創始者=神のタイプの宗教で、創始者が亡くなった後に、その宗教を信じ始める心情が理解出来ない。
創始者が数々の奇跡を起こしたと聖典に書いてあっても、それが真実だと担保するのは、布教者であり、神本人ではない。
例えば、どこかの詐欺師が、適当な聖典をでっち上げて、布教を始めたとしても、「本当に創始者=神だった宗教」の布教者と見分ける方法は、無い。
たとえ創始者=神の宗教があったとしても、宗教が生まれてから、長い年月が経過すれば、現在の教えが、創始者の教えと同一である保証は全くない。
「創始者が書いた聖典に従って生きれば大丈夫だ」という意見もあるだろう。しかし、その聖典が本物である証拠は、あるのだろうか?信者になる前に、考古学を究め、その聖典が本物だと確信してから、信者となるのだろうか?創始者が書いたことが確定しても、所詮は筆記記録でしかなく、大昔の御伽噺と区別する方法は、結局存在しない。
一方、創始者(=神)である宗教ならば、神本人が奇跡を起こせばいいし、教義の解釈に迷っても、神本人に聞けばいい。
歴史ある宗教でも、現代の指導者が奇跡を起こしているから、信じるに値するという意見もあるだろう。それは、否定しない。否定しないが、信じていいのは、その奇跡を直接目撃しかつ、それがトリックではないと確信に至った人だけであり、それ以外の人は、その宗教の広報を無根拠に盲信しているだけだ。
別に宗教を否定したいわけではない。人生の一つの道しるべとするのは、個人の自由だ。ただ、「歴史ある宗教は全て問題ないけど、新興宗教は全て胡散臭い」というのは、不公平なのは、間違いない。歴史の新旧だけで、宗教を語るのは、盲目的歴史信者だろう。
「『聖典が本物である証拠』があるから信じる」ってのがもうズレてるんだよ。 現在の自分の不遇な環境からすると、この聖典に書かれた価値観でしか生きることができない。だから信...
外国人から見ると日本人って、知性が洗練されていない猿に見えるそうです。 しかも日本人は嘘つきばかりだから真実が分からなくなって、自分でも自分が騙されている状態に気付けな...
宗教活動は 神社へ 元旦に 初詣 クリスマスケーキの日だけ キリスト教 死んだときには 仏教の お経 以上 https://anond.hatelabo.jp/20171...
信じたいなら信じれば? 他人に押し付けないでよ
新興宗教は不安をあおって教祖に依存させ、金を納めさせるんだよ。 でも、ありもしない不安にとらわれるようになるから、不幸になるんだよ。 いらぬストレスを抱えるようになるから...
不安をありもしないというだなんておめでたい奴だなあ
それから、仏教儒教は初めから神など超自然的存在を前提としとりません。 (仏教「毒矢のたとえ」儒教「怪力乱神を語らず」) ただ、自分の頭で考えろ、という教えだ。(仏教「自灯...
あと、キリスト教系は「奇跡」を根源にしてますが、仏教儒教はこれまた奇跡を根源なんかにしとらんからな。