

司法国家なんて知ったことではない世界で、道理なんてもの判断基準にはならない。

そのせいで形勢は、変な方向に傾きつつあった。

「でもなあ、オイラあの免罪符にかなり金使っちゃったから、擁護したくないんだよなあ」

だけど、ここでカジマが何気なく放った言葉が、信者たちに新しい風を送り込んだ。

「……ん? 待てよ。あいつが有罪になったら、返してもらえるんじゃないか免罪符に出したお金

その可能性に気づいた信者たちは、いきり立った。

万札つぎ込んだカジマはまだ分かるけど、小銭しか出していない他の人たちまで賛同している。

みんな、自分たちで金をドブに捨てたって認識はあるけど、実のところ後悔も未練もタラタラだったんだ。

汚水まみれになってまで拾いたくはないが、労せず拾えるなら話は別ってことか。

投票の結果、満場一致で『有罪』となりました。免罪符を売っていた者は、自治体に引き渡された後、個人的制裁を受けます

「こ 個人的制裁って なに」

みんなが、その結果に拍手をしている。

俺も同じ穴のムジナだけど、さすがについていけない。

何はともあれ、生活教の危機は去った、ってことかな。

こうして、誰も期待していない宗教裁判の幕が閉じた。


…………

これで、めでたしめでたし

……でもよかったんだけど、この話には続きがある。

なんとニセ教祖が別の宗教を立ち上げ、活動継続させたんだ。

「おい、教祖。いいのかよ、あんなことさせといて」

生活教ではない以上、私が介入できる範疇を超えています生活教は他の宗教ダメはいいませんし、改宗は迫れませんよ」

教祖他人事になった途端、こんな調子だ。

釈然としねえ。

やっぱり宗教って、くっだらねえと改めて思った。

でも、くっだらねえものほど、人はなぜか面白がりたいのかも……とも思った。

(#54-おわり)

2018-04-18

[] #54-6「誰も期待していない宗教裁判

≪ 前

異端審問』?

なんだ、そりゃ。

俺には馴染みのない言葉だったけど、それを聞いていた信者たちは色めきだった。

「おい、聞いたか? “異端審問”だってよ!」

まさか、このご時世に、こんな所で拝めるなんて!」

みんな、その場から離れるのをやめて、再び渦中に集まってくる。

俺はイマイチついていけてないけど、みんなの興奮ぶりを見ていると、ただごとじゃないのは肌で感じる。

気になって、タイナイとカジマに尋ねた。

「ねえ、異端審問って何?」

「オイラも詳しくは知らないっすけど、要は宗教テーマにした裁判って感じ」

「その目的は様々だけど、今回の場合だと免罪符を売っていたあの人を、生活教の人間ではないって証明するための裁判ってところだろうね」

なるほど、話が見えてきたぞ。

ニセ教祖のやっていたことは、そもそも生活教とは何ら関係のないことだと、その裁判で断定したいわけだ。

そうすれば教祖はもちろん、生活教の名誉も守られる。

信者たち目線では、単なる内輪モメが“異端審問”なんていう物珍しさによって、ちょっとしたエンターテイメントっぽく見えるようになる。

教祖にそんなつもりはなかったのだろうけど、結果として名誉挽回と信者の確保を両立する、ベターな回答を出したわけだ。

もちろん、信者たちにとってはどう結果が転ぼうと、構わない。

ただ、なんとなく刹那的に盛り上がればいい。

興味のない人間からすれば、心底どうでもいい。

そんな宗教裁判が、いま正に始まろうとしている。

俺のくすぶっていた野次馬根性も再燃してきた。


…………

急遽、始まった裁判は、公共体育館によって行われた。

こういうのって、あらかじめ予約しておかないと借りられない気がするんだけど。

当日に都合がつくなんて、変な力が働いてないか

いや、超常現象とか、そういう意味ではなく。

俺の疑問をよそに、裁判粛々と進む。

信者たちや俺は、“証人”という名の野次馬

裁判所みたく厳かな雰囲気もなく、みんなが同じパイプ椅子に座っている。

まるで、大人の学級会だ。

「えー……これより第一回、生活裁判を執り行います


本日、昼ごろ。免罪符を売る、生活教徒が出没。ですが、この者が、生活教を騙る人間ではないかという指摘が入ります

自治体中立的裁判官、および“執行者”として参加していた。

俺たちや当事者はともかく、自治体は余計な仕事を増やされてるからとばっちりだ。

異議あり 私は敬愛なる生活教徒 ライフチャンです」

生活教、教祖。彼が生活教徒ではないことを証明するものはありますか」

証明するものっつたって、信者の多くが自己申告で成立しているような、ユルい宗教だぞ。

当人生活教徒だと宣言した時点で、水掛け論にしかならない気がするけど。

生活教の基本教義が書かれた聖書、『ワーク・ライフバランス』の3ページ目をご覧ください」

聖書!?

そんなの、いつの間に作ってたんだ。

「あー、そういえば、そんなのいつも配ってた気がするっす」

「流し読みした限りでは、底辺ブロガー自己啓発みたいな感じだったから、マジメに読む気が起きなかったんだよね」

この日のためにでっちあげたとかいうわけでもなく、当初から一応あったらしい。

信者の大半は、存在すらうろ覚えだったようだけど。

次 ≫

2018-04-13

安倍が作ったのは「靖国」と「リフレ」を教義の中心とした宗教であり、30%いるのは支持者ではなく信者なんだよ。

信者は何があっても裏切らないし、攻撃されるほどに結束は強くなる。

公明党に学んで、もっとずっと上手くやったんだね。恐ろしい恐ろしい

2018-04-12

anond:20180412195942

結婚することで救われるとは教義にありません。まずは、神を信じて神への奉仕活動を行ってください。働いて献金することもその一つです。そうすれば救われます

2018-04-06

伝統教義と人の命のどちらが大事かの議論無意味

女人禁制伝統を守るために、死人が出てしまったどうするのか、という議論が続いている。

でも、そんなことを議論しても結論が出るはずがないよね。

中東地方を見てほしい。

あの地域では21世紀の現在でも、エルサレムの地やユダヤイスラムキリストの三宗教を巡って戦争を続けている。

中東に住んでいる人たちは、昔からずっと宗教教義のために命をかけて戦い続けているのだ。

そんな状況で、日本人が「宗教と人の命のどちらが大事なの?」と問いかけたところで、失笑されるだけ。

まあ日本人は良くも悪くも平和に生きているから、呑気でいられるんだろうけどさ。

2018-04-05

大相撲土俵女人禁制中東戦争について考えてみた

4月4日、京都舞鶴で行われた大相撲地方巡業の際、土俵上であいさつ中に倒れた舞鶴市長に、周囲の女性たちが救命活動のために土俵上に上がった問題について、メディアを通じて大きな問題になっている。

医療関係者報道されている女性救急救命中、行事が「女性土俵から降りてください」と繰り返しアナウンスし続けたことが大きくクローズアップされている。

歴史ある大相撲伝統として、土俵には女性は上がることはできない「女人禁制」の原理原則からすれば当然の話である

しかし、世間はそうは受け取らなかったようである。この土俵問題を報じているヤフーニュースコメント欄をザッと読んでみても、女人禁制制度自体に対する批判が多かった。

ちなみに、私自身も個人的には大相撲土俵女人禁制には批判的だし、もっと言えば皇室男子継承についても改革するべきだと考えている。

ヤフーニューステレビ報道番組の中で言われていた批判の中で印象に残ったのは「女人禁制原則を守った結果、救急救命行為が行われずに、市長が死んでしまったらどうするのか」という論理である。21世紀の現代社会なのに、女人禁制のしきたりは時代遅れではないのか、と。

しかし私から言わせてもらえば、「女人禁制」というしきたりは、しきたりという古めかしい言葉表現される以上の意味を持つ、「思想信条」に等しいのではないか

私たち一般人から見れば女人禁制なんて、頭のおかしい考え方そのものに思えるが、大相撲関係者の人たちから見ればそれは教義と同じことなのだ。

大相撲関係者の胸の内を想像してみると、死人が出たとしても女人禁制原理原則は守るべきことなのだと!

ここで思いついたことがある。中東イスラエルパレスチナ中東戦争のことだ。

ご存じの通り、中東戦争の火元であるエルサレムにはユダヤ教イスラム教キリスト教聖地となっている。

ユダヤ教徒によって神聖存在である嘆きの壁ムハンマドがここで昇天したと信じるイスラム教徒にとっての岩のドーム、そしてキリスト教徒にとっての聖墳墓記念聖堂の3つである

この3つの宗教をめぐって、あの地域の人たちは50年以上も戦争を続けている。

私たち日本人から見れば、中東砂漠の中の地面を巡って殺し合いをするなんて、あの土人どもは頭がおかしいだろうとしか思えないことであるが。

しかし彼ら(ユダヤパレスチナ周辺諸国の人たち)からすれば、「教義のためなら死をも厭わない」と本気で考えている人たちが多いということだろう。

そして21世紀の現在でも、彼らは殺し合っている。

ユダヤ人やパレスチナ人の人たちも、大相撲関係者の人たちもやっていることは同じではないか

そして、私たち何も関係ない一般市民からすれば、他人思想信条を変えさせることは絶対に出来ないことなである

2018-04-04

anond:20180404184855

じゃあなんで進んでいてこれ以上戻れないはずのリベラルが、いつまでも世界統一できないのかって話になる

いろいろ理由はあるんだろうけど、一番わかりやすいのは少子化だろう

進んだコミュニティというのは再生産が成り立っておらず、そのままだと縮小してしま

なので普段バカにしてる国や田舎宗教から人口引っこ抜いて回ってるのが現状だ

リベラル教義自体ケチをつけるわけではないが、せめてそれは認めてほしい

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